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『ニューヨークの24時間』との出合い

★『ニューヨークの24時間』との出合い★


 投稿の対価として28歳の私が受け取ったのは、600字で5,000円でした。これを400字詰め原稿用紙に換算すると、1枚あたり3,333円になります。端数が出てしまい割り切れません。ともかく、素人の原稿料としては確かに悪くはなかったかもしれません。


 そんな時期に、千葉敦子さんの『ニューヨークの24時間』(彩古書房)という本に出合います。私は偶然、この本を読んでプロの物書きになろうと決意しました。突然そう決めたのです。


 つい先ほど、久しぶりに同書を書庫から引っ張りだして開いてみると、そこに古い新聞の切抜きが挿まれていました。
 3度目の失業をしていた、28歳の私が書いたものです。前述した「わたしの読後感」という欄に投稿したもので、編集者(新聞社のデスク)がつけてくれたタイトルは「人生へのヒントが豊富」。当時(1987年2月)はまだ、日本でパソコンを駆使している編集者はほとんど皆無でしたし、ワープロを持っている作家は総勢で10人くらいしかいない時期のことです。


《わたしの読後感
 人生へのヒントが豊富
 千葉敦子著『ニューヨークの24時間』彩古書房


 欧米諸国では、女性の職場進出がかなりの水準に達しています。創造的な在宅勤務や、とりわけコンピューターを駆使した分野での活躍は目ざましいものがあるようです。
 これに反してわが国では、結婚・出産・老人介護などのために、やむなく職場を去っていく女性が、むしろ増えてさえいるというのが現実です。


 その一方で、「日本企業のオフィスには、訪問者にニコニコ笑ってお茶のサービスをするだけの若い女性が大勢いる」(アルビン・トフラー『超大国日本の神話』)と驚かれてしまうという皮肉な状況下にあることも否定できません。
 この本の著者である千葉敦子さんは、現在もなお乳ガンの再発とたたかいながら、日米を主な舞台に活躍している女性ジャーナリストです。


 日本人には「自分の考えをきちんと表現できる人がびっくりするほど少数」と嘆きつつ、自分の納得のゆかない仕事に就いたり、本来の能力を生かせない職業を選んでいる人の多いことを「時間のむだ使い」ではないか、と彼女は懸念します。また、欧米諸国では在宅勤務が男性のあいだでも増えてきた結果、従来よりも家庭に男性が進出し始めている、という指摘なども興味をそそられるところです。
 人生を有効に生きたいと願う人たちに、この本は刺激的なヒントをたくさん提供してくれることでしょう。
                       (日垣隆=長野市、自由業、28歳)》


 確かに本文は、ぴったり600字でしたが、いま読み返してみると、紋切り型の筆運びに赤面するほかありません。ただ、紋切り型であるとは自覚していたので、「欧米では」というような書き方が本当に正しいのかどうかを見極めるためにも、その後、借金をしてでも世界中を見て回る努力を重ねました。


★原稿料と印税と有料個人メディア★


 アルバイトをこなしながらの投稿生活は、およそ4カ月で終止符を打ちます。先ほど言いましたとおり、私は突然、プロになろうと思ったのです。しかも、書きたいことだけを書くプロになろうと思ったのでした。


《ライターは本当に書きたいことだけを書かなければなりません》と、迫り来る死を前に主張する千葉敦子さんの本には、こんな指摘が出てきます。


《ワープロを使えば、書くスピードは手書きとは到底比較にならぬほど高まります。多分日本では、いまも手書きの記者や作家が案外多くて、そのためにたいていの人の仕事量が欧米の同業者に比べてずっと少ないといえるのではないかと思います。


 もちろん書く作業だけでなく、調査・取材もアメリカではコンピューターをフルに活用している人がほとんどですから、スピードがまるで違います。〔中略〕
 いまは、書くことを商売にしている人なら、誰でもコンピューターを持っていますから、彼等の仕事量がどのくらいふえているか、想像してみて下さい。〔中略〕


 電話線を使って原稿を送る、というのはもはや世界中であたりまえになっているのに、日本はひどく後れていて、各国の記者を驚かせています。八六年春の東京サミットのとき、レーガン大統領に随行して東京に行ったアメリカの記者が約三百人いたのですが、この人たちがいざ原稿を本国に送ろうとしたら、ホテル・オークラの特設の電話が機能しないと分ってびっくり。東京へ着くまえに寄った、インドネシアのバリ島からだって電話送稿できたというのに〔中略〕。


 オンライン・ヴェンダー〔情報提供会社〕の会員になることは、自宅に大きな図書館を持つようなものです。〔中略〕ちょっとした調査なら数分間、かなり込み入った問題でも数十分で調べられます》


 調査や取材にもコンピューターを使う?
 電話線を使って原稿を送る?
 自宅に大きな図書館を持つようなもの?


