見渡す限りの全ては黒炎に支配されていた。
鮮やかな夕焼けに染まった朱色に滲んだ赤色が溶けて混ざって映し出される。
そこは見るからに市街地であった面影が垣間見える。
ボロボロに荒廃しようとも面影までは無くす事は不可能であった。
人々が日常の営みを送っていたであろうごく普通の街。
いまや一つの人影も見当たらず、瓦礫の山と黒煙が無常に佇んでいるのみ。
Muv-Luv inevitable
第一章 悲憤慷慨
第一話
見覚えなどない、知らない景色だなぁとぼんやり取り留めのない言葉を頭に浮かべていた。
現状を整理しようとしても人間の核である脳が一切働かない、まるで自分の脳みそがグチョグチョにシェイクされてしまったかのようなのだ。
それにしてもなんだか随分と高いとこから見下ろしているみたいだ、なんて、見慣れた自らの背の高さからの風景とは全く別物に感じていた。
未だ睡魔から覚醒を果たしていない目を瞼ををしばたたくせる。
俺は一体全体何処で力尽き、寝てしまったのか?
(―――昨日は宴会が終わった後どうしたんだっけか? えーと、確かタクシー捕まえてから……)
―――全く、思い出せん……。
マンションのベランダででも寝ちまったのか、俺は。
にしては肌寒くないな。
この季節、夜間の外は極寒のはずだが……。
うーんと唸り声を上げながら、手を組んで天高く突き上げる。
すると腕からだけじゃなく背中からもバキバキと小刻みな音が鳴り、何となく肩が軽くなった気がした。
筋肉こってんなぁ、あー無理な体制で寝てたのかね……。
…………にしても凄かったなぁアレは。
あー……何ていったけ?
……ああそうだ……。
―――狂犬だ。
まさかこの酒豪と仲間内から称される俺を意図も簡単に打ち倒すとは……。
暫しの間、昨日の記憶の糸を辿りながら簡単なストレッチをこなす。
そして後ろにあった背もたれに勢い良く乗りかかった。
……ん? 背もたれ?
「―――っぁえ?」
抜け落ちていた現実感が一斉に戻ってくる。
耳に入る無機質な機械音と断続的な地響き。
『CPから各戦術機部隊に伝達! 別働隊のBETA群は地下を移動し進行中だった模様! 再度武装と配置の確認を求む!』
(あ? 何だって?)
……可笑しいぞ。何処だ此処?
……無線の声か? これって?
―――コックピット?
瞬間、思考が停止した。
もしやゲームの筐体にでも乗ったまま惰眠を貪ってたのか……。
もういい大人が……恥ずかしすぎるだろうが。情けない。
『ラウンド大隊全機に伝達! 全員聞いていたな! 愛しの恋人共がお出でになるぞ! 残弾及び燃料を確認しておけ! 各機前線を維持し展開。その後は各機の判断に任せる!』
隊長らしき壮年の男が突如眼前に出現し、喋り始める。
―――そして追随し何もない空間から何十個ものモニターが並び出した。
白人。黒人。東洋人。
様々な肌の色、年齢がバラバラな男女が真っ直ぐに此方を見据えている。
『『『『『『了解!』』』』』』
(……おいおい、ノリノリだなぁコイツら。 いい歳こいて戦争ごっこかよ)
二日酔いの行為症からかズキズキ痛む頭を摩りながら一人苦笑を浮かべてた。
久しぶりに浴びるように酒を飲んだからだろうか。
ていうか正に浴びた。酒を頭から。
……にしてもスゲーリアルなコックピットだな、空中にモニター出現したよおい。
ゲーセンの箱物筐体っていやぁ確かバルジャーノンだよな。
あれってこんなに本格的だったけか?
