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前回までのあらすじ

隼樹「プレシアさんの悩みを解決しました。ぶっちゃけ、重かったです」
平凡世界編
第6話:遭遇
 早く帰りたい、と隼樹は思うのだった。
 東京某所。朝の出勤や朝帰りの会社員で、歩道は一杯だった。混雑こそしていないものの、狭い道では片方が譲らなければ通れない状態である。
 夜勤明けの隼樹も、黒いスーツに身を包み、カバンを片手に歩いていた。ちぎれ雲が浮かぶ青空を見上げ、外の空気を味わう。
 朝から機嫌が良かった。プレシアが作ってくれた弁当は、本当に美味しかった。伊達に子持ちの母をやっていない。隼樹の中では、母親よりもプレシアの方が、料理のレベルは上だった。
 そんな料理の腕前良し、見た目良し、性格良しなプレシアが居る家に、早く帰りたかった。勤務中は、職場の時計を睨んで、早く時間が過ぎるよう祈っていた。まあ、そんな事をしても時間経過は早くならないが、それほどまでに早くプレシアに会いたかったのだ。彼女の為に、会社を抜け出てまで家に帰った『ク●し●』のヨ●りんの気持ちが、今の隼樹には解る事が出来た。
 プレシアが来てくれて、隼樹は幸せな気分だった。
 勿論、彼女の娘のアリシアの存在も欠かせない。仕事から帰ってきた時に、「お兄さん、おかえりなさい」と笑顔で挨拶されたら凄く癒された。まるで、妹が出来たような感覚だった。アホな弟よりは、可愛い妹の方がいい。遊び相手としては、アホな弟の方がいいが、最終的には可愛い妹を選択するだろう。
 このように、プレシアとアリシアによって、隼樹は充実した毎日を送り出していた。両親と対決したり、プレシアの悩みを解決したり、色々やった甲斐があった。
 二人の事を考えると、駅へと向かう足が自然と早足になる。
 その途中で、隼樹の足が止まった。
 ある疑問が、隼樹の頭に浮かんで、足を止めたのだ。
 ──そういえば、俺とプレシアさんが使った以外のジュエルシードって、何処に行ったんだろう?
 プレシアは、9個のジュエルシードの力で、この世界に来たのだ。そして、プレシアの手元には、魔力を失ったジュエルシードが4個ある。おそらく他のジュエルシードは、この世界に渡ってきた時の衝撃で、別の街に散らばったのだろう、とプレシアは言っていた。
 隼樹はプレシアと最初に出会った夜に倒した、ジュエルシードの思念体を思い出す。あんな化け物が、街中で暴れたら大変な事になる。
 ──まあ、違う街だったら別にいいか。
 基本、お気楽でめんどくさがり屋で、他人は他人と割り切る隼樹は、他所で何が起ころうとどうでもよかった。
 歩きを再開させた隼樹は、すぐに足を止めた。
 人々が行き交う街中で、妙な人を見つけたのだ。思わず、「ん?」と声を漏らし、片眉を上げて怪訝な顔になる。
 視線の先には、一人の女性の姿があった。太陽の光を受けて煌めく長い銀髪、血のような真紅の瞳、モデルのような体型に、露出の高い黒のワンピースを着た美女である。季節的に違和感を憶えるワンピースは、体にピッタリとフィットしてラインが浮き出ているので、かなりエロい格好に見える。
 ──メチャクチャ綺麗じゃん!
 見た最初こそ、美女の綺麗さに素直に驚いていたが、次第に冷静になって、ある事を悟った。
 ──もしかして、魔法関係か……?
 根拠は無かったが、隼樹は直感した。上手く言えないが、感じと言うか、雰囲気がプレシアと似てるのだ。この世界の人間ではないオーラ、とでも呼べるモノが出ているのである。神秘的な銀髪や紅い瞳は、とても染めやカラーコンタクトとは思えない。全てが本物に見える。
 変わった外見や雰囲気で、美女がプレシアと同じ人間だと察した。
 美女を見つけた隼樹は、正直どうしようか悩んだ。本音を言えば、出来るだけ他人の厄介事には関わりたくない。
 しかし、よく見れば銀髪の美女は、困惑の表情を浮かべて、周りをキョロキョロと見回している。まるで、上京したばかりの田舎学生みたいな様子だ。奇抜な外見もあって、通り過ぎる人達から好奇の目を向けられている。
 その姿に居たたまれなくなり、隼樹は仕方なく手助けする事にした。
 歩み寄り、勇気を出して声をかけた。

