02.熾天より舞い降りた者
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アインツベルン城最上階。
広大なフロアに伸びたレッドカーペットを渡り、男と少女は最奥へと辿り着く。
見上げた壁面にはステンドグラスが輝いている。陽の射す時間の短いこの冬の森に僅かだけ降り注ぐ淡い光に染められながら。
「儀式の開始はもう間もなくだ。抜かりはないな衛宮切嗣よ」
最奥に構える祭壇で当主たるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンが厳かに呟いた。切嗣は感情の色のない瞳を翁に向けたまま、抑揚のない声音で言った。
「ええ当主殿。無理を言ってお願いした諸々についての感謝を此処に」
「構わぬ。それが勝利の為の布石であるのなら、我らアインツベルンは手の限りを尽くしたまでのこと。後は結果を出すだけだ」
「御意に」
「……イリヤスフィールよ、聖杯に問題は?」
「ありません。私に異常がないってことがその証拠です」
「宜しい」
蓄えた顎鬚を擦りながら老当主は眼下の二人を見つめる。二十年前に招来した外道魔術師と、過去最高の適正を有するホムンクルス。
「この十年の開催の遅延の原因については未だ我らを以ってしても辿り着けていない。しかしこのモラトリアムは我らアインツベルンにとって有益なものとなった。
尽くせる限りの手は尽くした。切嗣、イリヤスフィールよ。必ずや聖杯の成就を。第三魔法の顕現を。天の杯を今一度我らの手に齎せ」
『はい』
二人の返事を聞き届け、アハト翁は目を瞑る。去り行く足音を聞きながら、心は此処ではない何処かへと向いていた。
原因不明の開催の遅延。その異常に早期に気付けこそしたものの、進められていた準備の数々は無為に終わった。
しかしこの十年という猶予期間で出来る限りの手は打った。他家に劣らぬ準備を終えたという自負がある。この布陣で負けるようなことがあれば、もはやアインツベルンは聖杯に手を掛けることが出来ないと思えてしまうほどの周到。
後は戦場へと赴く二人に託すのみ。
アインツベルン家当主として出来る仕事はもう何もない。
「……もしこの遅延が、始まりの聖女たるユスティーツァ様の導であるのなら」
冬の一族に勝利を、聖杯を齎す為の神の如き采配であると言うのなら。
老当主は一人淡く降り注ぐ陽光の中でほくそ笑む。
千年に及ぶ悲願の達成に想いを馳せて。
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礼拝堂を辞し、切嗣とイリヤスフィールは儀式の場へと移動した。
差し迫る開演の時。
腕に刻まれた令呪は熱く律動し、彼方より来る者の招来を焦がれている。
差し当たってまず行うべきことはサーヴァントの召喚だ。七人七騎の殺し合いにおいてその存在を眩く輝かせる世界に祀り上げられし英霊達。
世に有名と覇を轟かせた人には御しえぬ英雄を聖杯の力を借りて彼岸より呼び戻す。そして自らのパートナーとして戦場を駆け抜けていくことになる。
「で、キリツグ。キリツグはもう喚び出す英霊は決めたの?」
「ああ。僕はこの戦いが英霊を使役する闘争であると知った時に既に招来するサーヴァントは決めてある」
切嗣は自らの胸に腕を差し込み、体内より『鞘』を取り出した。
それは十年前、ユーブスタクハイトに無理を願い出て捜索を頼んだ聖剣の鞘。理想の王の手より失われた青と金で彩られた鞘。この世に存在しているかどうかも分からないものを切嗣は求め、アインツベルンは結果を出してくれた。
「僕が喚ぶのはこの鞘の持ち主であるアーサー王。最優とされるセイバーのクラスにおいておよそ最強と目される騎士の王だ」
聖剣エクスカリバーの担い手。
今なお世界中で伝説を語り継がれている、いつか蘇る王。
聖剣というカテゴリーにおいて頂点に位置する剣を手にし、その武勇は十二の会戦を経てなお不敗。単純な白兵戦闘では彼の王を上回る者もいるだろうが、総合力では世界の全てを見渡しても劣ることなど有り得ない。
切嗣がサーヴァントとしようと目論むのはそんな最強の一だ。
無論懸念もある。切嗣の気性と騎士達の王と崇められる彼の気性とでは相容れない部分はあるだろう。聖杯という頂を目指す限り、その協定は覆らずとも軋轢はあるものと覚悟している。
そんなリスクに余りあるメリットがこの『鞘』にある。何もアーサー王を招来する為に聖剣の鞘は必須なわけではない。勿論この上のない触媒として機能はするだろうが、現存さえ疑われたものが必要条件な筈がない。
切嗣はこの鞘が見つけられなければ他のサーヴァントを見繕っていたことだろう。自身の気性と合致するアサシンかキャスターか、あるいは単純な戦力としてセイバーのクラスを求めたかもしれない。
しかしこの鞘さえあれば全てを覆してでもアーサー王を喚ぶだけの価値がある。数百のパーツに分解し体内に秘め持てば、切嗣はサーヴァントにさえ劣らない魔人の如き戦闘能力を手に出来ると踏んでいる。
切嗣の目論見とはつまるところ、人の身でサーヴァントに拮抗すること。英雄達が覇を競う戦場に乱入し、人の身で凌駕すること。
それが可能かどうかは分からない。実際に騎士王を召喚し、性能を試して見なければ不明瞭。それでも伝承を信じる限り、目算は誤ってはいないと考える。
「ふぅん、そっか。じゃあ私はどのサーヴァントを喚べばいいの?」
ユーブスタクハイトが十年の歳月を費やし解き明かした令呪システムの一端。マキリが構築したシステムの一部分に触れ、イリヤスフィールの性能を用い不可能を可能へと改竄せしめた。
