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[30846] 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したら TOP
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:52
NEW
(´・ω・`)タイトルとはかくも難しきかな・・・不評なのでやっぱり戻しますね
私の中の厨二病を全開にした改心の出来だと思ったけど、なんか、今顔が凄く熱いです。
これが・・・黒歴史というものなのですかな・・・


タイトル難しい・・・

正式タイトル
Paradox night ~ The story begins continuation of a dream ~ 
ただ、nightの後を書くと元のタイトルが見えないのでしばらくはnightまでで・・・。


タイトル、及び板を変更しました。
タイトルの由来は・・・恐らく、物語が進むにつれて判るかも?

/////////////////////////////////////////////////////
次話でプロローグを数に入れずにようやく話数が二桁になるので、タイトルを変えようかと思います。
色々考え中なのですが、何かご意見などあれば幸いです。中々難しいですね、タイトルを考えるって・・・。


やっぱり、しばらくはこのままで・・・

名前、考えてみました。意味は読んだ通りですね。矛盾の聖杯神話。
各話のタイトルも変更していきますね。

だいたい雨生龍之介君のせいでこうなった的なタイトル決定だったので、真剣に考えるとなるとなかなか浮かばない・・・。

現在、名前を考え中です。ネーミングセンスがないので時間はかかりますが・・・うーん、どうしよう。
仮名として、ルアベ様のネタ・雨生龍之介がバーサーカーを召喚したことによるバタフライエフェクトを採用させて頂きました。
名前が考え付くまでこれでいかさせて頂きます。
本板移行は話数が二桁になったらで・・・。
地味にまだプロローグと初戦の段階なもので

この度、設定に不備があり、お読み下さった方の御気分を害させてしまいました事を深くお詫び申し上げます。
公式で不明な設定を私なりの解釈によりストーリーに組み込んでおります事をここに記させて頂きます。

また、こちらの不手際ですので、大変申し訳ありませんが、感想欄においての他の感想への横レスは御自重頂きたく願います。
ネタばれを危惧し、皆々様の感想への返信は致しておりませんが、いつも励みとさせて頂いております。
真に、ありがとう御座います。
設定の不備に起きましては、真に申し訳ありませんが、プロットの都合上、改変出来かねますので、ご了承願います。

※修正前のタイトル
第零話 ネタ・雨生龍之介がバーサーカーを召喚したら
第一話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したせいで大迷惑した人々の話1 今回の被害者:アインツベルン一家、間桐一家 
第二話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した最大のとばっちりを受けた人⇒遠坂時臣さん
第三話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した後始末に借り出された人の話
第四話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に作戦変更を余儀なくされた人の話
第五話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に異なる相手と戦う事になった人の話
第六話 雨生龍之介がバーサーカーを呼んだために方針を変える必要に迫られた人の話
第七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に自らの意思で戦場に立った人の話
第八話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したせいで話を聞いてもらえず溝が出来た二人
第九話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したために悲しむ少女



[30846] 第零話 ネタ・雨生龍之介がバーサーカーを召喚したら
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:48
 幼い少女は目の前の光景を夢だと自分に言い聞かせ続けた。
 恐怖から逃げる為に、哀しみから逃げる為に。
 少女の目の前で行われている凄惨な行為と聞こえて来る嗚咽は現実では無いと必死に思い続けている。
「ああ、もうちょっとだから待ってなよ。そんなに待たせないからさ」
 死神は気味の悪い薄笑いを浮かべ、少女に言う。
 垂れ流した小水の匂いを気にする余裕すら無い。
 必死に頭の中で助けを求めた。敬愛する父に、愛する母に。
 初めに父に教わった事など、頭から消し飛んでいた。
『■■■は死を容認する者だ』
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 忍び寄る死神の鎌を間近に感じながら少女は助けを求め続けた。否定し続けた。
 この悪魔の祭壇から自分が救い出される事を祈り続けた。

 ――――一週間前。
「うぅん? これ、何か違うよなぁ」
 首を捻る若い男。男の視線の先には奇妙なオブジェが置かれていた。
 細長い棒に貫かれた丸い物体が三つ。
 見た目は茶屋に売ってる団子のようだ。滴り落ちる液体がまるで御手洗団子のタレのようだ。

 彼、雨生龍之介は新たなるステージに立とうともがいていた。
 努力は勿論怠らなかった。
 古くは全盛期たる中世のヨーロッパの書物から、最新の書物やビデオ、果てはゲームに至るまで、参考に出来る資料は悉く目を通した。
「コレじゃ駄目だ。こんなんじゃ、幼稚園のガキが作る粘土細工以下だ」
 彼は作り上げたオブジェを蹴り飛ばすと、飛び散った液体が絨毯の床を汚す様子にムムッと閃きを覚えた。
 創作とは、ただ作るだけに非ず。
 龍之介は天啓を得たかのように身震いしてオブジェに手を伸ばした。
 コレだけじゃ足りない。
 龍之介は絶望した。オブジェを作る過程で材料を使い過ぎてしまったのだ。
 龍之介は腹立たしさを感じてオブジェを蹴り飛ばした。
 今度は液体だけではなく、いろいろなものが飛び散った。
 原型は殆どわからない。微かに歯や爪や毛が他と違う事を色や硬さで主張している程度なものだ。
 三つの巨大な肉塊は材料は人間だった。
 一つにつき一人。
 龍之介の創作のための工房と化したこの家の主とその妻、そして、その娘だったものだ。
 なるべく、死んでしまわないように丁寧かつ慎重に肉体をこそぎ落し、ミキサーで細かく砕いて少しずつ肉団子を作っていき、かれこれ十二時間、苦労して作り上げた一品だったが、もはや龍之介には価値の無いものに成り下がった。
「ってか、まずはデザインだよなぁ。折角なら、一発目は胸に残る素晴らしいモノにしなくっちゃ」
 龍之介はそう決めたと同時に龍之介は家を飛び出した。向かう先は五年振りとなる自宅。

 深夜遅く、両親が完全に寝静まった時間になって、龍之介は裏庭にある土蔵に潜り込んだ。
 家人にすら放棄された土蔵の中を引っくり返す。
 途中、最初に龍之介に殺人の快楽を教えてくれた姉の変わり果てた姿が眼に入ったが、特に感慨も湧かずに適当な所に捨て置いた。
 インスピレーションを刺激してくれるようなものがあるのではないかと期待したのだが、あまり胸に響く物は無かった。
 無駄足だったかと思い、落胆の溜息を吐きかけると、龍之介の目に一冊の朽ちかけの書物を見つけた。
 大分古い品らしい。
 薄い和綴じで、虫食いだらけのその本は印刷された一般的な本では無く、個人の手書きによる手記らしかった。
 幕末期に記されたらしい手記を龍之介は学生時代に齧った漢書の知識を元に読み進めた。
 妖術、サタン、式神、人身御供、オカルト的な単語が次から次へと飛び出してくる。
 龍之介は舌なめずりをしながらコレだ、と思った。
 ただでさえ、実家の蔵からオカルトめいた書物が出てきただけでもCOOLでFUNKYだというのに、書物の中には今の龍之介の求めるモノが描かれていた。
 人身御供という時代錯誤な行為も雰囲気という絶妙なスパイスになると龍之介は考えた。
「霊脈……ねぇ。えっと、これは……冬木? 聞いた事無いなぁ。ま、いっか。探せばあるだろ」
 龍之介は古書を片手に姉の遺体を踏み砕き冬木へと向かった。
 新たなるステージへの第一歩を踏み締める為に。
 殺人という、一般の人間からはおよそ理解の得られない行為に熟達する為に。

 冬木に足を踏み入れた龍之介はその剽軽さと謎めいた居住まいから醸し出す余裕と威厳から来る蠱惑的な魅力で誘蛾灯の如く夜遊び中の家出娘を誘うと、深夜の廃棄された工場で早速和綴じの古書の内容を再現する事を試みた。
 ――――儀式殺人。
 その殺人スタイルは龍之介に斬新な刺激を与えた。
 その上、これまでに培ってきた殺人のノウハウが全て活用出来る。
「最高だ。マジで最高だぜ! もっとだ、もっと殺そう。今度はもっと繊細に、もっと大胆に!」
 龍之介は家出娘の血で描いた和綴じの古書に描かれていた魔法陣をそのままに再び夜の冬木に駆け出した。
 魔法陣は中々に複雑な形状をしている。
 もっと繊細に描く為の筆が必要だ。もっと大量のインクが必要だ。そのインクを注ぐ器が必要だ。

 龍之介は獲物を見繕う為に近場の小学校の周囲を徘徊した。
 昔から、生贄といえば女か子供だ。
 短絡的な思いつきだが、数人捕獲するのは中々の重労働が予想される。
 今夜の宴の準備は大変そうだが、それも後の楽しみの為の下準備なのだと思えば苦にならない。
 龍之介は小学校の放課後のチャイムが鳴り響くのを聞くと校門の見える少し離れた場所に潜んだ。
 見繕うにしても、あまりにどうどうとし過ぎると不審者扱いされる可能性がある。
 その程度の常識は龍之介も持ち合わせていた。

 しばらくすると、二人組の少女が校門を出て来た。
 他にも数人の子供が校門を出たが、どれもパッとしなかった。
 龍之介はニヤリと笑みを浮かべると、二匹の獲物の後をゆっくりと追いかけた。
 しばらく歩くと少女達は一件の小さな家に入って行った。
 どうやら、あの家が二人の内のどちらかの住まいらしい。
 龍之介はしばらく家の前で待つ事にした。幸いにも時間を潰すための本は持っている。
「これって、呪文って奴なのかな」
 書物の中の一節を指で撫でながら龍之介は口元に笑みを浮かべた。
 空が暗くなり、遠くからサラリーマンの男が家へと入ろうとするのと入れ違いに二人の少女の内の一人が外へ出た。
 龍之介は書物をポケットに仕舞い込むと、颯爽と歩き出した。
 キョトンとした顔をする黒い髪を両サイドで束ねた少女に優しげに微笑むと、その首を掴み、龍之介は玄関に向かって少女の頭を叩き付けた。
 鈍い音がして、少女は気を失い、家に帰って来たばかりの父親らしき男は何事かと目を丸くしながら飛び出してくる。
 男はまず初めに龍之介を視界に捉えて怪訝な顔をして、次にグッタリとした様子で地面に倒れる少女を見て目を見開き、龍之介の手が伸び、スタンガンを押し当てられた事で白目を剥いて倒れ伏した。
「あなた!」
 中から若い女が飛び出して来た。
 龍之介はクロスカウンターを決める勢いでその首筋に拳を振るい、奇妙な呻き声を上げる女にスタンガンを押し当てた。
「はい、いっちょあがり」
 龍之介は少女と男と女を玄関に放り込むと、玄関の扉を閉めた。パーティーの始まりだ。

 少女が目を覚ました時、自分の体が拘束されている事に気が付いた。
 何事かと考える暇も無く、次に目に飛び込んできたのは一体のミイラだった。
 骨に皮を被せただけのような気味の悪い人型。
 そして、その隣を見た瞬間、少女は猛烈な吐き気に襲われた。
 それはまるでマスクを被っているようだった。
 どす黒く変色し、膨れ上がった人間の顔。あまりにも醜悪なオブジェに少女の心は一瞬にして揺らいだ。
 普通の人間よりもずっと人の死に対して寛容であるよう教育を受けてきた少女の心は揺らいだ。

 龍之介が家の中に入って一番最初にした事はもう一人の少女を眠らせる事だった。
 これは簡単に成功した。殺して仕舞わない程度に殴るだけだ。
 何十人も殺している内に力の加減を体が覚えたのだ。
 次に龍之介は父と母、そして、娘とその友人たる少女を縛り上げ、拘束した。
 目が覚めるまでは大分時間がある筈だ。
 一番広い部屋を探し出して椅子や机をどかす。まずはキャンバスを整える。
 家具類も何もかもを廊下に放り出して、四人を部屋に運び込むと、龍之介はせっせとチョークで魔法陣の下書きをし始めた。
 これが中々の重労働で、たっぷり数時間掛かってしまった。
「これで、ヨシッと!」
 額から流れる汗を服の袖で拭い、龍之介はキャンバスに描かれた下書きを見て満足気に笑みを浮かべた。
 すると、丁度良くインクとパレットの素材が目を覚ました。
 生贄の方はまだ眠りが深いらしい。
 眠っている所を起こすのも悪いかと思い、龍之介はノコギリとトンカチと大きな釘を用意して起きたばかりの男の下へ向かった。
「おっはよー!」
 龍之介が満面の笑みを浮かべて挨拶すると、男は戸惑ったような表情を見せたが、直ぐに自分が縛られている事に気が付くと憤慨した様子で喚き始めた。
 龍之介は罵声のBGMを聞きながらおもむろに包丁を男のコメカミに当てた。
「何をする気だ!?」
 恐怖に顔を引き攣らせる男に龍之介は答えなかった。
 ここから先は匠の世界なのだ。
 意識を研ぎ澄まし、ゆっくりと包丁を皮膚に差し入れる。
 絶叫が響き渡り、朦朧としていた男の妻が完全に目を覚まし、目の前の凄惨な光景に悲鳴を上げた。
 龍之介はその悲鳴を楽しそうに耳にしながら、男の頭皮を削ぎ続けた。
 溢れる血飛沫と香る鉄錆の香りに気分が盛り上がり、龍之介は鼻歌を歌った。
「さてさて、お次はコレ」
 そう言いながら、龍之介は男の頭蓋に釘を軽く差し、トンカチで叩き始めた。
 絶叫と悲鳴のコーラスはもはや止んでいた。女は気を失い、男は呻き声を微かに上げる程度だ。
 つまらない、そう感じながらも龍之介は作業を続けた。
 頭蓋を釘で少しずつ割っていき、やがて無数の穴が開けられると、龍之介はノコギリで頭蓋に開いた穴を広げていき、天井部分を取り外した。
 溢れる血潮と脳味噌に龍之介はやり遂げたという歓喜の笑みを浮かべた。
 包丁で血管や神経を一気に切り裂いていく。男は最後に大きく目を見開いて絶命した。

 脳味噌を取り外し、目玉も取り外し、口や眼孔を接着剤で固めると、今度はインクの準備に取り掛かった。
 注射器を用意し、女の腕の血管に差し込むと、女が微かに呻いた。
 龍之介は意識に入れることすらなく、集中して血液をボウルに移し変えていく。
 手間と時間を掛けながら更に数時間、女の体は骨と皮だけになり、すっかりと血の気を失っていた。
 当然だろう、女の血は龍之介が全て抜き取ったのだから。
 龍之介はボウルやコップに注ぎいれた女の血を次々に空になった男の頭蓋に注ぎ込んだ。
 どんどんとどこかへ吸収されていってしまうが、しばらくするとそれも収まり始めた。
 鼻から血が流れ落ちてきた時は焦りを覚えたけれど、そこも接着剤で固める事で事無きを得た。
「あとは、筆だな」
 龍之介はすっかり変わり果てた女の腕を鋸で切り落とすと、そこに接着剤で女の髪を貼り付けた。
 丁寧に作り上げた筆は中々に傑作で龍之介は恍惚の笑みを浮かべた。
「さぁて、描くぞぉ!」
 筆先を男の頭蓋に突っ込み、女の血というインクをしっかりと染込ませて下書きに向かって筆を滑らせる。
 ゆっくり、ゆっくりと。

 インクがすっかりどす黒い個体に変わる頃になると、魔法陣はすっかり完成した。
「完成だ!」
 龍之介は歓声を上げた。
 完璧だった。火の打ち所の無い完璧な魔法陣だ。
 後はしばらく前から目を覚ましている二人の少女を生贄にして呪文を唱えるだけだ。
「いやぁ、待たせちゃってごめんね。漸く、準備が出来たところなんだよねぇ」
 龍之介がゆっくりと近づくと、二人の少女は恐怖に引き攣った表情を浮かべて体を揺り動かした。逃げようともがいているらしいが、完全に体が拘束されている状態では滑稽な踊りを踊っているようにしか見えない。
「とりあえず、一人は生贄、一人は餌って所かな」
 龍之介はまるで遊園地の乗り物の受付をしている好青年の如く爽やかな笑みを浮べ、インクと筆とパレットの素材の娘を魔法陣の上に置いた。
「やっぱりさ、折角悪魔を召喚するんだから、何も無しってんじゃ、つまんないだろう?」
 龍之介はタオルで猿轡を噛まされた少女に語りかけるように言った。
「ほら、こうやって、悪魔の召喚の儀式なんてやるわけだし、万が一本当に悪魔とか出てきちゃったらさ、何のお持て成しも無しに茶飲み話なんてかっこ悪いだろう? だからさ、君には出て来た悪魔さんに殺されてほしいんだ。ね?」
 男の言葉に少女はくぐもった悲鳴を上げた。
 それがおかしくてたまらない様子で龍之介は笑った。
 そして、魔法陣の上で倒れこみ、汚水を垂れ流す少女にネイルガンを持って近づいた。
「駄目じゃないか、おしっこなんてしちゃ。せっかく描いたのにずれちゃうだろう?」
 粗相をした少女を叱りながら龍之介は少女を縛るロープを切ると、逃げ出そうとする少女を捕まえて、その右手を床に押し付けた。
 ネイルガンをその手にゆっくりと近づけ、引き金を引いた。
 少女の悲鳴が響く。
 ネイルガンから打ち出された釘は少女の手を床に縫いつけた。
 龍之介はそれから更に何度も釘を打ち、少女の手を沢山の釘で完全に縫いとめた。
「はい、右手終わり。次、左手ね」
 少女の左手も同じように縫いとめる。
 手の次は足。足の次は腰、次は肩、次は太腿。全身を縫いつけ終わると、全身を苛む痛みに苦悶の声を上げる少女に龍之介は愉快そうな笑みを零しながら和綴じの書物を開く。
「さぁて、こっからだ」
 両手を擦り合わせ、龍之介は大きく深呼吸をした。
 ここまでやったのだから、最後までしっかりと決めないとかっこ悪い。
 気合を入れて、書物に記された悪魔の召喚の呪文を龍之介は読み上げた。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。っと、これで五回? 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。これでいいんだっけ」
 その言葉を耳にした瞬間、餌にする少女の悲鳴が止まった。
 不思議に思って視線を向けると、少女は目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。
 龍之介は首を傾げながら呪文の続きを唱えた。
「えっと、次は――――痛ッ!」
 龍之介の高揚した気分に鋭い痛みが水を差した。
 右手の甲に何の前触れも無く、まるで焼印か劇薬を浴びせかけられでもしたかのような痛みが走った。
 直ぐに収まったものの、痺れるような痛みの余韻はしばらく残り、何ごとかと目を向けると、そこには奇妙な刺青が刻まれていた。
 こんな刺青に心当たりの無い龍之介は不思議に思いながらも悪魔召喚の儀式の途中である事を思い出し、呪文を再開した。
「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ! なんか、気分盛り上がってくるなぁ、こういう感じの台詞ってさぁ」
 同意を求めるかのように龍之介は餌の少女に顔を向けるが、少女は顔を俯かせ、ピクリとも動く様子が無い。
 鼻を鳴らし、龍之介は続きを唱えた。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 呪文の意味などよくわかってはいないが、その効果は視覚によって感じられた。
 なんと、龍之介の描いた魔法陣が光を放ち始めたのだ。
 冗談半分の悪魔召喚が真実味を帯び始め、否応にも龍之介のテンションは上がった。
 龍之介はあまりの興奮に思わず和綴じの書物を落としてしまった。慌てて拾い上げると、書物は別のページを開いていた。
 そこには妙な文章が記されていた。
「えっと、なになに? 力足りぬ者を従える者なれば唱えよ――、えっと、されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」
 その瞬間、部屋の雰囲気は一新した。
 先ほどまでの魔法陣から零れる光は真紅なれど、どこか清浄な輝きであると感じられた。
 しかし、今部屋の中を満たす光は暗く、おどろおどろしい空気を発していた。
 だが、龍之介はそんな事お構いなしに最後の一説を唱えた。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 瞬間、光が爆発した。部屋の中からすべての色が消え、全ての音が消え、一瞬の内に元に戻った。先程と違うのは一点のみ。
 巨大な影が魔法陣の中心に立っていた。
 ギョロリと飛び出した目と脂ぎった頬、そして、土気色の肌はさしずめムンクの叫びのようだと感じた。
「えっと、アンタ……悪魔さん?」
 龍之介はローブを何重にも重ね着したような奇妙な出で立ちの長躯の男に声を掛けた。
 そして、細長い、それでいて強大な力を秘める腕が伸び、龍之介を壁に叩き付けた。
 何が起きたのか理解が出来ずに居ると、男はまるで獣の如く吼え、部屋の壁を無茶苦茶に殴り始めた。その様は錯乱しているようだった。
 龍之介がゆっくりと立ち上がり、何とか声を掛けようとすると、男は龍之介に向かって飛び掛って来た。
 あまりにも強大な力の乗った拳によって、龍之介の顔面は弾け飛んだ。死の直前、龍之介が見たのは男の向こうに赤い光が溢れる光景だった――――。




[30846] 第一話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したせいで大迷惑した人々の話1 今回の被害者:アインツベルン一家、間桐一家 
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:48
 広大な広さを誇る間桐の家の地下の空間は傍目には水を張った巨大プールのように見える事だろう。その波打つ物の正体を知らぬ限りは――。
 間桐雁夜は蟲の這いずり回る音をBGMに神経を削られるような痛みに苛まされていた。
 全身を隙間無く埋め尽くす男性の陰茎を模した形の芋虫に既に生理的嫌悪を覚える事すら無くなったのはいつの事だっただろうか。
 時折、視界の端にその醜悪な姿を曝しては蟲共は雁夜の苦悶を嘲笑しているように雁夜は感じた。
 事実、嘲笑している事だろう。
 この蟲共――否、雁夜の肉体をこの蟲倉で改造している妖怪――間桐臓硯は。
 雁夜は一年前までは平凡なサラリーマンとして過ごしていた。
 古き因習も幼き頃からの恋心も全て、この冬木の地に置き去りにして、異国で只人として生きて来た。
 その生き方に不満など無く、雁夜は人並みに幸福と不幸を噛み締め生きて来た。
 その生き方を曲げる事になったのは、丁度一年前の事だ。

 ――――一年前。
 雁夜は久方ぶりにこの冬木の地を訪れた。
 無論、おぞましき因習と妖怪に支配された実家に帰るつもりなど端から無く、雁夜の目的は別にあった。
 禅城葵。
 今は遠坂の姓を名乗る彼女に会う為だ。
 雁夜は幼い頃から彼女の事を愛していた。
 生憎、彼女の方は雁夜をあくまでも友人としてしか見ず、雁夜の恋心が成就する事は無かった。
 遠坂家の当主に嫁ぐ彼女に本当にそれでいいのか、と問い掛けた時の彼女の恥しそうな、されど幸せそうな微笑みを見て、雁夜は彼女への恋心を封印した。
 彼女が選んだのだからきっと、これが正しいのだと、自分の思いを覆い隠して。
 それからはまた、彼女の友人として彼女と接するようになった。
 彼女の二人の娘にお土産を買って来る事も恒例となり、その日も雁夜はお土産を買って来ていた。
 大小のガラスビーズで作られた二つのブローチ。
「桜はもういないの」
 感情の抜け落ちた表情で呟く少女の言葉に雁夜は声を無くした。
 ブローチを受け取るべきもう片方の少女は既に葵の娘ではなくなっていた。
 二人揃って、雁夜に子犬の様にじゃれ付いて来る事も無くなった。
 遠坂葵の娘、遠坂桜は間桐の家に引き取られた。
 それが何を意味するのか、雁夜には直ぐに理解出来た。
 間桐の家は土地が合わず、衰退していた。
 少しずつ、代を重ねる毎に魔術回路は減り続け、兄の息子に至っては、残りかす程度が残っているに過ぎなかった。
 桜を引き取った間桐の家の真の当主、間桐臓硯の目的は優秀な魔術回路を持つ子供を孕む母胎を得る事だった。

 雁夜が間桐の家に足を踏み入れ、臓硯に問い詰めた時、臓硯に見せられた桜の姿は既に雁夜の知る桜ではなかった。
 暗く濁った瞳で虚空を見つめ、刻印虫と呼ばれる蟲に処女膜を喰われ、その血を吸われ、全身を嬲られた桜は既に心を閉ざしていた。
 雁夜は桜を救う為に一年後に迫る聖杯戦争に参戦する事を決意した。
 その為には聖杯戦争で戦い抜くための力が必要だった。
 その力を得る為に、雁夜は桜に施された肉体改造を自らも受ける決意を下した。
 全身を苛む痛み、全身を蠢く蟲への生理的嫌悪感、それらは徐々に雁夜の精神を削り続けた。
 だが、雁夜は耐え抜いた。
 一年間の苦行の末、雁夜は聖杯戦争で戦い抜く力を手にした。
 しかし、その代償はあまりにも大きく、髪は色素が抜け、片方の眼孔は死んだ魚のように濁り、その命は聖杯戦争の間保てばいい方だった。

