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スポーツ
【松平康隆氏死去】「ミュンヘン」の教え子ら惜しむ声
2012.1.5 19:30
「春高バレー」が開幕した5日、全日本男子の1972年ミュンヘン五輪金メダル監督で、バレー界の発展に大きな足跡を残した松平康隆氏の死去が明らかになった。近年は体調を崩していたが、昨秋のワールドカップ(W杯)も会場へ足を運んでいた。その訃報を受けて、教え子ら多くの関係者が惜しんだ。
「競技においては妥協をせず、分け隔てなく、公平に厳しく指導してくれる方でした」。松平氏の熱血指導の下、ミュンヘン五輪金メダル獲得に貢献した森田淳悟日本バレーボール協会強化事業本部長はこう悼んだ。監督で臨んだ68年メキシコ五輪で2位に終わり、雪辱を期しての金メダルだった。
現場を退いても協会運営に携わり、89年からは会長として強化に努めた。女子バレーのスター選手だった大林素子さんは現役時代、中垣内祐一・現全日本男子コーチとともに「スーパーエース」と呼ばれたが、この呼称の名付け親は松平氏だった。大林さんは「現役時代からたくさん叱咤され、引退後は『たくさん取材しなさい』と励まされた。今朝(訃報を)聞いて、すごくショックです」と話した。
中垣内コーチも「松平さんの言葉の中で、試合に臨む上でやってはいけない3つの『ない』が印象的。『あきらめない、侮らない、ひるまない』。この言葉はいつも頭の中にある」と語った。
競技力向上を目的に「春高バレー」創設に尽力したのも、松平氏だった。森田事業本部長は「自分が高校時代にはなかったのでうらやましい。選手には、常に一つ上を見つめながら頑張ってほしい」と、松平氏の思いを代弁した。
日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は「スポーツに関して『勝たなきゃならない』という強い信念を持っていた」。戦後の日本スポーツ界を支えた巨星がまた一人逝った。
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