本来ならば不可能な筈である一陣営に二人のマスター。衛宮切嗣、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの両名共が、第四次聖杯戦争の正規のマスターである。
切嗣は当初イリヤスフィールがマスターとなることに反対を表明した。騎士王の戦力と鞘の加護さえあれば充分に勝ち抜けると踏んだからだ。
それを覆したのは他ならぬイリヤスフィール自身であり、彼女のたっての願い故に切嗣は折れ、少女の参戦を許容した。
かつての切嗣であったのなら、そんな余分を抱え込む真似などしなかっただろう。勝利への最短経路を計測し、娘の懇願など切って捨てたに違いない。
二十年余り浸り続けた微温湯で、切嗣は確実に劣化している。身体性能が魔術師であるが故に然程の劣化を見せておらずとも、心は色褪せている。
いいや、色づいたというべきか。
弛まぬ黒色であり続けた切嗣の心は、妻と子との長い時間の触れ合いにより違う色に染め替えられた。そしてその変化を許容してしまっている自身がいる以上、かつての自分を完全に取り戻すことなど不可能に近い。
文字通りにこの城で手に入れた全てを今此処で捨てられたのなら、あるいは可能かもしれない。
それが出来ない。心をどれだけ固めようとも、最後の一線が踏み越えられない。それを踏み越えられるのは恐らく、戦いの最終局。イリヤスフィールを切り捨てなければならない刻限だ。
必要に迫られなければ幸福を捨てられない、そんな弱さを抱えて切嗣は戦場へと赴くことになる。
だから切嗣は自らの劣化を少しでも補う為にイリヤスフィールの提案を受け入れた。いつか終わることを定められた少女の願いに、出来る限り報いる為に自らの信条を捻じ曲げたのだ。
父と命尽き果てるまで共にありたいと願った我が子の為、男は無様を晒したままに立ち向かう。
「イリヤに喚んで貰うサーヴァントは……」
この儀式場に集められた聖遺物ないし縁の品は数多に及ぶ。アインツベルンが世界を駆け巡り私財のほとんどを擲ってまで収集した召喚の触媒。
それはアインツベルンの今回の闘争に賭ける並々ならぬ執念の表れであり狂気の具現でもあった。
使えるものは全て使わせて貰うまで。
イリヤスフィールは好きなだけ選り好みが出来るが、その決定権は切嗣が持っている。それが少女が参戦する上での約束だった。
聖杯の守り手である彼女の守護を第一に考えるのなら、イリヤスフィールにこそセイバーを喚んで貰うべきだろう。しかしそれでは切嗣の性能がより劣化する。一魔術師、一マスターとして戦うことを余儀なくされる。
それでも充分に健闘は可能だろうが不安は残る。十年の猶予期間を与えられたのは何もアインツベルンだけではないのだ。遠坂にマキリも、かつてない周到な用意を済ませていると見るべきだ。
そんな連中に抗する為の切り札を防衛に回してしまうのは些か以上に勿体ない。切り札足りえるジョーカーを自ら無為に落としてしまうのは上手くない。
そう、戦闘能力の面でみればセイバーと切嗣で充分に事足りている。何もイリヤスフィールとそのサーヴァントに攻勢に出て貰う必要はないのだ。
アインツベルンが二人のマスターと二騎のサーヴァントを従えていることを晒すのは上策とは言えない。矢面に立つべきは切嗣とセイバーだけで充分であり、イリヤスフィールとそのサーヴァントには後方よりのサポートを求めるべきだろう。
「…………」
「キリツグ?」
思案の渦に囚われていた男を少女は不安げに見つめている。その様を見て取った父親は穏やかな笑みを浮かべ真っ白な髪を撫でながら、言った。
「──イリヤに喚んで貰うサーヴァントが決まったよ」
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そして遂に儀式が始まる。
聖杯戦争の足掛かりとなるサーヴァント召喚の儀。広い儀式場の中心に男と少女は背中合わせに立ち、互いに向かい合うのは各々の魔法陣。
血と鉄で描かれた紋様を前に朗々と歌は紡がれていく。
「我は常世総ての善と成る者──」
「──我は常世総ての悪を敷く者」
咲き乱れるエーテルの嵐の中、二人は身に宿した令呪の高鳴りと門を開く感覚に身を任せる。
彼方と此方を結ぶ道。その創造はあくまで聖杯自身が行うものであり、マスターはただ呼びかけるだけでいい。難しい手順も何もなく、定められた詩文を謳い上げればそれだけで事足りる。
遂に最高潮を迎える乱流。二人は共に最後の一節を声高に叫び上げた。
「……汝三大の言霊を纏う七天」
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」
詠唱の完成と共に咲き乱れていたエーテルが霧散する。世界の外側より招かれた者が放つ圧倒的な気配の前に、ただのエーテル流などただの一足で吹き飛ばされた。
白銀の具足が打ち鳴らす。
黄金の如き髪が風の残り香に揺れている。
翠緑の瞳が、揺るがぬ意思を秘めて己を招きしマスターを見つめていた。
そして同刻。
白の少女の前にも彼女の喚んだサーヴァントが姿を見せる。
風を踏んだかのような軽やかな着地。
しゃらん、と鈴の音が鳴り響く。
「────問おう。貴方が」
「私のマスターなのかしら……?」
熾天より舞い降りた二人は、同時に己が主へと問いを投げ掛けた。
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