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●『Jack the Ripper』 ――祝祭の時、来たれり。 月の美しい夜だった。 降り注ぐ血の光。既に園内は敵味方入り乱れる死闘が繰り広げられているはずだったが、『無限回廊』によって隔てられたこちら側には喧騒も聞こえない。 ただ、酷く濃密な死の匂いが立ち込めていて、だから後宮・シンヤは一層昂ぶる身体を抑えるのに努力を必要とした。それは、今この瞬間も流される血と失われる命のせいか、それとも開こうとしている大穴から流れ込む何かか。 「それでは、私も行って参ります」 「あァ? お前まで行く必要があるのかよ、シンヤ」 応じたジャックの額に汗がだらだらと流れているのに気づかないふりをして、シンヤは芝居がかった一礼をしてみせる。 「ええ、『塔の魔女』が居る限り、儀式が妨害されることはありません。ですが、少々私もあてられてしまったようでして」 大仰な動作は、彼の狙いを隠すためのパフォーマンス。そけに気づく余裕すら失っているのか、ジャックは唇を曲げてみせる。 「俺が我慢してるってのに、いい度胸じゃねぇか……えぇ?」 「ついでに魔女殿の様子も見てくることにしますよ」 苦笑を浮かべるシンヤ。『万が一』何か事故が起こってもいけませんから、用心には用心ですよ、と一礼し、彼は背を向けて歩き出す。 (やはり、ジャック様は『塔の魔女』を疑ってはいらっしゃらない) 男と女は度し難いということですか――そう呟いた彼の声は、色めいた軽口とは裏腹に硬かった。 ――ならば、『万が一』のために打てる手は打つとしましょうか。 ●『Ripper's Edge』 「シンヤ、指示通り、正門側への援軍は送っておいたわ。橋の封鎖も終わっているわよ」 丘を下るシンヤを出迎えた二人の人影。一人は、赤い月の下でもなお鮮やかな紅のチャイナドレスに身を包み、戦場に似合わぬピンヒールですらりと立つ美女、佐野・エリカ。 「よ、おいでなすったね大将。天狗の爺様も、リョウジの旦那も配置についてるぜ。もちろん、俺の手のやつらもな」 「ご苦労でしたね、ソウシ」 かつてエリカと共に賢者の石を持ち帰った黒いコートの男――土御門・ソウシだった。丸いサングラスに隠れた目が、面白げに歪む。 「大将。『塔の魔女』は裏切るかね、やはり」 「ええ、裏切ります。間違いなく」 何の逡巡も、躊躇いもなく、シンヤは主の愛人を切って捨てる。 確実な証拠があったわけではない。だがそれは、彼には悩む必要がないほど明確な真実だった。 (――流石のジャック様も、少々疲れていらっしゃる) 部下の士気を慮り、口にはしなかった。だが、その力が万全でないことは明らかだ。それでも、むざとリベリスタに後れを取るジャックではないだろうが――。 どうやらアシュレイは、この『儀式』それ自体を邪魔するつもりはないらしい。もしそのつもりなら、あの魔女にはいくらでも妨害の機会があったはずだ。ならば。 「アークは必ず結界を越えて攻めてきます。そして、彼らは決して侮ることは出来ない力を持っている。それは認めましょう、謙虚にね」 蟻の這い出る隙間もないほど、堅く守る必要はないのだ、とシンヤは見ていた。二十や三十ばかりこの橋を抜けたとて、ジャックを打倒することなど出来はしない。例え、儀式に力の殆どを振り向けていたとしても、だ。 であれば、彼らの役目は、リベリスタの勢いを受け流し、その大部分を削り取ること。 「ソウシ、貴方達は敵の主力に当たってもらいます。ですが、一人残らず全てを止めようと考えなくていい。多少取り逃がしても、私がどうにでもします」 「……なるほどね、ラジャー。二重のフィルターってわけだ」 そして、ソウシもまた、シンヤの態度から一つの答えを得ていた。シンヤは勝利を疑ってはいない。だが同時に、無意識にジャックへの負担を軽くしようとしている。 でなければ、普段ならともかく、バロックナイトの血の光に酔ったシンヤに『後陣に控えて殺す量をコントロールする』という発想をさせることはできないのだから。 (二十や三十、ねぇ) シンヤに気づかれないよう、コートの男は鼻を鳴らす。 (じゃあ、百や二百ならどうかねぇ? あのジャック・ザ・リッパーが何処まで戦えるか、見たい気もするが) まあ、面白くなればそれでいい。喉を小さく鳴らし、ソウシは『忠臣』を見やる。 「さあ、今夜はカーニバルです」 その視線に気づいたか否か。頓着せずにシンヤが懐から取り出したのは、銀鎖を通した黒い十字架。 『Anathema』。少女の運命を奪った、呪われしアーティファクト。 それをうっとりと見やると、彼はそのまま十字架を真上に持ち上げる。 「前祝い、といきましょうか。フフ、申し訳ありませんね、私だけですが、頂きますよ」 口を開け、長く舌を伸ばし、十字架を喉に流し込んでいく。 まるで美酒に酔う美食家のように、あるいは聖体を拝領する聖職者のように、その表情は恍惚として。 ずるり、と鎖の尾が飲み込まれた。 「水を血で染めましょう。土を肉で埋めましょう。橋の左右に、リベリスタ達の首を並べてみせましょう」 この橋は王の道。 儀式を終え、真の王となるジャック・ザ・リッパーが凱旋の歩を踏み出す地。 「守ってみせましょうとも。さあ、私に殺されに来なさい、リベリスタども!」 私こそが『Ripper's Edge』。『ジャック・ザ・リッパーの刃』、後宮・シンヤなのですから! フ、フフフ、フハハハハッ! ――祝祭の時、来たれり。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年12月23日(金)00:44 |
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●Ripper's Edge/EX 殺人舞踏はカルナへと迫る。だが、その前に立ちはだかる少年――悠里。 「カルナ、君は僕が守る!」 「悠里!」 永劫とも思える刹那。 逸脱者の刃は確かに止まった。だが、文字通り身を盾にして圧倒的な暴力に立ち向かった代償は、あまりにも大きい。全身を刻まれた悠里が、血の海に沈む。 ――カルナの目の前で。 ●魔弾の射手/1 橋の向こうに立ち込めていた紫の靄が、赤い月の光に溶けるように消えていった。 「結界は何とかなったのでございますかねぇ」 勤め人時代の嗜みか、栄養ドリンクを一息に飲み干して、正道は橋上にひしめくフィクサード達の先を見やる。 無限回廊。 バロックナイツ・歪夜十三使徒が第十三位『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア謹製の、敵対者を阻む絶対結界。それが解除されたということは、アシュレイがもう儀式は止められないと判断したのか、それとも――。 「考えていたって仕方ないよな」 そう、判らないものは判らない。今日も帽子を被った静が、一歩を踏み出してその巨大なる得物を掲げる。 「行こう! 皆で敵を蹴散らすぞ!」 応、と返す声は期せずして揃う。赤い月の下、彼らは一斉に駆け出した。 橋上を制圧する為に集ったリベリスタ達、その数五十三名。対するフィクサード達は四十名弱。こちらも決して少なくない戦力であり、また腕にも自信を持つ精鋭ばかりだったが――戦場を埋める鬨の声、押し寄せる足音は彼らの士気を確かに挫いていた。 だが、その優位は簡単に覆る。 ダン、と。 演説でも絶叫でも号令でもなく、ただ一発の銃声で。 「――っ!」 第六感と言うべきか、眉間に『視線』を感じた椿は咄嗟に身を捩らせる。次の瞬間、庇った腕を銃弾が貫いた。もんどりうって倒れた椿に、水奈が駆け寄って癒しを施す。 「ごめんなさい、でも無いよりはましでしょう?」 「……いや、あんがとさん。助かったわ」 癒し手の重要さを知らないのは新米だけだ。水色の髪の少女に礼を言いながら身を起こす椿に、十三代目、と成銀が駆け寄った。 「申し訳ございません、十三代目」 ぎり、と歯ぎしり。何が護り熊か。またも護れず――。そんな成銀の迷いを、彼女はただの一言で喝破する。 「アホか、傷の一つも受けへんで済むのは臆病モンだけや。……にしても、今のが『魔弾の射手』かいな」 呪弾使いが捉えることのできない、僅かな人壁の隙間を縫う射撃。その『魔弾の射手』、後衛に控えフィクサード達を指揮する大竹・リョウジは、構えた銃を降ろさずにぼそりと呟いた。 「恐れることはない。緒戦は雑魚共だ」 神業を目の当たりにして、オオオ、とフィクサード達もまた声を上げる。激突する両軍。かくして、赤い月の下、決戦は幕を開けた。 二振りの蛮刀が打ち鳴らされる。 「仲間には手出しはさせんよ、この身が砕かれる迄な」 不敵な笑みを浮かべる零二。一合にして判る。決して経験は浅くない彼だったが、目の前の敵はそれをはるかに凌駕している。 (フ、死ぬにはいい日だ) ここが死に場、と決めていた。これもまた彼が忌み嫌う戦争の狂気というべきか――いや、彼が戦う理由は、奪うためではなく、今度こそ弱き者を守るため。 「やらせないよっ!」 そこに割り込んだ猫の耳の少女。小柄な身体に不釣合いな得物を抱えたせいるの影から伸び上がった黒い塊が、フィクサードの剣士に襲い掛かる。 「ボクは日常を守りたい。だから、一緒に戦うよ。突破口を開こう!」 戦いは好きではない。それでも、仲間のため粘ってみせる、と男と少女は肩を並べて立ち向かう。 「剣の道の下、禍を斬る――」 蒼味がかった銀髪も、今夜は血の色に染まっていた。業物の刀を正眼に構え、霧香は荒い息をつく。 早くも橋上の接触点は乱戦となっていた。中でも彼女が受け持つのは大きく打ち込まれた楔の先端。すなわち、最大の反撃を受け持つエリアということに等しい。 「絢堂霧香、いざ参る!」 それでも彼女は踏み込んで、幻惑を起こすほどの巧みな剣技を披露する。それは余りに危険な目立ち方ではあったが――。 「露払いは任せてもらおう」 着流しをほとんど諸肌を脱ぐほどに着崩し、雪がするりと身を滑らせる。手にした得物が『全く自然な動作で』突き立てられ、霧香に向けられた注意を削いだ。 「ここに咲くは死の仇花。一人、また一人と命を落とし華と散る」 ――そして、貴方も。横合いからの一撃を短剣で流し、灼面の女剣士は神速の剣を容赦なく振るう。 「……これが、人と人との戦い……」 殺し合い、という言葉だけはかろうじて飲み込むミミ。お腹がすいた、などという感想はどこかに吹き飛んでいた。 思い出す。私は、『人』を相手にしたことなどなかったのだ。 (生きるために戦う、それは判ります……判るのですが) 私はまだ、人というものを判っていないのでしょうか。人と接することなく生きてきたミミは、迷いながらも清浄なる光を放ち、戦場に充満する瘴気を掻き消していく。 「リルは非力ッスよ。一人で立ち向かうなんてとんでもないっス」 気の糸を巡らし敵を穿ちながらも、その実リルの意識は近くの敵には向いていない。 「けど、非力なネズミには非力なりのやり方があるんスよ」 戦場をひらりと舞う肌も露な踊り子。リベリスタの中でも希少である強力なテレパス能力を持つ彼女は、頭上にあって戦場を俯瞰するフライエンジェ達の情報を集約し、発信する役目を担っていた。 「左の方、ちょっと薄いみたいっス。応援頼むっスよ」 「はいはい了解しましたよ」 気だるげに応えたモニカが振り回すのは、長大なる対戦車ライフル。引き攣った顔を見せるフィクサードの群れに雨霰と銃弾を叩き込む。 「私なら兵隊を相手にする方が効率的でしょうからね」 戦場に吹き荒れる鋼鉄の嵐。その中を一筋の流星が駆け抜け、盾を構え押し返そうとした大男を射抜く。 「……あなたのフォロー役に回るなんて、気に食わないですけれど」 白い手甲が光弾の残滓を残して淡く輝く。憮然とした表情の彩花は、しかし本音の部分を口にすることはない。 「店長は無事でしょうかね。ところで討ち逃してますよお嬢様。手抜きですか」 「わたくし、敵に手心を与えるほど優しくはありませんわよ?」 そんな彼女らに直接届く、リルとは違う『声』。後方に陣取って情報を司るマリスが告げるのは、上空・水上の二戦場でも間もなく両軍が接触するという知らせだ。 「流れ弾に巻き込まれないよう、十分にご注意ください、リベリスタ」 怖い。怖い。膝の震えが止まらない。それでも、届ける『声』には不安を見せまいと、マリスはひたすらに自分を励ました。それが、記憶をなくした自分を拾ってくれたアークへの恩返しであり、自分のミッションであると知っていたから。 「ハ。ならさっさと片付けて手伝ってやらないとなァ!」 今夜もカウボーイハットを斜めに被り、二丁拳銃をつるべ撃ちにするボニー。彼に援護され――むしろ彼を囮とし、アンジェリカは動き出した。橋桁にぶらさがり、正面に意識を集中させる敵の後背へと飛び掛る。 「儀式を完成させるわけにはいかない……」 テンションは低くとも、少女ヴァンパイアの動きは鈍くはない。首吊り紐がするりとフィクサードの首に巻きつき、アンジェリカの体重を乗せて締め上げた。 「ぐっ、舐めるなぁっ!」 だがそれだけで倒れるほど、敵は甘くはない。力任せに振り払われ、小柄な身体はコンクリートに叩きつけられる。 「……っ、ボクの力は小さいけど、少しでも役に立てるよう頑張らないと……」 それでも、少女は怯まない。この場に彼の神父はいなくとも――仲間達を愛するということを、アンジェリカは覚え始めていたのだから。 「『中の池』にて闘争が開始されました。幸運を祈ります、リベリスタ」 マリスの声が、再び彼らに届く。死闘は、なおも加速する。 ●午前二時の黒兎/1 「さ、これで大丈夫。切れそうになったら掛け直してあげるから、忘れないでね!」 