2010年12月14日

『御利益』その五

『御利益』その五

     如月マヤ


「おおっと!」
 エビスダイコクは反射的に身を引いた。巨大スクリーンに、青山君の顔がぬっとアップになったのだ。その顔が、スクリーンに現れては消え、現れては消えしているのは、作法にのっとって二礼しているからだろう。そのたびに、脳天に突き刺さった矢羽根がひょこひょこ揺れる。まるで、珍種の鳥が地面をついばんでいるようだ。続いて二拍手の音が静まると、青山君の声が朗々と響き渡った。
「かけまくもぉーかしこきぃー、富カモンの大御神ぃー」
 ふむふむ。青山君、オーソドックスな作法は心得ているね。が、一礼で締めないところをみると、富カモンの神様とやらに願い事をするつもりらしい。どアップの青山君の顔は、真剣そのものだ。
「富カモンの神様っ!」
「はぁ、なんぞご用ですかいのう?」
 エビスは思わず、懐かしいトミ婆さんの口調をまねる。もちろん、青山君には聞こえない。
「なにとぞ! 俺に、とりあえず100億円か200億円ください!!」
 青山君の背後を、カラスが飛んでいくのが見えた。しばしの沈黙……。エビスが溜め息とともに言う。
「とりあえずだってよ。なあ、どうする?」
「なにとぞ、ってわりにはアバウトな人だねぇ」
「差額の100億円も、相当アバウトだけどな」
 願い事をしたので、二拍手でしめくくって一礼。満足げな青山君の顔は、光り輝いている。これで願い事が叶う……欲求が満たされて当然……自分は何もしなくていい……神様なんだから、満足させてくれて当たり前だろ……。こんなだから、本人はご満悦でも、光り方輝き方がどうにも粘っこい。いやーな感じ。臭ってきそう。毘沙門天はそっぽを向いたし、白虎は不機嫌そうに唸り声をあげている。こいつを食べてもおいしくないと思ったらしい。エビスダイコクも眉根にしわを寄せて、汚いものでも見るような目つきになっている。まぁ、しかたがない。神様から見れば、こういうのが穢れなのだから。
 人間にはそれぞれ個性があるから、その人がどんな色の個性をしていようと、神様は厭わない。問題になるのは、その人の個性そのものではなくて、その色の純度透明度なのだ。古来より、魂を磨けという教えが伝わっているのには、そういう理由があるからだ。透明度の高さは、その人が内側から発する力の強さでもある。何か偉大なことを成し遂げたかったり、自分には価値があると証明したければ、その力をつけるためにも透明度を上げなくてはならない。魂を磨き上げるのだ。
 磨き上げるほどに魂は純粋さを増し、魂の力の強さが増すと、人は自分の人生の意味に気がつくようになる。身体の奥から充足感があふれ出る。心の底から満足だ。自身で満ちて足りるから、他者から称賛を得るためにきりきりする必要もなければ、他人より上に立とうとして感情が乱れることもない。余計なことに気が散らないから、効率よく物事に集中し、夢をいくつも叶えることができる。気がつけば、いつの間にか自然と、他人から褒め称えられていたり、特別な人だと価値を認められるようになっている。虚栄心も支配欲もないから、実に爽やか。他人のやっかみを寄せつけることもない。
 人間は、そんなふうに自分のすべきことをまっとうして、人生をとことん楽しめばいい。それが人の幸せってもんじゃないかと、神様たちは考える。

