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[29749] さようなら竜生 こんにちは人生(竜→人間転生 R-15 モンスター娘ハーレム 異世界ファンタジー)
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/11/20 13:57
性的、暴力的表現があります。そう言った描写に抵抗のある方は読み進めるうえでご注意ください。

さようなら竜生 こんにちは人生

 月の美しい夜だ、と私は空を見上げながら思った。思い返せばこの様に落ち着いた心持で空を見上げた事も久しい。
 空を仰ぎ見る視線を下げれば、不躾に私の住まいに足を踏み入れた人間達の姿が映る。
 私を討とうと言うには数は少なく、七人ほど。怪物を討つには千人の兵士よりも一人の英雄の方が相応しいが、この七人はいずれも間違いなく歴史に名を残す英雄であるだろう。
 私は人間達の先頭に立つ青年を見つめ、口を開いた。同時に血の味が口の中に広がり、溢れた血が私の口から滴り落ちて硬い地面に赤い血だまりをいくつも作る。
ほう、血の味など久しぶりに味わう。その事が、奇妙に嬉しかった。なにかを感じると言う事それじたいが私にとっては久しぶりのことなのだ。

「私の記憶に在る限り、私はひさしく人を襲った事はなかった筈だ。むしろ人の味方をした事もあったと思うのだが、これはいかなる理由あっての所業か?」

 私の心臓を貫いたばかりの剣を握る青年――世界でもっとも名の知られた勇者は、英雄譚で語り継がれるのに相応しい美貌に苦悩の色を浮かべる。私を討つ事は彼の本意ではないようだ。
 ならば勇者に命令する事の出来る立場の人間、聖神教の法王か王国の国王あたりであろう。繁栄の極みに在る人間達にとっては、私の様な存在は目の上のたんこぶと言う奴には違いあるまい。

「わざわざ討伐などせずとも出て行けと言えば出て行くものを。勇者よ、そなたの手に在る剣を作る為に一体どれだけのオリハルコンとマナを用いたのだ。それを作る為の時間と労力があれば、腹を空かせた子らをどれだけ救えたかと考えた事はないのか?」

 はっきり言って嫌味であり、嫌み以外の何ものでもない嫌みである。何度か面識はあったし、共闘した縁もって勇者とその仲間達が基本的に善良な心根の主である事を、私は知っている。
 その様な人間なら、こう言った物言いの方が堪えよう。わが命を奪うのだ、この程度の嫌みを言う権利くらいはあるだろう? 
 ふむ、ずいぶんと瞼が重くなってきた。戦闘開始当初に勇者の仲間の魔法使いが展開した生命力を吸収する魔法の影響と、心臓を貫いた勇者の竜殺しの剣の一撃によるものだ。
 やれやれカビの生えた古臭い生き物を一匹殺す為だけに、よくもこれだけ手の込んだ事をするものだ、と私は正直呆れていた。

「心せよ、勇者よ、その仲間たちよ。人の心は尊く美しい。人の心は卑しく醜い。いや、やはりそなたらはいまだ人と獣の間、人間よな。役に立たぬとなれば私の様にそなたらも排斥されよう。一度は肩を並べたそなたらの事、私の様な結末を迎えるとあっては心苦しい。死に行く老竜の最後の忠告。しかと聞き入れよ、小さき友たちよ」

 芝居がかった物言いはあまり得意ではないが、それなりに小さき友たちにとって耳と心に痛みを感じたようで、後悔と罪悪の念を大小の差はあれ浮かべている。まあ、これ位で許してしんぜよう。
 同胞もめっきりと数を減らしてしまい顔見知りもいなくなり、話し相手にも事欠いていたし、いささか長生きをするのにも退屈を感じていたのだ。こんなに美しい月の下で死ぬのなら、それも悪くはあるまい。心穏やかに逝けるのは間違いないのだから。

「ふむ」

 私は最後にひとつそう零して、瞼を閉じた。神代から生きた古神竜の最後にしてはいささか呆気ないものだろうが、世界に一頭くらいはそんな竜が居ても良いと私は思う。永遠の眠りには安らぎと充足感があった。
 これなら、ま、よかろう。我ながら風変わりな竜だと思うが、少なくともこの時私は私の生の終わりに不満はなかったのである。ああ、死神どもよ恙無く私の魂を安息の内に冥府の底へと運ぶが良い。さもなくば我が吐息で冥府を灰燼に帰してしまうぞ。



「ふむ」

 と私は呟いた。どうという事の無い大陸のどこでも見られるような草原の一角である。冬の冷たさが消えぬくみを帯び始めた春の風が、私の膝まで伸びた草原を揺らし、私はさながら緑の海の中に立ちつくしているかのようであった。
 風の中にはほのかだが花の香りも混じっている。いくつか摘んで帰ろうか。我が子からの贈り物とあれば、母も喜んでくれよう。
 私はそんな考えに至り、足元に生えていた薬草の一種であるヒールグラスとその向こうに生えていた小さな白い花を摘んで小脇に抱えていた籠に入れた。
 既に笊にはヒールグラスと食用の苔が山と盛られている。これだけあれば本日の収穫は十分であろう。父母も文句は言うまい。
 ふむ、とこればかりは治らぬ口癖を一つ零し、私がかすかな自己満足に浸って自尊心を満たしていると、背後から小さな足音と私を呼ぶ声が聞こえてきた。

「ドラン、そろそろ帰りましょうよ」

「ふむ、確かに村に戻らねば収穫の結果に依らず怒られかぬな」

 振り返った私の瞳には、赤いくせ毛を背の中ほどまで伸ばした私の幼馴染アイリの姿が移る。擦り切れた布のブラウスとスカート、肩からはかごを下げいかにも辺境の村民といった格好をしている。
 だが私に向けられた笑顔は太陽の様に明るく、頬の辺りのそばかすとかいうヤツがアイリの愛橋に一役買っている。人間の美醜は細かい所は良く分からないのだが、幼馴染という関係でもあるし、世話にもなっているので可愛い女の子であると言っておこう。
 私もアイリも大陸の辺境にある小さなベルン村の子供である。ただの子供ではない。人間の子供である。そう人間である。
 運命を司る三女神の悪戯によるものか――あいつらめ、悪神に尻を追いかけ回されて、乳房を舐めまわされて、耳穴に舌をねじ込まれていた所を助けてやったと言うのに実は愉しんでいて、その時の事を根に持っていたのか?――大陸最強種である竜だった私は、龍種と比べれば非力ながらも、危うい均衡の上で大陸に繁栄している人間種に生まれ変わったのである。

 私は勇者の手によって殺された時、習得していた転生の術を発動させてはいないのでこの度の転生は私以外の誰がしかの意思によるものである。
 実はさきほど三女神云々とは言ったが真相は三女神の悪戯でも何でもなく、私が人間に生まれ変わった理由についても私がまだ赤子であった内に大体の察しは付いている。
 竜としての私が死んだ最後の戦いの時、私を強制的に転生させる魔法が使用されていたのであろう。
 私の肉体は滅びたが、物理的にも霊的にも最強である竜種の私の魂を滅ぼしきる確たる算段が立たなかったのか、勇者達あるいは私の討伐を命じた者達は私の魂を衰弱させる手段として転生を選んだのだ。
 実際、人間に生まれ変わってから私が私を認識した時、魂があまりにも弱体化している事に気付き、唖然としたものである。

 生まれ変わる前と後では魂の生産する魔力の質も量も桁が違うのだ。竜であった頃の私の魂の魔力生産量が地形を変える様な豪雨であったとするなら、今の私は残尿感に悩まされる老人の小便である。なんとも情けなし。
 それでもまだ魂が竜としての域にある私の魔力生産量は、人間の常識をはるかに超えている。生半事では死ぬような目に遭う事はない。
 肉体は紛れもなく人間のものであるが、魔法を用いて肉体を作りかえれば、人間の肉体には過剰な魔力供給にも耐えられるし、オークやオーガなどの力自慢のモンスターも捻り殺せる。
 ただ今のところ私は人間として生きるつもりなので、流石に人目に着く所ではかつての力を振るうような事はしない。
 私は二日だけ早く私より先に生まれたから、という理由で姉風を吹かすアイリの後に続いて産まれ故郷であるベルンへの帰り道を歩いた。

 ベルン村は辺境の僻村である。人口は百五十人ほどで、村の周りに堀を巡らし分厚い木板で村をぐるりと囲んでいる。
 魔物や野盗、蛮族の出現が頻発する辺境ではまあ一般的な防護策といえよう。村への入口は北と南に両開きの木製の門が二つ。常に槍や剣、弓で武装した門番が二名ずつ門を守っている。
 ここら辺では子供ほどの背丈の劣鬼とも呼ばれるゴブリンや、犬の頭を持ったコボルト、二足歩行の武装したオオトカゲのリザードの集団の姿を見る事が出来る。
 リザード以外の二種は個体の力は大したことはないが、繁殖能力が高く成長も早い為すぐに数を増やすし、中には精霊術を使うシャーマンもいて意外と侮れない。
 リザードは、ゴブリンほど繁殖能力は高くないものの個体の戦闘能力が高く、農作業で鍛え抜いた村人では一対一の戦いで勝利する事はかなり厳しい。
 特にリザード部族の中で戦士階級の隊長クラスともなれば、ベテランの冒険者や正規訓練を受けた騎士でも連れて来なければ、相当の被害を覚悟しなければならない。全て聞きかじりなので、私がこの目で確かめたわけではないが。

 幸いなのは、リザード種は人間とも交流を持つ事の多い亜人種で、ベルン村も以前飢饉に襲われたリザード達を助けた事があり友好な関係を築けている。滅多なことでは敵対関係にはなるまい。
 村の中央広場でアイリと別れた私は草を混ぜた泥と木と藁で作った粗末な我が家へと足を向ける。
 アイリは帰り道の間ずっと喋りっぱなしだった。人間の子供はまさに元気の塊だとつくづく感心する。
 卵から孵ったばかりの竜種の赤子もかくやと言わんばかりで、あの元気があるのなら人間種が大陸で大きく繁栄するのもむべなるかな。

 アイリはベルン村の子供たちの間でも元気がよく明るい性格の為人気があり、よく慕われている。わが幼馴染ながら良く出来た娘である。
 母の為にと摘んだ花だったが、気が変わったのでアイリの髪に良く似合うだろうと思い、髪飾り代わりに私が着けてやると、アイリは顔を真っ赤にしてしばらく口をぱくぱくとさせていた。
 その様子は酸欠のサハギン(二足歩行の魚人である)を思わせた。赤い髪に白い花弁を飾ったアイリは顔を俯かせるとやたらと小声で「……あ、ありがとう」と呟き、私を振り返ることなく走り去って行った。
 お礼を言う時は相手の顔と目を見るものだ、と私は父母から教わり実践しているのだが、アイリは違うのだろうか。私は疑念をそのままに首を傾げてしばらく考え込んだが、答えが出そうにもなかった。
 なので私は開閉する時に軋む音のする木戸を開いて我が家に帰る事にした。あまり遅くなっては心配させてしまう。父母を心配させるのは私の望む所ではない。

「ただいま。ヒールグラスとパン苔を取って来た」

「おかえりなさい。まあ、ずいぶんたくさん採れたのね。これだけあればたくさん傷薬を作れるわね」

「それは重畳」

 私を迎えたのは人間となった私をこの世に送り出してくれた大恩人である、母アルセナ。
 僻村の農民らしい粗末なスカート姿で、やや色の褪せた金色の髪を白いスカーフで纏めていて、やや汚れたエプロンを腰に巻くのが今生の我が母の常のスタイルだ。
 辺境の暮らしは苦労と苦労と苦労と不運と理不尽が仲睦まじく肩を組んで、前触れもなく突撃してくるものだが、私に向けられた笑みには日々の暮らしの疲れは欠片もない。辺境の女は逞しいのである。そうでなければ生きていけないのだから。
 竜であった頃の意識がある為、年齢に似合わぬ言葉づかいや振る舞いをする私を不気味がらずに、二つ上の兄や一つ下の弟と同じように息子として愛してくれる奇特な女性である。
 近親相姦や身内の争い事ばかりしている人間の創造神達よりも、よほど尊敬に値する御方であると私は心底思う。よくもまああんな連中からこんな生き物が作りだされたものだ。まあ、とんでもなく醜悪な時もあるのが珠に疵というべきかやはりというべきか。

 人間の全てが尊敬に値する者たちばかりではないが、中には神々よりよほどまともな人格の持ち主がいるのも確かで、私は人間もなかなか捨てたものではないと我が父母や村の人々を見る度にしみじみ感心する。
 その日の夕食は私が取って来たパン苔と畑で採れた野菜を使った質素なスープと、母が焼いてくれた歯応えのある黒パンですませた。
 いつも通りの夕食であるが、人間として生まれ落ちてから十年経った今でも、竜とは異なる人間の味覚は私にとって色褪せない新鮮な刺激である。
 なにしろ月を見上げても月の穴を見ることもできないし、耳も鼻もとんでもなく鈍いのである。
 見るもの聞くもの味わうもの嗅ぐもの全てが、竜だった時とまるで違う事は私にとっていまだ慣れる事の無い掛け替えの無い体験なのだった。五感の変化はまさしく新世界を私に体感させていたのである。

 その日一日、魔物の襲撃もなく無事に食事にありつけた事に感謝する祈りをささげ、私は拾ってきた手頃な木の枝を削って木製の槍や矢を作る作業に没頭してから床に入った。
 我が家は台所兼食卓と物置と寝間の三部屋である。寝床は二つ。木の寝台の上に布で包んだ藁を敷き、その上に両親と家族が横になる。
 夏は暑苦しいことこの上ないのだが、冬場では互いの体温で温め合わないと冗談でも何でもなく凍死するから油断できない。
 この世界のあらゆる環境下でも何の支障もなく活動出来た頃の私からすれば、思わず口笛を吹きたくなるようなスリリングな就寝時間である。
 太陽に突っ込んでこれぞまさに太陽浴、と鼻歌を歌っていた頃が少しばかり懐かしかったのは、誰にも言えない私だけの秘密である。
 太陽が地平線の彼方を黄金色に染め上げるのとほぼ変わらない時刻で、村の人々は朝の目覚めを迎える。私も例外ではなく昨夜の夕食の残りで済ませてから、今日も畑仕事に出る。
 ただ赤子の頃から好奇心旺盛であった私は、農作業の合間に村の近くで木の子や果実、野草取りをする許可を父母から獲得している。

 竜としての第六感と竜語魔法、莫大な魔力が残っていたのを良い事に、諸感覚を強化した私が必ず成果を上げてくるのも、許可が下りた理由だろう。私が農作業に没頭するよりも外で遊んでくる方が、より大きな成果をあげるからだ。
 魔法を使えば人間の大人百人分でも働いて見せるが、流石に家族や村人の前で魔法を使うわけには行くまい。
 この様な辺境で魔法使いは希少で、幸い我がベルン村には魔法を嗜む方がおりその方に私は素養があるからと習っているがまだ見習いなので、あまり分を弁えぬ魔法を使っては家族に迷惑が及んでしまう可能性だってある。
 最低限の畑仕事を終えた私は父と兄に許可を取り、私は今日も村の外へ冒険に出かける。とはえい村の外には魔物が蔓延る危険な辺境である。そう遠くへ出る事は許されない。

 昼食までには戻ってくるようにと父に厳命され、私はそれに首肯して返し愛用している母手製の鉄蔦の籠を肩に背負って村の外へと駆けだした。
 今日ばかりはアイリを始めた村の子供たちにも見つかるわけには行かなかった。父が外出を許してくれるぎりぎりの時間を見極める為に、観察と実証を繰り返し最良のタイミングを掴んだのは、近くの草原や森とは違う所に行く目的があったからだ。
 この小さな体に生まれ変わってからというもの、私にとって世界はその色を変えて未知と刺激に満たされた楽しい遊び場に変わっていた。
 それに父母には内緒にしているが、私がその気になれば、魂が衰弱したとはいえゴブリンの百二百など有象無象でしかないし、実は一年半前に村を襲うとしていたオーク十匹とゴブリン七十匹の混成集団を皆殺しにした事もある。
 死骸は全て最も小さき粒まで分解したから、村の人達はオーク達の存在さえ気づかなかった。

 なので私としては私の生命に対する危機感はない。ただ私が留守にしている間に村に何かあっては困るので、村の近くに魔物や悪意を抱いた人間が近づいたら私に知らせが来る結界を展開してある。
 どれだけ離れていても転移を使えば瞬き一つの間に村に帰還できるから、私の力の露見を恐れなければ、という条件付きではあるが私の知らない所で村が壊滅するなどの不安要素はない。
 さて晴れ晴れとした気持ちで強化した肉体で野を走る私の目的はと言えば、村の人達が決して足を踏み入れぬ沼地である。
 かつてリザード族に飢饉が襲いかかるまでリザード族の集落が存在していた場所で、リザード族の廃屋や武具や道具が残っているかもしれない。持って帰ってもどこで見つけてきたと詰問されるのは目に見えているから、あくまで見物である。
 途中で父母や兄弟をがっかりさせない程度に収穫を得るつもりではあるが、私の心は初めて足を踏み入れる場所に対する好奇心でいっぱいだった。

 リザード族が山奥にある川の近くに移り住んだのが、かれこれ十年前だそうで現在の沼地がどうなっているのか、村の中に知る者はいなかった。
 八本足のスレイプニル馬や竜馬にもひけを取らぬ速度と、無尽蔵のスタミナに任せて走り続けていた私は、たいして時間を賭けることもなく沼地に到着した。
 沼地にのみ生息する木を用いたリザード族の家屋は十年の風雨によってすっかり倒壊し、残骸としか言いようのない物体がそこらに転がっているばかりで、私の好奇心を少しばかり萎ませた。
 見渡す限りの黒く濁った沼が広がっている。毒が流れ込んだというわけでもないようだが、元は澄んだ水で満たされていたのが徐々に濁ってゆき、リザード達が住むには適さない環境になってしまったらしい。
 十年が経過した今もそれは変わらぬようだ。

「ふむ」

 しばらく沼のほとりで足を止めていた私は付近の精霊力が、大地に偏っている事に気付く。大地系のノームが移住でもしてきたのか、土の相が強まった事で水の相が弱まり、それが地形に影響して沼が濁る事に繋がったのであろう。
 上手く精霊のバランスを調節すれば再び沼は澄み渡り、リザード達の棲息にも適しよう。まあ既に移住地を見つけたのだからわざわざ戻ってくる事もないかもしれない。
 そうだな、私が魚の養殖かなにかでもしてみようか。いつか理由をつけて沼に行ったら綺麗になっていた、魚も棲んでいた、とでも言えば村にとって新たな食糧源の確保に繋がる。
 とはいえ道中で魔物の襲撃がないとも限らないし、その対策も考えておかねばならないか。やれやれ人間として生きることを諦めれば、さっさと解決できる事ではあるがこうして頭を悩ませるのも楽しいと来ている。
 私は腕を組んでしばしの間思案に耽っていたが、背後で巨大な蛇が這いずる音を耳にして、思案を中断する。リザード族の飼っていた大蛇かあるいはヒドラでも住み着いていたのか、と私は振り返った。

「ほう」

 そして私は素直に感嘆の吐息を零した。背後を振り返った私の視線の先に居たのは、見目麗しい緩くウェーブした金髪の少女だったのである。
 目鼻口の配置はまさしく造形の天才の手になるものに間違いはない黄金律で、青い瞳はサファイアの如くきらきらと輝いている。上半身には何も纏ってはおらず、剥き出しになっている乳房は重く揺れて桃色の肉粒も露わになっている。
 十代後半の少女と呼べる顔には不思議と妖艶な笑みが浮かび、赤い唇からは二股に別れた長い舌がチロチロと出入りを繰り返している。
 少女の顔は私のはるか上に在りつつましく窪んだ臍からいくらか下がった箇所からは、巨大な蛇の胴へと変わっていた。うねりくねりする蛇体が少女の下半身なのである。
 ラミアか、と私は内心で呟く。人面蛇体の女しか存在しない魔物である。始祖は既に失われた王国の王女が呪いを掛けられて姿を変えた魔物だと言うが、よもや我が故郷の近くに住んでいたとは知らなかった。
 魔物としての格は上級に限りなく近い中級と言ったところか。長く生きた個体ともなれば上級の魔物にも匹敵すると言う。こいつが現れたらベルン村は多大な被害を受けることだろう。

 人間の美醜を今一つ正確に把握できない所のある私だが、ラミア種の人間の女性の上半身は、おしなべて美しい娘であると相場が決まっていると耳にしていたから、人間や亜人種の美醜感覚からすれば、目の前のラミアはまず美しいと判断してよかろう。少なくとも見ていて不愉快な気持ちになる様な事はない。
 そして鱗に覆われた蛇の下半身は、私の魂に残る竜としての感性から評価するとまだまだ幼さを残しながらも、こちらの欲望をそそる魅力をゆっくりと成熟させる過程の年頃の雌特有の魅力がある。
 陽光を浴びる鱗の輝きの具合や、健康的な形の鱗が整然と生え並ぶ蛇身のしなやかさと若さに満ちた肉のつき具合などはたいそう魅力的である。
 まずこのラミアは人間としても、鱗持つ者としても、二重の意味で美少女と言えるだろう。
 私の人間の肉体はラミアの肌も露わな上半身の可憐さと妖艶さを併せ持った姿に魅力を感じ、竜の魂は鱗持つラミアの蛇の下半身に雌に対する魅力を感じていたのである。
 竜と蛇とでは互いをひどく嫌いあう者も中には居るのだが、私としては似ているのは事実なのだから、嫌いあうような事はせずに仲良くすればよかろう、といった意見を述べさせてもらおう。
 ラミアは私の姿を見て笑みをそのままに赤い唇を長い舌でぺろりと舐めた。新たな唾液の口紅が塗られて、一層ラミアの唇の艶やかさが増す。
 私はさぞや美味そうな獲物に見えているのだろう。ラミアの主食は他の生き物の精気である。血肉をそのまま食す事は嗜好に合わぬようで、ラミアが食事を終えた場所にはミイラ状になった被害者の死体が転がっている場合がほとんどだ。

「ぼうや、いけないわ。こんな場所に一人きりなんて。お父さんやお母さんはいないの?」

 なんとも甘い声であった。まだ大人になりきっていない少女であるのに、はちみつが滴るかの如く、こちらの脳髄を熱く恍惚とさせる声音である。ふむ、人間の精気を食べるのならこう言う芸当も出来るだろう。
 密かにレジストしながら、私は答えた。

「私一人だけだ。他に誰もいない」

「まあ、本当にいけない子ね。こんな所には来てはいけないって教わらなかったのかしら。そんないけない子にはお仕置きをしなくっちゃね」

 悪戯っぽく笑みを深めて、ラミアは蛇体をくねらせてゆっくりと私に近づいてくる。私は無抵抗のまま近づいてくるラミアの青い瞳をまっすぐに見つめている。
 ラミアの縦に長い楕円の瞳孔が細く窄まって、魔力がそこに集中しているのが感じられた。ラミア種の持つ麻痺・魅了系統の魔眼である。ラミアにとって私はすでに自身の手の中に捉えられた無力な獲物なのであろう。
 美しく細い指を備えたラミアの手が優しく私の頬を挟みこんだ。人間の上半身に相応しい暖かな手であった。ラミアが二股の舌先で私の頬を舐める。優しい舐め方だ。

「お姉さんがお仕置きしてあげる。とっても気持ち良くしてあげるから、怖がらなくっていいのよ」

 年若いラミアの様だ。私が怯えていない事を見抜けていない。ふむ、と私は一つ零し、そろそろラミアに自分が誰を獲物と思ったのか、教えてやる事にした。
 私は魔力の瞳に流し込み、人の眼球から竜の眼球へと造りかえる。一度閉ざした瞼を開いて、ラミアの瞳をまっすぐに見つめ返すのと同時に、ラミアの顔から笑みが消えて代わりに恐怖が全てを支配する。
 多くの種族が持つ魔眼の中でも最高位に君臨する竜眼で睨み返されたのだ。人間の子供がなぜそんなものを持っているのか、とさぞや混乱していることだろう。
 体を麻痺させ心を魅了した筈の人間の子供が、逆に自分の精神と肉体を完全に支配しているのである。私はラミアの美しい金の髪を右手で掬い、その甘い匂いを胸一杯に吸い込んだ。

「私が怖がる必要などない。獲物は私ではなくそなたなのだから」

 私がラミアの全身に視線を這わせると、びくり、とラミアは恐怖に震える。ふむ、本能的に私が人間の皮を被った、自分とは比較にならない途方もない化けものであると理解したのだろう。
 しかし私にはラミアの命を奪うつもりはなかった。どうもこのラミア、親元を離れたばかりなのか、野生の動物や魔物の精気は感知できるが人間のそれはない。おそらく私が人間の獲物としては初めてなのだろう。
 まだ人間を手に掛けた事がないとなれば、情状酌量の余地ありと考えもしたし、また他にも私がラミアを殺そうとは思わぬ理由はあった。
 少々下世話な話になるが、私はつい先日大人の階段を一つ上った。精通である。人間としては初めての経験であった為に、私は動揺して父と母に相談し、実に暖かい笑みを向けられたものである。
 ぐしぐしと力強く私の頭を撫でまわす父の顔が妙ににやけていた事は記憶に新しい。
 
 さて何故こんな事を言うかと言うと、大きく実った乳房やくびれた腰、太ももの半ばまでを陽光の下に晒すラミアの裸体を見ているうちに私は、腰の奥が痺れるような感覚を覚えていた。ようするにムラっと来ていたのである。
 性欲を覚えたての若い人間の肉体が感じている欲情は非常に激しいもので、一刻も早く欲望を解放する事を求めて疼いている。
 まだしも竜としての私は老齢といっても過言ではないから、蛇の下半身を相手に催した劣情は人間としてのそれに比べればささやかなものであったが、人間の肉体の欲望ははるかに巨大で、私が母の胎の中にいた時分に人間に生まれ変わったら、人間として生きてみよう、と決めていた事もあり私は人間としての欲望――この場合は性欲――を抑制しなかった。
 私の粗末なズボンはいまや霊峰もかくやと言わんばかりの急勾配になっている。ふむ、竜のそれとは異なる人間の生態は実に興味深い。しかも自分で実体験できるのだから、これ以上ない経験と言える。
 私は腰の奥から四肢の末端に至るまでを満たしてゆく欲望のままにラミアの腰を抱きよせて、吐息のかかる距離で金髪の美少女の怯える顔を見つめた。

「そなたは美しい。呪うなら美しく生まれた事を呪うが良い」

 そして私はラミアの唇を奪った。柔らかでみずみずしい感触がした。

「ふう」

 と私は一仕事終えた父を真似て満足の吐息を吐き、近くの岩に腰を降ろした。私の視線の先では腰砕けになったラミアがしどけなく地面に横たわり、真っ赤に染まり恍惚と蕩けた表情を浮かべ、虚ろな視線を私に向けている。
 人間の体では初めて味わう快楽に、私は少々我を忘れてしまいラミアの許しを請う懇願の声も耳に届かず、ラミアの限界をはるかに超えて人間と蛇の混合生物である彼女の体を貪り尽くしてしまった。
 幾ら魔法による半永久的な体力と精力の供給があるとはいえ、少々やりすぎだ。ラミアの方も直接的な性交は初めてだったと言うのに。
 この様子ではしばらくラミアはまともに動けまい。近くに危険な魔物が居ないとも限らないから、ラミアの意識が戻るまで私はこの場に留まってラミアを守る事にした。しかし、これでは昼食に間に合うまい。父になんと言い訳をすればよいやら。
 それにしても、と私は時折痙攣するラミアに視線を移す。人間としては初めてとはいえ、これは病みつきになりそうだ。これからは自制しなければ、私は欲望のままにどれだけの女性を手篭めにしてしまうことか。
 こうして私は人間としての童貞を失った。相手は魔物であったが大変具合はよろしかったと言わせて頂く。

<続>

さようなら人生、こんにちは竜生とは関係ありません。こんな感じで主人公が欲求に従って魔物娘や人間と仲良く生きてゆくお話です。

10/13 12:26 誤字修正。にゃろ様、ありがとうございました。
11/15 20:00 あさい様のご指摘を受けて大幅変更。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生② エロ注意
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/09/21 08:49
短めですがきりがよいので投稿いたします。
R-15くらいかな、と思う描写がございます。苦手な方は読み進めるうえでご注意ください。

さようなら竜生 こんにちは人生――ラミア視点


 私が十六歳になった日、私はパパとママに見送られて、産まれてからずっと過ごしていたお家を出て、独り立ちする為の旅に出ることになりました。
 私は独り立ちに対する不安と期待に心を躍らせ山肌の中腹にある洞穴である我が家を出て、眼下に広がる平原を目指して地面の上をずるずると這って行きました。
 私とママはラミアと呼ばれる魔物です。私達ラミアは人間の女性の上半身と、巨大な蛇の下半身を持っています。
 ラミアの始祖はいまもう滅んでしまったとても古い国のお姫様で、神様か魔物の呪いを受けて下半身が蛇に変わってしまったのだそうです。
 妖魔としては結構強い方でそれなりに強い魔力があり、中級の魔法を扱う事が出来るし、麻痺や魅了の力がある魔眼を生まれながらに持っています。
 それに蛇の下半身はとても力が強く、思いきり尻尾を振るえば、大抵の亜人や人間なら一撃で倒せますし、巻きついて締めあげれば牛さんでもすぐに死んでしまうほどです。
 そんなラミアですが女性しか生まれないのにどうやって数を増やすかと言うと、人間や亜人の男性と交わって子供を作るのです。
 精気を吸うのは精気を吸っても死ぬ事の無い、より強靭な生命力を持った相手を見つけ出す意味もあるのだと、以前ママが教えてくれた事があります。
 私達ラミアはお肉やお魚も食べられない事はありませんが、精気あるいは生命力そのものを吸収する事に長けた種族なので、お腹一杯になるまで食べても頭のどこかで空腹を囁く声が聞こえたりします。
 私が家を出て独り立ちする事になったのは、一人前の年齢になったのと私に精気を吸われても大丈夫な、私の旦那様を探し出して新しい家族を作る為です。
 私の家の近くにはママより強い魔物はいませんでしたし、時々襲ってくる他の魔物程度ならママと私の二人だけでも簡単にやっつける事が出来ました。
 ですが旅立つに当たって外の世界ではラミア種ではとても歯が立たない様な魔物や亜人がいるから、気をつけなさいとパパに言われています。
 特に人間はひとりひとりの力はそんなに強くはないけれど、とても数が多く自分達より強い生き物との戦い方を良く知っているから、弱そうだからと侮ると大変な目に遭ってしまうと何回も言われています。
 パパの言う事はいつも正しいので、私ははい、と返事をしました。私はパパが人間である事もあり、人間を傷つけるのは嫌だな、と前から思っていたので人間にはなるべく関わらないように気をつけよう、と心に誓いました。
 心配症のパパは私に色々と持たせようとしましたが、厳格なママはラミアの一族は代々裸一貫で独り立ちするもの、とパパの意見を却下して私に何も持たせる事はしませんでした。
 でも私がお家を出る時、ぎゅっと抱きしめてくれたので、私の胸はとても暖かい気持ちでいっぱいになりました。
 パパ、ママ、私、素敵な旦那さまを見つけてくるからね!
 と意気込んだのは良かったのですが、お家を出てから四日たった頃、私は空腹に苛まれてしょっちゅう溜息をついてはパパとママの顔と声を思いだす始末でした。
 旦那さま探しの旅の途中、鹿さんや熊さんと遭遇する事はありましたが、幸い人間と遭遇する様な事はありませんでした。
 パパに教えて貰ったのですが、人間の中にはパパの様に魔物と仲良くしている人達もいるけれど、大抵の人間は魔物の事を恐れて姿を見たら逃げ出すか殺そうと襲い掛かってくるのだそうです。
 魔物の多くが人間を食料や敵と思っている種が多いので、仕方がないけれどね、と呟くパパの顔は少し寂しそうでした。パパとママが知り合った時にもなにか辛い事があったのかもしれません。
 とにかく幸い人間と出会う事の無かった私ですが、ラミアは亜人や人間からの精気を最も美味に感じる種なので、動物さんの精気を食べさせてもらっても空腹感はそんなに満たされないのです。
 くう、とお腹の虫が鳴く声に、私ははう、と思わず手でお腹を抑えてしまいました。パパとママの期待を背負って家を出たのに、もうお腹を空かせて困っているなんて、とても情けなく思えてならなかったからです。
 私はお家を出てから水気の多い川や池、泉などを経由しながら南へ、南へ、と進んでいました。ラミアは基本的に地属性の魔物ですが、長い年月が経過した事によって住んでいる環境に適応し、体質や魔力の属性が変化する事があります。
 私の一族は地属性を基本に水属性に対する適応能力を得ています。ですから私にとって水場はとても落ち着く環境なのです。
 水場で休み休み、空腹を堪えて旅を続けていた私はいよいよ空腹の限界と言う所で、地属性の強くなっている沼地に辿り着きました。
 黒く濁った沼が視界いっぱいに広がり、じめっとした空気の沼地には昔は亜人の集落でもあったようで、建物らしい木材が散らばっていました。
 昔はこんな環境ではなかったのかもしれません。とはいえ地属性と水属性に適正を備える私にとっては、居心地の良い場所でしたからまだかろうじて屋根の残っていた廃屋に潜り込み、私は藁をかき集めて即席のベッドを作り、その上に横になっ
て休む事にしました。
 私が南を目指したのは、そちらに行けば人間の集落があるからです。
 人間に関わらないようにしよう、と誓ったのにまるで正反対な事している様に思えるかもしれませんが、そもそも私の旅は旦那さまを見つける為で、赤ちゃんを作る為に相手は人間か亜人の男性でなければなりません。
 まずは旅をして少しずつ人間の事を知り、安全に精気を吸収できるようになってから、本格的に旦那さま探しをするつもりだったのです。
 私のお家から一番近い人間の集落は北の方角でしたが、そちらには峻険な山々が広がり古代戦争の兵器であるゴーレムや、ガーゴイル、また野生のワイバーンさんが棲息しているので私にはとても足を踏み入れられるような場所ではありませんでしたので、諦めるしかなかったのです。
 お腹空いたな、と私が独り言をつぶやくと不意に廃屋の隙間から人間の男の子の姿が見えました。
 私は思わず、あっと声を上げそうになるのを慌てて口を手で押さえて堪え、どきどきと胸を高鳴らせながら、男の子の様子を観察し始めました。
 実の所、私はパパ以外の人間を見るのは初めでしたからとても興味深かったのです。
 男の子は沼の淵に立つとしげしげと周囲を見回して、歩き回り倒壊している家屋の廃材を持ち上げたり、そこら辺に転がっている岩をひっくり返してみたり、沼の水に指先を入れてみたり、と忙しなく動き回っています。
 男の子にとってこの場所は初めてくる所だったのか、とても興味深そうにあちこち歩きまわっていましたが、その内に少しつまらなそうな顔をすると腕を組んでなにか考え事を始めたようでした。
 そうして男の子の事を観察していた私でしたが、男の姿を見ているうちにどんどんと空腹感が増し、男の子から眼を離せなくなっていました。理由は分かっています。
 ラミアにとって最大の御馳走である人間の精気。しかも若々しい活力に溢れた精気がすぐ目の前にあるのですから、お腹と背中がくっついてしまいそうなほど空腹の私にはとてもではありませんが耐えられるわけもありません。
 パパ、せっかく私の事を考えて注意してくれたのにごめんなさい。私はパパの言う事を聞けない悪い子です。
 私の頭の中では目の前の御馳走を早く食べよう、食べようと甘く囁くラミアの本能の声がずうっと聞こえているのです。
 私は考えごとに耽っている男の子の後ろに回り込むと、ゆっくりと男に近づいてゆきました。
 お腹が空いていてあまり頭の働いていない私でしたが、それでもまだ私よりも小さな人間の子供を殺してしまうような事は大変躊躇われましたから、精気を吸い尽くしてしまわないようにしないといけないと考えていました。
 私が蛇の下半身をくねらせて近づいてゆくと、物音で男の子は私に気付いたらしくこちらを振り向き、少し眼を見開くとしげしげと私の体を観察し始めます。
 普段、お家に居る時私はパパが繕ってくれたブラウスやケープを着ているのですが、ママの教育方針の元、何も身に着けずに旅に出ています。
 人目に素肌を晒している事に今更ながらに気付き、私は今すぐにでもおっぱいや大切な所を手で隠したい衝動に襲われましたが、その間に男の子が逃げ出してしまうかもしれませんし、助けを呼ぶかもしれません。
 なので私は顔から火が出そうなほど恥ずかしいのを必死に堪えて、瞳に魔力を込めて男の目を見つめて、男の子が逃げられないように魅了と麻痺の魔眼をかけます。これで男の子は私から逃げることはできません。
 ごめんね、と心の中で呟きながら、私はママに教わった通りの喋り方で男の子に話しかけ、近づいてゆきます。
 私はどうしてもママみたいな喋り方をすること出来ず、パパとママの前でどれだけ練習しても、きちんと喋れた事がありません。今も私はほとんど棒読みの様な話し方になっている事でしょう。
 男の子が一人でこの沼に来た事を聞き、邪魔は入らないことに私はほっと胸の中で溜息を吐きます。それから男の子の頬を両手で挟みこみじっと男の子の瞳をまっすぐに見つめました。
 こ、こういう事をするのは初めてでしたけれど、私の方が年上のお姉さんですから、その、リードしてあげないといけません。
 それに男の子の体に変な障害が残ったりする事の無いように、食べさせてもらう精気の量は気をつけないといけません。
 私は目の前の濃密で活力に満ちた精気に頭とお腹の奥が、火が点いた様に熱くなるのを感じながら、男の子から精気を貰おうとしました。
 その時でした。それまで私の瞳をただじっと見つめていた男の子の瞳が、見る間に縦にすぼまり、私達ラミアの瞳とよく似た形状になり、そこに七色の輝きが灯ったのです。
 それに私が気付いた時、私の魔眼は無効化され、逆に私の体が私の意志ではぴくりとも動かせなくなりました。男の子の瞳が変化した途端、私と男の子の立場は逆転したのです。
 男の子の瞳は私の魔眼なんてまるで問題にならないくらい、私にはどれだけ凄いのかさっぱり分からないほど強力な魔眼になったのです。
 ただの人間の子供だと思ったのに、どうしてと私が混乱し、それまでの空腹を忘れ、熱に浮かされていた意識も唐突に陥った危機に冷静なものに変わる中、男の子は私の髪の毛を右手でひと束ほど掬うと手に持って鼻先を近づけました。
 私の髪の匂いを嗅いでいるのです。今朝がた、泉で水浴びはしておきましたが、変な匂いがしないかな、と私は自分でも場違いだなと思う事を考えていました。
 男の子は私の腰に手を回して、鼻と鼻がくっつきそうなほど近くに抱き寄せると私にこう囁きました。

「そなたは美しい。呪うなら美しく生まれた事を呪うが良い」

 パパ以外の男の人にそんな風に言われた事の無かった私ですから、種族が違う上にまだ子供が相手とはいえ、つい嬉しくなって頬が熱くなってしまいます。
 けれど、男の子はそんな私の事を気にも留めず、風の様に素早い動きで私の唇に自分のそれを重ね合わせてきたのです。
 あ、と私が思った時にはもう私の唇は男の子の唇で塞がれていました。
 これまでキスと言えばパパとママにおはようとおやすみの挨拶で、ほっぺたにする位しかしたことの無い私にとって、唇と唇でするキスはとても衝撃的なもので、一瞬頭が真っ白になってしまいます。
 私の初めて、ファーストキス、旦那様にだけ、と色々な言葉が一辺に私の頭の中で走り踊る中、男の子はじっと私の瞳を見つめたまま小さな舌を伸ばして私の唇を押し開いてきました。
 考えた事もない行為に私が思わず驚いた瞬間を狙ったのでしょうか、男の子の舌はするりと私の口の中に潜り込んできて、細く鋭く伸びている私の牙や歯列、歯茎を舌の先端を尖らせて丹念に舐めまわしはじめます。
 驚いた私がなにをするの、という意味を込めて男の子の瞳を見るととても強い魔眼を発動させたまま、男の子は静かな瞳で私を見つめ返していました。
 それはまるで自分のしている行為が私にどんな影響を与えるのか、冷静に観察しているかのようでした。
 とっさに両腕で男の子を突き飛ばそうとした私ですが、男の子の魔眼によって相変わらず私の体はちっとも動いてはくれません。
 訓練としてママに魔眼をかけられた時でも、少しは抵抗できたのですが、信じられない事に男の子の魔眼はママの魔眼よりもはるかに強力なようでした。
 男の子は私の歯を唇の裏側を満足するまで堪能したようで、混乱の波からいまだ脱出できていない私の口のさらに奥へと舌を伸ばしてきました。
 私が慌てて歯を噛み締めて閉ざそうとすると、それを察知したのでしょう、男の子は空いている右腕で私のお尻を撫で始めたのです。
 そんな事を他の人にされた事などありませんでしたから、私はとっても驚いてしまい悲鳴を零しそうになりました。
 それを男の子は見逃さず、開いてしまった私の口の中に舌を潜り込ませて私の舌と自分の舌を絡めたのです。
 お尻と口の中に加えられる刺激に、私は一体何がどうなっているのか、これから自分がどうなるのか、とても不安で怖くなりました。
 私達ラミアは太ももの半ばほどから蛇に変わり始めます。
 男の子の右腕は丁度その肌と鱗の境界線から私のお尻までを、込める力や指の揃え方、撫でる速さを変えて何度も何度も撫でまわし、絡めた舌の動きもどうすればいちばん私が反応するのかを探る様に動かし続けています。
 そうしている内に私の頭はぽーっとしてしまって、男の子に抵抗する意思がどんどんと薄れて行ってしまいます。
 こんな私よりも小さな人間の子供の好きなようにされるなんて、ほんの少し前の私には信じられない事です。
 それ以外に男の子の舌を通して私の喉の奥へ奥へと流し込まれる男の子の唾液も、私の頭を蕩かせて体を熱く疼かせていました。
 ラミアは相手に触れる事で精気を吸い取る以外にも、血液やお肉を食べることでも精気を得る事が出来ます。
 私の咽喉を伝わってお腹へと流し込まれる男の子の唾液を、私の体は空腹の状態だった所に与えられた甘露であるかの様に、心がいけないと思いつつも貪欲に貪ってしまいます。
 時々パパに精気を吸う練習で食べさせてもらった精気よりも活力に満ちた男の子の精気は、これまで味わった事がないほど芳醇で、満たされる事がないのではと思えた空腹を一瞬で満たし、私の体を潤わせてゆきます。
 ああ、なんて生命力に満ちた精気なのでしょう。私の体はすっかりと蕩けきり、男の子の手と舌に抗う事を完全に放棄してしまったのです。
 もう魔眼を使わなくても、私は男の子の虜になり下がってしまいました。男の子に与えられる精気は、私に何かを考えることを忘れさせてしまうほど美味しくて、魅力的だったのですから仕方がありません。
 それから私が男の子と過ごした時間は、私の十六年の中で比べるものがないほどの気持ち良さと夢心地に包まれた時間でした。
 男の子は私の体を飽きることなく、余すことなく堪能し、人間の上半身だけでなく蛇の下半身に対してもなんの躊躇もなく興味を示し、そう時間をかけない内に私の体で男の子と舌と指が触れていない場所はなくなってしまったほどです。
 初めてのキスに続いて、女の子の一番大切な初めてもとても恥ずかしい後ろの穴も男の子は味わい尽くし、私は男の子に弄ばれるがままに乱れて声を上げ、全身を満たす快楽の波に揉まれ続けることしかできませんでした。
 そうしているうちに男の子は唾液よりもはるかに濃厚で力強い精気を、私の体の内にも外にもたっぷりと注ぎ込み、私の全身はかつてないほどの力に満たされましたが、一方でかつてない快楽の感覚に慣れない私は、あっという間に体力を使い果たして意識を失ってしまいました。
 次に私が目を覚ました時、私は地面に横になりぐったりと倒れていて、男の子はすぐ目の前で岩に腰かけて私の様子をじっと見守っていました。私が意識を取り戻すまでの間、待っていてくれたのだと分かり、私は少し嬉しく思いました。
 ふと自分の体を見てみると、男の子と過ごした淫楽の時間の証明となる色々な汚れが綺麗に取り除かれていました。
 私が気を失っている間に男の子が清めてくれたのでしょう。男の子が善意でしてくれた事ではあるのでしょうが、意識の無い体を隅々まで目にされたのかと思うと、今更ながらの事ではありますが、私は恥ずかしさを覚えました。
 なんとか地面に腕を突いて上半身を起こした私のすぐ傍に、男の子が膝をついて私の頬に手を添えて私の瞳を自分に向けさせます。男の子の瞳はあの強力な魔眼ではなく普通の瞳に戻っていました。
 私の体を弄んでいる時も変わらなかった静かな瞳は、まるで男の子の身体と心が別物であるかのような印象を私に与えます。それでも優しい光を宿しているのは間違いありませんでした。
 どうしででしょうか、私はこの男の子がどうしても私よりも小さな子であるとは思う事ができません。

「そなたは初めてであったと言うのに無理をさせてしまい、まことにすまない」

 私に対する労わりの言葉に、私は気にしないで、と答える代わりに私の頬に添えられた男の子の手に自分の頬を少し強く押しつけて、男の子の手のぬくもりを味わいました。
 この手が私の体に触れる度に、私は一度も上げた事の無かったような声を上げて、身悶えしたのだと思うと、また体の奥の方で燻っていた火が点いてしまいそうで、私の心は期待と不安の間で揺れ動きます。
 すると男の子はそのままの姿勢で声音を固くして私に告げます。

「そなたはまだ人間を襲った事はない様だが、これからも襲わぬようにせよ。人は一人一人は弱いが、それでもなお大陸でもっとも栄えるに至った種族。ましてや年若いそなたでは迂闊に人間に手を出す事は容易く命取りとなろう。
 そしてもう一つ。ここより南にあるベルン村の村人をもし、傷つけるようなことがあるなら、例え一時を共にしたそなたといえど私は容赦の言葉を捨てる」

 まっすぐな瞳で私に告げる男の子の言葉に、嘘や冗談の響きはわずかもありません。
 私の身を案じて人間を襲わないようにという忠告が心からのものであるのなら、ベルンという村の人間を傷つけるのなら許さないという警告も、男の子の心からのものなのです。
 私はそんな事はしない、貴方に嫌われるような事はしない、と告げるつもりで首を横に振るいます。
 すると男の子は私の言いたい事を理解してくれたのでしょう。
 それまで変える事の無かった表情を、不意に柔らかな笑みに変えました。その笑みを見て、私は心臓がひときわ強く高鳴るのを感じるのでした。

「そなたがベルンの人々を傷つけぬ事が私にとってもそなたにとっても幸いなことだ。ここは人が寄りつくような場所ではないが、あまり長居する事は勧められぬ。もう少し休んだらここを離れることだ」

 そう言って男の子は私のおでこや頬を、小鳥がついばむように優しく何度も口付けてから立ち上がり、私に背を向けて南の方へと向けて歩き始めます。
 その先に男の子の帰る場所があるのだと分かり、私は咄嗟に男の子の背中に声をかけました。男の子は足を止めて私を振り返り、続く私の言葉を待ちます。

「私はセリナと言います。貴方のお名前は?」

 男の子は、また柔らかな笑みを浮かべると

「ドラン、ベルン村のドランだ。セリナか、良い名前だ。またいつか会おう」

 そう言って、再び私に背を向けて歩き始めました。
 私はその背中を見送り続け、心の中でお家のパパとママに報告します。パパ、ママ、セリナは今日運命の人と出会いました。
 もうセリナは旦那様、ううん、ご主人さまのお傍でないと生きいけない心と体になってしまったのです。

<終>

前世主人公 
ラスボスより強い隠しボスより強いDLC課金ボスより強いバグキャラ

現在主人公 
ラスボスより強い隠しボスより強いDLC課金ボス

転生の影響でこの程度に弱体化しています。

名前:ドラン 性別:男 種族:人間(転生者) 職業:農民
LV5 HP17 MP100000 
STR11 VIT9 INT100003 MND100002 AGI8 DEX7 LUC6

※ステータスは魂と肉体の合計ポイント。MP、INT、MNDは魂に大きく依存するステータスなので、古神竜の魂を持つ主人公はこのように歪な数値。

保有スキルについてはまた次回で。

私見ですがラミアは年上のお姉さん的な性格のイメージがあるのですが、たまにはそうでないキャラがいても良かろう、とこの様な形になりました。イメージにそぐわない方もいらっしゃるかもしれませんが、寛容なお心でお許しくださいませ。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生③
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/09/17 23:47

 さようなら竜生 こんにちは人生③


 かつてリザード族の集落があった沼地で出会ったラミア種のセリナと濃密な時間を過ごし、別れを告げてベルン村に帰った私に待っていたのは約束の時間を過ぎた事に対する父の制裁であった。

 三十年大地と天災と魔物と戦い続けてきた父の鉄拳が容赦なく私の頭に落とされ、私は頭部に走る重い鈍痛を、歯を噛み締める事で耐えた。少し、涙目になっていたと思う。

 私の父は今年で三十歳になるゴラオンと言う名の人間種の男性である。良く日焼けした肌に黒髪黒瞳の主で、叩いた方の拳が痛むような岩石を思わせる厳めしい顔立ちと毛虫のように太い眉の下で輝く威圧感のある眼が印象的だと私は思う。

 背丈は190シム(約171センチ)ほどで平均的な数値だが、麻のシャツを押し上げる肉体は良く日焼けして褐色に染まり、過酷な生活によって極自然と鍛え上げられていて、両の腕には筋肉の瘤がたっぷりと着いている。

 腕っ節は村でも上から数えて三番以内に入るほど強く、これまでに何度かあった魔物の襲撃でも村人たちの先頭に立って迎え討ってきたベルン村の猛者だ。
 
 ちなみに母アゼルナは二十八歳。兄が十二歳だから十六歳の時に最初の子供を産んだ事になる。私は母が十八歳の時の子供だ。

 少なくとも辺境では母の年齢で子供を産んでもおかしな年齢ではない。過酷な環境の辺境では、様々な理由で呆気ないほど人が死んでゆくから、若い頃からたくさん産まなければ集団としての機能を維持できないのである。

 ベルン村有数の猛者たる父は、生まれてから一度も開いた事がないんじゃないかと言う位硬く唇を結び、腕を組んだ姿勢で頭を抱えて痛みにもだえる私を見下ろしている。

 どんな危険が待っているか分からない辺境で、知悉した村の付近(実際には沼地に行ったのだが言えるわけもない)の探索とはいえ、今回の私のように約束を破る行為はたとえ些細なものであれ許されるべきではない。

 痛いものは痛いが、大人が子供に拳を振り上げて体に覚えさせるのも、辺境に生きるものとしてはごく当たり前の教育である。その事は私も人間に転生してからの十年でしっかりと学習したので不平や不満は一切ない。

 とはいえ流石に大の大人の拳は効く。

 地上に生きる全種族の中で最強を誇る竜種の中でも最高位に君臨していたかつての私の肉体ならばともかく、現在の私の体は紛れもなく純粋な人間のものである。
大人の拳を受ければ当然痛い。

 しかし今も常に生産されている魔力で体表をコーティングするか、私の細胞を竜族のそれに変化させれば父の鉄拳どころか、おそらく平均的な勇者と聖剣程度の一撃を受けてもうっすらと筋が残る程度には出来ただろう。

 だがそんな事をすれば父の拳を痛めてしまう事になるし、父が私を思っての行為である事は分かっていたから私は甘んじて制裁の拳を受けた。時に愛は痛みを伴うのである。

 それにかつて竜の始祖より産まれた原初の古神竜として途方もなく長い年月を生きた私にとって、こういった家族の躾の一環として振るわれる痛みはほとんど未知の経験である。

 前世の最後の戦いで受けた七英雄達の攻撃が与える生死に関わるのとは違う、親が子へと与える教育の一環としての痛みというものは、まことに興味深いもの。

 いささかその度が過ぎているのか以前父に別の件で叱られた時、我が愛すべき幼馴染アイリは私を見て、なんで叩かれたのに笑っているの? と訝しげに問われた事さえあるほどだ。

 私の事情をアイリに全て話せればよかったのだがそうもゆかず、私はなんでもないと誤魔化すことしかできなかった。

 赤子の頃から共に育った相手が実は伝説の古神竜の生まれ変わりだ、などと言いだしてきようものなら、アイリの事だ。

 まず私を叩けば治るかと試そうとし、それで駄目ならアイリの母か祖母に診て貰おうと提案してくるだろう。

 それは余計な手間と言うものであるから、アイリに質問されて以来私は鉄拳をいただく度に口をへの字に曲げて痛みを堪えていますという顔を作る事を覚えたし、また自分を庇護し教育してくれる親と言う存在に対し敬愛の念を抱いていた。

