『人魚(ひとうお)』 〜〜「Kの夜話」より〜〜
如月マヤ
川村某は退屈していたのである。この前なんとも不思議な体験をしたが、あのような出来事がまた起こらないかと期待するようになっていた。その思いは日ごとに増して、あれよりも面白い出来事でなくては満足できぬと、川村某はそう思うようになっていたのであった。
そんな折、会社帰りに川村某は、ばったり友人に出くわした。茶粥の作り方を教えてくれた、あの友人である。川村某は内心飛び上がって喜んだ。この友人なら、自分の期待にこたえてくれるに違いない。いや、そうでなくてはならぬのだ。
川村某は友人に、気晴らしに何か面白い体験ができぬものかと持ちかけた。そう言いながらも、この前よりももっと面白いことを要求し、自分を満足させてくれねばならぬと強要していることに、自分で気がつくでもない。
ところが友人は即座に、それなら自分についてこいと言う。とても不思議な、この世ならぬものを見せてくれる店があるのだと。お代は少々痛いがいいかと尋ねられ、川村某はそれでも構わないと答えた。なに、給料が出たばかりだし、自分は安アパート暮らしの独り身だ。次の給料日までなんとかなるだろう。
繁華街の人混みを抜けると、飲み屋の看板もまばらな路地に入った。路地は曲がりくねっていて、両側には灯りのついていない建物が取り壊しを待っている。奥に進むにつれて街灯の数は減り、やがて、明るさといえば頭上にぽっかり月が浮かぶだけとなった。
もうずいぶん歩いた。そういえば、このあたりは住宅街ではないのだろうか? さっきから誰ともすれ違わないし、周囲はしんと静まりかえっている。川村某は腕時計を見た。夜といっても、まだ8時をまわったばかりなのに。
その時、不意に友人が立ち止まった。気づくと、川村某は一軒の店の前に立っていたのだった。店先のぼんやりした灯りで看板の文字を読もうとしたが、その前にもう、友人が店の引き戸を開けて中に入って行ったので、川村某もあわてて後を追った。
五、六坪ほどの狭い店だった。埃っぽいような大小の古道具がぎっしりと、壁際の棚に並べられている。西洋のものも和のものもごちゃまぜで、ところどころ、東南アジアか南米のものらしい色彩の器が見え隠れしている。店内が仄暗いせいで、ただの器が、どれも呪術の道具に見えてくる。鉄製らしい燭台には溶けたロウがこびりついたままで、かすかに獣脂の匂いが嗅ぎとれた。
川村某が店の中を見回している間に、友人が店主と話をつけたらしい。
店主はしわだらけの手で川村某を招き寄せると、おもむろに、ショーケースの上に木箱を置いた。両手で軽く持ちあげられるほどの大きさの、横長の箱だった。促されるままに手を伸ばした川村某は、木箱に書かれた墨字に目をとめた。その文字は「人魚」と読み取れた。
店主が「お客さん、これはめったに見られない……」と話し出すのを「ああ、なんだそうか」とさえぎって、川村某は合点した。人魚のミイラの話は知っていた。猿の屍骸と魚の干物で作った細工物だろう。江戸時代の日本の輸出品だったというじゃないか。川村某は自分が聞きかじっていた話をべらべら喋りながら、得意そうに木箱の蓋を開けた。
そして、やはりそこには、人魚のミイラが入っていたのである。
川村某は顔を近づけた。素人目にも、それがよくできた細工物だとわかる。猿の胴体と魚の継ぎ目には違和感がなく、猿の顔には、眉根を寄せて眠っているかのような表情がそのまま残っている。乾いているはずの鱗には、まだなめらかに潤っているかのようなつやがあった。なるほど、これは最近作られたものに違いない、だからこんなに精巧なのだと川村某が頷いていると、店主がミイラを箱から取り出した。いつの間に用意したのか、ショーケースの端に瀬戸物の手水鉢が置かれてあった。これも商売品の古道具なのだろう。藍色で唐草風の手描き模様がほどこされた、昭和初期あたりの焼き物だ。
浅く水を張った手水鉢に、店主は人魚のミイラをそっと横たえた。川村某と友人も、店主と一緒に手水鉢を覗き込み、じっと息をつめて見守った。そうしていると、乾いたものに水がしみこむ音が聞こえてくる気がするのだった。そのうちに、川村某はふと、ミイラの尾がゆらめいているのに気がついた。もう一度じっくり水中を覗き込むと、確かに、それにミイラの尾ばかりでなく猿の胴体までもが、くねるように動き出しているではないか。縮こまっていた猿の手には生気が宿り、明らかに意思を持って開いたり閉じたりしている。
突然、ぱくりと大きな気泡が浮かび、ミイラの口が開いた。ミイラは上半身を水の上に持ち上げると、ひゅるひゅると空気を吸い始めた。川村某が言葉もなく見つめていると、ミイラは目をしばたたかせながら周囲を見回し、店主に視線を定めた。
「おやまあ、ずいぶん長い間、放っておかれたもんだね」
水を吸ったミイラは、もう猿の顔をしていなかった。抜け目のない顔つきをした、小さな小さな老女そのものなのである。老女の顔をしたそれは、びしゃびしゃと尾で水を叩きながら、嫌味な口調で、店主に向かってまだ不満を吐き散らしている。川村某は呆然として、その本物の人魚を見つめるばかりだった。店主は友人に向かって苦笑しながら、食べ物を手に入れるのに苦労するからだと説明していたが、あっと思い出したように川村某の顔を見つめた。
「そうそう、お客さん、そろそろお代をいただきましょうかね」
そう言われて、川村某も我に返った。どうやら本物の人魚を見せてもらったらしいから、もちろん料金を払いますよと返事をすると、店主は意味ありげな笑みを浮かべた。
「お客さん。にんぎょ、とおっしゃいましたね」
意味がわからず、川村某は助けを求めるように友人を見た。友人はそれには答えず、慣れた仕草で川村某の手をぐいと引いた。シャツの袖口から腕時計がはみ出て、薄暗い店内で光って見える。川村某は愉快な気分になった。なんだ、見世物代はこの腕時計か。芝居がかって、なかなか気が利いているじゃないか。お代は少々痛いと聞いていたが、この時計なら惜しくない。面白いものも見られたし、かえって得をした……。と思ったその時、人魚のわめき声が響き渡った。
「片腕だけにしときなよ。あとはゆっくりいただくからさ」
「うるさいな、ひとうおは……」
そう言うなり店主は、川村某の腕をめがけて手斧を振りおろしたのであった。
(完)
ふとヒッチコック劇場の“指”を思い出してしまいました〜
ゲリーさんのお話とひとうおを読んで、半身半獣には縁しない…と決めました(笑)
何となく、ひとうおも老婆も友人も人間ではない感じがしました。人間をひとうおの餌とすることに葛藤がない様子だったので。
しかしこの物語を読んでから寝たのですが、怖い夢見ちゃうかなぁ〜と思ってたら、いつになくいい夢が見れたことが何より不思議です(笑)
この心地よい気持ちで世の中が変えられるなんて、ますます素敵!