しかも物凄くハイテクチックな仕様ぽいし相当な金掛かってんだろうなぁ。
……まぁ随分ゲーセンやらの娯楽とは遠ざかっていたし、最近の技術の進歩ってやつは一概に馬鹿にできんと聞く……。
『―――佐藤大尉! 返信が無かった様だがどうかしたか?』
(……おぅ、先刻の隊長っぽい人に声掛けられたぞ。うーん一応ノリを合わせないと失礼だよなぁ多分)
「―――いえ、隊長! 此方は特に問題有りません」
『そうか。了解した―――貴官には期待しているぞ』
ノイズ混じりの無線が途絶え眼前に映っていた画面ウィンドが同時に消失した。
(はぁーすげぇな。最近のゲーセンって)
おおかた酔っ払ってゲーセンに迷い込んだのであろうか?
考えたくもないが若くして夢遊病かね。
……はぁ、歳は無駄にとりたくはないなぁ。
にしても何故ゲーセンでしかもバルジャーノンか……。
いや、高校時代はよく入り浸っていたしなぁ。……昔の習性かねぇ。
欠伸を二度繰り返し、何となく今自分が置かれている状況を理解し始める。
(えーと多分コレが機体本体の操作用でコレが武器のトリガーっと)
―――スラスラと難なく機体の操作方法が頭に浮かんでくる。
どことなく違和感を感じなくも無いがきっと昔の記憶が蘇っているんだと納得しとこう。
さっきから碌でも無い考えしか浮かばないし。
昔遊び親しんだ型遅れのバルジャーノンに近い構造で流石に基本的な操作方法までは一新されてないみたいで助かった。
『―――大隊全機傾注! ……箱舟は無事飛び去った。我らの任務は遂行されたも同然である。残すはバビロン作戦のみだ』
恐らくチーム戦の前哨戦があったらしい。
良く周りの機体を見渡すと全体的に装甲や部位が破損しているモノが多い。
ルールは持久戦とかなのだろうか?
『―――貴官らは地球を救いし英雄として語り継がれるであろう。 いいか最後の命令だ。―――必ず生きて帰還するぞ』
―――俄に地鳴りが激しくなる。一段と決定的に。
今しがたまで瓦礫しか一望できなかった地平線が徐々に歪に蜂起していく。
その様は黒い津波が押し寄せているようだった。
―――ここは海上では決して無い、然らば海が見渡せる浜辺でも無かった。
(……おいおい懐かしの青春の1ページが間違ってなきゃ、バルジャーノンって対人ゲーじゃ無かったけか……)
―――彼は知る由もない、コレがゲームの範疇に当てはまる事など永遠に訪れはしないと。
『―――っ総員、突撃ぃぃぃぃいいい!!!』
一切の乱れの無かった隊列から一機また一機と黒い津波を目掛けて我先にと駆けていく。
―――補給は十分では無い。
拠点防衛を主に戦闘を繰り広げ、予備の弾倉も使い切っていた機体が大半を占めていた。
退路は途絶えまさに背水の陣であったのだ。
ならば答えは近接戦闘だ。
残された武装を使い生き残る道は片道切符の突撃しか彼らには選択肢は存在しない。
「……っと不味いよな、一人だけ静観なんて。期待通りに空気を読むかね……。んじゃまーいっちょ行きますか!」
足元のペダルを思い切り踏み込み跳躍ユニットを最大点火、瞬時のうちに視界に映る映像が次々と加速度的に後方に流れていく。
「っうおぉぉぉ!!!」
機体制御などのお構いなしの変態加速は相乗的にコックピット内に掛かるGも増大させていた。
(こ、こんな所も無駄にリアルなのかぁぁぁぁああよぉぉぉおお!!!)
