◎パレスチナ問題とはなんぞ

◎誰も悪くないパレスチナ近現代史

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トップニュース記事内容

1、3枚舌外交で得してあとは放棄

    英国の思惑

    時は第一次世界大戦。

    戦争に勝って中東一帯に植民地を作りたかったイギリスは、アラブ(パレスチナ)人とユダヤ人に、イギリスの絶大な権力を背景にそれぞれパレスチナ地域での国家設立を約束します。そのかわりに双方から戦力なり、莫大な資金なりを手中に収めます。その一方でフランスとはこの地域の分割統治を約束します。

    さぁ戦争が終わり、貰うもんはもらったイギリスはこともあろうか30年近く前者二つの約束を無視してパレスチナを統治していました。約束を当てにして、このころには世界中のユダヤ人はパレスチナの土地に集結していました。もとから住んでいるアラブ人も早く独立させてくれと抗議します。しだいに双方からのテロ攻撃がやまなくなってきました。

    国連が選んだ未来

    結局、各地でユダヤ人テロ組織やアメリカの圧力をまとめることができなかったイギリスはこの問題を国連に丸投げせざるを得ませんでした。これが1947年のことで、このとき国連が下した決断こそが今に至るパレスチナ問題の原因となりました。確かに英国はひどかった、しかし国連に投げてくれたのだから、ここでもう少し公平な判断を下せば少なくとも今よりましだったでしょう。

    国連では投票でこの問題を解決することになり、結局土地を二つに分け、二つの国家を作り上げることにしました。ユダヤ教、イスラム教の聖地であるエルサレムは国際管轄地としたまでは良かったのですが、米国などの思惑により結局人口の3分の1にも満たないユダヤ人に国土の半分以上を与えることになったのです。もちろんこれにはアラブ側のヨルダンとエジプトは反対し、結局第一次中東戦争にもつれこみました。

2、一次〜四次中東戦争

    第一次中東戦争

    もとから住んでいるアラブ人(=パレスチナ人)からしてみると、少数派のユダヤ側にパレスチナの主要地域を含む半分以上の領土を割り当てるというこの分割案は、受け入れがたいものでした。急に言葉も顔も全く異なる異国民が急にやってきてしかも彼らユダヤ人の中には村民の大量虐殺をするテロ組織もあったのです。

    多くのアラブ人が、故郷を捨てて隣国や地域に逃げざるを得ませんでした。一部のアラブ人たちは、この突然やってきた異国民にたいしテロを行い排除しようとしました。そして、ついにそのパレスチナの民に同調するアラブ五カ国がイスラエルの独立阻止を目指し攻撃を始めたのを機にこの第一次中東戦争が始まりました。

    できたばかりのイスラエルに対し楽勝が予想されたアラブ側ですが、内部分裂により軍体内の統率が取れず、結局イスラエルの勝利と言う形で戦争状態は終了しました。この結果、パレスチナ人には寸土の領域も残されず、ユダヤ人国家であるイスラエルのみ建設されることとなったのでした。

    またこの戦争中に行われた虐殺や追放により多くのパレスチナ人が隣国に逃げざるを得ず、ここにパレスチナ難民が大量発生しました。さらに、この時点で逃げた人たちの家屋や財産を没収し、ユダヤ人に再分配するという政策により、また新たな火種が生まれることとなったのです。

    宗教って

    このあたりから、もう簡単にトップ同士の話し合いで解決できる段階はとうに超えてしまいました。
    徐々に分かってきたでしょうか。宗教ではないのです、イスラム教がどうとかユダヤ教がどうとか、聖地がどうとか、それらは本質ではないのです。人生投げうって移住したり家族を守るために必死に逃げたりした人たちが安定した生活ができないから困っているのです。

    それらの苦しみを怒りに変え、まとめあげるために"宗教"が選ばれたのです。本来の彼らの神様それ自体は同じ神のことをを指しており、強大で優しいもので、今までに会ったことも喋ったこともない人を見殺しにする、まして実際に殺すことを推奨することはありえません。

    私たち日本人にはなじみの薄い宗教でありかつユダヤ教、イスラム教など一生関わらないようなものだからこそ、逆に宗教戦争というものがこの21世紀にあり得るということになんとなく納得し、

    遠い中東とかいう地域で"生活のため"に戦っている彼らを直視しずらい

    ために謎の"宗教フィルター"で先進国に住む我々の責任から遠ざけたところに本質があるようにする便利な発想なのです。

    第2次中東戦争

    スエズ動乱。英仏にエジプトが反抗英仏が凋落 米国が支配権にぎる。

    第3次中東戦争

    6日間戦争。西岸、ガザ、シナイ、ゴランがイスラエル下に。

    第4次中東戦争

    エジプトとシリアが攻撃。石油危機。戦力同じの戦い。現在の領土になる。

3、インティファーダ

                  

    現状

    第一次中東戦争でパレスチナ地域の大半をイスラエルに占領されましたが、エジプトのナセル元大統領の後押しによりパレスチナ解放機構が誕生し、西岸地区とガザ地区のアラブ系住民とパレスチナ難民の統合抵抗組織ができあがりました。

    当初、パレスチナ解放機構はイスラエル国家を倒し、全パレスチナにムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒の全てが共存する非宗派的な民主国家を樹立することを目標としていました。なんとすばらしい!

    しかし、その後に始まるインティファーダや高まる反イスラエル感情により,より現実的な道として、西岸地区とガザ地区を中心にパレスチナ人の独立国家を樹立してイスラエルと平和共存する道を模索するようになりました。こうしてできたのが、現在のヨルダン川西岸とガザ地区にあるパレスチナ暫定自治区です。

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