自分の期待を満足させるために相手に物事を遠まわしに強要したり、知っているからと話を遮りベラベラしゃべったり、勝手に自分で思い込んで確認せず、失敗して痛い目にあったり…。
結局身を滅ぼすことになるんですよね。それが身にしみる「Kの夜話」でした。(今までの夜話もどれも思い当たる節があります。汗)
自分の中の川村某、善し悪しで考えると自分が嫌になり眼をそらしたくなります。
感情と結びつけて捉えるのではなく、今の自分の状態をしっかり見て受け入れて、自分の中の川村某を自覚して生活して行こうと思いました。意識していれば対処も出来るなと。
そして自分の軸がぶれないように魂の性質に戻るようにしていきます。
また、わらしべ長者の旅20に書いてある事を実践して、今の時期を乗り切ります。
意識したら色々な情報が入って来て、感情面で不安が先に立ち困っていた所でした。
寝る前には素敵なことの方に強い感覚をこめて、ひとつでも1%でも1gでも素敵な気持ちが必ず多くなるように一日を終えます。自分も楽になり、世の中をある方向に変えられるのですから、やって楽しみます♪
マヤさんの語る事は常に実践的で、実生活にそのまま使えるものなので、とても助かっています。
早速マイホームボーイと温泉ガールにも伝えました(笑)。親子でこの特別な時期を乗り切っていきます。
マヤさん、いつもありがとうございます。
川村某、どうなったんでしょうねぇ(遠い目)
ガブさん:
そう考えると、人間の定義というものも、相当怪しくなってくるような……。
suzuさん:
私たちが「常に」平和・希望・愛といったものを選び取る(動機にする)ことで自分〜世の中を変える、というところに行くまで、戦争の「意味」は終わらないと思うのです。
ゆうさん:
実生活にそのまま使えるからこそ、の精神世界の力を使って、どんどん得をしましょう!魂の力においてそれをする場合、個のためであると同時に全体のためになっているので、「得=徳」になります。この方法は、実践すればするほど得も徳も増えていきます。つながっている大切な人たちと一緒に楽しんでいただけると、共振しあって、もっと増えます。
昨日なんとなく、思い出したことがあります。
子供のころ、テストでわからないときに適当に書いたことが正解となり、答案がもどってくること。
それは、地名やことばであったりして、自分は知らないものです。
ちょっとだけ不思議でした。
そしてともて小さいときに外国=アメリカ、それしか知らない程度のときに、エジプト、という言葉を書いていたこと。
いずれも、無欲だったような記憶があります。
これは無意識にアカシックと、、、。
と思い出したことです。
記憶や事象、イメージをいかにつなげるか、
そして意味を理解するか、なかなか難しいです
あまり更新しないブログなのに、読んでくださってありがとうございます。
金を払って何かしらに期待する人間、、。大なり小なり誰にでもありがちかも。
思いに対して過剰に期待する人間、、。過剰な期待は自分だけにしよう、、と思いました。
以前セミナーのあとに、ちょっとまやさんとご挨拶させていただいたときにその日まやさんは最高にうれしそうに笑っていました。
はじけそうなみえない白色光つきの薄めのオレンジ色のエネルギーがファンッとはじけていました。
おいしそうでした。
でも、マヤさんって苦そうでしょ。ほんとに苦いけど。
飲めば薬になるけど、飲まない人には毒に見える。と、僕たちは評しています。
運動会の紅組白組とおんなじで、紅組の人にとっては白組は敵だし、白組の人にとっては紅組が敵……みたいなものなだけです。
言うまでもなく、敵という言葉は単なるたとえで、紅組でも白組でも善悪・正否はありません。
選択なだけです。
大学で4年間英語を勉強したはずなのに、英語は話せず、今となっては趣味で勉強した韓国語のほうが話せるように。
だからといって私が母校に「こんだけ授業料払ったのに、英語話せない!」って訴えたら…
…こりゃ訴えにもなりませんね。むしろ周りから私の努力不足を指摘されるでしょう。
英語においてチカラは発揮できませんでしたが、大学がムダだったとは思っていません。そこから今の自分があると思ってます。
マヤさんのセミナーも自己啓発のセミナーも、目に見えないコトを扱うからその評価は難しい。
でもそこには何かが必ずある。それを活かすのは自分以外にない…参加するほうにも覚悟がいるようです。
だからこそ、マヤさんからの言葉から何かを掴んだときの手応えは大きなよろこびでした。
何よりの励ましを、ありがとうございます。
「教える」という形をとるのはとても難しくて、日々反省と検討を重ねています。
でも“良薬は口に苦し”ということですね。
マヤさんにぴったりだなと私は思いました。
私はあれから全ての物や事が3Dに見えてしまい(正しくは感じている)手に持ってるマグカップすらです・・・(^^;
マヤさんが今まで言われ続けていた意味が本当に胸に響く毎日を送っています。
TPPや色んな情報は不安になるけれど、源に繋がると迷いが無くなり、楽しい事を見つけることも簡単に出来るので凄いです。
更には『「得=徳」になります。この方法は、実践すればするほど得も徳も増えていきます。』
なんて読んじゃったら俄然ワークも楽しくなっちゃいます♪
あそうそう!お金ラブの力も凄いーっ!!
私の場合振り付けだけでは飽き足らずメロディーまでつけてお金ラブラブ〜♪と日々歌っていたら・・・本当に奇跡がおきちゃいました〜!
全てラブに繋がって循環するのですね。
おいしそう、、、はその瞬間、一瞬のことです。
だからといって他はにがそう、、とか伏線はありません。^^
〜〜ここからは個人的なコメントです〜〜
思い出していただくと、まさに、本当にそうなんだと納得ができたのではありませんか?
自分の魂の力を、自分がしたいことによって表現したわけですから。その時、自分の「在り方」に矛盾がなくなります。すると、しばしば人はそれを奇跡と呼びますが、そういうことが大小さまざまに起こります。そういう状態の中で生き・生かされることになります。
これを、今度はmoriyamaさんから、moriyamaさんのラブで伝えていってくださいね〜。
〜〜ここからは、わりと一般論です〜〜
今、個人も社会も、矛盾を抱えたものは形を保てずに、安定を失って崩壊しつつあります。
何事も表裏一体ですし、視点の数だけ正義がありますから、何がより正しくて何がより間違っているのかを見極めながら、心も生活も、その落としどころで常に舵取りをしていかなければなりません。しがみつくべき舵は、自分の内なる源・魂の力です。
うるうるしちゃいました。
本当に納得がいくどころの騒ぎではありませんでした。
私自身の大きな問題としてインナーチャイルドというものが立ちはだかっていて、どうにも自分に対しての置き所がなく何の為に生きてるのか知りたくてたまらないのにふらふらと風に煽られるままに生きてた気がします。
源に触れる感覚は以前マヤさんのセミナーで体験していました。でももう一歩その先を理解したくてたまらなかったのです。
掴みかけてるのに自信が無い・・・みたいな。
それが先日の迷走事件(笑)のお陰で。
あの日ふと何も庭を眺めていたら3D状態に・・・。
もうビックリと同時に全ての物が事象がカチカチとパズルが組み上がっていくような・・・・私に強烈に溢れて来たものは涙と共に感謝の気持ちだけでした。
するとなんと!その翌朝には何十年も迷子にさせていた自分自身が本当に帰って来たのです!
これはオカルトちっくな話になるので割愛しますが、よく“自分を愛しなさい”と見聞きしますが、それが出来れば悩まないわよと良く思ったものでしたが、これは本当に凄いことだと思います。
『全ての答えがここにある』ということの証明でもありますし、マヤさんの言われていたことが本当の意味で消化できた瞬間でもありました。
国・・・いえ宇宙も自分も全てひとつ。
『個であるけれど全てはひとつ』
は教えとかではなく、事実でした。
マヤさんには本当に感謝してもしきれないほどの・・・この気持ち。
あぁ〜ボキャブラリーが乏しくて切ない・・・(;。;
あと私が思ったことは、昨今では多くの人達が目に見えないものに対しての職業を持たれていたり本やセミナー等もたくさんあります。
私は誰をも疑ってないです。
でも、なぜ私はマヤさんだったのか?と聞かれれば
どんなに考えても答えは出ません。
答えるならば『私のここがそうしたかったから』と。
私に迷いはありません!
私のラブで伝えていきます!(*^^*)
それにしてもマヤさんはめちゃめちゃ難しいことに取り組んでおられると心から思います。
こ〜〜んなに簡単なことなのに、それを伝えることの難しさと言ったら・・・・頭が下がります。
不適切でしたら削除してください。マヤさんに読んでいただければ満足です♪
分かったような振りをしていたのではないかと。
まだ迷いがあるし、自分を肯定できないところがあります。
マヤさん、今頃こんな事を聞いて申し訳ないのですが、教えていただければ嬉しいです。
内なる魂の源を分かっている人は自分自身を肯定出来て自信が持てるのでしょうか?
今、私は自分を肯定出来なくて、自己憐憫や自分をジャッジする事がとても多いです。
そういう時は、いけない、と元に戻るようにしているのですが、それで良いのでしょうか?
それは魂の源を分かっていないから起きているのでしょうか?
