常総市内に続く伝統的な祭りや近年始められたまつり、花火大会などをご紹介します。
開催時期 4月第二日曜日
場所 水海道中心市街地、弘経寺、豊田城(地域交流センター)
概要
常総市にある弘経寺(ぐぎょうじ)は徳川家康の孫娘である「千姫」の菩提寺であり、お墓のある寺として知られています。
弘経寺中興の上人でもある十世照誉了学上人(しょうよりょうがくしょうにん)は家康公をはじめ代々の将軍の信頼が厚く、
千姫落飾の際にはその戒師をつとめました。その関係で千姫は弘経寺を菩提寺と定め、兵火で焼けたままになっていた伽藍の設営に尽力しました。
寛文6年(1666年)、千姫が天寿を全うすると、遺骨は小石川の伝通院(でんづういん)に埋葬され、弘経寺には分骨が納められました。
21世紀の幕開けとなった平成12年から,まちの活性化を図ることを目的に「千姫まつり」が毎年4月第二日曜日に開催されています。
千姫の誕生日が4月11日ですので、一番近い日曜日ということでこの日が選ばれました。このまつりの見どころは、何と言っても「千姫さま行列」です。
この行列は近隣には類を見ない女性主体の行列で、会津藩奴隊も参加し,総勢150名を越す参加者が江戸時代の衣装を身にまとい市内中心地をオリジナルソング「千姫はなものがたり」の優雅な音楽に合わせてパレードします。
市街地では、全国大会で連続優勝した水海道小学校の金管バンドのパレードや、市内各団体が腕をふるうお食事処、フリーマーケット、キャラクターショー等、毎年趣向を凝らした催しを用意しています。
また,飯沼弘経寺では、千姫遺品展や、弘経寺の写真展、お茶会、フルートコンサートなどが開催され、千姫さま行列も参拝に訪れます。
まつり当日、弘経寺への交通については水海道駅から無料シャトルバスが運行しているほか、ボランティア付ルートハイキングもあり、多くの人で賑わいます。
開催時期 7月中旬
場所 水海道中心市街地
概要
今から約700年位前に、小山戸町の鬼怒川の岸辺に小山戸天王という社がありました。(現在356号線バイパス有料橋付近)この小山戸天王で古い時代に神輿が担がれていたという伝えがあります。
それに対抗して、しばらく後の時代になって森下町でも神輿を担ぐようになったということです。
八幡神社は、江戸時代の始め頃(延宝1677年)実城(みじょう)より現在の地に建てられました。そのころ森下町には、福聚院(ふくじゅいん 現在森下観音)という大きな真言宗の寺がありました。
その寺の一画に八坂神社がありました。この八坂神社は古くは牛頭天王社と呼ばれており、森下を中心に神輿が担がれていたと思われます。
現在の本社神輿は、安政4年(1858年)、町の大商人何人かが先駆けとなり資金を調達して購入しました。祇園祭は、もともと京都の八坂神社のスサノオ尊を祀ったお祭で、方位払いの四神圏など京風なものが取り入れられています。
獅子、四神圏、宝剣、太鼓は本社神輿を担ぐ順番に従い町ごとに務めます。本社神輿の輪番は元町・本町・栄町・宝町・諏訪町・橋本町・渕頭町の七町ですが、祇園祭に繰り出される神輿や山車は旧水海道町内会11町でとり行われているほか、
同好会の神輿なども合わせ、近隣にはない盛大な祭りとなっています。
初日は本殿から神様を神輿に移す「宮出し」から渡御を行い、末日は当番町のお仮屋で祝詞をあげ神様に報告をします。町内会の持つ神輿と同好会の神輿等神輿10基と山車9台が祭りを盛り上げます。
中でも、神様がお乗りになっている本社神輿には格別の権威があるといえるでしょう。本来、神輿渡御は日中の明るい時間に町の中をお払いして歩くものですが、現在のまつりで最も賑わうのは、夜の突き合わせの時間となっています。
開催時期 7月中旬
場所 石下市街地
概要
京都祇園会の流れを汲む伝統の祭りで、元禄4年(1691)江戸の宮師によって神輿が製作されました。
その後、明治初期につくられた本石下の千貫神輿は、京の宮師の手になる京神輿で、白丁白足袋装束の若者たちの手により担がれ、練り歩きます。
これと対照的に新石下の大神輿は揃いの青法被に白足袋装束の若者たちがかつぎ練り歩きます。祭り会場(目抜き通り)には二つの大神輿のほかに、各町内の子供神輿十数台も集合し、山車の祗園囃子やひょっとこ踊りにはやされ、会場せましと練り歩くさまは壮観で、古くからこの地方の夏の一大風物詩となっています。
舞台では笛・太鼓・鉦の奏でる祗園囃子、ひょっとこ踊りなども演じられ、祭りのフィナーレに近くなると、二つの山車が旧村境付近で向かい合い、囃子・踊りの競演を展開します。
本石下の千貫神輿の白丁(ハクチョウ)装束は、白布の狩衣で高貴の方へ奉仕する支度から神輿装束として、神輿と共にはるばる京から伝わったものといわれています。全国的にも稀な装束といわれています。
開催時期 8月15日
場所 地域交流センター(豊田城)駐車場
概要
将門公の遺領旧豊田郡に伝わる盆踊りは,古くは森の広場や社寺の境内などで焚火を囲んで唄を投げあい,口々に囃子たてながら踊られていました。
厄病除けやふれあいの場としての長い歴史の中で現代に受け継がれた全国的にも数少ない大衆民族舞踊のひとつです。
