官邸の5日間(連載第9回)
朝日新聞朝刊に連載中の「プロメテウスの罠」の本日(2011年1月11日)掲載分を以下に引用します。
■官邸の5日間:9
18分間の会談
東京電力社長の清水正孝が官邸に着いたのは15日午前4時17分だった。
5階で首相補佐官の寺田学が出迎えた。寺田は結局、撤退拒否の菅直人の意向を清水に伝えなかった。
清水は同行の社員2人と分かれ、ひとりで菅の待つ応接室に入った。
菅は「ご苦労様です。お越し下さり、すみません」とあいさつし、いきなり結論を告げた。
「撤退などあり得ませんから」
官房長官の枝野幸男、経済産業相の海江田万里、官房副長官の福山哲郎と滝野欣弥、藤井裕久、首相補佐官の細野豪志らが同席していた。一同が清水の言葉を待ち構えた。
「はい、分かりました」
両手をひざに置いた清水が、小さく頭を下げた。
清水の返事を聞いた海江田は、「ん?」と思ったと振り返る。「あれだけ撤退を強くいっていたのに」
さらに菅はたたみかけた。
「細野君を東電に常駐させたい。ついては机と部屋を用意して下さい。東電に統合本部をつくるから。お互いの情報を共有しよう」
清水は驚いた表情を見せたが、「分かりました」と答えた。
これで「事故対策統合本部」が設立された。政治が民間企業に乗り込み直接指揮する超法規的組織だ。
何時に東電に行けばいいか、菅が清水に尋ねた。清水は、2時間程度かかる旨を返答した。
「そんなんじゃ遅いです。1時間後にうかがうので、部屋、用意して下さい」
了承した清水に、「じゃあ、どうぞ。用件は終わりました。準備して下さい」。18分間の会談だった。
菅の東電行きが決まり、首相秘書官が大声を上げた。
「東電に行くらしい」「官邸の記者クラブに通告しろ」……
その大声を聞いた東電広報部課長の長谷川和弘(48)は、一緒に清水に同行した国会担当の東電社員が携帯電話で電力総連関係の民主党議員に電話しているのも見た。
「先生、何とかなりませんか」
何ともならなかった。
執務室に戻った菅は、ひとり机に向かった。常に傍らに置いているA5判の「菅ノート」に、事故対策統合本部の人事案が書き込まれた。
《本部長 菅 副本部長 海江田 清水 事務局長 細野……》
午前5時28分。菅は東電本店に向かった。海江田、福山、細野、寺田が続いた。(木村英昭)
(引用終わり)
この日の午前6時14分に、2号機が爆発します。
つまり、午前5時28分に菅前総理が東電本店に向かった時には、既に遅しということだったのです。
というよりか、誰も爆発を止められなかったというのが正しいでしょう。
ベントはできなかったし(参照①、原子炉の圧が高すぎて、原子炉内に注水できなかったわけですから。(参照②)
参照
①2012年1月5日当ブログ記事:官邸の5日間(連載第3回)
3月14日の3号機爆発は、2号機の弁を開ける電気回路を壊していた。このため、格納容器の圧力を下げる弁が閉じてしまった。
午後8時を過ぎて今度は、「圧力が高く、原子炉に水が入らない」という報告が届いた。
②2012年1月6日当ブログ記事*官邸の5日間(連載第4回)
1度目の時間帯は14日午後7時からの約2時間。2号機の燃料棒が全部露出して圧力容器が「空だき」になった事態を、東京電力が経産省などに通報したころに当たる。
午後10時50分、2号機の原子炉格納容器内の圧力が設計上の限界を超えた。2度目の時間帯は、その後の日付が変わるころ。格納容器の圧力を逃す、最後の弁操作も失敗したころだった
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