 であるから目の前の父に対して私は拳を受けてから頭を下げて、約束を破ったことを謝罪し、午後からの農作業に従事する事で反省の態度を示す事にした。

 炒めた野菜とドゥードゥー鳥のオムレツを蕎麦粉のクレープで包んだ昼食を急いで口の中に頬張り、素焼きの壺に入っていた牛の乳で流し込んだ私は既に昼食を終えている家族の元へと急いだ。

 ベルン村しか知らない私には断定できる事ではないのだが、基本的に辺境の村々で使われる農具で鉄製のものは少ないと思う。
 
 畑を耕す鍬や鋤、シャベルの先端を申し訳程度に鉄で覆ったものが多く、麦穂や草を刈る鎌などは大抵木を加工した物を使う。

 鉄を使った農具はより力のある大人に回されるから、小さな子供に過ぎない私などは木製の農具を使うのが常である。

 竜であった頃にはまさか自分が人間の農作業をする事になるなど夢にも思わなかった私にとって、現在の生活のほとんどを占める農作業は、十年生きたいまでもなお心躍る行為だ。

 私達の主食であるホコロ芋の畑で雑草を引っこ抜く作業に加わった私に、先に作業に入っていた弟が声をかけてきた。

 兄から私へ、私から弟へと引き継がれた継接ぎの目立つ木綿のズボンと袖無しのシャツを着た我が弟は、煌々と照る太陽の下で土に汚れた顔に眩しい笑みを浮かべていた。

「へへ、ドラン兄ちゃんが怒られるなんて珍しいね」

 一つ下の弟マルコは一見すると女の子と見間違えてしまう様な、辺境の僻村には似つかわしくない繊細な顔立ちの子である。

 金色の巻き毛に小ぶりな目鼻や口をしており、瞳の色だけは父と同じ黒だ。
 
 外見に関して言えば九割がたは母に良く似たと言うべきで、これは家族のみならず村の皆も同意見だ。
 
 とはいえ女の子らしいのは見た目だけで中身は立派な辺境の子供である。

 朝から夕暮れまで続く農作業にも文句一つ言わずにせっせと体を動かし、寝る前には父や兄である私達と一緒に、魔物の襲来に備えて木製の槍や矢を作っている。

 村に駐在している兵隊や大人を引率に魔物相手に戦いの練習も既に経験しており、短剣か木の槍でも持たせれば小型の魔物の一匹位はなんとかするだろう。

 ホコロ芋は貧しい大地でも数だけは育ち、病気にも強く一年を通して収穫できるので、私達の様な農民にとっては非常にありがたい作物だ。

 ベルン村ではこの芋をそのまま茹でるか粉にしてパンなり麺なりにする。他には粟や蕎麦の実、フクレル豆、税として納める麦などが主だった村の農産物だろうか。

 一応果実の類もあるが他所に出せるほどの数はなく、村人の口に上る分で終わってしまう。

 私はマルコの隣で腰を降ろし雑草をひとつひとつ引っこ抜きながら答えた。

「ふむ。以前怒られたのがマグル婆さんの真似をして魔法薬を調合しようとした二百七十二日前だから、お前の言う通りかもしれぬ」

 私のこう言う物言いにも慣れたもので、マルコはそうだね、と人懐っこい笑みを浮かべて雑草抜きの作業に没頭し始めた。

 ふむ、という口癖とこの喋り方ばかりはいまもってなお矯正しきれぬ私の癖である。
 
 ふむ、私も父から失った信頼を取り戻す為に作業に没頭した方が良かろう。私はマルコの隣で弟の倍の速さで雑草を引っこ抜く作業に意識を集中した。

 こういった何かの作業に没頭する際に注意しなければならないのは、集中し過ぎ
るあまりに魔力を使用してしまう事である。

 竜だけでなく強い魔力を生まれながらに持つ種族は、例えば呼吸や手足を動かすのと同じように魔力を使って生きることに慣れ切っている。

 というよりも魔力を使わずに生きる方法を経験していないと言うべきか。

 そういった魔力や魔法と深く繋がった生態を持つ生物が魔力を使わずに生きると言うのは、人間に呼吸をしないで生きろ、というのにも等しい。

 ましてや神代の時代から生きていた私である。魔力を使って生きる事は本能と言っても良く、人間に転生してしばらくはそもそも魔力を使わずに生きると漫然と頭では分かっても、現実味がなかった。

 幸い私は人間に転生したのなら人間らしく生きてみよう、と母の胎の中で羊水に浸かっている間に決めていたので周囲の人間と同じように振る舞い、人間がほとんど魔力を使わずに日々の生活を送っている事はすぐに理解できた。

 普段から魔力を使わず純粋に肉体の能力のみで生活する事に慣れた昨今でも、気を抜いた拍子に魔力を使用してしまい、人間の子供では不可能な結果を残してしまう危険性がある。

 マルコと話したマグル婆さんの魔法薬の調合の真似ごとの一件は、どうすればきちんとした効能のある魔法薬を調合できるか、と頭を捻っていた私が我知らず魔力を用いて材料として調達した野草や木の根っこ、石に対して危うく解析の魔法を使いそうになった所を、父に見つかり子供がマグル婆さんの真似ごとをするな、とこっぴどく叱られたのである。

 無論、辺境の農民に過ぎない父が私を叱ったのは私が魔力を使おうとしていたのを察知したからであるわけもなく、マグル婆さんの真似をした事に対してだ。

 私や村の子供が近くの草原で良く集めてくるヒールグラスから作れる傷薬よりも強い効能を持つマグル婆さんの魔法薬は、村では大変重宝されており村に訪れる行商人に売って金に変わる事もある。

 少しでも家族の暮らしを、できれば村の皆の暮らしも楽なものにしてやりたいと考えていた当時の私は、マグル婆さんの様に魔法薬を調合する事にしたのだ。

 人間に生まれ変わってからというもの私の心は好奇心と冒険心に満ち溢れており、魂の質こそ劣化してしまったものの老齢の極みにあった私の魂は、いわば若返っている様なものなのだ。

 あれもこれもそれもどれも、と思いついた事は試さずにはいられないのである。今思うに若さとは失敗を恐れずに何事にも挑戦する事なのではないか。
 
 そうやって若い頃に積み重ねた経験が年を経た時に血肉となって生きてくるのだ。まあ、長生きも度が過ぎれば私の様に生きることそれ自体が退屈になってしまうので、何事も度を過ぎぬ事が肝要である。
 
 ともかく下手に素人が手を出せば毒にしかならない魔法薬の調合に手を出した私は、当然の如く父の鉄拳を頂く事になった。

 いまでは反省し、勝手に魔法薬を調合する様な事は控えている。私にも学習能力というものはあるのだ。

 だがこの失敗には思わぬ副産物があった。

 私が父にこっぴどく叱られている所を通りかかったマグル婆さんが見つけ、私が中央の窪んでいる石や木の棒を調合道具の代わりにして作っていた調合途中の魔法薬を検分するや、私に調合を教えてくれる事になったのである。

 夕方の農作業が終わった後のわずかな時間ではあるが、数日に一度マグル婆さんの都合の良い日に、私はマグル婆さんの家を訪れて魔法薬の調合を教わる事になった。

 人間、何事にも挑戦するものだ。この日、雑草抜きと害虫駆除に精を出した後、私は両親の許可を取ってから村の中を走る小川に掛けられた橋を越え、村の南西にあるマグル婆さんの家を訪れた。

 マグル婆さんの家はマグル婆さんと、娘夫婦と孫娘三人の六人住まいである。鉄の様に硬い葉っぱを生やすハードグラスの生け垣でぐるりと囲んだマグル婆さんの家は、私の家とは違い調合の為の別棟が建てられている。

 家族六人が住まう家は四部屋と台所兼食卓、物置と我が家よりもはるかに大きな間取りとなっている。

 庭には魔法薬の材料となる色とりどり、花弁の大きさや形も異なる花や草、木が育てられている。
 
 栽培方法はマグル婆さんとその娘さん、孫娘達しか知らない。婿殿は生憎と魔力を持たない普通の人間なので仲間外れだ。

 これは別にマグル婆さんが魔法薬を独占しているというわけではなく、魔力を持つ魔法薬の調合や栽培には多少なり魔力を持っていないと、非常に大きな危険と伴うもので、魔法の素養を持たぬ村の人々が扱うと死人が出かねない為だ。

 そういった事情は村人全員が理解しているし、マグル婆さんはほとんど無償で魔法薬を調合してくれているし、また医師や薬師の居ない近隣の村の人々も頼りにしているから、下手をしたら村長以上に尊敬を集めている我がベルン村の大人物なのだ。

 私は庭内で更に生垣で区切られた魔法薬の調合用の別棟に向かい、ドアの所に居た毛並みのつややかな黒猫に、お邪魔する、と挨拶をする。

 石畳みの上で寝そべっていた黒猫は、閉じていた瞼を開き黄金色の瞳で私を見ると、にゃあ、と短く鳴いて挨拶を返す。

 マグル婆さん三匹の使い魔のうちの一匹である黒猫のキティだ。どんなに離れていてもマグル婆さんと感覚を共有し、魔物相手ならその素早い動きで頸動脈を一裂きしてみせる小さな戦士である。

 ドアを開けば調合棟の中の様々な植物の混合臭が私を包み込んだ。天上に渡された梁や縄には乾燥した花々がびっしりと吊るされて、入口のドアから見て正面には古びた書物で埋め尽くされた棚がある。

 右側には調合の為の大中小の窯が三つと鍋の掛けられた暖炉が一つ。左側にはフライパンやお玉、ハンマーや鋏、包丁と調合用の器具を入れた棚だ。

 部屋の中央に茶器と黄ばんだ背表紙の書物、乳鉢などで埋め尽くされた丸テーブルと椅子が二脚置かれて、すでにマグル婆さんが腰かけて私の来訪を待っていた。

 裾のほつれた赤茶色のケープと腰にまわした草臥れた革のベルトにはいくつも小袋を下げ、足元はサンダル履きだ。白髪を三つ編みにして粗末な青い紐で纏めている。

 皺に埋もれた様な小さなマグル婆さんの緑色の瞳が私の顔をまっすぐに見つめると、穏やかな慈笑を浮かべる。

 これが辺境では希少な魔法使いであり、同時に医術も修めた魔法医師のマグル婆さんだ。

「よう来たね、ドラン。さあ今日は解毒用魔法薬の調合法のおさらいだよ」

 もそもそとわずかに唇が動いた様にしか見えないが、マグル婆さんの声はしっかりと私の鼓膜を揺らす。私は首肯し、マグル婆さんの目の前に置かれている椅子に腰かけた。

 竜語魔法(ドラゴンロア)や精霊との交感に関しては世界有数の自負がある私が、なぜそもそも魔法薬の調合などという手間のかかる事をしているかと言えば、何と言う事はない。

 魔法薬の調合方法を知らないからだ。そもそも私だけでなく大概の竜種は薬など必要としないし、傷や病を癒す回復魔法を使う機会とて生涯の間に一度あるかないかだろう。

 生物としての能力が極めて高い私達竜種は、大概の傷など栄養をとって眠ればさっさと治るものだし、病もほとんど存在しない。

 必要に迫られる事が極めて乏しいから、医療技術や医療品関連がまったく発展しなかったのである。第一竜の私がどうして人間用の魔法薬を知っているというのか。

 そんなわけで私は一からマグル婆さんに魔法薬の調合について学んでいるのだ。
対価はマグル婆さんのお使いである。

 調合の手伝いや材料の調達、肩たたきなどなど。マグル婆さんにはもしもの時に備えて魔法薬の調合が出来る人間を一人でも多く確保しておきたい、という考えもあっただろう。

  私は極めてまじめで知識欲に貪欲な生徒として、マグル婆さんの授業に全神経を注いだ。

 大地の彼方に夕陽が沈むまでの短いマグル婆さんとの授業を受け終え、私がマグル婆さんに礼を告げて、家に帰ろうとした時に調合棟のドアが勢い良く開き、エプロン姿のアイリが顔を覗かせた。

 いつものブラウスの上にアイリ用の小さなエプロンを身に付けた我が幼馴染は、小さく首を傾げる私の顔を見る、というよりも睨みつけてきた。

 解せぬ。

 アイリはマグル婆さんの孫娘の三姉妹の末にあたる。代々魔法医師を継いできたマグル婆さんの家の後継者候補の一人で、私の姉弟子といってもいいだろう。いまは私共々魔法医師見習いといったところか。

「ドラン、今日は家で食べて行きなさい!」

「いや、今日はもう帰るつもりなのだ」

「おじさんとおばさんには許可を取ったわ。それにもうドランの分も含めて夕飯作っちゃったもん。貴方が食べて行かないと無駄になるのよ?」

 薄い胸を張り、アイリは両拳を腰に当てて私の反論を即座に潰す。彼女の中で私が夕食をご馳走になるのは決定事項のようである。

 アイリとそのご家族からのご厚意は大変ありがたいものであるが、血の繋がった家族との食事は私にとって特別であるし、弟や兄を差し置いて一人だけご馳走になる事への引け目もあった。

 どうしたものかと私が悩んでいるとアイリは、私が判断を下さないことにいら立ったのか、眉毛を八の字に曲げて私の顔をじっと睨み付け出す。

 そんな恨みがましげに睨まれてもな、と私が密かに嘆息していると、孫娘の様子に感じるものがあったのか、マグル婆さんが椅子に揺られながら口添えをした。

「ドラン、アイリの言うとおりにおし。師匠命令だよ」

 師匠にそう言われてしまっては私に逆らえるわけもない。私は降参だ、と言う代わりに両肩を竦めてみせた。途端にアイリは輝く様な笑みを浮かべて見せる。ふむ。この笑顔が見られるのなら私の意思を曲げるのも止む無しかもしれない。

「おばあちゃん、ありがとう。ほら、ドラン、おばあちゃん、行きましょ。みんな待っているわよ」

 やれやれ、現金なものだ。とはいえご馳走になることそれ自体は単純に嬉しいのも事実。私が居ない分、マルコも多く食べられる事だろうし。

 私とアイリは手を貸してマグル婆さんを椅子から立たせ、杖を突かねばならぬマグル婆さんに合わせた歩調で本宅へと向かった。

 屋根から飛び出した真っ黒い煙突からは、もくもくと煙が立ち上っている。特に強化しているわけでもなかったが、私の鼻は食欲をそそる良い匂いをかぎ取っていた。

 ふむ。せっかくのご馳走、しっかりと頂く事としよう。私は素直に食欲に従う事にした。

 夕陽が沈んで暗闇の帳が世界に落ちた頃、私はアイリの家にお邪魔し、アイリの家族達と食卓を囲んでいた。

 分厚いテーブルの上にはみずみずしい新鮮なサラダや茹でてからバターを乗せたホコロ芋、トビウサギのシチュー、オオキバワニのソテー、焼き立ての黒パン、ドゥードゥー鳥の目玉焼きが所狭しと並んでいる。
 
 ううむ、我が家では滅多に見られないご馳走である。ますます両親や兄弟に対する申し訳なさが私の胸の内で大きくなったが、ここまで来ては食べる他ないと私は腹の虫を鳴らしながら覚悟を決めた。

 テーブルを囲んでいるのはアイリの母であり魔法医師でもあるディナおばさん、その夫で入り婿のドルガおじさん、それにアイリの七つ上の次姉リシャさんである。

 他にもう一人アイリの一番上の姉で今年十九歳になるエルシィさんが居るが、エルシィさんは家を出て、ベルン村の魔法医師ではなく王国の兵士として働いている為、この場にはいない。

 目下リシャさんがディナおばさんの後を継ぐ目算が高い。全員が揃い、今日の糧が得られた事を大地母神マイラスティに感謝の祈りと言葉を捧げてから、料理に手を付ける。

 大地母神マイラスティは大地の豊穣を司る最高位の女神である。長い黒髪をまっすぐに伸ばし、黒瑪瑙を思わせる美しい瞳に穏やかな光を宿した包容力に満ちた美女の姿をしており、大陸で広く信仰されている大神だ。

 性格の方も非常に慈悲深く包容力に満ち溢れていて、人間が信仰するに値する珍しい神であると私は思う。面識があると言ったら……まあ頭の可哀想な子供扱いされるのがオチか。

 かつて多くの神魔と戦った私が祈りを捧げても受け入れてくれるかどうかは謎であるが、私の糧となる食材や作ってくれたディナさんやリシャさんに対する感謝の気持ちは本物だったので、大人しく私も祈りを捧げる。

 祈りが終わりディナさんの合図で食事が始まる。なおこの家の力関係はマグル婆さん、ディナさん、ドルガさんの順に強い。魔法薬の調合が出来ず入り婿である事を考えれば、妥当なのだろうか。

 ディナさんは赤い巻き毛を背の中ほどまで伸ばし、起伏に富んだ体つきと三人の子供が居るとは信じられない若々しい風貌の女性だ。子供を相手にする時は殴って叱るよりは、宥めすかして諭す人である。

 ドルガさんは我が父と同じような逞しい肉体の主だが、背丈が210シム(約189センチ)もあり、私など目の前に立たれるとまるで壁が立ちはだかっている様な錯覚を覚える。

 顎を針金の様に硬い髭で覆い、白い物の混じる黒髪を後ろに撫でつけた寡黙な人だが、父と並び村屈指の戦士で非常に頼りにされている方だ。

 リシャさんはふんわりとした雰囲気をしていて、髪は父親譲りの黒髪で大きくウェーブする癖のあるその髪を腰に届くまで伸ばし、母譲りの大きく突き出た胸やくびれた腰、肉付きの良いお尻を誇る美少女で村で一、二を争う人気がある。

 やや垂れ目がちで左の目元には泣き黒子があり、染み一つないリシャさんの肌の中にあって夜空の星の様な存在感を持ち、温かな雰囲気のリシャさんにそこはかとない艶を加えている。

 アイリはまだ成長期であるからともかくとして、三姉妹の長姉であるエルシィさんの体つきを思い出し、同じ母の胎から生まれたと言うのにあの体つきの差は何であろうか、と私は生命の神秘に思いをはせた。エルシィさんの体つきは起伏の無い平原に良く似ているのだ。

 そんな姉とは逆にリシャさんはまだ体は成長していると言うから、余裕を持たせてゆったりとしたワンピースに身を包んでいる。
 
 リシャさんは食事を始めてしばらくすると、サラダを突いていた木製のフォークを置いて、にっこりと優しい笑みを浮かべて私に質問してきた。なお私の左がリシャさんで、右にはアイリが座っている。

「ねえ、ドランくん、今日のお料理の味はどうかしら? 貴方の好みに合うといいのだけれど」

「美味しい。ふむ、今日の料理はリシャさんが?」

 実際食卓に並んでいる料理は、私の人生を振り返ってみても三指に入る美味しさである。豪勢さでは一番だ。
 
 私の理性は食欲に押し負けて、最初は遠慮していたお代わりも今は堂々と頼んでいる始末。
 
 我ながら少々自制心が足りないと後日反省する事になるが、いまは舌の感じる美味しさに夢中であった。まだ十歳なのだ、許して欲しい。

 私の答えにリシャさんは悪戯っぽく笑うと、私越しにアイリへと向けてなんとも可愛らしくウィンクをして見せる。

 どういう意図があるのか、と私がリシャさんの視線を追ってアイリの方を振り返ると、私が頼んだシチューのお代わりをよそってくれていたアイリが顔を赤くしていた。

「お、お姉ちゃん!」

 私に内緒にしたかったのかアイリはリシャさんに抗議の視線を送るが、私はアイリの手から皿を受け取って、アイリを席に座らせてからアイリの瞳をまっすぐに見つめて言った。

 調合棟に入って来た時のエプロン姿にはこういう理由があったらしい。

「そうか、今日の料理はアイリが作ってくれたのか。とても美味しいよ。ありがとう」

「……う、うん。残したら、ダメなんだからね」

 アイリは笑顔を浮かべて礼を告げる私の視線が嫌だったのか、そっぽを向いてぼそぼそと小声で告げる。ううむ、私の笑顔がそんなに嫌なのか。すこし傷ついた。

「欠片も残さん」

 それでも私にとってアイリが私の為に料理を作ってくれたという事実は、思わぬ喜びであった。アイリに告げた通り一欠片も残さず平らげるべくスプーンを手に取った私は、ふとアイリの顔にパン屑がついているのに気づいた。

「アイリ」

「なに?」

 私の声に素直に従ってこちらを向いたアイリの顔に指を伸ばし、私はパン屑をひょいと摘むと自分の口に運ぶ。

「パン屑がついていたぞ」

 アイリは私が花を髪飾り代わりに刺してやった時の様に、酸欠のサハギンの如く口をパクパクとさせ、顔を真っ赤に染める。私がじっとアイリの顔を見ているとやがて絞り出す様にしてこう言ってきた。

「……ば……馬鹿」

 解せぬ。

 パン屑を取ってやったと言うのに馬鹿と罵られるとは、どういうことだ。やはり女と男は永劫に理解し合えぬ生き物なのだろうか。
 
 神々とて男神と女神で争う者達もいるのだ。その創造物である人間もまたそうであったとしてもおかしくはないが、アイリと分かり合えぬと言うのなら、それは私にとって深い悲しみを覚えるものだ。

 ふとテーブルを囲んでいるアイリの家族の顔を見回すと、全員が揃ってにこにこと明るい笑みを浮かべて私とアイリを見ていた。はて、精通の事を相談した時の父母に近い笑みだが、私とアイリがなにかしただろうか。

 テーブルに両肘をついて組んだ指の上に卵型の綺麗な顎を乗せたディナさんが、私に質問をしてきた。ディナさんの元々豊かな胸が両腕に圧迫されて、ブラウスから覗く肉の谷間は極めて深い。

 私は鼻の下を伸ばす事はなかったが、下半身は正直に反応していた。幸い両隣のリシャさんとアイリには気付かれていない。

「ねえドラン。ドランは村の女の子の中で好きな子とかいる? 結婚したいなって思う女の子とかはいないのかしら。そろそろそう言う事を考える年よね」

 ディナさんの質問に、なぜだか私の右に座るアイリが息を飲んでディナさんを見つめたと思ったら、すぐに私の顔を見て来たので、私もアイリを見つめ返すとアイリはすぐに視線を逸らして俯いてしまう。

 忙しない娘だ。普段はこうではないのだが、やはり家族の前だと色々と気が緩んで、私や村の友達の前では見せない所を見せるのかもしれない。

 私はディナさんの質問に腕を組んでふむ、と呟いてから真剣に考え込む。いかんせん私の魂の感性は竜である。
 
 肉体は人間なので人間やそれに近しい姿をしていれば反応して欲情はするが、恋愛感情を抱くかと言うといまひとつわからない。

 だが家族に対して向けているのは間違いなく愛情であるから、私も人間を相手に恋をするのかもしれない。

 そしてなぜかドルガさんの視線がまるで矢の様に鋭く私に向けられていた。なにか悪い事をしただろうか?

 取り敢えず私は村の少女達の顔や普段の言動を脳裏に思い描いてゆく。好き、結婚したいと言う事は一生を共にするという事である。ならば一緒にいて苦痛ではなく楽しい、好もしいと思える人物を選ぶのが適切であろう。

 そう考えた時、私の頭にはアイリの顔がすぐに浮かびあがって来た。私はそれを口にする。

「アイリだ。村の少女達の中では私はアイリが一番好もしい」

 ディナさんは私の答えに満足したのか笑みを更に深め、鋭い視線を送っていたドルガンさんは目を瞑って、仕方がないとでも言う様に溜息を吐いている。マグル婆さんに至っては、ほっほっほ、と笑い声を上げる始末である。

 私は何か道化にでもなった様な気分になって、結婚するならアイリと告げることがこうも笑いを誘う理由が納得できずにいた。

 さてアイリはと言うと先ほどからずっと俯きっぱなしなのは変わらなかったが、今は耳やうなじに至るまでが真っ赤だった。

 いきなり好きと言われて反応に困っているのかもしれない。次からは時と場合を良く考えて言うようにしよう。

「良かったわね、アイリ。でも残念だわ。私はドランくんの一番じゃなかったのね」

 リシャさんが右頬に手を添えて至極残念そうに私に告げる。顔と声は残念そうではあったが、どこかからかう様な響きがあるのを私は聞きとっていた。柔らかな雰囲気のリシャさんだが私や私の兄弟相手だと、こういう風にからかう癖がある。

「リシャさんはアイリの次だ。僅差で二番目になる」

「あら、じゃあ頑張ってアイリからドランくんを取っちゃおうかしら。ドランくんがもう少し私と年が近かったら、私を選んでもらえたのかな?」

「だだ、ダメよ! お姉ちゃんはドランを取っちゃダメ!!」

 それまで口を噤んで俯いていたアイリが勢いよく顔を上げた飲みに留まらず、椅子を蹴倒して立ち上がり、ばん、と音を立ててテーブルに手を突いてリシャさんに大声で抗議した。

 ふむ。静かにしていたり大声を上げたりと、今日は色々なアイリが見られるな。
私が呑気な感想を抱く一方で、リシャさんはアイリの反応にくすくすと鈴を転がす様な笑声を零し、それでアイリは自分がからかわれた事を知ると、頬を膨らませて椅子を戻して座った。

「アイリったらねえ、この間ドランくんに貰った花を大切にしているのよ。可愛いでしょう?」

「お姉ちゃん!?」

 アイリが気を緩めた瞬間を見逃さぬ辺り、リシャさんは流石姉妹と言った所だろうが、そろそろアイリをからかうのを止めにしないと料理が冷めてしまう。

 幸い私の危惧した様なアイリへのからかいはそれ以上は止んで和やかに歓談が進み、機嫌を損ねていたアイリも腹を満たせば機嫌を良くし、私とも普通に話をしてくるようになった。

 ふむ、今度アイリの機嫌を損ねたら胃袋を攻めることにしよう。用意されていた食事を宣言通りに欠片も残さず食べた私は、服を着ていても分かるほど膨らんだ腹をさすりさすり、ドルガさんに家まで送ってもらう運びとなった。

 玄関まで出てきてくれたアイリやリシャさんに手を振って別れを告げ、口数の少ないドルガさんとぽつりぽつり言葉を交わしながら我が家に帰った私だが、別れ際ドルガさんに呼び止められる。

 ドルガさんは私の視線に合わせて膝を折り、その岩から削りだしたように固く大きな手を私の肩に置いて、鋭い視線を私の瞳をまっすぐに見る。

 月と星の明かりだけが頼りの夜だが、ドルガさんの瞳に真剣な光が宿っているのを私は直感的に悟る。

 黙ってドルガさんの言葉を待つ私に、ドルガさんは石と石とが擦れる様な重々しい声でゆっくりと、噛み締めるように告げる。

「いいか、ドラン。男がしちゃいけねえ事の一つは女を泣かす事だ。アイリが自分で決めた事なら何も言わねえつもりだったが、おれもやっぱり父親だ。これだけは言わせてもらうぞ。アイリを泣かすんじゃねえ。いいな?」

 ドルガさんの真意を全て察する事が出来たわけではないが、私はドルガさんに頷き返して、ふと疑問に思った事を訪ねてみた。

「嬉し涙なら構わない?」

 ドルガさんはこの人には珍しくきょとんとした顔を作ると、小さく笑って私の頭をやや痛い位にぐしぐしと撫でまわした。

「お前は大物だよ。今日はもうゆっくり寝とけ。明日も朝から働かにゃならんからな」

「おやすみなさい」

 取り敢えずドルガさんの機嫌は良くなったようである。私は背を向けるドルガさんの背中が見えなくなるまで見送ってから、我が家の戸を開いて家族の元へと帰った。

 女の気持ちは分からんが男の気持ちもいまひとつ分からん。人間とはまことに摩訶不思議な生き物である。

「ただいま」

 マルコや兄にどんなものを食べてきたのか、どんな話をしたのか聞かせてくれとせがまれ、その全てに受け答えして疲れを感じ始めた頃、父と母に促されてようやく私は寝台へと入る事が出来た。

 ラミアの少女セリナと出会い彼女と情を交し、アイリの家でご馳走になるなど今日はいつにもまして騒がしい日であったが、同時に非常に充実してもいたから、私はとても満足した気持ちで眠りに就いた。

 筈だったのだが四鐘(四時間)ほどした頃、私は私が密かに村の周囲に埋設している探知結界に、一体の魔物が触れるのに気付いて即座に眠りから覚醒する。

 一つの寝台で兄弟三人が窮屈に横になった体勢で、私は瞼を閉じたまま探知結界が捉えた魔物の詳細の把握に努め、結界の伝えてきた情報におや、と思い寝台を抜け出して魔物と会いに行く事を決める。

 私の腹の上に足を乗せている兄や、腕を締め上げているマルコ、隣の寝台の父母が起きぬように、私は睡眠作用のある霧を発生させるスリープミストという魔法を発生させて皆の眠りを深いものにし、マナを用いて実体を伴う分身を作って私の身代わりにする。

 これでもし誰かが目を覚ましても私が抜けだした事はばれまい。またいざとなれば即座にこちらに転移魔法で戻ってくれば対処のしようもある。

 さて、と私は一つ零し寝室に隣接する台所兼食卓で、村を北東から南西に横断する川の上流に姿を見せた魔物の近くへと、転移魔法を発動させた。

 私の足元に明滅する白い光の輪が展開し、それが地面から浮かびあがって私の頭のてっぺんまでを包み込むと、私の視界は一変した。

 見慣れた土の匂いのする家の中から、水の匂いと川のせせらぎ、夜に活発になる鳥の鳴き声や動物の息吹に満ちた野外へと私は一瞬よりもさらに短い時間で移動したのである。

 黄金の盆月と宝石箱を逆さにしたように夜空の絨毯を飾る星明りの美しさに、思わず私は笑みを浮かべた。七人の英雄達に殺された日も今日の様な夜だったな。

 私の左手側には月光を浴びて川面が銀色に輝く川が流れ、右手側には明るい時に何度か足を踏み入れた事のある森が広がっている。

 狼の群れや熊、猪といった野生の獣だけでなくゴブリンやコボルトの小集団などが奥の方にだが居るので、大人の付き添いがなければ子供だけでは入ってはいけないと言われている森だ。

 私は夜景の美しさに惹かれた意識を本来の目的へと向き直し、私の出現と同時に木陰に隠れた魔物の姿を正確に捉える。咄嗟に隠れようとしたのだろうが、長々と下半身が木陰からはみ出しており、頭隠して尻尾隠さず、だ。

「出てきなさい。そなたである事は分かっているよ、セリナ」

 私は出来るだけ優しい声でラミアの少女の名前を呼んだ。私が敷いた探知結界は悪意を欠片も抱かずにベルン村に近づく彼女を捕捉したのである。

 悪意があってのことならば告げた通りに容赦を捨てるつもりであった私だが、セリナの意識には村人を害そうと言う意識は感じられなかった為、私はその真意を問いただそうと思いここに来たのである。

 私の声が聞こえたのだろう。木陰からはみ出ていたセリナの尻尾がぴくん、と一つ大きく跳ねるとおずおずとセリナが顔を覗かせて、怯えた子犬みたいな表情で私を見つめてくる。

 唐突に転移魔法で姿を見せたことで、私がセリナを処理しに来たのかと勘違いして警戒しているのかもしれない。

「怒ってなどおらぬ。こちらにおいで」

 つとめて優しい声で呼びかける私に、顔半分を覗かせて私の機嫌を伺っていた様子のセリナは、びくびくと清純さと妖艶さを併せ持った少女の上半身と巨大な蛇の下半身を震わせながら私の方へと近づいてくる。

 どこで調達したのか襤褸寸前のマントを肩から羽織っている。一応洗濯はしたようだが、随分と汚れが目立つし草臥れているからリザードの集落で見つけたのかもしれない。

 私のすぐ前まで来たセリナは私と目線を合わせることを避けているようで、私はそれに疑問を感じながらセリナに質問をした。

「どうした、なにかあったのか? 困った事があったのなら私の力の及ぶ限りそなたの力となろう。私はそなたの事を憎からず思っておるからね」

 セリナは私の言葉のどれかが琴線に触れたのか、それまで伏せていた顔をぱっと上げると、頬を紅潮させて胸の前でもじもじと指を突き合せながら私に答える。

 ふむ、相当に年若くまた同時に可愛らしい娘だ。初めて会った時に私に話しかけてきた口調は、かなり無理をしていたものに違いあるまい。

「困った事があったというわけではないのです。ただ私は、少しでもご主人様のお傍に居たくて」

 よほど恥ずかしいのか小声で告げるセリナの言葉を吟味し、ご主人様というのが私の事を指しているらしいと判断する。

 私は背後を振り返り、小さな豆粒の様なベルン村を見てからふむと呟いて顎に右手を添える。ここからならベルン村がかろうじて視認できる距離だ。

 私の傍に居たくともあまり村に近づけば村人に見つかって騒動となるだろう。その事を危惧して、村の見えるこの場所で二の足を踏んでいたのか。

「セリナ、どうして私の傍に居たいと思うのだね。それに何故私をご主人さまと呼ぶ?」

 いつかまた会えれば良いな、と思ってはいたが、セリナの方がそれほどまで私の事を想っていたとはいささか想定外だ。

「私は旦那さまを探す為にお家を出て旅に出たのです。それで、私はご主人様にお会いすることができました。きっと、いいえ、これからどれだけ時間をかけてもご主人さまより素敵な方は絶対に見つかりっこありません。
 ご主人さま、私をお傍に置いてください。奴隷でも何でも構いません。なんでもします。どんなことでも我慢します。私の身も心もご主人様に捧げます。私はもう、ご主人さまのお傍でないと生きていけないのです」

 熟したリンゴの様に頬を紅潮させ、青い瞳を潤ませながらセリナは切実な声で私に訴えかけてきた。

 魔物である自分と一応人間である私が傍に居ることの難しさを理解しながら、それでもなお私の傍に居たいと願う少女の想いと姿に、私は胸の奥が締め付けられるような、高鳴るような感覚を覚えた。

 妙だ。やけにセリナが愛おしく思える。だが、悪い感覚ではない。私はセリナの腰に手を回して抱き寄せると、お互いの顔が瞳に映るほど顔を近づけて、セリナに囁きかける。

「奴隷などと言ってはならぬ。私はそなたをその様に扱うつもりはない。セリナ、そなたの気持ちはとても嬉しい。ありがとう。だが私はきっとそなた以外の女性にも手を出す。そんなどうしようもない男だ。もっと良く考えた方が……」

「他の女の人の事なんか気にしません。私はご主人様のお傍に居たいのです。その為なら何だって我慢すると申し上げました。私の気持ちを嬉しいと仰って下さるのなら、どうか私をお傍に置いてくださいませ」

 どうやら私の方が無粋なことを口にしたらしい。セリナが傍に居たいと願うに値する男であり続けることの方が、セリナに対する礼儀であろう。それに、私もセリナに傍に居て欲しいと、この時強く欲していた。

 私は今にも涙を零しそうになっているセリナの目尻に唇を寄せて涙を吸い取ってから、不安の気持ちに心揺らすセリナに微笑みかける。

「セリナ、ならば私の傍で生涯を過ごすが良い。私はそなたが傍に居続けるに値する男であり続けよう。もう一度、礼を言う。私を選んでくれてありがとう、セリナ」

「ご主人さまっ!」

 感極まったのか新たな涙を浮かべるセリナに、私は一つだけ気になっていた事を注意した。

「ただし私の事はドランと呼びなさい。私は父母から与えられたこの名前を気に入っている。私の傍に居ると言うのなら私を名前で呼ぶ事が条件だ」

 もちろんセリナの答えは決まっている。そこに小さな太陽が生まれた様に明るい笑顔を浮かべて、セリナは私に答える。

「はい、ドランさま」

 そして私達は互いの顔をしばらく見つめ合った後、引かれる様にして顔を寄せ合い、唇を重ねる。月よ、星よ、そんなに見つめてくれるな。これから先は私とセリナだけの時間なのだから。

「ふう」

 と私は一仕事を終えて満足した時の父の真似をして吐息を吐き、川辺の大きめの石の上で胡坐を掻いた私の膝の上に頭を預けているセリナの金色の髪を、飽きることなく指でけしくずる。

 二度目とあって前回よりは自制の利いた私は、セリナが気を失う寸前で止めることに成功し、いまは互いの体を清めて余韻に浸っている時間であった。

 セリナは私の膝に頭を預け、時折えへへ、と嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべるきりで、私に身を預け切っている。まったく、可愛いものだ。

 眩い月光を浴びながら、私は川面をなんとはなしに眺めていた。父譲りの黒髪と母譲りの青い瞳の私が水の鏡に映し出されている。

 同年代の中では少し高めの背丈はともかく、顔立ちはどうだろうか。いまひとつ自分の顔となると判断が着かない。

 母やリシャさん、ディナさんはかっこいいと褒めてくれてはいる。マルコほどではないにせよ、私はどちらかと言えば母に近く、それなりに他人にも見せられる顔をしている……多分。

 さて自分の外見に対する考察はともかく、私はこれからの事を考えた。セリナは私の傍に居ることを望み、私もまたセリナが私の傍に居ることを望んだ。

 だがお互いにそれを望んだからと言って、はいそうですか、と私達が傍に居られるかと言うとそうではない。

 どうすればセリナが村に住む事が出来るのか、村人に受け入れられるのか、私はセリナの金の髪と頭を撫で続けながら、答えを求めて考え続けた。

<終>

主人公
・やだ、なにこの子可愛い
・胸がキュンキュンする

セリナに対してはこんな感じです。
エロはXXX板に移動した方が良いと言われない程度に抑えるようにいたします。
次はどのモンスター娘にしようかな。

設定・質問など

1シム=0.9センチ 100シム=1メル=90センチ
1グラ=0.9グラム 1000グラ=1キラ=900グラム
1リンル=1000メル=900メートル
一鐘=一時間 半鐘=三十分 四半鐘=十五分

いくつかご質問にお答えいたします。

①ドランの容姿に関しては皆さんのお好きなように想像していただけるようにわざとぼかしていましたが、やはり描写した方がよいでしょうか。とりあえず本編後半で簡単に描写しましたが場合によってはより詳細な容姿を書きます。

②前世主人公の死からどれだけの時間が経過しているのかは、実は未定で勇者達が出るのか、その子孫が出るのか思案中です。どちらでも大丈夫な展開は考えてはいます。主人公は特に勇者達を恨んではおらず、俗世に縛られる勇者達に憐みを覚えています。

③登場するモンスター娘ですが、由来はともかく基本はなんでもありです。さすがに由来や伝承などはこの作品世界風に変更することを余儀なくされるとは思いますが、あと私がこれはありだな、と思うかどうかに依りますです。

④前世主人公を倒した勇者一行ですが、人類史上二度と結成できないのではないか、と言う位のドリームチームです。人間を創造した神々がこいつら強すぎじゃね? とビビる位で転生した主人公相手ならほぼ互角。そんな勇者達一行にバグキャラである主人公を倒す為の対バグ用のワクチンである竜殺しの剣が与えられた事と、主人公が死んであげたのが勇者一行の勝利の要因です。

⑤主人公はその内背中から刺されるか、毒殺されるかもしれません。

ステータスの表示は避けた方がよろしかったでしょうか? 主人公の歪さを端的に表す手段として採用したのですけれども。

また読みにくいとのご指摘ありましたので行間を空けましたいかがでしょうか?

最後にラミアのセリナが年上っぽくなくなって従順なキャラクターになってしまい、残念に思われた皆様にはお詫び申し上げます。すこしチョロすぎたかもしれませんね。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生④
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/10/05 08:52
さようなら竜生 こんにちは人生④ ラミア編完


 私の傍に居たいと懇願してきたセリナの想いを受け入れた私は、セリナとの甘く淫らな時間を夜が明けるまで過ごし、瞳を潤ませて別れを惜しむセリナを慰める為に口付けしてから、我が家へと転移魔法で帰宅した。
 寝台に寝かせていたマナで作った身代わりを還元してから寝台に潜り込み、スリープミストの効力を打ち消しておくことも忘れない。両親が目覚めるまであと半鐘(三十分)ほどだが、それでも一応私は目を瞑って寝たふりを決め込む。
 心苦しいがセリナには、村で暮らせるようになるまでの間は取り敢えずあの川の近くの森に、姿を隠してもらう事になっている。セリナを村に招き入れるにあたっての問題は、まず彼女が村人に危害を加えない魔物であると信頼してもらう事だろう。
 では信頼とはどのようにして得られるものか。といえばこれは過去の行い、実績によるところが最も大きいと私は思う。当然セリナにはその実績がないのだから、これからそれを作って行かねばならない。

 仲睦まじい人間の父とラミアの母に育てられたと言うセリナの生い立ちと彼女自身の性格を考慮すれば、元から積極的に人間に害を成そうという類の魔物とは正反対である事もあって、セリナが人間の中で暮らしてゆく事はそう難しくはあるまい。
 主食である精気は人目を忍んで私がいくらでも与えてやればよいのだ。
 となるとベルン村の人々にセリナを受け入れても良いと思わせる実績、あるいは有益性を示す事が肝要であろう。
 セリナが村の一員となった場合にまず思いつくのは、年若いとは言えラミア種というここら辺ではまず見かけることの無い強力な魔物が味方になることだ。
 猛毒を滴らせる牙と強靭な蛇の下半身に、魅了と麻痺の力を持つ魔眼と中級の魔法を駆使する能力は、駆け出しの冒険者のパーティーを容易く全滅に追い込むだけの戦闘能力である。

 これは非常に大きな魅力であるが、同時にその力が村の人々に向けられた時の事を考えると、いささか問題となるだろう。戦力として以外の面でセリナを迎い入れるメリットを考えると、年に一度行うと言う脱皮の時に残される蛇の下半身の皮だろうか。
 上手く加工すれば地属性の魔法に対する耐性を備えた防具を作れるし、また魔力を帯びた素材として魔法使いなどには重宝される品だろう。年に一度という回数の制限はあるが、なかなか魅力的な臨時収入となるのは間違いない。
 またラミアの持つ麻痺性の毒液は、村で野草や毒茸などから調合する毒よりも強力で即効性があるから、狩猟以外にも魔物の迎撃や討伐の際には頼りになる。
 これらの事を一つ一つ頭の中で検討し、セリナをどのように紹介する事が村の人達に最もスムーズに受け入れられる方法であるかを、私は日々の農作業をする間も頭の中でずっと考え続けていた。
 ふむ、と私が一つ零すと、大人の女性の声が私の鼓膜を揺さぶった。

「あらドラン、どうしたのこんな所で立ち止まったりして」

 声のした方を私が振り向くと、そこには二十代半ばほどの女性がおり、考えに没頭するあまり足を止めていた私を不思議そうに見ていた。
 ミウさんという名前の女性で、茶色の髪を肩に掛る程度で整えており、赤麻のワンピースを着ている。
 赤子の頭ほどもあるのではないかと言う位に大きな、村一番の乳房が大きくワンピースを押し上げており、今にも布地が張り裂けてしまいそうだ。
 だがそれも彼女の種族を考えるとそう特別なことではない。ミウさんはこのベルン村でも数えるほどしかいない、人間以外の種族なのである。
 ミウさんは牛人と呼ばれる獣人の一種であり、ぽやっとした印象の綺麗と言うよりは可愛いという感じのする美貌だが、頭の左右の髪からは牛の耳が覗き、ワンピースの臀部には尻尾用の穴が空いていて牛の尻尾がミウさんの尻から伸びている。

 また太ももの半ばまでは牛の毛皮に包まれて足首から下は人間のそれとは違い、牛の蹄になっているから、靴やサンダルを履いている所は見た事がない。
 牛人の女性に共通する特徴として、妊娠していなくともかなりの量の乳が出るのでミウさんの乳は村の人々の間で愛飲されている。かくいう私も小さい頃は母のおっぱいの代わりにミウさんのおっぱいを頂いた事があるし、今でも時々食卓に上っている。
 また獣人の常としてミウさんのような女性の細腕であっても、牛馬にも負けぬ力があり日々の農作業でも頼りになる。
 ミウさんはベルン村から二十リンル(約十八キロメートル)南に在る都市ガロアに住んでいた女性で、ガロアに用事があって出向いた今の旦那さんと出会い、大恋愛を経て結婚してベルン村に移り住んだ方である。
 またああ見えて実年齢は三十代半ばを越えており、既に今年で十四歳になる娘さんと十二歳になる息子さんが居て、娘さんもそろそろ乳の出る頃だったろうか。
 総じて獣人は人間よりも寿命が長く若い期間も長いから、子宝に恵まれる傾向がある。まだまだ子供は増えることだろう

 このミウさんのように獣人種は昔から人間種との付き合いが長く、歴史を振り返れば国家規模の戦争を行った過去があり、いまでも奴隷として扱うなどの差別を行っている国もあると言うが、全体的に見れば比較的友好的な種族であると言っていいだろう。
 まあ獣人種と一括りにするには多種多様であるから、いささか乱暴な意見である事は認めなければなるまい。
 ミウさんのような牛人の女性は昔から人間と深く付き合いのある種族で、ベルン村でなくとも、人間の村落に行けば一人か二人は見かけることもあるらしい。
 付き合いの長さから種の傾向として穏和であることや、栄養価が高く美味な乳を得られる事が人間の間でも広く知悉されている為に、半人半牛の外見であっても簡単に受け入れられているのだ。

 人間と人間以外の生物の特徴を併せ持っているという意味では、セリナもミウさんも同じだが過去の積み重ねで培った実績の違いはいかんとも埋め難い。
 村の方が歓迎したミウさんとは違い、今のままではセリナを連れてきても追い払われるのが関の山であろう。
 竜として生きていた時にはまったくもって経験した事の無かった事態に、私は人間社会の構造の難解さに頭を悩ませ、ついついミウさんをまじまじと見つめてしまう。
 セリナの性格なら村の人達とも上手く付き合えるだろうし、ミウさんも先達として色々と助言をして下さるだろう。私はセリナの笑顔を思い浮かべ、彼女と自分の為になんとかしたいという想いばかりを募らせる。
 すると押し黙る私を不審に思ったミウさんが、細長い牛の尻尾を左右にくねくねと動かしながら、可愛らしく首を傾げた。実年齢の半分位に見られる愛らしさは、村の大人の男達がミウさんの旦那さんに恨みがましげな視線を送る理由の一つだ。

「ドラン? 早く行かないと置いていかれるわよ。今日は皆で訓練の日でしょう」

「ん、ああ、そうだったな。ありがとう、ミウさん」

 ミウさんの言う訓練とは定期的に、村の子供達が駐在の兵隊や大人達に引率されて、村の外に棲息する野生動物や弱い魔物を相手に実際に戦うのと、村の中で組み手をしたり武器の扱いを習う事で、今日は前者だ。
 魔物の跋扈する辺境ともなれば、例え齢十歳の子供であろうと武器の扱いは当たり前に習うものだ。村が魔物の集団に襲われた時、家の奥で怯えて震える子供よりも弓に矢をつがい、槍を突きだす事の出来る子供の方が重宝される。
 非情だと感じるものもいるかもしれないが、それは子供を戦力として考えなくても良い恵まれた環境で生まれ育った者の感じ方だろう。
 魔物や野盗の脅威は大人と子供の区別なく平等に襲い掛かってくる。ならば子供であろうと抗う術を学び生き残る手段を知っておく事は、必須だ。
 村が襲われた時、辺境に生きる人間に与えられる選択肢は、村が丸ごと壊滅するか、襲ってきた相手を壊滅させるかの二つである事がほとんどである。

 私は腰にまわした皮ベルトにブロンズダガーを鞘ごと差し込み、背に矢筒と木製の短弓を背負い、手にはツラヌキウサギの角を加工して槍穂にした百九十シル(約百七十一センチ)ほどのショートスピアを持っている。
 先日昼に戻るという約束を破り父に怒られたばかりだと言うのに、更に今日もまた訓練に遅れたとなれば、私の頭に落とされる拳骨の威力はいかばかりか。
 なにより父と母をがっかりさせてしまう事が私には恐ろしかったので、ミウさんへの挨拶もそこそこに私はその場から走りだした。兄とマルコも一緒に家を出たのだが、どうやら私を置いて先に行ってしまったらしい。
 考えに没頭すると他の声が聞こえにくくなる私の悪癖を知っているとはいえ、いささか薄情ではないだろうか。アイリの家に招かれてご馳走になった事へのささやかな意趣返しであるかもしれん。それでも私が悪いのは確かだが。
 私はとにかく集合の時間に間に合うようにと村の北門を目指して走った。

「気を付けて行ってらっしゃ~い」

 と私の背中に向けて手を振るミウさんののんびりとした声に、私は背を向けたまま左手を振って答えた。

 北門へと到着した私は幸いにして集合時刻に遅れることは避けられ、先に到着していたマルコと兄に合流した。槍を持っていない以外は私と同じマルコは私に気付くと笑顔を浮かべて手を振り、兄はと言うと手を組んだ姿勢でやれやれと溜息をついた。
 私の二つ上の兄ディランは百七十三シム(約百六十六センチ)の背丈に良く引き締まった肉体の持ち主で、短く刈った黒髪の下に父に良く似た骨太の目鼻顔立ちをもっている。
 兄が父に良く似た分、私とマルコは母に似たのかもしれないと、私は益体もない事を常々考えている。
 私とマルコ同様に兄が携えているのも木製の弓矢と槍だが、ダガーの代わりに幅の広い山刀を腰に吊るしている。以前村を襲ったゴブリンを返り討ちにした際に手に入れたモノを、父が兄に与えた品である。
 食べているものと普段の生活は変わらぬのだが、兄は力が強く体力も私やマルコよりもよほどある為、ダガーに比べれば随分と重い山刀も平気で振りまわせるのだ。

「遅いぞ、ドラン。遅刻ではないが皆を待たせる様な事はするな」

 兄の注意に心の中で完全に同意しながら私は短い答えを返した。

「すまん」

 なら私を置いていかないでほしい、という言い訳はしない。おそらく私に何度か声をかけた上で置いていったのだろうことは間違いがない。一重に非は私に在るのだから。
 軽く頭を下げる私に、兄はそれだけで何か言う事はなかった。
 他の子供とは違う私の様な奇妙な弟を、この兄はどう思っているのか時折兄の心を覗き見たい衝動にかられるが、不躾に他者の精神を覗く事は最も下劣な行いの一つであると私には感じられるから、その衝動はこれまで押し殺してきている。

「よし、全員集まったな」

 最後の一人であった私が姿を見せたことを確認し、引率役の王国の兵士が声を張り上げる。戦闘訓練はおおよそ六、七人ほどの村の子供のグループを二、三の大人が引率するのが通例である。
 今回の引率役は村に駐在している五人の王国の兵士の内、隊長であるバランさんとマイラスティ教の女神官であり、我がベルン村に派遣された神官戦士のレティシャさんの二人だ。
 バランさんは元々この村の出身で日焼けした褐色の肌に着こんでいる鉄製のブレストプレートを、はちきれんばかりに押し上げている筋肉の鎧を纏った屈強の戦士である。綺麗に顎髭を整え鋭い眼差しは猛禽類を思わせる。
 今日は訓練と言うこともありバランさんの防具はブレストプレートとグリーブ、ガントレットと、完全装備でなかった。
 その左腰にはバランさんの獲物である鉄の塊を先端に備えた鉄の棒――ハンマーが吊り下げられ、予備として鉄製のショートソードが左腰に下げられている。
 鉄製の武具ともなれば鈍らであっても、それなりの値段で取引されるもので国からの支給品でもなければ、平民がそう簡単に揃えられるものではない。
 王国の兵士になれば最低でも正規の鉄製の装備が与えられるし給金も出る。バランさんは故郷であるベルン村の駐在兵士になることを目的に、兵士になった方だ。

 故郷を守るとなれば士気が上がる、という事もあって王国では農村地帯や辺境から入隊した者はなるべく故郷の村かそれに近しい場所に配置する傾向にあるから、小さい頃から魔物や野盗との戦いを見て育ったバランさんにとっては願ったり叶ったりだったろう。
 なおミウさんの旦那さんがこのバランさんで娘さんを目に入れても痛くないほど可愛がり、息子さんの方は村を守れる戦士とすべく厳しく鍛え上げている。
 ミウさんのあのディナさんをも凌駕するおっぱいを独り占めにしているのかと思うと実にけしからん、と最近になって私も村の男性連中が時折バランさんに羨ましさと嫉妬をないまぜにした視線を送る理由が分かって来た。

 さてもう一人のレティシャさんであるが、こちらは確か二十歳になるまだお若い女性の方で華やかさはないが、一緒に居てとても落ち着く雰囲気の持ち主で、きさくで博識な事から村の皆から良く慕われている。
 もともと村には神官や僧侶の類はおらず以前から神殿や王国に一人でも良いから、人を送ってはいただけないかと嘆願書を送っていたのだが、それが功を奏して二年前から村に新設された小さな教会に派遣されたのがレティシャさんだ。
 辺境の僻村と言う事もありレティシャさんの聖職者としての位階は低いものだが、若いが故の情熱と確かな信仰をその胸に宿しており、素朴な村人たちとの暮らしには確かな生きがいを感じてくれている様に見える。
 神官戦士というのは聖職者の中で戦闘の訓練を積んだ者の事を指し、これはその人の聖職者としての位階を問わず呼ばれる。僧侶や侍祭、司祭であってもみな神官戦士として一括りにされるのだ。

