田邉香菜子のブログ

旧暦9月13日は十三夜

それ知った時なんかうれしかった


1973年9月13日生まれです

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この話はよくしますよね。

自分の意見はこの世で一番だと思う気持ちで発言するべきです。
というか、自分の意見が3番か4番目くらいにしか良いと思えない人の意見などは
聞く時間だけもったいない。そんな人は自分の意見が一番だと自信が持てるほど
ちゃんと意見を煮詰めてから出直していらっしゃいと伝えたい。

その上で自分の意見を上回る意見が出てきたらその時は脱帽、尊敬、拍手喝采ですよ。
迷わずその人の意見採択です。

自分の意見が最強だと言い切る為には多くのシミュレーションを経る必要があります。
何もしないでおいて自分の意見が最高!とか言うのはただのおバカさんです。
稀に天才肌から根拠/論拠無しのすごい良い意見が出る場合もありますが、
天才肌の存在は稀であるという事を考えると、我々凡人は努力をしないといけません。

自分の意見が一番だと思えるくらいに考えましょう、想像しましょう、調べましょう。
あんま良い意見じゃないかもしれないんだけど、
というようなモチベーションの人が参加できちゃうミーティングも要りません。
ま、そういうモチベーションのトークは飲み会でならいいんじゃないですかね。

勉強あんましないんで、という人なら、勉強始めてみたらどうでしょう。
大人の勉強って子供時代、学生時代の「勉強」とはずいぶん違いますよ。
知らない事を知ろうとするという、単純な好奇心ベースのものなので、明らかに楽しい。

一番簡単な方法、安易とも言う人がいそうな程の方法は、まず単純にわき起こった疑問を
Googleのサーチエンジンに入力してみる。そこからなら入るのが楽だと思います。ただ、
ネット上には背骨のないもの=確固たる根拠も無しにテキトーに書かれたものがあります。
そこにだけは気をつけるという事さえ心がけていればそこから興味の連鎖が始まります。
で、最終的にはアナログではありますが書物に再び戻るのであれば最高です。

ネットの情報って本当に、私のこのブログもそうですが、プロフェッショナルではない人が
意見や見解を実に簡単に載せる事ができる。非常にリスクが潜みます。
これからの子供達はその膨大な情報の海から玉石混淆を見極める力が必要です。
その為には小学校までの間にプロの監修が施された百科事典や辞書の利用が必要かもしれません。
中学にも上がればもう自分の意思でのみ、興味の赴くままネットを泳ぎ出して行くでしょう。
私たちの年代は大学時代からインターネットが自分の生活に入ってきました。
ウェブ情報を活用しだしたのはこの代、大抵の人もだと思いますが社会人になってからでした。
その際学生時代までにちゃんとした出版物などを通して形成された軸が命綱となり
情報の波の中でも呑まれずいられたと思っています。結果論ではありますが恵まれていました。

勉強し始めると意思は強固になりますが頑固にはなりません。
頑固な人は自分の自信が揺らぐのが怖いという勉強不足な人です。
意思が強固ではない人の意見は明日変わるかもしれない非常に曖昧なものです。
何かを決定する時にはそういう意見はいたずらに時間を食いつぶすものです。
しかし時間制限の無い自由な時間にはそういう人との語らいもまた楽しいものです。

決定とは実に難しい。時間という制約があるからです。
時間という資産を最大限に使う為にはまず日頃からの考察、イマジネーション力の強化が大切。
それって単純に楽しい事ではありませんか。それが時短に繋がるなら最高じゃないですか(^_-)☆










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先日地下鉄に乗ろうと表参道A3出口から階段を下っていた。
あまりにたくさんの人の群れに向かって階段を降りていたから
あれ?私、逆走してる?と思って階段につけられた矢印を見た。
矢印を見たら私が合ってた。思わず立ち止まってよく見たら
大勢の人が矢印を逆走していた。あ…別に逆走してない、私…。
私はよく世間を逆走してるように形容されがちなもんだから正直「また(逆走)?」
…と思ってしまった辺りが何ともよくできた自虐サイボーグだと自分で思った思った(笑)。

階段にしるされた矢印が正しいのか、人の群れが正しいのかの議論ではなく、
正しい正しくないというものはこれほどに頼りないという事。
私はたぶん、階段を降りる時サクッと矢印を見て自分の進路を択ったけど、
多くの人が人の流れに沿って階段を昇降していたんだろう。
どっちも間違ってるし、どっちも合ってる。
書いてある決まり事だから守るというのは規律性に富んで、柔軟性に乏しく、
疑問も持たず朱に交わり赤となるは柔軟性に富み、自主性に乏しい。