 なんのことやら当時はさっぱりわかりませんでしたが、大変なことが起きつつある、ということだけは20年近く前の私にも理解できました。この流れが日本をも巻き込むことは確実です。4人家族を抱えてその日の食費にも困ることがあった私が、アメリカのオンライン・ヴェンダーに加入して「ワシントン・ポスト」の記事検索を初体験したのは、この本を読んだ翌日のことでした。


 その世界の斬新さと深さに驚愕しつつ、私はいつか必ずオンラインの有料メディアを自ら持とうと心に決めました。いずれオンライン(ネット)で流される情報や記事や作品が、日本でも常態化するのは疑いないのですが、問題は必ずその先の分岐点にある、つまり、オンライン時代には課金できるかどうかという問題が必ず浮上する、と確信したからです。


 私の場合、独立した最初の原稿料収入は210万円しかありませんでした。その翌年は2倍、さらに翌年はその2倍と順調に原稿料収入は増えていきましたが、いずれ壁にぶつかることは目に見えています。1カ月に書ける原稿の枚数は、おのずと限界があるからです。
 印税とそれ以外での収入を確保していけるかどうか。それが、プロの書き手が生きながらえていくうえで、とても重要であろうと思えました。


★原稿料1枚あたり1万円★


 プロになってから現在まで、平均・最多・中央値のいずれをとっても、私の原稿料は400字あたり1万円前後です。ふたを開けてみたら5,000円だったということもありますし、短いコラムですと1枚あたり3万円を出してくれる編集部もあります。著名な週刊誌では2万円に近づき、売れない月刊誌は5,000円に急接近し、日刊紙はその中間あたり(1万5,000円前後)、という感じです。


 素人としての投稿では600字5,000円だった同じ新聞で、翌年から10回のルポを頼まれて書いたら全部で66万6,666円(源泉徴収されて60万円)支払われました。毎回1,600字(400字で4枚)でしたから、1枚あたり1万6,666円です。しかし取材費に25万円ほどかかったので、プロとして最初の仕事も1枚1万円で始まったことになります。


 キミの場合はちょっと高すぎるのではないか、という同業者の感想もありえますが、シャラップです。私がこの仕事に就いてから、原稿料の相場はまったく上がっていません。「高すぎる」という意見は、自分の首を絞めることにならざるをえないでしょう。今後この分野に参入してくるであろう有能な後輩たちにまで、貧乏ったらしい生活を強いることになります。
 貧乏だけならまだしも、取材費や文献代にも事欠けば、書きたいものを書きたいように表現する道も閉ざされてゆきます。


 ともかく、原稿料はこのような次第ですから、それだけで年収を増やそうと思ったら、加齢にしたがって枚数を増やしていくほかありません。原稿料は「足し算」の世界だからです。


 これに対して、印税は「掛け算」です。書き手にとって、1万部と100万部のあいだに労力の差はありません。例えば1,500円の単行本の場合、1万部で印税150万円、100万部なら1億5,000万円です。有料メルマガも構造は同じですが、印税は定価の1割程度にすぎないのに、有料メルマがでは、その全額を取材費や生活費に回すことができる、という長所があります。


 また他の商品と異なって、原稿料は買い手が決める、という特殊性があるのですが、有料メールマガジンの定価や原稿料は売り手が決める、という強みがあります。この点は、すでに(この連載で)述べましたので、詳しくは繰り返しません。


 私が強調しておきたいのは、貧乏に耐えつつわずかな文章しか書かないでプロをやっていられる人は天才だけだ、という点です。天才でない書き手は、ひたすら1枚でも多く書き続ける努力をし、守備範囲を広げてゆくしかないではありませんか。


 量のことを言うと質のことを持ち出す人が必ずいますが、質については読者が評価すべきであって、書き手が勝手に思い込む問題ではありません。アウトプットの量が多ければ多いほど、加速度的にインプットも増えプロとして前進していける。これも天才以外なら当然の心がけです。

「ガッキィファイター」2004年10月31日号に掲載

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