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きょうの社説 2012年1月12日
◎空港経営権を民間に 地域事情に合った成長戦略を
国土交通省は、国が管理する小松など27空港の経営権を民間企業に売却するため、関
連法案を今度の通常国会に提出する。国の特別会計による空港整備重視の時代から、民間の知恵と資金を生かした空港経営重視の時代への転換といえる。国交省の計画では、空港の所有権と経営権を分離し、所有と管制業務は国、経営管理は 民間企業が担う。今年夏から提案を募り、2020年度までに順次経営権を売却する方針というが、この計画は政府の新成長戦略で打ち出されたものであり、計画の成否の鍵も、地域事情に合った空港の成長戦略をいかに描くかにある。 ただ、小松空港の場合は航空自衛隊と民間航空の共用であり、管制と滑走路本体は防衛 省、民航側の誘導路やエプロン、通信施設などは国交省、空港ビルは株式会社の北陸エアターミナルビル、さらに駐車場は空港環境整備協会と4者が管理を分担している。こうした空港の特殊性から、所有と経営の分離のあり方については、慎重な判断が必要であろう。 国管理空港は、滑走路や駐機場管理など航空系事業は国が行い、空港ビル経営など非航 空系事業は第三セクターなどが受け持っている。空港運営の収支は国の空港整備勘定で一括して行われ、一部に赤字が出ても黒字空港でカバーされるため、経営改善努力にも甘さは否めなかった。 航空業界は国際競争が激化し、新幹線整備など経営環境も変化している。このため、空 港経営にも民間ならではの経営戦略とノウハウを導入し、航空系・非航空系事業の一体経営で収益増を図る。それによって、例えば着陸料を引き下げて格安航空会社などの新規路線誘致や便数拡大を図り、空港管理の国民負担も軽減するという空港経営改革の狙いは合理的である。 留意したいのは、民営化が成功する保証はなく、赤字を免れない事態もあり得ることだ 。そうした赤字空港の切り捨てにつながることがないよう自治体側が求めているのはもっともである。効率性だけでなく、各地域における空港の存在意義や役割の大きさなども考慮しなければなるまい。
◎JR脱線事故判決 組織まで「無罪」ではない
あれだけ多くの死傷者を出した重大事故なのに、なぜ責任者は罪に問われないのか。遺
族らが判決に憤り、失望するのも無理はない。2005年の尼崎JR脱線事故で、神戸地裁がJR西日本の山崎正夫前社長に言い渡した無罪判決は、企業トップの過失責任を問うことの困難さをあらためて示した。航空・鉄道事故調査委員会の事故報告書では、運転士を心理的に追い込んだJR西の懲 罰的な社員管理なども指摘されていた。だが、個人の過失を問う裁判では、組織的な背景は論点にならなかった。真相究明に関して、刑事裁判の限界も感じないわけにはいかない。 JR西の安全対策については「期待される水準に及ばない点があった」とその不備を指 摘している。前社長に無罪判決が出たからといって、組織の責任が免れるわけではない。JR西には、遺族らの思いと司法判断の落差を埋める一層の努力が求められている。 乗客106人が死亡した事故現場は、1996年に急カーブに付け替えられ、事故の危 険性が高まった。当時、鉄道本部長として安全対策を統括していた山崎前社長は、危険性を予測できる立場にありながら、自動列車停止装置(ATS)を設置するなど必要な対策を怠った。検察は公判でこう主張してきたが、神戸地裁は「事故を予測できる可能性はなかった」と過失を否定した。 刑法上の過失を問うには、いつか事故が起きるといった抽象的な認識でなく、具体的な 証拠がいる。この「予見可能性」を厳格にとらえた今回の判決は、従来の司法の物差しに沿うものだが、事故の危険性に気付かなかったこと自体が過失ではないかという遺族側の思いは十分に理解できる。大量輸送を担う鉄道事業者であれば、他の企業より高度なリスク管理が幹部に求められるからである。 真相解明を求める遺族らの強い思いも背景に、検察は前社長の起訴に踏み切ったが、今 回のような重大事故で個人の刑事責任追及に限界があるとすれば、組織の責任を問えるような法整備についても議論を深めていく必要がある。
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