興味のある話し

あふれる情報社会の中で何が本当なのか?自分で見極める、考える、それをまとめておく場所としてのブログです。自分の考え確認みたいな。

2011年04月

東日本大震災の直前の母への手紙②

続き・・・・


4.昔の坊さんは信心が無い、説法も我々学会が上?
「真言見聞」に曰く“凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。中略、「一切世間の仏種を断ず」と説く。是(これ)一闡提と名づく”云々。僧をそしることは、つまり三宝をそしる事になる。なぜなら、三宝一体は全仏教の大原則であるからです。日蓮正宗の御僧侶は、上は御法主上人から下は入門の所化に至るまで、正しく日蓮大聖人様の御弟子である。弟子を馬鹿にすると言う事は、師匠である日蓮大聖人を馬鹿にしている事に等しい。だから、いくら創価学会が大聖人直結だの広宣流布だの言った所で、僧を馬鹿にする心根がある限り、謗僧であり三宝をそしっているのだから、言葉だけの広宣流布でたたひたすら謗法の徒を増やす活動をしているとしか言えない。
したがって、母の言う僧への誹謗中傷は、仏種を断ずる一闡提の業因でしかない。反省しなさい。
正しく仏法を信じているのなら、「一大聖教大意」にある“この経は相伝にあらずんば知りがたし”と言う御謹言、大聖人の御心どおり、相伝のない学会をやめるべきだ。相伝がない学会が垂れる教学は全て我見。邪(よこしま)に日蓮を悪しく敬えば、頭破作七分。池田が脳卒中で会話も出来ないていたらくは、真に故あるかな、である。
大聖人様の正しい仏法の相伝は、日蓮正宗にしかありません。

5.御宗門及び法華講は広宣流布をしていない?
まったくの笑止。学会が尊敬する日寛上人は、日精上人の折伏で入信した武士である。幕末の薩摩藩主の島津斉彬は、八戸藩主の南部信順の折伏で入信し、また大河ドラマで記憶の新しい天璋院“篤姫”も先に上げた大名2名に折伏され入信した大石寺の信徒である。法難にいたっては、仙台法難、八戸法難、尾張法難、金沢法難、讃岐法難、寛政法難、伊那法難、弘化法難、と数々の法難を乗り越えて明治に至り、牧口会長でさえ法華講員の三谷氏の折伏によるものだ。
勝手に創価学会が突然誕生して、日蓮正宗の信心を始めて広めたわけではない。常に、いかなる時代も日蓮正宗富士大石寺があったればこその信心であり、折伏であり、広宣流布だ。富士大石寺がない信心に何の正当性があるのですか?
現在は、法華講員が日夜、死力をつくして折伏戦を行っている。
今の学会は折伏してるのか?会員の数は減る一方で、頼みの池田大作は脳卒中で会話も出来ない頭破作七分と言うではないか。だから、選挙も連敗の山。
当たり前だよね、インチキ宗教に気づいた人たちが私みたいに続々と脱会して日蓮正宗へ復帰してるから。