―――本来対BETA戦での戦場では飛行は恙なく死に直結するモノである。
原因は光線級といわれるレーザー属種、高度1万mの標的に対し有効射程距離は30㎞。
決して味方誤射はしない。
正確無比な射撃に人類の叡智の結晶たる戦術機も敵いはしなかったのである。
―――この時辛くも運は味方をした。
幸運にも現在の戦域には光線級は存在をしてはいなかったのである。
高速噴射跳躍を繰り返しながら黒く染まった津波に近づくにつれ、その正体が図らずとも視認できていく。
―――それは【化物】であった。
折り重なりながら我先にと進む姿は餌に群がるようで、意志がない人形の様に見えながら生々しい造形がそれを打ち消していた。
歪な形をした奇形生物。人間が見て生理的に受け付けられない物体。
彼は―――佐藤陣は―――コレの正式名称を知らなかった。
だから【化物】としか表現出来なかったが、それは人類が皆抱く正常な認識でもあった。
異星起源種。
BETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race―――『人類に敵対的な地球外起源生命』
それがコレの【化物】の正体である。
「―――っ気持ち悪りぃんだよぉぉぉ!!! 化物がぁ!」
理由なく震えだした指を無理やり押さえ付け、トリガーを引き絞った。
自らに今一度摺りこませる。認識を。コレはゲームなのだと―――。
撃鉄は落とされた。
機械の金切り声を上げて87式突撃砲の砲身を伝い劣化ウラン弾は前方に鎮座する【化物】目掛けて余すことなく叩きつけられていく―――。
◇
せわしなく視線を全周に巡らせながら、大きく息を吐き出す。
不気味な化物共との交戦も漸く一段落ついた所だった。
何度か危ない場面があったがその尽くは直感的に判断し肉片に変えていった。
例えば蟹の化物は後方から出ていた顔らしき部分を徹底的に狙い撃ちし、甲羅を被ったような化物はがら空きである背後からの攻撃に終始し戦闘を重ね。
同時に対BETA戦の戦術を構築していったのだ。
他にも多数小型の化物が襲いかかってきたが遠距離からの掃討を念頭に置き距離を取り纏めてあしらっていた。
―――この殆どは対BETA戦に於ける基本指針である。
要撃級の尾節に当たる顔は感覚器を成しており、此処を破損した要撃級は戦術機の正確な位置を知るすべが失われる事になる。
突撃級も全面に展開する装甲殻は現存するBETAの内で最大の防御力を誇る。
しかし反面突撃しか攻撃方法が無いため機動制御能力、特に旋回能力が低い。結果これを打ち倒すのならば背後に回りこみがら空きの背への攻撃が常套手段となる。
小型種への対応も言わずもがな、近距離でやりあったのならば手こずるのは必至であるが遠距離からの面制圧が効果的である。
通常ならば実戦に赴く大多数の衛士は生き抜く事だけに専念し命からがらそれを達成できるレベルなのにだ。
―――異常であると断言できるであろう。
機体の動きに伴う振動にもある程度の免疫があったのも大きい。
通常ならば正式な訓練を受けなくてはならないものであるが、彼の日常には車や電車、果てはジェットコースターなるものがある為必然的に戦術機の酔いに慣れいていたのだ。
そして彼はまた一つ幸運に恵まれていたのだ。
天才的な空間把握能力、それは射撃能力を飛躍的に上げることに繋がっていた。
モノを立体的に捉えるこの能力もある程度は経験でカバーできる。
しかし一番最初に衛士が手こずるのは敵との距離感である。
いくら訓練で経験を積んだとしてもそれは実戦になれば霧のように胡散してしまう。
結果、この世界にはある言葉が衛士の間で語り継がれている。
【死の8分の壁】と。
とはいえ安堵の息を吐いてばかりでもいられない状況であった。
故意では無いにしろ遭遇したほぼ全ての敵を弾薬を消費する攻撃方法をとってしまった。
―――現在残弾総数はおよそ戦闘開始時と同じ数を安全に遠距離で相手にするほどの余裕はあるはずがない。
勿論近接戦闘で此処までの損傷率を成し得たかと言えばそれはNOと言えるであろう。
ただ闇雲にトリガーを引き絞るのと化物と近距離でランデブーは次元の違う話だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