「令呪が宿ったか」
 しわがれた声で妖怪が嘲笑を含んだ笑みを浮べ言う。
 雁夜にとっては妖怪の嘲笑などどうでもよかった。
 雁夜の脳裏に浮かぶのは桜を救う一念のみだった。
 蟲倉に降りる前、桜と会った時、桜はもはや遠坂の姓であった頃の面影は微塵も残っていなかった。
 度重なる陵辱により瞳は暗く濁り、度重なる肉体改造により髪は間桐の色である青に染まり、彼女は子供らしさというものを完全に失ってしまっていた。
 君を救ってみせる。
 そう言えたら、どれだけ良かった事かと暗鬱な気分になったが、言える筈が無かった。
 もはや、桜には僅かな希望の光でさえ、苦痛にしか成り得ない。
 桜を救えるとすれば、それは雁夜が聖杯を手にし、間桐の鎖から桜を解き放つ事が出来た時以外にあり得ない。
「召喚の呪文は間違いなく覚えてきたであろうな?」
 腐臭の広がる蟲倉に立ち、雁夜は小さく頷いた。
 ただ、それだけの動きでさえ、体内の蟲共は雁夜に痛みを与える。
「いいじゃろう。だが、その呪文の途中に、もう二節、別の詠唱を差し挟んでもらう」
「どういう事だ?」
 妖怪の陰惨な笑みを称えた言葉に雁夜は胡乱気に尋ねた。
「なに、単純な事じゃ。雁夜よ、貴様の魔術師としての能力は、他のマスターと比べれば些か以上に劣る。それはサーヴァントの能力にも影響を及ぼす事じゃろうて。なれば、サーヴァントのクラスによる補正をもって、パラメーターそのモノを底上げしてやらねばなるまいて」
 召喚呪文のアレンジによるクラスの先決め。
 本来は召喚するサーヴァントの能力に応じて不可避に決定されるクラスだが、例外が存在する。
 一つはアサシンのサーヴァント。
 このクラスはハサン・サッバーハという名を襲名した者がランダムに召喚される。
 もう一つは、とある付加要素を許諾する事で召喚する事が出来るクラス。
「雁夜よ、喚び出すサーヴァントに対し、『狂化』の属性を付加せよ」
 それが破滅を呼び起こすモノであると知りながら、臓硯はそれを歓迎するかのように言った。
「お主にはバーサーカーのクラスでサーヴァントを召喚してもらう」
 臓硯は雁夜に付け加えるべき二節を教え、雁夜を刻印虫に描かせた魔法陣の前に立たせた。
 刻印虫という偽者の魔術回路に雁夜は火を入れる。
 無論、実際に火を点けるわけではない。
 云わば、比喩のようなものだ。
 だが、雁夜の肉体を苛む痛みはそれをただの比喩に留まらせない。
 その痛みは紛れも無く、全身を炎に炙られるかのようだった。
「閉じよ」
 呪文の詠唱を始めると、借り物の魔術回路達は更に雁夜の体内で暴れ回り、雁夜に苦痛を与えた。頬からは一筋の血が流れ、雁夜はそれでも尚、呪文を唱え続けた。
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 竜巻のように魔力の塊たるエーテルが渦を巻き、蟲共は狂乱の如く暴れ回った。
 脳天を貫く痛みを噛み殺し、更なる呪文を雁夜は紡ぐ。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 そして、雁夜は紡いだ。
 臓硯に教えられた狂気の鎖をサーヴァントに絡ませる二節の呪文を。
「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」
 魔力の渦はいよいよ広い蟲倉を満たし、強大な力が魔法陣の中心部に溢れ出した。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!!」
 渦は一際大きく爆ぜ、同時に煌びやかな光を放った。
 その光景を雁夜はまだ生気の宿る瞳で見つめた。
「馬鹿な」
 臓硯の漏らした言葉に雁夜は己の召喚したサーヴァントを見た。
 白銀の鎧を身に纏う清廉な気を放つ黒髪の青年が巨大な両刃の剣を手に魔法陣の中心に君臨していた。
 狂乱に曇っている筈の瞳には理性の光が宿り、サーヴァントは雁夜の前に膝を折った。
「サーヴァント・セイバー。召喚に応じ、ここに参上した。貴殿が我が主で宜しいか?」

 1000年の妄執を描くステンドグラスから差し込む光の下、衛宮切嗣は妻であるアイリスフィール・フォン・アインツベルンと共にアインツベルンの当主に謁見していた。
 アハトの通り名で知られる老人。
 ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは延命と延齢を繰り返し、既に二百年の歳月を生きている聖杯戦争の始まりから現在に至るまでのアインツベルンを統べて来た老魔術師である。
 第二次聖杯戦争において聖杯を逃し、第三次では反則技に手を染めながらも大敗を喫したアハト爺は焦りを感じていた。
 それこそ、外部の魔術師を身内に引き入れるというアインツベルンの歴史と誇りを穢す行為に出る程に。
 衛宮切嗣。
 魔術師殺しとして悪名を轟かせた逸脱人。
 魔術師を殺す事に長けるこの男をアハト翁がアインツベルンに引き入れたのは九年前の事だった。
「切嗣よ。かねてよりコーンウォールで探索をさせていた聖遺物が到着した。この品を媒介とすれば、セイバーのサーヴァントとしてはおよそ考えうる限りの最強の英霊の招来が出来よう。これは、そなたに対するアインツベルンからの最大の援助と思うがよい」
「痛み入ります、当主殿」
 切嗣はその手に既に令呪を宿していた。
 聖杯戦争の参加者としての証であり、召喚したサーヴァントを律する三度限りの絶対命令権。
 三年前に宿ってから、今に至るまで、褪せた色合いでサーヴァントとの繋がりを待っている。
「アイリスフィールよ。器の方は大丈夫か?」
「問題ありません。冬木の地においても、問題無く作動する筈です」
 アイリスフィールは己が身の内に秘める聖杯の器を感じながらアハト翁の問い掛けに答える。
「よいか。此度の戦では、ただの一人も残すでないぞ。六人全てを狩り尽くし、必ずや聖杯を持ち帰るのだ」
「御意」
 切嗣とアイリスフィールはアハト翁の窪んだ眼孔から発せられる老人とは思えぬプレッシャーを受けながら頷いた。

「これほどの物を用意するとは、アハト翁もいよいよ本気というわけだな」
 自室に戻ると切嗣はアハト翁より賜った英霊の聖遺物を入念に観察しながら呟いた。
 1500年も前の物とは思えぬ傷一つ無い美しい姿に感嘆の溜息を吐いた。
「これ自体、一種の概念武装ですもの。時間の流れと共に風化するなんて事はないでしょうね」
「伝承通りとすれば、これは持ち主の傷を癒す力を持っている。召喚した英霊と対で運用すれば、マスターの宝具としても扱えるわけだ」
 切嗣の言葉にアイリスフィールはやや呆れ気味に苦笑した。
「道具はあくまでも道具というわけね。貴方らしいわ」
 切嗣はどこまでも論理的に物事を考える男だ。
 そこに感情を差し挟む余地は微塵も無く、召喚したサーヴァントも一個の道具として運用する事を考えていた。
 全て遠き理想郷――、嘗て、ブリテンを治めた王が死後に至ったとされる理想郷。
 その名を冠した、彼の王の剣の鞘。持ち主をあらゆる傷から護る力を持つとされる宝具。
 これほどの聖遺物ならば召喚される英霊は確実に目的の英霊と成るだろう。
 切嗣との相性とは関係無く。
 強力な手札が手に入る事は喜ばしい事だが、それをどう運用するかが切嗣にとっての課題だった。
 彼の騎士王が召喚されれば、その力はまさに無双と言っていいだろう。
 それ故に、その存在は否応にも目立ち、宝具の解放も限定される。
 伝承通りだとすれば、王の剣は一振りで千の軍勢を薙ぎ払う力がある筈だ。
 そんな物を安易に放てば秘蹟の隠匿を旨とする魔術協会だけではなく、聖堂教会も黙ってはいないだろうし、それだけの宝具ならば使用に必要な魔力の量も桁外れであろう。
 切嗣はファックスから送られてくる協力者が調査した敵対する事になるであろう魔術師達の情報を頭に入れつつ、思考に耽った。
 そして、愛する妻、アイリスフィールの言葉を受け、彼は一つの考えに至る。
「思いついたよ、アイリ。最強の騎士王を最強のまま運用する方法を」

 切嗣とアイリスフィールは礼拝堂に立った。
 床には既に召喚の陣が描かれ、祭壇には媒介となる騎士王の宝具が安置されている。
「閉じよ」
 己が魔力が最高に引き出される時間、最高のコンディションでもって、切嗣は召喚に挑んだ。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 確かな手応えと共に吹き荒れる魔力の塊であるエーテルの渦に切嗣は笑みを零した。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 光が膨れ上がり、巨大な力の塊に圧され、よろめきそうになりながら切嗣は光の中に強大な力を持つ存在を感じた。
 光は大きく弾け、瞬時に消え去った。
 そして、魔法陣の上に立つ者の姿に切嗣は眼を瞠った。
 アイリスフィールもまた、その出で立ちに戸惑いを感じた。
「これは……」
「サーヴァント・キャスター。聖杯の寄るべに従いて、今ここに降臨した」
 その装束は騎士の出で立ちとは思えなかった。
 それどころか、騎士王は男である筈にも関らず、召喚された英霊は男では無かった。
 燃える様な赤い髪を靡かせ、豪奢なドレスに身を包んだ人間離れした圧倒的な美貌を持つ女が魔法陣の上に君臨していた。
「問いましょう。今世に置き、この妾を召喚せしめる者、汝、何者であるか?」



[30846] 第二話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した最大のとばっちりを受けた人⇒遠坂時臣さん
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:49
「――告げる」
 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトという男は一言で言えば天才だった。
 その才は幼少の頃より既に花開いており、どのような課題も常に他の誰よりも上手くし、ケイネスと競い合いの出来るライバルも存在しなかった。
 執念染みた向上心で努力を積んだ者、並外れた目的意識を持つ者、そんな者達の成し遂げる成果をケイネスは軽々と跳び越え、更なる成果を成し遂げる。 
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
 時計塔における華々しい活躍に羨望と嫉妬を一身に受けながらもケイネスにとっては当然の結果であり、そこには満足も達成感も介在しなかった。
 過去においてもそうであったように、未来においてもケイネスの成功は約束されている。
 それはケイネスにとって疑いようのない大前提だった。
 自らの成功こそが世の秩序と考えるケイネスにとって、それ故に盲亀の浮木に目論見が外れる事があれば、ケイネスにとっては秩序の崩壊であり、度し難き混沌であった。
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 ケイネスにとって、勝って当たり前のこの極東の地に於ける魔術師同士の殺し合いに最初に影を落としたのは身の程を解さぬ愚か者の愚行だった。
 不肖の弟子がマケドニアから届けられたケイネスの手配した最高クラスの英霊の聖遺物を事もあろうに盗み出したのだ。
 それ故にケイネスは他に手配していた聖遺物を召喚の媒介にせざる得なくなった。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 ケイネスは朗々と呪文を呟きながら、憤然たる憤りを感じつつも銀色に輝く水銀によって描かれた魔法陣を見下ろす。
 陣の形成に用いた水銀はただの水銀では無く、『月霊髄液』の名を冠するロード・エルメロイが有する最高クラスのミスティックコードだ。
 水銀からは緩やかにエーテルが吹き荒れ始め、魔力が循環している事を確認出来た。
「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 呪文の終わりと共に魔法陣の中心に光が満ち溢れる。その向こうには人影が一つ。
「貴様の名は?」
 ケイネスが問うと、魔法陣の中央に立つ男はゆっくりと膝を折り頭を垂れた。
「ドンの息子、ディルムッド・オディナ。此度、ランサーのクラスを割り当てられ、ここに現界致しました」

 冬木の郊外にある小さな家でウェイバー・ベルベットは目を覚ました。
 目覚めは最悪だった。
 手の甲にまるで焼き鏝を当てられたかのような激しい痛みを感じて飛び起きたのだ。
「何なんだ、一体!?」
 悪態を吐きながら手の甲を見ると、ウェイバーの表情は一転した。
 赤い蚯蚓腫れのような模様が手の甲に浮かび上がっていた。
 令呪と呼ばれる、聖杯戦争に参加する資格を持つ者である証であり、招来した英霊を律する三度限りの絶対命令権。
 令呪が宿ったという事は即ち聖杯戦争に参加する資格を得たという事だ。
 自然と頬が綻ぶ。
 ベッドから飛び起き、ウェイバーはベッドの下に隠した大きな箱を取り出した。

 ベルベット家は未だ歴史の浅い血統だ。
 魔術師は代を重ねる毎に魔術回路を開拓し、魔術刻印の密度を増加させていく。
 三代しか続いていないウェイバーの一族の魔術回路の数や魔術刻印の密度は由緒正しき名門の出の魔術師達に比べて些か劣っていた。
 それでも、ウェイバーは世界中の魔術師を束ねるマジックキャバル、通称『時計塔』と呼ばれる最高学府に招聘された。
 その偉業をウェイバーは誇りに思い、自らの才能を発揮し続けた。
 その最たる物が構想に三年、執筆に一年を費やした一本の論文『新世紀に問う魔導の道』だった。
 通説では、魔術師の力は歴史と比例するとされている。
 親から子へ、一生涯を掛けた鍛錬の成果を魔術刻印という形で受け継がれ、生まれながらの才能に左右されるとされる魔術回路の数も優性遺伝的に増やそうと歴史ある名家の魔術師達は腐心し続けている。
 なるほど、確かに魔術師の力が歴史に比例する考えは正しいかもしれない。
 しかし、とウェイバーはその通説に異論を挟み込んだ。
 例え、積み重ねた歴史が無くとも、経験の密度によって、その差は埋める事が出来る筈だ。
 術に対するより深い理解と、より手際の良い魔力の運用が可能ならば生来の素養の差などいくらでも覆す事が可能だ。
 その考えを元に執筆したのがこの論文だった。
 査問会の目に止まれば、必ずや魔術協会の現状に一石を投じる事になる筈だと、ウェイバーは信じて疑わなかった。
 だが、現実は非常だった。
 ウェイバーの論文は降霊科の教鞭を取るケイネスに流し読みされた末に破り捨てられてしまった。
 妄想癖は感心せんな、という言葉と共に。
 事もあろうに授業中に晒し者にされたウェイバーは怒り心頭になり教室を飛び出した。
 そこで、運命的な出来事が起きた。

 発端は管財課の手違いであった。
 ケイネスの立会いの下に開封せよと厳命されていた品を事もあろうにウェイバーに託し、ケイネスの下に運べと命じられたのだ。
 その中身とケイネスが近く開催される極東に於ける魔術師同士の殺し愛に参加するという噂を下にウェイバーは極東にある島国、日本の冬木市で開催される聖杯戦争の事を知った。

 ウェイバーの行動は迅速だった。
 瞬く間に出立の用意をすると、日本に向けて飛び立ったのだ。
 冬木の地に到達すると、直ぐに一件の民家に目を付け、住民を魔術で洗脳して拠点とした。
 そして、冬木に来て二日目の朝、ウェイバーは正式に聖杯戦争で戦うマスターの一人として選ばれたのだった。

 二階を自室にしたウェイバーは一階に降りると、拠点とした家の主であるマッケンジー夫妻に声を掛けられるが適当に返事を返し、大急ぎでサーヴァントの召喚の準備を始めた。
 近くの雑木林の中に見つけた広々とした空間に鶏の血でサーヴァント召喚の魔法陣を描き、祭壇にケイネスの手配した英霊の聖遺物を置く。
 見た目は古ぼけた赤い布切れだ。
 準備を終えた頃には空は真っ暗になり、満月の光がウェイバーの居る広場を照らした。
 自己暗示の呪文を唱え、トランス状態となり、魔力を体内で循環させる。
 慣れ親しんだ痛みを感じながらウェイバーは魔法陣の前に立った。
 ゴクリと唾を飲み込み、暗記した呪文を唱え始める。
 呪文に呼応するように魔法陣からはエーテルが渦を巻き、ウェイバーは確かな感触と共に最後の一節を唱えた。
「――――天秤の守り手よ!!」
 直後、爆発の如く強大な力が吹き荒れ、周囲の木々がざわめいた。
 眩い光が辺りを照らし、光の狂乱が収まると、ウェイバーの視界に異物が映りこんだ。
 存在する筈の無い存在。
 聖杯の導きとウェイバーの行った儀式により英霊の座より招来されし存在、サーヴァントが魔法陣の中央に君臨していた。
 その出で立ちは戦装束の上に赤いマントという現代の日本においては不釣合いなものだったが、それ以上にウェイバーを圧倒したのはそのサーヴァントのあまりの巨大さだった。
 マントよりも尚鮮やかな紅の短髪と顎鬚、深い彫りの顔立ち、ウェイバーの胴程もある太い腕とそれ以上に太い足。
 ウェイバーはサーヴァントを呆然とした表情で見つめた。
「貴様が余のマスターか?」
「お前……は?」
「余はライダーのサーヴァント。名を、イスカンダル!! 再び問うぞ、貴様が余のマスターで相違無いな?」
「あ、え? あ! そ、そう! ぼぼ、ボク! じゃない、ワタクシがお、お前のマスターたる、ウェ、ウェイバー・ベルベットだ、です! じゃない、なのだ! マスターなんだってばっ!!」
 イスカンダルと名乗る男にウェイバーは完全に圧倒されていた。
 イスカンダルはでかい男なのだ。
 それは何も見た目だけに限った話では無い。その身の発するプレッシャー、その存在感、何から何までもがでかい男なのだ。
「では、小僧! 余を案内せい!」
「ど、どこに?」
「無論! 書庫にだ」
 ニッと破顔しながら言うイスカンダルにウェイバーはしばらくの間、言葉の意味が理解出来なかった。
 そして、何時まで経っても鈍い反応しか返さないウェイバーに腹を据えかねたイスカンダルがウェイバーのおでこにデコピンを喰らわせた。
 ウェイバーの悲鳴が雑木林に響く。
 これが、ウェイバー・ベルベットとイスカンダルの最低最悪な初対面だった。
 少なくとも、今この時、ウェイバーは赤くなったおでこを押さえながらそう思った。

 今より二百年前の事。
 三つの魔術師の家系が一つの奇跡を為す為に手を取り合った。
 アインツベルン、マキリ、そして、遠坂。
 御三家と呼ばれるこの三つの家系の当時の当主達は目的を同じくしていた。
 根源の渦。万象の始まりにして、終わり。この世の全てがそこにあるとさえ謂われる神の座。
 世界の外側たる根源に至る事が御三家の共通の目的だった。
 そして、その望みを叶える為に御三家の魔術師達が作り上げた奇跡こそが、これより極東の島国たる日本の冬木に於いて行われようとしている聖杯戦争だった。
 聖杯戦争といっても、神の子の血を受けた杯を奪い合うわけではない。
 正しくはあらゆる願望を実現させると謂われる“万能の釜”の召喚と願いを叶える者を選別する為の殺し合いの事だ。
 六十年周期で行われるこの魔術師同士の戦いには御三家は常に令呪と呼ばれる聖杯戦争の参加者の証をその身に宿し、招来したサーヴァントと共に戦った。
 第四次たる今回に至るまで、聖杯を手にした者は居らず。
 御三家の一角たる遠坂は次こそは我が手に聖杯を、と慎重に準備を進めていた。
 その一つが聖杯戦争の監督役として聖堂教会より派遣されて来た言峰神父との協力体制だ。
 表立って、目立つ贔屓は望めないが、言峰神父は遠坂の現当主・遠坂時臣に対して可能な限りの情報提供と戦力として神父の息子を貸し出す事を約束した。
 神父・言峰璃正の息子、言峰綺礼は派遣という形で聖堂教会から魔術協会へと転属し、時臣の下で魔術を学んだ。
 綺礼は聖堂教会においては他を圧倒する程の実力を持った魔を滅ぼす代行者であり、修得した魔術に於いても特に治癒に関しては師である時臣をすら凌駕する程で、極めて頼り甲斐のある男だと、時臣は綺礼を評価した。
 璃正が時臣に綺礼を貸し出した理由は単にその代行者としての実力を買ったからからだけでは無い。
 その手に宿る赤き紋様こそが綺礼を聖杯戦争という魔術師同士の殺し合いに参戦させるに至った最たる理由である。
 遠くイタリアの地において代行者として戦い続ける綺礼の身に令呪が宿った事はまさに驚くべき事だった。
 イレギュラーと言う他無い事態であったが、璃正と時臣にとって、それは非常に歓迎すべきイレギュラーであった。
 聖杯戦争に参加する英霊のクラスの数は七つ。
 その内の二つを同陣営内で占有出来るとなれば、他の参加者に対して破格のアドバンテージを得られる事になる。

 そして、現在。
 時臣は綺礼を連れて屋敷の地下にある魔術工房へと足を運んでいた。
 その道中、綺礼は時臣に向けて問いを投げ掛けていた。
「それは?」
 綺礼の視線が向けられた先には時臣の持つ重厚な箱が一つ。
「サーヴァントの召喚に用いる聖遺物だ」
 地下の工房に到着すると、中央に既に描かれている魔法陣を避け、部屋の隅の小机に時臣は運んで来た箱を置いた。
 その蓋を開くと、そこには石化した蛇らしきものが入れられていた。
「蛇ですか?」
「正確には抜け殻だ。世界で最初に脱皮した蛇の抜け殻の化石。これを媒介とすれば、彼の英霊が召喚出来るだろう」
 時臣は魔法陣の外円を移動しながら綺礼に視線を向けた。
「綺礼、先程の璃正殿からの連絡の内容は?」
「父が一昨日の深夜にバーサーカー、そして、同時にアーチャーのサーヴァントの召喚を確認したそうです。どちらも現在捕捉している参加者とは異なるようです。詳細については現在もっか調査中との事」
「ならば、残るクラスはセイバー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシンの五つか。アーチャーが既に現界しているのは行幸だ。彼の英霊を単独行動のスキルを持つクラスで召喚した場合、少し厄介な事になるだろうからな」
「英雄王・ギルガメッシュですか。確かに、世界最古の英雄にして、王であり、世界中の財をその手にした彼の英霊は制御が難しい事でしょう」
「残るクラスからアサシンを抜けば、英雄王は全てのクラスに該当する。願わくば、セイバーのクラスで現界してくれればあり難いのが」
 言いながら、時臣は綺礼を魔法陣前に立つよう指し示した。
「まずは綺礼、君にアサシンのサーヴァントを召喚してもらう」
「アサシンですか?」
 折角、二つのクラスを占有出来るというのに、何故、最弱のサーヴァントであるアサシンの召喚を命じるのかと綺礼は疑問を持った。
 尤もな疑問だと、時臣は苦笑しながら言った。
「英雄王を召喚すれば、その時点で我々の勝利はほぼ確定する。だが、不確定要素がある。それは何だかわかるかい?」
「……なるほど、マスター殺しですか」
 綺礼の回答に時臣は満足気に頷いた。
「その通りだ」
 言って、時臣は近くの机の上に置かれた資料を持ち上げた。
「此度の聖杯戦争において、あの魔術師殺しがマスターとして参加している」
「衛宮切嗣ですね」
「そうだ。あの悪名高き魔術師殺しならば、聖杯戦争のセオリーである英霊同士のぶつけ合いを避け、直接マスターに手を下そうと考えるだろう事は想像に難くない。ならば、気配遮断を能力を持つマスター殺しに特化したアサシンのクラスを奴に奪われる前に此方で占有するのが上策だ。それに、アサシンは間諜としても優秀なクラスだ。事、戦闘に於いては英雄王のみで十分。ならば、君のサーヴァントには敵の情報収集に専念してもらいたい」
「了解しました。師よ」
 綺礼の言葉に満足すると、時臣は綺礼に告げた。
「アサシンのサーヴァントを召喚するには通常の呪文に特別な一節を加える必要がある」
 時臣は口頭で召喚クラスを固定する為の呪文を綺礼に教えると、魔法陣から離れ、綺礼のサーヴァント召喚を見守った。
 時臣が十分に離れた事を確認すると、綺礼は魔法陣を前に魔術回路を起動した。
 内部を焼けた鉛が流動するかのような激痛と不快感。
 未だに慣れぬ感触を押し殺し、綺礼は師の教えを聞く弟子から魔術を行使する者へと変貌した。
「さて、そろそろ召喚を始めるか。綺礼」
「了解です、師よ」
 綺礼は意識を切り替え、魔法陣に向け、令呪の宿る手を向けた。深く息を吸い、滑らかな口調で呪文を唱え始める。
「――――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 時臣が魔力を篭めた宝石を溶かし形成した魔法陣が紅の輝きを帯び始める。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 渦巻くエーテルに時臣は魔法陣に向けた右手を左手で抑えつける。
 その背後で時臣が不意に訝しげな声を上げるが、綺礼は意識を召喚の儀に集中した。
「―――――Anfang」
 開始の合図と共にエーテルの渦は更にその力を大きくする。
「――――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 何かが綺礼の内より魔力を吸い上げる。時臣はその力の流動を抑えずに師より教わったアサシン召喚の為の特殊な呪文を口ずさみ、最後の呪文を唱えた。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
 呪文の終わりと共に眩い光と爆風の如きエーテルの渦に視界を奪われ、綺礼は咄嗟に腕で目を庇った。
 そして、光と渦が消え去るのを確認すると魔法陣の中央に現れた存在に綺礼は問うた。
「お前が私のサーヴァントか?」
「……アサシンのサーヴァント。召喚に応じ、参上仕った」
 漆黒の外套に身を包み、顔を仮面により隠したアサシンの名乗りにフッと息を吐き、綺礼は師に召喚の成功を告げようと顔を向けた。
 すると、時臣の表情が恐ろしく歪んでいる事に気が付いた。
「どうしました、師よ!」
 尋常でない様子の時臣に綺礼は慌てて駆け寄った。すると、時臣は力なく応えた。
「私に宿った令呪が消滅した。馬鹿な、一体――ッ」
 どうなっている、呆然とした時臣の呟きが魔術工房に木霊した。
 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した翌日の深夜2:00。
 七つ全てのクラスのサーヴァントは出揃い、第四次聖杯戦争は開幕した。



[30846] 第三話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した後始末に借り出された人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:49
「大丈夫か、マスター」
 シンと静まり返った冬木市を新都と深山町とに両断する未遠川の川辺のベンチに一人の少女が腰掛けていた。
 その顔は死人の如く青褪め、その目は涙を流し過ぎた為に真っ赤に充血している。
 拳からはあまりに強く握り締め過ぎた為に血が滴っている。
 声を掛けても泣きじゃくったまま反応を返さない少女に、隣に立つ青年は困り果てたといった表情で周囲を見渡した。
 時折、酔っ払いの中年が自分に向けて指を指し、大声で笑いながら去って行く。
 自分の服装を省みて、それも当然だろうと青年は諦観の境地に至っていた。
 青年の服装は普通とは言い難い物だった。
 少なくとも、現代の日本に於いて、出歩くのに適した服装であるとはとてもでは無いが言い難い。
 黒いボディーアーマーとその上に身に付けた真紅の外套。
 傍目から見れば、芸人かミュージシャンにしか見えないだろう。
 かと言って、現状で自身を護る防具たる礼装を外すわけにもいかない。
 今この瞬間にも他のマスターとサーヴァントに襲われる可能性があるからだ。
 いい加減、泣き止んでもらわねば困るのだが、いかんせん、相手は小さな子供だった。
 叱り飛ばすにも、寸前の出来事を考えると、どうしても躊躇いを感じる。
 むしろ、涙を流す事で心の平定を為している今、下手に突けば、そのまま心を壊してしまいかねない。
 アーチャーのサーヴァントたる青年はマスターの心が落ち着くまでマスターを護る事こそがサーヴァントたる自身の役目であると意識を切り替え、周囲の警戒に当った。