6.南無妙法蓮華経は宇宙に遍満する法?
上記は学会の珍解釈である。宇宙は諸法実相とあるがままの物質と空間の世界であり、そこにあるのは科学が進歩しようがどうであろうが、厳然と存在する現実の世界・国土・衆生の事であって、総じては妙法蓮華の当体であるが、別しては当体ではない。理由は、当体義抄で大聖人様は総じては一切衆生も当体蓮華ではあるが、別しては日蓮等の類、南無妙法蓮華経を受持する者のみを当体蓮華であるとご教示下さっている。総じて一切衆生も当体蓮華と言えると言うのは、一度でも南無妙法蓮華経を受持し唱えれば、当体蓮華となるからです。つまり、信受していないものは、九界を出でる事ができず当体蓮華ではない。だから宇宙に遍満してるものではない。もし、宇宙に遍満してる法ならば、御本尊を信受して題目を唱えなくとも当体蓮華になり、何の修行も仏因を積まなくとも既に仏となる。こんな珍解釈を創価学会は立て南無妙法蓮華経の唯一の当体である大御本尊様をないがしろにしている。
この宇宙法界には、大御本尊様をおいて南無妙法蓮華経は存在しない。何故なら、南無妙法蓮華経は、法華経の行者の一身の当体なり(御義口伝)、と真の法華経の行者である日蓮大聖人様の事だからです。南無妙法蓮華経は法だけではなく、人法一箇であって、はじめて事の題目となるのであって、釈迦や天台、竜樹が言う妙法蓮華経も南無妙法蓮華経も理の題目、義の題目でしかありません。
また、法華経の行者とは日蓮大聖人様だけを指すのであり(法華経の身口意の三業での色読)、その弟子檀那は立場の上から、大聖人を事とすれば弟子檀那は義の法華経の行者でしかない。何故なら、事の法華経、事の一念三千を所持していない悟らざる衆生であるからです。大御本尊様を信受して初めて、法華経の行者の流類となれるのです。
池田はそこも混同している。難にあえば法華経の行者と思い込んでるが、難にあったのは何も学会に限った事ではない。学会の戦中の弾圧は、正しくは法難ではなく、違法行為による取締り、つまり不敬罪という法を犯したのであり、国家諌暁をしたからではない。そもそも、国家諌暁は御法主の専任事項であり、信徒がやるものではなく、現に牧口は、時の御法主に諌暁を勧める言辞をした、と言うだけで牧口が天皇を折伏になど行ってもいなければ、諌暁の書をしたため政府に提出したわけでもない。つまり、何もしていない。学会はその事をさも諌暁したが故に投獄されたかの如く宣伝してるが、ただのプロパガンダである。投獄解散させられたのは、不敬罪という法律違反を犯した集団だからである。もし、日蓮正宗の信心が原因の難ならば、なぜ日蓮正宗は取り締まられなかったのか?それは、信心自体を取り締まったのではなく、人前や道路際などの大衆の面前でこれ見よがしに神札を焼却し、いやがる折伏先の許可も無く燃やしたりした当時の違法行為をしたからだ。随方毘尼の法理に照らせば王法に背かずに謗法に加担しなければ良いのであり、宗門が戦中信徒に下した一応は神札はもらっても、拝んだり安置などせず、人知れず倉庫にでもしまって置いて、時期を見て処分せよと言うのは謗法でもなんでもない。法に触れないようにしかも謗法を犯さないようにという知恵である。
話を戻して、では、南無妙法蓮華経とは何なのか?
因果倶時不思議の一法これあり、名づけて妙法蓮華と言う。因果倶時の因は仏因、果は仏果、倶時の時は刹那の一瞬。この一瞬に、「我本行菩薩道」という本因と、本果である仏身が備わる法。この本因にせよ、本果にせよ、生身の人間がいなければただの空論、生身の仏身を現じなければ何を言おうが理論でしかない。したがって、人法一箇でなければ事とはならない。日蓮大聖人様がすなわち南無妙法蓮華経の真の当体である。したがって、そのお命を御図顕され、出世の本懐とされた戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人様その人であって仏の体であって物でもただの法でもない。法本尊と言う時、事の一念三千の南無妙法蓮華経、人本尊と言う時、日蓮大聖人様、これが一体でなければ真の仏身とは言えない。そして、大御本尊様が仏身であると言えるのは、草木成仏の法門によるのです。有情のわが身(生きてる)も地水火風空であり、非情の我が身(死んでる)も等しく地水火風空である。だから、板御本尊へ法華経を心法と定めて、法華を悟りたる智者が開眼供養すれば、それは生身の仏身となるのです。この事を、大聖人様がご自身でされた大曼荼羅です。
我々の成仏は、厳然と存在する南無妙法蓮華経の御当体である大御本尊様に向かい、目で御本尊を見、耳で結要付属の血脈相承のある猊下様の発する梵音声を聞き、我が身の身口意の三業に乗せて発する南無妙法蓮華経を唱えるから、即時に南無妙法蓮華経を我が身に具足して即身成仏する訳です。つまり、大御本尊の前を離れた凡夫は、ただの凡夫。九界を出ない衆生であって、池田が言う凡夫が仏とはならない。諸法実相抄にある凡夫即極の説法は、我ら九界の衆生の凡夫の事ではなく、御本仏日蓮大聖人様の事であり、質問主の最蓮房に凡夫僧の日蓮の為には、三十二相の仏は迹仏だよと言い、凡夫に見える日蓮が本仏であると教えているのである。特に、迷悟の不同のため倶体倶用の三身を知らざるを九界の衆生、悟れるを本仏(日蓮大聖人)と、同じ凡夫でもまったく異なる事を示されています。この文の心も解らず、池田は「法華経講義」や「法華経の知恵」と言う珍解釈の書で、本来衆生である民衆が本仏、法を説いた仏が迹仏とし、日蓮大聖人と釈尊と仏法をおとしめている。衆生が本仏なら、御本尊も仏道修行すらいらないだろう、仏なのだから。まったくのペテン。これが池田流の仏法です。
話しはもどって、本来、厳密に言えば、大御本尊様に御開扉を受け猊下様とお題目を一緒に唱えなければ成仏はできません。戒壇の大御本尊様以外は、すべて分身のご本尊であり義の本尊だからです。だから、家にある御本尊様には、時の猊下様の花押があり自宅で御開扉を再現する事で大御本尊様にお目道りをしている、猊下様を通して大御本尊様を拝している事になるのです。また、御開扉は宝塔の儀式の再現であり、禅定の場であり仏説そのままだと言える。それに対して学会のニセ本尊は義の本尊ですらない。御法主の開眼が無いからね。允可もない。仮に日寛上人が聞いたら允可を与える訳も無い。勝手に日寛上人の許可も無くプリントしてるニセ本尊。六巻抄を読んでくださいよ。日寛上人こそ、戒壇の大御本尊様と唯授一人血脈相承をもって破邪顕正を説いてる方ですからね。学会のごとく己義を構え御宗門をないがしろにし、僧を馬鹿にし、我、得たりと慢心を起こす信心には血脈は流れないし、血脈がなければ成仏も出来ない。
いくらそのニセ本尊に祈ろうが、還著於本人となって悲惨な現実が待っているだけです。

