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●ジャックという名の伝説 胸糞の悪くなる不健康な煙が街中を包んでいる。 六月の雨に打たれても自己主張を辞めない鉄と油の臭いが鼻につく。ああ、うんざりする位、世界の全てに染み付いていた。 全く馬鹿馬鹿しい位に勝ちと負けの分かたれた『霧の都』ならぬ『煙の都』はまさに此の世の縮図だ。上を見上げる事しか知らずに生きていく――それは最高の退屈というに相応しいのだろう。 始まりから、全ては決められていたかのようだった。 くすんだ灰色の街、冷たい石畳の上。薄汚ないダウンタウンで「私が高等な紳士でござい」って顔をした豚共に媚び諂う日々。 大凡、考えるだに拷問めいた時間は生の意義を疑うに十分で、同時に『そんな立場に居なければならない自分』が酷く惨めで嫌いだった。 ――俺は、何時か大きくなるんだ。なってやるぜ、絶対に―― 軋む古いベッドの上で噎せ返るような女の匂いに抱かれながら俺は何時も言っていた。 ――見返してやる。必ず。聞いてるか? 世界中が、俺様の名を口にするんだ―― 虚しい妄言が何度低い天井の下を彷徨っただろうか。 二極化した倫敦の街は俺の心算に関わらず、変わらない。 歯車の一つが欠けても機械は動かないなんて言うが――そんなモン嘘に決まってる。『歯車でしかない歯車は例え抜けようと次がすぐに補充される』。実際、どうだ。俺の名を呼んだのは…… ――聞いてるわよ、――。貴方はきっと出来るわ。きっとね―― ……安い部屋で虚しい時間を共にするこの女ばかりじゃあないか。 意味が無い事を知っていた。成り上がりたいと思いながら、思うだけで叶わない事がある事をこの上なく思い知っていた。 単にいきがる駄目な男を肯定するのが駄目な女の無条件の甘やかしである事を知っていた。 故に言葉に意味は無く。 吐き出した悪態の一つ一つもやがて力を失くしていた。 ――ねぇ。――、ねぇ。もう、十分なの? 耳の奥にこびりつく甘い声は口癖になった俺の呪いに大した意味が無い事を知っている――そう告げているかのようだった。 単純な俺は浅ましく愚かな本性を透けて見せる女を嘲って、それと変わらない自分の程度を嘲るのだ。 噎せ返るような女の匂いがする。 雨音のノイズが安普請を叩く。薄い壁の向こうに届く嬌声も、これなら少しは隠れるだろうか? ――ねぇ、――。ねぇ、聞いてる? 噛み付くように口付けて。甘い毒のように囁きかける。 月並みな表現だが、名を呼んで呼びかける女の声は粘ついて少し鬱陶しい。 しかし、気だるいベッドの睦言で俺の耳に囁いた女の言葉は俄かには信じ難いものになった。 ――ねぇ、――。貴方、私を殺してよ―― 馬鹿な、と目を見開いて見返せば女は艶然と笑ったままだった。 余りにも物騒な懇願は、俄かに本気にするには唐突過ぎて。しかし、それでもその目を覗き込めばそれが唯の冗談でない事はすぐに分かった。 ――私、病気なの。もう治らない。 馬鹿な。何処にそんな兆候がある。 ――すぐに死ぬのよ、もう半年も持たないわ。 今晩、何回付き合わされたと思ってやがる! ――世界で一番センセーショナルな事件にしましょうよ。 そうしたら皆、貴方の名を呼ぶわ。新聞に手紙を送りましょうよ。惨劇の王、倫敦の赤い霧、恐怖劇(グランギニョル)は貴方のモノ。 でも、――。勿論、直接名乗ってはダメよ。一流の役者には芸名が必要だわ。 頭、オカシイだろ。お前。 ――怖いのよ。私、死ぬ事がじゃない。誰にも、忘れられてしまうのが。 私が居なくなったって、貴方は次を探すでしょう? 私は、何より貴方からも私が居なくなってしまう事が嫌なのよ。 世界中が貴方の名前を忘れないわ。それだけの舞台を作りましょう。世界中が貴方の名前を恐れ、片隅に私の名前を思い出す。 それって、永遠に素敵じゃない――? ……記憶の中で薄れて枯れた女の声は、気のせいかも知れない。 あの魔女(アシュレイ)に似ていたような気がする。 ……息が詰まる位に、そんな気がしていたのだ。 ●丘の上の広場 「……」 薄く目を開けたジャック・ザ・リッパーの視界の中に『賢者の石』の赤い光が飛び込んできた。胡乱とした彼はほんの一瞬遅れて、自分が極短い間まどろみの中に居た事を自覚する。 「お疲れのようですね」 「……チッ……」 何処か楽しげに親しげな軽口を叩く後宮シンヤに舌を打った彼は小さく頭を振って脳裏にこびり付いた『クソみたいな』映像を振り払う。 「いい夜じゃありませんか。新たな『伝説』の始まりに相応しい……」 シンヤの言う通り、今夜は特別な夜だった。 『特異点』と『賢者の石』、そして『バロックナイツ(強大な術者)』が揃って初めて可能となるオープンゲート――閉じない穴をこじ開けるその儀式はいよいよ本番を迎えたという訳だ。 「他人事みてぇに言いやがんな。元はと言えばテメェの所為だろうが」 「返す言葉もありませんね。アークはまぁ、強敵だとは思いますが――」 蒼白な顔に浮かぶ玉の汗がジャックの消耗を表していた。 過日、シンヤはジャックの命を受け『賢者の石』の獲得に尽力したが結果は完全なモノとは言い難かった。多数の戦場においてアークの部隊に敗れた後宮派は『必要最低限の石』を持ち帰るまでに留まったのである。 『伝説』に届く道、その不足は儀式の主の能力を以って贖う他は無いのだ。 かくてジャックは万全とはならず、見るからに疲労と消耗は隠せない。 ――とは言え、それも枝葉である。 どうあれ、赤々と染まる凶ツ夜に二人の魔人は相応しい。 『かつて』逸脱した者と、『新たに』逸脱した者。共通事項は殺人鬼。 この上なく濃密に死が匂っている。 この上なく厳然と死が漂っている。 遠く悲鳴と怒号が聞こえる。寄せては返すざわめきは戦いが醸し出す空気、それそのもの。 血塗れの月を陶然と見上げる彼等の顔に笑みが浮かぶのは――必然。 誰よりも死線の空気を好み、血の匂いに滾る者達なのだから必然だった。 「儀式は順調ですか?」 「あぁ、オマエ『なら』分かるだろ? まぁ、制御の方は簡単じゃねェ……思ったより時間は掛かる。 だが、こっちの連中も今回は本気で揃えたんだろうが。 あの『釘打ち』にファッターフ少佐……『赤い霧』まで用意したんだ。 それにリベリスタ共がどう頑張ろうと『無限回廊』は突破出来ねェよ」 『賢者の石』から抽出された魔力が目前の空間に注ぎ込まれている。 蜃気楼のように周囲の光景を引き歪ませるその中心には、何とも言えず平静を保てなくなるような『興奮』が渦巻いていた。 「やがて待つのは弱肉強食の世の中ですか。 或いは私達を狩ろうとする者が生まれるのかも知れませんね――フフ、面白い」 シンヤはアシュレイへの信頼を口にするジャックの言葉に敢えて応えずにそう言った。リベリスタならばそれを『嫌悪』と呼ぶのかも知れないが――シンヤにとってそれは格別、そして望外と呼ぶに相応しいものと言える。 『伝説』の訪れが近付いている。一歩一歩近付いている。背筋を駆け上がるかのような『熱い寒気』にシンヤは眼鏡の奥の瞳をギラギラと輝かせていた。 「それでは、私も行って参ります」 「あァ? お前まで行く必要があるのかよ、シンヤ」 冷たい外気の中にも関わらずである。応じたジャックの額に汗がだらだらと流れている事にはやはり気付かない振りをして、シンヤは芝居がかった一礼をしてみせる。 「ええ、『塔の魔女』が居る限り、儀式が妨害されることはありません。ですが、少々私もあてられてしまったようでして」 言葉は本音では無かった。 (やはり、ジャック様は『塔の魔女』を疑ってはいらっしゃらない) 男と女は度し難いということですか――ジャックにさえ届かぬ幽かでそう呟いた彼の声は、色めいた軽口とは裏腹に硬かった。 シンヤは最初からアシュレイを信用しては居ない。 七年の時間が故か。それ以外の理由があるのか。シンヤの言う通り男女の交わりというのは理屈以上に当事者の目を曇らせるものだという事なのか――彼に真相は分からなかったが、どうもジャックはアシュレイを信じ過ぎている、それが確かな危険になると彼は踏んでいた。それでもそれを口にしないのは彼なりの『忠誠』の為せる業であるのだろうが。 「俺が我慢してるってのに、いい度胸じゃねぇか……えぇ?」 「ついでに魔女殿の様子も見てくることにしますよ」 ジャックは余程消耗しているのかシンヤが浮かべた冷笑に気付く様子も無かった。戦いは既に佳境に突入している。ジャックの儀式も然りである。もし、アシュレイが『裏切る』とするならば『最高潮』の今頃に違いない。例えば儀式を覆うこの『無限回廊』が突然解除され、この『丘の上の広場』を守る要衝である『百樹の森の碑』が開かれたなら……? 「『万が一』何か事故が起こってもいけませんから、用心には用心ですよ」 失礼、と踵を返し北の橋の方へ歩き出したシンヤの顔は凄味を帯びていた。 (――ならば、『万が一』のために打てる手は打つとしましょうか) ――やがて来る確信めいた『万が一』が『億が一にも』敬愛する主人を害する事が無いように。 ●BaroqueNight in the Witch 『百樹の森の碑』―― 儀式の地『丘の上の広場』に続く要衝を守り、同時に儀式を守る『無限回廊』なる特殊結界を張り巡らせる魔女は激しさを増す戦場全体を知覚して「ふむ」と小さく頷いた。 自分の『占い』が絶対に当たる事を彼女は良く知っている。『塔しか出ない占い』の意味を知っている。彼等――アークが予想以上の健闘を見せているのは彼女にとって驚くべき事では無い。 「……しかし、この調子だと少し早過ぎますかねぇ……」 西門、北門から寄せるアークの戦力がアシュレイの現在地を挟撃する意図を持っている事は容易に推測に足る事実だ。 アークが自身に対してどういう『結論』を持って臨むのかまでは流石の彼女にも分からなかったが『無限回廊』の解除が早過ぎてはジャックの暗殺は兎も角として、儀式の成立の目が怪しくなるのは間違い無い。 「……仕方ありません。少し、お手向かいしますか」 呟いたアシュレイの影が街灯に照らされて伸びる。伸びた影から無数の黒い獣が産み落とされ、周囲に防御の陣形を作り上げていく。 「些か荷が勝つかも知れませんが……さて、どうなりますか」 微笑むアシュレイは赤い月光を浴びて、美しかった。 それは触れれば破滅に到る毒気のようであったけれど。 それでも――触れずには居られなくなるような、そんな蟲惑。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年12月23日(金)00:50 |
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●泡沫 女の、泣き声が聞こえる。 不愉快な女の――弱っちい泣き声が耳の奥まで滑り込んできて、何とも言えない苛立ちをこの俺に与えてくる。 女の睫に宿る露は大粒。止め処なくぽたぽたと流れ落ち、地面に水溜りを作ろうとしているかのようだ。 人生の最後、幕を迎えてこのザマか。最後はそんな顔なのか。 ――どうして…… 泣き言は聞き飽きた。 何故、どうして。そりゃあ、運命だからだろ? ――して、神様は…… 信じないと口にした――神様に縋るから、何時もお前は弱いんだ。 何て馬鹿な女だろう。何て単純な女だろう。 右の頬を叩かれて左の頬を差し出すのは馬鹿。右の頬を叩かれた事すら忘れてるようじゃ救いが無い。 俺は口の端を歪めて、美貌を悲しみの一色に染める女の耳元に囁く。掠れる声で小さく囁く。 ――え……? 目を見開く女の顔が愉しかった。 全く想像もしていなかっただろう――場違いな言葉は十分な効果を発揮したのだろう。 その言葉は或る意味でこの女にとって望外で、或る意味でこの上無い嫌がらせになっただろうか。 悪い冗談に聞こえただろう。同時に最後に向ける言葉としては上等なモンになっただろう。 ――え。――、結婚、って…… 死が二人を別つまで。 それはもう今すぐの話になるんだろうが、な――嗚呼、死が二人を別つまで。 ●長いナイフの夜 「――約束通り、来た。踊ろう、ジャック?」 少女――天乃の声は鈴鳴るようで、闇の合間を透き通る。 凶月の昇る夜。それは運命と運命の交差する夜。 誰にも狂おしく、何にも止め難い。綻びと崩壊の聞こえるそんな夜だった。 「ヒャッハー! ボトムチャンネルを混乱させるマネはこのモヒカンにかけて許さねえぜ!」 余りに強気なメアリの声と、 「会いたかったよ、悪。お前を焼き尽くせば私の火は消えてくれるのかな。……消してよ、私の火を」 冷たく燃え上がるような朱子の熱情をその身に受けて――歪夜の主は実に大仰な溜息を吐き出した。 「赤い月もまた美しい。だが、何より美しいのはこの地球だ。 その穴が開けば地球の痛みは何倍にも増すだろう。