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05.白と黒
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 追尾性能を持つ矢を放ったことでセイバーの足は止められた。如何なる威力の魔弾にも対応して見せた剣の英霊をして、幾度斬り払おうと弾き飛ばそうと舞い戻る音速の矢には対処し続けるしかない。

 彼の猟犬に抗する手段は二つだけ。魔剣を叩き折るか、射手を殺害する以外に逃れる術はない。

 かなりの距離まで迫られたとはいえ、未だこのセンタービルの麓にさえも辿り着けていない彼らでは、遥か高みに位置するアーチャーを害する手段はない。
 遠距離から抗する手段がないからこそ接近を望んだのだ。弓兵の間合いの外である、白兵戦の距離まで詰め寄る為に。

 しかしそれもこれまで。どれだけ手を伸ばそうともこの場所まで彼らの手は届かず、永遠に猟犬は追い縋ってくる。それはまるで、ティンダロスの猟犬のように。

「……駄目押しをしておくか」

 静かな声でアーチャーは言い、手の中に矢を具現化する。それは先に放った漆黒の牙と全く同じ形状の魔剣。永遠に追尾する二匹目の猟犬だった。

「…………」

 その様を見た凛はアーチャーの弓兵としての圧倒的な狙撃能力にある程度の納得を得ながらも、同時に不可解な感覚に襲われていた。

 先に放った矢の数々は弓兵として持ち得る通常の矢弾だった。
 無論英霊の狙撃に耐えるだけの神秘を内包していたのだろうが、宝具ではないという確信があった。

 しかし今し方放った魔剣は明らかにそれらと格を逸していた。英霊のシンボルたる宝具の属性を帯びた代物だと思った。

 ならば今、アーチャーが弓に番えているものは何なのだ?

 全く同じ形状で同質の神秘を宿す宝具など存在する筈がない。ならばこの弓兵の秘奥は別のところにある筈だ。
 あの魔剣が複にの分裂を可能とする性質を宿しているのか、アーチャー自身が複製の能力を有しているのか。

 如何なる回答にせよ問い質したところでこの弓兵は答えないだろう。それがより凛の猜疑を深くしているのだが、事実として弓兵としての戦場ならばセイバーにさえ劣らない実力を示した彼には、誠実を以って応えなければならない。

「凛、それくらいにしておいてはどうだい?」

 今にも魔剣を放とうとしていた赤い背中に凛が声を掛ける直前、割り入るように第三者の声が木霊した。

「お父さま」

 階下へと続く扉から姿を見せたのは遠坂家五代当主である遠坂時臣。誰あろう、凛の実父だ。

「何故此処に……」

「娘の初陣だ、気にならない父などいまい? それも望んだサーヴァントではない従者を従えてのものであるのなら、心配も当然のものだろう。まあそれも、どうやら杞憂であったようだがね」

 コツ、と石畳を革靴が打つ。

「アーチャー」

 弓を引き絞り張り詰めさせたままの姿勢で、意識を眼下の敵から逸らすことなく弓兵は視線だけを動かした。

「君の実力は拝見させて貰った。我らの望んだ黄金の王とは比べるのもおこがましいのだろうが、それでも君は弓の英霊としては充分以上の力量を有していると判断しても構わないと私は思う。
 素性が分からないのが唯一にして絶対の難点ではあるが、まあ構うまい。先日の非礼についても詫びさせて欲しい」

「……それで? それを言う為だけにわざわざ戦場に赴いたのではないのだろう」

「ああ。時は未だ緒戦、これ以上手の内を晒すのは上手くない。君の狙撃能力は驚嘆して余りあるが、少々派手にやりすぎた。今宵の戦い、恐らく他の連中に覗き見られていると考えて間違いない」

 冬木の中心街から冬木大橋にかけての遠距離射撃。それだけでも充分に目立つというのにセイバーの足を止める為に手札の一枚を晒してしまった。
 セイバー陣営の能力についてもある程度把握出来たからこそ帳尻は合うが、時臣からすればこの場でセイバーを仕留めることよりも盗み見ている連中にタダで情報をくれてやるのは気に入らない。

