まあもちろん、すれ違っている部分というのは『POSSE』の記事が各団体の実務面の代表者による対話方式の記事であるために、各団体の思惑がそれぞれ違う方向を向いているという点から受けた印象なわけでして、『奇跡の〜』では主にピースボートの活動ぶりを紹介しているので、その点ではあまり齟齬はありません。たとえば、『奇跡の〜』では第6章に「災害ボランティアは企画力」という章立てがされていますが、『POSSE vol.13』でも一般社団法人パーソナルサポートセンターの事務局次長である菅野氏が、
と指摘されています。つまりは、NPO・NGOが行政では発見できないことや考えつかないことを率先して実践し、それを一つの取組として作り上げたら、その時点でNPO・NGOは解散してしまうということのようです。いわんとすることは十分に理解できますし、そのようなノウハウがあれば行政としても積極的に連携していくべきと思うのですが、その背景にはおそらく資金面の継続性が確保できないという根本的な問題があるのだろうと思います。一方で、それってNPO・NGOで雇われている人にとってはかなり不安定な雇用形態を強いられることとなるように思いますが、労働問題に取り組んでいるPOSSEの今野代表がそこから経験値の蓄積とか人材育成に話を展開してしまっていて、あまり突っ込んだ議論とはなっていませんでした。まあそもそもボランティアがやれば雇用問題は起きないということかもしれませんけれども、生活者である労働者のための組合という生活協同組合で労働問題が発生していたりすることとか思い起こしてしまうのは私の認識が偏っているのでしょう。菅野:ちょっと違う視点かもしれないのですけれども、最近思っているのは、NPOってどちらかというと社会における開発の部門を担っているということなのです。企業でいうとリサーチアンドディベロップの部門を社会の中で担っている組織かなと。その観点からするとNPOはあまり大きくならずに、途中で解体した方がいいのではないかというのを実は持論として持っています。
(略)
様々なスキルや想いを持った人が特定の問題領域に集まってくる。その中で、次のNPOの種になるものができる。場合によってはNPOではなく株式会社のような営利活動になるのかもしれないですが、次の社会問題の解決を担っていく種だと思うのです。
pp.48-49※ 以下、強調は引用者による。
POSSE vol.13 ダメな雇用創出が震災復興を妨げる?
(2011/12/10)
POSSE、古市憲寿 他
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また、個人的には『奇跡の〜』で繰り返される「自己完結」とか「自己責任」とか「責任の所在」という言葉が妙に引っかかりました。
この「山本」氏という方は社団法人ピースボート災害ボランティアセンター代表理事とのことですが、ボランティアの一般的な機能説明として理解するのにはこの説明でいいのでしょうけれども、そもそも「自己完結」で自らの行動「責任を負う」組織が指揮命令系統もない(はずの)「ボランティア」によって構成されているというのはどう理解したらいいのでしょうか。NGOなどの組織が「仕切られる」ことを嫌うとしても、そこに雇用されている職員はその組織の指揮命令系統下にありますし、ボランティア自体もその組織の指示によって作業をしているはずです。「コーディネート」という言葉に惑わされそうですが、ボランティアとして応募してくる方々に「自己責任」とか「自己完結」を強調するのはどうにもブラック企業臭を感じてしまいます。いやもちろん、非常時に行うべき莫大な作業があって、それを担う人員が決定的に不足している状態だからこそ平時の雇用形態にとらわれない指揮命令系統が必要なのだろうとは思いますが。山本は「石巻モデル」の成功の秘訣として、個々に集まるボランティアおよびNGOなど、団体間のもめごとが少ないことを挙げた。つまり、よい意味で団体間の協調性が保たれているのだ。
「これはNGOなどの団体の欠点でもあるのですが、誰かに『仕切られる』のを極端に嫌うのです。それは、災害支援という共通の目的があっても、その団体の設立の趣旨や経緯が違う以上、仕方がないことなのです」
確かに「自己完結」の考え方ひとつとっても団体間の意識はバラバラだ。
pp.93-94
山本は「ニーズ調査」は大切なことだが、それをやるボランティアは、その後の解決までを責任として果たすべきだと語っている。逆説的に言うと、解決のできない、必要以上のニーズ調査はやるべきではないというのが山本の考えだ。
