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【ゴルフ】杉原輝雄さん死す2011年12月29日 紙面から がんであることを告白、闘病を続けながら現役にこだわった男子ゴルフの杉原輝雄氏が28日午前8時30分、前立腺がんがリンパに転移し、大阪府の自宅で死去した。74歳だった。プロ通算63勝。中日クラウンズで51年連続出場の金字塔を打ち立てた、しぶとい名ゴルファーだった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日お別れ会を開く予定。喪主は長男でプロゴルファーの敏一氏。 プロ生活54年。生涯一選手を貫いた巨星・杉原輝雄さんが他界した。最後まで諦めないプレーぶりから“マムシ”“勝負師”の異名を持ち、存在感と器の大きさから“プロゴルフ界のドン”とも称されていた。 “ドン”としての存在を知らしめたのが1999年2月15日だった。その前年から男子プロゴルフ界は揺れていた。ツアーの改革を掲げて選手会などが日本プロゴルフ協会(PGA)から分離独立し、トーナメント主催者などと手を組んで「日本ゴルフツアー」を結成、これを認めないPGAと衝突した。話し合いを持つも二転三転、泥沼状態に陥っていた。そのとき、PGAの全権委任を受けた杉原さんと金井清一プロが新ツアー側と話し合いを持ち、「ゴルフツアーは日本ゴルフツアーが管理、運営する」などの方針をまとめ上げた。その直後の記者会見で杉原さんは「私は顔を出しただけだが、納得のいく結論。来て良かった」と謙遜したが、杉原さんがいなかったら今の男子ツアーはなかったかもしれない。 トーナメントでの囲み取材の際に、疲れているだろうと思い「いすをどうぞ」と勧めても、決して座らずに立ったまま取材を受けた。あの凜(りん)とした立ち姿は、今でも記者の目に焼きついている。もう一度元気にプレーするお姿を拝見したかったが残念です。ご冥福をお祈りします。 (ゴルフ担当・櫛谷和夫) PR情報
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