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06.一つの夜の終わり
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 新都センタービルの屋上で絡み合った白刃が火花を散らす。

 一方はフルフェイスのヘルムと全身甲冑で姿を覆い隠した黒騎士。
 もう一方は純白の鎧に身を包み、鎧に劣らぬ気高さを秘めた意思を瞳に宿らせる白騎士。

 彼らは互いに互いを知覚する。それも当然、共に生前は同じ戦場を駆け抜けた戦友。その終わりは決定的な決別でこそあったものの、どちらもが相手に対し浅からぬ縁と因縁を抱いているのだから忘れられる筈もない。

 白騎士──誠実であり、騎士道の体現者にして王に忠義した太陽の騎士ガウェイン。
 黒騎士──理想と謳われながら、後世裏切りの汚名を浴びた湖の騎士ランスロット。

 キャメロットに集う円卓において一二を争う武芸者。円卓を統べた王の両翼が、共にこの聖杯戦争に招かれたことは奇妙な運命の悪戯としか思えなかった。

「だんまりかガウェイン卿。貴公はいつもそうだったな」

 ぎちりと黒騎士の剣が白騎士の剣を押し返す。

 王の片腕とも謳われた太陽の騎士。王の治世に異論を挟むことなく忠義の騎士として王の影に徹した高潔なる男。それがガウェインという騎士の在り方だ。

「今代もまた王と仰いだ主に忠義されるか。全く、君の堅物さは変わらないな」

「貴公にそのようなことを言われる筋合いはありません、ランスロット卿」

 白騎士が剣を今一度押し返す。静かな声で威圧を伴い放たれたガウェインの言葉には、生前抱いた憎しみの欠片さえも見えなかった。

「騎士が王に忠義するのは当然のこと。たとえ仕えるべき主が変わろうと騎士の本願には些かたりとも誤りはない。私は私の信じた騎士道に殉じるまでのこと」

「ああ、君のその在り方もまた一つの騎士の道なのだろう。私のそれよりも、余程眩しく美しい。しかしだからこそ、何故道を誤ったのかを君は今でも気付けない」

「騎士道そのものに背を向け、王に刃を翻した貴公にそんな戯言を謳う資格などあると思っておいでか」

「さてな。それよりもガウェイン卿、君は気付いているのかな。この戦場に招かれたのが君と私だけではないことに」

 銀の具足が屋上の隅で打ち鳴らされる。黒騎士の到達に遅れる形で、ようやく白銀の騎士がこの場所に辿り着く。

 黒騎士の出現だけでも忘我の境地に陥ってしまうというのに、白騎士までもが彼女の眼前に姿を現したのだ。
 少女の動揺は此処に極まり、屋上へ向かう足を遠のかせ、再度飛来する魔剣の顎を打ち払ったことで忘我を脱し、彼女は鈍い足取りでどうにか辿り着いた。

「ガウェイン卿……それに、ランスロット卿……」

 少女の言葉は重く放たれ、その言の葉に込められた悲哀と悔恨は、白と黒の騎士には届かない。

「お久しぶりです我が王よ。拝謁の栄に浴させて頂き、光栄の至り。臣下の礼を取れないのはご容赦頂きたい、何せ此処は戦場ですので」

「…………」

 ランスロットは軽口を叩き、ガウェインは静かに頭を垂れる。刹那、どちらともが剣を打ち払い共に後退し距離を取った。
 黒騎士はセイバーの側へ退き、白騎士は戦局を見守っていたアーチャーと凛、時臣を庇うように背負い立つ。

「……なるほど。そちらが君の今代の主かな、ガウェイン」

 ランスロットとセイバーは無論手を組んでいるわけではない。互いに距離を置いて立っている。
 しかしガウェインの立ち位置は明らかにアーチャーに組するもの。そもそも黒騎士の初撃はアーチャーを狙ったものであり、それを防いだ時点で知れていたことだが。