「あの〜」
「え? あっ、はい」

 後ろから声をかけたので、銀髪の美女は振り返った。
 綺麗な顔と向かい合い、隼樹は緊張と興奮が混ざって動きが固くなる。

「どうかしたんですか?」
「いえ、その……」

 他人に言えない事情なのか、銀髪の美女は答えに窮する。
 困ってる様子を察して、隼樹は言った。

「あの……もしかして、ミッドチルダから来ましたか?」
「ミッドチルダを知ってるのですか!?」

 物凄い勢いで、銀髪の美女は食いついてきた。
 プレシアの出身世界に反応したのを見て、隼樹は自分の予想が当たっていた事を確信した。


     *


 銀髪の美女を連れて、隼樹はファミレスに来ていた。客は隼樹達を入れても数える程しか見られず、思っていたよりも少ない。他人に聞かれたくない話をするには、助かる状況だった。
 メニューから適当に飲み物を注文して、店員が運んできてくれた。
 コーラを一口飲み、隼樹が話を切り出した。

「あの……貴女は誰なんですか?」

 不器用な隼樹は、ストレートな質問をした。
 銀髪の美女は、神秘的な紅い瞳を向けて答えた。

「私の名は、祝福の風──リインフォースと言います。かつて『闇の書』と呼ばれた、ロストロギアの管制人格です」
「ロストロギア!?」

 思わず隼樹は、驚きと怯えの混じった声を上げ、席を立ってしまった。
 他の客や店員の視線が、一斉に隼樹達に集まった。
 周囲の反応に気付き、隼樹は謝って席に着いた。
 店内で大声を上げるのは良くないが、無理からぬ反応だった。隼樹にとって、ロストロギアとは奇跡のアイテムと同時に、危険なアイテムという認識があるからだ。プレシアと出会った最初の夜に、ジュエルシードの思念体という化け物に遭遇し、危うく殺されるところだった。初めて命の危険を感じた事件であり、その事が少しトラウマとなってロストロギアに対して過剰な反応を示してしまったのである。

「す、すいません。大きな声出して……」
「いえ。ロストロギアを知っている者ならば、そういう反応も珍しくはありません。ですから、どうか気にしないで下さい」

 謝る隼樹に、リインフォースは優しく言った。
 しかし、顔を上げて見ると、リインフォースは少し悲しげな笑いを浮かべていた。
 隼樹は、自分の反応を酷く後悔した。
 ──ああ、ちくしょう! 俺って、ホントダメだな……!
 心中で自分に毒づき、隼樹は顔を顰めた。
 すると、リインフォースが不安を取り除くように言った。

「安心して下さい。今の私には、ロストロギアとしての脅威はありません」
「え? どういう事ですか?」

 隼樹の問いに、リインフォースは胸に手を当てて答える。

「以前、私の中には脅威の元凶となる防衛プログラムと言うシステムがありました。他の魔導師の魔力を奪い、本体である闇の書の主の命すら蝕み、世界を破壊する凶悪なプログラムです。そのプログラムを、ある魔導師達が破壊してくれました。
 しかし、その時の私の中には修復機能があり、遠からず新たな防衛プログラムが造られてしまうのです。ですから私は、自らの消滅を望み、魔導師達に託しました」
「はあ!?」

