如月マヤ
エビスとダイコクが忘れていたのも無理はない。加門根村(かもねむら)のトミ婆さんが亡くなってからというもの、ここ数十年、そこからエビスダイコクに手を合わせる者がいなかったからだ。巨大スクリーンは、トミ婆さんが作ったちっぽけな祠に通じている。神社と名前がついてはいるが、当然神社庁の記録にも残っていない。この神社の名は……。
「なになに? と、び、か」
違う。「び」じゃなくて「み」。……おや、青山文彦君、どうしてここに? 大学院をやめた後、塾で講師のアルバイトをしていたんじゃなかったっけ?
「と、み、か?」
そうそう。トミ婆さんのマイ神社、その名も戸美加門……。
「かもん。ああ! 富、カモン!」
エビスとダイコクは同時にひっくり返った。
「違うよぉ」
「カモンって英語だしな」
そう突っ込んだものの、エビスは、戸美加門根神社(とみかもねじんじゃ)と書かれた額がぼろぼろで、ほとんど文字が読み取れないのに気がついて肩を落とした。それに、加門根という字(あざな)も今はもう残っていないのだ。
その昔、加門根村は貧しい農村だった。トミ婆さんは、皆が仲良く助け合い、村の暮らし向きが良くなるようにと願いをこめて、石を積んで小さな祠を建てた。婆さんは、人の形に見えなくもない石を二つ拾ってきて、恵比寿と大黒天に見立てて祠に収めたのだった。祠に命名をしてくれたのは、顔見知りの坊さんだ。この村には寺社がないので、葬式があると隣村から住職を呼ぶのだった。すり切れた袈裟で身繕いした坊さんは、精進落としの帰り道、祠に戸美加門根神社の額を奉納すると、小粒な神社に向かって恭しく般若心経を上げた。その後ろで、トミ婆さんがありがたそうに「なんまんだぶなんまんだぶ」と唱える。坊主が神社に命名して般若心経を上げ、般若心経なのに婆さんは南無阿弥陀仏と手を合わせる光景……。珍妙でくらくらする。
しかし神仏たちは、こういう隔たりのない心を喜ぶ。形式が大切なこともあるが、絶対条件ではない。神仏にとっての絶対条件は、人の心の持ち方なのである。心がなければ形は意味を成さないのだ。人間のおおらかで素朴な心は、人にとっては徳となり、それが神仏には、人間のために働く活力源となる。それゆえエビスダイコクの元では、ちっぽけな祠が、いや、祠はなくともトミ婆さんと坊さんのその思いが、巨大スクリーンとなってエビスダイコクの注目を集めることになったのだ。
けれど、神仏に通じるそれだけの徳がありながら、それは目に見えず、手で触れるものでもない。耕しても耕しても口を糊するだけの生活で村人の気持ちはすさんでいたから、トミ婆さんの思いに同調する者はいなかった。皆の思いを一つにしたところで何の得がある、それで腹がふくれるものか、という村人の言い分ももっともだったが、それでもトミ婆さんは、ほっこりした笑顔で祠に手を合わせ続けた。
「心の中で思っていてもいいんだけんど。でも、こうやって手を合わせる場所があると、心が落ち着くだね。今日も一日、おかげさまで過ごせましたで。ありがたいことありがたいこと、なんまんだぶなんまんだぶ」
トミ婆さん、昔話に出てくるような、しみじみといい婆さんである。しかしたまには、神社と名のついた祠に柏手を打ってやっちゃあくれまいか? まあ、それはともかく。トミ婆さんのお徳は、婆さんの死後もたっぷり残っている。トミ婆さんのお徳の恩恵に与り、それによって新たな徳を積む者が現れるまで、手つかずだ。戸美加門根神社にやってきた青山君、果たしてその人物となれるのか?