 柔和な顔立ちと藍色の髪の毛先を綺麗に切り揃えて首の後ろで一括りにし、腰に垂らしたレティシャさんの風貌はとても戦う事など出来そうにもない。
 だがシンプルな白いマイラスティ教の聖職者のみが着用を許される祝福を受けた衣服と、教団のシンボルをあしらったネックレスの上から着込んだレザーメイルや左手のバックラー、腰のベルトに留められているアイアンメイスは良く使いこまれたものだ。
 既にベルン村で暮らし始めて二年の間に、レティシャさんもまた魔物などとの戦いをそれなりにこなしているのだった。
 まだ位階が低い為そう大した神聖魔法(神への信仰によって奇跡を起こす種類の魔法だ)は扱えないが、基本的な傷を癒すヒールと解毒効果のあるリカバーは使えるし、筋力や耐久力を増強させる魔法も最近習得したと言う。
 魔物との戦いでは欠かせぬ人材である。

「今日はいつも通りツラヌキウサギやオオアシネズミを相手にするが、慣れた相手だからと言って決して油断するな。三人一組、自分以外の二人の動きを良く見ながら戦うんだ」

 訓練を始める前に必ずバランさんが言う忠告に、私を含めた六人の村の子供達ははい、と素直に返事をした。
 武器を手に取りそれを使うと言うのは子供にとって単純にそれだけでも面白いものだし、訓練で取った獲物はその子供が家に持って帰って良いというのも、私を含めた村の子供が訓練を楽しみにしている理由だ。
 私としても魔法による強化を行わない素の人間としての身体能力を高め、戦闘経験を積む良い機会なので非常にありがたい。
 村を離れてヒールグラスの採取などでよく訪れる草原の、子供たちだけでは足を踏み入れない奥の方に到着した私達は、ツラヌキウサギやオオアシネズミ、ランバードの姿を求めて三人一組になって別れる。
 バランさんとレティシャさんはいざという時にすぐフォローに入れるよう、私たち全員を視界に入れられる位置に移動している。

 家を出る前にいつもより量の多い昼食を平らげ、活力に満ちていた私は春の暖かな日差しと遅刻を免れようと走った甲斐もあってほど良く体が温まり、気力も充実していた。
 私のグループは私とマルコ、それに幼馴染――それを言ったら村の子供全員がそうなのだが――の中でもとりわけ仲の良いアルバートの三人である。
 私の一つ上のアルバートは薄水色の髪にそばかすを散らした垂れ目の少年である。背丈は私とそう変わらないが、色々と目端が利き悪知恵も働く事から村の中では悪ガキとして知られている。
 夏になると子供同士で村の中を流れる川で水浴びなどしていたのだが、アルバートは女子に対する目線がいやらしいだのおっぱいやお尻を触ってくるなどの悪戯の度が過ぎた為に、水浴び禁止を言い渡された猛者である。
 ただ年下の者への面倒見は良いので、悪い評判ばかりと言うわけではない。私も物怖じせずに言いたい事を言うアルバートの性格は好もしく感じている。
 針金みたいに硬い髪の毛をトレードマークである緑色のバンダナで押さえつけ、三つ首蛇の皮を使ったベストを着こんだアルバートは、握った槍の先で草むらをかき分けながら私に話しかけてきた。
 アルバートの槍は折れたショートソードの切っ先を括りつけた品である。コボルトかゴブリンの持っていたもので、村を襲ったのを追い払った時にアルバートの父親が貰い受けたものだったと記憶している。

「お前が遅れるなんてめずらしいな。何かあったのかよ」

 同じく草むらを掻き分けて獲物を探すふりをしながら、嗅覚と聴覚、視覚を強化して既に獲物を捉えていた私は、そちらに意識を向けつつアルバートに答える。

「ハードグラスを大量栽培できないかとつい考えてしまってな」

「あ~、あの鉄みたいに硬い葉っぱだろ。あれが簡単に使えるようになればけっこう楽が出来るもんなあ」

 アイリの家の生け垣として使われているハードグラスは鉄並みの硬度を持つ植物であるが、ベルン村ではアイリの家でしか見られない代物だ。
 一枚一枚の葉は小さな楕円形の形をしていて、私の胸くらいの高さの木から伸びた無数の枝にその葉がついているのだが、このハードグラス、アイリの家の生け垣として使われている事から察せられるとは思うが、魔法を齧ったものにしか扱えぬ類の特殊な植物であった。
 衣服に縫いつけたり木製の農具や武器に巻きつけるなりすれば、鉄並みの硬度を持った道具がすぐさま出来上がるのだが、ハードグラスの栽培の難しさがそれを阻んでいる。
 マグル婆さんはこのハードグラスを粉末状にしたものを基本に調合を行い、塗したものに鉄の硬度を与える魔法薬を調合している。
 良く磨いた鉄を思わせる色合いの粉末状の魔法薬は、肌に塗せば皮膚は鉄の皮膚と変わり、服に塗せばそれは布地の柔らかさをそのままに鉄の硬度を得ることが出来る。
 効果はおよそ三鐘(三時間)に及び、命を危険に晒す冒険者の間などでなかなかの値段で取引される。

 アイリの家を囲む生け垣の分では、十日に小さな一瓶ほどを調合するのが精一杯で、また原料となるハードグラスも枝から葉を摘むと見る間に枯れてしまうという厄介な性質がある為に、多くの学者や魔法医師が品種改良や栽培方法を試しているがいまだに成功の目は見ていない。
 アルバートが言ったようにあのハードグラスを簡単に栽培でき、また魔法薬に調合出来なくとも葉を利用できるようになれば、辺境の暮らしは随分と楽になる。
 私もやがてはハードグラスの栽培について手を出してみるつもりではあったが、いまはともかくセリナの事が第一である。彼女が村の一員になることで受けられる恩恵もまた馬鹿にしたものではない事だし。

 遅刻未遂の理由を誤魔化すのにハードグラスの話題を出したのは正解だったようで、アルバートは素直に納得し、それ以上私に追及してくる事はなかった。
 あまり大きな声で話をしていては獲物に逃げられるから、アルバートと私はしばらく声を潜めて他愛の無い会話を交わしながら、草原の探索を続ける。
 兄の混ざっているグループの方もまだ静かなものだから、獲物を見つけてはいないようだ。兄の振るう山刀なら小動物くらいは一撃だし、動物や小型の魔物との戦いも慣れたものだから、心配はあるまい。
 アルバートと別れた私は強化した感覚で捕捉していた獲物を慎重に追いつめる。獲物は私の胸ほどまでの大きさのある地を駆ける鳥ランバードだ。
 退化した紫色の羽と私の二の腕くらいある大きな黄色い嘴を持っていて、羽や嘴はちょっとしたアクセサリーになる。

 肉の味わいは淡白だが、癖の無い肉は食べやすく量もある。私は草むらの中で周囲を警戒しながら、地面を突いてミミズや小虫を啄ばむランバードの尻を目がけてツラヌキウサギの角を着けた愛用の槍を思いきりよく突き出す。
 私が一歩を踏み出す足音に気付いたランバードは、自分の背後に忍び寄っていた私を振り返るが、それが却って仇となった。ツラヌキウサギの角は鉄製の武具には劣るが、厚い木の板位ならまず貫通してのける。
 私の素の膂力と体重を乗せた一撃は私を振り返るランバードの、細かな羽毛で膨らんだ胸を貫いて深々と突き刺さる。
 ぐえ、と押し潰された声で一声鳴いたきり、ランバードの体からは生命の炎が消え、貫かれた胸からは次々と赤い血が溢れだす。

 血抜きの手間が省けたかな、と私が今日か明日の糧を得られた事に達成感を覚えていると、不意にアルバートの私を呼ぶ声が聞こえた。
 私は槍を引きぬくべきかどうかを考え、アルバートの声の具合から急いだ方が良いと判断し、ランバードの胸を貫いたままの槍を手放して走った。
 急を要するアルバートの声の響きであったが、焦りや恐怖と言った響きは感じられなかった事を考えると、私達の手に負えない様な魔物が出たというわけではあるまい。
 弓に矢をつがいながら駆け付けた私は、草原の中で足元に目をやりながら忙しなく動き回るアルバートとマルコの姿を発見する。
 私達の太ももに届く高さの雑多な草に隠れてしまう位に小さな獲物が相手と言う事か。
 それなら槍の方がよかったな、と私は頭の片隅で考えながら声を張り上げてアルバートを呼び、同時に諸感覚を強化して獲物の正体を把握に掛る。

「来たぞ、アルバート、マルコ」

「ドラン、オオアシネズミだ。すばしっこい奴が四匹いるぞ」

「兄ちゃん、アル兄ちゃん、ぼくが一匹仕留めたから三匹だよ」

「ふむ、マルコ、よくやった。私もランバードを一羽仕留めたぞ」

 二人に返答する間に、私はアルバートの言うオオアシネズミ三匹の姿と所在を捕捉し終えた。無論常に動きまわっているオオアシネズミだから、一か所に固まっていると言うわけではない。
 槍を構えたアルバートとダガーを手にしたマルコが一匹ずつ追いかけ、ちょうど私の来た方向に逃げようとしていたオオアシネズミが、私の右斜め前を必死に飛び跳ねている。
 オオアシネズミは一抱えほどもあるネズミだ。名前の通りに後ろ足が大きく強く発達しており、地面を走るのではなく飛び跳ねて移動する。灰色の毛皮は暖かくて手触りも良く、肉の味も悪くない。

 いまみたいに大体四、五匹でまとまって行動するが、一匹か二匹取れれば良い方だ。だが私は一匹たりとも逃がすつもりはなかった。父との約束を破ってしまった事で、失った信頼を少しでも回復したいという欲だ。
 草が邪魔をして視界を大いに阻み、跳躍途中のオオアシネズミの姿をろくに見ることもできない状態だったが、五感を強化している今の私にとってなんら問題はない。
 大いに弱体化したいまでも、強化を施せば太陽の表面で噴き上がる火柱とて仔細に観察できるのだ。
 私が矢を離し引き絞られていた弓弦から、鋭く先端を尖らせた木製の矢が放たれて、オオアシネズミの首筋をまっすぐに貫く。
 望んだとおりの結果に満足の吐息を吐くよりも早く、私はアルバートとマルコの方を振り返る。

 アルバートは槍を細かく素早く突き出して、何度かオオアシネズミの体を掠めている。私が手を貸すまでもなくアルバートの力だけでオオアシネズミを仕留められるだろう。
 ならばと私は二本目の矢を弓弦につがい、マルコから遠ざかろうとしていたオオアシネズミの鼻先に矢を射って、その動きを牽制する。後は声を出すまでもなく私の援護を理解したマルコが、素早くオオアシネズミを背後から襲い、逆手に握ったダガーを首筋に突き立てた。
 首の骨に当たってダガーの刃が欠けたかもしれない、と心配する私に、マルコは仕留めたオオアシネズミを手に持ち、にっこりと笑みを浮かべた。ま、いいか、と私は脱力した笑みを浮かべる。

「お、そっちも終わりか」

 アルバートが槍で串刺しにしたオオアシネズミを掲げて、のんびりと私とマルコの後ろから姿を見せる。目端の利くアルバートならまず逃す事はないと思ったが、まさにその通りの結果となったわけだ。
 それから私達は更にツラヌキウサギを二羽とトビダヌキを仕留め、全長四十シルほどの肉食性のキラーアントを六匹ほど仕留めて、狩りを終えた。残念ながらキラーアントは食用に適せない蟻の魔物なので、こちらは戦闘の訓練に終わってしまったが、成果は上々と言えるだろう。
 私はランバードとオオアシネズミ、マルコのオオアシネズミ二匹とツラヌキウサギ、アルバートはオオアシネズミとツラヌキウサギ、トビダヌキをそれぞれ一匹ずつ家に持ち帰る事が出来た。
 
 久方ぶりの大収穫だ。ふむ! といつもの口癖をいくらか力強く発音し、私達はバランさんの呼ぶ声に従って訓練を切りあげて、成果を持ち寄った。
 幸い怪我人が出る様な事はなく、レティシャさんの出番はなかったがその事を一番喜んでいるのはそのレティシャさんだろう。
 バランさんも私達が持ってきた動物を見て、どう戦いどう仕留めたのか反省点はあるか、と一人一人じっくり話し合ってゆく。特に今回で褒められた点は参加した全員が最低一匹は獲物を仕留められたことだろう。
 また今回一番の大物を仕留めたのはウチの兄であった。他の二人にトビダヌキと三つ首蛇、ハリイタチを仕留めさせた兄は、最後に草原に生えているキノコを食べていたクロシカを仕留めたのである。
 まだ若いクロシカではあったが、肉は大変美味だし黒一色の毛皮は金持ちや貴族に重宝されてそこそこの値が付く。私達兄弟三人全員が参加する順番だったとはいえ、今日の我が家の臨時収入はかなりのものといっていい。
 これで名誉挽回かな、と安堵する一方で私はセリナを受け入れさせる方策は、地味だがこれしかないかな、と思案してもいた。訓練の最中もずっと行い続けていた思考が導き出した答えは、至極平凡なものであると私には感じられた。
 竜であった時には考えることもなかったような複雑な事を考えねばならず、またあくまで人間として生きると決めた私にとって、人間の視点と能力で出来る範囲内で物事を考えるのはいまなお慣れず難しい。

 太陽が沈み村の皆が眠りに就き、空の覇権を月と星と暗闇が握る時刻。
 私は誰にも気づかれぬまま家の寝台を降りて、愛らしいセリナの元へと赴く。二度目の逢瀬を交した村の上流の川に身を隠すセリナは、私の姿を見つけると決まって嬉しさを隠さぬ笑みを浮かべて迎える。
 尻尾の先端が忙しなく左右に揺れているのは愛嬌と言うものだろう。
 時々、この娘はラミアではなくて人懐っこいワードック(半人半犬のコボルトとは異なる獣人)だっただろうかと疑っているのは、私だけの秘密だ。
 二度目の逢瀬以来、夜毎に私とセリナの逢瀬は交せられ、その都度私は思いつく限りの事をセリナにしセリナも非常に献身的に私に応えくれて、彼女自身の飲み込みも早かった。
 四鐘(四時間)ほどお互いの体を貪って肉欲を満たした後、私はセリナと正面から抱きしめあう体勢のまま、セリナの着ている襤褸のマントを敷いた川辺の石の上で横になる。私の顔が柔らかで豊かで張りのあるセリナの乳房に埋もれる。
 非常に心地良かったので、つい頭を動かしてセリナの乳房の感触を堪能してしまう。セリナが押し殺しきれずに零す声が、非常に色っぽかったのはいうまでもない。
 情欲の炎が再燃する前に、私は気になっていた事をセリナに問うた。

「セリナは人の中で暮らす事が嫌ではないのか? 私の傍に居たいから、という答えはならんよ」

 セリナが少し考える気配が伝わり、セリナは少し私を抱きしめる腕に力を込めると語り始める。

「よくわかりません。パパはとても優しい人でしたけれど、人間は怖い生き物だから気をつけなさいって何度も私に教えました。人間が皆パパの様な人だったら、一緒に暮らしてみたいですけれど、ドラン様の村の人達はどんな方なのですか」

 セリナの質問に私は生まれてから今日まで過ごした日の事を思い出し、特に印象深かった事や、村の人達一人一人に対する私の印象や感想を言う。セリナは微笑を浮かべて私の話に耳を傾けていた。

「ドラン様は村の人達が大好きなのですね」

「ああ、皆が幸せに暮らしてくれる事が私の第一の願いだな。無論、セリナも」

「はい。ドラン様が大好きだという人達なら、私も一緒に暮らしてみたいです」

「そうか。それは良かった。本当にそう出来たら、なお良い」

 それから顔に感じられるセリナの乳房の感触に、情欲の炎を再燃させた私は五度ほど挑んでセリナにたっぷりと精を与えてから、セリナと別れた。
 相変わらずセリナは別れる時になるとサファイアを思わせる美しい瞳を涙で潤ませてしまい、体はもう大人だが心の方は随分と幼い様だった。
 両親によっぽど可愛がられて育ったのだろう。セリナを可愛がる両親の気持ちは、私も痛いほどよく理解できたけれど。

 朝から夕方までを村で過ごし、夜はセリナと愛欲の時を過ごす日々が続く中、ベルン村では奇妙な事が起き始めていた。
 夜が明けると必ず村に駐在している兵士が二人一組で村の周囲を見回るのだが、見回りの時にある日から必ず死んだ動物が置かれる様になっていたのである。
 それも夜の内に仕留めたばかりと分かる真新しいもので、川の上流に棲む、長い口から巨大な真珠色の牙を覗かせる七メル(約六・三メートル)はあろうかというオオキバワニ、鼻先がハンマーのように硬いテッツイイノシシをはじめ、村の猟師達でも仕留めるのに苦労する大物ばかり。
 時には大物の代わりにランバードが五羽、トビダヌキとツラヌキウサギが十匹、一メルのジューシフィッシュが纏めて二十尾が葉っぱの上に置かれていた、という事が続いたのだ。

 まるで供物か貢物の様に置かれるそれらの周囲には、巨大な蛇が這いずりまわったような跡が残されており、それほど巨大な蛇は村の近辺には棲息していない為、これは一体どうした事かと村の大人たちの間で疑問と推論が交わされている。
 これは言うまでもないが私の入れ知恵によるセリナの行動だ。結局歴史に名を残す賢者や軍師のような妙案の思いつかなかった私は、地道に点数稼ぎを行う位しか思いつかなかったのである。
 まずはそれとなく村の人々が喜ぶようなものを持ってきて、なにかが居ると言う事を匂わせて徐々にセリナの存在を意識づけることから始めている。
 正体不明の誰かが持ってきた獲物を不気味がる人々は居たが、特にオオキバワニやテッツイイノシシの類はそうそう目にかかれぬし、これらに手を着けぬ余裕は村にはないから肉は村人たちの胃袋に収まり革や骨は村で武具や道具に加工され、一部は南方の都市ガロアに売られて、金銭に変えられた。
 こう言う時頼られるのは村長とマグル婆さんとバランさんである。彼らが村のトップ3だ。

 辺境の長い暮らしに耐えて村の人々を導いてきた村長と、魔法の知識を蓄えたマグル婆さん、王国の兵士として訓練を受けている際に考えうる限りの魔物の事を学んだバランさんなら、セリナの這いずった跡からラミアが村の近くに居ることに勘づくだろう。
 子供達を不安がらせないようにと村の近くに居る何ものかの話は伏せられたが、聴力を強化した私には、ラミアの出現とその能力の危険性について語るマグル婆さん達の会話が聞こえていた。
 私は畑でホコロ芋に水をやりながら、聴覚を研ぎ澄まして村長の家で行われている重鎮たちの話を一語一句聞き逃さぬように、神経を尖らせる。
 謎の蛇の正体がラミアだと分かると、当然ラミアの能力の高さゆえに危機感が高まり村長が生唾を飲み込み、バランさんが低く唸るのが聞こえた。
 レティシャさんが居ればラミアの魔眼や麻痺毒からも回復は出来るだろうが、ラミアの尾の一撃や中級魔法の攻撃力は決して侮って良いものではない。
 バランさん率いる五名のベルン村駐在部隊では、村人の協力があったとしても相当の被害を覚悟しなければラミア種の討伐は困難であろう。
 セリナの性格を考えると、人間が自分を討伐しにきたと分かればすぐさま涙目になりながら逃げ出すだろうけれど。
 セリナの中では魔物相手なら家で暮らしていた時から戦っていたから怖がることはないのだが、大好きな父親と同じ人間を相手にするのは話が大きく異なる様であった。
 せっせと手を動かす私の耳に、村長宅での会談の続きが届く。

“ラミアだとして、どうしてこんな事を?”

 獲物を持ってくる意図が読めず不審がるバランさんにマグル婆さんがいつもの笑い声を上げてから、意外な事を言い出した。

“あまり数は多くないけれどね、ラミアが人間と好きあって夫婦になったなんて話があるのさ。ラミアの上半身はそれはそれは綺麗な女の姿をしているからねえ。そうでなくてもラミアのご先祖様は、もともと呪いを掛けられたお姫様だったって言うからね、ひょっとしたら寂しくって村に入れて欲しいのかもしれないよ?”

 おや、と私は思わずつぶやいていた。よもやこの様なセリナにとって助けとなる話がでてくるとは思わなかったからだ。
 たしかに昔から付き合いの深い獣人などの亜人ではない魔物と、人間が結ばれる事はままあったが、このタイミングでその話が出てくるのはありがたい。

“マグル婆さん、そうは言うが村に入った後でわしらを食うのが目的だったらどうするんだね。バランん所の兵士でかかれば倒せない事はないかもしれんが、相当被害が出るんじゃないか”

“真意までは分からないさ。ただ単純にあたしらを食べるのが目的じゃないかもしれないってことを、頭に入れておきな。あたしの勘がね、悪い事の前触れではないと囁いているのさ。占いの目も良いのが出ているよ。ディナとリシャ、アイリにも占わせたけど、全員が全員、蛇の出現がささやかだけど吉兆に繋がると出たんだからね”

“……マグル婆さんだけじゃなく娘孫娘に至るまでそう出るとは。だが警戒は怠れん。ゴブリン共の姿を見る回数も増えている事だしな”

 バランさんが禿頭をぺしゃりと叩きながら、マグル婆さんの話をどこまで鵜呑みにしていいか悩んでいる様だった。
 ううむ、と唸り、きっと山羊の様に長い顎髭をいじっているであろう村長がもし、と前置きをしてからマグル婆さんとバランさんにこう問いかけた。

“もし、もしじゃが、そのラミアがこの村に住み、普通に暮らすとしてなにかわしらにとって得になる事はあるのかの?”

“そうだねえ。普通のラミアなら戦闘用の魔法の扱いなら普通の魔法使いよりも上さ。相手の体を痺れさせ、魅了する魔眼もあるし、牙には即効性の強力な麻痺毒があって、尻尾の一撃だって簡単に人間の首くらいはへし折るさね。ほんとに普通に村に住みたいってんなら十人力の味方が出来るのと同じ事さ。
 野生の蛇に下知する能力もあるから、ゴブリンやコボルド共が攻めて来た時なんかに蛇を味方に着けられるねえ。牙の毒や脱皮した時の皮なんかも金に変えられるだろうし、得になる事は大きいよ”

 ふむ、私がセリナが村に住む事になった時に考えた利益と概ね同じだ。村の大重鎮であるマグル婆さんがこう言ってくれたとなると案外上手く話が進むかもしれん。
 自分でも気付かない内に私は笑みを浮かべ、何を笑ってんだ、と兄に訝しげに聞かれる事になってしまった。なんでもないと答える以外に、私にできる事があるだろうか?
 それからセリナが夜中に私と共同で仕留めた獲物を、村にこっそりと置いてゆく日々が続いた。当然、村の方でもラミアを警戒して夜中の見回りを増やし、村を囲う防壁の内側に見張り台を作り、篝火を焚いて周囲の警戒を密にしている。
 何度か獲物をせっせと運ぶセリナの姿が見つかる事もあったが、幸いバランさんや村長にまだ手出しを禁じられていたのか、矢などが射かけられる事もなく、セリナはその姿こそ見られたものの、特に攻撃を受けることもなくその場から逃げる事が出来たのである。
 
 姿を見つかってからもセリナの村への贈り物は続き、村長やバランさんをはじめラミアの存在を聞かされていた村の大人たちの間でも、ひょっとしてひょっとするのではないか、という空気が漂い始める。
 ここ数日村人たちの食卓にはセリナの持ってきた珍しいご馳走がのぼっていたことも大きな理由となっただろう。やはり交渉には胃袋から攻めるに限る様だ。
 愚痴の一つもこぼさず私の傍で暮らす為にせっせと毎日獲物を取って運ぶセリナを励まし、労う為に私も回数は減らしたがその分気持ちを込めて体を重ね、一緒に川のさらに上流や森の中へと足を踏み入れて、獲物を取り続けた。
 村の空気の変化を察した私は、いよいよセリナと村人の直接接触を実行に移す事にした。機会は村の外に出る訓練の時だ。ラミアを警戒して外に訓練に出る回数は減り、引率に就くのもバランさんの隊五名全員になっていた。
 ラミアの存在が確定してからは訓練自体が控えられていたが、ラミアの行動から危険性は低いと考えられ、子供たちの懇願もあって再開となったのである。

 しかし万が一を考えて訓練に連れてゆく子供の数は三人までに減らされている。これに私、アイリ、アルバートが選ばれて、周囲を完全装備のバランさん達に囲まれながら村の外に出る。
 ラミアが夜にしか姿を見せない事もあって、昼間に遭遇する可能性は低いと見積もられてはいるが、バランさんたちの顔には緊張の色が濃い。
 この頃になると村の子供たちの間でもラミアの話が密かに囁かれるようになっていて、アルバートはラミアと言うこれまで遭遇した事の無い魔物の出現に興奮と不安の念を抱いているのか、普段よりも口数が多かった。
 一方でアイリはと言うと不安があるのは確かだが、自分や家族の占いの結果が蛇の存在が良いものである事を示している事もあって、アルバートほど緊張している様には見えない。

 いつもの草原にすでにセリナが身を隠しており、訓練中にへまをやらかした私をセリナが助け、そのまま村の実力者であるバランさんと話し合いを行って、村への居住の交渉を始めるのが今回の目的である。
 これにはもちろん私が訓練のメンバーに選ばれた時を待っての作戦だ。
 元々誰かにつくす事に喜びを覚える性格であったセリナは、村に獲物を持ってくるのも私の為にすることと嬉々として行っているから、そう急ぐ事もなかったのもこの作戦を採用した理由の一つである。
 ま、作戦と言うのもおこがましい事は認めなければなるまい。
 草原についてからいつものツラヌキウサギの槍を構えた私は、やや早足で歩いてアイリとアルバートから距離を取り、諸感覚に強化を施してセリナの位置を把握し、そして異物の存在に気付いた。

 いつもなら居る筈の動物達が姿を消し、その代わり私の前方で下り坂になっている死角に普段ならお目に掛る様な事の無い魔物が潜んでいる事に気付いたのである。
 立ち上がれば五メルにも届こうかと言う巨体は黒い毛皮で覆われて、短く太い四肢には茶褐色の甲殻で覆われている。私達の存在に気付いたそいつは、四肢を突いていた体勢から二本足で立ち上がり、私の前方七メルの草むらから姿を露わにする。
 ベルン村の東に広がる森林の奥に棲息するゴウラグマだ。並みの熊を大きく超える巨体の各所に鉄並みの硬度を持った甲殻を備え、爪の一撃は木の幹を容易くへし折る。
 ゴブリンの十匹や二十匹などものともせず、オークやトロルも頭から噛み殺す強力な魔物である。人間が不意に出会えば死は免れぬが、森の奥に潜んで人里には滅多に姿を見せぬこいつが、どうしてここに?

 私が竜の魔力を使えば、蝋燭の灯を消す様に倒せる相手ではあるが、予想外の相手にほう、とひとつ漏らすと、私の後ろで逃げろと叫ぶアルバートやアイリの声が聞こえた。
 私の本性を知らぬアイリ達なら、当然の反応である。私は人間として生き、人間として村の人達を幸せにしたいと願っているが、いざとならば例え村を追放される事になろうとも、竜の魔力を使う事に躊躇いはない。
 バランさん達なら十分対処は可能だろうが、なにもしなければ私がゴウラグマの餌食になる方が早い。仕方ない。ここで死ぬつもりはない。私は普段は人間の魂を模した殻を被せている、我が魂の解放を行おうとした。
 それをゴウラグマの右方向から放たれた光の矢が阻止する。放たれたのは純粋なマナを矢の形状に形成して放つ、エナジーボルト。初歩的な攻撃魔法だ。
 ゴウラグマの右脇腹に直撃したエナジーボルトは、緑色の光の飛沫に変わり、ゴウラグマの毛皮を貫いて肉をいくらか削って、ゴウラグマを吹き飛ばす。
 私はその隙をついて魔法の放たれた方角へと走りだし、同時にバランさん達もエナジーボルトの放たれた方向に視線を送る。
 そして、草原の中に姿を見せたセリナを見つけた。唯一無二愛する主人である私を傷つけようとしたゴウラグマへの怒りに燃える、美しくも妖しい魔物であるラミアの少女を。

 一旦はエナジーボルトの直撃を受けて吹き飛ばされたゴウラグマだが、分厚い脂肪と毛皮と備えている魔力によってある程度ダメージを軽減していた様で、すぐさま置き上がって、二股に別れた舌を伸ばして威嚇するセリナに向けて野太い咆哮を上げる。
 セリナは駆け寄って来た私を庇うように私の前に立ち、走りだそうとするゴウラグマに立ちはだかり、新たな攻撃魔法の詠唱に入っている。
 セリナの後ろに隠れてバランさん達の視界から外れた私はセリナの蛇の下半身の一部に触れて、私の魔力の一部を譲渡する。私からすれば海に振る雨の一粒に過ぎないが、セリナにとっては許容限界ぎりぎりの大魔力だ。
 私から注ぎ込まれる莫大な魔力にセリナは性的な快楽さえ覚えた様で、詠唱に集中するその顔はうっすらと上気している。
 ゴウラグマがセリナまであと四メルの距離にまで近づいた時、セリナの詠唱が終わる。セリナは人差し指と中指を揃えた剣指を作り、その指先をゴウラグマへと向けた。その姿は魔物である事を忘れさせるほど美しく、愛する者を守る喜びと決意とに輝いている。

「大地の理 我が声を聞け 我が道を阻む敵を貫く槍とならん アースランス!」

 四足で大地を駆けるゴウラグマを囲むように、地面に三角形の黄金の魔法陣が展開し、それぞれの頂点に更に円形の魔法陣が描かれて、そこから鋭い先端を備えた大地の槍が伸びる。
 私から譲渡された魔力によるブーストが加わったセリナのアースランスは、ゴウラグマの前足の付け根を左右から串刺しにし、腹部を斜めに貫いて血で赤く濡れながら、ゴウラグマの背中で三本の槍の先端が交差して止まる。
 それでもまだ即死していないゴウラグマへと、止めとなるセリナの魔法が行使された。
 通常、魔法を発動後に生じる精神集中解除と疲労による虚脱の隙が、私の魔力譲渡と普段から与えられている精による強化を受けているセリナには存在せず、連続しての魔法行使が可能であった。
 まだ下級魔法に限っての話ではあるが、セリナの成長次第で中級魔法の連続して発動できるようになることだろう。

「水の理 我が声を聞け 我が前に立つ敵を切り裂く刃とならん ウォーターエッジ!」

 天に向けて伸ばされたセリナの左腕がまっすぐ振り下ろされると、その軌跡をなぞって大気中の水分を凝縮した魔法の水の刃が、陽光を反射してきらきらと輝きながら放たれる。
 三本の大地の槍に串刺しにされたゴウラグマは、哀れな事に更にその顔面を水の刃で縦に切り裂かれ、ようやく絶命した。
 ふむ、まだセリナが単独で相手をするには早い相手であるが、既に数十回以上私の精を吸っている影響で、ずいぶんと地力が底上げされているようだ。私が魔力を譲渡せずともゴウラグマを討つ事は出来ただろう。
 ゴウラグマの絶命を確かめて、セリナが長い溜息をつくと同時に先ほどまでの凛々しさが消えて、自分の蛇の下半身の陰に隠れる私を振り返り、顔を合わせてくる。

「お怪我はございませんか、ドラン様!? 申し訳ございません、もっと早くお助けしたかったのですが」

 バランさん達に万が一にも聞かれぬように声を抑えて、私は短くセリナに礼の言葉を告げた。

「傷一つない。そなたに落ち度はないよ。それに、誰かに助けられると言うのもたまには良いものだ」

 誰かの助けが居るほど弱い存在である、という認識は私にとって人間になってから初めて味わうもので、悪い気はしなかった。それよりもゴウラグマの事は少々予定外ではあったが、本番はこれからである。
 ゴウラグマの死体の脇を駆け抜けたバランさんを筆頭に、ベルン村駐在部隊の人達が私とセリナを中心に包囲し、それぞれの武器を抜いていつでも斬りかかれるようにしている。

「その子供を離せ、ラミアよ」

 これまで何十匹もの魔物の頭蓋を砕いてきた愛用のハンマーを構えたバランさんが、あくまで落ち着き払った声でセリナに命じる。バランさんの背後にはレティシャさんと、ロングボウを構えたカチーナさんというこれもベルン村出身の若い女性が居る。
 弓につがえた鉄の矢をいつでもセリナに放てるように、神経をとがらせているのが良く見てとれる。セリナが何かを言う前に、私はセリナの後ろから姿を見せて、セリナの前に庇う様に立つ。

「バランさん、私を助けてくれたのだ。危害を加えないで欲しい」

 バランさんは、背後のレティシャさんを一瞥した。私が魔眼に掛けられているか否か、判別を求めたのだ。レティシャさんはすぐに首を横に振るう。
 大地母神は大地の豊穣を司り、地上に生きるあらゆる生命を祝福する。それゆえにマイラスティ教の聖職者は生命に対しては、特に魔法を用いずとも健全な状態であるか、あるいは異常が生じているのかを見るだけで把握する事が出来る。
 レティシャさんは私がラミアの魔眼に支配されているのではなく、私が自らの意思でラミアを庇っていると、バランさんに答えたも同然なのである。
 私がラミアを庇う姿に、距離を置いているアルバートとアイリが不安に満ち溢れた顔で私を見ていた。騙しているようで、かなり申し訳なかったが、村の為にもなる事なのでどうか許して欲しい。私は心の中で謝罪した。

「どくんだ、ドラン。確かにお前を助けた様に思えるかもしれないが、ラミアは強力な魔物だ。そう簡単に信用するわけには行かん」

「恩を仇で返せとは育てられてはいない。相手が魔物であれ人間であれ、助けられたことには変わりがない。だから、私はどかない」

 仮にこの状況がある程度私とセリナで仕組んだものではない、まったくの偶然から成り立った状況だったとしても、私は同じ事をしただろう。
 私が竜の転生体であり、いまもなお下手な神など返り討ちにする力があるから恐れがないのではなく、口にした通り、恩を仇で返す様な真似はしてはならないと今の父母に育てられた事、そしてセリナが私にとってそれだけ大切な存在である為だ。
 私の意思の固い事を知ってバランさんが表情を歪めるが、状況を動かしたのは私の背後に居るセリナであった、私の肩にそっと手を置くと穏やかな声で語りかけてくる。
 ただし瞼は閉じている。ラミアの強力な武器である魔眼を自ら封じて、害意がない事を行動で示しているのだ。

「庇ってくれてありがとう。でもいいの、その人の言うとおりだから、君はあの人の所に行って」

 私とセリナの本当の関係を知られぬように、村人たちの前では私とセリナはこう言う口の利き方と名前の呼び方をする様に決めてある。

「しかし」

「良いから」

 そう言ってセリナは私の背を押し、私は背後を振り返りながらもバランさんの方へと歩み寄り、レティシャさんに抱き寄せられる。
 素早く体を点検され、体に傷がない事の確認が終わると、緊張に満ちた空気の中、バランさんが一歩前に踏み出てハンマーを構えたまま、セリナに問いかけた。セリナが大人しく私を解放した事と、自ら魔眼を封じた事がわずかでも警戒を緩めていれば良いが。

「ラミアよ。最近村に獲物を届けていたのはお前に間違いないか?」

「はい、間違いありません。貴方がたの村に贈り物をしていたのは私でしゅ……痛っ」

 緊張のあまり舌を噛んだ様である。閉じた瞼の端に涙の粒が溢れている。頑張れ、セリナ。
 一瞬和らいだ緊張の糸を、バランさんはわざとらしい咳で無理矢理誤魔化した。

「うぉっほん。……あー、どうしてその様な事をした。村の子供を助けたのはなぜだ?」

「えっと、その私を村に住まわせて欲しいからです。私は両親と一緒に暮らしていたのですが、旦那さまを見つける為に家を出て旅をしていました。けれど一人旅は寂しくってしばらくで良いので一緒に暮させて欲しいんです。
 それと子供を助けたのは殺されてしまったら可哀想だと思ったからです。私のパパは人間で、ママとも仲が良かったし私に人間を傷つけるつもりはないんです」

 母親を真似た口調はそもそも真似が出来ていないし、似合わない上に高圧的であるから止めた方が良い、と助言したのは正解だったようだ。
 最初に噛んだのはともかく以降は噛まずにすらすらと言えている。
 セリナが口にしているのは全て真実だ。ゴウラグマに襲われたのが私でなくても、セリナは勇敢に立ち上がって子供を守ろうとしただろう。
 沼地で私を襲ったのは空腹の極みにあって意識が朦朧としていた事と、私の放つ精気にわずかながら竜の精気が混じって、強力な精気がセリナの意識を酒に酔ったような状態にしてしまったせいもあるに違いない。
 セリナは眼をつぶったまま、胸の前で小さな握り拳を作り、必死にバランさんに対して人間に危害を加えるつもりはない事、一人は本当に寂しいし、これからも村にいろんな獲物を持ってくるから、と懇願している。
 そんなセリナの子供っぽい仕草と緊張に頬を赤らめて必死に言葉を重ねる可愛らしい仕草に、セリナを囲んでいた兵士の皆さんは互いに顔を見合わせて首を捻る。これがあのラミアという強力な魔物か? と言ったところか。
 いつの間にか私の左右に来ていたアイリとアルバートも私と顔を見合わせて、

「なんか全然怖くねえな」

「やっぱり私達の占いが当たっていたのかしら?」

「悪い魔物ではないと言う事だ」

 すっかり警戒を解いている有り様である。バランさんもマグル婆さんに言われた事を思い出しているのか、徐々に眉間に皺を寄せて判断に困る素振りを見せ始める。確かに今のセリナを見ても人間に害を成す様な魔物には見えないだろう。
 セリナの熱弁が続く中、不意に私達子供三人を庇う位置に立っていたレティシャさんがびくりと体を震わせると、突然膝を折って指を組みマイラスティに対する祈りを捧げ始める。
 私はレティシャさんの周囲に憶えのある暖かく優しい巨大な気配が発生するのに気付いた。この神気は……。
 突然の行動にバランさんが視線こそセリナに向け続けていたが、レティシャさんの異常に気付いて声をかける。

「レティシャさん、どうかし……」

「バ、バランさん! た、大変です、偉大なるマイラスティからの神託です」

「なんですって!?」

 王国の住人の多くが度合いの差こそあれ信仰するマイラスティからの神託とあって、思わずバランさんも声を荒げてしまう。神聖魔法を初めて使う時、マイラスティかその系譜の神からの声を聞くと言うが、よもやこの状況でマイラスティの声を聞くとはあまりに考えられず、レティシャさんは非常に興奮している様子。

「……ああ、なんということでしょう。偉大なるマイラスティは私にこう告げられました。私達の目の前に居るラミアは邪悪な魔物ではない、この大地に生きる同じ命である、共に生きなさい、と」

「な、マイラスティが、ですか」

 マイラスティ教において人間は必ずしも善ではなく、魔物もまた必ずしも悪ではない。人間も魔物も大地に生きる命のひとつであり、どちらかを排除しても大地の生命の循環を妨げることになり、共に生きることを尊ぶ。
 私とセリナにとってはこの上ない助けとなる発言であったが、よもやこのタイミングでこうも都合よく神託が降りるとは、マイラスティに覗かれていたと考えた方が良いかもしれん。
 私は悪戯っぽく微笑むマイラスティの姿が見えた様な気がした。貸し一つ、と言った所だろうか。私は思わず微苦笑を浮かべていた。

 実際に遭遇したラミアの性格と発言、事前にマグル婆さんから言われていた事に加え、さらに大神からの神託という、生涯に一度あるかないかという途方もない奇跡が起きた以上、これはもうラミアを村に住まわせる事が運命であると、バランさん他村の人達も納得せざるを得ない。
 マイラスティの神託が本物である事は誰よりもレティシャさんが太鼓判を押していたし、それを分かりやすく私達にも証明するように、レティシャさんの聖職者としての位階が上がっており、これまで扱う事の出来なかった高位の奇跡が扱えるようになっていたのである。
 暫くの間、舞い踊る様に興奮したレティシャさんの姿が村のあちこちで見られ、落ち着きを取り戻したレティシャさんが自分の奇行に悶絶する事になるのは、言うまでもないだろう。
 その後村に戻ったバランさんは村長やマグル婆さんのみならず村の大人達を集めて、セリナの扱いに関して議論を始めた。数日に渡って議論が重ねられる間も、セリナはせっせと献身的に獲物を村に持ってきていた。
 変化があったとすれば、夜中にこっそりと行っていた作業を昼間に堂々と行うようになり、あれが噂のラミアかと見物にくる村の人達に、セリナがにこやかに手を振り、去り際には頭を下げて一例するなど礼儀正しく友好的な態度を見せるようになったことだろう。

 そうしてセリナの処遇を決める議論の果てに、結論が出されたのは五日後の事である。結論としてセリナは危険な魔物ではないとし、しばらくは監視を着けるが村で誰も使っていない物置に住まわせる事が決定した。
 その事をセリナに伝え、マグル婆さんや村長をはじめベルン村の人達が見守る中、セリナはひどく緊張した面持ちで北門から先へと足を進めた。
 おっかなびっくり、怖いもの見たさで村の人達が遠巻きに見守る中、私はずいっと人の列から前に進み、父やバランさんの制止の声にも足を止めず私はセリナの前に立って、周囲の人々が固唾を呑んで見守る中、笑みを浮かべてセリナに言った。

「ようこそ、ベルン村へ。セリナさん」

「私の事はセリナで良いよ、ドラン君。あの時私の事を庇ってくれて、ありがとう。格好良かったよ」

 そう言うやセリナは私の首に手を回して唇を重ねてきた。村の人達がどよめくなか、私は重ねた唇に、これからはお傍に居られますね、というセリナの喜びに満ちたメッセージが秘められている事を読み取り、自分からも唇を押しつけるように重ねて答えた。
 達成感と満足感で心を満たす私の耳に、にゃーーーーー、と我が愛すべき幼馴染アイリの上げる意味不明の叫び声が届いた。
 解せぬ。
 アイリにワーキャットの血は流れてはいないはずなのに。

<終>

前世主人公
・退屈

現在主人公
・ヤベ、人間超楽しい!!! 人生楽しむぜ、ヒャッハーーーー\(^o^)/!!!

行間はこんな感じでいかがでしょうか。ラミア編はこれにておしまい。次はドリアード編です。

9/20 誤字脱字修正。くらんさまありがとうございました。
10/5 誤字脱字修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑤ 微エロ注意
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/09/23 21:50
さようなら竜生 こんにちは人生⑤ 微エロ注意

 絶えず万物を大地に縛り付ける見えない鎖から解放された私は、かつて天を覆うと例えられた翼を広げて、白い雲の流れる青い空を飛んでいた。
 風の精霊力と自身の魔力によって浮力を得て空を飛ぶのが一般的な竜種の飛行方法であるが、私の場合はさらに大地の見えない鎖――たしか大昔に栄えていた人間達の国では、重力と呼んでいた――の場を形成し、私の望む方向に体が引き込まれるように魔法で仕掛けを施している。
 重力場変動とかいう移動方法だとはるかな昔に、好奇心と探求心の旺盛な人間に教わった事がある。まあ、飛び方の名前を教えられてもそれがどうした? としか思えないのだが。
 その人間の所属する国家にとってはこれといって竜語魔法を使う事もなく、念じるだけで重力を自在に操る事が仰天事であったらしいが、私からすれば呼吸をする様なものだから、人間達の驚きに共感はまるで出来なかったのをいまもかすかに憶えている。

 その人間達の国も滅びて既に久しい。彼らの国が滅びたのは、さて違う国との争いが原因だったろうか、それとも空の彼方から降り注いできた流星によるものだったか、それとも彼らの文明を支えていたエネルギーの暴走によるものだったか。
 いずれにせよどんなに栄えて永劫の繁栄を迎えている様に見えても、必ず斜陽の日は訪れて衰退と滅びと忘却の坂道を転がる運命は変わらぬと言う事だ。
 私自身、決して滅びる事の無い絶対の存在だなどと他者に褒め千切られた事もあるが、実際には竜の肉体を滅ぼされて非力な人間に転生させられるという数奇な運命の渦中にある。
 その人間としての生がこれ以上ないほど充実しているので、私としてはありがたい事であるが、世の中、何が起きてもおかしくはないと分かったつもりでいても、実際にそういう目に合うと分かっていたのは表面上だけであった事が良く分かる。
 ふむ、と私はいつもの口癖を零し、横道に逸れつつあった思考を切りあげて飛翔を止めて、ゆっくりと眼下に広がる大地へと降下を始める。
 見渡す限りの空には、小は小島から大は大陸ほどもある大地が無数に青い空の只中に浮かんでおり、一部の空飛ぶ島からは雲に隠された地上へと落下する滝の水しぶきが黄金の陽光を受けて、例えようの無い美しい輝きを放っている。

 生と死と善と悪が入り混じる混沌とした地上世界とは隔離された、神々の住まう最も尊く清らかな理想郷。天界、あるいは神界とも呼ばれる世界にいま私はいる。
 私の人間の肉体はいまもベルン村の土と草と木で出来た家の寝台の上で横になり、深い眠りに就いているが、私の意識はその肉体から抜け出して本来の古神竜の魂としての姿を解放し、こうして幾柱もの神が住まう神界へと辿りついていた。
 人間に転生し、本来の古神竜の魂にも人間を模した殻を被せて普段の生活を送っている私にとって、肉体的にも霊的にも縛られる事の無い今の状態は、肩の荷が下りた様な余計な力の抜けた極自然体で居られる状態であった。
 空飛ぶ島の一つに降り立つ私を、予め来ると予想していたのだろう一柱の女神が、微笑を浮かべて待ち構えている。
 見知った顔の変わらぬ美しさと暖かな万物の母のごとき雰囲気に、私はなぜだか喜びを感じている自分に気付き、知らず女神と同じように笑みを浮かべていた。

 大地に触れる寸前まで伸ばされた漆黒の髪、黒瑪瑙を思わせる輝きを秘めた黒瞳、布と紐しかなかった時代を思わせる、絹様の白い布地をゆったりと纏ったその姿は、紛れもなく最高位の大地母神マイラスティに他ならない。
 私は尻尾と足の爪の先端を大地から三十シルほど浮かせた所で降下を止め、翼を羽ばたかせる事もなく、例の重力操作で私自身の巨体を支える。といっても魂だけになっている今の私には必要の無いことだろう。慣習の様なものだ。
 地上に棲息する全ての花や草、樹木が棲息環境の適性を無視して見渡す限りに咲き誇り、天界にのみ生息する天上花もまた神にしか見ることを許さぬ花弁や嗅ぐ事を許さぬかぐわしい香りを発し、高純度のマナの混じる風に揺れている。
 大地母神が住まうに相応しい生命が謳歌した世界の中にたたずむマイラスティは、どんなに傷つき疲れ果てたものでも、どんなに病み衰え老いたものでも、どんなに罪深く汚れてしまったものでも、優しく受け止める無限の慈愛に満ちて見えた。

「お久しぶりですね。古き竜の友よ」

 マイラスティが最後に聞いた時と変わらぬ少女の様にも老女の様にも聞こえる不思議な声で、心から感じている懐かしさを隠さずに私に話しかける。おそらく私がいま感じている懐かしさと親しみは、マイラスティと同じものであったろう。

「まさしく。幾歳月ぶりであるか、母なる大地の化身よ。息災である事を心より嬉しく思う」

 マイラスティはかすかに目を細めて微笑を深めたようだった。なにかおかしなことを言ったつもりはないが?

