東日本大震災から11日で10カ月。給付期間が延長されていた雇用保険の失業手当が、今月から切れ始める。岩手、宮城では水産加工など基幹産業は回復せず、失業者の生活再建の見通しは立っていない。一方、福島第1原発事故の避難者は帰還のめどもない中での職探しを強いられ、「仮住まいのままでは安定した仕事は見つけられない」との声が出ている。
「1月末で(失業手当が)切れるのだが、求人は重機の資格や経験が要る仕事がほとんどで、自分に合ったものが出てこない」。妻と4歳の娘を抱える岩手県大船渡市の元水産加工会社従業員、佐藤敬人さん(35)は漏らす。
ハローワーク釜石(釜石市)によると、釜石市と大槌町の有効求人倍率は震災直後(昨年4月)は0.20倍だったが、9月0.50倍、11月0.56倍と、震災前(2010年11月)の0.48倍を上回る水準まで回復した。
一方で有効求職者数は、昨年4月の3067人が同9月には2155人まで減少、それ以降は動きが止まっている。背景には、求人が本人の希望職種と合わないミスマッチがあるとみられる。
職種別有効求人倍率は、震災で需要が大幅に増した警備・保安関係の22.17倍、建設・土木技術の1.75倍に対し、一般事務員や販売業、食品加工業は0.2~0.3倍台と大きな開きがある。
【市川明代、神足俊輔】
日本製紙の石巻工場の関連会社に勤める宮城県石巻市の男性(35)は、所属していた職場が津波で流されたことに伴い、現在は会社敷地内のがれき処理を担当している。1カ月の勤務日数は12~13日に減り、手取りの収入も震災前の3分の1の約7万円になった。家族5人を養わなければならないが「将来が見えない」。14年間勤めた会社を辞めて、求人の多い建設業界への転職も考えているが「重機の免許など資格がないと選択肢は少ない」と肩を落とす。
石巻市の女性(58)は、32年間勤務した自動車部品販売会社が被災したため、退職した。ハローワーク通いを続けているが職は見つからない。失業手当が切れるのは5月で焦りが募る。「この年齢では難しいだろうなあ」【熊谷豪】
元原発関連企業の社員で、沿岸部の福島県浪江町から内陸部にある福島市内の仮設住宅に妻子と避難中の男性(41)は失業手当が今月中に切れる。今後は貯蓄を取り崩すしかない。震災後、沿岸部にある復興関連の会社から採用通知を得た。だが、小学2年の長女は震災後2回学校を変え、ようやく慣れたばかり。通える範囲で仕事を探すことにしたが、「放射線量が下がって町に帰る時、すぐに辞められるのか」という悩みもある。「手当は国から与えられるものじゃない。働いて納めた(雇用)保険なんだから、もっと延長してほしい」と訴える。
原発から約5キロの双葉町長塚に住んでいた元原発作業員、蜂須賀勝さん(52)は郡山市の借り上げ住宅で妻(50)と暮らす。失業手当は4月末で切れるが、経験を生かせる求人は見つからない。「自治体の緊急雇用対策は短期の『つなぎ』ばかり」。15万円かけて自動車学校に通い、建設現場で使う特殊免許を取得した。
「帰れないなら、はっきり言ってほしい。借り上げに住める期限が過ぎたらどうなるのか。夫が50歳過ぎから現場で車を操作するのも心配」と案じる妻に蜂須賀さんが言った。「やるしかないよ」【野倉恵、馬場直子】
毎日新聞 2012年1月10日 2時30分(最終更新 1月10日 8時42分)