巨大スクリーンの中で、青山君は感心したように、しきりと頷いている。
「なるほど、こいつは縁起がよさそうだ。富カモンとは。なんてストレートな言霊なんだろう」
「言霊ってね、君……。まあ、いいけどさ」
エビスは、どう突っ込んでいいものやら、いささか迷う。
「で、この人いったい誰?」
エビスの問いかけに毘沙門天が答えようとしたとき、ダイコクがエビスの衣の端をくいくいと引っ張った。ダイコクの目は、巨大スクリーンに映った青山君に釘づけになっている。
「ねぇ、エビス君。あれってなんだろねぇ……」
青山君は頭の上に、ぴんとまっすぐ大きな羽飾りをつけている。
「かぶいちゃってるんじゃないの? 江戸時代にもいたけどさ。かぶきものだよ」
そう言ったエビスは、しかし、ごくりとつばを飲み込んだ。
「あの羽……。頭のてっぺんから生えてるのかな?」
「それなら僕たち、こんなに驚かないよねぇ」
なんと、青山君の脳天から超極太の矢が深々と突き刺さり、身体を串刺しに貫いているのであった。どう見ても射駒姐さんの仕業である。
「あの矢って、人間には見えないんだよねぇ?」
「そういう意味じゃ、人間って幸せかもな」
「それにしても、いやだなぁこの人、ずいぶんとげとげしてるよねぇ」
「曖昧も困るけどさ、とげとげしてるやつは始末が悪いよな。あれじゃあ、周りの人間もたまったもんじゃないよ」
「なんでも他人のせいにするから、運も逃がすんだよねぇ。それが面白くないから、ますますとげとげするんじゃなぁい?」
「苛々してる暇があったら、その分、気持ちを落ち着けるなり切り換えるなり、すればいいのにな」
「そういう人なら、なにも、こんな所まで来て拝まなくたっていいのにねぇ」
「頼まれなくたって、俺たち神仏は応援してるもんなのにな」
エビスとダイコクはかしましい。
「布袋オヤジさんに任せればいいのにぃ。僕たち、難しい人は苦手なんだもぉん」
「そうそう。布袋オヤジに頼んでくれないかなあ」
やっと、エビスとダイコクは渋面の毘沙門天に話を振った。
「ううぬ。エビス殿、ダイコク殿、文句が多いぞ! 布袋殿は忙しいのだ。えり好みせずに仕事を引き受けられよ!」
「だってぇ」
「布袋オヤジの方がうまくきめてくれるのにさ」
エビスダイコクはいつまでも、ぶちぶち文句を言って腰を上げない。これではまるっきり伸夫みたいである。あ、すっかり忘れていたが、伸夫……。伸夫こそ、布袋オヤジに面倒を見てもらえばいいのだ。江川家の神棚に、布袋像ではなく恵比寿と大黒天の像が祀られているのは、いったい何の因果であろう……と、エビスダイコクが思ったかどうかはさておき。布袋のオヤジは今日も、相棒のハーレーを駆って自分の持ち場を巡回しているのだろう。貫禄のお腹周りにスキンヘッド、腕のタトゥーは青海波に宝づくしである。布袋オヤジは、おめでたさとはひと味もふた味も違った、苦み走った魅力を醸し出しているのだった。そんな布袋オヤジは、仕事のしかたも渋くてかっこいい。仁義に厚いのが布袋流で、わがままな人間の自分勝手な願いを、本人の面子まで考えておさめてくれる。自己都合で優柔不断に甘んじている伸夫も、言ってみれば、わがままで自分勝手な人間の一人である。だからエビスダイコクにしてみれば、できれば伸夫のことは布袋のオヤジに丸投げしたい。
「それに、この若者は、エビス殿とダイコク殿にご縁があるのだぞ」
と、毘沙門天は続けた。
「それゆえ弁財天殿は、急所を外したそうなのだ」
「えええっ! そそそそ、そぉなのぉ?」
「急所も何も……。串刺しなのに?」
エビスもダイコクも、言葉が続かない。いったいどうやって、あんな極太の矢を脳天から突き刺したのか? そもそも、あんな太い矢はありなのか? なんでそんなものを持っていたのだろうか? 考えるだけで射駒姐さんが怖ろしい。というか、これで急所を外したという、姐さんの論理がわからない。そこがいちばん怖ろしい。
実のところ、射駒姐さんは、青山君がエビスダイコクに縁があるのだとは言わなかった。射駒姐さんは青山君をあっさり片づけると、「こいつはエビスダイコクの獲物だよ」と言い捨てて、面白くなさそうに、また酒瓶をかついで出かけてしまったのだった。獲物とは、あまりにもあんまりな。姐さん、何かほかの言葉は……使わないか。そうだよね。射駒姐さんだもんね。なので毘沙門天は、そのことはエビスダイコクに言わないでおいた。どうやら毘沙門天は、ここの個性的な面々をとりまとめているうちに、苦労性という名の一種の思いやりを身につけてしまったらしい。
「この若者はなあ、青山文彦というのだが、射駒神社の泉を濁してしまったのだ」
毘沙門天が苦々しげな顔をして言った。
「ひええっ!!」
エビスとダイコクは息を飲んで固まった。エビスは大魚をぎゅっと抱きしめたし、ダイコクのお腹はぷるるるる。毘沙門天は腕組みをして頷いた。
「弁財天殿に射抜かれるのも、もっともであろう」
エビスとダイコクは、こくこく何度も頷いて同意した。エビスもダイコクも、そのことだけは納得できる。
(続く)
【「御利益」の最新記事】