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03.開戦の狼煙
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 召喚成功による一瞬の弛緩。
 次いで投げ掛けられた問いによる緊張。

 その刹那を凌駕する殺意が、儀式場に吹き荒れる。

 それも当然。本来殺し合う為に喚ばれるサーヴァントだ、召喚の直後にそれぞれの正面に打ち倒すべき敵手を見咎めてしまったのなら、安穏としていられる筈がない。
 しかし招かれた者はどちらも迸る殺意を滲ませながらも、互いに得物を取るには至らなかった。

 切嗣の招いた白銀の少女はその身に培った修練から。
 イリヤスフィールの招いた紫紺の魔女はその類稀なる頭脳から。

 目の前の敵は敵ではない……と、違う過程を経ながら同じ結論に至った。

「マスター」

 口火を切ったのは白銀の少女騎士。揺るがぬ瞳を己を招いた男に向けながら、確認の問いを投げ掛ける。

「あちらのサーヴァント……恐らくはキャスターと見受けますが、どうやら私と時を同じくして招かれたようだ。ならば彼女ないし彼女のマスターは、今のところ我々の敵ではないと判断しますが」

「…………」

 切嗣は目の前に現れた少女に瞠目していた。噂に名高き騎士の王。ブリテンに覇を唱えた赤き竜が、こんな少女であったとは思いもしなかったからだ。
 一国を背負って立つには余りにも小さな身体。吹けば飛びそうな矮躯だけを頼りに、この少女は恐らく戦場を駆け抜けたのだろう。

 その力が伝説と相違ないとするのなら、彼女の実力は折り紙付き。切嗣の懸念など正しく愚考に過ぎない。
 ただ心の何処かで、何かが引っかかりを覚えている。鉄の心に爪を立てられたような不快感。得も言われぬ違和感。

 切嗣は幻視している。この少女に、誰かの姿を重ねているのだ。

「キリツグ」

 イリヤスフィールの声を聴き、忘我の境地より立ち戻る。

「淑女に声を掛けられたのよ? 応えてあげるのが礼儀でしょ?」

 そんな場違いなほどの言葉と共に浮かべられたはにかんだ笑みに、心に澱んだ汚泥が洗い流されていく。

 もしこれが切嗣単独で戦場に臨むことになっていたら、この少女とは最低限のやり取りで済ませていただろう。あるいは十年前の彼であったとしても同じことをしていたと確信を以って言える。

 しかし今の状況はどう考えても説明を必要とする場面であり、イリヤスフィールとそのサーヴァントと共闘の形を取っていく以上は、会話によるコミュニケーションは必要不可欠なものだ。

 目の前の白銀の騎士は切嗣にとって願いを叶える為の道具に過ぎずとも、その道具を正しく運用しようと言うのなら、最低限の連携は取らざるをえない。

 一つ溜息を零し、男はようやく口を開いた。

「ああ。あのサーヴァントを喚んだのは僕の娘であり、今回の聖杯戦争における共闘の相手だ。つまりはそのサーヴァントともまた悪戯に争うことは好ましくない」

「了解しました。マスターがそう言うのであれば私に是非はない」

「だそうよ。貴方も事情は飲み込んで貰えたかしらキャスター?」

 最初の問いから無言で場を睥睨していた──目深に被ったフードのお陰で視線は判別し難いが──魔女はくすりと口元に笑みを浮かべた。

「ええ、分かったわ。でもとりあえずは色々な事情の説明をお願いしたいところだけれど」

 魔女の声はイリヤスフィールを通り越し切嗣へと向けられる。事情を最も把握している者が誰であるかを見抜いたが故のものだろう。

「分かっている。これから僕らの行う戦いは通常の聖杯戦争のそれを逸脱することになるだろう。元より事情は説明するつもりだった」

 一陣営でサーヴァント二騎を従えることのメリットは分かりやすくとも、同時に弊害も生まれると切嗣は最初から予見していた。
 その説明は必要なものであると理解していたし、ただ聖杯を取るまで敵の全てを殺し尽くす、という方針では連携が不可能なことも把握している。

 たとえ相手が道具であっても語る口が必要ならば語るまで。こちらから無闇に軋轢を作ることを最大限の運用とは言えないのだから。

「じゃあとりあえず移動しない? サロンでお茶しながらにしましょう!」

 そんなイリヤスフィールの提案はにべもなく切って捨てて余りあるが、それで円滑な関係が築けるのなら容易いと、切嗣は肯定と共に一階のサロンへとサーヴァント達を伴い向かった。


