ここから本文です

解決済みの質問

知恵コレに追加する

男尊女卑の由来

lemu_marineさん

男尊女卑の由来

たとえば、土俵上に女は入るなとか、
ここは神聖な場だから女は入るなとか参加禁止とか
昔から言われ伝え続けられているものがあると思います。

女=神聖ではない=汚い

というのはどこからの発想なのでしょうか?

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kuro_srcさん

赤不浄…つまりは月経があるのでヨロシクナイという発想は仏教・神道に共通しています。
ですが縄文・弥生文化では地母神信仰があったということから、日本で女性が不浄だという思想が起きたのはおそらく仏教伝来前後ではないかと思われます。
日本書紀や古事記が編纂された頃には、もうすでに女性蔑視的な思想があったのではないかとも思います。
記紀ではイザナミが「自分の身体には足りないところがある」と言っている場面があり、女性の身体的特徴を指してしているばかりではないと思います。又、国産みではイザナミが先に声を掛けた為にヒルコ(人ではない未熟な存在)が産まれてしまったと記されています。女が先に男に声を掛けるのはよくないと明記されてもいます。

女性は結婚すると大抵(一部を除き)嫁ぎ先の家に所属する事になります。
そうすると女性に財産の所有を認めると、財が流出し家の力が弱くなります。ので、それを阻止するべく、自然な流れで男尊女卑というものが成立してしまったのではないかと思われます。(大変腹立たしい事ですが)

多くの宗教では女性は堕落の象徴とする事が多いですが、単に己の欲に負けた意思の弱い人間の言い訳だと自分は思います。

この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!

この質問・回答は役に立ちましたか?
役に立った!

お役立ち度:お役立ち度 3点(5点満点中)1人が役に立つと評価しています。

ベストアンサー以外の回答

(2件中1〜2件)

並べ替え:回答日時の
新しい順
古い順

 

bagdat_cafeさん

全部一括で扱うのは無理があります。

近いところから。
江戸時代の武家社会では、戦争=切り合いが仕事だったため、流血を不吉としました。
ゆえに女性の月の物は不吉とされました。これが更に転じて、女性は不浄といわれるようになりました。
御家のためには子孫繁栄が必要なのに、出産自体は不浄とされ、子が生まれると夫は不浄休みを取りました。
これも出産の時子供が血まみれで生まれるからです。

土俵は神様にささげる相撲を取る所ですから、神聖なところです。
この場合は、相撲関係者以外は、神様に対して神聖な神職しか上がれません。
当時、神職に女性が居なかったので、女性は上がれなかったのです。

これが古代になると、巫女が神職ですから、そういうことは無いのですが、
巫女と言うのは神様の嫁=女なのですから、本来男が参加する祭りに係わるのは「穢れる」のでだめなんです。
巫女の場合、時代が女をどう扱うかによりその地位は変動してますのでさまざまな例がありますが、基本はそういうことです。

武家が台頭してからは、女=子(跡取り)作り装置としての役割が大きくなり、囲って孕ませる事が目的となり、
男の付属物としてその権威は失墜してしまいました。

これとまったく別なのが、山の神。
山の神は古代の地母神信仰を引きづり、豊穣をもたらす女神として扱われてきました。
このため、女、特に若くて美しい女が入山すると嫉妬して山の恵を与えてくれないとされてました。
生活に直結した里山は別にして、女性に入山規制が掛かっていた山は女尊からきています。

出産に関しては、公家と武家でも違うというか、ズレタというか。
公家社会では出産は穢れではなかったんです。
その証拠に、悪鬼が取り付かないように、出産の際は弓を射る真似をしたり、身代わりを立てたりしています。
この際は当然邸内に特別な部屋を設えて、準備万端出産に備えるのです。
これを武家が真似したんですが、流血を忌むことから、出産を守るための部屋が、隔離部屋になってしまった。
この「別室で産む」ということがなおさら女卑に繋がっていきました。

相撲にも通じるのですが、祭りに関してはさらにめんどうですので、簡単な例で。
よく女が参加できない祭り、と言うものがありますが、あれは基本的に男が神様へささげる男祭りです。
そういう祭りがあるところでは、原則的に女祭りと言うのがあるのです。
無い場合は、奉納祭りに名を借りた、「女を喜ばせるための」祭りです。
男祭り、女祭りは取り決めがあるわけで、男祭りに女が出ちゃいけません。
いかし男祭りは勇壮がウリなので、現代でも残っている差別祭りでは、男祭りの方が圧倒的に多いのです。
勿論、女祭りに男は入れません。
で、女を喜ばせる祭りというのは、主に農村部でおこなわれていたもので、
早い話が、何も無い農村に、いまでいうクラブを立ち上げた様なものです。
男が祭りで男らしいところを見せ付けて、女がこれに喝采を送る。勿論その後は激しいメイクラブが待ってるわけです。
言っちゃなんですが、男性ストリップショー、お持ち帰り自由、って状況です。
農村では夜這いの風習も盛んだったので、その一環みたいなものでした。
ですから、祭りをする側に女がいたらおかしいのです。女は沿道でキャーキャー言ってくれないと。

なんか、男尊女卑の起源とはずれた話になってしまった。
日本の男尊女卑は、世界的に見て、そんなに酷くないですよ。
武家社会になって、男系の跡取りを生ませるために、女が他の男としないようにした、武家の状況が基本ですが、
明治初期まで農村では夜這いがまかりとおっており、既婚者への夜這いまであったくらい。
中央集権で法律作った時、家単位で国民を縛る必要から、武家の方法を取り入れて、
男に家長としての権限を与えただけですから。
だから、家長と跡取りが一気に死んだら、女性でも家長(戸主)になれた、というか、ならされた。
レディーファーストの西洋こそ、女を「小奇麗な物」として扱ってるんですよ。
吉原で花魁に冷たくされても喜々として通い続けるのとおんなじ。
ヤルだけの相手と思えば、小奇麗にしてあげたいし、ヤルために親切にもする。そうして自分の評判も上げる。
言っちゃなんですが、女郎買いとおんなじですよ。

szidama84さん

昔からあったでしょうが、江戸時代ぐらいからきつくなったと思います。
幕藩体制を堅固にするため、武士道・家制度を作ったころからだと思います。
戦国時代には、女性の大名も存在しています。

PR

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。

お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。

話題のキーワード

[カテゴリ:歴史]

ただいまの回答者

11時03分現在

2950
人が回答!!

1時間以内に5,910件の回答が寄せられています。

>>回答ひろばに行く