チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[30964] 【チラシの裏から移転】 Muv-Luv Inevitable 【第二章開始】
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/07 20:19
Muv-Luvの二次創作です。

素人なので文章が可笑しかったり、設定が間違っていたりするかも知れません。
もしそれでも良いと思った方はお読みください。
指摘して頂ければ直ぐに直したいと思っていますのでどうぞ宜しくお願いします。

ご指摘、批評、感想もお待ちしています。

12月26日 第一章開幕。
1月4日 第二章開幕。
1月6日 チラシの裏から移転



[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第一話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:17



 見渡す限りの全ては黒炎に支配されていた。
 鮮やかな夕焼けに染まった朱色に滲んだ赤色が溶けて混ざって映し出される。

 そこは見るからに市街地であった面影が垣間見える。
 ボロボロに荒廃しようとも面影までは無くす事は不可能であった。
 人々が日常の営みを送っていたであろうごく普通の街。

 いまや一つの人影も見当たらず、瓦礫の山と黒煙が無常に佇んでいるのみ。












 Muv-Luv inevitable

 第一章 悲憤慷慨 

 第一話 












 見覚えなどない、知らない景色だなぁとぼんやり取り留めのない言葉を頭に浮かべていた。

 現状を整理しようとしても人間の核である脳が一切働かない、まるで自分の脳みそがグチョグチョにシェイクされてしまったかのようなのだ。
 それにしてもなんだか随分と高いとこから見下ろしているみたいだ、なんて、見慣れた自らの背の高さからの風景とは全く別物に感じていた。

 未だ睡魔から覚醒を果たしていない目を瞼ををしばたたくせる。
 俺は一体全体何処で力尽き、寝てしまったのか?



(―――昨日は宴会が終わった後どうしたんだっけか? えーと、確かタクシー捕まえてから……)

―――全く、思い出せん……。

 マンションのベランダででも寝ちまったのか、俺は。
 にしては肌寒くないな。
 この季節、夜間の外は極寒のはずだが……。

 うーんと唸り声を上げながら、手を組んで天高く突き上げる。
 すると腕からだけじゃなく背中からもバキバキと小刻みな音が鳴り、何となく肩が軽くなった気がした。
 筋肉こってんなぁ、あー無理な体制で寝てたのかね……。

 …………にしても凄かったなぁアレは。
 あー……何ていったけ? 
 ……ああそうだ……。
 
 ―――狂犬だ。

 まさかこの酒豪と仲間内から称される俺を意図も簡単に打ち倒すとは……。



 暫しの間、昨日の記憶の糸を辿りながら簡単なストレッチをこなす。
 そして後ろにあった背もたれに勢い良く乗りかかった。
 ……ん? 背もたれ?

「―――っぁえ?」

 抜け落ちていた現実感が一斉に戻ってくる。
 耳に入る無機質な機械音と断続的な地響き。



『CPから各戦術機部隊に伝達! 別働隊のBETA群は地下を移動し進行中だった模様! 再度武装と配置の確認を求む!』

(あ? 何だって?)

 ……可笑しいぞ。何処だ此処? 
 ……無線の声か? これって?

 ―――コックピット?

 瞬間、思考が停止した。
 もしやゲームの筐体にでも乗ったまま惰眠を貪ってたのか……。
 もういい大人が……恥ずかしすぎるだろうが。情けない。



『ラウンド大隊全機に伝達! 全員聞いていたな! 愛しの恋人共がお出でになるぞ! 残弾及び燃料を確認しておけ! 各機前線を維持し展開。その後は各機の判断に任せる!』

 隊長らしき壮年の男が突如眼前に出現し、喋り始める。
 ―――そして追随し何もない空間から何十個ものモニターが並び出した。
 白人。黒人。東洋人。
 様々な肌の色、年齢がバラバラな男女が真っ直ぐに此方を見据えている。

『『『『『『了解!』』』』』』

(……おいおい、ノリノリだなぁコイツら。 いい歳こいて戦争ごっこかよ)

 二日酔いの行為症からかズキズキ痛む頭を摩りながら一人苦笑を浮かべてた。
 久しぶりに浴びるように酒を飲んだからだろうか。
 ていうか正に浴びた。酒を頭から。

 ……にしてもスゲーリアルなコックピットだな、空中にモニター出現したよおい。

 ゲーセンの箱物筐体っていやぁ確かバルジャーノンだよな。
 あれってこんなに本格的だったけか?
 しかも物凄くハイテクチックな仕様ぽいし相当な金掛かってんだろうなぁ。

 ……まぁ随分ゲーセンやらの娯楽とは遠ざかっていたし、最近の技術の進歩ってやつは一概に馬鹿にできんと聞く……。

『―――佐藤大尉! 返信が無かった様だがどうかしたか?』

(……おぅ、先刻の隊長っぽい人に声掛けられたぞ。うーん一応ノリを合わせないと失礼だよなぁ多分)

「―――いえ、隊長! 此方は特に問題有りません」

『そうか。了解した―――貴官には期待しているぞ』

 ノイズ混じりの無線が途絶え眼前に映っていた画面ウィンドが同時に消失した。

(はぁーすげぇな。最近のゲーセンって)

 おおかた酔っ払ってゲーセンに迷い込んだのであろうか? 
 考えたくもないが若くして夢遊病かね。
 ……はぁ、歳は無駄にとりたくはないなぁ。

 にしても何故ゲーセンでしかもバルジャーノンか……。
 いや、高校時代はよく入り浸っていたしなぁ。……昔の習性かねぇ。

 欠伸を二度繰り返し、何となく今自分が置かれている状況を理解し始める。



(えーと多分コレが機体本体の操作用でコレが武器のトリガーっと)

 ―――スラスラと難なく機体の操作方法が頭に浮かんでくる。
 どことなく違和感を感じなくも無いがきっと昔の記憶が蘇っているんだと納得しとこう。
 さっきから碌でも無い考えしか浮かばないし。

 昔遊び親しんだ型遅れのバルジャーノンに近い構造で流石に基本的な操作方法までは一新されてないみたいで助かった。

『―――大隊全機傾注! ……箱舟は無事飛び去った。我らの任務は遂行されたも同然である。残すはバビロン作戦のみだ』

 恐らくチーム戦の前哨戦があったらしい。
 良く周りの機体を見渡すと全体的に装甲や部位が破損しているモノが多い。
 ルールは持久戦とかなのだろうか?

『―――貴官らは地球を救いし英雄として語り継がれるであろう。 いいか最後の命令だ。―――必ず生きて帰還するぞ』

 ―――俄に地鳴りが激しくなる。一段と決定的に。

 今しがたまで瓦礫しか一望できなかった地平線が徐々に歪に蜂起していく。
 その様は黒い津波が押し寄せているようだった。

 ―――ここは海上では決して無い、然らば海が見渡せる浜辺でも無かった。



(……おいおい懐かしの青春の1ページが間違ってなきゃ、バルジャーノンって対人ゲーじゃ無かったけか……)

 ―――彼は知る由もない、コレがゲームの範疇に当てはまる事など永遠に訪れはしないと。

『―――っ総員、突撃ぃぃぃぃいいい!!!』

 一切の乱れの無かった隊列から一機また一機と黒い津波を目掛けて我先にと駆けていく。



 ―――補給は十分では無い。
 拠点防衛を主に戦闘を繰り広げ、予備の弾倉も使い切っていた機体が大半を占めていた。
 退路は途絶えまさに背水の陣であったのだ。
 ならば答えは近接戦闘だ。
 残された武装を使い生き残る道は片道切符の突撃しか彼らには選択肢は存在しない。






「……っと不味いよな、一人だけ静観なんて。期待通りに空気を読むかね……。んじゃまーいっちょ行きますか!」

 足元のペダルを思い切り踏み込み跳躍ユニットを最大点火、瞬時のうちに視界に映る映像が次々と加速度的に後方に流れていく。

「っうおぉぉぉ!!!」

 機体制御などのお構いなしの変態加速は相乗的にコックピット内に掛かるGも増大させていた。

(こ、こんな所も無駄にリアルなのかぁぁぁぁああよぉぉぉおお!!!)

 ―――本来対BETA戦での戦場では飛行は恙なく死に直結するモノである。
 原因は光線級といわれるレーザー属種、高度1万mの標的に対し有効射程距離は30㎞。
 決して味方誤射はしない。
 正確無比な射撃に人類の叡智の結晶たる戦術機も敵いはしなかったのである。

 ―――この時辛くも運は味方をした。
 幸運にも現在の戦域には光線級は存在をしてはいなかったのである。



 高速噴射跳躍を繰り返しながら黒く染まった津波に近づくにつれ、その正体が図らずとも視認できていく。

 ―――それは【化物】であった。
 折り重なりながら我先にと進む姿は餌に群がるようで、意志がない人形の様に見えながら生々しい造形がそれを打ち消していた。

 歪な形をした奇形生物。人間が見て生理的に受け付けられない物体。

 彼は―――佐藤陣は―――コレの正式名称を知らなかった。

 だから【化物】としか表現出来なかったが、それは人類が皆抱く正常な認識でもあった。


 異星起源種。

 BETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race―――『人類に敵対的な地球外起源生命』

 それがコレの【化物】の正体である。



「―――っ気持ち悪りぃんだよぉぉぉ!!! 化物がぁ!」

 理由なく震えだした指を無理やり押さえ付け、トリガーを引き絞った。
 自らに今一度摺りこませる。認識を。コレはゲームなのだと―――。

 撃鉄は落とされた。

 機械の金切り声を上げて87式突撃砲の砲身を伝い劣化ウラン弾は前方に鎮座する【化物】目掛けて余すことなく叩きつけられていく―――。









 ◇









 せわしなく視線を全周に巡らせながら、大きく息を吐き出す。

 不気味な化物共との交戦も漸く一段落ついた所だった。

 何度か危ない場面があったがその尽くは直感的に判断し肉片に変えていった。

 例えば蟹の化物は後方から出ていた顔らしき部分を徹底的に狙い撃ちし、甲羅を被ったような化物はがら空きである背後からの攻撃に終始し戦闘を重ね。
 同時に対BETA戦の戦術を構築していったのだ。
 他にも多数小型の化物が襲いかかってきたが遠距離からの掃討を念頭に置き距離を取り纏めてあしらっていた。

 ―――この殆どは対BETA戦に於ける基本指針である。
 要撃級の尾節に当たる顔は感覚器を成しており、此処を破損した要撃級は戦術機の正確な位置を知るすべが失われる事になる。
 突撃級も全面に展開する装甲殻は現存するBETAの内で最大の防御力を誇る。
 しかし反面突撃しか攻撃方法が無いため機動制御能力、特に旋回能力が低い。結果これを打ち倒すのならば背後に回りこみがら空きの背への攻撃が常套手段となる。
 小型種への対応も言わずもがな、近距離でやりあったのならば手こずるのは必至であるが遠距離からの面制圧が効果的である。



 通常ならば実戦に赴く大多数の衛士は生き抜く事だけに専念し命からがらそれを達成できるレベルなのにだ。
 ―――異常であると断言できるであろう。

 機体の動きに伴う振動にもある程度の免疫があったのも大きい。
 通常ならば正式な訓練を受けなくてはならないものであるが、彼の日常には車や電車、果てはジェットコースターなるものがある為必然的に戦術機の酔いに慣れいていたのだ。

 そして彼はまた一つ幸運に恵まれていたのだ。
 天才的な空間把握能力、それは射撃能力を飛躍的に上げることに繋がっていた。
 モノを立体的に捉えるこの能力もある程度は経験でカバーできる。
 しかし一番最初に衛士が手こずるのは敵との距離感である。
 いくら訓練で経験を積んだとしてもそれは実戦になれば霧のように胡散してしまう。
 結果、この世界にはある言葉が衛士の間で語り継がれている。
 
 【死の8分の壁】と。



 とはいえ安堵の息を吐いてばかりでもいられない状況であった。

 故意では無いにしろ遭遇したほぼ全ての敵を弾薬を消費する攻撃方法をとってしまった。
 ―――現在残弾総数はおよそ戦闘開始時と同じ数を安全に遠距離で相手にするほどの余裕はあるはずがない。
 勿論近接戦闘で此処までの損傷率を成し得たかと言えばそれはNOと言えるであろう。
 ただ闇雲にトリガーを引き絞るのと化物と近距離でランデブーは次元の違う話だ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 体の疲労も限界が近い。
 たかがゲームの遊びだと楽に鷹を括っていたのが地味に効いていたのだ。
 体への負担を一切考慮せずに跳躍ユニットを使用し縦横無尽に駆け巡りすぎた。
 無論その分の推進剤も使いきってしまっている。

 額に滲んだ汗が頬を伝い滴り落ちていく。
 ―――休んでばかりではいられない。
 今この時さえ敵は己の周囲をとり囲んでいるかもしれないのだから。



(……はっ、何ムキになってんだか……)
 
 疲れたのならさっさと辞めてしまえばいいだけだ。
 そう所詮は唯のゲームである。
 そう止めてしまえば……。

(―――くそっ、何で途中で切り上げらんねぇんだよ)

 コックピットを見渡しても何処にもそれらしきボタンが見当たらなかったのだ。
 ならば無理やり強制的にコックピットをこじ開けて降りればいいじゃないか―――それは取り返しが付かない気がしてどうしても躊躇してしまう。
 人間としての本能がそれだけは絶対に止めろと耳元で囁いているのがハッキリと聞こえているのが分かる。
 
 現実的じゃない。
 んなことはわざわざ言われなくても重々承知だった。



 すると残される最後の手段。

 ゲームクリアか。

 ゲームオーバーか。

 どちらかの二択問題。



 先ほどから戦闘の合間に起こっていた小休憩は殆どをこの考えを決行しようとし、そのすんでのところで取りやめるの繰り返しであった。

 思考の泥沼に入ってしまった感覚。

 知らずに悔し気に唇を噛み締めていた。



「―――!?」

 ―――唐突に背筋が寒くなった。

 いいようもない怖気に襲われたのだ。
 体中の毛が逆立つ。

 ―――何かに後ろから見られてる?



 次いでコックピット内にけたたましいアラーム音が鳴り響く、網膜投影には赤い矢印で右方向からの敵の接近を告げていた。

 素早く近接戦闘に移らなくてはいけない……。
 一瞬の軽巡の後、片手に突撃砲を持ち替え残った右腕で前腕部のナイフシースから65式近接戦闘短刀を取り出した。

「―――っおぉぉらぁぁぁあああぁぁぁ!!!」

 この間約三秒、数時間の内に得た戦闘経験を生かし積極的に近距離武装を使用。

 ―――比較的汎用性に優れる長刀では無く範囲の短い短刀を選択したのは、愚行に当てはまらなかった

 ―――ただ、そう直感したのだ。



 しかして予知する事柄は外れる事は無かった。

 下半身のバランスを保ちながら絶妙に上半身のみを横に回転させた瞬間、視界に入ったのは戦闘中何度か見かけた赤い蜘蛛の造形をした化物、戦車級であった。

 口元に嘲りの嘲笑を浮かべているかのような赤蜘蛛は周囲に散乱していた要撃級の死骸を足場にして個体では実現不可能な跳躍を成し遂げていた。

 ―――異様な落ち着きを抱きながら冷静に推察できたのは視界一杯に広がる戦車級がとても滑稽に見えたからだ。
 戦車級は腹部の口を大きく開け放ち今か今かと獲物が食いちぎれる瞬間を待ち得ていただろう。
 だが残念だ、空中を浮遊していたら―――逃げ場は無いだろう?

 意趣返しに口元を三日月に歪め、一切の戸惑いをせず勢い良く短刀で赤蜘蛛の胴体を横払いに斬りつけた。
 静止していた化物は綺麗に真っ二つにされながら濁った体液をまき散らし化物の残骸が横たわる地面を転がって―――。









 ◇









「―――っくそがぁ! この茶番はいつになったら終わんだよ!」

 きつく拳を握り感情のまま乱暴に振り下ろす。

 ―――コックピットの中は静まり返り機械音が鳴り響く。
 自らの息遣いも酷く苛立たしく感じてしまう。

 随分前から酔いは覚めていた。現実感が伴っているのが嫌にでも分かってしまうのが恐ろしく、思考を停止させて余計な事は考える事をやめていたのだ。

 だが限界だった。何時まで我慢すればいい?
 ゆうにもう数時間は経っているだろう?



 ―――時は満ちたよ。



「―――っ……何だアレ?」



 赤く染まった空は夕焼けを艶やかに。

 ―――朱色に染まった雲が避けるように空が割れた。



 ―――さあ。幕を上げましょう?