体の疲労も限界が近い。
たかがゲームの遊びだと楽に鷹を括っていたのが地味に効いていたのだ。
体への負担を一切考慮せずに跳躍ユニットを使用し縦横無尽に駆け巡りすぎた。
無論その分の推進剤も使いきってしまっている。
額に滲んだ汗が頬を伝い滴り落ちていく。
―――休んでばかりではいられない。
今この時さえ敵は己の周囲をとり囲んでいるかもしれないのだから。
(……はっ、何ムキになってんだか……)
疲れたのならさっさと辞めてしまえばいいだけだ。
そう所詮は唯のゲームである。
そう止めてしまえば……。
(―――くそっ、何で途中で切り上げらんねぇんだよ)
コックピットを見渡しても何処にもそれらしきボタンが見当たらなかったのだ。
ならば無理やり強制的にコックピットをこじ開けて降りればいいじゃないか―――それは取り返しが付かない気がしてどうしても躊躇してしまう。
人間としての本能がそれだけは絶対に止めろと耳元で囁いているのがハッキリと聞こえているのが分かる。
現実的じゃない。
んなことはわざわざ言われなくても重々承知だった。
すると残される最後の手段。
ゲームクリアか。
ゲームオーバーか。
どちらかの二択問題。
先ほどから戦闘の合間に起こっていた小休憩は殆どをこの考えを決行しようとし、そのすんでのところで取りやめるの繰り返しであった。
思考の泥沼に入ってしまった感覚。
知らずに悔し気に唇を噛み締めていた。
「―――!?」
―――唐突に背筋が寒くなった。
いいようもない怖気に襲われたのだ。
体中の毛が逆立つ。
―――何かに後ろから見られてる?
次いでコックピット内にけたたましいアラーム音が鳴り響く、網膜投影には赤い矢印で右方向からの敵の接近を告げていた。
素早く近接戦闘に移らなくてはいけない……。
一瞬の軽巡の後、片手に突撃砲を持ち替え残った右腕で前腕部のナイフシースから65式近接戦闘短刀を取り出した。
「―――っおぉぉらぁぁぁあああぁぁぁ!!!」
この間約三秒、数時間の内に得た戦闘経験を生かし積極的に近距離武装を使用。
―――比較的汎用性に優れる長刀では無く範囲の短い短刀を選択したのは、愚行に当てはまらなかった
―――ただ、そう直感したのだ。
しかして予知する事柄は外れる事は無かった。
下半身のバランスを保ちながら絶妙に上半身のみを横に回転させた瞬間、視界に入ったのは戦闘中何度か見かけた赤い蜘蛛の造形をした化物、戦車級であった。
口元に嘲りの嘲笑を浮かべているかのような赤蜘蛛は周囲に散乱していた要撃級の死骸を足場にして個体では実現不可能な跳躍を成し遂げていた。
―――異様な落ち着きを抱きながら冷静に推察できたのは視界一杯に広がる戦車級がとても滑稽に見えたからだ。
戦車級は腹部の口を大きく開け放ち今か今かと獲物が食いちぎれる瞬間を待ち得ていただろう。
だが残念だ、空中を浮遊していたら―――逃げ場は無いだろう?
意趣返しに口元を三日月に歪め、一切の戸惑いをせず勢い良く短刀で赤蜘蛛の胴体を横払いに斬りつけた。
静止していた化物は綺麗に真っ二つにされながら濁った体液をまき散らし化物の残骸が横たわる地面を転がって―――。
◇
「―――っくそがぁ! この茶番はいつになったら終わんだよ!」
きつく拳を握り感情のまま乱暴に振り下ろす。
―――コックピットの中は静まり返り機械音が鳴り響く。
自らの息遣いも酷く苛立たしく感じてしまう。
随分前から酔いは覚めていた。現実感が伴っているのが嫌にでも分かってしまうのが恐ろしく、思考を停止させて余計な事は考える事をやめていたのだ。
だが限界だった。何時まで我慢すればいい?
ゆうにもう数時間は経っているだろう?
―――時は満ちたよ。
「―――っ……何だアレ?」
赤く染まった空は夕焼けを艶やかに。
―――朱色に染まった雲が避けるように空が割れた。
―――さあ。幕を上げましょう?
2001年 12月24日 午後5時25分 日本 ――― ―――
◇
2001年 11月26日 午前6時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室
「―――ぁ……夢、か」