『Kの夜話 』(1)
如月マヤ
そうだ。Kの話をしようか。
Kの見ている世界、Kの暮らしている世界は、ここにあってここにはない。彼には、他人より少しだけ余計なものが見える。日常にありながら日常に入れてはならないもの、そういった、人々が見過ごすものの上に彼の視線はとどまる。些細な日々の中にまぎれこむ些細でないものを、Kの目は見落とさず、彼の視界を他人が見る風景と少しだけ違うものに形作っているのだ。建物から建物へと視線を移すとき、または横断歩道を向こう側へ渡るまでの間や、絵画や雑誌を眺めたりしながらふと、何かが視界の端に入りこんだ気がしたことはないだろうか。そして、目の焦点を合わせてもう一度見てみようとしても、そこには何もない。そんな体験をしたことはないだろうか。しかし、光と影の加減か、気のせいか。やはり何もなかったと思い直して、人はすぐにそんな気がしたことを忘れ去る。たいていはそんな風にすら感じずに、人は無数の一瞬間を無意識にやり過ごしているが、Kの目は、彼の視界に入ったものを見なかったことにはしないのだ。
Kが見るものの中には、いいものもあればよくないものもある。何がよくて何がよくないものなのか、実際のところKは区別していない。区別するつもりもなく、深く考えることもしてこなかったのが、Kには幸いしたのだろう。日常にありながら日常にはないはずのものを見ながら暮らすのが、自分の生活なのだ。三十歳になったばかりの今、こうして、小さいながらも駅前で学習塾を経営しているのも、自分に見えたもののおかげだとKは思っている。
その日の午前中、Kは米原に呼び出されて、前之坂警察署の一室に座っていた。Kが米原と知り合ったのも、Kに見える少しだけ余計なものがきっかけだった。
県内の大学を卒業したKはその当時、地元の食品販売会社に就職して数年。ちょうど仕事が面白くなってきたところで、充実した日々を送っていた。いつものように営業先の飲食店に向かおうとして、注文品を車に積みこんでいるときだった。冷凍の食肉が、透明ビニールの袋の中で動いているように見えたのだ。それは唐揚げ用の骨付き鶏肉で、ぶつ切りにして袋詰めされたものだった。袋を持てば中身が動くのは当然だ。しかしKの目には、そのうちのひと塊が、もぞもぞと動いているように見えるのだった。どこか見知らぬ場所に放り出され、帰り道を探しあぐねているように、その小さな肉の塊は、ビニール袋から出ようともがいているようでもあった。
しばらくの間、Kは沈黙した。自分に見えるもののうち、何がよくて何がよくないものなのかは気にかけない。でも、自分が何をすべきかは、深く考えることをしなくてもわかる。それにしても、さて、どうしたものか。
Kは辺りを見回して、荷物を吊り上げるための金属製のフックを見つけた。フックは鎖の先につながっているので、鎖ごと引っぱってこなくてはならない。荷物の点検に手間取っているふりをして、ほかの営業車が出払うのを待ってから、Kは車の陰に鎖を引いてくると、フックの尖った先を上に向けて地面に置いた。ふうと溜め息をついてから、Kは冷凍肉のビニール袋を勢いよくフックの先で破ると、中身をまき散らした。それから社屋の中に戻ると、上司の姿を探した。上司の笠岡は繊細な性格をしているが、それは顧客への気遣いには大いに発揮されるものの、社内の面倒事には頑なに無関係を貫く人物なので、報告するにはもってこいだろう。
Kは焦った様子で上司のデスクに近づくと、笠岡に「たいへんです」と声をかけた。
(続く)
面白そうな展開だし長編なのかな??
早く読めますように。
楽しみにしています♪
あれからもう1年が経つのですね。
「この選択で先の人死にの数が変わる」という日記とても鮮明に覚えています。
でもマヤさんのサイトが無くなってしまい、遠方の私はとうとうお会いすることもなくなったんだな・・・
と勝手に思っておりましたので、こちらで予見広告にお話会の日程が発表された時
迷わず『死んでも行くっ!絶対行くっ!!』と強く決意したのを懐かしく思い出しています。
それも政治のお話なのか精神世界のお話なのかまるで訳判っていない自分だったのに。
あの強い想いだけが私を支えていたと実感しています。
マヤさん、いつも道標をありがとうございます。