それだけは阻止しなくてはいけない――」 キャプテン・ガガーリンの視線の先に魔人は居る。 彼が美しいと称した赤い月光を一身に浴びて、佇んでいる。 特別な儀式によって引き歪められた空間――黒い『穴』を目前に魔人は静かに佇んでいる。 「偉大なる伝説。生きていた、倫敦の悪夢。 世界に存在する中で最大の都市伝説であるアナタにはいくら敬意を払っても足りはしないデショウ――」 即ち行方がうっとりとしたその名を持つ男…… 「偉大なる切り裂きジャック、合間見えるとは光栄の至りデスネ! されどこの国はボクの縄張り! 敬意を払い血肉と化せ!」 「祖国イギリスの生んだ殺人鬼の原型、ジャック・ザ・リッパー。 相手できると考えると、光栄と考えるか、冗談じゃねぇとなるか……」 「有名なだけ。劇場型犯罪の先駆け、ただし殺しその物は当時としても稚拙。報道によって創り上げられた伝説の存在――」 イーシェ、アッサムードの目の前に立つ男はかつて倫敦を恐怖に染め、今、日本を恐慌に陥れた男である。 「ああ――全く」 今夜に到る全ての元凶はこの男――ジャック・ザ・リッパーだ。 彼は殺人者である。彼は革命家である。彼は狂人である。彼は唯のごろつきだったのかも知れない。 何れにせよ、この世界に閉じない穴をこじ開け、血と死が香る新たな伝説と王国の樹立を願う者である。 ……深夜の公園はまさに『運命に愛された善と悪』が血で血を洗う戦場と化していた。超常識と呼ぶに相応しい力を持つ神秘世界の住人達は、人知れぬ間にこの世界を賭ける戦いを繰り広げていた。遠く怒号が、悲鳴が聞こえる。轟音は耳を裂き、戦いの熱は空気さえ焦がす。目の前の魔人――現世に禍の名を残すジャック・ザ・リッパーは兎も角として、リベリスタ達は耳を突く悲鳴が見知る誰かのモノでは無い事を静かに願っていた。 「こんな大事な時期に大暴れして…… あたしとさおりんのロマンチックな聖夜が無くなってしまったらどう責任取ってくれるのです?」 「死ぬ気なんてさらさらない。私は私が何より大事。でもね……」 何処まで本気か嘯いたそあらに続いて糾華が言う。 「……私の日常がこの戦いの向こうにあるとしたら、貴方は何としても、止める。それだけよ」 「クソ女、一体何やってやがる。シンヤの野郎も、言うばかりで口程にもネェ……」 悪態を吐き出す蒼白な唇はしかし言葉とは裏腹に何処か奇妙な愉悦の色を湛えていた。 口角は否が応無く吊り上がり、剣呑な瞳はグラス越しに現れた『獲物』達の様子を興味深そうに眺めていた。 「事実上の連戦ですが……まだまだヘクスは死ぬわけにはいかないですからね」 「今まで日本をむちゃくちゃにしてくれた分、全部纏めてお返ししてやるの、覚悟するの!」 「ついに元凶に引導渡す時ね。ここまで日本を散々引っかき回してくれたんだから……その分のお礼はしないとね?」 『チームなのはな荘』の面々、へクスが言い、ルーメリア、久嶺が気を吐いた。 ここに到るまでに繰り広げられた激戦の跡は居並ぶリベリスタ達に確かに刻み込まれていた。傷み無くここに立つ者は少ない。 たった今、ジャックが『口程にも無い』と笑ったあの後宮シンヤに食い止められたリベリスタ達も――彼と彼の精鋭を『抑える』為に死力を尽くしているリベリスタ達も実に百以上を数えている。園内で繰り広げられる激戦は全てがこの男と、目の前の儀式の為に存在していた。 (これは復讐じゃない。親友が守り抜いたものを、わたしも守りたい。 だから戦う。人の命を、小さくとも掛け替えのないものを守るために。また、一緒にあなたと笑うために――) 舞姫は視界の中で一瞬だけ滲んだジャックの像を強く見据え直した。 彼女はジャックを知っている。忘れ得ぬ『あの日』に一度、彼と刃を合わせている。 (倒せる。今なら――) その実、内心で呟いた舞姫の言葉は自分に言い聞かせる為のものだったのかも知れない。 対峙するジャックの鬼気は冗談の如く容易に戦士の魂を震わせる。 舞姫の知るジャックと目の前の疲れ果てた男は確かに別人だった。しかし、それが何になると言うのだろうか? 化け物は消耗していても化け物である。百人で挑んだとて、そこには何の保証もない。これだけの条件を揃えても勝利へのビジョンを霧の向こうに覆い隠す。それが誰もが口を揃える倫敦の悪夢、史上最も有名な殺人鬼。 (……うぅ、怖い……怖いよ……) 引き攣った顔で、それでもジャックから視線を逸らさずに。ニニギアは震えそうになる両足で何とかその場に踏み止まった。 ……それでも、彼の状態が万全では無い事は魔女の告げた通り。少なくともその情報が正しかった事は僥倖だった。 彼の周囲には十五人の護衛がついていたが――リベリスタの数はゆうに百を数える。 やれるか、では無い。やるしかないのだ、事ここに到ったならば。 「――雁首揃えて……つまらねェ顔を並べやがって、雑魚共が」 ジャックの吐き出す言葉は悪辣な嘲りを含んでいた。 自身の『伝説』を阻止せんと動く宿敵達を何事でも、何者でも無いかのように見下している。 「なあ。ジャックって、本名じゃねえんだろ。 お前さんの本当の名前って、なんなんだい。念仏唱えようってのに、相手の名前もわからねえのもなんだしナ」 フツの言葉にジャックの眉がぴくりと動く。その心算は無くても――これは挑発として余りに上出来過ぎたという所。 「貴方からすれば、私達なんて有象無象なんでしょうな。 まあだからこそ、千載一遇のこのチャンスを逃せないんですがのう」 九十九はくくっと小さく含み笑った。 「これまで多くの人が死にました。放置すればもっと大勢死ぬのでしょう? それは寂しいですねえ。寂しいので一人の犠牲で済ませることにしましょうか」 「……笑えない冗談にはいい加減ムカムカしてくるぜ」 ざわざわと風が木立を揺らしている。 濃密に凝縮されるジャックの殺気に応えるかのように――真夜中の公園、『丘の上の広場』が確かな死地へと姿を変えた。 「いいぜ。かかってこい。何処からでも、何十人でも、何百人でも」 ジャックは謳う。 「どの道、俺様に勝てるかどうかのゲームだろう? リベリスタ!」 目を見開いたジャックのその全身が妖しくも美しく靄がかる。 その手が握る銀色のナイフは鋭利な魔性の煌きで自己を顕示しているかのようだった。その主と同じように。 悪魔は己を解放した。それだけで強くなるプレッシャーにリベリスタ達は咄嗟に構えを取っていた。無意識の内に彼等が守りの姿勢を作り上げたのは彼等が死線を幾度となく潜り抜けた戦士達だったからである。この場の誰もが初めて知る――危険な予感がそこに在った。 戦いが始まるのだ。 歪夜を舞台に、歪夜の騎士(バロックナイツ)を討ち果たす為の――伝説となる戦いが! 「世界の命運この一戦に在り。総員構え、突撃!」 ラインハルトの号令が雷のように響き渡る。 少女と世界を守る最終防衛線――その『境界線』は全ての勇気を振り絞り、目の前に蟠る闇へその牙を向けた。 「オマエらオレたちの邪魔すんじゃねぇ!」 ジャックに加担するフィクサード達を蹴散らさんとする牙緑が居る。 「境界最終防衛機構所属、レン・カークランド。ボーダーラインの名に恥じぬよう、何人たりともこのラインは割らせない!」 敵が何者であろうとも、食い止めんとするレンが居る。 「回復するよ。防御の方は宜しくねー」 「任せとけ」 この苛烈な戦線を支え切る、その覚悟を持つとらが、彼女を守る為のアウラールが居る。 「誰一人として死なせはしない!」 「――負けないんだから!」 強い決意を秘め、通常有り得ない確率(だれもしなないこと)に挑むルアとジースの姉弟が居る。 「あなた達が何でこんな事してるか知りませんが…… そんな気安く大切な世界を壊さないで下さい。わたしは、わたしの夢や応援してくれる人たちを絶対守って見せますから!」 凛を言い切った――瑛が居る。 「いいぜ、良く囀った! リベリスタ!」 発達した犬歯を剥き出して、この『命の危機』にさえその両目に狂喜を宿して。殺人鬼が駆け出した。 百人を超える敵陣に唯の一人で、向かってくる。ジャック・ザ・リッパーが向かってくる――! ●BaroqueNight in the Witch 時刻は少し遡る―― 神奈川県横浜市三ツ池公園で展開されている守る者(リベリスタ)と侵す者(フィクサード)の戦いは佳境を迎えていた。 園内各地に展開された後宮シンヤ配下、『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア配下のエリューション達はアーク側リベリスタの予想以上の健闘と勢いに押される状況となっていた。アークの目的は言わずと知れたジャックの撃破と彼の為す儀式の阻止である。この内の片方『ジャックの撃破』については目的を共有出来るアシュレイとアークではあったが、もう一つ。儀式の成立に対して立場を逆にする両者は危険な駆け引きを余儀なくされていた。 儀式を阻止するにはアシュレイの展開する空間歪曲魔術『無限回廊』を突破する必要がある。技術的にこの魔術を打ち破る事が困難なアークには二つの選択肢が残されていた。それはアシュレイを撃破するか、彼女を説得・交渉する事で『無限回廊』を解除させるというものである。よって、アーク側戦力は正門と南門に陽動の戦力を置き、アシュレイに近い西門と北門から『百樹の森の碑』周辺に陣取る彼女に向けて進撃、挟撃するという作戦を立てたのである。 「お手伝いしまーすよ」 何処か軽妙な声と共に影の獣をぐるぐの一撃が叩きのめす。 怯んだ獣の脇を抜けるようにリベリスタ達が駆け抜けた。 「撒くとなりゃあ一滴の血となるまでよ。干からびるとなれば一掴みの骨になるまでよ!」 アクタバンの短弓、 「でたらめな数であるな! 倒し甲斐があるというものよ!」 『対AS火砲隊』の一員――気を吐いたアイリの弓が次々と光の尾を引く矢をばら撒いた。 「何としても突破しないと! ミルフィも頑張って……!」 「はい、お嬢様!」 アリスのフレアバーストが闇を赤々と炎の色に染め、愛しい主人の激励を受けたミルフィが前に飛び出して残影を引く鮮やかな双刀の剣技で前を覆う複数の影を斬り散らした。 「ここは――私が切り開きますわ!」 多数の苦戦と消耗を重ねながらも前進を続けたリベリスタ達はやがて園内中心部付近で合流し、一つの勢力を形作っていた。『百樹の森の碑』に接近した所で出現したアシュレイ配下の影の獣との交戦は既に激しいものとなっている。 彼女の『手向かい』はリベリスタ達に何より状況を理解させていた。やはり、アシュレイの狙うのは時間稼ぎなのだ。真意は知れないが彼女の目的は『穴を開き、ジャックを倒す事』である。一見矛盾するその二つの目的だが、彼女はやはりそのどちらも譲る気は無いのである。 「……っ、この程度じゃ、足止めにもならないわね?」 一体何体存在するのかも知れない影に向けて――翠華は嘯く。 「さぁ、役割を果たそうか」 (まだ弱いけど、少しでも戦力になれるよう頑張るんだ――!) 文字通り――炎を撒く『火砲』となった朋彦、彼と連携するように火力を重ねるのは悟。 「皆、離れないように気をつけて――!」 声を張る悟に仲間が応え、頷いた。 「百じゃ利かないね――まぁ、対集団戦闘に前例が無いわけじゃないよ。 『蟻』以来。まあ今回はあの時ほど好条件でもないけど、さ」 「アシュレイちゃんの性格は嫌いじゃないんですけど、流石に世界が滅んじゃったら困るんですよね。 ……って事で桜ちゃん、思いっ切り邪魔させて貰うですよーっ!」 神々しく聖なる光で影を撃つ香雅李、無数のダガーを投擲して影を縫い止める桜。 「桜ちゃんだって、やる時はやるんですからねーっ!」 見事な連携と強い意志で『対AS火砲隊』の面々は魔女への道を阻む影の獣達を効率的な火力運用で駆逐にかかる。 それでも敵の数は多い。回り込まれれば必然的に生まれる死角からその爪牙を繰り出すアシュレイシャドウをいとも容易く食い止めたのは、 「あの日、今の世界を護るためにこの身を全てを捧げると誓った。 自分の心は変わる事は無い。如何な困難に直面したとて、この命燃え尽きるまで戦い抜くのみ――!」 言葉に自負と威厳を込め、厳然と戦場に宣誓し。鋭い牙さえ何事でも無いかのようにその装甲で弾き飛ばしたウラミジールであった。 「抜けよ、ここを。先に待つ――『本当の戦場』まで猶予は無い!」 複数纏わりつく影の獣を叩き、捻じ伏せ、堪え、凌ぐ。 自らに構うなと声を張るウラミジール(たて)を助くよりも。誰もが皆、唯、己の役目を果たすのみ。 リベリスタ勢力の勝利はエリアの制圧状況に直結し、作戦遂行の難易度に影響する。北門遊歩道付近では未だアシュレイの土砂人形が健在で進軍に遅延をもたらしていた。北門側の攻略状況は比較的悪く、事実一部戦力は西門側へ迂回しての合流を余儀なくされている。