「何れにせよ、まずは邪魔なものを排除しておきましょうか」

 きぃん、と金切り音を響かせ飛来する漆黒の牙。執拗にも程があり、流石にこれ以上の横行は許せないと見て取ったか、セイバーに襲い掛かろうとする顎を黒騎士は先んじて打ち払い、空いた左手で猟犬を掴み取った。

 黒騎士の掌より滲み出る魔力は黒い牙を侵食し、所有権を上書きする。弓兵の命令を上書きされた牙は沈黙し、躾の行き届いた犬のように動きを止めた。

「流石はランスロット卿、と言ったところかな。手にする全てのものを自身のものとする能力とは」

 時臣が静かな声音で謳う。黒騎士は手に掴んだあらゆる武具を、自身のそれへと書き換える。ただのナイフも彼が握れば宝具の属性を帯び、敵の宝具を奪い取れば全く同じ性能を有したまま彼の刃となる。

 今彼が担う両の剣はアーチャーの放った矢だが、既にその所有権は弓兵の手を離れ黒騎士のものとなっている。

 しかしこれで戦局は膠着に至る。

 如何にアーチャーとガウェインが手を組んでいようとも、迂闊に動けば黒騎士とセイバーの両方を相手にしなければならなくなる。
 何より此処は既に弓兵の間合いの外。最優の剣士と最強の騎士を相手取るには夜のガウェインとアーチャーでは些か以上に荷が重い。

 そう理解していてもセイバーとランスロットも簡単にはまた動けない。彼らは共に因縁を持つ間柄。否応なく手を組むことはあっても、現状進んで手を組もうとは思えない。
 ランスロットの思惑は分からないが、セイバーは手に不可視の剣を提げながらもその瞳には隠し切れない動揺の色が窺える。

 それ故の膠着。口火を切った方が不利を背負い込み兼ねない現状を、

「凛」

「はい、お父さま」

 二人の魔術師が打破しようと動き出す。

 時臣の手にしたステッキから魔力の波が沸き起こり、次の瞬間には炎が生まれる。凛もまたポケットから三粒の宝石を取り出し、それを空中に放り投げ起動した。

 視界を覆い尽くす業炎と逆巻く風が屋上に吹き荒れる。
 それはまるでセイバーと黒騎士、そして凛達を隔てる壁のように燃え盛る。

「はっ……!」

 逃がしはしないと黒騎士が爆ぜる。彼には魔除けの指輪による加護がある。正規のセイバーである少女には劣るまでも、一小節以下で発動した即席の魔術など恐るるに足りぬと突き進む。

 しかし相手もその程度の行動は予測している。この炎はあくまで目晦まし。次の一手を呼び込む為の布石に過ぎない。

 ランスロットが炎の壁に突入しようとした刹那、壁の向こうより炎を裂いて一筋の光が飛来する。それは放たれた矢。アーチャーの繰り出した魔弾だった。
 既に二剣を手にする黒騎士は奪い取るまでもないと打ち払おうとし、刃と鏃が弾け合う瞬間、周囲を焦がす灼熱に倍する爆発がセンタービル屋上を染め上げた。


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 夜を焦がす灼熱。
 猛々と上がる黒煙は、爆発の規模と凄惨さを物語る。

 一歩すら動かず、否──動けず屋上の端で立ち尽くしていたセイバーをも襲った爆発は無論凛や時臣の仕業では有り得ない。
 セイバーの知るガウェインにもこんな真似は不可能な筈で、彼の聖剣ならばこの屋上を丸ごと灰燼へと帰す威力を秘めている。

 ならば下手人はただ一人……アーチャーの仕業に他ならない。

「中々に器用な男のようですね、あのアーチャーは」

 炎と黒煙の中から姿を現す黒の甲冑。煤や灰で汚れてはいるものの、致命的なダメージは被っていないようだ。
 至近で巻き起こった爆発から生還したばかりかダメージをも最小限に留め置けたのは、彼の武芸と幸運の為せる業であろう。