 ――――十二時間前。
 遠坂凛は友人の誘いを受けた。
 それは凜にとって初めての事だった。
 遠坂の人間は普通の人間と必要以上に接してはいけない。
 何故ならば、その身が歩む道程は尋常ならざる魔術の道であるからだ。
 常に他の人間からは距離を取り、孤独を友とし生きる事を凜は覚悟していた。
 未だに幼い少女の心はされど、既に大抵の同世代と比べ幾分も成熟していた。
 魔道の家系の後継たる事の意味を深く理解し、父と同じ生き様をなぞり、父と同じ運命を受け入れ、遠坂という魔道の血脈を継承する事を既に覚悟していた。
 だが、それも結局のところは幼い子供の強がりに過ぎない。
 常に遠坂家の次期当主となるべく魔術の修練に力を注ぎ、家訓である『常に余裕を持って優雅たれ』を実生活においても実践し続けているが、所詮は子供。
 その内には不安があり、寂しさがある。
 凜が友人であるコトネの誘いを受けたのも胸中に鬱積した不安や寂しさが凜の心の芯を揺さ振ったからだった。

 凜には数年前まで妹が居た。
 いつも自分の背中を追い掛ける愛しい妹が居た。
 死んだわけでは無い。
 同じ街に暮しているのだから、会おうと思えば会える筈だ。
 しかし、それは許されない事だ。
 凜の妹、遠坂桜は今、この冬木の土地で行われている聖杯を巡る魔術師同士の戦いを始める切欠となった聖杯降臨の儀を執り行った御三家の一角であるマキリの――間桐の家の養子となった。
 盟約により、両家は不可侵の条約を締結し、顔を見る事さえ許されなくなった。
 それが幼い凜の心に寂寂の思いを募らせた。
 コトネは凜が特に眼を掛けていた少女だった。
 男子に虐められ易く、間の抜けた所もあり、遠坂の家訓『常に余裕を持って優雅たれ』を実践する凜は事ある毎に彼女を助けた。
「凜ちゃん。今日、私の家に遊びに来ない?」
 いつもであれば断っていた筈の誘いを凜は気がつくと受けていた。
 咄嗟に自分の失態に気付き、取り消そうとしたが、コトネのあまりにも嬉しそうな表情に今更取り消す事も出来ず、一度だけ、そう胸に誓いを立て、凜はコトネと共にコトネの家に向かう事となった。
 その時、凜は柄にも無く浮かれていた。
 普段であれば、その背後に何者かが追跡している事に気がつけた筈だが、初めて友達の家に招かれる事に興奮を覚えていた凜はうっかりと見落としてしまったのだ。
 血を求める殺戮者の追跡を――――。

 凜がコトネの家に上がると凜の母と見比べても若々しい女性が凜を歓迎した。
 凜はコトネと共にコトネの母に教わりケーキを焼き、コトネの宝物を見せてもらったり、読んでいる本について語り合い、楽しい一時を過ごした。
「もうこんな時間か……」
 初めて友達の家で過ごした凜は瞬く間に過ぎ去った時間に激しい寂しさを感じた。
「凜ちゃん。また、家に遊びに来てくれる?」
 帰る時間になり、玄関まで来ると、コトネが凜に言った。
 その言葉に凜は胸が締め付けられた。
 また来たい。そう思ってしまう。
 魔術師の血を受け継ぐ者が考えてはならない他者との親愛。それを凜は胸の奥底で望んでしまう。
 やがて、凜はゆっくりと口を開いた。
「……うん、また、今度ね!」
 父は怒るだろう。
 魔術師たるもの、己が我欲に翻弄されるなどあってはならないと。
 だが、それでも凜は求めた。親しき友との繋がりを。
 コトネとコトネの母に見送られ、玄関を出ると、丁度コトネの父親らしき男と擦れ違った。
 少し言葉を交わし、三人に別れを告げると、凜はコトネの家を出た。
 また来たい。そう胸中で呟きながら。
「やあ」
 顔を上げて帰宅の路に着こうとすると、不意に声を掛けられた。
 涼しげな笑みを浮かべる男に凜はコトネの家の者だろうかと首をかしげ、次の瞬間、首に衝撃が走り、そのまま玄関の扉に叩きつけられた。
 意識が一瞬にして、刈り取られ、次に凜が目を覚ました時、目の前に広がっていた光景はまさしく地獄だった。

 鉄錆に似た匂いが暗闇に充満している。
 目覚めたばかりの凜は何が起きているのかが分からなかった。
 徐々にぼやけた影の輪郭が判別出来るようになると、凜の目に飛び込んできたのは人間の形を成していない死体が二つ。
 男性のものらしき死体の頭部はおでこの辺りから真横に切り取られ、その隣の女性のものらしき死体はミイラの如く痩せ細っている。
 猛烈な吐き気に襲われ、凜は咄嗟に手を口元に当てようとしたが、何かに阻まれて出来なかった。
 そこで漸く、自分が拘束されている事に気が付いた凜は辺りを見回し、直ぐ隣でコトネが縛られているのを見つけた。
 その瞬間、凜の背筋に怖気が走った。
 コトネがここに居るという事はここはどこだろう。
 辺りは滅茶苦茶に荒らされているが、見覚えのある絵や置物が点在している。
 何よりも、壁に貼り付けられている家族の写真がここがどこなのかを如実に表していた。
 ここはコトネの家だ。
 すると、さっきの二つの死体は誰だろう、と考えて、凜の瞳に涙が溢れ出した。
 二つの死体はコトネの両親のものだ。
 数時間前に一緒にケーキを焼いたコトネの母も擦れ違いに少し言葉を交わしただけのコトネの父も永遠に言葉を話す事が無くなった。
 コトネが一人ぼっちになってしまった。最初に浮んだのはソレだった。
 コトネは未だに眠っているらしいが、その瞼はゆっくりと動き始めている。

「完成だ!」
 コトネが目を覚ました丁度その時、地面から突然男が現れた。
 ずっと、床に何かを描いていたらしい。
 爽やかそうな笑みを浮べ、男は凜とコトネに近づいた。
 凜は必死に叫ぼうとするが、猿轡を噛まされていて呻き声にしか聞こえない。
 男の手が未だに現状を把握し切れていないコトネを拘束から解放し、混乱するコトネに男は言った。
「いやぁ、待たせちゃってごめんね。漸く、準備が出来たところなんだよねぇ」
 そう言って、男はコトネに見せた。
 頭部を損壊した父と体内の血を抜かれ、干乾びた母の死体を。床に描かれた不気味な魔法陣を。
 コトネはあまりの衝撃に声も無く絶叫した。
 そんなコトネを見つめ、男は冷ややかな笑みを浮かべると、コトネの肩に手を置いた。
「とりあえず、一人は生贄、一人は餌って所かな」
 男はそう言うと、コトネの体を易々と持ち上げて魔法陣の上へと運び出した。
 凜は必死に叫び、体を揺するが、声はくぐもり、体は殆ど身動き出来ない。
 些か滑稽にすら見える凜の足掻きを見て男は噴出しそうになりながら朗々とした口調で話し出した。
「やっぱりさ、折角悪魔を召喚するんだから、何も無しってんじゃ、つまんないだろう?」
 悪魔を召喚。その言葉に凜は冷水を浴びせられたかのように凍りついた。
「ほら、こうやって、悪魔の召喚の儀式なんてやるわけだし、万が一本当に悪魔とか出てきちゃったらさ、何のお持て成しも無しに茶飲み話なんてかっこ悪いだろう?」
 男の言葉に凜は床の魔法陣を視界に捉えた。
 暗闇で薄っすらとしか見えないが、その紋様はどこか見覚えのあるものだった。
 凜に見覚えがある魔法陣。即ち、それは正しく魔術の心得を持つ者が描く魔法陣だ。
 ともすれば、悪魔の召喚や生贄云々の話が真実味を帯び始める。
 凜は必死に叫ぶが、やはりくぐもった声にしかならない。
 タオルの猿轡はかなりきつく、外そうにも中々外れない。
 その感にも悦に浸ったかのような様子で男は語り続けた。
「だからさ、君には出て来た悪魔さんに殺されてほしいんだ。ね?」
 そう言って、男は魔法陣の上に寝かせた少女を見下ろした。
 その手には妙な形の工具が握られている。
「駄目じゃないか、おしっこなんてしちゃ。せっかく描いたのにずれちゃうだろう?」
 コトネはあまりの恐怖に失禁し、猿轡を噛まされたまま悲鳴を上げ続けた。
 必死に逃げ出そうともがいているが、大人の男の圧倒的な力の前に為す術も無く、男はコトネの手を床に広げると、そこに持っていた工具の先端を押し付け、引き金を引いた。
 バンッという音と共にコトネの絶叫が響く。
 凜は必死にコトネを助け出そうともがくが、高速は緩む様子が無い。
 目の前で次々にコトネの手が細長い釘で床に磔にされていく様子を涙を流しながら見ている事しか出来ない事に哀しみと怒りが満ち溢れた。
「はい、右手終わり。次、左手ね」
 まるで流れ作業の如く、男は悲鳴すら上げなくなったコトネの反対側の手を釘で打ちつけ始めた。
 バンッと音が鳴る度にコトネの短い悲鳴が響く。
 コトネの悲鳴を聞く度に凜は震えた。

 魔術とは、死を容認する事に他ならない。
 あらゆる魔術師見習いが修行の過程で初めに乗り越えるべき関門。
 逃れる事の出来ない圧倒的な『死』の冷たい感触に凜は魔道の本質というものを身を以って思い知らされた。
 桁外れな恐怖にもはや抗おうとすら思えなくなり、凜は力なく天を仰いだ。
 その拍子に散々凜を戒めていた猿轡が解けたが、もはやそんな事は凜にはどうでも良い事だった。
 奇妙な耳鳴りが始まった。
 それが心を押し潰す暗く重く冷たい絶望によるものだと凜は思った。
 今まさに、遠坂凜という少女の心は崩壊し始めている。
「さぁて、こっからだ」
 両手を擦り合わせ、男は全身をまるで蟲の標本のように釘で磔にされたコトネを見下ろし和綴じの古ぼけた書物を開いた。
 その口が紡ぐ言葉の羅列に凜は一気に意識を吊り上げられた。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。っと、これで五回? 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。これでいいんだっけ」
 男の紡いだ呪文は嘗て、一度だけ聞いた事のあるものだった。
 凜がまだ遠坂の家を出る前の話だ。
 地下の工房に入っていく憎憎しい父の弟子の後を追い、そこで父が弟子に教えていた呪文だ。
 途中で追い出され、全てを聞く事は出来なかったが、男の紡ぐ呪文は紛れもなく、あの呪文であった。
 英霊を降臨させる冬木における闘争の参戦を意味する儀式の呪文詠唱。
 ならば、あの床の魔法陣に見覚えがあるのも当然だ。
 あれは父が一度だけ見せてくれたサーヴァント召喚の魔法陣だったのだ。
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ! なんか、気分盛り上がってくるなぁ、こういう感じの台詞ってさぁ」
 男が同意を求めるかの如く凜に顔を向けるが凜は瞼を閉じ、必死に呪文を脳裏に焼き付けていた。
 鼻を鳴らし、呪文の詠唱を再開する男の背後で凜は密かに自身の身の内を走るマジックサーキットに火を灯した。
「えっと、なになに? 力足りぬ者を従える者なれば唱えよ――、えっと、されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」
 エーテルの狂乱に僅かに驚くものの、凜は必死にチャンスを伺った。
 生き残り、コトネを救い出すためのチャンスを。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 最後の呪文と共に暴風が吹き荒れ、光が爆発した。
 その瞬間、凜は全力で体を揺すった。
 魔法陣の中に浮かび上がる人影に男は凜が床に倒れる音に気付かずに居る。
 椅子に押し潰され、膝に痛みを感じながらも少しずつ、床を這いずり、凜は魔法陣へと近づいて行く。
 唇を噛み切り、血を流しながら現れた狂気を宿す魔神の前へと這いずっていく。

 魔法陣に到着した凜は唇から流れ落ちる血を魔法陣へと垂らした。
 大きく息を吸い、凜は男の唱えた呪文を必死に思い出し、唱え始めた。
 部屋のあちらこちらで破壊の音が鳴り響くが、構っている暇は無い。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。告げる汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 そこまでを一息の内に唱え終えると、凜は肌が焼けるような鋭い痛みを感じた。
 何事かと一瞬詠唱を中断するが、慌てて詠唱を再開する。
「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――ッ!!」
 最後は怒鳴るように凜は呪文を唱えた。
 その瞬間、部屋中を紅の光が包み込んだ。魔法陣の中に何かが現れるのを感じる。
「クッ、ァ……」
 魔法陣の中心に佇む存在は未熟な凜の魔術回路から強引に魔力を吸い上げた。
 苦しみに喘ぐ凜に紅の外套を纏う男はゆっくりと近づき、凜を抱き抱えた。
 意識が明滅する中、凜はか細い声で男に命じた。
「コトネを……助けて」
「了解した、我がマスターよ」
 男は優しく凜を床に降ろすと、暴れ狂う魔神に向かって行った。
 その様子をぼやけた視界に捉えながら凜はやがて意識を手放した。

 それから数時間後、凜は親友の死を目の当たりにしたショックで涙を流し続けていた。
 アーチャーのサーヴァントはバーサーカーを瞬く間に排除した。
 マスターを自身の手で降し、魔力の供給源を失ったサーヴァントはアーチャーの敵では無かったらしい。
 アーチャーがコトネを救い出した時、もはや彼女は虫の息だった。
 全身を釘で穴だらけにされ、夥しい量の血を流し、その両足と右腕はバーサーカーによって踏み砕かれていたのだ。
 最後にコトネは凜と言葉を交わしていたが、アーチャーは聞かなかった。
 コトネが息を引き取ると、アーチャーは凜を抱えてコトネの家を出た。
 長居をすれば、サーヴァントの招来を感知した魔術師が来る可能性があるし、異臭を嗅いで周囲の住民が警察を呼ぶ可能性もある。
 なにより、凜をこのままこの場に留まらせる事は良くないとアーチャーは判断したからだ。
 川の縁沿いにベンチを見つけ、一先ず凜を座らせて落ち着くのを待った。

 しばらくすると、凜のすすり泣く声が止んだ。
 泣き止んだかとアーチャーが様子を見ると、凜は目を瞑り寝息を立てていた。
「やれやれ」
 せめて拠点に心当たりが無いか尋ねるべきだったと自省しながらアーチャーは眠ってしまった凜に自らの外套を着せた。
『赤原礼装』と呼ばれる聖人の聖骸布であり、外界からの干渉を遮断する概念武装だ。
 これを着ていれば風邪をひく事は無いだろう。
 アーチャーは周囲を見渡し、小さく溜息を吐くと凜を背中に背負い歩き出した。

 凜が目を覚ましたのはそれから丸一日経過した後だった。
 アーチャーは人里離れた場所に一件の屋敷を見つけ、その家の一室に置かれたベッドに凜を寝かせた。
 屋敷は管理が行き届き、中々に快適な場所だった。
 生活する上でも、魔術的な観点においても。

 屋敷には簡易の魔術結界が張られていた。
 魔術師の拠点かとも思ったが、内部を探査した限り、魔術工房も無く、そもそも人が生活している痕跡が見つからなかった。
 恐らくは過去に聖杯戦争に参加した魔術師が拠点として用いた後に放棄したのだろう。
 それを魔術協会に移譲し、魔術協会が管理を行っているといった所だろう。
 念入りに調べたが外敵を排除する類の魔術は外部に張られた人払いの結界程度で、殆ど一般家屋と大差無い状態だった。
 しかし、魔術協会が管理をしている。
 それはつまり、魔術協会をバックに持つ魔術師からは位置情報がバレている事を意味する。
 アーチャーは屋敷の屋根から周囲を警戒し続けた。
 アーチャーのクラスにはアサシンのサーヴァントのような気配遮断のクラススキルは無い。
 故に、結界の張られた拠点があるのならばいざ知らず、それ以外の場所ではどこであろうと一定ランク以上の力を有する魔術師には居場所など容易くバレるだろう。
 ならば、と凜の回復を優先する方針を固めたアーチャーには快適な環境と可能な限り周囲に遮蔽物の無いフィールドの両方を備えたこの屋敷はまさにうってつけだった。
 凜が目覚めた事を魔術師とサーヴァントを結ぶラインを通じて把握すると、アーチャーは霊体化して屋敷の壁を通り抜け、凜の前に降り立った。
「大丈夫なのか、マスター?」
 アーチャーが気遣わしげに尋ねると凜はギョッとした様子でアーチャーを見つめ、しばらくして冷静になったのか小さく頷き返した。
「えっと、あなたは私の……?」
「ああ、君のサーヴァントだ」
 アーチャーが応えると、凜は安堵と驚きの入り混じった表情を浮かべた。
「マスター、ここならばしばらくは安全な筈だ。食料は生憎無いらしいが心の整理もあるだろう。話は後にして、今はゆっくりと休め」
 本来ならば今直ぐにでも拠点となる場所を聞き出し、これからの方針を決めたい所だが、凜の泣きそうな表情にアーチャーは未だ主には精神の休息が必要だと判断した。
 ところが、凜は気丈にも首を横に振り、アーチャーの瞳を真っ直ぐに見返した。
「もう、大丈夫よ。わたしは、魔術師だもん。だから、平気……だもん」
 それが子供の強がりである事は容易に見て取れたが、アーチャーは小さく、「そうか」とだけ呟いた。
 強がりであっても、友の死を、それも考えうる限り最悪の形で目撃したというのに、こうも気丈に振舞える凜は紛れもなく一流だった。魔術師としても、人としても。
「強いな、君は」
 アーチャーは凜の頭を優しく撫でた。
 子供を慰める事に長けているわけではないが、昔、アーチャーが未だ人であった頃、誰かをこうして慰めた事を思い出しながら。
 アーチャーにとって、過去は捨て去った物だが、凜の頭を撫でていると、銀色の髪の少女が脳裏に過ぎる。
 それが誰で、自らとどんな関係を持っていたのかはアーチャーには思い出す事が出来ない。
「もう、大丈夫よ」
「そうか?」
 アーチャーが凜から手を離すと、凜は大きく深呼吸をした。
 やはり、この少女は強い、とアーチャーは思った。
 昨夜、あれほどの惨劇を目の当たりにして尚、この年でこれほど心を強く保てる人間はそう多くない。
 まだ、名も聞いていないが、その在り方は生前の知り合いに少し似ている気がした。

「その……」
 凜は目の前の青年を見上げた。
 逆立てた白髪、色黒の肌、灰色の瞳、穏かな表情、不思議な装い。自らのサーヴァントであると肯定する目の前の青年に凜は深く深呼吸をして言った。
「助けてくれてありがとう。私の名前は遠坂凜。この冬木の街のセカンドオーナー、遠坂時臣の娘よ」
「遠坂……凜?」
 凜の名乗りを聞き、アーチャーは瞑目した。
 驚きの表情を浮かべるアーチャーに凜は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。そうだな、肝心な事がまだだった」
 アーチャーはそう言うと、凜の前に立ち、膝を折った。
 突然のアーチャーの行動に凜は目を丸くしたが、アーチャーは気にする風も無く口を開いた。
「アーチャーのサーヴァント。名はエミヤ。聖杯の寄る辺に従い、参上した。これより我が弓は汝と共にあり、貴殿の命運は私と共にある」
「あ、えっと、あの」
 アーチャーの口上に凜は何と応えるべきか分からなかった。
「ここに契約は完了した」
 そう言葉を切ると、アーチャーは立ち上がり、凜に手を差し出した。
「う、うん。えっと、エミヤ?」
 アーチャーの手を取りながら伺うように言う凜にアーチャーは苦笑した。
「ここならば別に構わないが、出来れば外ではアーチャーのクラス名で呼んでくれ。さして、名が知られる事で不利になるような逸話は無いが、真名を隠すのが聖杯戦争のセオリーなのだろう?」
「ご、ごめんなさい。そう、ね。私、マスターになったんだ」
 アーチャーに指摘され、凜は慌てて謝りながら、漸く自らが父の参加する聖杯戦争の参加者の一人になったのだと実感した。
「さて、マスター。どこか拠点に出来る場所に心当りはあるか?」
 アーチャーの問いに凜は部屋の中を見渡した。
「えっと、ここは?」
「校外に見つけた屋敷だ。君が眠ってしまったのでね、仮初の宿として部屋を借りた」
「借りたって、それって不法侵入なんじゃ……」
「緊急を要したのだ、仕方あるまい。罪悪感を感じるのならば、早々に拠点を見つけ、ここを去るべきだろう」
 アーチャーのどこか皮肉気な言葉に凜は少し不満気な顔をしながら思案した。
 サーヴァントを召喚し、マスターとなった今、母の住まう禅城の屋敷に帰る訳にはいかない。
 元々、聖杯戦争に凜と凜の母、遠坂葵を巻き込まない為に時臣は二人を隣町にある禅城の屋敷へ退避させたのだ。
 サーヴァントを連れて、禅城の屋敷へ戻れば、時臣の采配が無駄となり、母もまた聖杯戦争に巻き込まれる事になる。
 時臣や凜とは違い、葵正真正銘の一般人だ。サーヴァントやそのマスターたる魔術師に狙われれば命を落とす危険は大いに有り得る。
 ならば、遠坂邸に帰るべきだろう。
 単純にして明快な答えだった。
 しかし、凜は言葉を詰まらせた。
 凜一人ならば、遠坂邸へ向かう事に問題は無いだろう。
 叱られるだろうが、それ以上の問題は起こらない。
 だが、今は凜一人では無い。隣に立つ己のサーヴァントを見つめながら凜は考えた。
 今の凜はアーチャーのサーヴァントを召喚した時点で遠坂邸に居るであろう父とは聖杯を奪い合う敵対者だ。
 無論、凜とて時臣と戦いたいわけではない。
 だが、アーチャーはどうだろうか。
「なんだ?」
 凜の視線を受け、アーチャーは不思議そうな顔をした。
 アーチャーのサーヴァント、エミヤ。凜を地獄の宴から救い出してくれた恩人だが、彼はあくまでも聖杯の寄る辺に従い参上した聖杯を求める者だ。
 悪人では無いと思うが、聖杯の招きに応じたからにはそれなりの願いがある筈だ。
 そんな男が別のマスターと遭遇すれば戦う以外の選択肢などありえないだろう。
「心当たりが無いわけじゃないけど、その前にあなたの事を教えて」
「私の事を?」
「ええ、私はあなたの事を何も知らないもの」
 凜の言葉にアーチャーは鼻を鳴らし言った。
「そうだな。ふむ、どう説明したものかな。君は何を聞きたいんだ?」
 アーチャーの問いに凜は言った。
「あなたが聖杯に何を求めるかよ。召喚に応じたからには、あなたも聖杯を欲する願いがあるんでしょう?」
「ふむ、いきなり難しい質問だな。まあ、聞かれたからには答えよう」
 凜が頷くのを見て、アーチャーは言った。
「特に無いな」
「はい?」
 首を傾げる凜に苦笑しつつ、アーチャーは言った。
「言った通りだ。聖杯を手に入れてまで欲する物も叶えるべき悲願も無い。強いて言うなら一つ願いはあるが、それは聖杯に頼る類のものでもない」
「で、でも! 英霊が召喚に応じるのは聖杯を求めるからなんでしょ!? 聖杯を求めないって言うなら、あなたはどうして召喚に応じたの!?」
 凜の疑問にアーチャーはフッと笑みを浮かべた。
「さてな。まあ、君が遠坂の家の者だと聞いて、私が君の下に召喚された理由が分かったよ」
「どういう事?」
「通常、マスターが触媒を用意せずに英霊を召喚する場合はマスターと似通った性質を持つ英霊がランダムに選ばれるが、例外がある」
「例外?」
「英霊の側が触媒を持っている場合だ」
「どういう事?」
「これだ」
 アーチャーは懐に手を伸ばすと、小さな宝石を凜に見せた。
 見た事の無い宝石に首を傾げると、アーチャーは言った。
「これは遠坂の家に伝わる秘蔵の宝石だ」
「うちの!?」
「ああ、言っておくが盗んだわけではないぞ。生前、私は遠坂の者と縁があってな。この宝石に篭められた魔力で命を救ってもらったんだ。それ以来、英霊になった後もこれを持ち続けている。君が遠坂の魔術師である事。それ自体が召喚の触媒となったのだろうさ」
 そう言うと、再び宝石を大切そうに懐へと仕舞いこんだ。
「遠坂と縁のある英霊!? じゃ、じゃあ、私のご先祖様と会った事があるっていうの!?」
 凜はベッドから身を乗り出してアーチャーに尋ねた。
 自らが召喚したサーヴァントが先祖に救われ、先祖から秘蔵の宝石を受け、現代で自分に英霊として召喚される。
 その事に凜は運命的なものを感じ、興奮した面持ちでアーチャーを見つめた。
「生憎だが、生前の、それも遥か遠い過去の話なのでな。肌身離さず持ち歩いたが、どんな人物であったか、詳しくは覚えていないよ」
 肩を竦めながら言うアーチャーにはぐらかされたかのような感じを受け、凜は不満そうに唇を尖らせた。
「そう怒るなよ、マスター。それより、どうだ?」
「どうって?」
 凜が首を傾げると、アーチャーは呆れたように言った。
「おいおい、君が私の事を話せと命じたのだろう。私の事は話したんだ。君の評価を聞きたい。私が君のサーヴァントとして認められるのか否かをな」
 アーチャーが言うと、凜はあっ、と声を上げ、顔を真っ赤にした。
 どうやら失念していたらしい。
「そ、そうだったわね。えっと、さっきの話。聖杯を求めていないっていうのは、本当なの?」
「ああ、私の願いは聖杯などという大層な物を必要とする程大それたものではないのでね。戦うにしろ、辞退するにしろ、君の判断に任せる。まあ、辞退をするというのならば君の身の安全を確保した後に令呪を使ってもらう事になるがね」
「令呪?」
 不思議そうな顔をする凜にアーチャーは呆れた様に言った。
「マスターなのに令呪を知らないのか?」
「だ、だって、お父様、あんまり聖杯戦争について教えてくれないんだもん。英霊の事とか、聖杯の事とか、必死にお願いして漸く教えてもらえたばっかりなんだから、仕方ないじゃない!」
 頬を膨らませて怒る凜にアーチャーは肩を竦めた。
「なるほどな。凜、君の体のどこかに赤い刺青がある筈だ。分かるか?」
「赤い刺青?」
 凜は首を傾げながら自分の体を見下ろし、服の袖を捲くると、そこには不思議な赤い模様が浮んでいた。
「これ何?」
「それが令呪だ。その令呪を意識し、サーヴァントに命令を下せば、三度に限り強制的に命令を実行させる事が出来る。いかなる命令であろうとな」
「いかなる命令……」
「ただ、命令を実行させる以外にも、例えば、遠距離に居るサーヴァントを強制的に転移させ、召喚する事も可能だ。他にも、例えば、次の一撃に全ての力を振り絞れ、などの命令を下せば、サーヴァントに全ての力を解放した一撃を放たせる事が出来る」
「凄い……」
 人間などよりもずっと霊格が上である英霊に命令を強制させるだけでもとんでもない事なのに、空間転移など並みの魔術師には到底不可能な魔術を再現させるなど常識ではありえない事だ。
 凜は自身に宿る令呪を驚きを隠せない様子で見つめた。
「辞退を望むのならば、それを使い、私に自害を――ッ!」
 突然、アーチャーは言葉を切り、瞬時に窓辺へと移動した。
「どうしたの!?」
「サーヴァントの気配だ。どうやら、長居をし過ぎたらしい。これほどの殺気――――ふん、誘っているらしいな」
 凜は唾をゴクリと飲み込んだ。敵のサーヴァントの襲来。
 それはサーヴァントの主となった時点で相対する事を覚悟すべき存在だが、イレギュラーな召喚により突然聖杯戦争に参加する事となった凜には未だに覚悟を決める事が出来ずに居た。
「アーチャーはどうするべきだと思う?」
 凜は相方たるサーヴァントに意見を求めた。
「森を抜けた広場に敵の姿が確認出来る。どうやら、装備から察するにランサーらしいな。となれば、逃走は難しいだろう」
「どういう事?」
「ランサーのクラスに選ばれる英霊というのは俊敏さのステータスが高いのが通常だ。私の俊敏さのステータスでは恐らく逃げ切る事は難しいだろう」
 アーチャーの言葉に凜は再び唾を飲み込んだ。
 大きく息を吸い込むと、両手で自分の頬をパンと叩いた。
「分かったわ。なら、行くわよ、アーチャー!」
「了解だ、マスター。私から離れるなよ?」
「ええ、あなたの力を私に見せて」
 窓を開け放ち、凜は真っ直ぐにアーチャーを見つめた。
 アーチャーは唇の端を吊り上げ、凜を抱き抱えると、窓から飛び出し言った。
「了解だ、マスター」
 アーチャーは森を人外の速度で疾走すると、瞬く間に遠く離れた広場まで走破し、凜を背に待ち受ける敵サーヴァントと相敵した。



