創価学会に引き寄せられ、そして・・・
いちどは創価学会に足を踏み入れたものの、奇跡的にも日蓮正宗にスライドできた私の脱会体験談を書き綴ります。
私は平成18年に創価学会に入信しました。
通っていた音楽教室の講師の方が学会2世でして(そのことは以前から知っていましたが)
友人として親しくさせていただくなかで、たまたまご本尊の話を聞き、思うところあって折伏を受けいれたのです。
世間的に微妙に悪名高かった創価学会ですが、当時は私個人は特に偏見もなく、池田大作氏と日蓮宗系の団体ということくらいしか知識はありませんでした。あとは芸能人が多数入信しているとか。
特に私は彼の人間性が好きでしたし、講師としても尊敬し信頼していたこともあり、すんなり入信する格好となったのです。彼の地元の組織で手続きをして、まずはお守りご本尊をいただきました。
当初、私は実家暮らしで両親に見つかるのは具合が悪かったので、それを考慮してのことです。
その他、学会の組織構造や教義についていろいろ教えてもらいながら、毎日(学会のいう)勤行・唱題を続けていました。地元の同中や座談会にもぽつりと顔を出して、他の学会員と交流を持ちました。
八王子の牧口記念館(めちゃくちゃデカい)にもいったこともあります。
接した学会員の面々は、皆明るく気さくないい人が多かったので、これが信心のご利益なのかと思っていました。
その後、都内に引越して一人暮らしを始めると同時に御形木御本尊に切り替え、地元の組織に編入、聖教新聞もとり始めて日々勤行を続けそれなりの功徳(いま思えば魔の通力)も自分で感じておりました。
学会の御形木本尊を授与された際は、至極簡単な手続きで、特になんの感動もありませんでした。
日蓮正宗時代を知らないので、本物の御本尊との違いもわからず、こんなもんかと思うだけでした。
地元に編入して当初は、組織の部会や座談会に出席していましたが、仏法教義ではなく、ほとんど公明党選挙や池田氏の話ばかりなのに違和感を感じていました。
まるで政治団体か池田大作ファンクラブです。「池田先生と共に歩んでいけば間違いないんだ」「池田先生に恩義を感じず誹謗中傷するやつは必ず不幸になる」とか仏法を研鑽することと個人を崇拝することは全然別のはずなのに、ですよね。
私はご本尊を通して、日蓮仏法を内向きな姿勢で自己研鑽をしていきたい気持ちが強く、教義的な話をいろいろ聞きたいと思っていたこともあり、徐々に失望感を強めていきました。また、同中や聖教新聞にしても宗門や日顕上人への口汚い攻撃や、学会を脱会した人物への罵詈雑言を平気で浴びせる姿勢にも疑問を感じていました。
その後は活動家の学会員と距離を置いて、会合にもあまり出席しないといういわば未活会員状態をしばらく続けていました。勤行・唱題はコンスタントに続けていたのですが、学会へ自分がこのような疑念を持ち続けていいものか日々悶々としておりました。
そして改めて、今まで自分がよく理解していなかった創価学会の歴史をインターネットであちこち調べ始めました。
牧口・戸田先生が日蓮正宗の信者であったこと、宗門と学会が当初は切ってもきれない関係であったこと
池田氏が勝手に御本尊を模造していた等々、これまで学会の誰からも聞かされていなかった(当然ですが)事実を知るに至りました。
学会で配布し、当然、私も所持していた御本尊が、開眼もなく正規の手続きを経ていない真っ赤なニセモノであること、そしてそれを拝すことが、どれほど恐ろしいかを知り愕然としました。
これはヤバイぞ、やっぱりおかしいぞ、という結論に至り、1か月くらい悩んだ末にコンテンツを配信していた方へコンタクトをとり、ついに平成20年の秋に御受戒を受け、本物の御本尊を安置することができました。
緑色のまがい物ではなく、まちがいなく本物です。
安置してすぐ1時間ほど唱題すると、その違いがすぐに手に取るようにわかりました。とにかく気持がいいんです。サーっと霧が晴れていくような感覚でしたお文字もはっきり見えますし(笑)
そして勤行が違う。学会は長行も読まなくなっていて方便品と自我偈だけ、それも1回でよかったのが三座と五座、それぞれきちんと読まなければいけない。
やっぱりいい加減でなく厳格なもんですよね。
正宗の御観念も初めて読んだときは、簡略化された池田賛美の学会御観念文(?)とのあまりの違いにしみじみ思いました。
「ああそういうことか、学会は正宗の「悪しきコピー品」だったんだ!」と。
その後は法華講員として、正当な勤行・唱題、そして何も知らされていない末端学会員へ本当のことを伝える活動を行いつつ、大御本尊様に守られる功徳をひしひしと感じながら、充実した日々を過ごさせていただいております。
あの時気付かずにそのままニセ本尊を保っていたら・・と思うとぞっとするわけですが、