7.日蓮大聖人は、御本尊の書き方を習った?そのくせ末法の仏?
これは、ついには日蓮大聖人が、まるでただの末法の仏でしかなく、釈尊や竜樹・天親らが説いた仏法によって南無妙法蓮華経の本尊を建てたかのごとき発言。
この本音は、身延日蓮宗と何ら変わらない。日蓮大聖人を本仏と言いながら、実はただの末法の行者程度にしか見ていない見識のあらわれではないか。
もう、謗法も極まれりである。
日興上人の弟子ですらない。信徒ですらない。創価学会がこの認識なら、日興上人を僧宝と立てる言われも無い。そのニセ本尊を拝む理由すらない。日蓮を語るのを止めてほしい。
この考えの何処に、正統な富士門流の信心があるのだ。
このような考え方は、大聖人の仏法よりも釈尊の仏法の方が時間的に先だから、それを学んだ大聖人が下で釈尊が上という発想であり、迹門と本門、脱益と下種、文上と文底、本仏と迹仏の違いが解らない事を意味する。つまり、正しい仏法が解らないという事だ。
御本尊の下側、日蓮在御判の右側にしたためてある賛文、「仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮提中未曾有之大曼荼羅也」とある通り釈尊も、その他の仏法者も建立した事がない御本尊です。
妙法蓮華経を本尊とし、題目を唱えよ、と言っているのは日蓮大聖人様だけです。凡夫として末法に生まれ、外用の辺では上行菩薩の再誕、御内証は本地無作三身の自受用報身如来の御本仏、南無妙法蓮華経を悟り所持されている唯一のお方です。したがって、過去も未来も永遠に滅不滅の御本仏として、この娑婆世界で常住此説法されている。
この妙法蓮華経の人法一箇の大本尊を所持し顕せられたのは、この宇宙で日蓮大聖人お一人です。そして、戒壇の大御本尊以外に大聖人様が住していないのは、簡単なことです。私の命は一つです。同じように大聖人様のお命も一つしかない。100も200も乃至何億もあるのか?
仏の命の、事の一念三千を顕した御本尊はたった一つしかありません。
何故か、それは戒壇の大御本尊様のみ、願主弥四郎国重と言う実在しない日蓮大聖人さま己心の願主によって、建立の動機とされ、贈法華講衆敬白と、授与は全ての法華講員であるからです。ここから一閻浮提総与の御本尊とされるのです。大聖人ご真筆のご本尊が126体現存しますが、全てが一期一縁の本尊であり、中には愛染さえない初期のものもあり、どれを根本の本尊とすれば良いか迷うところであります。現に身延は迷い、本尊が決まっていない。相伝がないからです。
だから、大聖人様は、御入滅後の本尊造乱が無いように出世の本懐である根本の本尊を定め、唯授一人血脈相承で日興上人に相続されたのです。そして、日興上人は大御本尊以外の大聖人授与の御本尊を、授与者が亡くなったら、その子孫に相続せぬよう言い渡しお集めになった。本尊が造乱するからです。
一体、創価学会が正統性を言える事など微塵も無い事がわかったでしょう。
創価学会は、正宗のふりをして実態ないものを広宣流布と言っているに等しい。だから邪宗邪義だと言っているのです。
とにかく、すぐにその謗法の信心をやめ、正宗正義である一仏乗である日蓮正宗に帰依して下さい。お願いします。その信心をやめない限り、私が歩み寄る事はない。
創価学会は謗法である。亡国の因であり、大白癩病であり、無間地獄の業因、現代の真言、現代の念仏衆でしかない。現に、学会員はどうやって即身成仏をするのだ、そのニセ本尊で。大御本尊様との血脈のない変造本尊で成仏などできる訳がない。