何が正しいのかだとか、価値観とかって「コレ」といった確かなものがあるわけではなく
背景を差し替えればまったく別ものになってしまう。
時代が変わるだけで意義も意味も根本から変わってしまいかねない、非常に脆いもの。
マス(mass=集団/集まり)が形成するものが正しいとする民主主義だって
その時代その時代で誰がどう集まってマスを形成するのかで正義の定義も変わる。

でも少なくともほんの少しだけ身震いがしたのは事実。絶対的に正しいものなんて無い。
国民が明日戦争を望めば戦争は起きる、たくさん賛成する人を集めたら何だってできる。
少数派の意見も聞くのが民主主義だけど、
民主主義の名の元に幾度も戦争が起きてきた事と表参道での出来事を併せて考えると
その少数意見とは濁流の前ではただ呑まれるのを待っているカエルのようだとも思えました。

過去を振り返ってばかりじゃ良くない。
でも過去がすでに経験してくれた失敗をわざわざ私たちが繰り返す必要もない。
過去から学べる事は学んで明日に生かそうと思いました。


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と銘打つ程の問題提起でもないのですが、昨年末からこの年始「また」複数の妻帯者に
お茶やご飯に誘われる事が多く、しかも私がそれを知らないとどの方も思っていると言う、
やれやれトホホな現象が続いており、はてどうしたものかと(少し)思案に暮れております。
既婚であるか無いかを知る前は「あ、お茶くらいなら」と思っていても
その事実を知れば当然その方への関心度は激減します。だって38で独り身だよ!
それくらいの時間の節約は大目に見てもらいたく存じますわっ(^_-)☆

しかしよくある話とは言え、故意に結婚指輪をせず、独身の人をデート的なものに誘う既婚者、
ホントに意地が汚いと言うか軸がブレてるというか、
英雄色を好むと言って己が英雄であるという妄想の中にある凡人とでも言いますか呆れます。
私は自己救済や自己解決の策を他人に求める成人男性を「かわいい」と思えるほど
人間ができてるわけでも、余裕があるわけでも、暇なわけでもありません。でもそれは私の話で
そういう人をやさしく介護してあげてもかまわないという人も世の中にはいるので
需要と供給の見合うそういったところで人々がプラスマイナスの相殺をする分には
何ら問題無いと思っています。ただ、私の窓口では受付しかねるという事です。

「いや、よこしまな気持ちからではなくただ貴方と話をしたいだけ」という弁に関しても、
昔なら(今よりさらにバカだったから)その言葉を真にも受けたでしょうが、一皮めくれば大抵が
結婚生活からの「逃避」「口直し」「気分転換」「リフレッシュ」の効果を期待して
お人好しで面倒見の良さそうな人のところに自分を押し売りに来ようとするタイプです。

…ってちょっと待て待て待て待て、ちょっと田邉さんそこおかしいんじゃない?

「押し売り」なら断固としてNOで対応すればいいだけの話じゃないですか。
そこを毅然と断りきれず相手を恨むってなぁ、筋もへったくれもないんじゃないの?
言えてる言えてる、でも相手さんもかなり巧妙なのよ。みなさんにもありません?
ちょっと断るのがかわいそうで何となく新聞取ってあげちゃったとか、
あまり高くないからいいかと商品を買ってしまったりとか。(あ、無い。スミマセン^^)
弱々しい雰囲気でオファーを断りづらくする、実は一番厚かましい押し売りタイプがいるんです。
自分の問題を他人に解決してもらおうとする脆弱な根性を持つ典型的な浮気人の一種です。
そういう人は誰が実は押しに弱いとか、バカな人情派だとかを瞬時に見抜くのでホントあざとい。
私は後者です。単純な押しに負かされる事はありませんが、人情に訴えられると困る。
(あ、でもだからと言って保証人にはならない。お金と人情は別にしないと真の友をも失う)
でね、また悪気無く、空気吸うようにそういう事しちゃう人がいるんですよ。
ただ、悪気が無い事に酌量の余地を求める人がいるけど、悪気が無い方が笑えない。

まぁ…でもやっぱりそんな輩に隙を突かれて不意を打たれてるこっちが悪いって話だわね。
ただ、バカ(この場合自分)にも限度はあって、さすがにもうその手には乗らないというか、
人間は個人差あるけど学習するんだよっていう点を明らかにする為にも、
私にとって生産性の無い話をし更に既婚者である人との時間は最大級の無駄と分類します。
じゃ、私にとっての生産性は何か?自分の脳が喜ぶ話かそうでないか、そこだけですね。
この年齢になったらそろそろそこの判定基準でいいでしょうヾ(〃^∇^)ノ。

