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ジジェクの『ポストモダンの共産主義』 - 栗原百代の誤訳
今から10年ほど前、金子勝がテレビで口癖のように言っていたのが、「もう戦争か革命しかない」の悲観論だった。この激越な言葉は、時事の解説の際に財政赤字の危機的現状をを訴えたもので、当時だとまだ現在の半分の500兆円ほどだったと思うが、すでに国の借金が異常かつ膨大に累積し、この巨額の返済を平和裏に行い得た事例は過去になく、戦争か革命によってでしか解決された経験がないという警鐘だった。ご記憶の方も多いと思う。日曜の朝、TBSの番組でもこの持論が繰り返され、事態の深刻さを告げる財政学者のただならぬ語調と表情に、関口宏とスタジオが緊張に包まれる場面があった。この発言に対して、私は7年前に記事で噛みつき、経済学者たる者がこのような脅迫的な言説を吐くべきではないと批判した。経済学者の使命と方法は、常に理性で問題解決の方向を導き、冷静かつ緻密に政策理論を組み立てて提示と説得をすることだと言い、終末論で不安を扇動する態度は思考停止であり、嘗ての全般的危機論の念仏と同じく、マルクス経済学者の悪い癖だと猛然と非難した。ブログでの金子勝論は、(不幸にも)そうした悪口から始まっていて、キーワード検索をかけると、該当する過去記事が痕跡を示す。だが、7年経ち、状況が変わった。金子勝の予言が生々しく甦っている。


その事実を認めざるを得ない。大袈裟でなく、戦争か革命かという時代だ。米国で労働者の革命運動が始まった。金融資本の支配と収奪への抗議が始まり、富の分配を正面から要求している。"We Are The 99%"とか"Tax The Rich"とか"People Before Profit"とか、サインボードの言語は米国の現代表現だが、思想の中身は社会主義的なものであり、しかも、彼らはそれを新しい民主主義の政治方法で実現しようとしている。代議制の手続きに従った方式ではなく、直接民主制に依拠した行動で、政治目標の達成を図ろうと模索している。ネグリのOWSへの認識と評価が正しいならば、これは、マルクスが最初に英国での勃発を期待した革命である。何と言っても、現代世界における知識界の巨人であるネグリがそう言うのだから、この権威の託宣を無視してOWSを語ることはできない。今、OWSの出現によって「革命」の言語が解禁になった。革命の言葉が議論や思考において有意味になった。現実政治を論ずる者が、革命の概念や歴史について知識を持つことが、むしろ積極的に求められる時代になった。フライングを恐れず先走って言えば、革命論が需要される言論状況の時代となった。私は、そういう時代の予感を一昨年から持ち始めた。金子勝の警告を批判していた頃には全く無縁だった「戦争か革命か」の気配を。

革命が必要だと考えた理由については、前にも述べた。要するに、民主党のマニフェストで掲げられた諸政策、①一般会計と特別会計を統合するとか、②天下りを禁止し、独行・公益法人を整理して、官僚機構の予算の無駄を根絶するとか、③製造業での派遣労働者を禁止するとか、④対等な日米関係と東アジア共同体を構築するとか、⑤主要穀物を完全自給し、小規模農家と第1次産業を再生するとか、これら焦眉の政策課題の実現は、短期に遂行しようと思えば、選挙による政権交代という政治想定では無理なのだ。道筋が描けず、袋小路に嵌り、諦念に追い込まれてしまう。それらを断行する新権力創出の契機が必須で、官僚と米国とマスコミの妨害を阻止する政治環境を作るという発想に傾かざるを得ない。政治の思考を飛躍させざるを得ない。その思念は、革命という一語に結ぶ。王政復古のクーデター直後の小御所会議で、容堂による慶喜擁護の論鋒に押されていた岩倉を西郷が呼び、「戦の一字ごわす」と、そう言って懐中の短刀を握りしめる仕草で決意を迫った場面があった。その歴史の瞬間を思い出し、動機づけられながら、問題解決としての革命をイマジネーションする入口に立つのだ。飛躍しかないと、スキーのジャンプ台の滑走路の頂点から眼下を臨むように。米国では、若者たちが跳躍のスタートを切っている。

