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震災後を生きる:3・11と群馬/6 R-DAN検知器 放射線の監視続け /群馬

 ◇全国900人が測定

 「大変なことになっているよ」。昨年3月15日午後1時過ぎ、知人からの電話に、高階ミチさん(72)=高崎市昭和町=は放射線検知器「R-DAN」のスイッチを入れた。放射線の検知を表示する赤ランプがめまぐるしく点滅し「ピッ、ピッ」と、けたたましい警報音が鳴り響いた。1分間で計測した数値は通常の約6倍。25年間にわたってほぼ毎日測定を続けてきたが、初めてのことだった。この日の毎日新聞夕刊1面は東京電力福島第1原発で「高濃度放射能漏れ」と報じていた。

 異臭がするわけでもなければ、空から何かが降ってきているのが見えるわけでもなく、放射線が実感できなかった。この時間、同市綿貫町にある日本原子力研究開発機構のモニタリングポストも通常の10倍以上の毎時0・6マイクロシーベルトだったことは、かなり後に知った。

 R-DANは、内蔵している検知管を通過した放射線の個数を1分間ごとにカウントする。1986年のチェルノブイリ原発事故後に日本で開発された。同機を使用している人たちのネットワーク組織R-DAN事務局によると、放射線データの異常を市民レベルでキャッチしようと、原発周辺を中心に全国で約900人が測定を続けている。「原発事故が発生しても、政府や電力会社が情報隠しをするだろう」。そう考えて「監視」の役割を担ってきた。

 福島第1原発事故では放射性物質の拡散を分析して被ばく防止に役立てる「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)のデータが公表されず、放射線量の高い地域に避難する事態が起きた。食べ物に含まれる放射性物質に関しても、高階さんは「国は『基準以内は安全』と言うだけ。政府の対応をみていると『やっぱりね』という気持ち」と話す。

 高階さんが環境問題に興味を持つようになったのは1965年、長男が生まれたときだった。食品の安全性を巡っては、当時から添加物、残留農薬などの問題が噴出しており、何を信じたらいいか分からずパニックになっていたという。そんな時、夫から「愚痴を言うのではなく、自分でやってみることが大事だ」と言われた。

 それから畑を借り、家族で無農薬野菜を栽培し、みそも手作り。情報交換のための学習会を開いて自ら学ぶ道を切り開いてきた。原発事故後は、高崎市内の30公民館で放射線についての連続学習会を開催した。「若いお母さんが放射線に不安になるのは当然だと思う。学習会を通じて、解決策を見いだす手法を引き継いで行きたい」と語る。【増田勝彦】=次回は10日掲載予定

毎日新聞 2012年1月8日 地方版

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