無意味に聞きたくなる曲だって平気で貼付けちゃうもんねー(^_-)☆




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年越しも池上さんでしたが年明けて昨日は家族でわいわい大にぎわい、
そして迎えた2日の今朝は例年通り箱根駅伝、柏原竜二君の箱根ラストランを観て、
その後からずっとBSで池上彰の現代史講座を観ています。
ストレッチしながら、母親と紅茶飲みながら、みかん食べながらなので
そんなに根詰めて観なくてもわかりやすいのが非常にありがたい。

年末に有名な学者さんの本を読んでいたのですが、和訳のせいなのかなんなのか
まぁ、文章がわざわざわかりにくい。裏の裏の裏の裏…って結局表かよっ!
って言う文章が多い。学者や思想家というのは簡単な事を難しくして、
それを生業にしてるのかと私が思う一因はここにあります。日本語だけど違う言語。
すっきりした文章に書き換えて読み進めています。
学問に程度の敷居は必要かもしれませんが高くし過ぎれば民度の低下を招きかねない。

いやいや…日本人の文章読解/理解力が低下したという背景もあるでしょう。
勉強しないから文章力が低下する、文章力が低下すれば理解力も引きずられて落ちる。
そんな勉強しない人間の為にわかりやすく説明などする必要はない、
努力ができない者に学問の質を合わせる必要はない…まぁ、わからんでもありませんが
しかし、多くの人と智を共有しないと社会がうまく機能しないという
学問本来の有意義性を考えれば、わかりやすく説明する事により学問離れが抑制されるなら
どんどんそうしたらいいと思う気持ちが今は強いです。
あまりに学問をつまらないものにし過ぎた社会の一員としての罪滅ぼしです。

さて、またも急なハンドルを切りますが、箱根駅伝往路。
柏原くんは4年生になり、キャプテンとして迎えた彼にとっての箱根ファイナル、
山登り5区に挑む柏原くんにたすきを渡したのは1年生の田口くん。
田口くんの目に柏原くんが入ってきた時からきっと柏原くんの声が聞こえたでしょう、
「たぐちーっ!たぐちーっ!」
大きな声で自分を呼び、大きく手を振っている偉大な先輩の姿はきっとこの後ずっと
田口君の中に残るんだろうなと思ったら勝手に感慨ひとしお。

さて、また池上さんの講義が始まります。みかんと一緒に観ようっと😉

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日付が変わる事を知る事なく過ぎてしまいました。
事もあろうか、実家にて親と年内最悪の大ゲンカが23:30頃始まり
知らない間に年が明けていました。何とケチのついた新年の幕開け。
…って特段思ってもいないところがきっと両親のカンに障るのでしょう。
私は知らず知らずに人のカンに障る事を言ったりしたりしてる、
というのが両親の弁で、なるほどそうかもしれません。そうなんでしょう。
ただ、そう言う人はきっと誰かのカンに障る事をしているか
何の意思も意見もない人、もしくは純粋に賢い人でしょう。

いやぁ、とにかく切れ味の悪い年越しを致しましたが
何とも元気で、新年にわくわくしています、香菜子です。

明けましておめでとうございます!

ええ、今年ももちろん池上さんをずっと観ていましたが
ちょくちょく途中紅白もチェックしていました。
今年は紅組が勝つような気がしていただけにその瞬間が観たかった!
超険悪な空気の中、それどこじゃなかったです。
ああ、あと、ジャニーズで年を越して来たここ数年、
初めて見逃した、ジャニーズカウントダウン!何か名場面起きました?
ガキ使は録画してあるので正月が終わったらゆっくり観ます(笑)

今はもちろん新春生さだ(さだまさし)観ています。これだけは例年通り。

いい年にしましょう。いや、すでに良くなっています。なっているのです。
あと、新年気分に水を差すようですが、これは月末のデッカイのが来ただけです。
ただひたすらにこのままひたすらに邁進して参りましょう。

今年もよろしくお願い致します(^_-)-☆




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ようやく昨日今年一年の仕事が納まりました。
予定より一日遅くはなったもの、
何とも言えず今年はこの仕事納めを穏やかな歓喜で迎えました。
うん、ホッとした。ああ、一年、終わったぁ…。

この後約一週間の休みではあるけれど、
しかしやりたい事いっぱいですでに休暇初日で焦っています。
ああ、あそこにも行っておきたい、年内にこの本読み終えたい、
この棚を整理しておきたい、録画してあったコレを見終えたい
休みの間にコレとコレは読破ないしは解き終えたい…などなど、いやはやマジで私
恐ろしいほどに強欲です。妖怪人間と僕とスターの99日については最後の方で話します^^