「ふむ、やはり転生の影響を受けて随分と魂が劣化してしまったからな。貴女の前に晒すにはみすぼらしい姿になってしまったかな?」

 背に六枚ある色違いの輝く翼や、七色に輝く魔眼、白い鱗に覆われた全身のラインは記憶の中の私とそう変わらぬ筈だが、マイラスティにはそうは映らなかったのかもしれない。
 旧友に情けない姿を晒してしまったかもしれないと私が申し訳なく思っているとマイラスティは、童女のようにあどけなく笑い、ゆっくりと首を横に振って私の勘違いを訂正した。

「そうではありませんよ。最後に合った時の貴方と比べてとても活き活きとしていらっしゃるから、それが私には嬉しいのです。貴方は随分と生に倦んでいましたから、人間達に討ち取られたと聞いた時、ああ、やはりと思ってしまったものです」

「否定はできぬ。あの時の私に生も死もさしたる違いはなかった。勇者の剣が私の心臓を貫いた時、私はこれで終わりかと絶望も希望も感じることはなかった。ただ事実を受け止めるだけであったよ。勇者には要らぬ手間をかけさせてしまったと今では思っている」

 今思えばあの時の戦いは私の自殺の口実と実行に勇者を利用した様なものだ。死に際に私は随分と勇者とその仲間達に嫌みを吐いたが、今思えばいささか大人気ない事をしてしまった。勇者達があまり気に病まずにいてくれたらよいのだが。

「そうだったのですね。けれど、今の貴方は生きる喜びに満ちている事がわかります。私の目の前に立つ貴方が、何も隠すもののない魂の真実を晒した姿であるからこそ、貴方の魂と心が生きる事の喜びに満ち溢れている事が感じられて、私は我が事のように嬉しいのですよ」

「マイラスティ、その様に感じられる貴女だからこそ私は貴女と友である事を誇ろう。ふふ、よもや人間に生まれ変わるなどと思ってはいなかったが、実際に生まれ変わってみれば私の魂の倦怠を吹き飛ばす新鮮な刺激に満ち溢れているよ。生きると言う事はかくも楽しいものかと思うほどに」

 それから私は私が人間として産まれてから人間の乳飲み子の目で見た、竜の眼とは違う世界の見え方に対する驚きや、あまりに脆弱な自分の体と魔力を使わぬ人間の生態に対する不慣れ、弟が生まれた時や兄ちゃんと呼ばれた時の感動と喜び、辺境での辛く苦しいが生を実感できる暮らしについて、飽きることなくマイラスティに語り続けた。
 この世界で最も尊いとされる偉大なる神の一柱であるマイラスティは、我が子の自慢話に耳を傾ける慈母の様に、私の話に良く耳を傾けてくれ、時折相槌や質問を挟んでは私の舌を更に饒舌なものに変えた。
 母なる大地の化身は、とても聞き上手だったな、と私が思いだした頃になってようやく、私はここへ来た本当の目的をまだ果たしていなかった事に気付き、マイラスティに軽く頭を下げる。

「私の話ばかりをして済まぬ。私が貴女の元へこのみすぼらしい姿を晒す恥を忍び、厚かましくも参ったのは、今日のセリナの件に関してぜひとも礼を述べたく思ったからだ。まことに感謝する。あの時に神託が下ったお陰でセリナを村に迎え入れる事が出来た」

「よいのですよ。最近になってわたくしに捧げられる地上の方々の祈りの中に、とても懐かしい気配が感じられましたから、もしかしてと思い地上の様子を見ておりましたら、ちょうど貴方があのラミアの少女の事で村の方となにやら話をしている様子。それでわたくしもお話を聞かせていただいて、老婆心から一助となればと神託を下したのですわ」

 それに、あのレティシャという女性は十分な素養と信仰の心を持った方でしたし、と付け加えるマイラスティに、私は一度下げた頭を上げて、さらにまたもう一度下げる。
 バランさん達に囲まれてセリナの弁護をしていたあの時と、その後の村へのセリナの移住がああもスムーズに受け入れられたのは、やはりマイラスティの神託が下ったのが大きな理由に他ならない。
 この事に関しては、私はマイラスティにどれだけ感謝しても足りると言う事はないと思っている。

「それでも私にとっては感謝してもしきれぬこと。私は貴女に何を持って報いればよいだろうか? 微力を尽くして貴女の為になる事をしよう。魔界の者達との戦いの時にでも呼んでもらえれば、私でも役に立てるであろう。まだその程度の力は残っている」

 いわゆる悪魔や魔神、邪神と呼ばれる存在が住まう魔界は、それぞれの派閥ごとに無数に存在しており百単位で滅ぼしてもまだまだ腐るほど存在している。
細かく言うとそう言った無数に存在する魔界を小魔界、小魔界を内包している無限の空間を大魔界と呼び分けている。
 魔界の者達との戦いに呼ばれる程度ならともかく、流石に大魔界を滅ぼすとなると他の世界にまで深刻な影響が及んで世界を成り立たせている調和が乱れるから、こればかりは恩義に報いる事の出来ぬ苦渋をぐっと飲み込んで、頼まれても断らねばなるまい。
 単純に古神竜としての力を振るう以外にも、なにか恩義に報いる方法はあるかと私が頭を悩ませていると、マイラスティは少し困った顔を作る。
 お礼を言いに来た筈の相手を困らせてしまった事に、私はいまだ相手に対する言葉の選別と配慮が足りていない事に気付き、罪悪感と申し訳なさに襲われる。後でしっかりと反省し、次はこうならぬよう気をつけなければ。

「あまり気にしないでください。貴方に貸しを作りたくてした事ではないのです。わたくしはただ貴方がこれからもよき友であって下さればそれで満足ですよ」

「そうか。それは私もなにより望むこと。他の神も貴方の様であれば地上の者達にとってどれだけ幸福な事か」

「人それぞれに多様な生き方がある様に、わたくし達神にもまた多様な在り方があるのです。わたくし達神もまた絶対ではなく完璧ではありません。だからこそ今の世界が成り立っているのです。貴方はいまの不完全な世界はお嫌いですか?」

「友よ、貴女も意地の悪い所があるのだな。人間としての生に充足を覚えている私の答えがどんなものか、分かっているだろうに」

 ずるい、と私が暗に告げるとマイラスティは小さく笑って見せて、そのあどけなさを残した笑みを見ると、まあよいかという気分になる。
 万物の母であるかのような包容力と慈愛を見せたかと思えば、年端も行かぬ少女の様な稚気と悪戯っぽさを見せるマイラスティの事が、私は昔から好きだったなと改めて思う。無論のこと、この“好き”は恋慕の情ではなく友人に対する親愛の情である。
 マイラスティという旧友と久しぶりに話をするのは非常に楽しかったが、既に肉体を滅ぼされて人間に転生した私があまり長居しても悪い、と思い至りそろそろ今の人間の肉体に帰ることにした。
 人間の王国の辺境の小さな村こそが今の私にとって帰るべき場所であり、生きる場所に他ならない。そして私はその村の事が大好きなのであった。 

「思いがけず長話をしてしまった。貴方はとても聞き上手な女神だな。本来既に人間として転生した私が天界に出入りしては、なにかと騒がしくもなろう。要らぬ騒動を引き起こす前に、失礼させて頂く事にしよう」

「戦神のアルデスは貴方と力比べをするのが大好きでしたから、貴方の事に気づいたら湯浴の最中でも武器だけを手に持って駆け付ける事でしょう。今の貴方はかつてより確かに弱体化したかもしれませんが、それでもなお貴方の魂は眩いまでの力強い輝きを放っていますから、いずれ他の神も気付きましょう」

「ならなおさら早くこの場を辞さねばならぬ。明日も早くから畑に出て芋の世話をしなければらぬからな」

「お芋ですか?」

 マイラスティは右頬に手を当てて小首を傾げる。私と芋、か。確かにあまり縁のある品とは言えないから不思議そうなのも無理はない。童女の様に愛らしいマイラスティの仕草に、和やかな気持ちになりながら私は至って真面目な口調と声で答えた。

「芋だ」

 私がうむ、と力強く頷いて見せてマイラスティの瞳を正面から見つめていると、やがてマイラスティはくすくすと笑い始めて両手で口元を隠してしまう。そんなに可笑しいものだったろうか? 
 楽しいのだがなあ、芋づくり。
 私は翼を動かさずにふわりと浮かびあがり、ゆっくりと花と草と樹木の大地とそこに佇む親しき友である女神から、徐々に離れて行く。私が高く浮かびあがるにつれて小さくなってゆくマイラスティは、私に向かって長い事手を振っていた。
 するとマイラスティのすぐ傍らに青い髪を太い三つ編みにして垂らした年若い女神が姿を見せて、私からマイラスティを庇うように動く。
 つぶらな瞳はようやく少女の年齢を越えた程度であったが、そこには神族の末席に名を連ねるに相応しい光輝を宿している。
 おそらく周囲の者に黙って外出したマイラスティを追っている最中に、私の気配を感じて急いで駆け付けたといった所だろうか。
 マイラスティはそういうお転婆な所がある。レティシャさんがその事を知ったらどんな反応をするか、私は少し見てみたいと思った。
 とはいえ、やはり私が長居するのはあまり良くないようだ。私はすぐさま地上へと目指して魂を飛翔させる。マイラスティの待ってくれていた空飛ぶ島は、瞬く間に私の背後で芥子粒大にまで小さくなっていった。

 あの女神、おそらくは人間から神へと変わったばかりの新米であろう。マイラスティ教に限らず生前名高い人間の信者が、生きていた頃に積んだ徳と死後の名声と人々からの崇敬の念によって、信仰する神の眷属神として天界に迎え入れられることがままある。
 私の姿を見て驚きに見張られたあの顔と私の正体を探ろうとしていた意識と気配から、ほぼ最古の存在である私の事を知らぬとなればまだ天界に昇りたてのひよっこであることが分かる。
 私がこのように考えていると、マイラスティと同じ簡素だが神のみに着用が許される神衣に身を包んだその女神が、マイラスティの無事を確認し、その足元に膝を突いてマイラスティの傍を離れた非を詫びるのが聞こえた。
 私はつい好奇心から新米女神とマイラスティのやり取りに意識を振り向け、地上への帰還の速度を緩める。

「マイラスティ様、ご無事で何よりでございます。お傍に仕える栄誉を授かりながら、御身を危険に晒した事、償い様もありませぬ失態。いかようにも我が身を罰して下さいませ」

 大抵の最高位に就く神は、周囲を自分に近しい位階にある上級神で固めるものだが、マイラスティは下級神や新たに神となった者達を傍に置き、その面倒を見るのが好きと言う変わり種であった。
 マイラスティは自分の足元で今にも自裁して果ててしまいそうな新米女神の手を取って立ち上がらせ、蒼白に変わった新米女神の頬を撫でて優しく慰める。

「貴女の傍を離れたのはわたくしの勝手によるものです。メイファース、貴女が責を負う様な事ではありませんよ。さ、立って」

 俯くメイファースとやらの顔色は青いままであったが、マイラスティの手が何度もその頬を撫でる内に、人間であった頃も神となったいまも崇敬する大神にとんでもない事をさせている事に気付いて、慌ててマイラスティの手から離れて姿勢を正す。
 生前は多くの人々の信頼と尊敬の念を集めていた聖女であったろうメイファースだが、マイラスティに掛るとこうも小さな子供のように縮こまってしまう様であった。
 生まれながらにして神であったものと元は人間であったものの差かもしれん。

「ごめんなさいね、メイファース。あの竜はわたくしのとても古い友達なのです。貴女は会った事がなかったから慌ててしまったのも無理はありません。でも心配する事はありませんよ。ほら、ごらんなさい」

 マイラスティが示す先には、地面の果てまでを埋めつくす地上世界と天上世界の花達の、風に揺れる光景が続いている。ぜひとも一度はセリナや家族に見せたい、地上にはあり得ぬ美しさと生命の輝きに満ちた光景である。

「花も草も木も、どれ一つとして踏み潰されてはいないでしょう? そういう心遣いの出来る方なのです。もしまた彼が姿を見せる事があっても、慌てることはありませんよ」

 少し気恥ずかしくなった私は、地上で眠る我が人間の肉体へと今度こそ戻るのだった。


 マイラスティへの礼を述べ終えた私は、無事にベルン村は我が家へと帰り、兄弟三人で横になっている寝台の上で清々しい朝を迎えた。
 夜の内にベルン村の物置を家としたセリナの元を訪れて、同じ村で暮らせる事になった喜びを分かち合うべくこれまで以上に激しく、そして狂おしく愛し合ったのは言うまでもないだろう。
 行為を終えた後のセリナの下腹部は、はっきりと分かれるほど内側から膨れていたほどである。なにで? とは聞かないで欲しい。この答えもまた言うまでもあるまい。
 夜が明けて地平線の彼方が紫がかった闇と太陽の光が溶けあった、絶妙な色合いに変化する頃、私以外の家族も起きだして水甕から顔を洗う分の水を桶に汲んで顔を洗い、さっぱりとする。
 それから私とマルコはいつも通り母の朝食の用意を手伝う。と言っても材料を用意してこれを適当な大きさに切り、竈に火を起こして食器を用意しておくこと位だ。
 大概は夕食の残りを温めて、黒パンやホコロ芋で腹を満たすのが農民の朝食だ。今日はこれに家の裏で飼っているドゥードゥー鳥の卵を使い野菜を混ぜたオムレツに、以前に仕留めたツラヌキウサギの燻製肉を焙ったものを加えて完成である。
 ドゥードゥー鳥はランバードを一回り小さくした飛べない鳥で、赤茶けた羽と単冠の鶏冠をもった家畜用の鳥である。突っつき癖があるが、基本的に大人しく小さな子供にも面倒を任せられるので、ベルン村のあちこちで見かけられる。
 我が家ではこれを二十羽ほど飼育しており、彼女らの産む卵は貴重な栄養源だ。 肉として食す事はなく、食べるにしても彼女らが自然死した時か、不慮の事故で死んでしまった時くらいのものだ。
 貴重な卵を生んでくれる彼女らを、私たち自らが絞めることは滅多にない。

 村で取れる独特の匂いを持つダクダミの葉を使ったツラヌキウサギの燻製肉の味に、私は舌堤みを打って今日一日の活力を得られるのを実感したものである。
 さて私はマイラスティに告げた通りに、産まれた時から食卓のメインとなっているホコロ芋の世話に家族揃って出かけたわけであるが、村に住む事を許されたセリナはと言えば、やはりまだ完全に信じきられているわけではなかったから、村に駐在している兵士の内三人が常に監視についている状況だ。
 セリナ曰く生家に居た頃から父親の食料を確保する為に畑仕事はしていたらしく、他にも繕い物や料理、掃除、洗濯と家事は一通り母親に仕込まれていたそうである。大抵の事はセリナに任せてもそつなくこなすだろう。
 とはいえ信用のおけぬ者に畑をいじらせるのは村の人達も感情が納得しないから、しばらくセリナはこれまで通り外に出て、動物や魚などを狩猟する事に落ち着いたらしい。
 私としては、ゴウラグマからセリナに助けられ、村に入って来たセリナを一番に迎えたのも私であるから、なるべくセリナの面倒は私が見る事を村長達に申し出ていたのだが、こちらはどうも審議中である。

 子供を魔物の傍に置いておきたくないと言う感情は理解できたし、昨夜も夕食時に父母と兄からそれとなく注意は受けている。まあ五日もすればセリナの本性があの性格そのままだと村の人達にも理解してもらえるだろう。
 村に入れて貰えたのだから、あとは焦らずじっくりと信頼の土壌を育んでゆくだけである。こちらに関して私はあまり心配していなかった。
 セリナに与えられた物置小屋であるが、以前にその小屋を使っていたご家族が息子さんの縁談の関係で、南方にある別の農村に移って以来特に誰が使うでもなく、時々手入れだけして放置されていた小屋である。
 中の広さはざっと横七メル、奥行きが六メルくらいだから、セリナ一人には十分な広さだろう。
 五年ほど放置されていたが、もとの作りが頑丈だったお陰で特に雨漏りがする様な事もなかったし、隙間風が吹きこむ事もない。
 鼠が巣食っていたのはどうしようもないが、そこはラミアであるセリナの登場で解決する。鼠の天敵の一種である蛇の特徴を持つセリナが小屋に近づいただけで、鼠は脱兎の勢いで逃げ出したのだ。

 昨日の昼過ぎにセリナを住まいとして用意した物置小屋へと案内するのは、立候補した私と村長、マグル婆さん、バランさんを含む五人の兵士、レティシャさん、それに我が父ゴラオンが担当となった。
 セリナが万が一、危険な魔物としての本性を見せた時の為の人員であろう。
 ただレティシャさんがマイラスティの神託を受けたのは紛れもない事実であるから、セリナを疑う事はレティシャさんひいてはマイラスティを疑う事に繋がり、バランさん達もどう対応していいのかまだ迷っている所はある様だった。
 息子が魔物と仲が良い事に我が父も珍しく当惑の色を隠さなかったが、私がいつもどおりの態度である事から、身内びいきでもしてくれたのかバランさん達よりはセリナに対する警戒は薄い。
 私の事を信頼してくれているがゆえ、息子が魔物の傍に居ようとするのを止めないのであれば、これほど息子として誇らしい事はないのだがさて本当の所はどうなのだろう。
 父はともかくバランさん達にとって私が案内役に顔を並べたのは予想外であったろうが、ゴウラグマの一件以来(実際にはそれ以前からだが)セリナが、私と村の北門でキスを交わした事からも分かる様に私に対して好意的だから、私とセリナはなるべく一緒にしておいた方がよかろうと判断したのだろう。たぶん。

 物置小屋の中には精々が空の棚や古い薪束位しか残っていなかったが、一応セリナは新しい村の住人という事でなにもしないのも不義理であるから、寝台代わりに大量の藁を清潔なシーツで包んだ簡単なクッションがいくつか用意されて、小屋の奥の方に敷かれている。
 セリナの下半身は大蛇のそれであるから、人間用の寝台よりはこちらの方が良かろうと言うマグル婆さんの提案による。
 実際、セリナも生家では床にクッションを敷いて横になっていたそうなので、マグル婆さん様様である。村の面々の中ではマグル婆さんははっきりとセリナに対して、歓迎の意思を見せている。
 やはり自分達の占いの結果を信じているからなのだろう。
 クッションの他には木製の皿数枚とスープ皿、フォーク、スプーン、コップなどの食器類数点と、たっぷりと水を満たした水甕に乾燥させたホコロ芋の粉や、これまでセリナが村に貢いできた獲物の一部を使った乾燥肉や燻製肉が支給され、竈も小屋の入口の脇に新しく作った。
 これまで生家を出てから野宿かリザードの集落の廃屋で夜露を凌いできたセリナにとっては、例え物置小屋でも不満はないようで藁を包んだクッションを抱きしめてその感触を楽しみ、藁の匂いを胸一杯に吸い込み、わーい、とクッションの上でごろごろと寝転がったりしてはしゃいでいたりした。
 
 ふむ、可愛いものである。少女の上半身の外見にそぐわぬあどけない行動に、バランさんの部下の人達や村長は、互いの顔を見つめ合いどこか心の緊張を和らげていた。
 セリナの振る舞いは自分を偽ったものでも何でもなく、心からのものだから確かにこれが危険な魔物かと疑ってしまうのも無理はない。
 実際、ラミアは危険な魔物かもしれないが、セリナはそうではないのだ。ラミアという種族としてではなく、セリナと言う個を見れば村長達の心配は杞憂なものだとすぐに分かってもらえると私は思う。
 荷物を運び込み終えて、今日一日は休んでおくようにと村長がセリナに告げると、藁のクッションの感触を堪能していたセリナは、姿勢を正し緩く波打つ綺麗な金髪に藁屑をつけたまま、向日葵のように明るい笑みで、ありがとうございます、と返事をした。
 その笑顔を見て一体誰がセリナの事を危険な魔物であると断じる事が出来ようか。心からの感謝の笑みを浮かべるセリナは、純真で愛らしい少女にしか見えなかった。
 この様な具合でセリナのベルン村移住一日目は新居への案内で終わり、今頃はやはり監視付きで村の猟師さん達と一緒に、狩りに出かけていることだろう。
 年若いセリナはまだラミアとしては未成熟な方であるが、私との交わりを繰り返す事でその能力を劇的に上昇させており、ベルン村近辺の魔物はもはや敵ではない。セリナが一緒なら村の人達の身も安全であると、私は安心していた。

 村の真ん中を流れる川で取った魚の塩焼きとパン苔を混ぜて嵩増しした黒パン、素焼きの壺に入れたミウさんの乳で昼食を済ませた私は、その日一杯農作業に従事して日々働く事の楽しみを噛み締めていた。
 体を重く感じさせる疲労、額や頬を伝う汗、体のあちこちを汚す土、力を込め続けて固く強張った指、照りつける太陽の日差し、いたわる様に頬を撫でて行く風――なにもかもが私に生きている事の喜びを教えてくれる。
 夕陽が姿を見せて空が鮮やかな紅に染まる頃、農作業を切りあげて村の誰もが家に帰る中、私は朝の内に川に仕掛けておいた籠に、魚の一匹でも捕まっていれば幸いと一人、家族の元を離れた。
 私はこう言う細かい事をして少しでも多く糧を得ようと昔から思考錯誤しており、最近になってようやく成果に繋がる様になってきていた。
 どうにも私は自分の体と魔力さえあれば事足りた竜時代の癖が残っているから、細かな作業や深く物事を考えると言う事が苦手で、万事大雑把になりがちという悪癖がある。
 それを矯正する意味もあって失敗が多い事を分かった上で、細かい作業などを積極的に行っている。
 人間に生まれ変わった私のモットーは失敗を恐れず何事も挑戦、これである。挑戦、失敗、挑戦、失敗、挑戦、そして成功。大体がこのような調子であるが、私にはこれが性に合っているようだ。
 川に仕掛けた罠も父や兄に教わりながら、まともなのが作れるようになるまで結構な時間が掛ったものである。
 さて罠を仕掛けた場所に一人とことこと歩いていた私であるが、ある家の前を通りかかった時に、家の扉を開いて顔を覗かせた少女に声を掛けられたので足を止めた。

「あ、ドラン。ちょっと家に寄っていかない? 味を見て欲しいものがあるんだぁ~」

 言葉も声の響きもおっとりとしているのは、ミウさんとバランさんの愛娘である今年十四歳になるミルさんだ。
 ミウさんの血が濃くセミロングの茶色い髪から覗いている耳や、まろやかなラインを描くお尻から伸びている細長く先端にふさふさとした毛を生やした尻尾、膝から下を覆う牛の白黒模様の毛皮と蹄など、牛人の特徴をそのまま継いでいる。
 くすんだ白色のワンピースを押し上げる乳房は年齢を考えれば十二分以上に大きく育っており、くびれた腰もミウさんと同様だ。ただミウさんよりもおっとりとした雰囲気で、性格の方も雰囲気そのままである。
 正直、時々マルコよりも年下なんじゃなかろうかと思うこともしばしばである。
 ただ無邪気かつ無防備に私を手招くミルさんの笑顔を見ていると、こちらの警戒心が春の雪解け見たいに消えるから、これはこれで大したものだと感心すべきかもしれない。
 扉から、少し動くだけでたゆんと揺れる乳房と顔を覗かせて手招くミルさんに素直に従い、私はミルさんの家に入る。バランさんは村に作られた駐在所に詰めているから留守だ。
 バランさんはご両親を流行病と魔物の襲撃で亡くされていて、兵士になるべくガロアで訓練を受けていた時にミウさんと出会い、ベルン村に配属されてからはかつてご両親と暮らしていたこの家に今のご家族を招いている。
 私が長机と六脚の椅子が置かれている食堂に通されると、そこにはミウさんの姿もあった。何度見てもミウさんとミルさんが母娘とは見えない。精々が少しだけ年の離れた姉妹である。バランさんが羨ましい限りだ。

「お邪魔する、ミウさん」

「あらドラン。ちょうど良かったわ。すこし味見して欲しいものがあるのよ。立ったままなのもなんだから、さ、座って」

 ミウさんにすすめられるままに椅子に腰かけて、私はなにかご馳走になれるのかな、と食欲が鎌首をもたげるのを感じた。ディラン兄とマルコに悪いと思うが、後でなにか埋め合わせをしよう。

「えへへ、これだよ~」

 相変わらず満面の笑みのミルさんが私の前に差しだしたのは、白い液体で満たされた木のコップである。ほんのりと甘い匂いが香ってくる。

「乳か。ひょっとしてミルさんの?」

「うん。今日ね、私も出るようになったんだよ~。お父さんとタウロには味見してもらったんだけど家族以外の人にもね、味見をして欲しいんだぁ」

 タウロさんは家のディラン兄と同い年のミルさんの弟である。牛人の血を引く彼はすでに大人顔負けの力持ちで、父であるバランさん直々に武芸の手ほどきを受けており、将来は王国の兵士か冒険者か、と村では噂されている。

「ふむ、それは光栄だな」

 牛人の女性にとって乳が出るようになった事は一人前の体に成長した証であるから、特別恥じるような事ではないし、むしろ誇る事である。
 人間との付き合いが深い牛人の方々は自分達の乳が、人間に大変重宝される事も知悉しているから、乳は味が良ければよいほどまた搾れれば搾れるほどよいとされている。
 ちなみに乳の飲み方に関して直に牛人の女性の乳房から飲む事を許されるのは、親しい友人の赤子であるとか恋人でなければならないし、乳房に触るのだって同じことだ。
 となると私の目の前に置かれたミルさんの乳は、ミルさんが自分で搾ったか母親であるミウさんが、まだ不慣れであろうミルさんの乳房から搾ったものだろう。
 血の繋がった実の母が娘の乳房に手を伸ばして搾乳するのか。ふむ、けしからん。実にけしからんな。

「まだ自分じゃ上手く搾れないから、お母さんに搾ってもらったの。朝に搾ったのだから、すこし時間は経っちゃったけど、味はそんなに悪くはなってないと思うんだ~。ドラン、味見してくれる?」

「断る理由は一つもないな。では賞味させて頂く」

 椅子に座った私の左横に立ったミルさんが前かがみになり、私の顔を覗きこみながら頼んで来るのに対し、私は言葉通り断る理由はなかったし味見を頼まれた事が嬉しかったので、さっそくコップに口をつけた。
 ミルさんが前かがみになった時、私の手では余るほどの若い乳房がちらりと見えて、つい視線が吸い寄せられたのは内緒である。セリナよりも幾分大きいのは、さすが牛人の血と言うべきか。
 ミルさんの乳を口の中に含んだ私は、乳の匂いと味を堪能すべくすぐには飲み込まず口の中で噛むようにして味わいそれから飲み込む。

「美味しい。ミウさんの乳より甘みが強いと思う。喉越しもいいし、村の皆も大喜びするだろう」

 きらきらとした瞳で私の感想を待っているミルさんの顔を見つめ、私は語彙には乏しいが素直な感想を述べて、残りのミルさんの乳を飲み干し、空になったコップを机の上に置いた。
 ミルさんはこちらもつられて笑顔になってしまう様な笑顔に、照れを混ぜてえへへと笑っている。良くも悪くも素直に思った事を口にする私が美味しいと言ったので、それが嬉しい様子であった。
 ミウさんは娘の乳の味を褒められてほっとした様子で、お代わりを持って来るわねとコップを持って行った。流石に同じ村の住人とはいえ、目の前で乳を搾る光景が見られるわけではない。少し、いやかなり残念だ。
 ミルさんは喜びの表現としてか私を抱きよせて、大人の女性でも滅多に居ない位見事な乳房に私の頭を埋める。ふむ、非常に柔らかくそれでいて弾力に富み、触っていて飽きない胸乳である。
 これからは牛人を見かけたら拝んで感謝を示した方が良いかもしれん。

「良かったあ。ドランがそう言ってくれるなら、村の人達にも私のミルクを喜んでもらえそうだね。少し不安だったんだよ~。ありがとうね~、ドラン」

 ミルさんは無邪気に自分の胸の中に埋もれさせた私の頭をむぎゅむぎゅと抱きよせて頬ずりしてくるが、私は柔らかいし良い匂いはするし気持ち良いとあって、役得ではあったのだがかえって困ってしまった。
 欲情していたのである。がっちがちになっている。とはいえ流石にミルさんに手を出す事は出来ない。赤子の頃に乳でお世話になったミウさんの娘さんであるし、バランさんがどんな顔をするのやら。
 ミルさんほか村の女性に手を出すとしたら、せめて成人として扱われる十五歳になってからだ。だからといって別に互いに十五歳を越えていたら抱いていた、というわけではないが。
 私が困ってどう言えば良いものかと思案しているうちに、ミルさんは私の股間が大きく膨らんでいる事に気付いて、顔を真っ赤に染めると私の頭をようやく解放した。
 やれやれ、ほっとしたような残念なような。残念な気持ちの方が強いかな?

「あう、ご、ごめんね。私ったら考えなしに抱きついたりなんかしちゃって。お父さんに直しなさいって言われているんだけど、嬉しくなっちゃうとつい、ね」

 ミルさんの抱きつき癖は昔からのもので、同年代の子供の大半はミルさんに抱きつかれた事がある。
 ミルさんは真っ赤になった顔を恥ずかし気に俯かせてはいるが、その視線は私の股間をちらちらと見ている。そういえばミルさんにはまだ恋人はいなかったか。そう言う事に対する興味が強くなる年頃だから、私に向けられる視線もまあ仕方の無いものだろう。

「ミルさん、私くらいになるとそろそろこういう年頃だ。ミルさんはミウさんに良く似てとても可愛らしいし、魅力的な女性だから男を相手にあまり無防備な所は見せない方が良い」

「え、あ、可愛いかな、私?」

「うむ」

 えへへ、とミルさんはまた照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。あまり言われ慣れていないのかもしれない。
 相手の良い所を見てそこを褒めてあげなさいと母に教わった事をただ実践しているだけだが、今の所上手く行ってくれているようだ。
 ミルさんの良い所は外見ばかりではないが、いかんせんこの状況では身体的な魅力を手っ取り早く伝えた方が理解は早かろう。
 私とミルさんがそんなやり取りをしていると、ミウさんが乳のお代わりを持ってきてくれたのだが、ミルさんの方を見るとあらあらと困った様に言い始め、何事かと私も改めてミルさんの方を見やれば、ミルさんの白いワンピースの胸のあたりが濡れていたのである。

「あ、また出てきちゃった」

 どうやら朝に搾ったばかりだと言うのに、もうミルさんの乳が出てきてしまった様で、その乳でワンピースが内側から濡れてしまったのだ。
 濡れたワンピースの生地に、うっすらと桃色の肉粒が透けて見えて、私はこれも役得だな、と内心で呟いた。

「あら、いけない。ミル、はやく搾らなきゃ。そうだ、ドラン。少しここで待っていて。アゼルナ達のお土産に、ミルのお乳を持って行くといいわ」

 それは非常にありがたい提案であったので、私は喜んで首肯し大人しく椅子に座りなおしてミルさんの乳搾りがひと段落するのを、お代わりの乳を飲みながら待つ事にした。いつか直に飲んでみたいものである。
 ごめんねぇ、と恥ずかしそうに笑うミルさんがミウさんと一緒に、違う部屋に行くのを見送ってからしばらく、小脇に抱えられる位の素焼きの壺を持ったミウさんとすっきりとした顔のミルさんが姿を見せて、私はお土産としてミルさんの乳がいっぱいに入った壺を受け取った。

「短い時間でずいぶんと出たのだな」

「ようやく出るようになったばかりだから、溜まっていたのよ。私とミルの二人なら村の皆に今まで通りお乳を飲んでもらっても、他の町に売る位の量は出るし私もミルも頑張らないとね」

「えへへ、たくさん飲んでね、ドラン」

「ああ。ミルさんの乳なら、すぐに飲み切ってしまうさ」

 私はそのままミウさんとミルさんに見送られて別れを告げ、川に仕掛けた罠もきちんと確かめておいた。
 切り身から脂をたっぷりと滴らせるジューシーフィッシュとプリプリとした歯応えが特徴のプリメが二尾ずつ籠の中に入っており、私は実に良い気分で帰り路についた。
 夕暮れを浴びて帰り路を行く途中、私は心洗われる様な夕陽を見つめながら、今日はセリナの胸をとことん堪能しよう、と心に誓う。
 人間に転生してセリナと交わって以来、実に欲望に素直になったものだと、私は自分に呆れていた。まあ、セリナも私も気持ち良いし、セリナは力を増す事が出来ると良い事だらけなので、気に病む事もあるまい。
 その晩、私が持ち帰ったミルさんの乳と魚は好評の内に、我が家の胃袋に収まるのだった。


 村の人達がセリナに馴染むまで五日ほどか、という私の予想は良い意味で裏切られた。私は我がベルン村の人々の順応性とセリナの社交性とコミュニケーション能力を、かなり低く見積もっていたのである。
 昼食の短い休憩の時間に、私は我が家の豆畑の近くで切り株の上に腰かけて、川遊びをしているセリナと村の子供たちの様子を見ていた。
 一応、監視の兵士はまだついているがこちらもすでにセリナに対する警戒を薄めておりさほど緊張してはいない。
 それでも各々の武器に手は添えてあり、すぐさま動ける体勢にある辺りは、流石に辺境勤めの実戦慣れした兵士だけはある。
 セリナが村に来て三日。すでにセリナは私と同じかそれ以下の子供たちから蛇の姉ちゃん、セリナ姉ちゃんと呼ばれ、よく懐かれていた。
 セリナと水の掛け合いをしてはしゃいでいる子もいれば、セリナの尻尾にしがみついたり跨って笑顔を浮かべて楽しんでいる子もいる。
 一度、セリナに聞いた事があるが、一人っ子であったセリナにとって村の子供達は弟や妹みたいに感じられて、一緒に遊ぶのが楽しくて仕方がないらしい。
 夜はともかく昼は私もセリナばかりを構っては居られないから、セリナに私以外に遊ぶ友人や顔見知りが出来る事は、非常に喜ばしい。

 外に出ての狩猟や魔物を追い払う事に関しても、セリナの魔眼や魔法は非常に役に立ち、これまでの村人だけで行っていた時よりもぐんと効率が上がっている。
 またセリナが獲物の肉や野菜などをごく少量しか食べないから、気前よく獲って来た獲物を村の人達に分けている事もあって、大人連中からの評判も良い。少なくとも子供がセリナと遊ぶのを咎める親は既にいないほどである。
 しかし、と私は水遊びをして笑顔を周囲に振りまいているセリナの姿を見て思う事があった。セリナが着用しているのは相変わらず襤褸のマントである。
 仕立てと素材が良かったからか、まだまだ着用には耐えそうであるが、若い娘がいつまでもマント一着っきりというのも不憫な話。

 そろそろ新しい服でも用意してやりたいが、私の立場ではそうそう用意できるものではない。
 第一私だってここしばらく新しい服何ぞ着てはいないし、この時代の人にとって服と言えば、他の人が着られなくなった服を貰い受けるなり古着屋で古着を購入し、サイズが合うように仕立て直したものを指すから、完全に新品の服を着る機会は平民にはそうそうあるものではない。
 村には大体五日から七日に一度くらいガロアから行商人の方が来るのだが、その人に布地を売ってもらうにしても、私が手伝いなどで時折もらう小遣いでは人一人分の衣服に必要な布は手に入るまい。
 となると村の農作業以外で小銭を稼ぐしかあるまい。それにセリナの服以外にも私には気がかりな事があった。あのゴウラグマである。本来村の東にある森に棲息するあの魔物が、どうして村の近辺にまで出没したのか。
 幸い、二頭目の姿を目撃した話は出ていないが、ちと調べる必要があるかもしれん。ふむ、小銭を稼ぐ方法と森の探検の許可を取ってみるか。

 あ、いつの間にか子供たちの中に紛れていたアルバートが、セリナの胸を一撫でしやがった。セリナは恥ずかしがって胸を両手で隠して顔を赤くしながらアルバートに注意しているが、アルバートは悪びれた様子もなくニヤニヤしている。
 胸を触られても本気で怒る様子を見せないセリナの安全性を知らしめて、アルバートなりにセリナを村に馴染ませようと言う行為なのかもしれんが、私が許容できる範囲を越えた行いである。
 おのれ、夜になったらアルバートの家に忍び込んで股ぐらに水をかけて、寝小便の刑に処してくれる。次もやったら寝大便の刑である。セリナは私のだ。


 夕飯を食べ終えて食器の片付けの手伝いも終わった私は、椅子に腰かけて黄金色の麦酒をじっくりと味わいながら飲んでいる父ゴラオンに、東の森への探索を頼みこんでいた。
 東のエンテの森は、まだ辺境の人々が足を浅くしか踏み入れていない場所で、十階層の迷宮に例えるなら一階の半分を踏破した程度であり、その奥には古代王国の遺跡があるだの、エルフの里があるだの、根も葉もない噂が人々の口に乗っている。
 かくいう私もエンテの森にはなにがあったか? というよりもエンテの森ってなんだ? と竜の時の記憶が今一つ曖昧なもので、私にとってもエンテの森の奥は未知の世界であり、好奇心と冒険心を刺激してやまない。
 エンテの森は非常に実り豊かで生命に満ちており、奥深くに行かなくても十分な糧は得られるから、ベルン村を含め辺境の人々は奥へと踏み込もうとはしていない。
 麦酒が半分ほど残っている木のコップをごとりと音を立ててテーブルに置いた父は、不動直立の体勢で返答を待つ私の顔をまっすぐに見つめて問いかけてくる。
 嘘を許さない、というよりは嘘を吐かないと自分の子供を信じる父の瞳が、私は大好きであった。

「エンテの森か。お前一人では行かせられんぞ。ディランは八つの時に連れて行ったが、おれが一緒だったしな」

 父が無精ひげをじょり、と音を立てて撫でる。これは父が迷っている時の癖である。私と父の話を聞きつけたマルコが自分もエンテの森に行きたそうな顔をしていたが、こちらは母に注意されて断念した様子。
 ディラン兄は私の年ならまあ行ってもいいんじゃないか、とさほど気にした様子は見られない。豪胆と言えば豪胆だが、それに大雑把の成分もいくらか含まれているのが、ディラン兄の性格である。

「私一人では行かない。セリナさんと一緒に行く」

「う、む。あの蛇の娘っ子か。お前はなんでか好かれているからなあ」

 私がセリナの名前を出す事は、ある程度予想していたのだろう。なお父がセリナの事を蛇の娘っ子、と言うのに悪意は含まれていない。悪意のある呼び方をするのなら、父の場合、あの魔物か、とか雌蛇か、とでも言う所だろう。
 ではなぜ蛇の娘っ子と言うのかといえばこの父、まだ三十歳の割に人の名前を覚えるのが苦手なのである。
 セリナの場合確かに蛇の、とつければこの村の住人はセリナの事であると分かるから言い得て妙といえば妙なのだが、いまひとつ感心できない所がある。

「私もセリナさんは好きだ。それに単純に強い。魔法が使えるし力も強い。ラミアの目もある。一緒に森に行くのならとても頼りになる」

「お前の言うとおりではあるな。おれも狩りの時に娘っ子の戦いを見たが、ありゃディナとバランとおれを足した様なもんだ。正直に言えば村に来てもらって随分助かったと思っとる。まあ、娘っ子が一緒に行くのならお前が森に入っても危険な事はないだろう」

「では、明日にでも行ってこようと思うが、いいだろうか?」

「少しでも危ないと思ったら荷物を捨てて構わんからすぐに帰ってこい。あまり奥には行くな。無理になにかを得てこようとせんでいい。これを守れるんならいっていいぞ」

「分かった。怪我ひとつしないで帰ってくる」

「よし」

 父はそういって目を細めて小さく笑い、私の頭を痛い位の強さでぐしぐしと撫でた。許しが出たのと、頭を撫でて貰えたのが嬉しかった私は、ふむ! といつもの口癖を力強く発していた。

<続>

1.
 牛人のミルクは一般的に広まっているものですが、都市部では栄養価がある上に美味とあって、富裕層に好まれている為一般の人だと少々値が張ります。
主人公の場合、運命共同体である村の住人同士と言う事もあって、気軽に飲めています。
 何度か名前の出て来たガロアという都市にもミウ以外の牛人がおり、ミルクは出回っていますが、いつでも好きな時に飲める人は限られています。
 ベルン村の属している王国では人間の集団が暮らしている所には、ほぼ必ず牛人をはじめとした人間と親しい亜人が暮らしており、共存関係にあります。

2. ななん様のご質問にあった魔法について。
 人間なら誰しも魔力は持っていますが、それを魔法として行使できるほどの魔力を持っている人間は希少なので、魔法使いの人口は少ないです。
 魔法使いも大抵は王国に仕えるなりして、献策や魔法具の開発、軍事力の一環として重宝されて生活も安定しているので、マグル婆さんの様な魔法使いは割と珍しく、ほかには落ち零れて傭兵や冒険者になるか、文字や勉強を教えたりして暮らしています。
 主人公も肉体自体には平均的な魔法を使えない程度の魔力しかありませんが、魂から滲む魔力がある為、これに気付いたマグル婆さん(古神竜の魂に、ではなく魔法使いの水準に達している魔力に)の下で魔法薬の調合や初歩の魔法を習う事になりました。あとセリナからも攻撃魔法を教えて貰っています。

3.sana様からの分身の遠隔操作について
 主人公は竜の肉体の分身なら作った事はあるので、竜の分身体なら得意なのですが、人間の体の分身を作るのは最近ンになってようやく手を着けた事なので、人間の体はどうなっているんだろう? といった状態です。
ただ外見を真似るだけなら問題ないのですが、実際に動かすとなるとこう言った動作をした時はこう言う風に体が動く、と言った細かい所が良く分かっていないので悪戦苦闘しています。
 前世は力押しだけで済む生き方をしていたので、現在の人間らしい生活にはかなり苦労しており、分身を遠隔操作するほどの細かい作業はまだ難しいのです。
 分身の中身も人間をそっくり真似ているせいなので、外だけ人間に似せるだけなら簡単なのですが、凝り性な性格もあってあえていばらの道を進んでいます。
 また人間に生まれ変わってからは全て直に自分が経験したい、という気持ちがあり例え分身であってもまずは自分が最初に経験してから、と分身を操って何かをする事を躊躇しているのも理由です。

 ざっとこんなところでしょうか。人妻牛のミルクを飲む方法は私にもわかりませんw
 なおセリナの様な吸精タイプの魔物にとって、RPGっぽく表現すると主人公の精はステータスアップアイテムみたいなもので、セリナはレベルは変わっていませんが山ほどステータスアップアイテムをつぎ込まれており、レベルの割には異様に強いです。
 こういったRPG的な表現をお嫌いな方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまで後書きにおけるお遊びですので、ご容赦くださいませ。
 作品世界はアトリエシリーズとロードス島戦記と吸血鬼ハンターDの辺境世界を足して三で割ってウルトライージーモードにした様なものをイメージしております。
 主人公がメルルやトトリといったアトリエシリーズの主人公ポジションですね。
登場するモンスター娘は次のドリアード、バンパイア娘あたりは確定ですが、ドリアードの直ぐ後にバンパイアというわけではないです。
 その他名前の挙がったモンスター娘に関して可能な限りご希望に添えられるよう善処いたします。

・ベルン村 
規模:辺境の農村 人口:百五十人+魔物一体←NEW!

・ベルン村特産品リスト
ホコロ芋
フクレル豆
ドゥードゥー鳥
ランバードの羽
ランバードの嘴
ツラヌキウサギの角
オオアシネズミの毛皮
トビダヌキの毛皮
テッツイイノシシの毛皮
クロシカの毛皮
クロシカの肝
オオキバワニの牙
オオキバワニの革
マグル婆さんの回復薬(HP回復)
マグル婆さんの解毒薬(毒・麻痺回復)
マグル婆さんの軟化薬(石化解除)
マグル婆さんのまじない薬(戦闘中LUKアップ)
マグル婆さんのお祓い札(モンスターエンカウント率ダウン)
ディナの増強薬(戦闘中ATKアップ)
ディナの硬化薬(戦闘中DEFアップ)
ディナの俊敏薬(戦闘中AGIアップ)
ディナの集中薬(戦闘中DEXアップ)
リシャの鎮静薬(MP回復。辛い)
リシャの強化薬(戦闘中ATK・DEF微アップ。甘ったるい)
リシャのアロマ(混乱回復。苦い)
アイリの魔法薬(HP・MP微回復。不味い)
牛人の乳(母)
牛人の乳(娘)←NEW!
ラミアの毒液(麻痺) ←NEW!

9/23 21:50 誤字脱字修正。通りすがり様、くらん様、ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑥ エロ注意
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/30 21:10
主人公がちょっと無双します。主人公最強モノがお嫌いな方はご注意を。
今回は賛否両論あるであろう内容になっています。

さようなら竜生 こんにちは人生⑥ エロ注意


「ドラン、忘れ物はない? セリナさんと二人で本当に大丈夫? 無理しちゃだめよ。ちゃんと夕飯までには帰ってくるのよ」

 エンテの森の探索に向かう為、ベルン村の北門まで来た私は私の身を案ずる幼馴染アイリから、矢継ぎ早の質問を受けていた。我が母とて家を出る時に私の格好を見て、よし、と一言で済ませたのに、まったくアイリは心配症である事よ。
 今の私は、愛用のブロンズダガーを腰の革ベルトに差し込み、森の探索に当たって父から貸し与えられた鉄製のショートソードを左腰に佩き、右手には愛用のツラヌキウサギの槍を持っている。
 ベルトにはいくつかのポーチと革の袋が括りつけられており、薬草をペースト状に練り込んだ傷薬や解毒作用の薬草を小指の先くらいの大きさの丸薬にしたものなどが入っていて、革袋に入れた水筒も吊るしている。
 ちょっと大荷物かもしれないが、日々の農作業に耐えた私には十分許容範囲だ。

 他にもいつものシャツの上になめした革のジャケットを着こんでいて、背中には革の背負い鞄を背負っている。こちらには焼き固めた黒パンや干し肉が入っている。
 背負い鞄の中身を森で胃袋に納めて、空いたスペースに森の収集物を入れて村に持ち帰る予定だ。
 私はちょこちょこと回りを動きまわるアイリの右手を、私の左手で握って動きを止めてから、まっすぐにアイリの瞳を覗きこむ。
 そばかすを散らした可愛らしいアイリの顔は、心配の色一色で染まっている。こうまで心配してくれているとは、得難い幼馴染を持ったものである。

「準備に抜かりはない。安心しろ、アイリ。言われたとおり夕陽が沈む前には帰ってくる」

「……そうよね、あんたは私やアゼルナさんがどれだけ心配しても、いつもけろっとした顔で帰って来るもんね」

 アイリはようやく私の言葉で安心したらしく、少し疲れた様な、困った様な顔を浮かべる。あたしもついて行く、と言われなくて正直安堵した気持ちも私にはある。
 どんな危険があったとしても私が古神竜としての力を振るえるなら、それは危険足り得ないが、アイリや村の人達の前で力を振るう事は私にとって最後の手段だ。
 私は人間としての生命を終えるその日まで、人間として生き、そして人間として死にたいのだ。
 アイリが同行した場合、予想しなかった事態によって危機に直面した時、私本来の力を振るわねばならぬ可能性があるかもしれない事を、私は嫌ったのである。
 その点セリナに対してなら既に出会った時に私の力の一端を見せているし、私の正体を知られても構わないと判断できる間柄だ。
 私がアイリに心配されている間セリナはと言うと、私の家族に息子をよろしく云々と頼まれていて、笑顔でこれに応じ傷一つ着けずにお返しします、と答えている。
 一定の信頼を獲得しているとはいえ、魔物の娘を相手に子供の事を頼む辺り、我が家族の胆はなかなかに座っている。

 セリナのあの絶対的な自信は私を何が何でも守る、と心から思ってくれている事と私の真の力の一端なりを知っているからこそであろう。
 エンテの森における私の目的地は、辺境の人々が足を踏み入れていない奥地となる可能性が高い。
 その点を考慮して私は朝の早い時刻から村を出立する事に決めていた。夜明けと共に畑仕事に出ている他の村の人達の姿を見ながら、私はそろそろ出発しようとセリナに声をかける。
 セリナはいつもの襤褸マントのままであったが、両肩から斜めに植物の蔦と動物の革を使った手製の編み鞄を、合計二つ下げている。
 ラミアであるセリナにとって食べ物の必要性はほとんどなかったら、私用にと予備の傷薬と水筒、食糧を編み鞄の中に入れられているはずだ。
 私は腕を組んで黙って私を見送る父や手を振る母、兄弟、アイリに手を振りながら村の北門を後にするのだった。

「ドラン、怪我なんかして帰ってきたらあたしの調合した薬を山ほど飲ませて上げるからね~! セリナさん、ドランの事をよろしくお願いしま~す」

「分かった。用意はしておかなくていいぞ」

 最後に大きく声を張り上げて言うアイリに私もまた大きな声で答え、今度こそ私とセリナはエンテの森を目指して歩を進めた。


 見送りに来てくれた皆と別れてからエンテの森を目指し、緩やかな起伏のある草原を私とセリナは手を繋いで歩いていた。私の右手は槍を握っているので、左手でセリナの細く繊細な右手を握っている。
 セリナを伴って転移魔法や飛行魔法を使って森に向かえば時間を大きく稼ぐ事が出来たろうが、セリナに対して村の周囲の案内も兼ねているのでのんびりと歩く事にしている。
 春の日差しは朝から暖かく陽気で心地が良い。セリナと二人きりで散歩がてら森を目指すのもいいと思っていたからだ。
 私と同じ考えなのかセリナも過ごしやすい天候と朝の爽快な空気に、村を出てからずっと笑みを浮かべており、私と握った手をときどき見てはさらに笑みを深めている。
 そんなセリナの笑顔を見ていると、この娘と出会って良かったな、と思う。ここまで私に従順で献身的に尽くしてくれるセリナに見合う男であらねば、と改めて胸に誓っておく。

 村を出て暫く歩いてから、私はセリナに声をかけて足を止めて左手で懐に忍ばせていた首飾りを取りだす。
 先端に向けてわずかに斜めに傾斜する小さな白い牙に穴をあけて、紐を通した簡単な造りのアクセサリーであるが、使っている牙は私の左上の犬歯を引っこ抜いた後に古神竜の牙へと変えたものである。
 私の小指くらいの大きさだが古神竜の牙である事に加えて私の守りの意思を付与してあるから、強力すぎて使用を禁じられた禁呪を叩き込まれでもしない限りは、セリナの身を守ってくれるだろう。
 おそらく現在の人間の製造可能な最上級の魔法具よりも強力な効果を持っているだろうが、竜語魔法による隠蔽を施してあるから、魔法に長けたものでも真の効果は見抜けず単なる獣の牙を使ったアクセサリーとしか見えない筈だ。

 ちなみに既に引っこ抜いた歯は再生しているので、私の歯並びは変わらず綺麗なものだ。私はセリナの首に手を回して、手ずから首飾りをつける。
 華美さなどは欠片もない実用一点張りのデザインであるが、私の牙は陽の当たり具合で七色を帯びるから、ただの獣の牙よりは多少綺麗ではあるだろう。
 もっと美的感覚があればよかったのだが、私の才能と時間と予算の都合でこの程度の品になってしまい、私はセリナに対して申し訳なく思う所があった。
 白く透ける肌を持った豊かな自分の乳房の谷間で輝く私の牙を見たセリナは、申し訳ない表情を作る私が何かを言う前に、私を思いきり抱きしめて来た。
 レザージャケットとシャツ越しにぐにゃりと潰れるセリナの乳房の慣れ親しんだ感触がする。
 この場で押し倒してしまいたい衝動がむらむらと湧き上がって来たが、私はそれを抑え込み両手をセリナの背中に回して抱き返しながら、槍を地面に刺して空けた右手でセリナの頭を優しく撫でる。

「素敵な贈り物をありがとうございます! 私は世界一幸せなラミアです」

「そこまで喜んでくれるとは思わなかった。私としてはもっと若い女性らしいものを送りたかったのだが、随分地味なものになってしまって申し訳なく思う」

 セリナは私を抱きしめていた状態から、体を離しそんな事はないと首を横に振るう。喜んでくれるのなら私にとって、これ以上ない成果である。
 セリナが私の事を気遣って言っているのではない、とわかり私は内心で安堵した。
 竜であった時代、稀に私に挑んできた戦士や勇者に、その武勇や高潔な心を褒め称えて贈り物をした事はあったが、親愛の情をこめて異性に贈り物をするのは憶えている限りでは初めてであったから、正直かなり緊張していたのだ。
 大切な宝物のように、私の牙を両手で包みこんで頬を赤らめて笑むセリナの姿が、あまりに愛らしいものであったから、次はもっと喜んでもらえるものを贈って、この笑顔をまた見ようと決めた。

 それから森への移動を再開した後、セリナは自分の胸の谷間に埋もれて固定された牙のアクセサリーを時々見てはにこにこと笑みを浮かべて、これ以上ないほど上機嫌になっている。
 ふむ、私にとってもなによりな事である。
 一応エンテの森の端っこまではこれまでに辺境の人々によって、馬車がすれ違える横幅の簡単な道が出来ている。
 といっても雑草を取り払い踏み固めただけの簡単な道だから、土砂降りの雨が降るなりするとあっという間に荒れてしまう。
 エンテの森は奥に進むと大型の食肉蜘蛛や、ムササビの様な皮膜を持った滑空する全長二メルのトビオオトカゲをはじめ、村の近辺よりも強力で厄介な魔物が姿を見せる。
 それでも以前に建築材として樹木を切り出した辺りは、今でも定期的に魔物の掃討がされているから比較的安全だし、小屋が設置されているのでそこで体を休めることもできる。

 ただし森に到着したら人の目を気にせずに多少自重の箍を緩めるつもりである私は、ゴウラグマが出現した理由を探る為なら、最深部にまで足を踏み入れる腹積もりであった。
 その過程で噂の様に古代王国の遺跡や、エルフの里が見つかるならそれはそれで得るものはある。肝要なのはベルン村に迷惑が及ばぬように、言動に注意を払う事だ。
 私がエンテの森の異常の原因についてあれやこれやと思案を巡らせていると、私の左手を引いてセリナが私の注意を引いた。
 どうした? と私が訪ねるとセリナは東に向かう私達から見て左手の方角、北を指差す。
 私達のいる地点から五百メルほどの場所に高さ三十メルほどの大岩があり、そこにとても頑丈そうで古めかしい装飾の無い鉄の扉が嵌めこまれている。

「あの扉は一体何なのでしょう?」

「ふむ、あれは王国で一番安全な“志の迷宮”の入口だ。戦神アルデスが造りだした、戦士にならんと志を立てた者の為の練習用の迷宮だな。内部にはパペットと言う人間を模した人形が何体もいて、それを相手に腕を磨くのだよ」

 迷宮と一口に言っても、これは神が祝福や試練の一環として建造した物や、過去の魔術師や文明の建造物、単なる遺跡に魔物や亜人が住み着いたものなど様々な種類を指す。
 形態も地下に構築された迷宮や、地上に残された廃墟、天を貫かんばかりの高さを誇る塔と千差万別だ。
 志の迷宮は一番ポピュラーな地下建築型の迷宮で、地下五階層を数えて平均六つ程度の大小の部屋と通路で構築された簡素きわまる構造をしているそうだ。
 ただし入る度に部屋の配置や大きさを変える為、内部の地図を作っても役に立つのは入ったその時だけである。
 五階に番人と呼ばれる特殊なパペットがおり、これを倒せば戦神アルデスから褒章を与えられるという造りになっている。
 戦神アルデスやその眷属神の信徒で、この北部辺境区に住む者なら生涯に一度は訪れるという迷宮であり成り立ての冒険者なども訪れて、ベルン村を宿・拠点として使ってお金を落としてゆく。
 村の人達でも十分に踏破可能な優しい迷宮であるから、時々アルデスの報奨目当てに大人達が挑む事もある。

「一番安全と言う事は、そのパペットはとても弱いのですか?」

 セリナの疑問に私はまた聞きなので自慢出来ることではないが、知っている限りの事を口にする。

「確か大人のコボルトと同程度かそれ以下と聞いた事がある。だがそれ以上に志の迷宮が安全と評されるのは、迷宮の中で死んだとしても迷宮に入った時と同じ状態で入口に戻される為だ。志の迷宮では死ぬ事はない。それゆえに王国で一番安全なのだよ。その代わり死んだ時にはお布施として手持ちの金が半分か、それに相当するものを失うそうだがね」

 トラップもないそうだからな、と付け加え、私とセリナはしばらく志の迷宮の入口を見つめたが、あまり時間は無駄にできないのでエンテの森を目指して歩き始めた。
 パペットは意思を持たない神の作りだした人形であるから、セリナの魔眼は効かないだろうがそれでもセリナの能力があれば、簡単に五階の強力なパペットも倒せるだろう。
 私はまだ志の迷宮に足を踏み入れる許可は下りていないが、いつの日にか許可を取りアルデスからの報奨を手に入れようと画策していた。
 パペットの持っている武器や防具も稀に手に入るそうだし、私や村の貴重な収入源になるかもしれない。
 志の迷宮の説明を終えた私とセリナは半鐘(約三十分)後にはエンテの森の端っこにあるかつての伐採広場に到着していた。
 木々の醸す多種多様な匂いが私とセリナを包み込んでおり、周囲は大地とその次に水の属性が強くなっている。これで泉なり川なりの水場があれば、セリナにとっては村以上に過ごしやすい環境に違いあるまい。

 伐採広場に建てられた小屋は、定期の魔物討伐の降りに手入れされているようだが、休む事はせずに森の中へと足を踏み入れた私達の足元はびっしりと生える緑やら黄色やら赤やらと、色様々な草に覆われ尽くしていて茶色い地面は猫の額ほどしか見当たらない。
 革袋の水で咽喉を潤してから私はセリナを伴って森の奥へと踏み込んだ。
現在の私は森の内部の魔物に対抗するため、肉体を竜のそれに変えてはいないが、魔力による強化は施している。細かい魔力操作がどうにも苦手な面があるが、おそらくこの森の魔物が相手なら十分だと思う。
 道中、森の中に自生している、一つの実からコップ一杯の良質な油が搾れる薄緑色のオイユの実や、香辛料代わりになる香草を摘み取っては持ってきていた紐で縛り、背負い鞄の中に放り込んでおく。
 これらのような村に持ち帰っても問題ないものは背負い鞄や腰のポーチに放り込み、私が持ち帰えると不自然になるものは、以前拵えておいた収納用の亜空間に放り込む。

