「原発事故の賠償を進めて再生を」と簡単に言わないでほしい。東京電力に損害賠償を請求した避難世帯は、いまだ半分に満たないそうだ。「原発は安全を確保して動かすべきだ」と簡単に言わないでほしい。安全に動かす方法は、いまだ確立されていない。いいかげんな土台の上に再生はない。
正月のテレビニュースによれば、昨年9月以来、東電が受け付けた個人の賠償請求件数は3万4000。対象は強制避難区域の15万人、7万世帯だから総世帯の半分弱だ。
請求は、なぜ滞るか。山形へ避難している知人に電話で聞くと、こう答えた。
「だって終わってない。まだ渦中ですからね」
知人は60代男性、自営業者である。暮れの28日、連続テレビ小説「カーネーション」で、主人公・糸子が敗戦の玉音放送を聞いて放心する場面。なにげなく見ているうち、強い感慨にとらわれたという。
「だって終わらないんですからね、こっちは」
家族は離散。自分の一生どころか、子も孫も不安を抱えて生きねばならない。
それが最大の悩みだが、どうしてもらえるのか。東電と個別に交渉するより、弁護士に相談すべきではないのか。それやこれやを迷い、書類は取り寄せたものの、申し込んでいないという内情を聞いた。
賠償が始まった昨秋、書類が複雑だからイカンといわれ、東電は書類を作り直した。原子力損害賠償支援機構が発足し、弁護士と行政書士による避難先の訪問相談も始まった。
請求が増えると、たちまち書類の山ができた。照会、入力要員を増やし、現在は東京都江東区にある東電の子会社「テプコシステムズ」の14階建てのビルで2200人(うち東電の社員800人)が審査に当たっている。やっと事務がスムーズになったとはいえ、相手はまだ数万件という段階だ。
問題はその先にある。ケタ違いの請求が待っている。強制避難区域外の自主避難者、高線量地域に残る人々だ。政府は福島県中・北部の150万人を対象に賠償指針を示した。そこから漏れた会津・白河地区の50万人もいる。県外、国外からの請求も無視できまい。
膨大な作業だ。東電と支援機構だけでなく、自治体も乗り出すべきだろう。いくらカネを積めばいいとか、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を使えばラクというような無機質な感覚ではやりおおせない。地道に取り組んで初めて再生に手が届くのではないか。
これほど厄介な原発を政府はどうするのか。今年はそれを決める年でもある。
原発の再稼働なくして夏を乗り切れるか。火力発電回帰で温暖化ガスを増やしていいか。イラン核開発でホルムズ海峡緊迫の折、原発なしですむか。以上は原発の危険に目をつぶる理由になるか。選挙で民意を問う場面もあるだろう。
原発事故賠償請求書類の審査が続く「テプコシステムズ」のビルは、第一国立銀行(現みずほ銀行)など約470社を設立して日本資本主義の父とうたわれた明治の実業家、渋沢栄一の私邸跡に建っている。
暴利を戒め、公益、道徳を重んじた渋沢ゆかりの地で経済成長の後始末が進むという因縁は興味深い。エネルギー政策見直しは後ろ向きのジレンマではなく、最先端の挑戦だという自覚が重要であると思う。(毎週月曜日掲載)
毎日新聞 2012年1月9日 東京朝刊