 納得出来なかった。
 何故そう簡単に、自分の死を選んだのか隼樹には理解出来なかった。偉そうな事は言えないが、隼樹も自殺を考えてた時があった。就職活動が上手くいかず、親からも説教を受け、もう苦しくて死んでしまおうかと思っていた。だが、隼樹は死ななかった。死んでしまったら、大好きな漫画やアニメを二度と楽しめないからだ。それから隼樹は、就職活動を頑張り、何とか就職する事が出来た。給料で、今まで以上に趣味を楽しめる事も出来た。更に、プレシアとアリシアに出会い、充実した毎日を過ごしている。もし、死んでいたら、こんな楽しい時間を堪能する事は出来なかった。死ぬと言うのは、可能性を自ら諦める行為なのだ。リインフォースも諦めず、死ぬ事を選ばずに頑張っていれば、もしかしたら別の方法を見つけて、主達と楽しい日々を過ごせたかもしれない。その可能性を、リインフォースは自ら捨てたのだ。馬鹿な事をしようとした隼樹だから、リインフォースの馬鹿な決断に怒っていた。
 それと同時に、消滅させる役を引き受ける方も引き受ける方だぜ、と隼樹は思った。その魔導師の事はよく分からないが、おそらくリインフォースの事も救おうとしたのだろう。そうでなければ、最初から防衛プログラムとやらごとリインフォースも消しているハズだ。しかし、だからと言って彼女の消滅の手助けをしたのは、納得出来ない。例え、魔導師達にとって苦渋の選択であったとしてもだ。もし、本当にリインフォースを救いたければ、それこそ死ぬ気で他の救いの手段を探すべきだ。
 全くもって隼樹には理解出来ず、腹の立つ話だった。この怒りは、個人的に気に入らないだけで、断じて正義感からくるモノではない。
 怒りの中で、ふと隼樹はある矛盾に気付いた。

「ん……? あれ? おかしくないですか? 今の話の流れだと、リインフォースさん消滅したんですよね?」
「はい。確かに私は、小さな魔導師によって消滅しました。ですが、私はこうして此処に存在しています。考えられる可能性は、おそらく私の中にあった修復機能だと思われます。
 消滅した後、残っていた僅かな修復機能が働いて、私の体を再生させたのでしょう。そして、別次元のこの世界に流れ着いた」
「あの、じゃあ……その、防衛プログラムも、ですか……?」

 リインフォースに悪いとは分かっているが、どうしても怯えた声を出してしまう。
 するとリインフォースは、怒った様子も見せず、微笑んで言った。

「いいえ。先ほども申し上げた通り、私にはロストロギアとしての脅威はありません。再生されたのは私の体だけで、防衛プログラムまでは再生されてません。おそらく、修復機能そのものが、私の体を再生させたところで消滅したのでしょう。なので、貴方やこの世界に危害を加えるような事はありませんので、安心して下さい」
「は、はい……」

 リインフォースの話を聞いて、隼樹は安堵の溜め息をついた。
 ロストロギアと聞いて、ジュエルシードの思念体のような怪物に変身するのでは? と想像してたので心底安心した。

「それで、リインフォースさんはこれからどうするんですか?」
「……私にも分かりません。ここは、主が居た世界に似てますが、全く別の世界です。私を知る者は一人もいません……」

 寂しそうな顔で、リインフォースは窓から外を眺めた。
 隼樹も、ウーム、と悩んだ。流石に、リインフォースも家に居候させる訳にもいかない。正直、プレシアとアリシアで一杯である。それに、両親を説得させる上手い言い訳も思い付かない。家に泊めるのは、無理だろう。
 どうしたものか、と隼樹が悩んでいる時だった。
 急に、リインフォースが険しい顔で立ち上がったのだ。

「リ、リインフォースさん?」
「近くで、魔力を感じます……!」
「えっ!?」

 恐る恐る聞いた隼樹は、驚いて声を上げた。
 心当たりはあった。バラバラに散った、他のジュエルシードが発動した可能性だ。
 リインフォースは、移動を開始する。
 慌てて隼樹は声をかけた。