 2001年 12月24日 午後5時25分 日本 ――― ―――









 ◇









 2001年 11月26日 午前6時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室

「―――ぁ……夢、か」





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第二話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:17



「―――ふぁっ」

鏡に反射して映るのは精悍な顔付きの美丈夫―――などではなく、瞼が重そうでボサボサの寝癖がトレードマークの己自身だったりする。
現実は時として非常なモノである。生まれ落ちての顔の造形は決して変わることはない。……まあ整形手術なんて代物が乱雑に有るのが昨今の世界情勢であるのだけれども。

一際大きな欠伸を掌で隠すことなくかまし、洗面台に備え付けられているバルブを捻る。

「っうぉ。冷たっ」

―――と銀色の蛇口から冷たいというか凍えるような冷水が勢い良く流れだした。

(あー。……メンドイからこのままでいいか)

わざわざお湯を沸かすのも面倒なので少しばかりの覚悟を持ち顔面目掛けて一思いに水を掛けてやるのだった―――。












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第二話 












2001年 11月25日 午前7時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室



チンッと小刻みな音を立てトースターから食パンが顔を覗かせる。科学の進歩はすげぇなと思いながらこれまたインスタントなコーヒーの入ったコップにお湯を注ぐ。そうしてバターを塗り下った熱々のトーストに齧り付きながら新品のソファーに腰掛けた。

この時間ならめざめるテレビが放送中だなと適当にチャンネルを変えていくと。

『―――御剣財閥は来年を目処に中国進出を計画し専門の現地法人を設立することを……』

佐藤家定番の朝番組は日本を代表する財閥のニュースを取り上げていた。なにやら世界市場の動きを見ていち早く中国進出を試みているらしい。

「―――ふぅ。やっぱり美人アナウンサーは朝一で見ても可愛いよな~」

まあこの男。んなことには一切興味は無いらしいが。

これでも一応は経済学部在籍なのだ。



時節は冬、12月の暦に入ろうとする直前である。

年の終わりである12月を前にして人は皆、今年の精算を完遂すべく四方に忙しなく走りまわる季節。

学生ならば進学の道か、若しくは社会人への道か。
そんな季節。

彼―――佐藤陣は学生のカテゴリーに振り分けられる立場である。大学二年生、しかも12月。
たいがいの学生ならば己の人生の指針が決まりきっている筈であるが。

「……教育実習生ねぇ」

呟きはテレビから流れてくる陽気な音楽に打ち消され、スクリーンには本日のわんこのテロップが踊っていた。



白陵大付属柊学園。
神奈川県横浜市柊町に位置し神奈川県有数の進学校として有名高等学校である。白陵大学へのエスカレーター式の学校であり、抱える生徒数が多いのも特徴の一つに挙げられる。

まあ何故んな説明を突然始めたかと言うと要するにソコに教育実習生として行くんですよね。俺。



発端は正月に毎年行われる定例親族会議。
大学卒業が近づいてきた俺は年に一度の会議で自らの進路を公言せにゃならず。未だに進路を決めかねているそんな俺に両親が業を煮やしたらしい。

ぶっちゃけ大学院にでも進んでまた暫く学生ライフをエンジョイしようかとも画策していたんだけれども。
ともかく紆余曲折あり、俺は両親の兄が経営する学園に教育実習生として駆り出される事になった。

俺からみたら叔父に当たる、佐藤剛拳というお人。

健全なる精神は研磨された体に宿るが信条の少し頭がお固い御仁。現代っ子な俺にしちゃ相当に相性の悪い人だ。



何故それで教育実習なのかというと子供時代に「俺は先生になるんだー!」なんて考えて行動して周囲から神童扱いを受けるほどに勉学に没頭していた黒歴史なんかがあるんだが話が長くなるのでまた今度って事で。



…………分かったよ話しますよ。あれですかCMとかで続きはネットでとかは嫌なタイプですか。



簡単に話を要約すると昔、小学生時代に担任の教師に惚れていて、その人に褒めてもらいたくて勉学に励んだ時期があったり無かったりした事を伯父さんが覚えていたらしい。勿論女性であった。子供心に本気で美人だと思っていたものだ。

伯父さん曰くもう一度本気で教師を目指してみてもいいのでは? だそうで。その頃の俺が忘れられないらしく、伯父さんは俺を気にかけてくれているんだとか。

……黒歴史でも今となってはいい思い出だけどな。



おおう、そろそろめざめるテレビが終わる頃か。

―――どうやらいい時間のようだ。









 ◇









雀の鳴き声が耳に心地良い清々しい朝を迎える。
伯父さんの学園までの道程はマンションからさほど遠くはないので教育実習生の間は徒歩で通勤することに決めていた。
東京の大学に通うときはいつも満員電車にすし詰めだったので新鮮かつ、とても開放的で大変宜しい。

話は変わるが俺の実家は東京にあるため、この街に暮らすにあたって伯父さんがなんと部屋手配してくれた。
しかも家具付きだ。まるで某レオ○レス並のサービス精神。

去年建設が終わったばかりという高層マンション。二日前から寝泊まりしている一室だ。

たかがそこいらの大学生が借りれる家賃では無く。それを無料で貸し出してくれる辺りは流石あの叔父としかとしか言い用がないがな。

……あの性格で無けりゃ結構好きな部類に入る御人なのに。

(……まあ俺がどうこう言ったって性格は変わらんか)

一ヶ月間という短い期間だが一応任される仕事は出来る範囲で全うしよう。せっかく身の回りの世話まで見てくれてんだしな。



学園までの道程を一つ一つ確認しながら歩道を歩いて行く。
下見はまだ一度くらいしか行ってはいないからか少し記憶があやふやな感じだ。

(えーと。確か前方に見える交差点を右に曲ってっと)

―――見晴らしが悪いコンクリートの壁に囲まれた路地の道路。
聞いていた話では歩行者ばかりで車などは余り通らない場所らしい。……はずなのだが。

「―――って。マジかよ、あれリムジンじゃねぇか」

下町な風景には似合わない高級車が信号待ちをしている姿が。

赤信号が青に変わる。
黒光りのするリムジンは颯爽と道を曲って―――。

「……は?」

―――曲って、曲って、曲って行く。いつまでもいつまでも車体が途切れることが無い。

そうして数十秒の時間を掛けて車体を旋回させながら姿を消して行った。

(って言うか、胴体長っ!!!)

明らかに壁を突き抜けていた様に見受けられた。だってどうやって曲がったんだよ。

「―――物理法則をぶち破ってなかったか今の」

交差点には唖然とした顔の男が一人取り残されていたとさ。









 ◇









「―――お久しぶりです。剛拳伯父さん」

「―――うむ。久しいな、前に会ったのは去年の親族会議以来かね」






待ち合わせに指定された学校の玄関ホールで俺を待っていたのは叔父の秘書らしき眼鏡の似合う美人さんだった。
挨拶も程々に案内されたのは一際厳格な風格を放つ一室。
顔を上げると予想通りの文字が。
―――理事長室。

部屋へと通された俺は久方振りに叔父と再開していた―――。






高級感漂うアンティークが施されたソファーへ座るように勧められ叔父と向かい合う形で席に着く。

……もしかして物凄く高い物に座っているんじゃなかろうか?
落ち着かないな。慣れない空気に圧迫されそうになる。

「まあ茶でも飲みながら話をしようか。お主も聞きたいことが幾つかあるだろう」

後ろで控えていた秘書さんはいつの間に用意していたのかお茶を二つお盆の上に持っていた。

見惚れるような動作で目の前のテーブルにお茶を置き、「何か御用がありましたらお呼び下さい」と早々に退場していった。

「……ご配慮ありがとうございます」

取り残された俺に張り詰めた空気が肌を刺す。
二人になり尚更だ、伯父さんと会話するときのコレはいつもながらに慣れないな……。



「ではまず簡単に今回の教育実習について説明しようか」

―――ことのあらましは両親から聞き及んでいた通りだった。
未だ進路が定まっていない俺について両親から相談を受けた叔父は自分の学園で暫くの間預けてもらっても構わないと薦めたそうだ。
もし教師になることが嫌だとしても誰かに教えるという経験は決してこれから無駄にはならないと重ねて言い含めて。
両親も叔父の性格は良く知っているため、快く任せることにしたそうだ。

……にしても無責任な親だこと。



「……ざっと説明するとこんな所か、一応教育実習と銘は打っているが大学の冬休みの時間を削るのだ。仕事に対する報酬は払う。衣食住も一切の心配は必要ない」

衣食住に関しても驚いていた所だったがまさか報酬まで用意してるとは……色々と出来ている御仁である。

「して陣、お主から何か質問はあるか?」

「……それでは一つだけ宜しいですか」

「うむ。答えられる範囲であるなら話そう」



―――この話を聞いた時からずっと疑問が付き纏っていた。
何故ただの親戚の子供に対しここまでの配慮をしてくれるのか。

「叔父さんは何故私にそこまで肩入れしてくださるのでしょうか?」

「…………」

―――なんの前触れもなく凝然と見つめられた。
片時も視線を外さず此方の奥の奥まで見通すかのように。






一体何分経過しただろうか。
もしかしたら何十分かも知れないし、数十秒かもしれない。
時が静止したかのような感覚に陥っていた。
時計が進む音だけが耳に残っていた。

異様な迫力に飲まれそうに幾度もなったがその都度に自らを鼓舞した。
質問をしたのは此方で応えるのは向こうだ。
なら此方が非を感じることは決して無い。

これは―――数少ない自分の中の固定されたルール。
……いや教えか。



「―――っふ、それよ。それが答えだ」

「……はい?」

硬直がいつの間に溶けていた。
張り詰めた空気は胡散し叔父から唐突に声が掛けられる。

―――先ほどまでとの雰囲気とはうってかわり懐かしいモノを愛でるような顔し失笑を零していた。

「……変わってないという事だ陣よ。お主の根幹を成す部分の表面は時の移ろいと共に変質したのだろうが、その奥底に一切の陰りは見えん」

「……はぁ」

全く雲を掴む如くに話が把握できないが、この話は決着したと言いたげに叔父は腰を上げた。
そうして日差しが差す窓の近くまで歩み寄って行くとおもむろに胸ポケットからタバコとジッポーを取り出した。

立派な装飾が誂えてあるジッポーがキンっと音を立てる。
火花が散り、一瞬で上がった火柱にそっとタバコを近づけた。

「……なあ陣。子供とは無限の可能性を秘めている。最も人間として輝きを放つ期間だと儂は思っている」

―――っ何処かでそれ……。

「これからの時代に飲まれ行く事になるのはこれからの子供たちだ。教師とはその子供たちをより良い方向に導く存在でなくてはならん」



―――思い出は風化しない。
鮮烈に彩られた記憶は尚も輝きを放ち続けている。

【―――ねえ。ジン君? あなたは―――】



「―――短い期間になるかもしれんが、今から体験するこの道も人生の一つの選択肢として考えてもらえれば嬉しい」



そんな親しげな笑みを浮かべた叔父が無性に”先生”の姿と被って見えたんだ……。



2001年 11月25日 午前9時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学








 ◇









 教育実習制度。
 教育職員免許法に基づき、教員免許状を取得しようとする者が、必要単位取得の一部として学校教育の現場で実習授業を行うこと。
 ―――日本国語大辞典抜粋






 実習授業。
 然らばたかだか学生の身で、なんの経験も無く授業など可能であるのか?
 ―――否。
 ともすればまず、見本と成り得る現場の教師と共に環境に慣れるからことから入ることが大多数の学校で取り入れている方式である。

 無論。俺もその方法の対象から漏れる事はなかった。

「―――初めまして私、白陵大付属柊学園で教職につかせて頂いている神宮司まりもと申します」

「―――ご紹介に預かりましてありがとうございます。佐藤陣と申します。若輩者ですがどうぞ宜しくお願いいたします」









 ◇









 2001年 11月25日 午前10時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学



 叔父との会話が一段落した所で話題が変わり始めた。
 なんでも来週から始まる教育実習に関する監督役とやらを紹介したいそうだ。
 丁度今、秘書さんが呼びに行っているらしく暫し待てとの仰せだ。

 ならばついでとばかりにすっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干す。
 ―――喉の渇きを癒す為、すっかり叔父との話で体の水分が飛んだ。
 緊張と緊張と緊張により、だ。

 落ち着き払った手つきで湯呑み茶碗を置く。
 喉の渇きを潤しながら、一体何者が現れるのか心の中では全く落ち着かない心境だったりする。
 実際は。



 数刻の間を置いて部屋の扉が三回程規則正しく叩かれた。
 どうやら漸く―――客人が来られたようだ。

 叔父がどうぞと声を上げると同時にゆっくりと扉が開かれる。
 ―――叔父と二人っきりであった室内に新たな来訪者が訪れる事になる。
 例の如く全くと言っていいほど微塵も存在感を感じさせない秘書さんと、もう一人見知らぬ姿がそこにはあった。

 淡い栗色の髪色をした長髪の女性、髪型はストレートではなく、くせっ毛なのだろうか? 
 少しウェーブのかかった髪は腰の辺りまで伸びている。
 ぱっと見た印象は普通の優しいお姉さんと言ったところだろう。
 しかし流石に現役の教師らしく心の奥底まで見透かすような聡明な瞳で俺を見つめていた。

 そうして冒頭の挨拶にたどり着く。



「彼女がお主の教育実習中の世話をしてくれる神宮司まりも先生じゃ。こう見えて中々のやり手でな、授業風景を見ながら、教師とて人間として近くで見て色々と良い所を盗むと良い」

 まるで自慢の娘でも紹介するかの様に声高らかに紹介を始める叔父が意外に思えた。
 決して気軽には人を称える事はしない事を俺はよく知っている。
 きっと相当この神宮司先生を信頼しているんだろうな。

「あはははっ。そんなに凄い訳じゃないですよ。理事長先生は大袈裟なんですから」

 気さくな笑みを浮かべながら俺の方を向く。
 そして自然な動作でそっと手を差し出された。
 ―――ああ、握手か。

 差し出された手を確りと握り返し友好の証を立てる。
 ……やはりというか女性らしい線の細い柔らかな手だった。



(どうやらこの人となら何とか上手くやっていけそうだ)

 頭の中で少々の打算を思い描きながらこれからの生活に一応の安心を得ることに成功した。
 どんな人物かと戦々恐々としていた割にあてがわれた監督役は優しそうな女性と来たし。
 意外に楽観視していても大丈夫そうだ。
 ……叔父の学園だからといってこんなむさくるしいおっさんばっかりじゃないよな。
 やはり戦場に一輪の花は必要不可欠だ。



「―――それでは理事長先生。予定通り最初に校内を案内しようと思うのですが……」

「うむ。お任せしますぞ」

「はい。―――では佐藤先生。私の後ろを付いてきて下さい。まずは学校内の説明からさせてもらいたいと思います」

「はい。宜しくお願いします」









 ◇









 理事長室を二人で出て、まずは白陵大学から白陵大付属柊学園に移動する運びとなった。
 まあ説明する事も無いだろうがこの2校は一貫校として確立されており、高校と大学のキャンパスを離れた別の場所に設立しているのだ。
 といってもそこまで距離が離れている訳ではなく、精々歩いて10分圏内であるのだが。

「佐藤先生。それではまず駐車場に向かい―――。」

「―――あ、すいません神宮司先生。少し宜しいでしょうか?」

 ―――失礼と思いながらも神宮司先生を呼び止めた。
 ……やはりお願いしよう、何だか落ち着かない。

「はい?何でしょうか?」

 振り返りながらも確りと此方に向き直ってくれる。
 ……どうしても許容できない事がさっきから気になって仕方なかった。

「……その申し訳ないのですがその自分を【先生】と呼ばれるのはご遠慮させてもらいたいのです」

 自分勝手な言い分だと思う。だけれどどうしても許容できない。
 ―――憧れは遠く、現実は近い。

「……なるほど。理由をお聞きしても宜しいですか……?」

 此方の真剣な雰囲気を感じ取ってくれたのか、先程のほんわかな面持ちとは打って変わって真面目な応対をしてくれる。
 瞬時に真摯な態度で話を聞いてくれるのは流石、切替が早い。
 子供の手本である教師をされていると言えるのだろう……。



「―――その、自分は未だにその様に呼ばれるような立場の人間では無いと思います。ですので出来れば自分の事は名前かもしくは苗字でお願いしたいのですが……」

 ―――今の俺が”先生”と同じ立場だとは決して思えない、そう呼ばれるのは本物の教師だけだ。俺みたいな中途半端な人間が語っていいモノじゃ……。






「……佐藤陣さん。貴方はその言葉を本気で仰られておられますか?」

 ―――駄目な生徒を起こるかのように優しい叱責が飛んでくる。
 それは怒っている顔ではなく、まるで……。

「……はい。自分は未だ一介の学生として―――」

「違います。佐藤陣さん。貴方はこの学園に留まっている間、学園に在籍する生徒たちにとっては何ら変わらない一人の先生なんですよ?」

 足音が近づいてくるのが分かる。
 俺は下を向き、寂しげに地面を見つめる事しか出来無い。

 ―――正論だ。当たり前だ。コレは遊びじゃない。仕事だ。

「私がもしもそれを承認するとしましょう。でもそれと同じ事を学園の子供達に強要なさるのですか?」

 っ―――そうだ、何でこんな事を言い出したんだ。
 今俺は教育実習に来ているんだぞ。
 ……馬鹿でも分かるじゃないか、生徒達から見たら一人の教師に見えるんだから……。

「……すいません、軽率な発言でした」

 餓鬼じゃないんだ。もう。



「―――もう何て顔してるんですか」

 ―――むにっと両の頬を引っ張られる。
 ああ―――多分物凄く情けない顔をしてるんだろう。

「まずは慣れましょう。先生と呼ばれるのを。きっと尊敬する教師に出会ってきたんですよね? まあ教師を目指す人間は大抵が恩師に影響を受けて、ですからね」

 無理やり両の手で頬を引っ張られ顔を前に向かせられた。
 ……そこには小声で「とか言っている私も何ですけどね」なんて舌を出しておどける神宮司先生の顔があった―――。








 ◇









 少しばかり肌寒い風が頬を撫でる。
 靴を履き替えて外に出た俺達を待ち構えていたのは、やっぱり冬らしさ溢れる寒い風。

 首元が疎かな服装な為かブルッと体が震えクシャミが出る。
 ……明日からはマフラーでも巻いてこよう。

「―――すっかり冬ですね、此処ら辺は海が近いので風が冷たいんです。佐藤先生も寒さ対策はしっかりしておいた方が良いですよ?」

 クスクスと上品そうに笑いながらさもお姉さんらしく豆知識を教えてくれた。

「アハハハ、気を付けます。……そうだ神宮司先生。学園までそれなりに時間を持て余すと思うので担当するクラスや学園の情報を掻い摘んでお教えして貰っても差し支えないでしょうか?」

「う~ん、……そうですね。別に車内で世間話でもしながらと思ってましたが、佐藤さんがそう仰るのでしたらそうしましょうか」

 口元に人差し指を持って行き考えてますよ~なポーズを暫し取った後「勉強熱心なんですね」と笑いかけてきた。
 本当に表情豊かな人だ。



「そうですね、まずは担当するクラスから教えます。私の担任でもある3-B組が教育実習の担当になります。まあ基本的に良い子ばかりですから大丈夫ですよ!」

 本当に一切の心配は要らないと誇るかのように説明を折り交えながら談笑をしていた。

 そんな日常の断片。






 忍び寄る脅威に気が付くことも無し。
 襲いかかって来るのだ。
 背後から……。

 真っ赤な塗装の施されたストラトスが―――。

 …………っえ?





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第三話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:18



 二つの豊満な球体が顔に押し当てられる。
 男のサガであるのか、否応ない幸福な感覚に陥ってしまう。
 柔らかくもあり、母性的な象徴でもあるソレを堪能できるのはとても嬉しい事なのだが……。
 ―――まあ時と場合に寄るものだ。









 ◇









 瞬間、咄嗟の判断でどこぞのジャッ○ー・チェ○顔負けのスタンドプレーを敢行した。



 和やかな雰囲気をぶち壊す高速の魔弾を予知できたのは、いつもの幸運に助けられたから―――てな訳じゃない。
 ……物凄いけたましいエンジン音が後方から聞こえてきたら誰でも気がつける……。
 しかも恐るべきは前方に人影が見えたなら一般常識的にブレーキを掛けて減速を試みるのが普通の対応だが……。

 ―――轢き逃げ犯様が一切の迷いもなく直進してきやがったのだ。



 結果として怠慢に後ろを振り返って唖然としていた無防備な神宮司先生を無事に助ける事に辛くも成功。
 幸いな事に走馬灯を見る事は無かったが、人生初のスローモーションを体験しました……。
 真面目に命のギャンブルだったと思う。
 賭ける代償はたった一つの命、報酬は自分達の生命。
 
 ……全く割りに合わねぇ……。



 そんな現実逃避な馬鹿らしい思考を吟味していた俺は現在進行形で新たな脅威に襲われそうになっていた。

 覆いかぶさる様な体制だった為、眼前に顔色が真っ赤な女性がフルフルと震えている様がまじまじと確認出来てしまう。
 うん。柔らかい感触を堪能したのだ。悔いは無い―――。
 世の中何事も等価交換で成り立っていると昔何かの漫画で見かけた事がある。

 察するに怒りによるものだろう。
 だって、視界の隅に映る握り拳が俺の顔面へ一直線に弧を描いていたのだから―――。






 赤い塗装のストラトスが急ブレーキを駆使しスリップしながら荒業で止まってみせた。
 ……もっと早く止まれよ。前方20メートルは過ぎてんぞ……。

 コンクリートの舗装が施された道に煙を上げながらタイヤの跡がハッキリと浮かび上がっている。
 一体時速何キロで走行してやがったのか、全く想像できない。

 赤く腫れ上がった頬と痛む顎を摩りながらこの惨状を創りだした張本人目掛けて抗議の視線を向ける。
 ―――一体何者による犯行なのか?