今、ようやくちゃんと鎮座して鑑賞したいので観ずに我慢していた
「坂の上の雲」12章(最終回の一つ前)を見終えました。
最終回は家族と観たのですがその一つ前、果ては最終回よりも重要とも言える、
このドラマにおいての最大のピークである第12回は年末の濁流に呑まれ観られずにいました。
ドラマウォッチャーを自負する者としてドラマを順序立てて観ないのは暴挙この上ありませんが、
その行動は今回、この「坂の上の雲」第三部(一年一部、三年がかりで放映しました)
を観るにあたっては学生時代、日本史選択で日本海海戦の経過/詳細を知っていた為、
ストーリーの連続性よりは司馬遼太郎とNHKとの至高のコラボ、
匠たちによる作品の立体化を楽しむ事に重きを置いていたので可能となりました。

いやぁ、最終回13章も素晴らしかったのですが、今先ほど12章を見終わり
ようやく筆(この時代このキーボードが筆とも言うのでしょうが)を執りました。
改めて、リーダーとは何か、決断とは何かという事を、
2011年私たちの国が突きつけられた大き過ぎる課題、もはや試練について
考えざるを得なかった事は言うまでもありません。
ただ、このドラマは三年前2009年から始まっていたので
今年2011年に最終部である第三部が放送されたのは偶然とは言え、
何らかの意味をも深読みしてしまいそうです。

いつ書いたのか、私はその辺りの管理がいい加減でわかりませんが
過去、このブログ上でも表したようにこの世に純粋なカン(第六感的なもの)
というものは実は非常に少なく、私たちがよく思うそれは多くの場合
幾多に渡る経験や考察を経た上で、適切な瞬間に閃光のように提示された判断ではないかと
思っています。つまりは直感と直観、
直感とは推理/推察を要し、直観とは推理よりも哲学/智を必要とする、
この二つの微妙かつ見事なバランスがあって、カンとは成立するものではないかと思うのです。

最終的に人間はカンを用いて結論を出します。
100%正しいものは無い!という絶対的な真実を前にそれは明らかです。
もちろんその結論の正しさの比率に高低差があっても、100%とは存在しない。
つまりどんな結論も決断も、必ず「間違っている”かもしれない”」という事です。

今の日本、いや日本だけじゃないかもしれないけど、現代の苦悶はここにあります。
「間違えてるかもしれないから決断しない」という人間が増殖しているという事です。

話、急展開しますが、善悪とか正しい事とか間違ってる事とかって何なんでしょうね。
昔正しいと思われていた事、例えば地球の周りに太陽が回っているという当時の常識は
今となっては間違いだと証明されてしまいましたが、多くのその時代人たちの考察力では
それが事実であり、正しかったわけです。この例は多少極端ではありますが、
例えば私たちの身近な事だって、その当時は間違いなくベストだった選択が
時の河を蛇行していく中で間違いになってしまう事はあるのです。
結論や決断とはその瞬間におけるたった一つの点でしかないのです。従ってその決断が
その後間違っていたからと言ってそれをあげつらうのは智の無駄ではないかと思うのです。

いえ、だからと言って間違い万歳!Yes, Make mistake!とか言っているのではありません。
間違った決断はしないに越した事はありません。ただ、大切なのは決断をする、という事だと、
間違っている可能性はゼロではないけれど、
未来の社会について最善と思える決断をその瞬間するという事なのです。
(ここで大事なのは「未来の社会について最善である」という事でそれがその者の私腹の為なら
その者はいかなる形においてか静かに確実に抹消されるべきと考えます。)

日露戦争での203高地攻略成功、日本海海戦での勝利はあまりに素晴らしく、特に
日本海海戦においては最早素晴らしいとかを越えて美しいとさえ形容できるほどの戦いだった。
けど、それは緻密な計算、そして考察、調査、分析、そして最終的には当時の司令部のカン
(当時はまだ明治維新を戦った武士魂を持った司令官が存命中だった)だったわけで
成功せず、日本が列強に喰い荒らされた可能性は十分にあった。その公算の方が大きかった。
日本は辛くもこの戦いを制しただけで、当時の私たちの先輩が気迫で勝ち取ったものに過ぎない。
国力的(この場合特に財政)に列強と真に肩を並べるにはあまりに非力だった日本の窮余の一策が
例え緻密な分析と調査においてとは言えたまたま吉と出ただけです。