 がちゃりと黒の具足が鳴り、赤いスリットは炎の奥を見通そうと睨みつける。既に敵はこの場を去っている。戦いは、終わったのだ。

「ランスロット……」

 いや、この場にはまだ二人の姿がある。断ち切れぬ因縁が糸のように絡み合う、理想の王と裏切りの騎士の姿が。

 セイバーは足に力を込め、手にした聖剣を握り締める。しかし視線は揺れ、黒騎士を直視出来ない。
 それはセイバーが彼に抱いている負い目のせいだ。その手にある聖剣を黒騎士に向けることに少女騎士は躊躇いを抱いている。

「王よ、何故そのような顔をなさるのです」

 黒騎士の穏やかな声に顔を上げる。僅かな期待を胸に。

「貴方は高潔であった筈だ、清廉であった筈だ。誰よりも気高く、あの時代の誰よりも正しかった筈だ。そんな貴方がどうしてそのように悲痛に顔を歪ませているのです」

「違うッ……! 私は、私は……ッ!」

 彼女はそんな評価を受けられるほど出来た王でないと、言葉にならぬ叫びを上げる。自身の手では叶えられなかったユメを成し遂げる為に、聖杯などという奇跡に縋りつかねばならなくなった王に、そんな過大な評価は似合わない。

「……困った御方だ。貴方もまた、迷いを抱いて剣を執るのですね」

「ランスロット……?」

「私もまた同様。貴方に対し、太陽の騎士に対し、言葉にならぬ想いがある。それを求めるのは戦場であるべきでしょう。
 しかし今宵はこれまで。これほどの爆発と火災を引き起こしては、市井に知られていないと考えるのは不可能だ」

 事実、夜を切り裂くサイレンの音が遠く夜に鳴り響いている。そう時間を掛けずにこの場所に人が踏み入ってくるだろう。

 手にした二本の剣を手放し、黒騎士はその姿を朧と霞ませていく。消え行くかつて朋友と呼んだ男に、まるで懇願するかのようにセイバーは問い質す。

「何故貴方はそうまで穏やかなのだ……貴方は私が、憎くはないのですか……?」

「いえ、私も未だ自分自身の本心が分からないのです。貴方への憎しみと、自分自身への憤りが綯い交ぜになって、この心は酷く薄汚れている。
 あるいは獣のように狂えていたのなら、貴方に全てをぶつけられたのかもしれない。そんな仮定に意味はありませんが」

 かつて精悍であった面貌を見ることが叶わずとも、この騎士の在り方は恐らく微塵も変わっていないのだろう。騎士という生き方に縛られ、その生き方しか選べなかった男の残す悔恨の正体を、今はまだ窺い知ることは叶わず。

「では、王よ。何れまた戦場で。その時にはこの心にも決着を着けておくとお約束いたします」

 黒騎士は残滓すら残すことなく夜の闇に溶け込み、今宵の戦場からその姿を消し去った。

「…………」

 一人残された少女もまた、手にした不可視の剣を消し去り戦場に背を向ける。ただ聖杯を掴み取るだけで終わる筈だった戦いが、二人の騎士の登場により至難を極めるものへと変貌した。

 緒戦でそれを知れたことを幸運と思うべきか、それとも。

「誰がこの道に立ちはだかろうとも、私は────」

 今一度自身が胸に抱いた祈りを見つめ直し、少女は固く決意を固める。

 逃れえぬ運命の円環。
 何処までも追い縋ってくる影法師。

 その決着を見ぬままこの戦いは終われないという確信を胸に、少女は孤独に夜の闇へと飛び込んだ。



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 新都センタービル屋上へと続く階段の踊り場で、煙草を口に咥えながら衛宮切嗣は思案する。

 一階から侵入し階段を駆け上がり、この場所で戦場へ乱入する気を窺ってはいたが、どうにも叶うことなく緒戦の幕は下りた。
 今宵姿を見せた連中についての情報整理は後に回し、今はただ胸に蟠る紫煙の味を確かめる。

 遠くサイレンの音を聴き、炎渦巻く屋上に背を向ける。
 一夜の終わり。
 次なる幕が開くまでのモラトリアム。

 一筋縄ではいかない連中の足元をどうやって掬うかと思案しながら、魔術師殺しは一目を避けて夜の街へと姿を消した。
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