挟撃の形が体を為さなかった以上、アシュレイが守り易い状態になったのは間違いが無い。 故に猶予は無いのだ。求められるのは愚直なまでの直線的突破。リベリスタが全てを掴もうとするならば――巧遅を上回る拙速こそが鍵だった。 拙く、小さな……彼等の掌で零れ落ちる運命を救い上げようとするならば、幽かな望みを掴もうとするならば。 「アタシは何があっても儀式の阻止を諦めない…… だってさ、ホントにちっちゃな頃から世界を護ってきたんだよ。 その為に色んな犠牲には目をつぶってさ。沢山敵を倒して、見殺しにもして、命も賭けてきて…… そうやって護ってきた世界なんだよ。それが壊れてくのを黙って見てるわけないじゃん!」 何度も、何度も、何度も味わってきた屈辱。無力感。 リベリスタの理想に運命は優しく無く、甘くはなく。それでも傷付いても立ち上がり続けた自負がある。 「どんな相手でも、アタシは絶対に――」 降り注ぐ嵐子のハニーコムガトリング(だんまく)が容赦無い暴力の雨となり、無数の影に痛みを突き刺す。 「対話にせよ、撃破にせよ。 道をひらきましょう。奇跡を起こす主のちからをおみせしないと――」 『対AS迫撃隊』を援護するようにピンポイントで敵を撃ち抜いたエリエリと連携するようにミカサが獣に肉薄した。 「ああ。こんな夜だし――是非、奇跡って奴を見せて欲しいね」 逸る気持ちをそれでも抑えて、彼の二重の対爪は街灯に淡い紫を瞬かせた。 (全く、困ったものだね……) 戦いは苛烈な消耗戦となっていたが、敵影が減った気がしないのが恐ろしい。 目の前の光景が唯の一人のフィクサードによって齎された産物であると考えた時、ミカサはその馬鹿馬鹿しさに半ば呆れた。 相手がアシュレイシャドウであるならば、確かにリベリスタ側が個の質で上回っている。しかし、『それを生み出したと想定される』アシュレイ本人が簡単に御し得る存在である可能性は皆無に等しい。 「影なしジャック――それも三匹も!?」 ……戦場に、新たな混乱の火種が持ち込まれた。 付近での戦闘で討ち漏らした『影なしジャック』が乱戦の内に飛び込んで来たのである。 アシュレイの手によって生み出されたエリューションは手負いながらシャドウとはまるで質が異なる。 俄かに発生した激戦にリベリスタ達の進軍が緩む。傷付く者が途端に増える。 「余力の尽いた方は、一声お願いいたします!」 乱戦の中、慣れない大声を張るのは凛麗である。 華奢な彼女のその決意を支えようとするように―― 「必ず、生きて帰りましょう」 ――その身を砕けぬ盾とするのは恋人のカイだった。 「こんな所で、死ぬ訳にはいきません。当然、こんな事を許す訳にも」 「はい――」 「がんばれ、がんばれ、りべりすた! わたしたちはまけない! 負けてはならないのですから!」 エリエリのアデプトアクションが影なしジャックを強か叩く。 「……何とか『対話』出来るといいんだけど……」 状況は混乱。戦場は不明。ミカサは小さく呟いた。 それでも迫撃を繰り広げるのはミカサばかりでは無い。大火力を展開した『対AS火砲隊』の支援を背に、 「我、今まさに人馬一体なり! 退く事無く、退かせる事赦さず、貴様等を殲滅せん!」 獅子王「煌」を手に黒馬に跨る刃紅郎が暴れに暴れる。 「温いわッ!」 大喝と共に一閃された一撃が猛襲してきた影なしジャックの一体を撃滅した。 激戦、激戦、激戦は続く。止め処なく続く。 「全く、きりがないでござるな……!」 呆れたように言いながら、それでも敵戦力を丹念に磨り潰すような戦闘を辞めはしない。 「それにしても出来ればあの魔女……直接話して一緒にお茶でも洒落込みたい所なのでござるがなぁ……」 何処まで本気か、惚けたような腕鍛のマイペースはこんな夜でも変わらない。 「痛ぁっ! ぐるぐさん殺してくれたの誰よっ……!」 乱戦はぐるぐを、リベリスタを痛めつける。切り開く事を優先すればその身はどうしようもなく危険に晒される。 (この戦いの結果が、未来を大きく変えてしまうのですね…… 持てる力の限りを尽くし、勝利の為に戦いましょう……!) 魔女へ到る道を。魔女に届く血路を。 ユーディスの重槍が神聖の輝きを帯び、暗い影を貫いた。 傷付き、消耗しても彼の戦いは変わらない。そして、この戦場では仲間の戦歌が供となる。 ――君が真っ直ぐ前だけを向けるように。 僕はここから歌を歌うよ 君が傷ついてしまっても天使の力で癒すから 君の背中は僕が守る だから、思う存分戦って。二人で一緒に帰ろう―― 仲間を必死に賦活する七瀬の双眸の先には何時も奮闘する鋼児が居た。 (正直に言やぁ、クソ怖ぇ……ええ? 俺の知ってる現実はどこへ行きやがった) 堅い防御を纏い、敵中目掛けて切り裂く蹴撃を繰り出す。寄られれば炎を纏うその拳で叩きのめす。 (……けどよ、俺がビビっても事態は何にも変わりゃしねぇ!) 戦いが続く程に減じる体力。しかし、彼の気力は戦いが続く程に研ぎ澄まされた。 「――腹括るしかねぇ、男見せろよ、俺!」 「一人でも多く、一人でも遠く……撃って砕いて、必ず届かせる!」 怒鳴るように、噛み付くように喜平が強く気炎を上げた。 「鋼の鼓動が囁くんだよ、クライ夜をブチ破れってなぁ!」 彼の得物が不用意に近距離へ飛び込んだ影に向けて光の飛沫の如き連続攻撃を叩き込んだ。 気力は充実。この夜は彼を戦闘に『最適化』させていた。圧倒的な技量の為せるその技の前に影の獣如きでは余りにも役者が足りない。軽々吹き散らされたそれに最早一瞥もくれる事は無く、既に喜平は次なる的を探していた。 「今度は、どいつだ!?」 多彩な戦力を持つリベリスタ達の進軍ルートは地上直線の一つだけでは無かった。 「正直、三次元には興味無いし、命まで張る心算は無いけどね。微力でも役に立てばいいとは思うかな」 「アシュレイちゃんよー! 影出すのなんてずるいぜ! 私の影も出せる様にしてくれ! 思いっきり美少女にな!」 覇気やや薄く戦闘を展開する凍、ソニックエッジで影の獣を切り刻む瞑の一方で。 「……何とか、上手く辿り着けるといいんだけど……」 影との戦いを続けながら呟いた由利子は暗い夜空の向こうへとちらりと視線を投げた。 「ま、こっちは悠々と散歩気分で鼻歌歌って……動物と戯れてから行くさ」 由利子の言葉に応えるように言ったアキツヅが『対AS火砲隊』と連携して直線の道を切り開いている。 このプレイボーイは支援に殲滅に防衛にとその性格同様中々器用で気の利いた所を見せていた。 「案じる事等あるまい。我が認めた者達だ!」 豪放に刃紅郎が言い放つ。 卯月の翼の加護を得たリベリスタのチーム『空組』は文字通り上空を移動し、交戦を避けアシュレイの元へ到達する事を目論んでいる。 由利子が空から彼女の居る『百樹の森の碑』へ移動を図る彼等にクロスジハードの加護を与えたのが幾ばくか前。地上での戦いはリベリスタ側がやや押しているとは言え、一進一退の状況を展開しているから、彼等が一つの希望になるのは間違いなかった。 正義の光に怒り狂い向かって来た影の獣を由利子の重い一撃が強く叩いた。 (事前に念は押したけど……あの子は責任感が強いから……ああ……) 如何な死線においても母の脳裏を過ぎるのは『この戦いに参加してしまったであろう』娘、円の顔だった。 戦場の何処かに居るであろう円の姿を由利子は直接確認していない。確認はしていないが―― 「心配だわ……」 母は強し。唯、娘の身を案じながら由利子は又一体、影獣を叩きのめした。 そして、果たして――結果から言えば空を制覇しようと考えたリベリスタの試みは見事成功を収めていた。 (パーティではどうしても活動範囲が限られてしまいます。ならば、私は――) 同じく翼の加護を駆使して戦場を縦横と駆け回るきなこの支援は奏功していたし、地上の抑えを後続に任せた『空組』は計画通り敵陣のショートカットに成功していた。 「見えたのだね――!」 卯月の声に『空組』の面々に緊張が走る。 地上に配置され、対空の攻撃方法を持たないアシュレイシャドウをやり過ごす事に成功した一団は『百樹の森の碑』にアシュレイの姿を確認したのである。ここからも卯月の指示は抜け目が無かった。彼女の魔術による対空攻撃を警戒したチームはアシュレイの攻撃範囲に入る前に地上へと降り、直前に迫った魔女へ向けて再度進軍を開始したのである。 「よーし、すぐそこまで来たんだぜ!」 両手のシールドをがちんと打ち鳴らした明奈が飛び掛って来る少数の影獣を食い止める。 距離にしてアシュレイまでは三十メートルばかりである。後方より戦線を押し上げるリベリスタ達がこのポイントまで到達するにはもう少し時間が掛かるだろうが――彼女等は先んじてこの場へ到着する事が出来たのである。 「あの女に頼ってる限りは掌の上――なら、万に一つでも自分の力で出来そうな事を選びたい、そういうものだわ」 レナーテの盾が飛び掛ってきた影獣を押し返す。 彼女のイーグルアイは彼方に佇む魔女の表情の細部までも明瞭に理解させた。 (――結局、気に入らないのよね) 微笑(わら)っている。その余裕が。 誰の運命も自分の手の内にある、そう言わんばかりの魔女の傲慢さが。 「一気に行こうぜ!」 チームと共に駆け出した明奈は儀式の阻止を最初から微塵も諦めては居なかった。 諦めてしまえばそれでお仕舞い――とは誰が言った言葉だったろうか。彼女は思う。強く思うのだ。 (――ワタシは、意地でもこの世界にしがみついて、みせる――!) 自分達に交渉材料は無い。人当たりのいい笑顔を浮かべた『バロックナイツ』と交渉するに足る材料等最初から持っていないと確信している。自分達がすべきは何で、許せざるのは何か。リベリスタとして生きるなら、それは。 「――世界を壊すなんて、絶対にさせるものか!」 余りに愚か。愚かだからこそ愛しい。 己が非力――否、無力を知りながら。その癖、吠えた明奈は何一つ諦めては居ないのだ。 全てが欲しい、全てを守る……等という子供の理屈を、青い理想を少なくとも本気で『信じている』。 ままならぬ世界でリベリスタに出来る事があったとするならば確かに――それだけ。まず『諦めず信じるという事』のみだった。 「ザコぁ引っ込んでろぉー!」 火車の武闘が炎を巻き上げる。 (敢えて言うなら『気に入らない』。 勝てるかなんて知らない、目論みを一寸だけでも狂わせることが出来れば――) 凛とした視線を彼方に放つ。彩歌の青い瞳の中に女の影が映り込む。 影獣は明奈の、空組の面々の決意に蹴散らされた。赤月の下、悠然と微笑む魔女への射線が開いていた。 「気に入らない、のよ」 想いは言葉にすれば一層強いモノへ姿を変える。 論理演算機甲「オルガノン」――戦いの為の機構を備えたガントレットに包まれた指先がぴたりと遠いアシュレイを指し示していた。 ――闇の中を鮮烈に切り裂く光の糸。 それは、届かないかにも思われた彼女とリベリスタ達の間を繋ぐ光の橋。 「流石、と言うべきなんでしょうねー」 緩い口調には未だ笑みを滲ませて。彩歌の渾身をひょいとかわしたアシュレイが言った。 元より簡単に当たると思う程、甘い考えは持っていない。されど、一撃は鮮烈で魔女に向けるべき宣戦布告、到着の知らせとしては十分だ。 彩歌が狙ったのは魔女が何時でも手にしているそのタロット・カードである。先の戦いでも幾らか『庇う』素振りを見せたアシュレイにとってそれが何らか大事なものであるという――力の源になるものではないかという類推からの狙いである。 「短い時間で実に動きが効率的です。まぁ、『私の占いは外れないんですから』当然なんですけど、ね」 アシュレイの賞賛の向く先は、空より影獣の群れをやり過ごしたリベリスタ達の作戦に向けられたものか。はたまた、短いやり取りから自身の『泣き所』を把握して迷わず狙った彩歌の判断に対してのものか。リベリスタにはそれを判断する術が無かったが…… 「園内での戦闘は比較的順調なようですね。儀式にはもう少しでしょうか? 正直、もう少し粘れると思っていたんですが――」 ……少なくとも『今夜ばかりは』本当の魔気を纏い、表現出来ないプレッシャーを与えてくるアシュレイの言を信じるならば。彼女のその態度の意味を考えるならば『儀式がまだ阻止出来る段階』なのは明白だった。 リベリスタ達は駆け抜ける。影の伸びる戦場を走り、やがて十数の影獣を従えた魔女の元へと辿り着く。 肌を突き刺すような冷たい殺気を掻き分けて、赤々と魂に宿る炎を燃え上がらせて。 「すまねぇが――戦う事で意思表示させてもらうぜ?」 死地においてはその口調も空気も違う。 昂ぶった獣の如く魔女に掛かり、鬼影兼久による渾身の斬撃を繰り出したのは虎鐵であった。 叩きつけられる凶悪と呼ぶに相応しい破壊力は雷気を伴って魔女の周囲を荒れ狂う。 「こんばんは、素敵なおじ様――」 しかし、アシュレイは無傷。彼女を覆う青い魔力の壁はその強烈な威力を前にしても微塵も揺らがぬ。 