何だか分からなくなってしまいました。
「今、個人も社会も、矛盾を抱えたものは形を保てずに、安定を失って崩壊しつつあります。」というマヤさんの言葉が突き刺さります。
分かったような振りをして分かっていない自分がいる事を自分で知っているので矛盾が起きているのですよね。
それは自分で探すしかない。
あ、でも分からない自分をここでさらけ出せたので楽になりました。
今まで分かったようなコメントをしていたのが恥ずかしいです。
もう一度マヤさんのワークを思い出して白い部屋にいるところから初めてみます。
マヤさん、せっかく教えていただいていたのに今更こんなコメントですみません。
もう一度自分自身の魂の源が何かやってみます。
そして実生活でその力を存分に使えるようにしっかりつかみます。すみません。
期待をして出かけては、そして、こんなものか、とがっかりしたり・・・本当は自分のことをよく知ってよりよく生きたいだけなのに..
違う方向に行かないように気をつけよう。と思わされました。
これからもマヤさんの小説が読みたいです☆
ピアノの弾き語りです。
今日は思いたってマーちゃんのポチ袋とお財布、貯金箱をピアノの前に置いて歌を聴いてもらいました。
ここしばらく私も自分自身に矛盾を感じてウツウツとしていたのですがその1番の原因が「お金がないこと」「お金がなくなってしまうかもしれないという不安」
にあったのです。
歌ってちょっとすっきりして仕事と家事にとりかかろうとしているところです。
マヤさん、みなさん、ありがとうございます。
「分かったような振りをして分かっていない自分がいる事を自分で知っているので矛盾が起きている」とわかっているので、大丈夫です。
自分の魂が自分に向かって「このままでいいのか、おまえ、しっかりしろよ」と言っているのを、自分でわかっていないと、そう言われている居心地のわるさを、自分に向けたり他人に向けたりして、どんどんややこしくなります。
ゆうさんは自分でわかったので踏みとどまり、なおかつ、(人前であってもなくても)「分からない自分をさらけ出せた」とわかっていることで、自分で自分を本筋に戻せています。
日本人の感性で言うところの「神の前で潔白である」という言葉の意味は、こういうことを指しています。自分の来し方と今を、ありのままに神(自分の魂)にあばかれても、洗いざらい晒されても、「はい、これが私です」と認める。射駒姐さんとこの泉みたいなもので。
だから、行く末(これからの選択)の自由を手にすることができる(思い描いた人生を創ることができる)。
内なる魂の源を分かっていても、人間ですから当然、いつでも自分自身を肯定できて自信が持てるわけではないので、落ち込んだり、穴を掘ってでも入りたいくらい恥ずかしいことをしてしまうことだって、なきにしもあらず。
自己憐憫したり自分をジャッジすることがあっても、自分にはそういう傾向があるのだとわかった上で(なので、心理分析や心理カウンセリングが重要なのです)、「いけない」と思って自分をさらに責めるよりは「おっとっと」、むしろ「ドンマイよ〜」で、その都度その都度バランスをとれば大丈夫なのです。
そして、これらが自分に「できた」ことを知るバロメーターが一つあります。
過去の悲しみや苦しみや怒りといった感情を、もう一度今の自分によみがえらせて同じ感情を味わおうとしても、同じにはできない、そうしたくてもそうならない、という自分に気づいたとき、本当にもう自分は大丈夫なんだとわかります。
自分を肯定したり自信を持ったりするまでもなく、肯定も自信も、すでに自分に備わっているのを知る瞬間でもあります。
Aさん:
「自分のことをよく知ってよりよく生きる」ために、その「目的」のために精神の世界があると私は思っています。
伝え手も、受け手も、その「目的」を違えてはならないのですよね……。
面白い小説を書けるようにがんばります〜。
セツさん:
もし、そのウツウツが二度と湧き起こらないようにしたかったら、だまされたと思って私の言うことを聞いてみませんか〜?
これはセツさんへの処方箋です。
次、「お金がない」「お金がなくなってしまうかもしれない」という思いが湧いてきたら、その思いを否定するのではなく、無理に思い直すのでもなく、それとは別に、単なる事実を心の中で述べます。
ポイントは、お金を考えるときに、そのお金が誰・どこのものかという、所有者を意識しないこと。「空気」や「空」といったときに誰のものかを意識しないのと同じ、ニュートラルな感覚でいてください。
そして、こんな感じで唱えます。単なる事実なので、意味は考えず、マントラのように唱えてください。
「お金はある。
お金はある。ATMの機械の中に。
お金はある。銀行の金庫の中に。
お金はある。造幣局で刷っている。
お金は、あるもの。
お金は、ある。
あるあるある。」
もっと自分にしっくりくる言葉があったら、どんどんそちらに変えていってください。
この方法を、これを読んでから50時間まで続けて(ウツウツの気持ちが湧いたときだけですよ〜)、そしたら、もうしなくていいです。
お試しあれ!
今まさにそれを体感しています。
皆さんのコメントを見ていてふと疑問に思ったのですが、
心の中にある欠乏感や恐れは
このお金のワークと同じやり方で解消できるのでしょうか?
こういったものを個人が乗り越えていくことで、
未来が変えられるといいのだけど。
ウツウツが湧いてきたら即実行してみます。
本当の自分で生ききることが私の望みです。
マヤさんが「生ききる」という言葉を使われるのが、
とても好きです。
自分の魂が自分に向かって「このままでいいのか、おまえ、しっかりしろよ」と言っている、、、ああ、その通りです。
魂さんごめんなさい。このままで良いわけありません。もうしっかりします。ほんとに。
そして自分にはそういう傾向があるのだとわかっているので「ドンマイよ〜」で、その都度その都度バランスをとります。
マヤさんの仰る通り、昨秋から春に感じていた悲しみや苦しみや怒りを感じようとしてみたのですが、同じようには感じられませんでした。
ないないと思っていた肯定も自信も、すでに自分に備わっているのですね…。
でもそれを認められなかった。認めるのが怖くて逃げていました。
それを認められるように、マヤさんが背中を押して下さったと感じています。
行く末(これからの選択)の自由を手にすることができる(思い描いた人生を創ることができる)。という言葉、とても嬉しかったです。本当にありがとうございます!
それから、セツさんへの処方箋について伺います。私もやってもよろしいでしょうか?
セツさんが書いて下さったことで同じ不安があることに気づきました。使って不安感をなくしたいと思うのです。
でもセツさんへの処方箋ですってコメントにあるので、他の人が使ってはいけないものなのかなと気になって。
何度もすみません、教えていただけますか?
よろしくお願いいたします。
小さいころから漠然としたイメージがなにか”そうそう、そうそう、それでいいんですよね”という気分ですっきりしました。
アカシックがはっきりわかったというのと違い、真実はこうなんじゃないか、おとなたちは黙っているんだろうか、社会はかくしているんだろうか、
それとも言葉にならない(できない)ことなのか、あるいは社会生活の都合上、たくさんの人は”無意識に”無視しているんだろうか、、。、。
(アカシックのほうは残念ながら行ってもおもちかえり情報はありませんでした。)
そういう漠然としたイメージが自分の中でずっともやもやしていたことが、これでいいんだという感じでほっとしました。
生まやさんの言葉は明快でわかりやすいのですが、それよりも伝わってくるエネルギーというかイメージが明快でとてもすっきりしました。
とはいえ、100%わかっているつもりは毛頭ございません。
でも、この感じは言葉にはなかなかできなさそうな私です。
正確にいうと小さいころのほうがもやもやしていて、大人になってからは生活上ぼかしていたのかも。
まやさんに呼び覚まされて自分がへんかもしれないという思いを肯定できたことです。
へんなので人にいいにくかった。
矛盾をかかえたものの崩壊も、専門家は矛盾を知って眼をつぶってつきすすんでいるのか不思議でした。
でも、私は言葉にすることも、言葉で理解することもとても苦手なのかもしれません。
みなさんがここで書き込んでいること、しっかりとついていけないのです。
みなさんがやろうとしてる意識のプロジェクトに参加できなくて残念な自分。
この年で、私は言葉も社会も理解できていない子供なんだろうか、と考えてしまいます。
言葉や情報は大事なツールなのだけど、押し流され気味。
できれば言葉で理解したい。
(そんなこと書いておいて、自分もわけのわからないこと書いてすみません)
それでも、なにがなくても私にも無条件に祈りを続けることができます。
小さな力でも、お金がなくても、聖人でなくても、成人でなくても、、。
チベットのようはところは世界各地にあり、世界各地の人が遠近を問わず祈っています。
このエネルギーをたくさんにして大きなものとなることができたらうれしいです。
細かくわかっていなくても集められるエネルギーはありそうだと自分で思います。
いや、ありつつある、、。
そういった埋蔵エネルギーに意識上の理解力と言葉を持っているここに居る方々に噛み砕きサポートをお願いしたいです。
(あ、ここではやりにくいというものもあるかな)
なんというか、勝手に理解して、というのよりは、わかりそうでわからない、げっぷが出そうで出ない人の背中をポンと軽くたたくような、、。
勝手長文すみません。見てくれた方、ありがとうございます。
疑問への答えは、「はい」と同時に「いいえ」です。
「いいえ」というのは、これが個人のための処方箋だからです。
けれど、この「形」をなぞるのではなく、「意味」を「使う」のであれば、答えは「はい」になります。
個人の処方箋と言ったのは、セツさんにとっての今この時、この行動(形)をとることで内なる力(意味)を引き出すことになる(内なる力を自分でわかるようになる)からです。私は普段、個人相談においてはアカシックレコードをそう使います。エネルギーでできているアカシックレコードが、そういう構造だからです。
お気づきだと思いますが、私がどのような「形」を提案していても、私は、ただ一つのことしかしていません。
すべての原点である自分の内なる力を現実の何にどう使うか、という順序でとらえていただけると、どのような形を採用しても意味を成すことができます。
そして、shinkuさんがまさに仰ったように、そのような順序に整った個人が増えることで、世界はおのずと変わります。
余談ですが、このような順序に整うということは、意識・概念がシフトするということです。物の見え方とらえ方が変わるので、自分のいる次元が変わる感覚です。……どこかで聞いたような「ア」のつくやつって感じですが、そんなわけで、私が数年前に書いた2012年についての見解は今でも変わっていません。
ゆうさん:
shinkuさんへのお答えと重なりますが、その「形」に「ゆうさん」を「こめる」と、自分の力として使えます。
「お金はある! あるあるある!