私たちは常に事態が好ましくない方向に向かった場合の想定をしていなくてはなりません。
それは決してネガティブ思考ではなく、何か起きた時に即アクションが起こせるようにする為の
非常にポジティブな姿勢なのです。それはつまり出した結論が間違っていた場合の修正力の強化。
この姿勢ができていれば人はもっと的確に適切に決断を下す事ができます。
経済も政情も天気のように変わります。あたかも分析やリサーチで不確実性を取り除き
全てを掌握する事が可能なように錯覚しがちですが、この世のシステムなど所詮人間、
一番不確実性の高い生き物の作り上げたものです。今日の正解が明日の大間違いになる事など
「人間はいつかは死ぬ」と同じくらい当たり前の事です。というよりも、
自然とはそもそも不確実性の集合体で人間はそのたった一部でしかない。
人間はその不確実性に抗うように生きているわけだけど、その特効薬などあるはずもなく、
あるとすれば「柔軟性」「対応力」すなわち修正力なのです。

結論とはやるだけの事をやり残しがないほどにやった上で、自身らの修正力を信じ
初めて生まれる。その結論に自信など、はなっからない、あるという人間は信用できない。
ただ、積み重ねてきた事を信じ、いかなる事態においても対応するという覚悟は持っている。
これは理想論ではなく、リアルなストラテジー、戦略だと思います。

あ、妖怪人間ベムは中盤をちらっと観たら思いのほか良くてそっから最終回まで毎週観ました。
うん、とてもよかった。「妖怪人間ベム」の新しい解釈だったと思いました。そして
「僕とスターの99日」あれはラスト4話くらいしか観なかったんですが、それくらいでベスト。
頭から観ないで正解だけどラスト数話観る分なら大満足の良いドラマでした。
いやぁ、でも西島秀俊さんと佐々木蔵之介さんの演技力の賜物だったと思います。
この脚本、このセリフ、他の俳優さん、例えばあの俳優さんとかあの俳優さんが演ったら
どんな惨事になっていただろうというヒヤヒヤものの場面が結構あったんですが、
これがまた二人が上手かった。キム・テヒさんも素敵だった。母国語での演技の方がそりゃ
上手いかもしれないけど、スピッツがカバーした原田真二さん「タイム・トラベル」に
主役の二人がなーんかすごくハマってトータルでめちゃくちゃ好印象で終わりました。
最初は「いくら韓流ブームだからって設定から配役、これどうなの?!」とか思った自分を
完全にかなぐり捨て、まあ、いい加減なものです私も。「南極大陸」の予測大ハズレも含め。

さ、この後ささっと今日中にできる事やっちゃうぞ!しかしこういう時に思う。
日頃まぁまぁ部屋片付けといてよかった。年末が意外とゆったりできる。でも時間足りない!

年末までにまた一回くらいは書きますのでまだ年末のご挨拶は無しで、
と言いつつ、もしも万が一書けなかった場合、もしくは2011年は今日でお会いできない方へ:
本当に今年一年もありがとうございました!
今年2011年への思いは例年とは違うものがあろうかと思います。
いつ、何が起きるかわからないのであれば、いつも大切な人には出し惜しみせず思いをちゃんと
伝えておこうと思います。いつかしようと思ってる事は今やろうと思います。
それがかの地で先に旅に出られたみなさま達が私たちに伝えてくれた言葉だと勝手に解釈し、
その意思に勝手に沿い、自分のできる事をできる限りやっていきたいと思います。
きっとこう思っていらっしゃる方も多い事を感じつつ、みなさまの来る年に多幸を祈念致します。

本当に来年もよろしくお願い致します!

それでは、まだまだ慌ただしく年末の諸々に着手したいと思います!みなさんも頑張って^^





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忙しい!ブログも書きたいけど、本も読みたい、勉強時間も増やしたい
読みたい本いっぱいあって、勉強したいテキストもたくさんあって、
(何か知らないけど今めちゃくちゃ脳の吸収力アップしてる)
録り溜めてあるドラマもドキュメンタリーも観たいし、
…とか言いつつまさかのうっかり「ミタ」最終回録り忘れてたっ!それくらい忙しい!
私が観たいドラマの録画忘れるってかなりの事よ(笑)
ストレッチ/軽度ではあるけどゆっくり筋トレもしてるからその時間も必要だし
だけど睡眠もしっかりたっぷり取りたい。睡眠削るのは無理!だから時間足んない(^∇^)!