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 一階エントランスホール脇にあるサロンでアインツベルンの侍従の淹れた紅茶で喉を潤しながら切嗣は手早く現状をサーヴァント達に説明した。

「つまりは本来不可能な筈のシステムの改竄を行い、貴方とイリヤスフィールは共にマスターとなったと。そしてそのサーヴァントである私達にもその関係を同様のものとして欲しいと」

「端的に述べるのならそれで間違いはない」

 キャスターの要約に切嗣は首肯を返す。

「少なくともこれで僕達は他の参加者からは優位な立場に立つことが出来る。最優と目されるセイバーと権謀術数に長けたキャスターの連携があれば遅れを取ることなど有り得ないだろう」

「そうね。何事もなければ最終局までは有利に事態を進められるでしょうね」

 それは棘を滲ませた言葉だった。彼女が鬼謀に長けた魔女であるのなら、当然にしてその陥穽に気付かない筈がない。

「聖杯を獲得出来るのは一組だけという触れ込みらしいけれど? それはどうするの?」

 切嗣とイリヤスフィールは同じ地点を目指しているから構わないが、セイバーとキャスターが共に聖杯に招かれてその頂を目指す者である以上、その一点は譲ることが出来ないものだ。

「特に私は最弱にも等しいキャスターよ。堅牢な対魔力を有するセイバーと最終局面でかち合えばどうなるか、語るまでもないわよね?」

 切嗣に認識出来るセイバーの対魔力は最高位。およそ現代の魔術では彼女に傷をつけることさえ叶うまい。
 如何にキャスターが秀でた魔術師であったとしても、魔術師である以上は真正面から戦いを挑んでセイバーから勝ちを掴むことは至難を極めると言えるだろう。

 それが故の険を滲ませた物言い。都合良く使い捨てるつもりならこの場で争うことも辞さないという心積もりで彼女は憤怒を滲ませている。
 そう、彼女にとって都合よく利用されることほど許容出来ないものはない。生前誰かに振り回され続けた魔女だからこそ、そんな戯言は許せない。

 綺麗事でお茶を濁そうものならどんな手段に出るか彼女自身分からない。少なくとも、この城が無事で済むとは思えない。

「大丈夫だよ」

 そっとキャスターの手に添えられる少女の掌。怒りに打ち震えていた魔女の手を、聖女の掌が優しく包み込む。

「私が願いを叶えてあげる。キリツグの願いもセイバーの願いも、勿論キャスターの願いだってね」

「────」

 聖杯の器にして守り手である少女は謳う。余りにも戯言じみた夢想を誰憚ることなく言ってのけた。
 この身が誰かの祈りを叶える聖杯の器であるのなら、その成就に尽くしてくれた者の祈りの全てを叶えて見せると。

 どうやって。
 不可能だ。
 有り得ない。
 それは逸脱し過ぎている。
 何の根拠があって。

 胸に渦巻く疑心がキャスターの喉を衝いて出るその寸前、

「……事実として」

 切嗣は瞳を伏せたままに割り込んだ。

「世界の内側に限り作用する祈りの全てを叶えるだけの力が聖杯にはある筈だ。勝者にしか聖杯は使えないというのは外来の魔術師を誘き寄せる為の餌に過ぎない。
 文字通りに聖杯が万能の釜であるのなら、マスターとサーヴァントに加えて後一人分の願いを加えても許容量を超えることはない」

 切嗣とて確信があるわけじゃない。三度の闘争を経て未だ完成に至らない聖杯なのだ、その真実を知る者は誰もいまい。ユーブスタクハイトならば知っているのかもしれないが、尋ねたところで口を割るとも思えない。

 少なくとも聖杯の触れ込みに虚偽がなければ全ての祈りは叶う筈だ。ただその為に、他の参加者を駆逐しなければならないという事実には何の変わりもないのだが。

「だから信じてキャスター。貴方の願いもきっと、私が叶えて見せるから」

 ただ一人の勝者を選定するのには理由がある。聖杯の成就は英霊の魂によって成されるもの。ならばその完成形は七騎全ての英霊が消滅した後にこそあり、切嗣の願いを叶えるくらいならば一騎残っていても支障はない。