 この亜空間は視覚的には通常の空間と変わる事はなく、私の意思次第でいくらでも通常空間に現出するもので、広さはざっと百万立方メル位で内部の時間は止めてあるから収納物が腐る事や劣化する事はない。
 村の人達からすれば変わってはいるが子供に過ぎない私が、分不相応な物を持ちかえっても後々面倒になるだけだから、仕方の無い事だ。
 便利な事は確かだしいつか収集したものが役に立つ事もあるだろう。というよりも役に立つ場面が来て欲しいものである。
 私の皮靴やセリナの這いずった跡がくっきりと残る位に厚く折り重なった草や、緑色の苔で埋め尽くされた地面の上を延々と私達は進む。
 流石に森に入ってからはセリナと手を離したが、離した時のセリナの残念そうな顔にはひどい罪悪感を覚えたものである。
 空は方々に伸びた巨大な樹木の枝が折り重なって、大自然の天蓋をつくり陽光は隙間から差し込む木漏れ日だけだ。
 時折セリナの金の髪が木漏れ日を浴びて本物の黄金であるかのように輝いており、私はその美しさについ見惚れてしまいそうになる自分を叱咤しなければならなかった。
 私とセリナはさらに奥へ奥へと進み、やがて少しずつ森に住む魔物や動物の襲撃を受けるようになっていく。

「ふむ」

 と私は高さ二十メルに届く巨木の枝から、私の背後から飛び掛かって来たトビオオトカゲの首を、振りかえりざまに振るった無造作なショートソードの一振りで斬り落とす。
 振るった剣の速さゆえか斬り飛ばされた首と胴体からは、血が滲む事さえない。かすかに肉の焼ける匂いがした。
 ショートソードを見ると大気との摩擦で熱を持ち、刀身が赤熱していた。
 トビオオトカゲの硬質の皮や、首の骨などあってないがごとき膂力に任せた乱雑極まりない一撃である。
 通常トビオオトカゲは単独で行動するから、続けての襲撃は無かった。セリナはトビオオトカゲに気付いて、下半身の一撃ではたき落そうとしたが私が手で静止した為、見守るだけに留まっている。
 刀身に血が付着する事もなかった為、私はショートソードを手に持ったままトビオオトカゲの死骸を見やる。ちと手加減を間違えて斬り飛ばしたせいか、切り口が鋭すぎる。
 セリナにウォーターエッジで斬り飛ばした事にしてもらおう。斬り伏せるにしても手加減をしなければならんとは何とも面倒な。
 かといって素の私の力では、エンテの森の奥に居る魔物相手では勝ちの目がない。やはりもっと手加減をした強化の方法を学習しなければなるまい。難儀なことである。

 せっかく父から借り受けたショートソードであったので、刃毀れひとつ作ることも嫌った私は、ショートソードに属性を付加していない純粋な魔力を付与していた為に、ショートソードそれ自体の切れ味もミスリル並みになっていた事も、トビオオトカゲの切り口が鋭すぎた理由だ。
 ここは硬度だけを増す様に魔力をコーティングする場所を考えて、ツラヌキウサギの槍をメインにするか。
 ショートソードを鞘に収めつつ、ふむ、と一つ呟いてから私はトビオオトカゲの死骸を首と胴体両方を亜空間の中に放り込む。伐採小屋で血抜きをしてから村に持ち帰るか。
 肉は多少硬いが食えない事はないし、硬質の皮はそのまま防具として加工すれば役に立つ。
 セリナはずいぶんと警戒した様子で木の枝を睨んでいるが、むむむ、と眉を寄せて上を睨んでもまったく怖さはなく、可愛らしさがあるだけだ。胸の前で小さな握り拳を作っていては、なおさらだ。
 くすり、と私は小さな笑みを零して槍を両手で構え直し、地を這う大昆虫達の気配に意識を向けていた。緑の絨毯が敷かれている足場で、草ずれの音をほとんど立てずに走り回るのはさすが森の生き物と言っておこう。

「セリナ、上ではない。下だ」

「え? あ、あれ?」

 セリナが私の声に反応して視線を下に戻した時には、マダラオオグモ四匹が私達を囲んでいた。
 全高が私の胸にも届こうかと言う巨大な蜘蛛で、細かい毛の生えた足や甲殻には紫や黄、赤、青と言った模様が毒々しい事極まりない配色が成されている。
 赤い八つの瞳が私とセリナを、感情を覗かせぬ視線で見つめているが、こちらを獲物として認識している気配は感じられた。ふむ、複数で掛って来たという事は連携も出来るという事かもしれん。
 蜘蛛と言えば上半身が人間、下半身が蜘蛛のアラクネという女性の魔物が居た筈だが、はたしてこの森には棲んでいるのだろうか。
 アラクネの糸は場合によっては高額で取引される事もあると言うし、時にはアラクネの糸で編んだ衣服もあるという。村の将来の為にも是非お近づきになりたいものだ。
 セリナの場合は女性の部分は人間のモノ一か所であったが、アラクネには人間と蜘蛛の二か所があると言う。実に興味深い。
 蜘蛛に共通して厄介なのは臀部から放出される粘着性の糸と、見た目からは想像しがたい跳躍力だ。こう言った大型の蜘蛛の魔物と戦った時に不覚を取る理由は、上記の二点である事が多い。
 森の中で生まれ育ったマダラオオグモとは異なり、足で大地の上を動き回るしかなく、慣れぬ状況にある私達は客観的に見ても大いに不利だろう。

 ただまあ、私とセリナは人間としてもラミアとしても変わり種に入るし、これまでマラダオオグモが食い殺してきただろう相手とは、随分と勝手が違う。
 左右から飛び掛かって来たマダラオオグモに対し、私は強化した五感で互いの位置を完全に把握し、まず右から掛って来たマダラオオグモの牙を開いた口の中に、思いきりツラヌキウサギの槍を突きこむ。
 強化を施した私の視線は左右に素早く動いて、マダラオオグモの跳躍速度と彼我の距離の差を認め、右方からの襲撃に対して先に対処する、という選択肢を取らせた。
 視覚以外にもマダラオオグモの殺気と大気の流れの変化、跳躍によって伝わった振動、風を切る飛翔音、生命ある者が持つ魔力の波動、それら全てが私にマダラオオグモの正確な位置を教えてくれる。
 動物の肉を貫くのとたいして変わらぬ手応えと共に、マダラオオグモの体内を蹂躙した穂先が、マダラオオグモの背中の甲殻を貫いて飛びだし、私はそのまま槍を振りかぶって反対のもう一匹のマダラオオグモにハンマーの如く真上から叩きつけた。
 足で小さな蜘蛛を踏み潰した時の様に、もう一匹のマダラオオグモは叩きつけられた衝撃の凄まじさに、既に死んでいた同胞諸共ぐちゃぐちゃに砕けて潰れる。
 三つ数えるよりも早く二匹のマダラオオグモをミンチに近い状態に変えた私は、万が一もないと分かってはいたが、心配の念を堪え切れずにセリナの方を振り返った。

「アースランス、えい!」

 ちょうど振り返った私の瞳に、草と苔を纏った細い大地の槍が跳躍中のマダラオオグモの柔らかな腹部を、下から貫く場面が映る。
 串刺しにされたマダラオオグモはかろうじて聞きとれる悲鳴らしきものを零し、かすかに痙攣した後絶命して動かなくなった。
 魔法を行使する場合、ゴウラグマとの戦闘の時の様に詠唱を行うのが一般的だが、熟練の魔法使いや使い慣れた魔法を発動させる場合には、その詠唱を破棄して魔法名を叫ぶだけで発動させる事が出来る。
 高度な魔法の詠唱であればあるほど呪文は長文化する傾向にあるから、咄嗟の判断が要される戦闘などでは習得していれば大いに役に立つ。
 その代わりに魔力の消費量は増すし、発動した魔法の効果も劣化を余儀なくされる。だが度々私の精を受け、首飾りによる強化を受けたセリナの魔法であれば、一撃でマダラオオグモを葬るには十分すぎる。
 ちなみに竜語魔法は効果を精密にイメージして咆哮をあげるだけで基本的には発動する。人間の魔法を学ぶようになってから、竜語魔法の便利さを私は噛み締めていた。

 魔物との戦いは生家に住んでいた頃から慣れている、というセリナの言葉は真実だったようで、マダラオオグモの襲撃を受けても特に動じることもなく二匹を返り討ちにしてのけたようだ。
 セリナは私の方を振り向くと私もマラダオオグモを片付けた事に気付いて安堵のため息を零し、すぐに私の元へと這いずり寄って私の頭の天辺からつま先までをまじまじと観察し、怪我一つない事を確かめる。

「ドラン様、お怪我はありませんか? 申し訳ありません、私が全て倒せればよかったのに」

「気に病む事はない。見ての通り怪我はないし、私も体を動かしたかったからね。さて蜘蛛達の牙と甲殻でも剥ぐとするか」

 落ち込みそうになるセリナの頬に口付けて気にするな、と伝えた私は、ブロンズダガーを鞘から抜いてマダラオオグモの死骸から、役に立ちそうな部位をはぎ取る作業に移った。
 それからも時折羽の生えた全長四メルのオオバネムカデやら、エンテウルフの群れに囲まれるのを尽く撃退し私とセリナはどんどんと進んでいった。
 比較的珍しいエンテウルフの毛皮や牙はきっといい値段がつくな、と私が内心でほくほくとしていると、周囲から魔物のみならず普通の昆虫や動物の気配も少なくなっているのを感じる。
 私の鼻は、わずかに焦げくさい臭いを嗅ぎ取っていた。木々と動物の肉とが焼ける匂いが混じり合っているが、臭いの薄さから数日の時間が経過しているのは間違いない。
 瘤の様に盛り上がった樹の根を跨いだ私は、半ばからへし折られたエンテ杉や焼きた木々が倒れて折り重なっている開けた場所に出た。

 セリナも周囲の木々や地面に残されている巨大な足跡や爪の痕、かなりの火力が用いられた痕跡を確認し、警戒の意識を高めている。
 森の中で火を扱うなど正気の沙汰ではないが、これは最初から正気でなければ火を使う事に躊躇はすまい。
 火災が広がらなかったのは幸運か、あるいは火を付けた何者かが後始末をしたのか、森に住む誰かがフォローしたものか。

「ドラン様、ゴウラグマの死体です。焼き殺されています」

 セリナの青い視線の先にあったのは、倒れた木の向こうで全身を焼き焦がして息絶えるゴウラグマの死体であった。
 毛皮と分厚い脂肪に守られた内側の肉体もすっかり焼かれており、ほとんど消し炭に変わって転がっている。
 多少の魔力耐性を生まれつき備えているゴウラグマの体を、よくもここまで焼いたものだ。
 周囲に残留している魔力を確認しながら私はゴウラグマの焼死体を検分する。その間の警戒はセリナに任せた。

「ふむ、甲殻は無事か」

 ゴウラグマの四肢を覆う甲殻は硬度に優れた防具の素材として需要があるから、私はゴウラグマの魂がきちんと冥界に運ばれているのを確認してから、亜空間に放り込む。
 残留している魔力と空間に残されている記録を読み、私はゴウラグマを焼き殺したものの正体を把握し、村の近くにゴウラグマが出現した理由をおおむね理解する。
 このゴウラグマを焼き殺した犯人の出現によって、あのゴウラグマはベルン村の近くまで逃げて来たのだ。ゴウラグマが逃げ出さざるを得ない相手となると、特性にもよるだろうが村の人達では対処が困難に違いあるまい。

「行こう、セリナ。この火を扱う者はここで始末しておかねばならぬ」

 先ほどよりも声音を固くした私に、セリナはゴウラグマを焼き殺したものに対する警戒の意思を高めたようだった。愛らしい十六歳の顔は険しく引き締められていた。
 探し出さねばならぬ相手の魔力は憶えたから、あとは探知魔法を使うか諸感覚を竜のそれに置きかえれば、見つけ出すのは簡単であった。
 また森の生き物たちも犯人を危険視している事から、生き物の気配の少ない所を探す事でも探し出す事は出来ただろう。
 セリナには私が渡した首飾りの守りがあるから、ゴウラグマを焼き殺した火を全身に浴びても、日差しを浴びるのと変わるまい。事前に渡しておいてよかったと心から思う。

「急いだ方が良いか。セリナ、おいで」

「は、はい」

 呼び寄せたセリナの蛇の下半身に変わり始める太ももの裏と背中に手を回して、セリナの体を持ちあげる。
 セリナの上半身は人間の少女だが、下半身は大蛇である為それなりの重量があるが、身体能力を強化している今の私には風に飛ぶタンポポの綿毛の様なものだ。
 私に抱きあげられたセリナは不意を突く形になった私の行動に、あ、と小さく声を零して恥ずかし気に顔を赤くして俯く。
 ミウさんやミルさんには負けてしまうがそれでも豊かなセリナの乳房が私の胸板に当たり、とても具合がよろしい。
 あんまり可愛かったものだから、その俯いた顔の唇に私の唇を重ね軽く舌を絡めて互いの唾液を交換し合う。これ位はこの状況でも許されよう。
 セリナが少し驚いた顔で私を見つめるが、私は構わず舌の動きを激しくし、セリナもそれに応えて夢中で舌を動かし始める。
 しばらく互いの味覚器官が齎す快楽を味わってから唇を離すと、離した唇と唇の間に銀色の糸が伸び、それを舌先で絡め取ってから私はセリナに優しく囁く。

「セリナは羽の様に軽い。きちんと食べているのか?」

 からかうつもりでセリナに言うと、セリナは耳の先まで真っ赤にしながら私の顔をまっすぐに見つめて答える。不意打ちで口付けをしたが幸い余計な力は抜けた様子。
 セリナの下半身が緩く私の体に巻き付いていた。セリナが私に甘えている時の反応である。互いの体を堪能した後の余韻に浸っている時はいつもこうだ。

「お肉やパンは少しだけ。でも毎晩ドラン様が愛してくださっていますから、一番必要なものはきちんと食べています。ドラン様が一番ご存じではないですか」

「それもそうだな。さてしっかり掴まっていなさい。居場所が分かった故転移魔法で一気に距離を詰める。それにどうも戦闘が始まっているようだ」

「はい」

 少し惜しい気はしたが悠長なことも言ってはいられないと、私は甘い雰囲気を振り払って、セリナが私の首に回した腕に力を込めるのを待ってから、転移魔法を意思だけで発動する。合図代わりにセリナの額に口付けた。
 足元に展開した白い光を放つ魔法陣が浮かび上がり、私とセリナを包み込んだ時、私とセリナは空間を跳躍した。
 私が知覚したのは複数の火の属性を持った相手に、地属性の魔法を行使して交戦する精霊に酷似した気配一つである。
 私が見つけ出した犯人はもちろん、火の属性を持った相手の方だ。私とセリナは両者の交戦している、開けた場所の一角へと転移した。ちょうど私と火属と地属のもので三角形を作る配置になる。

 私はセリナをそっと下ろし、地属の者を助けるように告げる。火属の者も地属の者もどちらもが、突然姿を見せた私達に注意を向ける。当然の反応だろう。
 火属の者は全身を炎に包まれた黒い人型と見える怨霊の一種で、フレイムランナーと呼ばれる魔物だ。大昔に森やエルフを創造した神と敵対した邪神が生み出した邪悪そのもので、意思の疎通などは不可能な相手だ。
 全身から噴き出る炎をそのままに森の中を駆け抜けて、方々に火を放って森の木々を全て燃やし尽くそうとする厄介な性質をもつ。
 仮にフレイムランナーがその本懐を遂げようものなら、エンテの森は灰燼と帰してベルン村を含む近隣の生態系や、精霊の力のバランスは狂い人が住まうにはあまりに困難な環境となってしまうだろう。
 このフレイムランナーがゴウラグマを焼き殺し森の動物や魔物たちを、脅かしていた存在の正体である。

 フレイムランナーと対峙していた地属の者は、一見すると奇妙な事に樹木と人間の女性が溶けあっているかの様に見えた。
 腰まで届く長い髪は、根元は薄緑色だが毛先に行くにつれて色合いが濃くなり、一部の髪はまるで植物の蔦の様にまとまっている。
 濃淡の変化が鮮やかな緑の長髪の所々には、色鮮やかな花が咲き誇っており、セリナと負けず劣らずの突き出した胸やくびれた腰は、奇妙な事に樹木の根や幹が絡まり仔細に観察すれば肌と溶けあっている様、ではなく本当に身体の一部なのだ。
 裾に行くにつれて白から緑へと色を変えるドレスは肩を露出するデザインになっていて、染み一つない白磁のごとき肌が覗き、女性の体に絡みつく樹木の箇所が邪魔にならない様なデザインになっている。
 ドレスの所々にあしらわれたフリルや金色の刺繍は随分と可愛らしいものだった。
 樹木の精霊ドリアードだろう。美しい青年や少年の前に、今の様な女性の姿で現れて誘惑し、自分が宿っている木に引きずり込んでしまう事があると言う。
 そのような危険な一面があるが、森に対する敬意を忘れずに接すれば例え森の木々を伐採する様な事があっても、多少の融通は取り計らってくれる一面もある。
 ドリアードからすれば森の全てを灰に変えるまで活動を止めぬフレイムランナーは、看過できない魔物に違いない。
 森に火を放とうとしたフレイムランナーを止めようとして、返り討ちに遭う寸前だったという状況だろうか。

 どこかマイラスティに似た穏やかな眼差しが似合う翡翠色の瞳は、いまは困惑の色合いが濃い。突然前触れもなく姿を現した私達に対して警戒を示すのは、当然の反応であるだろう。
 ドリアードの体に絡みつく淫らな印象の木々の所々は火を受けて焦げており、相当に追い詰められていた事が伺える。
 ドリアードは決して力の弱い精霊ではないが、フレイムランナー三体とでは、相性の悪さもあって厳しいものがあったのは否めない。
 ドリアードの女性は自分に近づいてくるセリナを警戒している様で、厳しい視線を向けるが、セリナはそれに怯まずに回復魔法の詠唱を始めていた。
 自分を対象とする魔法に、ドリアードは咄嗟に妨害しようとする素振りを見せたが、焼かれた体が痛むのと、詠唱からそれが回復魔法である事を悟って伸ばそうとした手を止める。

「私達は貴女に危害を加える為に来たのではありません。簡単には信じられないかもしれませんが、どうか。大地の理 我が祈りを聞き届けよ 活力を分け与えたまえ アースヒール」

 自らの魔力を触媒に大地が宿す生命力を対象に供給し、体力と傷を癒す地属の回復魔法である。大地から噴き出す黄金の光に包まれたドリアードの傷は見る間に癒えて、あまりの効力にドリアードの顔には驚きさえ浮かんでいる。

「なんて魔力、ハイエルフと同じか、それ以上だわ」

「ふう、これで大丈夫ですね。魔力までは回復できませんけど、火傷の痕は完全に消せたと思いますよ」

 にこ、と人好きのする笑みを浮かべるセリナに、ラミアという魔物のイメージが当てはまらないのか、ドリアードは戸惑った顔を浮かべ礼を告げようと桜色の唇を動かそうとし、動きだしたフレイムランナーに気付く。

「いけない、あの子供焼き殺されてしまうわよっ」

 私はドリアードと治療を施していたセリナをフレイムランナーから庇う位置に動いていた。ふむ、私が焼き殺される心配を危惧するあたり、他者を思いやれる性分のドリアードらしい。
 ただラミアと行動を共にしている子供が普通の子供であるはずがない、とまでは考えが及ばなかったようだ。私を焼き殺そうという敵意を放つフレイムランナーを前に、私はふむ、といつもの口癖を一つ。

「ちまちまと片付けて行くのは面倒だ。まとめて消させて貰おう」

 私は目の前のフレイムランナーに向けて右手を伸ばすと、手招きするように手を動かし、同時にエンテの森の中に出現している他のフレイムランナー全てを捕捉し、私の目の前のフレイムランナー達の所に転移で引き寄せる。
 遠隔地にバラバラに存在している敵を一か所に空間転移で引き寄せる、という私の荒業に背後のドリアードとセリナが息を飲むのが聞こえた。
 空間を操作する類の魔法は、それが自身の魔力のみで行うものにせよ、空間を司る神霊や精霊の力を借りるにせよ、その難易度は高位に位置するものだ。そうそう目に出来る芸当ではないだろう。
 私の目の前の空間が溶けた飴の様に歪むと、虚空から二十体のフレイムランナーが姿を現し、私は更にその中心にフレイムランナーを発生させている根源もまた呼び寄せる。
 樹木やエルフに対する恨みを抱く邪神は、フレイムランナーを発生させるコアを世界中にばらまいており、今回エンデの森でフレイムランナーが発生したのも大昔に放たれたそのコアが活動を始めたせいだろう。

 私が呼び寄せたのはそのコアである。時折蠢く漆黒の球体の周囲に常に燃え盛る炎が発せられており、直径は六メルほど。邪神が自身の魔力と憎悪の念を込め、火の魔力を加えて生み出したものだ。
 私が放つ魔力の強大さを感じてか、フレイムランナー達は襲い掛かろうとする動きを止めて、コアに殺到して一つに融合を始めている。炎と炎とが絡み合い溶けあい、その度にコア中央部の漆黒の魔力塊が、心臓の様な脈動の速さを増してゆく。
 加えてコアもフレイムランナーを新たに生み出して、さらに強大になってゆく。見る間にフレイムランナー二十三体分の魔力は膨れ上がり、コアと新たに生み出された分も合わせ、五十体相当の莫大な魔力に膨れ上がる。
 私の想像をいくらか上回る魔力である。これは私が余計な真似をしてしまった形になるのか?

 はて、と私が考えている間にコアとフレイムランナーの融合は恙無く終了し、私の目の前には二十メルはあろうかという巨大な炎を纏う漆黒の顔が出来上がる。
 フレイムランナーを作りだした邪神の顔に似ているが、被造物は創造主に似ると言うことだろうか。ここら辺人間とその創造主とも同じだ。ここではフレイムヘッドとでも仮称しておこう。
 フレイムヘッドから零れる火の粉一つで人間など纏めて二、三人は灰に変える火力が感じられ、これだけのフレイムランナーとコアが融合した怨霊ともなれば、大神官クラスの聖職者でもなければ容易く浄化は出来まい。
 下手をすればベルン村をはじめとした辺境の村々が壊滅するのは間違いない。どれだけの戦力があるのか知らないから、断定しかねるが騎士団や多くの魔法使いが居ると言う、南方の都市ガロアでさえ大きな被害を受けるのではないか。
 私の背後のドリアードが、私のしようとしている事の意図が読めずに困惑の度合いを深めているのが感じられた。わざわざ敵を強大にする私の行いに、理解が及ばないのも無理はない。

「なにをしているの、あの子供? フレイムランナーを強力にするなんて、邪神の神官かなにかなの!?」

「ち、違います。ドラン様は普通のこど……普通? と、とにかく邪神の教徒などではありません。口にされていたではありませんか、まとめて消させて貰う、と」

 ドリアードがフレイムヘッドに対し攻撃魔法を発動させようとするのを、私の邪魔をさせてはならないと、必死にセリナが制止する声が聞こえる。しかし、確かに私は普通とは言い難いな。セリナも言うものだ。
 セリナの物言いに思わずくすり、と小さな笑みを零す私に向かい、フレイムヘッドが怨念を込めた咆哮を上げながら、大顎を開いて私を丸ごと飲み込まんと襲い掛かって来た。あるいは焼き殺さんと、か。
 二十メルに届こうかと言う巨大な顔が目いっぱいに顎を開けば、我が家などはまとめて二軒、三軒と飲み込まれてしまう大きさになる。
 フレイムヘッドが触れる地面を融解させながらその大顎を閉じる寸前、私は伸ばした右手でフレイムヘッドの口内の上顎の辺りに触れ、

「醜いな。消えよ」

 さしたる感慨もなくセリナに習った純粋な魔力を光の矢に変える、エナジーボルトを放った。
 初歩中の初歩の簡単な魔法だが込める魔力に比例して大きくその威力を向上させる特性があり、私の手からは小さな太陽が生まれたかのような緑色の輝きが生じ、フレイムヘッドを内側から吹き飛ばした。

「む?」

 少し魔力を込め過ぎた様で、エナジーボルトはフレイムヘッドを数万の火の粉に変えるのみに留まらず、そのまま地上から天へと昇る雷のごとくその軌跡を伸ばし、上空に掛っていた雲に大穴を開ける。
 射出方向を上方に向けておいて正解だったようだ。真横に向けて撃っていたら森の一部を吹き飛ばして光景を変えてしまう所だった、と私は安堵する。
 空中を漂うフレイムヘッドの残り滓を見ていた私は、このまま無駄にするのもどうかと思った。せっかく集めた魔力の塊である。
 無駄にするのももったいなく感じられた私は、霧散したフレイムヘッドの魔力を掌の中にかき集め、そこから邪神の憎悪と魔力をこしとって巨大な魔力を持った球状の水晶へと変える。
 私がフレイムヘッドの残り滓を集めて作ったのは、即席の魔晶石だ。
 属性を帯びていない純粋な魔力が結晶化したものを魔晶石と呼び、魔晶石から魔力を引き出すことで魔法使いは魔法の効果を強化し、魔力の消費を抑える事が出来る上、採掘量が少ない希少な品である。
 
 魔晶石の屑や欠片くらいなら、魔力の集積地で自然発生する事もあるし、村の周囲で時々拾う事もあって、良い小遣い稼ぎになるし時折自作して売ってもいる。
 しかしこれほど巨大な魔晶石となると早々見つかるものではない。私の場合これを売る伝手もないから、宝の持ち腐れになってしまうかもしれないが、かといって砕いて欠片にして売るのもちと惜しい。
 機会があれば売る事も出来るかもしれない。すっかりもったいない癖が骨身に沁みついた私は、しばらく頭を捻ってフレイムヘッドから抽出した魔晶石を、亜空間の中へと放り込んでおく。
 こんなものかな、と私が一仕事終えたかすかな達成感と共に背後を振り返ると、私の振るった魔力の巨大さに唖然としているドリアードと、どこか恍惚とした顔で私を見つめるセリナの姿があった。
 加減を間違えたとはいえこれだけ巨大な魔力を振るったのは、人間に生まれ変わってからは初めてだったかもしれない。これでも全力には程遠いのだが、言っても栓の無い事だから黙っておく。

「怪我は治った様だな、ドリアードの娘よ。フレイムランナーは先の者達で全てだ。コアも既に消滅させた故、これ以上森に火の手が上がる事はあるまいよ」

 村の人達を相手にする時とは違う、竜として生きていた頃に近い素の口調で私が話しかけると、ドリアードは雷に打たれた様に体を硬直させてから、まじまじと私の顔を見る。
 ほんの少し、私の本性を知った為の反応だろう。諸事情によって能力の大幅な底上げが成されているセリナの回復魔法の効果は抜群だったようで、見た限りではドリアードの焦げた体や肌に異常は見られない。

「一応、ありがとうと言っておくけれど、貴方達一体何者なの? ラミアと人間の子供が一緒に行動しているなんて。成長を止めた魔法使いか何か?」

「ラミアと人が行動を共にする。そう言う事もある、たまにはな。私はドラン、ラミアはセリナと言う。私の村の近くにゴウラグマが姿を見せたので、その理由がこの森に在ると考え調べに来た」

 私が素直に素性を伝えるとある程度は落ち着きを取り戻して、ドリアードは私とセリナに対する警戒の意識を、ほんのささやかだが緩めた。少なくとも私とセリナが森の利益になる事をしたのは間違いない。

「そう言うこと。確かにフレイムランナーが現れたせいで森の生き物たちが騒ぎだしたから、森の外に出たとしてもおかしくはないわ。なら、やっぱり改めてお礼を言うべきね。
 森の者達で対処しなければいけない事で、外の人達に迷惑をかけたわ。ごめんなさい、そしてフレイムランナーを倒してくれてありがとう。ああ、そうそう私の名前はディアドラよ」

 細く長いまつげで縁取られた翡翠色の瞳が、謝罪の意が嘘偽りでないことを示すそうに伏せられる。ふむ、森に来る前に想像していたよりも友好的なドリアードである。それだけフレイムランナーによる被害が酷かったのだろうか。

「村に被害は出なかったから貴女が気に病む必要はないが、ひとつお願いがある。貴女達ドリアードは大地の活力を増幅し、土壌を豊かにし樹木や花の成長を促進する力があると言う。私の村に貴女の力を貸してもらえないだろうか」

 ディアドラの気配を感じた時から、おそらくドリアードと判断し、考えていた事である。

「それは、確かにお礼はしたいとは思うけれど、ドランと言ったかしら? どうしてあれだけの力を持っているのかは分からないけれど、貴方ほどの力があるのなら私の力を求めることもないと思うけれど」

「私が力を振るえる状況は限られているのだよ。村の人達は私をただの子供としか見ておらぬし、私はこれからもそう見られるよう振る舞うつもりでいる。ディアドラ、どうにか私の村に来ては貰えないだろうか?」

 ディアドラと名乗ったドリアードは、やはり気が良いのかすげなく断ってもおかしくはない私の無茶な提案に、悩むそぶりを見せている。演技はさほど得意ではなさそうだから、本心で悩んでいるのだろう。
 おそらくフレイムヘッドを一撃で屠った私の力を危惧している面もあるだろう。 私の提案を断ることで、私が力を振るってエンテの森を破壊しかねない可能性を考慮しているのだ。
 私はディアドラに断られてもエンテの森に害を成す様な事をするつもりはないが、こればかりは口で言ってもなかなか信じて貰える事ではない。
 木々の精であるドリアードは所属する森林から離れたがらない習性と、外に自分達の世界を広げようと言う習性を併せ持ち、ある程度成長したドリアードはその事に葛藤する。
 植物もまた生物であるから自分達の種をより世界に広げて、繁栄しようと言う本能があるのは当然の事だ。
 ディアドラもその葛藤を抱く年頃にまで成長している様であったし、私に対する恩義と危惧と警戒が内心で複雑に絡み合い、即答はできない様子である。

 ディアドラが村に来てくれれば土壌が豊かになって作物の収穫量が増えるだろうし、マグル婆さんが頭を悩ませているハードグラスの大量栽培をはじめ、他の魔法薬の材料の調達も容易になるに違いない。
 樹木の精霊であるドリアードの恩恵は、極めて大きいものなのだ。
 どうしたものかと私が首を捻っていると、それまで黙りこくっていたセリナが、ちらちらと私の方を見ているのに気付き、どうしたのかと見てみると頬を赤らめて腰をもじもじと動かし、右の指を噛んでなにかを堪えている様子だ。
 ふむ、私の放った魔力と精気を浴びて欲情してしまっているようだ。ディアドラが居るから必死に息を押し殺して我慢しているようだが、そろそろ限界が近いのだろう。ディアドラが居なかったら、いますぐにでも私を押し倒していたに違いない。

 これは一度ディアドラとの交渉を切りあげた方が、と思った私だがディアドラをまじまじと見つめているうちに、まるで淫らな意図を持った木に体を愛撫されているかのようなディアドラの姿に、腰の奥の方でむらむらと湧き上がってくるモノがあった。
 仔細に観察すれば、ディアドラの肌はうっすらと赤くなっており、その美駆に絡みつく木々もわずかに蠢動している様にみえる。
 ドリアードもまた地の精を吸って生命力に変える種である。私が放った魔力の余波を受けて、感じる所があったのだろうか。
 これは、イケるかもしれん。この時の私はとても悪い顔をしていたことだろう。私は魂が生産する魔力に大地の属性を付与し、そっとディアドラの髪を掬い取って流し込む。

「傷は癒えた様だが、活力の方も補っておいた方が良かろう。これでどうかな?」

「え、ひゃ、な、なにこの力!?」

 ディアドラの反応は劇的だった。私が地属の魔力譲渡を行った途端に、ディアドラの体はびくんと跳ねあがり、ディアドラは急速的に自分の体を満たす魔力と活力を持て余す様に自分の体を必死に抑え込む。
 その様子は全身を疼かせる情欲を必死に堪えようとしている風にしか見えない。実際、そうなのだろう。卑劣な行いであるという自覚はあったが、村の為ならばこのドラン、時には手を汚す事も厭わん、と私は腹を括った。
 正直に言えば、セリナと初めて出会った時の様にディアドラに興味津々である事も事実である。下半身的な意味で。
 私は息を荒げて大粒の汗をうなじや深い谷間、木々と絡み合った体のあちこちに浮かべるディアドラの右肩に左手を置き、樹木の精の顔に甘く囁きかける。

「まるで熱病に浮かされているかのようだな。ディアドラ、やはり村へは来てくれぬか?」

「そ、それは、私はこの森で産まれ、たし、貴方達とは、まだ会ったばかりだから」

 劇的な効果を表す様に言葉を切れ切れにして告げるディアドラに、私は更に問いかける。

「なら私とそなたの相性を確かめるとしよう。一番分かりやすいやり方でな」

 そう言って私はディアドラのドレスをはだけさせ、右のうなじに鼻先を埋める。ふむ、樹木の精らしくむせ返る様な木々の匂いと芳醇な花の香りがする。

「良い匂いだ」

 私は左手でディアドラの右手を掴み、残る右手でディアドラの乳房を捏ね回して、うなじをこってりと舐め上げながら言う。ディアドラの顔に浮かんだのは、嫌悪感や不快感ではなく戸惑いと、私が触れる度に全身に襲い掛かってくる言語に絶する快楽の熱。

「こ、こら、こういう、事に興味あるの、かもしれないけど私と、貴方は種族が違うのよ?」

「種族が違っても男と女であることには変わらぬ。なら相性の確かめ方も変わらぬ」

 身体のな、と私は付け加えてディアドラの耳朶を甘く噛んだ。歯に唇を被せる様にして、耳朶を傷つけないように優しく。

「ませた子供、はぁん、うう、子供、なのね。ああ!?」

 ディアドラにひと際大きな声を上げさせたのは、私がディアドラの体をまさぐり始めるのを目の当たりにして、いよいよ我慢の限界に至ったセリナが、自ら編み鞄やマントを脱ぎ棄てて全裸を晒し、背後からディアドラを抱きしめてその二股に別れた長い舌でディアドラの鎖骨から左耳の裏までをゆっくりと舐め上げたのである。
 私の精と魔力に当てられて身体が火照っているというのに、それを沈めてくれるはずの私が他の女性に手を出している光景を見せられたのだから、いくらセリナといえど我慢できぬ事もあるだろう。狙いどおりである。

「ごめんなさい、私もう我慢できません! はあ、ディアドラさん、甘い匂いがしますね。肌から蜜が滲んでいるんだ。ああ、甘くて美味しい……すてきぃ」

 なるほど、セリナの言うとおりディアドラの肌を責める私の舌は黄金色の液体を舐め取っている。樹木の精であるドリアードの汗は、甘い樹液や花の蜜と酷似しているらしい。

「ひゃあん! ふ、二人とも、止め、やめてぇ。私、まだ男の人、知らな……んんん」

 抗議するディアドラの唇はセリナが塞いでいた。ふむ、私一人でも良かったが、セリナも一緒の方がやはり効率が良い。
 それにしてもセリナといいディアドラといい、年上ぶって見せてもその実乙女とは、私は奇妙な縁を持っているらしい。
 いや、単純に私が十歳の子供だからか。それでは年上ぶるのも仕方がないと思いながら、ディアドラの乳房に吸いついた。ここからはより甘みが強くコクがありまろやかな白い蜜が出た。

「ふう」

 と私は一仕事を終えて満足している時の父を真似て、吐息を一つ吐く。地面の上に座り込んで胡坐をかいた。色々な液体で地面が濡れていたが、事前にそれらを元の適度な湿り気を帯びていた状態に戻しておく事を忘れない。
 情欲に疼いた身体を満足の行くまで慰めて貰ったセリナは、自分のした事に対して申し訳なさを感じている様で、もじもじと指を組んで恥ずかし気に俯いている。
 セリナがその舌と手と蛇の下半身を使ってディアドラを喘がせた回数は、私とそう変わらない。女性同士の絡み合いと言うのも実に趣があるなあ、と私は大きな収穫に一人うむうむと頷く。
 ディアドラの全身を彩っていた白い液体を分解して綺麗にした私は、ディアドラの頬を撫でながら、最後の質問をした。
 これでだめなら今日は諦めるしかあるまい。今日がだめなら明日、明日がだめなら明後日だと私は持ち前の不屈の精神で腹を括る。

「最後に頼む。私達と一緒に来てくれまいか?」

 ディアドラは全身を侵す快楽の余韻に意識を朦朧とさせたままだったが、かろうじて聞きとれる声で私にこう答えた。

「もう……好きにして」

 よし、言質はとった。これでディアドラにベルン村に来てもらえるな、と私は心密かに喝采を上げるのだった。夜の楽しみが増えた、と思っていたのは私だけの秘密である。
 なお意識をはっきりと取り戻したディアドラに、あとでセリナともども正座で説教をされ、私の頭に大きなタンコブが出来上がることになった。


<続>

ディアドラが仲間になった。
セリナが百合に目覚めた。
ドランは百合もありになった。

装飾品:古神竜の牙の首飾り

 ドランがセリナに送ったアクセサリーで初めての贈り物。ドランが自ら歯を抜いて、古神竜の牙へと変えて材料とした。
 セリナに対する守りの意思が込められており、牙に宿っている魔力が膨大な事もあって造りは簡単でも装着者に齎す効果は絶大。
 隠蔽の竜語魔法が施されている為、他者には何の力もない首飾りと認識される。
 セリナの宝物。

 MP最大値+500
 INT+100
 MND+100
 行動開始時HP・MP最大値20%回復
 物理・魔法ダメージ半減・100以下ダメージ軽減無効
 全属性耐性30%アップ
 全状態異常無効
 古神竜の加護※1

※1古神竜より格下の竜の特殊攻撃を完全無効化し通常物理・魔法ダメージ80%ダウン。

・ベルン村 
規模:辺境の農村 人口:百五十人+魔物二体←NEW!
特性:ドリアードの加護※2←NEW

※2農作物の収穫量が増え病気に強くなり大地が豊かになる。

・ベルン村特産品リスト 新規追加分

 ドリアードの蜜←NEW
 ドリアードの蜜乳←NEW
 ドリアードの秘蜜(ドラン・セリナ限定)←NEW

 どこから何が出ているのかは皆さまのご想像にお任せします。

9/25 通りすがりさまからのご指摘を鑑み最後のご主人さま関係のセリフを削除。ご指摘ありがとうございます。書き直すかもしれません。

9/25 19:22 とうりすがりさま、aさまのご指摘から内容を修正いたしました。ご指摘ありがとうございます。

9/26 19:41 誤字修正

9/27 08:43 誤字修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑦
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/09/29 12:21
さようなら竜生 こんにちは人生⑦


 樹木の精霊ドリアードのディアドラが我がベルン村に来てくれるとあれば、収穫の増量や大地の豊穣、魔法薬の増産が見込めるとあり私は思わず浮かびあがりそうになる笑みを堪えなければならなかった。
 これで村の人達の暮らしが少しは楽になるきっかけにはなるだろうし、ディアドラの力を借りて薬草類の生産を増やすもよし、花やハーブと言った嗜好品の生産に力を入れるもよし、と選べる選択肢が増えたのだ。
 北部辺境区の内、ベルン村はマグル婆さんの魔法薬を除けば特にこれと言った産業の無い、魔物の襲撃が多い事位が特徴の僻村だ。
 ベルン村から見て南西にあるシノン村は広大な平原地帯である事を利用して大規模な麦畑を持ち北部辺境の胃袋を支えているし、麦芽酒(ビール)や麦酒(エール)と言った特産品だってある。
 南東のボルニア村は養蜂が非常に盛んで良質の蜂蜜の名産地として知られていて、蜂蜜飴や蜂蜜酒をはじめ蜂蜜を練り込んだパン、蜂蜜に漬け込んだ果物のお菓子などがあり、こちらも北部辺境ではかなり裕福な村だ。
 ベルン村はシノン村やボルニア村よりも、北西の方角からやってくるゴブリンをはじめとした魔物の襲撃が多く、ガロアや南方にある村々の防波堤の面もある為、租税の徴収など優遇されている面もあるが、命に代えられるかと言うと私としては微妙だと思う。

 私が産まれてからの記憶の限りでは魔物の襲撃を受けても、それほど重傷を負う者は滅多に出なかったし、死者も出ていないのだが、かつては相当な被害が出るのが当たり前の苦難の日々であったらしい。
 今でこそマグル婆さんをはじめその娘であるディナさん、孫娘のリシャさん、アイリが魔法薬を用意してくれ、バランさんをはじめとした王国の駐在兵士もおり、緊急時にはガロアからの救助部隊がすぐさま駆けつけるよう手筈も整っているが、村を作り始めた当初などは毎日誰かが魔物や動物相手に怪我を負わされるのが日常だったそうだ。
 リザード族の旧集落のあった沼地を更に北上した場所にも、かつて開拓の情熱に燃えた村があったそうだが頻繁に魔物の襲撃を受けた為に放棄し、今のベルン村の位置で落ち着いたのだとか。
 また村に移住を求めてくる人々も、最北の辺境の僻村に来るような人間は、以前いた場所にいられなくなった様なわけありの事情持ちであったり、土地を捨てたどこぞの農民、兵隊崩れの乱暴者であったりと人間同士のいざこざも絶えなかったという。

 それが今ではたった百五十人の小さな村とは言え、特に餓えて死ぬ人間が出る様な事もなく、きちんと食べて行けるだけでなくいくらかの余裕が残るほどの収穫が見込め、魔物の襲撃に対しても迅速に対応できる体制が整っているのだから、人間の学習能力も大したものだ、と私は感心することしきりである。
 ふむ、と一ついつものを私が零すと、にゅっと伸ばされた手が私の右耳を摘んで、少々痛い位に引っ張って来た。

「ドラン? 私の話をきちんと聞いているのかしら?」

 私の目の前にずいと顔を伸ばしたディアドラが、目だけが笑っていない笑みを浮かべて私に問いかけてくる。正直、半分ほどは耳から耳へと通り抜けていたので、私は耳を引っ張られたままではあったが、小さく頭を下げる。

「申し訳ない」

 ディアドラは、はあ、と重く溜息を突くと私の耳を離し、人間の腕くらいの太さがある樹木の根が巻き付いている腰に、両手をあてる。
 私は今、肉の交わりの余韻が消えて意識を明確に取り戻したディアドラに説教をされている所であった。
 流石に森のど真ん中では、フレイムヘッドを倒した事で戻って来た魔物たちの襲撃もあるかもしれない、ということで伐採広場の小屋の中へと私の転移魔法で場所を移している。
 私とセリナは仲良く二人揃って足を縦に折り畳み――といってもセリナはとぐろを巻いているだけだが――いわゆる正座と言う座り方をし、ディアドラの抗議の文言をひたすら聞き続けている。更に私は頭に拳骨を一発頂いていた。
 痺れから始まった足の異常は既に感覚が無くなる状態にまで到達している。正直勇者に心臓を貫かれた時よりも、はるかに巨大な苦痛であるように私には感じられていた。

 足の痛みに加えてディアドラのこちらにひしひしと伝わる怒りの感情と、縦板に水を流すがごとく終わる様子を見せずに続く説教に、やはり私は自分の行いがあまりに性急に過ぎたのだと猛省している。
 村の繁栄の為と自身の欲求を満たす為、私が自分の力を用いてディアドラを誘惑してセリナと二人がかりで肉体関係を結んだ事は、客観的に見て下劣極まる行いであったろう。
 処女華を散らされたディアドラの怒りはごもっともであり、私は半ば逃避していた意識をきちんと現実に戻せば、やはりディアドラに村に来てもらうのは無理だ、と認める他なかった。
 あの場で欲情に任せてディアドラを抱く事を堪え、時間をかけてでもディアドラと交渉を重ねて村に招くべきだったのだろう。

 私の隣のセリナなど罪悪感と恐縮の念にかられるあまりに、そのまま世界から消えてなくなってしまうのではないかと言う位に縮こまっている。
 見ていて気の毒なほどのその様子は、やはり私の巻き添えによるものだ。
 募るばかりの後悔の念に、私が思わず時の流れに干渉してディアドラを助けに入る時間軸まで時を逆巻せようかと半ば本気で考えた時、しょぼくれる私とセリナの顔をいい加減見飽きたのか、ディアドラは深く溜息を吐いて仕方がないとばかりにこう言った。

「はあ、そんなに落ち込まれると私が悪い事をしてしまったみたいに思えてくるわね。私の初めてがあんな形になったのは正直、複雑だけれど約束は約束。いいわ、貴方達の村に行ってあげる。だからそんな顔はもうよしてよね」

 困った様な、呆れている様な苦笑を浮かべるディアドラの顔を仰ぎ見た私は、ディアドラの言葉が真実であるかどうか自信が持てず、問い返して確認を取る。

「本当にいいのか? 断られても仕方の無い事をしてしまった自覚ぐらいは私にもあるが」

「私が良いって言っているのよ。それに私以外にもドリアードや精霊はエンテの森には居る事だし、森を離れるドリアードがたまにいても構わないでしょう。ただし条件はあるわよ」

「ふむ、私の力の及ぶ限り条件に沿うよう努力しよう」

 過信かもしれんが私が持てる力を最大限に使えば、大抵の望みは紆余曲折を経るかもしれないが、なんとか叶えられるとは思う。
 しかしドリアードであるディアドラが一体何を願うのか、かつては竜であり今は人間である私には、精霊の願望に対しこれだという確信がなかった。
 私ばかりでなく隣に座っていたセリナも緊張した面持ちで、ディアドラの提示する条件が一体何なのか、待ち続ける。
 するとディアドラは少し言い難そうに唇を開いたり閉じたりをしてから、軽く息を吸い私を指差して言い放った。

「村に私が住む代わりに、貴方の精気を私に、毎日て、提供する事。いいい、良いわね!?」

「…………それでいいのか? 私にとっては願ったり叶ったりだが」

 私の心情はまさにこの時の言葉通りである。セリナとはまた違った味わいのあるディアドラをこの腕に抱く事は私の望む所であり、その上村に住んでもらえると言うのなら、これほどありがたい事はない。
 しかし私とセリナに半ば強引に抱かれた事を怒っていた筈のディアドラが、なぜこの様な条件を提示する?
 解せぬ。
 私がディアドラの態度の変貌に納得が行かずに首を捻っていると、おずおずとセリナが挙手をして、びくびくと怯えながらディアドラが条件を出した理由についての推測を口にする。

「あ、あの、ひょっとしてディアドラさん、ドラン様の精気とその、した時の気持ち良さが忘れられないんですか?」

 何を言っているのだ、と私がセリナを振り返ろうとすると、視界の端に移っていたディアドラの顔が耳の先に至るまで真っ赤に染まり、視線が落ち着かずにあちらこちらを彷徨い始める。
 ふむ、これはセリナの言う通りということなのだろうか?
 ディアドラの真っ赤に変わった顔と落ち着かない様子に、セリナは納得がいったようでそれまでのディアドラに対する引け目を感じていた態度を一変させて、胸の前で小さく拳を握り絞めるや、この大人しい所のある娘には珍しく熱の籠った言葉を口にする。

「やっぱり! ディアドラさんはラミアである私と同じ地属の精霊ですから、ドラン様の精気は絶対好きになると思ったんです! ドラン様の精気を味わったら、他の生き物だけじゃなくって、大地や水の精気をいくら吸っても味気が無くなってしまうほどですもの。
 それにドラン様はまだこんなに小さな子供なのにすごく上手でたくさん気持ち良くしてくれますし、ディアドラさんもずっと気持よさそうな声で……」

「せせ、セリナ、それ以上言わなくていいわ!? もう、少しは恥じらいを持ちなさい。それはまあ、確かにこれまで味わった事がないぐらい豊潤で生命力に満ちた極上の精気だったけれど……って、な、何を言わせるのよ」

 セリナの熱弁には私も少し恥ずかしさを覚えたが、図星を指されたディアドラは私以上に気恥ずかしい思いをしたようで、先ほどよりもさらに落ち着きを無くした様子で、ちらちらと私に視線を送っては溜息を吐いている。
 まあ、せめて気持ち良くなってくれていたのなら、私も少しは救われるのだが。

「でもとっても美味しい精気と巧みに愛して下さる事だけがドラン様の全てじゃないんですよ? 笑顔は子供らしくってとっても可愛らしいのに、時々凄く大人びた顔をなさるんです。
 こう、凛としていると言うか威厳があると言うか、見ていて惚れ惚れする位でどこまでもついて行こうって思えるんです。
 それに優しい所もあって、ほらこの首飾り私の為に作ってくださったんですよ。私は奴隷でも何でもいいから傍に置いて下さいって言ったのに、奴隷になんてしないって仰ってとても優しくしてくださる上に、贈り物までしてくれたんです。それからそれから……」

 ほんの少し前の罪悪感に苛まれていた様子はどこへやら、セリナはディアドラに対して私の魅力について、これでもかと言う位の熱意で持って延々と語り始めた。
隣で聞いていた私は恥ずかしさのあまりに、思わず体がむず痒くなる様な気分になってしまう。
 しかし、同時に思わず口元がにやけてしまうのを、どうしても堪える事が出来なかった。セリナにここまで愛されるとは私は幸せ者だな。
 ただセリナの惚気を聞かされるディアドラは徐々に元気を無くし、セリナから放出される惚気の空気にすっかりと打ちのめされている様子だった。心なしか、濃淡のある美しい緑の髪や木々の身体の何か所かに咲いている花が萎れて見える。
 流石にここらで止めねばディアドラの精神が消耗してしまいそうだ。私はいまだ熱弁を振るい続けているセリナの肩を抱き寄せて、きゃっと声を上げて言葉を紡ぐのをいったん中止したセリナの耳元で囁いた。

「そこまで私を想ってくれて心よりうれしく思う。なら、私もセリナの想いに応えねば男が廃る。今宵も朝が来るまで、な?」

「あ、は、はい。身体を清めてお待ちしております」

 私の囁きを理解したセリナは、今からその時が待ち遠しいとばかりに頬を赤らめて自分で自分の体を抱きしめて、蛇体をくねらせる。
 ようやくセリナの熱弁が終わりを迎えたわけだが、もちろん私はセリナに告げた事を実行するつもりである。夜通しセリナと睦つみ合うのは毎度の事だが、今日は格別想いを込めるとしよう。
 私はセリナの惚気から解放されて、とても疲れた重たい溜息を吐いているディアドラを振り返った。

「少々話がそれたが、そなたの提示するその条件を呑む。そなたがベルン村にドリアードの恩恵を与える限り、私もまたそなたの望みを叶える。これでよいかな?」

「え、ええ。約束通り私は貴方達の村に行くわ。言っておくけど、セリナも抱くからって手抜きをするのは許さないわ。私達ドリアードは、時に人間の男を取り込んで精を吸い尽くす事もある。あまりセリナにばかり気をやっていると、気付いたらミイラになっていたなんて事になるかもしれないわよ?」

「それは怖いな。だが、この身体はまだ若い。枯れるつもりはないな。十分すぎるほどに満足させてみせよう」

 そう告げてから私はディアドラの右手を取り、その手の甲に優しく口付けた。豊潤な薔薇の香りがディアドラの肌からは香っている。
 口付けるのと同時に地の属性を付与した魔力を、ディアドラの身体に流すと明確な反応を示し、精神的な疲れを反映してしなびていた身体の花々がみずみずしさを取り戻して、より美しく花弁を開きだす。
 最初にディアドラに譲渡した時よりも随分と魔力を減らしておいたから、欲情にまでは至っていないが、身体の状態はこれ以上ないほど好調に変わっているだろう。
 もう、と小さく抗議の声を出すディアドラに私は笑いかけた。

「これ位なら身体が熱を覚える事もあるまい? それに今日の夜からはもっと濃厚で芳醇な精気をそなたに与える。そなたの方こそ私に溺れてしまわぬように自制せぬと、私なしでは生きていけなくなるぞ?」

「……子供が大人をからかうものではないわ。生意気よ」

 そう言ってディアドラは私の鼻を右の人差し指で軽く突いたが、口を開くまでの若干の間と翡翠色の瞳の奥で揺らめく不安と期待と興奮が混濁した光は、私の言葉が嘘ではない事をディアドラが理解しているのだと私に告げている。
 樹木と美女が絡み合い溶けあった姿を持つこの美しい精霊が、今日の夜私の腕の中でどんな艶姿を見せてくれるのかを考えると、私はこの上なく胸の奥がわくわくとするのを感じていた。
 もしセリナの様に私なしでは生きていけなくなるのなら、私はその時はもちろん責任を取るつもりだった。私の生命がある限り、そしてディアドラの生命がある限り私達は互いに傍に在り続けるだろう。
 お互いの体を貪り得られる快楽と情に、魂までも絡め取られて。