ヴァージニアの胸に輝く太陽のペンダントトップが瞬くと同時に、リベリスタ達の背に天使の羽根が生え、彼らを宙へと誘った。空を飛ぶのが初めてのリベリスタも、すぐに慣れたか、宙返りを披露してみせる。 (……できれば人間同士でこの力を使いたくなんてなかったけど) そんな思いを抱きながらも、彼女は人懐っこく笑いかけるのだ。 「誰にだって、役割というものがありますよね」 同じく、少し離れた場所で仲間達に翼の加護を与える奔走する三千。ちらりと背後を振り返れば、コートの襟を立てマスケット銃を肩に担いだ、良く知る少女の姿。 傍に居たい。共に戦いたい。――護りたい。 ちょっと背伸びした思いを胸に秘め、けれど三千は、今はその時ではないと知っている。同じ戦場にあっても、それぞれの役目は違うのだから。 「それなら、皆さんや……ミュゼーヌさんが集中して戦えるように」 それが、僕の役目。 「おー、気合入ってるなぁ、連中」 その目が笑っているかは、丸いグラスに隠されて窺い知る事は出来ない。だが少なくとも、『午前二時の黒兎』土御門・ソウシの声はひどく面白げではあった。 「まあ、ああいう構成にせざるを得なかったのが辛いところだろうぜ。天狗の爺様がいなきゃ、もうちょっとはマシなんだろうけどな」 夜空を見上げれば、人影がぶんぶんと飛び回っているのが判る。アークの翼持つ者達は、あらかた上空に割かれてしまったに違いない。それでも、補助輪を付けて向かってこようなんて健気だねぇ、とソウシは続ける。 彼が率いるのは三十名弱のフィクサード。対するアークのリベリスタは、全部で二十七名。数ではほぼ同数。しかし、ソウシが揶揄してみせたように、その大半は橋からの射撃要員か、継戦能力に不安のある『翼の加護』に頼る者達だ。 「まあ、俺達は俺達だ。せいぜいパーティを楽しむとしようぜ?」 そう言うと、ソウシは水の上を『走り出した』。その後ろに配下のフィクサードが続く。なんとか体勢を整えたリベリスタと彼らがぶつかり合ったのは、その直後のことだった。 「大喧嘩の始まりだぜ。気合い入れていこうか!」 先陣を切ったのは猛。拳一つで戦えど、彼はまさしくアークの剣(アロンダイト)。その鋭い切っ先が屈強な戦士へと突き出され、掌から強烈な気を叩き込む。 「悪ぃが、此処から先は通行止めだっ!」 「そうかよ、なら押し通ってやらぁ」 ニッ、とフィクサードの男が笑みを浮かべた。次の瞬間、猛を襲う横殴りのインパクト。巨大な棍棒がダメージに怯むことなく振るわれ、彼を芯で捉えたのだ。 「そら、フクロにしろ!」 「させません!」 涼やかな声と共に躍り出た少女、リセリアの青銀の尾が宙に跳ねて赤い歪夜に銀河を描く。髪と同じ色の片手剣が閃けば、不用意に迫ったフィクサードの胸に血の華が咲いた。 「貴方達の好きには、させない――!」 寄せるフィクサード達の足が、少女の清冽な気迫の前に止まる。それは瞬きするほどの短い時間。だが。 「イリアス、決戦だ。逃げようなどと思うんじゃないぞ」 「フン、言うじゃないか。ライリーのひよっこが」 白く染まる視界。雷撃が水面を叩き、激しく飛沫を跳ね上げる。身体に走るショック。濛々と上がる水蒸気。 「この場に俺が立ったって事はな、覚悟なんざ完了してんだよ……!」 アッシュ髪の青年、イリアスに片眉を上げて応えるトリストラム。一見して同年代の二人、だが二人の間には二世代分の年の差があった。 「だが、結果を出さねば意味はない」 本人曰く『骨董品』であるイリアスに配慮する気もないらしく、遊びのない声色で言い捨ててトリストラムは弓を引いた。幾本も放たれた矢が、死の雨となって敵を射る。 「ほんっと、可愛げがねぇな」 毒づく老人も、いささか苦笑気味ではあったのだが。 (ここで決着を付けたいって、そう言ってた子がいるんだよね) 黒い翼も、今夜は赤い光に浮き上がっている。ジャックとの、シンヤとの戦いは、余りにも多くのドラマを生んでいた。ウェスティアが思い浮かべる姿も、そんな運命に絡め取られた一人。 (……それに) そして、彼女もまた。『伝説』の前に仲間の命を捧げたのは、『神父』の狂気に身を曝したのは、哀れなる『化物』を討ったのは。 「もう負けたくない。力が欲しい――!」 長い長い詠唱。指先を噛み千切る。流れ出た血がどす黒い大蛇と化して、水上を滑りフィクサード達に襲い掛かった。 「こんなにも月が赤いから、騒々しい夜はもうちょっとだけ続くのだわ」 唄うように嘯くエナーシア。この場に集ったリベリスタの多くは、既に後宮派の部隊と交戦した後だ。無理やり賦活させて決戦に臨む身体は重かった。だがそれでも、戦意という名のテンションは高い。 「さあ、道を譲ってもらいましょうか――赤い月の酔っぱらいの方々」 破裂音。エナーシアのショットガンが火を噴いたのを皮切りに、橋上に控えた射手達が活動を開始する。 (私に出来るのはコレだけだもの) ジルの眼帯の下の機械が熱を帯びる。最小限の手首の動きで透き通ったナイフを投じれば、抑えきれず前衛が突破を許した敵の太股へと突き刺さった。 「全力で叩き込んでやるわ。後のことなんて考えない」 「その通りよ。斉射! ありったけを叩き込みなさい!」 ミュゼーヌのマスケットが立て続けに銃弾を吐き出し、その銃身を赤熱させる。恐れない。恐れない。この戦場には、信頼に足る仲間達と――。 ――誰よりも大切な人がいるのだから。 (……心配はないようですね) その様子を見て、リーゼロットは視線を眼下の敵に向ける。友人たる『お嬢様』が気になっての参戦だが、彼女は十分すぎるくらいに強かった。その強靭な意志の源泉が、あの少し頼りない少年だということが、彼女には少し可笑しかったけれど。 「なら、後はいつも通りです。アークの敵を倒しましょう。共に死線を潜り抜けましょう」 吼える銃器は鋼鉄の雨を降らせ、橋へと近づくフィクサード達を怯ませる。この強烈な後衛の援護と防御があるからこそ、前衛が自信を持って戦えるということを彼女らは肌で覚えていた。 「戦争か――あんな悪夢は一度で十分だな」 翼持つ女神の名を冠したボウガンは、名前とは裏腹に杏樹の背丈ほどもある巨大なものだ。杭のようなクォーレルをセットし、機械仕掛けの弦を引く。 「もう誰一人、仲間を失いたくない」 そうだ。守りたくて、でも守れなかったあの日を、このシスター服に誓ってもう繰り返しはしない。放たれた太い矢は、狙い過たず術士らしき少女を射抜く。 「前で戦える者の数が少ないとはいえ、あそこまで近づけたのは申し訳ないでござるな」 さりとて前線を突破されるというのは、前衛にとっては忸怩たるもの。だが、幸成の握る墨塗りの忍者刀は、揺らぐことなく淡々と振るわれる。 「忍者の忍者たる力、しかと見せて進ぜよう」 ましてや、背後にはあの蓮っ葉な聖女がいるのだから。サングラスは置いてきた。陽気な忍者は、本来の姿、非情なる忍びへと戻っている。 「あはっ! 楽しいですね、良い月夜です」 男子学生服を身につけた少女が走る。影時が目指すは黒衣の敵将。親近感と高揚と、その二つをナイフに宿して。 「させませんよ」 「ああ、俺のお相手はあなたですか!」 痩身の男――恐らくは暗殺者が、彼女の道行きを遮った。チン、と高い音。ナイフの刃先、細い細い一点を正確に突き合わせ、幼きリベリスタは暗殺の刃を受け止める。 (なんでだろうね、こんなに怖い戦いなのに) ――みんながいるから怖くないよ。どんなことでもできる気がする――。 「ごめんなさいねぇ。メインディッシュはアタシが頂くわ」 配下を潜り抜け、ソウシへと至ったのはおろち。指揮官である以上は、この場で最強の敵に違いない。ならば、そんな物騒な相手を野放しになど出来はしないのだ。 「ヘイヘイ、なかなかイイ姉ちゃんじゃないか。ウチのお姫様には負けるがね」 「あらありがとう。ついでだから、アタシを惚れさせてみる気はないかしら」 彼女が繰り出したナイフの斬撃は、紙一重で空を切った。大きく湾曲したソウシの刀が、反撃とばかりに彼女の左腕を切り裂く。 「……、アタシはここで命を張ることに決めたわよん。ふふ、楽しみ」 「アークはそんな奴らばかりかよ。覚悟決まりすぎだぜ」 苦笑いを漏らしたソウシは、ちら、と上空に視線を向ける。 「こりゃ、天狗の爺様には荷が重いかねぇ?」 ●鴉天狗/1 「天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」 哄笑。突風。戦場に吹き荒れる呪氷の嵐。氷雨を降らせるインヤンマスターの秘儀はリベリスタにも少なから拾得者がいるが、その彼らにして目を疑うほどの豪雨が彼らを襲う。 「儂を怖れよ! 儂を畏れよ! 『鴉天狗』が頭首、北条・セイジュウロウの名を畏怖と共に伝えるのじゃ!」 黒い大羽根を背に広げる老人、セイジュウロウが手にした羽扇を振りかざせば、周囲に舞う『天狗』達が嵐を突っ切ってリベリスタへと襲い掛かる。 「……だからどうだってのよ」 アリステアに翼を与えられた守羅が、天頂方向に飛行したかと思うと、加速度を付けて『落下』する。ターゲットは、細剣を握る黒い翼人。 「相手が誰であろうと、斬って捨てるだけよ」 大太刀の一閃。手応え。宙に黒い羽根が千切れ飛ぶ。だが、次の瞬間、フィクサードは彼女の視界から『消えた』。 「ええっ!?」 声を上げたのは、リベリスタ達の中央を飛行していたあひる。フィクサードは彼女らの虚を突くほどの加速を瞬時に行い、一直線に突撃を敢行したのだ。 男があひるを狙ったのは、彼女が翼の加護を分け与える役目を担っていたからではない。手にした書――実のところは絵本だが――と身に纏う導師服、そしていかにも『守られる』位置から、彼女が癒し手であると推測しただけだ。 そして、三次元に展開するこの戦場では、良くも悪くも前衛の壁は機能しない。 「もらったぁ!」 「――っ!」 ぎゅっと目を閉じた。数瞬後に訪れる痛みをあひるは待つ。衝撃。――だが、痛みは感じない。 「ここより先、進みたければ相応の代償を払ってもらいましょう」 フィクサードの突撃を、大和が身体で受け止めていた。溢れる血が帯を黒く染めていく。 「ただで通れるなどとは思わぬことです」 「ええ、その通り」 二連装の殲滅(カルヴァリン)砲が吼え声を上げれば、光の十字がフィクサードを射抜く。ゴシックロリータに巨大砲、クリスティーナは退避する剣士を上空から見下ろした。 「空は私の戦場よ。殲滅砲台の恐さ、その身でとくと思い知りなさい!」 一方、あひるは大和の傷口に手を押し付け、一心に祈りを捧げる。 「ごめんね、ごめんね、私なんかのために……!」 「……華々しい戦果だけが戦ではありません。陰で支える人がいてこそ成り立つのです」 弱々しいながらも、微笑んでみせる大和。運命はまだ彼女を手放さない。その姿に、あひるはアークで最も徳が高いというあの青年と、同じ輝きを感じていた。 「――大丈夫。あたし達になら、できる」 ごく、とつばを飲み込んで、羽音は仲間と共に空を駆ける。不安は尽きることがない。背に負ったフェイクの羽根は、心細いほどに軽すぎる。 それでも。 「……例え、離れていても」 きっと、心は繋がっているから。だから彼女は夜空に羽ばたく。その時だけは普段のふざけた態度を消して、借りを返してやると呟いた――神様が嫌いな少年のために。 「その翼、折らせてもらうね」 チェーンソーが唸りをあげ、敵の翼を切り裂いて。 「それじゃ、いきますよぅ」 イスタルテの翳した掌から溢れ出す光が、フィクサード達を灼きながら血の光に塗れた夜空を切り裂き、数瞬の間、両軍の戦士達を照らし出す。 「ナイスメガネビーム!」 「やーん、メガネビームじゃないですよう……」 どこかのんびりとしたイスタルテに一声くれて、千歳が光の中を駆ける。 「不遜じゃ小娘! ひれ伏せ跪け恐怖せよ!」 セイジュウロウが懐に差し込んだ手をばっと広げれば、四方に乱舞する呪いの符。怨、と一声唱えると同時に、その全てが鴉と化して千歳に殺到する。 「くっ……、小娘じゃない桐生千歳! その名前寄越せ、鴉天狗!」 魔女の手から迸る四色の光。それは鴉天狗に命中こそしたが、一撃で仕留めるには至らない。 「頭首!」 「おのれ下賎が!」 彼らのプライドを刺激したか、四方八方から突き刺さる攻撃。運命の支えを削り取り、なおも執拗に続けられたそれは、ついに。 「まだ私は弱いよ、でもいつか貴方の全てを頂く……絶対に……!」 そのうわ言を最後に意識を失い、落下する千歳。下は池といえども高度は三十メートルを越える。加速した身体が叩きつけられようとした、まさにその時。 「よいしょ、っと。気合入れて飛んだ甲斐があったかな」 柔らかく受け止める腕の主は、三度笠に作務衣。小さく丸まった千歳を見て、蓮はふ、と微笑んだ。 「お兄さんへたれなんでね、出来るだけ犠牲は減らしたいのよ」 敵も、味方もね。上空を見上げ、彼はそう一人ごちる。 「まだ不慣れなんだ。治らなかったらゴメン」 砂色の翼はフライエンジェの中でも珍しいが、赤い月の下では目立たない。とんでもない初陣、とクレイグ自身が言う通り、決してその力は強いものではなかったが――その僅かな力の積み重ねが、勝敗を決するということをリベリスタ達は知っている。 「いざとなったら俺が盾になるよ、だから頑張ってくれ」 「何言ってるんですか~」 ふふっ、と艶やかな笑みを浮かべるユーフォリア。楽天的、というその名の通り、その間延びした話しぶりと柔らかな笑みは、周囲にも希望を与えていた。 「そんなことをさせないために~、私達がいるんです~。私~、頑張っちゃいますよ~」 クレイグに向け、ぱち、とウィンク。背を向けて飛び立つユーフォリアに続いて、茉莉がその白い翼を広げる。 「うーん、まずは護衛から排除ですねぇ」 彼我の戦力差はリベリスタ二十一対フィクサード十六。