 同時にこの地を預かる管理者としてもこれ以上の戦闘行為は容認し難い。如何にこの戦争が街中で行われるものであっても、神秘の隠匿は絶対条件。

 手の内の完全に読み切れていないセイバーを打倒しようというのならより強力な手段に訴えなくてはならなくなり、それは神秘の露見は元よりこちらの更なる手の内を晒す愚考に繋がるものである。

「今夜はこの辺りで矛を収めてほしい。君にしても我らにその実力を遺憾なく見せ付けられたのだから、目的は充分に果たせただろう」

「それは決めるのは私でも貴方でもない。私の行動を決定しても構わないのはマスターである凛だけだ」

 二対の視線が少女へと降り掛かる。凛は動じることなく現状を俯瞰した上での結論を口にした。

「……そうね。この戦いを盗み見ていた輩も含め、アーチャーの脅威は充分に伝わった筈だわ。だからこの辺りで退くのは間違ってはいない」

 切嗣も懸念したアーチャーの狙撃能力の高さは、弓兵が生存しているだけで効力を発揮する。同時に敵に狙われやすくなるリスクもあるが、その対策についても充分な手段は既に講じてある。

「でも……お父さま。その決断を下すのは少し遅かったみたいです」

「なに……?」

 遥か天上にて戦場を俯瞰していた彼らの眼下、時臣の登場により戦局が硬直していた間に事態は既に動き始めていた。


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 濁った水の流れる地下水道。汚れと腐敗だけが闇に同化している、そんな誰もない暗闇の中に一人の男が佇んでいた。
 目深に被ったパーカーの下に隠れている髪は色素が抜け落ち白く染まり、閉じた片目が映し出す視界には汚泥の如き闇ではないものが映り込んでいる。

 この地下水道の遥か頭上、地上で戦端の切られた戦いの舞台を使い魔の目を通し備に観察していた。

「クク……クハ……」

 零れる笑いを噛み殺し、男は見えない空を仰ぎ見る。
 十余年の昔より敵と見定めた男の登場を見咎め、その存在を認め、噛み締めた奥歯をぎちりと噛み砕く。

 心の奥底より湧き上がる負の想念。胸に渦巻く憎悪の奔流をたった一つの確固たる意思で諌め、されどより猛き熱情を以って謳い上げる。

「さあ……出番だ」

 憎悪を塗り潰す殺意の波動。彼のただ一つの願いである少女の幸福を貶めた男に対する想念は、長い年月を掛けて積み上げられ、その頂などとうに見えなくなっていた。
 それでも彼は狂っていない。憎悪に身を任せ狂ってしまっては少女を救えないのだと自覚しているから、あくまでも冷静に激情に身を焦がす。

 本来ならば命の炎の限りを燃やし尽くして挑まなければならなかった男に、十年の研鑽を以って挑むことが出来ることに感謝する。
 理由の分からない開幕の遅れは、彼の寿命を引き伸ばし、手に入れられない筈の力を齎した。

 一度は背を向けた魔道に向き合い、少女に背負わせてしまった荷物を引き受けた。過酷は身を引き裂くほどの苦痛を齎し、苦痛は力となって昇華された。今の自身の力ならば、誰に劣ることも有り得ない。

「さあ……行け」

 右手を焦がす熱に命令を下す。自らの喚び寄せた最強の一を、あの男の首を刎ね飛ばす為に使役する。
 翼を引き千切られた少女に、片翼となった彼女に、今一度空の青さを見せて上げる為だけに、彼は地獄より這い上がったのだから。

 たった一つの無垢な想いを黒き想念で覆い包み──間桐雁夜は剣を振るう。

「さあ……おまえの力を俺に示せ。あの男に組するサーヴァントを駆逐し、その実力を見せ付けるがいい──セイバァァ(・・・・・)……!!」


/


 猛然と襲い来る猟犬を斬り捌きながら、セイバーはぎちりと歯を噛んだ。

 何度弾き飛ばそうと魔剣はその度に旋回し、大地に打ち込んでも同様に速力を落とすことなく襲い掛かってくる。
 これは追尾の性能を秘めた宝具に間違いはあるまい。魔剣を破壊するか射手を倒さなければ文字通り永遠に追い回されることになる。