 夕暮れに空が染まる中ドリアードを伴ってベルン村に帰って来た私は、村の北門で待っていたアイリと我が家族達の驚きに染まる感情を見る事になった。
 無事に帰って来たのは良いが、セリナと共に村を出立した筈の私の傍らにさらになぜか樹木と身体が融合した美女が居るのは、確かに理解の及ばぬ事であったろう。
 父ゴラオンは、いつも通りの顔でただいま、という私を見て腕を組んだまま溜息を吐き、母アゼルナはあらあらまあまあ、と驚いているのかなんなのか分からない声を出している。
 ディラン兄とマルコは興味と好奇心を隠さずに、ディアドラに視線を向けていて、ディアドラはと言うとそんな二人の視線には気付いていないのか、初めて訪れた人間の集落を面白そうに見物している。
 エンテの森を出るのは初めてだと言うディアドラには、ベルン村の光景は人間に転生した私のように、新鮮で不思議と驚きと新しい発見に満ち溢れていることだろう。
 一番大きな反応を見せたのはやはりと言うべきだろう、我が愛すべき幼馴染アイリである。

「ど、ドラン、あんたなんでドリアードを連れて帰ってきているのよーーーーーー!!!」

 ふむ、こんどはにゃーとは叫ばないようだ。どうすればまた叫ぶだろうか。その法則性に私は大いに興味を抱いていた。アイリの目の前でディアドラとキスをすればいいのだろうか? 
 しかしそれをしてはアイリとディアドラ双方の機嫌を損ねそうなので、私はその選択肢を無かった事にした。たぶん、この判断は正解だと思う。

「事情を説明する。マグル婆さんとバランさんと村長を集めてもらえないだろうか? 新しい村の住人を歓迎しないといけないからな」

 私が集めて欲しいと言ったベルン村の重鎮たちは、村の中央広場にある村長宅に集合していた。
 以前、セリナが贈り物をせっせとベルン村に運んでいた際に、マグル婆さん達の会合が行われたのも、この村長宅である。
 村で一番大きい村長宅の居間に、私の家族、アイリ、セリナ、ディアドラと村長、マグル婆さん、バランさんが顔を突き合わせている。
 流石に十一人も集まっていると村長宅といえども狭苦しく感じられるが、その内四人は子供であるしまあ我慢できない事はない。

 セリナが村に移住してからまだ十日も経たぬうちに、私が新たな村への移住希望者を連れて来た事に、バランさんと村長は呆れた顔をし、マグル婆さんはほっほっほ、と流石に違う反応を見せる。
 白髪ばかりの頭に鍔の無い茶色い帽子を被り、自慢の山羊髭をしごいて気を紛らわせて、我ベルン村の村長ヤダンは私の顔を見て思いきり溜息を吐くや、それからうっすらと苦笑を浮かべた。
 孫を見る祖父の様に優しい眼差しを私に向けている。別に馬鹿にされているわけではないのだろうが、そこはかとなく呆れられているような気はする。

「ここまで来るとお前はよっぽど奇妙な星の元に産まれていると言われても信じざるを得んわい。ドランや、どうして精霊のお嬢さんがお前とセリナと一緒におるのだね?」

 私が村長達にした説明は予め口裏を合わせていたものだ。エンテの森を探索していた私とセリナは、奥へと向かう内にゴウラグマの焼死体を見つけ不審に思い、真相を探るべくエンテの森の深部へと足を進めた。
 そこで私とセリナは森に現れた炎の怨霊と戦うディアドラと遭遇し、怨霊を放置してはベルン村にも害が及ぶと判断し、ディアドラに加勢して怨霊を倒す事に成功、と言った具合である。
 これでも大筋は本当の事を言っているのだが、それでも私にとって世界で最も大切な人達に対し、嘘をつく事は途方もない罪悪感に襲われるが、表には出さない様私は必死にそれを胸の奥で押し殺さなければならなかった。

「ドラン、あんたフレイムランナーと戦ったの!? 持っていった武器じゃ傷一つ着けられないじゃないの。相手は怨霊だったんでしょ」

 エンテの森の浅い部分に出てくる魔物や動物ならともかく、怨霊相手では私が持って行ったツラヌキウサギの槍やショートソードでは傷一つ着けられないのは確かで、アイリが驚くのはもっともな話である。
 私は傷一つついていない事を示す為に全身の姿を見せながら答える。

「マグル婆さんとセリナから習った魔法で少し援護した位で、あとはほとんどディアドラとセリナ任せだ。男だというのに女性に任せるしかなかったのだから、情けない話だろう?」

 実際には私一人でエンテの森に出現していたフレイムランナーとその発生源であるコアを消滅させたのだが、それは言うわけに行かない事実である。
 マルコとディラン兄は村に近辺にいる魔物相手では経験できない私の体験に、羨ましそうでもあり、自分が当事者でなくて安堵した様な複雑な顔をしている。
 マルコは単純に兄ちゃんすげえ、といった視線を送ってくるが――マルコよ、もっと兄を敬ってくれたまえ、実に気分がよろしい――ディラン兄は私たち家族で魔法が使えるのが私だけである事を考え、私以外の兄弟がフレイムランナーと相対していたら、と考えて渋面の色合いが濃い。
 普段は大雑把な割にこう言う危険が絡まる時には細かい所まで思慮が及ぶ辺り、ディラン兄はただの農民の息子で終わらせるには惜しい素質がある、と私はときどき思う。
 身体を何度か動かして異常がない事を示し、アイリや父母に無茶はしていないと言う事を暗に伝えつつ、私は一度中断した話を再開する。
 ディアドラと協力してフレイムランナーを撃退した私達は、火傷を負っていたディアドラの手当てをし、助力と手当てに恩義を感じたディアドラが見聞を広める為にも、と私達についてきてベルン村に移住を希望している、と話を締めくくった。

「以上でディアドラがこの場にいる事情は全てだ。樹木の精霊であるドリアードが村にいてくれれば、作物が病気になる事もないし大地も豊かになるとマグル婆さんに教えて貰ったから、私としてはディアドラを、諸手を上げて歓迎したい。セリナの時と同様、村が受ける恩恵は大きいから」

 セリナと言う前例が出来たばかりではあるが、ラミアに比べれば危険性は低く、農民にとっては極めて恩恵の大きなドリアードである。少なくとも即座に反対意見が出る様子はない。
 ちなみセリナを村に出迎えた時はセリナをさん付けで呼んでいた私だが、セリナが村に馴染むにつれて、極自然と普段通りに名前で呼ぶようになっていた。村の人達はセリナが私に向ける好意に大なり小なり気付いていたから、さほど気にしていない様である。

「ほっほっほ、まったくドランは面白い星の下に産まれたもんだねえ。私はドリアードのお嬢さんを迎え入れるのに賛成するよ。魔法薬の材料を育てるのも楽になるし、嫌な予感もしないしね」

「やれやれ、わしの代で魔物を村に迎え入れるとは、と思っておったら早くも二人目とはのう。まあ綺麗なお嬢さんたちであるし、目の保養になる上に村の役に立ってもらえると言うのなら、断るわけにも行かんわい」

 愚痴を零す村長ではあるがマグル婆さんの賛成意見が出ている事と、セリナと言う前例が功を奏し特別反対と言うわけではないようだ。
 これには辺境の使えるものは死に際の親でも使え、という鉄則に寄る所も大きいだろうし、もし村に害を成す様であったなら、その時はそれが肉親であれ容赦なく処分するという暗黙の了解もある。
 村長とマグル婆さん共々戦力としても魔法的な恩恵も受けられるだろうドリアードともなれば、多少のリスクと引き換えにしてでも村に引き込む価値はある、と判断したのだ。
 マグル婆さん、村長と続けて賛成意見が出たことでこの場で唯一反対意見を出しそうな、王国に直接関わり合いのある公的な立場のバランさんが、諦めて溜息を吐いた時、私は勝利を確信した。

「村長と同じでまさかおれも報告書に魔物が移住を希望してきた、と書く事になるとは思っていなかったよ。ラミアもドリアードも友好的で危険はないと書くことになるとはなぁ。後でレティシャさんにも教団に対する報告書に、書き加えて貰わんといかんか」

 バランさんはバランさんで軍の上司に色々と説明しないといけないのかもしれない。その労力を忍び、私は心中で頭を下げた。申し訳ないバランさん。だが絶対に村の為になる事だ。貴方の苦労は決して無駄にはしない。
 セリナの時に比べて順調にディアドラの移住は迎い入れられ、住まいに関してはセリナと同じ物置小屋で構わないとディアドラが発言した為にすぐに決まった。
 もともと森の中とはいえ屋根の無い場所で暮らすのが当たり前だったディアドラは、住居に関してはさしたるこだわりがなかったのである。
 明日、改めて村の皆にディアドラを紹介する、という事で落ち着き既に陽が落ち始めている事から、今日は一旦解散と言う事になった
 アイリから色々と聞きたい事があると含んだ視線が、私の肌を刺すような鋭さで向けられてきたが、皆の前で語った以上の事を口にするつもりの無かった私は、アイリにまた明日、と手を振るだけであった。
 アイリと別れて家に帰る道すがら、私はいつかアイリにも腹を割って全てを打ち明ける日が来るのだろうか、と自らに問いかけた。
 産まれた時から一緒に育ってきた幼馴染に、いつまでも隠し事をする事は大変心苦しく、私はアイリに隠し事をせずすべてを共有できる日が来る事を思い描いていた。

 アイリの追求の視線から逃れた私ではあったが家に帰ったら帰ったで、ショートソードを返すや否や家族から色々と質問攻めに遭い、私はそれに言葉を濁しながら答える他なく、エンテの森での収穫品を披露することで多少質問攻めの勢いを削ぐことしかできなかった。
 オイユの実やクロガラシ、光葉草、陽光花といった植物の類や、エンテウルフの毛皮に牙、首を落とされたトビオオトカゲにゴウラグマの甲殻ともの珍しい収穫品は、家族を一様に驚かせ、エンテの森での収穫がドリアードの娘だけではなかった事を証明する証拠になった。
 これだけの成果ならまたエンテの森に出かける許可もすぐ降りるであろう。ただその時もまた、セリナ同伴かあるいは家族と一緒になるかもしれない。
 そうなるといま家族の前に提示している獲物を得るのは難しくなるが、ま、その時はその時だ。家族と共に過ごす時間は、どんなものであれ今の私には宝ものなのだから。
 エンテウルフの毛皮の感触を確かめるディラン兄や、トビオオトカゲの首を持ち上げてにらめっこをしているマルコを見て、私は大好きなこの家族が少しでも幸せになってくれるように努力し続けようと、自分に対して改めて誓った。

 いつものように村の皆が寝静まる頃を待って、家の寝台に身代わりのマナ人形を置いて家を出た私は、セリナとディアドラの住まいとなった村はずれの小屋を目指す道すがら、色々と思案を巡らせていた。
 考えごとの一つは今、日に日に窮屈さを増している寝台で寝ている私の身代わりである。私の魔力を核に大気中のマナを凝縮して作ったあの身代わりに、なにか他の用途はないものかと私は頭を悩ませている。
 いちいち作っては消すのが面倒になって来たので、現在は亜空間に放り込んで必要な時に出しているだけなのだが、身代わりを私の意思で動かせるようにすればなにかと便利になるのは確かである。
 竜であった頃に同じように分身体を作り、雑事に対応していた時期があるから自分の分身体を遠隔操作する技術それ自体は知悉している。しかしそれは竜の分身体を、という話であり人間の姿で作った分身体を操作するとなると、これがなかなかに難しい。

 私自身人間の肉体と言うものを完全に把握できていない為に、外見を模す事は出来てもそれをただ寝かせているだけならともかく、立ったり歩かせたり走らせたり、と日常的な動作一つとってもこれが手強い。
 私が日々の農作業をしている間に志の迷宮やエンテの森の探索を分身体に行わせるのもよし。リザードの旧集落のある沼地やそこからさらに北を探索させるもよし。あるいは逆に分身体に村での作業を任せて、私が直々に探索を行う事も出来るだろう。
 探索で得た収穫物を村に持ち帰るのは難しいかもしれんが、単純に情報が得られるだけでも大きな収穫になるのは間違いない。

 いや、待てよ。私が手古摺っているのは分身体をあくまでも人間体として模倣しているからであって、竜の分身体であるのなら私はいまでも問題なく作れるのである。
 ならば竜の分身体でも無蘭人の目に届かぬ所で活動させるのなら、そう問題は起きないのではないか。
あるいはそう、竜と人間をかけあわせた様な分身体を作り、それを徐々に人間に近づけさせて、完全な人間の分身体を作るサンプルにする事も出来る筈だ。
 これは盲点だった。あくまで人間としての分身体に拘るあまりに視野が狭くなっていたのだ。これからは竜の姿をした分身体の利用方法を考えるのも面白い。
 発想の転換によって思わぬ構想を得た私は気分が良くふむ! といつもの口癖を強く零し、私は月と星の灯りを浴びながらセリナとディアドラが待つ小屋の扉を開いた。

「あ、ドラン様ぁ、お待ちしていました。うふふ、見てください。ディアドラさん、凄く可愛い顔をしているでしょう? 耳の裏とおへそが好きなんですよね、ディアドラさん。んちゅ、やっぱり甘いですね、ディアドラさんの体」

「んん、んあぁあん。セリナ、待ってぇ、私、まだぁ……」

 私の目に飛び込んできたのは、セリナの蛇体に巻きつかれて散々に責め立てられて、息も絶え絶えに全身を桜色に染め上げ身悶えしているディアドラという、人ならぬ人外の女性同士による艶姿であった。
 緑色の鱗に覆われたセリナの蛇の下半身がディアドラの体に巻きついて緩急をつけながら擦りあげる度に、鱗が絶妙にディアドラの木々と肌とが融合した体を愛撫し、予測できない官能の波がディアドラの身体を翻弄している。
 私の腕の中に在る間、ひたすら私に従順で尽くしてくれるセリナが、ディアドラと言う新たな仲間に対して、ラミアとしての本性が蘇ったのか蛇らしい執拗な責めを繰り返し喘ぐディアドラの姿に性的興奮を覚えている。
 あどけない笑みを浮かべるセリナの顔には、いまや魔性滲むラミアに相応しい妖艶な笑みが浮かびあがり、翡翠色の瞳を潤ませて血色の良い唇から絶えず荒い吐息を零すディアドラに、サディスティックな衝動を煽りたてられている様であった。

 ドリアードもまた時には美しい男性を惑わし精気を吸い取って取り込む魔物であるから、夜の手練手管には種として本能のレベルで長けている筈なのだが、私と短い期間の間に濃密な時間を重ねたセリナには翻弄される一方のようである。
 全身から妖しいまでの色香を放出し、ちろちろと出しては引き戻す舌の動き、細められる瞳の動き、血を塗った様に紅い唇から零れる見えない吐息、どれ一つをとっても初心な男なら見た瞬間に射精してしまうだろう、その姿は普段のセリナからはまるで想像もつかないものだ。
 そしてまたセリナの蛇の下半身に巻きつかれて逃れる事叶わず、抗おうとしても次々と与えられる快楽の波に翻弄されて、何も出来ぬままに淫らな衝動に身体を焦がされているディアドラの姿はこの上なく男の獣欲をそそる。

 本来ディアドラの身体の一部である樹木さえ、ディアドラとは別の淫らな意思を持って蠢いているかのようで、さながらディアドラは蛇と人間の融合した魔物と意思を持って動く樹木に凌辱される美女の様にさえ見えた。
 常軌を逸した人間ならぬ女性達が作りだすこの世ならぬ背徳の光景に、私は先ほど得たばかりの分身体の活用構想の事を、すぐさま頭の片隅に追いやってしまった。
 どうにも人間に転生してから欲望に流されやすくなっている様で、私はその事を自覚して苦笑いを浮かべながら、小屋の扉を閉めるのとほぼ同時に服を脱ぎ捨てて小屋の奥で絡み合う蛇と樹木の少女達へと歩み寄った。
 三人で交わるのはこれで二度目であったが、結果だけを述べるのなら危うい場面を何度も乗り越えて、最後まで色々な意味で立ち続けていたのは私である。
 非常に素晴らしい時間であった事は、間違いがない。ディアドラもセリナも私の知らなかった姿を存分に見せ、聞いた事の無い声を出し、心行くまで私達は夜の一時を楽しんだのである。


 ろくに睡眠を取らぬ日々が続く私であるが、肉体の神経系や筋肉組織、循環器や臓器を尽く強化し保護することで、ほんの一、二秒も目を瞑れば最高の睡眠を最適な時間とった状態にできるので、日中の農作業にはなんの支障もない。
 ディアドラとセリナを徹底的に責めて責め抜いた翌日、早朝の内に村長の呼びかけによって村の中央広場にベルン村の皆が集められ、ディアドラの紹介がされる運びになった。
 夜が明ける寸前まで私とセリナに散々鳴かされていたディアドラであったが、私から供給された最上級の精気によって全身には活力が満ち溢れ、その美駆に纏う樹木の化身としての神秘さや美しさが一段と増している。
 目の下に大きな隈が出来ていてもおかしくないであろうに、精気の恩恵にあずかっているディアドラの姿は、いっそ神々しいほどに眩くつい先ほどまでの情事での乱れた姿は、まるで嘘の様でさえあった。

 セリナと言う非常に好ましい前例がつい最近できた上に、すわマイラスティの眷属神かと勘違いしてしまいそうなほどの神々しさを纏うディアドラは、ドリアードが与える村への恩恵が大きな事もあって、集まった村の人々からはおおむね好意を向けられて歓迎される事になった。
 ディアドラの性格が高圧的だとか排他的である事はなく、あくまでも理性的である事や人間に対し害を成そうという邪悪な精霊の類ではなかった事は実に幸いである。
 村長やマグル婆さん、バランさんがディアドラの村への移住を認める旨の発言をし、村の人々からも特に反対の声が出なかったので、とりあえずはその場で解散となり、村の皆はいつも通りの農作業へと移っていった。
 まだ多少信用しきれないと言った態度を匂わせる人達もいたが、それも当然だろう。魔物と戦う日々を繰り返す事で、ベルン村は今日まで続いてきたのだ。
 実物がどうあれ単に魔物、と人に呼ばれているだけでもその生態の実態を知るより前に、反射的に嫌悪感や拒否感が湧きおこってしまうのだろう。
 ゴブリンやオークなどとは違うと分かっても、同じく魔物と呼ばれる存在に対して、その日の内に信用を置けというのも酷な話であろうから、これは仕方の無い事。
 後は時間の積み重ねだけが、村の人達の胸に燻る猜疑心や不安を取り除いてくれると私は信じていた。つまりは私がそう信じられる位にディアドラは魅力的で素晴らしい女性と言う事だ。

 さて具体的にディアドラが村で何を行うか、と言えば病気になった作物があったらその場に赴いて活力を与えて病気を治療する事や、やせ衰えた大地を元通りにする事などであるが、幸運にもベルン村は私の記憶に在る限り凶作に陥った事はなく、また村の土壌が痩せ衰えると言う様な事もない。
 ディアドラが単に村に居着くだけでも近隣の大地が活力を増し、作物が元気により美味しく育つようになるから、極端な話なにもしないで村にいるだけでも問題はない。
 しかしそこはそれ、役に立つもの、使えるものなら死に際の親でも使え、が鉄則の辺境である。せっかく村の一員となってくれたドリアードを、なにもさせずに放置しておくわけもない。
 ディアドラを村につれて来た当人である事から、私とセリナがディアドラの案内役を仰せ仕り、私達三人は連れだってベルン村を歩き回った。

 まず村の中央広場にある村長宅や王国から派遣された五人の兵士が詰めている駐在所、レティシャさん一人で管理しているマイラスティ教のベルン村教会から始まり、村を北東から南西に貫くベール川やいくつかある水車小屋、村で唯一の宿屋兼酒場の“魔除けの鐘”亭など主要な施設の紹介を済ませる。
 昨日の時点では見て回れなかった場所を巡る度にディアドラは好奇心を隠さず、私に質問を浴びせかけてきて、私はまるで人間に生まれ変わったばかりの頃の自分を見ている様な、微笑ましい気持ちになりながらディアドラの質問に出来る限り丁寧に答えた。
 このディアドラの好奇心の強さも、私の村に来てほしいと言う願いに応じた理由の大きな一つである事は疑いようがない。
 午前一杯をかけて村の中を案内し、最後に私達が訪れたのはマグル婆さんの家である。

 これは前もってマグル婆さんに最後に寄る様に、と言われていたからだ。目的はもちろん、マグル婆さんが栽培している各種の魔法薬栽培促進に関する検証だ。
 マグル婆さんは経験豊かで確かな実力を持った魔法医師ではあるが、こと植物の扱いに掛けては樹木の精霊であるドリアードの目を頼るのは、別段恥と言う事はあるまい。
 私達三人がそろそろ陽も高くなり始めた頃にマグル婆さんの家を訪ねた時、垣根の入口の所でマグル婆さんとアイリの姿が見えた。わざわざ家の外で待ってくれていた様だ。
 師匠と姉弟子兼幼馴染を待たせるのも悪いと、私は少々歩くのを速めて二人に合流する。
 マグル婆さんは挨拶を軽く済ませると、ディアドラの方に皺の中に埋もれかけている瞳を向けて、さっそく魔法薬の材料になる特殊な植物のチェックを願い出て来た。
 老齢とはいえまだまだ魔法医師としての職分に燃えるマグル婆さんは、普段の穏和で落ち着いた雰囲気に大量の熱意を加味した様子であった。
 魔法薬の調合や新薬の開発に対する情熱は、マグル婆さんの心の中で若かりし頃と寸毫と変わらずに燃えているに違いない。弟子として知識と技術の教授にあずかる身の私には、マグル婆さんの全身に、情熱の炎が燃えて見えた気さえした。

「気合いが違うな」

 とアイリに話しかけると、ディアドラを連れて来た昨日はどこか不機嫌ささえ滲んでいたアイリは、困った様に笑って私に答えた。ふむ、機嫌の方は治っているらしい。なにより重畳である。

「お婆ちゃん、昨日からあんな調子よ。前から新薬の開発とかはしていたんだけど、ディアドラさんが来て開発や栽培が進めば、今までは作れなかった魔法薬も作れるようになるかもって張り切っちゃって」

「まだまだお若いと言う事か。村の一員としても弟子としても、マグル婆さんが元気である事はなによりありがたい事だ」

「そうね、私もお婆ちゃんの元気な姿は好きだから、嬉しい」

 私とアイリがそんな会話を交わしている間に、マグル婆さんはディアドラを庭で栽培している植物の方へと案内した。
 簡素な木で組んだ枠で囲っているだけに見えるが、その実木枠の内側に細かい魔法の意味合いを持った文字が刻みこまれ、木枠に絡みつく蔦やかけられたロープに至るまでが、特殊な植物の毒性や種子が外に広まってしまわぬように隔離する為の結界として機能している。
 ディアドラはベルン村の中でも、格別趣の違うマグル婆さんの家や庭に咲き誇る特殊な花や植物にも強い興味を示して、つぶさに観察している。いや、観察している様に見えるだけで、実際には意思を交しあっているのだろう。
 そうして順々に魔法花や魔法草と意思を交していったディアドラは、最後に生け垣を構築しているハードグラスの前で足を止めて、しばしの間ハードグラスの葉を見つめ始める。
 私達が興味を隠さずその様子を見守っていると、おもむろに顔を上げたディアドラは私達の顔を見渡して、開口一番こう言い放った。

「頑固だわ、この子。これでもかってくらい頑固よ。びっくりするくらい頑固」

 ディアドラ曰くハードグラスは頑固らしい。頑固か、頑固ならあの栽培の難しさも仕方があるまい。なにしろ頑固なのである。しかし頑固とはなあ、頑固かぁ。
 流石に一日やそこらで成果は出なかったが、後日徐々にハードグラスの栽培量は右肩上がりになり、格段と扱いやすくなったのには流石樹木の精霊ドリアードと、私はディアドラに感心することになった。

<続>

sana様からのご質問について

 セリナの生殖器や子宮は人間準拠なので胎生です。セリナ自身にも臍がありますので、卵では産みません。卵生の方が良かったと言う方は果たしてどれだけいらっしゃる事やら。

 あと私の書き方が良くなかったようで、バンパイア娘は登場させるつもりですが、次がバンパイアと言うわけではないのです。申し訳ありませぬ。
 これまで何度となくこちらでは投稿させて頂いておりますが、これほど感想とPVに恵まれたのは初めての経験で、正直戸惑い舞い上がっています。ハーレムとエロの力、そしてモンスター娘好きの人口侮りがたし、ということなのでしょうか。
 見放されない様にこれからも努力させて頂きます。

ベルン村特産品リスト 新規追加分

ハードパウダー(少量生産)←NEW

ハードグラスから生成できる魔法の粉薬。肌に塗布すれば鉄の硬度を持った皮膚となり、布に塗せば鉄の硬度と布の柔軟性を併せ持った衣服へと変わる。ただし効果は一時的なもの。冒険者や暗殺を恐れる人に重宝される品。

9/28 22:24 投稿
9/29 12:20 くらんさまのご指摘を考えて内容修正。ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑧ ゴーレム編
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/06 08:38
さようなら竜生 こんにちは人生⑧ ゴーレム編


 マグル婆さんの家で栽培されている魔法薬の材料の検分をディアドラが終えた頃には、既に陽は中天に差しかかり畑に散っていた村の人達も手を休めて、各々の家族ごとに集まって昼食と休憩を取り始めていた。
 ディアドラが頑固と評したハードグラス以外にも、捻くれている、耳が遠い、陰鬱と樹木の精霊ならではというべきなのか、様々な表現でディアドラは魔法薬の材料に評価を下し、精神的に疲弊した様子を見せていた。
 この様子からするとディアドラの口から出まかせではなく、本当に魔法薬の材料達はそういった性格をしているらしい。
 私も植物の放つ命の波動や人間には知覚できない感情めいたものは漠然と理解できたが、ディアドラほど明確に植物の側の意思を翻訳はできておらず、やはりディアドラはベルン村にとって得難い人材となりうる事が証明されたと言えよう。
 上機嫌なのを隠さぬマグル婆さんのお招きに預かり、私とディアドラ、セリナはアイリとマグル婆さんの用意してくれた昼食を頂く事になった。

 ドルガさん、ディナさん、リシャさんはそれぞれ外への狩りや畑の世話に出ており、昼食はアイリとマグル婆さん、それに手伝いを申し出たセリナら三人による合作となった。
 竈から出されたばかりの香りの良い焼き立て熱々の黒パン、ミウさんの乳で作った何種類かのチーズの塊が籠に入れられてテーブルに乗り、混ぜたハーブがちょうど良い味のアクセントになって食欲をそそるポグ豚の腸詰、フクレル豆のポタージュが献立である。
 ディアドラにとって植物や野菜が食卓に並ぶ事をどう思うか、と事前に訪ねてみたが森とて木々や花々の間で日々生存競争が繰り広げられている、ましてや食用として栽培されることで絶えることなく一定の数が保証される形で野菜なども人間と共存しているのであり、それを口にする事に特に躊躇いはないそうである。
 というよりも精気や水以外の人間の食物も飲食できるのか、と私の関心はそちらに寄っていたのだが、これはディアドラには黙っていた方がよさそうだった。

 三人が用意してくれた昼食は私にとってこの上なく美味しく感じられるもので、私は称賛の言葉を惜しまず、幸いアイリやセリナははにかんだ笑みを浮かべて喜んでくれた。マグル婆さんは、孫娘とセリナの様子にほっほっほ、といつも通りの笑い声を上げる。
 アイリとセリナであるがこれがそれなりに仲が良い。私が村の皆の見ている前でセリナとキスを交した直後などは、アイリはかなり怖い視線を私とセリナに向けたものだが、セリナの社交性はアイリに対しても遺憾なく発揮されていた様である。
 またアイリも元々誰かと友達になるのは得意でも、嫌いになるのが大の苦手と言う性格の持ち主である。
 皆の輪に入れない子がいれば、率先して声をかけて手を伸ばし、一人っきりにならない様に去り気なく、それでいて嫌味にならない様に心を砕く事の出来る美徳の持ち主だ。

 アイリとセリナの性格の相性が良かった事、それにセリナが母から教わったと言う魔法を私達に教授している事も二人の仲が良い理由の一つであろう。
 私がマグル婆さんの下で魔法薬や魔法とそれに付随する学問について教わっていたのは、既に述べたがセリナが村に来てからは、マグル婆さん以外にセリナもまた教師役に抜擢されている。
 ラミア種の中で独自の発展を遂げた魔法理論と術式は、マグル婆さんにしても興味を惹かれるもので、セリナ先生の授業中には熱心に質問を重ねている。
 案外マグル婆さんが魔物の村への移住に積極的な姿勢を見せるのは、こういった自分の知らぬ未知の魔法の知識を得る良い機会だ、と捉えている面もあるのかもしれない。
 老いてなお知識欲を衰えさせることなく、熱心に学ぼうとするその姿勢には感服する他ない。
 その生命の最期の時が訪れるまで学習と進歩を怠ることなく邁進しようとするその姿は、老齢に差しかかったとはいえ生きる活力に心と体が満ちていることの証左だ。
 長く生き過ぎた為に倦怠と陰鬱に魂を捕らわれた私などは、そんなマグル婆さんの姿勢を過去の自分の醜態と照らし合わせると、何とも情けなくて恥ずかしくマグル婆さんがまぶしく見えて仕方がない。

 マグル婆さんの熱心な生徒ぶりはまた別として、優しく懇切丁寧な説明のもと進められるセリナ先生の魔法授業によって、セリナの魔法使いとしての確かな力量と知識、そして卑しからぬ人品と性格を知り、アイリはセリナに対しても既に心を開くに至ったのである。
 まあそれでも時折アイリから私に向けられる視線の中に、怖い物を感じるのもまた事実。私は今後の身の振り方を考えるべきなのかもしれない。ただし全く分からないのが問題だ。やれやれ。
 食べ終えた食器の片付けは食べるだけであった私とディアドラが引き受けて、三人には休んでもらう事にしたのだが、良く遊びに来たマグル婆さんの家でも台所の勝手までは知らなかったので、アイリが少し呆れながら手伝ってくれた。
 私とディアドラとアイリが三人横並びになり空になった食器を流しに運び込む。
 家族と暮らしていて家事を仕込まれたセリナと違い、ディアドラにとっては正真正銘初めての食器洗いであった為、私とアイリがディアドラに一から食器の洗い方を教える羽目になったのは、いささか予想外であった。

 食器の洗い方のみならずスプーンやフォーク、ナイフといった食器の使い方も例に漏れず、人間を父に持つセリナとは違って純粋に精霊として誕生したディアドラにとって、人間の文明は未知との遭遇の連続となりそうであった。
 それだけ新たな出来事が続けば退屈はしないだろうから、ディアドラにとってもベルン村で過ごす時間はきっと有意義なものになるだろう。
 私は汚れを洗い落とした食器の水気を落とす為に、乾いた布で丁寧に拭き取りながら、私の横で見よう見まねで同じ作業に没頭しているディアドラに声をかけた。

「エンテの森の奥には古代王国の遺跡があるとかエルフの里があるなどと言われているが、実際の所はどうなのだ? エルフが居るのならドリアードであるディアドラは仲が良いのでは?」

 丁寧過ぎるくらいの慎重さでフォークを布で拭っていたディアドラは、顔を上げて私の方を振り向いて質問に答えた。身長差がある為私を見下ろすディアドラの翡翠色の瞳には、私の顔が映っている。
 ディアドラの瞳には世界が翡翠色の紗幕が掛っているように映っているのだろうか。そんな考えが不意に浮かぶほどに、ディアドラの瞳は美しく透き通っている。

「私と貴方が出会った所よりもさらに奥に行けばエルフの里があるわよ。親しい子もいたけれど、里全体としては外界との交流を断っているから、人間と関わろうとはしないのではないかしら。
 でもあの森は進めば進むほど迷路のように木々が入り組んでゆくから、エルフか私がいなければまず道に迷うでしょうね。里の近くにはエルフの仕掛けた罠がいくつもあるし、危険な魔物や動物の数も随分と増えるわ。普通の人間が森の奥に足を踏み入れるのは感心しないわね」

「ふむ、エルフが居るのは確実か。ただし交流を持つのは難しい、と。いや、それが分かっただけでもありがたい」

 私のふむ、とあまり変化の無い表情から何を読み取ったのか、ディアドラを挟んで私と横に並んで食器洗いに励んでいたアイリが、じぃっと私を見つめて言葉の釘を刺してくる。

「ド~ラ~ン、貴方またエンテの森に行くのはともかく、エルフの里を見つけようなんてしちゃダメよ。昔、森に入り込んだ王国の兵士さん達が、魔法使いと一緒だったのに散々な目にあって、奥に行くのは王国の法律で禁止されているのよ。
 それにエルフって言うのは気難しい所があるから、誤解されやすいドランの性格じゃ絶対いざこざが起きるわ。そうしたらエルフとの関係が悪化するかもしれないし、王国の法律を破ったことでお咎めを受けるかもで良い事なんかないんだからね」

「それは良くないな。自重する事にしよう」

 つまりばれない様にエルフの里を見つけ出し、いざこざが起きない様に接触すればよいのである。自分でもへ理屈だなと呆れはするが、こんなに近くに交流できる可能性がある集団が居るのだ。
 何もせずに放置しておくのももったいない様に私には感じられ、いずれはエルフとの接触も計画する事に決めておいた。
 とはいえ、いずれは、という未来の話ではあったので、私は目下集中すべき食器洗いの作業に意識を戻す。
 食卓で談笑するセリナとマグル婆さんの声が聞こえてきて、私はとても穏やかな気持ちでディアドラとアイリと三人の時間を過ごした。

 昼食のお礼を述べてマグル婆さんの家を辞した時、アイリもそのままくっついてきてディアドラとアイリとセリナが世間話に花を咲かせる中、私は村の中央広場を目指してとことこと歩いていた。
 三人寄れば姦しい、という言葉を遠い昔どこかの国で人間から聞かされた事があったが、それは人間と魔物と精霊の間でも通用するらしく、村に来たばかりのディアドラとセリナに対し、アイリは進んで村の住人の話をして少しでも村に早く馴染めるように話題を振っている。
 ディアドラとセリナもまた自分達の生い立ちや村に来るまでの生活の話をし、ベルン村と近隣の村々位しか知らぬアイリは、二人の話にその大粒の瞳に好奇心と興味と憧憬の光を揺らめかせている。
 私にとってはアイリもセリナもディアドラも、一人の例外もなく幸福に過ごして欲しいと願う大切な人達であるから、三人の関係が良好であることは何よりも望ましく、好ましい。

 さてなぜ私達が村の中央広場を目指しているかと言うと、今日は数日の間隔を置いて村を訪れる行商人のラギィおばさんが来る日だからだ。
 村の外から様々な品物と共に訪れるラギィおばさんは、子供や大人を問わずベルン村にとって大きな楽しみであったし、マグル婆さんの魔法薬をガロアに運搬する仕事も頼んでいる。
 マグル婆さんの家から中央広場に続くなだらかな坂道を進んでゆくと、既に仕事の手を休めた村の人々がラギィおばさんの近くに集まっているのが見えた。
 ラギィおばさんが来る日は大抵午前一杯で作業は終わり、後は休憩となるのがベルン村の慣例である。
 茶色い毛並みの馬二頭に牽かせた幌を被せた荷馬車が中央広場に停められていて、幌を取り払って荷台に積んだ商品を集まった村の人に開示し、恰幅の良い四十代半ばごろの女性――ラギィおばさんが声を張り上げている。
 厚い麻地のブラウスの上に黒狼のマントを纏い、白いものの混じる黒髪と黒瞳を 持ったふくよかな女性がラギィおばさんだ。元は北部辺境区を中心に活動する冒険者で、腰の頑丈なベルトに括りつけている鞭を振るって数々の武勇伝を築いたとか。

 いまでは冒険者時代の相棒だった旦那さんとガロアに、冒険者向けの宿兼よろず屋を開いて生計を立てており、いまも冒険者の間にかなりの影響力を持っているのだという
 冒険者時代にはベルン村などにも足しげく通い、襲い来る魔物との戦いに一役買ってくれていたそうで、その時の縁で今でもこうしてガロアの品々を行商という形でベルン村に持ってきてくれている。
 ラギィおばさんの横には二十歳になるかならないか、といった色の薄い金髪に黒い瞳をもった長身の青年が立っていた。
 鉄製の胸当ての上に鮮やかな緑色のレザージャケットを羽織って、足元はどんなに走り回っても草臥れそうにないロングブーツ、腰に回された戦闘用の頑丈なベルトにはこれといった装飾の施されていないシンプルな造りのロングソードを佩いている。

 十分に二枚目と言えるどこかまだ少年の面影を残す整った顔立ちと、左の耳に揺れる黄色い魔晶石を嵌めこんだピアスが特徴的なこの青年は、ラギィおばさんの七人いる子供の内の下から二番目の子供で、冒険者として活躍しているジーノさんだ。
 ラギィおばさんがベルン村に来る時は、大抵護衛と手伝いを兼ねて荷馬車に揺られてやってくる。
 外からやってくる数少ない人でしかも若く顔立ちも整っている事から、村の女性からは結構な人気のある人だ。
 ただ本人は色恋沙汰よりも冒険や、自分がどこまで昇り詰められるか、といった事に関心が強い様で、村の誰かがジーノさんと恋仲になったという話は聞いた事がない。
 ラギィおばさんを中心に十重二十重と囲む村の人達の輪の中から、若干辟易した表情を浮かべるジーノさんが出て来た。
 この人はどうも商売にはまるで興味がない様で、ラギィおばさんが威勢のいい声を張り上げているのとは、随分と対照的に見える。

 ジーノさんは私達に気付いた様で、すぐにセリナとディアドラの姿に気付くやぎょっとした顔を浮かべて、左腰のロングソードの柄に右手を伸ばすが革製の鞘から抜く前にその手を戻した。
 おそらくラギィおばさんを囲んでいる村の人達から、ラミアとドリアードが村人の合意の上で住み着いたという話を聞かされていたのだろう。
 顔馴染みの私とアイリが、極自然とセリナ達と一緒に歩いてくる姿も、村人から聞かされたであろう話の信憑性を高めるのに一役買っているに違いあるまい。
 ジーノさんがロングソードに手を伸ばすのを見て、私の左右でセリナとディアドラが一瞬身体を強張らせたのを感じ、ここは私から声をかけた方が余計な手間はかかるまいと判断した。

「ジーノさん、こんにちは。この二人はラミアのセリナと、ドリアードのディアドラ。最近村の一員になったばかりだ。二人とも美人だし性格もいいから、仲良くして欲しい」

「そうよ。ちゃんと村の皆も納得しているんだから、剣なんか抜いちゃだめ。そんなことしたら悪いのはジーノさんになっちゃうわよ」

 私の意図を組んでくれたアイリがすかさず私に追従して、ジーノさんに声をかける。特に目配せや声をかけるでもなく、極自然と呼吸が合うのは流石アイリ、我が愛すべき幼馴染、と私は心の片隅で感心する。
 ジーノさんは既に剣の柄から手を離していたが、私とアイリの二人掛りの説得に困った様に笑うと、降参したと言わんばかりに手をひらひらと動かした。

「悪かったって。ただおれもラミアとドリアードは初めて見るもんだから、つい身体が動いちまっただけだよ。話は聞いていたし、見た感じお前らや村の人達が何かされたってわけでもないしさ。セリナとディアドラ、だっけ? ごめんな、勝手に警戒しちまってさ。おれはジーノ・ツングス。ご覧の通りの冒険者さ、まだ駆け出しだけどな」

 悪戯のばれた悪ガキの様なバツの悪い顔で、ジーノさんはセリナとディアドラに軽く頭を下げながら謝罪する。
 確かに非はジーノさんにあるのだが、だからといってすぐに魔物相手に頭を下げる事が出来るのは、ジーノさんが柔軟な思考の持ち主だからだろうか。
 あるいはガロアの町には私が耳にした以上に魔物や亜人が多く住んでいて、その影響でジーノさんには魔物は例外なく全て倒す、などという偏った思想がないのかもしれない。
 だとしてもジーノさんが最初に警戒を示したのは仕方がない。ラミアとドリアードはどちらとも人間を害する事のある魔物だから、話を聞かされただけではどうしたって身構えてしまうだろう。
 とはいえ実際に二人に危害を加えられたら、私はあまり自分を制御できる自信はなかった。
 今回の場合セリナとディアドラが危害を加えられなくて良かったと言う以上に、ジーノさんの血を見ないで済んでよかったと考えるべきなのかもしれない。私はもう少し自らを律する努力をしなければなるまい。

 ふむん、と私がいつもの口癖に疑問の響きを交えた所で緊張をほぐしたセリナとディアドラが、ジーノさんに挨拶を返していた。
 後で聞いた話になるが二人にとってもジーノさんの様に武装した冒険者と言う存在は珍しい様で、実際に目のあたりにするのは初めてだったそうだ。
 父親から危険な人間の一例として聞かされていた冒険者の実物を前に、時折セリナは怖がる素振りを見せるものの、実力的にはセリナの方が上なのだがそれを言ってもどこか臆病な所のあるラミアの少女にはもあまり効果はなかったろう。
 ジーノさんは初めて見るラミアとドリアードの女性をもの珍しげに見ていたが、あまり不躾な視線を送るのは礼儀に反すると思い立ったのか、すぐに視線を外して腰のベルトに吊るした小さな袋を手に取ると、私に手を差し出す様に言ってきた。
 正直に私が右手を差し出すとジーノさんは小袋を私の手に握らせる。何が入っているのかと私が小袋を開いて中身を確認すると、小指の先くらいの大きさの丸い飴玉が入っていた。
 赤や黄色、紫に白、黒とさまざまな色に染まっているのは、すりつぶした果物を混ぜて味を変えているからだろうか。

「お詫びって事で、それ皆で食べてくれよ。いろんな果物の味がするから食べていて飽きないぜ」

 内緒な? と片目を閉じてウィンクするジーノさんに私は渡された小袋を手に持ったまま、そう言えばこの人は甘いものが好きだったなと思いながら聞き返した。

「これはラギィおばさんの商品では? タダで貰ってもいいのか」

「はは、大丈夫だよ。それ、おれがちゃんと買った奴だから。ウチの母ちゃんと父ちゃんは自分の子供からでもきっちり金取るからなあ。まあそう言うわけで、それはおれが自分の金で買ったおれのもんさ。だからおれが上げたってんなら何の問題もないよ」

 私は一応母から与えられた全財産を入れた革の小袋をズボンのポケットに入れてはいるが、所詮は子供の小遣いで少しお菓子を買うのが精一杯である。
 ジーノさんから飴玉がタダで貰えるのなら、正直かなりありがたい。
 とはいえ素直に受け取ってしまっても良いものか、と私が少し悩んでいるとあまり細かい事を気にしないさばさばとした性格のジーノさんは、早く食べないと溶けるぞ、と私達に促してくる。
 お詫びと言う事でもあるし、ここは素直に受け取ってしまったほうがお互いの為にもいいだろう。私はジーノさんに頷いてから、飴玉の入った小袋をセリナとディアドラに渡した。

 ベルン村における甘味と言えば甘蔓とか少量の果実、麦から作る糖類を一切使っていない素朴な飴、それにディアドラの身体に咲いている花や身体から直接とれる蜜位のものだから、こう言った一手間二手間を加えたお菓子の類は貴重だ。
 セリナとディアドラは私伝いにジーノさんから渡された詫びの品に興味が尽きない様子で、さっそく小袋の中身を取り出して陽の光を浴びてキラキラと輝く様々な色彩の飴玉を、まるで初めて宝石を手に取った少女の様に嬉しそうな顔で見つめている。
 初めて見る人間によっては確かに食べ物とは思い難い見た目をしている、と私も思う。竜には光輝く貴金属や宝石といった財物を集める習性があり、これは全竜種の頂点に君臨していた私にも存在している。
 人間への転生によって劣化こそしたもの、竜としての意識と記憶を保つ私にとっても、目の前で陽光を浴びて輝く飴玉の様な物体には心惹かれるものがある。
 ひょっとしたら大量の飴玉を用意してばら撒いておけば、それに惹かれて集まる竜もいるかもしれん。高度な知性と莫大な魔力を持つ竜といえども、やはり生命であるから本能や習性には逆らい難いものだからな。

 飴玉に吊られて姿を見せる竜、という構図を頭の中で思い描いた私はいささか情けないその構図に、そんな真似をする同族が居ない事を切に祈った。実行したら竜より先に蟻をはじめとした昆虫の方が集まってきそうだし。
 私が薬にも毒にもならない事を考えていると、セリナとディアドラは飴玉をアイリと私、それにジーノさんにも分けてくれた。
 些細な事だがこの様に得た糧を皆で分け合うと言う風習は、互いの繋がりを強く保たねば生活することさえ危うい辺境では基本的で、そして極めて重要なものである。
 特に誰かに教わったわけでもないだろうが、飴玉を二人で独占せずに私やアイリ、ジーノさんにも分けようとする二人の心根は、人によっては大したことではない様に感じられるかもしれないが、少なくとも私にとっては実にすばらしい事であると感じられた。
 後でたくさん二人を褒めてあげよう。

「お? おれにもくれんの? 悪いね、二人への詫びなのにさ」

 ちゃっかり受け取ったジーノさんが口の中に飴玉を放り込むのに倣い、私達もそれぞれ掌に乗せた飴玉を口の中に放り込んだ。
 私が選んだのは橙色の飴玉で、おそらくミレンジという大人の握り拳二つくらいの大きさの、爽やかな酸味と甘さが特徴的な果実を混ぜ込んだものだった。
 舌で口の中の飴玉を転がすうちにゆっくりと溶け始めて、ディアドラの蜜乳や秘蜜以外では久しく味わった事の無い明確な甘みが私の口の中に広がる。
 ふむ、と思わず私が目尻を下げて口内の甘みを堪能しているとアイリも同じ様子で、セリナやディアドラは初めての味に、少し驚いた後は笑みを浮かべて飴玉の味をじっくりと堪能している。
 魔物であれ女性であれば甘いものが好きと言うのは共通する様だった。そう言えば私の記憶にある限り、女神の多くが甘いものが好きだったな。

 ただ破滅と忘却を司る大女神カーヴィスが、マイラスティに敗れた腹いせに私の所に来て極彩色の菓子を食いながら愚痴を零して居すわった時の記憶は、正直あまり愉快なものではない。
 まだ私が地上に降りる前に天界に構えていた住居に、甘ったるい匂いが染みついてしまい匂いが取れるまでの間、極めて居心地が悪かったのを憶えている。
 マイラスティとはついこの間顔を合わせたばかりだが、カーヴィスは元気にしているだろうか。
 人間からするとどちらかと言えば邪悪な神で、私としても生命のやり取りを何度もした事はあるものの、それでも嫌いになりきれない奇妙な魅力があって、悪友と喧嘩友達を足して二で割った様な相手なのである。
 私がそんな風に何億年前か何兆年前だかの記憶を懐かしんでいると、飴玉を口の中で転がしたまま少々行儀悪くジーノさんが口を開いた。

「今日はずいぶんと母ちゃんが大人気みたいだし、しばらくは買い物が出来ないかもしれねえぞ。なんか村の人達がいつもより余裕あるみたいだけど、なんかあったのか?」

「ああ、それはセリナが狩りを手伝ってくれるようになって、オオキバワニやクロシカ、テッツイイノシシが結構取れるようになったからだ。毛皮や革に良い値段が着くから、村にもそれなりのお金が入っている」

「へえ、おれも時々狩猟の依頼を受けるけど、そいつらって良い値段が着くもんな。ラミアなら魔眼もあるし魔法も使えるか。そりゃ狩りも楽になるわけだ。セリナ万々歳って所じゃないのか」

「いえ、私は少しお手伝いしているだけですから」

 謙遜するセリナだが実際彼女の能力が大いに村に貢献している。
 ディアドラの様に村全体に対する恩恵はないが、セリナが同行することで動物からの思わぬ反撃や不意に遭遇した魔物を相手に、村の人達が無傷で帰って来られるのだから、十分に役立っている。

「明日の昼まで村に居るからさ、今日はおれ達でどこか探検にでも出かけないか? おれとセリナとディアドラが居ればゴブリンやオークが出てきてもどうとでもなるし、普段は行かない所に足を伸ばしてみようぜ」

「志の迷宮は? あそこも暇つぶしにはいいと思うが」

 私の提案に、ジーノさんは首を横に振って答えた。

「あそこは八年前から散々世話になっているからな、いまじゃ卒業だよ。村の北西の方に行ってみないか? 北にあった開拓村が廃村になってからは滅多に行かなくなったほうだろ。なんか珍しいもんがあるかもしれないし、何もないなら何もないってことがわかる」

「ふむ、買い物は明日でも出来るか。私としてはジーノさんの案に賛成だな。家に帰って準備をしてくるが、アイリ達はどうする?」

 私はすっかりジーノさんの提案に乗るつもりになって、やる気で胸を満たしながら答えるとセリナとディアドラは答えを聞くまでもない表情で頷き返し、アイリは腕を組んで少し考える素振りを見せてから、うん、と口に出した。

「あたしも行く。お婆ちゃんに魔法薬を貰ってくるから北門で待ち合わせしましょ。でもあんまり遠くへは行けないわ。陽が沈むまでに帰って来られる所までよ」

 しっかりと釘を刺すアイリに苦笑を返し、私達は一端別れてそれぞれ準備をしてから北門に集まる事になった。ジーノさんはラギィおばさんの所へと足を向けて、一旦離れる許可を取りに行ったのだろう。
 さて私も家に戻ろう。ラギィおばさんが来る日は母が買い物に精を出す為、代わりに父が家で留守番をしているから、またショートソードでも借りられると良いな、と私は呟きながら家へと踵を返した。
 家で木を靴底に敷いた革靴を作る作業に没頭していた父は――辺境の人間なら男女を問わず家事全般、槍や剣、弓の扱いに至るまで習得しているのが当たり前だ――私の提案に、しばし俯いて吟味してから、まあいいだろう、と首を縦に振った。

 かつて村の近くに姿を見せた武装したオーク四匹を見る間に退治したジーノさんの実力は、ベルン村では良く知られているし、ジーノさんの責任感が強く義理堅い性格も同様に知られている
 ジーノさん、セリナ、ディアドラはベルン村でほぼ最強のメンバーと言えるだろう。持って行け、と父が物置から持ってきたショートソードを受け取り、私はツラヌキウサギの槍と革の水筒、ヒールグラスの傷薬などを用意してから家を出た。
 北にある沼地になら行った事はあるがゴブリンなどが姿を見せる北西方面に足を伸ばすのは、初めての事。家を出た時、私はなにか収穫があると良いと密かに胸の奥を躍らせていた。
 トビオオトカゲの皮を使ったリザードジャケットをシャツの上に着こみ、背負い鞄を背負って村の北門に到着した私は格好の変わっていないセリナ、ディアドラ、ジーノさん、それに動きやすいズボンに履き変えて、百二十シム位の長さのワンドを手に持ったアイリと合流する。
 アイリの持っているのは魔法使いのシンボルとされる、魔法使いの杖だ。
 頑丈な樫材で作られたワンドは、頭の部分はゼンマイの様に膨らみ、尻の部分は細く窄まっていて頭の部分の中には、手で包み込める大きさの魔晶石が嵌めこまれており、魔法の威力や魔力の消費を補佐してくれる一品だ。
 アイリの探検の為に特別にマグル婆さんが貸し与えた品に間違いあるまい。魔法で編んだ黒い生地に白い糸で刺しゅうを施したローブを纏ったアイリは、最後になってしまった私に少し呆れの混ざった笑顔を向ける。

「そんなには待っていないからいいけど、女の子を待たせるのは良くないわよ、ドラン」

「アイリの言うとおりであるな。次からは気をつけるよ。それでもう皆の準備はいいのか?」

 ジーノさんは広場で話していた時と特に変わりはなく、セリナやディアドラも一端別れた時ほとんど変わらない。違いはセリナがエンテの森に出かけた時に肩から下げていた編み鞄をまた下げていること位だ。
 私達は全員の準備が住んでいることを改めて確認し合い、ジーノさんを先頭に北門を出て村の北西を目指した。

「よし、それじゃ陽が沈むまでの間だが、ちょっとした冒険の始まりだ。怪我をしない様に皆気をつけろよ。おれが母ちゃんに尻を引っ叩かれちまうからな」

 私達ジーノ冒険隊は中天から徐々に西に傾いてゆく陽太陽の下を順調に進んでゆく。途中動物の姿を見かける事もあったが、行き道で荷物を増やすことは避けた方が良いから見逃しておく。
 これまでベルン村以北に王国が村を建立したのは、既に廃村となったナルカド村だけで他に記録はないと言う事だから、人間の建物や廃村を見かける事はあるまい。
 ひょっとしたらゴブリンやオークが作った小集落や、テントを見かける事になるかもしれない。北西からやってくる魔物はゴブリンを主にオークやトロルが少数の混成部隊がほとんどである。
 元は大地の妖精であったコボルトとオークは種族間の相性が非常に悪い為、コボルトとオークが同じ部隊で襲撃を仕掛けてくる事はなく、コボルトとゴブリンの混成部隊も姿を見る事はそうはない。
 山脈で隔てられた北方には人間の国家があると耳にしているが、北西に進むと大規模なゴブリンやオークと言った人類種と敵対している魔物の集落か、あるいは国家がある可能性も否定できない。いつか偵察を兼ねて足を伸ばすべきかもしれぬ。
 ちなみにゴブリン種の中に例外的に人類と非常に友好的な種がある。ホブゴブリンである。
 かつてゴブリンが人間に対する敵対種として創造された際に、一部の原種が人類の創造神の一派に強奪され、人類の良き友として作りかえられたのである。
 ゴブリンが緑や灰、黒と言った肌を持った百四十シル程度の背丈と禿げ頭、醜悪に感じられる容貌を持っているのに対し、ホブゴブリンは赤や肌色に近い肌をしていて、髪も生えており身長百六十シルほどとゴブリンよりも一回り大きい。
 容貌もゴブリンと比べるとずいぶんと人類に近く、古くから人間の家事の手伝いなどをしてくれる存在として、牛人や犬系統の獣人などと一緒に人類と歴史を共にしている。
 二鐘(二時間)ほども歩き続けた頃だろうか、それまで私達の先頭を歩いていたジーノさんが足を止めて、頭に手をやって薄い色合いの金髪を軽く掻いた。