いや、千歳の脱落で残り二十か。鴉天狗の老人に意識を裂かれすぎていては、勝利は覚束ないと彼女は言っている。 「それじゃあ、あれ、行きましょう」 二枚のチャクラムが赤い光を煌かせ、ボウガンから放たれた魔力の矢が闇を穿つ。 (――ボクは無力だ) そんな二人を見て、雷音は唇を噛んだ。足が震える。自分は、ああも凛としてこの夜を駆け抜けることが出来るのか。 けれど。 「できることがあるなら、それに賭けるのだ」 皆の力になるように。誰も倒れない為に。幼き百獣の王は夜空を舞い、フィクザード達の翼を氷の像に変えていく。 「奇遇ですが僕も鴉の羽なのです。よかったら勝負しませんか?」 そんな中で、あえてセイジュウロウの元へと向かうヴィンセント。もちろん、一人で討とうなどとは考えていない。 (足でかき回して見せますよ) 空の戦いは一瞬の勝負。老人の鼻先すれすれを掠めて跳んだかと思うと、振り返りざまにショットガンの引鉄を引いた。狙いもろくにつけないその銃弾は、根性だけではどうしようもなく、虚空を穿ったに過ぎないけれど。 「貴様も叩き落してくれるわ! 式!」 式神の鴉が群れを成してヴィンセントを追う。月の中に身を映し出すことのないように小回りを利かせて逃げながら、彼は内心ほくそ笑んだ。 (僕も空戦のプロです。狙われるなら僥倖……!) ●魔弾の射手/2 橋の上の戦いは一進一退を繰り返していた。圧力に耐えられず、両軍共に脱落者が増えていく。 「おいで、フィクサード。一人残らず遊んであげる」 この血と鋼鉄と魔術が満ちた闘争の場にあって、有紗の姿は日常そのままを残していた。いつものジーンズに、ブラウスとベスト。肩から提げた鞄につけたストラップが愛らしい。 ただ、その手に握られた大剣だけが、異彩を放っていて――この場には相応しかった。 「お代は命か大怪我か、だよ」 まるで鈍器のように叩きつける。避けようとして果たせず、ナイフを握るフィクサードの少年は、頭が爆ぜたかと思うほどの流血と共に沈んだ。 「しかし、きりがないね。まさに正念場というわけだ」 燕尾服姿のセッツァーが指で摘むのは銀の指揮棒。その声は朗々として戦場を被う。例え、剣戟の伴奏と、悲鳴のコーラスが傍らにあったとしても。 「私の声(うた)でこの戦場に勝利を。良い戦舞台(ミュージカル)だったと笑えるように」 全ては当然のハッピーエンドへと続く、そう愚直なまでに信じて彼は『声う』。それは勝利の歌。リベリスタ達の気力を奮わせる、生命の歌。 「や、その、庇ってもらえるなら喜んで庇ってもらいますよ」 覇気のないことを言っているのは依季瑠。だが彼女とて経験を積んだリベリスタ、決して臆病だけで言っているわけではない。脆弱な彼女が、守りと引き換えに得た力。飄々とした言動とは裏腹の厚みのある聖歌が、仲間達の傷を塞いでいく。 「ごめんなさいごめんなさい、痛いの嫌なんですっ」 「ああもぅ、面倒くせぇなぁ」 美峰の飛ばした符が、影人形に変化してぬるりと立ち上がり、フィクサードの銃口から依季瑠を隠した。周囲の支援を受け、手が空くたびに彼女は影人形を量産する。 「あれ、影人働かせりゃ、もしかして私寝ててもいいんじゃね……?」 まだ使い手の少ない秘儀故にフル回転の美峰。八割方本気だったかもしれないが、ふとそんな冗句を漏らしてみせるくらいには、この影人形の戦列は頼もしかった。 「ほら、もっと働け」 ぼんやりしている美峰の頭をぽん、と叩く碧衣。ややパンク寄りのゴシックロリータに黒いネクタイをきりと締め、少女は美峰の肩に置き直した手に意識を集中する。じんわりと温かく感じられる掌から流れ込む生気。 「どいつもこいつも殺気立ってるが、美峰くらいがちょうど良いのかもしれないな」 こういう時こそ落ち着いて当たるべきだが、私も中てられてしまいそうなんだ。その言葉とは裏腹に、碧衣は最後衛の支援部隊を支え続けていた。 彼女ほどの実力があれば最前衛でも遜色はない。それを選ばなかったところが、真の実力者たる所以だろう。 「あーしの実力でもやれる事はあるっ! この橋は絶対死守して見せるんやよっ!」 アークの総力を挙げた戦い。負けられない決戦と知ってか、戦場には経験の浅い者、あるいは自分の力を信じ切れていない者の参戦も多かった。望もその一人だ。 「相手がどんなに強くても、希望がある限り、あーし達は全力でタチムカウ!」 肌も露なネコのビーストハーフに両手のグローブは似合いすぎている。にははっ、と不敵な笑みを浮かべれば、黒いオーラが伸び上がって敵を襲った。 「少しでも何か出来る事があるのなら、無駄なんかじゃないわよね、きっと」 水奈もまた自分を信じ切れてはいなかったが、それでも自分自身に言い聞かせて前を向く。前衛には出ずとも、清冽なる風で癒しを施す度に、アークは一歩ずつ勝利へと近づくのだから。 「は、はい……。今のワタシに、できる限りをさせていただきます」 そう、できる限りを。水奈に頷くリサリサに記憶はなくとも、奥底に眠ったままの何かがこの国を救えと叫ぶから。 付け焼刃と笑わば笑え、決戦を前にして新たに得た力をフルに使い、欧米人の名を持つ大和撫子は戦士たちを支え続ける。 「まだまだ未熟でも、出来る限りを……!」 「そろそろ頃合じゃないっスか?」 「作戦のステージを進めるべきと判断されます、リベリスタ」 リルとマリス、この場の誰よりも戦況を見通すことが出来る二人のオペレーターが声を揃えた。次のステージ。そう、リベリスタ達はここでお互いを磨り潰し続ける心算はない。 「そうだな。行くぜ、陣を組め! 突出するなよ!」 狼の頭部に逞しい人の肉体。肩周りまでを狼のふさふさとした毛に埋め、吾郎は低く唸る。 「道を開け! シンヤを討つ奴らを通すんだ!」 そう叫ぶなり、彼自身は『突出して』駆け出した。大柄な肉体からは信じられないほどの敏捷な動き。かといって損なわれてはいない筋力を、彼は蛮刀を通してフィクサードに見せ付ける。 「そういや久しぶりだね、古賀のニーサンと肩を並べるのは」 「そうだな、あの女神以来か……ラーメンを別にすれば」 瀬恋と源一郎、二人の極道が後に続く。吾郎が仲間を信じて前に出たことなど判っている。地獄の沙汰も金次第、だがアイツを見捨てても金にはならないね、と瀬恋は理屈を丸め込む。 「それじゃあいっちょ行くとしますか。遅れんなよ?」 源一郎と距離を取ったかと思うと、気合一声、彼女は漆黒のガントレットをぶん、と振り回した。それは蛇がのたうつように見境なく周囲を抉り取る。数人のフィクサードが、捉えられ鈍い呻きを上げる。 「此の手に勝利を。生きて戻ろう、坂本の」 下駄がカランと鳴った。狙うは瀬恋の拳を避けた術士らしき男。あ、と気づいたときにはもう遅く、魁偉なる源一郎の拳が腹に飲み込まれた。 「やれやれ、医術など後回しですね、これでは」 腰溜めに剣を構え、橋の欄干を蹴って高く飛び上がった孝平。大技を放とうとしていたらしき敵の侍を、先手を取ってぶった斬る。 「押し広げますよ」 「よっしゃあ、任せんしゃい!」 仁太が構えたのは一丁の拳銃だった。男一人が抱えて持つほどのものを拳銃と読んで良いのならば、だが。余りにもスケールが違う得物は、しかし今はリベリスタ達に安心感を与えていた。 「出し惜しみはせぇへん、ひゃっぱつひゃくちゅうじゃけぇ!」 駄目な自分だと思っていた。だが、この鉄火場でならばわしは仲間の力になれる! 矢継ぎ早に吐き出される弾丸が、哀れな獲物を蜂の巣に変えていく。 「じゃけん、絶対勝つぜよ!」 「ああ、逃がしゃしない、徹底的にブチ抜いてやる」 ルヴィアが応じてみせる。短弓を引き絞り、細く細く意識を紡いで――解き放つのはコインをも射抜く一矢。 「あっははは、バーンってね!」 ただの下っ端に過ぎないあたしが調子付いてる連中を引きずり落とすなんて、イイお仕事だね、と高く笑うルヴィア。 「ちぃっ、穴を開けるなぁっ!」 踊りかかる長身のフィクサード。颯の視界が回転した。衝撃。息が詰まる。一瞬遅れて、地面に叩きつけられたのだ、と理解する。 「締め落としてやる!」 「そうはいかないョ」 着物めいたドレスが汚れるのも構わずに、身体を転がして追撃を避ける楓。痛みは四肢の自由を削いではいたが、まだ戦えないというわけではない。 「小生の力量不足は承知しているョ――しかし、命をかけるには上等な戦場サ」 まだ手も脚も動く。正面からやりあうなど馬鹿だ。向かって右に跳び、スピードを乗せて鍵爪で敵の胴着を幾度も切り裂く。 「かったるいがネ、平穏無事に暮らすには流血も必要かネ」 「そうよ。いろいろと騒がせてくれたけど、そろそろ幕引きといこうじゃない」 金色の尻尾が揺れ動く。ツインテールが愛らしい凪沙は、しかし宗一や、傷をおして参戦した源一郎ほどには、つい先ほどの敗北を割り切れてはいなかった。 ――でも、先に進む仲間達には無傷で行って欲しいから。 試作型というには頼もしいガントレットに炎を纏い、彼女は楓を襲った覇界闘士を力任せに殴りつける。 「こっちは、あたしたちが抑えとくから安心してよ。あ、別に全滅させてもいいんだよね?」 背後を駆け抜けようとする仲間達へ、それは精一杯のエールと、ほんの少しの強がり。 そう、『道』は開いていた。シンヤへ、そしてジャックへと続く道が。 「――ああ、任せておけ」 少しかすれた低い声が、彼女の声に応えた。全身に静かな闘気を漲らせ、霧也は後方に控えていたフィクサードの只中に踊りかかる。 「お前達の間違いを教えてやる――それは、俺を怒らせた事だ!」 重い斬撃。だが、それは巨大な方盾に受け止められ、鈍い音を立てるのみ。重装戦士然とした鎧の巨漢は、気合の声と共にメイスを振り下ろさんとする。 だが。 「流れる血と赤い月の囁き、狂って行くのはどっちの所為?」 それは瞬きするほどの僅かな時間。『何か』が飛び込んだかと思うと、大男はうめき声を上げて棒立ちになる。 凶器は、よどみない速さで幾度も鎧の隙間に突き入れられたナイフ。それを握るのは、霧也も見覚えのある姿。 「ルカ、ソミラ、羊」 「……知っている」 どこかずれたやり取り。その背後から、待って、と声がかけられる。戦いの最中、振り向きはしない。けれど、それもまた『知っている』声。 「僕達も一緒に行くよ。仲間でしょ?」 「勝手にしろ」 嫌がられても付いて行くからね、と、こちらも手近なフィクサードを殴り飛ばしながら悠里は言い放つ。興味がないそぶりの霧也。青春ってやつなんでしょ、とルカルカが混ぜ返し――そして、『予想していた』もう一人の声がその耳を打つ。 「私は大切な仲間を失いたくありません。誰一人として」 ああ、それは。 「ですから──どうか、お二人の背中を私に護らせて下さい……!」 どうして、その願いに抗うことができるだろう。 切れそうな運命の糸への不安を隠し、今この戦場に立つカルナ。彼女の決意は、ここを死地と定めた霧也を引き止めて。 「フフ、やっと来ましたか。貴女は必ず来ると思っていましたよ。『運命』が、貴女と私を呼んでいるのですから」 彼女の『宿敵』を、リベリスタの刃が届く距離へと引きずり出した。 ●Ripper's Edge/1 白いスーツと、その掌中で存在感を発揮する赤いナイフ。 後宮・シンヤ。 バロックナイツ歪夜十三使徒が第七位『The Living Mystery』ジャック・ザ・リッパー、その腹心にして信奉者――『Ripper's Edge(ジャック・ザ・リッパーの刃)』。 もちろん、彼がこの殺人凶器の名で呼ばれ始めたのは、ジャックに出会うよりも前のこと。だがそれさえも、シンヤには大いなる導きとすら思えていた。 「シンヤてのはあんたの事かい」 なおも続けようとした舌を遮って、金色の鎧に身を包んだ付喪が魔道書を翳す。瞬間、降り注ぐ稲妻が槍衾のように周囲を圧した。 「強引な男も嫌いじゃあないが、あんたは強引過ぎるんだよ。ちょいと雷にうたれて反省しな」 「反省するのはどちらかしらね?」 その響きは艶やかに。佐野・エリカのぽってりとした唇を覆うルージュは赤い月の下でなお紅く、太股を剥き出しにしたチャイナドレスに包んだ肢体は布地を通してさえ十分に蟲惑的。 「シンヤの邪魔はさせないわ――本当の魔術っていうものを教えてあげる」 何事かを呟けば、エリカの周囲に次々と現れる魔法陣。その中でもひときわ大きいサークルが、青白く輝き――。 「消えてしまいなさい!」 轟、と魔力の渦が巻き起こり、背後の幾人かごと付喪を巻き込んで荒れ狂った。 「まだまだ、一人だけじゃないですよ」 愛用のパラソルを放り捨てる。第六位『恋人』、那由他もとい珍粘は二刀を振りかざし、ターゲット――シンヤへと一直線に突き進む。 「後宮シンヤ、カルナさんを傷つけた罪は重いと知りなさい」 戦闘を避け、一心に思考から無駄を削ぎ落とす。これは彼女自身が殺人鬼へ報いを与える、最初で最後のチャンス――! 「もらった!」 「いい動きです、ですが」 実のところ、逸脱し魔人と化したこの男を前にしては、並みのフィクサードと戦う際の常識は通用しない。だが、針の先ほどに研ぎ澄ましたその刃は確かにシンヤへと届いたのだ。 「哀しいかな、まだ軽い!」 しかし、体を入れ替えるようにして突き入れられた赤いナイフは、珍粘の生気を『吸い上げた』。傷つけた腕の傷は、スーツの破れだけを残して塞がっていく。 「ああ、私がもっと強ければ、手も足も全部バラして差し上げるのに……!」 「山田さん! ああ大いなる主よ子羊は御身の下に集わん……」 囚われた際にさえ傍らにあった聖書を胸に抱き、カルナは一心に祈りを捧げる。典礼詠唱。だが、その美しい響きを殺人鬼の嘲笑が掻き消した。 「クク、実に美しい。世界のために、仲間のために血を流す、その姿は。いえ、それは語弊がありますね。