 ところが青山君ときたら、何でも自分の思い通りにならないと不快になるタイプ。自身で充足するより、満足させてくれと他人に要求することに熱心だ。自分のエゴが気持ちいい状態がスタンダードになっているから、よっぽどのことがない限り、心地良さも満足も感じない。欲求が叶っても、ありがたいと感じることもないのだろう。こういう人間は昨今珍しくもないが、青山君を担当することになったエビスダイコクはいい迷惑だ。丸ぽちゃだけど、エビスダイコクの頬はげっそり。もう神様なんか辞めてしまいたい。彼ら神仏にとって、願い事はいくらしてもらってもかまわないが、掬い上げることができるのは、人間のピュアな想いだけなのだ。
 射駒神社の泉にその人となりを自ら映し出してみせた通り、エビスダイコクの目に、青山君はどろっと澱んで濁って見える。その上とげとげしいものだから、願い事が叶わなかったら、どんな八つ当たりをすることだろう。人生が思い通りにならないのは社会のせいだと言って、まさか、人様を傷つけるようなことなんて……ねぇ。
「それなら、いっそのこと……」
 エビスがおもむろに口を開いた。ダイコクが緊張した顔で頷く。もしや……。とんでもないことをしでかす前に、青山君をどうにかするってこと?
「これを使うときがきたねぇ」
 そう言いながら、ダイコクがどこからともなく取り出したのは、言わずと知れた打ち出の小槌。毘沙門天がぴくりと片眉を上げた。やややや、やっぱり! 昔話の起源を探ってみると、打ち出の小槌は、どうも武器なんじゃないかと思われるフシがある。そもそもが槌だから道具には違いないし、ダイナマイト然り放射線然り、生活に不可欠な道具や幸せのために発見された技術を、何かの拍子に武器に使ってしまうのはよくあることだ。でも、それは人間の十八番であって、ここのエビスダイコクは、あからさまな武器を持つ射駒姐さんや毘沙門天とは一線を画す、おめでたいコンビではなかったか? おめでたい丸ぽちゃと油断させておいて、ここは目撃者もいないことだし、打ち出の小槌で一息に……。青山君を消す!?
 ダイコクが打ち出の小槌を振り上げた。その瞬間、かっとまばゆい光を放って小槌が巨大化した。すすすす、すごい! どんな仕掛けで小槌が超大槌に!? ……じゃなくて、パワーがみなぎってる感じがすごい。それに、眩しくて熱い。ほんとに熱いわけじゃないけど、とにかく熱い。神様が持っている物だと、理屈じゃないところに説得力がある。
 槌が身体より大きくなったので、そのままひっくり返らないように、エビスがダイコクを支える。エビスダイコクは声を張り上げた。
「青山文彦よ! よろしい! それほどまでに願うなら、100億円でも200億円でもくれてやろう!」
 え? なーんだ、サスペンスじゃないのか。打ち出の小槌、あっさり振っちゃうんだ。願い事、簡単に叶えてあげちゃうんだ。要求の内容の精査なし。評価も議論もしないまま。自己中心的でマナーをわきまえないやつに、文句を言われたり暴れられたら面倒だからってわけ? どこぞの政府みたいに弱腰で不甲斐ない。神様がそんなでいいのか!
「いいわけがなかろう!!」
 毘沙門天の野太い声が轟く。あ、聞こえてたか……。
 おめでたさにすっかり油断していたが、エビスダイコクもそれなりに神様。タメをきかせた打ち出の小槌、いや超大槌を、力まかせに振り下ろす。超大槌は巨大スクリーンを通り抜けて、粘っこい笑顔の青山君の脳天を直撃した。おお、なんとショッキングな! スピリチュアルファンにはなじみの深い、頭頂のクラウンチャクラを一撃である。青山君、射駒姐さんには脳天を射抜かれ、エビスダイコクには脳天を殴打され……。神なる次元とつながるクラウンチャクラというのも、あながち嘘ではないということか?
 それにしても、さすがはエビスダイコク。福々しい体型は伊達じゃない。ほんとに太っ腹だねぇ。100億円でも200億円でもくれてやろう、だなんてね。くれてやろう、ってあたりのニュアンスがにくいねぇ。つまり、神様の言葉では「100億円分、200億円分、人様のために働いてもらおうじゃないか」という意味になるのだが。お金は力だから、応分の力を発揮しないとね。青山君、わかってんのかな?

(続く)
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2010年11月08日

『御利益』(その四)

『御利益』(その四)