 此方の視線に気づいてなのかは解らないが、未だにスポーツカー特有のエンジンの甲高い音を響かせるストラトスの運転席が開け放たれた。



「―――あら~。ゴメンゴメンまりも~。本当だったら颯爽と登場して寸前で華麗に横付けで止まる予定だったんだけどね~」

 派手そうな服装の女が悪びれそうな様子が一切無く登場しやがった。
 ストラトスと相まってとても高慢さがにじみ出ていた。

 ―――赤が似合う情熱的な存在感に溢れている。
 まさに自由奔放を体現しているかのようだ。
 ……っけ火傷しそうだ。

 ……まあ神宮司先生に劣らず物凄く美人なのが少し癪だった。
 何せ元来男は美しい女に弱い生き物だから。
 かくいう俺もだったりするがね。



「……夕呼ぉぉぉ!!! 何してんのよ~! 本当に死ぬかと思った~!!!」

 登場人物の顔に見覚えがあるのか、名前と思われる言葉を発しながら犯人に突っ掛かりに。
 怒っているのか、泣いているのか分からない顔をしながらだが。

 ……俺のせいでもあるのだろう。きっと。
 乙女な思考をしているのが新鮮に思えた。
 ―――昔から雑句把覧な女性しか知り合いに居なかったので尚更。

 相対する犯人は面白可笑しく笑いながらあしらっているのが分かる。
 見るからに力関係がハッキリしていた。
 ……もしかしてあの二人は知り合いなのだろうか? ……まさかね。
 ―――でも名前で呼び合ってるような……。



「何で急に後ろから突っ込んでくるの~。危なく轢かれる所だったのよぉ~」

 たばたばと涙を零しながら必死に抗議を繰り返す。
 ショックでもう一人この場に存在するのを完全に忘れているのだろう。
 先ほどまでの威厳など微塵も感じさせない風体を無残に晒していた。

「まあまあ。いいじゃない。結果オーライよ。というか何時までも帰ってこないアンタが悪いんじゃないの。しかも心配して様子見に来れば……」

 ―――蛇に睨まれる鼠を幻視した。
 勿論鼠は……俺だ。

 意味ありげな笑みをニタ~と浮かべ少し離れた所でことのあらましを傍観していた俺に流し目を送ってきた。
 会話を中断された神宮司先生も蛇―――ひき逃げ犯の視線の先を自然に追いかけていく。

「―――例のお坊ちゃまと仲睦まじい甘ったるい空間を展開してるんだもの~。そりゃぁ少しの苛立ちもブレンドされちゃうかもね~」

 わざとらしく言葉の語尾を引き伸ばす口調が無性にムカついた。
 きっと挑発しているんだろう。悪徳そうな顔をしているのが妙に納得できた。

「……えっ! あ、あれは、その~」

 一気に攻防が逆転した。
 さっきまで強気で抗議をしていた神宮司先生は一転してアワアワと慌てふためいている。

(……はぁ。もしかして結構面倒くさい場所に教育実習に来てんのかね)

 肩に掛かる疲労がより一層重みをました気がする。
 ―――別にあのやり取りがどういう風に捉えられたのか知らないが神宮司先生が余計なボロを出すのは押しとどめよう。
 これから一ヶ月はお世話になる事になるのだから。
 間違いなくその間、からかわれる格好の餌にされるぞ。

 ―――嫌らしい微笑を浮かべて俺の挙動を観察している蛇さんは多分……。

 とってもお引取りしてもらいたいが―――これから赴く予定の職場の一員なのだろう。



 この時久しぶりに己の勘にクレームを付けたくなった。
 何せこういう時の直感は外れた試しが一度もないのだから―――。



 2001年 11月25日 午前11時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第三話 












「……ふぅぅぅ」

気怠い体を夜の風に任せる。
撫でる風は凍てつく冷たさで、火照った全身をまんべんなく包み込んでくれた。

―――体の内から温められた為か、普通なら寒く感じる外の温度も思いのほか気にさせない。
アルコールの充満した頭はボーッとし、未だに暫く休んでいたいと思わせられるほどだ。
……ちゃんぽんは危険だ、飲み口が良くてついつい進んでしまう。



「……狂犬ねぇ」

口から溢れた言葉は若干の恐怖と畏怖を混ぜあわせられていた。
井の中の蛙大海を知らず。
今回は俺が井の中の蛙だったらしい。
……まあ上には上が存在するもんだ、経験として大切に生かしていこう。
主に自分の生命のため。

『――――――!!!!!!』

一つ壁の向こうの宴会場では未だに熱気冷めやらぬご様子。
教師というストレスと真っ向から戦う職場に何時も身を置いていたら、そりゃこんな機会でも無けりゃ発散できないか……。



―――此処で話は替わるが、あの蛇女との遭遇の後、白陵大付属柊学園へと急ぐことになった。
本当に余分なのが付いてきたが、そこはひとまず置いておこう。
そんなこんなで最初に学校の案内を一通りして頂いたり、実際に授業をしている教室を見学させてもらった。
高校の校舎なんて久し振りだったため、結構面白くもあり、懐かしい気持ちにさせられた。
……青春の思い出は嫌でも頭の隅をちらつくモノだ。



これから此処で一ヶ月間頑張るのかと自らを鼓舞しながら、来週からの生活に思いを馳せ。太陽も夕日に変わった頃、漸く今日の授業が終わり教員室に居る先生方とお会いする事になった。
……最初は普通に自己紹介をして終わる筈だったのだが、後ろで黒い笑みを浮かべていた奴が一人。

「―――ねぇ皆さん? 折角新しい先生が加わる事になったのですから盛大にお祝いして差し上げません?」

この一言で俺の運命は変わったと確信している。
何故なら。



『―――アハハハ!!! 皆さんもっと呑みましょう! ……あれぇ教頭先生ぇ? お酒が進んでいないようなぁ?」

『―――あ、あはは。そ、そんな事はありませんとも、神宮司先生! い、いや、大丈夫ですから、一升瓶を近づけ―――』

―――アーッ!!! という哀しい絶叫が一つ壁の向こうから聞こえてくる。
悲哀の篭った助けてという哀れな言葉に俺は一切の手助けは出せない……。
なんせ俺は先ほどまでアレと飲み比べという名の罰ゲームを受けていたのだ。
少しはその苦しみを味わうといいさ……。






……あの瞬間教員室の空気が変わったのは気のせいじゃなかったのだ。
言いづらそうに目線を逸らす者。
ガタガタ震えながら顔を青くする者。

誰かが口火を切るかのように声を上げようとしたが、その声は別の人間に打ち消された。

「まさか、歓迎会に来られない先生は居られませんよねぇ? なんたって理事長先生のお墨付きですもの。盛大に騒ぐといいと経費まで全額負担して下さったのですからぁ」

……本当に頭が回る奴だと今になって思う。
一応というか俺は理事長の親戚という立場。
ソレを念頭に置かせ、しかも歓迎会という名目。経費は叔父持ちときた。
……何であんなに用意周到だったのか、今思うとかなり不自然だったよな。



「……はぁぁぁ」

吐く息は真っ白に染まり、黒い闇に消えていく。
もう冬も真っ盛り。
雪が振ってもおかしくないかな。
あぁ……今年のクリスマスはどうなるのかねぇ。
―――彼女は絶賛募集中ですが、何か?

「―――あら、こんな所にいたのね」

ふと気が付くと誰かが背後まで来ていたようだ。
―――声が察するに多分。

「隣、失礼するわね」

「―――ご勝手にどうぞ。……香月夕呼さん」

「あら、随分と他人行事じゃない、折角同じ職場に勤めることとなった同士だっていうのに」

どの口が、と心の中で愚痴る。
絶対確信犯だよ、コイツ。

「神宮司先生のアレ、きっとご存知だったんでしょう?」

「そりゃ勿論。何せ付き合いが長いもの」

悪びれる様子も一切なさ気に言い放つ。
どんな顔しているのか拝んでやろうか。
そう思い視線を移すとなにやら片手には宴会場から持ちだしてきたらしいアイスを手に持っていた。

「……こんな寒空の中でアイスですか」

「そりゃ、こんな寒空だからこそよ。人類の叡智の楽しみ方じゃない? わざわざ寒いのにアイスを食べるなんて」

(……どんな理屈だそりゃあ?)

したり顔の彼女は赤く染まった頬をモグモグと咀嚼させながら何やら哲学的な事を語り始めた。

「人類はついこの間まで火の種を起こすのでさえ物凄く大変な事だったのよ? 分かるかしら、ここら数十年で劇的な程の進化を遂げているの―――」



「―――とまぁそんな話はどうでも良いです。―――だったら何で宴会なんて開いたんですか?」

「ありゃ、素っ気無いこと。……そうねぇ、あえて言うなら……楽しそうだったから?」

可愛く小首を傾げながら此方を覗き込んでくる。
―――アルコール混じりの吐息が鼻に掛かる。
同時に女性特有の匂いを意識せざる負えなくなる。
なんせ、赤く染まった顔は妖艶さを引き立たせる。

(……何考えてんだ俺は)



「―――冗談よ。半分はね」

アイスを食い終わったのかガラスとスプーンが擦れるチーンという甲高い音が隣から響いてきた。

「新人教育するって決まってからあの馬鹿、無駄に肩肘伸ばして無理してんだもの。少しは息抜きしたらいいんじゃないかって思ったのよ。―――新人君も思っていたよりお利口さんみたいだし、まりもの本質を理解しておいた方が色々と融通が利くでしょう?」

「……………………」

「―――って何よ、その顔!」

多分、いやきっと酒が大分回っていたのだろう。
何せ短時間で最悪の印象しか与えてなかったこの女の、香月夕呼の評価が少し―――変わったのだ。

―――親友思いの意地悪女と。



「―――良いですね。……親友って」



2001年 11月25日 午後10時45分 日本 神奈川県横浜市柊町 



きっと彼女の頬が赤かったのは―――酒のせいだろう。









 ◇









視線が一線に結ばれ、無数の針となって刺す。

―――針の筵。人生でここまで人間から注目されるのは久方ぶりだ。
……しかもこれを四六時中に渡って我慢しなければいけないという仕事。
ったく、キツそうだなぁ。

「―――ええっと、今日から皆さんと一緒に勉強をさせて頂きます。佐藤陣と申します」

黒板に己の名前が踊る。
黒板なんて代物に触るのも高校以来だ。
チョークの筆跡が静かに教室内に響く。
行儀の良い事に誰も無駄口を叩こうともしないのだ。
―――ああ、自分の高校時代は無駄に騒がしかったなぁ。
少しぐらい落ち着きの無い方が好きだなぁ俺は。

「……これから宜しくお願いします」

……次のアクションが思いつかない。
壇上に一人立たされる俺は、教室の一番奥に居られる神宮司先生目掛けてSOSサインを送るのだった。

本日。11月27日。
ついに教育実習生として本格始動開始であった―――。



2001年 11月27日 午前8時45分 日本 神奈川県横浜市柊町 









 ◇









首元に僅かな違和感を覚え、無性にネクタイを解きたい衝動に駆られる。
目の前の鏡に映るスーツ姿の男がまるで遠くの人物に見えて致し方ないのだ。
―――シワひとつ無い黒色の背広。
―――清潔感の溢れる白色のYシャツ。
―――足元までピシッとしたスラックス。
―――汚れの見えない黒光りする革靴。

髪型も雑句把覧な体では無く、新人社会人を彷彿とさせる短髪。

……それが現在、佐藤陣を構成する外見であったりする。

大学時代は私服通学だった為、スーツに慣れないという弊害が自らに降り掛かってきていた。
……ネクタイ一つ結ぶのにも大分手間取ったのは秘密だ。

昨日の内に用意していた鞄も中身は完璧。
抜けは認められず、準備は万端だ。しかと己の科目の内容は把握してきた。

玄関ホールに用意されていた大きな鏡に背を向ける。
―――徐々に心拍数が上昇するのを嫌でも自覚してしまう。

「―――ふぅぅ」

目を閉じて、深く息を吐き出す。
頭に蔓延る嫌な予感や、不安を一緒に外に吐き出し、切り替える。
うじうじ考え込んでも仕方がないのだ。当たって砕けろの精神で……。
―――砕けたらいけないんだけどね。

「―――っ良し!」









 ◇









―――しかして救いの手は伸ばされた。

仕方がないなといった表情の神宮司先生は悠然と机の間を歩き、慣れた動作で教壇に登る。

「―――以上で今日から皆さんと一緒にこの教室で時間を共にする佐藤陣先生の自己紹介を終わります。何か質問がある人は居ますか? 有るなら挙手して下さいね」

教室全体をまんべんなく眺めながら、一言ずつ確りと語りかけていく。
……先程の俺とは比べようも無いほど自信に満ちあふれていた。

―――成る程、一つ勉強になった。全体を眺めながら、ね。
あまりそわそわしちゃイカンと。
性分的にあまり人前に出なかったからなぁ。こういう人心掌握術はさっぱりだ。



迷うかのように一つまた一つと手が上がっていく。
……どうやら一応興味を持ってもらったようで安心した。
人間興味を持ってもらえなくなるのが一番不利だからな。

「―――それじゃあ、榊さん。どうぞ」

ハイっと返事の声を上げながら席を立つ女生徒。
特徴的な眼鏡を掛けていて、三つ編みが目を引く。
第一印象は―――ああ、きっと彼女はクラス委員長だろうなというモノだった。
神宮司先生に習って教室の生徒達の顔を眺めてみたが、明らかに一人だけ際立って真面目そうな雰囲気で背筋や動作の一つ一つがキビキビしている。
後は―――直感だ。

「質問なのですが、佐藤先生は私たちのクラスの副担任として赴任されたと考えて宜しいのでしょうか?」

どうぞという視線を神宮司先生から受けとり、一歩前に出る。

「―――どうも質問ありがとう。榊さん、だったかな? そうだね、確かにこのクラスの副担任として皆さんと共に生活することになりました」

「……そうですか。佐藤先生は科目も持たれるとお聞きしました。確か社会科だと思うのですが」

目の前の男が短い間でも副担任としているのが嫌なのだろうか?
矢継ぎ早に先を促してくる。

「ええっと、そうだね。皆さんに解りやすいように授業も進めていけたらと考えています。勿論解らないところがあったら個別で教えたいと思っています」

「……質問にお答えいただきありがとうございました」

きつく結んだ真一文字の口元はあまり快く思ってはくれてないことを如実に示している。
ツンばかりでデレがこないとは……。
―――ああそっか。半人前がこの時期来られても困るとかかな……。
受験も近いもんな……。



「―――ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! 次は壬姫の質問いいですか~!」

「―――珠瀬さん。ちゃんと挙手してから質問して下さいねぇ~」

さて、上手くこの研修期間を切り抜けられればいいが。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第四話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:18



「―――ってところかな? そろそろHRも終わる時間だし一度お開きにしようか。質問はまたの機会にって事で」

何だかんだ言っても新しい人間に対して多少の興味はあるらしい。
一つ質問が終われば、また一つと言った風に質問は途切れることは無かった。
……主に猫っぽい珠瀬さんが半数を占めていたけどさ。

「はーい」とお行儀良く返事を返してくれたのも、勿論珠瀬壬姫だった。
ピンク色の髪色でツインテールをしている彼女。
……まるで猫耳を象ったかのような髪型が物凄く気になる。
ワックスで固めているのだろうか……。
フリフリと振りし切っている尻尾も椅子からはみ出て見えるのがまさに猫だ。

『―――武ちゃん!!! 遅刻しちゃうよ~!』

『―――だ~! うるせえよ! 分かってるちゅうに!』

『―――うむ。鑑も落ち着け。ちゃんと理由を説明すれば教諭とて理解して下さる筈ゆえ』



―――? なんだ一体全体? 廊下の方が妙に騒がしいような気が……。
時間的にはまだHRは終わって無いんだけどな……。

「―――この声……もう。あの子達は……。佐藤先生初の登校日だっていうのに……。はぁ……」

……何か小声で神宮司先生が呟いているな。

ささやかなノックの音、そうして後方の扉が遠慮がちに開かれた。
幅は大体人の頭2つ分位。
その空いている隙間から生首がひょこっと顔を覗かせる。
……いやまあ此処から見ると本当にそう見えるんだよ。

「―――あの~、すいません。もう遅刻ですよね……」

―――鮮やかな朱色に染まった赤毛の少女。
頭からは触覚のようなアホ毛を携えて。
若干申し訳なさそうな顔をしている。

「……鑑さん。いいから入って来なさい。あと後ろの二人もね……」

頭が痛いのか、こめかみ辺りを抑えながら低い声で命令を下す神宮司先生。
引きつく口元は、ああ―――お怒りなのだと如実に教えてくれる。



……にしてもあのアホ毛何処かで見たような……。
おずおずと生首宜しい赤毛の少女が教室内に入ってくる。
それに続き二名のお客様の顔も続く。
一人はボリボリと頭を掻きながらブツブツと文句を零している様子。
一人は綺麗なお辞儀をしてから、教室に入ってきていた。

……若干一名。意外にいい根性の奴も居るじゃないか。
進学校だって聞いていたから真面目君ばかりだと思っていたが。

「あの! 言い訳じゃ無いんですけどちゃんと理由が有って遅刻をしてしまいました……」

「神宮司教諭。一応話だけでも聞いて下さりませんか?」

「~♪」

「っ武ちゃん! 武ちゃんも一緒に謝ってよ~」

「だって俺関係ねぇじゃん。俺は先に行こうぜって言ったのによ~」



―――はぁ。と大きな溜息が一つ聞こえた。

「―――三人ともいいから先ずは席に着きなさい。遅刻の理由はちゃんと後で聞きますから」

静かに、でも確かに怒気を孕む。
教室内に反響したかと錯覚に陥る程だ。



「……っ。はい……すいませ……ん?」

赤毛の少女は俯きがちだった顔を前に向き直ると偶然俺と視線が混じり合う。
―――どうやらあちらさんも此方の顔に見覚えがあるらしい。
…………あの触覚どっかで見たんだよな。記憶が正しければ結構最近に……。

「―――って、あー!!! あの時のおじさんだ!?」

「―――へ? おじさん?」



2001年 11月27日 午前9時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵柊学園












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第四話 












 2001年 11月26日 午前6時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室



「―――ぁ……夢、か」

―――熱く苦しく煉獄の夢を視ていた。
異形の化物と殺し合い。殺戮の限りを尽くした夢。

「……水」

ベッドから逃げるように起き上がると、体は水分を先ず欲した。
喉がカラカラで仕方がない。

部屋に備え付けられた小型冷蔵庫の前まで足取り重く歩き、水の入ったペットボトルを手に取る。
―――冷たく冷えた水が喉を下っていく。なみなみとあった水かさが早い速度で減る。

「―――ぷぁっ……」

荒い呼吸を幾度か重ね、胸の鼓動も落ち着きを見せ始めた。

(……気持ちの悪い夢を見た……。生々しい感触が未だに体を覆い尽くして……)

頭に蔓延る悪夢を胡散させる様に頭を振りし切る。
―――微かにペットボトルを持つ手が震えていた。









 ◇









―――どれ位時間が経ったのだろうか?
ボーッと虚ろな目で居間のソファーに横たわっていた。
丁度目の前に当たる天井の模様を見つめていた。

チクタクと時計の針が進む音だけが室内を支配していた。
テレビも付けず、閉めきったカーテンの先には何時もの日常が転がっているのだろうか?
―――それとも……。

ベランダからの景色は黒煙の舞う廃墟?
血のような赤い夕焼けに火柱が混じり合っている?
―――赤い空が割れて、“ナニカ”が降り立ってくる?