そう、『貴女のために』リベリスタの皆さんが苦しむ姿は!」 実に美しく、そして滑稽です! その刃を縦横に閃かせながら、殺人鬼は嘲笑う。今は彼の臓腑に飲み込まれたカルナの『運命』を取り戻すため、どれほどの者が血を流し――どれほどの者が命を落とすのかと。 「……、それでも、それでも私はっ……!」 彼女とて神ならぬ人の身。そしてアシュレイが皮肉ってみせたように、未だ心に青さを、幼さを残す少女に過ぎないのだ。 もちろん、それが詭弁に過ぎないこと――リベリスタ達がこの国の未来の為に集っていることを彼女は知っている。 だが、言葉は震え、薄い唇はかすかに青褪めていた。華奢なその身体は、吹き荒れる悪意に翻弄されているかのようで。 いや、事実翻弄されていたのだろう。ただ、彼女はそれに屈するつもりは無かった、ただそれだけのこと。 如何な弱さを湛えていたとしても、どれほど揺らぎ、傷つけられたとしても。 少女の双眸は少女であるが故に。 人間が人間であるが故に。 あるいは、後宮・シンヤが『恋』をした『カルナ・ラレンティーナ』であるが故に。 ――主よ。祈りの文句が結末を迎えると同時に、ふわり、彼女を中心に柔らかな風が巻き起こり、既にシンヤ直属の最精鋭と戦いを始めている仲間達に恩寵を振りまいた。 「フフ、やはり貴方は最高だ――」 お気に入りのものをこの手で壊す興奮。あの背徳的で酷く甘やかな感情を、シンヤは知っている。ならば、最高の乙女のはらわたを引きずり出す恍惚は如何ほどのものだろう。 「――どうやら、私は手に入れたいものを諦めなければならないらしい!」 満面の笑みを隠せないシンヤ。その視線は、緑の髪の少女ただ一人を捉えていた。 更なる血闘が、始まる。 ●Ripper's Edge/2 「リベリスタ、第八位『正義』、新城・拓真。ここより後ろへは行かせん」 迎え撃つシンヤの直衛フィクサードは二十名強。それに挑む、橋上を制圧しつつある仲間達に送り出された対シンヤ部隊は三十八名。説得を受け入れた『傭兵』宮部茜が、リセリアや有紗と別れ、一人その戦列に加わっている。 「此処に絶対の防衛線を敷く、それが俺の役目だ。無様な姿は見せられんのでな……!」 防衛線を敷き、後衛陣を守ると同時にシンヤと配下を分断すべし。そう提言した拓真は慧眼であったと言える。短い時間でそれははっきりと感じられた。個々の実力では圧倒的な差があるのだ。乱戦になっていれば、各個撃破されるのが関の山だったろう。 何より、背後には守るべき女がいる。 「それでも尚行くと言うのなら──!」 その先を言葉にする必要はあるまい。幅広の剣による強打が、敵手の盾を弾き飛ばす。 「今度こそ――」 髪に隠れた右の目が、LEDの光に瞬く。要が常に纏うコートは、彼女の華奢な身体以上のものを隠してはいたが――今夜だけは、その庇護を忘れると決めていた。 「――今度こそ、守ってみせます」 最もプレッシャーの強い防衛線の中央は、線の細い彼女にはいかにも無謀に見えた。だが彼らは知っている。こと守備を固めることにおいて、要はアーク有数の硬さを誇るということを。 そして彼女だけが知っている。二度と失わないという決意は、彼女を最後まで導くだろうということを。 術士らしきフィクサードに正義の鉄槌を叩き込む。狙い通り回復役かどうかは賭けだった。 「あはははははっ! あははははははははっ!」 けたたましい笑い声を、無数の弾丸の炸裂音が掻き消す。刃と鈍器とが次々に遅い来る中で、弾幕のパーティーに酔いしれるエーデルワイス。だが、その視線がちらり、足元のコンクリートを舐める。 ぬっ、と突き出した腕が彼女の足首を掴む。続いて地中から湧き出したナイフが、その甲に突き立てられ――。 「私の痛みよ、罪人を穿て」 それは天使の笑み。腕が裂けるのにも構わず撃ちこまれた断罪の魔弾は、悲鳴と共に敵を地中へと送り返した。 リベリスタ達は数の優位を最大限に活かし、後宮派を押し込もうとする。だが、忘れてはならない。この場に集められたのは『最精鋭』なのだから。 「隠れてんじゃねぇぞっ!」 鍛えられた四肢を剥き出しにした、いかにも格闘家という長身の男が叫ぶ。ぶん、と一蹴り。宙を蹴ったかに見えた丸太のような脚は、次の瞬間、後ろに控える櫻霞の腹を抉っていた。 「ぐっ……!」 「櫻霞様!」 いや、それは虚空を飛来する衝撃。引き裂かれた空気の圧に蹲る櫻霞の痛みを、傍らの櫻子が即座に消していく。 「俺は構わん、それより他を頼む」 「嫌です! 櫻霞様をお守りする、それが私の役目ですから」 普段のゆるい雰囲気をかなぐり捨て、耳を立てながら櫻霞を見つめる少女。赤と青の瞳をモノクル越しに受け止める、金紫のオッドアイ。 「……感謝する、お前も無理はするなよ」 いざとなればその首筋を差し出すことすら厭わないであろう恋人に不器用な礼を告げ、櫻霞は意趣返しとばかりに、一直線に気糸を飛ばす。 「全力でバックアップするとしよう。しかし随分と様変わりしたな、シンヤよ」 ――貴様は俺のことなんざ覚えてないだろうがな。 「雷神の連環――『神鳴る縛鎖』、受けなさい」 眩い光と共に、雷撃の嵐が吹き荒れる。第二位『女教皇』、魔術師の裔たる悠月の呼び起こす破壊の力は、フィクサード達ですら怯ませるほどのものだ。銀の弓が、青い予言の石が、羽飾りが。身につけた品々それ自体が魔力を紡ぐ回路となり、彼女に力を与えている。 「歪な月夜は、確かに此方の世界に属するモノ。ならば、存分に力を奮いましょう」 誰よりも大切な人が守ってくれる。なら、私は期待に応えてみせる。 「借りは返してもらいます。我らが『節制』の運命を」 「おうっ! 取り返してやんぜっ! カルナたん愛してるーっ!」 拡声器を片手に叫び続ける俊介は、後方から勝利の歌を紡ぎ、悪意から身を守る鎧を授ける役目に徹していた。普段は前に立つことも辞さない彼だから、本心はシンヤを一発殴ってやりたくてうずうずとしている。 「くそう! 皆倒してこいよシンヤを! みんな帰ったらクリスマスだかんなぁー!」 「その前に、羽音さんに謝るのが先ね。カルナたん愛してる、だなんて大声で」 イーゼリットが悪戯っぽく笑いかける。ひく、と顔を強張らせる俊介。 「こ、こういうのはテンション高い方が勝つんだよ! ごめん羽音愛してるぜー!」 「……ん、もう」 上空にまで響く拡声器の声に、その当人は戦いを忘れて赤くなるやら、にやけるやら。 「誰も彼も大変ね。悠里さんに霧也さんも……くすくす」 それは戦いの中でただ一度発せられた、優しい笑い。けれど余裕ぶっては居られない。ここは鉄火場で、周囲に満ちるのは死そのものだ。 「カルナさんの運命は、彼女と、彼女が信じるカミサマのものなの。アレを返しなさいなんて、絶対に言わないわ」 禁断の実の名を冠した書を中心にして、魔力が凝縮されていく。 「シンヤさん。あなたはここで殺してあげる……!」 「おおっと、容赦ないねぇ。怖い怖い」 茶化しながらも仕事はきっちりと。リスキーが息を整え意識の波を合わせれば、ガス欠が近いイーゼリットに新たな力が注ぎ込まれていく。口説くのが礼儀ではあるが、流石にここで吊り橋効果を試したくはない。 「おじさん、こっちにもくれよ」 「おじさんじゃないっ! おにーさんだ!」 はいはい、と投げやりに返す真理亜。だがその態度とは裏腹に、神杖を握る掌はじっとりと汗で濡れている。――まるで戦争じゃねぇか。だけど。 「いくら経験が不足してたってな、気持ちじゃ負けてねぇんだよ!」 聖歌は詠唱の音律となり、清らかなる存在への祈りへと繋がっていく。皆を救う。それだけは、どこに居ても変わらない。 「だから倒れてんじゃねぇぞ、お前ら!」 「君はいい子だね、真理亜君」 名前を呼ぶなといきり立つ少年にひらひらと手を振って――ピンクフレームの眼鏡に隠された天の瞳が、鋭く眇められる。 「僕の前で、簡単に奪えると思うなよ」 僕らは一本の槍。 それを護る柄は、防衛線の皆。 そして僕は、全てを支える石突。 「人の手借りなきゃ女一人口説けない奴に、俺らの日常はやれねぇな。セーギノミカタを舐めんなよ!」 回復役は十分と見て、天が投じた紫柄の投げナイフ。それを軸に火力が太い矢を成して、フィクサードの胸へと吸い込まれ、爆ぜる。 絶対にこの槍は、信念は、折らせない。 「――力なき正義は無意味です」 それは、行き場を間違えれば無限の闇に飲まれてしまう思考かもしれない。ナイトメアダウンで滅んだ一族、その出身である貴志だからこそ言えた、その言葉。もちろん、そんな悲劇は、彼に限らず掃いて捨てるほどあるのだけれど。 「だから僕は力を欲する。正義を貫く力を!」 メイスを受け止めたトンファーごと殴り飛ばされ、それでも彼は怯まずに戦士へと掴みかかり、引き倒す。 貴志にシンヤやジャックへの思いは薄い。だが、彼らを野放しにすれば、苦しむ人が増えていくだけだ。だから、戦う。 「あはははっ、三下三下ァ! こっちを御覧なさいよぉん」 幻視の化粧が剥がれれば、その肌に露出した鉄屑のアクセサリー。眩い光線を敵陣に叩き込むステイシーは、鋼の花束を手にした金属の女神にも似て。 「ねぇ知ってるぅ? 貴方達のボスなんて、女の子一人口説けなかったヘタレなのよぉ」 開く口からマシンガンのように溢れ出る挑発。それはより忠誠心の高い直属部隊だったからこそ、彼女の意図通りに作用した。 「黙りな小娘」 意図通りでなかったのは、その報復が彼女の予想を越えていたことだろう。向けられた敵意の数は実に四つ、果てはエリカの雷撃までが集中し、運命の盾すら刈り取られて彼女の意識は途絶える。 「攻撃は最大の防御ってな!」 だが、それは『過大な攻撃力をステイシー一人に無駄撃ちした』ということだ。それに気づいた宗一は、彼女が稼いだ時間を攻勢への足がかりにすべく、真紅の大剣と共に斬りかかる。 「こと力においてはそうそう負けはしない。片っ端からぶっ潰していくぜ!」 ちらりとエリカを見やる。二人を隔てるフィクサードの壁は、まだ高い。お前への借りは仲間が返してくれるさ。彼の相手は、目の前の強敵なのだから。 死ぬ気はしなかった。アイツに貸しを返してもらうまで、くたばるわけにはいかない。 ●魔弾の射手/3 「切り開いてみせる、あたしの剣で!」 どれだけ戦っただろう。戦って、戦って、けれど敵は減った気がしない。疲労だけが蓄積していく。それでも、霧香は諦めはしない。 「何より、あたしはまだ借りを返せてないんだから!」 数が余り減っていないのは味方も一緒だ。その原因を正確に察しているのは、アークを代表するユーティリティープレイヤーであり、戦場を俯瞰し続ける理央だからこそ。 「お互い、前衛を突破できていないんだ」 癒し手が最後衛に控え、中衛火力、前衛と陣を成すのはどちらも同じだ。そして、橋上という地形では、後衛だけをどうにかすることは不可能に近い。 吾郎を始めとした一団がシンヤへの道を開けたとはいえ、逆に言えばその道を維持することで精一杯。対シンヤ部隊の後背を守るためにも、北門側で暴れる土人形の妨害を突破して到着した対ジャック部隊を送り込むためにも、この伸び切った戦線を維持しなければならなかった。 「無理するな、手伝うぜ?」 「いいえ、ここはボク達に任せて、君達はジャックと万全の状態で戦って!」 額に貼り付いた前髪。心は悲鳴を上げるけれど、けれどそれが最適と信じたから、三つ編みの少女は精一杯の見栄を張る。 「頼んだぜ! 絶対、あのいけすかねぇ奴をぶっとばしてこい!」 壁を形成する一人、モヨタもまた同じ思いだ。彼ほどに幼い少年が戦列に混じることを、年嵩のリベリスタ達は痛ましく思わずには居られなかったが、モヨタ自身に屈託はない。 「悪ぃ奴は許せない! とんでけー!」 身の丈ほども在る重厚な大剣を、機械の力で難なく奮う。幼きヒーローの灼け付くような闘気をはらんだ一撃はフィクサードを芯で捉え、欄干の向こうまで弾き飛ばす。 小さな悲鳴。池に叩き込まれたフィクサードが、高く水飛沫を立てた。 「きりがないな。一気に行くぞ!」 イセリアの覚悟。戦況そのものを動かすには、相応の対価が必要だ。それは賭けに等しく――だが、彼女一人を対価にするならば、悪くない賭けだった。 「剣姫イセリア! 推して参る!」 肩を並べて戦うからこそ、攻撃は分散される。だがその守りを捨て、彼女はただ一人、敵の只中に斬り込んだ。 来るなら来い。力尽きるその時まで、抗ってみせる。 「ここで戦わずして、いつ戦うというのだ! 道は私が切り開く! 行け!」 刃が、矢が、魔力の奔流が彼女に突き刺さる。判っている。己の力量では、僅かの時間を稼ぐことしか出来ないと。 だが、それは値千金の時間。彼女を追ったフィクサードが抜けた穴。押し切れない前線にひびを入れた、殊勲の剣。 (……まぁ、俺はそこまで世界が守りてぇわけじゃねぇんだよな) 片割れたる壱也が囲まれないよう身体で庇いながらも、モノマがその間隙に滑り込んだのは、使命感に突き動かされたからではない。賢者の石を奪われた壱也が、雪辱を望んだからだけでもない。 「俺は気がのらねぇ事はしねぇ主義でな――言う事ねぇだろ、壱也を守れてダチの道を切り開けるんなら」 掌打。気だるい言葉の内に秘めたものが、怒涛のように敵手の臓腑へと流れ込む。 「今またシンヤ達を止められるならば、わたしは剣をとる!」 モノマに守られていようと、無傷というわけにはいかない。けれど壱也は退こうとも思わなかった。もちろん、勇気と無謀は違う。それは判っている。 この突破口こそが、ターニングポイントだから。 そして、モノマ先輩と肩を並べて戦えることが、こんなにも心強いから! 「いっけえええええええ!」 蛮刀を通してフィクサードの壁を打ち砕く、小さな戦士の大いなる勇気。 「お前達の好きにはさせねーぜ!」 