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内田樹「呪いの時代に」。


このタイトルに続くサブタイトルは次の通り。


「ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか」



内田氏のこの文は、2012年1月11日付で発表されたものでありながら、

目新しい内容を述べているわけではない。


むしろ、それほどに蔓延している問題であることに注目すべきだ。


「死ね」「殺す」の言葉があまりにも軽く発せられている現状。

それに伴う終わりのない誹謗中傷。



さて、私たちも考えてみたい。

タイトルにある「呪い」は古くから儀式的にも行われてきたものである。

しかし、ここで話題にしているのは現代におけるネット上の「呪い」の行為。


では、呪いとは何か。


ひとつには、社会的弱者であってもできるのが「呪い」である。


内田氏の言葉を引用すれば、


  呪いは強烈な破壊力を持っています。だから、呪いを発した人間は強い全能感を覚えます。

  呪いに人々が惹きつけられるのは、破壊することの方が、創造することよりもはるかに簡単だからです。


ということだ。

換言すれば「他者を傷つける快感」(内田)である。


しかし、呪いはそれだけに終わらない。

 

  呪いを発する人間の末路は、だから麻薬中毒者と同じように哀れです。

  攻撃的な言葉は相手の生きる気力を奪うだけでなく、それ以上に、自分の生命力も傷つけるからです。

  他人への呪いというのは、自分にも必ずはね返る。


とあるように、古代からある「呪い」の儀式は自らの危険を顧みず行われたことを思えば、

自分にも跳ね返ってくる異常な作用があるのであり、自らも覚悟して行うものであっただろう。



しかし、現代はその跳ね返りについては忘れ去されているのではないか。



野放しに、今も飛び交う誹謗中傷という「呪い」。しかし、それらは発したものに返ってくる。

このことは迷信ではない。非常にシンプルな構造だということだ。



「敵を共有する」ことで結束し、誹謗中傷で喜びを感じるとしたら、

自らが滅びる前兆だと思わなくてはいけない。



人を生々しく感じる。

このことはこの私の日記のようなブログの中でも常にキーワードとして保ち続けている。



何も生み出さない無駄の無駄、無益なことをしている暇はない。

こんな単純でシンプルなことが判断できなくなっていることは情けないことだと感じる。



いまだにそんなことをしていているのか、と思うけれど、それらを一切理解するつもりはない。

また、それらに加担していながらも知らない顔をしている人間達も

皆に見られていることに気づいた方が賢明だろう。


自滅か、そこから脱出するか、どちらを選択すべきかは言わずともわかる。


実名がルールであるFacebookにおいてもなお、実名を名乗れない人間が実際におり、

匿名性を自由だと勘違いしている。


しかし、「自滅」の道をたどるのは明らかであり、そのことは皆なよく知っている。


Facebookではこの話題を取り上げてくれる友人達や先生(海外研究者の仲間も)が

いたことにホッとしている。


内田氏の記事は簡単明瞭なので一読してほしい。


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内田樹「呪いの時代に」

ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・

異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694#


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