 しかし状況を一刻を争う。このまま手を拱いていてはアーチャーが次弾を放てばそれだけで捌き切れなく可能性がある。
 宝具を破壊するのは同じ宝具であっても困難を極める。所有者の意思があれば容易なものでも、敵対者がそれを為そうとすれば相応の破壊力が必要だ。

 セイバーにはそれを為す宝具があるが、その解放を行うのは多大なるリスクを伴う。緒戦で、しかもこんな街中で真価を見せていいものではない。

 であるのなら、選択は一つしか残されていない。敵手を討つ──それでこの魔剣は効力を失う筈だ。

「マスターッ!」

 己が従者の呼び掛けよりも先に切嗣は動き出していた。センタービルはもう目の前だ、中に侵入を果たせば弓兵の矢も届かない。
 これより先はセイバーの援護は望めない。切嗣単独で全ての状況に対応しなければならない。

 しかしそんなもの、戦闘が始まる前より覚悟していたことだ。単独でも英霊に対抗する力を得る為に、幾つもの布石を打ってきたのだ。
 此処で女の背に隠れて見ているだけなんてのは、余りにも不甲斐がなさ過ぎるだろう。

 ホルスターより魔銃を引き抜き、切嗣は大地を蹴ってセンタービルを目指す。その行動の意味を即座に察知し、セイバーもまた即応する。

 セイバーにとって最大の懸念はどう足掻いても切嗣の存在だった。
 英霊に拮抗する速度で此処まで駆け抜けたことには驚愕したが、それでもやはり憂慮すべき存在には違いなかった。

 切嗣の性能を完全に把握出来ていないからこその陥穽だが、切嗣が鞘の存在を黙秘している以上は是非もないことである。
 しかし切嗣が仮初めとはいえ安全地帯に身を隠してくれるのなら状況は変わってくる。執拗に追いかけてくる猟犬にも対処の仕様が出来るというもの。

「行くぞ……!」

 幾度目かの反転から飛来を渾身の一撃で斬り伏せ、同時に最速でスタートを切る。切嗣を追い越すほどの疾走を以ってセンタービルに肉薄し、壁面へと足を掛けて一足の下に蹴り上げる。

 猟犬に対処するもう一つの方法論──それは追い縋る魔剣と同等かそれ以上の速度で逃げ切ること。

 セイバーの身に宿る膨大なまでの魔力の大半を加速に割り割けば、猟犬の速度に匹敵することは可能だった。
 ただそれもあくまで時間を稼ぐ程度のものであり、根本的な解決を目指すのならやはりアーチャーを討たねばならない。

 その為にセイバーはビルの壁面を蹴り上げ最短経路で屋上を目指す。重力の鎖に囚われ速度が落ちた分、猟犬が迫り来るがその対応にも既に慣れた。

 魔剣は生き物のように複雑な動きをするわけでもなく、愚直に最速で標的を狙うだけのものだ。軌跡と速度を見切っている以上、その顎は白銀の騎士の柔肌には届かない。

「ふっ──!」

 ビルを半ばまで昇ったところで追い縋られ、速度を落とし迎撃する。壁面を蹴り上げてのバク転からの斬り上げで魔剣をいなし、再度壁を蹴って空を目指す。

 一直線に空を目指すセイバーは天に向かって落下しているのと変わらない。一歩を踏み外せば転落し、魔剣の対処を間違えれば同様に墜落するのみ。
 それは綱渡りのような危険を孕む空への疾走。それでもこれが最善であるのなら、セイバーは足に込める力を微塵たりとも緩めはしない。

 しかし──その綱渡りを更に過酷とするものが、天と地の両方から迫り来る。

 ……なっ、此処で他のサーヴァントだと……!?