乱戦が始まる。帽子を失い耳を露出した静を先頭に突入した決死隊が、鬱憤を晴らすかのように出し惜しみのない全出力でフィクサードへと喰らいつく。 「オレのお姫様が待ってるからな!」 愛らしい狼の少年との平穏を守る為に。静が全身の闘気を乗せて放った一閃が、受け止めた盾ごとフィクサードを爆発に巻き込んだ。 「いよいよ頭のおかしい殺人鬼どもを一網打尽ですな」 背後から突き出された槍をすんでの所でかわし、正道は自らの身体で仲間達との間に壁を作り出す。 「――この赤い月を穿つ槍、きっちり送り届けて差し上げましょう」 ああ、この男が攻撃すら捨てて守りに就くならば、アークという戦士の盾と呼ぶに相応しいことは明らかなのだ。 「私は少々手ごわいですよ?」 やわらかな口調に凛とした意志を乗せ、慧架はそのしなやかな脚を鞭のように振るった。目に留まらぬほどの速さで振り抜かれた蹴撃から生まれ、肉を食い散らすかまいたち。「全力を尽くしましょう、道を切り開いてくれた皆のために」 ふわり、短いスカートが舞う。古武術を基礎にした身のこなしは、少女然とした見かけからは想像もできないほどに堂に入っていた。 そして、慧架に応える声。 「ああ、借りを返そう。お前達には恩義がある」 その姿は驚きをもって迎えられていた。 鉄の面に巨大なる両腕。『鉄鬼』、二度に渡りリベリスタと激闘を演じた彼は、今アークの側に立ち、その膂力を余すことなく披露している。 そして彼にぴたりと寄り添う、アシュレイが創り出し――人を傷つけることを知ってしまった少女。生きたいと願ってしまった少女。 無口なアンジェリカが、彼女には珍しいほどの言葉を重ねて仲間を説得したのは、二人の意志が揺るぎなかったからだ。彼女自身は、二人の戦う姿を複雑な思いで見ていたけれど――。 「ど、どうするんですか大竹さん!」 「……うろたえるな」 鉄鬼の強さは誰もが知っている。明らかに動揺する配下に溜息一つ、リョウジは数多の戦場を共に駆け抜けた名銃を夜空に向けた。狙うは、天にひときわ明るく輝く星。 「お前達には見せたことがなかったな。俺の銃は――星をも砕く」 ダン、と。 天の星へ向かって放たれた銃弾は、誰を射抜くこともなく消えていった。何も起こらない。リベリスタ達の脳裏をよぎる安堵。 ただその中で、智夫だけが血相を変えて周囲の仲間の傷を癒し始める。それは、注意深い彼だからこそ気づいた危機の予兆。 「この状況で、敵の指揮官が無意味なことなんてするものか!」 彼の指摘に、騒然となるリベリスタ達。だが既に遅く――一瞬の後、耳をつんざく爆発音が戦場を圧した。 「なっ……!」 誰もが息を飲んだ。 夜空から『落ちてくる』のは、撃ち砕かれた星屑。大きさは子供の頭程度、しかし砕かれた欠片はどれも鋭い切っ先を備え、流星の如く降り注ぐ。 「死にたくなきゃとっとと逃げな!」 ルヴィアの絶叫。敵フィクサードまでがあまりの光景に呆然としたのは幸いだった。空高くから降り注ぐとはいえ、そのスピードはさほどのものではない。ある者は転がって、ある者は空を舞う翼で頭上の脅威を回避する。 それでも、避けきれないものも多い。そして、仮にも流星が直撃して、無事な者など居はしないのだ。 「まさか、本当に星を……!?」 「いや、呪力による具現化の一種だろうな」 ミミの疑問に答える吾郎。一撃にして戦況を変えたリョウジの秘技。智夫達の機転によって最悪の結果こそ免れた。しかし彼らは理解する――本当の問題は、リベリスタの被害ではなかったのだ。 「鉄鬼!」 「治癒を……!」 アンジェリカが、孝平が声を上げる。 その両腕を地に突いて、彼は星屑から少女を守っていた。避けることも、防ぐこともせず、ただただ、少女を庇っていた。 その背に、いくつもの直撃を引き受けて。 「てっ……き……?」 目を見開く少女に、すまない、と男は呟いた。 少女を危険に曝したくは無かった。けれど、少女の持つ『切り札』を――いまや彼は知っている。 だから、すまない、と。 「い、今だ!」 「裏切り者を殺せ!」 我に返ったフィクサード達、殊に射撃手段を持った者達が、この恐るべき反逆者へと一斉に制裁を加えた。リベリスタ達の差し伸べた手は、あと一歩で間に合わず。 「……お前、は……」 その先に何を紡ごうとしたのか、語られることはなく――鉄鬼と呼ばれた男は、彼女を胸の下に庇ったまま、瞼を閉じる。 「――鉄鬼、ずっといっしょだよ」 そして、少女は最初で最後の恋を知った。 世界が、反転する。 ●魔弾の射手/4 全てを塗り潰すほどに眩しく輝く、純白の光。 ようやく視界を回復したリベリスタ達が見たものは、苛烈なるエネルギーの奔流に飲まれ、全身を焼け爛れさせたフィクサード達の姿だった。 「鉄鬼……、ごめんな」 かつて賢者の石を巡って戦った静も、ただそれだけを絞り出すのが精一杯。そして理解する。少女が、自分達を『味方』だと思っていてくれたのだと。 「もうこんなの嫌です。こんなぎりぎりの戦いは始めてです。嫌だ。死にたくない。死にたくない……っ」 ヘルマンが泣き叫ぶ。怖い。怖い。生き残りたい。死にたくない――。 「でも、ここでやらなきゃ、みんな死んじゃうんですよね」 上質の背広を恐怖に震わせて、彼は振りぬいた脚から真空の刃を解き放つ。 「死にたくないです、怖いです、だから貴方がたを倒します!」 「もう誰も……ここでは……死なせたくない」 同じ思いを抱くエリス。もっとも、彼女の場合は、受信した電波がそう告げている、ということかもしれないが――リベリスタとしての行動に違いはない。 「エリスの……持てる力の……全てで……支えるよ」 希薄なる恩寵、彼女に啓示を与える者の力を集め、少女は傷を塞ぐやわらかな風を喚ぶ。流星に撃たれた者達を始め、傷ついたリベリスタが再び戦う力を取り戻していく。 「八幡神のご加護を!」 機械の右目で照準を合わせ、砲撃かと思うほどの銃撃を加える真弓。彩花率いる大御堂重工の面々が張る弾幕は、フィクサード達に立て直す隙を与えない。 「我々には貴方がたと違って、今のこの世界に未来があるのです。夢物語はここまでにしてご退場願いますわ」 そして、リョウジを狙う槍の穂先が動き出す。 「今や、いくで! タマ取ったる!」 「……人には皆、その場その人に相応しい言葉遣いがございます。お間違えなきよう」 飛び出した椿を几帳面にたしなめる成銀。だが彼の心中は、言葉ほどに能天気ではない。覚悟を決めている。この身は十三代目の盾であることを忘れまい、と。 「代々紅椿の門を護ってきた誇りがございます!」 割って入るフィクサードを、彼は身体で遮った。開いた道。ライフルを構えるリョウジへと向けられる、椿のリボルバー。 「貰ったぁ!」 「……遅い」 彼女の銃弾は、確かにリョウジの胸を穿った。だが彼も幹部と呼ばれる男、身を光に灼かれたとはいえ、簡単に倒れはしない。此度彼が放った銃弾は、呪詛を凝らした魔力の弾。身代わりに受けた成銀が、血の海に沈む。 「とうとう、ここまで……あと、もうちょっと……!」 代わって敵将への道を突き進む文。臆病と言われ続けてきた。それでも、これがアークの使命だから。負けない。心を折ったりしない! 「わたしたちは……アークのリベリスタは! 絶対、負けない!」 この世界を守り抜く、その思いを胸に駆け抜ける文。鮮やかとは言いがたい動きだったが、それでも懐に飛び込んだ彼女は、手甲の刃で死の刻印を刻み、猛毒を流し込む。 「こ……のッ……!」 「――ご挨拶をしなければ、と思っていたのですよ」 スコープ越しに、苦痛に悶えるリョウジを見つめる星龍。狙撃手の流儀は、風の流れすら読みきるほどの集中を保ち、じっと機を待って一瞬の好機を逃さないこと。 突入した者達の支援をしていた彼が、ようやく照準に納めた好機。 「もちろん、挨拶はお互いに鉛弾でしかないわけですがね」 引鉄を引く。永遠に思える一瞬――そして、ターゲットの頭蓋がスイカのように爆ぜる。 「さようなら、狙撃手が目立ったのが敗因でしたね」 ようやく集中を解き、肩の力を抜く。無性に煙草が恋しかった。 「よし、残りを片付けて他の応援に行くぞ!」 掃討戦は続く。既に戦えるリベリスタの数は三十を大きく切っていた。だが、フィクサード側の被害は遥かに多い。もはや完全制圧は時間の問題、誰もがそう思っていた。 だが、しかし。 「シンヤ様、今お傍に参ります! こんナにとってモすてきナ夜ですカらァ!」 北門近くの戦場では、かなりの数のフィクサードが脱出に成功していた。 現れた集団もその一部。合流した七人の男達を率いる少女は、地面に引きずる長い金髪。モコモコのコートと赤いマフラー。そして――血でまだらに染まった、元は白かったワンピース。 「――マリア!」 「――クレイジーマリアだ!」 絞り出すように付喪が呼んだのは、とうとう愛を教えてやれなかった少女の名。 リョウジ配下の残党が歓喜の声で呼んだのは、『狂った』少女に奉られた二つ名。 生き残ったリベリスタの間に、戦慄が走る。 ●鴉天狗/2 「ちぃッ、大竹の奴、派手に花火を上げおって!」 白い爆発と流れる流星は、離れた上空からでも十分に観察できた。だが、空を駆ける者達の戦いを邪魔したかといえば、答えは否。セイジュウロウの苛立ちは、劣勢に立たされたことへの八つ当たりに等しかった。 「どうもどうもー。私、一部から鴉天狗とか呼ばれている、風歌院文音と申します」 拡声器から鳴り響く文音のマイクパフォーマンス。小馬鹿にしたその声は、彼の精神を逆撫でにして耳から離れない。 「単刀直入に、貴方からその称号頂きたいと思いますー。ほら、契約書も作ってありますよー」 「小童が! 貴様がその名を名乗るなど片腹痛いのじゃ!」 文音の宣戦布告に烈火のごとく怒り来るった鴉天狗は、それまで追っていた者を放り出して彼女の尻を追い回す。 この老人はカッとなって物事の優先順位を忘れてしまう傾向があった。先ほどヴィンセントを追っていたのがいい例だ。 既にヴィンセントを撃墜したように、頭首という以上は実力こそ確かなのだろう。だが、リベリスタ達の挑発を前に、指揮官としての欠点が顔を出している。 「頭首!」 「御老公、お戻り下さい!」 配下の天狗たちが必死で呼びかける。確かに、個々の能力でもフィクサードはアークのリベリスタを凌駕していた。だが、数の優位をもって攻められては、セイジュウロウという大駒抜きには戦線が成り立たないのだ。 (私にもできること、一生懸命探したい) 味方のやや下方を飛ぶジズ。見上げれば、敵味方の影が入り混じって月の赤に映し出されている。この広い戦場で戦う、多くの仲間の姿が。 「みんなも頑張ってる、よね」 私も、逃げないで頑張る。 一人だからこそ口に出来た、素直な気持ち。まだまだ力不足の私だけど、できることから始めたい。 鈍色の髪が夜風に流れる。とりあえずできること、味方に合わせて魔法の矢を撃ってみた。帰ったら、和菓子を一つ自分に買おう。 「ん、ジズちゃんもいい感じだね」 更に低い位置、水面に程近い高さで戦いの行方を見守るアリステア。ジズの特徴のある杖とツインテールは、距離が離れていてもわかりやすいシルエットを保っている。 「私だって怖いよ……。でも、頑張らなきゃ」 戦闘に加わることの出来ない彼女だったが、広範囲に作用する攻撃から、翼の加護を与える役目の者を離すいう意味では、安全な選択だった。 そうであってさえ、十一の少女には酷な戦場ではあったけれど。 「はい、かけ直したよ、おじさま!」 「おじさま……」 絶句しつつ飛び去っていく阿羅守 蓮二十二歳。そんな彼の後姿を見送って、お兄ちゃんだったかなぁ? とアリステアは小さく首を傾げた。 (失うものなんて特にないし、命だってそんな惜しくない) この狂気の戦争にあっても、若年の子供達は張り詰めきることはなく、周囲を和ませていた。その究極は、この眠そうに宙を漂う少年、都斗だろう。 (こんなに面倒くさいことを起こすなんて、鬱陶しいなぁ) だが彼は――性別すらも不明ではあるが――実年齢は七十を超えた、子供の姿をした老人だ。どこまでも熱のない思考は、年齢のせいか、ただの個性か。 「ほら、ちゃんと傷は塞がったよ。行っておいで」 ありがたい、と言い残し、彼が傷を癒した守羅が前線へと舞い戻る。 「相手が誰であろうと、斬って捨てるだけよ」 太太刀がすれ違いざまに敵を斬り捨て、上空三十メートルに血の華を咲かせる。生来の翼でない以上、動きはどうしても劣るはずだが、据わった度胸がそうは感じさせない。 「敵がいる――その事実だけあれば十分」 新たな相手を求め、彼女は飛行を続ける。 「おのれ! おのれおのれ!」 数を減じていく手下。それが余計にセイジュウロウの思考を熱くしていく。その行く先を塞ぐ、禍々しき黒衣の神父――第零位『愚者』・イスカリオテ。彼の周囲を渦巻く魔力の流れは、既に勢いを増している。 「御機嫌よう鴉天狗の翁。貴方の神秘を蒐集しに参りました」 「意味の判らぬことを! 占!」 じゃらり、掌の中で鳴る占命の筮。引いた一本を鴉天狗は赤い月に掲げ、およそこの世の全ての不幸を塗りこめたかのような呪詛の影をイスカリオテに落とした。 だが次の瞬間、神父の周囲に赤熱の渦が巻き起こる。喉を焼かれ、声にならない呻きを漏らす老人。 「老いましたね翁。王手、飛車取りです」 地面から遥か上空で、かの砂蛇が用いた大技を再現できた理由――黄砂。飛び上がって逃げたセイジュウロウを、周囲のリベリスタが追撃する。 「せっかくの決戦なんだ。暴れてやろうぜ。全開でなっ!」 神父に魔力を供給していたシルキィが、ここは畳み掛けるべき、と飛び掛った。機械の体に女神の衣、手にした杖は歪んだ十字。だが老人を襲うのは、全身から放出したオーラの糸だ。 「贖罪せよ、なんてな。さあ、激しく、もっと激しくいこうぜ!」 