末端学会員の人たちが早く気付いて、本物の御本尊のもとに戻っていただきたいと願っている次第です。
私は平成18年に創価学会に入信しました。
通っていた音楽教室の講師の方が学会2世でして(そのことは以前から知っていましたが)
友人として親しくさせていただくなかで、たまたまご本尊の話を聞き、思うところあって折伏を受けいれたのです。
世間的に微妙に悪名高かった創価学会ですが、当時は私個人は特に偏見もなく、池田大作氏と日蓮宗系の団体ということくらいしか知識はありませんでした。あとは芸能人が多数入信しているとか。
特に私は彼の人間性が好きでしたし、講師としても尊敬し信頼していたこともあり、すんなり入信する格好となったのです。彼の地元の組織で手続きをして、まずはお守りご本尊をいただきました。
当初、私は実家暮らしで両親に見つかるのは具合が悪かったので、それを考慮してのことです。
その他、学会の組織構造や教義についていろいろ教えてもらいながら、毎日(学会のいう)勤行・唱題を続けていました。地元の同中や座談会にもぽつりと顔を出して、他の学会員と交流を持ちました。
八王子の牧口記念館(めちゃくちゃデカい)にもいったこともあります。
接した学会員の面々は、皆明るく気さくないい人が多かったので、これが信心のご利益なのかと思っていました。
その後、都内に引越して一人暮らしを始めると同時に御形木御本尊に切り替え、地元の組織に編入、聖教新聞もとり始めて日々勤行を続けそれなりの功徳(いま思えば魔の通力)も自分で感じておりました。
学会の御形木本尊を授与された際は、至極簡単な手続きで、特になんの感動もありませんでした。
日蓮正宗時代を知らないので、本物の御本尊との違いもわからず、こんなもんかと思うだけでした。
地元に編入して当初は、組織の部会や座談会に出席していましたが、仏法教義ではなく、ほとんど公明党選挙や池田氏の話ばかりなのに違和感を感じていました。
まるで政治団体か池田大作ファンクラブです。「池田先生と共に歩んでいけば間違いないんだ」「池田先生に恩義を感じず誹謗中傷するやつは必ず不幸になる」とか仏法を研鑽することと個人を崇拝することは全然別のはずなのに、ですよね。
私はご本尊を通して、日蓮仏法を内向きな姿勢で自己研鑽をしていきたい気持ちが強く、教義的な話をいろいろ聞きたいと思っていたこともあり、徐々に失望感を強めていきました。また、同中や聖教新聞にしても宗門や日顕上人への口汚い攻撃や、学会を脱会した人物への罵詈雑言を平気で浴びせる姿勢にも疑問を感じていました。
その後は活動家の学会員と距離を置いて、会合にもあまり出席しないといういわば未活会員状態をしばらく続けていました。勤行・唱題はコンスタントに続けていたのですが、学会へ自分がこのような疑念を持ち続けていいものか日々悶々としておりました。
そして改めて、今まで自分がよく理解していなかった創価学会の歴史をインターネットであちこち調べ始めました。
牧口・戸田先生が日蓮正宗の信者であったこと、宗門と学会が当初は切ってもきれない関係であったこと
池田氏が勝手に御本尊を模造していた等々、これまで学会の誰からも聞かされていなかった(当然ですが)事実を知るに至りました。
学会で配布し、当然、私も所持していた御本尊が、開眼もなく正規の手続きを経ていない真っ赤なニセモノであること、そしてそれを拝すことが、どれほど恐ろしいかを知り愕然としました。
これはヤバイぞ、やっぱりおかしいぞ、という結論に至り、1か月くらい悩んだ末にコンテンツを配信していた方へコンタクトをとり、ついに平成20年の秋に御受戒を受け、本物の御本尊を安置することができました。
緑色のまがい物ではなく、まちがいなく本物です。
安置してすぐ1時間ほど唱題すると、その違いがすぐに手に取るようにわかりました。とにかく気持がいいんです。サーっと霧が晴れていくような感覚でしたお文字もはっきり見えますし(笑)
そして勤行が違う。学会は長行も読まなくなっていて方便品と自我偈だけ、それも1回でよかったのが三座と五座、それぞれきちんと読まなければいけない。
やっぱりいい加減でなく厳格なもんですよね。
正宗の御観念も初めて読んだときは、簡略化された池田賛美の学会御観念文(?)とのあまりの違いにしみじみ思いました。
「ああそういうことか、学会は正宗の「悪しきコピー品」だったんだ!」と。
その後は法華講員として、正当な勤行・唱題、そして何も知らされていない末端学会員へ本当のことを伝える活動を行いつつ、大御本尊様に守られる功徳をひしひしと感じながら、充実した日々を過ごさせていただいております。
あの時気付かずにそのままニセ本尊を保っていたら・・と思うとぞっとするわけですが、
末端学会員の人たちが早く気付いて、本物の御本尊のもとに戻っていただきたいと願っている次第です。