2011年11月24日

『Kの夜話』(6)

『Kの夜話』(6)

  如月マヤ

 それからの数日間は、指の間からこぼれ落ちるように、ただ流れ去っていくようにKには感じられた。仕事の引き継ぎもそこそこに、総務課の担当者がやって来て、Kに退職後守秘の誓約書に押印させ、社内マニュアルを返還させたりと、退職に向けたこまごました手続きが事務的に進められていった。Kは自分が受け持っていた営業先に挨拶をして回りたいと申し出たが、笠岡に却下されてしまった。事件のことで外に余計な話をもらされたくないというのが、会社の本音なのだ。会社はKをほかの社員からも隔離したかったのだろう。Kは退職の辞令を受ける日まで、それまで取ったことのない有給休暇をまとめて与えられ、自宅待機の身となった。
 事件はその後、Kが見つけた肉片が人間のものと断定されたことで、殺人を視野に入れた刑事事件へと発展していたのだったが、自宅待機中に、Kはあらためて前之坂警察署に呼ばれて聴取を受けた。事件の捜査は捜査第一課に移っており、そこでKは、最初に会社にやって来た篠崎と米原が、生活安全課の捜査員だったことを知った。
 捜査第一課の厳密な事情聴取が終わり、緊張がとけないまま警察署の出口に向かおうとしたKだったが、玄関ロビーを横切るときに、隅に置かれた自動販売機にふと目をとめた。飲み物の一つが、明るく輝きを発しているように見える。今までのKなら、こういった輝きにも一瞬だけ目をとめるものの、それ以上こだわることも気にかけることもなかった。気にかけたからといって、それで何がどうなるわけでもないし、いちいち立ち止まって考えるのも億劫だ。今回の事件ではたまたま、これを見過ごしたら人にもとるというものを目にしてしまっただけのことで、それですら、正しいことをした結果がこれだ。職を失う羽目になったというのに。余計なものはやはり余計なものでしかなく、自分にとって、この目がとらえるものは厄介以外の何ものでもない。そう思って、いつものようにKは、ただ通り過ぎるつもりだった。
 しかし、KはそれまでのKとは違っていた。どこかで何かが変化したのだ。その変化がKに、それまでとは違った行動をとらせたのだろう。今思い返してみれば、もぞもぞと動いて見えたあの肉片の記憶を、その輝きで無意識に消し去ろうとしたのだと説明をつけられるのかもしれないが、とにかくKはそのとき、輝きを発する光の源を求めて、自動販売機に近づいていったのだった。販売機の中で一ヶ所だけ光を放っていたのは、砂糖とミルク入りの甘そうな缶コーヒーだった。Kは顔をしかめた。甘い飲み物は苦手だ。にもかかわらず、Kは小銭を取り出してその缶コーヒーを買った。輝きにつられてついそうしたのかもしれない。缶を手にしたとき、なぜ飲みもしない飲み物を買ったのだろうと、むなしくなったのも確かだ。このときの自分の行動の理由は、今でもKにはよくわからない。しかし、甘いコーヒーを持て余し気味にその場を離れた直後、背後で響いた声は鮮明に覚えている。