     如月マヤ

 射駒神社の境内には、ちろちろと水の湧き出る箇所がある。水たまり程度の大きさなのだが、水たまりなどと言ったものなら、姐さんにぷすっと射抜かれてしまう。これは姐さんお気に入りの、れっきとした天然の泉なのである。小さいことには小さいが、思わず手を浸し口をつけたくなるような、澄んだ水をたたえているのだった。光は水面できらめき、水中で光は揺らめく。頭上の木の葉が濃く淡く、浅い水底に影の模様をつけている。泉を覗きこんでいると、時が経つのを忘れてしまいそう。誰でもつい一時じっと見つめてしまうので、その様から、この泉には「射駒弁天の鏡水(かがみみず)」と名前がつけられているのだった。
 しかし、いつもすっぴんの姐さんに鏡はいらない。射駒姐さんがこの泉を気に入っているのは、この清らかな水が、覗きこんだ者の心を映し出すからだ。人は澄みきった水に出会うとき、気づいていようがいまいが、自分の心に後ろめたさがないかどうかを試されているものだ。心が澄んでいるならば、心を澄みきらせる気持ちがあるならば、顔をそらさずにいられよう……。泉は浅いが奥は深い。ところが、青山君ときたら。
「この若者はなあ。何を思ったか、弁財天殿の泉で小銭を洗おうとしてなあ」
「はい〜?」
 エビスダイコクは目が点になった。
「それって、もしかして」
「よその弁天さんと間違えてるんじゃ?」
 そう。その弁天さんとこの弁天さんでは、気前というかやさしさの形というか、人間に対する許容範囲が違う。第一、ここの弁天さんは射駒姐さんなのである。姐さんの辞書に許容範囲の文字はない。それなのに青山君、ただ小銭を増やそうとして洗っただけではないらしい。
「こやつ、泉で小銭を洗おうとして……」
「うんうん」
 エビスダイコクは膝を乗り出す。
「小銭を一枚、泉の底に落としたのだが……」
「ほうほう」
「それを拾い上げたときに、泉の底の砂がわずかに舞い上がったのだ」
「ははぁ」
「後はもう、毒を喰わば皿までというやつよ」
 毘沙門天は重々しくそう言うと、遠くを見る目つきで話をしめくくった。
「なあるほどぉ……」
 エビスダイコクも、深く深く頷く。このあたり、非常に簡潔。典型的な神様どうしの会話と言えよう。人間にはちんぷんかんぷんだ。

 つまり、こういうことだ。
 著名な弁財天様の元でおこなわれる習慣のまねをしたのか、それとも、弁財天様の御前ではそうするものだと固定観念があったのか、とにかく何かの思いこみで、青山君は射駒神社の泉で小銭を洗った。その最中、硬貨が一枚水底に落ちた。そのままお賽銭にしたくなかったのか、それとも、洗った小銭の御利益を、ひとつでも余計に手に入れたかったのか、とにかく反射的に、青山君は浅い泉の底に手を突っ込んで、落ちた硬貨を拾い上げたのだ。
 そのとき、水底の細かい砂利と砂が、少しだけ舞い上がった。しかし、透明な水の中では、それだけでも濁りが立ったように見える。その瞬間、青山君は不愉快になった。胸の奥からこみ上げる、理屈では説明のできない不快感。いや、本当は理由はあるのだが、本人はその理由を知りたくない。その理由から顔をそむけていたい。だからよけいに不快感がつのる。
 青山君は、水中の濁りを消そうとして水をかき回した。ところがどっこい。濁りは水にまざって消えてなくなるどころか、水をかきまぜたせいで、砂と砂利はもっと舞い上がってしまう。もくもくと、泉に濁りが広がった。青山君の不快感もむくむく膨らむ。とげとげの青山君には、もとより、その不快感を抑える人間性がない。不快は瞬時に怒りになった。理由なんかどうでもいい。自分は機嫌よく小銭を洗っていただけなのに、不快にさせられたというわけだ。いったい何が、誰が、しかも故意に青山君を不快にさせたというのだろう。まったくもって理不尽きわまりない。青山君は怒りにまかせて、水底の砂を憎らしげにかきたてると、射駒弁天の鏡水を泥まみれにしてしまったのだった。うわっ。ほんと、なんてことしたんだ青山君! 姐さんに怒られるぞー。ああ怖ろしい。……って、もう遅いか。
 ちょうどそのとき、射駒姐さんは、毘沙門天が連れてきた白虎にお菓子を食べさせていたところだった。しゃがみこんで白虎を撫でていた姐さんの手が、ぴたりと止まる。毘沙門天が眉を上げたときにはもう、姐さんはついっと立ち上がって姿を消していた。射駒姐さん、殺気も発しない。だから白虎は、姐さんがまだ頭を撫でてくれていると思って、目を細めて前足をなめている。戦いの神である毘沙門天は、「ううぬ。吾輩はまだ修行が足りぬな」と唸っているが……。感心してる場合じゃない!
 毘沙門天が駆けつけたときには、姐さんはとっくに青山君を、ぶっとい矢で脳天から串刺しにした後で……。この間、0.1秒にも満たないかもしれない。が、神様の世界の時間は、人間が体感する時間とは違うからよくわからない。