「ボランティアは物事を具体的に解決する集団。当然、責任も生じる」
ボランティアが行政と連携し、本当の意味での災害時の「機能」となるためには、この具体的な解決能力が必要不可欠なのだ。そのためには、災対会議で負った責任を全うし、毎日の成果を具体的に「数字」で発表する必要があったのだ。
pp.195-196
奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」 (朝日新書)
(2011/10/13)
中原一歩
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しかし、それとは対照的に、被災者に対しては自己責任論がおとなしくなるという現象があったりもします。これについては前述の菅野氏が、
と指摘されています。まあ結局、自己責任論の広がりが行政による所得再分配などの社会保障的機能を阻害していたわけで、反貧困運動はそれに対する告発だったと理解することもできそうです。となると、結局のところ行政を縛っているのは自己責任論を振りかざす「民意」とそれに立脚する「セージシュドー」だったということになりそうな気もします。自己責任論が一方ではボランティアの働きを促進し、一方では公的セクターの動きを阻害するというのは大変興味深い現象ではありますが、この流れを突き詰めていくとNPO法人ほっとプラス代表理事の藤田氏が、菅野:(略)
逆に変化したところなのですが、被災地で何らかの事業を実施する分にはお金が付きやすくなったのではないかなと思っています。震災が起こると一応世論も味方につくし、自己責任論とか、今まで支援を邪魔していたものが全部なくなってしまう。その影響が行政との連携で特に出ています。とても普通の行政とは思えないぐらい動きが速い。
『POSSE vol.13』p.35
とおっしゃるような話になってしまいます。震災後の行政機能の低下は小さな政府を推し進めた結果であることには異論はありませんが、このように公的セクターの機能不全を所与のものとしてしまうことは大変危険な議論だと思います。たとえば、中央政府がやらないから地方政府が所得再分配をやるべきだという地方自治体が、負担増を伴うことなく老人の医療費を無料化するという老人医療費支給制度を始めてしまい、それが全国に波及して保険財政が逼迫するという事態を招いたわけでして、その轍を踏んでしまいかねません。あるいは2世紀近く前のイギリスのスピーナムランド制度が同じような結末を迎えたことからも、適切な規模の政府を持たなければ所得の再分配は実現しないという歴史の教訓を学ぶ必要があると思います。藤田:もう行政はだめだと思うんですよ(笑)。小さな政府になっていますし、公務員も減らすことしか考えてないのが大きな流れですので、行政にやれと言っても難しい。かといってあまり企業に求めてもしょうがないと思っているので、自前の市民が動きやすいようにお金の回りを作らないといけないと思っています。要は寄付してくれって話なんですよね。
『POSSE vol.13』p.54
そういう点に注意していけば、『奇跡の〜』は今回の震災においてどのような取組が功を奏したのかという一つの事例を知るためにとても有用だと思います。特に「受援力」という概念は、ボランティアやNPOなどの現地の活動を円滑に行うために全国の自治体関係者は理解しておくべきでしょう。その上で個人的に物足りなかったのは、石巻で医師を名乗って逮捕された容疑者についての記述が一切なかったことでして、「古い公共」との関係についてはもう少し丁寧な検証が必要かもしれません。
百個の部品を造る職人と同十個の者が居たとして、所得が10倍になるのは自明の理ではないか。これが平等。
政府がしゃしゃり出てきて、この2人の生活水準を平均化したとすれば、有能と無能・勤勉と怠惰の差は無意味であると言っているに等しい。それは平等ではない。
また、反貧困・反格差の人々は、とにかく公務員批判は悪だ、公務員給与を一銭も減らさぬ、公務員減らせ論者は新自由主義者だ!ネオコンだ!と発狂にも似た発言をされるが、利害調整を言うなら、小さな政府論者や政府の過干渉を批判する人々、あるいは公務員給与や福利厚生を批判する人々との対話に応ずるべきだ。
消費税のバーターとして公務員給与削減は必要。
特に疑問なのが、普段はやれ助け合いだの再分配だのと言っていながら、公務員どうしのワースシェアは絶対にやろうとしない。あるいは、普段は貧しい者の味方を装っていながら、ぬけぬけと「公務員給与と比較する民間給与に低賃金労働者が入っているのはおかしい。あいつらは物の数には入らぬ」と言ってのける。