今、スラヴォイ・ジジェクの近刊の『ポストモダンの共産主義 - はじめは喜劇として、二度目は笑劇として』を読んでいる。ジジェクの議論は、論理整然とした平明なものではなく、皮肉と挑発が散りばめられた洞察が並ぶもので、独特の個性と歯ごたえがあり、噛んだ後に舌の奥に染み残る味がある。欧州辺境の知性。思想の知識の鬱蒼とした森林を窺わせながら、繰り出す言葉の感触はエレガントではなく、西部劇のカウボーイに粗暴に投擲されているようだ。しかし、率直であり、言葉を無理にひねって作為している印象は受けない。明確にコミュニズムの擁護をコミットしていて、立場はきわめて分かりやすい。ポストモダンにも否定的な姿勢を見せている。そのジジェクの議論の中で、ロシア革命に触れた部分が興味深かった。こう言っている。「労働者階級が革命の主体にならないことは、ボルシェビキ革命の核心に潜む真実だ。レーニンの真骨頂は、失望した農民の『怒りの力』をかぎつけるところにあった。十月革命は『国土と平和』の旗の下に起こった。国民の大多数を占める小作農に向けた旗だ。小作農の抜きがたい不満が燃え立った一瞬をとらえたのだ。このシナリオは十年も前から練ってきたもので、だからレーニンは、ストルイピンの農地改革が成功して独立農民という新しく力をつけた階級が生まれるのを恐れていた。もしストルイピン改革が成功したら、革命の機会はその後何十年もめぐって来ないだろうと考えていた」(P.151)。

なお、ここで訳者(栗原百代)が「国土と平和」と翻訳している箇所は、明らかに「土地と平和」の間違いであり、言及せずに素通りするわけにはいかない。私のような素人でも分かるし、高校の世界史の知識でも一目瞭然だ。英語では"Land and Peace"だろう。なぜ、ボリシェビキの「土地と平和」を「国土と平和」と誤訳したのだろう。また、そのミスを筑摩書房の編集者が見逃したのだろう。その程度の歴史の知識が訳者と編集者になかったのだろうか。筑摩書房と言えば堂々たる老舗の出版社である。信じられない。もし、ボリシェビキの"Land and Peace"が「国土と平和」と訳されるのなら、これまでの全ての歴史書の表記をそう変えなければならないし、レーニンの「土地に関する布告」を「国土に関する布告」の日本語に変えなくてはならないことになる。「土地」と「国土」とは意味が全く違う。ボリシェビキが革命で公約したのは、農民に土地を与えるという目標であり、地主から土地を奪って小作に分配するというフランス革命の政策だ。この"Land"は農地の意味であり、土地所有権の意味である。訳者と編集者にロシア革命の初歩的な知識がない。日本の脱構築が仕掛けた歴史の否定と忘却は、遂にここまで来てしまった。おそらく、この誤訳について、出版業界もアカデミーも、誰も気に留めもしないだろうし、そのまま捨て置くことだろう。こうやって言葉を換えるのが脱構築だと言わんばかりに。ロシア革命など無意味な歴史だからと。脱構築の毒気で日本が蝕まれている。

もう少し、ジジェクの引用を続けよう。「革命家は辛抱強くその(たいがいごく短い)瞬間を待たねばならない。体制が明らかに機能不全を起こすか崩壊する好機をとらえ、そのとき、(略)権力を握り、権力を固めて、弾圧機関を築き上げるのだ」(P.153)。このあたり、ジジェクの革命論のリアリズムがある。革命というのは、革命家が強引に目的的に惹き起こすものなのだ。前段の引用で紹介したジジェクのレーニン論は、正鵠を射た歴史認識である。十月革命の主体はプロレタリアートではなくて農民であり、「軍服を着た農民」である兵士だった。マルクスの理論にない労農同盟、すなわちエスエル左派(ナロードニキ)との同盟こそ革命成功の鍵だった。革命は、革命家がやるもので、権力の奪取をしなくてはならないし、権力奪取後の事態が事前のプログラムの想定と同じになっているわけではない。権力を奪取した後、そこから革命の次の段階が始まる。明治維新もそうで、司馬遼太郎は「青写真なき革命」と呼んでいる。徳川幕府の体制を打倒した革命の指導者たちは、揃って洋装に着替え、横浜から遣欧使節団の船に乗った。新政権の中枢部が丸ごと国内を留守にして、長い洋行の旅に出ている。新国家建設の設計図を探し歩く行脚に。レーニンも同じで、不測の事態が次々と起こり、帝政を倒したクーデター後は、革命を防衛する革命のみを続け、自己目的の革命の暴力と惨劇で終始した。仲間を殺戮し、農民を餓死させ、人民を犠牲にして、ただ革命の名目のみを守る営みを続けた。北朝鮮と同じと言えば同じ。