[30846] 第四話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に作戦変更を余儀なくされた人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:49
「一度割り振られた令呪が消滅する――――そんな事がありえるのですか?」
 綺礼は師に問いを投げ掛けた。
 一刻ほど前に綺礼は師の教えに従い、アサシンのサーヴァントを召喚したが、その直後、肝心の師の令呪が消滅した。
 一度割り振られた令呪の消滅。
 尋常ならざる事態に瞠目する綺礼に反し、時臣は既に落ち着きを取り戻し、淡々と蓄音機に似た魔術具を操りながら応えた。
「その答えは君のお父上が教えて下さるだろう」
「父上が?」
 綺礼の訝しむ声を尻目に時臣は宝石魔術による遠距離間の通話を可能とする魔術具を起動した。
 時を同じくして、新都にある言峰教会の地下から鈴の音が鳴り響いた。
 その音を聞きつけ、忙しなく書類を整理していた言峰璃正神父は手を休め、急ぎ足で地下の礼拝堂に設置されている遠坂邸にある宝石通信機と同一の魔術具の前に立った。
 魔術師ではない璃正からでは通信を行う事は出来ないが、時臣の魔力により起動した遠坂邸の宝石通信機の宝石と言峰教会地下の礼拝堂の宝石通信機の宝石が共鳴し、自動的に起動している状態であれば魔術師ではない璃正にも時臣との遠距離通話が可能となる。
 璃正は時臣が言葉を発するのを遮り、落ち着かない様子で口を開いた。
「時臣君。君はサーヴァントを召喚したかね!?」
 璃正の言葉に綺礼は目を見開き、時臣は小さく息を吐いた。
 時臣にとって、璃正の開口一番の言葉は予想の範疇にあるものだった。
「やはり、既に全てのクラスのサーヴァントが出揃いましたか」
「どういう事ですか? 師よ」
「簡単な話だよ、綺礼。どうやら、私は聖杯に聖杯戦争に参加する意志が無く、資格を放棄したと認識されたらしい」
『……まさか、時臣君』
 通信機の向こうから響く璃正の声に時臣は「ええ」と応えた。
「他のマスターに先を越されたらしいですね」
「しかし、師よ。御三家たる遠坂の魔術師を差し置き、他の魔術師がサーヴァントを召喚するなど、有り得るのですか!?」
 綺礼の問い掛けに時臣は通信機が乗せられた机の引き出しを開いた。
 そこには色取り取りの宝石と宝石を加工した彫刻が並べられている。
 時臣の娘である凜の魔術の練習のために用意した練習用の宝石と時臣が凜に宝石の加工を実演して見せた時に作り出した彫刻だ。
 時臣は加工前の宝石を机に並べると、綺礼に見るように指し示した。
「綺礼、これを令呪の兆しを思ってくれ」
 時臣の言葉に綺礼が黙って頷くのを確認すると、時臣は今度は別の引き出しからチェスの駒に似た小さな彫刻を取り出した。
 彫刻はそれぞれ剣士、槍使い、弓兵、騎乗兵、魔術師、暗殺者、狂戦士を象った物が一つずつ。
 両腕を捥がれた人型の彫刻が複数。
 人型の彫刻を机に並び、彫刻の前に加工前の宝石を置く。
「魔術師と令呪の兆しですか」
「そうだ。このように、令呪の兆しは聖杯戦争に参加する資格を持つ者に割り振られる。優先順位としては、御三家たる遠坂、マキリ、アインツベルンが優先的に兆しを割り振られる」
 時臣は弓兵の彫刻と狂戦士の彫刻を手に取り、二体の人型の彫刻の前に置いた。
 そして、令呪の兆しとしていた加工前の宝石を取り除き、加工した美しい宝石の彫刻を同じ場所に置いた。
「令呪の兆しを持つ魔術師はマスターとしてサーヴァントを召喚、使役する事が出来る。その権利を行使し、魔術師が英霊を召喚した時、英霊は現界する際に令呪に対する絶対的な服従を誓わされる。その契約により、令呪の兆しは正真正銘の令呪へと変貌するのだ」
「英霊が令呪に対する服従を誓うのですか!?」
 綺礼が疑問を投げ掛ける。当然の質問だろうと時臣は淡々とした口調で答えた。
「令呪に対する服従。その契約こそが英霊が聖杯戦争に参加する際に差し出す対価なのだ。その契約があるからこそ、強力な対魔力を持つ英霊に対し、令呪は絶対的な強制力を働かせる事が出来る」
 時臣は更に説明を続けた。
「つまり、この段階……」
 時臣は残る五つの人型の彫刻の前に置かれた加工前の宝石を指差した。
「令呪の兆しの段階では魔術師に与えられるのは英霊を召喚し、聖杯戦争に参加するかどうかを決める権利に過ぎない。実際に英霊を召喚し、英霊が令呪の強制力を受け入れて初めて、魔術師はマスター……即ち、聖杯戦争の参加者となるわけだ」
「では、師の令呪が消滅したのは」
「聖杯がマスターとなりうる魔術師に求める最たる資質は聖杯を求める意志が有るや否やという点だ。最終的にマスターとなる資格を得る事が出来るのはより積極的に聖杯戦争に挑もうとする者達だ。例え、御三家を差し置いたとしてもね」
『時臣君……』
 未だ、通信機の向こうで時臣の言葉を聞いていた璃正の落胆の声に時臣は微笑を漏らした。
「言峰神父。それに、綺礼。まだ、私は聖杯戦争から脱落したわけではないよ」
「ですが、サーヴァント無しでは……。こちらの陣営が保有するのはアサシンのサーヴァントのみ。マスターを狙うにしても、勝算は……」
 綺礼の言葉に時臣は頷きながら調査した他の参加の意志を表明する魔術師達のプロフィールを思い出した。
 魔術師殺しの異名を持つアインツベルンの傭兵――衛宮切嗣。
 アーチボルト家の神童と謳われ、おそらくは此度の聖杯戦争において最強の魔術師――ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
 間桐の名を一度は捨てながら再び戻って来たという不出来な魔術師見習い――間桐雁夜。
 時計塔に所属する歴史の浅い血筋の未熟な魔術師――ウェイバー・ベルベット。
 そして、残る二人のアーチャーとバーサーカーを使役する謎のマスター。
 衛宮切嗣、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの二名は一筋縄ではいかないだろう。
 アーチャーとバーサーカーのマスターについては情報が不足している。
「狙うならば間桐雁夜、もしくはウェイバー・ベルベット。だが、奴等も屈強なる英霊を使役している事だろう。なれば……」
 時臣は暗殺者の彫刻を手の中で弄び、綺礼に向けて不適な笑みを浮かべた。
「あまり優美さには欠けるが、他のマスターに退場してもらい、サーヴァントを頂戴しようじゃないか。その為には情報が必要だ」
「了解しました。では、アサシンにはしばらくの間情報収集に専念させるという方針でよろしいですか?」
「ああ、それで構わない。ターゲットは私が決める。逐一、アサシンが得た情報を私に伝えてくれ」
「了解です、導師よ」

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは目の前の存在に落胆していた。
 セイバーの召喚を目論み、万全を期したというのに、現れたのはランサーのサーヴァント。
 不詳の弟子であるウェイバー・ベルベットの反逆に続き、ケイネスは暗澹たる思いだった。
「主よ、どうなされました?」
 ケイネスは鼻を鳴らすと背後に立つケイネスの婚約者、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに声を掛けた。
「ラインの調子はどうだ? ソラウ」
 ソラウは答えなかった。陶然とした様子でケイネスの背後に視線を向けている。
「ソラウ」
 再び声を掛けると、ソラウは驚いたように瞬きをしてケイネスを見た。
 まるで、今迄そこにケイネスが居た事を失念していたかのように。
「あ、えっと、何かしら、ケイネス?」
 ソラウの様子を怪訝に思いながら、ケイネスは再び同じ問いを投げ掛けた。
「ラインの調子はどうだ?」
「え、ええ。問題なく、その、ランサーと繋がったわ」
 僅かに頬を緩ませながら答えるソラウにケイネスは怪訝な眼差しを向けた。
 よもや、ランサーの黒子に幻惑されたか、そう考えながら、それはあり得ないと切って捨てた。
 ランサーのサーヴァント。
 ケルト神話の英雄であり、フィオナ騎士団随一の騎士と名高き英雄――――輝く貌のディルムッド・オディナ。
 彼の頬には目を引く泣き黒子がある。それはただの黒子では無い。
 妖精が彼に与えた異性を虜にする呪いの黒子だ。
 彼の黒子を見た者は老若に関らず彼を愛さずには居られない。
 そのランクはC。
 並みの女であれば、魔術師であっても彼の黒子が発する魅了の力に囚われてしまう事だろう。
 だが、ソラウは並みの魔術師ではない。
 魔術師としての腕こそ最低限の教育を受けたのみであり、未熟もいいところだが、彼女の身に宿る魔術回路は凡庸なそれとは遥かに異なる強靭なものだ。
 いかにCランクの魅了であろうと、彼女ならばレジスト出来る筈だとケイネスは考えた。
「では、ランサー。ついて来たまえ。これからの戦いについて話がしたい」
 ケイネスはソラウとランサーを連れ、広々としたリビングに向かった。
 冬木ハイアット・ホテルの客室最上階に位置する場所からケイネスはチラリと眼下に広がる新奇で薄っぺらなだけの粉飾をどこからともなく掻き集めただけのゴミの山を見下ろした。
 ケイネスはこの国――日本を軽蔑している。
 自身の国の土着の風俗に対する執着もポリシーも無く、分を弁えずに科学技術だの、経済力だのといった浅ましい駆け引きだけで西欧に張り合い、まるで文明国の仲間入りをした気になっている厚顔無恥ぶりはまったくもって度し難い醜悪さだ。
 ケイネスは柔らかいソファーに座りながらランサーを睥睨した。
 ディルムッド・オディナ。セイバーであれば無双の力を発揮したであろう英霊だが、ランサーである以上、その力は大きく削がれている事だろう。
 雲泥たる面持ちでケイネスはランサーに問い掛けた。
「ランサー。貴様の事をまず聞かせてもらおうか」
 ランサーが承知の旨を告げるのを待たずにケイネスは問い掛けた。
「貴様は聖杯に何を望む?」
「私は聖杯など望みませぬ」
「なんだと?」
 ランサーの応えにケイネスは眉を顰めた。
「そんな筈はあるまい。聖杯戦争に招かれる英霊は聖杯を求めるからこそ、召喚に応じる筈だ」
「いいえ、主よ。私は聖杯など望みませぬ。私が望むのはただ只管に忠義を果たす事」
 ケイネスは己が召喚したサーヴァントに憤然たる憤りを感じた。主である自らに対し、目の前の男はあからさまな虚言を弄していると。
 ケイネスは尚も目の前で膝を折る従者の胸に秘めし真実を暴こうと言葉を連ねるが、ランサーは終始前言を撤回する事は無かった。
「騎士としての面目を果たせれば、私は他に何も望みませぬ。願望機たる聖杯はマスター一人に譲り渡す所存にございます」
 その応えにケイネスはますますもって、目の前のサーヴァントに不信感を募らせた。
 聖杯を求めぬサーヴァントなどあり得ない。
 だが、とケイネスは自身に宿りし令呪に意識を向けた。
 こちらには令呪がある。
 腹の内に何を抱え込んでいようとも、裏切るならば切り捨てるのみだ。
「もう良い。ランサー、お前の宝具、並びに戦闘技術について余す事無く私に教えよ。虚言は許さぬぞ」
「虚言など……」
 ケイネスの物言いにランサーは僅かに顔を顰めながら己が宝具を開帳した。
 ランサーの宝具はケイネスの知る伝承通りの二つの槍だった。
 これが二つの剣であったならばどれほど良かった事かと苛立ちながら、ケイネスは二つの宝具を見定めた。
 一度穿てば、その傷は決して癒さぬ呪いの黄槍、必滅の黄薔薇――ゲイ・ボウと魔を断つ赤槍、破魔の紅薔薇――ゲイ・ジャルグ。
 どちらも運用効率は抜群といって良いだろう。
 だが、ケイネスの苛立ちは更に募った。
 これでは、自身の用意した策が無用の長物となってしまう、と。
 ケイネスは此度の聖杯戦争に打って出るに当り、一つの策を巡らせた。
 それは始まりの御三家の敷いた戦いのルールを根底から覆す画期的な策だった。
 サーヴァントとマスターの本来ならば単一しかない因果線を二つに分割し、配分する変則契約。
 魔力供給のパスと令呪による束縛のパスとを分割し、別々の魔術師に結び付けるという荒業。
 ケイネスは令呪を持つが、魔力供給のパスは繋げず、その役割を婚約者のソラウに結ばせている。
 これならば、例え多量の魔力を要する宝具を誇る英霊を召喚し、宝具を発動しても、マスターたるケイネスが倒れる事は無いというケイネスの才能と閃きにより実現した実に画期的なシステムだったが、この秘策もランサーの少量の魔力で運用出来る宝具では意味を為さない。
「貴様の能力は分かった。これからの方針は――」
 ケイネスが口を開こうとした途端、部屋の電話のベルが鳴り響いた。
 ケイネスは舌を打つとソラウに視線を向けた。
 ソラウはコクリと頷くと電話に出た。
 しばらくして、ソラウがケイネスに言った。
「ケイネス。魔術協会の方からよ」
「魔術協会の?」
 不審に思いながらケイネスは電話に出た。
 聖杯戦争の参加者に対し、魔術協会から連絡あるなど本来ならばあり得ない事だ。
 魔術協会の要請を受けて参加した者ならばいざ知らず、自身の意志により参加したケイネスに魔術協会が支援をするなど有り得ぬだろうし、大方、聖杯戦争以外の件についての報告か、あるいは魔術協会の者を装った他のマスターによる干渉だろうとケイネスは考えた。
 しかし、電話に出ると、ケイネスの予想とは異なる内容だった。
『ロード・エルメロイ。現在、冬木における魔術協会直轄の屋敷の結界が破られ、何者かに侵入されたと報告がありました』
 電話の主はケイネスのよく知る相手だった。
 魔術協会の管財課に属する男だ。
 ケイネスは男の声を聞いた途端に受話器を握り潰しそうになったが、男の言葉に何とか怒りを堪えた。
 男はウェイバー・ベルベットにあろう事か、必ずケイネスの眼前で開帳しろと命じた英霊の聖遺物を預けるという愚行を働いた愚か者だった。
 恐らく、ケイネスの怒りを買った事に対する贖罪のつもりなのだろう。
「そこに、敵マスターが居るという事かね?」
『内部に強大な魔力を持つ存在が確認されています。恐らくはサーヴァントかと』
「なるほど」
 この程度で許しを請えるとでも思っているのか、男の言葉は至極快調だ。
 ケイネスは鼻を鳴らすと男に言った。
「君の愚行は許されざる事だ」
『あ、あの……』
「贖罪をしたいというのならば止めはしない。が、そうそう許されると期待はせぬ事だ」
『い、いえ、そのようなつもりは……』
 一転して狼狽した様子の電話先の男の様子にケイネスは軽蔑しつつも言った。
「許されたいと希うのならば否とは言わぬ」
『ロ、ロード・エルメロイ!』
「これからも私に君の知りうる限りの冬木の情報を伝えよ。さすれば、君の罪も許されるやもしれぬ」
『は、はい! 了解です。ロード・エルメロイ!』
 ケイネスは電話の受話器を置くと大きく息を吐いた。
 醜悪な感情を撒き散らす愚者との会話は神経に障る。
 だが、それだけの成果はあった。
「ランサー。校外にある屋敷へ向かへ。そこにサーヴァントと、恐らくはマスターが居る」
「承知しました、主よ」
 即座に行動しようとするランサーにケイネスは留まるよう命じた。
「その前に一つやるべき事がある」
 言うと、ケイネスはランサーに己が双槍を差し出すように命じた。
 ランサーは命じられるまま赤と黄の槍を差し出した。
「貴様の宝具は一度その力を振るえば瞬く間に敵に真名を看破されるだろう。故に、私の命があるまでこの呪符により力を封じさせてもらう」
「仰せのままに」
 ケイネスは己が宝具を躊躇い無く差し出すランサーに更なる不信を募らせながらランサーの宝具に封印を施した。
 ゲイ・ジャルグもランサーが宝具としての力を抑える事で封印を施した。

 ランサーはクラス特有の敏捷性を活かし、瞬く間にサーヴァントが居るであろう校外の屋敷の付近へと辿り着いた。
 肩にはケイネスの使い魔が乗っている。
『ランサー。そこから百メートルほど行った先に開けた場所がある。そこを戦いの場とし、敵を誘き寄せよ』
 使い魔の口から零れる主の言葉を聞き、ランサーは御意の意を告げると、ケイネスの言葉に従い広場へと駆けた。
 遥か遠目に僅かに屋敷の屋根らしきものが確認出来、ランサーは殺気を放った。

 現れたのは真紅の外套に身を包む浅黒い肌の男だった。
 その背には幼き少女を抱えている。
 男は少女を降ろすと、ランサーの眼前に立ちはだかり、背に少女を守りながら両手に白と黒の短剣を具現化しランサーに対敵した。
 ランサーもまた、赤き長槍と黄の短槍を構えた。



