【東京】龍脈のみやこ<5>龍名館 顧客との縁が「守り神」
「ここまで繁盛したのは、龍(りゅう)の守り神のおかげかもしれないね」。ニコライ堂の鐘が響く千代田区神田駿河台。百年以上続く老舗旅館「龍名(りゅうめい)館」の本店ロビーにある巨大な二頭の龍の彫刻の前で、浜田敏男社長(57)がしみじみと語った。 江戸時代から日本橋にあった「名倉屋旅館」の分店として、一八九九(明治三十二)年に創業した。初代の浜田卯平衛が神田で独立する際、当主で姉の浜田辰(たつ)さんの名にちなむ「龍」と、家族が経営する名倉屋旅館の「名」を組み合わせて「龍名館」と名付けた。 かつては、竹久夢二や伊東深水が宿泊。宿代として絵画を残した画家もいる。〓介石が泊まったことも。幸田露伴の次女文(あや)も小説「流れる」で、帝国ホテルと並び在京の名店に挙げている。 最近は、東京駅前の支店がミシュランガイドに紹介され、勢いは龍が天に昇るようだ。「龍は水を呼び、火事を防ぐので旅館の名にぴったり。本家に負けまいとの心意気と、龍の御利益が重なった」と初代のひ孫に当たる浜田社長は笑う。 もっとも、縁起の良い名前と気持ちだけで、震災や戦災の苦難を乗り越えられるほど商売は甘くない。「浜田家は代々娘が当主となり、婿が経営を支えてきた。私の父も婿養子で元銀行員。財務をきっちりこなす入り婿の熱心さが、功を奏したのではないか」。経営手腕のある婿による堅実路線が、看板を支えてきたとの思いもある。 関東大震災(一九二三年)で建物が焼失した際は、山形県酒田市の資産家が資金を無利子で提供。七〇年代、ビルの建て替え資金に困った際も、北海道の銀行副頭取が支援した。いずれも、長年の定宿客だった。 昨年は東日本大震災が発生、客足は途絶えた。東京駅前の支店は八月にほぼ通常通りにお客が戻ったが、本店は外国人の宿泊客が以前の十分の一に減少したままだ。 従業員の家族には被災地出身者もおり、浜田社長らが現地で支援活動も行った。経営は苦しいが、被災者と痛みを共有したいとの思いは熱い。 辰年に当たり、浜田社長は訴える。「売り上げの一部を大震災の義援金にする。日本全体が昇り龍のごとく立ち上がっていくことに願いを込めて」 (蒲敏哉) ◆メモ現在の龍名館 東京駅前の支店のほか、港区六本木で和食レストランを経営。さらに2カ所で貸しビル業を営み、系列企業名も龍の名を冠する。本店ロビーの2頭の龍は、幅約3メートル、高さ約1.5メートル。1973年に木造の建物から現在の12階建てビル(旅館は2階まで)に建て替えた際、大広間にあったかもいを移設した。貝細工を施した玉を握った姿は、会社の守り神とされる。 ※〓はくさかんむりに將 PR情報
|