余裕めいた魔女の様は変わらない。分かっていたからこそ、卯月は静かに切り出した。 「穴を開いた先に君が求めている事……少し分かる気がするよ」 「そうですか?」 対峙した卯月の言葉にアシュレイは心底意外そうな顔をした。 「いや、類推を分かる……と表現するのは乱暴だね。 君の狙いは分からない。でも、君の求める果てが私達三人と合致するならそれで良いとも思うのだよ」 言葉は敵同士として向かい合う魔女に何某かの可能性を見出してのものだったのであろう。 「アンタの真意は俺にゃ計り知れん、だが」 口元に獰猛な笑みを張り付かせて、ランディが呟いた。 「七星、火車、そして俺には同じ目的がある」 「オレぁ頭良くねぇからよ 手前のやろうとしてる事ぁ良く解んねぇ。 だがよ? すげぇデカイ奴殺って……丸ごと手に入れる、ってーならそれも面白そうじゃねーかって思う訳よ」 応えるように火車が続けた。 三人の言うのは偏に同じ――『もし、アシュレイの目的が共有を可能にするものならば』。ifへの期待。 しかし、落ち着いた交渉を求めるならば戦場はざわめき過ぎて。唯、話し合うにしてはリベリスタ達に許された猶予は小さ過ぎた。 「ああ。オレは何が何でも……退屈な日常って奴を手に入れる……!」 地面を蹴る。 言葉を投げた火車が不意を討つかのように動き出し、直線的にアシュレイの懐に飛び込む。渾身の一撃を突き上げる。 青白く光の華が咲いた。硬質の手応えは火車の手に違和感だけを残し、魔女の寸前で止められた一撃の反動に彼は僅かにたたらを踏む。 「そう、それです!」 アシュレイはその言葉に満面の笑みで応える。 「あはははははははは! 気が合うじゃないですか。それですよ、それ。日常。落ち着いた退屈! それが一番ですよ! でも、火車さん? 貴方は日常が欲しい癖に、日常を手放そうとする。可愛い恋人と一緒に態々こんな場所に来てしまう。 時が果てるまで、一緒に居ればいいだけなのに。見知らぬ誰かの為よりも、まず自分の為に生きればいいのに。 いけませんねぇ、どれ位恵まれているか気付いていない。失くすまで気付かない、いけませんよ。そういう二律相反(アンビバレンツ)は!」 一体、何処で『知った』のか。火車の肝胆が寒くなる。 ……奇妙に昂ぶったかのようなアシュレイの声は場違いな愉悦と幽かな狂気を感じさせた。 「……っ!」 背筋を駆け上がった激しい悪寒に火車は咄嗟にバックステップを踏んで距離を取る。 幽幻とそこに立つ女の姿はそのままだ。まだ彼女はリベリスタに害意さえ向けていないのに、異常性は酷く際立つ。 ジリジリと焦れる、刹那の時間。 ランディが集中を重ね、隙を伺っている。 互いにとって利にならぬ緊張の無音はゼルマが打ち破った。 「交渉、なれば。単刀直入に言おう。こちらが求めるのは無限回廊の即時解除じゃ」 「出来ない相談ですねぇ」 「逸るな。何を与えるか聞いてから、答えるのはそれからで十分じゃろう?」 にべもないアシュレイにゼルマは不敵な笑みを浮かべた。 「こちらが提供するのはバロックナイツ十三使徒とその首魁の殲滅――」 「――――」 ゼルマの言葉にアシュレイは猫のような金色の瞳を大きく見開いた。 「加えて貴様がその先に見ている敵の打倒。不足かえ?」 返答を待たずにゼルマは言葉を足した。アシュレイは一瞬口を閉ざしたが、 「あははははははははははははははは――!」 一瞬後にこれはおかしいとばかりに大笑いを始めていた。 「冗談を言った心算は無いのじゃが」 「交渉は総意で行なわれるものですよ。それに吐いた唾は飲み込めない、魔女に契約を持ちかけたらそれは真実に成る。御存知ですか?」 アシュレイは見開いた目を今度はすぅと細め冗談めかして問い掛ける。 「今、ジャック様一人に苦労している皆さんが……他ならぬ『使徒』に持ち掛けるには余りに過分なお話ではありませんか?」 「確かに、な」 アシュレイの言葉に応えたのはゼルマではなくその血縁であるゲルトだった。 「荒唐無稽な先の話、確かに今は笑い飛ばさずには居られまいよ。 しかし、塔の魔女。お前は、大叔母の言葉を――否定まではしないんだな」 アシュレイは答えない。 「お前の目的は俺には分からん。だが、一つの推測を立てる事は出来る。 お前がその手を下さずに今日を招いたのは――ジャックを俺達に、アークに倒させるのは日本に次のバロックナイツを呼ぶためじゃないのか?」 気のせいか。韻、と空気が音を立てた。 「……成る程、少し甘く見ていましたか」 呟いたアシュレイの言葉は消極的な肯定を示していた。 頼りない細い手掛かりの糸を辿らざるを得なかったリベリスタ達は、アシュレイの目的の一部に到達する事が出来ていたらしい。 喧騒が近付いてくる。リベリスタ側の戦力が影獣の防衛を押し込み、『百樹の森の碑』に近付いてきているのだ。 「お兄ちゃんが魔女を口説きに行くのは納得出来ないけど――今回だけは特例っ!」 今夜ばかりは『献身的な妹』は兄・竜一を庇うように傍につき、彼を先へと押し出した。 「ここは任せて、お兄ちゃんは先に!」 「ああ、今日はマジで助かった!」 日頃、苛烈なサンダースパークをバチバチと自身の体にトゥギャザーする虎美のスタンガンが竜一はこの上なく頼もしい。 その威力を身を以って知っているが故に、目がマジな時の妹がどれ位頼りになるのかは分かっていた。 「――ナイスおっぱい!」 言葉は、奮う魂の迸りだ。 「俺は、あの時より、この時をずっと待ちわびていた。 あの時、なぜ俺は日記帳を手にしていなかったのか。 人と人とが分かり合うには、交換日記が一番だと言うのに――」 周囲を支援を受け、影獣の壁を何とか抜けた『対話』の為の戦力がこの場に合流を果たしたのはこの時だった。 「争い合うだけが、人との関わり方じゃないはずだ! さあ、お互い心を開いて知り合おう。さあ、手を取り合おう! ハグし合おう!」 竜一の心からの言葉はさて置いて。 「はじめまして、だね」 佇む魔女に静かな挨拶を投げかけたのは京子だった。 因縁浅からぬ二人である。運命を視る魔女がそれを知るのは必然だったのか――彼女の眉がぴくりと動く。 「私の仲間、親友を助けてくれた事感謝してるよ。ありがと。それとごめんね、アシュレイさんの優しさにつけこむね ジャックよりもアシュレイさんの方が『大事』だと思ったから――」 白い指先は運命のトリガーを引く。 迸る魔弾は、身を翻したアシュレイの頬を掠めて過ぎる。 魔女は未だ反撃には移らない、逡巡。 「こんばんは、アシュレイ。私はアークのアシュレイ。 貴女は私の影……なんて電波な事はいう気は無いけど少しお話しないか?」 アシュレイ・セルマ・オールストレームは、アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアの前に立つ。 自身は『安い手』とした気配遮断による接近だったが、敵方の注意を撹拌してくれるリベリスタ達の戦いは『アークのアシュレイ』にとって大いに助けになっていた。魔女に接近する事に成功しテレパス会話を試みようと考えた彼女だったが、今度は混沌が仇となる。この場においてはハッキリと姿を現した方が良いと判断した彼女は姿を現して同じ名前を持つ魔女と向き合う事になったという訳である。 「正直交渉が成り立つとは思っていないし、個人的な敵意もない。 名前が同じだから、何てふざけた理由だが『アシュレイ』に会ってみたくてな。 気が向いたら面白い話を教えて欲しいとは思うかな」 「そんな理由でいらっしゃった、と。それは却って嬉しいかも知れませんねぇ」 ニコニコと笑うアシュレイに何とか現場に辿り着いた夏栖斗が訊いた。 「――ねえ、君がどうしても願うものってなに?」 「いやん★ 乙女が本気になる理由なんて千年前から決まってますよ!」 問い掛けた夏栖斗は肩で息をしている。 その全身に刻まれた大小様々な傷がここに到るまでの道のりの険しさを現していた。 そして、もう一つ。 「お久しぶり『あしゅれい』ちゃん」 今度はその夏栖斗を庇うように前に出たこじりがその夏栖斗に比べれば幾らも傷んでいない事が――御厨夏栖斗という少年の性格と、源兵島こじりという少女のプライドを良く現していると言えるだろうか。 「守って貰えば良いですのに。だって、素敵なナイト君じゃないですか」 「……彼は何でも差し出そうとするけれど、それは嫌」 やや剣呑に言ったアシュレイに対してこじりは小さく頭を振る。 「大切な人が別の誰かに大切な何かを差し出すなんて、嫌。 番いを見捨てようとしている貴女には理解出来ない? それとも、切り裂き魔はただの『道具』だった?」 「うん。素敵な彼氏ですね、こじりさん」 冷淡に言い放ったこじりをアシュレイははぐらかした。 「良く言われる。あげないわよ、早速鼻の下伸ばしてるそこのみっともないゴ御厨は」 「もしかして……バロックナイツを日本の特異点に集めたいとか……って酷くない!? こじりさん!」 鼻で笑うこじり。拗ねた声はアシュレイの胸元に視線を吸いつけられた夏栖斗を揶揄するような言葉である。 軽口は一度相対しているが故。こじりは「残念」と惚けた返答を返したアシュレイに先を続ける。 「勿体ぶらずに言いなさいよ。貴方の望みを。トモダチでしょう? 但し、強敵と書いてだけれど」 「『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア―― Ahnenerbe以来(おひさしぶり)と言うべき、なのかしら?」 口にした氷璃自体も『知らない』過去の話。 魔女が懐かしく忌まわしいAhnenerbeに居たと云うならば、それこそが数奇な運命の糸である。 「……貴女は世界に穴を開け、何を為そうとしているの? 穴が開く事、それ自体は崩界では無い。もし貴女が為そうとしている事が私の目的、『崩界そのもの』を失くす事に繋がるのなら…… 私は貴女の目的を容認するわ。でも、アークは後に退けない。退けなくしたのは貴女でしょう?」 「このまま戦ってもお互いに損するだけ。先に待つジャックやシンヤを倒せないなんて事になったら大損っす」 氷璃を護衛する格好でここまで駆け抜けてきた刹姫が確認するように『事実』を口にした。 渦巻く緊張感は一度バランスを崩せばすぐに『百樹の森の碑』をアークと魔女との戦いの場に変えるだろう。 それを理解する少女は半ば牽制交じりに言ったのだった。 「氷璃ちゃんが言った通りっす。 こっちが退けない理由はアシュレイちゃんが『閉じる事が出来ない』なんて伝えた所為。 そんでもって、シンヤ勢力が万全の布陣を敷いているのはアシュレイちゃんがシンヤに疑われてる所為。 ちょっと、その辺の責任取って欲しいんすけど?」 「あはは。確かに。世の中、上手くいかないものですよねぇ」 確信に迫る氷璃の問いには答えずに、冗句めいた刹姫の抗議にアシュレイは軽く笑った。 「俺のやれる物は、精々この首一つだ。交渉にならないのは分かってる」 天斗は言葉を続ける。 「憶測で喋るぞ…… アンタは道を探している。天国、アスガルド、ソブンガルデ、地獄、冥界、何でもいい。 要するに魂の行く先だ。 生きながら死の世界への道を探し神に挑む、だからアンタは”塔の魔女”。違うか?」 「貴女には今ここでアークにジャックを倒してもらわないと困る事情があるんじゃない? 極端な話、アークはここでジャックを倒さなくても今すぐ困ることはないわ。 そりゃ倒したほうがいいに決まってるけど、切迫感が貴女とはまるで違う」 肩を竦めたアシュレイに切り出したのはウーニャだった。 「貴女が時村室長に持ちかけた取引はフェアじゃない。 『アークは貴女のためにジャックを倒してあげる』『貴女はアークのために穴を開けるのをやめる』 ……これがフェアな取引ってものよ。何処かの誰かの受け売りみたいだけど、ね」 「嘘が下手ですねぇ」 アシュレイはどちらかと言えばそれ自体は好ましい事であるかのように微笑んだ。 外堀は着々と埋まっている。対話の間にもリベリスタの戦力は次々と『百樹の森の碑』に辿り着き、魔女の包囲網は狭まっていた。 しかし、彼女は余裕を崩さずにタイト・ロープの上で危険な会話を楽しんでいる。 「見知らぬ誰かの為に命を賭けられるようなご立派な皆さんがジャック様を放置出来るなんてそんなの嘘っぱちです。 私は別に『この機会』じゃなくたっていいんです。単に都合上――『皆さんにジャック様を倒していただく』。占いに従えばこれが良い機会なだけで。交渉はハッタリが重要……とは言いますけどね。カードの切り方にはご注意を。そうしないと簡単に心をめくられてしまいます」 魔女は笑う。 「つまり、『そんな言葉を持ち出すからには、皆さんには何の余裕も無い』って事でしょう?」 アシュレイの言はリベリスタの泣き所とも言える。