「う~ん、特にこれと言ってなにかあるわけでもないなぁ。こりゃ、無駄足だったか? ま、散歩にはなったわな。しょうがねえ、そろそろ村に戻ろう。ん、ドラン、何か見つけたのか?」

 ジーノさんはじいっとこれまでの進行方向とは別の方角を見ている私に気付き、声をかけてくる。周囲はまばらに茂みや木々が寂しげにぽつんと点在している荒野だ。ここを開拓するとなると、多くの時間と根気と人手が居ることだろう。
 そんな荒野の真ん中で私は付近の魔力の流れの中に不自然さを感じ、その根源を探るべく探査網を広げていた。
 天地には人間で言う所の血脈に相当する霊脈や気脈と呼ばれるものが流れており、これに物質界の元素を司る精霊の力の相や流れを加味すれば、どこに不自然な場所があるか異常が生じているのかを把握するのは私にとって難しくない。
 私が広げた探査網は当たりを引いていた。地下に広大な空間が広がっており、そこに自然ではあり得ない魔力の集中が感じられる。迷宮? いや、それにしては狭い。
 人か魔物の手が入った空間だろうか? 私はジーノさんの方を振り返り、先ほどまで向けていた視線の先を指し示す。

「大地の魔力の流れが奇妙だ。ほんの少しだが、あそこに集まっている。マグル婆さんに教わった探査魔法に引っ掛かった」

「本当か? あそこになんかあるってわけか。こりゃ掘り出し物でも見つかるかね」

 途端にジーノさんは活き活きとしだし、ロングソードをいつでも抜ける様に柄に手を添えて、私の指差す方向へと足を向ける。アイリは私と違って魔力の流れの異常を感知できないようで、訝しげに眉根を寄せて首を捻っている。
 セリナとディアドラは流石に共に地属の魔物と言う事もあって、私にやや遅れたが大地の魔力の流れの変化を察知したようで、いつでもジーノさんをフォローできるようにその左右を後ろ歩いている。
 自然と先頭にジーノさん、その後ろ左をセリナ、右をディアドラ、真中にアイリを置き、背後を私が守る位置に就く。
 ジーノさん以外の全員が魔法を扱える少々歪な構成だが、私とセリナが前に出て前衛を務める事も出来るから、ディアドラとアイリに魔法使用に専念してもらう配置の方が良かろう。
 先に行くジーノさんに声をかけて、私は魔力の流れが集まっている箇所の地面を、ツラヌキウサギの槍の穂先で突いて示す。名もない草がまばらに生えているだけの、周囲に広がる荒野となんら変わらぬ地面が、そこにあるきりだ。

「ドラン、本当にここになんかあるのか?」

 私は絶対の確信を持って頷き返して、セリナとディアドラに短く頼むと一言告げた。私の意図を正しく読み取ってくれた二人は、大地の精霊に語りかけて一見何もない様に見える地面の下に隠されているものを、露わにする。
 セリナとディアドラが地面に向けて手を翳して、短く何かを口にすると土が自然と左右に割れて灰色の重厚な石の扉が出て来た。
 これまで一体どれだけの時間土の中に隠されていたのか、石の扉の表面にはこれといった傷は見受けられず、ただただ経過した年月の重さを感じさせる重厚さばかりがある。
 私は片膝を着いて幅六メル長さ八メルはあろうかという大きな石の扉の正面に手を這わせ、魔法による施錠が施されているのに気付いて、マグル婆さん直伝の解錠の魔法を行使する。
 盗賊のように専用の道具を用いずとも、魔法・非魔法を問わず掛けられた鍵を開ける事のできる便利な魔法である。使用者の力量にも左右されるが、力量と言う点で考えれば私に解除できない魔法の錠はないだろう。

 石の扉の表面にうっすらと白い光が波紋の様に広がり、ガラスが砕けた様な音がする。ふむ、石の扉に掛けられていた施錠の魔法の解除は問題なくいったようだ。
 石の扉は引き戸になっているようで、左右に引くと油でも差している様に十歳の子供に過ぎない私の腕でも簡単に引く事が出来た。
 扉の奥の方から冷たい風が吹いて私の前髪を掻き上げる。地下の空間のどこかで換気が行われているのか、風に埃っぽさはなく特に異臭も嗅ぎとれない。これなら足を踏み入れても大丈夫だろうか。
 先ほどまでとは異なり、私、ジーノさんが前衛二列を務め、次いでセリナ、ディアドラが中列、アイリが最後尾の順に並んで石の扉の先に続く階段を下りてゆく。
 左右の壁面には光の精霊石を用いた灯りが設置されており、私達が歩を進めるのに合わせて順々に明かりがついて行き、暗がりに閉ざされた通路を照らし出してゆく。
 上下左右全部が石材で構築されており、四方から途方もない重圧感が押し寄せてきて、こう言った閉鎖空間に慣れていない人間には、かなりの精神的な負担となるだろう。
 楽しそうな顔をしているジーノさんと魔物であるセリナとディアドラはともかく、アイリは大丈夫かと気になった私はなるべくアイリに声をかける様に心がけて石の通路を進んでいった。

「ジーノさん、周りの通路の石に継ぎ目がない。普通に建築したのではなさそうだ」

「お、良く見てるな、ドラン。馬鹿でっかい石を掘り抜いてここを作ったのかもしれないが、だったら他にも似たような石がごろごろしているだろうし、そうじゃねえんなら精霊魔法か錬金術を使ってここを作ったんだろうな。って言う事はだ、警備の魔法生物が居るかもしれねえ。あまり深入りはしない方がいいかもな」

 そう言うジーノさんの顔はうきうきと弾んでおり、どう考えてもこのまま引き返す選択肢は選びそうにない。
 ただ私の牙を使った首飾りをセリナだけでなくディアドラにも渡してあるから、私が力を解放しなくても地力を強化された二人が居れば大抵は何とかなるだろう。最後の手段として私もいる。
 この通路を作った誰がしかは迷宮としての機能を考慮はしていなかったようで、分かれ道や小部屋がある事もなく、私達は一本道の通路をひたすら進んでいった。
 周囲の光景に変化がない為、普通の人間なら時間感覚が麻痺し始める頃になって、ようやく石の世界に変化が訪れる。石の階段を下り終わると、私達は一辺三十メルはあろうかと言う広大な空間に出た。
 正面には入って来た時の扉と同じものがあり、その前に番人とばかりに三メル近い大きさの人型が立ちふさがっている。
 黒いフルフェイスの兜と同じ色の全身鎧で固めたかのような姿は巨人族の重戦士に見えたが、鎧の隙間からは灰色の肌が覗き、まるで生命の気配が感じられない。
 両手に眩い銀色の刀身を持ったグレートソードを握っており、何者も扉の奥には通さないと言わんばかりの雰囲気が伝わってくる。

「ジーノさん、たぶんアイアンゴーレムだ。かなり強力な奴だと思う。これ以上進まなければ襲ってはこないと思うが」

 ゴーレムとは魔法を持って作りだされた無機質の人形の事を指す。材料は様々で私達の目の前にいる鉄製のアイアンゴーレムや、木材のウッドゴーレム、石材のストーンゴーレム、泥のマッドゴーレム、死肉のフレッシュゴーレム、と種類は豊富だ。
 共通してその身体のどこかに魔法の力を持った魔法文字で創造者の名前と“真理”を意味する古語が刻まれており、その文字を削ることで無力化できるし刻まれた創造者の名前を変えるか、ゴーレムに降されている命令を魔法で解除することで支配下に置く事も出来る。
 作りだした魔法使いの力量や目的によってその形状や大きさを変えるゴーレムだが、主な用途は魔法使いの護衛や財宝の守護であり、目の前のアイアンゴーレムはまさに守護者、番人として作られたに違いない。
 アイアンゴーレムから感知できる魔力量から、私の記憶を掘り返して比較してみるに人間の基準では一流の魔法使いの手になる者だと判断できる。
 竜の牙から作られる竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリアー)は熟練の戦士三人に匹敵すると言うが、優れた魔法使いが作ったゴーレムも同様の戦闘能力を備えると言う。

「いやあ、せっかくここまで来たんだ。あいつの欠片くらいは持って帰ろうぜ。アイリとドランは後ろに下がってな。セリナ、ディアドラ、適当に水の魔法でおれを援護してくれよ。やばいって思ったらおれもすぐ下がるからさ」

 ジーノさんはやる気満々であった。道中、セリナとディアドラ、私とアイリが扱える魔法の事は伝えてある。実際に連携の練習をする時間はなかったが、ジーノさんを誤って魔法で撃ってしまわない程度の事は出来るだろう。
 私の装備ではアイアンゴーレムに傷一つ着ける事も出来ないだろうが、邪魔をしてアイアンゴーレムの気を引く事でジーノさんが動きやすくなる位の援護は出来る。
 私はツラヌキウサギの槍をしごいて構え直し、ロングソードを鞘から引き抜いてアイアンゴーレムに挑みかかるジーノさんに続いて駆けだした。
 他の三人は好戦的なジーノさんの判断に対して、困惑をそれぞれ浮かべてはいたが、それでも素早く魔法を行使する為の集中状態に移る。
 ただ石に囲まれたこの状況ではディアドラやセリナの得意とする地属の攻撃魔法は使えない。下手に石材に干渉しては通路が崩落しかねないし、周囲の石材は魔力を帯びているから干渉するのに、ただの石材に対するのよりも多くの魔力を消費させられる。
 セリナは水の攻撃魔法、ディアドラはアースヒールなどの回復魔法、アイリはマグル婆さん直伝の攻撃魔法の詠唱準備に入っている。

 私が火と風の精霊魔法を習っているから、バランスは取れているな、と考えた時にはジーノさんが両手で握ったロングソードでアイアンゴーレムの振り下ろしたグレートソードを受けて、力では勝てぬと悟ったジーノさんは巧みにグレートソードの刀身を受け流す。
 白銀の刀身が交差した一瞬の軌跡が私の瞼に鮮烈に焼きつく。身体強化を施さなければ目で追うのがやっとの剣速であった。
 アイアンゴーレムの右側に身体を入れ替えたジーノさんを追い、アイアンゴーレムは左のグレートソードを叩きつけんと鉄の身体を捩じるが、その左肘の関節の内側に私が槍の穂先を突きこんで邪魔をする。

 ジーノさんとアイリの手前、ほぼ素の身体能力で戦っている私の腕力ではアイアンゴーレムの動きをさして邪魔する事も出来ないが、アイアンゴーレムの注意が逸れたその間にジーノさんは体勢を立て直し、アイアンゴーレムの右脇腹に横薙ぎの一閃を喰らわせる。
 巨大な鉄塊を相手に、良質の鋼を使ったというジーノさんのロングソードでもほとんど刃は立たずに、硬質の甲高い音を一つ立てて弾かれてしまう。

「くっそ、硬ってえなあ。オーク共の身体くらいなら防具ごと斬れんのによ。ドラン、おれに任せてあんまり前に出るな。自分の事を一番に考えろ。へへ、こうでなくっちゃな!」

「ん、そうする」

 ジーノさんと私はほぼ同じタイミングでアイアンゴーレムからバックステップを踏んで距離を取り、アイアンゴーレムの全身をくまなく観察する。その巨体のどこかに心臓と脳にも等しい魔法文字が刻まれている筈だ。
 アイアンゴーレムはジーノさんを手強いと見たのか、ジーノさんに身体を向けて両手のグレートソードを胸前で交差させながら走りだす動きを見せる。
 石の床が砕けないのが不思議なほど重々しい音を立てて駆け出したその矢先に、完成したアイリとセリナの魔法が炸裂する。

「水の理 我が声を聞け 我が前に立つ敵を貫く槍となれ ウォータージャベリン!」

「世界の理 我が声を聞け 我が前に立つ敵を貫く矢となれ エナジーボルト」

 セリナの突き出した両腕の間から全長三メルの水の槍が勢い良く放たれ、アイリが掲げたワンドからは、属性を持たぬ純粋な魔力が光の矢と変わり、それぞれがアイアンゴーレムの頭部や胸部を強かに打って体勢を崩す。
 転倒させるまでには至らなかったか。たたらを踏んで持ちこたえるアイアンゴーレムの巨躯の表面にうっすらと光の膜が見えた。耐魔法防御を高める付与魔法か魔法文字が別に刻まれているということだろう。
 物理・魔法どちらに対しても高い防御力を備えた厄介な敵だ。加えてセリナとディアドラが今ひとつ本領を発揮できない閉鎖環境である事も、こちらにとっては不利な要素である。
 本来セリナとディアドラの力量と私の首飾りによる自力の強化があれば、アイアンゴーレムの魔法防御を突破する攻撃魔法を扱える筈だ。
だがこの閉鎖環境と私とジーノさんがアイアンゴーレムに接近戦を挑んでいる位置関係から、然したる威力の無い下位魔法で援護するに留まっている。
 これが何年も行動を共にし、呼吸がぴったりと合う様なパーティーであったらもっと戦い様もあったろうが、それは望むべくもない。
 唸るアイアンゴーレムの剛腕は風を切る音も豪快で、かすめただけでも首から上を持って行ってしまいそうだ。
 精霊石の放つ光を跳ね返し、二本のグレートソードは烈風の荒々しさと疾風の速さで振り回されている。本来両手で扱う武器であるグレートソードを、枝を振りまわす様に軽々と扱うのは、人間には到底真似できない芸当だ。
 アイアンゴーレムは標的をジーノさんに搾った様で、私の事はほとんど無視し、両腕のグレートソードで絶え間なくジーノさんに斬りかかっている。
 人間のジーノさんと違って、無機物であるアイアンゴーレムは悲鳴を上げて息を切らす肺腑もないし、蓄積した疲労に動きが鈍る事も筋肉や骨格が損傷する事もない。生物ではない事の利点がゴーレムに共通する厄介な点であった。

 私も時折槍に魔法を織り交ぜてアイアンゴーレムに攻撃を加えるが、さしたる効果は今のところ確認できない。
 アイアンゴーレムの動きは私の目から見て、ジーノさんにはわずかに及ばないが、圧倒的な防御力と膂力、無尽蔵のスタミナを兼ね備えていれば技量の差はいくらでも埋めようがあるというもの。
 徐々にジーノさんの身体に小さな傷が増え、一瞬の判断を誤れば即座に死に繋がる緊張感は凄まじい勢いでジーノさんの集中力と疲労を奪っている。
 それをディアドラのアースヒールで回復することで補い、私達はかろうじて均衡状態を維持していた。

「このゴーレム強すぎよ。私とセリナさんの魔法がほとんど効いてないじゃない。ジーノさん、こんな奴放っておいて村に帰ろうよ」

 アイリがいまにも泣き出しそうな顔で叫ぶと、ジーノさんも流石にこれ以上戦闘を続けるのは難しいと考えたのか、アイアンゴーレムのグレートソードの間合いから逃れ、油断なくロングソードを構えたまま逡巡する様子を見せる。
 セリナとディアドラはあっという間にこの状況を変えられる力を持つ私に視線を送り、私がどう動くつもりなのかを観察していた。
 ふむ、どうするか。アイアンゴーレムに刻まれた魔法文字の所在が分かれば、私が力を解放しなくともアイアンゴーレムを打破する手もあるだろうが。
 これまでアイアンゴーレムを観察した所、三メル近い巨躯にはそれらしい文字は刻まれてはいなかった。となるとグレートソードを握っている掌の様な、私達の目につかない位置に刻まれていると言う事か。
 私はアイアンゴーレムがジーノさん目がけて両手のグレートソードを振り上げるタイミングを見計らい、有無を言わさぬ大声で怒鳴りつける様にセリナとディアドラとアイリに命を下す。
 ちょうど三人に対してアイアンゴーレムが横を向く位置にあった。

「アイリ、セリナ、ディアドラ! ゴーレムの頭部めがけて何でも構わん、魔法を撃て!」

 同時に私もゴーレムの背後から駆けよって、左手に純粋な魔力を集中させながら詠唱に入る。
 私の怒声を浴びた三人は余計な思考を挟まず、ほとんど反射的に詠唱を破棄して即座にエナジーボルトやウォータージャベリンを行使し、私の指示通りアイアンゴーレムの頭部に攻撃魔法を集中させる。
 アイアンゴーレムの左側頭部を水と純魔力で構成された攻撃魔法が直撃し、アイアンゴーレムの本体に触れる寸前で耐魔法の防御膜が作動する事によってダメージを尽く遮断される。
 だが着弾の衝撃までは防ぎきれず、アイアンゴーレムが今度はたたらを踏んだだけでは済まずに、その場で大きく体勢を崩して重量物の横転する重々しい音と地響きと共に倒れ込む。
 私はすかさず倒れ込んだアイアンゴーレムの足の底に目をやり、幸運にも鉄の巨体に魔法文字が深く刻み込まれているのを認めた。
 この扉の守りをするだけなら足底の摩耗はほとんど気にせずに済むだろう。それにしてもよくもこんな場所に刻み込んだものだと、半ばあきれ半ば感心する。

「悪いがお前の役目は今日で終わりだ。一時の眠りに就くが良い。エナジーショック!」

 素早く倒れ込んだアイアンゴーレムの足元に駆け寄った私は、左足の底に刻まれている魔法文字の一文字を精密に狙い、魔力を衝撃に変える初歩魔法を叩き込む。
 “真理”を意味する魔法文字は一文字を削ることで“死んだ”を意味する言葉とへ変わり、ゴーレムはその活動を停止する。私がエナジーショックで破壊したのはその致命となる一文字であった。
 見えない魔力の衝撃がわずかに一文字魔法文字を削るのと同時に、アイアンゴーレムを活動させていた魔法の術式が停止し、鉄の巨体から醸し出されていた無言の迫力と断固たる創造者の意思が霧散するのを感じた。
 アイアンゴーレムが完全に動きを止めるのを、数秒待って確認して私はゆっくりと立ち上がり、緊張した顔をしているジーノさんやセリナ達の顔を順々に見回す。

「片付いた。魔法文字が刻まれていたのが掌で無くて助かったと言ったところだな」

 肩を竦めて言う私に、私以外の全員、アイアンゴーレムとの戦いを楽しんでいた節のあるジーノさんさえ脱力して、大きな溜息を吐いた。強敵を倒して緊張の糸が切れたのもあるだろうが、それ以外にも私の発言に溜息を着いた感じがする
 解せぬ。
 私が口にしたのは嘘偽りの無い本音である。なのになぜこうも呆れられた様な雰囲気になると言うのか。やはりこのアイリ曰くけろっとした顔が良くないのだろうか。
 しかしけろっとしたとは具体的にどんな顔だ。いや、そもそもけろっとした、とはなんだ? けろ? カエルか?
 私の悩みなど他所に、ジーノさんがロングソードの切っ先で倒れ込んだアイアンゴーレムを突きながら、疲れた様子のアイリ達を振り返って訪ねた。

「で、どうするよ。村に戻るかこのまま先に進むのか。ドランは?」

「当然扉の先に進む。それに扉の先からこのアイアンゴーレムの様な魔力は感じられない。単に動いていないだけかもしれないが、もしこれと同じようなのがいたらその時は逃げればいい」

 生憎とこの未知の場所への探求心で胸を満たしている私は、多少の疲労はあったがここで村に戻ると言う選択肢を取るつもりは微塵もない。私がそう言うつもりだと分かれば、セリナとディアドラも苦笑を一つ零すだけで、私と一緒に行くと言ってくれた。

「私はドランくんと一緒に行きます。まだまだ魔力も残っていますし、扉の先に何があるのか気になりますから」

「私もセリナと同意見。どうせなら一度で用件を済ませましょう。行ける所まで行って駄目な様ならさっさと戻ればいいのよ。ただアイリはここで待っているか村に戻った方が良いかもしれないわね。戻るなら私が付き添っていくわ」

「い、いいわよ。皆がそう言うんなら私だってついてゆくわ。ドランを放って村に帰るつもりなんてないもん!」

 強がりとは分かったが言い聞かせても聞かない顔になっているアイリに、私は微笑みかけてアイリの赤い髪を撫でた。こっそり私の生命力を微量供給し、アイリの肉体的な疲労を完全に回復させておく。

「ありがとう、アイリ。アイリが一緒なら心強いな」

 私に頭を撫でられるアイリは顔を赤くしてそっぽを向く。やや青ざめていた顔色は私が供給する生命力を受けて、血色の良いものになっている。

「そ、そうでしょ。ドランは私が一緒じゃないとね!」

 そんな素直ではないアイリの様子を見て、私がアイリを撫でるのを羨ましげに見ていたディアドラとセリナは、顔を見合わせて微笑んでいた。
 体力と気力を取り戻したアイリと共に私達は、地上への入口同様に石の扉に施されていた魔法の錠を解除し、扉の先へと進んだのだがそこから先はがらりと様相を変えていた。
 これまで殺風景だった石の光景は、クリスタルのシャンデリアが天井に吊るされ、足元には真紅のカーペットが敷かれたホールへと変わっていたのである。
 半円形のホールには木製の六つの扉が続いており、私達は扉を一つずつ開いて先へと進んだのだが、残念ながら扉の先の部屋は閑散としていて何もなく、壁に飾られた絵画や廊下に置かれる花瓶や美術品の類も見受けられなかった。
 宝箱や衣裳棚、書斎、食糧庫、物置、あのゴーレムを作成したと思しい作業場などもなく、これといった収穫物が見つけられないまま五つの扉とその先の部屋を調べ終わってしまう。
 一旦ホールで軽く休憩を取り、持ってきていた革袋の水筒を口にして喉の渇きを潤しておく。ベルトに吊るしたポーチから取り出した干し肉を食べ終えたジーノさんが、最後の扉を前に口を開いた。

「さてとこっから先を調べたら、ここの冒険も終わりだ。ドランの言うとおりあのゴーレムの同類は居なかったが、これで最後だからって気を抜くな」

 最後の六つ目の扉にも特に魔法の錠は掛けられておらず、私達はジーノさんを先頭に扉を開いてその先へと進んだ。

「お、こりゃ最後に当たりを引いたか?」

 最初に奥へと進んだジーノさんの呟きももっともで、扉を開いた先には部屋の中央に敷かれたカーペットの左右に何列もの書棚が並び、扉の正面の先には用途不明の管が四方に伸びた金属製の大小の箱や、壁に立てかけられた棺の様な箱が設置されている。
 私達が足を踏み入れると自動で天井に埋め込まれていた巨大な光精石が白い光を発し、部屋から暗闇を取り払う。
 光の精霊によって暴き立てられた部屋の中を見渡していると、なにか巨大な卵の様な物体が目を引く。白く濁った不透過性の水晶が卵の殻の様に壁に埋め込まれる様に設置されていて、その中に何かを隠しているように見える。

「きゃ、あ、あれ骸骨よ」

 小さな悲鳴を上げるアイリが指差す先を見れば、卵に向かって手を伸ばした姿勢で赤いカーペットに倒れ込んだ、深紫色のローブを纏った白骨死体を私は見つけた。
 怖がるアイリをディアドラとセリナが抱きしめてぬくもりを伝えることで慰める中、私とジーノさんは素早く白骨死体の傍らに膝を着いてその状態を検分する。
 おそらくはこの地下の空間を創造したと思しい白骨死体殿は、絹様の高度な防御魔法や生地の劣化を防ぐ魔法が施された恐ろしく高価だろうローブを纏い、首には大振りの魔晶石をはじめ、各種の精霊石をあしらった首飾りを何重にも巻いている。
 卵(?)らしき物体に向けて手を伸ばしたまま息を絶えたその姿からは、執念の様なものも感じられる。
 白骨死体殿の所まで来て左右を見渡すと非常に大きな作業台と思しいテーブルがあり、その周囲ではナイフや大小のハンマー、造りかけのゴーレムのパーツ、ゴーレムの材料と思しい金属の塊などが床にも転がり落ちている。

「ジーノさん、その骸骨の持ち物には触らない方がいい。なにか魔法の罠が仕掛けられていてもおかしくはない」

「だな。おれも前に痛い目に遭っているからな、下手にはいじらないさ。何かここの事が分かる様なものはないかね」

「セリナ、ディアドラ、アイリと一緒にホールで休んでいてくれ。私とジーノさんで調べておく」

 今度ばかりは私に反発する事もなくアイリは素直に頷き、セリナとディアドラもアイリに付き添ってホールの方へと引き返す。
 普段なら白骨死体くらいであそこまでアイリが動じることもないだろうが、今日は慣れぬ地下空間にアイアンゴーレムと言う強敵、と普通ではない事が続いたせいで、少し参っているのだろう。
 さきほど私が生命力を譲渡したとはいえ、根源的に精神の疲労を癒すのは難しい。
 私は白骨死体殿の近くにざっと視線を巡らして、なにか日記帳の様なものでも落ちていないかと探してみるが、黄ばんでほとんど文字が読めなくなった羊皮紙や空になった酒瓶やガラス瓶、空になった壺らしいものが転がっている。
 ふむ、ガラス瓶は村では貴重だ。後で拾って持ち帰るとしよう。ああそうだ、灯りになっている光精石も。

 見れば卵の左右には機能を停止している先ほどのアイアンゴーレムと同じゴーレムが二体ずつ壁際に並んでおり、それぞれが大盾と槍、斧、剣、鎖付きの鉄球であるフレイルで武装している。
今のところは起動する様子は見られないが、この場で動き出したら撤退を余儀なくされるだろう。
 下手に罠に触れない為にも室内の調査は慎重にならなければなるまい。私はジーノさんに気付かれない様に声帯と口腔、肺の一部を竜のそれに作り変え、咽喉奥で低く唸る様に竜語魔法を唱える。
 空間に残されている記憶を読み取り、同時に室内に私達にとって害となる類の罠が設置されているかを確認し、それらが発動する前に壊れる様にイメージを組み上げて室内に作用させる。

 竜語魔法にはこのように理路整然とした術式を用いずに、思い描いた事を現実に反映させるものが多い。非常に便利だが世界の法則それ自体に直接作用する為、魂と肉体に掛る負担が大きいのが欠点だ。
 ここは白骨死体殿にとって最後の砦だったのか室内に罠の類は設置されていない。竜語魔法による調査の結果、この石づくりの地下空間は、少なくとも五十年は昔に作られた場所の様だ。
 室内の左右に広がる書棚を見まわし、びっしりと納められている書籍の背表紙や巻き物の題名を調べて手がかりになりそうなものを探す。はるか古代の魔道書らしいものもあり、少し力を込めるだけで壊れてしまいそうな年代品が多い。
 私はこっそり魔力によるコーティングを施してそれらの書籍や巻き物を保護しておく。これらは後で村に持ち帰り、全て目を通しておく事としよう。
 これだけの書籍だ。私が得られる知識は膨大で、村への貢献も計り知れないものがある。白骨死体殿がまた転生していない様であったら、冥界に赴いてきちんと持ち主から許可を取る事にしよう。

 ジーノさんは作業台の上の作業道具や起動していないゴーレムを調べている様だが、下手に手は出さずに眺めるに留めている。
 何かをいじっても罠それ自体がないので危険はないのだが、私がそれを知っている理由を説明できないので黙っておくしかない。なんとももどかしいが私の魂の正体を知らせていない以上は止むを得ない。
 壁には収納用のスペースが設けられていて、そこには魔晶石や精霊石の塊が納められた箱や、魔法や錬金術の触媒となる希少な材料が収納されている。これらを金銭に変えればベルン村は五年、いや十年は楽に暮らして行けるのではないか。
 宝物の山を見つけた事に私が内心で小躍りしたい気分になっていると、壁際のスペースの一カ所に乱雑に積まれていた書籍の一つが、白骨死体殿の日記である事が分かった。
 多少申し訳なく思わないでもなかったが、私は分厚い日記のページを勢いよくぱらぱらとめくって二つ数える間に全ての内容に目を通し終える。
 速読という便利な読み方である。ついでに私は元が竜族と言う事もあって、一度記憶したものを全く忘れずに記憶し続ける事が出来た。
 私は日記帳を手に持ったまま卵の前まで歩み寄り、足元の部分に菱形の水晶が埋め込まれているのを確認する。

「ドラン、なにかあったか?」

 私はジーノさんに日記帳を渡して、片膝を着いて菱形の水晶に手をかざし、ジーノさんは私から渡された日記帳に目を通し始める。

「あの白骨死体殿は五十年以上前に王宮に勤めていた高位の宮廷魔導師だったらしい。早くに妻君を亡くし、残った娘と共に暮らしていたがその娘もある日死んでしまった」

 ジーノさんは日記帳をめくる手を止めて、黙って私の話に耳を傾けている。その間、私は菱形水晶に手をかざして魔力を流し込み、日記帳に記されていた手順と空間の記録から読み取った手順を整合して正しい手順を踏んでゆく。

「唯一の拠り所だった娘を亡くした白骨死体殿――イシェル・レイゼルは、王宮を去り死んだ娘を生き返らせる研究に没頭。ただ宮廷魔導師を勤め上げるほどの高位の魔法使いであった彼は、冥府の神に娘を生き返らせてもらうのではなく、自分で娘を生き返らせる方法を選んだ」

 地上に生きるあらゆる命が、生前の罪を裁かれそれに相応しい処遇を受ける冥界を管理する神を信仰する宗教の最高位に近い神官や、あるいは冥界の神に近しい神に働きかけて貰う事で、様々な条件付きではあるが死者が蘇生する例は確かに存在する。
 それらの蘇生法はあくまで神と言うこの世界を創造した絶対者の力を借りることを前提とする。だがイシェルという魔法使いは、それを由とせず自らの手で愛する娘を蘇らせる事に執着し腐心したようであった。
 どうして手段に拘ったのかは、私には今一つ理解の及ばぬ事ではあったが、イシェルがどれだけ一人娘を愛し、そして愛ゆえに狂ってしまったのかは日記帳の内容を見ればこちらの胸が苦しくなるほどに分かる。
 父母や兄弟を失った時、私もこの白骨死体へと変わった魔法使いと同じような事をしないとは、言いきれない。

「それで、娘はどうなったんだ、ドラン?」

 私は首を横に振るってその結果を暗にジーノさんに伝える。

「イシェルは王国の領内でも有数の魔力の集積地であるこの荒野に、古代の建築用魔法具などを用いて地下の空間を建設し、誰の手も借りずに自分ひとりで娘を生き返らせる研究に没頭したらしい。薬で無理矢理延命を重ねながら彼が選んだ方法は、娘の人格と記憶をゴーレムに移植することで、もう二度と死なない娘として蘇らせる事だった」

「そうか、人間として生き返らせてもまた何かの拍子に死ぬかもしれない。だけどゴーレムとして蘇らせれば、病気になる事もないし年を取る事もなくなる。ある意味不老不死みたいなもんか。でもよ、人間の心ってそう簡単に移したり取り換えたりできるもんか?」

「簡単ではない。かつての創造神ならともかく人間の手には余る所業だ。イシェルは持てる知識と技術と魔法具の全てを使って、生前の娘の姿をした完璧な器のゴーレムを作りだした。だがいざ目を覚ました娘のゴーレムは、なにも憶えてはいなかった。予めイシェルが与えておいた自分の知識を除いては」

 正しく起動手順を終えた私は目の前の卵型のゆりかごが、ゆっくりと開いてゆくのを見守る。ゆっくりと開かれてゆくゆりかごの中には、敷き詰められた赤いクッションの中で膝を抱えて眠る様に目を閉じる少女の姿があった。
 ジーノさんはその少女がイシェルの作った娘のゴーレムである事に気付いて、はっと息を呑む。

「姿は娘でも、その中身がゴーレムに過ぎなかった事に落胆したイシェルだが、娘の姿をしたゴーレムを破棄する事が出来ずにこうしてこのゆりかごに眠らせるに留めた。それから自分は今度こそ娘を生き返らせようとしたが、願いは叶わず病に倒れてしまったのだろう」

 無理を重ねて病に倒れたか寿命の尽きたイシェルは私とジーノさんの背後に倒れる白骨死体と変わり、ゆりかごで眠りについたゴーレムはいま私達の目の前で閉ざしていた瞼を開こうとしていた。
 百六十シル(約百四十四センチ)ほどの小柄な体は未成熟でセリナやディアドラとは比べるべくもなく慎ましいが、青い果実を前にしたように、成熟を待たずに思わず賞味したくなるような背徳的な魅力を纏っている。
 私の掌にわずかに余る位の小ぶりな乳房と、下半身の恥部だけを危うく隠す扇情的な白い衣装を纏う少女は、十四、五歳のあどけなさを残した顔立ちだ。
 健康的な小麦色の肌に背の半ばほどまで伸びた雪色の長髪は、左右の側頭部で細く三つ編みにして垂らされ、三つ編みの先端は金糸の刺繍が施された青いリボンが結われている。 
 雪色の髪が少女ゴーレムの起動に合わせて、絹糸の様に美しい光沢を纏いさらさらと華奢な肩を滑り落ちる。
 細く長いまつげを震わせながら開かれたアーモンド形の目には黄金の輝きが灯り、無垢な瞳が私の顔をまっすぐに見つめる。
 花弁を唇の形に切り抜いて張り付けた様な唇が震える様にして動き、感情が僅かもにじまない淡々とした単調な声が少女ゴーレムから紡がれた。

「おはようございます。イシェル・レイゼル作リビングゴーレム、リネット・レイゼルです。お名前をお教え頂けますか、マスター」

「マスター? ドランの事か、なんでまた?」

 イシェルの娘と同じ名前と姿を与えられた少女ゴーレムの視線が、私に向けられている事に気付いたジーノさんが不思議そうな顔で私に訪ねてくる。

「私がイシェルの設定した手順を踏んでリネットを起動させたから、リネットは私をマスターとして認識している。彼女の力はベルン村に色々と役に立つから、目を覚ましてもらった」

 リネットはゆりかごから出ると、私のすぐ前に立つ視線を私に合わせてじぃっと私の青い瞳を見つめてくる。鼻先がくっついてしまいそうな近距離である。少し首を伸ばせば簡単に唇を奪えそうだ。

「マスターのお名前はドランでよろしいですか? よろしければ登録します」

「ああ、ドランで間違っていない」

「了解しました。グランドマスターイシェルからのラストオーダーに従い、リネットはこれよりマスタードランの従属下に入ります」

「イシェル氏のラストオーダーとは?」

「はい。次にリネットが目を覚ました時、リネットを目覚めさせた人物をマスターと認める事、そして幸せになるように、とグランドマスターイシェルはリネットにオーダーを下されました」

 とんとん拍子でリネットと私の話が進む間、物音かあるいは私が魔力を行使したのを感知して、ホールで休んでいた筈のアイリ達が扉を開いて入って来た。
 イシェルの遺骸こそそのままだが、卵型のゆりかごが開きその中から姿を現したと思しいリネットの姿に、アイリ達は一様に警戒の色をそれぞれの美貌に浮かべる。

「ドラン、どうかした!? って、なによその女の人は」

 やにわに眦を釣り上げて不信の目で私を見るアイリに、私はジーノさんに伝えたのと同じ話をし、目の前の少女が今は白骨死体となって床に転がっている魔法使いの遺作である事と、私が起動させてマスターとなった事を伝える。
 セリナとディアドラはお互いに顔を見つめて、ああ、自分達と同じだな、と新しい仲間が増えた事に意味深な笑みを浮かべ、どこか淫らな光をその瞳に宿す。夜の訪れとともに目の前の少女ゴーレムに私から齎されるモノを想像しているのだろう。
 そういった夜の営みが可能なのだろうか、とつい私はリネットの成熟しきらぬ身体をつぶさに観察してしまう。リネットは私の視線を受けてもぴくりとも動じる様子はなかったが、アイリは私の行動が面白くなかったようで、リスのように頬を膨らませてしまう。

「む~~、それでそのリネットさんを村に連れ帰ってどうするのよ」

「当然村の役に立ってもらう。ゴーレムだから疲れ知らずだし、魔物相手の戦いでも頼りになるからな。リネット、君にはこの地下に存在しているゴーレムへの命令権が与えられているとイシェル氏は書き残しているが、間違いはないか?」

「はい、マスタードラン。グランドマスターイシェルはリネットに持てる知識と技術の全てを与えています。ガードゴーレムへの命令権はグランドマスターイシェルが第一位、マスタードランが第二位、リネットが第三位となっています。
 ですがグランドマスターイシェルがお亡くなりになられた為、現在はマスタードランが第一位の命令権をお持ちでいらっしゃいます」

 私に答えるリネットの視線の先には、イシェル氏の遺骸がありそれに気付いたアイリや他の皆が痛ましげな表情を浮かべる。まずはこの遺骸を丁重に弔う事が大切だろう。

「ベルン村の墓地の片隅でよければイシェル氏を弔いたいと思うが、リネット、それで構わないか?」

「リネットはマスタードランのご命令に従います。ですが、グランドマスターイシェルを弔って下さるというのなら、どうかグランドマスターイシェルをよろしくお願いいたします」

 そう言って深く腰を折って頭を下げるリネットは、父を亡くした事実に胸を痛めて悲しむ人間の少女のようにしか見えなかった。
 イシェル氏の遺骸はローブや首飾りはそのままに空になっていた木箱に入れてジーノさんが背負い、リネットの命令で起動した壁際のアイアンゴーレム達に、持ち出せるだけの荷物を持たせる。
 リネットの制御下にあるとはいえあれだけ苦戦させられたアイアンゴーレムが四体も動きだすと、流石にアイリはおろかジーノさんも苦みの強い笑みを浮かべる他なかった。
 私はイシェル氏の左腕の薬指に光る大粒の紫真珠が嵌めこまれた指輪を抜きとり、紐を通して簡単なネックレスにするとリネットの首に掛けた。イシェル氏もこれ位は許してくれるだろう。

「リネット、これは君が持っていなさい。イシェル氏の形見だ」

「ありがとうございます。マスタードラン」

 口では礼の言葉を述べるリネットだが、あいも変わらぬ淡々とした口調だ。先ほどイシェル氏を弔うと伝えた時に見せた、痛ましげな雰囲気は私達の錯覚だったのだろうか。
 私達はイシェル氏の部屋を出て、ホールに繋がる扉を守っていたアイアンゴーレムをリネットの手で再起動させ、足底に私の名前を刻んで立ち上がらせると地上に繋がる階段を昇った。
 正味、中に潜っていた時間は一鐘と言った所だろうか。今から村に戻ると太陽が半ばほど地平線に隠れる時間になるだろう。私達は村を出た時よりもはるかに大所帯・大荷物を持って村へと急いだ。
 帰りの道中リネットがどの程度知識を持っているのか、確認の為に質問を重ね続けていると気付いた時には村の北門に到着しており、門番をしていたガダラおじさんとヘイルさんを随分と驚かせてしまった。
 ただリネットのマスターに私がなった事などを告げると、乾いた笑いと共に呆れを混ぜた視線を向けられた。またドランか、と暗に言われている気がする。まあその通りなので否定はしないし、別に文句もない。

 流石に遅くなっている事もあり、ジーノさんがイシェル氏の遺骨と共に村長に事の次第を伝えるので私達は解散し、リネットと五体のアイアンゴーレムはセリナ達の物置小屋に取り敢えずは預ける事になった。
 それを告げるとリネットはマスターである私の傍に居たいと希望を申し出たが、我が家にはそこまでのスペースはない為、ここはなんとか言い含めて物置小屋で待っていてもらう事にする。
 帰りにお土産用に狩っておいたハリイタチとツラヌキウサギを手に私は我が家へと帰宅した。リネット達に関する詳しい説明は明日村長にし、それから村の皆にする事になるだろう。
 つい先日ドリアードのディアドラが来たばかりだと言うのにもう次の移住者が来たのだから、早いペースで魔物の人口が増えている計算になる。
 まあ、しばらくは魔法薬の材料の栽培や調合、イシェル氏の残した魔道書などの調査に時間を費やすからあまり村の外に出る時間はなくなるだろう。
 私はラギィおばさんから買った品を見せ合う家族の姿に心を癒されながら、これからのベルン村の未来図について思いを馳せていた。

 さてその夜の事である。私は例の如く家をこっそり抜け出して、リネットを預けてあるセリナ達の小屋を訪れた。虫の鳴き声と時折吹く風が木々を揺らす音以外は、静かな夜である。
 武装したアイアンゴーレム五体が小屋の外で整然と整列している姿は、事情を知らない村の人達が見つけたら腰を抜かしかねないな。
 小屋の扉をノックし、返事を待ってから中へ入れば流石に絡み合う事もなくセリナとディアドラが藁のクッションの上に行儀よく座り、リネットは椅子の代わりに何脚か持ち込まれていた木箱の上に腰かけていた。

「セリナ、ディアドラ、リネット、待たせたかな。今日はお疲れさま」

「いいえ、ドラン様、そんなことはありません」

「ところでその、今日もするのは構わないんだけど、リネットはどうするの? 外に出ていてもらう? 流石に私は見られながらっていうのは少し……」

 嬉しそうに蛇の尻尾の先端を犬のように左右に振るセリナは、リネットの事をさして気に留めていないようだが、ディアドラは私がリネットをどうするのか気になって仕方がない様である。
 確かに三人でなら夜を共にした事はあるが、余人に見られながらというのは未経験だ。
 何事も経験と考える私ではあるが、遠慮したいと感じるものもある。ふむ、リネットには外で待っていてもらおうか。
 私が顎に指を添えて考え込んでいるとそれまで私達のやり取りを見ていたリネットがおもむろに立ち上がる。

「皆さんのお邪魔になるようでしたら、リネットは外に出てご命令があるまで待機しています。ただその前にマスタードランに活動用魔力の補充をお願いします」

「活動用魔力か、起動させた時に注いだ分では足りんか?」

「あれはあくまでゆりかごを起動させる為のものですので、起動後の活動を維持する為には別途魔力が必要となります。既にマスタードランとリネットとの間に魔力ラインが繋がっていますが、最も効率的に魔力の提供を受ける方法が別にあります」

 リネットは私のすぐ前まで歩いてくると、小ぶりな乳房と恥部を覆う面積の少ない下半身の布地に手をかけて、躊躇なく脱ぎ捨てた。セリナとディアドラが、あ、と小さく驚いた声を上げる。
 私の目の前に小麦色のなだらかな双丘の頂にある小さな肉粒や、ほとんど無毛に近い精巧に再現された股間部までが私達の目の前で露わになる。
リネットの顔には羞恥の色は浮かんでおらず、月明かりの中に浮かび上がるリネットの裸身は、人の手が産んだ奇跡の様な芸術品に見えた。それほどまでに神秘的な美しさであった。

「ふむ。美しいよ、リネット」

「ありがとうございます、マスタードラン。リネットの体には擬似生殖器が存在しています。マスタードランの生殖器をリネットの擬似生殖器に挿入後、精液を放出してください。リネットの擬似生殖器で精液を活動用の魔力に変換いたします。マスタードランは既に生殖行為が可能な年齢でしょうか?」

 私は微笑を浮かべ衣服を脱ぎ棄てて全裸になり、裸身を晒すリネットを抱き寄せて囁いた。

「そなたの身体で確かめると良い」

 私はリネットの唇を躊躇なく吸った。かすかに甘い香りがする。柔らかなその感触はリネットが人の手から成るゴーレムである事を忘れさせるもので、イシェル氏の技量の凄まじさを物語る。
 しかし娘の姿を模したゴーレムに生殖器まで再現するとは、イシェル氏が魔法使いとしての職人気質から徹底的に完璧さを求めたからか、娘を外見ばかりでなく体内まで再現しようとしたからなのか。
 私の脳裏には様々な推測が浮かび上がっては消えたが、私に答えるように小さな舌を伸ばしてきたリネットの健気さに、私は余計な事を考えるのは無粋と、リネットの舌に自分の舌を絡める事に集中した。

「ふう」

 と私は一仕事を終えて満足げに溜息を吐く父の真似をして、痺れるような快楽の余韻を味わいながらひとつ零した。
 リネットの使っていた木箱に腰かけた私に、それまで見物に徹していたセリナとディアドラが私にしなだれかかり、私達の足元に倒れ伏しているリネットに同情と羨望の視線を送っている。

「ドラン様、はじめてのリネットちゃんに少し無理をさせ過ぎではありませんか」

「そうか? いや、この様子を見ればそうであったと認める他ないな」

 苦笑を浮かべる私の視線の先では、下半身を中心に白く汚したリネッがト茫然自失とした様子で、焦点の合っていない瞳で天井をぼんやりと見つめている。
 私の呼びかけに応じる様子もなく、擬似生殖器とその奥にある擬似子宮を満たしている私の精の魔力への変換が追いついていないのだろう。
 セリナやディアドラの様なたわわに実った身体とは違い、青さを残した未成熟なリネットの身体は新鮮で、味わいの違うものであったから少しばかり無理をさせてしまったようだ。
 次からは気をつけよう、と私がうむと反省をしていると私の両肩にしながれかかり、腕を絡めていたセリナが私の耳を二股に裂けた舌で舐め上げ、ディアドラは私に右手を取って自分の乳房に宛がう。二人の身体が熱く昂っているのが感じられる。

「ドラン様、私達にもお情けをください」

「その、まだできるでしょう?」

 私の答えはもちろん決まっていた。

<続>

ゴーレムが複数体手に入ったので、ベルン村の戦力激増とドランのモンスター娘ハーレムに一名追加の回でした。
ゴーレムに二票入っていたのとありかも、と思えたので急遽ゴーレム娘をねじ込みました。なんだかアンドロイドみたいな感じになっている気がしなくもない。
あとホブゴブリンを調べてみたら意外にも善良な妖精とするお話もあったので、じゃあたまにはホブゴブリンが悪役でない話があってもいいだろう、とさようなら世界では人類の友好種族ポジションに落ち着きました。
次のモンスター娘までは間が空く予定で、しばらくはラミア、ドリアード、ゴーレムの三人で行って、ベルン村発展フェイズですね。

女性キャラの胸の大きさについて。
ミウが100ちょいでリシャ辺りから90を越える位です。リネットが膨らみ始め、アイリはぺったんこ。
ミウ>ディナ≧ミル>リシャ>セリナ≧ディアドラ>アゼルナ>リネット>アイリ

青年編について
 う~ん、そこまで長くはやらない予定です。長くても二年か三年後くらいまでですかね。エピローグとかでちょろっと描写する位でしょうか。青年になっていたら子供が二十人か三十人ぐらいは産まれている事でしょう。

ミルのハーレム入りについて
 入ってもいいし入らなくてもよい立場にあるキャラなので可能性は半々と言ったところでしょうか。ただまあ、有りかなあ、というのが今の私の心境です。

アラクネについて
 アラクネの糸で織った衣服とかは魅力的ですし、全く可能性がないわけではないのですが、やろうと思えばやれる位に今は考えています。アラクネに対して凶悪というイメージを抱いており、村に住まわせるにはどうすればいいんだろう? と頭を捻っています。

 言われてみると確かにエルフをモンスター娘にカウントしてしまっても良いものなのでしょうか? 判断がつきませぬ。

ドランは人間式巨像兵創造(ゴーレムクリエイション)初級を覚えた。
ドランは人間式付与魔法(エンチャントマジック)初級を覚えた。
ドランは人間式魔法具作成(マジックアイテムクリエイション)初級を覚えた。

・ベルン村 
規模:魔物の住む農村←NEW 
人口:百五十人+魔物三体(+一体)←NEW+アイアンゴーレム五体←NEW!