そうなの。やっぱり欲張りね。脳にたくさん吸収させたり、体作りもすごくしたいのに
だらだらゆるゆるリラックス日も欲しいのね。

街を歩きながらここ(書き込み)でみなさんとシェアしたい考えがいっぱい思いつくのに
書き留める時間を見つけるのが意外に一苦労。ん、睡眠削ればいいんだろうけど、
ここ数年でわかったのは睡眠というのは最良にして最強/最高の薬だと。
眠れれば何も怖くない。ちゃんとした量眠れれば身も心も相当回復する、充電される。
なのでごめんなさい、いっぱい書きたい事はあるけど
睡眠削ってまでは一生懸命ここに書こうとかはしてません。
でもみなさんもそんな感じじゃないですか?時間があればここへ寄るし寄らない時は寄らない。
そんなお互いでいいような気もして、何かみなさんとはそういう感覚も共有してる気がして。

で、今日はオフだけど読み終えたい本が一冊、年末にばたばたしたくないから大掃除に
(年末大掃除しなきゃいけないほど日頃から汚しっぱなしにはしない。)とりかかりたい。
新しいテキストに取りかかり始めたい。新しい手帳の書き初めをいつにするか考えたい、
そして何より4時間に及ぶTHE MANZAI 2011を見終えなければならない!
で、先週の「坂の上の雲」を観なければならない!そう、毎週のように見終えては感服し
うざい程書き込んでいる「坂の上の雲」について今週書き込めなかったのはまだ観てないから!

「南極大陸最終回」は今週いよいよ掃除機かけながら飛ばして観ました。本当に無念でした。
もし戦後の日本の復興と今年私たちが日本として宇宙から与えられた試練からの復興をかけるなら、
かけようと仮にしたのであれば、そんな日本を犬に例えるような真似はして欲しくなかった。
もっと本当に必死で生きて生き抜いた人たち、
家族の為ならどんな屈辱にでも耐えたお父さん、お母さん、
日本復興の為に南極観測ほど派手なものではなくても夢を掲げ、あきらめずに生きた若者、
その人たちを支えた人たちを描くようなものに、どうしてできなかったんだろう。2011年だよ!
2011年、私たちが未来永劫忘れる事の無い大試練の年となった年を反映したつもりでコレかと。

「ミタ」の方がよほど意味があった。
2011年、こんな試練を与えられてもまだなお、輪郭ぼやけて脳みそふやけて現実をつかめず
ボーッとしてる日本人に喝を入れた。あのドラマが高視聴率だったのがむしろ皮肉なくらい、
あれを観てるその人自体がミタのターゲットになりそうなもんです。
前も書いたと思いますが日本人って織田信長が好きな割に
実際そんな人が近くにそんな人がいたら絶対嫌がる。
「ミタ」を観ながら私は、このドラマの問題提起の矛先である人たちがまさか己の事とは思わず
この高視聴率に貢献している矛盾を、ある意味痛々しく、ある意味心地よく感じています。
何せ私の周りにはメンタル的にリアル「ミタ」がたくさんいるんですもの(^_-)☆

しかし、先日記事に書いたSMAPの新曲も今回の「ミタ」も共に斉藤和義氏の作。
ちょっとせつない大人の旋律がちょうどこの代にグッとささるんだな、きっと。
アップテンポでもバラードでもグッとくるお出汁は同じ。出汁の取り方がうまい料理人、
自分の出汁がわかってる料理人、それをアーティストと言うのかもしれません。







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人智など…自然と歴史の大河の前では無でしかない。2011年が終わるにあたり
これ以上の思いが浮かぶ事はありません。
アラブに訪れた春、独裁の限界、ギリシャの金融破綻、民主主義の限界、物質的欲求の限界、
私たち日本が宇宙に与えられた信じたくない課題、科学の限界。年の瀬押し迫る中、
歴史はいよいよ駄目押しまでしてきました。
私たちは一度脳の中の空気を入れ替えないといけないと。窓をベランダと玄関のドアを開けて。

この上世界がどこへ向かうのか人間を信じる他ありませんが、
私は今年の三月、政府と東電を盲信してバカを見ました。
周囲の外国人に日本人は必ず最悪を未然に食い止められるだけ食い止めますと断言して
私は自分に更なるバカの烙印を額のど真ん中に押しました。それは可視できずとも
私にはくっきり見えます。

それでも決して悲観はしていません。ただ、これまでのように無邪気に楽観できない。
楽観的である事しか取り柄のなかった私の大きな変化です。でもだからと言って
何を諦めたわけでもない。何かが起きた時、次のゴール/越えるべき課題を見出し
周りの人たちと一緒に絶対笑いながら対峙しその目標に向かって行く。
結局楽観的にしか生きられない人間の次のサバイバル案です。

あ、出かけないと遅れる。朝の貴重で少ない時間を、でも大事な事に使ったんだからいいや!
あとの準備、超特急で!!!