毎年8月15日に約1,500個の提灯と2基の竿灯が美しく飾り立てられ,にぎやかにはやし立てると,近郷近在から集った1万人を超える踊り子と観衆が,
一体となって「のろばかおどり」に熱狂し出します。お囃子は,大太鼓,小太鼓,笛,鐘などで,独特の調子にふるさとの郷愁を精一杯漂わせます。
唄は,見物人を踊りに引き込むためのものと,途中全体の気分を盛り上げるものなどいろいろな歌詞がありますが,昔は誰かれなく即興的に作って唄うことが普通でした。
踊りは比較的簡単で,行進の振りにわずかな品をつけ,手拍子を境に数拍子で終わりますが,連続して左方向に踊り進みます。また,誰でも溶け込みやすく,踊りの姿はなかなか美しく野趣に富み,人それぞれに振り付けができるのが特徴です。
近年は地元団体によるソーラン踊りを披露したり、花火を打ち上げたりするなど終始楽しめるような工夫をこらしています。
開催時期 8月第五土曜日
場所 鬼怒川河川敷 橋本運動公園
概要
常総きぬ川花火大会は、昭和24年の旧水海道町の時に、関東花火競技大会としてスタートし、昭和30年までの7年間は競技大会として開催され、その後昭和41年からは協賛金を募って行われる花火大会として現在まで続き常総市の夏の風物詩として市民から長年親しまれてきました。途中何回か中断がありましたが、2007年で通算43回となりました。
常総きぬ川花火大会は、2004年、水海道市花火大会の時に花火大会を紹介する情報誌で「全国必見花火大会10選」に選ばれ、また、2007年には、ちくま新書「日本の花火」にて全国厳選花火大会として紹介されるなど、全国の花火ファンより注目の大会として認識されております。2006年1月1日の水海道市と石下町の合併による常総市誕生で、
2006年、2007年は、名称を常総市みつかいどう花火大会として開催し、9万5千人余りの観客に深い感動を与えることができました。
200mのナイアガラ富士が夜空に現れるオープニング花火で始まる花火大会は、日本の優秀な花火職人が心を込めて製作した花火が堪能できる高品質な花火大会として花火通の皆様よりお墨付きを頂戴いたしております。
内閣総理大臣賞を通算7回受賞の日本一の花火師、野村陽一氏の花火打ち揚げをはじめ、日本煙火芸術協会の会員による創作花火競技会「ファイヤーアートコンテスト」、日本の偉大な花火芸術家4人が究極の芸術花火を披露する「花火ミュージアム」、全国から選抜した花火名人の新作花火を披露する「全国花火名人新作花火コレクション」、そして大会のラストを飾るのは300mの幅で花火と音楽が一体となって繰り広げる音楽花火「ハナビリュージョン」、コンピュータでコントロールされ音楽に高精度にシンクロする10分間の花火ショーは国内の花火大会でも中々見ることのできない秀逸なプログラムで常総きぬ川花火大会のメインイベントでもあります。
開催時期 9月13日
場所 一言主神社境内
概要
言行一致の神として広く知られている一言主神社。毎年9月13日の例大祭には、江戸時代から伝わる「綱火」が奉納されます。
綱火とは、花火のついた人形(木偶)が空中に張り巡らされた綱によって操作される一種の人形芝居。別名「からくり綱火」とも言われます。(ほかに糸操花火・糸操りとも称される。)
三番叟(さんばそう)・仕掛け万燈・当日の芸題の3部から構成されます。
三番叟(さんばそう)とは綱火の奉納に先立ち、東西南北を清め固める、つまり邪気を払う舞であり、五人の引き手によって操られます。
仕掛け万燈に火がつくと、花火は中央から傘の部分へと美しく変化していきます。そして万燈の天辺に止まっている鳳凰に火を吹き始め秋空高く舞い踊ります。最近では鳳凰に変わり子供達に人気のキャラクターを取り入れることもあります。
当日の芸題は「安珍と清姫」・「那須の与一」・「鯉の滝登り」など67演目を数える『芸能目録之図』<文久4年(1864年)版>から一つ選び実施されます。演し物(だしもの)が一瞬のうちに空中で変化したり、7色の火を噴きながら空中を踊る姿は、実に華麗で雄大な花火です。
上演に先立っては出しものを紹介する口上が述べられます。一言主神社に保管される『糸操年代記』には文化元年(1804年)から明治34年(1901年)までの演題の記録があり、97年間に27回の綱火興行が行われたことを証しています。
葛城流の名は、一言主神社の祭神を大和国葛城山から遷宮したことにちなんだものと伝えられるが、いつごろ用いられるようになったかは定かではありません。この綱火の由来を示す確たる資料は見出されていませんが、万治2年(1659年)、大塚戸村向山坪に三峰神社(明治42年一言主神社境内に合祀)が開基されるにあたり、村民が花火を奉納したのが始まりとされています。終戦直後の昭和22年(1947年)には諸般の事情により一時中断されましたが、昭和44年(1969年)「大塚戸芸能保存会」により復活し現在に受け継がれています。また、綱火のまえには社殿において神楽舞も奉納され、この神楽舞は(1)四方固め(2)御幣の舞(3)鈴の舞(4)喜の座から構成され、綱火に遅れて奉納行事に加えられたと伝えられています。
平成11年、茨城県指定無形民俗文化財に指定されました。