お金はある? あるあるある!
お金はある! あるあるある!」
と、人目を避けてロック調でシャウトするのもありです。
ハワイアン調なら、
「おかぁ〜ねがぁ〜好きぃ〜♪
おかぁ〜ねはぁ〜あるぅ〜♪」
って感じでしょうか。
余談ですが、私が唯一お伝えしている最もシンプルな原点「自分の魂の力」は、「この力をスピリチュアルでも何でも全てに使います・この順序でなら使えます」とお伝えしている通り、そのまま引き寄せの法則を働かせるエネルギーになります。
私のところに個人相談に来る方たちは、時間決めの相談料金を、引き寄せの法則で回収(笑)しています。
まやまやさん:
それでそのまま正解なのです。それは、言葉にしようのないものだからです。
エネルギー(意味)がまだ言葉(形)に変換される前の、生粋のエネルギーそのものであるところで何かを受け取ると、そういう感じになります。
これを、言葉から頭で理解しようとすると、せっかくつかんだ順序が逆になってしまいます。
このエネルギーが、おのずと自分の口から言葉的なものになって出るのにまかせるような感じで、そのエネルギーにとっていちばんしっくりくる音(音の塊である言葉)に、そのエネルギーを乗せる・こめる、といった順序で、言葉や文章にしていきます。
この成り立ちがわかっていると、セミナーでもお伝えしたように、ある「教え」「智恵」などは、その言葉という形によって表現されるに至ったその元々の意味で受け取る、というふうに読むと、理解できますし、そこにある言葉を自分のものとして使えるのでもやもやしなくなります。
余談ですが、まやまやさんがエネルギー(意味)と言葉(形)を一致させるのは、他者とのコミュニケーションという現実を通して実現・体験するでしょう……って、余談じゃなくて余計なお世話でした〜。
2012年についての私の考えは、一冊目の本のロングインタビューに残っています。私は読み返したことはありませんが、今尋ねられても、同じ答えをするはずです。
また、そういう2012年とは別に、アカシックレコードでは、2011年が「出来事の年」に読み取れます(2001年説と2011年説があったのですが、私は2001年にそれが起こらなければ2011年だととらえていたので、それに合わせて、セミナーを行う期間と喋る会の設定をしました。読み通りだったはずです)。
エネルギー上の動きが現実世界に出来事として現れ(今年はそれがよくわかる年ですから)、その勢いで、現実のもろもろが2012年になだれこんでいくので、「現実」として「2012年」はありでしょう。
私は長年、折に触れてマヤさんに個人相談でお世話になっています。クライアントでコメントを書き込むのは私が初めてですね、きっと。みなさんはセミナーや喋る会のマヤさんしかご存知ないかと思います。
マヤさんは、昔ながらの暮らしの中に〜〜屋さんや△△屋さんがあるように、職人さん的に居る人です。
マヤさんはクライアントにとって道路標識です。ですから、私はマヤさんの言うことを聞きます。誤解されるといけないのですが、唯々諾々と従うとか、言いなりになるとかではないのです。道路標識だからその通りにしています。言い訳したり言い返したりしているとその場所を通り過ぎてしまい、その先が変わってしまったり余計に迷ったりするので、アドバイスを聞きます。
聞く方にとっては直接の解決方法に思えなくて、理解不能な指示もあります。マヤさんは指示の理由や、いつどうなるという時期を言うこともあれば、それを言うと私が努力しなかったり考えこんで立ち止まり不要な軋みを起こすので、理由を言わないこともあります。
ある時は、押入れの中に段ボール一箱分の空間を作れと言われて、私の相談事と全然違うのにと思ったのですが、その通りにしたらそれがきっかけで物事がぱたぱたと動いていって、相談事が勝手に解決しました。いつもそんな調子なので職人さんのようです。
でも、不思議ではないのです。うまく言えませんが、たまたまほかのクライアントさんに聞いてみたら、やはり普通のことなのです。マヤさんは普通に、暮らしの中に居るそういう人、なのです。
もうこういう時期になりましたし、マヤさん、もういいでしょう。精神世界の中で危うくなっていた人たちの為には十分お働きになったと思いますよ。そろそろ職人だけに徹してもいい頃合なのではありませんか?セミナーと喋る会を一度ずつ拝見し、老婆心ながらそう思っておりました。
早速「お金はある! あるあるある! お金はある? あるあるある! お金はある! あるあるある!」と、部屋の中でロック調でシャウトしたり、ハワイアン調で「おかぁ〜ねがぁ〜好きぃ〜♪ おかぁ〜ねはぁ〜あるぅ〜♪」と、歌いながら鏡の前で踊ってみました。不安感は一気になくなり、肩の力が抜けました。
『その「形」に「ゆうさん」を「こめる」と、自分の力として使えます』という意味、分かったような気がします。
教えていただいたロック調やハワイアン調の「♪お金がある♪」、とても楽しくワクワク出来たんです。やっているうちに笑ってしまうくらい気持ちよく。
これが「形」に「私」を「こめる」ということなんですね?
『最もシンプルな原点「自分の魂の力」は、「この力をスピリチュアルでも何でも全てに使います・この順序でなら使えます」』ということは、順序がとても大事で、この順序でやると、不思議な働き、引き寄せの法則を働かせるエネルギーにもなるんですね?
マヤさん、この考え方で合っていますか?
だとしたら、日常生活全て、お茶を淹れるのも、ご飯の支度をするのも、洗濯も掃除も、仕事の最中もみんな、初めにこの力があり、この力をこめて行なうということですよね。
実践したらとんでもないことになりそうです!
想像しただけで毎日生きてて楽しくなりそうだし、とてもパワフルで、自分が大きくなった感じがします。
今までの、自己憐憫したり、自分をジャッジしている私ではいられなくなります。
そう、今までの自分でいられなくなるのが怖くて逃げていたんです。
魂さんが、このままでいいのか、とメッセージを送ってくれていたのかな、とも思いました。
これからも、魂の力をこめて日常生活を送ります。
マヤさん、教えてくださってありがとうございます。長いコメントですみません。
エネルギーありきであって、使うフォームはそれぞれということなのでしょうね。
私の場合、頭で考えすぎて、マヤさんのセミナーのレジメにあるスパイラルに入り込み、動けなくなってる気がします。
本にも書かれていましたね。
幼い時になりたかった職業の気持ちに近いと。
そして最近知った私の中の愛の気持ち。
魂の本質を感じる、そこからぶれない。
何度も教えてくださっていることが基本なのでしょうね。
基本に立ち戻ります。
それでもだめなら、個人ワーク申し込みます!