[30846] 第五話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に異なる相手と戦う事になった人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:50
「トレース・オン」
 アーチャーは呟きながら両の手の先から白と黒の短剣を具現化させた。
 干将・莫耶――中国の呉の刀匠、干将が呉王の命を受け鍛え上げた夫婦剣。
 干将には亀裂模様が、莫耶には水波模様が浮び、その刀身には魔除けらしき文字が刻まれている。
 アーチャーは目の前の赤と黄の槍を握る男を睥睨しながら周囲に気を配った。
 木々に囲まれ、視界の見え難いこの場所は狙撃には向かないが、身を潜めるには適した環境だ。
 アサシン、或いはマスター狙いの魔術師が息を潜めて此方を伺っている可能性は十分に有り得る。
 背に護る主は未だ幼く、魔術による防御もままならないだろう。
 目の前の槍兵に加え、姿無き暗殺者に注意を払わねばならぬアーチャーはそれ故に主の変調に直ぐに気付く事が出来なかった。
「マスター!」
 背後に護る主が突如己が背後より前に進み出て来た。
 アーチャーは焦燥しつつも主の小さな体を抱き抱えた。
 主は頬を赤く染め上げ、荒く息をしながら陶然とした表情を浮かべ、ランサーを見つめている。
 まるで、発情しているかの如き主の様相にアーチャーは舌を打ち、主を幻惑した張本人を睨み付けた。
「これは、チャームの魔術か!」
 ランサーは槍を構えたままアーチャーの言葉に応えず不動のままアーチャーを睨み返した。
 隙を見せ、絶好の好機であるにも関らず襲おうともせずに不動を貫くランサーを怪訝に思いながらもアーチャーは主に己が身に付ける赤き外套――赤原礼装を着せ、己が顕現させている陰陽剣を握らせた。
「あ、あれ?」
 凜が正気に戻るのを確認すると、アーチャーは再び立ち上がり、ランサーを睨んだ。
「何故、攻撃をしなかった?」
 アーチャーの投げ掛ける問いにランサーは顔を顰めた。
「そのような幼子を誘惑し、勝ちを得るなど騎士の誇りが許さぬ。すまなかったな、これは生まれ持っての呪いのような物でな。俺自身にもどうにも出来ぬのだ」
 ランサーの言葉にアーチャーは視線をランサーの握る二つの槍に向けた。
 赤と黄の双槍。そして、魅了の呪い。
 アーチャーは双槍に撒きつけられた呪符を見た。
「なるほど、騎士の誇りか。どうやら、尋常なる勝負がお望みらしいな」
 アーチャーは言うと同時に動いた。
「おうとも。しかし、驚いたぞ。あの様な幼子がマスターとしてこの様な血生臭い戦に参加しているとはな!」
 ランサーはアーチャーの双剣を己が双槍を巧みに操りいなしながら言った。
「片手でこれほどの槍捌きとはな」
「貴様の双剣も中々の腕だぞ。だが、果たしてその獲物でどこまで戦えるかな?」
 言いながら、ランサーは雷の如く黄の短槍を振るった。
 アーチャーは辛くも防ぐも、間を置かずに続く赤の長槍の一撃に白の短刀を跳ね飛ばされた。
「さて、良い頃合だぞ。いい加減、己が獲物を出すが良い」
 ランサーの言葉にアーチャーは再びその手に白き短刀を顕現させた。
 同じ武器の具現にランサーは怪訝に思いながらもそれを上回る激情に憤怒の気を放った。
「愚弄するつもりか! 貴様はセイバーではなかろう。ならば、本来の貴様の武具を出せ! さもなくば、その首級、貰い受ける!」
 アーチャーはランサーの言葉を無視してランサーへと向かう。
 超人的に体を翻し、稲妻の如く刃を迅らせる。
 ランサーの槍はまさに縦横無尽に飛び交う嵐の如く。
 本来、槍とは両手で扱うのが常道の武器だが、ランサーの槍捌きは片手ながらも両手で握ると遜色の無い速さと強さを兼ねそろえている。
 にも関らず、ランサーの槍はアーチャーを捕らえ切れない。
 アーチャーの思考は澄み渡り、一手を防ぐ毎に、五秒後の生存を予測している。
 アーチャーの保有スキルの一つである心眼(真)は窮地において、活路を導き出す戦闘倫理だ。
 常に、敵の槍先に自らを差し出す事で、最善の手を絡み取り続ける。
 そして、アーチャーは握る陰と陽の二つの剣に刻みし、文句を口にした。
「――――鶴翼、欠落ヲ不ラズ」
 アーチャーは目の前の存在が如何なる敵であるかを既に見抜いていた。
 故に、急ぐ。
 自らを己が獲物を出さぬ愚者と侮る今の油断や慢心を目の前の敵が排する前に己が必殺を決める。
 それ以外に勝利は無い。
 何故なら、目の前の敵が秘する宝具が開帳される事は即ち――――アーチャーの敗北を意味するからだ。
「な、に――――」
 ランサーは突然のアーチャーの行動に瞠目した。
 アーチャーは握る一対の陰陽剣を左右同時に投擲したのだ。
「気を違えたか!?」
 だが、ランサーは槍を止めるなどという愚行は犯さない。
 穂先を目の前の男の心臓に向け、槍を振るう。
「取った――――ッ!」
 必殺の一撃となる筈の突きはされど、アーチャーが手放した筈の双剣により防がれた。
 これで三刀目。
 本来、宝具とは複数有する物では無い。
 ランサーも二つの槍を用いるが、大抵の場合において、多くとも二つ、ないし三つ程度が常道である。
 同じ宝具が三度現れる。
 奇怪なる現象にランサーの思考は刹那の瞬間、空白が過ぎる。
 ――――が、ランサーは超人的な反応速度によって、左右から迫る陰陽剣を防いだ。
 最初に投擲された鶴翼は投擲された時と同じ方角からそれぞれ舞い戻って来た。
 鉄をも砕く宝具の一刀を左右同時に見舞われながら、ランサーは当然の如く防ぎ、その軌道を容易くずらす。
 これが、アーチャーの宝具たる双剣の能力。
 ランサーは双剣の特性に勘付き、嗤った。
「なるほど、面白い宝具だ。――――が」
 弧を描き舞い戻る筈の双剣は軌道を狂わされ、ランサーの背後へと飛んで行く。
「その程度では、我が首級は取れぬぞ、紅きサーヴァントよ!」
 赤と黄の槍の一撃を振るう。その直前――、
「――――心技、泰山ニ至リ」
 背後より迫り来る存在にランサーは寸での所で気が付き、針の穴の如き隙間を見つけ、飛来する黒き陽剣――干将を躱す。
 だが、それは絶対的な隙をアーチャーに曝す事と同義。
「っ、は――――!」
「嘗めるな――――ッ!」
 ランサーはその一撃を左手に握る黄色の短槍でもって叩き割る。
 封印を施していても、そのランクはB。
 ランクCであるアーチャーの振るった白き陰剣――莫耶と飛来した黒き陽剣――干将を宝具の質が上回っている。
 これが英霊という存在。
 この世の物理法則を冒涜する狼藉者。
 人間の常識を遥かに上回る挙動を当然とする怪物。
 死角からの奇襲と全力の一撃を同時に防ぎ、尚且つ砕く。
 それはまさに神話の英雄譚に登場する英傑に相応しき業。
 されど――、
「――――心技 黄河ヲ渡ル」
 その程度、英傑であるならば、為して当然。
 出なければ、布石を打つ意味が無い。
「またか――ッ!?」
 再度、背後より飛来する陰剣。
 初めに防がれた双剣の片割れたる白き一刀。
 ――――干将・莫耶。
 双剣の秘する能力、それは磁石の如く互いを引き寄せ合う夫婦の絆の力。
「ヌゥ――」
 それを己が限界を超えた反応速度に己が有する他を圧倒する敏捷性によりてランサーは回避する。
 背後からの奇襲を躱したランサーは既に限界を超えている。
 これ以上は防ぎようが無い。
 そんな常識を覆すのが英霊。
 絶対的な隙を見せ、無防備となったランサーの心臓へとアーチャーが振り下ろした黒き陽剣をランサーは尚も飛来した白き陰剣毎打ち砕く。
 死する筈の一撃を再度防いだランサー。
 同時に理解する。
 この刹那、互いに限界を迎えている事を。
 アーチャーは持ちうる双剣を全て砕かれた。
 ランサーは度重なる限界を超えた動きにより、無防備状態に陥りながらもアーチャーの必殺の一撃を防ぎ、それ以上の先は無い。
 この攻防は互いに手詰まりだ。
 互いにこれ以上ない無防備な状態を曝している。
 刹那の後には再び攻防が再開されるだろうが、武器の無いアーチャーはもはや敵では無い。
 本来の武器を出さずにこれほどの攻防を繰り広げ、後一歩の所まで己を追い詰めたアーチャーの技量にランサーは惜しみない賞賛を捧げならがも勝利を確信した。
 途端、ランサーの表情は凍りついた。
 有り得る筈の無い次の一手をアーチャーはその手に顕現させていた。
 有り得ぬ、ランサーの視界に映るは三度砕かれし、対となる白と黒の陰陽剣。
 常識を覆すのが英雄の業であるならば、アーチャーもまた、道理を覆す。
「――――唯名、別天ニ納メ」
 空である筈の両手に四度顕現する双剣。
「両雄、共ニ命ヲ別ツ――――ッ!」
 無防備となったランサーの体を左右から切り刻まんと、アーチャーが双剣を振り下ろす。
 避け切れない。
 そう悟った瞬間、ランサーは更なる常識を覆した。
「馬鹿な――――ッ!」
 封じられた赤と黄の槍の力が解き放たれ、ランサーと主を結ぶパスから尋常ならざる力が流れ込み、完全なる無防備状態から人を越え、英霊の限界を超え、ランサーはアーチャーの振り下ろした双剣を必滅の黄薔薇でもって打ち払った。
「感謝する、我が主よ!」
 ランサーの言葉を受け、虚空からケイネスの声が降り注ぐ。
『宝具の開帳を許し、令呪による援護を受け、この後に及び、敗北も相打ちも許さぬぞ、ランサー』
「承知!」
 道理を覆した一撃を更なる道理の覆しによりて防ぎ得たのはランサーの主たるケイネスの令呪の力だった。
 アーチャーは歯噛みしながらランサーから距離を取った。
 解放させては決してならなかった宝具が開放された。
「さて、第二ラウンドといこうか、紅きサーヴァントよ。もはや、貴様を侮りはしない。我が双槍をもって、貴様の息の根、確実に止める!」
 地面が爆発したかの如く砂煙を上げ、ランサーは音速の速度でアーチャーに接近し、紅き槍を振るった。
「ゲイ・ジャルグ!」
 必殺の一撃の前にアーチャーの双剣が立ちはだかる。しかし――、
「なに――!?」
 驚く声はどちらのものだろうか。
 双剣によって止まる筈の紅き槍は刹那の間も動きを止めず、そのままアーチャーのボディーアーマーを刺し貫いた。
「グッ――」
 己が槍が触れた瞬間に起きた現象にランサーは瞠目し動きを止めた。
 その一瞬の隙を突き、アーチャーは辛うじて距離を取る。
 ランサーは自らの宝具を見つめ、目の前のアーチャーを見つめた。
「今のは……」
 ランサーの疑問に答えたのは目の前の敵ではなく、遠くの拠点より己が戦いを見守る主であった。
『なるほど、読めたぞ、ランサー。奴のクラスはセイバーでも、アーチャーでも、ライダーでも無い。そうであろう、キャスターのサーヴァントよ』
 使い魔を通じて響くケイネスの言葉をアーチャーは黙殺した。
 それをランサーは図星と受け取った。
『恐らくは奴の複数の宝具の正体は魔術による投影品であろう。よもや、宝具の投影とはな。しかし、ランサーよ。奴は貴様の敵では無い。早々に引導を渡してやるが良い』
「承知致しました。我が主よ!」
 ランサーの破魔の紅薔薇の能力は循環する魔力の流れを遮断する。
 その力は刃先のみに集中し、刃の触れている間のみ魔力の循環を遮断する性質が故に如何に魔力により編まれた存在であろうと、既に魔力が物質として固定されているサーヴァントやサーヴァントの宝具を消滅させる事は通常であれば不可能。
 されど、アーチャーの具現化せしめた宝具はゲイ・ジャルグの穂先を前に盾にすらならず、その刀身に穴を穿たれ、光の粒子となり消滅した。
「大丈夫!?」
 背後から己が護るべき主の震えた声が響き、アーチャーは尚も膝を折らず、ランサーを睥睨する。
 そのあり様は正しく主を護る騎士。だが、
「これで仕舞いだ。キャスターのサーヴァントよ!」
 破魔の紅薔薇を構え、ランサーは音速を越え、アーチャーに接近する。
 アーチャーは微かな勝機を手繰り寄せんとあえて後退せず、ランサーに向かい一歩前へ進み出た。
 音速で駆ける赤き槍を黒き陰剣が斬り上げる。
 ――――消滅はしない。
 やはり、とアーチャーは自らの賭けに勝利した事を確信した。
 ランサーの宝具の能力を詳しく熟知しているわけでは無かった。
 単に、その能力が持ち手に当る部分にまで及ぶとすれば、もはやアーチャーに勝機は無く、敗北は必至であったからだ。
 果たして、賭けに勝利したアーチャーは再びランサーと攻防を繰り広げる。
 赤き槍の穂先のみを躱し、尋常ならざる剣技によりランサーの嵐の如き槍撃を防ぎ続ける。
「我が宝具の能力が及ぶ範囲を看破したか、見事だ。――――だが」
 徐々に、アーチャーは圧され始めた。
 ゲイ・ジャルグの能力だけでは無い。
 油断を排したランサーの技巧はアーチャーを遥かに上回り、ステータスの面に於いても圧倒的なまでにランサーはアーチャーを上回っている。
 如何に卓越した技巧と戦術を駆使しようとも、それを上回る技巧と戦術、そして、純粋な力と武具の質の差を前には為す術が無い。
 アーチャーの双剣は砕かれ、弾かれ、消滅させられ、すぐさま新たに具現化するも、顕現した端から打ち砕かれる。
「これで、終わりだ!」
 剛力により放たれる赤き槍の必殺の一撃をアーチャーは辛うじて弾くも、体は宙に浮き、無防備な体を曝す。
「必滅の――――」
 ランサーは左手に握る黄の短槍を振上げ、アーチャーの心臓目掛けて振り下ろした。
 その瞬間、突如、木々の合間から小さな物体が音速を超えて飛来した。
 黄の短槍はアーチャーの心臓を刺し貫く寸前で弾かれ、アーチャーは地面へと落下し、ランサーは何事かと周囲を見渡した。
「今のは……小石!?」
 地面に転がる己が宝具を弾いた物体を目にし、ランサーは驚きに眼を瞠った。
 それはただの小石のようにしか見えなかった。
 宝具でも、魔術具でもない。
「これで、我が槍撃を弾いただと!?」
 驚くランサーにケイネスの声が使い魔を通じて響き渡った。
『何をしている、ランサー! 来るぞ!』
 森の木々を抜け、白き清澄なる光を纏うサーヴァントが姿を現した。
 その手には巨大な両刃の剣が握られ、ランサーへと瞬く間に接近する。
「セイバーか!?」
 迫り来るセイバーの剣を己が双槍を持って防ぐ。
 その力はランサーを上回っている。
 強烈な一撃に体勢を崩すランサーにセイバーは更に追い討ちを掛ける。
『ランサー、何をしている!』
 ケイネスの叱責の声が響くが、ランサーはセイバーの剣を防ぐ事に精一杯となり、返答する事すらままならない。
 ステータスは魔術師でなければ分からぬが、少なくとも、筋力の面において、セイバーはランサーを上回っている。
 されど、ランサーは最大の力を持って、セイバーの剣を弾き、己が敏捷を活かし間合いを取った。
 仕切りなおし、セイバーを睥睨する。
「騎士の戦いに横槍を入れるとは、騎士として、許せぬ蛮行だ」
 常人であればその視線のみで殺せそうな程に鮮烈な殺気を放つランサーを相手にセイバーは動じる様子も無く、剣を構え、ランサーに襲い掛かる。
 筋力のランクで劣るランサーは己が誇る敏捷を最大限に発揮し、迎え撃つ。

 ランサーとセイバーが激突した頃、アーチャーは凜を抱き抱え、森林を疾走していた。
 何故、セイバーがあのタイミングで現れたのかは不明だが、圧倒的なまでの敏捷を誇るランサーを相手に逃げ切るには立ち止まり思案している暇は無い。
「ムッ――――」
 アーチャーは森を抜けた瞬間に疾走を止め、即座に凜を降ろした。
 目の前に漆黒のサーヴァントが待ち構えていた。
「貴様は、アサシンのサーヴァントか!?」
 両の手に白と黒の陰陽剣を握り、アーチャーはアサシンから凜を護る様に構えた。
 マスター殺しに特化したクラスであるアサシンが何故、堂々と正面から現れたのかは不明だが、今は凜を護る事が最優先だ。
 警戒レベルを最大限にまで引き上げ、アーチャーはアサシンを睥睨する。
 すると、アサシンは低い声で言った。
「マスターがお呼びで御座います。凜お嬢様」
「え、って、はい?」
 白き仮面の暗殺者の言葉に、凜は当惑した表情を浮かべた。



[30846] 第六話 雨生龍之介がバーサーカーを呼んだために方針を変える必要に迫られた人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:50
「サーヴァント・キャスター。聖杯の寄るべに従いて、今ここに降臨した。問いましょう。今世に置き、この妾を召喚せしめる者、汝、何者であるか?」
 切嗣とアイリスフィールは騎士王の鞘を媒介に召喚を行った以上、現れるのは間違いなく彼のブリテンを治めし騎士王・アーサー=ペンドラゴンである筈だと信じていた。
 現れた女の名乗りに暫しの間沈黙が落ち、現れた女は切嗣とアイリスフィールの顔を交互に見ると、段々と不安そうな顔をし始めた。
「サ、サーヴァント・キャスター。聖杯の寄るべに従いて、今ここに降臨した。問うぞ。今世に置き、この妾を召喚せしめる者、汝、何者であるか?」
 僅かに声を張りながら再び名乗りを上げるキャスターのサーヴァントに切嗣とアイリスフィールは漸く落ち着きを取り戻した。
 切嗣は目の前のサーヴァントに視線を向ける。
 透き通る様な白い肌とこぼれてしまいそうな大粒の翡翠の瞳。
 完璧過ぎる顔の作りはまるで作り物のようだ。
 背の高さはアイリスフィール以下で、小柄な体躯は一見すると子供の様に見える。
 腰まで流れる赤い髪を宝石が散りばめられた金の髪飾りで結い、豪奢なドレスに身を包む目の前のサーヴァントはどう見ても、騎士王には見えない。
 仮に、騎士王が伝承とは異なり女であっても、騎士王はキャスターのサーヴァントとしての適正は無い筈だ。
 騎士王で無いのであれば、この英霊は何者だろうか。
 騎士王の鞘・全て遠き理想郷――――アヴァロンを寄り代に召喚出来る英霊は限られている。
 騎士王か、あるいはその作り手か、騎士王に鞘が与えられるように采配した者か、あるいは……。
「僕は此度の聖杯戦争におけるマスターの一人。衛宮家五代継承者、矩賢の息子、切嗣。彼女は僕の妻であり、協力者でもあるアイリスフィール・フォン・アインツベルン。お前の名は?」
 キャスターのサーヴァントは歴史に名を残す比類なき魔術師のみが該当する。
 共に戦うという点に於いて、魔術師殺したる切嗣にとってはセイバーよりもありがたい。
 だが、尤も裏切りを警戒すべきサーヴァントでもある。
 剣士たるセイバー、槍使いたるランサー、弓兵たるアーチャー、騎乗兵たるライダー、暗殺者たるアサシン、狂戦士たるバーサーカー。
 これらのクラスのサーヴァントは戦う者としての側面が強いが、魔術師たるキャスターは戦いよりもむしろ姦計に優れたクラスだ。
 味方として、敵を欺くだけならばこれほど頼もしい者は居ないだろうが、欺く相手が敵だけに限らないのがキャスターのクラスの恐ろしさだ。
 常に警戒を怠らず、監視の目を光らせ、言動一つ一つにおいても吟味する必要がある。
 最優のクラスたるセイバー、その中でも最強を誇る騎士王が召喚されたならば、アイリスフィールと共に行動させ、真のマスターたる切嗣自身は身を潜め敵を影ながら駆逐していくという作戦を取るつもりだったが、これでは作戦を変更せざる得ない。
「妾はモルガン。ティンタジェル公ゴルロイスとその妻イグレインの娘にして、ゴアの王ユリエンスの妻なるぞ」
 妖しく微笑むキャスターたる美女の名乗りに切嗣は瞑目した。
 そして、同時に思った。やはりか、と。
 妖妃・モルガン。アーサー王伝説に登場する悪しき魔女の名だ。
 騎士王を様々な策謀で翻弄し、最後はブリテンを滅びへと導いた女。
 なるほど、この女ならばアヴァロンを寄り代に召喚される事にも頷ける。
 何せ、この女は自らの恋人を騎士王に対する当て馬にした挙句、騎士王からアヴァロンを盗み出したのだから。
「まずは場所を移そう。そこで、お前の能力を詳しく聞きたい」
「よかろう。案内するがよい。切嗣よ」

 部屋に戻り、窓辺のソファーに切嗣とキャスターは向かい合うように座った。
 アイリスフィールはお茶を淹れて来ると言って、まだ戻って来てはいない。
「妾のステータスは見えるか?」
 開口一番にキャスターが言った。
 切嗣は黙って頷きながら、マスターに与えられるサーヴァントのステータスを閲覧する力を用いてキャスターのステータスを見た。
 属性は中立・悪。
 方針が社会秩序を肯定も否定もしない中立であり、性格は目的の為に手段を選ばない悪。
 キャスターは必要があれば、どんな悪辣非道な手段に訴える事も厭わない反面、必要が無ければ何もしないタイプらしい。
 裏切る可能性があるとすれば、それはキャスター自身が必要だと思った時だろう。
 ならば、彼女が裏切ろうと思わぬよう、心掛ける事が重要だ。
 切嗣はそう考えながら他のステータスに目を通した。
 筋力、耐久、敏捷、幸運のステータスは軒並み低い。
 筋力に至ってはEランク、即ち、最低ランクだ。
 反面、魔力はAランク。
 キャスターのクラスの典型的なステータスといったところだろう。
 陣地形成はAランク。
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げるというキャスターのクラススキル。
 このランクならば、ただの工房には留まらず、ソレを上回る神殿を形成する事が可能な筈だ。
 道具作成はAランクに+補正がある。
 魔力を帯びた器具を作成出来るスキルだが、このランクならば擬似的な宝具の作製すら可能かもしれない。
 これは詳しく聞き出す必要があるだろう。
 保有スキルの方は三つ。
『策謀:A』、『高速詠唱:A』、『魅了:B』。
 宝具は不明だ。
「ステータスは粗方把握出来た。幾つか質問をしていいかな?」
「構わぬ。申してみよ」
「保有スキルの内容を教えて欲しい。生憎、スキル名とランクしか僕には分からないんだ」
「お前にどう見えているかは分からぬが、そうだのう……、むぅ、戻って来たようだな」
 キャスターは言いながら部屋の扉に視線を向けた。
 丁度、アイリスフィールが部屋に入って来た。その手には何も無い。
「お茶を持って来るのではなかったのか?」
 キャスターは手ぶらで戻って来たアイリスフィールに首を傾げた。
「ごめんなさい。ポットが持てなくて……」
 アイリスフィールが俯き気に言うと、切嗣は慌てた様子でアイリスフィールに駆け寄った。
「大丈夫か、アイリ。顔色が悪いみたいだが」
 心配そうに見つめる夫にアイリスフィールは首を振った。
「これは仕方が無いわ……。切嗣、サーヴァントが一体脱落したわ」
「なんだって!?」
「まことか!?」
 切嗣はアイリスフィールを支え、ソファーに座らせた。
「脱落したのは?」
「バーサーカーよ」
「待て、何故分かる……、お主」
 まるで見て来たかのように脱落したサーヴァントのクラスを言い当てるアイリスフィールに怪訝な面持ちをしながらキャスターはアイリスフィールを見つめ、目を瞠った。
「お主はホムンクルスなのか?」
 キャスターに言い当てられ、アイリスフィールは驚きながら頷いた。
「切嗣よ。この者をさっき、お主は妻だと言わなかったか?」
「ああ、そう言ったよ」
 切嗣の言葉にキャスターは表情を曇らせた。
「お主は何故、聖杯戦争に挑むのだ?」
 キャスターの投げ掛ける問いに、切嗣は目の前の英霊がアイリスフィールの正体を見破ったのだと悟った。
 さすがは魔術師の英霊といったところだろうか。
「僕が聖杯に望むのは世界の救済だ」
「世界の救済?」
「人が争う事の無い世界を僕は望む」
「それが聖杯に懸ける、お主の願いか、切嗣」
「そうだ」
「その為に、お主は妻を死なせる気なのか?」
 キャスターの問いに切嗣は直ぐに答える事が出来なかった。
 もう何度したか分からぬ自己問答。
 だが、未だに即答すらままならない。
「それでいいのよ」
 アイリスフィールが言った。
「私も願いは切嗣と同じ。私の願いを切嗣は叶えてくれる。なら、私は私に出来る事をしたい。ただ、それだけ。でしょ? 切嗣」
「ああ」
 アイリスフィールの言葉に切嗣は感情を噛み殺した声で答えた。
「アイリスフィールと言ったか?」
「ええ」
「それは本当にお主の望みなのか?」
 キャスターの問い掛けにアイリスフィールは微笑みながら頷いた。
「ええ、その通りよ」
 そんなアイリスフィールの答えにキャスターは小さく息を吐くと「そうか」と呟き、アイリスフィールから視線を逸らした。
「バーサーカーが消えたとなると、聖杯戦争の開戦の火蓋は既に切って落とされたらしいな。切嗣、水晶はあるか?」
「アイリ」
「ええ、持って来るわ」
「いや、僕も行くよ」
「あ……、そうだったわね」
 アイリスフィールは申し訳なさそうな表情を浮かべ、切嗣に支えながら部屋を出て行った。

 水晶を運びながら、アイリスフィールは切嗣に声を掛けた。
「ねえ、キャスターの事、どう思ってるの?」
 アイリスフィールの投げ掛けた質問に切嗣は肩を竦めた。
「まだ、どうとも言えないよ。何しろ、相手はキャスターのサーヴァントだ。容易には本性を探らせてはくれないよ。アイリこそ、アレをどう見る?」
 アレ、とはキャスターの事だ。
 切嗣はサーヴァントを一つの道具として考えていると前に言っていた。
 戦いについては切嗣は専門家であり、アイリスフィールには口を挟む事が出来ないが、その考え方でいいのだろうかと先程話したキャスターの事を考え思った。
 キャスターには感情がある。
 僅かに話した程度だが、それがよく分かった。
 キャスターは間違いなく、切嗣がアイリスフィールを犠牲にしようとしている事を非難していたし、アイリスフィールが自身を贄としようとしている事に憤っていた。
 表面上、取り繕っているだけだと切嗣は思うかもしれないが、アイリスフィールにはそれが作り物の感情とは思えなかった。
「私は信じられると思うの」
 アイリスフィールは自分が思うままに言った。
「きっと、彼女は切嗣の助けになってくれる。切嗣、きっと、彼女は私達を裏切らないわ」
「アイリ。相手はキャスターだ。それも、国一つ滅ぼした悪女だ。そう簡単に信じて良い相手じゃ……」
「切嗣」
 アイリスフィールの赤くつぶらな瞳が切嗣の褪せた瞳を捉えた。
「伝承を信じるより、今目の前に居る彼女がどんな人なのか、自分の眼で確かめるべきだわ」
「アイリ、君はどうしてそんなにキャスターを信じようとするんだい?」
「だって、似てるもの」
「似てるって?」
「人伝てで聞いたらなんて酷い人なんだろうって思ったのに、実際に出会って、話して、肌を重ねて、その人を自分の目で見て、自分の耳で聞いて、何て素晴らしい人なんだろうって思うようになった」
 アイリスフィールは切嗣の唇に己の唇を重ね、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「きっと、彼女もそうだと思う」
 言って、アイリスフィールは苦笑いを浮かべた。
「なんて、本当はただ、そう思いたいだけかもしれない。作り物の私には人の感情を真に理解するなんて事……」
 それ以上、アイリスフィールは言葉を続ける事が出来なかった。
 切嗣は己の愛する妻を抱き寄せ、その唇を塞いだ。
「アイリ……。君は僕よりもずっと人間らしい心を持っているよ」

 切嗣とアイリスフィールが水晶を運んで来ると、キャスターはソファーの前の小机に魔法陣を刻んでいた。
「水晶をこの上に」
「ああ」
 切嗣が魔法陣の上に水晶を乗せると、キャスターは不思議な言霊を紡いだ。
 何重にも反響したような不思議な声。
 切嗣はそれが高速詠唱のスキルによるものだとわかった。
 魔法陣に魔力が流れ、水晶にどこかの森が映し出された。視界はかなり低い位置にある。
「これは?」
「冬木において、魔術師が使い魔を通して覗いている光景だ」
「遠見の魔術を盗み見ているのか!?」
 キャスターは鼻を鳴らして唇の端を吊り上げた。
「現時点において、使い魔にラインを接続しているマスターを検索したが、思いの他、上手く事が運んだ。抵抗も弱い、とんだ未熟者が参加しておるらしいのう」
 切嗣は戦慄した。
 遠見の魔術とは自己の意識の入力先を使い魔などに移し変える転移の魔術の応用である。
 通常、他者の意識に介入する転移の魔術は限りなく成功率が低い。
 一般人であっても、他者の意識に介入する事は酷く難しい。
 にも関らず、キャスターは未熟と罵るが、ある程度自己防衛が出来る筈の魔術師の意識にキャスターは介入している。
 魔術師のクラスは伊達ではないという事か、切嗣は自身のサーヴァントの底知れぬ力に体を強張らせた。
「ふん、どうやら、この視界の主はサーヴァント同士の戦いを察知したらしいのう」
 水晶に映し出された映像の中には三人の人影が映し出されていた。
 一人は赤と黄の双槍を持ち、一人は黒と白の双剣を持ち、一人は小学生くらいの幼子だ。
「どうやら、あの赤い方のマスターはあの幼子のようだ。あちらはランサーか。マスターは居らぬ様子だが……む、戦闘開始のようだな」
 切嗣は一端、キャスターの魔術に関する考察を止め、水晶に映し出す映像に集中した。
 槍使いはキャスターの言うとおり、恐らくはランサーだろう。
 相手はセイバーか、あるいは他のサーヴァントか。
 戦いは凄まじいの一言に尽きた。
 水晶の中で互いに高速でぶつかり合い、何をしているのかすら曖昧にしか分からない。
「むぅ!?」
 キャスターは目を瞠った。
「同じ宝具……?」
 映像の中で何が起きたのか、切嗣とアイリスフィールには見えなかったが、キャスターには見えていたらしい。
「どうしたんだ?」
「ランサーの奴めが赤い方の剣を弾き飛ばしたが、再び手に同じ宝具が現れおった。同じ宝具を複数持つ英霊なのか、あるいは、飛ばされても直ぐに手元に戻って来るタイプの宝具なのか……」
 映像の中で更に攻防が続くが、あまりの両者の動きの速さに目で追う事が出来ない。
「馬鹿な、何を考えておる」
 キャスターの言葉に切嗣は何が起きたのか目を凝らした。
 すると、赤い方に斬りかかるランサーの両脇から赤い方が持っている双剣と同じ双剣が襲い掛かった。
「砕かれた……いや、今のは」
 飛来した双剣は弾かれるが、弾かれた内の一つが再びランサーに襲い掛かり、赤い方の持つ剣共々ランサーの槍の前に粉砕された。
 更に続けてもう一方の剣もランサーを襲うが再び赤い方の持つ残りの剣共々砕かれた。
「なんだ、この違和感は……。あれは――ッ!?」
 映像の中で砕かれた剣が再び現れた。同じ宝具がこれで四対。
「あれは、まさか、投影か!?」
「投影?」
 聞き覚えの無い単語にアイリスフィールが首を傾げた。
「術者のイメージによって魔力でオリジナルの鏡像を物質化する魔術だよ。確か、強化や変化の上位魔術だったと思う」
「その通りだ。もっとも、一から十まで全て魔力で再現する上に、人間のイメージは穴だらけだからオリジナル通りの性能を発揮する事は通常は出来ん。それに、投影魔術により作り出した物質は所詮は幻想。世界の修正の対象になり、魔力の気化に応じてその存在を薄れさせる。あのように宝具を投影し、その能力を発揮した上に、宝具と打ち合うなどありえん事だ」
 切嗣も投影に関して詳しいわけではないが、ある程度の知識を持っていた。
 故に、キャスターの言葉が理解出来る。
 仮に、あの赤いサーヴァントが投影により宝具を作り出しているというのならば、それは異常だし、反則的だ。
 何せ、宝具を投影出来るというのが事実であるなら、あのサーヴァントはほぼ無尽蔵に宝具を所有している事も同然なのだから。