「……馬鹿らしい」

……耳を澄ませば何時もの日常の音が聞こえてくる。
人工音。
自然音。
雀の鳴き声だって耳に届いているではないか。

―――なんて哲学に考え伏しっていたが、所詮は人間。

……さっきから腹の虫が泣き叫んでいた。






適当に着替えを済まし、防寒の為にジャンパーを羽織る。
髭も剃らず、ガムを噛み、ウエットティッシュで顔を拭いただけ。

はるかにこれから教職に着く人間には到底見えない出で立ちだ。
無精髭を摩りながら小さな手鏡を覗くと結構いけるんじゃないかと思い込むことにした。

冷蔵庫には一切の食料は無し。
……まあ有っても俺が料理なんて代物作れる訳ないがね。



真新しい鍵をカチンとはめ込み回す。
ドアにロックが掛かっているか軽く確認。
……問題はナッシング。

「……さて、適当に食堂ででも済ますか」
腹に入れば一緒だ。
大層な代物をお求めできるだけ金銭的にはビップじゃない。

―――うう、寒い……。
ああ、そうだ帰りにマフラーでも買っていこうかな……。









 ◇









2001年 12月2日 午前11時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 商店街



雑踏の人混みを避ける様に人気の無い商店街に迷い込んだ。
……芳しい料理の匂いに釣られてっていう訳じゃないぞ。
朝飯には少し遅い。昼飯には少し早い。中途半端な時間。
近場の商店街に一件だけ、それらしい看板が目に入った。

「―――京塚食堂……か」

店頭に掲げられている真新しい看板にはポップな字体でそう彩りよく刻まれていた―――。



「いらっしゃいませー!」と威勢の良い声が襲いかかってくる。
見た感じ店内は綺麗でわりかし良さげ。
下町のTHE定食屋では無く、カジュアルスタイル。
若々しいエネルギーが満ちていた。

「お一人様でしょうか?」

パタパタと擬音が聞こえてきそうな足取りで可愛らしい女の子が近づいてきた。

「―――あ、はい。一人です」

出で立ちは定食屋によく似合う割烹着姿。
短髪に揃えられた黒髪はボーイッシュな印象を残させる。
凛とした出で立ちは、“知り合い”の雰囲気と酷似して見える。
―――そういえば此方に来てから連絡してないな……。

「お―様? ―客―? お客様!?」

「っ、うおっ!」

一瞬意識が別な場所にワープしていた。
大きな声がはっと目が覚める。眼前には心配そうに俺を見るクリっとした瞳が二つ。

「あっああ、すいません。少しボーッとしてました」

「……そうですか? ご気分が優れませんでしたら声をお掛け下さいね?」

心配そうな声色で釘を刺された。
まあ飲食店で人に倒れられたらトンデモないよな……。自重しよう。

時間帯によるものなのか、店内にはまだお客さんの顔は見受けられない。
空いているのは個人的には嬉しいけど……。
先程の店員さんにカウンター席に案内され、大人しく着席。

水とメニューを渡され、さて何を食べようか?
和洋中、見る限り数多の料理を網羅している。
……味が不安になってきた。

チラリと厨房を覗くとパートのオバちゃんなのか白い割烹着を着た太めかししい方がお一人。
店主は奥で作業をしているのかな?

―――ジーッと後ろから何者かからの視線。
考えられるのは一人か……。
居づらい……。

……どれが良いか分からんからいつものやり方で良いか。

「―――すいません」

右手を上げて後方に待機していた店員さんを呼ぶ。
……どうやら店員もこの子以外は見当たらない。
個人経営の小さなお店かな?

「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」

「ええっと。このお店でのオススメってあります?」

「……オススメですか? ……はい少々お待ち下さい」

眉を潜めて暫し考えこむ少女。
数秒後考えに至ったのか厨房まで駆けていった。

「―――……」

「―――……」

厨房からは小さな囁き声が聞こえていた。






数分後注文の品と共に彼女は戻ってきた。
手に載せられたキャラクターがあしらわれたお盆には白い白米と、なめこ汁と、―――さば味噌煮。
手堅く日本食がオススメらしい。
にしてもいちいち定食屋とは遠いイメージのものが登場してくる。

「―――お待たせしました」

飲食店の定例句と共にカウンターに料理が並べられた。
ニコニコと営業スマイルを振りまきながらだ。
この笑顔は無料なのかね……。




さりとて此処は喫茶店では無く、定食屋。
味に文句さえ無ければどうでもいい。
なんてタカをくくって……あまり味には期待をしていなかったが―――。

「―――っ」

「―――美味い……」

味噌が程よく溶け合った鯖は是品、なめこ汁も言わずもがな。
白米も俺が炊く米とは次元が違う。
……何だこれ。

ご飯を掻きこみ、鯖を食し、汁を啜る。
何度も反復運動の様に繰り返すこと数度。
あっという間に眼前に並べられた定食は俺の腹の中にと収まっていた。
―――ごちそうさまでした。

「―――ふふふっ。いい食いっぷりだねぇ。アンタ」

いつの間にかカウンターの前に白い割烹着姿のオバちゃんの姿が。
物凄く恥ずかしい……。
かなりがっついて食っていたかね……。

「あははは。いやぁ箸が止まらなくて」

「そうかい。アンタみたいなお客さんは料理人として嬉しい限りだよ」

「……料理人?」

不躾かも知れないが、その時の俺にはそんな配慮を考えられる程余裕は無かった。
貴方が? と指でオバちゃんを指したのだ。

「……そうだよ? どうかしたかい、変な顔して」

きっと後ろにおわすだろう、例の店員さんに振り返り同じく問答を繰り返すと。
ブンブンと縦に首を降ってくれた。
……まさか本当か。

「…………人は見かけによりませんねぇ」

余談だか俺は良く友人に一言多いと諫言を受けることがしばしばある。
口は災いの元。
友人は口が酸っぱくなる程言っていたのもだ。
……口多いな。



「……アンタ、初対面の人間に言う言葉かいそれ? ……まあいいかね。面白いし」

バシバシとカウンター越しに肩を叩かれ、少々咽る。
俺今水飲んでんだよ! 見えてるだろう!
復讐なのか、サービス業にはあるまじき冒涜だ。

「ふふふっ。お母さんたら」

―――えっ?

背中越しの背後から聞こえたフレーズは決してスルーできるものじゃ無かった。
お母さん?
コレが?

「ん? どうしたんだい?」

ふくよかな体躯とくびれているであろう腰元の持ち主が……。
親子?

「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」

「なんだい?」

「―――もしかして後ろの子と親子だったりします?」

問の質問には、YESの答えが用意されていた―――。









 ◇









2001年 11月26日 午後4時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 ゲームセンター



騒がしい電子音。
異様な賑わいを見せる若者の憩いの場、ゲームセンター。
その一角にて、人集りができ観客を魅了するショーが行われていた。

「―――っち! ちょこまかとぉ!!!」

神攻電脳バルジャーノン。
世界各地に熱狂的なファンが数多い、対戦型3D格闘ゲーム。
タッグマッチやチームマッチなど多種多様な対戦方法があり、ゲームセンターに君臨して幾数年。
今ではゲームセンターでのトップシェアを誇るブランドに成長していた。

目の前で繰り広げられるドッグファイト。
高速戦闘を繰り返し、三度。
交錯する刃は互いの機体を穿つ事は出来なかった。

「っ、おらぁ!」

アクセルを小刻みに踏み込みながら、機体を斜め上に滑らせる。
―――学生時代、無駄にバルジャーノンにのめり込んでいた訳ではない。
多角的軌道を心がけ、太陽を背に背負う。
太陽光による初歩的な陽動作戦、さてどうくる……。
降下後に接近戦、然らばブレードを選択―――。

「―――掛かった」

(いや? わざと掛かってきたのかね?)



相手は此方の行動を読み、先手を打つ。
敵機は近接戦闘に特化した機体のようだ。
先程からの戦闘から鑑みても容易に想像できる。
様変わりしたバルジャーノン搭載の操作機体も世代を重ね姿を変化させたのみ。
ご丁寧に両の手に攻撃範囲が広そうな大型ブレードを装備。

「―――バカ正直だな」



嘲りの失笑を零す。
―――行動の一つ一つに隙がないのは認めよう。強敵だ。
……だが。

―――それだけだ。

ゼロ距離射撃によるスナイプ。
遠距離型の機体にしか装備されない弾道が直線で最も早い弾丸を用いる武装。
―――スナイパーライフル。スコープ越しでは無く、目視で狙いを定める。

経験による攻撃方法。
―――奇襲は初見では見きれない。



無駄な時間を重ねたあの青春はどうやら中々に無駄なモノを切磋琢磨させたようだ―――。









 ◇









人間夢に出てきた事など殆どが頭に残っていないものだ。
しかし悪夢は頭に蔓延りつき落ちようとはしない。
結論を言ってしまえば、俺は目に見たものしか信じない質である。

駅前のゲームセンター。
立地的に乱雑するこの手の娯楽施設を見つけるのは全く苦労をしなかった。
……バルジャーノン。
今朝の悪夢にご登場を果たした懐かしの青春の欠片。



京塚食堂にて腹が膨れ、さてこれからどうしようか?
なんて考えに至ったら自ずと今朝の悪夢についてあれこれと考え込み始めるもの。
数分の熟考の後、面倒だからまず実物をみて判断しようと決めました。

「―――くっそ~。あと少しで倒せたのに……」

そして件のバルジャーノンのあるゲームセンターまで足を運び、やっぱり対人ゲームだと再確認。
……やはりただの夢だったかと、胸を撫で下ろすが―――消えない違和感が喉に骨が刺さっているかのように存在している。

「―――顔を拝んでやろうと思ったのにもう居ないしなぁ」

―――そんな時、ある闘いが視界に入った。

タッグマッチにて行われている一戦。
行われている試合はごく普通の1対1だ。
しかし―――。

「―――面白い動きしてたな……」



先読みを意図も簡単に行う技量も目を惹かれたが、やはりその無駄のない機動が最たるモノだった。
月日によって体得したとは思えないバルジャーノンの常識外の動き。
一瞬、時代が変わって新しい概念が生まれたのかと思ったが……。

周囲の戦闘を見ても浮いていたのだ。
俺とてこれでも昔は―――世界を目指した大馬鹿だ。
高校時代でもあそこまで露骨な変態は居なかった。

そして俺は喜び勇んで、乱入を果たし一騎打ちを申し込んだ。

「……って、何遊んでんだ俺は」



ふと気が付いた。
……そういえば俺はなんで此処に来たんだっけか、と。









 ◇









2001年 12月8日 午前9時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵柊学園



「―――えー、此処テストに出すからなー。しっかり書いておけよ」

少し拙い手つきで白い文字を書きこんでいく。
黒板にチョークを突き立てる音が教室のBGM替わりだ。

(今のとこ、どうにかやれてるな……。人間為せば成るってか)



本職の先生が教室の後方で待機している様は出来るだけ視界に入れないように。
最初の頃はいちいち注意を受けながら授業を進めていたが、一週間も経てばこの通り。

「っと、今までの範囲で解らないとこはあるか? あるやつは質問を受け付けるぞー」

ビシッと綺麗に手が瞬時に上げられた。
無駄に美しい上げ方が無性にむかついたのは秘密だ。

「はいっ! 佐藤先生! ぶっちゃけ範囲広すぎじゃないですか!」

「……白銀ぇ。そりゃあお前だけだよ。後でさっぱり理解出来なかった奴用に補習を開いてやるからそこで頑張れ。範囲は仕方ない、お国様からのご命令だからな」

「……補習かぁ。……了解です」



クスクスと教室中から失笑が漏れる。
キャラが立っていて面白いのはいいが、はなから理解しようとしないのはなぁ。全く鑑を少しは見習えつーに。

―――頭を掻き毟り、目をグルグルと回している鑑純夏さんをな。






「ふー。疲れたぁ……」

職員室。
佐藤陣の安息が約束されている数少ない場所。
自分に割り振られた机一式のテリトリーにて絶賛伏せっていた。



「―――佐藤先生。お疲れ様です」

優しく肩を揺すられる。
姿は見えずとも誰かなど分かり切っていた。
鼻をつく、お茶の香ばしい香り。
俺の好きな玄米茶の匂い。
数日の内に俺の好みも丸分かりのようだ。

「ああ、すいません。―――神宮司先生」

疲れた体を起こし、声の主に向き直った。
肌寒い時期にはうってつけのお茶を携えた聖母がそこには降臨していた。

「熱いので気を付けてくださいね?」

注意勧告を受けながらお茶を手渡しされる。
「頂きます」とお礼を言ってから好物の玄米茶を啜りホッと一息。
五臓六腑にお茶が染み渡り心地いい気分だ。

「大分先生にも慣れてきた様子ですね」

多分に此方の心境を察してかおもむろに口を開く。
―――教職は俺にも向いてない。
この短い期間でも十分にその事は痛感していたところだった。

「……そう見えているなら、一応成長してるのかも知れませんね」

乾いた笑みを張り付かせながら、肯定の意を見せる。
客観的に見てそうなら、そうなのだろうと。

「……そう露骨に俺って駄目ですね、オーラを出されると此方も困ってしまいます」

全く困って無そうに笑いかけてくる神宮司先生……。
あんた鬼だ。鬼軍曹や。

「まあ頑張ってみますよ―――だからその変な薬は要らないです」

黒い満面の笑顔で近づいてきた彼女。
白陵柊学園のマッド・サイエンティスト。
―――香月夕呼様のお通りだ。
手には黒い液体がなみなみと注がれたティーカップ。
あれはコーヒーなどという飲み物では決して無い。

はっきりと拒絶の意志を示す。
なんせあの物体を一度飲まされ、頭の回線がショートしたのだ。
もう騙されん。絶対に。

「あら~。折角先輩からの行為を拒否るなんて偉くなったもんね、アンタ」

誰が、っと疑いの視線を向けて椅子に体を預ける。
じわっと疲労が体に滲み込む。
本当に疲れる、教わる側と教える側に此処までの隔たりがあるとは……。



「―――疲れが溜まってるみたいじゃない。なら―――」

「飲みに行きましょうか?」と禁断の古代魔法を唱える悪魔。
若干嬉しそうな神宮司先生がとても哀れにみえて仕方ない。

嵐の前の静けさ。
職員室は途端に誰一人とも言葉を発しなくなった。
時が止まっていた。まさに最終兵器の名に相応しい。
狂犬の名は伊達じゃないのだ。

……さて、俺は。



「―――すいません。テストの答え合わせがあるので、とぉっても残念ですが」

疲れが吹っ飛ぶどころか、記憶が吹っ飛ぶぜそれは。

職員室の先生方から「―――お前まさか!」というテレパシーは受け取ったが知らん。
ああ? 特に青い顔している川福先生? 
いつも神宮司先生に言い寄っているんですから、こういう時に活躍しておいて下さいね?
―――え? 俺?



―――勿論、ご遠慮させて貰います。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第五話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:19



―――あ、もしもし。うん、どうかしたか?



―――うん。まあ一日目が滞り無く終わったとこ。



―――いやー。疲れるね。教える側が大変なのは察していたけどさ。



―――そっちも大変か? ……ま、お互いに頑張ろうや。



―――うん。ホントにだよ。……んで要件はそれだけじゃないだろ?



―――…………なるほど、忘年会ね。でも新年会もやるんだろ? 結局さ。



―――……だよなぁ。そりゃあの飲兵衛さんだもんな。全く―――雨宮センパイには困ったもんだ。



―――っえ? ああ一応大丈夫かな。今の所職場の方たちには誘われて無いから。



―――いやぁ。ちょっと込み入った事情があってな。多分殆どの方が宴会を開こうとは言い出さないと思う。



―――……まあ一応仲良くさせて貰っている。多少苦手な人もいるけど……。



―――先約は今の所只今頂いたサークルの飲み会くらいかな? もしかしたら参加はどっちか一つになるかもだけど……。



―――ほら、流石にどっちかはやると思うんだよ俺は。何せあの叔父が経営する学校だもん。



―――はははっ。 そっちも大変そうだな。……つーかセンパイ就職上手くいったのか?



―――……なるほど。やっぱり学院に進学するって? くくくっまだ暫く学生を謳歌したいってか?



―――そりゃ分かるさ。付き合い長いもんな。



―――え? 俺? ……うーん、未だ分からんかね。就職した方がいいのは分かってるんだけど、もう少し勉強したいかな。



―――……そりゃ何時までも甘えている訳にはいかないさ。此処まで面倒みてくれたんだ。



―――…………ああ、分かってるって。駄々を捏ねてる訳じゃない。



―――……悪いな、熱くなっちまって。……うん。それじゃ、またな?



―――うん? 何だよ、未だ何かあんのか?



―――………………おい、だからハッキリ言えって。中途半端にお預けを食らうのは嫌いなんだってば。



―――……は? ……クリスマス? ……まあ予定は無いですが、何か。



―――……そりゃある訳無いだろ。つーかお前が一番知ってんだろが。女っ気が無くって悪かったなぁ……。



―――うん? ……サークル主催のクリスマスパーティ? はあ? 去年そんなのあったけか―――?



―――いやまあ暇だから大丈夫だけど、遠くね? 横浜から東京だぞ。……ああはいはい。分かったってば。



―――オッケー。予定が空いたら行きますよ。……ったく、火急な要件が無ければ優先しますってば。



―――色々と行事の件は了解。んじゃ、またな―――唯依。



2001年 12月9日 午後9時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室









 ◇









「―――結局ただの夢だったってことかねぇ……」

結局、何も解らずじまい。
お得意のバルジャーノンによる勝負にも負け、単にストレスだけ溜まったのみだ。
……ただの遊びなのに何故か無性にむかつく、熱を上げるのも早いが覚めるのも早いのだ。

そんな時、偶然贄が転がっていた。
手のひらサイズの石ころ、見つかったのだ運のつきだ。
…足元にある石ころ目掛けて大きく足を振り上げる。

―――ガンッ!!!

