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きょうのコラム「時鐘」 2012年1月6日
きのうの「新年文芸」に、つい口元がほころぶ短歌があった。「湯上がりにシップ貼(は)り合う老(おい)二人四十インチの地デジの前で」。野々市市の中西名菜子さんの作
頼みもしないのに地デジ放送となり、買い替えるなら美しい大型画面にという宣伝に乗せられた、と察(さっ)する。わが家もそうで、狭い部屋に殿様みたいにふんぞり返っている もう慣れたが、鮮(あざ)やかな画面である。見たくもない大女優のしわまで映す。政治家の表情も同様で、落ち目になるにつれ、目の輝(かがや)きが薄れるのがよく分かる。前首相がそうだった。現首相も、そろそろ怪(あや)しい。地デジ、恐るべし 中西さんの歌。ほほえましい夫婦と大型画面とがどこかちぐはぐで、そのズレが面白い。そう思って眺(なが)めているうち、ふとさみしさも覚(おぼ)えた。昨年は、大型画面からは美しい自然以上に、痛ましい災害の光景が多く流れた。明るい笑顔に交じって、為政者(いせいしゃ)たちの卑屈(ひくつ)に映る作り笑いも多く見せつけられた。心弾(はず)む地デジ放送では決してなかった 湯上がりのくつろぎの時には、明るいニュースや番組がふさわしい。地デジ元年、出直せないものか。 |