反論は、文書をもってして下さい。
日蓮正宗が邪宗と言う根拠。悪口や怨嫉ではなく、仏法の法義のみで反論しなさい。戒壇の大御本尊の否定、唯授一人血脈相承の否定、ニセ本尊がニセでない理由、学会が本尊を印刷して授与している事の正当性、しかも日蓮正宗の過去の猊下様の本尊を勝手に印刷する理由(本尊盗人)。創価に相伝がある(法盗人)と言う根拠、証拠。学会本部の本部職員、及び会館職員が財務を食い物にして私腹を肥やしてる正当性。友人葬の正当性。塔婆が不要と言う理由。
違う宗教法人だから良いのなら、日蓮正宗の本尊を印刷したり、大聖人の御書を勝手に解釈したりするのを止めてほしい。独自の本尊、独自の教義、独自の題目を立てればいい。日蓮正宗がオリジナルである事は明白な事実。真似すんなよ。題目の唱え方も変えれば良いじゃん。勤行を変えたように。

草々

3月7日 何某これを記す。

以上です。

東日本大震災の直前の母への手紙①

私が3月7日に書いた手紙です。
さかのぼること3日前の3月4日に電話で創価学会を辞めるよう説得しました。その時の母の言い分に対する破折の書です。

前略 母上殿
昨日の電話で、いよいよ強情に創価の邪宗邪儀が身に染まって、謗法をやめる気が無い事が明確になりました。
大聖人の御書中、「御義口伝 上 序品七個の大事 阿闍世王の事」“子として父母を殺害するは逆なり。然りと雖も法華経(大御本尊様)不信の父母を殺しては順となるなり”との御指南があります。まったくこれに当てはまるのかと思います。(ここで言う殺すと言うのは、謗法に執着する心根を殺すと言う事で、実際に殺人することではありません。)この事は、謗法の母は、返りては私が仏道を極める為の師なのかも知りません。羅刹が母の身に入りて、私の仏道修行を成ぜんが為に、強く敢えて謗法をかたくなに信じているのかもしれません。その意味に於いては、深く母の慈悲に感謝いたします。
しかし、謗法には加担できません。なんと言われようと謗法には加担できません。創価学会は謗法の集団です。直ちに創価学会を脱会してください。過去の創価学会と現在の創価学会は明らかに違います。平成3年以降の学会は魔の集団です。

昨日の電話でのそちらの趣旨は、
1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげか?
2.学会が広宣流布したから大石寺の寺域が広がった、整備された?
3.私に信心を教えたのが母だろう?
4.昔の坊さんは信心が無い?
5.ご宗門は広宣流布していない?
6.南無妙法蓮華経は宇宙に遍満する法でしかない。
7.日蓮大聖人は、御本尊の書き方を習った?そのくせ末法の仏?
すべて破折させていただきます。