天高く舞い上がる石ころ。
夕焼けを映し出す太陽目指して浮遊する。
その姿はどんどん小さくなり見えなくなって……。
ああ、少しだけスッキリした。
…良い子の諸君、物に八つ当たりは良くないがな。



『―――あ……タケルちゃん!? って! アイター!!!』

……あれ?
何か悲鳴が聞こえたような気が……。

握り拳程度の石だったはず。
まさかあの大きさが凶器と成り得るのだろう……?。
そもそも空から降ってくる石に当たるなんてどれだけ運が無いんだ。
…一応確認しようか? 確かこの先の道から聞こえたぞ……。

「……あ、いたぁ……。つぅ~。何かが頭にぶつかったぁ?」

……あ。いた。頭を抑えて蹲る少女が一匹。
彼女の足元には大荷物そうなビニール袋が散乱していた。
……もしかしなくても俺のせいだったりする?

「…………あの~。大丈夫ですか?」

意を決して話しかける。
―――そう俺はただの通行人。目の前で蹲る少女を捨て置くことが出来無い好青年。
一体誰がこのいたいけな少女を痛めつけたのか?
許されざる暴挙だ。






「―――すいません。本当にありがとうございます。傷の手当をしてくれるどころか、荷物まで持って頂くなんて……」

「タケルちゃんとは大違い」と呟く彼女の名は自ら鑑純夏と名乗ってくれた。
赤い髪が特徴的な触覚ガールだ。
そう触覚、頭から一本の触覚っを生やしているのだ。
まるでゴキ○リ。

「? 私の顔に何か付いてますか?」

「えっ。あーいや。可愛い顔をしてるなと思ってね」

口から出てくるお世辞という名の嘘。
……まあ可愛いのは本当だよ? 多少脚色してるけど。

唐突の言葉だったのか幾許かの空白の後、鏡さんの顔が途端に朱色に染まる。
口を金魚みたいにパクパクさせる様は見ている側を笑わせてくれる。
エンターテイナー魂の強い子だ。



「えーと、どの辺まで持っていけばいいんですか?」

「えっ! ……あ、はいぃ。あ、あの歩道橋の近くまでで大丈夫です」

ガサガサと音を立てながら歩くこと数分、玄関までは悪いからと家の近くまで持ってきていた。
どうやらお買い物は挽肉とピーマンが主らしい。
夕飯は肉詰めピーマンかな?
……今日は何を食べようか、特製手料理を京塚のおばちゃんにお願いするかね。



「―――それじゃあ、もう大丈夫かな? 気をつけて歩くんだよ?」

(―――本当に、前方不注意ならぬ。上空不注意だ。気をつけるんだよ?)

建前と心の内の言葉は剥離するもの。
彼女も気を付けていればきっと未然に防げた事故さ。



「本当にありがとうございました! ……っそうだ! あの! お名前を教えて―――」

彼女が口を開いた瞬間、もうそこに俺の姿は影も形も無かった。

―――聞こえないたっら聞こえない。証拠を残さないのが完全犯罪の心得さ。
流離いの流浪人を演出し足早に犯行現場から去る。
出来れば―――。

(―――二度と合わない事を祈るぞ、神様―――)



2001年 11月26日 午後5時15分 日本 神奈川県横浜市柊町












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第五話 















「―――っ。此処は一体?」

暗い。
目の前が真っ暗で何も映さない。
耳鳴りがするほど、ナニモノの音も耳に届いてこない。

(……コレは? まるでデジャヴを感じさせるシチュエーション……)



手を伸ばそうと腕を動かす―――が思うように動いてくれない。
まるで肩から先がナイかのように。

「あっ。誰、かっ」

声が掠れ言葉が途切れ途切れに発せされる。
―――喉が渇いた。水が欲しい。
―――空腹だ。食べ物を口にしたい。






―――無線も殆ど機能をしておらず、救援を期待するのもままならない。

(……救援? 何で救援なんて単語が出てくる?)



バイタルチェックを最後に行ったのも随分昔、今では強化装備も役目を果たしていない。
陸の孤島、機体の損傷が激しくコックピットを開ける事もままならず。
レーションも残り僅か、水も大切に補給して行かなくては。

(……俺の考えが全く反映されない……。まるで映画を見させられている気分だ)



座席に深く腰掛けて、大きく深呼吸。
―――SOSを発しても一度も反応が帰ってこない。
海の藻屑になっていないのなら、きっとこの機体は大地の上に座礁しているはずだ。
後―――どれ位生き永らえるのだろう?

(コレは俺? ……確かに昨日は家のベッドで寝た筈……)



目を閉じると空腹と死への圧迫感で押し潰されそうになる。

……怖い。

死にたくない。

生きたい。



BETAに殺されず、コックピットの中で孤独に死んでいくのか。
軍人としての教示に殉じられずにってか。
―――はっ馬鹿らしい。



「…此方、国連太平洋方面第9軍戦術機甲部隊第2機甲大隊所属、ジン・サトウ大尉。応答願う」

……意味のない繰り返し、精神衛生上信号を発しておかなくていけない。
今回は貧乏くじを引かされた。
何せハイヴが現存する最前線に送られたのだ。
オーストラリアで安穏と平和を貪っていた俺を叩き起こし、死の戦線まで押し上げやがった。
テストパイロットとして有能なこの俺を捨て駒扱い。
……最終局面だったのは否めないがやはり納得できない。
いっその事アメリカの軍門に下った方がマシだったかね。

(……“コイツ”の思考が流れてくる。我ながら卑屈なのは分かるぞ……)

まあ昔話の続きといこうか。
…どうせ、やることもない。

……そうして俺は懐かしの母国日本に帰国を果たした。
国連軍の大型母艦に載せられてだ。
任務は、バビロン作戦の為の時間稼ぎ。
日本帝国のお偉い様達が箱舟に逃げるまでの盾。
……文句は言えない、何せ今の今まで安全地帯で暮らさせてもらってたのだから。

そして、佐渡島ハイヴの攻略。
の、筈だった。
G弾を用いた最終決戦をゴリ押しした国連軍のアメリカ派閥。
奴らの目論見は正しく正解を引当て、闘いは終焉を迎えた。

―――そうBETAとの闘いは“一時”的にだが、終わり。
大規模な重力偏差が発生。
『大海崩』と引き起こす。
海水が巨大な壁―――津波となり襲いかかってきた。

「……救援を求む。繰り返す、救援を求む」

力ない声は若干の疲れを滲ませ、悲壮感を漂わせる溜息を吐かせる。
頭を掻き毟っても、過ちは戻らない。
甲板上で即対応できるように戦闘準備をしていた戦術機部隊は、どれも変わらず津波に飲まれていった。
しかし―――俺の搭乗していた機体はそれの範疇には収まる事はない。

F-35ライトニングⅠ。
世界に一台しかロールアウトされていない、幻の戦術機。
アメリカ本土でも運用が難しいと判断され、オーストラリア汲んだりまで流された機体。
バックパッカーを換装する事により戦況に適した機体運用を可能とする次世代戦術機。
世界標準を目的とした換装特化型戦術機は噂にたがわぬ性能を発揮。
……こんな高性能機が採用されなかったのは色々と問題があったのだが、面倒な話なので省略する。
一つ言えるのは、兵器とは強ければいいのではなく、利便性が求められる。
世界は金で回っているのだ。
こんなご時世でも。



―――高高度までの噴射跳躍。
成し遂げたのは雲を裂き、一面の白い草原の丘へ。
……最高出力を叩き出したこの瞬間、俺は初めて神様へ感謝の言葉を口にした。






「……結局生き残ったのは俺一人……」

生存者は見付けられなかった、度胸も無い俺は光線級が存在していないオーストラリア目指し舵を取ったのだ。
しかし、途中レーダー関係の装置が作動しなくなり自らの居る正確な位置さえ見失う事になる。
航海士の真似事でなんとか大まかな場所は把握できるが、それも長くは続かない。
食料も備蓄は十分ではなく、燃料も無限ではない。

「―――此処で死ぬのか」



……さあ下らない昔話は終了だ。
そろそろ眠くなってきた、お迎えかね……。

(―――糞、死に、たく、ねぇ…。誰か助け―――『…此方……米国…兵隊………戦術機隊…応答願う!…』)



―――…幻聴まで聞こえてきやがる。はははっ、笑えるぜ。
俺は自分の命の為に何千という人を犠牲に生き延びてんだ、くくくっ。



『繰り返す……米国……………応答………』


……あれ? 何か可笑しくないか?

『…此方……米国…兵隊………戦術機隊…応答願う!…』

………まるで本物の声がしてる? まさか…。

…でも眠い。……まあいいや。後で…。



…確認しよう………。

…………。

………。

……。

…。






「――――――意識がないようですが、まだ生きています! 中尉!」

「――――――っ、了解! 独断先行については後でオシオキだ! 覚悟しときな!」









 ◇









(……夢? なのか、それとも現実? 同じものを見た…。景色は違うけれども確かに、見た)

一度目は夕焼けの鮮やかな屋外で、二度目は真っ暗な箱の中。
どちらも共通するのは、意識が存在していると云うことと―――。

―――どちらも現実離れしているという事、そしてもしかすると。
…俺がもう“一人”居る。
という事か……。

そして多分、あの日常に戻ったらこの記憶は綺麗さっぱり憶えていないのだろう。
抽象的なイメージを残して……。

……一体コレはなんなのか? 謎が謎を呼ぶ。
毎日見ている訳ではないし、なにかがトリガーになっているのだろうか?
知らない景色だし、見たことのない人物が顔を覗かせている。
……誰かの話で夢は自分の知っていることでしか形成できないんだって、豆知識を披露してもらったような気が…。

―――なあ、どう思う。“俺”?









 ◇









2001年 12月10日 午前6時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室



「―――っ頭いてぇ…。また見てたのか? 俺?」



太陽が空に昇りきらない早朝の一幕。
冷えきった空気が火照る顔を程よく冷ましてくれる。

……もしかして風邪、引いたか? やっちまった?

…一応熱測ろう。なんせまだ朝の6時、時間は有り余ってる。
ああっと、薬は常備してたっけか? …頭がボーッとして働かん。



―――悲しいお知らせ。
只今の記録、38.4度。今年最高記録を叩き出しました!
えー、しかし咳きは出ずインフルエンザの予防接種も受けているのでそこは大丈夫、な筈。
適当に粥を作って、梅干を乗せれば栄養は取れる。
最近は固形上のものだけではなく、液体上のエネルギー源もコンビニで手に入るし。

―――新人が休む訳にはいかない。

ここ最近はご無沙汰っだった為、油断していたか? 
……ただ単に疲れて免疫が落ちてたんかね。

期末試験も目の前だ。
此処でへばって迷惑を掛ける訳にはいかない。
―――気合を入れて頑張ろう。









 ◇









――――――12月10日月曜日。
運命が動いたその日。
原典ならば存在しないエラー。
日常と非日常の狭間が最も近くなるこのターニングポイントで世界は救われ、破滅する。

結果には、代償が付き物。
知らず切り捨て、高みを求める。

失敗したならリセットすればいい。
ゲームならそれで事足りる。

―――しかし現実ならば?

英雄は得てして、無知であり、高潔あり、後ろを鑑みない。



―――反対に、凡夫は卑屈であり、卑怯であり、自らしか助けられない。
とても正しい姿。
面倒な事は、英雄に押し付けて凡夫を気取れば問題ないのだ。
大多数の人間はこうであるべきであり、こうでしかあれない。

しかし、時には。

凡夫が―――英雄に祭り上げられることもあるのだ……。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第二章 拱手傍観 第一話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:ea5ec50e
Date: 2012/01/09 13:42



 世界を観た。

 化け物に蹂躙される蒼き星。

 流星は夢を運ばず。

 災厄を運ぶ。

 ―――一、二。

 ―――数えて八。
 
 ハイヴ。

 地球を穢す魔の巣窟。

 地獄の底から顔を覗かせるのは―――。

 ―――異形の鬼。












 Muv-Luv Inevitable 

 第二章 拱手傍観

 第一話












 ぼんやりと霧がかかった意識の中で此処は何処なのか考えていた。



 目が覚めて初めに感じたのは良くある病院独特の鼻に付く消毒薬の匂い。
 周りを見渡すと見知らぬ一面が白い部屋。
 少しずつ沈んでいた場所から浮かび上がっていくような感覚に囚われて段々と意識が明確になっていく。

 体を預けているのはきっとベッドだ。体を捩らせるとキッシと軋む音が下からする。
 柔らかい毛布包まれ、誰かの香水の臭いが微かにする。
 耳を澄ますとシンと鎮まり還っており、一切の音が耳をつんざく事をしない。



「……此処は……?」

 ……何があった? 
 波のようなものに攫われ、もみくちゃにされ、刻まれ、分解され、辿り着いた―――?

 記憶が抜け落ちて、一寸前の出来事が思い出せない。
 …元からそんなモノは無かったかのように―――。

 名前は? 
 …名前。
 ……佐藤陣。

 他は―――? 
 ……俺は男性で年齢は二十歳。それで―――。

 ―――何をしていた?

 何処で暮らしていた? 生まれは―――。
 ―――解らない? 何故? 
 俺は佐藤陣。男。二十歳。

 ……後は?



 記憶喪失? …うん意味は分かる。
 記憶障害の一種で一部の記憶を喪失している状態だ。

 …間違っていない。
 そうだ、それでいい。

 …あれ? でも一体何処で俺はそれを知った?

 

 ―――解らない。知らない。思い当たらない。

 唖然と手の平を見つめる。
 俺の手。年月と共に成長してきたはずの四肢の一部。
 だがその“成長の過程”を置き忘れてしまっている。

 ―――? 手のひらに何か書いてある?
 
 ――――――12月17日 世界が滅亡する前に――――――



 黒くはっきりと書き殴られた文字は、自分の筆跡に酷似して見える。
 ―――これも自分が書いたのか? 
 この“俺”に宛てたメッセージ…?

 ……暗号かなにかなのか。さっぱり意味が解らない。
 世界が滅亡って、映画じゃあるまいし…。
 大体それじゃあ今俺が存在する世界は天国かっての。
 ……馬鹿らしい。



 ……兎に角まずは現状を把握しよう。
 此処は何処で何故俺は記憶を失っているのかを知らないと。


 周りを見渡そうと体を起こすが、まるで体が借り物のようでまともに動かすことが出来ない。
 …しかし時間を掛けなんとか上半身を起こす事には成功。

 周囲をよく観察するとやはり自分が寝ていた部屋が病室であることが認識できた。

 花瓶に生けてある色鮮やかな花。
 清潔な純白のカーテン。
 染み一つ無い白い壁。
 微かに香る消毒薬の香り。
 そう―――まさに病室以外の何者でもない。


 カーテンで仕切られた薄暗い窓の外を見ると、煌々と白銀の雪が降りしきっていた。
 一面白銀の世界。
 見とれる幻想空間は、人生で初めて目にしたもの。

 偉大な自然の力をまじまじと見せつけられる。
 どれだけ積もっているのか目測では正確には図れそうにない。

 ふと気が付くとパチパチと暖炉が炎を灯し暖を送っていてくれたことに気がついた。
 暖かい―――肌で感じるもので無く、心を癒してくれる優しい暖かさ。



 歩いてみよう―――部屋の中の散策をと寝ていたベットから降りようと試みる。
 地面に足をつき歩こうとする瞬間、途端に体中の力が抜けるような感覚に囚われ、

 ―――そのまま頭から床に倒れこんだ。



「ぐっ……」



 鈍い痛みが頭部を蝕んでいるのが否応にもわかる。
 ―――どうしてさっきから思うように体が言うことを聞かない?
 心の中でそう愚痴りながら体を起き上がらせようにもうまくいかない。

 惨めだ。体がまるで操り人形の如く。
 一拍の間を置いて、体中の神経が言うことを聞いてくれる感覚。

 

 ―――痛む額を上手く動かせない手で摩りながらさて、どうしようと考え込むこと数分。

 打開策を考えつくことも無く、芋虫のように鎮座していたその時―――しかして天の助けは舞い降りた。

 

 難攻不落の要塞に見えていた出入口の扉が少しずつ開かれていき顔を覗かせたのは―――見覚えのない白人の麗人だった。


「…………っ意識が戻ったの!? って、その額の傷!」



 暫しの間驚いた顔した後、我に帰ったのか。
 この部屋の関係者と思わしき女性が急ぎ足で駆けつけ体を起こしてくれた。



 「大丈夫ですか?」と繰り返し問い掛けてくる声に対して、小さな声で返事を返す。
 改めて近くで見ると、見惚れるような金髪の女性に助けられながらベットに腰掛けた。
 横目で見ると備え付けの棚から救急箱を取り出し、慣れた手付きで処置を開始する。


「…額から少し出血されています。応急手当をしますから少し我慢してください」



 治療途中に少し傷口が染みたが一々文句など言ってはいられない。
 俺の不注意からの怪我だし。これでも男の子だ。
 でも―――他にも訳があった。

 何故なら。

 そんな事よりも今すぐ聞きたいことがあったからだ。






「っあ、ありがとうございます。あの、すいません。少しお聞きしたいことがあるのですが」

「…はい? どうかなされましたか?」



「…此処は病院ですよね……。その、何故自分は―――こんな所にいるのでしょうか?」



 質問を投げかける。
 …途端に先程までの慈愛に満ちた表情から一変し、きつく眉間を寄せ視線を下に落とした。
 暫し考え込み思案する素振りを見せた後、少し此方を伺う様子で返答が躊躇いがち帰ってくる。



「……落ち着いて聞いて下さい。貴方は――――――」



 ―――その言葉を聞いて絶句した。

 その言葉を聞いた瞬間言っている意味が理解など出来なかった―――全くしたくも無い。


 何故ならば―――一年間、意識が戻らないまま昏睡状態だったのだと。

 憂いを帯びた碧眼で―――。



 ……彼女から告げられた―――。



 1977年 ――― ――― 東ドイツ 東ベルリン 国営病院









 ◇









 2001年 12月17日 ――― ――― 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室 

 マンションの一室。
 寝ることだけに重きを置かれた寝室に備え付けられた机にボロボロの手帳が無造作に置かれている。
 時間が無かったのか、開かれた一頁の部分が乱暴に破られていた。

 皺くちゃになった紙にはこう―――書かれている。

 

 世界が変化しても気がついているのは俺だけだ。
 この現象を他の誰かに喋っても頭が可笑しくなったとしか思われないだろう。
 だから最後にこう書置きを残させてもらう。
 
 …多分俺は消えるのかもしれない。
 だから俺が居なくなった事に気づける人間もまた存在しないのかもしれない。
 だけど自己満足で書かせてもらう。

 変化はきっと12月10日から起こっていたのだろう。
 世界が騒がしくなったのもあの頃からだ。

 平穏が奪われたのもあの頃から…。
 
 確証もない只の妄想だが、彼―――白銀武がキーポイントだと思う。
 あの日―――12月10日。

 彼は―――彼ではなかったように感じられたのだ。
 一連の事件。
 まるで彼の変貌から始まっているかのようだった。

 小さなニュースが流れたのも奇しくもあの日―――12月10日。

 そう、今世界を騒がせている未確認生―――――――――……。



 ……此処で紙はちぎられている。
 机の横にあるゴミ箱には書きかけ同じ紙が溢れる程に丸められ捨てられていた。

 
 
 …世界は取捨選択され、許容される数が予め決められている。
 この世界は哀しいが―――捨てられる運命に身を委ねることしか許されない。

 英雄―――白銀武の―――選択。

 それは創造主が如くの行いで―――まるで神の未業。









 ◇









 佐藤陣は―――凡夫は―――抗えない。

 ―――“神”の決定に。
 


 この地獄のような世界の始まりを現した言葉がある。

『月は地獄だ』

 国連航空宇宙総軍月面総軍指令官の言葉である。

 緩やかに緩慢に新時代の始まりと人類の終わりは同時に人類に忍び寄ってきた。

 異星起源種。

 BETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race

 ―――『人類に敵対的な地球外起源生命』

 世界は希望と期待を胸に秘めて地球という惑星から月に手を伸ばし、その手が掴んだのは悪魔にも似た化物の巣窟であったのだ。

 ―――人類は絶望的な戦いに身を投じ始めていた。









 ◇









 1977年 11月29日 午後1時 00分 東ドイツ 東ベルリン 国営病院



 結論から言わせて貰えば俺は心因性外傷性合併記憶障害部分健忘症と診断された。

 長ったらしく煩わしい名前だと聞き始めに思ったが平たく言ってしまえば記憶喪失だそうだ。



 …俺を治療してくれて彼女は名前も名乗らずに、さっさと去っていった。
 ベッド待つように指示された俺は、行く宛も無いので黙って座っていると―――今、目の前に座って診断をしている白い髭を蓄えたお医者様がのしのしと登場された。
 ……美人の方が良かったな。



 俺が居る場所は、ドイツ民主共和国。所謂東ドイツだ。
 ………自分の思考に突っ込むのはもう止めよう。疲れる。
 …何故所謂東ドイツっていう単語が頭に浮かぶのか……。

 1977年12月を迎えるこの土地。白人が大多数を占めるこの国で俺の出で立ちは悪い意味で目立つらしい。
 ―――鏡に顔を向ければ、東洋人風の男がそこにはいた。黒髪黒瞳で周囲との差が激しい。
 
 …自分も可笑しいと思ったが、そういえば俺は難なくこの国の言語を使っていた。
 その点については医師もお手上げだと降参のポーズをしていた。
 ……自分の国籍も分からないのに言語がどうたらなんて言えないか……。
 


 そして―――BETAの存在。

 四年前に突如宇宙から舞い降りてきた隕石。
 ―――その中にはまさに”悪魔”としか形容出来無い化物が潜んでいた。

 はっきり言って意味が解らなかった。
 ……まあ元から自分の名前以外は知らないのだ、今更この世界が未知の生物に侵されているのはそういうもんだと納得でき…る訳がない。



 だって意味不明じゃないか。
 BETAとは何なのか?
 まさに浦島太郎の気分だ。

 ―――これだけは断言できる。
 俺の生きていた世界にはそんなモノは存在していなかったと―――?



