ジャリッ。
砂を噛んだような気がした。
見渡す限り廃墟が続く。
今は夜のはずなのに、地平線の彼方までぼんやりと見ることができる。
熱気。悪臭。そしてのたうち回る影。
そこは地獄だった。
「これが君の運命だ、岡部倫太郎」
後ろで声がした。
「どういうことだ、インキュベーター」
岡部は振り返ると、かすれた声で問い返した。
「どうもこうもない。これが君の行動の結果だ。第三次世界大戦が勃発したのはすべて君の責任だよ」
岡部は声もなくインキュベーターを睨みつける。
インキュベーター。
それは魔法少女のマスコットのような容姿をしている。
彼はどこからともなくやってきて、これからの未来を告げた。
あくまで予測に過ぎないと言いながらも。
第三次世界大戦が起こる、君の開発したタイムマシンによって。
同時に世界の真実の形も教えられた。
彼は言った。
世界は崩壊に向かっているということ。
それを食い止めているのは僕達であるということ。
方法として少女の魂を犠牲にしているということ。
その少女の魂に絶望を与えてエネルギーに変えているということ。
そのすべてが岡部には信じられない事だった。
しかし、世界はインキュベーターの予言したように進んだ。
クリスを助けるための計画に必要だったタイムマシンの開発と成功。
岡部は時を移動する危険性を実感していたので世間には公表しなかった。
にも関わらず、ひた隠しにしていたはずの技術の分散。
各国でのタイムマシン開発競争。
疑心暗鬼からなる国際情勢の緊張、そして開戦。
小さな国の小競り合いではなく、初めから核兵器を有する大国同士のいがみ合いだった。
世界情勢は、すぐさま核戦争になるのは誰もが予想出来る状況になり、どこかの国が核を使ってから世界が廃墟になるのに一週間も必要なかった。
両者の間にあった沈黙を破ったのはインキュベーターだった。
「何もかも、僕のいう通りだっただろう。さあ、どうするんだい」
インキュベーターは告げた。まるでやっとこのセリフが言えたとでも言うように。
「これが俺の行動の結果なんだな」
岡部は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「そのとおり」
律儀に答えるインキュベーター。
「契約すれば、この結末を変えられるんだな」
「そのとおり」
ならば、と岡部は黙りこみ、そして、決断する。
「いいだろう、俺はこれから鳳凰院凶真だ。世界を壊し、世界を変える男だ。さあ。俺と契約しろ、インキュベーター。聖杯を手に入れてやる」
1.「喜べ、そなたは運命を変える権利を得た」
思い出話をしよう。
あれは僕こと阿良々木暦が、最愛の人、ひたぎを三途の川に見送ってから五十年は過ぎたあたりだと思う。
浮気したら殺すわよ、と言われていたので浮気はしていない、はず。
実際、僕の周りには女性どうこうという話はさらさらなく、世界を渡り歩いていた。
吸血鬼に近い存在になってしまった僕は、いつ死ねるかもわからないのだが、最後まで生きることを君は許してくれた。
いつまでかかっても構わない。そのかわり、僕の見たこと感じたことをたくさん話してくれといっていた。
出会った当時に比べてだいぶ丸くなったんだなぁと今更ながらに思う。
ちなみにその時は、忍と絶賛喧嘩中で影の中にはいない。
というか、忍はすでに僕の中にいる必要は皆無なので、気が向いたら勝手に会いに来る。
なんて勝手なやつだ。
それはそうとこの神社は懐かしい。
ここから忍と過去に飛んだんだっけ。
僕はとある朽ちた神社で魔方陣を書いていた。
世界のあちこちを飛び回るうちに(そう、文字通り飛び回るうちに)ふと時間を渡ってみたいと思ってしまったのだ。
何かに惹かれるように、何かに誘われるかのように。
何かがあったら忍を目印にして帰ればいいと気楽に。
僕は何の抵抗も覚えずに時間を渡ってしまった。