「ちょっ……どこ行くんですか!?」
「魔力の発生源です。貴方は此処に居て下さい」
「いや、ちょっ……待って! あっ、すいません、お勘定!」

 勘定を済ませ、隼樹はリインフォースの後を追った。
 空を飛んで移動しなかったのは、幸いだった。飛行されたら見失ってしまう。リインフォースが走っていく方角は、人が少なく、大きなビルも無く家が建ち並ぶ場所だった。
 完全に人気が無くなった所で、リインフォースはようやく足を止めた。涼しい顔をしているリインフォースに対し、後を追っていた隼樹は汗をかいて息が乱れていた。自慢では無いが、体力には自信が無いのだ。
 肩を上下に揺らして、リインフォースに何事か聞こうとした時だった。
 グオオオオオオオオオオオオオ!
 この世のモノとは思えない、雄叫びが響き渡った。
 大気を揺らすような雄叫びに、隼樹は驚いて起立の体勢で固まった。
 目の前にある神社に、大きな怪物が佇んでいた。全身が真っ黒で、ゴツゴツと岩のような物が皮膚と同化しており、爪も鋭く、細い木なら軽く切断してしまいそうな感じだ。口から覗く牙も立派で、人間相手なら一撃で仕留められるだろう。
 そんな大型犬を遥かに超える大きさの犬のような怪物が、雄叫びを上げていた。

「……」

 怪物を目にした隼樹は、完全に脳がフリーズしていた。
 以前に、ジュエルシードの思念体の相手をしたからと言って、そう簡単に慣れるモノではない。それに、見た目だけなら目の前に居る犬の怪物の方が怖い。
 そして、犬の怪物の目が隼樹とリインフォースに向けられた。

「グオオオオオオオオ!」

 再び雄叫びを上げ、犬の怪物が襲い掛かってきた。尋常で無い脚力で、一気に距離を縮めてくる。

「わっ! わっ!」
「下がって!」

 怯える隼樹を庇うように、リインフォースが前に出て怪物に手をかざした。
 直後、黒い魔法陣のデザインの障壁が展開され、犬の怪物の突進を防いだ。
 しかし、強度が脆いのか、犬の怪物の力が強いのか、障壁に亀裂が走った。もう一撃強い衝撃を受ければ、砕けてしまいそうだ。
 リインフォースは歯を食いしばり、険しい顔になる。明らかに、再生前に比べて魔力が落ちているのだ。この程度の敵は、以前のリインフォースなら軽く倒す事が出来た。しかし、魔力が不足している今の状態では、攻撃を防ぐのにも必死だ。
 障壁をそのままに、リインフォースは隼樹を抱えて後ろに下がり、距離を取った。地面に隼樹を下ろし、先ほどと同じように手をかざして足下に黒い魔法陣を展開させた。魔力を掌の前に集中させ、黒い球体を生成する。
 そして、犬の怪物が障壁を砕いたと同時に、魔力を圧縮させた球体を投げつけた。一流のピッチャーも真っ青なスピードで放たれた球体は、見事に犬の怪物に直撃し、爆発を起こした。大気が震え、爆風が周囲に吹き、爆心地は黒い煙に包まれる。

「やったか……?」

 リインフォースの呟きに、隼樹は首を傾げた。
 ──多分、やってないな……。
 何となくだが、隼樹はそう思った。あの程度の攻撃では、まだ倒せていないと直感する。
 そして、その直感は当たった。
 煙の中から、ほぼ無傷の犬の怪物が姿を現した。しかも、今の攻撃でかなり怒っている。

「グオオオオオオオオ!」

 先ほどよりも大きな雄叫びと共に、犬の怪物はリインフォース目掛けて突進した。防御が間に合わず、リインフォースは腹に突進をモロに受けてしまう。単純な攻撃だが、威力は高かった。

「ぐふっ……!」

 強い衝撃を受け、リインフォースは後方へ吹き飛ばされる。地面に倒れ、打撃を受けた腹を押さえて体を丸くしている。
 彼女の隣に居た隼樹は、恐怖で一歩も動けなかった。
 ──こ、こんな化け物が居ていいのは……漫画やアニメの中だけだ……!
 涙を浮かべ、隼樹は心中で呟いた。腰を抜かしてないだけ、まだ上等だろう。