 …―――本当に?
 ……BETAは聞き覚えがないが、ナニカ忘れてないか?
 
 『――――――月で未確認生物が発見されたとの報告が探査機からリアルタイムで送られて―――』

 『――――――アンタの言ってる事は妄想でも夢でも無いわ…。……覚悟を決めなさい、紛られもない、現実よ』

 『――――――先生ぇぇええ!!! っ行っちゃ駄目ぇぇええええぇぇ!!!!!!』

 

 脳裏に見たことの無い景色が映し出される。
 ニュースで見かけるいつもの美人キャスターが、職場の同僚が、そして―――生徒が手を伸ばして?

 …この際、記憶にないものも許容する。
 今のフラッシュバックが俺の記憶だと仮定して、俺は―――?

 一体―――。

 ―――何者だ?









 ◇









 …医師から記憶喪失と診断されてから色々とこの意味不明な世界について簡単に説明を受けた。



 BETA。

 正式名称Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race―――『人類に敵対的な地球外起源生命』

 地上にはBETAの基地であるハイヴが点在し現在確認されているだけでも八個のハイヴが存在。

 BETAは地球人の敵であり世界中の様々な場所で戦闘が日夜繰り広げられている。
 この東ドイツも例外ではなく断続的にだがその火種は近づいてきているらしい。



 最後に俺自身について。

 一年程前に突然、ある家の庭先で見つかりそのままこの病院に運び込まれた。
 意識が不明の状態で発見されたが、外傷は一切見られなかったらしい。
 当時のカルテも見せて貰ったが、事細かく容態について書かれ―――しかし、結論は謎だと明記されていた。

 幸運な事に俺を発見してくれた方はとても親切な方らしく、現在の入院費も肩代わりして下さっているとのこと。

 手荷物には何一つ自らを証明できる物が無く、名前も何も一切が不明のままだったそうだ。
 …残念だが、一つ手掛かりが無くなったらしい。
 


 一覧の話を聞いた後の感想。

 ああ。

 コレは夢だな。

 である。



 ―――こんなSF紛いの設定の夢なんて良く考えたものだ。
 …夢って奴は記憶があやふやな事が多い。これもそういった類の現象であろうと。

 この時、俺は完全にコレは夢だと認識し始めていた。
 ……いやもしかしたら心の何処かで現実逃避を始めていたのかも知れない。向き合うともう何処にも逃れられない気がしたから。



 そんな浅はかな考えばかり巡らせていると、ある面談者が現れる事になる。

 それが自身の運命に大きく関わっていくとは知る由もなく。

 この数日後に自分の現実が塗り替えられている事を、嫌でも認識する事になるのだから―――。









 ◇









 1977年 11月29日 午後6時 20分 東ドイツ 東ベルリン 国営病院



「君が例の……ジン・サトウ君かね?」



 窓の外の空が夕焼け色に染まった頃。
 少し微睡みを覚えてベットに横になっていると突然病室の扉が開かれた。

 そうして音のした方向へ視線を追っていくとそこには見覚えのある―――金髪碧眼に白皙の氷細工の様な美貌を備えた女性と。

 ―――反対に見覚えのない白髪の初老の男性が佇んでいる。
 直感だが―――普通の男性ではない。
 紳士らしく、高級感漂う黒のスーツとシルクハット。
 柔らかい笑みをたたえているがその瞳は此方の内側まで見通すかのように。



「……貴方は?」

 訪問者をよく観察してみると、両名とも姿勢が微動だにしていなかった。
 ―――まるで、武道の心得があるかのようだ。
 隙の無い佇まいはきっと護身術か何かを体得しているのだろうと如実に物語っていた。



「…ふむ。そうだね。済まなかった。此方の自己紹介を先にするのが礼儀というものか」



 …途端に後ろに控えていた金髪の女性から絶え間なく鋭い眼光を浴びせられる。
 何故か妙に刺々しい気がするが……。
 上司部下の関係? 尊敬している人が謝るのが気に食わないってとこか…。
 


「初めましてかな? 私は―――アルフレートという。どうぞ宜しく」

 丁寧にご自慢のシルクハットは手に持ち、恭しく礼をしてくれた。
 …キザっぽくていまいち好きになれなさそうな雰囲気……。
 ……異性の目から見たらさぞかし魅力的に映るんかね。
 ―――チラッと後ろ隣に控えている、彼女に目線を移す……別に他意はないぞ。



「…いえ。此方こそ宜しくお願いします。あの……不躾な質問ですが、貴方は私の知人か何かでしょうか? …もしかすると、もう聞き及んでいるかもしれませんが私は記憶喪失らしいのです。ですから、貴方に見覚えがない」

 アルフレートと名乗った男性は、顎の髭を摩りながら、伏し目がちに何かを思案している様に見える。
 鋭い瞳が揺らいだ。そんな気がした。



「……そうだね。一応君の保護―――」

「―――中将。そろそろお時間が……」

「……うん? ……もうか。仕方ない、か―――ジン・サトウ君、私は少し用事があってね。残念だが、今日はこれで失礼させて貰うよ。ああ、大丈夫明日また時間を取って会いに来る予定だ。勿論これよりは長くね」



「失礼する」と、そう言って二人は足早に去って行った。
 病室には隣にいた彼女が机に置いていった色とりどりの果物の盛り合わせだけが残されていた。
 ……まるで台風が去っていったかのようだ。

 一方的に語りかけ、此方の質問を一切聞きやしなかった。
 ……まあいい、どうせ夢だ。適当に明日にでもなればまた―――日常に戻れるさ。



「……本当に何なんだか。夢なのか。現実なのか。」

 手を伸ばして適当に見繕った果物を手に取る。



「―――夢はでも腹は減るのか……。」

 ただ一つ言えることは綺麗な赤色をした林檎は皮も果肉も少し硬くて齧ると口の中一杯に酸味が広がったってことだ―――。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第二章 拱手傍観 第二話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 13:42



 ―――手を伸ばす。

 一所懸命に、”イマ”をつかみ取る為に。

 ”ナニカ”に捕まっていなければ、直ぐに飲み込まれてしまうのだ。

 視界が無色透明に侵食され、少しずつ深い深い、海底に引きずられ込んでいく。

 …息も、瞬きも出来ずにただ藻掻くだけ。

 受け入れがたい現実。

 ―――ああ、誰かが俺を呼んでいる声が、する。

 そうだ。

 この声は何処かで聞き覚えがある?

 『―――助けて―――』

 助けを呼ぶ声が四方八方から反響して襲いかかってくる。

 縋る祈りは無視できない思いを滲ませ。

 俺を”シタ”に連れ去ろうとするんだ。












 Muv-Luv Inevitable 

 第二章 拱手傍観

 第二話












 1977年 11月30日 午後2時20分 東ドイツ 東ベルリン 国営病院 中庭ベンチ



「―――はぁ……」

 溜息しか出てこない。
 …本当にどうなっているのか。
 さっきからずっと同じ事を頭に思い浮かべていた。

 この冬に囲まれた病院での目覚めから早くも二日目の朝を迎え只今絶賛、中庭のベンチで一人頭を抱えていた。
 冷たい冷気も、今の俺には丁度いい。
 せめて頭を冷やさないと今にでも発狂しだしそうだ。
 病院内の看護師、医者、一般人に奇異の目を向けられているがそんなの知ったこっちゃない。



 ―――朝の日差しを迎えた時、視界に入ってきた風景は見慣れた自分の部屋では無く、昨日一日お世話になった見知らぬ病室だった。
 …っまた齟齬が発生する。
 見慣れた自分の部屋の情景など、一切ないのに。

 ………そう、いまだに夢から覚めていない。



 流石に何かがおかしいと頭の中で警報が鳴り始めていた。
 いや夢の中で夜を越すという事がもうすでに異常だった。
 
 ……記憶喪失というには、あまりに不可思議な症状。
 自らの名前以外の自己の情報は何も覚えてないが、付属される一般教養や知識は紛れも無く自分の中に確かに存在している。
 …これは本当に記憶喪失なのだろうか? タダの夢で今もまだ惰眠を貪っているのでは―――。






「……頭が可笑しい人間としか、周りからは思われないか…」



 ……いや、これも無駄な論議では無いか?
 何せ俺は記憶喪失なのだ。ならば可笑しい振る舞いが、正常なのでは?

 ―――糞っ。意味のない繰り返しじゃないか。
 答えないんて無い、堂々巡り。
 …記憶喪失なんてテレビの向こう側の話だと思っていたのに……。

 

 ………はぁ。そうだ。これも意味が解らない。
 テレビって何だよ? そんなもの一体何処にあるってんだ。
 …知らない知識。それとも忘れた知識。それとも―――ただの妄想か?

 大声で叫びたい衝動に駆られるが自分を無理やり抑えこむ。
 このままじゃ本当に精神病棟に連れていかれても全く不思議じゃない。
 ……それだけは絶対に御免だ。



 ―――未だ夢からの覚醒を果たせない。
 その葛藤に自分自身を端の方からガリガリと蝕まれていた。



 何もする気力が起きないまま、ぼうっとベンチで一人空を見上げ続ける。

 ……仰向けの顔面目掛けて白い雪の結晶が降り注ぐ。

 …雪が降りだしてきたか。



 ―――ズレている。
 何故かそんな気がしていた。…目を背け続けるのもそろそろ限界だ。
 何か考えてないと可笑しくなりそうだ。
 何でもいい、気が紛れるような事を。

 ―――今の状況でも順序立てて考えてみよう。
 可能性を1つずつ洗い出してみれば、最後に答えが残るかも知れない。



 自分は記憶喪失で今の記憶を妄想や想像で構成しているか。

 もしくは本当に精神が異常をきたしていて本格的に頭が可笑しくなっているか。

 一番現実的なのはここまでが全て夢で、ふと目覚めると全て元通りになっているか。



 ……駄目だな。どれも結局は受けだ、攻めていかなければ正解に辿りつける訳がない……。






 ……記憶を失う前の世界を確かに覚えている。

 ―――異星人に侵略された惑星なんてのは、有り得ない。
 そんなのは…スクリーンの中だけの話で―――。

 霧がかった不確かな現実だが、俺にとっての唯一の手かがり…。

 ―――集中しろ。思いだせ。
 思い浮かべるのは、自分ではなくその外の情景。

 内ではなく―――外。

 ノイズが走っていない部分だけを覗いて、引き出す。
 何億何兆と無造作に記憶が捨てられている、記憶の海から―――。



 平和で、人が皆笑顔に満ちあふれていた。

 戦争はあったが、比較的安定をしていた。
 
 便利な時代に進化していた。

 新しい時代の扉が開かれて、月に生命が発見され―――。
 
 …あれ? この時代には無いものが、いや有るもの―――?

 ―――ザザッ。

ノイズが、砂嵐が、殺到する。頭が割れんばかりに俺を打つ。



 ―――っ! …今のが限界ってやつか……。
 目眩が襲う。クラクラと意識がぼやける。
 …息を整えて、大きく息を吐き出す。
 新鮮な空気が肺を満たし、目を閉じて落ち着ける。






 ……冗談じゃない。こんなお伽話みたいな事が実際に在るわけないだろうが。
 記憶喪失で起きたら、知らない場所にいて、世界は滅亡の危機に瀕している。
 二流の脚本家が描いた、安っぽい物語だ。

 少しは冷静になれ……。現実的な方向で考えるんだ。



 ……現実、ね。
 記憶が無いのは真実。ならソレを受け入れるしか選択肢は残っていないじゃないか。
 こんな過酷な環境で生きる方法なんて知らないし。まず凍死してそのまま天国の直通便にご案内だろ。
 ……実感が湧かないのが、一番なのかもな……。
 突然、この世界は異星人の侵略あっています。しかも貴方は記憶喪失です。 
 …ときたもんだ。
 
 ―――情報は多角的に視点を変えて見なくては、真実なんて一生見えてこない。
 …大体、ずっとこんな所にいたら尚更頭が可笑しくなりそうだ。 
 洗脳を受けるみたいに染められるのは勘弁だ。



「―――糞っ。どうすれば良いんだよ……」

 何も解決方法を見出せず、無力感が全身を包み込む。

 袋小路に追い詰められた鼠みたいだ。
 鳴くことさえままならない、世界で最も非力な存在―――。



「―――おやおや。雪が降りしきる寒空のなか、一人ベンチで黄昏る青年。……主人公の造形がもう少し良かったらいい絵になるが」



 「コレでは三流物だな…」と独りごちる声…いちいち芝居掛かった言い回し。
 先日耳にした雑音が耳に届く。



「―――生まれ持った顔なので、仕方が無いと諦めて下さい。…ああ。後ついでにお引取り下さると助かります」

 雪を踏み鳴らす音が二つ―――。

「―――ハハハ。久し振りだ、うん? …数十時間振りかね。それにしてもジン少年はシャイなのかな? もっと自分に自身を持たなくては」

 ベンチに腰掛けたまま、嫌々振り返るとそこには、やっぱり昨日訪問してきた英国紳士風の男と…金髪の美人さんが立っていた。

「……すいません。つい本音が零れてしまいました。なにぶん記憶もままならない状態でして、礼儀も忘れてしまっているんですよね。―――貴方みたいに」

「っ貴様! 中将閣下に向かっ―――」

 ―――悪いが、今は相当に機嫌が悪いんだ。
 火に油を注ぐ真似はして欲しくない。我慢が効かないから―――。

「どなたか存じませんが、お帰りください。俺も暇ではないので」



 俺の言動が気に入らないのか。金髪の麗人は目を吊り上げ、激昂しながら足を進めて―――。

「―――アイリスディーナ君。今、少年は私と会話をしている」

 シルクハットを深く被り、表情が見えないシュトラハヴィッツ氏が片手で静止を掛けた。
 …平坦な冷たい声色の命令は、金髪さんには堪えたらしい。大人しく一歩後に下がる。
 ―――俺を睨み付けるのは忘れずに。



「…ふむ。そういえば昨日は詳しい自己紹介をしていなかったね……。改まして私は―――」



 国家人民軍東方総軍将校。

 ―――アルフレート・シュトラハヴィッツ中将。



 雪が一層―――降ってきた。









 ◇









 ―――幼い少女が楽しそうにくるくると回って戯れる姿。
 頭にしんしんと振りかかる粉雪など、眼中に無い様子ではしゃいでいる。
 寒さなど気にしない子供ならではの行動。

 暖かさそうな毛糸の帽子を深く被り、全身もダウンロングコートで覆い隠している少女。
 ブカブカの服装も彼女には関係無い。手をめいいっぱいに広げて喜びを表現していた。
 さぞかし雪が好きなご様子だ。


 
「―――ん? あれぇ? 何だろ?」

 ……いつも遊んでいる庭先で何やら見知らぬ足跡が奥の庭園に向けて続いている。

 ―――庭師のお爺さんは冬の間はお休みの筈。
 …お父様は寒いのが苦手で滅多に外に出ないのだ。
 使用人さん達もわざわざこの時期に庭に用事など無い。

 ……しかも、雪が降ったのは今朝方だ。まだ私以外にこのテリトリーに侵入などしていない。
 …というか、この庭は私のお気に入りなのは屋敷の人間には知れ渡っているのだ。
 意地悪な人が私の楽しみを奪ってやろうと、一面の雪を踏み鳴らしていったのだろうか?
 そうだとしたら決して許されるものでは無い。
 徹底抗議を申し入れる必要がある。
 朝一番の銀世界を最初に踏み鳴らす権利は私に有るのだから。

 うーんと唸声を上げながら、腕を組む。 
 ―――犯人はこの先で私を待ち構えているのかも知れない。
 …ならば挑戦に受けて立つのがチャンピオンの義務という事?

 先日行われた、私主催の雪合戦大会で王座の座を獲得。
 優勝賞品としてお父様から頂いたこの帽子に賭けて、私のテリトリーで勝手な行いは許さない。

 

 慎重に歩を進めていく事数分。
 庭園まで続いていた足跡は、途端にその姿を消していた。
 ……この先の足音は雪に埋もれてしまったのか? 
 それとも元の道を戻っていった?
 でも足跡は一つしか見当たらなかったし……。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、あれ? 
 …不自然に膨らんでいる雪原が見受けられた。
 ……丁度人一人分位の大きさなような気が……。

 警戒しながらその雪の膨らみに近づき、先ずは足で突付いてみる。
 ―――雪の中に何やら固い部分があるみたいだ。

「……誰ですか?」

 小さなか細い声で語りかける。
 ……呼応する声はしない。
 
 タダの思い過ごしかも知れない。
 この寒空の下で生き埋めの人間が埋まっている筈無い。
 しかも、私の家の敷地内でだ。

 ―――私だってシュトラハヴィッツ家の人間。
 お父様の様に勇猛果敢な血がこの体を流れている。
 …いやいや。怖がっている訳ではない。
 そうなのだ。

 意を決して、何があるのか確かめる為自らの手で雪を払いのけていく。

 ―――やっぱり何かこの下に埋まっている? 