時間を超えた時、はじめに感じたのは強烈な臭いだった。
焼肉屋で覚えのあるような、それでいて食欲の全くわかない臭いは戦場で嗅いだ臭いだった。
次に気になったのが闇だった。
あたり一面が草木も眠る丑三つ時。
何一つ、それこそ草木の呼吸音さえ聞こえない。
そして月が出ていない、星が夜道を照らす新月の闇だった。
文明社会の世の中のどこにこんな世界があるだろうか。
僕は時渡に失敗したと直感した。
少なくとも僕の元いた時間よりもはるかに未来か、過去かに来てしまった、と。
でも、僕はこれっぽっちも悲観しなかった。
と言うより出来なかった。
吸血鬼の、しかも最凶にして冷徹なキスショットの眷属になって、僕に敵はいない、世の中の仕組みを知ったと勘違いしていたからだ。
自己分析もできないくらいに、慢心していた。
この時早くに絶望していたら、わずかでも危機を感じていたら、ほんの少しは運命を変えられたかもしれないと考えると、ちょっともったいなかったなぁと思う。
くらいなぁここどこだよ面白いなぁと気楽に歩いていると暗闇の中から声がした。
「うぬよ」
だから
「うぬよ、うぬよ。こっちじゃ」
だから、そんなに呼ばれても俺は人間じゃなくて……え。
すごく懐かし呼ばれ方をした。
されてしまった。
つい、反応してしまった。
慌てて声のした暗闇の方に注意を向ける。
そこはやっぱり黒く塗りつぶされていたが、よく見るとうっすらと、本当にかすかに。
星の光を受けて、女性の金髪が光り輝いていた。
二十歳前後だろうか。
素人目にも高級なゴシックドレスを着ていて、でもそれは下手をすると雑巾よりもぼろぼろに汚れて、破けていて。
そんな女性がアスファルトの地面に、疲労困憊といった様子で、座り込んでいた。
座り込んでいた、というのもあまりいい表現ではないかもしれない。
なぜなら彼女は、彼女の四肢を持ち合わせておらず、座るという動作が出来なかったからだ。
肩からざっくり、足の付根からざっくり。
きれいに切り取られていた。
そんな体で、彼女は鋭く冷たい視線で僕を威嚇するかのように睨みつけていた。
「うぬよ」
まるで前に経験したことのある状況だった。
「うぬよ、血をくれ」
初めてあったのにこの高慢な態度。
「キスショット、なのか……」
僕は信じられなかった。
「なんじゃ、わしを知っておるのか。いかにも。我が名はキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。最強にして最凶にして最恐の吸血鬼じゃ。」
こんな状況、普通じゃない。
初対面で、この状況で、この態度。
普通の人間だったら尻尾を巻いて逃げ出すに決まってる。
あ、今僕自分を普通じゃないって認めてしまった……。
「そこな人間、わしを知っておるのじゃろう、早く血をよこせ。わしを助ける権利を与えてやる」
あの時の僕は気が付かなかったが、彼女は精一杯虚勢をはっていた。
さして寒いわけでもないのに、体が震えていたんだから。
彼女は助けを求めるときでも、高慢な態度を取るしかなかったんだろう。
自分が自分で在り続けるためには。
僕は黙って彼女の前に膝を付くと彼女の口元に首を差し出した。
彼女は驚きの声を上げる。
「おぬし、死ぬ気か」
あまりにも意外だったのだろう。
馬鹿な事をするなと思いとどまらせるように聞こえた。
自分で望んだことにもかかわらず、だ。
「いいよ、僕はこういう役回りなんだ。それに君は今にも死にそうな顔をしている。僕は君の力になりたい」
それに君なら大丈夫だ信用できる、とは恥ずかしから言わない。
「……」
彼女はしばらく考え込んだあと、
「ありがとう、いただきます」
といって僕の首筋にあーんと噛み付いた。
とても大事そうに、血の一滴もこぼさないように静かに血を吸い始めた。
僕の意識は眠りに引き込まれていった。