 その後、戦況は圧倒的なまでにランサーが有利に運んだ。
 一時は赤きサーヴァントが後一歩までランサーを追い詰めたが、ランサーのマスターがランサーの宝具を解放し、油断と慢心を捨てたランサーを前にその力量の差が明らかとなった。
 戦場は緊迫しているが、しかし、キャスターはランサーの主人の言葉に腹を抱えていた。
「切嗣。アイリスフィール。聞いたか? ランサーのマスターのあの自信たっぷりな物言いを!」
 テーブルを叩きながらお腹を抱えて笑う美女に切嗣は顎に手をやりながら唇の端を吊り上げ言った。
「これは僕達にとっては好都合だな」
「どういう事?」
 アイリスフィールが尋ねた。
「ランサーのマスターはあの赤いサーヴァントをキャスターと信じ込んだ。つまり、僕達は幸運にも一つのアドバンテージを得られた事になる。尤も、それはあのサーヴァントにしても同じ事が言えるけどね」
「アドバンテージ?」
「つまりのう」
 小首を傾げるアイリスフィールに笑いの波が去ったらしい美女が答えた。
「妾達は自らのクラスを秘する事に労無く成功した訳よ。キャスターというクラスは対魔力を持つ英霊に責め易いクラスと思われておるからのう。黙した以上、あの赤いのもキャスターのクラスと勘違いされている状況を利用する気の様だしな。これを利用しない手は無いのう」

 戦いは結局ランサーの勝利に終わった。
 セイバーが乱入して来なければ、あのままあの赤いサーヴァントはランサーの前に屍を晒していた事だろう。
 セイバーが乱入後、突如、視界が消滅し、情報はそこでストップとなったが、視界の主は切嗣達に十分な情報を与えてくれた。
「どうやら、どいつもこいつも一筋縄ではいかない相手らしいな」
 切嗣は水晶で見た戦いを脳裏に浮べ、言った。
「だが、色々と情報は得られた。セイバー、ランサー、そして、あの赤いサーヴァントを捕捉出来、ランサーはその正体を知る事が出来た。これは十分な成果だと思うぞ」
 キャスターの言葉に切嗣が頷く。
「確かに、労せず得たにしては十分過ぎる情報だが、これだけでは足りない。引き続き、情報収集が必要だ。僕達の勝利には情報が命綱だ」
「それも分かるが、まずは冬木に趣き、拠点を作らねばならぬぞ。さすがに、これほど戦場から離れていると、得られる情報も限られる。さっきのもそう何度も通用する手段では無い。冬木と離れすぎているが為に駄目元でやったに過ぎぬのだからな」
 キャスターの言葉に頷き、切嗣は近くの机から冬木の地図をキャスターに見せた。
「拠点にはアインツベルンの古城が冬木の郊外の森にある。遠坂邸ほどではないが、かなり優秀な霊地だ」
「場所は既にあるという事か。ならば、早速赴き、神殿を形成せねばな。ついでだ、冬木の地形、及び霊脈について知りうる限りの情報を教えよ。相手は歴史にその名を届かせる英傑共だ。持ちうるあらゆる手札を使い切るつもりでいかねば、あるのは死だけだぞ」
「ああ、分かっているさ。どんな手を使ってでも、僕は勝たなくちゃいけない。サーヴァントがキャスターである以上、情報収集こそ何よりも優先すべき行動だ」
「ならば、妾達の方針は、聖杯戦争前半は息を顰め、情報収集に専念し、戦いに赴くとすれば、それは残るサーヴァントが半数になる――」
「――後半戦。それまでに情報収集以外にも可能な全ての手段を駆使し、準備しよう。この聖杯戦争、勝利するのは――――僕達だ」



[30846] 第七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に自らの意思で戦場に立った人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:50
 間桐の家の庭に雁夜は己が召喚したサーヴァントと共に居た。
 僅か一年の修行でサーヴァントの召喚を可能とする程に成長を遂げた雁夜であったが、やはり、急造のマスターでは召喚した英霊のステータスに不本意な影響を及ぼした。
 軒並みのステータスが低下し、およそ、セイバーのサーヴァントとは思えない状態だ。
 セイバー自身は特に気にする必要は無いと言うが、自分の情けなさに雁夜は歯噛みした。
 庭で低下した能力の調子をセイバーに確かめさせたが、やはり、生前の強さを発揮するには至らないらしい。
 バーサーカーとして召喚していれば、ステータスの低下をある程度緩和出来ていた事だろうが、現れたのはセイバーのクラス。
 最優と呼ばれているクラスで召喚されたのは不幸中の幸いだったが、出足で躓いた感は否めない。
「雁夜よ。やはり、軒並みのステータスが本来のステータスよりも大幅に落ちているようだな」
 背後から声を掛けられ、雁夜は不快に顔を歪めた。
 セイバーも表情を曇らせ、声の主に顔を向ける。
 虫のざわめきに紛れでもしたのか、いつの間にか、そこに間桐家の当主たる間桐臓硯が立っていた。
 不愉快そうな面持ちでセイバーを一瞥し、臓硯は雁夜に手に持っていたものを放った。
 男性の性器に似た醜悪な姿の芋虫が雁夜の服にへばり付くと、服の隙間から入り込んだ。
 激痛が走り、苦悶に顔を歪める雁夜にセイバーは憤怒の視線を臓硯へと向けた。
「よせ……、セイ、バー」
 苦痛に喘ぎながら、雁夜はセイバーを制した。
 己のマスターの命令にセイバーは眉間に皺を寄せながら自身の怒りを抑えると、己のマスターの負担とならぬよう霊体化し、姿を消した。
 既に、セイバーは雁夜の戦う理由と雁夜に仕掛けられた臓硯の首輪の事を聞いている。
 いざとなれば、臓硯は雁夜の体内の刻印虫を操り、雁夜を殺す事が出来る事を。
「街に放しておった刻印虫がサーヴァント同士の交戦を確認した。郊外の森にあるエーデルフェルトの双子屋敷の片割れじゃ。今、貴様にくれてやった刻印虫とパスが繋がっておる。意識を傾けてみよ」
 雁夜は痛みを押さえつけ、臓硯の言うとおりに意識を傾けた。
 肉を食い破り、代わりにその場所を己の住まいとした忌々しい虫けらに。
 途端、雁夜の視界に地面スレスレを這いずる刻印虫の視界が映り込んだ。
 遠目にサーヴァント同士が向かい合っている様子が見える。
「あれは――――ッ!?」
 居たのはサーヴァントだけでは無かった。
 何故、そこに居るのかと雁夜は言葉を無くした。
 雁夜が愛した女性の娘の片割れが双剣を握る赤いサーヴァントの後ろに立っている。
 まるで、マスターのように。
「凜、ちゃん!?」
 遠坂凛。
 遠坂葵の娘であり、間桐に引き取られ、今も修行という名目で性的な虐待を受け、心を摩り減らしている間桐桜の実の姉。
 未だ小学生である筈の彼女が何故、聖杯戦争に参加しているのか分からない。
 ただ、分かる事は凜が危険に陥っている事だけだった。
 もし、凜が死ねば葵や桜が悲しむ。
 雁夜は視界の中で宝具を解放したランサーに追い詰められる赤いサーヴァントに苛立った。
「何やってるんだ。お前がやられたら、凜ちゃんが!」
 だが、そんな雁夜の声は虚しく間桐の屋敷の庭に響き、赤いサーヴァントは今にも倒されようとしている。
 雁夜は咄嗟に叫んでいた。
「待て、雁夜よ。貴様、何を!」
「セイバー! 凜ちゃんを助けろ!」
 瞬間、先程まで近くにあったセイバーの気配が消滅した。
 代わりに、視界の中にセイバーが現れた。
 雁夜は一瞬にして、遠く離れた場所である筈の視界の向こうに現れたセイバーに呆気を取られたが、セイバーが魔力を放出させた拍子に刻印虫が弾け飛び、衝撃と共に意識が本来の間桐雁夜の視界へと戻った。
「何と、愚かな。三度限りの強制命令権を、よもや敵のマスターの為に使うなどと……」
 臓硯の呆れた口調に苛立ちながら、雁夜は目の前で起きた不可解な現象について合点がいった。
 今のが令呪による絶対命令権の発動。
 歴史に名を残す英傑に己が命を遂行させ、命令次第では大魔術の真似事すら可能とする間桐臓硯が作り上げた聖杯戦争のシステムの重要なファクター。
「うるさい。セイバーがあのランサーを倒せば問題無いだろう」
 雁夜の言葉を臓硯は鼻で笑った。
「ステータスの低下したセイバーであのランサーに勝てるつもりか?」
 雁夜は唇を噛み締め、心を必死に落ち着けると、臓硯を睨み付けた。
「爺ぃ。あの場所に他の刻印虫は?」
「少し離れた場所に一匹居るのう」
「なら、パスが繋がっている刻印虫を寄越せ」
「構わぬが、英霊の召喚を行ったばかりの貴様の今の魔力ではそろそろ限界なのではないか?」
「うるさい。いいから、寄越せ!」
 臓硯は愉快そうに嗤うと、一匹の刻印虫を取り出した。
 何度見ても怖気の走る蟲だ。
 臓硯から受け取り、体内に取り込むと、再び凄まじい激痛が走った。
 目を瞑り、痛みに耐える。
 一年間付き合い続けた痛みと苦しみだ。
 乗り越える術は文字通り体で覚えた。
 深く息を吸い、吐く。
 数度繰り返し、意識を鮮明に保つ。
 刻印虫に意識を傾け、瞼を閉じたまま、瞼を開く。
 刻印虫の視界が映り、セイバーとランサーの戦いは既に始まっていた。

 ずるずるという音。
 それが召喚され最初に聞いた音だった。
 果たして、それは鳴き声なのか、粘液を垂らし這いずる音なのか、判別が出来ぬ腐敗した世界。
 石壁に包まれ、蜜の様に甘い空気が漂い、地面には無数の醜悪な蟲が蠢いている。
「セイ、バー?」
 視界に映り込んだのは死をイメージする容貌の白髪の男だった。
 ラインの繋がりが彼を己のマスターであると教えてくれる。
「然り。セイバーのサーヴァント。名をランスロット。聖杯の寄る辺に従い、ここに参上仕った」
 マスターはランスロットの名乗りを聞き、顔を輝かせた。
 ずるずると爛れた皮膚を引き攣らせながらも、喜びを露わにする主にランスロットは驚いた。
 湖の騎士・ランスロット。
 彼は誉れ高き騎士として多くの二つ名を持つが、それとは正反対の二つ名もまた冠していた。
 裏切りの騎士・ランスロット。
 自らの理想の為に自らが最も尽くすべき相手を滅ぼした愚か者。
 マスターとして、これほど信頼の置けないサーヴァントも他には居ないだろう。
 だと言うのに、何だ、このマスターの喜びようは。
 ランスロットは訝しむように主たる男を見た。
 暗く澱んだ瞳は死んだ魚のようで、皮膚は死人の如く白い。
 まるで、死体が生者の真似事をしているかのような様相だ。
「円卓の騎士。アーサー王よりも強い騎士。それが、俺のサーヴァント。勝てる、お前なら、お前と一緒なら、桜ちゃんを助けられる」
 喜色を浮かべ、ゆらりゆらりと歩み寄る主の足取りは酷く覚束ない。
 咄嗟に手を伸ばすと、主はランスロットに濁った瞳を向けた。
「俺は間桐雁夜。俺はどうしても、この聖杯戦争に勝利して、聖杯を手に入れないといけないんだ。だから、俺に力を貸してくれ」
 嗄れ声の主の言葉にランスロットは頷いた。
 元よりそのつもりだ。
 召喚に応じた時より、主に忠誠を誓う。
 理想を違えてしまった生前の過ちを正す為にも、自らの罪を贖罪する為にも、王に捧げる事の出来なかった真の忠誠を今世の主に捧げる。
 それこそが、ランスロットの召喚に応じた理由だった。
「我が身は主が剣。如何様にもお使い下さい。我が主よ」
「ふむ、クラスの指定には失敗したが、召喚する英霊までは間違えなかったようじゃな」
 耳障りな声が響いた。
 声の主の方へ顔を向けると、怨念の渦巻く闇の中心に一人の老人が立っていた。
 死臭を思わせる不快な臭いが漂う。
 ランスロットは足元を蠢く蟲共の絨毯と同じ気配を老人に感じた。
 あまりにも醜悪に過ぎる存在。
「主よ。あの者は……」
 警戒心を露わにし、手に握る聖剣を老人に向けると、突然、主が苦悶の声を上げた。
 老人が快活に笑う。
「貴様、我が主に何をした!」
 苛烈な殺気を放つランスロットに老人は嗤いながら言った。
「そやつの身の内には儂の分身たる蟲が住み着いておる。雁夜に従属したとは言え、儂が命ずれば、瞬く間にそやつの肉片を喰らい、心の臓を食い破るじゃろう」
「なんだと!?」
 老人の正体が分からず、主の命が手玉に取られている状況でにランスロットは憤怒しながらも動けなかった。
「儂を殺そうなどとは思わぬ事じゃ。儂に手を出せば、貴様の主が死ぬ事になるぞ。無論、雁夜が救おうとしておる桜もな」
 臓硯の言葉に蹲り、苦しみに喘いでいた主が声を荒げた。
「臓硯! 俺は必ず聖杯を手に入れる。だから、桜ちゃんに手を出すな!」
 体を内側から削られ、尚も他者の為に憤る。
 ランスロットは臓硯に怒りを感じながら、同時に感動してもいた。
 死人の如き容貌でありながら、騎士道に通じる気高き心を持つ主に。
「臓硯とやら」
「何じゃ?」
「私は必ず主に勝利を捧げる。故、主に手を出さぬよう願いたい」
 目の前の存在は紛れも無く悪であるとランスロットは断じながらも、主の命、そして、主が護ろうとしている桜という存在の命の為に、屈辱と憤怒を抑え、ランスロットは臓硯に頭を下げた。
「よかろう」
 途端、主の苦しむ声が止み、主は行き絶え絶えに床に転がった。
 主の体を蟲共が這い上がろうとしているのを見て、ランスロットは主を抱き抱え、魔力を放出し、蟲共を払い除けた。
 すると、再び主が悲鳴を上げた。
「無駄に魔力を浪費せぬ事だ。セイバーよ」
「貴様、今度は何を!?」
 ランスロットが怒りの矛先を向けると、臓硯は窘めるように言った。
「儂ではない。今、雁夜を苛んでおるのは貴様よ、セイバー」
「なんだと!?」
「そやつは一年前、魔道に足を踏み入れ、無理な修行により擬似的な魔術回路を作り上げた。言わば、魔術師の模造品よ。そやつは貴様を維持する為の魔力を体内に住まわせておる刻印虫に自らの血肉を捧げる事で生成しておる。貴様が無駄に魔力を放出すれば、マスターたる雁夜はその分、体内を食い荒らされ、死に近づく」
 臓硯の言葉にランスロットは戦慄した。
 魔道に造詣が深い訳ではないが、ランスロットの知る限り、魔術とは外道なる法だ。
 だが、主のソレは常軌を逸している。
 自身の血肉を蟲に喰わせるなど、命を投げ捨てているようなものだ。
「戯言を弄する気か! その様な真似をすれば、主の命は――――」
「ああ、そやつの命は保って数週間じゃろう。じゃが、聖杯戦争の間のみ生き延びる事が出来れば、それ良いと刻印虫をその身に受け入れたのはそやつ自身の意志じゃよ」
「そんな、馬鹿な……」
 ランスロットは言葉を失った。
 どのような精神を持ってすれば、その様な選択が可能だというのだろうか。
 ランスロットとて、戦いで命を落とすならば本望であり、忠義の為ならば命を投げ捨てる覚悟をしている。
 だが、蟲に血肉を喰らわれ、真綿で首を絞められるが如くじわじわと嬲り殺しにされるなど、その恐怖たるや、屈強なる戦士であるランスロットですら身を震わせる。
 主は騎士道に通じる心を持っていると考えたが、それは違う。
 主のソレは既に騎士道など呼べるものでは無く、聖人君子の精神だ。
「何故、それほどまでに主は……」
「桜を救う為じゃ」
「桜……?」
 臓硯は少し離れた場所の蟲の群を指差した。
 すると、蟲の群が徐々に蠢き、中から一人の少女が現れた。
 体中に男性の性器に似た頭部を持つ芋虫に纏わり付かれ、口や性器、肛門に蟲が出入りをしている。
 ランスロットは己が見ている光景が現実とは思えなかった。
 生前、慰み者にされる女性を数知れず見て来た。
 その中には、彼女の様に幼い少女も居た。
 だが、この様に蟲共に全身を犯され、体内を食い荒らされるなどあってはならぬ悪魔の所業だ。
 ランスロットは確信した。
 この老人が悪であると。
 ならば、己が信ずる騎士道に則り、断罪すべきであると。
 だが、出来なかった。
 己が主の命、そして、あの娘の命も目の前の悪魔に握られている。
 この者を斬れば、二人が死ぬ。
 いっそ死なせてやる事が情けなどとはあの娘を救おうと地獄へ自ら足を踏み入れた勇者たる主を前にしては出来なかった。
「雁夜と桜を救いたくば、勝利する事じゃな。聖杯さえ手に入れば、もはや二人に用など無い」
「ああ、手に入れてみせよう」
 そして、主と娘を救い、貴様を我が剣にて断罪してくれよう。
 胸の内で激しい憤怒の炎を燃え上がらせながら、ランスロットは主を抱え、桜の下へと歩き出した。
「待て」
「何だ? 私は勝利すると言ったのだ。この上、あの少女を苦しめる理由は無かろう」
「あの娘は修行中じゃ。貴様達が聖杯を手にし、持ち返るまで、あの娘の修行を止めるわけにはいかぬ」
「なんだと?」
 殺気を漲らせるランスロットに臓硯は言った。
「本来ならば、儂は此度の聖杯戦争は静観するつもりであった。だが、雁夜めが桜を救いたいと懇願するのでな。子の願いを叶えてやるのも父としては当然の事。チャンスをくれてやった。だが、万一にも貴様達が敗北すれば、儂は次の聖杯戦争の為に準備を行わねばならぬ。その為に、桜の修行を中断するわけにはいかぬのだ」
「貴様は――――ッ」
 視線だけで人を殺せそうな程に怒りに身を震わせるランスロットを臓硯は嘲笑した。
「裏切りの騎士が忠義の騎士を演じるか。それも良かろう。精々、桜を救う為に急ぐ事じゃな。雁夜の命はそう長くは続かぬじゃろうて」
 そう言葉を残し、老人は崩れるように消え去った。
 後には蟲の群れのみが残され、ランスロットは怒りと屈辱に身を震わせながら、主を抱え、地下から地上へ伸びる階段を登った。
 救うべき少女を背に残したまま――――。

 ランスロットが去ったのを確認し、臓硯は再び蟲倉に姿を現した。
「精々、狂戦士を従わせ、魔力を搾り取られる苦しみに喘ぐ彼奴の姿を肴に愉しむ程度に考えておったが、よもや、セイバーとして召喚されるとは。ステータスの低下は免れぬだろうが、果たして……」
 暇潰しのつもりで蟲共に肉体を作り変えさせたが、よもや生き残り、最優のクラスを引き当てるとは、臓硯は内心で愉快に思っていた。
 精々、一時の慰み者程度に使い捨てるつもりであったが、届くようなれば手を貸す事も良しとしよう。
 戦いに敗れようが、慰み者としてのたれ死のうが、どちらにせよ、廃棄するという結末に違いは無い。
 なれば、僅かな可能性に僅かばかりのチップを乗せ、ギャンブルを愉しむのも一興と、臓硯は愉快そうに嗤い、蟲に犯されながら女の悦びを幼くして知り、既に元の純真な少女になど戻れぬであろう娘を見下ろした。
「中々に優れた精神防壁を持っておるが、果たして、彼奴らは間に合うかのう」
 臓硯は街に放った己が分身の一つがサーヴァント同士の戦を発見した事を知り、笑みを浮かべた。
「さて、早速手助けをするとしようかのう」

 セイバーとランサーの激突は筆舌にし難い壮絶な戦いだった。
 ランサーの槍は稲妻の如き切っ先であり、人の身で躱すなど叶わぬ幻想だ。
 それを、セイバーは事も無げに防ぐ。
「なるほど、戦の礼儀を知らぬようだが、その剣捌きは認めよう」
 ランサーの言葉にセイバーは黙したまま白き剣を振るう。
 月明かりは森の木々によって遮断され、暗闇の中で鋼と鋼のぶつかり合う火花のみが薄っすらと二人の英傑の姿を晒す。
 ステータスのダウンをものともせず、剛力を持って、ランサーの槍を払いのけ、更に繰り出される槍撃を弾き返す。
 その度にランサーは徐々に後退を余儀なくされる。
 これが英傑の戦い。
 これが自身の召喚したサーヴァントの力。
 雁夜は使い魔を通して見る神話の再現に胸を躍らせた。
 そこには憎しみも怒りも介在せず、ただ只管に二人の英傑の戦いの清廉さに圧倒される。
 視認すら出来ない音速の槍をセイバーは確実に防ぎ切り、間髪を入れず、間合いに入り必殺の斬撃を放つ。
「これほどとは――――ッ」
 セイバーは圧倒的な強さを見せ付けた。
 庭で見せた動きとは比べ物にならない。
 剣のみでは無い。
 セイバーは隙あらば地面に転がる石を蹴り上げ、ランサーの槍の矛先を逸らさせ、隙あらばランサーの脇腹を徒手にて抉らんとしている。
 剣と槍がぶつかり合う度、爆薬に火が点くが如く光が煌く。
「その聖なる輝き、よもや、貴様は――――ッ」
 セイバーはランサーが口を開くと同時にその剣に更なる力を篭めた。
 激しさの増すセイバーの剣戟にランサーは口を閉ざし、絶え間の無い豪雨が如く降り注ぐ斬撃を防ぎ切る。
 セイバーも相当なものだが、相手のランサーも尋常では無い強さだ。
 まるで鍛冶屋の錬鉄の如く火花が飛び散り、甲高い金属音が鳴り響く。
 いつしか、戦いはセイバーが圧していた。
 攻めから守りに転じた時点でランサーの敗北は決まっていた。
 斬り伏せるではなく、叩き伏せると言わんばかりの剛剣。
 騎士らしい優雅さなど欠片も無く、そこには力と技のみが存在した。
 渾身一刀の一撃が放たれ、
「調子に、乗るな――――!」
 その一撃を受けるでは無く、その圧倒的なスピードで躱し、セイバーの一撃は敢え無く地面に激突し、土煙を上げる。
 それは紛れも無い失策だと素人である雁夜にも分かった。
 あれほどまでに卓越した槍使いに対して、あんな大振りな一撃が当るわけがない。
 この瞬間、セイバーは紛れも無く完全な無防備状態をランサーに晒した。
 このままでは負ける。
 雁夜は届く筈の無い叫び声を上げた。
 その叫びが届いたが如く、セイバーの瞳が輝き、地面を抉ったまま、猛烈な勢いでセイバーは剣を襲い掛かるランサー目掛けて振るった。
 迫り来る聖剣の一撃に咄嗟にランサーは槍で防ごうとするが、その身は剣の力に吹き飛ばされ、体勢を崩した。
 だが、セイバーが攻めに転じる前に、ランサーは己が俊敏を活かし、瞬く間に体勢を整えた。
「あの状態から即座に復帰するとは……、なるほど、貴殿は卓越した騎士だ。先程の無礼なる振る舞い、謝罪しよう」
 距離が離れ、睨み合いをしながら、セイバーは謝罪の言を口にした。
 恐らくはさっきのランサーと赤いサーヴァントの戦いに横槍を入れた事を言っているのだろう。
 騎士同士の戦いを妨害させたのは己だ。
 雁夜は罪悪感を感じながら、セイバーとランサーの睨み合いを見守った。
「いいや、これほどの相手と見合えたのだ。それに、貴殿程の清廉なる剣を振るう騎士があのような行動を取るにはそれなりの理由があっての事だろう。ならば、この上、非難はすまいさ」
「貴殿の寛大なる御言葉、ありがたく頂戴しよう」
「さて、よい頃合だ。そろそろ、決着と行こうか、セイバー」
「来るがいい、ランサー。違いに名乗り合えぬは残念であるが、貴殿の槍捌きは戦いの果てにこの胸に刻ませてもらう」
「こちらの方こそ、セイバー。貴殿の剣、確かにこの胸に刻む。では、参るぞ」
「いざ!」
 セイバーは聖剣を、ランサーは赤と黄の双槍を構え、臨戦態勢を整えた。
 そして、二人の英傑が今まさに大地を蹴ろうとした瞬間、雁夜の耳に雷鳴の轟く音が響いた。
 頭上を刻印虫に向かせ、その視界に捉えたのは天空を駆けるチャリオットが迫り来る光景だった。
 古風な二頭立ての戦車だが、その轅に繋がれているのは軍馬では無く、巨大な牡牛。
 その蹄は何も無い虚空で稲妻を蹴り、壮麗に飾られた戦車を牽いて降りて来る。
 轟々と雷鳴を轟かせ、紫電の触手を煌かす、強大な魔力を放出するソレは紛れもない宝具。
 即ちソレは赤きサーヴァント、ランサー、セイバーに続く第四のサーヴァントの到来を告げていた。
「アアアアララララライッ!!」
 轟くような叫びと共に、赤い外套を羽織る巨大な男がセイバーとランサーの狭間に降り立った。
 隆々と筋肉をうねらせる逞しくも美しい両腕をセイバーとランサーの双方に向け、吼えるように言った。
「双方、武器を収めよ! 王の御前である」