「グルルルル!」

 隼樹の横を通り過ぎて、犬の怪物は倒れてるリインフォースに向かう。一般人の隼樹より、魔力で体が形成されてるリインフォースの方が獲物として最適だと判断したのだろう。弱った獲物に、ジワリジワリと近付く。
 リインフォースは、苦痛の表情を浮かべて立ち上がった。ダメージは内部にまで及んでいて、明らかに動きが鈍くなっている。
 犬の怪物は、すぐ目の前まで迫っていた。
 ──やられる……!
 紅い瞳で犬の怪物を睨み、リインフォースはそう思った。
 犬の怪物が大きく口を開き、ズラリと並ぶ鋭い牙を見せた。
 その時だった。

「ま……待てよ、コラァァァァァァ!」

 掠れた声を咳払いでなおした後で、大きな声が響いた。
 リインフォースと犬の怪物は、声の主に顔を向けた。
 犬の怪物から五メートル程離れた所に、声を上げた隼樹が立っていた。足はガクガク震えて、怖がってるのが容易に分かる。

「な、何をしてるんですか!? 早く逃げなさい!」

 慌ててリインフォースは、逃げるよう叫んだ。
 さっきの叫びで、犬の怪物の矛先が隼樹に移ったのだ。獲物を狩る瞬間を邪魔されて、ご機嫌斜めになったようだ。
 隼樹は、吹けば一瞬で消えてしまいそうな勇気を絞り出して、言った。

「ビ、ビビりだって……たまには強い時が、ある……と思う……」

 ハッキリ言い切れないところが、隼樹と言う人間なのである。

「グオオオオオオオオ!」

 踵を返し、犬の怪物は案の定、隼樹に標的を変えて襲い掛かった。
 リインフォースも駆け出すが、距離的に間に合わない。
 恐怖に耐えきれず、隼樹は硬く目を閉じた。瞼に覆われ、視界が真っ暗になった瞬間だった。

「ギャィィィィン!」

 悲鳴が聞こえた。
 犬が暴力を受けた時のような悲鳴が、耳に入ってきた。
 隼樹は、恐る恐る目を開けた。視界に捉えたのは、一人の女性の後ろ姿だった。その背中は、隼樹もよく知る女性の姿だった。

「大丈夫、隼樹?」

 女性は顔だけ振り向け、隼樹に問うた。
 隼樹は、驚いた顔で声を上げた。

「プレシアさん!?」
「その様子なら大丈夫そうね」

 隼樹が無事な事を確認して、プレシアは安堵の笑みを浮かべた。

「お兄さーん!」

 路地裏からは、アリシアが駆けてきた。隼樹の足にしがみついて、離れない。

「お兄さん、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」

 安心させるように、努めて明るい声で隼樹は答えた。
 顔を上げて、目の前のプレシアに向き直る。

「あの、プレシアさん? どうして此処に……?」
「貴方の帰りが遅いから、心配でアリシアと一緒に様子を見にきたのよ。働いてる場所は、貴方のお母さんに聞いたわ」
「な、なるほろ」

 納得して隼樹は頷いた。

「さあ。まだやる事が残ってるから、二人とも下がってなさい」

 プレシアは前に向き直り、手に持っている杖を構えた。
 彼女の視線を辿ると、隼樹に襲い掛かろうとしていた犬の怪物が倒れていた。前足後ろ足を紫色のバインドで拘束されて、完全に動きを封じられていた。牙を覗かせて、地面の上で暴れている。

「お行儀の悪い子ね……たっぷりと躾てあげるわ……!」

 犬の怪物を見下ろして言ったプレシアの言葉に、隼樹はゾクリとした。後ろに居るので顔はうかがえないが、恐らくサディスティックな笑みを浮かべてるに違いない。
 ──プレシアさんって、Sなのか……?
 そう思い、自然とアリシアの目を両手で隠した。