ぎり、と締め付け自由を奪う。その彼を、配下の天狗目掛けて放たれた茉莉の火球が巻き添えにして炙った。 「鴉天狗の伝説を、馬鹿にしおって!」 束縛を引きちぎった老人は、懐に手を差し込むと、四方に符を投げつける。それは魔力を幾重にも練り上げたとっておきの符。宙に浮かぶそれらが、老人の奇声と共に現れた光の帯によって繋がれ、夜空に正方形を描く。 「リベリスタども、真の恐怖を知り、末代まで伝えるが良い! 縛鎖結界・大方陣!」 方陣を形作る光の帯が、真っ直ぐ天地に伸びていく。水中から遥か高空まで、光の帯は内外を別の空間に切り離して。 「うわあっ!」 囚われたリベリスタ達が、全身を硬直させた。強大なる呪力が不可視の鎖となって、四肢に絡みつき縛り上げる。多くの者が行動の自由を奪われ――だが、それだけでは終わらない。 呪詛の鎖が、身に満ちた闘志を、トップギアに達したスピードを、万物から魔力を汲み上げるサイクルすら彼らから奪い去る。 そして。 「……翼が……!」 翼無き者達を大空に導いた、小さな白い羽根が溶けて消えていく。自由落下。巻き起こる悲鳴。アリステアが詠唱を始めるが、その手は届かない。 幾人かのリベリスタが、三十メートルの高さから水面に叩きつけられた。それでも、何人かのフライエンジェが落下する者をキャッチし、足場のある所まで運んでいる。 「む、まずいのだぞ」 呪詛を打ち払う光を放ちながらも、雷音は事態の深刻さに気づく。この瞬間、戦闘不能なのは落下した数人だけではない。 受け止めた者も、受け止められた者も、揃って戦列を離れているのだ。 「ははは! 天狗の仕業じゃ! それ、嬲り殺せぃ!」 「――油断大敵だ」 勝ち誇る老人の頭上から降ってきた、クールな呟き。ミストラルはこのチャンスを待っていた。まだ駆け出しの自分だからこそ、一度きりのチャンスを逃さないと決めていた。(初の実戦がこれか――まるで戦争ではないか) 大方陣を止められなかったことに、忸怩たるものはある。だが、嘆くのも反省するのも、全ては後のこと。生き延びて、平穏な生活を取り戻してからのことだ。 「貴様は『悪』だ。ここで朽ち果てろ!」 下降する速度に重力の力を加え、彼女はスピードを上げた。すれ違いざまにその剣が裂いたのは、ただの一撃。だが、それは次へと繋ぐ珠玉の一撃で。 (因縁は皆がしっかりとつけてくれる) 呪縛を逃れていた七海の左腕、ミミズクの翼が大弓の弦を引く。革紐よ磨り切れよとばかりに矢継ぎ早に放っていた彼ではあるが――ここ一番で射る矢はこれしかない。 「勝てないと言われた人達がいる。それでも、仲間を信じているから自分の仕事を果たすことが出来る」 自らの羽根を用いた矢。その鏃を形作るのは、羽根を通して凝縮された魔力と意志。 「伝説を名乗るなど無粋が過ぎます――今、貴方なんかに勝てなくて強くなれる訳がない!」 びん、と弦の音はあまねく戦場に響いて。 「わ、儂が……!」 鴉天狗の額を貫く。その顔に驚愕を貼り付けたまま、セイジュウロウは高い水柱を上げ、水中に没していった。 ●Ripper's Edge/3 「――愉しい闘争だった。これが本当の死線ということか――感謝する」 胸に埋め込まれたナイフ。大太刀が手から離れ、コンクリートの上を転がった。ゆらり、『傭兵』宮部茜は意識を手放して倒れ込む。 満足に動けないほどの重傷を負っていたにも関わらず、それを伏せて死闘に興じた茜。その実力は、しばらくの間シンヤを釘付けにさえしたのだ。 最期の瞬間、彼女が零していた笑みは、生の充実を隠さない。 「フ、フフフ。どうしましたリベリスタ、その程度ですか!」 防衛線を敷く仲間達の尽力により、シンヤへと肉薄したリベリスタ達。だが、彼らは目の当たりにすることとなった。『逸脱する』とは、何を意味するのかを。 「アンタにゃ恨みは無ぇが、ここらが年貢の納め時だぜ!」 ガントレットの指を伸ばせば、放たれるのはオーラの気糸。狄龍の操る、常人には捉えることすら難しいであろう極細の糸を、しかしシンヤはさらりと避けてみせる。 だがそれは狄龍の策。撃って当たればそれでいい単純豪快トリガーハッピーが、友人のために敢えてお膳立てした特等席。 「ほら馬鹿、こだわるんじゃねぇよ!」 「余計なことをっ!」 それでも優希は隙を見逃さない程度には目が利いたから、狄龍に『誘導された』シンヤへと、迷わず掌打を叩き込んだ。 「やったか――?」 「何をですか?」 逆手に突き立てられるリッパーズエッジ。肉を抉り腕の骨に達した血の赤の刃が、容赦なく優希から生命の力を略奪する。 「焔さん!」 青いリボンの少女が駆け寄ろうとして――踏み留まる。穏やかに過ぎる性格の雪菜。だが、この場に立つ以上は、為すべきことを為す決意と覚悟は備えている。 「誰も、犠牲になんてさせません……!」 皆で一緒に帰る。ただそのために、彼女は神聖なる祈りを捧げ、少年達を支え続けるのだ。 彼ら一隊が狙ったのは、エリカを始めとした敵後衛陣を釣り出して、各個撃破していくこと。 だがその目論見は奏功しているとは言い難い。仮に術士が怒りに駆られたとして、わざわざ棒切れを持って殴りに来ることなどないのだから。そして、彼らと敵後衛との間には、最大の敵、後宮・シンヤがいる。 「だが、俺と焔が続けて挑めば、いかにシンヤでも無傷とはいかないだろう!」 燃え盛るほどの闘気をその身と愛剣とに纏い、零児が続く。大振りに叩きつけた一閃が、受け止めた赤いナイフを押し切って、身体ごと弾いた。 「ダチが世話になったんだ……借りは返してもらうぜ!」 賢者の石を巡る戦いで、優希はエリカ率いる部隊――あるいはゴーレム『グランタイザー』――に完膚なきまでに敗北した。そう、彼らはその雪辱を晴らすために、ここにいる。 「いいお友達を沢山持ってるわね、坊や」 シンヤの背後に立つエリカが、含み笑いながらピンヒールをコツ、と鳴らす。途端、彼女の周囲に展開したいくつもの魔法陣が、虹の色彩に瞬いた。 「でも、覚えておきなさい。一円玉を必死に積み上げても、億や兆には届かないのよ」 具現化するのは命を刈り取る収穫の鎌。黒い刃が零児に振り下ろされ、哀れな被害者を滅多切りにしていく。 「――強い信念は、善悪の別を問わず尊いものです」 英美が見据えるのもまた、かつて対峙したチャイナ服の女。有翼の少女を目の前で攫われた記憶は、今も生々しい。 シンヤ一党の力は確かに驚嘆すべきもの。だが、それだけだ、と彼女は思う。 「ですが、所詮あなたは他者の信念を自分のものと勘違いするまがいもの!」 その思いは以前から変わらない。けれど、今なら確信を持って言える。 違う戦場で戦っている、あの生真面目な男が持つ懐中時計は、彼女が持つ父の形見と共に、きっと彼女の思いを守ってくれるから。 「後宮・シンヤ! 外道必罰、父の弓が今宵あなたを討ち果たしましょう――咲き乱れよ木花咲耶!」 弓を目一杯に引き――放つ。驚嘆すべき矢襖が、エリカ達に降り注ぐ。 「アークの結束力を舐めるでないぞ!」 猫の如きしなやかな肢体をゴシックドレスに閉じ込めた少女――防衛線から離脱したレイラインが、何かをシンヤとエリカに向かって投げつけた。それは殺人鬼の信奉者から奪い取った眼鏡。だが、シンヤは鼻で笑ってそれを踏み潰す。 「弱い者に興味はありませんよ」 「ほざいたな、ならばわらわ達はそれ以上ということを教えてやるとするのじゃ!」 削り取るように引っ掻く猫の鉤爪が、消えたかというほどの速さで振るわれ、浅からぬ傷がシンヤに刻まれる。 だが。 「結構! ならば聖女の血を購う前に、貴方がたに今一度教えてあげましょう――力の差というものを!」 「来るよ! 気をつけて!」 かつての戦いで『見た』、悠里の警告。その響きが耳から消えぬうちに、戦場は血煙の舞踏会へと変わる。 シンヤとリッパーズエッジが披露する、軽やかなステップの剣舞。刃の嵐はすぐに血霧の嵐となって、リベリスタ達を飲み込んだ。 レイラインを。零児を。更に多くの者達を。 「行かせはしない――!」 「お前を倒して、エンジェルと楽しいクリスマスを過ごすんだ!」 割って入ろうとした霧也を一撃の下に屠り、殺人舞踏はカルナへと迫る。だが、その前に立ちはだかる少年――悠里。 「カルナ、君は僕が守る!」 「悠里!」 永劫とも思える刹那。 逸脱者の刃は確かに止まった。だが、文字通り身を盾にして圧倒的な暴力に立ち向かった代償は、あまりにも大きい。全身を刻まれた悠里が、血の海に沈む。 ――カルナの目の前で。 だから彼女は祈った。祈らずにはいられなかった。あの時とは違う。今彼女は、ただ自らの意志だけに従って、祈りを捧げているのだ。 「――どうか――」 失いたくない。『何があっても』。 「――大切な――」」 主よ、もしもお聞き届けくださるのなら。 「――力を――」 この身に残った全てを、御身に委ねましょう。 「──大切な仲間を救えるだけの力を……どうか、どうか――!」 そして、『運命』は加速する。 圧倒的な騒音と悲鳴を圧して響いた、『何か』が割れる音。同時に凄まじい突風が吹き荒れ、戦場に満ちる瘴気を洗い流していく。 「これは……!?」 深い傷が綺麗に消え去るとまではいかなくとも、今この瞬間を戦うには不自由のない程度に回復していることに、誰もが驚きを隠せない。 だが、すぐに悠里は一つの答えに辿り着く。 ――『運命の寵愛』。 戦いを忘れ、ハッ、と振り向いた。倒れ伏すカルナ。心臓を鷲掴みにするような恐怖。 「カルナっ!」 「……っ、私は……」 駆け寄った彼が身を揺するのに応え、少女が瞼を開ける。 そう、運命はもう一つのギフトを残していた――シンヤが飲み込んだ『Anathema』を破壊し、収奪されたカルナの運命を解き放つ、という奇跡を。 「く……、まさか、ここで『絶対なる運命の奇跡』が起こるとは……」 腹に手を当てたまま、呆然とするシンヤ。あまりの驚愕に、意識は焦点を結ばず漠として。 「大勢の命を蔑ろにした外道め。痛みをその身に刻み続けろ!」 それを見逃さず、優希が再び突き入れた掌打がシンヤに突き刺さる。蹲るシンヤ。優希からのバトンは、血の色の右目を輝かせた零児に繋がれ――。 「たった一発でいい。俺の全てをぶつけるような、そんな一撃を!」 「シンヤ!」 その前に立ち塞がり、手を一杯に広げたチャイナ服の美女。 ぶん、と振り下ろした必殺の斬撃は、エリカの肩に埋まり、胸を切り裂いて。 「エリカ……!」 倒れ込んだ彼女の身体が、シンヤに受け止められた。エリカ。エリカ。どんな時でも余裕を失わなかったこの男が、焦燥を隠そうとはしない。 そんな情夫の姿に、彼女は、ふ、と微笑みを見せた。 「……シン……ヤ……。貴方は……全てを手に入れて……」 ごぼ、と吐いた血の泡。弛緩する身体。瞼が、閉じられる。 「……アークのリベリスタども」 抱き寄せるシンヤの低い声。纏う空気が、変わった。 「覚悟しろ。『俺』はもう、甘くない」 ●午前二時の黒兎/2 「善罰覿面! 正義は私と共にあり!」 欄干の上に立つアルティが発した閃光が、水面上の敵手を薙ぎ払う。左手に正義の意志を、右手に悪への制裁を。少女の言葉は、勧善懲悪のヒロインそのままに。 「正義は決して屈しないのです! 光を以て焼き尽くされろ、フィクサード!」 「それはどこぞの超大国のようでございますね」 執事然とした燕尾服に白い手袋。淡々と突っ込みを入れるジョンもまた、邪なる者達を浄化する神気溢れる光を重ねた。右目のモノクルがきらりと光る。 「橋の上の連中を狙え!」 そんな後衛陣をフィクサードは見逃さない。生来のものか仮初の姿か、翼を背に広げた一団が、数少ないリベリスタの前衛を飛び越えて橋へと迫った。 「……! 上から三、迎撃をお願いします!」 「まあ、わしばかり休んでいるわけにもいかんしの、どうせ当たりはせんじゃろうが」 三千の警告に応え、義手から飛び出した弓をぎり、と引く。蜂の羽を落とすとまで謳われた与市の矢は、此度も狙い過たず、滑空するフィクサードの羽根を射抜いて。 「誉れ、か……」 日本人形のような少女は、年齢に似合わぬ風情でほろ苦く笑う。 「どこの要塞だよ、あれは」 食い下がるおろちをいなしつつ降り注ぐ支援射撃を見やるソウシは、辟易とした表情を見せていた。 水上の戦いは後宮派の優位に進んでいる。ソウシが皮肉った通り、この戦場に向かったリベリスタ達の大半は、射撃専門の者、あるいは自力での飛行能力を持たない者で占められていた。 それ故に、水上での戦闘に特化した構成のソウシ配下を押し戻すには、戦力が足りない。しかし、橋上から雨霰と降り注ぐ攻撃は、流石のフィクサードも攻めあぐねる密度だ。 「負けないための戦いなんて、趣味じゃないのよねん」 「さっさと全軍突撃してくれたほうが、こっちは楽なんだがなぁ……っと!」 曲刀を素早く左手に持ち替え、不意の一撃。パリィナイフをするりと抜けて、ソウシの刃はおろちの胸へと吸い込まれる。 「……死にそうに痛いわ、惚れそうよ」 ――でも、かわいいコ達には指一本触れさせてあげない。 「此処が所謂正念場だ!」 雷慈慟にも、この戦場の意味は理解できていた。 自分たちが崩れれば、それは橋上で戦う部隊の崩壊に繋がる。それだけは、絶対に避けなければならない。 「君達の力、不敬の輩へ存分に見せ付けてやれ! やれる事がある内は迷うな!」 アークの兵器を片手に弾幕を形成しながらも、彼は味方を鼓舞し続けた。ここを守りきれば我々の勝利だ、と良く通る声を高らかに。 「杏子も出来ることを頑張ります……さぁ、参りましょう」 猫の耳をぴょこんと立てた、ゆるいウェーブの髪がしとやかな少女。いや、『彼』は恋人も居るれっきとした男性だ。 「ええ、行きましょう、私達の力は彼らに遠く及ばないとしても」 その恋人、こちらは正真正銘女性の白蓮が、授けられた翼を背に高く舞いあがる。