フランス革命の場合は、軍事天才のナポレオンが革命戦争に勝利し、欧州全域に革命の成果を広げられた点が大きい。革命の輸出を果たせたのであり、1815年の王政復古とウイーン会議の反動が到来しても、欧州はすっかり情勢が変わっていた。ロシア革命の場合は、反革命に包囲されたまま、ドイツで挫折を余儀なくされて世界革命へと打開できず、20世紀を通じて一国体制で封じ込められる。革命戦の永遠の継続となった内部では、理想は裏切られ、暴力と抑圧が革命の内実となり、統制と軍拡と貧苦と欺瞞が社会主義となる。そして、共産党は革命戦を口実と根拠にして苛酷な独裁を続け、第2次大戦後の40年間は独裁支配の維持が自己目的となる。19世紀以来の社会主義の理念的なものは、ソ連を封鎖した西側世界で、自由主義体制の先進国の中で、普通選挙権、労働基本権、生存権、福祉国家などの形になって歴史に達成を残した。ネグリが言うように、OWSが「新しい民主主義」の革命の発端であるとして、それが成功する政治の形はどのようなものだろうか。OWSもまた、いみじくもソリューションは世界革命のみだと言っている。ドイツ革命が潰されるまでのレーニンやトロツキーと同じ言葉だ。その革命が米国から外に拡大すれば、もし反革命に包囲されても、20世紀のロシアの徹は踏まないだろうと想像される。しかし、富と権力を独占する1%(WSTとLobbyist)は、今後もマネー資本主義を続けたいだろうし、内部留保を市民政府に供出して(Tax The Rich)、医療保険や教育の財源にするのは拒否するだろう。

ウォール街の占拠に成功し、NYSEやGSの業務麻痺を現出させたとき、政治権力や暴力装置の問題はどうなるのだろう。1%の権力は、対外戦争を発動する政治に出るのではないか。


by thessalonike5 | 2012-01-09 23:30 | Trackback | Comments(3)
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Commented at 2012-01-09 16:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by liberalist at 2012-01-09 22:32 x
アメリカでの革命と仰いますが、筆者様は、何を持って革命を達成と定義されるのでしょうか?
革命と言うと、一般的には、独裁者であったり、王様であったり、打倒すべき者が明確であるイメージを持ちます。
対して、打倒ウォール街と言っても、ウォール街という単一の人が居るわけではなく、そこには無数の資産家達がいるわけです。決して個人を特定出来るわけではない。
そこにアメリカでの革命の難しさを感じずにはいられません。

ウォール街を占拠し、金融資本市場の活動をストップさせることを革命成就とするならば、ウォール街を占拠しようと武力行使を強行した途端、アメリカ政府は間違いなく警察や軍隊を派遣するでしょう。これに対抗出来るかは極めて疑問です。それこそ、エジプト革命のように、軍隊を占拠側の味方につけない限りは無理ではないでしょうか。最終的には武力がモノを言うでしょう。
ラビ・バトラ氏の権力は軍人→賢人→商人→軍人・・・のループで移行するという言葉は真を得ているような気がします。巨大悪徳資本家となった商人を倒すには、軍人の力が必要になってくると。
Commented by liberalist at 2012-01-09 22:33 x
そうではなく、民主的なプロセスの中で、この占拠運動の目的を果たすとするなれば、やはり民主党でも共和党でもない、第3の候補者を、この運動体の中から生み出し、大統領に仕立て上げ、その者が決してオバマのように裏切ることなく、巨大資本への制御を行うことが、最も現実的な中で、目的を達成出来る手段ように思えます。
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