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オークランド・コミューン - Marxは生き、脱構築は不発のOWS
前々回、1/4の朝日(9面)に載ったネグリのインタビューを紹介したが、その続きでOWSと社会主義の問題について考えたい。再びネグリの発言を引用すると、OWSをこうコメントしている。「今後、もし世界のどこかで新しい民主主義の革命が起きるとしたら、それは米国から始まると思っています。なぜなら革命とは、資本主義の発展が最高レベルに達した場所で起こるものだと確信していますから。マルクス自身も、当時最も進んでいた国で起きると思っていました」。この一節を読んで、普通の読者なら、ネグリの言葉遣いに少し違和感を感じてしまうのではないか。それは、「民主主義の革命」という言葉と、マルクスが期待したところの資本主義が最高レベルに発展した場所で起こる「革命」という言葉が、一般の概念では同じ内容ではないからだ。意味がズレる。例えば、昨年2月に起きたエジプト革命は、われわれの常識からすれば明らかに民主主義の革命だが、ネグリのターミノロジーの世界では、これは「民主主義の革命」ではないことになる。範疇から除外される。ここでネグリが言う「革命」には特別な意味がある。それは、ネグリの言う「新しい民主主義」が一般のデモクラシーとは意味が違うところから来ているのであり、その点に注意して推測を働かせれば、文脈を整合的に探る手掛かりとなる。ネグリの言う「新しい民主主義」は、ひとまず、一般の知識の「社会主義」の語と置き換えれば分かりやすい。作為的な造語だ。


言葉を換えているのである。社会主義・共産主義を言語もろとも否定し、その理念性をば別の言語を仕立てることで思想として体系化しようとするネグリは、社会主義・共産主義を過去の失敗として清算するのであり、その言葉を積極的な意味では絶対に使わないのだ。どうやら、社会主義の理念的なところは「新しい民主主義」という言葉になり、共産主義の理念的なところは「コモンズ」に置き換えられているらしい。さしあたって、そういう大雑把な検討をつけて読むことができそうで、他にも、労働者階級が「マルチチュード」に変換されていると言われている。20世紀の社会主義・共産主義を全否定し、その理念的なエッセンスを新語(新概念)に改造して再生しようとする企てと試み。そのプロジェクトが成功すれば、社会主義・共産主義は暗黒と失敗だけの意味の概念に固まる。過去の経験として総括されて棄てられる。私が、このようにネグリの意図を解釈するのは、イタリア共産党の党名変更の問題がクロスして想起されるからだ。「社会」とか「社会民主」の看板を使わず、「左翼民主党」に変え、その後に「民主党」に変えた。「社会」と「社会民主」を飛び越えて「民主」にした。ネグリがこの党の理論的指導者だったわけではないが、この場合の「民主」は、ネグリ的な「新しい民主主義」の意味を含み込もうとしたのではないか。そのように想像する。けれども、それから20年になるが、そのイタリア左翼の新生プロジェクトは決して成功したとは言い難い。

『マルチチュード』を読むと、ネグリは福祉国家の社会民主主義も否定している(下巻)。欧州左派にとってのソ連崩壊は決定的な問題で、極東のわれわれには想像も及ばない巨大な出来事だったに違いなく、解体脱構築(社会主義の全否定)に向かわざるを得なかった思想的事情は察するに余りある。が、20年経って、その模索や投企が奏功し定着したかというと、答えはノーである。脱構築の思想はアカデミーの世界だけを支配するに止まっていて、一般の市民への影響としては、社会主義を否定する機能は十全に果たしているものの、その理念を救出して再建する目的は全く達していない。逆だ。社会主義の理念そのものも撲滅する作用しか及ぼしていない。ネグリらの思惑とは反対に、言語と思想の世界を徒に混乱させ、理念を求める者を惑わせ、現実政治にマイナスの結果しか導いていない。私に言わせれば、資本主義に対するアンチテーゼは社会主義としか呼びようがないのだ。資本主義を批判し、資本主義に抵抗し、資本主義を改造しようとする近代市民の思想と運動は、社会主義の名で呼ぶしかなく、それが最も合理的で、齟齬や矛盾がなく、歴史を正しく継承する方法なのである。失敗して否定されるべき経験も社会主義だが、同時に、その理念を担いで生きた者たちの事実の堆積がある。政治の犠牲となりつつ、われわれに遺産を残してくれた多くの無名の市民がいる。普通選挙権、労働基本権、生存権、福祉国家。社会主義の理念を担いだ者たちが残したものだ。

OWSのサインボードを検索で調べてみても、マルチチュードやコモンズの言語は見当たらない。脱構築の契機はない。脱構築されていない。脱構築が政治に媒介された形跡が窺えない。そこにあるのは、"Capitalism"への峻烈な批判であり、"Class War"であり、"Working Class"の語である。労働者に団結を呼びかけたプラカードが多く、ここが本当に米国かとたじろぎ驚く気分にさせられる。簡単に言えば、マルクスが生きている。米国社会にマルクスが生きていた。少なくとも、日本よりもマルクスの思想の影が空間に濃い。報道の被写体となって情報発信していて、実在と密度を証明している。日本では、3年前、派遣切りと派遣村があり、反貧困のムーブメントが最高潮に盛り上がった時でさえ、「革命」だの「階級闘争」だのを言う者はなく、「労働者は団結せよ」の声すら上がらなかった。中途半端に行政の救済制度論へと収斂し、そこで途切れてブームが終焉した。書店で本を買って読み、講演会で話を聞き、一部がボランティアしただけだった。新自由主義の支配体制に挑戦する言論にならず、格差社会を破砕し解消しようとする運動に至らなかった。日本は、脱構築の悪い影響に全面的に染まっている環境と言える。グラックの山之内靖への批判は当を得たもので、現在の日本と米国の彼我を投射した重い一言だ。米国では、抵抗する若者が警官隊に頭を割られて流血し、無抵抗の若者たちが催涙スプレーを噴射されて耐えている。日本では、それを「お祭り騒ぎ」だと嘲笑している。