1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげ?
見返りをもって寄進したのであれば、それは三宝に供養する精神ではなくただの施し(ほどこし)、つまり布施という考え方。
日蓮正宗では、布施という考え方を大聖人以来否定してきた。布施ではなく、御供養とされている。
それは、身軽法重という信心の姿勢からは遠く、寺院僧侶を施主の支配化に置くという権力や財力に仏法を支配される事があってはならないからだ。身延の波木井はその故に日興上人をうとみ、日向の軟風に流され身延山久遠寺を寄進した施主を気取り、謗法に堕したではないか。
1.の主張をする学会は、寺院や僧坊を寄進したのだから、学会の支配下に宗門を入れようと言う本音の表れであり、三宝の恩に奉じる御供養ではない事が明白だ。だから、謗法の徒が寄進した僧坊、施設を御本山は取り壊した。当然である。謗法の布施供養を受けないのが当宗の、日興上人の遺戒だからです。御書の遺戒置文にもちゃんとある。
学会が供養した金や堂宇の方が尊く、御宗門に感謝せよ、と言うのなら、金や堂宇を拝む信心をすればいい。我が身の成仏をさせてもらう仏法の修行や御本尊、また三宝(宗門)に対しては感謝してもし切れない程の恩がある。御宗門の令法久住があったればこそ、我々は正しい成仏ができる仏法を実践できるのであり、その御慈悲で大御本尊様にお目通りさせていただける。そして我が身の成仏の御恩の前には、金や堂宇の寄進など糞みたいな物だ。その尊き仏祖三宝尊に感謝し供養する心が無くて、出した金を惜しむのなら永遠に成仏など出来ない。雪山童子は成仏のために身を供養し成仏した。命ほどの宝は無い。法を求める心はかくあるべきです。
だから、上記の如き言説をたれる創価学会は邪宗だと言うのです。御宗門へのお金や堂宇を寄進した恩の方が尊く、我らが成仏の本因である仏祖三宝尊から頂く恩の方が劣ると言うのなら、初めから信心などしてないのと同じだろう。まったく本末転倒もはなはだしい。とんだ信心だわ。所詮、創価学会は、日蓮正宗の信心利用、金払ったんだからありがたく思えという態度なんだろう。情けない。報恩を旨とする仏法の道理ではなく、中国、朝鮮のヤクザか山賊の心根だ。仏の集団を語る創価は、分裂後、一度でもその慈悲心から宗門を折伏に行ったのか?悪口、謀略、誹謗、中傷、憎悪、プロパガンダで会員を騙し、洗脳し、それがこの20年間、創価のやってきた事ではないか。まったく笑止千万、とんだ仏の集団だ。菩薩なら捨て身で宗門の間違いを、法義に照らし折伏するだろうよ、法華経の行者ならね。出来る訳がないか、信心利用のペテン師集団、題婆達多の集団だからね。日蓮正宗の法義は750年来、いささかも変わっていない。その信者団体が分離独立を図って、親である御宗門を法義で折伏できるわけない。勝てるわけがない。オリジナルは何を言おうが日蓮正宗なのだから。

2.学会のおかげで本山の寺域が広がった、整備された?
申し訳ないが、大石ヶ原を寄進したのは南条時光であり、もともと寺域は変わっていません。戸田先生が願主の大講堂は厳然とあります。正本堂、大客殿、大化城は、謗法の徒、池田を願主とした謗法の象徴だから取り壊し、建替えあるいは広場となりました。
学会が去った後の本山は、法華講員の厚い信仰心と御供養で整備が続き、塔中の僧坊もこの5年以内に建替えして新しい和風建築のお寺になっている。また、宇宙基地みたいで品の無い正本堂と違って、建替えられた奉安堂は、実にシンプルな造りで、参詣者の出入りがスムーズにできるし、なにしろ大御本尊様が良く見える。外観も和風の堂宇であり塔中の僧坊とミスマッチしない大仏法の殿堂でした。で、今現在は御影堂の解体修理再組み立て工事中であります。江戸時代には、大奥で有名な敬台院殿(御影堂)、天英院殿(三門、五重塔)などの方が寄進されている。学会が無くとも本山は昔も今も、法華講員の厚い信心で護られている。学会だけが特別ではない。