 人間界の時間に置きかえて、射駒姐さんの心中をスローモーションで再現してみよう。
「こらこらこらこらーっ!! そこのおまえっ!! おまえだよ、お、ま、え!! こっの、どあほっ!!」
 ひー。これだけでも怖ろしいのに。
「おまえっ!! この泉を濁したなっ!! もともと澄んでいた水なのにっ!! 濁りを立てたのはおまえだろっ!!」
 はいっ、そうですそうです。青山文彦君ですよぉ。
「わずかな濁り、こらえて待てばすむことをっ!! すぐに水は澄むものをっ!!」
 そうですそうです。ですから、青山君が……。
「自分で濁りを立てておきながらっ!! 自分で泉を穢しておきながらっ!! 泉を憎むか、このどあほっ!!」
 鼓膜が破れる……。
「こっのぉぉぉぉ、恥知らずがっ!!! 濁った水はおまえの姿だっ!!! 己の姿を思い知れーっ!!!」
 ひー! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ああ、超極太の矢が脳天を貫く音が聞こえそう……。
 ところが射駒姐さん、額に青筋ひとつ立てやしない。瞬時に以上の理屈で矢を放つ。そんな射駒姐さんに、毘沙門天はひとつ提案してみたい。その瞬時の理屈を、人間たちに説明してやってはくれまいか、と。けれど、人間にそれがわかれば神様はいらないというものだ。
「単純明快な道理をいかに複雑にするか、それが人間の醍醐味なのであろう」
 毘沙門天はそう言って遠い目を……する前に気がついた。
「おや、弁財天殿。今、何を?」
「こいつはエビスダイコクの獲物だよ」
 直接の答えになっちゃいない。神様どうしでも、姐さんとは会話がかみあわないことがある。姐さんの論理にはついていかれない。ま、そのうちわかるようになっているのだろう。射駒姐さんも神様だし。

 すぐに射駒姐さんは酒瓶をかついで出かけてしまったが、出かける前に、「あの丸ぽちゃコンビで遊んでおいで」と、白虎の頭を撫でるのを忘れなかった。毘沙門天は、「丸ぽちゃコンビと遊ぶ、ではなく、丸ぽちゃコンビで遊ぶ、とな……」と呆然としていたが、「丸ぽちゃコンビ」というのはどうでもいいのか? というか、毘沙門天さん、姐さんの使いっ走りでエビスダイコクの所へ行けと言われてる気がするんだが。 
 それはそうと、先ほど毘沙門天が目にしたのは、射駒姐さんの怪しげな行動だ。姐さんは衣の袖から何やら取り出すと、わざとらしく青山君の目の前にぽとんと落としていった。あれはどうやら、射駒神社のおみくじだ。未開封。これはいったい、どういう……。
「おおっ! さっそく大いなるものからのサポートがっ!」
 え? 青山君、ちょっと待ちなってば。
「この導きに従えということだな!」
 青山君……。いくら未開封だからって、落ちてるおみくじを……。それに、そういうこじつけ方も、どうかと思うけどねぇ。
 おみくじに書かれたことは、受け取りようこじつけようで、どうとでもなる。結局、どういう受け取り方をするかという、自分の心があぶり出されるわけだ。それに自分で気づくかどうかが試される。こんなところにも、射駒弁天の罠が待ちかまえ……いや、姐さんの放つ矢の威力は、こんなところにも及んでいるのである。と言ってる間に、あーあ、青山君、おみくじ開けちゃったよ。
「大吉!!」
 姐さん、ほんとに意地が悪い。目の前が開けるとか、運気上昇とか、万事好調で心配なし、とか書いてあるやつだ。使い方しだいで、大吉は毒にも薬にもなるのだが。青山君の場合は……。
「運気はすべて超絶好調!」
 おいおい、超絶好調なんて言葉、おみくじではあんまり聞かないぞ。大吉なら、万事好調って書いてあるんじゃ?
「遠出よし!」
 はい?
「そうか。吉方位に向かって遠くまで出かければ運気がさらに上昇して、奇跡のごとく目の前が開け、この先、人生に何の心配もいらなくなるということなんだな!」
 青山君、射駒姐さんの矢で串刺しにされたから。ただ射抜かれただけの人よりも、おみくじの解釈が強烈って気がする。
 ああ、だから青山君、吉方位に遠出したあげく、戸美加門根神社に辿りついたというわけか。遠出も遠出、青山君のアパートからはかなりの距離があるはずだ。電車を乗り継いだら、一日に三本しかないバスで峠を越えて、そこからは徒歩。方位磁石を使って、あくまでも吉方位に向かう。そろそろ遭難しかかっているのに、青山君、気づかないし。もう運気が上昇した頃だな、と、ふと腰を下ろしたところが、戸美加門根神社の崩れた石積みだった。
 長旅だったね、青山君。お疲れさん。……あ、もう日が傾きそうだけど、どうやって帰るの?

(続く)
    
posted by まやちんの友達 at 23:06 | Comment(0) | 「御利益」 | 更新情報をチェックする