遅ればせながら、明けましておめでとうございます(天暦では、まだ明けていませんが…)。2012年は、ぜひ良い年にしたいものです。 とは言いながらも、み言によれば今は「7年間の大患難時代」の真っ最中です。今年は、その大患難時代の「最後の1年」となります。良い年を目指して歩んでいきますが、困難なことは昨年以上に起きることも覚悟しておくべきでしょう。 以下、大患難時代に関する真の父母様のみ言です。 神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は、6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。 自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。み旨を抱き、考えのある者であるほど、眺めるあちこちに苦痛を感じる時です。 そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。 『文鮮明先生み言選集』第11巻(1961年2月12日のみ言より) まさしく現在は、政治(主義)、宗教、有識者(良心)、家庭(父母の心情)のすべてが揺れて、混沌状態に陥っています。そればかりでなく、今日まで精誠を尽くしてきた聖徒(つまり我々、成約聖徒)にまで、「信仰や良心が揺れるような試練が襲ってくる」と指摘されています。 なぜ、このような大患難時代が訪れるのか。その理由も、同じみ言の中で次のように語られています。 では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。 神様は6000年間、数多くの惨状を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもっては中心を立てられない環境にぶつかるようにするのです。 そのような患難の中でも、『神様を愛する』と言う、そのような難しい場でも『神様と共に生きる』と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。 つまり、復帰摂理の最終段階に至って、二度と神様を裏切ることがないように、神の心情と事情に絶対信仰をもって同参したという機会を与えてくださるためだというわけです。 基元節を迎えた後(本然の時代がスタートした以降)、再び神様を裏切ってしまっては、復帰が極めて困難となります。ある意味では、新しい復帰摂理を考え出さねばなりません。それは大変です。ですから、復帰摂理の最終段階のうちに問題はすべて噴出させて、きれいに整理しなければならないのです。 では、この大患難時代をいかにして乗り切ればいいのか。その方法も、ちゃんと同じみ言の中で説明されています。 それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。(中略) ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。この世界がどんなに乱れても気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます。 すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で天の父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。 最後は神様を信じていけばよろしい、ということです。むろん、究極的にはそうなのですが、我々は完全に霊通していませんので、神様と直接対話しているかどうか分からないことが弱点です。ある現象を「これは神様からのメッセージだ」と解釈することはできても、本当にそれが正しいかどうかの判別が難しいです。 自分自身のモチベーションを上げるために「これは神様からのメッセージだ」と解釈することは有益です。私もしばしば、そのようにして自身の士気を高めています。しかし、本当に神様からの声なのか分かりませんから、多用はしませんし、ましてや他人にまで押し付けたりしません。 したがって、「神様を信じていく」ということを、もっと現実世界に則した方法論に(我々凡人が理解可能な方法論に)落とし込む必要があります。それがすなわち、「真の父母様を信じていくこと」です。 より具体的には、真の父母様のみ言を信じることです。しかるに、真の父母様のみ言も難解であることも多いです。ですから、真の父母様が立てられた人物や組織を信じるということも大切だというのです。私が、教会組織の重要性を強調してきたのは、そういう理由からです。 真の父母様が信頼して立てている責任者や教会組織を、我々信徒が信じられないということは、真の父母様を信じていないことに等しいです。その時点でズレています。仮に、責任者や組織に至らない点があるならば、改善するように協働作業をしたらいいのです。不平や不満を語っているだけでは、何の改善もできません。 ましてや、インターネット上で内部批判をしたり、教会員でもなく祝福家庭でもない霊的な人物と徒党を組んだり、教会から「ダメだ」と言われているグループと歩調を合わせたりしては、すでに真の父母様を不信していることになります。 内部改革というのは、内部にいるからできるのです。外部に出てしまったら、内部改革ではなく内部崩壊を促します。こんなことは、家庭という単位を考えたら分かりそうなものです。 家庭の問題を解決しようとして、家庭を捨ててしまい、インターネット上で「俺の妻はどうだ、子供はこうだ」と批判しても、家族が良くなろうはずがありません。家族との因縁を断ち切ってしまっては、家庭を良くできないです。当たり前のことです。 真の父母様は教会組織のことを「統一家」と語ります。教会組織も家なのです。家族なのです。そして、その家族の中心は、真の父母様であるわけです。その真の父母様が家(すなわち教会組織)を捨てていないのに、家族の一員たる教会員が家を捨てて、下らない内部批判や、インターネット上での終わりなき歴史論争に「うつつを抜かしている姿」は、サタンに操られた人形のようです。 本当に摂理を進めたいのであれば、教会の中に入って進めてください。本当に教会を良くしたいのであれば、教会の中で國進様が行っている持続的改善と歩調を合わせてください。教会内における方法論に異論があるならば、教会内で議論してください。それが天的なルールです。 大患難時代の最後の1年、まっすぐ神様を信じて、真の父母様を信じて、真の父母様が立てられた人物や組織を信じて、希望の基元節を迎えましょう! |
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小林さん、こんなタイムリーな御言をよく見つけて紹介して下さいましたね。ありがとうございます。 |
ポポポヤ〜ン 2012/01/07 09:55 |
まさしく今の時代を象徴するみ言だと思います。 |
光太朗 2012/01/07 11:36 |
私の個人路程では今までで一番苦しい人生を歩んでいるのですが、これも神様のみ意なのだろうと整理されました。 |
平和を愛する天国人 2012/01/07 16:39 |
●ポポポヤ〜ンさん |
小林浩 2012/01/07 21:32 |
>●ポポポヤ〜ンさん |
ぱあ子 2012/01/11 10:08 |
●ぱあ子さん |
小林浩 2012/01/11 21:21 |
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