身勝手なフィクサードと異なり、リベリスタには常に多くの制約と庇うべき背景がある。 少なくともその使命感はこの死地において硬軟両面から魔女を『攻略』せんとする必死さとなって現れているのだ。目の当たりにする受け手のアシュレイに「ジャックの打倒は命題ではない」と告げた所で通用する道理では無かっただろう。 「持っているカードは隠者、世界、塔、愚者だけですか?」 「タロットは二十二枚の大アルカナで構築される『魔術書』でしょう?」 マイスターの言葉にアシュレイは小さく首を振る。 「言葉遊びが出来る程器用じゃない、俺が響かせるはこの力。今はそれを示してやるさ!」 集中に集中を重ねたランディがここでアシュレイに仕掛けた。 僅かに後退する魔女。飛び出してきた黒い影がランディの打ち込みを容易く阻む。 一撃に痛打を受け、実体を薄れさせた影だったが――本体たる魔女は当然無傷。 「皆さんの前に、こんな玩具大した役には立たないでしょうが――要するに工夫次第、ですかね」 アシュレイシャドウは足止めの役と共に彼女の盾でもあったのだ。 問題のある攻撃は盾でやり過ごし、及ばぬそれは受け流す。加えて彼女の持つのは神秘の秘儀たる大魔術…… 「『話し合い』は有意義ですが、ゆっくり世間話とはいかないでしょうね。『まだ』私と皆さんは敵同士、ならば答えは明白です」 最早、リベリスタ側の包囲は整いつつある。 アシュレイはリベリスタ側に実力行使を図る者が居る以上、会話のみで時間を引き延ばすのは限界と判断したのだろう。 「――いけないっ!」 「どいて――おにいちゃんそいつころせない!」 レナーテと虎美の言葉はそれぞれだったが――二人が察知した『結論』はどっちも同じものだった。 これまでリベリスタの攻撃をいなすばかりだったアシュレイの全身に魔力が集中する。彼女の立つ地面に魔方陣が浮かび上がり、噴き出した光は物理的な風となって黒いマントと水色の髪をばたばたと揺らしていた。 「出来れば皆さんを傷付けたくはありませんでしたが――」 恐らくそれは魔女の本音なのだろう。魔女はジャックに向ける矢にするべきリベリスタ達の余力を削りたいとは思っていないだろう。 アシュレイシャドウは厄介な障害ながら決定打を欠き、アシュレイ当人もこの期に及ぶまでは手出しをしていない。しかし、それもここまでという事か。リベリスタの誰が食い止めるよりも早く彼女は高等魔術の短縮詠唱を済ませていた。 ――魔女の鉄槌(マレウス・マレフィカム)―― 「――――っ!」 頭上には星。頭上からは、鉄槌の星。 天より降り注ぐ星の雨は情け容赦無く魔女を追い詰めたリベリスタ達の陣地へと降り注ぐ。 その一撃一撃が全て――容易な致命に足る一撃に違いなかったが、それはリベリスタ達を『買う』魔女の計算通りだったのだろう。 大半のリベリスタはこれに耐え切った。 ある者は持ち前の防御と体力で耐えた。 ある者は低い確率を引き当てこの星さえ避けた。 ある者は彼女の暴威に対抗するだけの運命を持っていた。 「これ以上の、犠牲は出させやしない!」 怒鳴るように叫んだレナーテの額を一筋の血が流れ落ちる。 この状況を予期していた彼女は手近の味方を庇ったのだ。守る者として鍛え上げた体と意識がそうさせた。 盾を持つ騎士は運命に従う事を良しとせず、唯運命を従える事を望んでいる。 「穴は絶対に開けさせない! 絶対に!」 強力過ぎる一撃は混乱を招いたがリベリスタ達のリカバリーは早かった。 回復手がここぞと天使の歌を紡ぎ、始まった戦闘に交戦派が飛び込む。敵に対する姿勢が個々人、チームで一貫していなかった――取り纏められる筈も無かったこの状況をかき乱し、統率を乱すのにアシュレイの一撃は十分過ぎる程に作用したのだ。 「貴女は見たのでしょう、どうしようもない終末を。なれど――今を懸命に生きねば次など永遠に来ない。貴女が占えぬ未来も」 アーデルハイトの言葉が静謐な決意を湛えていた。 「さあ、踊りましょう。土となるまで、灰となるまで、塵となるまで!」 鮮やかな雷光が夜を青く引き裂いた。 影の獣をリベリスタの『正義』が撃ち滅ぼす。彼女が盾に期待したシャドウ達も集中攻撃が加われば見る間に数を減らし出した。 それでも、アシュレイは怯まない。魔力のシールドを振るわれる刃が叩き、神秘を纏った一撃が彼女の体を幾らか傷付けた。 それでも、アシュレイは一歩も退かない。今一度、星を落とせばリベリスタ達が痛み過ぎるからか。彼女はその影から追加のシャドウを引き出す事で防御を重視して時間を稼ぎ始めていた。 戦いは格別の奇妙さを帯びて続いている。決して『倒してはいけない』アシュレイと、半数以上『倒す気になれないでいる』リベリスタ。 元よりこの局面に完全な正答等存在しないのだ。交戦を決めたリベリスタは言うまでも無く。対話を望んだリベリスタの考えも間違っているとは言い難い。アシュレイを追い詰めてしまったならば、この戦いさえ容易に命消ゆ潰し合いになるのは間違いが無いのだから。 戦いはどれ位続いただろうか。 主に攻めるリベリスタと守るアシュレイ。 戦いの合間に対話は続き、そうして暫し。 「――時間です」 吐き出されたアシュレイの言葉は端的に彼女の勝利を意味していた。 リベリスタの猛攻に晒されながらこれを耐え切った魔女は遠く儀式の現場を包む紫色の靄をこの瞬間――解除した! 『無限回廊』の崩壊は戦局が約束されていた次のフェーズに突入した事を意味している。 始まるのだ、いよいよ。決戦が。この国の未来を賭けた悪魔との対決が。 「これで、私と戦う必要は無いと思いますが……皆さん『お気をつけて』」 乱れ髪が汗で張り付いている。呼吸は平時より浅く、早く。魔女さえ多少の消耗は余儀なくされた事は見るからに分かる。 或る意味において――アシュレイはこの場で仕留めにかかるべき女なのかも知れない。 しかし、リベリスタの選択は最初から決まっていた。 この歪夜に死ななければならないのは、ジャック。倒さなければいけない敵はジャックと。作戦と指令はそう決められていたからだった。 「――お気をつけて。これは、本当にそう思ってるんです。皆さんの勝利を、心から願う、アシュレイちゃん(味方。ここ重要)です」 ●長いナイフの夜II 『百樹の森の碑』周辺を抜け、『中の池』、『下の池』に掛かる橋に到達する。 進撃を続けるリベリスタ達はこの橋で『無限回廊』の消失を元より予期していたあの後宮シンヤ率いる精鋭部隊と激突を余儀なくされた。 しかし、アークは彼等後宮派が儀式に取り掛かるジャックへの道に残る最後の難関である事を元より承知していた。合流した大戦力を予め二つに分けていたアーク精鋭部隊は戦力の半数程を後宮派にぶつけ抑え込む事で、残る半数をジャックの待つ『丘の上の広場』へ送り込む事に成功したのである。その数凡そ百数十名。戦いの中で消耗し、脱落した者、退いた者は居たが――大多数は未だ残っている。 対シンヤ部隊は決戦部隊がジャックを撃破せしめると確信している。決戦部隊は己が後背を対シンヤ部隊が守り切る事を信じている。 互いが失敗する事許されぬ、まさに運命の時間は誰の胸にも格別の緊迫感をもたらした。 死が、血が匂う。余りに近い。 激戦地となった橋を迂回し、決戦の地へと辿り着く。 物語は冒頭へと還るのだ。 「初仕事が派手なドンパチというのも悪くないな。 ましてや相手はあの有名なジャック・ザ・リッパーときたもんだ。相手にとって不足は無いな」 琥珀が嘯き、 「……個人的に、穴が穿たれる事はどうでも良いし。 塔の魔女には是非聞いておきたい事があったのだけれど……」 フランツィスカは口元に手を当てて優美に微笑(わら)った。 「倫敦の悪夢とお会い出来る機会、今夜を除けばもうなくなってしまうのでしょう?」 最早、言葉を尽くす必要も無く。倒すか、倒されるか――全ての状況は二つに一つの戦いへと収束する。 「ヨー、切り裂き。リベリスタにお前より速い奴は一人ダケダトオモッテンジャネーダロウナ?」 挑発的な言葉を投げるのはリュミエール。 「すーぱーでりしゃすわんだふるさぽーたーミーノけんざん! なの~」 恐怖は隠しようも無く、しかし恐怖に呑まれる事は無く。 『桜花』の面々がテテロの戦闘指揮で動き出す。見た目と口調からは俄かに信じ難い程、論理的に――或いは直感的に――戦場を見渡す少女の判断は実に迅速で的確そのものだった。 『桜花』の狙いはジャックである。張り巡らせた守護結界を盾に、天乃が、朱子が、ソウルが、リュミエールが、ハッピーが、罪姫が動き出す。 「イクゼ、私の速度、光狐を」 抜群の反応速度でリュミエールが飛び出した。 「……今度は、額にかすり傷、じゃ、すまさない」 天乃の繰り出す気糸をジャックはその手のナイフで切り散らした。 「今度こそ、殺(バラ)してやるぜ。クソ女――」 「そんな事、させない」 一歩下がるステップを踏んだ天乃に代わるように前に出たのは朱子だった。 (注意と攻撃は、私に引きつける――) 眼鏡の奥の赤い瞳が意志を宿す。 ジャック・ザ・リッパーに半端な攻撃は通用しない。 先の天乃の一撃は確認に過ぎない。幾らかの弱体化を見せた所で、ジャックはジャック。リベリスタ達が同じ土俵で力勝負をしようとすれば勝負にならないのは早晩分かり切っていた。ならば、どうするか。それは―― (――私が引き付ける。時間を稼げば……十秒、足りない。二十秒、甘い。せめて、三十秒――) 朱子は自身の力では攻め手足り得ない事を知っていた。しかし、守りに関しては相応の自負はある。 運命を燃やし、悪の刃を食い止める。零れ落ちる銀色の砂を自身の運命で贖い、奪い去る。 本懐。それは、本懐では無いか―― 面々は無論、朱子だけを前に出させた訳では無い。 「ハッ! ガキがナマ言ってんじゃねえよ!」 「私が望ムノハ苦境、地獄。望ム所でスヨよ……うフふ」 朱子の気負いを笑い飛ばし、負けぬと前に出たのはソウル、そしてハッピーだった。 「女子供がここで斃れるのは相応しくありません、私は彼女らを守る盾だ。私の目の前で二度と女子供は殺させない」 「おうとも、前途あるヤツを死なせるわけにゃ、いかんわな!」 ジャックを抑えに掛かる男が二人。 「何、後の事は他の誰かがしてくれんだろ――」 『倫敦の鮮血乙女(ミスト・ルージュ)』を前にも嘯いたソウルは怯まなかった。 例えどんな相手だろうとも前に出ない理由は無い。プライドに賭けて退く局面では有り得ないのだ。 「ジャック・ザ・リッパー。伝説的殺人鬼。 素敵。文句無しに素敵。貴方となら最上のダンスが踊れそう……」 陶然と罪姫の言葉が夜に踊る。 虚ろを湛えた金色の双眸は戦いに立ち回るジャックの姿を熱っぽく追っていた。 (罪姫さんは見たいのよ。伝説の終わりを。殺人鬼の死を。だから、罪姫さんは――倒れない) ジャックに集る敵を見過ごさず前に出てきた護衛の一人と罪姫が交差する。 飛沫を上げる血が頬を汚せば少女はそれをペロリと舐めた。 (貴方の最後を見せて、貴方の死を魅せて。 出来るなら、貴方の首に線を引かせて。 罪姫さんは殺人鬼。今宵貴方が壊れる姿を、どうしても見たいの――どうしても) 罪姫は目の前の相手と相手と見做しては居なかった。 少女の視線は、まるで『恋する乙女』のようにジャックの姿に囚われていた。 「ロンドンの血霧が晴れていくのは、きっと桜が散る様に、とても綺麗だと思うのよ」 『倫敦の鮮血乙女』とジャックの技量を警戒し、攻め手に欠くリベリスタ達だったが――当のジャックはそれに遠慮するような性質では無い。 「我は御龍! 龍の化身、その命貰い受ける!」 苛烈な気を吐き、ジャック目掛けて強く踏み込む。 例えどんな者が相手だろうと――御龍の意志は揺らがない。 唯、前に出て、叩き斬る。身の丈をも上回ろうかという月龍丸は雷気を従えて振り下ろされた。 「さぁ、パーティが始まるぜ!」 狂喜の声が皮肉に響く。文字通り雲散霧消したジャックをすり抜け、御龍の一撃が激しく土をめくり上げた。 目に見えぬ、捉えられぬ非実体――かつて倫敦を覆い、現代において日本を覆う魔霧は格別の悪意を秘めていた。 手が――ナイフを握った手だけが闇の中に実体化する。自身に集る愚か者達を刈り取らんと次々と銀光が煌く。 滅茶苦茶に周囲を切り払うその動作は余りに呆気無く多数のリベリスタの体力を根こそぎ奪う。 「……っ、この……!」 守りに重点を置く翔太をしても傷みは大きい。 普段、激しい感情を露にする事が少ない彼ですら――その表情を歪めていた。 ダメージを受けた彼は素早く後退を果たしたが、その身を霧に変えるジャックの攻撃範囲は変幻自在。厄介な事極まりない。 噎せ返るような血の香りは彼がこの夜においても――惨劇の王であると知らしめるに十二分。 見るからにそれは化け物だった。 今まで出会ったエリューションとも、アザーバイドとも、勿論唯のフィクサードともまるで異なる―― 円の口の中で食い締めようとした歯がガチガチと音を鳴らしている。 (逃げたい、逃げたい……) 円の中で感じた事の無い恐怖が渦巻いていた。 小さな胸の中を塗り潰す不安は凡そ少女が知らない感覚だった。 立っていてはいけない場所。少なくとも、立つには覚悟を要求される場所。 普段は明るい公園の広場は全く――その面影を残していない。 でも。 (此処で皆が勝たないと……もっと沢山の人達が、もっと怖い思いをする事になるんだ) 円は必死で自分に言い聞かせる。震える膝に力を込め、視界の中にある血色の霧を強く見据えた。 アレは、残してはいけないものだ。アレは、今夜倒さなければならないものだ。 この戦場の何処かに居るであろう母――由利子の顔を頭の中に浮かべた時、円は自分の中の恐怖が少し小さくなった、そんな気がした。 「……っ、よくもまぁ。ああも暴れます。 死ぬ時は愛する人の手でバラバラにして貰うって決めてるんですよねい。ジャックさんはちょっと趣味じゃないですよう」 「そあらさんは、さおりんの腕の中以外で死ぬ心算は無いのです」 盾になるように前に出たステイシィの影からそあらが清かな歌を紡ぐ。 可憐なその声は天使の福音となって傷付いた仲間を賦活した。 「伝説っていうのはたまに人の口の端にのぼる程度でいいんですよ」 全く道理だ。攻めねば敗るる。守護対象のオリガが道化のカードを投げ放つ。 「ハ――!」 鼻で笑ったジャックの全身が夜の闇に解けて消えた。 何も無いその場所を虚しくカードが行き過ぎる。実体化したジャックの嘲笑はそのオリガを捉えていた。しかし。 「――今度は、奪わせないと、己に誓った!」 斬撃に腹を切り裂かれながらも、騎士は剣を杖に崩れ落ちなかった。 倒れぬ、と唇を噛み締めて切り裂かれた傷さえ今は構わずに。声を張ったのはオリガと共に『炎盾』チームを形成するアラストール。 「騎士道、とは、護る事、と、見つけたり……」 守れなかった友人の顔を脳裏に浮かべ、今守る事が出来る友人の顔を脳裏に描き。 アラストールは拒否した。倒れろと囁く運命を。決して今夜は倒れぬと、確かに拒否していた。 「世界の命運を賭けたこの戦いは伝説になるわ。満足でしょう、切り裂きジャック!」 注意がオリガとアラストールに向いた隙を狙い、恵梨香が魔曲の調べを夜に奏でる。 多色の魔光は渦を巻き、空気を切り裂いて――傲岸不遜なる殺人鬼を狙う魔弾と成る。 されど、今一度。避けられぬ態勢すら嘲笑い、男の全身が霧と化す。『圧倒的な回避』を見せた『伝説』は高く笑った。 「面白ェ。じゃあ――お前は俺の伝説の華にしてやる! 喜べよ、生きたまま刻んでやるぜ!」 「させるかよ!」 『炎盾』のもう一枚。快が吠えてジャックの視界に飛び込んだ。 「俺がいる限り、恵梨香ちゃんには指一本触れさせない……!」 願わくば、願わくば。運命等というものがこの夜に存在するのなら――快は強く思う。 (俺を、今この瞬間だけでいい。俺を――コイツにも負けない"守護神"にしてくれ――!) ジャック側の戦力も負けじと彼を支援する。 彼等はあのシンヤが主人(ジャック)を任せた連中である。 彼等は予めどう戦うかを知っていた。どう戦えばいいかを決めていた。 「シンヤさんも言ってたよ」 護衛は言う。自分達を相手取る『朝日』の面々と相対しながら。 「『伝説に協調を求めてはいけない。唯、私達が協調すればいいのです』――ってな!」 勝敗の鍵はどうあれジャックが握っている。彼我の数的戦力差は絶対的。それをフィクサード達は当然ながら知っていた。 彼等はジャックに浄化の鎧を纏わせる。ジャックの動向をつぶさに観察し、全ての戦略を彼ありきで組み上げる。リベリスタ側の戦力がジャックの攻撃範囲を警戒している事を利用して自身の位置を変更する。そして――間違ってもジャックの十メートル以内には踏み込まない。 集中攻撃を受けるジャックが光の鎧を纏えばリベリスタ達への反撃総量は甚大となる。 (回復役を叩かないと――なんだよぅ!) アナスタシアの結論は誰もが理解する戦場の当然だった。 更に彼等の支援が決死の覚悟で傷付けたジャックの体力を回復させ、更なる継戦を可能にするとあれば『朝日』の――護衛を狙う面々の負う役割はいよいよ重くなる。攻略は難しいが、達成しない訳にはいかない。難題の無い戦場はリベリスタ達に常に苦難を投げかけるのだ。 「……っ!」 ホーリーメイガスを狙うアナスタシアの大雪崩落としが防御自慢のクロスイージスに阻まれる。 鉄壁の防御を誇る敵にも彼女の繰り出した大技は少なからぬ衝撃を与えてはいたが、簡単にこれを攻略出来る威力には足りない。 「連携も支援も頼もしいもの、だからこそ邪魔よ!」 未明の細身の肢体が夜を舞う。 鮮やかに繰り出された剣での強襲は、しかし同様に堅い装甲を持つ敵の壁に阻まれる。 「成る程、そういう『設計』ね」 敵は自身でそう言った通り『ジャックを中心にした戦略』を取っている。 僅かな攻撃力の増加よりもどれだけの時間、彼を支援出来るかに特化しているのだ。 作戦は明白。クロスイージスが守り、覇界闘士が耐え、ホーリーメイガスが支援する―― 単純極まる手だがジャックから攻撃を逸らし、同時にジャックを支援する為の手段としては利に叶っていると言わざるを得ない。 しかし、未明の剣技は少なからずスクラムを組んで防衛を果たさんとするフィクサード陣営に風穴を開けていた。 彼女の剣は余りに鮮やか過ぎて、攻撃自体は止められながらも的になった鈍重な騎士の一人を惑わしたのだ。 巨大なダムが蟻の一穴から崩されるように――リベリスタは執拗に彼等を狙い続けなければならない。 「好機であります!」 ラインハルトの雷撃が敵陣を暴れ狂う。 「『魔女』の真意が分からない以上――切り札が残っている可能性がある以上、時間をかけてはいられないな」 「アークの精鋭を、テクノパティシエを舐めるな!」 ウルザ、達哉から伸びた無数の気糸が複数の敵の弱きをあくまで精密に貫いた。 「そこを、退け!」 「邪魔するなよな!」 リミットオフから放たれる風斗、ディートリッヒの一撃はまさに強烈。 「どこを見ても敵だらけだ。そして私は前のめりだ。こいつは素敵だぞ! 私はR-TYPEを倒す為に在るのだ。この程度で立ち止まっていられるか!」 「ぶっこみなのです!」 イーリスの可憐な声が身も蓋もない気合の言葉を吐き出した。 「突撃! いーりすっ! くらっしゃー!」 邪魔ならば剥がせばいい――風斗、ディートリッヒ、ブリリアント、そしてイーリスの一撃は単純ながら素晴らしい正答だった。 ホーリーメイガスが庇われる事を予期していた彼等は全身のエネルギーを溜めた得物を振るいそれぞれフロントのクロスイージスに叩き付ける。 「悪ぃけど邪魔させて貰うぜ!」 「うむ、それは合理的だ」 「容易いものだ。制御し得ぬその感情を『掴む』という事は」 フツにユーヌ、淳、キリエの『BS組』もこれに負けては居ない。 インヤンマスター三人の手より放たれた式符が鴉に変わり前衛をからかった。 高い精度で繰り出される鴉の乱舞は淳が言った通り驚く程簡単に敵の直情を『掴んで』いた。 「時間を掛けている訳にはね、いかないんだよ」 キリエの放った気糸も然り。威力は状況を動かす程では無かったが、怒りは敵の陣形を大いに乱す。 未明が翻弄し、デュランダル勢がこじ開け、フツが挑発する――それは敵の命脈を断つ為の戦いに違いない。 「手負いの虎が一番獰猛で危険だって、知らなかったのかよ!」 「邪魔は、させねぇッス!」 「全力を尽くして戦い、そして帰るんだ――!」 緩んだ防御の隙を突き、牙緑、イーシェ、守夜がホーリーメイガス目掛けて飛び込んだ。 繰り出される牙緑、イーシェの一撃(ギガクラッシュ)は素晴らしい威力で敵の体力を一気に削り、守夜のヘビーアームズは魔氷を纏い、刹那――回避に優れぬ敵を氷結の戒めへと閉じ込める。 「今がチャンスなのダ!」 カイが叫ぶ。連携良く、声を掛け合って――そんな風に戦うのはフィクサードの専売特許では無い。 「この世界には仲間が、友人が、家族がいる。私にとっては、どれもとても大切なものだ」 『炎盾』の三枚目。クリスが不吉の赤い月で敵を撃つ。 「クリスさんは、倒させません!」 相手がジャックであろうと護衛であろうとクリスに向かう全ての脅威は自分が止める――真琴が向かって来た敵を食い止めた。 更に彼等を上回るだけの機敏さを以ってカイがそこに攻め手を重ねた。アッサムードが畳み掛ける。低い苦鳴の声が幾つも響いた。 (どれだけ早く、各個撃破出来るか――なのダ) ちらりと視界の端でカイが確認した光景は多数の運命さえ捻じ伏せ、飲み込まんと暴れ回る倫敦の赤い霧そのものだった。 誰のモノかも知れない怒号と悲鳴が耳を侵し、幾重にもマーヴルされた誰かの血の臭いが鼻を突く。 百を大きく超える戦力を揃え、敵に数倍する戦力を束ねた所で――それをモノともしない。 「全く……出鱈目なのダ……」 『弱体化しているらしい』正真正銘の化け物にカイは小さく息を呑んだ。 「く……!」 「――自由にはやらせないわ」 崩されかける自陣をフォローしようと視線を向けた覇界闘士を阻んだのはセルマである。 敵の動きを極力阻み、自由な動きを許さない。束縛する事は勝利に到る道である。 繰り出された魔落の鉄槌に敵は飛び退いた。 「自由には、やらせない」 繰り返し念を押した一言に敵の顔が焦りに染まる。 「協力するよ」 『朝日』、『境界線』がこじ開けた敵の防御を更に――『チームなのはな荘』のマーガレットが押し込んだ。 繰り出されたマーガレットの蛇腹剣がフィクサードに痛みを刻み、死の爆弾を植えつける。 「絶対に攻撃は通させないぞ、おー」 連携良く反撃に向かって来た覇界闘士を止めるのは『眼鏡を外した(ほんきをだした)』小梢である。 ハイディフェンサーとオートキュアーを纏う彼女は迎撃の為の準備を完全に整えていた。少々の攻撃ではびくともしない。 「奮い立て! 勝利は目前、なの!」 「とらの愛でシビレてー♪」 へクスに守られた要のルーメリア、そしてとらが声を張る。 傷付き、疲れた仲間達を癒す凛然としたその声はこの夜に幾度目か響き渡る勇猛な戦歌となって戦士達を激励した。 「へクス、無理するんじゃないわよ!」 案外に面倒見の良い久嶺が言う。背中の翼で低空を飛ぶ彼女は言葉通り専らへクスのサポートに尽力していた。 「退け」 「防御重視でもクリティカルすれば問題ありません。香夏子センス大爆発です」 ホーリーメイガスを優先して狙う戦力が多い中、マリー、香夏子は壁を崩す事に意義を見出していた。 マリーの繰り出す土砕掌はクロスイージスの装甲さえモノともしない。 叩き付けられる黒のオーラのブラックジャックは強かに弱味を見せ始めた前衛を痛め付ける。 同時に圧倒的に避けるに特化した香夏子の動きは複数の敵を引き付け、見事に無駄手を誘発した。 リベリスタの戦力は多い。濁流の如く数に劣る護衛フィクサード達を呑みに掛かる。 「雉子川夜見、参戦させてもらう」 「悪いな、手数の多さと小賢しさだけが売りでね」 夜見が凍夜が参戦し、 「ビスハネズミの中で一番最強なあたしまで必要とは恐ろしく大変な状況とみたですぅ。あたしの強さ、思い知るといいのですぅ」 『自称』最強のマリルが集中を重ねたアーリースナイプによる狙撃を繰り出した。 「ジャック様の持ち去られた賢者の石を回収に来ましたの」 「……確保、確保ってね」 乱戦の中でトビオ、ラヴィアンは儀式に使われた『賢者の石』の確保に走る。 「すごくすごく、こわいけど……頑張ってる人達を応援したい、の」 「君は何も恐れる必要は無い」 『回天』は支援の為の遊撃隊である。回復手と護衛でペアを組んだ依子とヴァルテッラは戦場の楔となっていた。 恐怖に立ち向かい、必死の支援を続ける依子の言葉にヴァルテッラが頷いた。 「この命ある限り、私の仲間に危害は加えさせぬとも。 それよりも今は唯――こんな夜だ。『真なる運命の寵愛』に身を投げ出しても良い、とは思うがね」 嘯く言葉は願いに近い。 戦闘は激しさを増していた。 押されながらも精強さを発揮し耐え忍ぶ護衛達に対して、ジャックはまさに文字通りの大暴れを見せていた。 強い。圧倒的に強い。どうしようもない位に強かったが――リベリスタ達は最初からそれを知っている。 「ふむ……成る程な」 謂わばそれは『彼』にとって想定の範囲内であると言えた。 ジャックの消耗を最も感じさせるのは『霧になる時間の長さ』と言えるだろうか。捉え難い彼の動き、捉えられぬ彼の能力はこの戦いにおいて常動していない。集中を重ねて飛び込んだ行方のハードブレイクが、九十九のピアッシングシュートが霧と変わったジャックの姿を実体に引き戻す。彼等の『物理攻撃』がジャックにダメージを与える事は無かったが、実体を持つ彼は傷付けられない相手では無い。 