魂の本質を知り、よりよく生きるための種を自分の中に蒔くためのワークです。全部自分自身がするのです。
その人がいつ種蒔きをする、どのように種を育てるか、マヤさんはすべてわかっています。
しかし、種を持ってい手を開く意志がなければ…マヤさんはその手をこじあけることまではしません。時々いるのです、わかっているのにやらない人が。(手相観をしている私もそんな人に出会います。)
最近のマヤさんはバシバシコメント欄のみなさんに処方箋を出している。処方箋を読んだらそれを実践しましょう。まっすぐな気持ちで行動しましょう。
ブログ、いつも楽しみです。
この前、マヤさんが手相を観てもらったそうで。マヤさん、手相を観てもらうのは生まれて初めてだそうで。
そして、私たちは物理次元に生きているわけですから、現実の「実」生活の中で、「実」体験を通して、自分がその力を使っていることを理解することになります。頭だけではなく、体感を伴った理解です。「実」感するために、物理次元の現実生活を生きています。
魂の力は、TPOに応じて出力を調整しつつ、自覚して使っていきましょう。
あつこさん:
お気持ち、感謝です。
はい、そうですね。頃合です。
友人・手相観Tさん:
って、なんだかかしこまってしまうな。
先日はお世話になりました〜。たはは〜。
助かりました。元気出た。ありがとう!
色々とありがとうございます。
マヤさんのご友人が仰っているように処方箋を実践し、魂の力を出力調整しつつ自覚して使っていきます。
それが無料でここで色々と教えて下さり、時間を使ってくださったマヤさんへのせめてものご恩返しだと。
マヤさんが「元気が出ました」と書いていらっしゃるのを読んで、ここでのやり取りでも随分疲れさせてしまったのでは、と感じました。
マヤさんが頃合いです、と書いていらっしゃる事から、今後はこのブログも閉鎖の方向にいくのでしょうか。
出来ればあつこさんのように、長期的に個人相談のクライアントとしてマヤさんから直接処方箋を頂けるようになれたら、と思っています。
マヤさんと直接お会いしてその思いがとても強くなっています。
その思いがある方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか?
個人相談の料金は引き寄せの法則でそれ以上を取り戻せますし(笑)。
でも、どこに申し込んでいいかわからないのです。
オフィスマヤのワークへ申し込めば受け付けていただけますか?
あ、ここでのコメントとして不適切でしたら削除してください。
マヤさんへのメッセージなので、マヤさんに読んでいただければ嬉しいです。
この先、もしも再び道に迷うことがあったら、個人相談をお願いしたいです!
このブログは私たちの運営なので、ここにコメントをアップするとマヤさんも読むというふうになっています。
マヤさんは、現実世界を生きる人のために個人相談を引き受けていますが、これを、できるだけ誤解されないように説明するのはちょっと難しいのです。
ここに書くかどうか、皆で相談してみます。
メールやブログは文字だけで相手がわからないし、きっといろんなご事情もかかえていらしゃる、そんななかで、ご指導いただける、ありがとうございます。
とにかく今は教えていただいたことを迷いながらでも実践あるのみ!です。
私、しばらくコメント欄は、マヤさんの小説についてのコメントにしますね。
「お金あるある」の唱えを終わりにしました。
今はお金がない不安のほうに気持ちを持っていくことが自然とまったくなくなりました。
ありがとうございました。
不安がなくなった今、お金がないことを言い訳にして自分自身であることをサボることができなくなったのだなあとしみじみ感じているところです。
コメントありがとうございます。
そうなんですね、ブログは閉鎖の方向に…とか、勝手にすみません。コメントを載せてくださってありがとうございます。
マヤさんの個人相談の申し込みを説明するのはやはり難しいですよね。
その難しいことを皆さんで相談して下さるとのこと、本当にありがとうございます!
自分のことは自分では分かりづらいので、あつこさんの用にぜひ長期的にクライアントをお願いしたいと考えています。
皆さまどうぞよろしくお願いいたします。
ここが起点になります。
本当の自分で生ききることが望みなら、……もうご自身でわかりますね〜。
お返事をかみして行動にこの意味を意識していきます。
マヤさんのお友達さん、長文書いてしまい、お手をわずらわせてしまい、すみません。それと、ありがとうございました。^^
みなさんの書き込みやお返事なども楽しく読ませていただいています。
どのような形になるにせよ、全体としてうまくすすむことを祈っています。
ここを起点にして、楽しく鼻歌を歌いながら自転車をこぐような気持ちで、私らしく日々を暮らしていきます。
マヤさん、マヤさんのお友達さん、こんな私に
お力を貸して下さって本当にうれしい気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
今日、過去の悲しみや苦しみや怒りといった感情がふとよみがえってきて、まだ自分で大丈夫って思ってなかったんだ。。ってびっくりしちゃいました。
反面、いちばんのどん底まで落ちたと思う出来事は、もう大丈夫なんだって思えました。
お金あるあるの歌も歌ってみたり・・・
勝手に楽しんでます。
このコメント欄でのやりとりが楽しくて、とっさに失うまい!と思ってしまった。
私の問題は、「魂の力において〜」から始めるのさえ忘れなければ、大丈夫!(実感)
マヤさん、ゆうさん、皆さん、ごめんなさい、本当に本当にありがとうございました!
私がマヤさんに相談をお願いするようになったのは、やはりマヤさんに相談をお願いしている知人からの紹介でした。知人は、その後マヤさんが本を出したりしたことも、いまだに知りませんが、そういうクライアントは多いと思います。
契約しているのではなくて、道路標識が必要になった時に見るという風にマヤさんにお願いしています。何を見ても良いのですが、そこにある道路標識がマヤさん、とでも言いましょうか。知人は、税理士さんに手続きを依頼するのと同じ感覚でいるそうです。
このようなスタンスの人の依頼なら、紹介者がいなくてもオフィスの取り次ぎでマヤさんは引き受けているようです。よくなりたいとか何か、自分の目的があって、そのための道路標識ですから。でも、自分の隠れた本心に自覚がなくて、甘え依存や己の欲をかなえるのが目的になっている人は、マヤさんが伝えるもの教えるものに目も耳もふさいでしまうのかもしれません。
マヤさんが道路標識なのは、マヤさんが、己をひけらかすためにこの仕事をしていないからです。マヤさんという個人を、自分の中に隠れているいろいろな理由で嫌ったり、その裏返しですり寄ろうとする人はいますが、それはもちろん自由ですが、嫌いでもマヤさんのことは気になるのではないでしょうか。マヤさんだけではなくて、きっとマヤさんもそのうちの一人と思うのですが、その人を通じてこの世に現れている目に見えないなにものかが、皆の求めるものだからだと思います。その目的からはずれなければ、素直に受け取れるものがあると思います。
マヤさんの相談料はずっと変わっていません。喫茶店などで直接会えば1時間あたり2万5千円が目安です。日程を調整する間がもったいないのでメールでお願いするようになりましたが、ひと相談2万5千円が目安です。申告をきちんとされているので、銀行振り込みです。気軽くちょっと聞いてちょっとお礼することもありますが、お手軽が過ぎると依存になってしまうので気をつけています。そのための料金設定だと思います。マヤさんは、クライアントが自分の力を放棄していると、その人の為にならないので立ち去りますから。
あつこさんのコメントでとてもよく分かりました。道路標識が必要になった時に見る、それがマヤさんという例えがしっくりきました。
よりよい道、自分の目的のためにはどの道を通ったら余計な回り道をしなくて済むのか、というスタンスで私もお願いできたら、と思います。
甘え依存にならないために、今はまだ自分の力で道が分かります。なので必要なその時だと思ったらオフィス・マヤのワークにメールをさせていただき、マヤさんに取り次いでいただけたらと思います。
お手軽が過ぎると依存になってしまうので気をつけます。必要ないとマヤさんが判断したら断わられると思いますが。(笑)
マヤさんが己をひけらかすためにこの仕事をしていないという言葉、その通りだなとマヤさんを見ていて思います。
やっぱりマヤさんと同じ時代、同じ日本に生まれてこれて良かったです。マヤさんのことが、生き方や人に対する立ち位置などが、純粋に好きです。勝手に思っているだけですが魂が触れ合っているように感じてます。
あ、誤解されないように書いておきます。大丈夫です。私はいたってノーマルで〜す。(笑)
では、あつこさん、まやちんの友達さん、本当にありがとうございました。
またここの小説やわらしべ…を楽しみにしています!