また後で書きます。

行ってきます。

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ほら、ここ最近明菜ちゃんのベストテン時代の画像が軒並みゴソッと消されてたって話。
前にここでも書いたんですけど、それって夜ヒットボックスに続いて
ベストテンボックスとか発売するから???とかほかにもいろいろ
とか書いてたら今日の記事。

asahi.comより
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体調を崩し、昨年10月から活動を休止している歌手中森明菜(46)の
デビュー30周年に合わせ、DVDボックス
「ザベストテン 中森明菜 プレミアムBOX」(3万円)が
来年2月29日に発売されることが14日、分かった。
明菜の1位獲得曲数は松田聖子の15曲を上回る歴代1位の17曲。

DVDボックスは、明菜が出演した約30時間にも及ぶ放送済みVTRの中から
12時間45分に編集し、5枚組のDVDにまとめたものになるという。
制作サイドによると、編集されたDVDは、療養中の明菜も可能な限りチェックしており、
「ずっと何もしてあげられないあたしですが…ちょっと頑張ってみました」
とコメントを寄せている。発売のきっかけは、根強い明菜ファンからの要望に応えたものだが、
明菜自身も「当時の自分に誇りを持っている」ことでDVD化に賛同したという。
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私は夜ヒットの明菜ちゃんより断然ベストテンの明菜ちゃんが好きでした。
夜ヒットって興味のないアーティストもたくさん出てたので
当時子供だった私からすればベストテンの方がずっとわくわくできました。
と言って、うちは歌番組禁止の家だったのでもっぱらテレビの音が聞けるウォークマンで
聞いて録音して学校の行き帰り聞いていました。

でもなぁ、30時間を12時間って半分は編集してるわけでしょ…
前後のトークとかも含めて見たい訳で、うーん、結局業界的に都合悪い、
明菜ちゃん的に胸にチクッと痛みの走るようなものは削除してるだろうし。
申し訳ないけどファン的には恋をしてますます綺麗に素敵に見事に咲いてく明菜ちゃんが
総合的にも好きだったわけで、あの時の彼女の感情と歌を切り離して考えるのは難しい。
あと、生放送ならではのNGとかトラブルとかがまたよかったりするんだけど
それもきっと編集されちゃってるでしょ…。きっと。憶測だけど。でもそんなもんでしょ?

というわけで、うーん…。
うれしいけど、ちょっとだけ勝手に切ないような。見たいような見たくないような見たいような。
で、ベストテンの方が好きとか言って夜ヒット映像だったりして(笑)ホント無いんだよね。
大快進撃直前。この後初のレコ大、そして一気に誰も追いつけないくらいのとこまで駆け上る、
ちょうど桜満開直前1985年のちょうど今あたりの映像だと思います。


テーマ:
あえて書かなくてもいいと思ったけど、やっぱ一応。
昨日の「何でディベートが必要なのか」に対する答え。
つーか昨日の書き込みも長過ぎて途中であきらめた人もいるだろうね、ごめんね^^

あのね、ディベートって日本語で直訳すれば「議論」なんだけど
ちゃんと準備された、そして理論的に整理された「対話」だと思うんだ。
喧嘩じゃないんだ。すごく振り切った、そして論拠をミルフィーユ化しながら行う
構成と準備の施されたフォーマルなブレーンストーミング(=自由な雰囲気でアイデアを出し合い、
最終的に一定の課題により良い解決を得ようとする方法。)のようなもの。

だから「あなた」が何を目標とするか、叶えたいと思っているかがまず何より大事。
その実現の為にはどうしたらいいか、まずは現状認識と問題点把握が次に大事になってくる。
現状の認識=ちゃんと観察してるかしら、自分たちのいる世界を、という事。
問題点の把握はそこからしか始まらない。問題点を探すのってネガティブに思うかもしれないけど
じゃ、お医者さんの健康診断もネガティブな事?それと一緒。

次は横道にそれたりしつつも自分の掲げた目標という軸に従って自分の周りを納得させていく。

意見が違ったって、最終的に自分の考えより優れたものが出てきたっていいんだよ。
ちゃんと理由を準備していれば、恥ずかしがる必要なんてない。
自信というのはやる事やっていれば必ずついてくる。その上でもし相手の議論構成の方が見事なら
それでいい。きっと相手もあなたとの議論/対話によって刺激された可能性があるから。
共に良い結論を導いたんだよ。誰の手柄とかそういう事を評価する上司や会社だと
ちょっとへこむかもしれないけど、懸命に紡いだその議論の力はあなた自身の筋力になったから。

目的はより良い社会、会社、グループを創る事。その為の話し合いがディベートなんだけど。
めんどくさいと思う人も多いよね。だから「えっと、普通はぁ…」とかって始めちゃったりする。
即刻ブーッ。アウトだね。「普通」って何?って話だよね。
ディベートにはその考えの根拠となる理論の構成が必要なの。
それをデータで出す人もいれば経験から話す人もいる。
ただ一番やっちゃいけないのが「一般的にそうだと思うんですけど」というスタート。
あと、その考えの土台を支えるリサーチも理論的な考察もしないでおいて
「何か違うから」とか言うのもブーッです。その「何か」は「何」?