 少しずつ雪の奥から黒いスーツが見え始めた。
 ……この時期にスーツが外に捨てられている?
 何故? 
 


 不安を拭い去る様に一生懸命掘り進めていくと―――そこには。

「―――人の顔だ……」

 驚きで頭が真っ白になってしまう。
 ああ、そうだ。
 お医者様を呼んで診てもらわないといけない。
 …それともお父様を呼んできたほうがいいのか?
 …ともかく早く暖を取らせて暖めないと―――。

 混乱した脳は、考えばかりで行動を起こさせようとしない。
 
 ―――とその時だった。

「…い? …せ………?」

 青ざめた顔の青年が、震える口で何かを訴えている。
 …なんて言っているのか分からない。
 でも―――。

 ―――勝手に口が動いていた。



「―――大丈夫だよ? 心配しないで?」

 …途端に頭が冷静さを取り戻す。
 まるでこの人を助けなければいけない使命に後押しされるかのように。



「…あ。……良、かった…」

 薄っすらと開けられた瞳は、一筋の涙を流す。
 そして―――彼は安心したかの様にゆっくりとまた瞼を閉じたのだ。

「―――必ず助けるよ―――」

 羽織っていたコートを彼に掛けて、その場を離れる。
 


 私―――カティア・シュトラハヴィッツは、後ろを振り向かず真っ直ぐに屋敷に向けて駈け出した。









 ◇









 1977年 11月30日 午後4時00分 東ドイツ 東ベルリン 国営病院 中庭



「―――とまあ。言ってしまえば私が君の命の恩人ってやつに相当するのかね」



 ……うんうんと一人我が物顔で頷くスーツの男性。
 信じたくないがこれ見よがしに突き付けられた入院費の借用書が真実を物語っている。

 …くそっ。口元がにやけているのが無性に腹立たしい。
 …しかし、一銭も所持していない無職はあまりにも無力だ。
 びた一文も所持していない。…うまい棒一本さえ購入が難しいとは。
 


「いやぁ。なに、別に金をせびりに来た訳じゃないよ? 何せ私、これでも結構給料が高いからね」

 誇らしげに胸を張る様までむかつく。
 …これを無意識にやっているのならある種の天才に認定してやる。
 嫌味が足を生やして歩いているかのようだ。

「…そうですか。で、じゃあ一体何の要件で俺に会いに来たんですか?」

 苛立ちを極力抑えながら、平静を装う。
 …そうだ。記憶喪失の無職を捕まえて何をさせるつもりだ?
 炭鉱に強制送還でもして金を稼がせるのか?

「……そうだね。君も気が長い性質じゃなさそうだ。ヒステリー気味の人間の対処法は迅速にだからね。…おやおや怖い顔して睨まないでくれよ。―――それでは早速本題に移ろうか?」

 ―――彼は手に持っていた借用書を目の前で迷いなく引き裂いた。
 細切れにされた紙片はパラパラと白い大地と混じって濡れていく。
 …端からそんな紙切れなどどうでもいいと言いたげに。

「―――サトウジン君で間違っていないかね? …君は今、中々に微妙な立場に置かれている」



 ―――っ何?
 


「…医師の診断も聞いている。記憶喪失らしいね? ……自分自身が分からないのは最大の恐怖だろう」

 そう前置きを放ってから、彼―――アルフレート・シュトラハヴィッツは懐からあのモノを差し出した。

 ―――見覚えのある。黒色の携帯電話と革の長財布。

 

 ……携帯電話? 
 あれ? 知っているよな?
 電話も出来て、メールも出来る現代の必需品だ。
 ―――いや、現代っていつのだ?

「……申し訳ないが、これは君を発見した時に所持していた代物だ。此方の黒い物体は使い方が分からなくてね。もしかすると故障しているのかもしれん……」

 立ち尽くす俺の手の平に、黒い携帯電話が手渡される。
 ―――そうだ。コレは叔母さんが、二十歳のお祝いにプレゼントしてくれた代物。
 最初はこんな高価なもの、悪いと返そうと思って―――。

 叔母さん? 
 そうだ。俺は―――。

 繰り返し、灰色のノイズが脳裏を掠める。
 砂塵を巻き上げる。その先を見えないように―――。

「―――っがぁ!?」

 脳が危険だと信号を送る。
 頭が割れんばかりに内側から警報を鳴らすのだ。



「……大丈夫かね? 顔色が悪いが……」

 見定める眼を向けられている。…危険人物だと思われたか?
 …いや、これは俺を視ていない―――?

「……いえ。続けて下さい。ちょっと立ち眩みがしただけです。…それよりその財布も?」

 俺のか?と目線で問いかける。
 するとYESと言いたげに口元を歪めて笑いかけてくる。
 
 革製の長財布を開くと、いつもの見慣れた紙幣、銀色と銅色の金貨が入っている。
 アルフレート氏はそれに目をくれず、一枚のカードを右手に持ち俺に見えるようにかざしてきた。
 
 ―――佐藤陣。俺の名前が印刷され、顔写真が入っている。
 これは。…自動車免許証か?

 ―――ジジっとノイズがまた首をもたげて待ち構えている。
 …努めて、頭で考えないように。
 意識を外しこれは何も可笑しくないと自らに言い聞かせる。

「―――ええ、それは俺ですね。しかし何も変な所は無いですよ?」

 そうだ。自動車なんて今では何処にでもあるじゃないか?
 それがどうして―――。

「そうだ。何も可笑しい所は無いね? ―――コレが日本語表記では無かったら」

 ―――え?

「そう、これは日本国の自動車免許証さ。ここにちゃんとそう印刷されている。だがこの国は日本では無いよ?」

 ―――あ? 日本? …そうか。俺は日本の人間だったのか?
 …そうだよ、此処は東ドイツだって医者が言っていたじゃないか?

 …………日本からドイツはどれ位離れているんだ?
 地球の反対側と言ってもいい位じゃないか……。



 「……おや? おお。コレで君の身元は判明した訳だ? じゃあ君は祖国に送り返せばいいんだけど―――」

「―――そう上手くはいかないんだよ」と溜息を吐く。
 真っ白い吐息は長く尾を引いて、周りの気温が一層冷え込み始めた事を教えてくれる。

 ―――ブルッと肩が震え、かじかんだ手が随分と体が冷えてきたのだと思わせられた。
 降りしきる雪は一向に止む気配も無く、これ以上コイツの話を聞くなと警告をするかのようだ。



「―――ふむ。随分と冷え込んできたかね。……もし良かったら続きは温かいコーヒーとご一緒にどうだろうか? ―――勿論、車は既に手配済みなんだが?」

「いかがかな?」なんて嘯く紳士はきっと英国紳士のなりぞこないだ。
 何せ、今まで黙っていた金髪美人さんはいつの間にか、後方に覗ける道路沿いに車を止めて待機していたのだから―――。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第二章 拱手傍観 第三話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/09 21:42



……嘘を平気な顔で吐くやつは決して信用出来無い。
現状の穴ぼこチーズみたいなこの脳みそでもそれくらいは断言できる。
―――何が温かいコーヒーをご馳走しようか? だ!
無駄に高級そうな車で連行されたのは―――。

「―――クソッ。騙された……」

見渡す限り一面の銀世界。
寒空など関係ないとばかりに、遥天空に瞬く満月。
その月光を反射する”巨人達”が眼前で、幻想空間を造り上げていた―――。









 ◇









―――唐突だが、君はタイムトラベルという現象を信じるかい?

言い方を変えれば、タイムスリップ。タイムワープ。タイムリープ。タイムトリップ。などとも言うね。
千差万別の呼び名があるが、すべからず要するに。

―――過去や未来へ移動する事を指す。



……ああそうだろう? 多分この話を聞けば大概の連中は名作タイム・マシンを例に上げるね。
勿論私も好きな小説だ。夢と希望が詰まった魔法の呪文だよ。

……まあ。エンターテイメントとしてだがね。

……だがね。もしも、もしもだ。
真面目な顔をして「タイムスリップが起こった!」なんて言ってみたまえ。
ウケを狙っているか、その頭を心配される。

それが例え高名な学者様だとしてもだ。
科学と妄想は違うと断罪され、学者は袋叩きにあうだろう? きっと周囲からはSF作家にでもなった方が良いと揶揄されること必須さ。
それほど、馬鹿馬鹿しく、現実離れしていて、面白い題材だ。

いくらドイツの科学力が世界一と歌われようが、中々に難しい技術だ。
世界に先駆け様々なモノを開発してきた我が祖国でもね。



―――しかし、考えてみて欲しい。
確かに途方も無い話とタイムトラベルを馬鹿にするだろうが、それは―――地球外生命体だってつい先日まで同じ扱いでは無かっただろうか?

……ああ、すまない。そうだ。君は初耳だったよね。



SFの一分野として親しまれてきたフィクションジャンルだがそれは現在、ノンフィクションだ。
1958年のあの日。―――米国、探査衛星ヴァイキング1号が火星で生物を発見。
それを引き金に人類の敵―――BETAの存在が公に晒される事になった。

BETA大戦。
現在進行形で行われる、人類史上初の地球外生物との戦争だ。
私自身ウクライナ防衛戦であの宿敵と相見えたが、初めてこの肉眼で姿を認めた時―――震えが止まらなかった。
……人を殺すことに慣れたこの殺人鬼でさえも、あの異形の化物の前ではちっぽけな人間でしかなかったのだ。
物量でさえも勝てないこの戦争に…勝機などあるのか、軍人になり初めて戦いで迷い、逃げ出したかった…。

人類が勢力を結集しても、互角に持ち込めるのかさえ怪しい。
―――それほどの差さ。
尚且つ此方側はあのBETAと戦う為の手段が、歴史の浅い兵器である戦術機しか残されていないのが最も痛い。
光線属種の存在によって航空戦力が無力化されたのだ。
今までの大半の戦力を占めている航空戦力がだ。

―――もう一度あの軍勢と矛を交えて必ず勝利を勝ち取れるかと投げかけられても……満足な返答ができないだろう。



……すまない。話が大分逸れてしまったな。
…………ああそうだ。タイムスリップの可能性の話だったね。

先に述べた口上の通り、今までフィクションだった宇宙外生命体が本物と断定されたんだ。
ならば決してタイムスリップだって、フィクションと嘲笑を受けることは無い筈さ。

…………ソ連が怪しい研究に手を染めているのだとて、寛容に受け入られるべきモノではないが、時代が変わったと誤魔化すしかないのかも知れない。
非現実的と一笑に伏す時代は終わりを告げ、ある意味―――人類は藁にもすがる思いと言えるのかもしれん。



…おや? 心外だね。何もただここまで無意味に個人の考えをつらつらと並べた訳ではないぞ?
ただ、可能性は皆無ではないという事を念頭に置いて貰いたいのだ。

―――うん、そうだ。勿論此処までの話を無理やり信じろと脅迫しても意味は無いさ。
だから、判断材料を君に上げようと思ってね。

僕が言うタイムスリップを信じて貰う為には、それと同等のモノを現物をその眼で収めないと納得など到底できないだろう?
…いやぁ流石に生のBETAを鑑賞させる訳にはいかないさ。
本物を見るなら大陸の凄惨な戦場に引き連れていかないといけないからね。
残念な事に近場で”アレ”を見ることは未だに叶わない。……もしも見れるようになったらこの国の滅亡が秒読みだろうがね……。

だから―――。



     君に戦術機を見せてあげよう。



1977年 11月30日 午後5時45分 東ドイツ 東ベルリン 国道 車内












 Muv-Luv Inevitable 
 
 第二章 拱手傍観

 第三話












―――数えるとつい一時間程前の出来事だった。

「どうぞ」と助手席に案内され嫌々ながらに命令に従う善良市民が一人。
後方から威圧的な視線を浴びせる、従者様をなるべく意識しないようにだ。
いそいそと車にのりこむ。すると、ついでとばかりに横から投げて寄越された缶コーヒーが一本。
冷え切ったそいつでは、全く心も体も…暖まりゃしなそうだ。

「……あのコーヒーってこれですか?」

コーヒーの銘柄は見たことのないデザイン。ドイツであしらわれた単色なコーヒーの文字だけ。

抗議の意志を込めて睨む様に隣の運転席に乗り込んだアルフレート氏に視線を向けた。
……ん? あれ? そいうえばこの人って確か中将だよな?何で自分で運転してんだ……。自称軍のお偉いさんが?

「―――っ中将!? 運転は私が!」

「いやいや。ここはおじさんに任せて、任せて。―――流石に若者に暴れられるのを制するのは、ご老体には難しいからさ」

「ですが! …………っ、はぁ。分かりました。……お任せします」

……何か危ない単語が飛び交っている気がする。
主に俺の身について。置いてきぼりを喰らっているのはきっと気のせいではない筈。俺とてそこまで鈍感ではない。



「いやだから、コーヒー飲みながら話をするんじゃ無かったんですか?」

再三の質問を投げかけるが、帰ってくる答は的はずれなモノばかり。

「ああそうだとも。だから今しがた渡しただろう?」

「―――コーヒーを」と清々しい笑みで一言。
―――ああ、めっちゃムカつくな。オイ。
詐欺もいいトコだぞ。普通あの言い回しは喫茶店でHOTだろうが……。



「フッ。そうカッカしなさんな。少年。ただ私は君と純粋にお喋りがしたいだけさ」

そう言い終えると、胸元のポケットから黒のサングラスを取り出し、キザったらしく装着。
その姿は真っ黒なスーツと合わさってさながらカタギの人間には見えない。



「さて―――唐突だが、君はタイムトラベルという現象を信じるかい?」

…訂正しよう。その姿はまるで―――。



―――某映画であるメンイン○ラックの構成員だ。



1977年 11月30日 午後6時00分 東ドイツ 東ベルリン 国道 車内









 ◇









1977年 11月30日 午後6時20分 東ドイツ 東ベルリン 国道 車内



「……すいません。下らない戯言に付き合ってられる程暇ではないので。……失礼します」

……語り始めた物語はどれも退屈極まりないモノ。
タイムスリップ? 突然何を話し始めたかと思いきや妄想の類ときたもんだ。
いくら俺が記憶喪失でこの時代の事を、綺麗サッパリ忘れているかと言えども余りにも馬鹿にし過ぎている。
……BETAってやつが本当に実在してるならさっさと目の前まで連れて来れば事足りるじゃないか。
それならお前らのいう真実とやらを信じてやってもいいいがね。

―――人の弱みに付け込んで何が楽しいのか?
もしタイムスリップが実在してるっていうなら、何か? 俺は過去OR未来からやってきましたってか。



「……いやだから、戦術機を間近で見せて上げるからそれで勘弁して欲しいと思ってね?」

「馬鹿にしてんですか。たかがハリボテを見せてもらっても嬉しくもなんとも無いです」

「……ふむ。じゃあどうしても帰ると?」

「当たり前です」

「……全長18メートルを優に超える巨大兵器だ。まさに”人類の刃”、人類の叡智の結晶と呼ばれる代物さ。判断材料には成り得る思うが……?」

「っ―――それが何の証明になるんですか? 宇宙外生命体ならともかく、巨大ロボットなんていくらでも偽装できそうですがね」

―――嘘だ。俺の”知識”にはそんなモノ存在していない。そうBETAと同じく……。
……一般常識は知覚できる。ならこの世界の常識―――戦術機・BETAは俺にとって、常識では無い?



「……そうか。…残念だが。―――実力行使といこうか」

「―――了解」



っ、首筋に冷たい感触が押し付けられる。
感触からして丸い筒状のもので―――。

「―――動くな。抵抗をすれば安全は保証されない」

先ほどまでの会話に一切介入しなかった、金髪の彼女の仕業ようだ。
初めて会った時のような、温かみのある声では無く。
―――ただただ底冷えする程に、冷たかった。



「……っえ」

後ろを確認しようと、車内に備え付けられたルームミラー越しに見えたのは。

……漆黒の拳銃を・首筋に押し付けれた・紛れも無い・俺自身・だった。



「……あ、な。これ……」

……恐怖からか途端に上手く喋れなくなる。


幾つもの思考が頭を支配。
……これは偽物じゃないのか?
……いやだって軍人と名乗っていたぞ?
……だが本物だって証拠が無いが? 
……でもこの拳銃が本物じゃないって証拠は何処にある?

―――おいおい。これも夢の延長じゃないのか? なあ”俺”?



喉を唾が嚥下する音。現実感の感じ無いシチュエーションはまるで映像を見せられているかのようだ。
…何か発しなければいけない。そう分かっている。
足りてない脳みそを総動員させ、状況を打破する妙案に辿りつかなくては身の安全さえも怪しい。
―――導きだされた第一声は。

「……馬鹿げてる」

「…何?」

口を出たのは挑発の調べ。……何、自暴自棄になってしまった訳じゃない。
一瞬の間で考えぬいた結論は―――受動だ。

……いちいち考えるな。受け入れるしかないじゃないか。
記憶喪失だけが、現在俺の信じる唯一の”本当”。
なら―――この眼で、自分自身で、事の真相を確認すればいい。
ご丁寧にも、この連中は俺にそれを確認できるチャンスをくれるときたもんだ。
……渡りに船じゃないか。

「……分かりました。その戦術機とやらを見せれば気がすむんですね?」

「…おや? ふむ。どんな心境の変化か分からんが、いずれにせよ。…此方にとってはプラスか……」



「…さっさと会わせて下さいよ? その戦術機とかいう」

―――人類の叡智の結晶とやらにさ?