3.信心を教えたのは母ではないか。
その通り。母が教えてくれたのは、日蓮正宗創価学会の信心だった。大変感謝している。しかし、宗門に弓を引き誹謗中傷を重ね、ニセ本尊を造立し謗法と化した平成2年以降の池田マンセー(万歳)創価学会のニセ信心ではない。
母が教えてくれた御本尊は、正しい日蓮正宗の御本尊様だった。学会のニセ本尊の功徳で大学に行かせて貰ったわけではない。ニセ本尊は就職後だからだ。また分裂前に学んだ教学は日蓮正宗の教学であり、復帰した今も20数年前に学んだ教学と何も変わっていなかった。変わっているのは、邪宗・創価学会の方だ。
私が、母に言いたい事は、学会には日蓮正宗の信心は微塵も無く、ただの池田教だから早く正心を取り戻してほしいと言う事。母が教えてくれた日蓮正宗の信心の原点に返ってきてください。宗門の悪口はただの怨嫉、法義による正当性は学会には無い。
新燃岳の噴火と宮崎の口蹄疫、鳥インフルなどは、日向の国土を覆う総罰ではないか。それだけ宮崎は邪宗・創価学会が盛んだという証拠である。

東日本大震災の直前の母への手紙②へ続く・・・

創価学会が一闡提(いっせんだい)の件

今日は、戸田会長の命日ですね。

学会の方は師匠(名誉会長)の師匠の報恩法要はしないのでしょうか?

あ、選挙が忙しいからそんな暇ないか。さびしいねー。

私が昨年、創価を辞めようと思った最大のきっかけは、学会員にないしょで、公明党が外国人参政権法案をなんと過去10年に渡り29回も国会に提出してる売国政党であることを知ったからです。
おかしいじゃない。知らずに売国政党を応援してたなんてあまりに間抜けすぎる。名誉会長が韓国の日本海に面する石碑に、あろうことか日本海を「東海」と呼んでいるじゃないですか、どう言う事ですか?
日本人なら、古来、日本海は日本海です。韓国にこび売って「東海」なんて言わないよね。ありえない。頭がおかしいか半島の方なのかもしれない。

もし、外国人参政権が成立し、韓国籍の方が対馬の土地を買いあさり、その自治体の議会で対馬の帰属を韓国にするなどという決議や住民決議をしてしまったらどうなります?あるいは韓国軍が占領するかもしれません。自国民の生命と財産を守るなどと言ってね。
あるいは島根県で竹島を韓国領と認める決議を県議会でしたらどうなります?放棄したと見なし、永遠に韓国は自国領と主張し続けますよ、今でもですが。
そんな可能性は微塵も許してはいけません。日本は、純粋に日本人の国です。過去も、現在も、未来も。
断固として、外国人参政権は地方であれ国政であれ日本民族には受け入れられない事です。
だから、この問題は「他国侵ぴつ難」なのです。
売国政党を応援する気には成れなかった事と、学会への疑念が完全におかしいと確信に変った瞬間でした。

本題。

御書p142の「真言見聞」に曰く、

「およそ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。これ涅槃経の文なり。ここを以って法華経には「すなわち一切世間の仏種を断ず」と説く。これを一闡提と名づく。」

創価学会は、御宗門を坊主坊主とバカにし、あらん限りの誹謗中傷を毎日、プロパガンダ新聞と創価新報に掲載し会員を誘導、洗脳、そして謗法に加担させています。

御書におおせの如く、僧を誹謗するのは経文にあるとおり大謗法です。僧は僧でも、日蓮大聖人様直系のお弟子である御宗門の僧侶方、なかんずく猊下様を誹謗中傷するのですから最悪です。
一切世間の仏種を断ずる行為です。
つまり、創価学会の活動は、一闡提の活動だったのですね。
やめて良かった。
一闡提とは、現世も未来世も永遠に仏法を信じられず、成仏できない魔民の事です。どんなに善人ぶってとりつくろっても、魔の心が身に入って染まりこんでるので、何を言っても聞かない堕地獄のあわれな人々です。
法華経方便品の会座で席を立ち去った5000人の驕慢の人々の子孫です。
我が母の実家の実家は念仏の寺です。母が、どんなに言っても創価学会を辞めて正しい仏法に帰依できないのは、一闡提の子孫だからかも知れません。残念です。
決定(けつじょう)してる人は、何を言ってもダメで、逆縁となって遠い未来世に正法に縁するのでしょう。諦めずに、もう少しがんばります。