「ああ、売り切れかあ」
「え?」
 反射的に振り返ると、米原が立っていた。Kが販売機のパネルに目を向けると、今買ったばかりの缶コーヒーに売り切れの文字が点灯していた。「ココアにするかな」と呟きながら、ズボンのポケットから小銭を出そうとしている米原に、Kは思わず持っていた缶を差し出した。
「あのう。これですか?」
 米原がKの顔を見た。彼は驚いていなかった。
「ああ、あのときはどうも。Kさん……でしたね?」
「はい。その節はどうも」
「あれからたいへんだったでしょう。今日はその件で来たんですよね?」
 如才のない会話は自然すぎて、うっかりすると油断してしまう。これが米原の手強さなのだ。彼は相手に威圧感を与えなくてもいい。そんなことをしなくても、いつでも優位に立てるのだ。米原には人間が見える。それに、彼は動じない。たとえ感情が動いても、目の前の物事に惑わされて本質を見誤ることはないのだろう。こういう人間を脅したりすかしたり、足元をすくおうとしても無駄だ。媚びへつらいも通用しない。
「あのう、もしよかったら、これどうぞ」
 そう言って、Kは米原に缶コーヒーを渡そうとした。米原はKをまっすぐ見た。
「飲まないんですか?」
「僕、甘いもの苦手なもんですから」
「じゃあ、どうして持ってるんです?」
 やはり米原だ。どうして買ったのかとは尋ねない。缶コーヒーを手にして立っているKに、米原は観察したままを尋ねているのだった。
「今、その自販機で買ったんですけど。僕、甘いものは苦手なもんですから、ほんとはいらないんですけど……」
 Kは自分自身に戸惑って、言葉に詰まった。しかし、気まずい間が漂う前に米原はふっと表情をゆるめ、「じゃあ、お言葉に甘えて」と言いながら素早く手のひらで小銭を数え、Kに手渡した。
「私、警察官なんでね。ただ受け取るわけにはいきませんから」
 米原はKから缶を受け取り、缶に手が加えられていないかさりげなく確認すると、その場でプルトップの音を響かせた。Kはその音に一瞬気を取られ、その隙に米原の視線にとらえられていたことに気がつかなかった。
「甘いものが苦手というあなたが、ほんとはいらないという缶コーヒーを、自販機で買ったというわけですか」
 米原は缶を口に持っていきながら、Kに尋ねた。
「何か理由でも?」

(続く)
posted by まやちんの友達 at 09:34 | Comment(9) | 「Kの夜話」 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
気になる気になる!
この話がどこに転がっていくのか、気になります!
どうか早く続きを〜!!
Posted by suzu at 2011年11月24日 13:06
いつも小説ドキドキしながら読ませていただいてます。

質問なんですが、
世の中にはヘミシンクCDというものがありますが、
マヤさんはこれをどのような位置づけで考えていますか?
Posted by ぽぽ at 2011年11月25日 18:02
ぽぽさん:
ホ・オポノポノについてご質問を受けたときに書いたのと同じで、私は何でもありだと思っています。受け手・使う側が自由に選べる選択肢のうちの一つだと思います。
(自分で書いておきながらとても申し訳ないのですが、ホ・オポノポノという文字を目にすると、私はつい反射的にオゴポゴを連想してしまいます。すると、ついつい、オゴポゴとチャンプはいるよな、絶対……という方向に思考が走り、どんどん質問から離れていってしまうのです。あ、UMAと言えば、かつてムベンベを追いに行った早大探険部の、後日談番外編的な話があるのですが、個人が特定できてしまう話なので、そうか、書いてはいかんのだな。)
Posted by 如月マヤ at 2011年11月25日 19:05
小説を楽しみにしてくださっている皆様に、いつも、感謝でいっぱいです。
読んでくださる方があってこその、この言葉にならないありがたさを、しみじみ感じます。ありがとうございます。
面白いものを書きたいなぁ、とつくづく思います。
Posted by 如月マヤ at 2011年11月25日 19:14
自分が自分の源とつながれている時は、
ごはんのしたくをしたりアイロンをかけたり
ねぎらいの言葉をかけたりするこの手この声から
見えない魔法が出ているのかなと思うことがあります。

それは大切な人を守ったり誰かを元気づけたりというものなのですが・・・。

私の場合はまだ自分の源とつながれていると実感できる時間が少しなので、
魔法(?)が使えている感じがするのも少しなんですけど
早くそれを拡大させていきたいです。


そういえば、マヤさんが以前ブログでハリーポッターの魔法の先生
(すみません、名前忘れました・・・)
のことを書かれていたことを今ふと思い出しました。



マヤさんの小説、続きがとても楽しみです。



Posted by セツ at 2011年11月25日 19:57
セツさん:
まさしくそれが、ほかの誰でもないセツさん自身の、魂の力です。
『魂の目的』に編集のK氏が、「地上に生まれたあなただけの理由」というサブタイトルをつけてくれたのですが、その通りだと思います。
この魂の性質を持って今ここに生きている自分自身を、大切に大切にしてくださいね〜^^
Posted by 如月マヤ at 2011年11月25日 22:18
ん〜、米原さん、質問の仕方が鋭い!
これが曇りない心、真実を知りたいという思いから出た質問なんですね。