   ◇









1977年 11月30日 午後11時45分 東ドイツ 東ベルリン シュトラハヴィッツ家邸宅



「……タイムスリップか」

月明かりが照らす一室。アルフレート・シュトラハヴィッツはいまだに雪がちらつく庭園を遠い目で眺めながら、年季の入った高級ワインに舌鼓をうっていた。

思い返すのは件の青年について。
―――一年前突然現れた来訪者は奇遇にも一年間という月日を経て目覚める事になった。世話を命じていた部下からの一報により手を回して、早急に面会の機を得る事に成功。
……だが期待と裏腹に、彼は一切の記憶を失っている状態であった。



「……2001年」

遺留品である財布から見つかったのは、ごく普通の自動車免許証と紙幣・金貨。
日本語表記である以外に可笑しい所などは無いと思われた。別に表記が何語で有ろうとも、このご時世だ。特に疑問を持つ点ではありはしない。
国連軍にだって日本人くらい山のように在籍していると容易に考えられるからだ。
しかし―――。

「現在このような形式の紙幣・金貨は流通しておらず……。年号も印刷ミスなのか不明。精度も不正コピーとは思えない……」

……面白い事に調べが進むにつれて合致しない部分が露呈し始める。まず、日本国の法定通貨は彼の所持していたものとは形式デザインが異なり本物では無いと断定された。
―――しかし、その本物を上回る精度の偽造防止技術が施されていたのだ。

……ただの偽造通貨と異端の判を押すには余りにも逸脱している。だいたい本物とは形式が違くては偽造を行う意味が無いでは無い。本末転倒としか思えない。

この時点で拭い切れない疑問が幾つも頭をもたげ始めていた。年号のミスもただの偶然にしては出来過ぎている。

勿論、免許証も同じくであった。形式の不一致、年号の間違いとだ。……だが私が一番気になったのは―――。

「……携帯電話。あれが電話機器の一種だとはな……」

そう例の黒い機械である。あれが電話機器の一種だと彼から説明を受けて驚愕のは今でも鮮明に思い返せる。何せあの大きさで電話やメール、果てはインターネットなるものが可能というから驚きだ。
なんでもインターネット・プロトコル技術を利用して相互接続されたコンピュータネットワークと呼ばれる代物だそうだ。
……そんな代物、現在の世界には存在しないが、彼はソレを日常的に利用していたとなんとはなしに喋っていた。しかもそれが彼にしてみれば一般常識だというから尚更奇異であった。

……なるほど。彼の立場的にはBETA、戦術機が私視点のインターネット、携帯電話だということだ。
饒舌に知識を語る彼の姿は、そこら辺にいる学者などを遥に凌駕した学力を有している風に見えたのは間違いではないだろう。記憶を失う前はさぞかし高名な人間であったと推察できた。






「―――さて、彼の処遇をどうすか、か……」

残ったワインを一気に煽って飲み下す。ちょうどいい具合に酔いに体を預けた方がこういう案件にとって最良の結果を生むものだ。
―――未来人についての案件など生まれて初めて裁くのだから。

「―――日本国に送り返すとしても、その後がな」

一応の成果として彼の住所からその所在を確認した。……だが結果惨敗、そんな人間は存在していないと報告が上がってきたのだ。
横浜とやらの土地には彼の生家は見つからず、その親族さえ影も形もなかったそうだ。
多分このまま送り返しても、決して良い結果にはならないだろう……。
…………いやそれよりもまず、彼を―――。

「―――送り届けられるかかね。上手い具合に行けば何とかと言った所だが……」

この国の情勢は決して良好では無い。それでも渡りをつければ日本まで送ることは可能だ。
……しかし現実的では無い。今この時期に私が不用意な動きを見せればそれは―――直結的に死を意味する……。

おまけに彼の身も危なくなる可能性とて一概には否定できない。あの連中は加減を知らない生き物だ。私の関係者を思い込めばそれだけでターゲットの仲間入りになるだろう。

然らば、ほとぼりが冷める間この屋敷で匿うのが定石と言った所か……。

―――とまあ色々と建前を並べて、白状すれば、個人的にも彼には多大な興味を寄せている。
突然警備の厳重な我が屋敷に現れたのも不可解であるし、目覚めてからの言動、その所持品全てが私の認識の一線を画する。

冷静に考えるなら日本人の旅行者か、国連軍の人間といった所が妥当か?
しかし―――私はどうしてもそう思えないのだ。

頭が沸いてると思われても仕方が無い。だが期待してしまった。彼に、その特異性に。
……娘を亡命させる一日前に現れたその縁。
……パレオロゴス作戦が決定する一日前に眼を覚ましたその縁。
全てが偶然にしては余りに出来過ぎて、一種の物語の主人公を彷彿とさせる。






然り。彼、佐藤陣は―――未来からの来訪者なのだと思い込むに至っていたのだ。
英雄とは人とは別なる”モノ”持たなくては立脚できない。
この国はそれが絶望的に足りていないのだ。
……所詮私はその代用品として価値も無い。

もしかすると、その可能性がある依代が今私の目の前に落ちてきたのでは無いのかと。
そんな下衆な思考に支配されていたのは、私自身気がついて無かったのかも知れない。
だから、この手から離すには惜しいと知らず打算に塗れた考えに基づいて行動を開始していた。



「…少年……君は……? ―――一体何者なんだ?」





[30964] Muv-Luv Inevitable 第二章 拱手傍観 第四話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2012/01/10 21:54



1977年 11月30日 午後12時00分 東ドイツ 東ベルリン シュトラハヴィッツ家邸宅



体を縮こませ、自らの存在を守るかのように毛布を被り、耳を塞ぎ、眼を閉じて、荒い呼吸を繰り返す。
内から響く早鐘を連想させる心臓の鼓動が嫌に鼓膜にこびり付いた。

「……此処は何処だ? ……俺は誰だ?」

小声で呟く怨嗟の声。きつく食いしばった歯がギリッと歯軋りを奏でる。
―――何故自分が憂き目に合わなくてはいけないのか?
呪うのは境遇では無く、理不尽な運命。
言い換えれば……居るのか居ないのかさえ、あやふやな神様という奴に対して。
別段、宗教に殉じていた訳ではないが、人間追い詰められれば最後に理不尽をぶつけるのは人ではなくその上の存在だ。
都合の良い時だけ、神の存在を否定しないのはまさに人間らしいと言えるのかも知れない。

「……BETA。……戦術機。……異星起源種との戦争」

1つずつ口を劈く言葉はまるで、いやまさに、暇を持て余した時に活躍する娯楽としての一種。
三流SF物として、親しまれてきたかのようなフレーズだ。
しかし―――実際にはフィクションでは無い。
現存する、現実に動きまわる―――ノンフィクション。



「…俺は認めない……」現実を直視したくない―――思い出したくもない、浅い記憶が、強大な有無を言わせない威圧感を持ち、鮮明に瞼の裏に描かれていく。

―――それは、巨大な機械の塊だった。神話の巨神兵を思い起こされるそのディテールは、神との戦争をしているのかと、勝手な妄想を膨らませるには十分事足りていた。
くすんだ灰色の迷彩を施された”ソレ”は見る者を圧倒する存在感を放ち、人類の叡智の結晶と呼ばれるに相応しい。
白の丘から望める景色には、数えて数十もの巨神兵達が片足を跪き列を創る姿が並ぶ。
右手に盾を、左手にその身に相応しい巨大な銃を持つ。頭部から突きでる触覚は、唯一人の造形をしながら人たらしめない異端が映える。

まず疑問に思ったのが、ただの置物だは無いのか? という問い。
…現代の科学技術結集させればこの程度の玩具、製造可能ではないか?
……そうだとも。二足歩行が最大の弱点だと言われていた巨大ロボットだ。歩いて立っている訳では無いこの玩具は所詮置物でしかない。見るからに上半身の重量をあの下半身で支えられるとは到底思えない。

―――と、自らに言い訳がましい言葉で騙していた。……それくらいこの男の思慮の外だとは簡単に納得できるものでは無い、と。

「……さて、楽しい楽しい、ショータイムの時間だぞ?」そう隣の席で時計を確認していた元凶の男が鬨の声を上げる。……一体誰に向けて発せられた言葉なのか、想像しなくても最早結論は出ていた。
―――そう、この俺に対して。無知な記憶喪失者に対してだ。



―――巨神兵達が、いや……”戦術機”が炉に火を灯す。人間に相当するであろう眼から淡いオレンジ色の光を発光、次いで順番に肩の発光板、脚の発光板と色を灯す。
まるで生命を吹き込まれ、今この時、さあ動き出さんとしているかのようで―――。



―――毛布で構成された小さなテリトリーで必死に首を横に振る。認められないのだ。存在が、認めてしまったら即ちそれは。
……この世界の常識を、悪夢を、許容する事に他ならない。

……ああそうだ、夢だったろこれは? ならささっと目を閉じて、意識を絶って、いつものベッドで目を覚めさなきゃいけない。
そうすれば、こんな御伽話とお別れを告げられるさ。記憶喪失だって寝ぼけてるだけ。
さあ。もういいだろ? 疲れたろ? ―――いい加減に夢は腹いっぱいだろ?

一段と体を縮こまる。この僅かな空間が俺に許されたこの夢での安息の地。
―――ナニカに怯えるかのように、小さく、小さく。



「―――そうさ。……明日の授業に差し支えが無いように―――」

……知らず、口ずさんだ言の葉は、無意識で。
安寧に微睡み始めた壊れかけの記憶装置は機能を失っていた。
トクンと胸を打つ、心臓とは別の器官があたかも存在して―――。












Muv-Luv Inevitable 
 
第二章 拱手傍観

第四話












雪が溶け、春の麗かな日差しが庭園を満たす。
こげ茶色で木製のリクライニングチェアに腰掛けている男性。
その側に置かれたテーブルの上、白いティーカップに注がれた透き通った薄紅色の紅茶は芳しい香りを立ち昇らせている。

「……もしかして今日のっていつもと違います?」

後方の柱を背にして佇む、給仕姿の使用人さんに声を掛ける。

「はい、その通りでございますジン様。今日の紅茶は…アイリス様がお気に入りである茶葉をお使い致しております」

厳かに口を開き、その薀蓄を披露するかと思われたがどうやら今日は趣が違うらしい。
声だけで判断するなら、通常通りだが……きっと予想通りにニヤけた口元を讃えているに違いない。

「……なるほどね。…今日はベルンハルトご兄弟が遣って来る日でしたか」

「はぁ」と溜息を付いたのは、まあ不可抗力というやつなので仕様がない。
…顔を合わせる度に、喧嘩腰で相対されればいくら温和で通っているこの俺とて我慢の限界だ。

「…じゃあ今日は一日。書斎に篭って読書にでも勤しみます」

上品な香りをめいいっぱいに堪能してから、紅茶を口に含む。
―――ああ、やっぱり悔しいがあの金髪のセンスは俺に近いらしい。味がモロ俺ごのみなのが少し悔しい。

「いけません、ジン様。旦那様がきっと悲しまれますよ?」

平坦な声で告げる偽造された事実を右から左に受け流し、知らんふりを決め込んだ。
余計な反応をすればするほど、この家の連中は嬉々として騒動に発展されるのだ。この冷静沈着を装っている給仕さんとて例外ではない……主人に似た人材が密集しているのは客人の立場の俺にはきつい。

「……それにしても、最近は良く訪問する機会が多くなってきましたね? 以前はそれ程では……」

「そうですね。きっと―――戦争が近づいてきておるのかも知れません、まあ、平民の私達には未だ関係無いお話かも知れませんが」

「…戦争ですか」



―――音を立てて忍び寄る、火種。目の鼻の先、モスクワ街道の中心にはミンスクハイヴが今も胎動を続けている。緊急を要する現状に現在周辺各国は一大反抗作戦を計画しているのではと巷でも実しやかに噂されているのだ。
…現在の状況を鑑みれば、それが噂ではなく真実だと素人でも分かるというのに。
欧州の人口密集地がBETAの直接脅威に晒されているのだから。……きっとこの東ドイツも人事だと笑っていられないのだろう。

「―――紅茶ご馳走様でした。とても美味しかったです」

お礼を述べて、席を立つ。日が傾いてきた。そろそろ良い頃合いだろう。早いとこ書斎に閉じこもって隠れていたほうが得策だ。

「お粗末様でございました」

深々と礼をしてくれている彼女に対して申し訳ない気持ちになる。所詮俺は―――ただの居候だというのに礼を重んじてくれるのが心苦しい。

……今までの経験から、礼を返さずに手を上げて感謝の意を述べる。此方が礼を返すのは何やら彼女達からするとあまり宜しい行為では無いらしい。
一度、使用人と主人の差異を口煩く説教されたのだ。



玄関に差し掛かる前に鎮座している巨木を見上げた。
ポツポツと新しい木々の芽吹きが咲き誇ろうとしていた。緑色の葉も瑞々しくもあり眩しい。自然の力をまじまじと間近で魅せ付けさせられる。

―――早、四ヶ月の歳月が過ぎ去ろうとしていた。



1978年 3月30日 午後5時30分 東ドイツ 東ベルリン シュトラハヴィッツ家邸宅









   ◇









歴史が変化したのは、第二次世界大戦終結からだと確信に至った。
1994年日本帝国は条件付き降伏をするも、大戦中から顕著化した東西イデオロギー対立による戦後冷戦構造に即時組み入れられ、米国の最重要同盟国として戦後復興を遂げる。
そして、史実とは異なり、日本には原爆は投下されなかった。代わりに―――此処、ベルリンに落とされている。
そう原爆が広島、長崎では無く此処ドイツの首都ベルリンに落とされたのだ。
多分、此処が歴史のターニングポイント。
知識上では、確かに日本に対して原爆の悲劇が起こされた。

1950年欧米共同の系外惑星探査プロジェクト・ダイダロス計画がスタート。
そうあのダイダロス計画、英国惑星間協会 (BIS) が1973年から1978年にかけて行っていた恒星間を航行する無人宇宙船の研究計画がだ。
前倒しどころの話ではない。簡単に言ってしまえばその頃から宇宙に進出出来る技術が存在したということ。
……俺の知っている科学技術が約25年も早く開発、運用の段階まで行っていたという事実。

そして年がかさむ程、その技術レベルの高さがハッキリと分かり始める。
たった一年進むだけで、数十年間掛かっていたモノが出来上がっているのだ。恐ろしい発展スピードだ。

1950年から1958年までで無人大型探査機「イカロスⅠ」建造。大型軌道ステーション「ホープⅡ」打ち上げときたもんだ。
オーバーテクノロジーと言っても差し支え無いインフレ具合。

1958年―――米国、探査衛星ヴァイキング1号が火星で生物を発見画像送信の直後に通信不能となる。
その後、相次いで火星探査計画が浮上する。
―――此処で初めて、異星起源種BETAの存在が確認される。
初めて人類が地球外生命体との邂逅。きっとこの瞬間地球の人間達は歓喜しただろう。
未知との遭遇は恐怖もあるが好奇心が勝る。

この後、様々な方式でコンタクトの方法が考えられた。
火星表面の巨大建造物発見により火星生命が知的生命体である可能性が示唆され、コミュニケーション方法を確立する目的の研究が開始されるなど、人類のボルテージも最高潮だったろうと想像に難くない。
きっと俺がその場に立ち会わせていたならば、同じような反応をしていただろうから。

そして時を刻む事1967年。月面、サクロボスコ事件勃発。
国際恒久月面基地「プラトー1」の地質探査チームが、サクロボスコクレーターを調査中に、火星の生命体と同種の存在を発見、その後消息を絶つ。
しかして第一次月面戦争勃発。
人類史上、初の地球外生物と人類との接触及び戦争(BETA大戦)の始まりだった。

この時異星起源種がBETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race――『人類に敵対的な地球外起源生命』と命名されたと記述されている。
奇しくも地球外生命体は人類に仇なす異星起源種だったという現実。

1967年から現在1978年までBETAとの戦争、殺し合いは終止符を打たれてはおらず。
戦況は日々人類側が押されている。






「―――ふう。少し疲れたな……」

目頭を指で解しなら、手に持っていた分厚い本を本棚に戻す。
部屋の調度に合わさった古時計に視線を移すと、針がふたコマ進んでいた。2時間程度ぶっ通しで書物に目を通していた計算になる。
我ながら恐ろしいまでの集中力だ。周りの雑音も一切耳に入らなくなる。

ここ三ヶ月の主な行動は書斎に閉じこもっての歴史書漁り。
記憶が足りないのなら、新たに書きたしていけばいいと結論を自分の中で出したのだ。
今は前に進むしか道は無いと。

……なんて、まあ。
……正直に恥ずかしい話をすると、戦術機を己の眼で認識した後、一週間程部屋から出られなかった。
現実に目を向けるのが恐ろしく、逃げ出したかったから。
用意される飯に一切口を付けず、断食を行なっていた。一睡もせず、眠る事さえ恐怖を感じるようになってしまい。……廃人に成り欠けていた。

―――死んでしまった方が楽になれるのでは?
頭を掠める誘惑に駆られて、キッチンに収納されているナイフを持ち出し自傷行為に走った。
……が、焼けるような痛みと傷口から溢れてくる真っ赤な血。
…所詮自殺出来る程の胆力も無い男だ。動脈を切って死ぬことも、首を釣って死ぬことも、怖くて出来なかった。
躊躇してしまう両の手が憎く、哀れで仕方なかった。そして初めて記憶喪失になってから泣いた。
…泣き方さえも忘れていたのか。餓鬼のように助けを請い、叫び、手を伸ばした。

何日間泣き続けていたのか? 日にちの感覚が無くなる程泣いた後、同仕様もなく自分が恥ずかしくなったのだ。
いい歳した男が今迄一体何をしていた? 現況を把握する努力はしたのか? 打開策を練ったのか?
…第一、今生きていられるのは誰のお陰だ?



―――何日振りに顔を合わせたのか。それさえもあやふやであったが、俺は初めて記憶喪失になってから自ら前に進んだ。
アルフレート・シュトラハヴィッツ。俺を生かして、この世界の真実を伝えてくれた人。
記憶喪失であった不審者に手を差し伸べて、それを許容していた人。

あの日充てがわれた部屋から出てきた俺に対して、まるで日常的に存在していたかのように、朝食のテーブルに座っていたのだ、彼は。
「おお、少年。おはよう」と陽気挨拶をかまし、俺はポカンした顔しか出来なかった。

まるで謝罪の言葉も、感謝の言葉も必要ないと言いたげに朝食はパンか、コーンフレークかと訪ねてきた。
ああ牛乳はイケる口かね? と嫌味を乗せるのは忘れずに。

その問に対し、俺は―――。

「―――白米派です」と口元を歪めて返したのだ。









   ◇









「―――成る程、最近は特に中央が騒がしいか。…ありがとうベルンハルト少佐。貴重な情報だ」

「―――いえ。中将閣下。お役に立てず申し訳ございません。例の国家保安省の動きまでは詳細には得られませんでしたので」

「そんな事は決して無い、これから我々がどの様に動いていかねばならぬか。その大義名分を見出す可能性が出てきた」

「はっ! ありがとうございます! …ですが、未だに確固たる証拠は見つかっておりません。粗探しも中々に難航を極めております。腐っても国家保安省の肩書きを持つだけはありますね」

「ふむ…。戦術機の率先的導入を急がれているのも彼らの尽力が大きいからな。如何とも能力は高いさ」

「…そうですね。彼らがもっと道徳を重んじる組織であれば……いや詮なき事ですか」

「しょうが無い。彼らには彼らの道理があるのだろうさ。それが保身と利己のみだとしてもね」

「…………」

「……そういえば、アイリスの姿が見当たらないな。ベルンハルト君?」

「…っ? ああ。妹でしたら、きっと噂の彼に会いに行っているのでしょう」

「―――っく。ふふふ。そうか、そうか。暇を持て余して、我慢が出来なくなったか」

「はぁ。中将閣下……。あまりあやつをからかわないでやって下さい。ああ見えて責任感が強い奴なので……」

「いやいや。青春良きかな、だよ。このご時世だ。心残りがある方が仕方がないと言うやつだ」

「…だといいのですが。」



「―――いやぁ。若いって素晴らしい。精々迷えよ少年少女達よ?」




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.279476165771