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2011年9月、ロンドン五輪のアジア予選に出場した宮間あや選手=上田潤撮影 |
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笑顔を絶やさない宮間あや選手=2011年12月3日、岡山県美作市 |
チームメートの個性を尊重しながら、勝利という目標に向かって、ひとつになる。大網白里町出身で、女子サッカーW杯で世界の頂点に立った「なでしこJAPAN」のMF宮間あや選手(26)に、人との絆について思いを聞いた。
――なでしこジャパンのチームワークが世界の舞台で脚光を浴びました
「絶妙なバランスで、それぞれの立ち位置がありました。みんなしっかりしていて価値観も違う。独立した個人が、勝つという同じ目標に向かって戦うことで自然にまとまりました」
――中堅としてチームをリードしましたね
「あの時の21人のメンバーとして大きな目標を成し遂げたというだけです。盛り上がっていたのは周囲であって、自分たちはそんなに。優勝した後は盛り上がったけれど、それまでは自分たちを変えずに集中してやっているだけでした」
「サブ(控え)の選手は試合に出られなくてつらいし、出ている選手もすごいプレッシャーです。いろんな苦しみがある中で、なるべく笑顔が多い時間にしたいなとは思っています」
――メンバーの個性を尊重しながら、チームワークも大切にするんですね
「ある選手だけのミスで何かが起きることは、サッカーのゲームではほとんどありません。全員でひとつのボールを追っているわけですから。誰かだけが悪いということはないし、すごいということもない。見る人からすれば得点した選手が目立ったり、失点した選手が悪かったりするのかもしれないですけど」
「ミスをして落ち込んでいる選手がいたら、何も気にしていないという態度で接します。誰かひとりが暗いとチームも暗くなるし、そういうチームメートを見るのは悲しい。その選手が少しでも元気になるように、みんなで盛り上げます」
――チームメートとのコミュニケーションで気を配っていることは?
「優しい言葉をかけるのが優しさとは思いません。逆に言えば、優しい言葉をかけるのは簡単ですけど、相手を思いやる気持ちがなければ何の意味もないですし。言いたいことを自分の中でためこむより、言葉にしてわかりあうほうがチームとしても個人としても成長につながりやすい」
――女子サッカーは恵まれているとは言えない環境でした。続けられたのは?
「一番は、家族の存在だと思います。うまくいかない時はやめたいと思うこともある。そんな時、『そんなにつらいなら、やめたら?』と受け止めてくれる。でも、一晩寝れば、私が『またやろう』って言うこともわかっていてくれる」
「それと、岡山湯郷ベルに誘ってくれた初代監督の本田美登里さんをはじめ、巡り合いとか、チームメートなどの友人に恵まれたこと。地元・湯郷の支えがあってこそ、やってこられたと思う」
――W杯後、テレビ出演を断ってすぐに湯郷に戻ったそうですね
「湯郷からの代表は自分と福元美穂(GK)の2人だけ。福元は試合に出ることもなく、自分だけテレビに出るのはおかしい。国民のみなさんが応援してくださるのはうれしいけれど、記者会見にも出ましたから」
――東日本大震災では千葉も被災しました
「大網白里町は生まれ育ったところです。私がいま、直接できることは少ないのですが、観光地でもあるので、夏はにぎわう町であってほしいと思います」
――復興へ、どう歩んでいけばいいのでしょうか
「みんなが笑顔でいられるような時間をつくりたい、という話にも通じるんですけど、楽しく生きていく。無責任な言い方に聞こえるかもしれないし、難しいのはわかっているんですけど。人を大切にすれば必然的に自分自身も大切にできるし、自分もいろんな方から大切にしてもらえると思う。周りの人を大切にしていける世の中であればいいな、と思います」
宮間あや(みやま・あや) 1985年、大網白里町出身。小学1年でサッカーを始め、幕張総合高校時代は現日テレ・ベレーザに所属。高2で退団し、2001年に岡山湯郷ベルの1期生として入団した。03年、日本代表に初めて選出され、08年には北京五輪に出場した。09年と10年には米国プロリーグに移籍し、ロサンゼルスとアトランタでプレーした。
11年6〜7月のドイツW杯ではMFとして活躍。決勝の米国戦では1得点1アシストを記録、初優勝に貢献した。同年のアジア・サッカー連盟(AFC)の女子最優秀選手に選ばれた。
(聞き手・天野みすず)