いつも質問する時に、こんな事聞いたら気を悪くするかな、とか、答えに困る質問をしたら悪いよな、と思ってしまい、聞かないで済ませたり自分で答えを行ってしまったりするんだけど、それって自分のエゴなんだな、と最近気がつきました。

気を悪くするかな、というのは裏を返せば、自分が嫌われたくないとか、良い人と思われたいという気持ちから出ているし、相手を責める気持ちもあるからそう思うんだなって。
それだと曇りない眼から目をそらしているし、それって相手の方に対しても失礼な事をしていたんだなって思う。

恥をかいても、自分がどんな風に思われても、魂の力を使う事や、真実を知りたいという思いの前にはなんてことない、みたいなことを以前マヤさんが書いていらっしゃいましたが、(そう思っていたのですが、合ってるかな?)自分自身もそうあろうと今努力しているところです。

自分の中にある怒りや悲しみの感情がどこから出ているのか、それって自分の中の何が原因しているのか。
自分を見つめるって痛いけど、今この時期にやる必要があることだと思う。
そして自分をしっかり受け入れて、認めて、初めて周りを曇りない眼で見る事が出来るんだと思うから。そこをクリアしていると、本当に相手の方の資源になることが出来るんだと思うから。

きっと米原さんはそれが出来ている人なんだな、と目標にしています。
そしてそれが私の中ではマヤさんと被るんですけどねw

つまり私の目標はマヤさんです。あ、でもマヤさんを羨ましがって自分自身になろうとしていない訳ではないと思っています。
自分の魂の力を使ってワクワクしながら自分自身になり、マヤさんのように曇りない眼で周りを見つめて、周りの方の資源になることが目標です。

ここに発表される小説は、自分の負の部分の感情は笹原の言動の中に見えるし、逃げたいと思う心はKの言動の中にあるので、とても分かりやすいです。
自分を見つめ直すことが出来るので、おっとっと〜、と戻る事が出来ます。

以前マヤさんが仰って下さったように、やじろべえのようにバランスを取りながら魂の力を使って毎日を過ごして行きます。
お茶を入れるのもご飯を作るのも、食べるのも、掃除も、人と話すのも、仕事をするときも全てに自分の魂の力を使って。
それが私自身だから。

長文になってしまってすみません。
書き出したら止まらなくなってしまいました。
きっと今自分にとって大切な時期だからだと思います。
読んでくださってありがとうございます。

マヤさんやまやちんの友達さん、美人秘書の平林梅子さんやオフィスマヤのワークの皆さんに、感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございます。
自分の足で自分の人生に責任を持って、しっかり歩いていきます。

小説の続きを楽しみにしています。
Posted by ゆう at 2011年11月25日 23:33
ゆうさん:
魂の体感において、魂の力を使って生きるには、どうしても、自分を見つめるところは通らなくてはならないんですよね〜。
魂の体感において、魂の力を使って生きることも、受け手・使う側が自由に選べる選択肢の一つです。それを選んだので、私も日々、自分を省みることしきりです。
Posted by 如月マヤ at 2011年11月27日 17:20
『魂の目的』を改めて読み返しました。
「第四 魂の目的」のところでは何度も胸がいっぱいになりました。

私は長い間、生きづらくていつも疲れていて
でもとりあえず生きることだけは最低限していこうと
思っていた人間です。

今自分がいろいろなことに感謝して
少しでも自分を認めながら生きていられることに
あきらめないでよかった
自分の中の大切な何かを消さないでいてよかったと
深く深く思っています。


以前の私のような人に伝えたいな、このことを。
でもどうやって?
考え中です。
Posted by セツ at 2011年11月28日 20:17
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。