長文すみません。
自分でアカシックレコードを読もうとすると眠くなってすぐ寝てしまい、今まで読めたことがありませんでした。ワークの時もやはりアカシックレコードを「見る」ことは出来ませんでした。しかし、マヤさんといろいろお話をさせていただいて、「魂の本質において生きる覚悟」ができたように思います。ワーク後は家族に今まではあり得なかった変化も起きました。
私は今、勝手にマヤさんを指針にさせていただいてますが、今後は私自身そのものが自分の身近にいる人たちにとって指針となるような存在になりたい、と思っています。そうなるために私はここにいるような気がしています。と、いってもまだまだ修行中ですが・・・
マヤさんの小説を読むと気持ちがほぐれてリラックス出来るので、とても助かっています。これからも更新を楽しみにしています。
皆様、お心に感謝いたします。
そして、あつこさんに私も同調させて頂きたいと思います。
私は以前、お電話でご相談させてもらいました。
でも混乱していたのでしょう。明確な相談が話せずにいる私にマヤさんは、深くゆっくりと魂を導いてくれました。その魂に触れられるような言葉を掛けてくれて・・・。
今でも指針となる中心の言魂は、心の中に大切に置いています。
その後、アカシックレコードに触れられるたのでしょう。
自分の前世にいくつか触れる事ができました。切ない・・・切ないものでしたが、自分に・・その時代を生き抜いてきた自分に一瞬でもシンクロできた事は、魂が鈴音のように震えました。
その時代に生きた自分が、愛おしくて。
マヤさんは、深くて指針、道標となる方です。
いつぞや、コメントをさせて頂いた時に私のブログにupしていた特徴をマヤさんが右側コメントにさりげなく載せて下さいました。
マヤさんは、実際にお会いし、またお電話でお話するだけでさなく、コメントをしている方々の皆さんにも触れられるすごい方です。
あの時も私は、魂が震えましたもの。
本当は、実際にお会いしたい!
でも、こうしてコメントする、あるいは見ているだけでもマヤさんの深い心音に包まれる事ができると知りました。
あとは、ここで交わされた皆さま方の言魂を心に意識しつつ、生き抜く事。
本当は、マヤさんとお友達の方に会いたくてたまらないのですが・・・。
不思議な事は、何もない。全て必然な事ばかり。
深くて優しいこの対話を見せて頂いて、とても穏やかになりました。ありがとうございます。
本当にここは素敵なところだと思います。
ここでもいつもマヤさんは道標に徹しておられますよね。(個人の処方箋であっても)
本当の答えは自分で導くしかない。そこに意味があるから。
逆に言えば、自分のことだからこそ知っている。
答えを考えた後、マヤさんの答えを待っている状態になったその時こそが
本当の自分と向き合うチャンスではないでしょうか。
なぜなら、皆さんのコメントの中にいつも答えはあるからです。
その時必ずマヤさんは優しく温かく道標に徹しておられます。
「魂の本質において生き」ている人は、存在そのものが誰か・何かにとって指針(ほかの言葉でもいろいろ表現できます)となります。
ご家族の変化が、ベルッチさんご自身「そのものが自分の身近にいる人たちにとって指針」となったことの証ではないでしょうか。
在り方(エネルギー)の変化は、目に見えない部分で何かがどうにかなることなので、エネルギーのパズルが動いて、結果的に現実が変化します。現実世界のフィードバックによって、これからもいろいろなことがわかってきますよ〜。サプライズを楽しみに!
きょうこさん:
自分がいっぱいいっぱいのときは、他人の言葉を飲み込むのはおろか聞くことも難しいのに、耳を傾けてくださって、ありがとうございます。きょうこさんに、心から感謝いたします。
そこまで真剣に求めたからこそ一つになれた自分自身の魂。この魂のところで、いつもみんな一緒につながっていますよ〜!
家族の変化はマヤさんのおかげだと思っていたので、自分がもうそういう存在になった、とは考えてませんでした。ビックリです。これからまた現実がどんな風に変わっていくのか、ワクワクしながら待つことにします!
最近はニュースを見て重苦しい気持ちになると
頭をからっぽにして「私が変われば世界が変わる〜」と唱えるようにしています(笑)
オセロゲームでかどっことったら、
一発逆転でパタパタと変わってヤッターみたいな感じを
イメージしています。
マヤさんから「ニュートラルな状態で」とアドバイスをいただいて
今の私のキーワードは「ニュートラル」だと感じました。
はじめまして^^
オセロゲームは白黒表裏一体ですもんねー。どっちらがこちらを向いていたとしても同じ数だけありますもんね^^
なんか 昔のなぞなぞで 世界中たくさんの坂がありますが、、、実際に多いのは下り坂でしょうか?上り坂でしょうか?みたいですねーーー。
moriyama様へ
10月19日のコメントにございます「3Dに見えてしまい・・・」の箇所、一体どんな感覚を受け取って
いらっしゃるのですか・・・?
そして、今もその感覚は継続中なのでしょうか・・?
突然の質問、失礼します。
いつか、答えて下さったなら、うれしいなあ・・・。
ごめんなさいね!^^
さ。さんへ
これが・・・毎度恒例、妙な発言になると思いますが・・・(苦笑)
私が今回経験したことを的確に表現することは、難しいと言いますか困難と言いますか表現できないのです。
例えて『3D』と書いたのですが、現実に見える物が3Dに見えるわけではないのです。
(アカシックレコードとは違うのでしょうね)
でも、表現するならば・・・・それしかなかったのです。
私のボキャブラリーの乏しさもあるかと思いますが、どんなに言葉を選んでも伝えられないのです。
夫にこの経験を何度も何度も話すのですが、夫は『???』状態な上、『3Dみたいに飛び出てくるわけ?』と聞いてきます。
私は『違う!そうじゃないけれど例えるならよ。でも3Dみたいな感じなの!全部自分なの!ひとつの法則に沿って生かされてるのよ人間は!みんなひとつよ〜本当なの!』
とどんなに力説しても結果論しか口にできないのです。
その現象そのものを表現する手立てがないので全く通じないのです。
で最後には『言いたいことがさっぱり判らん!』と言われてしまいます。(T○T)
私的には現在の地球で暮らす我々の表現には限界があるという感覚で捉えていただくといいのかなと思います。
それほどに難しいです。物理世界で表現するには。
けれど、それはそれは不思議な感覚で、この目に入って来る物が事象が確実に全て自分に繋がっているのがはっきりと理解できる出来事なのです。
なのに表現する手立てがないのです。
それはそれはめちゃシンプルなことなのにですよ〜
(あ〜〜 切ない・・・・伝えられない・・・)
だからこそ、自分で気が付く以外に方法がないし、そこに意味があることなのだと理解できるわけです。
一番近い家族にさえも伝える手段が無いわけですから。
う〜〜ん・・・
例えば
ピカソの絵があるとします。
1人は『なんだか訳判らない絵ね・・・幼稚園児でも書けるわ』と感じます。
2人目は『なにか感じるけれど、何が言いたいのかは判らない』
3人目は『素晴らしい!凄い!やっぱりピカソの絵は心に染みるわ〜』
という風に人それぞれ芸術を理解するのにはそこに“何か”が存在してる必要性を感じることがありませんか?
でも、その何かは言葉では説明できないですよね?
けれどもピカソを、芸術を、真剣に理解したいと思うならば、その何かを自分の中に見つけ出さないことには先に進めない。
なんだかそういう感覚と非常に似てると思うのです。
ただ間違いなく、その瞬間が訪れたなら気が付かないはずはないです。
絶対“理解”出来ます。
そしてそれを経験してしまうと、経験した人としてない人が簡単に判ってしまいます。
けれども、経験してない人は経験してる人が判らないと思います。
なので1度の経験で十分なのだと思います。
そして絶対に元の自分には戻れません!!!