恥知らずではないか
天下り廃止にも一切応じない、我々の取り分はびた一文減らさぬという公務員原理主義者、公共無謬論者が、市場原理が云々と言う資格はない。
直前のエントリで「なってほしくない大人」について書いた途端に、それを体現される方からコメントをいただくというのも何かの縁ですね。是非対話させていただきたい…と思ったのですが、冒頭の「所得再分配を所与のものと考えるほうが違和感があります」から始まって、ほぼすべての論点が拙ブログで議論していないことのようでして、どこから議論を始めればよいのか途方に暮れております。
> 所得再分配を所与のものと考えるほうが違和感があります。味噌も糞も結果が平等、これが『当たり前』と、そういっているように聞こえる。
ええと、私は直前のエントリで「自らが稼得した所得を他人へ配分するという公的な所得再分配政策についての合意を得て、その結果として各家計の所得が公的セクターを通じて消費や投資に回されて流動性供給が増加し、マクロの経済成長がもたらされるという事態にいたることはないだろう」と指摘しているとおり、所得再分配という難儀な作業が完遂されることを所与のものとは考えておりません。もし「所得再分配を所与のものと考える」ような議論がされていれば、それは私にも「味噌も糞も結果が平等、これが『当たり前』と、そういっているように聞こえる」でしょう。
> 百個の部品を造る職人と同十個の者が居たとして、所得が10倍になるのは自明の理ではないか。これが平等。
>
> 政府がしゃしゃり出てきて、この2人の生活水準を平均化したとすれば、有能と無能・勤勉と怠惰の差は無意味であると言っているに等しい。それは平等ではない。
ロールズのマックスミンも真っ青の分配論ですね。この点についても私は革命烈士さんのご指摘に賛同いたします。なお、稼得能力と所得の再分配の関係については、太田啓之『いま、知らないと絶対損する年金五〇問50答』の問答6でコンパクトにわかりやすくまとめられていますので、ご一読をおすすめいたします。
http://www.amazon.co.jp/dp/4166608029
> また、反貧困・反格差の人々は、とにかく公務員批判は悪だ、公務員給与を一銭も減らさぬ、公務員減らせ論者は新自由主義者だ!ネオコンだ!と発狂にも似た発言をされるが、利害調整を言うなら、小さな政府論者や政府の過干渉を批判する人々、あるいは公務員給与や福利厚生を批判する人々との対話に応ずるべきだ。
反貧困運動界隈にはあまりシンパシーを感じない私からすれば、反貧困・反格差の方々も十分に公務員批判されていますし公務員給与の削減も力強く主張されていると思っておりましたが、革命烈士さんがご覧になっている風景が私には見えていないのかもしれません。精進いたします。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-286.html
> 消費税のバーターとして公務員給与削減は必要。
「増税をする前にやることがある」という台詞は、負担増を嫌う票を失いたくない政治家がよく使うフレーズですが、上記の太田著で整理されているような所得再分配が望ましいと考える立場からすれば、その所得再分配を受ける立場の方にそのフレーズが膾炙していく様は異様に思えます。ケインズの言葉を借りれば、「労働者を失業させ、政府職員の所得を減らして、直接、間接に影響を受けた人たちがこれまでと同じように輸入品を買うことができないようにすれば、輸入が減少した分、イギリスの国際収支の問題は緩和する。しかしその幅が、節約の総額の20パーセントを超えることはないだろう。残りの80パーセントは無駄になり、イギリス国民が他人からものやサービスを買うのを拒否したために起こる損失の転化か失業の形であらわれることになる。
以上に述べた点はまったく確かなのだが、節約を声高に求める人のなかに、自分たちの主張が実際にもたらす結果をわずかでも理解している人が百万人に一人いるかどうかは疑問だと思う。」というところですね。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-443.html
> 特に疑問なのが、普段はやれ助け合いだの再分配だのと言っていながら、公務員どうしのワースシェアは絶対にやろうとしない。あるいは、普段は貧しい者の味方を装っていながら、ぬけぬけと「公務員給与と比較する民間給与に低賃金労働者が入っているのはおかしい。あいつらは物の数には入らぬ」と言ってのける。