彼が『本来』の力を発揮していたならば、この霧を並の方法で解除する方法があったかどうか――定かではない。 「さあ、反撃の時間だ――」 『Dr.Faker』オーウェンの声を受け、彼以下『ダガー』の面々が動き出す。 単騎で圧倒的な実力を発揮するジャックだったが、彼が人間である以上、その視野には自ずと限界がある。 人を食ったような笑みを浮かべ、不敵に策術を弄するのは彼の得手。 ジャックの力の源が『倫敦の鮮血乙女』ならば、それを奪ってやるのが最良。 戦闘論理の追及者こそがプロアデプト。最も『プロアデプトらしい』男は口元に涼しい笑みを浮かべていた。 「――始まりだ」 オーウェンの声を受け、集中を重ねていた射撃部隊『ダガー』が一斉に動き出す。 (狙いは唯一つ。ジャックの持つアーティファクト……『彼女』です) ユウの視線の中で異彩の存在感を放つのは鋭利な煌き。 「今日だけはウソを吐きたくないな。皆で生きて帰ろう、必ずね」 内心の恐怖を噛み殺し、震える指をぴたりと止め。スケキヨがヘビーボウガンより精密な矢を撃ち放つ。 (失敗は許されません。私はこの矢に己の魂を乗せましょう。全身全霊を掛けてこの一矢、放ちます) 和弓【嘉月桃花】がしなり、 「参ります!」 弓弦の一声と共に『意志』を放つ。 部位攻撃を確実に可能とする精密射撃は彼等スナイパーの得手の一つだった。 先制攻撃を仕掛けた二人の矢は十分な精度で『倫敦の鮮血乙女』へと迫る。 しかし、弾かれた。威力の不足はリベリスタを圧倒的に上回るジャックの膂力、伝説のアーティファクトの硬度の前に届かない。 「……チッ!」 舌を打ったジャックが『ダガー』の方へ視線を投げる。 間髪入れず、オーウェンがユウが、 (チャンスは、これが最後――!) 密かに戦場に潜み、狙撃の時を待っていた陽菜が鋭き気糸と疾き魔弾を撃ち放った。 動作は早く、ジャックの先を奪う。立て続けに命中した攻撃にジャックの態勢が大きく流される。敵の狙いを瞬時に把握した彼の手はそれでも得物を手放さず、ナイフは攻撃にも何ら損傷を受けなかったが――結果としてジャックには大きな隙が出来ていた。 「舞台は整った。……行くぞッ! 遅れるなッ!」 「あァ? 『雷光』よ。てめぇ、誰にモノ言ってやがる!」 尋常では無い反応速度で鷲祐とアッシュが飛び出した。 「俺様は、『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニング! 唯の雷を従える男だ、覚えとけ!」 同じく究極の速度を追求する鷲祐とアッシュが殆ど同時に連携攻撃を繰り出した。 「最速で、疾く斬り裂くのみ! ジャック・ザ・リッパー。俺は貴様を否定する!」 止まらない。 曰く、主人公(せんりょうやくしゃ)は何時も遅れてやって来る―― 「――魔女の占いは外れない……」 ――零六の声は頭上より降ってきた。 『空』に陣取った彼はこの時を待っていた。フリーフォールから繰り出される大振りの一撃は不意を討ち、ジャックを叩く。 「そうみてぇだな! 手品のタネは割れてんだよ!」 逃がさない。これに続くのは同じく機会を伺っていたもう一つの狙撃隊『境界線狙撃隊』の面々だった。 「龍治!」 「ああ」 自身の名を呼ぶ愛しい木蓮(こいびと)の声に龍治は短い声で応えていた。 得物は同じ長尺の銃、互いの得手も呼吸も同じ。『境界線』に守られるように配置されていた虎の子は――今まさにその力を解放する! 「御伽話の骨董品と侮るなよ、時代遅れ」 全く一見すれば『骨董品』と呼ぶに相応しい龍治の火縄銃は、しかしてこのアークの中で一番――否、アークに拠らぬリベリスタの中でも相当の『格』を持った命中精度を誇っている。少なくとも、彼の技量は倫敦の悪夢にとっての数少ない危険の一つだった。 二人の得物が続け様に火を吐いた。 「やりぃ、命中ッ――!」 木蓮が一声快哉を上げる。唸る魔弾は確かに態勢を失ったジャックの体に吸い込まれたのだ。 無敵を誇った男は、傷を負う事は無い。 この長い年月、歪夜の騎士団に身を置き、使徒と恐れられた男にどんな敵があったと言うのだろうか。 「リベリスタアアアアアアアアアア――ッ!」 上半身を仰け反らせたジャックは些細なダメージ以上に受けた――痛みと衝撃に憎悪の絶叫を上げていた。 彼が冷静さを失する程に、彼を追い詰める猟兵達は好機を得る事になる。 「ジャック・ザ・リッパーの名は伊達では無いな。しかし、それでも――僕は射手としての力の全てを、この一撃に乗せるとしよう!」 続け様の火砲の唸りは止まらない。 木蓮、龍治、リィン、そして。 「皆さんが命がけで開いたジャックへの道。この機会は逃さない、必ず届かせてみせる……!」 撃ち放たれたレイチェルの魔弾―― 「今こそ伝説が終わる時、滅べジャックザリッパー!」 その声は敵を滅ぼす呪いを秘めていた。彼女の視線の先でジャックの体が霧へと姿を変えていたが、関係ない。 十分な時間をかけて放たれた魔弾は『霧へと姿を変えた彼すらをも捉えている』。 一対一の戦いならば、彼が十全だったとするならば――到底為し得ない戦いである。 「伝説だろうがなんだろうが、こっから先は絶対に通さねぇ!」 エルヴィンが気を吐く。 だが今夜の戦いは戦闘ではなく戦争だった。戦争にルールは無い。 ジャックという男が頼る己が強みが唯我の力とするならば、アークの面々が縋るべきは連携と信頼、そして戦略であるというだけの事。 射程の外から立て続けに繰り出された一糸乱れぬ連続攻撃(アーリースナイプ)にジャックはぽたりと血を零した。 「あああああああ、痛ェえええええええええ――!」 烈火の如き殺人鬼の咆哮は彼が手にするナイフに更に猛烈なる攻撃力を与えたかのようだった。 「……クッ……!」 彼に纏わり付き、動きを阻んできた快が倒された。同じように何人ものリベリスタが地面に転がる。 強き壁が倒れても次が前に出る。リベリスタの戦いにはそれでも一つの迷いも無い。 ――国子はあの時、ジャックと対峙した時、狩りに行くのを止めて貰えないか、って言ってたんだ。 人を殺してほしくない、って。そう言ったんだ。 あたしは仇を討ちに来たんじゃない。国子の願いを叶えたいんだ。 不当に人が命を落とす。それを止めたいだけなんだ。 「……痛い、でしょ。あの時……使えなかった力だよ。悔しいけど、今頃になってやっと使え、た力だよ」 血濡れたレイチェルの纏う光輝の鎧は目を見開いた無明の闇に因果の報いを返していた。 戦いは続く。長く続く。どちらかが息をしなくなるまで――動かなくなるまで続くのだ。 存在意義(レゾンテートル)を奪い合うパワーゲームの天秤がどちらかに完全に傾くまでは。 「愛って意外と単純で、たまに馬鹿馬鹿しいものなんですよ」 ジャックに対峙するうさぎが表情を変えないまま――口調に僅かな憐憫を滲ませた。 「もし、貴方にルーツがあったとしたならば…… ひょっとして、それは『誰か』の為だったんじゃありませんか? 同じように、貴方を焚きつけた『誰か』も、全ては『貴方の為だけ』に――」 ……馬鹿馬鹿しい話だが、時に直感は真実の一部をめくってしまうものなのである。 何の理由も無く目の前の狂人から『何か』を感じ取ったうさぎは苛烈な戦闘を応酬しながら、そんな風に言葉を投げた。 「笑わせんなよ、クソガキが……!」 発達した犬歯を剥き出したジャックがうさぎの言葉にハッキリとナーバスな声を上げた。 うさぎの伸ばした『11人の鬼』が甘き死を刻み込もうとジャックに肉薄する。 幾らかやり難そうに身を捻ったジャックが反撃に繰り出した刃がうさぎの右胸を貫通する。 「うさぎ――!」 血を吐き出し、崩れ落ちたうさぎの姿に過敏な反応を示したのは――風斗だった。 「殺してやる、殺してやるぞジャック! お前みたいなヤツを殺すために――オレは能力(ちから)を鍛えてきたんだ!」 「クソガキが! この俺を誰――」 「――三下め!」 猛り、怒る。ジャックの声を遮った『暴風のような』気合はこの時――一瞬とは言え、伝説の殺人鬼さえ上回っていたのかも知れない。 繰り出された一撃がジャックを掠めた。無敵を誇るかに見えたジャックが確かに消耗を始めていた。 既に彼を援護するべく奮闘していた後宮派は、相当数が沈黙している。 『本気で戦っている筈のジャック・ザ・リッパーに見る程のダメージが積み重なっていく』。単純な現実にリベリスタ側の士気が上がる。 「此処はお前の死に場所ではない筈だ。いや……誰一人死んでくれるなよ」 うさぎの危機を見過ごさず、マリーがジャックに畳み掛けた。 彼女の双眸は真っ直ぐに敵を見ている。傷付いた仲間を見ている。 「ええ、誰一人として死なせないわ。皆で生きて帰るの!」 動けぬ仲間(うさぎ)を狙わせまいと遊撃として動いていたルア、そしてジースが間合いの中に飛び込んだ。 「生きて、生き延びて、大切な人を守らねぇと」 姉(ルア)は閃光のように速く。弟(ジース)は誇りを持って。『白の双子』が『かえりみち』を繋ぐ―― 「諦めないから!」 「諦めねぇよ!」 言葉は双子の織り成す決意のユニゾン。 ルア放たれた音速の刃は届かぬまでもジャックの動きを牽制する。 ジースの繰り出した斬撃は避けたジャックを後ろへ退かせた。 声は凛と、青臭く。それが故に美しい。 二人はこの期に及んでも、理想(みなでむかえるあさ)を微塵も捨てては居ないのだ。 「大丈夫! ……ったく、意外と無茶するし! 相変わらず水臭いわね、このうさぎさんは……!」 この好機にうさぎを救ったのは共に動いていたアンナだった。 うさぎの回復役であり、フォロー役であった彼女は風斗のルアの作り出した隙を逃さなかった。 (……必ず生きて返すからね。アークにはきっと、今後もあなたが必要だから……!) ジャックの攻撃範囲からアンナは決死の想いでうさぎを運び出す。 戦闘は続く。 「その技ぁ……二度目だッ!」 『一度目』を思う程にツァインの胸は熱くなる。 ジャックの癖か、後ろから首筋にナイフを突き立てられかけた美散を彼はすんでで庇っていた。 肩口からどくどくと血が噴き出して地面に血溜まりを作り出す。 「桜田には借りがある。借りが、あるんだ――!」 「……人並みには克服できてたと思ったがな。これが『死の恐怖』か。だがな!」 武臣が吠える。無明の霧目掛けてオートマチックを連射する。 「あの桜田って娘がオレ達に教えてくれた。 恐怖に抗う術を。勇気をな……! てめぇの敗北はもう始まってたんだよ、桜田が奇跡を熾したその瞬間からッ!」 「そりゃあ、物理無効化できる奴が、対物防御を上げてるわけがねぇよなぁ!」 その実力からすればジャックの防御は確かに脆い。 「――乾坤一擲、砕けて果てろ!」 仲間を信じて待っていた――吠えて襲い掛かった影継の渾身の一撃が夜を震わせる。 ジャックはリベリスタ側から加えられる猛烈な攻撃の数々を避け、受け流し、被弾し――ダメージを募らせている。 しかし、それはリベリスタ側も同じ事である。 「ワタシに任せておきたまえ。母なる地球に包まれたかのよな安心感を保障しよう」 踏みしめる大地の意味を知る、男のサムズアップは惑星規模の安定感。 この戦場においても超然と、キャプテンのバリトンが巣食う恐怖を打ち払う。 「論語に『悪い人が生きているのは運がいいだけだ』っていうような言葉があります。 ジャックさんの運もここまでですよ!」 ――――♪ 『回天』の二人、護衛役の躑躅子がニニギアをフォローし、守られたニニギアが死力を尽くす。 「私は、私に出来ることをするのみです――」 「背中は支えますから、ジャックに集中して下さい!」 ルカに螢衣も同じく。長いナイフの夜に声も枯れよとルカが清かを歌い、螢衣は傷痍術、守護結界を展開する。 「ほらっ! アンタ達! しっかりするんだよっ! ここが正念場だ」 無傷の者は少ない。消耗していない者は居ない。冷たい夜気の中汗すら流し、それでもその笑顔は変わらない。 三高平の住民を時に力強く励まし、時にほっと安心させてくれる富子は続け様の激戦に消耗著しいリベリスタ達に激を飛ばす。 「まあ、たいしたことは出来ん、だが私もアークの一員という事だ」 咲逢子が傷付いた仲間を懸命に助けようとする。 「無様だな『伝説』? 詰まらないことに拘れば足下を掬われる。 やはり、三流パルクフィクション扱いがお似合いだな?」 挑発めいたユーヌが高い技量で敵の滅びを約束する――陰陽・星儀を繰り出した。 終局に向かおうとする戦場で…… 全員が、まさに死力を尽くしていた。 全員が、命を燃やし、まさに持てる力の全て――それ以上をこの場に搾り出していた。 「俺は、『伝説』だ!」 しかして、目の前に広がる赤い闇は彼女等の努力を嘲笑う。リベリスタを飲み込まんと一層の広がりを見せるのだ。 「俺様はジャック様だ。世界で一番の――」 男が気取って引っ掛ける色のついたグラスは既に割れていた。