(いやあるか・・・あれは幻想だったと思ってしまえば)
ただ感じ方は人それぞれに大小があるようなので、私が一概に言えることではないかもしれません。
私の場合は経験してから暫くは毎日毎日次に進む為の課題が夢の中で与えられましたが、それは自分が一番心の奥で知っている苦手なことばかりでした。
それでも、経験してしまうと簡単に乗り越えられるようになっていて何事も上手く回るようになります。
多分エネルギーがどうちゃらこうちゃらなるのでしょうね。(笑)
一生懸命噛み砕いて書いたつもりですが全く伝わらないかもしれません。
その時はお許しを。
ただ、1+1=2
みたいな話ではないので、あまり考え過ぎない方が良いと思います。
一番大切なのは、自分で自分を冷静に見つめて、正直に真っ直ぐに心を開く
それがポイントなのかもしれません。
あと、現実に3Dに見える人もおられるかもしれません。
でも3Dに見えたからと言って全てはひとつと理解できるのか?
ということに繋がりますよね?
だから結局3Dに拘るよりも“ここ”に響くという表現になってしまうということが判っていただけると思います。
ぎゃ〜 非常に長くなってしまって申し訳ありません〜。
moriyamaさまへ
う〜む・・・。と唸ってしまいました。
いやあ・・・・、ありがとうございますっっ!!
いやでも、文字で理解するのには限界ありますが
拝読して、私の予想してたことと微妙に違うんだな
ってこともわかりました。(てことは経験してない側の人間てことっすね)
でもでも、こんなにこんなに、書いて教えて下さって
感謝です。ありがとうですー!
「表現ができないのです」と仰りながらも、懸命に、ピカソの喩えまでひっぱって下すって、教えて下さってありがとうございます。
でも、本当に得がたい経験をされたのですね〜。
今後、また大きくご経験を生かしてゆかれるんでしょうね。
moriyamaさま、確か、どなたかのコメントにも同趣旨のことを書いておられましたが。
「自分で自分を冷静に見つめて、正直に真っ直ぐに心を開く」てこと、本当にそうなんですね。
マヤさんのコメントって「ここ」(魂)に響く理解を伴って受け取れるんです。
マヤさんのコメントは、その文章自体が誰の理解をも
助けるレベルのものだと思います。
単語の選択が、時宜に即しており、精確であるからこそ
一般性をもって、相手に届く。
でも、その高度な文章の力だけが理由ではないぞ、と思えるようなノックをするんです、マヤさんの文章は。
でもどういうノックかの説明はできない。
説明内容の違いはあろうかと思いますが、moriyamaさまの
「説明が〜できないィ〜」(いやこんな書き方はされてないですね)
というのも、マヤさんのノックの説明不能と同じなんだろーなって思ってます。
うん、でも、改めて、経験してないけど、経験してる人が仰っているのだから、
自分で自分を冷静に見つめて心を開くこと(マヤさんの仰ってることと同じや〜)
(書いてて泣けてきます、悔しくて)
目の前のことが、自分に繋がってること
今から、moriyamaさまの情熱にうたれつつ、取り組んでいこうって思います。
感謝、感謝です。
経験したいものです。でも経験しなくても、やるべきことは最低限やって、死んでいきたいものだとほんとに思いました。
でも、ほんとに願ってないものって、経験できないんでしょうね。
全ては、自分に返ってくる、怖いことです。
moriyamaさま、ありがとうございます。
愛のKISSを!!ぶちゅん。(す、すいません、でもこの感謝をどう表現していいのか!!!)
きっとmoriyamaさまの迷いない行動にみんなはっとするのでしょうね。
いくら言っても、いつまでも、感謝。
受けた恩って、じぶんの生き方で証明するしかないと
思ってます。
ありがとうございます!!!!!
他人を羨ましがるな。
自分でないものになろうとするな。
自分自身で在って、初めて特別になれる。
順序を間違えると、向こう側に取られるぞ。
初めて書き込みをさせていただきます。
皆様のやりとりを拝見して
じーーーん(涙)と来ておりました。
一言で申し上げて
ありがたいなぁ、と思ったのです。
今、ちょうど気に掛かっていた
メール返信の下書きを書き終えたところで、
こちらにおじゃまさせていただいたのでした。
マヤさんのところで
個人相談とワークと両方でご相談申し上げていた
「課題」がちょうど来ていたところでした。
メールはそのことにかかわることでした。
ようやく書き終わって
そうしてこちらを覗かせて頂いたら、、
なんだかじーーんと来てしまったのです。
うまくお伝えできないのですが
ありがとうございます。
わたしもわたしの課題を
頑張ろうと思いました。
この場にとても感謝しております。
どうしても御礼をお伝えしたくて
書き込ませていただきました。
ありがとうございます。
・・・・。
はい。
ほんとにほんとにほんとのその通りです。
ほんとです。
改めます。
本当にどうもありがとうございます。
こんばんわ
実は前回の自分のつたない書き込みを読み返して、恥ずかしくて消してしまいたい〜と思っていたのですが、みっちさんが深みのあるコメントを寄せてくださったのですごくうれしかったです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここに来ると心の芯がまっすぐになります。
皆さんありがとうございます。
書き込みをしてくださって、ありがとうございます。
ガブさん:
そういうわけではありません。
どのような呼吸法であってもいいのです。夢と現の間に行くのではなく、まっさらな自分になることが目的です。それが体感的にどういうものかを説明すると、夢と現の間に例えられるという順序です。いずれ、脳内のある作用ということで説明されることになるでしょう。
精神世界にはまっている人は「逃げ」でこちゃこちゃ考えすぎるので、「まっさら」な自分を「白い」部屋に象徴させて意識を集中させ、意識が「逃げ」に走らないようにします。
また、身体や頭の中や気持ちの中に溜めこんできたものを、吐く息とともに吐き出す、というスタイルでは、肉体的な感覚と連動させることで、リラックスを兼ねつつ、分散しがちな意識をまず呼吸に集合させて、それから自分の内側に向けて意識を移動させます。
肉体を持ってから現在に至るまでに、自分の魂の上に堆積させてきたもの(魂を熟成させたものとは区別します)を取り去れば、残るのは、何の混じり物もない元々の魂そのものだけです。
この、まぎれもない自分自身の魂になることが目的です。これを「本気」で求める人には、「方法」は必要ありませんけれどね〜。
セツさん:
すみません!書いたつもりになって忘れていました。
まさしく、そのように世界は変わります。最近は、パタパタいう音がはっきりしてきました。
エネルギーのパズルは、個人レベルから地球レベルまで、この瞬間も休むことなく動いています。粒子が振動している、みたいな。エネルギーのパズルの動きを見たある友人が、こう説明しています。
「空港の発着時間の表示板がパタパタ変わるみたいに、もっともっと細かい小さいピースが、ものすごい速さで動き続けている。どこかのピースが変化すると、その瞬間に、それにつながっていたり影響しあっている部分のピースがパタパタと変化する。」
一個人の在り方が、全てとつながり、波及しあっているわけです。それゆえ、セツさんの「唱え」はワンダフルです。
ごめんなさい。
でも、セツさんのコメントと、マヤさんのワンダフルに嬉しくなりました♪
ありがとうございます。
これは、一人が響きあって、全体を創造しているとも言い換えられますか?
「人魚」をなんどか読み直し、今の世の中の状況と前のマヤさんのブログから、今まで書かれていた予見を思い起こして、あることに思い当たり、ぞっとしました。
いままでは、不安感という感覚が先に立っていたのかもしれません。
マヤさんが危惧されていることが何となく、私の頭でもわかりかけてきました。以前に増して表面化が進んでいるということでしょうか。
ちょっと過敏かな?
しっかりと自分の個というエネルギーを意識して、カパのようにならないと。
そのように言い換えることもできますが、その表現だと、言葉という「形」にとらわれて「意味」からそれていく人がいるだろうなと思います。
これは一般論ですが、いつまでも自分自身に向き合うのを避けている人には、言葉を言い換えたりして、こちゃこちゃ考える材料を増やす傾向が見受けられます。ある意味の錬金術と言い換えることもできますが、金を創造する幻を見ている間に、失ってはならないものを自ら失っているにすぎません。
まあ、あくまでも、単なる一般論ですけれど。
ありがとうございます。
これは私にも言えるかもしれないですね。
考えすぎ。考えているだけ。
肝に銘じますね。
「ぶちゅん」をありがとうございます♪
しっかりと頬にキスマークがついております〜(^^*
で・・・・
>愛のKISSを!!ぶちゅん。(す、すいません、でもこの感謝をどう表現していいのか!!!)
この “どう表現していいのか” という部分こそが
『ここ』だったり『何か』とか『本当の自分』などと表現してる1番重要な部分です。
勿論 “マヤさんのノックの説明不能” も同じですが、あまり難しく考えるよりも
思わず出た “ぶちゅん” の方がスッキリしませんか?
