その事実を認めざるを得ない。大袈裟でなく、戦争か革命かという時代だ。米国で労働者の革命運動が始まった。金融資本の支配と収奪への抗議が始まり、富の分配を正面から要求している。"We Are The 99%"とか"Tax The Rich"とか"People Before Profit"とか、サインボードの言語は米国の現代表現だが、思想の中身は社会主義的なものであり、しかも、彼らはそれを新しい民主主義の政治方法で実現しようとしている。代議制の手続きに従った方式ではなく、直接民主制に依拠した行動で、政治目標の達成を図ろうと模索している。ネグリのOWSへの認識と評価が正しいならば、これは、マルクスが最初に英国での勃発を期待した革命である。何と言っても、現代世界における知識界の巨人であるネグリがそう言うのだから、この権威の託宣を無視してOWSを語ることはできない。今、OWSの出現によって「革命」の言語が解禁になった。革命の言葉が議論や思考において有意味になった。現実政治を論ずる者が、革命の概念や歴史について知識を持つことが、むしろ積極的に求められる時代になった。フライングを恐れず先走って言えば、革命論が需要される言論状況の時代となった。私は、そういう時代の予感を一昨年から持ち始めた。金子勝の警告を批判していた頃には全く無縁だった「戦争か革命か」の気配を。
なお、ここで訳者(栗原百代)が「国土と平和」と翻訳している箇所は、明らかに「土地と平和」の間違いであり、言及せずに素通りするわけにはいかない。私のような素人でも分かるし、高校の世界史の知識でも一目瞭然だ。英語では"Land and Peace"だろう。なぜ、ボリシェビキの「土地と平和」を「国土と平和」と誤訳したのだろう。また、そのミスを筑摩書房の編集者が見逃したのだろう。その程度の歴史の知識が訳者と編集者になかったのだろうか。筑摩書房と言えば堂々たる老舗の出版社である。信じられない。もし、ボリシェビキの"Land and Peace"が「国土と平和」と訳されるのなら、これまでの全ての歴史書の表記をそう変えなければならないし、レーニンの「土地に関する布告」を「国土に関する布告」の日本語に変えなくてはならないことになる。「土地」と「国土」とは意味が全く違う。ボリシェビキが革命で公約したのは、農民に土地を与えるという目標であり、地主から土地を奪って小作に分配するというフランス革命の政策だ。この"Land"は農地の意味であり、土地所有権の意味である。訳者と編集者にロシア革命の初歩的な知識がない。日本の脱構築が仕掛けた歴史の否定と忘却は、遂にここまで来てしまった。おそらく、この誤訳について、出版業界もアカデミーも、誰も気に留めもしないだろうし、そのまま捨て置くことだろう。こうやって言葉を換えるのが脱構築だと言わんばかりに。ロシア革命など無意味な歴史だからと。脱構築の毒気で日本が蝕まれている。
フランス革命の場合は、軍事天才のナポレオンが革命戦争に勝利し、欧州全域に革命の成果を広げられた点が大きい。革命の輸出を果たせたのであり、1815年の王政復古とウイーン会議の反動が到来しても、欧州はすっかり情勢が変わっていた。ロシア革命の場合は、反革命に包囲されたまま、ドイツで挫折を余儀なくされて世界革命へと打開できず、20世紀を通じて一国体制で封じ込められる。革命戦の永遠の継続となった内部では、理想は裏切られ、暴力と抑圧が革命の内実となり、統制と軍拡と貧苦と欺瞞が社会主義となる。そして、共産党は革命戦を口実と根拠にして苛酷な独裁を続け、第2次大戦後の40年間は独裁支配の維持が自己目的となる。19世紀以来の社会主義の理念的なものは、ソ連を封鎖した西側世界で、自由主義体制の先進国の中で、普通選挙権、労働基本権、生存権、福祉国家などの形になって歴史に達成を残した。ネグリが言うように、OWSが「新しい民主主義」の革命の発端であるとして、それが成功する政治の形はどのようなものだろうか。OWSもまた、いみじくもソリューションは世界革命のみだと言っている。ドイツ革命が潰されるまでのレーニンやトロツキーと同じ言葉だ。その革命が米国から外に拡大すれば、もし反革命に包囲されても、20世紀のロシアの徹は踏まないだろうと想像される。しかし、富と権力を独占する1%(WSTとLobbyist)は、今後もマネー資本主義を続けたいだろうし、内部留保を市民政府に供出して(Tax The Rich)、医療保険や教育の財源にするのは拒否するだろう。