>
> 恥知らずではないか
ワースシェアはワークシェアとかワークフェアのタイポでしょうか。いずれにしても、「公務員給与と比較する民間給与に低賃金労働者が入っているのはおかしい。あいつらは物の数には入らぬ」という議論は、私は不勉強ながら聞いたことがありません。ただ、統計データを扱うに当たってデータ単位や時期などを揃えることは客観的な比較を行うための基本となりますので、大卒者の割合の高い正規雇用の公務員給与である予算上の人件費から算出した平均と、家計補助的な非正規労働者の給与を含む民間給与実態統計調査の平均を比べるのはあまり正確な比較にはならないのではないかと思います。
> 追加
>
> 天下り廃止にも一切応じない、我々の取り分はびた一文減らさぬという公務員原理主義者、公共無謬論者が、市場原理が云々と言う資格はない。
拙ブログでは天下りには弊害もあるけど利点もあるのではないかと考えておりますし、実際に我々公務員の給与は民間給与に合わせて増減していまして、寡聞にしてご指摘のような議論は存じません。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-405.html
大変残念ですが、革命烈士さんが何かに憤っていらっしゃることは伝わるものの、その内実がよく分かりませんでした。対話って難しいですね…というのは表層的な感想でして、革命烈士さんが実生活においてどのような利害関係にいらっしゃるのかという情報がないために、そのご発言の趣旨がつかみ取れないのではないかと思います。大変申し訳ございません。
その上で革命烈士さんの気が向いたらで結構ですが、ご自身のご家族や友人、職場の同僚といった身の回りの方々と、お互いにどのような利害関係を持っているか話し合ってみてはいかがでしょうか。そのとき、できれば障害を持つ方や震災などで被災された方など生活に支障を来している方々、さらにはその方々の生活を支援する職業(医療や介護、福祉など)に従事する方々の利害関係についても想像していただけるとありがたいと思います。
私は年収900万程度の民間労働者の平民ですよ
消費税増税に失敗すれば、中所得層の所得税が増税されることは間違いないので、消費税増税してほしいのですが。
増税派は、あらゆる方策を以て増税しないと財政が危機であることを知っている。ならば、なりふり構わず、妥協しながらでも政策を実行するべきではないか。
「公務員叩きガー」「再分配ガー」と、自分たちの下らない知のみを振るって世間に迎合しなければ、その思想と同じく増税論までが宙に浮いたままになってしまう。
「自分が高潔な考えを持っているなら流される必要はない」というのは、思想家としては問題ないが、実務家としては失格。世論の納得を得られずに増税できるわけがない。
>ケインズの言葉を借りれば、「労働者を失業させ、政府職員の所得を減らして、云々
失業が絶対悪いのか? ケインズの思想は、政府の介入・肥大化によって失業を無くす社会主義的な要素がある。
失業も貧困も無いソ連は素晴らしい国なのか。
再分配するということは、分配される人以外の誰かが損をすると言うこと。政府の所得増加は、民間で稼ぐ人からの収奪と等しい。確かに政府が支出すれば経済が上向く可能性もある。
しかし、たかが全体の経済状況と、国民にとっての自由・公平のほうが大切だと思いますね。
再分配をしても、かえって不公平感が蔓延している現状を見ても、再分配は失敗。
別に、格差があってもいいじゃん。いやむしろ、格差が無いほうがおかしい。無能な企業や個人は倒産や貧困に甘んじるべき。
そのうえで、今の日本は、借金を踏み倒しても殺されたり人身売買されることはないし、ナマポを貰って底辺労働者以上の生活を営むこともできる。
これ以上、なにが不満で再分配をせねばならないのか理解不能。
だいたい、引用されてるケインズの話を聞く限り、『政府は肥大化すればするほうが良い、そのために民間から税を搾り取るほど良い、政府が支出をばら撒いて経済を主導する」
こんな時代遅れの社会主義を持ち出すこと自体、見識を疑う。
国営企業は成功したんですか? むしろ、大金をドブに捨て、非効率の誹りを受け、次々に民営化していった。
『政府が税を取り、支出をばら撒いて経済を主導する』なんてのは、税金を便所に流すようなものだ。
いまだに、市場より政府が頭いい と考えているものが居るとは。どこの政府なんでしょうかね