「顕謗法抄」も読んだ方がいいですよ学会員さん。

「もし人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至その人命終して阿鼻獄に入らん」
「懺悔(ざんげ)する謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。いわんや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づることかたかるべし。ゆえに法華経第二にいわく「経を読誦し書持する事あらん者を見て軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨を懐かん。乃至その人命終して阿鼻獄に入り、一劫を具足して劫尽きなばまた生まれん。かくの如く展転して無数劫に至らん」等云々
「悪知識は無量の身無量の善心を壊る(やぶる)中略 悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」・・・三趣とは、地獄・餓鬼・畜生のこと。

学会活動は、一闡提の活動です。三宝に弓を引く大謗法です。


このブログの脱会の決意をした記事「創価をやめる決心がついた」にコメントが付きました。
面白いので、ここで紹介します。


マニー・バッキャオさんのコメント

まったくもって「おもしろすぎる」ブログですね。

 自身のことは省みず、成長できずに無駄な人生を歩んできたこと『他人のせい』にする。現実逃避の言い訳だけの人生。あなたの人間性がよく表れた『言い訳ブログ』そんなものを公表できる、まあ、そうでもしないと精神が崩壊してしまうでしょうね。これからも逃げて逃げて逃げ続けてください。虚栄心にまみれ、原因を『自分以外』に求めながら、楽しい人生を送ってください。

以上引用

ごめんなさいね、逃げて正解でした。余計なしがらみとか無くてすんだので。大変でしたがいい人生でしたよ。たくさん遊びに行ったし、いい思い出もたくさんある。辞めていった職場も人一倍がんばりましたし結果は必ず残しました。今の職場もそうですけど。結果も出し力量も認められ上司にかわいがられて、おかげで責任者やってます。日々、数字と戦ってますよ。最善を尽くしてね。
それから、自分に原因を求めてますよ。大法謗に加担したからひどい人生だったと大御本尊様に懺悔しました。
自分の行い(信仰した対象)が悪かったと認めてますけれど、何か?

よく創価では、自身の成長のためとか言いつつ、池田先生にお答えする?訓練だの修行だのを部、地区単位の幹部やらが指導してますが、今だにその”成長”という言葉の意味がわからないのですよ。
仏法には、御書には、成長という指導が無い。
信行学があるのみです。まったく仏説とは関係ない精神論なのです。
南無妙法蓮華経の功徳は即身成仏です。因果異時ではありません。
だから、学会活動と称する活動は、まったく無意味です。一闡提の活動ですのでね。

20数年前の事。
中野区の学生部が、未活動の部員にそれこそ毎日ストーカー行為をして張り込み、置手紙をしてる事を学生部時代に聞いて、キチガイかオウム真理教かと思ったことがあります。
部長にそうしろと説得洗脳された班長が、成長だとか、相手を救うため、とか思い込まされて善意でやるのでしょうが、やられる方はたまったものではないでしょう。電気を消し居留守をしたり、遠回りして帰ったり、毎日来られてプライベートも無い。
はっきり言って迷惑です。今ではストーカーと言う犯罪です。
そんな事、仏法と何にも関係ない。実はやる事を強制されてる班長も、俺、何してんねんと実は思っている。プッ。

本部担当創価班、仕事より任務を優先。・・名誉会長に忠誠心を見てもらう為。ヒットラーユーゲントか?
御書には、御宮仕えを法華経と思し召せ、と四条金吾に大聖人はご指導されている。
仕事が優先なのですよ。御書の通りなら。

最後に、コメントをつけて下さりありがとうございました。
どうか、一日も早く脱会されん事をご祈念致します。

追加
お正月に初登山した際、2万人の参詣で連続御開扉を5回されてましたが、法華講青年部の輸送班の方々の手際の良さには感銘いたしました。とても爽やかで無駄も無く的確な誘導でした。
なにしろ、エリート意識とかそういうのではなく、身の供養での奉仕活動なので嫌味が無い。創価班とは大違い。
法華講には、大幹部などという物が無い。講頭さんも含め、御尊師が信心の師匠なのでみんな平等で、威張ってる人がいないし強制もされない。
自分の発心、信仰心が一番大事。
私は、今の信心の師匠である、所属寺院の御尊師にお会いできて本当に良かったと思っています。お寺に参詣するのがいつも楽しみですし、法話の中で御書を教えて頂けるのが本当に楽しみです。いつも新たな発見があります。仏法のお師匠様を本当に尊敬していますし感謝しています。
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