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【社会】

都内最古級の建物 「弁天湯」閉店 震災が打撃

2012年1月6日 11時03分

色鮮やかな景色が描かれている弁天湯=東京都荒川区で

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 大正時代創業の銭湯「弁天湯」(東京都荒川区南千住)が5日、営業を終えた。関東大震災や空襲をくぐり抜けた建物は「都内最古級」とも言われる。100年近く愛されてきたが、東日本大震災で配管に入ったひびが打撃となった。8日、お別れイベントが行われる。 (井上圭子)

 「3・11。あれさえなければ…」

 創業者の孫で弁天湯に生まれ育った甚五(じんご)裕一さん(50)は悔しそうに語る。修理業者に「全部分解しないと、配管の破損箇所は分からない。修理に数千万円、建て替えなら三億円かかる」と言われた。「内湯の普及でお客は減る一方。設備投資しても回収できない。もう少し続けたかった。無念」と裕一さん。

 都電荒川線の起点、「三ノ輪橋」からジョイフル三ノ輪商店街を抜けた路地裏。営業最終日、午後零時四十五分の開店と同時に常連客が次々に訪れた。

 「とうとう最後か。寂しいね」「長いことありがとね。ゆっくりあったまってって」

 カウンターで「世話になったね」と涙を見せる女性客、「家では吐けない弱音をここでさらけ出した」と懐かしむ男性客。二十二歳で嫁ぎ、常連客に「お母さん」と呼ばれる裕一さんの母、五月さん(80)は「お客さんのへそくりを預かったこともあった」と五十八年間の思い出を語り、一人一人に「ありがとう」を繰り返した。

 創建時の建物を手直ししながら大切に使ってきた。高い格天井、脱衣場の真ん中に置かれた縁台、湯船の背景に描かれたお城と五重の塔のモザイク画。毎日、隅々まで磨き上げた。庭石と植木が配された中庭に、弁天様が鎮座する。「昔は七福神が全部いた。中庭の池は江戸時代の武家屋敷の池の名残で、当時はカモ猟が行われていたらしい」と裕一さん。

 銭湯に詳しい庶民文化研究所長の町田忍さんは「空襲で焼けた東京で、戦前の銭湯は貴重。大正時代の建物は間違いなく都内最古級」と評価。「シンプルな唐破風の入り口、商店街裏の路地に面した立地は下町の銭湯そのもの」

 十日の取り壊しを前に八日午後一〜四時、「さようなら弁天湯!」と題したイベントがある。色鉛筆と紙で凹凸を擦りだすフロッタージュ技法で弁天湯の記憶を形に残す。参加希望者は直接現地へ。問い合わせはNPO法人・千住すみだ川=電03(3801)3428=へ。

(東京新聞)

 

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