 頭上より来るのは想定したアーチャーの迎撃だ。五月雨のように降り注ぐ無数の矢はそう対処の困難なものでもない。
 肉薄した分だけ弓兵は一射に込められる魔力量が減じている。それを補う為の手数だろうが、直感を宿すセイバーの反射と手腕の前では傷の一つもつけるにも至らない。

 問題は地上より迫る漆黒の影。
 直感が最大限に警鐘を鳴らし、あの敵の強大さを物語る。

 敵の目的はセイバーなのかアーチャーなのか。
 それが分からない以上は対処する他なく、そちらに気を割けば魔剣と矢の雨が背中を狙い撃つ。

 最優の騎士をして判断を迷う刹那。
 頭上に迫る矢の雨に混じり猟犬が迫り来る。そして彼方には番える弓に魔力を込め始めたアーチャーの姿さえを目視する。

 ……迷うなッ! 自身の直感を信じろ……!

 セイバーは蹴り上げる足に今宵最大の魔力を乗せ矢の雨の中に身を晒し、振るう剣は風の封印を僅かに紐解き、降り注ぐ矢群を蹴散らした。
 刀身が露出するほどのものではないにせよ、セイバーは自身が秘め隠すものの一端を緒戦にて開帳してしまった。

 その無様を置き去りに、目前に迫る魔剣を打ち払う。

 白銀の騎士が頭上からの攻撃に対処するということは、その速度を僅かであれ落とすということ。それは後方を駆け上がる漆黒の影に追い縋られることを意味し、事実目前まで影は迫っていた。

 セイバーと同等か凌駕さえしかねないほどの疾走。墜落を恐れぬ狂走から逃れるようにセイバーもまた加速する。
 その最中でセイバーは僅かに振り仰いだ。迫る影の正体を見定めようと、後方に視線を流してしまった。

 それをこそが、彼女の今宵最大の失策。

「なっ……あぁ……!?」

 言葉にならぬ音を吐き出し、身体とは裏腹に精神が地上へと落下する。
 身を覆い隠す漆黒の鎧。
 隙間などなく頭部を含めた全身を覆い隠してなお理解せざるを得ないほどの存在感。

 それはいてはいけない者。
 存在してはならない闇の形。
 何処まで逃げようと追い縋る、アーサー王の影。

 ……何故貴方が此処にいる……ランスロット卿……ッ!

 そんなセイバーの驚愕を意に返さぬまま、黒騎士は速度の落ちた少女騎士を追い越し天へと駆け上がっていく。
 アーチャーの照準が僅かにずれる。標的は白銀の騎士から黒騎士へと変更され、矢の雨よりも多くの魔力の込められた魔弾が放たれる。

 既に屋上は目前。

 至近とも言うべき距離にまで迫った黒騎士は、同じく至近から放たれた矢の射線上に身を晒すことになり、逃げ場のない空中でその身を穿たれる……

 そう思われた時、何を思ってか黒騎士は放たれた剣の形をした矢弾へと手を伸ばし、力任せに掴み取った。

「なっ……!」

 その驚愕はセイバーのものか、アーチャーのものか。あるいはそのマスターのものだっただろうか。

 何れにせよ事実として黒騎士は空中で剣を掴み取り、手にした剣を漏れ出る黒き魔力で侵食しながら、遂に屋上へと辿り着く。
 矢を放った直後ゆえの硬直を衝くように、黒騎士は手にした漆黒の剣を振り抜き裁断の刃を夜の闇に煌かせた。

 がぎん、と。

 黒騎士の手に返るのは肉を裂く感触ではなく。
 同じ鋼の硬質さを持った剣による応酬だった。

「ふっ──よもや、こんな巡り会わせもあるとは」

 黒騎士がフルフェイスヘルムの奥でくぐもった声で息を漏らす。
 アーチャーへの斬撃を受け止めたのは彼ではない。
 彼と黒騎士との間に突如立ちはだかった、もう一人の騎士──

「久しいな、ガウェイン卿」

 白く輝く鎧。
 誠実な色をした瞳。
 太陽の如き光輝を纏う聖剣を振り抜き、白騎士は黒騎士の剣を受け止めたのだった。
聖杯戦争の基本設定はほぼ把握しているつもりです。
なので諸々の疑問は後に作中で語りますのであしからずご了承下さい。


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