 ただし二騎のサーヴァントが存命している状態で、聖杯がどのくらい機能するのかまでは分からない。だから切嗣の言葉もイリヤスフィールの言葉も裏を返さずとも無根拠な物言いに過ぎない。

 魔女の疑心を晴らすには足り得ない。

「……分かったわ、信じましょう」

 けれど魔女は、肯定の言葉を吐き出した。

「ただし信じるのはセイバーのマスターでも聖杯でもない。私のマスターを信じることにするわ」

「ほんとう……?」

「ええ。少なくとも貴方がセイバーのマスターの味方である限りは、セイバーとの共闘を約束しましょう。
 けれどあくまで手を貸すだけ。私は私のマスターの守護を優先するし、独自にも動かさせて貰うけれど、それくらいは構わないのでしょう?」

「ああ、充分だ」

 イリヤスフィールのサーヴァントを選定する際、最弱と目されるキャスターを選んだのはその為でもある。
 他のクラスのサーヴァントを招来すれば、より強力な守護者を招くことも可能だっただろう。それでも切嗣はキャスターを選んだ。

 神殿の構築による防衛能力は魔術師の英霊だけが持つ特性だ。単騎では限界のある防壁も最優の騎士が味方であればより堅牢な要塞となる。

 キャスターに期待しているのは最低限の助力と最大限の守護。キャスターからの提案は切嗣にとって願ってもない申し出であった。

 それでも腹の底を見せていない魔女に完全に信頼を寄せるのは危険だが、その為のイリヤスフィールだ。彼女のマスター適正は過去最高であり、その身に宿す令呪も規格外だ。たとえセイバーであっても容易には逆らえない。

 そんな切嗣の懸念とは裏腹に、魔術師の英霊は喜色を浮かべて見上げてくる赤い瞳に小さく微笑みを零す。全てを見通したわけではない。だがそれでも分かる。この少女はかつての自身と似ているのだと。

 外の世界など知らず、完結したこの城の中で生涯を過ごすことを約束された箱入り娘。これより巻き起こる闘争にも、決して彼女自身の意思で赴くものではない筈だ。

 ……この男が、彼女を利用する為に戦地に連れ出そうというのなら……

 裏切りの魔女は心の奥底で決意を固める。自身と同じ悲劇は起こさせない。あんな悲しみはもう沢山だ。元より聖杯になど希うものなどない身の上だ。彼女がその心に宿している祈りは、本当にちっぽけなものでしかないのだから。

 それでも今は静観こそが正しい選択。自らの足場を固めるまでは、最優の実力を利用させて貰うとしよう。
 涼やかな面持ちで、そんな打算に塗れた策謀を魔女は巡らせていた。誰に気取られることもなく。

「これで状況は整ったわけですね」

 これまで沈黙を貫いていたセイバーが場を仕切り直す。

「私自身にもキャスターとの共闘に差し挟む異論はありません。マスターの意向であるのなら尚の事だ。ならば次はより具体的な共闘方法について話し合うべきでしょう」

 ただ肩を並べて襲い来る敵に立ち向かうだけが共闘ではない。特に前線に立つべきセイバーと後方支援に長けたキャスターの共闘であるのなら、その具体案について話しておかなければ取れる連携も取れなくなる。

 セイバーは自身の能力を過小にも過大にも見ていない。キャスターの手など借りずとも敵は全て倒せるなどとそんな戯けた豪語など有り得ない。

 事実として仮にセイバー単騎であったとしても他の英霊達に遅れを取ることなどないだろう。それでも目の前により戦局を優位に運べる状況があるのなら、それを利用しない手はない。

 彼女は聖杯へと辿り着く最短経路を駆け抜けるだけ。利用できるものを利用し、踏み台になるものを蹴り飛ばして頂を目指し駆け上がるのみ。
 胸に秘めた譲れぬ祈り。その成就の為に清濁併せ呑み、屍山血河を渡ることを厭わない。