私を驚かせたのは、オークランド・コミューンの出現と活動である。日本の報道には出ないが、これには心底から圧倒された。こんな情景を米国の現実で目撃するとは。私は、OWSはパリ・コミューンだと言い、その類似性に着目してOWSの意義を確認する視点を提起したが、まさか現地の米国で、しかも実践している活動家たちの中で、私と同じアイディアを持った一団が出現していたとは想像もしなかった。OWSをパリ・コミューンと結びつけて意味づける着想は、知識人の議論から起こるだろうと予想していたのだ。そうではなかった。Oaklandのオキュパイの運動家が、占拠をコミューンとして実行し、自らの祖先を1871年のパリの労働者の革命だと主張していたのだ。オークランド・コミューン。おそらく、アナキストとコミュニストが中軸で関与している。港湾の占拠と封鎖を目指したOaklandのオキュパイは、全米で最も過激な行動に発展、暴徒化した一部が銀行を襲撃したり、また、若いイラク帰りの元米兵が警官隊の投げた手榴弾によって頭蓋骨骨折の危篤状態になるなどの惨事があった。写真を一瞥しても、NYのズコッティとは様相がまるで違うことが分かる。参加者に覆面姿が多く、米国ではなく、南欧か中東の国の事件かと錯覚させられる。運動の思想や形態も、NYのOWSと性格が異なるようで、戦闘的であり、Occupy OaklandとOakland Communeとの関係が、何やら、ペトログラード・ソヴェトと党中央革命委員会の関係を思わせる。

全米で最も知的水準が高く、NY以上にインテリ層が多く住む都市と言われるSF。そのSFのオキュパイは、何の変哲もないお上品で平板なアクションで拍子抜けさせられたが、橋を渡った対岸のOaklandで、まさに革命前夜の昂奮の事態が起きていた。NYよりもラディカルでアグレッシブでストレート。このあたり、東海岸に対する西海岸の左の意地と面子があるのだろうか。まだ子供だった頃、米国の政治に対して私が持っていたのは、何だか似たような二つの政党しかなく、市民は選択肢がなくて面白くないだろうなという感想だった。自民党の右派と左派の二つしかなく、他の勢力に投票することができない。バリエーションと深さがない。日本の方は、社会党と共産党があり、さらに仏教を担いで中道を主張するユニークな政党に勢いがあり、いかにもアジアの先進国らしく、政治に幅と厚さがあると感じられた。それを日本の政治の豊かさだと思い、米国よりも社会の質が上なのではないかと自慢に思う一瞬があった。その感じ方は、その当時の日米の現実にタイムトンネルして即けば、必ずしも間違っていたとは思わない。正解だったと言ってよいと確信する。当時の日本の政治家は、自民党も野党も真剣で迫力があった。現在のように軽蔑と嘲笑の対象ではなかった。政策も国民の方を向いていたし、憲法を尊重する常識があったし、弱者や地方や農民や中小企業を配慮する姿勢もあった。米国にも、もっと第三第四の政党が存在すべきだと思っていた。

今、日本よりも米国の政治の方がはるかに濃く、彫りの深さがあり、幅と重さと豊かさがある。Tea Partyのような極右が台頭したかと思えば、Occupyのような革新が出現し、新しい潮流で世界を驚かせる。デモクラシーの理念を真剣に問い、若者が行動で社会を変えるべく街頭に出ている。エジプト革命を見て、率直に素朴に共鳴し、その再現をNYで果たそうと夢を持つ。市民革命の原点を思い返して自己認識する。世界の政治を引っ張り、人々の目を釘づけにしている。ジジェクがズコッティ公園を訪問して演説した映像がネットに載っている。ジジェクの話の中身はどうでもいいのだが、それを熱心に聴いている公園の若者たちの姿に感心させられる。米国の知識人の卵たち。日本で、こんな具合にジジェクの言葉に耳を澄ます若者がいるだろうか。ネグリを呼んでも、ジジェクを呼んでも、その講演会とサイン会はイベントであり、脱構築のアカデミーとインダストリーのプロモーションでしかない。脱構築のビッグネームの教授たちが威張ってふんぞり返る権勢の場であり、出版社がゼニ儲けに奔走するビジネスの機会でしかない。そして、そこに消費者として嬉しそうに来る者たちは、サンデルの「白熱教室」に付き合って貢ぐのと同じ恍惚の表情と視線で、イベントを娯楽消費して満足して帰るのである。ネグリも、トッドも、ジジェクも、何もかも、脱構築の商売と市場と趣味なのだ。ニューアカも、反貧困も。そして、ブームに便乗して巧く出世した小僧が新しい商品となり、次の浅薄なブームの市場を作るのだ。

それが「差異のゲーム」であり、「小さな物語」の連続である。


 
by thessalonike5 | 2012-01-07 23:30 | Trackback | Comments(0)
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