A=B A=C だからB=Cという(これだって必ずしもそうとは言えないのが世の常だけど)
最低でもこういう段階的な証明を行って、自分の思っている事が事態を好転させるものだと
胸を張って堂々と言わなくてはなりません。その為には日頃から自分の考えを育てる必要がある。

自分はこう思っているけどその時考える「コレ」ってホントはどんな意味なんだろう。
→調べる あれ、「コレ」を調べてたら実は「コレ(その2)」についても曖昧だったぞ
→調べる ああ、意外とここから勉強し直さないとちゃんとA=CからC=M(だいぶ飛んだよ)
Mという到達点に至れない。そこまでかなりの層を積み上げないといけない。→勉強しよう

…この積み重ねにおいてのみ世の中を、状況を好転させる為の話し合いすなわち議論というものは
成立するんだよね。そりゃ勉強不足やもっと手に負えない勉強嫌い、いや好奇心の無い人には
とてもできない。でもそういう人が会社や政治の頭部に位置している。
きっとそれなりに優秀だからそこにいるんだとは思うけど、その優秀の尺度はこれまでのもの。

ああ、あと話し合うためには信頼もまた必要だ。
良質な議論には日頃から一定の信頼関係を築く事が大切。
でないと、確かに喧嘩や険悪な雰囲気が生まれる危険性はある。それは避けたい。

知性も必要、信頼関係を築く社交力も必要。社交力に必要なのは会話の多彩性、立ち振る舞い。
ディベート(会話+議論)=良質に構成されたブレーンストーミングの一種 を鍛えれば
自ずと民主主義をちゃんと良く機能させられる人材が出てきやすくなるという事。

日本の人のディベートはとにかく理論の根拠=論拠が薄い、事が多い。
反対意見を言うと気まずくなるから言わない。そのおかげで事態はより手遅れになっていく。
確かに議論なんてドキドキするよ、緊張するよ、反対意見言われるよ、針のムシロだよ。でも
準備さえちゃんとしていれば大丈夫。恥ずかしがる事も、穴に入りたくなる必要もないんだよ。

ま、ただ確かにこのディベートって手法は欧米の文化から派生してるものだから
果たして日本人に向いてるのかどうかと言えば、あんま向いてないと思う。
日本人は「あうん」の呼吸で相手の心を察してイマジネーション使って生きてきたから、
いちいち理由やら根拠とやらを用意して何かを決めるにはあまりにやわらかで、
そこがまた日本の良さでもあったりすると思うんだ。でも残念ながら、日本は日本人とだけ
生きられるわけじゃなくなってしまった。結論は欧米風に要求される。
グローバリズムって耳に触れる心地はカタカナだからか悪くはないけど、善し悪しだ。
でも避けられない。ちゃんと耳の痛い事も聞いて見たくないものも見て話し合わないといけない。

あ、でもそれを言うなら
私はした事ないけど結婚もそういうものなんじゃないかな。もしかしたら夫婦の方がよっぽど
日頃からディベートをしてるのかもしれない。現実問題の前じゃ嫌な事にも対面して
その事について旦那さんや奥さんやママ友と話さないといけない。家族を守るために。

そう、守るものが明確だったり叶えたいものがある人はディベート(対話+議論)を恐れない。
むしろ果敢に臨む事でしょう。結局、守りたいものが自分しかない人はディベートしないんだよね。

日本ではディベート気質がある人を「めんどくさいんだよね、コイツ(笑)」の一言で
一蹴する人が多いけど、私にとってはそういう人の方がめんどくさい。同じ場所にいたくない。
そういう人で会話が面白い人にこれまでのところ会った事がない。つまんない。
でも合ってる。そうなんだよね、本当は日本人はこんなめんどくさいことには向いてないんだよ。
穏やかにゆるやかにのんきに生きて行ければよかったんだよ。そんな日本好きだったよ。
その時代に生きてはいなかったけどさ(笑)たおやかで穏やかで難しい事を考えず、
自然を愛し、季節を愛でる国民でよかったんだと思う。民主主義され導入しなければ。

そしてめんどくさいをいつまでも放っておいたから今いろんな問題が噴き出してる。
これもまた事実。

ディベート力を身につけると自然に自分の軸が見えてくる。
ディベートの達人になどならなくていい。テレビの討論番組を見てるとディベートも
品位を失ったらおしまいだなと思うから。でも議論+対話をしてみると「あ…」が増えてくる。
あ…私知ってたつもりだけどそうでもないかも。あ…これって本当はどういう意味なんだろう。

気づきがたくさん日々の中に生まれてくる。その先に、未来がある。

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