 ……この身はただ一振りの剣であればいい。祈りを叶える為の道具で構わない。

 尊い祈りの為、自らの身を削ることを恐れぬ最優の剣士が、静かにその心を水底へと沈めていく。

 己がサーヴァントからの目配せを受けた切嗣が切り出す。

「作戦については幾つかプランを用意してある。現地の確認がまだ済んでいない以上完全なものとは言い難いが、とりあえず説明をさせて貰う」

 テーブルの上に戦場の見取り図を広げながら、切嗣は説明を開始した。

 築き上げられた共闘関係。
 魔術師殺しと聖杯の守り手。
 最優の騎士と最弱の魔女。

 鳴り響く時計の音。
 厳かにベルがこの場に集う者達の前途を祝福する。

 彼らの戦いは、今この時よりの開幕を告げたのだった。


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 冬木市。

 冬でも比較的温暖な気候下にある地方都市。海に面し山に囲まれた、今なお成長を続ける新興都市。それが聖杯を巡る争いの戦場の名前だった。

 市の中心部を流れる未遠川に架かる冬木大橋を境に古くからの町並みを残す深山町と近代建築の立ち並ぶ新都とに分けられる。

 その丁度中心地である冬木大橋を渡る一台の車に、切嗣とセイバーの姿があった。

 北欧のアインツベルン城での作戦会議から数日。遂に彼らは戦場へと乗り込んだ。基本的に霊体であるサーヴァントは姿を消すことが可能であるが、このセイバーにはそれが不可能らしい。

 その為目立たぬよう──イリヤスフィールが見立てた──現代衣装で身を飾り、少女はマスターの傍らに座っていた。

 イリヤスフィールとキャスターとは別行動だ。キャスターは何やら切嗣が近くにいると不穏な気配を撒き散らしているし、イリヤスフィールに訊いたところによると普段はそうではないらしい。
 何が原因かは分からないが、キャスターは切嗣を疑っているようだ。

 ……神代の魔女、それも裏切りの魔女に疑うなという方が難しいか。

 少なくともイリヤスフィールとの間に軋轢がないのならそれで構いはしない。彼女達は彼女たちで上手くやるだろう。

 まず切嗣達がするべきことは戦場の把握と拠点の確保だ。何度か偵察に来たことはあるものの、成長途中の街並は一年もすれば様変わりしている。
 地図上からでは得られない情報を得るべく、切嗣はセイバーを伴い夜も更けた頃合に、冬の寒風が吹き荒ぶ橋上に車を走らせていた。

 深山町に構える遠坂と間桐の邸宅を素通りしつつも確認した後、確保した新都のホテルに帰還しようとしたその矢先だった。

 新都の目玉である冬木市民会館と並ぶもう一つのシンボル──通称センタービル。その頂上に煌く赤い光が、僅かに明滅した。

「──切嗣ッ……!」

 セイバーの怒声に切嗣の身体は反射する。無理矢理にハンドルを切ろうとしてそれすらも間に合わないと判断し、強化『されていた』身体能力を以って迫る死の気配から刹那にして車外へと躍り出た。

 しかしそんな離脱を嘲笑うかのように、慣性で走り去る車は空より降り注いだ凶つ星に射抜かれて、爆発し炎上した。

「マスターっ、上です……!」

 既に戦支度を整え終えていたセイバーは下段に不可視の剣を構え遥か空の彼方を睨んでいる。切嗣もまた瞬時に意識を切り替え、強化した視力で以ってこの街で最も背の高い建物を見上げた。

 地上の星と夜空の星の狭間に立つ二つの影。
 共に真紅のシルエットを背負い敵手はこちらを睥睨している。

 一人は赤い外套に身を包み、片手に弓を携えた男。
 狙撃の下手人であり、夜の黒に映える白髪と鷹の如き双眸を持つ弓兵の英霊。

 一人は赤いコートを羽織った少女の姿。
 恐らくはアーチャーのマスターであろう黒髪の女魔術師。
 冷徹な色を湛えた瞳が無感情に揺れている。

 敵は遥か彼方。
 この位置取りは敵の独壇場。
 白兵戦闘に長けたセイバーには、この距離で為す術などありはしない。

 敵の優位を突き崩せなければ、今宵切嗣とセイバーは脱落を余儀なくされるだろう。

 魔術師殺しが空を睨む。
 次弾を番えられた弦の撓りさえも見通して、開戦の合図を見る。

 ……いいだろう。己とセイバーの性能を確認した後、あの敵手を打倒する──!

 緒戦の幕が開く。
 戦いは既に、激化の一途を辿る未来を予見していた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。

一応ここまでがプロローグのつもりです。
基本書きたいことは作中で書こうと思ってますのでここではそんなに語る事はありません。

それでは、これからも楽しんで貰えるよう鋭意執筆に励んでまいります。


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