第二次世界大戦の混乱の最中、
世界で活躍するジャーナリストが集まり…。
▼1940年代、外国人映画記者が集まる団体の誕生。
第二次世界大戦の最中、情報伝達をよりスムーズに行えるよう、ロサンゼルスを拠点に世界で活躍するジャーナリストが団結。「宗教や人種による差別のない集団」をモットーに、1943年にHFPAの前身となるHollywood Foreign Correspondents Associationが誕生した。
▼1944年、ゴールデン・グローブ賞の始まり。
Hollywood Foreign Correspondents Associationは、世界のプレスを代表する存在として、ハリウッドの作品に関する評価を人々に提供する義務があると考えていた。そこで1944 年、映画産業の実績を賞する会を開催。しかし当時は20世紀フォックスのスタジオで行われた非公式のパーティーだった。記念すべき第一回作品賞に輝いたのは「聖処女」で、主演のジェニファー・ジョーンズは女優賞とのダブル受賞を果たした。翌年、団体は賞を代表するトロフィーの案を募集。当時の団体代表が黄金に輝く地球を映画のフィルムが包むトロフィーを発案し、まさにゴールデン・グローブ賞の精神を表現したものになった。
▼1950年代、団体の分裂とハリウッド外国人記者協会(HFPA)の誕生。
1950年は団体にとって大きな転機となった。考えの違いによりグループは2つに分裂してしまうが、1955年に「Hollywood Foreign Press Association」という新しい名のもと、再スタートをきった。また時を同じくして、ゴールデン・グローブ賞の内容も大きく変化。ジャンルに偏らない評価をするため、1951年には映画の部を「ドラマ部門」と「ミュージカル・コメディ部門」に分けた。また、1952年にはセシル・B・デミル賞を創設。より大きな視点から映画界に貢献した人物を賞賛できるようにしたのだ。
▼1955年、テレビの部が新設!2007年、アニメ作品賞を導入!
映像業界における功績を、より正当に評価し、よりわかりやすく視聴者に届けたい。その想いから、HFPAは賞の内容を進化させた。1955年には、テレビの部を新設。2007年には、アニメ作品賞を導入。映画の部で14、テレビの部で11、計25の賞と、独自のセシル・B・デミル賞から成る現在の形が完成した。