今年は内外の指導者論が一段とにぎやかになる。米中露仏韓台でトップの改選・交代が行われ、日本でも民主、自民両党の党首選が秋に予定されているからだ。
暮れのあるパーティーで耳にはさんだ次の話は、指導者論の前座のようなエピソードである--。
昨年11月、麻生太郎元首相と高級官僚OBが韓国に招かれ、シンポジウムに参加した時だ。全斗煥(チョンドゥファン)時代のバリバリの反日論客が登場し、
「日韓関係はよくない。日本は『竹島なんかくれてやる』と言えばいいじゃないか」
と挑発した。麻生が応じる。
「韓国も大変だろう。ひとつ、日韓で合意して、竹島を爆破したらどうか」
「……?」
「ただし、これは、韓国の専門家に聞くと、30年前に田中角栄さんが言ったことだ」
竹島爆破を口にしたのは田中でなく、金丸信だ、いや某韓国大統領だ、と諸説ある。だが、田中に似つかわしい話、と思いながら聞いた。
ところで、リーダーの力量は首脳外交で試されることが多い。戦後日本でも、対日講和、日ソ復交、安保改定、沖縄返還、日中正常化、ロン・ヤス関係、電撃訪朝などで首相の名前が残る。
なかでも、田中首相によるユニークな野人外交の印象が強い。1972年9月、北京での日中正常化交渉。初めて周恩来・中国首相と人民大会堂で向かい合った時、田中はまず、
「蒋介石をどう思うか」
と聞いた。交渉の最大のネックが台湾問題で、当時、蒋は中華民国(台湾)総統、中国と敵対している。周は言下に、意外な答えをした。
「彼は中国人の代表だ」
「しかし、あなたたちは追いかけたり、追いかけられたり、死刑の判決をやり合ったりしてきたではないか」
と田中はたたみかけたが、
「蒋介石は世界に誇る中国人の代表の一人だ」
と周は再びきっぱり言う。
「なぜか」
「あなたも知っているように、あの第二次世界大戦を通じて、一国の統帥権を連合国に委任しなかったのは蒋介石だけだった」
田中はさらにズケズケと言い、2人は短時間のうちに信頼関係を深めていく。
「周首相の答えを聞いて、懐の深さにびっくりした。ただ者でない。傑物だ」
と、田中はのちに述懐した。
翌73年10月の訪ソ。クレムリンでブレジネフ書記長、コスイギン首相に田中はのっけから切り込んだ。
「日本人はソ連に対して許せないという感情がある。それは昭和20年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って参戦したからじゃない。日本があっさり無条件降伏した時に、中国政府は大陸にいた数百万人の日本軍兵士や在留邦人を『母のもとに帰れ』と送り返した。ところがソ連は何十万という関東軍の兵士をシベリアに連れていったじゃないか」
ブレジネフが即座に反論した。
「中国は飯を食わせられないから、口減らしのために早く返したんだ」
「何を言うか。多くのわが同胞に酷寒のシベリアで飯もろくろく食わせず、(同胞は)無念の思いで死んでいったんだ」
田中の野人外交はこんな調子だった。金権政治家のレッテルを貼られながら、いまだ人気が衰えないのは、国を背負う指導者の気概を、世間が田中に感じ取っているからではないか。
以上、リーダー論の導入部として。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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毎日新聞 2012年1月7日 東京朝刊
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