「お兄さん、どうして目を隠すの?」
「こ、ここから先は、18歳未満は見ちゃいけないからだよ……」

 隼樹がアリシアに答えた直後、プレシアは電撃を犬の怪物に放った。天から落ちる雷の如く威力で、犬の怪物の全身を焼いた。電撃が収まると、体中から煙が立った。
 しかし、プレシアの攻撃はまだまだ終わらなかった。
 更なる電撃を浴びせ、犬の怪物を泣き叫ばせた。

「オーホッホッホッ! この程度で済むと思ったら大間違いよ! 隼樹が味わった恐怖を、その身に焼き付けてあげるわ!」

 SMの女王のような高笑いを上げ、プレシアは鞭の変わりに何度も電撃を浴びせた。
 むご過ぎる仕打ちを受け続ける犬の怪物は、目に涙を浮かべて哀れな子犬のような泣き声を上げていた。
 ──こ、怖ェェェェェェ! いやいや、誰だよ、この人!? プレシアさん、超怖ェェェんだけどっ! マジおっかねェェェ!
 アリシアの目を隠して正解だった。あんな女王様に豹変した母親の姿なんか、とてもじゃないが小さな娘に見せられない。
 この時、隼樹はプレシアを怒らせない事を胸に固く誓った。
 ──つーか、実の娘の前で何やってんだよ!? コレで服装も最初に会った時のだったら、完璧SMの女王だよ! 違和感ねぇよ!
 心の中で叫んでいる間に、プレシアによる制裁と言うか、拷問と言うか、調教が終わった。
 黒かった犬の怪物の体は、電撃で更に真っ黒焦げになり、もう単なる黒い物体にしか見えなかった。ただ、目と思われる部分から透明な液体が流れてるのが確認出来る。泣いてるのだろう。
 強い魔法ダメージを受けた犬の怪物は、淡い青い光に包まれた。
 光は収まり、気絶した子犬とジュエルシードが地面に現れた。どうやら、この子犬の願いに反応して、あんな犬の怪物になったようだ。
 プレシアは、落ちているジュエルシードを拾い、隼樹達に振り返った。

「さあ、コレでもう大丈夫よ」

 何事も無かったかのように、プレシアはニッコリと微笑んだ。

「そ、そうですね……」

 そんなプレシアに対して、隼樹は引き攣った笑みを返した。
 何はともあれ、危機は去った──。

「ところで隼樹」

 ──かのように思われたが、プレシアが笑顔を浮かべて尋ねてきた。

「あの女性は誰かしら?」
「え?」

 プレシアが示す方に視線を飛ばすと、ソコにはリインフォースが居た。
 状況が理解出来ず、ポカンとしている。

「まさか……」

 隼樹の耳に、プレシアの“怖い位に優しい声”が入ってくる。

「浮気、じゃないわよね?」

 笑顔で問い詰めてくるが、妙な迫力があった。
 今さっき、プレシアの恐ろしい面を目撃してしまった隼樹は、再び恐怖で顔が真っ青になった。大魔導師の迫力を真正面から受け、情けなくもその場で尻餅をついてしまう。
 そんな隼樹を、アリシアは不思議そうに首を傾げて見ていた。
 返答次第では殺される、と隼樹は思った。

「ま、まま、待って……! 殺さないでくれ……! 決して、決してプレシアさんが思ってるような関係じゃないから……!」

 本気で命乞いをする隼樹。まさか、漫画の台詞を現実で言う事になるとは思わなかった。
 するとプレシアの表情が、普段の温かみのある笑顔に戻った。

「そう。それならいいのよ」
 必死の訴えの効果で、プレシアは誤解を解いてくれた。
 その瞬間、隼樹は本日二度目の安堵の溜め息をついた。
 ──お、女っておっかねぇ〜!
 隼樹は、初めて女性に恐怖を憶えた。

「それじゃあ、貴女が何者なのか、事情を聞きましょうか?」

 プレシアに話を振られ、リインフォースは激しく首を縦に振った。
 彼女も、プレシアの恐ろしさを理解したようだ。

「アリシア……」
「何、お兄さん?」
「アリシアは、心の優しいおしとやかな女性になってね」
「うん!」

 隼樹の切実な願いに、アリシアは素直に頷いてくれた。


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