この感覚を大切にもっと広げる感じで日々を送ると辿り着き易いと思います。
あと
響さんのコメントにも “うまくお伝えできないのですが” と言葉では表現できない何かが
湧き出て来て、それに触れておられる感じが伝わってきませんか?
こうやってご自分で気付かないうちに答えやヒントを書いておられる方が多いです。(^^
実は日々こういう感覚はしょっちゅうありますよね?
今の世の中は色々複雑になりすぎたがゆえに、知識を深めることに一生懸命になってしまって、この純粋な感覚の大切さに気が付いていないだけだと思うんです。
気付いていないというよりもスルーしてしまう状態なのではないかと思うんです。
なので芸術には純粋さが不可欠なので喩えに使ってみました。
楽しくてワクワクする気持ちも同様なのでマヤさんはいつも言われていますよね。
だからこそワークの重要性が・・・・・ねっ♪
あと私が源に触れて初めて知ったことですが、本当にお掃除は大切だと思います。
色々頭で考えはじめてる自分に気が付いたら「うりゃ〜〜」と気合入れつつ楽しくお掃除するのも効果的ですよ〜♪
今日ほど自分のバックで「私ばかよね〜おばかさんよね〜」の曲が流れたことって、なかったと思いますね。
自責の念とか、この期に及んで、そんな理由で流れたわけじゃないんですけれど。
モチロン、「うりゃ〜」でお掃除お掃除ですけども。^^
源で沸いて出てきた「ここ」「何か」「本当の自分」が、生まれてこの方ある年齢まで、必死に(本人談)こさえてきた性格やら感情やらと、ちょ〜っと方向性違うような感じがしていて、ごちゃごちゃやってましたわ。
ほんとですね。ぶちゅんの方がすっきりしますわ。
そーか・・・。
moriyamaさま、ほんとに、ご丁寧にご指摘多謝にございます。ご尊顔をkissマークだらけにしては、こりゃいかんということで、今回はどうしましょうか・・・。
う〜んう〜ん。
ありがとうございました。
マヤさんのお返事を何度も読み返して、白い部屋のワークは私に合ったやり方だったんだと気がつきました。
改めてワークをやってみて、ひとつ分かったこともありました。
自分が産まれた時から縁していることの中に、どうして縁しているんだろう?と不思議に思っていたことがあったのですが、“ああ、生きるために必要だったんだ”と分かりました。
シンプルな答えですが、はじめて胸の奥から分かると言う感覚がありました。
ワーク中、まったく意識していなかった件でしたが、突然、沸き上がりました。
今日もワークにトライしてみます。
ありがとうございました!
マヤさんのアドバイスをキーワードにして言語によるコミュニケーションのブラッシュアップをする機会がありました。
対照的な数人の人に会い、それぞれの”生きる思い”を感じました。
私は相変わらずな状態でした。
優劣をつける必要はありませんが、半分はまぁいいかな、半分はちょっとだめかな、、くらいの感じです。
伝えたくってしゃべりすぎてしまうときがあり、自分でもどかしいです。
今後もこういうことはあると思いますが、変化する機会が来るのかなと思います。
来たときはさらに楽しいだろうな。
コミュニケーションですが私はそれ以外の手段を持っていると思います。
詳細を書くと長くなりそうなのと、人によっては特別感を持って見られると申し訳ないので今は記入しませんが、相手の言葉や自分の言葉よりも結果的に正確だったりします。たとえるなら本人が手首だ、、と言っているのに体からはひじだ、ひじだ、、と伝わってくるようなものです。何も証明できないし、確信もないのですが、どうしてもこれをもっと活用できたらハッピーなことが増えると思うのでなんとかしたいのです。問題は意識的にコントロール(活用)できないこと、再現性のないことです。うすうす理由のひとつはわかっているのですが、なんとかしたいのです。
そして、人以外からはなんと日本語でやってくるのですが、その意味がわかりません。こちらももう少しある意味活用できたらいいなと思うのです。
まさに一瞬で数度の会話が終わる感じ。
会話に参加してるのに、自分で意味がわかっていない。
こちらから誰にも何物にも話しかけることはしていません。
でも、このほげぇ〜としているときに飛び込んでくる情報の意味を知りたいのです。
う〜ん、よくばり。(もっとほかにやることあるんじゃないの、とも思いますが、、、)
それと”あれ”をある場所で言葉にした外人さんがいるのですが、そのときに私はおどろきませんでした。
今思うと私の魂がそれを容認しているようで少々自己嫌悪です。自分の意識とは違うところで刷り込まれているようでますます、、。
この容認してるような、半ばあきらめてるような意識を持った人が多いのもいかがなものかと思っています。
最後にお掃除、やるときは楽しいけど相変わらずへたくそです。自分の課題のひとつでもあります。
でも布団干しは趣味といっていいほど好きで取り込んだときはちょーーーハッピーになれます。
布団干しごときができない事情の方もいるでしょうし、自分にも自由にそうできないことがあるのでこれができただけでその日はうれしくて、ありがたくてハナマルです。
上記のわかりたいことは考えてもわからないので、すぐにぱーっとやめてしまいます。近いうちにわかりたいと思います。(よろしくお願いいたします)
わあっ!ありがとうございます!
今まで生きてきた中でいちばん自信が持てました!
私のような普通の人が、他の何かや誰かを妄信するのではなくて、自分自身の信じるところを自分自身で見つけ、そうした一人一人が繋がって大きなものを生むことに意義があるのだなーと改めて感じました。
道標に徹されているマヤさんのカッコよさにもホレました。
みっちさま
ありがとうございます!
いつもお声をかけていただいて本当にうれしいです。
クラスメートに「よかったね!」って言われたみたいで
す♪
マヤさんをはじめとする皆さんのコメント読んでいます。
このところ、私を取り巻く環境に変化がやってきました。
何度もマヤさんにノックしてもらい、
わかっているつもりになっていたり、
自分と向き合うのを避けていることに気がつきました。
マヤさんは劇薬すぎます!
でも、マヤさんの深い愛を感じました。
皆さんの言われている感覚をしっかりと感じて
表現するまでは行っていませんが、
今の目の前で私が取り組んでいくことに
全身全霊を傾けようと思います。
迷ってはいられません。
ようこそ、精神世界へ。
あ、この精神世界は、「精神活動を伴う現実世界」の略称です。不思議なことに、「精神活動の停止もしくは停滞を促進する世界」の略称とたいへんよく似ています。
前者は「もう夜明けだと言って起こしてほしい人」、後者は「まだ夜だから眠っていていいんだよと言ってほしい人」のために、それぞれ用意されています。
どちらも同じだけの快感、同じだけの蜜の味なので、どちらを選んでも正解です。快感を得て蜜の味を味わうには、自分の正確なニーズと合った方を選ばなくてはなりませんが。
如月さんと皆さんのコメントを読んでいる内に心がほぐれて行くのを感じ、嬉しくなり思わず書き込みました。
私は、よく人目を気にして、少しでも自分を良く見せようと、背伸びしてしまう事がありましす。
日常でも、ネットのブログでも、自分の興味のある事について、今持っている知識以上に詳しいふりをしてしまう事がありました。
また自分の趣味についても「こんな事に夢中になるのって変かな」とか「他の同じ趣味を持っている人よりもレベルが低い」と色々意識していました。
その度に、窮屈で居心地が悪いにもかかわらずです。
けれど、皆さんのコメントと、如月さんのお辺事を読んでいるうちに「このまままでいいじゃん」と思えるようになりました。
まだ、恐がりなので人前で等身大の自分を曝け出せる自信は無いけれど、少なくとも見栄をはったり、自分一人で居る時まで、自分自身と他者とを比べて自意識過剰になるのは辞めようかなと思いました。
皆さんのコメントの中に、自分自身の問題に対する直接のアドバイスが書かれていた訳でないのにこんな気持ちに至るなんて不思議です。
マヤさんのセミナーにご縁をいただきまして、2度参加しましたが、あんなにシンプルな中にすべての理解の原点が詰まっているのですね。ほんとうに、そこから始まるのですね。その順序だからわかるのが、今の私ならわかります。
どうしてあの時、その場でもっときちんと最初から一語一句聞いておかなかったのか、世間がこうなった今、悔やまれます。