ナイトメアダウンの悲劇を繰り返してはいけない、その思いを胸にして。 「私は道を切り開く直接的な力にはなれません。しかし勝利へ繋ぐことは出来ます!」 高らかに踊り舞え、漆黒の翼よ。白蓮が放った式の鴉を追って奔る杏子の魔術の矢が、一つに絡み合って黒衣の女を穿つ。 「一気に攻め落とせ!」 対するフィクサードも負けていない。押し切ることができれば彼らの勝ちだ。守護結界を頼りに、多少の傷をものともせずに戦士達は突貫する。 「式鬼は平穏な世界が好きじゃ。混沌に呑まれた世などご免被る」 鬼面で顔の半ばを覆った少女、式鬼。亀甲に蛇の紋を刻んだ短刀に意識を集めれば、彼女の小さな身体を巡る気の力が一点に集う。 「式鬼におぬしらほどの力は無い――戦がただ力のみで決するとは限らぬがの」 低空に羽ばたく彼女が四方に配した符が、共鳴して淡く輝く。縛、と一声、突撃してきたフィクサードが呪縛に身を絡め取られた。 「ボクにはちっぽけな力しかないけど、でもやれるだけやってやる!」 北欧の高峰を思わせる雄大かつ巨大な剣を大上段に構え、ヴァージニアは全力を込めて叩きつける。聖剣が纏うのは、その名に相応しい神聖なるオーラ。 「嫁さんも子供もいるんですよね、私」 童顔ながら生え際の気になるお年頃。よき父親であろう京一の姿は、こんな場でなければ、そして仮面さえなければ微笑ましい。 「だから、平穏無事が何よりなんですよ」 それは押さえ込んだ感情を超える真情か。彼の操る呪詛の鎖が、結界となって敵の足を止める。 「ほいほい、弾幕を途切れさせちゃいかんのじゃ! 敵は待ってはくれぬのじゃよ!」 何枚布団を被っていれば気が済むのか、殆ど埋もれるかのように陣取った翁は、周囲の仲間達の気を活性化させ、『弾切れ』を起こさないよう気を配る。 (あの子は上手くやっておるかのぅ……) シンヤの側近に復讐心を燃やしているらしい赤毛の少年に気を揉む老人に、ガッツリがからかい半分の声をかける。 「あちきにもさくさく欲しいお。回してくれたらお礼にユーのあだ名を『即身仏』にしてやるお」 「爺舐めんな、この野郎!? いいともやったらぁ!」 血管が切れそうなほどに豹変する翁。ごめんおー、と軽やかに笑い、彼女は振り向きざまにダガーを投じた。 一人、また一人、その姿を水面の下に消していく。 「教えといてやるよ、喧嘩ってのはなあ……」 おろちが力尽き、水底に沈んだのは少し前のこと。決死隊を出して敵前衛を突破し、再び敵指揮官への道を開くか、それとも守りを固めるか――。彼らは選択を迫られていた。 交錯する視線。そして、結論を待たずに飛び出した影。 「――ビビった奴の負けなんだよ!」 逆境にこそ血が滾る。炎に包まれた自慢の小手を、フィクサードの男に叩き込む猛。一歩遅れて続いたリセリアが、彼の死角から斬り込もうとした敵の翼人を、捉えきれないハイスピードで翻弄する。 「ここは最後のチャンス、後れを取る訳にはいきません!」 「ああ、その通りだ! 気張れよ、此処が肝心要の正念場だぜ?」 支援役とて、もはや安全地帯に居ようとは思うまい。ラディカルな衣装に山羊の角、夢魔か悪魔かと思しきノアノアが自信たっぷりな笑みを貼り付けて、仮初の翼を背に彼らの後を追う。 「ほらよ、持ってけ」 早くも銃撃を浴びた猛へと与えられる、風と水と森、そして生命の祝福。だが、そんなノアノアの腹を、正確無比に――リベリスタの常識を超えた精度の気糸が貫いた。精神が、抑制を振り切ってぐらりと湧き立つ。 「いいぜ。俺が血を流した分だけ、敵にも流させろ。そうすりゃあ、負ける事はねーぞ!」 「ふふ、もうあちこちに血の花が咲いているのね?」 優雅な姿に見合わぬ酷薄な響き。サディスティックな瞳で眼下を見下ろすティアリアは、彼女を知る者であれば意外に思うほどの可憐な音律に詠唱を乗せ、癒しの業を披露する。 それは、『かつての』彼女の姿を映していたのかもしれないが。 「……三千、今がチャンスよ。そちらからも援護を頂戴」 『はい、わかりましたっ』 通信機能付きのアクセス・ファンタズムを通して届けられた支援要請。橋上の鉄火が、更に増して火を噴き、決死隊の道行を薙ぎ払う。 「意地っ張りな神様、いいから子羊に力を貸してくれ」 「次に生れてくる時はせいぜい幸せになりなさい――Bless You!」 杏樹の矢が、エナーシアの斉射が敵を射抜く。 「そらそら、次々ぶっ放せ──! 息する間を与えるな!」 「そうそう好きにはさせませんよ」 イリアスの雷は、リーゼロットの赤熱する拳銃は弾幕を絶やさない。 「私のこの黒い鎖から逃げられると思ったら、大間違いなんだよ!」 「命張って仲間が助かるなら、欠陥品のアタシくらい安いもんよ」 ウェスティアが放つ四色の魔光が、ジルの透明のダガーが、フィクサードたちを追い詰め――。 「退きなさい、貴方達に用はないわ!」 ミュゼーヌの歩兵銃から放たれた弾丸が、ついにソウシを掠めた。 「でなければ、跪きなさいフィクサード……踏んで、撃ち抜いてあげる」 「用はない、か。舐められたもんだねぇ……あんまりやりたくないんだがな、痛いから」 肩に穿たれた銃創から流れ出る血。ソウシはやはり気の抜けた声色で呟く。 「『午前二時の黒兎(ナイトメア・イン・ザ・ナイト)』の名に於いて――カエサルのものはカエサルに」 次の瞬間。 何の前触れもなく、『リベリスタ達の攻撃が、その持ち主の下へと還された』。 銃弾が、矢が、斬撃が、魔力が、その他ありとあらゆる闘争が。 「うわああっ!」 自らの全力攻撃を浴びたリベリスタ達。既に受けた傷を癒すまでには至らないらしく、猛攻の前に倒れた多くのフィクサード達が蘇ることはなかったが――それだけに、リベリスタ側の被害は尋常ではない。 そして、更なる傷を負ったのはソウシもまた。曲刀の斬撃は、彼の胸を鋭く切り裂いていた。 「痛てぇ……ちっ、お前達の粘り勝ちだよ」 ある者は慌てて治癒に走り、ある者はソウシを仕留めんとするリベリスタ達に、ソウシが投げた意外な言葉。 「見てみな、天狗の爺様は負けたらしい。リョウジの旦那も、どうやら死んだようだしな」 振り向けば、上空から橋上に援護を加える飛行部隊の姿。シンヤやジャックに向かった者達にも、程無く支援が与えられるだろう。 「たとえ俺達がお前達を皆殺しにして助けにいっても、もうこの流れは止められない。うちの大将も、ジャック・ザ・リッパーも、あの数には勝てねぇよ――『塔の魔女』が裏切ったんならな」 好きだったんだけどな、あいつら。そう、サングラスの男は一人ごちて。 「じゃあな、お前らも俺を追っかけてる場合じゃないだろう――ずらかるぞ!」 「待て――」 生き残ったフィクサード達が退いていく。その背中に響く、何発かの銃声。 だが、リベリスタ達はそれ以上追わなかった。それよりも優先すべきことがあると、そう知っていたから。 ――この戦争に、決着をつけよう。 ●クレイジーマリア/EX 「たとえナインが揃わなくとも、俺達は負けないぞ!」 「「「後宮フィクサード、ファイ!」」」 揃いの野球のユニフォーム。場にそぐわない雰囲気を醸し出す五人組が、アーク陣営の背後から迫る。そのさわやかさと汗臭さに、気を削がれるリベリスタ達。 だが、彼らがただのお笑い要員ではないことを、直接戦った仁太は知っている。 「油断大敵ぜよ! 言いたくはないんじゃが、わっしらは一回退いとるきに!」 いまや彼の位置が最前線。暴君が牙を剥き、偉大なる草野球チームに襲い掛かる。だが、怯むことなく銃弾の雨の中を駆け抜ける、チーム一の俊足――『ショート』。 「一塁はもらったぁ!」 手の内の得物を振るう様は、目にも留まらぬスイングのよう。一打、二打、続けざまに放たれたそれが、見覚えのある狐男に喰らいつく。 「我が身は未だ及ばずとしても、この剣に賭けて底力を見せてくれよう!」 次いで迫る『ピッチャー』を迎え撃つジェラルド。全身の気を巡らせた大剣を、骨も砕けよと叩きつける。 一人でも多く。一撃でも多く。戦争は数だと、それが勝利への道だと、そう信じて。 「ははっ、もっと楽しもうぜ!」 血と嘔吐物の臭いが充満する戦場で、奇妙に漂う芥子の煙の香り。魔性の香を全身に纏い、二人の青年は興奮を隠さない。 「あいつらには勿体無いよなぁ、これはよ。何でこれがあって一度負けてるかねぇ?」 魔道書と香炉を両の手に。稲光を降らせるフィクサード・イツキを絡めとらんと仕掛けられた気の糸の罠は、しかしなんらの手応えを術者に与えない。 「俺達が使いこなせばいい。それだけのことだ」 蛮刀を振りかぶるケント。ぶん、と振り下ろすと同時に生まれた真空の刃が宙を奔り――手を広げて立ち塞がる五月の胴を引き裂いた。 「……私はヒーローにはなれません」 女物のドレスの上には甲冑めいた手足の甲。やわらかな黒髪を揺らす彼は、その愛らしいかんばせに似合わぬ凛とした瞳を二人に向ける。 「でも、ヒーローになり得る人達が、外道の許に向かっているんです」 それなら私は、その手助けをしましょう。言い切ると同時に振り抜いた足が、お返しとばかりにカマイタチを生んでケントを斬った。 「大丈夫、皆と一緒なら怖くない。全部出し切ってやりきらなきゃね」 なけなしの勇気を奮い起こし、七はもう一度前に出る。乱戦の中で運命を掴み取ったとき、眼鏡は割れてなくなっていた。 「後ろの皆、頼りにしてるよ。ちゃんと止めて見せるから」 シンヤの技には及ばぬとも、無骨な爪と共に踊るステップは軽やかに、誰のものとも判らない肉を抉っていく。 「……また戦えるなんて思わなかったよ」 そして、銀髪の少女もまたここに。 「今度こそ終わりにするよ。それが、あたしの剣で今できる事だから」 禍ちを斬る刀を、霧香は正眼に構えた。 「頑張れ。あと少しだから。あんたらにはまだ未来がある」 誰も彼もが傷ついていた。既に動ける人数は半数を切っている。戦闘に加わらず、重傷者の搬送に専念していた五十鈴は、息を切らしながらも気を失った味方に肩を貸す。 (重い、な……) 幾度となく思い知らされた。大切なものは、失ったものの価値は、失ってからはじめて気づく。 「今度こそ、手を掴んでみせる……!」 重さによろけそうになり――ぐっ、と堪えて歩き続ける。 「こっち! こっちっスよ! ひいっ!」 梓弓を小脇に抱え必死に手を振る計都は、流れ弾に腰が退けていた。それなりの実力を持つにも関わらずこの調子なのは、生来のビビり癖故か。 それでも、留守番なんてしていられないっス、と参戦した彼女は、この混乱の中で使い魔やテレパスを用い、陣の建て直しを図っている。 「それにしても安全地帯はどこっスかがっでむ!」 安全だったはずの後背は、もう安全ではない。南のシンヤ側と北の増援側、防壁のどちらかが破れれば、それでおしまいだ。 (こんな所で死んでいくのを、黙って見ているなんて出来ない) アークに加わって数ヶ月。その短い時間にあってさえ、牡丹の出会ったリベリスタは皆、気持ちのいい者達ばかりだった。 散らすには惜しい――『からっぽの』自分が、そう思えるほどに。 「負けるなよ。まだ戦わなきゃならないヤツらが居るだろう」 背に負った『仲間』へと、覆面の少年は語りかける。そんな彼らに、南側から切り込んできたフィクサードが迫る。 「ハッ、大人しくくたばってろよ!」 「ちょっと待てよ、お前」 銀の葉には伝統的な紋様。三日月斧を片手に、長身の男がフィクサードを遮った。宿す獣性は草原の猟犬。普段のだらけた雰囲気をかなぐり捨て、ブレスは冴えた殺気を身に纏う。 「舐めるなよ――俺もアークのリベリスタだ、あっさり通れると思うな!」 ブレスの持つポールウェポンは斧頭が極端に重い。故に、力任せに振り上げれば――叩きつける威力は大地を割るほどに強い。 ましてや、細剣如きで受け止められるものか。得物ごと唐竹割りにして、彼は荒い息をついた。 「グーッドイブニーングリベリスタのみんなー! アハハハハハハッ!」 クレイジー、の名に相応しい哄笑が、鋼鉄と肉の戦場音楽を圧して響く。 アーティファクトを、従者を失ってなお、クレイジーマリアの力と経験は圧倒的だ。 他のフィクサードに構わず業火の球を炸裂させ、血の黒鎖を何の隙も作らずに我がものとする。 「反則的な強さだね、でもボク達は負けないよ!」 相手が明確な敵であってさえ、その癖は抜けないのだろうか。見かけだけは子供の九兵衛が、さわやかな口調を演じつぶらな瞳を向ける。 「もっともっと強くなって、まだまだやりたいことがあるんだから!」 胆の中にはどろどろした欲望を抱えつつ、その手甲を炎に包み、九兵衛は拳を突き入れる。それを援護するように射込まれる魔力の一矢。 「誰も、誰も死なせません! わたしの全力を賭けますっ!」 今日のカシスは強気モード、眼鏡を捨てて魔力を編む大角羊の少女は、小手型の魔導具を高く掲げ、高らかに謳う。 「さっさと帰りなさい、じゃないとぶん殴るよ! あたし、肉体言語もイケるんだから!」 「アハハ! アハハハ! 言ってくれルじゃない! 決めた! 決めた! Time to Death! Way to Die!」 リベリスタ達が息を呑む。効いているはずだ。これだけやって――! 「今夜は赤い赤イ月! その月を堕とシてシンヤ様に捧げたら、どんなに楽しイだろうねぇ!?」 「マリアさん! 何度でも言うたる! 自分は間違うとる! せやし――うちはマリアさんに生きとって欲しいんや!」 成銀の制止を振り切って椿が走り寄り、思いのたけを言い募る。その言葉は、確かに一度はマリアに届きかけていたのだけれど――。 「バイバーイ! キャハハハハハハッ!」 夜空を埋め尽くす、夥しい数の魔法陣。歪夜の月光すら掻き消す、黒い閃光。 「……石化かっ!」 その名を『堕天落とし』。