[30846] 第八話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したせいで話を聞いてもらえず溝が出来た二人
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:50
 振上げられる剣は僅かに木の葉の隙間から零れる月光を反射し、その幻想的な光景にウェイバー・ベルベットは不覚にも見惚れてしまった。
 隣に座する大男の声も耳には届くが脳には響かない。
 死神の鎌が自身の首を刈り取るのを呆然と眺めていると、大きな力がウェイバーを持ち上げた。
 鋼同士のぶつかり合う音が鼓膜を揺さ振る。
 何が起きたのか初めは理解出来なかった。
「貴様、余の言葉が聞こえなんだか?」
 自らのサーヴァントの轟くような声に漸く状況が呑み込めた。
 セイバーのサーヴァントの剣をウェイバーの従者たるライダーが己が剣により受け止めていた。
 セイバーは無言のまま更なる追撃の体勢を取る。
 同時に、ライダーとウェイバーの乱入により距離を取っていたランサーもまた、臨戦の体勢を取る。
 ウェイバーは頭を抱えた。
 このような状況は想定可能だった筈だ。
 サーヴァント同士の戦場に策も用意せずに乱入するなど愚行としか言い様が無い。
 何故、と己のサーヴァントに問い掛ける余裕も無いが、それでも脳裏に浮かぶのは何故、という疑問だった。
 何故、この様な愚行に走ったんだ。
 伝承に名高き征服王がこの様な致命的なミスを犯すなど、そう考え、ウェイバーの脳裏に嫌な考えが過ぎった。
 この男は己を死なせる為にここに連れて来たのでは無いか、と。
 元々、これほどの男が己のような矮小な魔術師に従えられて嬉しい筈が無い。
 わざと死地へ連れ、己を現世に召喚し、隷属しようとしたウェイバーに復讐しようと考えたのではないか。
 空間が歪んでいる。
 極度の緊張から来る平衡感覚の乱れだ。
 目の前にはセイバーとランサー。
 三騎士と呼ばれる七つのクラスの中でも特に優れているとされているクラスが二体。
 己はここで死ぬ。
 歯がカチカチと鳴る。吐き気がする。
 これが戦場。
 ――――舐めていた。
 自らの優秀さを分からせるなんて豪語しておきながら、ウェイバーは恐怖に震えた。
「いかんな。こうも、話が通じぬとは」
 落胆したような声を吐くライダーに対して悪態を吐く余裕も無い。
 吐き気と悪寒で今にも意識が途絶えてしまいそうなのは持ち堪えるのに必死で、口を開く事さえままならない。
「ええい、聞かぬか! 余は――ッ」
「む、マスター。クッ、ランサー、勝負を預ける。いずれ、決着を着けようぞ!」
「ナニッ!? ま、待て、セイバー!」
 ライダーが何かを叫ぼうとした途端、突如セイバーは慌てた様子で場を離脱した。
 霊体化し、風も無く姿を眩ませたセイバーにランサーは声を張るが、既にセイバーはこの場には居ないらしく、返事が返って来る事は無かった。
 ウェイバーは恐る恐るといった様子でランサーの様子を伺った。
 その顔を見た瞬間、ウェイバーはひきつけを起こしたかのように動けなくなった。
 ――――大気が凍りついた。
 呼吸すら困難な緊迫が周囲を支配し、その中心で殺気を放つランサーの形相は尋常では無く、ただの視線が物理的な破壊力を伴い、ウェイバーを射殺さんと睨みつける。
「主よ。二度に渡る失態、申し訳ありません」
『……構わぬ。状況が状況だ。だが、ランサー。そこな愚か者を生かして帰す事だけはまかりならぬ。まったく、愉快だよ、ウェイバー・ベルベット』
 血を吐くばかりに言葉を紡ぐランサーに、虚空から低く地を這う如き怨嗟の声が降り注いだ。
 愉快と言いながら、その実、その声には愉快さなど微塵も無く、あるのは只管に憎悪の感情のみ。
『何を血迷い、私の手配した聖遺物を盗み出したかと思えば、なるほど、君自らが聖杯戦争に参加する腹であったか』
 ウェイバーはその声の主を知っていた。そして、その憎悪の矛先が自分である事も。
「あ、え……」
『残念だよ、ウェイバー。実に、残念だ。可愛い教え子には幸福に生きて欲しい。私は常日頃よりそう願い続けていたのだがね。君のような凡才は凡才なりに、凡庸な人生を生きられたであろうに』
 とても、残念だ。
 残念そうとはとても思えない口調でランサーの主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは言った。
 ウェイバーは頭上から見下ろされているような感覚を受け、恐慌に悲鳴を上げた。
 想像以上に苛烈な戦場の空気、尋常ならざる憤怒と憎悪。
 それらはウェイバーの心の防壁を瞬く間に砕き、陵辱し、彼を無防備にした。
『やむを得ぬよな。ウェイバー・ベルベット。君には私が特別に課外授業を受け持ってあげよう。魔術師同士が殺しあうという本当の意味――――その恐怖と苦痛を余す事無く教えてさしあげよう。光栄に思いたまえよ』
 恐怖に震えるウェイバーの肩に大きく力強い温かな手が添えられた。
 それが何であるか、ウェイバーは分かっていながらも、恐怖は更に増大する結果となった。
「おうおう、魔術師よ! 察するに、貴様は――――」
 隣に座る己のサーヴァントが何かを叫んでいる。
 聞こえない。
 聞きたくない。
 このサーヴァントは――――己を殺そうとしたのだから。
 ウェイバーは咄嗟に己に宿る令呪を意識した。
 これを使えば、この男を殺す事が出来る。
 いかに伝承にその名を轟かす征服王とて、令呪の縛りに抗う事は出来ない筈だ。
 生き残る為に必要な事は何だ。
 ウェイバーは頭の中で想像力を目まぐるしく働かせた。
 己を狙う者は誰だ? 
 ケイネス、ランサー、ライダー、セイバー、セイバーのマスター。
 他にも見ている者が居るかもしれない。
 だが、セイバーや他のマスターはライダーが居なければ、殊更、ウェイバーを殺そうとはしないのではないか?
 そうだ、この場でランサーを殺し、ケイネスを殺せば、後はライダーさえ始末すれば、生き残る事が出来る。
 ウェイバーは暗く瞳を濁らせながら唇の端を吊り上げた。
 自らの優秀さを知らしめる為に参加したこの聖杯戦争。
 例え、優勝が出来なくても、ケイネスを、己の師を倒したとなれば、それは既に十分な戦果な筈だ。
 死の恐怖を目の当たりにし、ウェイバーの心はわずかな間に酷く磨耗していた。
 ライダーはケイネスに対し、ウェイバーを擁護する言葉を紡ぐが、その言葉がウェイバー本人に届く事は無く。
 ウェイバーは己が令呪に意識を向け、叫んでいた。
「――――臆病者なぞ、役者不足も――ッ」
「ライダー!」
「ッ――――坊主、何を!?」
 突然の事に目を剥くライダーにウェイバーはしてやったりと暗い喜びを感じながら令呪を発動した。
「ランサーを殺せ! お前の全力を持って!」
「坊主……貴様……ヌゥ――――ゥオオオオオオオオオ!!」
 令呪の消失と同時に、凄まじい旋風が巻き起こった。
 計り知れない魔力の放出と共に、熱く乾いた、焼け付くような夜の森であり得ない筈の――まるで、灼熱の砂漠を吹き渡ってきたかのような、轟然と耳元に唸る風が森の木々を薙ぎ倒し、ウェイバーは思わず目を腕で庇った。
 ざらつく礫を舌に感じ、唾と共に吐き出しながら辺りを見回すと、そこは既に森ではなかった。
「砂漠……?」
 ウェイバーはライダーの宝具たるゴルディアス・ホイールに乗りながら砂漠の中心に居た。
 隣にはライダーが憂うような眼差しをウェイバーに向けていた。
 ウェイバーは咄嗟にその視線から逃げる様に顔を背け、ライダーはその視線をランサーに向けた。
「これは、余の見込み違いであったか……。いや、令呪の命とあっては、サーヴァントとしては従わぬわけにはいかぬな。ランサーよ、見ての通りだ。この世界、この風景、これこそが、ライダーのサーヴァントにして、征服王の異名を持つイスカンダルが誇る最強宝具・王の軍勢――――アイオニオン・ヘタイロイである!! これを使った以上、もはや、貴様の勝利は無い。最後に問うておこう」
 ライダーはゆっくりとした動作でゴルディアス・ホイールの御者台を降りると、目の前に尚構えを取り続けるランサーに問いを投げ掛けた。
「ランサーよ、我が軍門に降り、余の配下とならぬか? さすれば、余は貴様を朋友として遇し、世界を征する快悦を共に分かち合う所存である」
 ライダーの言葉をランサーは眉も動かさず無視し、ウェイバーは己の内に生み出た疑念を確信に変えた。
 ライダーは敵と手を組む気だ。
 令呪で命じられながら、ランサーが応じていれば、敵と組む気だった。
 そして、敵と共に己を殺すつもりなのだ。
 事もあろうに、ウェイバーを辱めたケイネスと共に。
 殺すしかない。
 僅かに残っていた躊躇逡巡の気持ちも消え去った。
 殺される前に殺すしかない。
 その前に、少なくともケイネスだけは殺す。
 体を震わせながら、ウェイバーは心に誓った。

 そんなウェイバーをライダーは哀れむように見つめていた。
 ライダーはウェイバーがケイネスという存在に恐怖し、令呪を使ったのだと考えていた。
 それ故に恐怖に震え、令呪を用いて己を隷属させる矮小なるマスターに対し、怒りを感じる事は無く、唯只管に、ライダーはウェイバーを哀れんだ。
 些細な擦れ違いは既にあまりにも強大な溝となり、二人の心を引き離していた。

「返答が無いのは拒否と捉えてよいか?」
「戯言はそこまでにしておく事だな」
 ランサーはライダーの問いを切って捨てた。
 主たるケイネスの使い魔の気配は消滅している。
 恐らく、この結界空間が外と内とを遮断している為であろう。
『まさか、これは……固有結界か!? 退け、ランサー!!』
 それがケイネスとの最後の通信であった。
 ――――固有結界。
 魔術に造詣が深いわけではないが、少なくとも、ここが結界空間である事だけは理解出来た。
 そして、その力の強大さも。
 ランサーの目に映るのはライダーとそのマスターだけではない。
 ライダーの宝具たる二頭の牡牛の牽く牛車のその後ろに無数の揺らめく影が見える。
 それら一つ一つが徐々に色を持ち、輪郭を持ち、厚みを備えていく。
「この世界、この景観は我等全員の心象である」
 マスターに与えられる英霊のステータスを見破る透視能力を持たないランサーには分からぬ事だが、そこに並び立つのは一人一人が英霊であった。
 評価不可能なランクA++を超える力を誇る対軍宝具。
 独立サーヴァントの連続召喚。
 軍神が、マハラジャが、以後に歴代を連ねる王朝の開祖が、ライダーを中心に並び立つ。
 一人一人が伝説を持つ勇者であり、その出自のみを同じくしている。
 嘗て、偉大なるアレキサンダー大王と共に並び立ったという出自を。
 ライダーは乗り手の居ない一際大きく精悍で逞しい駿馬に跨り、ランサーのサーヴァントと対峙した。
 そして、ランサーを圧倒的な数により取り囲んだ。
「蹂躙せよ」
 ライダーの紡ぐ一言に空気が震えた。
 無数の勇者達の雄叫びが天を突き、地を揺るがした。
 嘗て、アジアを東西に横断した無敵の軍勢がランサー一人を蹂躙せんと、進軍を開始した。
 一人一人が最高クラスの英傑であり、ランク:E-の単独行動スキルを保有するサーヴァントを相手にされど、ランサーはその口に笑みを作った。
「なるほど、セイバーにしろ、ライダーにしろ、礼儀知らずではあっても、その力は本物という事か」
 己が握る双槍を翼の如く広げ、ランサーは蒼天を貫く軍勢の雄叫びを塗り潰すが如く声を上げた。
「我が名はフィオナ騎士団が随一の騎士、ディムルッド・オディナである! いざ、参らん!!」
 全方位から進軍して来る無敵の軍勢を前にランサーは恐怖など無かった。
 それは、ついさっき使い魔では無く、ラインを通して聞いたマスターの言葉があったからだけでは無い。
 それを上回る怒り、そして、更にそれを上回る戦場の高揚感がランサーから恐怖と言う感情を蓋い潰した。
 視界に入る敵の数はざっと数えて万を越える。
 圧倒的などという話ではない。
 まさに絶望的な戦力差だ。
 剣を持つ者、槍を持つ者、弓を引く者、騎馬に跨る者。
 数など数えていても仕方は無い。
 ランサーのサーヴァント、輝く貌のディムルッドは今、単騎にて征服王の軍勢へと駆け出した。

 ウェイバーはその光景をただ呆然と眺めていた。
 己のサーヴァントの宝具の凄まじさに圧倒されたのではない。
 勿論、それもあるが、それ以上にウェイバーの心を震わせ、魅せたのはランサーのサーヴァントであった。
 ランサーのサーヴァントは無数の軍勢に取り囲まれながら既に十分もの間戦い続けている。
 音速を超える槍撃、稲妻の如き斬撃、暴雨の如き矢、鉄をも砕く斧。
 それらを圧倒的な俊敏により躱し、己の宝具を振るい続けている。
 聖杯戦争に参加するマスターに与えられる特殊能力たるサーヴァントのステータスを看破する透化の能力はサーヴァントそれぞれの能力をウェイバーに教えてくれる。
 マスター不在な為か、その能力は軒並み低い。
 逆に最高クラスのマスターを持つランサーのステータスは特に敏捷が他を圧倒している。
 そうなったのは対人ではなく、大軍宝具故であろうか、ライダーの最強宝具はその最強たる所以の物量の数を活かし切れずに居た。
 ライダーの号令により形を変えても、ランサーを捉える事が出来ずに居る。
 弓を引く英傑はされど音速を越え同志の合間を縫い移動し続けるランサーを狙う事が出来ず、剣、槍、斧、槌を握る者は一人残らずランサーの動きを捉え切れない。
 相手が敏捷の低い英霊であれば、こうはならなかっただろう。
 常識を超えた速度で移動し続け、決して癒えぬ傷を負わされ、鎧を貫通され、徐々に英傑達の数は減ってゆく。
 歴史に名を残す英傑がその身を霧散させていく様をライダーは無表情で見つめていた。
「聖杯に選ばれし英傑。これほどか……」
 あり得ざる会合。
 あり得ざる戦い。
 それが故に起こるあり得ざる状況。
 ――――それは、神話の再現と言っても過言では無いだろう。

 砂塵の中を音速で駆け抜けるランサーの姿はもはやウェイバーには翡翠色の風にしか見えず、風が通り抜ければ人が死ぬ。
 屈強なる男の体に無数の穴が開き、重厚な鎧を纏う者が胸に小さな穴を空け、そこから血を流している。
「だが、ここまでよな」
 ライダーの言葉にウェイバーは不思議に思うと、視界の中でついに一人の剣士の刃がランサーに届いた。
 圧倒的な物量とはそれだけで脅威。
 既に三騎士たるセイバー、そして、双剣を振るうキャスターと戦い、能力が低下しているとはいえ、無数のサーヴァントを相手に戦い続け、ランサーは確実に疲弊していた。
 徐々に矢はランサーを捉え、斬撃や槍撃はランサーに血を流させ始めた。
 眼に見えて動きの悪くなるランサーにウェイバーは勝利を確信し、そして――――。
「え……?」
 突如、ランサーの姿が消失した。霧のように姿を消したランサーにサーヴァント達も戸惑いを見せている。
「令呪による強制召喚か……。なるほど、初めからそのつもりであったか……」
 ライダーの重い口調にウェイバーは漸く事態を飲み込み、歯噛みした。取り逃がした、と。
 残りの令呪は二つであり、一つで己のサーヴァントに自害を命じなければならない。
 なれば、残る一つで確実にランサーとケイネスの双方を仕留めなければならない。
 その上、それまでは目の前で馬に跨る己を殺そうと企む殺戮者と共に在らねばならない。
 ウェイバーはその事に恐怖し、打ち震えた。
 その様子にライダーは気が抜けたのだろうと考え、苦笑しながら固有結界を解除した。
「返るぞ、坊主」
「…………ああ」
 互いの心を知らぬまま、ライダーとウェイバーの初戦は終わりを告げた。



[30846] 第九話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したために悲しむ少女
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:51
 ――――深い闇の支配する森の中で、凜とアーチャーは更なる闇と対峙していた。
 暗い木々の枝の影に不釣合いな白い、月の如き面が浮かんでいる。
 人の骸骨で作られた面は道化の様な笑みを浮かべている。
 白い髑髏を前にアーチャーは己が半身とも呼べる陰陽の双剣をその手に投影し、だらんと両腕を垂らす独特の構えを取った。
 凜を背に隠し、仔細に目の前の存在を観察する。
 外套に隠した黒い体。
 真紅の帯に覆われた左腕と白い帯びに覆われた右腕。
 白い髑髏の仮面で隠した顔は闇に紛れ、輪郭すら明確に見えない。
「マスターがお呼びで御座います。凜お嬢様」
 黒い影が揺らぎ、表情など持たぬ髑髏の面が幼き魔術師の少女を凝視する。
 見つめられている事に気が付いた凜は戸惑いの声を上げるが、アーチャーは凜をアサシンに近づけまいと二人の間に体を割り込ませる。
「アーチャー?」
「凜、決して私から離れるな」
 静かに告げるアーチャーに凜は小さく頷き、アーチャーの赤原礼装を強く体に巻きつかせた。
 アーチャーは目の前の存在を警戒している。
 ランサーと対峙した時の比では無い。
 アサシンがわずかにでも動こうものならば全力を持って討伐せんと全身全霊を持って集中している。
「キャスター。……いや、アーチャーなのか? まあ、良い。とにかく、そう警戒するな」
 低く囁くような声が白の仮面の奥から響いた。
「戯言を……」
 殺気立つアーチャーにアサシンは小さく溜息を吐くと、アーチャーを隔てた先に立つ凜に言葉を投げ掛けた。
「我が主は言峰綺礼でございます」
 言葉に反応したのは凜だけではなかった。
 アサシンのサーヴァントはその卓越した洞察力により、わずかにアーチャーが動揺したのを見て取った。
 不審に思いながらも、アサシンは言葉を続ける。
「ご存知の通りかと思われますが、貴女のお父上と我がマスターは同盟関係におありで御座います。故、どうか」
「貴様の言を信ずる程愚かな事も無かろう。暗殺者」
 アーチャーはにべも無くアサシンの言葉を切って捨てた。
 暗殺者のサーヴァントたるアサシンはキャスター以上に姦計と間諜に優れた英霊だ。
 目的遂行の為ならば虚言を並べ立てるなどアサシンにとっては息を吐くも同然。
「なるほど、貴殿の言葉は尤もだ」
 仮面の向こうの表情は読めない。
 アーチャーのサーヴァントは鷹の如き鋭い視線をアサシンに対してだけではなく、あらゆる方角に向けていた。
 暗殺者たる存在は目の前に居ながらにして、無数の策を周囲に散らばせておくものだ。
 目の前に姿を現す。
 それは暗殺者の手法の一つである。
 意識を自身に向けさせる事で、周囲への警戒を怠らせ、目標を殺害する。
 無論、そんな手段は決して暗殺の常道では無い。
 だが、過去、そういった手法を取る者が居なかったわけではない。
「なれば、私の言葉ならば信じてもらえるかな? 凜」
 暗い森の奥から進み出てくる影があった。
「貴様は……?」
 アーチャーはアサシンから凜を隠しながら近づいて来る影に問うた。
 月明りがその顔を照らし出すと、凜は声を上げた。
「綺礼!」
「知り合いか、凜」
 アーチャーの言葉に凜は頷いた。
「大丈夫よ、アーチャー。綺礼は……少なくともお父様の弟子である事は事実だから」
 凜の言葉にアーチャーは綺礼を見た。

 アサシンはアーチャーの様子に奇妙な違和感を覚えた。
 先程までの己に対する警戒心が僅かに逸れたのだ。
 凜を信じたのだろうか、いや、それはありえない。
 何故なら、アーチャーは警戒を解いたわけではないからだ。
 その矛先が己から己のマスターへと切り替わっただけに過ぎない。
 解せない。
 アサシンのサーヴァントたる己を警戒するのは分かる。
 マスター殺し専門のサーヴァントと云われるアサシンのクラスである以上、どれほどの証拠を山積みにしても、そうそう信じてもらえるとは考えていなかった。
 故に、動かざる証拠として、マスターが危険を承知で同伴したのだ。
 だが、そのマスターを己以上に警戒する理由は何だ?
 主が姿を現す事で更なる疑念を募らせたのだろうか、そうだとすれば、この上更に主の師であり協定を結んだ魔術師、遠坂時臣氏に来て頂く他無い。

 アサシンがそう考えを巡らせていると、主たる綺礼が口火を切った。
「サーヴァントよ、貴様の主の言葉を信じぬのか?」
 綺礼の言葉にアーチャーは何故か苛立ったように凜に声を掛けた。
「この男は信用出来るのか?」
「え、えっと……、し、信用……ま、まあ、出来ない事も無い……かな?」
「凜。出来れば、断言してもらえないだろうか」
 綺礼は窘めるような口調で言うと、アーチャーに視線を向けた。
 丁度、その時であった。
 突如、頭上を紫電の雷光が煌き、轟く雷鳴が鼓膜を突き破らんと降りかかった。
「あれは、ライダーか!?」
 同時に頭上を見上げ、アサシンとアーチャーの声が重なった。
 あまりにも強大な魔力と衝撃が地面を揺らし、先程までアーチャーがランサーと戦っていた場所にライダーが降り立った。
 都合、この場所にセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシンの五体の英霊が揃った事になる。
 バーサーカーが既に敗退している以上、キャスターを除く全てのクラスが出揃った。
「いかんな、これは……」
 アサシンの声にアーチャーは綺礼を見た。
 信じるべきか否かを判じ兼ねている様子だ。
「アーチャー!」
 凜の声が静かな森林に響いた。
「綺礼に付いて行くわ。ここに留まるのは得策じゃないもの」
 逡巡するアーチャーに凜は凜とした表情で言った。
「凜……」
 アーチャーは凜を見た。
 その瞳は暗闇の中にありながら力強い輝きを秘め、アーチャーは深く息を吐くと頷いた。
「了解だ、凜。だが、警戒はさせてもらう。それと、私から決して離れるな」
 アーチャーはそう言うと凜を抱き上げた。
 慌てた声を上げる凜を無視し、視線を綺礼に向ける。
「それで、どこへ向かう?」
「我が師の屋敷だ。近くに車を停めてある。ついて来い」
「了解だ」

 半刻程綺礼の運転する車に揺られ、アーチャーと凜は遠坂邸に到着した。
 気配遮断のスキルにより姿を隠しながら警戒の為に車と並走していたアサシンも今は綺礼の隣に立っている。
 アーチャーに余計な警戒心を抱かせないための配慮だろう。
 四人が遠坂邸の屋敷の敷地に足を踏み入れると、同時に、屋敷の扉が開き、一人の男が駆け寄って来た。
 アーチャーが咄嗟に構えるが、凜の一言に警戒心を解いた。
「お父様!」
「凜!」
 凜はアーチャーの手を離れ、父である時臣の下に駆け寄った。
 時臣は駆け寄って来る娘を抱き締めると、その頭を撫でた。
「よく、無事に帰って来てくれた」
 凜は父の言葉に涙腺を緩ませた。
 怒られると思っていた。
 禁じられた聖杯戦争に関与し、よりにもよってサーヴァントを召喚してしまった己を父はきっと叱るだろうと思っていた。
 だが、時臣は凜を責めなかった。
 只管、娘の無事に安堵し、喜んでいる。
 そして、頭を撫でている。
 僅かな間、呆気にとられた表情を浮かべ、凜はやがてその瞳を涙で潤ませた。
「お前が凜のサーヴァントか?」
 時臣は確認するような口調で背後に佇むアーチャーに問い掛けた。
 アーチャーは黙して頷き、凜に視線を向けた。
「凜」
 声を掛けられ、凜はぐずりながらアーチャーに振り向いた。
 昨晩、あれほど涙を流したというのに、どこにこれだけの涙があったのかとアーチャーは内心で驚きながら、微笑を浮かべ、凜に言った。
「ここならば安全だ。だから――――」
 凜はアーチャーの言葉に凍りついた。
「……え?」
 凜は聞き返すようにアーチャーを見つめた。
 アーチャーは安堵の笑みを浮かべ、凜の頬を流れる涙を指で掬い取った。
 時臣は黙したままアーチャーを見た。
 綺礼とアサシンもまた、言葉を無くし、アーチャーを見つめている。
「私に自害を命じるんだ、凜」
 何を言っているの、声も無く瞳で問い掛ける。
 アーチャーは様々な感情をない交ぜにした表情を浮かべる凜に苦笑を漏らしながら言った。
「ちゃんと、全ての令呪を使い切ってから命じるんだ。そうだな、最初の命令は動くな。これで、安心だろう? 次に、まあ、目を閉じろ、とでも命じるんだ。そして、最後に残った命令権で私に自害しろ、と命じろ。それで終わりだ」
 令呪の使い方は覚えているな? 
 そう問い掛けるアーチャーに凜は体を震わせた。
「な、んで……」
「ん?」
「なん、で……そんな、事……言うの?」
 涙を零しながら、凜は震える声で問い掛ける。
「もう、私は不要だからだ。いや、これ以上、君の傍に居る事は害悪にしかならん」
 アーチャーは諭すように言った。
 凜は唇を硬く結び、首を横に振り続ける。
 アーチャーは根気良く語った。
「凜。君はこの戦で勝ち抜くには魔術師として未熟過ぎる。後、そうだな……十年」
 アーチャーの言葉はどこか確信に満ちていた。
「後、十年すれば、君はきっと素晴らしい魔術師になるだろう。それこそ、最強のマスターとして聖杯戦争を戦い抜けるだろう。だけど、今は未だ、その時じゃない」
「ヤダ……、ヤダ!!」
 凜は首を振りながら叫んだ。
 そして、時臣の手を掻い潜り、アーチャーの外套を引き摺って、アーチャーの足にしがみ付いた。
「どうして、そんな事言うの!?」
「凜、言っただろう。君では……」
「私が未熟な事なんて分かってる!!」
 凜の叫びにアーチャーは言葉を止めた。
 凜は鋭く目を尖らせ、アーチャーを睨みつけている。
「なら、アーチャーが守ってよ。私に足りない分はアーチャーが補ってよ!」
 凜の叫びにアーチャーは小さく息を吐いた。
「頑固者め。君は別段、聖杯に望む願いなど無いだろう? 私とて同じだ。ならば、無理に戦いに参加する必要などない」
 穏かな口調で言うアーチャーに凜は尚も首を横に振る。
「参加する理由ならあるもん! 私はお父様のお手伝いをするの! だから……、だから、貴方が必要だもん!」
「なら、尚の事。私に自害を命じるべきだ。父上の手伝いをしたいというのなら、私が消えれば、そこのアサシンや敗退したバーサーカー、それに、君の父上のサーヴァントを除けば残り三体にまで減る。十分に君は父の役に立つ事が出来るんだ。そら、躊躇う必要などないだろう?」
 アーチャーの言葉に凜は拳を握り、顔を俯かせた。
 何を言っても、この騎士は己を殺せと凜に言う。
 それが凜の為だと信じている。
 確かにその通りなのだろう。
 サーヴァントと共にあるという事はこの時期の冬木においては命を奪い、奪われる立場にあるという事。
 魔術師としても、人間としても未熟な今の凜のでは他のマスターにとってはかっこうの標的でしかない。
 アーチャーの自害を命じろ、という言葉。
 自害の意味など、小学生である凜とて知っている。
 確かに、アーチャーが居なければ、わざわざ凜の命を狙おうなどと考える魔術師は居ないだろう。
 けれど――――、
「イヤなものはイヤなの!」
「凜。聞き分けの無い事を言うな。君の命に関る事なんだぞ」
 アーチャーは困った様な顔で言う。
 そんな顔をさせたい訳ではないのに、凜は止め処なく涙を流しながらアーチャーから視線を逸らし、逃げる様に屋敷の中へと入って行った。
「凜!」
 アーチャーは咄嗟に追いかけようとするが、時臣が立ち上がり、アーチャーを静止した。
「お前と話がしたい」
 時臣の言葉に屋敷を一瞥した後、アーチャーは黙って頷いた。