やっぱり生きていた。
目を覚ましたとき、僕は壁にもたれかかりながら眠っていた。
そして幼……、忍が僕に寄りかかりながら眠っていた。
いや、まだキスショットなのか。
年齢は十歳くらいかな。
ふにゃふにゃのほっぺた。
綺麗な、身長くらいある長い髪。
幸せそうに眠っている。
口から八重歯がちょこんとはみ出している。
そしてもちもちっとしたほお。
またこんなに小さくなって、可愛いてなんのって。
乳繰り回したくなる。
襲いたくなる。
でも僕は大人なんだ、状況の把握が優先だ、と自分に喝をいれる。
ここはどこだろう。
昔だったら自分の部屋じゃない、なんて言っていたかもしれないけれど、五十年の月日は伊達じゃなかった。
現実から逃避していない。
予定調和だ。
ここにはキスショットが連れてきてくれたであろう。
一般に廃墟といってまず問題ないと思う。
部屋の蛍光灯はすべて死んでいたし、非常口の白い人の下半身がなかった。
窓ガラスもすべて割れていて、そこからツタが侵入しているから、少なくとも人が普段住んでいる様子ではない。
僕は立ち上がろうとしたが、キスショットがまだ僕に寄りかかっているのを思い出した。
「おい、そろそろ起きろ」
ほっぺたをつんつんする。
「うぅ、あと五分……」
やべぇ無茶苦茶かわいい。
もっとつんつんする。
「ごめんなさい、わしが悪かった、ぐすん」
なんだかすごい罪悪感に襲われた。
よし。
気持ちを切り替える。
まだ起きないキスショットを横たえると僕は立ち上がった。
一日中眠っていたのだろうか。
腕時計を確認したところ七時半だった。
これだけじゃはっきりとした時間がわからない。
壊れた窓から光が入ってきていないので夜だろうが。
僕は足音を立てないようにドアから出ていこうとする。
「なんじゃ、起きておったかぬし様よ。えらく早起きじゃな」
僕の背後から声がした。
「なんだ、起きてたのか」
「うむ、命の恩人がおるそばで寝坊をするはずがなかろうて。それと、忠告をせねばならんかったからな。間違っても太陽の光を浴びるなよ。ぬしは吸血鬼になったのじゃからな」
きゅうけつきになったって……。
「うむ」
彼女は頷いた。
そして腕を組んで偉そうに胸をはり、高らかと宣言した。
「われはキスショット・アセロラロリオン・ハートアンダーブレード。ハートアンダーブレードと呼ぶが良い。そしてうぬはその眷属になったのだ。喜べ、うぬは運命を変える権利を得た」
僕は違和感を感じた。
その違和感はこの世界に来た時すぐに気付くこどが出来たのに、いまさらになってやっと感じた。
「ちょっと待て、吸血鬼になったってどういうことだ」
「わからん奴じゃな、わしの名前も知っておったというのに。吸血鬼に血を吸われるということは、吸血鬼になるということじゃ」
駄目だ、全然話が噛み合っていない。
僕が言いたいのはそんな事じゃない。
「違う、そうじゃない。僕は元から吸血鬼だったはずだ」
僕がそう言うと、彼女は心底不思議そうな顔をした。
「何バカのことを言っておる。うぬは正真正銘、普通の人間じゃ。五百年人の血を飲み続けていたわしが言うんじゃ、間違いない。まあうぬの血はわし好みではあったがな」
僕は言葉が出なかった。
何のことはない。
時を渡ったときすでに、僕は闇のなかでモノが見えなかった。
忍とのラインを感じられなかった。
吸血鬼としての力を失っていたのだ。
このままでは、元の世界を見つけることができない。
僕のひたぎのいた世界線に帰れない。
僕の沈黙を、吸血鬼になったショックと勘違いしたのか、キスショットはニンマリと笑ってこういった。
「ようこそ、夜の世界へ」
「……っ」
僕は吸血鬼の何たるかを、少なくとも五十年分は知っている。
影が出来るかどうかなど些細な事だし、生きるために何が必要かも知っている。
それよりも、これからどうするかが重要だった。