死ぬ者も知らぬ者も、多くのリベリスタが四肢を石に変えていく。清浄なる光が次々と放たれ、必死にこの呪いを打ち消そうとはするけれど。 「まだまだイくよー?」 まずい。このままでは、この狂女、クレイジーマリアによって北側が総崩れになってしまう。防がねば。ジャックとシンヤを討つ、あと少しの間! そして。 「鎖蓮・黒、二十五歳厄年! 今ここに、参ります!」 死ぬぞ、と誰かの声がした。 いいのですよ、と彼は微笑んだ。 いいのですよ、ただ一度だけでも、この機械の拳を当てることが出来れば。 「一度も戦ったことのないわたくしなど瞬殺でしょう。それでいい。何か一つでもお役に立ちたい、その一心です!」 ただひたすらに好機を捜し求めた黒。闘気纏うその拳が、迸る雷撃をマリアに注ぎ込む。 「こ……のっ! お望み通り、挽肉にシてあげる!」 振り上げた掌。だがそんな彼女の背中に、突然頭上に現れた大鎌が突き立てられる。 「――本当に思います。出会い方さえ違えばって」 茉莉が、そして『鴉天狗』を仕留めたリベリスタ達が頭上を舞っていた。 「決着をつけましょう、マリアさん」 「告死天使ってワケ? いいわよ、あんタたちなんか纏めてコロしてあげる!」 ●Memories 2007/EX ねぇ、シンヤ。 そろそろ、その『俺』っていうのは卒業しなきゃね。 なんだよ、藪から棒に。 ふふっ。 いいこと? 俺、なんていきがっているのが可愛いのは、子供のうちだけ。 ホストで成功しようと思うなら、『私』って言わないと。 それに、言葉遣いももっと丁寧にしたほうが、客もつくわよ。 私は後宮・シンヤです。ようこそ、お嬢さん。 ハッ、そんな柄かよ。 それに俺は、ホストで終わるつもりはねぇよ。 ……シンヤ。それは……。 剣林のスカウト、俺は受けるつもりだぜ。 わくわくするじゃねぇか。 絶対にのし上がってやる。このナイフで、チャンスを掴むんだ。 なあ、エリカ。お前も来いよ。 俺達二人で、天下取ってやろうぜ。 ……シンヤ……。 しょうがないわね、判ったわ。私も行く。 貴方のために、汚れ役でも何でもしてあげるわよ。 魔性の女、なんてどうかしらね。 馬鹿。お前にそんなことをさせるかよ。 いいのよ。でもね、シンヤ。 一つだけ約束よ。 丁寧な言葉遣いを心がけて、自分のことは『私』って呼ぶこと。 そうしたら、万一芽が出なくても、ここに帰ってこれるじゃない。 ちっ、やっぱり信用してねぇな。 ……はいはい、わかりましたよお嬢さん。 ●Ripper's Edge/4 「シンヤ。無事だったか」 「一葉か……俺が後れをとるとでも?」 悠里の腹を宙に浮き上がるほどに殴りつけたシンヤが、剣呑な目を向ける。『私』ではなく『俺』。決定的な証拠を目にしなくても、一葉はそれだけで理解した。 ――ああ、エリカは死んだのか。 「確か西側の橋だったな。正門の奴らはまだか」 「ああ、手筈通り橋は落としてきた。だが、少なくとも南からは誰も来てないぜ」 チッ、と舌打ち一つ。話している間にもリベリスタにナイフを突き立てながら、ならそっちの『虎』を頼む、とシンヤは身体を入れ替える。 「今度こそここで最後にするっすよ、シンヤ!」 握りこんだブンディ・ダガーを突き入れるジェスター。その刃を、一葉は二本のナイフで受け止める。人使いが荒いな、と面倒くさそうに笑って。 「響。お前達。状況を開始する――あらゆる手を使い、守り切れ」 死ぬ気で生きろ、とは言えなかった。 そう嘯くには『双頭犬』は状況が見えすぎていて、そして彼は既に覚悟を決めている。 ――すまないな、響。どうやらここが、俺達の墓場らしい。 シンヤに近づかせるな。 それは奇妙にも、リベリスタとフィクサード、その両陣営が同時に叫んだことだった。 かたや、シンヤを守り抜くため。 かたや、シンヤを孤立させるため。 (……エリカちゃん、あなたは) それは淑女というにはあまりにも異様だった。赤錆びた戦斧、だがマリアムは、それが持つ『呪い』こそ、自らに相応しいとさえ看做していた。 (私は確かに、お嬢ちゃんと呼ばれる位の恋しかしなかった) しなかった、というのは自罰的に過ぎるのかもしれない。失われてしまったものが、全て彼女のせいだとでもいうのか。 それでも、できなかった、と息をつくくらいには、彼女は立ち直るだけの十分な時間を過ごしている。 (でも、私の愛は誰よりも深かったと――そう、自信を持って言えるわ) だから。 「だから判る。エリカちゃんも愛していたのね、あなたが思うよりもずっと――」 そして、シンヤちゃんが思うよりもずっと。 「絶対、絶対……皆で帰るんです!」 雪菜をはじめとした支援部隊は、尽きそうな気力を振り絞り、無理やりに周囲からマナを汲み上げて戦士たちを支え続けている。 「妾は戦える! 妾は、まだ……っ!」 隙を突かれ背後から致命的な一撃を受けた玲。だが、彼女は諦めない。そして、その諦めないという意思こそが、運命の祝福を受ける資格となる。 「フィクサードども、この『緋月の幻影』の前に、黙ってやられい!」 黄色いリボンに赤いスカートを翻し、片端から引鉄を引き続ける。――偶には無茶をしてみるものじゃよ、まったく。 「……負けるつもりはない、一気に押し切るぞ!」 拓真の咆哮に、意気軒昂たるリベリスタ達。誰ともなく、喚声が巻き起こる。 「楽しい戦いは大好物っすよ。でも今はそれどころじゃないっす!」 「ああそうかい、奇遇だが俺もそれどころじゃないんでね」 瞬間、ジェスターは『双頭犬』紬一葉の双刃を見失う。速い、という形容を超えて彼に食らいつく双頭犬の牙。強靭なる顎が喰いちぎり、そして。 「もう、俺しかいないんだよ。あいつの隣で戦ってやれるのはな」 双頭であるが故に牙は二対。都合四度切り裂かれた痛みは、ジェスターの意識を刈り取るのに十分で。 「やらせはせんよ!」 無明が突きかけた稲妻走る剣は、しかし一葉のパートナー、御社響の手によって弾かれる。 「『ここ』は一葉の戦場です。邪魔はさせません」 ああ、彼女の口調は、まるで『虎』が立ち上がることを予言したかのよう。 判っている。判っている。この場に留まって戦うなど愚かしい。彼女の忠誠はシンヤよりむしろ、双頭犬の側にあるのだから。 「ならば私も守ってみせよう。私が進むべき道を照らしてみせよう!」 軍服めいた装い、そのマントを翻し、無明は大きく振りかぶった得物を迷いなく振り切る。 「……そういうことっす。無理にだって押し通るっすよ」 運命の加護を脱ぎ捨てて、ジェスターは立ち上がる。既に気力も尽きかけていたが、それでも刃の速度は鈍らない。ざくり抉った一葉の腕の傷から流れ込む、蠍の猛毒。 ぶつかり合うのは意地と意地。させるか、と呟いた一葉に、背を預けた響が含み笑った。 「私としては異論もありますが……もう、いいです」 「――響」 迫る破滅の足音を聞きながら、二人は最期の言葉を交わす。 「ぐっいぶにんシンヤ君。今夜の僕は一味違うぜ。言わば、すーぱー人間失格!」 諧謔ぶりに磨きをかけ、りりすの刃はより一層捻じくれて牙を剥く。ちらり視線を飛ばしたシンヤに、過去の対峙ほどの余裕はないけれど。 「舐めるなよ。ダメさ加減が五割増しさ! あとナイフよこせ」 「洒落臭い!」 血の色のナイフが彼女の刃を受け止める。だが左側、彼の死角から跳ねるように突っ込んでくる大きな兎耳。 「シンヤ、てめぇの失敗はぼくの友達を傷つけたことだ!」 シンヤすら上回る速度で一気に飛び込んだ光の一撃が、シンヤの左腕を切り裂いた。 「ここで全てに決着をつける!」 相棒たる桐が続く。 ――一人で勝つ必要は無い。一人で勝てないなら皆で勝てばいい。 「虐げた人達の痛みを感じるがいい!」 手に握る質量を、潰さんとばかりに振りぬいた。愛剣が纏う雷は、桐が全てを賭けて戦いに挑む、その意志に等しい。 彼らはシンヤの直衛を撃破し辿り着いた者達。りりすをこの場に送り届けるため、運命の欠片すら投げ捨てて、最前線の鉄火場へと身を投じた者達。 彼らは、シンヤのナイフに執着を燃やすりりすを知っている。 彼らは、りりすが本当に欲しいものはナイフではないと知っている。 「お手伝いするですよ、りりすさん~」 大アルカナ二十二に、小アルカナが五十六。足して七十八の魔符が奏音の周囲を浮遊して巡る。ざわり、浮き上がる銀の髪。緩い雰囲気に見合わぬ魔力が火花を散らす。 「ようかいないふおいてけー!」 凝縮された神気が、光の矢になって逸脱した男に吸い込まれ、爆ぜる。 「貴様らがどうあがこうと、もう遅い。ジャック様は新世界の神となる!」 フィクサードが櫛の歯を欠くように数を減らしていることを、冷静な側のシンヤは知っている。しかし、そう叫ばせるのもまたシンヤ。 ――ジャックの最側近たる、『Ripper's Edge』後宮・シンヤだ。 「この俺を甘く見るなぁっ!」 荒れ狂う殺意。血煙の中を泳ぐ、なお深い赤のナイフ。 「ジャック・ザ・リッパーの刃は、奴の手にある」 北斗七星の銃身が、弾丸を寄り代に瑠琵の呪力を編む。空に向けて一射。降り注ぐのは、全てを凍らせる氷の雨。 「シンヤ、お主は刃では無い――」 だが、『逸脱した』彼を魔氷如きでは止められない。凍結した地面を踏み砕くシンヤ。それを予想していたかのように、低く笑う瑠琵。 「――唯の狗、唯の端役じゃ」 「好き放題してきたんだ、そろそろ潮時って奴じゃないのかね?」 三白眼が、にぃ、と細められた。強敵を。逆境を。音羽の胸に書き殴られた反逆の二文字――それは、決まりきった運命というものへの挑戦。 「自分の運命は自分で開くもんだ。他人に夢見るもんじゃないぜ」 矢継ぎ早に繰り出される四色の魔光。小手先は目の前の男には通用しない。今はただ、純然たる破壊の力として叩きつけた。 「貴方の憧憬も、所詮彼の伝説という妄想に酔っただけでしょー?」 癒しの歌を奏でるアゼル。だって人は空想・妄想の類に恐怖するんだから、と邪気なくまくし立てる彼を、万葉が身体で隠す。 「逸脱。興味は尽きませんが……そうも無様であれば何の意味もありません」 薄く笑った彼の放つ気糸は、狙いを外さずシンヤを貫く。 「君が失った『運命』は、冥府に持って行って良いものじゃなかった。在るべきところに戻ったんだ」 きしし、と笑う声は、しかし陰鬱な影を感じさせない。歪夜の月のような紅玉の瞳を見開いて、アンデッタは遥か砂塵の地の符を鴉へと変えた。 「死者の魂を運ぶ鳥よ、あの者の猛る魂を引き出せ!」 一声鳴いて飛び立った大烏は、くるり宙を返ったかと思うと、シンヤの腹へと鋭い嘴を突き入れる。 「さあ、君の望むものをお墓に供えてあげる。命乞いは駄目だけどね」 次々と突き刺さる攻撃の数々。一人が止められても、他が死角から、遠距離から持てる全ての火力を注ぐのだ。 一度は膝を突くシンヤ――しかし、再び立ち上がる。立ち上がってみせる。 「お前達には判らないだろう! だが俺は知っている! 輝かしき血の伝説を!」 「痴れ者が!」 シンヤの為に散っていったフィクサードの顔を、何人かは覚えている。 瑠琵の反駁。 それは、幾度もの戦いで血を流し、血を流させた彼女だからこそ。 「主役に心奪われ、自ら尻尾を振った狗め」 お主を慕う者達にとって、伝説はお主だったことに気がつかなかったか! 「それでも! バロックナイトは! ジャック様は! 俺は――止まれない!」 生命を啜るナイフが怪しく輝く。吹き荒れる血風。主が余裕をかなぐり捨てた今となっても、舞踏会は続くのだ。全身を傷に塗れさせ、次々と脱落していくリベリスタ。 誰のために戦うのか。 何のために戦うのか。 そんな理想も理屈もどこかに投げ捨てて、死の刃は戦士達を屠っていく。 「すっごく気に入らないよ、それ!」 光の大剣が、一度はシンヤのナイフを弾く。しかし、彼の舞踏は、彼のナイフはそんなことでは止まらない。切っ先が、彼女の豊かな胸に吸い込まれる。 「起これよ奇跡!」 剣を捨て、シンヤの腕ごと掴みにかかる。しかしまだだ。まだ足りない。血の刃が柔らかな肉を真横に切り裂いて。 ――ハハッ、そうか。 不意に気づく。 ――いつだって人間は、自分の足で未来へ行くものなのに。 いつからぼく達リベリスタは、奇跡を待ち望むようになったのか。 ――世界は優しくない。だから、ぼくは優しくありたいよ。 「やっぱり、運や奇跡に頼るなんてことはしないよ! 対価が必要なら持っていきな!」 離れようとしたナイフを、もう一度身体で受け止める。胸の奥で暴れる刃。抱きかかえるようにシンヤの腕に喰らいつき、光は友を呼んだ。 「働け……働け駄ニートぉ!」 ごほり、血を吐いた。彼女のコスチュームが、シンヤの元は白いスーツが、どす黒い血に浸っていく。 奇跡なんて起こらない。奇跡なんて起こらない。全てを燃やし尽くすまで、あと少し。 それでも彼女は手を離さない。 それでも彼女は視線を外さない。 シンヤの肩越しに迫る、彼女の悪友から。 「言っただろう? 勝つ時は小狡く勝って、負ける時は浅ましく負けるって」 捻じくれて螺旋くれて螺子くれた、一振りの刃。 友と目を合わせる。笑っていた。 ああ、そうだ。死線において必要なのはノリさ。 判っているじゃないか、駄兎。 馬鹿は死んでも治らない。 僕は死んでも変われない。 「思い知らされて生きてきた。今更だよ。何もかも」 掌に握り締めたヨゴレザメのエゴが、背後からシンヤの首筋に叩きつけられる。 喉を貫く刃。奪われた声。それでも、男は何事かを呟いて。 それきり、折り重なって倒れた二人は運命を手放した。 それが、この赤い夜の一つの顛末だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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