洒落たその衣装は見る影も無く傷み、傷付き。 男自身が持つ溢れんばかりの生命力にも幾らかの陰りが見えている。その目を赤く血走らせ、口から泡を飛ばし、叫ぶ姿は滑稽だった。 確かに平時に見たならばそれは彼が自分に許さない無様そのものに違いなかったのだろう。 だが、それでも悪魔は倒れない。約束に『ジャックの名を冠した何者でも無い男』は、倒れない。 「――『あの時』から……他の誰でもねェ――俺はジャック様だ! 倫敦の悪夢、史上最高のミステリー、霧の都のフォークロア、殺人者の王――忘れんなァッ!」 獰猛に、噛み付くように、手負いの獣は見栄を切る。 言葉の意味を知る者はこの戦場に無い。同時に彼の言葉には、感傷には何の意味も有り得ない。 しかし、戦いが続く程に、集中攻撃を受ける程に、傷を受ける程に、余力を失う程に――彼の戦闘力は上がっているのだ。 リベリスタ側の戦力の消耗が著しい。長い連戦を運命で繋ぎ、凌いできた戦力がボロボロと抜け落ちていく。 後宮派戦力が駆逐された戦場で――彼が望んだ、誰かと望んだ『伝説』に、バロックナイトに――ジャックは一人立っていた。 自身に数十倍以上する敵を前に、驚くべきか『盛り返して』居た。 「ミーノも、まけないのっ! このたたかいからは逃げない……絶対勝ってまたみんなと楽しいイベントにいくのっ、笑って過ごすのっ! 絶対に、絶対にまけないっ! まけないのっ!」 血臭の霧は運命を従える。運命を従え、少女の青い決意を嘲り笑う。 それは、ジャックという『最強の個』が引き寄せた不具合な奇跡である。 運命の黙示録は縋る者の善悪を構わない。多数のリベリスタが願っても叶えない歪曲を時に悪魔に与えるのだ。 悪魔は力を取り戻した。傷付き、疲れ果て、弱りながらも――逃れる事ではなく、今夜に本当の力を取り戻す事の方を望んだのだ。 「もっと激しく燃え上がれ、私の火! 心も体も運命も全部あげる、すべて飲み込んで―― 悪を滅ぼすことだけ覚えられていればいいから、それ以外は全部燃やしてしまえ!」 朱子が叫ぶ。目前の許し難い悪に、一矢を報いんと。滅びぬ悪を滅ぼさんと。 「ジャックを、殺せ。殺させて――!」 されど、バロックナイツは世界最強。 一個が一軍にも匹敵すると恐れられた化け物の集団である。 故に敵に集られようとも、ジャックは不沈。 戦場の趨勢が傾き始めている。リベリスタにとって『最悪』の方向に。 『弱体化』を燃え尽く運命で補った彼は猛烈なまでの集中攻撃を捌き切る。 ジャックの全身が空間に解け、形振りを構わなくなった彼は目の前の『敵』を無視して後衛目掛けて移動した。 「快哉しろ! 慄きな、これが、俺が――『ジャック・ザ・リッパー』だ!」 謳うように、血と夜と痛みと戦いに酔うように高らかに叫んだジャックが防御に優れないリベリスタ達を一瞬で全て血の海へと沈めていた。 歪曲運命黙示録に、もう一つ。彼には切るべき鬼札が残されていた。まさにそれがこの立ち回り。 目の前で小賢しく立ち向かう『前衛』を無視して、脆い『後衛』から叩き始めた彼の戦いはまさに心境の変化を意味している。 単に狩るべき対象と見下していた『雑魚(ルーキー)』から、命を賭けて倒すべき『宿敵(リベリスタ)』へ。 「……厄介な……!」 頬は土と血に汚れている。『同じ系統』故に行方にはその意味が良く分かった。 傲慢な男はプライドを捨てていた。優先順位を入れ替えた彼は別人。 彼には唯『伝説』が必要だったのだ。執着すれば執着する程、生き汚く。美学を捨てた三下はそれが故にしぶとく強い。 そして、戦場の状況を酷く悪化させた要素がもう一つ―― ――おお、神よ。我が神よ。貴方は何と美しい―― 赤き歪夜に信仰者は出現した。 『釘打ち』とだけ呼ばれる名も知らぬフィクサードは、磨耗する己が命と運命に構う事は無く。 唯自身が神と崇める『伝説』の危機へ遅参した。 彼だけでは無い。 戦場の片隅には鈍重な戦車を伴う『砂漠の狼』ファッターフが部下のムバラック曹長と共に現れていた。 ファッターフ自慢の戦車はリベリスタとの遭遇戦で小破し、神と轡を並べて戦う狂喜と狂気に満ちる『釘打ち』は酷く傷んでいる。『釘打ち』はジャックの為なら喜んで死ぬだろう。一方で戦場の外周部に陣取るファッターフは包囲を恐れている。撤退も視野に入れた動きではあったが……何れにせよ主敵は唯の一人でも持て余すジャックである。強力過ぎる援軍の出現はリベリスタ側に新たな脅威を与え、徐々に状況を追い込んだ。 (力を貸して……、国子さん……!) 舞姫は唇を噛み、暴威に耐える。 「絶対死なせない。例えオレの運命全てを使い切っても、ね」 舞姫を庇うように前に立ったのは終。 「――終さん!」 「いい女はね、男に見せ場を譲るもんなんだよ……?」 それでも、リベリスタ達は倒されていく。 「はは、はははははははははは――! いいぜ、最高だ! 俺様のShowにもっと酔え、酔えよ!」 狂ったような哄笑を上げ続けるジャックの戦意(テンション)はこの期に及んでピークに達していた。 リベリスタ達が倒されていく。 戦場が、赤く染まる。 「死ね、死ね、死ね、死ねぇえええええええええ――ッ!」 「――――っ!」 繰り出されたジャックの刃が一瞬ばかり退き遅れたとらに迫る。 声も無く、それは速く。余りにも確実な死の御手は少女の胸を貫く筈だったのだ。 もし――花子が居なかったならば。 「おぉ……」 女の血はワインよりも甘く。ジャックを恍惚に浸らせた。 柔らかく白い肉をナイフが切り裂く感触は――彼を1888年以来の忘我へ導いた。 「花子ちゃん――!」 とらのその声は悲鳴に等しかった。 とらの鼻先にジャックの腕とナイフが突き付けられていた。 とらの目の前には彼女を庇った花子の背中があるのに。その背中にジャックの腕が生えているなんて、あんまりだった。 誰かが無茶苦茶に叫ぶ。戦場で誰の声なのか、その全てを知る事は不可能だ。 花子はねぇ…… 記憶の中の花子は大好きな紅茶のカップを傾けて、何でも無い事のように言っていた。 花子はねぇ。かつてミラーミスに届かなかった。 旦那の仇を望みながらね、ちっちゃな牙じゃ届かなかった。 花子じゃねぇ、無理なの。それは届かない高みなの。 だからね、来るべきその時に向けて……高みに届く子達を育てる、それが花子の望みなの。 他人事の慟哭が幼く見える一人の母の胸を衝く。 死なせないよ。 いつか来る日の為に、花子の望みの為に。 露払いは花子の仕事だよ。 命が必要なら、それは花子が引き受ける。 それが花子がここにいる理由、なの―― 「……、……、……いで」 血の線を引いて崩れ落ちる花子の唇が言葉にならない吐息のような言葉を吐き出した。 心臓を貫かれて生きられる人間は居ない。 しかし、彼女は命を根こそぎ奪われて生を喪失するその前に――歪夜の狂った運命を在るべき形に正したのだ! 「……チッ……!」 ジャックの舌打ちに確かな焦り。 彼を取り巻く『真なる運命の寵愛』が花子のそれに相殺する。 「おお、神! 我が神よ――!」 主の危急を誰より早く察知し、救援の動きを見せた『釘打ち』だったが平静を乱した事は彼にとって禍した。 集中攻撃を繰り出すリベリスタに『釘打ち』の命が削られる。 「頃合、ですな」 「――撤収!」 ムバラックとファッターフの動きも迅速だった。 形勢不利のジャックと殆ど動かなくなった戦車をあっさりと見捨て、二人の軍人は闇の中へとその身を躍らせる。 目前のジャックを構わず彼等を追撃する者は誰も居ない。 一度は『ジャックという名の伝説』に傾いた天秤は既にその名残を残しては居なかった。 リベリスタが振り返るべきは今では無い。叶えなければならない未来がすぐ其処にある。 立ち止まるは『彼女』への冒涜でしか無く。故にリベリスタの止まぬ猛攻は今度こそジャックを追い詰めた。 伝説が終わる。終わろうとしている。 「誰もが見ず、忘れ、歯車だった『男(ジャック)』。 誰もが畏れ、憧れ、崇める伝説の『神(ジャック)』。 もう、もう――いいでしょう? いいのではありませんか?」 「『伝説』は終わらねぇ――!」 ユウの言葉に抗うのは血を吐くような虚しい叫びだ。 ジャックの全身が霧に変わる。彼は生きなければならなかった。敗れた戦場を離脱しようと試みるが―― その彼の命脈を完全に断たんとする者が、赤い夜の闇に潜んでいた。 ――はい、遅れて申し訳ありません。アシュレイちゃん(とっても味方)です―― 何時の間にやら戦場に現れた黒いマントの魔女の微笑。 霧に変わった筈のジャックの体が不意のタイミングで実体化する。 見れば、ジャックの手にしたナイフに地面より伸びた歪な茨が絡み付いている。 驚愕を浮かべたジャックが再び霧になる前に額に汗を浮かべたアシュレイは口調だけは軽く続けた。 「割と愛してましたよ、ジャック様――」 アシュレイは艶然と笑う。 「逃げに掛かった貴方様を捉えるのは普通では到底難しい。 だから、三ツ池公園は檻だった。貴方様を確実にこの地で仕留める為の檻だった。『丘の上の広場』には三つの術式が展開してあったんですよ。一つは穴を開ける儀式、二つ目は敵を阻む無限回廊、三つ目は『倫敦の鮮血乙女(かのじょ)』を戒める『塔の抱擁』……」 余りにも馬鹿馬鹿しい位に、或る意味では愚直。 「アシュレイちゃん(味方)を宜しくです! さあ、皆さん今が最大のチャンスですよ――!」 調子のいい事を言うフィクサードの言葉は戯言だ。 ジャックを縛るアシュレイの声にも全く余力は無い。彼女自身が彼を仕留めに赴かなかった理由はまさに第二の罠(これ)にあったのだろう。 生き汚い彼を、『伝説』を造らなければならない彼を果てさせるには楔が、要る。リベリスタが十分彼の余力を削り、彼に逃がれる以外打つ手が無くなるその時を待っていたのだ。『結果的に味方である』アシュレイがリベリスタを己が『剣』として利用したのは言うまでも無い。 『有り得ない』事にジャックはアシュレイの裏切りをこの期に及んで――『初めて』現実として理解していた。 ――論理を曇らせる男女の関係。有体に言えば、それは愛。くだらなくも余りに強い、その感情。 奇しくも橋の上の戦場で後宮シンヤが『取るに足らない筈だったエリカの死』に慟哭したように。 「……」 血濡れた唇で何かを呟いたジャックはこの瞬間、嘘のように虚脱していた。 ジャックの双眸はアシュレイを眺めながらアシュレイを見ては居なかった。 彼が思い出すのは1888年の雨の夜――永劫の過去のような、夏の日。初めて人を殺した日、だったのかも知れない。 「伝説とは終焉を迎えてこそ永遠となる、――なれば滅びよ、血霧の担い手よ!」 アラストールの斬撃がジャックを袈裟に切り裂く。 猛る戦いの中、傷を刻む事があれ程に困難だった彼を容易く切り裂く。 「この夜を――ボクの伝説の踏み台にしてやるですよ!」 支援し、庇い、そして剣を振るう。光の裂帛の一撃は横薙ぎにジャックの腹を切り裂いた。 姿勢が崩れる、体が折れる。苦鳴の声を漏らす彼はもう、不倒の『伝説』では有り得ない! おおおおおおおお……! 人在らざる獣の絶叫が鼓膜を揺らした。 「男として生まれた以上、“最強”への憧れは最早本能。 所詮、この世は胡蝶乃夢よ。ならば挑まずして何とする――」 死に体のジャックに向かうのは『戦闘狂』。 大量の血を吐き出し、封じられた『倫敦の鮮血乙女(ミスト・ルージュ)』を滅茶苦茶に振り回す。 「お前は確かに『強かった』」 あの、ジャックとは思えない程に出鱈目な――殺しの天才とは思えない程に脆弱なその惨めな技量を掻い潜り。 ――閉幕だ。歴史の波に呑まれ消えろ。The Living Mystery―― 美散の繰り出した一撃はジャックを胸を貫通し、彼の体を木っ端の如く吹き飛ばす。 宙を舞う銀色の乙女が茨に絡め取られて何処へ消える。 それが、アークが初めて経験した――バロックナイトの終わりだった。 ●ジャックより愛を込めて ゴォーン……ゴォーン……。 ゴォーン……ゴォーン……。 眠い鐘の音が慣れたリズムで響いてる。 ゴォーン……ゴォーン……。 ゴォーン……ゴォーン……。 鐘の音に掻き消されて、お前の言った言葉は聞こえなかったけれど。 俺はお前が何を言ったかを知っていた。 ゴォーン……ゴォーン……。 ゴォーン……ゴォーン……。 快哉は罪が故。 醜聞(ゴシップ)は蜜(ひとのふこう)程に甘いだろ? さあ、伝説を始めよう。 最高の恐怖劇(パーティ)を始めよう。 この夜は俺のもの。 月の無い霧の夜は俺のもの。 嗚呼、倫敦の夜は何時だって、俺とお前のモノになる―― "Dear Boss"…… |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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