「ここは……どこなんだ」
僕はパニックを抑えるために、彼女に当たり障りのない質問をした。
「む」
彼女は身長ほどもある金髪を翻しながら吸血鬼は言う。
「ここはどこだろうな。わしにもわからん。この世界がこんなことになってからだいぶたったからな。今は廃墟といって差支えのない建物の二階じゃよ」
「そうか……塾あとじゃないんだな」
「塾あと、なんじゃその『塾』とやらは」
廃墟、か。
あの学習塾あとでないことがわかってしまった。
やっぱり都合よくはいかない。
「次の質問、さっきの運命を変える権利ってなんだ。やっぱり吸血鬼ってそんなにすごいのか」
吸血鬼については十分に知っているつもりだが、そんな質問でもしないと僕は殺到してしまうだろう。
だが、キスショットの答えは予想の斜め上をいっていた。
「吸血鬼の力はたしかにすごい。しかし、それだけじゃ。運命をどうこうするだけの力などありはせん。わしの言いたいことはそうじゃない。もっと偉大な力じゃ」
「偉大な、なんだって」
「力じゃ。それを『手に入れる』権利を得たじゃよ。……どうやら気の早い連中がもう始めたようじゃ。うん、うぬは何もわかっていなさそうだから実物を見たほうが良かろう。ついてこい、アレを見せてやる」
そう言うと彼女はすたすたと部屋を出ていく。
慌てて追いかける僕。
彼女は階段を登っていた。
どうやら屋上にようがあるらしい。
階段の終点はビルの四階だった。
そこでキスショットは僕に屋根を突き破って登るように言った。
僕が吸血鬼の力をつかこなしているのをみて彼女はしきりに不思議がっていた。
吹きさらしの屋上はなかなかにぼろぼろだったが、外の景色は改めてすごかった。
元はビルの密集する都会だったのだと推測できる。
でも今、そこはビル群の原型を保っていなかった。
どのビルも途中で途切れたり、傾いたり。
あまりにも僕の知る世界とはかけ離れていた。
キスショットはしばらく何かを探しているようだったが、しばらくするとおもむろ
にビルの合間を指さした。
「アレじゃ、アレが見えるかうぬよ。あれが、力を手にいれる、儀式じゃ」
「お……おい、なんだ、何がどうなってやがる」
彼女の指さしたところでは、ときどきチカチカ光っていた。
吸血鬼の視力をもって初めて見れる距離。
そこで信じられない力を持った者どうしが、ぶつかり合っていた。
どちらも女性。
片方は剣、片方は槍、いや、杖を振り回している。
どちらも技量が普通じゃなかった。
それらは全盛期の忍か、それ以上の力を持っていると直感した。
そして杖を持っている女性は、女の子を庇いながら戦っているようだった。
ちょうど、今のキスショットとと同じ年頃の女の子を。
「可哀想に。あんな年頃の子どもまでが殺し合いに参加しているとはな。世は非常じゃな」
「殺し合いだって。あんな子どもまでが、殺し合いに参加しているだと。どういうことだ、説明しろ、キスショット」
僕は、現状が理解できなかった。
殺し合い、殺し合いだって。
「だから、アレは儀式なんじゃ。聖杯といってな、絶対の力を持つ道具を作るとともに、誰が手に入れるかを決める儀式じゃ。七人のマスターと七人の英霊が集まり、聖杯をめぐって殺し合いを行う、儀式じゃ」
「そんな、殺し合いだなんて。あんな子どもまでが。それと、僕がどう関係するんだ」
嫌な予感がした。
今までで一番危機を感じた。
「どうってわからん奴じゃな。うぬもアレに参加する権利を得たのじゃよ」
そしてキスショットは今までにないほど丁寧に、僕に向かってお辞儀をしてみせた。
「改めて自己紹介をしよう。われはキスショット・アセロラロリオン・ハートアンダーブレード。最強にして最凶にして最恐の吸血鬼。そして、こたびの聖杯戦争ではアサシンのクラスを拝命している。うぬよ、いや『ぬし様』よ。ご命令を何なりと」
そう言って彼女は、冷徹に、笑った。