「双方、武器を収めよ! 王の御前である」
 雷鳴と共に現れ、吼えるように叫ぶライダーにセイバーは踏み込んだ。
 二の句を告げさせる前にその存在を滅する為に。
 眼前に降り立った巨躯の男が何者であるかは分からない。
 何故、このタイミングでこの場所に現れたのかも分からない。
 セイバーを瞬間的に突き動かしたのは焦りだった。
 セイバーのステータスはライダーの襲来の寸前に軒並みダウンしていた。
 それは丁度、凜がアーチャーに抱えられ、この森を脱出した瞬間と重なる。
 未熟な魔術師たる間桐雁夜に召喚された事でセイバーは筋力B、耐久C、敏捷C、魔力D、幸運Dというおよそセイバーとは思えない程に低いステータスで現界した。
 筋力と耐久が互角であり、敏捷において大きく引き離されているランサーのサーヴァントと打ち合えたのは令呪によるブーストにより、己が宝具たる『無毀なる湖光――――アロンダイト』の力に頼った結果だ。
 令呪とはサーヴァントの意思によって効果が増減する。
 サーヴァントの意志とマスターの意志が一致しなければ、その効力は軽減され、サーヴァントの意思とマスターの意志が一致すれば、その効力は増大する。
 敵とはいえ、幼き少女を守らんとする雁夜の意志にセイバーは心から賛同した。
 それにより、強制転移という奇跡の後もその加護は継続し、セイバーに宝具の力を発揮させるのに十分な量の魔力を補填した。
 アロンダイトはセイバーの全ステータスを1ランク上昇させ、筋力と耐久の面でセイバーはランサーを上回った。
 かの騎士王すらも上回る剣技と1ランク上の力を組み合わせる事でセイバーはランサーと打ち合う事が出来、あまつさえ、圧倒すらしてみせた。
 だが、それもついさっきまでの事。
 マスターたる雁夜の令呪に篭めた命令は――――『凜ちゃんを助けろ!』というもの。
 凜が戦線を完全に離脱した事で令呪の加護は消滅し、宝具の力を発揮する為の魔力が失われた。
 アロンダイトの力を発揮させようと思えば不可能では無いが、それは即ち雁夜の命を削らせる事と同義だ。
 ただでさえ、既にサーヴァントの召喚、遠見の魔術、令呪の発動とその身にあまる奇跡を繰り返している雁夜にこれ以上負担を強いる事は出来ない。
 雁夜の寿命は刻一刻と迫っている。
 聖杯戦争が終わるまでは保たせると雁夜は豪語していたが、聖杯戦争の帰還が長引けば、その限りでは無いだろう。
 雁夜を救う事が出来るとすれば、それは聖杯のみであり、雁夜の望みを果たさせる事が出来るとすれば、それもまた、聖杯のみである。
 時間は無い。
 負ける事は許されない。
 故に、焦燥するセイバーは踏み込んだ。
 突如現れたサーヴァント、その横に座る無防備なマスターに向かって。

 ――――嘗て、ランスロットは攫われた愛する人を救う為に馬に跨り、旅をした事がある。
 長い旅路の中で馬が死に、愛する人を追う為に農夫の荷馬車を使う他無い状態に陥った。
 ランスロットはそれが己の信仰する騎士の道に反すると考え、躊躇してしまった。
 結局はランスロットは荷馬車を使い、愛する人を追い、遂には救い出すが、愛する人はランスロットに冷たく接した。
『何故、躊躇ったのですか?』
 ランスロットが荷馬車を使う事を躊躇った事を愛する人は裏切りであると激しく罵った。
 それが彼を、彼が忠義を誓った王を、王の治めた国を破滅に追いやる事となった。
 ランスロットは己の理想とする騎士道を疑い、惑い、一夜の過ちを犯した。
 過ちの結果、ランスロットには子が産まれ、その事を愛する人に責められた時、ランスロットは己の求め続けた理想の追求を捨てた。
 ランスロットは愛に生きる事を望む己を制する事を止めた。
 結果は無惨なものだった。
 忠誠を捧げた王は死に、王の国は滅びた。
 ランスロットは最後の戦いに間に合う事が出来ず、償う機会を永遠に失った。
 愛する人との愛をも失い、晩年、ランスロットは剣を捨て、愛を捨て、僧籍へと身を投じ、後悔を重ねた。

 過ちは繰り返さない。
 忠義を誓った主の為ならば、例え騎士の道から外れようとも使命を全うする。
 騎士道を捨て、忠義を忘れ、愛を捨てたセイバーのサーヴァントの胸にあるのはそんな贖罪の心であった。
 同時に、怒りもあった。
 ランサーのサーヴァントと赤きサーヴァントの決闘に横槍を入れた自分。
 そして、己とランサーの決闘に横槍を入れた眼前のサーヴァント。
 一度は捨て去りながらも、尚、心に抱く騎士道を侮辱し、された。
 憤怒と贖罪、相反する二つの思いを胸に抱き、セイバーはライダーのマスターを両断せんと迫った。
 鳴り響く鋼と鋼のぶつかりあう音は己の剣を防がれた事を意味し、セイバーは尚もライダーのマスターを殺意を持って睨みつける。
「いかんな。こうも、話が通じぬとは」
 ライダーの戯言を聞き流しながら、セイバーは必殺の機会を伺う。
 その時だった。
 ラインを通じて、主の苦痛を感じた。
 宝具の力を発揮しているわけでもなく、ただ渾身の一撃を与えたに過ぎないが、たったそれだけで主の命は削られる。
 ただでさえ、今宵はサーヴァントを召喚したばかりで疲弊しているだろう時にこれ以上は現界しているだけで己は主を苛む毒となってしまう。
「ええい、聞かぬか! 余は――ッ」
 ランサーに視線を向け、セイバーは心苦しく思いながらも撤退の旨を告げ、霊体化した。
 次こそは決着を着ける。そう、胸に誓いながら。



[30846] 第十話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した事で動き出した人の話
Name: 雨生家の先祖◆b32adb85 ID:76577b36
Date: 2012/01/04 12:51
 ライダーのサーヴァント、イスカンダルは拠点である深山町中越二丁目にあるマッケンジー宅に帰り着いてから一言も言葉を発さぬマスターに参っていた。
 如何に嘗ての師と対峙したからといって、こうまで心を乱すとは、どうにも肝っ玉が小さい。
「いい加減、こっちを向かぬか、坊主」
 声を掛けるが反応は無い。
 仕方なく、イスカンダルは主たるウェイバーから視線を逸らし、テレビの電源を入れた。
 現代の科学技術という名の神秘を興味深げに眺め始めた。
 そんなイスカンダルの行動はウェイバーの神経を逆撫でした。

 ――――数刻前の事。
 ウェイバーは師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトから盗み出した所有物を寄り代にサーヴァントを召喚した。
 深夜の森は獣共の狂騒によりざわめいた。
 征服王・イスカンダル。彼の圧倒的なまでの存在感にウェイバーは呑まれた。
 その時の高揚感たるや、危うく絶頂に至り、射精してしまいそうになったほどだ。
 ウェイバーはサーヴァントという存在を誤認していた。
 使い魔というのは、あくまでも召喚者たるマスターの傀儡であり、魔術師から供給される魔力が無ければ、その身を維持する事も出来ない木偶人形であると考えていた。
 大地の底より轟くが如き声。
 鋭敏に輝く眼光。
 隆々たる筋肉の鎧。
 それら全てがウェイバーの持つ使い魔という常識を覆した。
「さあ、書庫に案内せよ!! 戦の準備である!!」
 獣の咆哮の如き声にウェイバーはただ首を縦に振る事しか出来なかった。

 マッケンジー邸はウェイバーが適当に見つけて潜り込んだ――外人が居ても不自然ではない――極普通の民家だ。
 当然、書庫などといえるものは無く、已む無くウェイバーはイスカンダルを近場にある図書館へと連れて行く事にした。
 中央図書館は新都の市民公園内にあり、道中、ウェイバーは気が気ではなかった。
 イスカンダルは森を抜けた時から自らの身を霊体と化し、ウェイバーの背に続いた。
 鎧を着込んだ大男と歩いて不審に思われるのを防げた点では大いに助かったが、彼の存在が発する威圧感は絶えずウェイバーの背中に圧力を掛け続けた。
 図書館に向かう道すがら、運良く誰にも出くわす事無く、冬木大橋を渡り新都に入る事が出来た。
 ところが、目指す市民公園に近づくと、突然イスカンダルは実体化した。
「こ、こんな目立つ場所で何を!?」
 ウェイバーは慌てて声を張り上げるが、イスカンダルは無言のままにウェイバーに背を向け、彼方を見つめた。
 その背に戦々恐々としながらウェイバーはゴクリと唾を飲み込んだ。
 怖い。
 ウェイバーは自身すらも気付かぬ心の奥底でそう思った。
 非常警戒態勢を取る警察の職務質問を怖れたわけではない。
 目の前の巨躯の男が何をするつもりなのか判らない、それがとても怖いのだ。
 無論、そうそう謀反など企む筈が無いと判ってはいる。
 イスカンダルはウェイバーを寄り代として、ウェイバーの魔力供給によって現代の世界に繋ぎ止められているのであり、ウェイバーに万一の事があれば、消え去る他無いのだから。
 それに、全てのサーヴァントにはマスターの召喚に応えるだけの理由が存在する。
 それが、この聖杯戦争においては優勝者に与えられる聖杯。
 願望機たる聖杯が受け入れる願いは、最後に残ったマスターと、マスターに付き従うサーヴァントによるものだ。
 願望機の恩恵を得る権限。
 これこそがマスターとサーヴァントの利害を一致させる。
 万一の場合においても、マスターには最終手段が残されている。
 それが身に宿りし三つの令呪だ。
 これがある限り、イスカンダルはウェイバーを裏切る事は出来ない。
「坊主よ、気付かなんだか?」
「あ、え、えっと、何が?」
 イスカンダルの言葉にウェイバーは震える声で曖昧に答えた。
「何かが駆け抜けおった。あれは――――サーヴァントか」
 イスカンダルは高らかに笑った。
「ああも堂々と姿を晒すとは、愚か者か、はたまた勇猛か、どちらにせよ、戦端が開かれるは必至か」
 戸惑うウェイバーを余所に、イスカンダルは腰の剣を鞘から抜き放った。
 何事かと戦慄するウェイバーにイスカンダルは獰猛な笑みを見せた。
「向かう先を変更するぞ、坊主」
 ウェイバーが問いを投げ掛けようとした瞬間、落雷の如き轟音と振動が夜道を盛大に揺るがした。
 ウェイバーは腰を抜かし、そして――――視た。
「空間を――――切り裂いた!?」
 イスカンダルの剣が空間を切り裂いた。
 虚空にぱっくりと空いた穴の先から何かが現れようとしている。脳裏に警戒音が鳴り響き、逃げろ、逃げろ、と理性が叫ぶ。
 のっそりとした動作で現れたのは牛だった。
 漆黒の肌の牛。ただの肉牛と変わらない筈なのにその姿にウェイバーは呼吸が停止した。
 ウェイバーはその存在に魅せられた。
「嘗て、ゴルディアス王がゼウス神に捧げた供物を轅の綱を切り落とし手に入れた。これぞ、我が宝具『神威の車輪――――ゴルディアス・ホイール』よ。さあ、乗るが良い。坊主」
 ウェイバーは首根っこを掴まれ、気付いた時にはイスカンダルの宝具の御者台に乗せられていた。
 イスカンダルの号令と共に神牛は大地を蹴り、虚空を蹴り、天空を疾走した。
 放出する強大な魔力とあまりにも常軌を逸した速度で道無き道を翔け回る自らが腰を降ろす牛車にウェイバーはサーヴァントがいかなる存在かを今一度改めて思い知らされた。
 英雄を英雄たらしめるものは、その英雄の人格だけに在らず。
 英雄を巡る逸話。
 英雄に縁を持つ武具や機器。
 そういった、象徴の存在。
 ――――宝具。
 サーヴァントが持つ最後の切り札にして究極の秘奥。
 この牛車は紛れも無く征服王・イスカンダルの持つ宝具。
 その圧倒的なまでの存在感にウェイバーはどこか現実感んを失っていた。
「さて、戦場へ赴くとするか、坊主」
「……ああ」
 呆然と呟くウェイバーに満足気に頷き返すと、イスカンダルは遠く彼方に視たサーヴァントの向かった方角へとゴルディアス・ホイールを走らせた。
「おうおう、観て見よ! 既に戦が始まっておるようだ」
 イスカンダルの言葉にウェイバーは恐る恐る御者台の外側に身を乗り出した。
 悲鳴を上げそうになった。
 自分はどこに居るのかと思えば、地上の建造物がミニチュアにしか見えない。
 遠くを見ると、同じ高さを飛行機が飛んでいる。
「さすがに、ここからではよく見えぬな。坊主、遠見の魔術は仕えぬのか?」
 ウェイバーは首を横に振りながら御者台の中で小さくなった。
 結界が張られているのか、この高度であっても寒さを感じないが、恐怖による震えが止まらない。
「仕方あるまい。見える位置まで降りるか」
 そう言うと、イスカンダルは神牛の手綱を握った。
 先程までの暴力的な速度ではなく、ゆっくりとした動きでゴルディアス・ホイールは降下を開始した。
「ほほう、中々の動きよな。あれは、ランサーとセイバーか」
 虚空に停止したゴルディアス・ホイールからイスカンダルはランサーとセイバーの剣戟を眺めた。
 ウェイバーには未だ微かに人影が動いている程度にしか見えない。
「むぅ、いかんな。これは、いかんぞ」
「……どう、したんだ?」
「互いに雌雄を決しようとしておる。このままでは、どちらか一方が脱落しようぞ」
「えっと、それって……、好都合なんじゃ」
「馬鹿者」
 ウェイバーは額に鋭い痛みを感じた。
 イスカンダルにデコピンされたのだ。
 堪えきれずよろめき、危うく落ちそうになり、慌てて御者台の手摺りに縋るように取り付き、イスカンダルを恨みがましい眼差しで睨んだ。
「折角の機会なのだ。異なる時代の英雄豪傑が同じ時代に現れ、矛を交える。この奇跡の如き一時を手にしながら、みすみすその機会を失うなど愚の骨頂であろう」
 見よ、そう言って、イスカンダルはセイバーとランサーの戦場を指差した。
 ウェイバーが釣られて視線を向けると、言った。
「あの場所で戦っておるセイバーとランサー。あの二人からして、共に胸を熱くする益荒男共よ。気に入った。ただ死なせるにはあまりにも惜しい」
「でも、聖杯戦争は殺し合いなんだぞ」
 屋根も壁も満足な柵も無い高度千メートルの場所で恐ろしい威圧感を発する己よりも数段大きい存在と二人っきりという状況に身を震わせながら、ウェイバーは言った。
 イスカンダルはそんなウェイバーの言葉を鼻を鳴らし切って捨てた。
「勝利して尚滅ぼさぬ。制覇して尚辱めぬ。それこそが我が真の征服なのだ。さて、見物もここまでにして、我等も戦場に参るぞ、坊主」
「え、ちょっと待って!」
「行かぬと申すならほっぽり出すが?」
「そ、そんな!?」
 あまりにも無茶苦茶なイスカンダルの言い草に絶句し、ウェイバーは渋々頷いた。
「……いき、ます」
「うむ! それでこそ、余のマスターである」
 言うと同時にイスカンダルは手綱を握り、神牛を走らせた。
「アアアアララララライッ!!」
 イスカンダルとウェイバーは戦場へと降り立った。
 よりにもよって、ランサーとセイバーの戦場の真っ只中へと降り立った。
「双方、武器を収めよ! 王の御前である」
 せめて、もう少し戦場から離れた場所に降り立っても良かったんじゃないか、そう思いながら、呆然と、ウェイバーは己を斬り裂かんと迫る死神を見つめた。

 ウェイバーはテレビを観ながら後ろ髪を掻くイスカンダルを見ながら思った。
 この男に気を許してはいけない、と。

 ――――翌日。
「じゃあ、また明日ね」
 深夜0時過ぎ、女性は同僚と別れ、わずかに酒気を帯びながら家路に着いた。
 周囲に人影は無く、同僚の乗ったタクシー以外にロータリーには車一つ残っていない。
 人の気配が完全に消え、女性は薄ら寒さを感じながら駅前パークを横切った。
 マンションは直ぐ近くだ。
 二駅離れた場所に家のある同僚に別れを告げ、一人寂しく歩いて帰るのはいつもの事。
 そう、いつもの事である筈だった――――。
 無人の街並みを歩いていると、不意に光の届かぬ路地裏から寒気を感じた。
「えっと、誰か居るのかな?」
 無論、返答など無い。
 馬鹿馬鹿しいと、カタチの無い恐怖に怯える己を叱咤しながら女性は歩を進めた。
 早く、家に帰ろう。
 歩く度、何かが後ろから迫ってくるような錯覚を受ける。
 女性は至って普通の善良な一般市民だ。
 誰かが後をつけている、そんな事に気が付けるテレビや小説の主人公とは違う。
 霊感があるわけでもない。
 だというのに、体の震えが止まらない。
 イヤな気配だけが徐々に濃くなっていく。
 気付けば歩みは早くなり、小走りでいつもとは違う道を行く。
 どうして、いつもの道を行かないのか、そんな考えは浮かばない。
 ただ、こっちの道は安全だ。
 そんな直感だけを信じ、気付けば息を切らしながら全力疾走している。
 何を怖がっているのか分からない。
 何故、この道を安全だと思うのか分からない。
 ただ、犬のように走り続ける。
 喉はカラカラに渇き、眩暈がする。
 なのに、不思議と汗が出ない。
 女性の脳裏には朝のニュース番組でキャスターの女が語るここ最近の冬木における事件が思い出されていた。
 連続猟奇殺人。
 奇妙な儀式めいた事件現場。
 その犯行の手口は恨みや憎しみによる犯行というよりも、むしろ、通り魔的な、愉快犯的な手口だと、キャスターは語った。
 今夜に限って、周囲に人影は無く、まるで、作り物の世界に迷い込んだかのような錯覚を受け、やがて、女性は終着駅へと到達した。
「あれ……?」
 そこは今度ビルの建つ予定の空き地だった。
「どうして、私、こんなところ……」
 何故か、喉から乾いた笑い声が響いた。
 どうして、こんな場所に自分から来てしまったのだろう。
 安全だと思う道を選んでひた走っていたというのに――――。
 ――――ああ、そうか。
 女性は漸く理解した。
 最初から逃げ道など無かった事に気が付いた。
「アハ」
 頭上から落ちて来るモノ。
 足元の地面から湧き出てくるモノ。
 悲鳴すら出せず、女性は背中から地面に倒れた。
 足元には無数の蟲が這い回っている。
 いや、今では背中や後頭部の周りにも蟲が這い回っている。
 冗談みたいな痛みを感じた。
 足が、腕が、まるでバッサリと切り落とされたみたいな酷い痛み。
 そんな筈は無いと思いながら指を動かそうとするけれど、そもそも感覚そのものが無い。
 視界は血に塗れ、ギリギリ生きている目で腕の先を見た。
 それが何なのかなど、女性には分からない。
 それが何をしているのか、女性には分からない。
「――――アハ」
 見た目は男性の性器に似ている気がする。
 本物を目にしたのは高校生の時に数度程度だから自信は無いけれど、芋虫のように男性器が自分の体を這いずり回る様はあまりにも現実味が無い。
「アハ……ヒャハ、わたシ、食ベラれてル?」
 まるで、むしくいだらけのリンゴのような自分の腕を見て、女性は狂ったように嗤った。
 こんな事、ありえない。
 きっと、今頃自分は――イタイ――部屋に戻り、お風呂で――イタイ――一日の疲れを――タスケテ――癒して、髪の毛を乾かして――イタイ――布団の中に潜って――ヒギ――目覚ましが鳴って――カエリタイ――起こされて――ヤメテ――会社に――タベナイデ――会社に――カイシャニ――会社に――イカナキャ――会社に――――イカナキャ。

 ――――凄惨な光景は五分とかからず終わりを告げた。
 そこに女性が居た痕跡は無く、代わりに一人の倒れこんでいる。
 老人はゆっくりと起き上がった。
 食事を終えた蟲共の姿は無い。
 自らの巣に既に帰ったのだ。老人の体の中に帰ったのだ。
「う、む――――、この首の挿げ替えだけは、いつになっても……慣れるものではないな」
 しわがれた声が老人の喉から響く。
 老人の肉体はとうの昔に滅びていた。
 今、こうして立っていられるのは、ひとえに間桐――――マキリ――――ゾォルケンの魔術のおかげであった。
 既に出来上がっている体に寄生し、今日においても生き続ける妖怪、それが間桐臓硯――――マキリ・ゾォルケンの正体であった。
 元の体などどうでも良い。
 一人分の肉を蟲に喰わせ、臓硯という老人の姿を象らせる。
 どのみち、中身は蟲であり、人間としての機能は蟲共が果たす。
 その様は正しく擬態であった。
「セイバーの能力は予想を上回る。使いようによっては、此度の聖杯に手が届くやも知れぬ。さすれば、この苦しみから逃れる事が出来る……」
 間桐臓硯は新たな肉体を造る材料さえあれば、不死身の存在だ。
 だが、それは死徒と呼ぶにはあまりにもお粗末な在り方だ。
 不滅を維持する為に血だけでは足りず、肉体そのモノを喰らい、その度に苦痛に苛まされる。
 肉体は常に腐り続ける。
 今、作り上げたばかりの肉体も既に腐敗を初め、生きたまま肉体が腐り落ちる不快感と屈辱感、そして、自身が所詮、蟲なのだと受け入れざる得ない絶望感を抱き続けなければならない。
 自らをヒトでないモノに変貌させ、ヒトに擬態する。
 ゾォルケンの魔術には限界があった。
 活きの良い蟲共の作り上げる肉体には何も問題は無いが、肉体を作り上げる際に必要となる設計図たる遺伝子を失った臓硯は己の魂を設計図として蟲共に肉体を復元させている。
 肉体が所属する物質界の法則ではなく、その上にある星幽界という概念に所属する『記憶』。
 ――――それが、魂。
 魂が健在ならば、例え、肉体や遺伝子、細胞が滅びたとしても、己の肉体を復元出来る筈だと臓硯は考えていた。
 自身の魂のみを生かし、肉体を捨て去り、生きているヒトの肉を貪り、器を作り上げる。
 故に臓硯は老人――――マキリ・ゾォルケンの姿にしかなれない。
 臓硯とて、好き好み老人の姿を得ているわけではない。
 老人の姿にしかなれないのだ。
 そして、その肉体も定期的に挿げ替えなければ腐り落ちる不出来なモノであり、嘗ては一度の取替えで五十年以上を生きたものだが、今では数ヶ月に一度取り替えなければ存命出来ない矮小なる存在に成り果てた。
 その理由は設計図である魂の腐敗。
 時間の蓄積により、幽体が影響を受け、腐った構成図によって復元される肉体もまた、腐り落ちるのは当然の事であった。
「この、苦しみから解放されねばならん。骨の髄をも侵す時間という名の毒より解放されねばならぬ。届く可能性があるならば、分かるな?」
 惨劇と老人の独白を少女は終始その目に焼き付けていた。
 言うとおりにしなければ、こうなるのはお前だ。
 そう、老人は暗に告げるが如く、少女をこの場所に引き連れた。
「はい、お爺様」
 その瞳には希望の色は無く、あるのは諦観と絶望の暗闇のみ。
 胸に去来するのは、目の前で喰われた女のような末路は嫌だな、という思いだけだった。


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