10/2 10:18 投稿 
    14:27 雪兎さまからのご指摘あった誤字脱字など修正。ありがとうございました。
20:35 くらん様からご指摘のあった誤字脱字を修正。ありがとうございました。

10/6 08:31 誤字脱字修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑨
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/06 23:28
さようなら竜生 こんにちは人生⑨


 イシェル・レイゼルという魔法使いが、亡くした愛娘を今一度己の腕に抱かんと妄執と狂気と知識と技術の果てに生み出した、永遠に年を取らないゴーレムの少女リネット。
 病む事も老いる事もなくイシェルの魂に残る娘の姿のまま永劫を歩む筈だったリネットは、しかしその心にイシェルの娘が宿る事はなく、創造主であるイシェルにいつ醒めるとも知らぬ眠りにつかされていた。
 そのリネットを発見し、目覚めさせて主従の契約を結んだ翌朝の事。
 私は朝食を済ませた後、村長の家を目指してまだ陽が昇ってさして時間の立っていない、肌に冷たさを感じる空気の中を歩いていた。
 冬の残滓は全て春の陽気にすべて追い払われたと思っていたが、なかなかどうして冬も頑固なもので、夜から朝へと変わるわずかな時間や太陽が雲に遮られて世界が灰色に包まれた時などに、ひょいと顔を出して私達の頬を撫でてからかっている。
 ふむ、と私はいつもの口癖を一つ。

「やはり、セリナの服をなんとかせねば」

 総じて蛇の特徴を持つ魔物は寒さに弱い。砂漠などの一部の環境に住む者を除き、ラミア種は冬の寒気を住まいの奥深くで冬眠する事によって過ごす事が多い。
 温かな空気で満たされる様に調整された迷宮の奥深くなどであればともかく、ベルン村では冬ともなれば皮膚を赤く変える容赦のない冷気に包まれ、空からは美しく冷たい白雪がしんしんと降ってくる。
 冬が来たらセリナは十中八九冬眠する事になるだろう。まあ、それは私が渡した首飾りの力で、冬の寒気からセリナを守ればよいだけの話。
 私が春先とはいえ冷え込む朝の空気から薄着ではまだまだ寒い、と感じた事から連想したのは、数日前から懸念事項として頭の片隅に常にあったセリナの衣服の問題である。
 セリナの一族の掟によって裸一貫で家を出たセリナは私と初めて出会った時、何も身に纏わずまだあどけなさを残す美貌に不釣り合いな豊満な裸身を晒していて、衣服はおろか食料品の類も持ち合わせてはいなかった。

 私とセリナが再会した時には沼地にあったかつてのリザード族の集落で見つけた襤褸のマントを着ていたが、それが今でも続いており十六になったばかりと言う若い身空の娘が、襤褸のマントを着たきりなのである。
 いくらなんでもそれを不憫と感じる程度には、私にも人間的な感性と常識は養われている。ましてやセリナは私と唯一無二の主人と愛慕してくれているのだ。
 そんなセリナの為に何かしてあげられる事はないかと私が頭を悩ませるのも、当然の成り行きであろう。
 幸いマントはもうしばらく着用にも耐えそうであるが、セリナに対する申し訳なさや憐憫以外にも私が服を融通しなければと思う理由があった。
 セリナが村に来て数日が経過し、村の皆もセリナの大蛇の下半身を目にしても全く動揺しなくなった事は非常に喜ばしいのだが、一方で下半身が気にならなくなったことで、セリナの人間としての滅多に見る事の出来ない美貌に気付くものが増えて来たのである。

 青く濡れた満月を思わせる瞳は縦に窄まり蛇のそれと酷似し、時折愛らしい小ぶりな赤い唇から零れる健康的な桃色の舌は細長く先端が二股に分かれている。
 人間の上半身にも蛇の特徴を持つセリナであるが、それらの人間として不自然な部位が全く気にならぬほど、その顔立ちは少女の幼さを残しながらも高名な画家が入魂の筆を振るったかの如く美しく整い、美貌に残る幼さに反して肉体は豊かでいっそ淫らでさえある。
 完全に蛇の胴体へと変わる部分より上にある人間の恥部を隠す下履きや、動く度に大きく揺れ弾む双丘の乳房を抑え込む胸着も身に着けていないセリナである。
 セリナの美貌に気付いた人からすれば、襤褸のマント一枚を纏っているだけのセリナはあまりにも危うい恰好で、マントの布地一枚の下に隠されている極上の美少女の裸身に、気を惹かれぬものはごくわずかだ。

 セリナと一緒に村の中を歩いている時や外に出た狩りから戻って来た時、川で他の子供たちと水遊びをしている時などに、通りかかった村の男連中は鼻の下を良く伸ばしているし、時折女性達の中にもセリナのほとんど完璧な身体に、羨望の眼差しを向けている事もある。
 女性陣の羨望とわずかな嫉妬混じりの眼差しはともかく、男連中の欲情混じりの視線は私にとって断じて許容できないものだ。
 私自身がセリナと初めて出会った時、散々にセリナを弄んでおきながら身勝手なことだと我ながらに呆れるものだが、今の私にとってセリナが私以外の男の欲情の目線に触れる事は、なんとしても避けたい忌事なのである。
 竜であった頃では考えられない強烈な独占欲に、私はそれを自覚した当初は随分と驚いたものだが、それだけセリナが私にとって特別である事は間違いがなかったから、セリナが私だけのもの、という欲望は素直に認められた。

 しかし魔法医師の弟子であるとはいえ、所詮私はまだ十歳の少々変わった子供である。私の手持ちの財産で女性一人分の衣服など購える筈もなく、父母に我儘を言うわけにもいかぬ。
 村の人達に内緒でセリナに衣服を融通するにしても、次はどうやってその衣服をセリナが手に入れたかという疑問が、周囲の人々の間で出てくるのは間違いない。
 信用こそ置かれる様になったとはいえ、やはりセリナは魔物であるからなにか不祥事が起きた時に、魔物であることを理由に加速度的に排斥の声が大きくなる危険性がある事は否定できない。
 私の贔屓目もあるだろうがベルン村の人々は、過酷な辺境での生活の中にあって互いを助けあう事、支え合う事、慈しみ合う事を忘れていないと思う。
でなければいくら村にとって有益であるとはいえ、ラミアという協力で危険な魔物を受け入れはすまい。

 大女神の神託と言うお墨付きがあるにせよ、それはあくまでレティシャさんの言によるもので、ただの村人達にとって神の声を直に聞く機会など一生のうちに一度とてあるものではない。
 それよりも自己の中で勝手に大きくなる猜疑心や恐怖の方がよほど強いだろうから、普通の村であったら、セリナの穏和な性格が理解できるまでラミアを村に入れる事も、そもそも迎い入れる事もないだろう。
 そういった意味でベルン村の人々は希少といえる。そんな村の皆に要らぬ疑いを抱かせてしまうような真似は避けたいのが、私の本音だ。
 セリナに服を着せてあげたい。だからといって、私がなにかして要らぬ疑惑を村の人達に抱かせるわけにも行かない。しかしセリナに向けられる熱っぽい視線は一刻も早く遮断してしまいたいと言うのもまた事実。

 あれやこれやと考えても次々と問題が浮かび上がり、私自身の抱く欲望が簡単には妥協を認めないから、私は随分と頭を悩ませる事になってしまった。
 まったく竜であった頃には考えられなかった、なんとささやかで贅沢な、それでいて難しい事極まりない悩ましい問題であることか。
 とりあえず悩んでばかりいても仕方がない。一番まっとうかつ問題なく衣服を手に入れる手段は、ラギィおばさんに用意してもらうかガロアに出向いて衣服を購入するか、布地を購入して裁縫することだ。
 となるとまず何よりも必要になってくるのはお金だ。
 人間の社会や文明がどれだけ発達と衰退、勃興と滅亡を繰り返しても常に人間世界を動かす中心の一つであった代物である。
 竜として生きていた頃には本能的に財物を集めたりはしたが、結局使う事などなくその価値を正確に把握するでもなく何とはなしに、その時々の塒の片隅に山と積んでいた。

 だが人間として生まれ変わり僻村のつつましい暮らしを見て来た私にとって、見向きもしていなかった宝物や財貨が人間達にとってどれだけ価値のあるものかを、いまになってようやく痛いほど身に沁みて理解した。
 もし竜であった当時に戻れるなら、私は塒の片隅に山と積んで時折干渉するだけで放置していた昔の私に、全力で拳を叩き込んで説教をすることだろう。
 かつて私が収集した財宝があればベルン村の人達が、どれだけ豊かで楽な暮らしが出来る事か。
 いやベルン村だけではなく、近隣の村々も恩恵に預かる事が出来て、地を舐める様な思いで暮らす人々がどれだけ減る事か。
 無論、ただ贅沢に暮らす事が必ずしも幸福に繋がるわけではないが、それでもいざという時に人間社会の中でものを言うのが財物である事は紛れもない事実。

 いまになってはどうしてベルン村の近くに塒を作り、財宝を残しておかなかったと後悔することしきりである。
 如何せん勇者達に私を殺させた頃になると、私は本能でさえすっかり摩耗してしまって、昔は興味を惹かれた様な財宝を前にしてもまるで興味を抱けず、塒の中に一切財宝を溜め込んではいなかった。
 それまで溜め込んだ分の財宝は適当に若い竜達にくれてやったり、困窮していた人間や亜人の村に無償で与えたりしたものだから、勇者達が踏み込んだ私の最後の塒はこれ以上ないほど綺麗さっぱりとしていたものだ。
 そのような経緯から竜時代に蓄えた財宝は一切宛てにならないのが現状である。地面を掘ったら出て来たとか、苦しいが言い訳のしようもまだあったのに、過去の自分の行いが悔やまれてならない。

 目下私がお金を稼ぐ方法は、日々の手伝いから得られる小遣い、時折ガロアに魔法薬や動物の毛皮、牙などと一緒に下ろしている手製の民芸品の売上の二つである。
 民芸品と言っても私と同年代の子供らから大人に至るまでが、主に木を彫って作る動物などをモチーフとしたつくる簡単な彫刻品で、何の魔法の力も込められていないし、極めて微々たる額で取引されている。
 幸い私の作品は一度没頭すると周りが見えなくなるのと、凝り性である事が相まって非常に高品質かつ精妙な物で売りに出せば必ず完売となる。
 ただし私が納得のゆくまで例えば動物の彫刻品であったら、毛並みの一筋に至るまで彫り込むので完成まで時間が掛り、ラギィおばさんに売却をお願いできる数は、他の皆が十個位は頼む所を精々が三個か四個である。
 数年前に私が指を血だらけにし、失敗作を山と積んでようやくまともに彫れるようになった成果であり、以前は彫刻中にナイフを滑らせて指を血だらけにする私を見て、小さなマルコが泣き出したりしたものだ。
 私はこれまで稼いだ金をアイリや兄弟、父母に対して菓子やらちょっとしたリボン、手拭いなどを購入してプレゼントしており、正直貯蓄は少ない。
 お金の使い方に後悔を覚えた事はないが、後々服を買う必要が出てくると分かっていたら、自分の分として菓子を買う事などを控えていたのだが、いや過ぎた事を言っても仕方がない。

 もう少しすれば私が調合した魔法薬も扱ってもらえるようになるらしいから、その売り上げの一部が私の手元に入ってくるのだが、それは明日明後日と言うわけではない。今すぐにセリナに衣服を用意するのはどう考えても難しい。
 リネットを見つけたイシェル氏の地下世界で手に入れた遺産を売却し、そのお金の一部でセリナに衣服を用意する事は出来るかもしれないが、それもまだ時間が掛る話だがこれが一番堅実だろうか。
 やはりセリナへのプレゼントは私がまっとうに働いて得た金で購入し、堂々とした気持ちで渡したいものである。

 つまらない拘りと人には馬鹿にされてしまうかもしれないが、私はどうしても自分の手でセリナにプレゼントをしたい、という一線を妥協する事が出来ない。
 どうにか妙案が湧いて出て来ぬものかと私が早朝からうんうんと唸っていると、当のセリナとディアドラ、リネットが中央広場に向かう別の道を歩いているのを見つけた。
 三人の方も私の姿を見つけて、手を振りながら歩み寄ってくる中、私はセリナとリネットの姿に視線をくぎ付けにされていた。
 私の視線に気づいたセリナが、いつもの襤褸マントの代わりに身につけているスカートの裾を摘んで見せた。そう、襤褸マントではない。スカートなのである。ふむ、非常に可愛らしい。

「おはようございます。ドラン様、その、似合うでしょうか?」

 恥じらいに頬を薄紅色に染めながらスカートの裾を摘んでたくし上げているセリナの姿は、恋人の目に新しい服をお披露目する初々しい少女そのものであった。
 セリナは長丈のロングスカートと袖の無いブラウス、更にその上からお腹に届く程度の丈の長さのケープを纏っているのである。
 ブラウスは純白で首回りや袖にフリルがあしらわれ、ボタンには中に小さな花を閉じ込めた樹液を固めたものが使われて、スカートとケープの布地の色は白色から裾に近づくにつれて濃淡のある鮮やかで品の良い紫苑色に変わってゆく。
 また所々に可愛らしい小さな白や赤、青い花弁の無数の花の刺繍があしらわれていて、セリナの少女らしい可憐さと、それに反する淫らなまでに実った肉体の妖しさを引き立てている。
 摘んでいたスカートの裾を離すとセリナは蛇の下半身で器用にその場でくるりとターンをし、合わせてスカートとケープの裾もふわりと風を受けて翻り、風に靡くセリナの黄金の髪も相まったその美しさと可憐さに私は言葉を失って見惚れた。

「ディアドラさんが今日用意してくれた服なんです。とても可愛らしくて私、一目で気に入ってしまいました」

 えへへ、と小さくはにかんで嬉しさを隠さずに言うセリナの言葉に、私ははっとなってからセリナの服を用意したと言うディアドラを見る。
 ディアドラは私の視線に肩を竦めるおどけた仕草を見せたが、小さく笑みを作る口元には中々のものでしょう? と自身の腕とセリナの可愛らしさを誇る心の動きが見てとれた。

「どう? セリナの素が良いって言うのもあるけど、我ながら良い仕事をしたと思うわ」

「素晴らしい出来だ。しかし、どうやって一晩、いや一晩もない時間で仕立てた?」

 朝方まで私は三人と同じ時間を過ごしていたから、ディアドラに与えられた時間が極限られたものである事は誰よりも知っている。
 私の疑問に、ディアドラは自分の身体の一部である樹木に生えていた葉の一枚を摘み取ると、私の目の前でその葉っぱが一本の糸へと紡がれてゆく。
 まるで布の機織りする前の糸の様に変化して行くその様子に、私はセリナの纏っている衣服の素材が、植物の葉などであることを理解した。

「ドリアードのちょっとした特技よ。樹木の葉や花弁を糸状に紡いで衣服を仕立てる事が出来るのよ。セリナとリネットに仕立てた服にはハードグラスの葉も混じっているから、金属並みに硬くて実用性もあるわ。ハードグラスには随分手古摺らされたけどね」

「ふむ、となるとディアドラが着ているドレスも同じように自分で仕立てたものというわけか。見事な仕事だ。称賛の言葉しか私の舌に乗せるものはないな」

「ありがとう。さ、セリナにも感想を伝えてあげたら?」

 私の心底からの感想はディアドラの自尊心を十分に満足させるものだったようで、ディアドラはとても魅力的なウィンクを私にくれる。
 ディアドラのその仕草は思わず頬が熱くなってしまうほど魅力的で、私は思わぬ不意打ちに心臓が高鳴るのを感じた。
 私の様子の変化には気付かなかったようで、ディアドラはセリナの方を掌で指し示し、私の視線を受けたセリナは、私の感想を期待半分不安半分、指をもじもじと絡み合わせたり、突き合わせるなどなんとも落ち着かない様子で待っている。
 相変わらず可愛らしいことこの上ないラミアの少女の姿に、私は自然と口元に笑みが浮かびあがるのがはっきりと分かった。私はセリナを正面から見つめてつとめて優しく声をかける。

「とても綺麗だよ、セリナ。あるがままのそなたも美しいが、いまのそなたも魅力に溢れている。すまぬな、もっと良い言葉があるのだろうが私にはこれで精一杯だ」

「……そんな事はありません。ドラン様にお褒め頂く事は世界中の誰に褒めて貰うのよりもずっと嬉しい事なのです。私にとって、ドラン様のお言葉が一番ですから」

 心からの笑みを浮かべるセリナは、自分の言葉の拙さに眉根を潜める私の頬に柔らかな口付けを落とすと、脇に退いて自分の後ろに隠れていたリネットを私の前に行くように促す。
 永遠の人造少女は、膨らみかけの乳房と恥部をわずかに隠すだけだった衣服の上に、半袖丈のワンピースを纏っている。
 リネットのなだらかな身体の起伏で小さな凹凸を描くワンピースは、ディアドラの手から成る作品らしくリネットの髪と同じ真っ白な生地に、セリナの服と同じように小さな花々の刺繍があしらわれて、ワンピースのあちこちで慎ましく存在を主張している。
 夜明けまで素足であったリネットの足にはこれもディアドラが作ったと思しい、足の甲に回されたベルトに白い花を飾った緑色のサンダルを履いていた。

 恥ずかしながら私はリネットの姿を見て、ようやくセリナだけではなくリネットの分の服を用意することも考えなければならなかった事に気付く。
 男の欲情をそそるにはまだ幼いと見えるリネットではあったが、モデルとなったイシェル氏のご息女はとても愛らしい顔立ちの、将来に大輪の美貌の花を咲かせるに違いない美少女だったのは間違いがない。
 魔法によって生み出されたリネットには人間の様な暖かい血は流れてはいないし、感情らしいものも今のところはほとんど見られず、人間にしか見えない外見でありながら内面は純真無垢、いまだ何色にも染まっていない赤子に近い。
 美貌の片鱗を伺わせる容貌に無機質に近い内面が醸し出す神秘的な雰囲気と相まって、リネットは人間の少女とは異なる、心に感銘を与えるほど素晴らしい芸術品を前にしているかのような魅力を持っている。

 しかし小ぶりな乳房と股間の恥部だけを覆い隠す白い布地を纏う事でその神秘性が薄れて、リネットを前にした人に、触れば柔らかで暖かさを持った血肉を持った存在である事を意識させてしまう。
 まだ十三、四歳の容貌とはいえすれ違う人々の目を奪うには十分な美貌と、成熟の時を待つ未発達な体つきは、かえって男の中の嗜虐心をそそり穢れを知らぬ無垢なリネットを、己の手で染め上げたいと言う背徳的な黒い欲望を促してしまうものだ。
 ディアドラが用意してくれたワンピースを纏う事でリネットの体つきは、地上の人々の視線を雲によって遮られた月の如く隠されて、要らぬ欲情を促す事を避けられている。
 昨晩堪能したばかりのリネットの小麦色に焼けた裸身は、私の瞼に鮮明に焼きついていたが、裕福な商家か貴族の令嬢の様に着飾られたリネットの姿は私の脳裏から卑猥な光景を忘れさせるほどに、愛らしい魅力に満ちていた。

「おはようございます、マスタードラン。本日の御機嫌はいかがですか?」

 着せて貰ったワンピースの事よりも私の体調の事を訪ねてくるリネットに、私は浮かべていた笑みを微苦笑に変えた。ゴーレムらしい言動と言うべきなのだろうか?
 一見すると人間らしい感情に乏しいリネットであるが、イシェル氏の残した日記帳や資料を見る限り、心を持ったゴーレムとして作りだされた事は間違いない。
 イシェル氏が再現しようとしたのは娘と同じ外見のゴーレムではなく、外見と心までも娘と同じ存在なのだから、当然心も必要な要素である以上は備わっているのが仕様のはずだ。
 オリジナルのリネット嬢の記憶や心を宿さなかった為に、イシェル氏に眠りにつかされたゴーレムのリネットは、おそらく赤子とそう変わらぬ真っ白な心を持っている。
 まだ産まれたての赤子にも等しいから現状は感情を基から持ち合わせていないかのような、淡々とした印象が第一に出ているのは否めない。それはそれでリネットの持ち味だろうと私は気に入っていたが。

「ああ、とても素晴らしいものだ。一日の始まりからセリナとリネットの可愛らしくて綺麗な姿を見る事が出来たからな。リネットも新しい服を着せてもらえてよかったではないか。きちんとディアドラに礼は言ったか?」

「はい。ディアドラにはありがとうございますと言いました」

 そう言ってリネットが視線を巡らしてディアドラを見つめると、見つめられたディアドラはそれを保証して首肯する。

「ちゃんと言ってくれたわよ。礼儀作法はきちんと知っているみたいだから、変な心配はする必要はないみたいね」

「ふむ、となるとディアドラの様にナイフとフォークの使い方や、食器の洗い方を一から教える必要はないのだな」

「もう、余計なひと言はいらないわよ!」

 昨日のアイリ邸におけるディアドラのあたふたとした食事風景や、食器洗いの光景を思い出して言う私に、ディアドラは瞬間的に顔を赤くして軽く拳を振り上げて私に抗議をする。
 ディアドラの食事風景はお世辞にも優雅とは決して口が裂けても言えないものであった。
 スプーンですくったポタージュを口に運ぶのも上手く行かず、ぽたぽたと零してしまって慌てふためき、ナイフとフォークを使うのも力加減が上手く行かず腸詰を刺すのも切り分けるのにも苦労してかちかちと音を立てて、皿とぶつかる音が長く絶えなかった。
 外見は二十を一つか二つ越えた妙齢の女性であるディアドラだが、食事に戸惑い慌てる仕草は幼い子供のもので、食卓を囲んでいた私達は呆れる前にその外見との相違と可愛らしさにくすりと笑い声を零したものだ。

 恥ずかしがるディアドラをどうどうと宥めてから、私達は四人で連れだって村長の家を訪ねた。
 途中、見慣れぬリネットの姿やこれまでの襤褸マントから一転して美しく着飾ったセリナの姿に目を奪われて、ぼうっとその場に突っ立つ村の人達とすれ違う。
 セリナの裸身を見られる心配がほとんどなくなったのは非常に歓迎するべき事態なのだが、これまでとは一転して可憐さを増したセリナの姿に見とれる男どもが増えたのは、これはこれで由々しき事態であるように私には感じられた。
 それだけセリナが美しいと評価されていると言うわけで、その評価は私としてはとても誇らしいものであるのだが、なんとなく面白くない。リネットやディアドラに向けられる視線もやはり同じだ。

 セリナ、リネット、ディアドラと年代の違う三人は三人共に人間ではない魔性の存在であるが故に、その美しさは人のそれとは根本的に異なるもので、忌避の念が薄まれば視線を吸い寄せられるのも当然の結末といえる。
 恐ろしい大蛇の下半身を持ちながら黄金の髪と青い瞳を湛えた美貌は視線を吸い寄せて離さぬ半人半蛇のセリナ、木々に捕らわれた姫君の如き気品と神秘的な雰囲気を纏う樹木の精霊ディアドラ、死せる少女を我が手で蘇らせんと希代の魔法使いが持てる全てを注いで生み出した永遠のゴーレム少女リネット。
 三人が三人共に異なる魅力と美しさを兼ね備えていることは言うまでもない。村の男連中が、年齢を問わずに心惹かれるのもむしろ当然の事であるだろう。だが、だからといって男どもの気が向けられるのを許せるかと言うのは別の話である。

 我ながら独占欲と言うものの度し難き事よ。なんとか折り合いをつけてゆくしかないな、と私は自分自身の欲望にいささか呆れていた。
 考えごとをしていた所為でセリナ達にやや遅れた所を歩いていた私に、ディアドラがそっと近寄って来て、私の耳に口を近づけるとセリナ達に聞こえない様な小声で話しかけて来た。
 なにか相談事でもあるのだろうか? 
 それにしてもディアドラからは良い匂いがする。
 ディアドラの身体からはその精神状態や健康状態に応じて、肌や髪の毛、木々の部分に咲いている花からは多種多様な芳香が発せられ、傍に居るだけで深い森の中や広大な花畑の中に佇んでいる様な気分を味わえる。

「なんだか気に入らない事がある様な顔をしているけど、二人の服が似合わなかったのかしら?」

 不安げな素振りを隠さずにディアドラは、麗しい美貌にわずかに蔭りを差し込ませて問いかけて来た。私が二人に遠慮してディアドラの仕立てた衣服を褒める言葉を口にした、と勘違いさせてしまったらしい。
 これはいかん。勘違いも甚だしいと私は首を横に振ってディアドラの感じている不安が間違いだと答えた。

「それは違う。二人とディアドラの腕前に対する賛辞は私の心からのモノ。私がなにか気に入らない顔をしているというのであれば、それは私が先ほどまでどうやってセリナに服を用意すればよいか悩んでいたせいだろう」

「貴方がセリナに服を?」

 自分の胸に抱いていた危惧が間違いだった事に安堵の息を吐いたディアドラは、すぐさま私の言葉の意味を問い返す。

「ああ。いくらなんでもセリナの年頃で、いやそもそも女性があのような襤褸のマント一枚で日々を過ごすのは不憫というもの、ましてやセリナは私を慕ってくれているのだ。なれば衣服くらいは私が用意するのが当然であろう。
 かといって私はこの村では少々変わった子供に過ぎん。そう簡単に服を用意できる立場ではないし、村の皆に隠してセリナに服を用意してもセリナが要らぬ勘繰りを受けてしまうのではないかと無い知恵を絞っておったのだが、思わぬところから解決策が出てきたものでな。少々感情の整理がつかなかったようだ」

「それって、セリナ達の服は自分で用意したかったってことかしら?」

「詰まらん男の意地と笑うかね?」

「いいえ、好きよ、そういうの。ただ私もセリナには前から何かきちんとした服を用意してあげたかったし、リネットのあの格好も村の人達には目に毒だったから、ちょうど良い機会だと張り切ったのよ。ごめんなさい、知らなかったとはいえ貴方の邪魔をしてしまったわ」

「邪魔などであるものか。責められるべきは私の不甲斐なさであって、ディアドラはただ称賛を受けるべきだ。なに、今度は服以外にきちんとしたものを贈るとも。もちろん、ディアドラにも」

 そう告げる私の顔を見たディアドラは、くすぐったいのを堪えている様な微笑を浮かべると、私の肩に手を置いて顔を近づかせ、先ほどセリナが唇を落としたのとは反対の私の頬に、自分の唇を重ねた。
 清涼感が胸一杯に広がる花の芳香が私の鼻をくすぐった。ディアドラの身体から香る匂いであった。

「頑張ってね、ドラン。貴方からの贈り物を心待ちにするわ」

 俄然私の心にはそれまでに数倍するやる気が満ちた。必ずや三人を喜ばせる贈り物をしてみせると、自分自身に固く誓い私とディアドラは少し先を行くセリナ達を追いかけた。


 それから村長の家に出向いた私達は、ジーノさんとラギィおばさんに、バランさん、マグル婆さん、アイリ、それに村の帳簿を預かっている村長の孫娘のシェンナさん達と顔を合わせ、朝の挨拶を交す。
 まず皆にリネットを紹介して村の北西の荒野の地下に広がっていたイシェル氏の箱庭と、残されていた財産の扱いについての話をした。
 ラギィおばさんが同席していたのは名うての冒険者時代の経験から、今回の様な魔法使いの遺産を発見した場合にどう対処すべきか、助言を仰ぐ為だろう。
 焦点となったのは私が書棚の中から見つけたイシェル氏の日記帳に記されていたリネットに我が財産の全てを託す、という遺言ともとれる一文とリネットが私をマスターとして認識し従属化にある事であった。
 通常ジーノさんの様な冒険者が未踏破の遺跡や迷宮から宝物を発見した場合においては、その所有権を有するが今回の場合は、明確に王国の住人と分かる人物の住居であった事と遺言が残されていた事から、例外に当てはまるケースだったようだ。
 さらに日記帳に記されたリネットが――本物の亡くなられた娘の方であるが――今回の場合はゴーレムの方のリネットにも該当し、実の娘と同様の権利が残されていると私の傍らに立っていたリネット自身が言い出した。
 イシェル氏の遺言については偽装を疑われる心配もあるそうだったが、マスターとして認識している相手に嘘を吐けないゴーレムの特性通り、リネットが私からの質問に自身がイシェルの遺産を全て受け継ぐ権利を与えられている事を証言することで一応の解決を見た。

 イシェル氏の遺産の所有権を持つリネットであったが、そのリネットが私に絶対服従の姿勢を示している為、村長宅に集まった人々の視線は私に吸い寄せられる事になったのには参った。
 リネットが自身を含めてイシェル氏の遺産は私の裁量に委ねられると発言したものだから無理もなかったが、私にとってイシェル氏の遺産の使い方は一つっきり、村の皆の為になるように使う、これだけだ。
 いずれは蘇らせた実娘との生活の為、あるいは破棄する事も出来ず眠りに就かせたリネットの為に、とイシェル氏が残した遺産を私が使う事に罪悪感を覚えなかったかと言えば嘘になる。
 だがそれでも私には村の為に使う以外の選択肢はあり得ず、イシェル氏に対して私が出来る事と言ったら、リネットに下された幸せになりなさいというラストオーダーを私が実現し、リネットを幸せにする事だ。
 実際リネットのマスターと望んでなったからには、例えリネットがゴーレムであれ幸福であると感じられる様に全霊を尽くす所存である。

 私がイシェル氏の財産については村の皆の為になる使い方をして欲しい、と発言したことでおおむねイシェル氏の遺産の使い方に対する方針は固まった。
 魔法使いであったイシェル氏の遺産であるから、その価値を理解し正当な評価を下すのは同業の魔法使いである事は想像に難くない。
 魔法に関する遺産の売却に関してはマグル婆さんが、ガロアにある王立魔法学院ガロア校で教鞭を振るっていると言う息子さんの伝手を使う事で話を進め、それ以外の遺産についてはラギィおばさんと旦那さんの冒険者時代の伝手を頼りにさせてもらう事になった。
 そうして得られた利益は村の共有資産として貯蓄し、リネットのマスターである私と発見者であるジーノさん、アイリ、ディアドラ、セリナには利益の一割を五等分して与えられることで合意する。

 まだ子供である私とアイリは両親に利益を預ける形になる。私としては文句の一つもない裁定である。単純にこう言う時の利益の分配の相場などがさっぱり分からない為でもあったが。
 ジーノさんなどはもっと権利を主張してもよさそうなものだったが、おれはあんまり役に立たなかったし、金には興味ないから、というなんとも豪快な発言をして遺産全体の二分相当と言う報酬であっさり納得してしまった。
 村や私達に入るお金の額がその分多くなるからありがたい発言であったが、冒険者としてそれでいいのか、と多少疑問に思わなくもない。とりあえず感謝の意味を込めて後で拝んでおこう。

 私達以上にセリナとディアドラは人間社会の貨幣について縁のない暮らしをしていたから、揃って困った顔を浮かべたが貰えるものは貰っておいた方が良いという私の発言に、首を縦に振って後日遺産を売却したお金の一部を受け取る事になる。
 またリネットと共に村に持ち込んだアイアンゴーレムであるが、普段は安全上の理由から武器を村の駐在所に預けて、農作業や狩りの手伝いとして使う事で当面は落ち着いた。
 ある程度の自己判断能力を有しているというリネットの話であるし、遠距離からリネットが操作する事も出来ると言う。また私もリネットを介することでアイアンゴーレムを操作する事も出来る様だ。
 疲れ知らずの労働力である事に加え、ジーノさんが追い詰められるほどの戦闘能力を持つアイアンゴーレムの存在は、村にとって頼りになるのと同時に、万が一にも牙を向けて来た時には途方もなく厄介な存在となる諸刃の剣に近い。

 一体ずつ南北の門の見張りにつかせ、二体は村の中で様々な雑事の労働力とし、残る一体はセリナ同様に外での狩猟の手伝いに割り振って扱う事にする。まあざっとこんなものか。
 午前中はラギィおばさんがガロアに帰るぎりぎりの時間まで露店の店を開いてくれているから、午後、ラギィおばさんとジーノさんが村を出た時にちょうど皆が集まっている事からその場でリネットとアイアンゴーレムのお披露目と言う事になった。
 リネットを発見した地下住居の遺産の回収は、一日がかりになるだろうからまた明日、村の男連中を動員して行う事に改めて決まった。
 五体のアイアンゴーレムだがほとんど外見的に相違はなかったが、一応フルフェイス状の兜の装飾に違いがあり、また各個体に色も違っていたので個々の判別はついた。

 私達が戦ったグレートソード二刀流で漆黒のアイアンゴーレムはシグルド、クレイモアを持った青いアイアンゴーレムはセリス、槍持ちの緑色のアイアンゴーレムはエフラム、両刃のグレートアクスを持った赤いアイアンゴーレムはマルス、フレイルを装備した白いアイアンゴーレムはロイと名前がつけられている事をリネットが教えてくれた。
 いずれも王国に古くから伝わる数々の英雄譚に出てくる勇者達の名前である。イシェル氏が蘇らせた娘を守るゴーレム達に、古の勇者の名を与えた心情を想像するのは容易い。
 ラギィおばさんが荷物を片付けて露店の店じまいの支度を始める中、予め打ち合わせた通りに村長と私、リネット、アイアンゴーレム五体が姿を見せて、広場に集まっていた人達に村長が呼び掛ける。

「皆、ラギィのとこでの買い物は十分に楽しめた様じゃの。さて、せっかくの所悪いがわしの話を聞いて欲しい。ほっほ、ドランが隣におるだけで大体の事を察した者も多いようじゃの。まず昨日ドランがジーノやアイリらと共に北西のある荒野を探検し、そこで魔法使いの暮らしていた場所を見つけたのじゃ。そこで、こちらのお嬢さんを見つけた」

 村長に促されて、リネットが数歩前に出ると自分に視線を集中させる村の人達の顔を順々に見渡してから、小さく頭を下げた。小麦色の肌と純白のワンピースの上を雪色の髪の毛がさらりと流れ、リネットと年の近い村の男連中がぽうっと見惚れる。
 リネットのオリジナルである少女は、王宮に努める魔法使いの令嬢であった事から蝶よ花よと、掌中の珠の如く育てられた貴種だったのだろう。
 外見を完璧に再現されたゴーレムのリネットの美貌と纏う雰囲気も、田舎のベルン村には全く無縁の気品や優雅さと言うものが備わっている。男連中の目を引くのもむべなるかな。
 心なしか村の皆の中に紛れているアイリの、私に向けている視線が研ぎ澄ましたナイフの様に鋭いような気がする。アイリよ、リネットの事情は君とて知っていように何故にその様な視線を向けるのだ?

「初めまして。イシェル・レイゼル作リビング・ゴーレム、リネットと申します。リネットの外見から誤解を招いている事と思いますが、リネットは人間ではありません。自分で考え、行動するように作られたゴーレムです」

 ゴーレムと言う耳慣れぬ単語とどうみても人間にしか見えないリネットの外見と発言の違いに、皆は困惑したようで互いの顔を見てはひそひそと話し合っている。それには構わずリネットは更に言葉を重ねた。
 場の空気を読めないのはゴーレムであるが故か、オリジナルのリネットの性格によるものか。

「造物主イシェルが亡くなられた為、リネットを目覚めさせたマスタードランを次のマスターと認定し、現在マスタードランの従属下にあります。
あちらの五体のアイアンゴーレムもリネット及びマスタードランの従属下にありま すが、マスタードランの意向で村の皆さんの命令にも従う様に再設定してありますので、労働力としてご自由にお使いください」

「要するにドランの友達と言う事じゃな。住居に関してはディアドラちゃんとセリナちゃんの所に住むと言う事で落ち着いておるが、リネットちゃんは普段はドランの所の手伝いをしたいそうなんでな、そこんところはゴラオンとドランに任せるぞい」

 リネットの言う事を分かりやすくまとめた村長の視線を受けて、私は頷き返して前に出て皆の視線を受ける。またドランか、とかなんであんな可愛い子ばっかり、といった呆れと嫉妬の感情が込められた視線を向けられている。
 私にもどうしてかは今一つ分からん。セリナもディアドラもリネットも、私が村に来てほしいと願った相手ではあるが、会いに行って出会った者達ではないしここら辺は運命の歯車を回す三女神にでも問わねば、私にも答えは分からない。

「皆がまた私か、と思っているのは百も承知だが、セリナやディアドラと同じようにリネットも良い子だ。見た目もこのとおり可愛らしいしな。それに見た目と違ってとても力が強いし、体も頑丈で働き者だ。皆、暖かい目で見守って欲しい」

 私の言い分を証明するように、リネットは私達の傍らでじっと待機していたアイアンゴーレムに近づくと、大の大人数人分の重量があるだろうアイアンゴーレムをいとも簡単に持ち上げて見せる。
 陽光を浴びて艶光る鉄の人型を簡単に持ち上げて見せるリネットに、少なからず村の人達の口から驚きの声が上がった。おそらく村で一番の力持ちの称号はこの瞬間にリネットの頭上に輝いたことだろう。
 流石に一月としない内に三度も魔物が村に移住を希望した事に村の皆も慣れた様子で、これまでの実績のせいかなと私は苦笑を禁じ得ない。
 広場には父ゴラオン、母アゼルナ、兄ディラン、弟マルコと我が家族が勢ぞろいして、私に視線を寄せている。一応家族には事前に話を通しておいたので、他の皆ほどには驚いた顔をしていないが、それでもやっぱり呆れている色が濃かった。

 ふむ、私の評価がここ最近で随分と変わってきている様な気がする。
 これまで村に来たセリナやディアドラが日々明確に村に恩恵を齎してくれているから、リネットも同じように村に何かをしてくれるだろう、と皆が案に期待している事とリネットの少女然とした外見に、警戒の念などはさほど感じられないのは良い。
 だがほぼ必ずそこに関わってくる私が、忌避や嫌悪という類ではないにせよ奇異に見られているのは確かだ。
 変わった子供として見られる事は別段どうってことはないのだが、大好きな村の皆に嫌われてしまうかもしれないと考えると、私はどうにも心の奥がざわついて落ち着かない。
 孤独に生きた竜の頃と違い、人のぬくもりと繋がりの中で生きた十年という時間は、私の心をある意味で弱くしてしまったのだ。だが、その弱さが私は嫌ではなかった。
 嫌われる事、拒絶される事への恐怖が強くなるとしても、もっとたくさんの人と繋がって絆を作り、生きていきたいと私は心から願う。

 さて村の皆への紹介も終わった頃、私は色々と事情を聞きたそうにしていた同年代の子供連中に囲まれて、アイリと一緒にリネットを発見するまでの冒険譚を咽喉が枯れそうになるまで話して聞かせる事になった。
 特にリネットに関心を寄せる顔馴染み――アルバートが特にひどかった。あの野郎、いつか殴ってやろうか――を牽制し、さっさと仕事に戻れ、親が呼んでいるぞ、話なら後でする、と言葉を並べ立てて言い返していると、流石に私達が哀れになったのか村の親達が子供の襟首を引っ掴んで引っ張って行ってくれた。
 やれやれと私が溜息を吐くと、好奇心で目を輝かせたマルコやディラン兄、それに父と母が私に歩み寄って来た。最初に私に声をかけて来たのは母アゼルナである。

「ねえドラン、リネットちゃんは家のお手伝いをしてくれるって言う話だけど本当に良いの?」

「問題ありません、お母様。リネットはマスタードランから魔力を頂いて活動しております。マスタードランがただ健全に日々を過ごしてくださるだけで、いえ過ごして頂かないと動く事もままならなくなるのです。それにリネットはゴーレムですから、マスタードランの為に無償で尽くすのは当たり前です」

「何も報いる事もなく働かせては申し訳ないと言ってはいるのだが……聞いているのか?」

 リネットにお母様、と言われた母は一体何が琴線に触れたものか頬に手を当てていやんいやんと体をくねらせるや、父の分厚い胸板を指で突いて、やっぱりディラン達に妹を、とか今夜あたりとか父にねだりはじめ、私の言う事などまるで聞いていなかった。
 母が何を父にねだっているのか分かる様になっている辺り、私もすっかり大人になったものだと我ながら奇妙な感慨を憶える。
 来年の今頃には妹か弟が産まれているかもしれん。どちらでも全力で愛するのは変わらないので、私としては大歓迎である。
 父母がそんな調子であったから、溜息を吐いてディラン兄がマルコと私に家に帰るぞと言ってきた。状況の把握から最善の行動を選ぶまでの速さは、さすが我が兄、頼りになると私は一人感心する。

 惚気だした両親は放っておけばその内帰ってくるだろうと私達兄弟は放置する事に決めて、リネットを伴って家に帰った。アイアンゴーレム達は事前の取り決め通りに働きに出させている。
 マルコは好奇心を隠さずにリネットに許可を取ってから、その肌や髪を触ったりしてまるで人間と変わらぬ感触に、本当にゴーレムなの? 人間じゃないの? と無邪気に質問を重ねている。
 実際、リネットの身体の感触は柔らかで暖かな生身の人間と変わらぬものだ。しかも肌触りは絹の様に滑らかで、肌には染みも傷も一つとしてなくきめ細やかで美しいときている。

「リネットはオリジナルのリネットの肉体をベースに損傷した箇所を、魔法素材で代替したフレッシュゴーレムの亜種です。グランドマスターイシェル独自の技術で作られた世界で唯一の新系統に属するゴーレムなのです」

 リネットが少しばかり誇らしげに見えたのは、私の目の錯覚ではあるまい。ごく淡いものではあるが、リネットにも感情が備わっているか芽生えつつあるのだろう。ただリネットの言いたい事をマルコが理解しているか、と言えば残念ながらと言わざるを得ない。

「えっと、結局リネット姉ちゃんが言っている事ってどういうことなの、ドラン兄ちゃん?」

「私達と同じで世界に一人しかいないと言う事だ。ゴーレムだとか人間だとか気にする必要はない。マルコはマルコの思うとおりに仲良くなればいい」

「なんだ、じゃあ、難しい事なんてないね」

「ああ、そう言う事だ」

 私はマルコの余計なものを見ないシンプルな思考と答えに、子供と言うものは時に賢者以上に世界の真理を突く言葉を口にするものだと一人感心していた。
 私は身内贔屓が強いのか、ディラン兄やマルコのちょっとした言動にもちょくちょく感心している。あまり甘やかさないようにと気をつけてはいるつもりなのだが、どうにも“つもり”止まりになってしまっているのは否めない。
 さて我が家に帰りついた私達はさっそく午後の農作業を始める事にした。
 物置に置いてあるハードグラスを巻きつけて特殊な薬で固着させた木製の鍬や鋤を担ぎ、桶に水を汲んで畑に運ぶ用意をする中、私は私の指示を待つリネットの姿を見て、せっかくディアドラが仕立てた服が汚れては申し訳ないな、とようやく気付いた。

「リネット、その格好のままでは服が土で汚れてしまう。今日はそこで私達の作業を見物して、なにをするか憶えてくれればいい」

「ご安心ください、マスタードラン」

 言うが早いかリネットはワンピースの裾を掴むと私が止める間もなくワンピースを脱ぐ。私は咄嗟に隣に居たマルコの身体を抱き寄せて、マルコの視線を私の手で隠す。
 マルコにはまだ早い、というのと例え弟といえどもリネットの肌を見られるのは気に入らんという理由による。
 しかし私の心配はまったくの杞憂だったようで、ワンピースを脱いだリネットの小さな体には、動物の毛皮で作ったと思しい半袖の上衣と太ももの半ばまでの丈のズボンを履いていたのである。

「これらはセリナが用意してくれました。後でディアドラと一緒に褒めてあげてください」

「そうか、セリナは裁縫も大得意だったな。しかし、先ほどまでのワンピース姿も魅力的だったが、今の格好も素敵だぞ、リネット」

「ありがとうございます」

 セリナも良い仕事をしたものだなと私が胸の中で呟いていると、視界の端で持っていた鍬を落として、慌てて拾っているディラン兄の姿が見えた。ふむ、リネットが突然目の前で脱ぎ出したものだから、相当慌てたらしい。

「ディラン兄、リネットの着替えを覗いたとランに言うぞ」

「ば、ドラン、お前は何を言っているんだ!?」

 父同様に堅物の見本の様なディラン兄であるが、実は同い年のランという少女に想いを寄せている事は、我が家では公然の秘密として知られている。私がこういう風にディラン兄をからかう事は珍しいから、ディラン兄は完全に不意を突かれて慌てふためいた。
 私が堪え切れずにくっくと小さく笑いを零すのを、リネットは理解できないとでも言う様に小さく首を傾げていた。
 いつかそう遠くない内にリネットにも私が笑みを零した理由が分かる日が来ると、私はなんとなくではあるがそう確信していた。

<続>

 植物の葉などから衣服を紡ぐのは、吸血鬼ハンターD<薔薇姫>からヒントを得たものです。ほかにも何着かディアドラが夜鍋をして作っております。よもや服の問題を解決するだけで一万字を越えるとは。話が進みません。
 エロはないさっぱりとした話でした。感想板でもご指摘をいただきましたが、いささかエロを安売りしていた感は否めず、やはりさじ加減が難しいと痛感しております。エロの力でここまでの評価を頂けたと感じておりますので、あまり減らすと読んで頂けなくなるのではと怖く、正直悩みどころです。

くだんさま

 流石に毎回毎回不必要なまでに不健全な行為に走らせ過ぎたのかもしれません。私の中でも毎回さじ加減の難しい所ですが、貴重なご意見をありがとうございます。

菜梨さま

 はい、いつのまにやらオリ板に移動しておりました。またご質問の合った他の異種族カップルについてですが、まだベルン村の噂が外に広がっていない段階でしたが、今回のラギィおばさんやイシェル氏の遺産の件で広がり始めます。そう遠くない内に移住希望者が来るかもしれませんね。
異種婚姻は忌避されているわけではありませんが、同種同士よりも子供が出来にくい事や種族としての純粋性が薄れてしまうことなどから、あまり歓迎されてはいません。それでも好きあっている者同士なら、と認めるのが大半といった社会的風潮です。


通りすがり六世さま

 とりあえずセリナは胎生としてあります。臍があるほうがセクシーかなと私が感じている為ですが。ただハーピーに関しては無精卵を産んでもらうのもありかなと思っているので、卵生になるかもです。モンスター娘を村に連れ込むのも頻度を考えないと、要らぬ疑いが掛ってしまうので、難しい所です。

航さま

 ヤリポて、いや正直そう思いました。でも確かに内容を鑑みるとその通りなのですよね。ラミア娘や魔物娘好きなどご嗜好に沿うお話だったようで、なによりです。最初のきっかけこそなんですが、セリナをはじめディアドラも主人公とイチャイチャするのが好きです。
 水の精霊娘ですか、以前にも別の方から名前が挙がった事がありました。スライム娘と被るかもと言う事でどうすべかと二者択一で考え中です。

r_さま

 まさしく感想に遭った通りの展開でした。流石にセリナもそろそろどうにかせにゃ、と思っていたのですが、まるまる一話使う事になったのは私にとって予想外でした。
 リネットに関してはフレッシュゴーレムベースの、人造部品を組み込んだハイブリッド個体ですね。

オリジナルリネットの死体を再生・培養 → 重要な臓器などがオリジナルの死体の損傷がひどかった為、再生・培養不可 → 黄金の血管、水銀の血液、ミスリルの筋組織、水晶の脳漿、魔晶石の心臓などで損傷部位を代替 → 魔法によって生体部位と人造部位を調整し病と老いを防ぐためにゴーレム化 → オリジナルリネットの精神を移植・再現

 と言う製造工程を経ているのですが、最後の精神を移植する段階で失敗しており、ゴーレムのリネットはイシェル氏に失敗作とされてしまっています。種別としてはフレッシュゴーレムの魔法的なサイボーグといったところでしょうか。
 他のアイアンゴーレムなどが量産品であるのに対し、リネットは完全なワンオフでコスト度外視の超高性能機です。恐怖も疲労も感じない為、ドランの命令によって戦場に立てば恐るべきキラーマシンと化す事でしょう。

roisinさま

 ジーノが出てくるあたりまでは元々予定していたのですが、その後の探検に出る部分からはねじ込んだ箇所になります。書きたい事を書いていたらこんな分量になってしまいました。村の噂が広まることで人間との敵対関係に飽いたモンスター娘が来る、というのは十分にあり得る可能性だと思います。

ライさま

 いわゆるショタジジイに近いものがドランにあるせいかもしれませんね。村の中でもドランは表情の変化に乏しく変わっていると思われていますが、表現が上手く出来ていないだけで、内面は感情豊かです。それに気付いている女性からは結構好意を持たれています。

engoさま

 素晴らしい話ばかりでした。アラクネにしろ作中で登場していないモンスター娘に関しても、非常に参考になりました。ご紹介いただきありがとうございます。

くらんさま

 いつもありがとうございます。まだ楽しんで頂けておりますでしょうか。今後もお付き合いいただければ何よりの幸いです。

アベルのおっさんさま

 ご期待にこたえられたようでなによりと安堵しています。ドランの場合ナニとスタミナが反則そのものなので、リネットは大変な目に遭ってしまったのです。ドランが憶えた手で盛りまっただ中というのも理由の一つですが。

人魂さま

 あんまり急激にモンスター娘が増えると、いさかいが起こるかもしれないのがネックですね。フェアリーですか、あまり候補に考えた事はありませんでしたが、一粒で二度美味しい問いアイディアは眼から鱗です。あほの子にすべきか元気いっぱいでツンとした子にすべきか、色々悩みます。

kmsさま

 大丈夫です、ドランがイシェル氏の技術を継承すれば少女ゴーレムメイド喫茶だって開ける筈です。あとあまり発展フェイズっぽくない内容になってしまって申し訳ありません。もうちょっとエロ薄めのシムシティ的な話を続ける予定になっております。

雪兎さま

 まだアイリは十歳でリネットが十三、四歳なので胸に関しては年齢差と言う事でご理解を。小さいのも素敵だと私は思いますし、ドランも食わず嫌いをする子ではございませんので、可能性はまだまだアイリにも残されています。
 また誤字の指摘、ありがとうございました。

ベルン村特産品リスト 新規追加分

ドリアードの香水(HP/MP微回復・状態異常回復・少量生産)←NEW
ドリアードウェア(ディアドラ手製・少量生産)←NEW※1

※1……樹木の精霊ドリアードが木々の枝や幹、花弁や草の葉から紡ぎ出した糸を使って裁縫した衣服。地属の魔法に対する耐性と身体能力の若干の向上などの恩恵を着用者に与える。しかし深い森の中などに住まうドリアードに、この衣服を仕立てて貰うのは並大抵の苦労ではなく、市場には滅多に出回る事がない希少品。
 ドランの精を受けているディアドラが仕立てた衣服は、他のドリアードが仕立てたものより数段高品質で、物理・魔法両方に対する高い防御性能と実用性、デザイン性を併せ持っている。

10/06 23:21 投稿



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑩
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/09 09:38
さようなら竜生 こんにちは人生⑩

『いま地上に生きる全ての竜は元を辿ればたった一体の竜から産まれた。始祖竜、始原竜と呼ばれる竜からである。
 始祖竜とは世界がまだ出来上がったばかりの、天と地と海と空と時が溶けあっていた時代から生き続けているとてもとても古い竜だ。
世界そのものと同じくらい長い時間を生きていた始祖竜はまどろみの中、ふと気付くと周りに自分以外の誰が居る事に気付いた。
 それは浮かんでは弾けて消える混沌の渦が吐き出す泡玉から産まれた人の神、獣の神、森の神、夜の神、昼の神、精霊の神、光の神、闇の神をはじめとした最も古く最も純粋で最も偉大な第一の神々である。
 始祖竜は初めて自分以外の存在に気付き、次々と混沌から産まれる神々を見続けた。
 第一の神々もまた始祖竜には気付いていたが、混沌から産まれた自分達と違い、混沌と共に存在していた始祖竜にどう接して良いのか分からず、始祖竜が自分達を見る様に神々もまた始祖竜を見るだけであった。
 始祖竜が神々を見続ける間、神々は混沌からだけでなく神々自身からもまた産まれるようになり、次々とその数を増やしていった。
 例えば精霊の神は火、水、土、風、時、空、氷、雷、光、闇などの精霊とそれらの王を産み、精霊たちの住まう世界を作った。
 神々の数が増えるにつれて時に神と神がいがみあう事もあったが、この頃はまだ神同士で滅ぼし合うようなことのない時代であった。

 やがて神自身が新たに神を産み、さらにその神が自分達の下僕となる新たな生命や、天と地と海と時間と空間、生と死と運命などを作り始め、混沌は姿を変えて徐々に秩序ある姿形へと落ち着いて行く。
 その様にしていまある世界と神と地上に生きる種族が作り始められたころ、始祖竜の心に変化が現れた。多くの仲間や同類に囲まれる神々を見るうちに羨ましさと寂しさを覚えたのである。
 始祖竜は神々のように自分自身から新たな竜を産む事が出来ず、始まりの時から変わらず唯一無二の不変なる存在として、まだ混沌としていた世界の源に漂い続けていた。
 どうして自分には彼らや彼女の様な、自分以外の同胞が居ないのか? どうして自分はただ自分のみの存在であるのか?

 始祖竜は考え、思い、悩み、苦しみ、そしてある時思いついた。新たに竜を生み出す事が出来ないのなら、自分自身を細かく裂いて無数の竜と変えよう。そしてこの混沌と混ぜ合わせる事によって、それぞれがそれぞれに魂を持った違う竜にしよう。
 そんな事をすればいまある始祖竜の心が消えてなくなるかもしれなかったが、自分しかいない孤独にすっかり疲れ果てていた始祖竜は、周囲の神々に対する羨ましさもあって、すぐに自分の翼を千切り、尾を断ち、脚を落とし、首を切り、自分自身を数え切れないほど小さく裂いていった。
 神々は始祖竜の突然の行いに大いに驚いたが、それまで始祖竜の事を遠巻きに見守るだけで始祖竜が寂しがっていた事を知らなかったから、どうすればよいのか分からずやがて始祖竜がこれ以上自分を小さく出来なくなるまで、始祖竜が自分自身を裂くのを見守るしかなかった。

 始祖竜の身体が数え切れぬほどの小さなものとなり、肉や骨や血潮が周囲の混沌と混ざり合い始めると、神々の見ている前でそれらは始祖竜が望んだとおりに、数え切れぬほどの小さな竜と変わって世界に産声を上げ始めた。
 鱗の色も翼の数も首の長さも大きさも違う無数の竜達が産まれる光景は、それを見守っていた神々を驚かせ、世界を創造する腕を神々が止めた為に大地が落ちて、海の水が溢れ、空が蓋となることで世界はいまある形に固まったという。
 小さな血肉から産まれた竜達は始祖竜とは比べ物にならないほどか弱い存在であったが、それでも第一の神から産まれた第二の神と同じほどに強く、それらは神なる竜――神竜、あるいは龍の神――龍神と呼ばれた。
 始祖竜の小さな肉や骨の欠片、砕けた鱗、零れた血潮からは神竜と龍神が産まれたが、より大きな塊からは第一の神々さえも上回る強大な力を持った四柱の古神竜と三柱の古龍神が産まれた。

 翼からは三十六翼一頭八尾翠眼緑鱗の古神竜“何よりも速き”ヴリトラ。
 尻尾からは四翼一頭一尾零眼紫鱗の古龍神“全てを圧し壊す”ヒュペリオン。
 瞳からは七翼六頭十尾黒眼灰鱗の古龍神“森羅万象を見通す”ヨルムンガンド。
 牙からは十翼一頭二尾金眼銀鱗の古神竜“貫けぬもののない”アレキサンダー。
 四肢からは零翼一頭一尾蒼眼青鱗の古龍神“朽ちることなき”リヴァイアサン。
 頭からは二翼一頭一尾銀眼黒鱗の古神竜“縛られることなき”バハムート。

 そして自らを裂いてもなお脈打つ事を止めなかった始祖竜の心臓と魂からは、すべての竜と龍の頂点に君臨する至高の竜が産まれた。すなわち六翼一頭一尾虹眼白鱗の古神竜“全にして一なる”――――――である』

 つまりは前世の私である、と心の中でだけ呟いて私は締めくくり、村の北東から南西へと流れる川辺に集まった子供達――私も子供だが――に、物語の終わりを告げた。
 時折私はこうして村の子供達を集めて、古の、それこそ第一の神と呼ばれる古き最高位の神でもなければ知り得ない、世界創成期の頃や神々の大戦の物語を私の創作として聞かせている。
 物語の大筋は実際に私が体験し記憶している事実なのだが、言っても信じて貰えるわけもないので私の作り話である、と前置きをしてから聞かせている。
 最初は弟のマルコが三歳かそこらの頃、面倒を見ていた私が普通のおとぎ話では芸がないな、と口にしたのがはじまりで、訥々とした私の語り口がよほど真実味を帯びているのか、私の知らぬ所で私の物語は当時、村の子供たちの間で広まっていたらしい。
 そんな事を知らぬ私が、いつもの通りにマルコに家の軒先で戦神アルデスと私の百日百夜にもおよんだ大喧嘩の話を語っている所に、近所の私より一つ二つ下の子らが来て、自分達にもお話を聞かせてとせがんだ事が切っ掛けとなり、その内にこうして多くの子供を相手に話をするようになった。

 子供の娯楽の少ない農村であるから、私の語る物語は純朴な村の子らにとって吟遊詩人がハープの調べと共に語る英雄譚のごとく聞こえたのだろう。
 大体ベルン村の十四歳ごろまでの子供の人口は三十~四十人ほどで、現在私の目の前に下は五歳、上は十三歳ごろまでの子供連中が集まっている。
 当初物語を聞きに来るのは私と同じかそこらぐらいまでの年の子だったのだが、いつのまにやら私より年上の連中も話を聞きに来るようになっていた。
 かなり変わった子供として村の子供の輪から微妙に外れていた当時の私の評価は、この物語のお陰で多少持ち直し、子供たちの中心人物であったアイリとディラン兄の助けもあっていまでは避けられるような事もなくなっている。
 この事からも分かる様にアイリには昔から助けられている。これは足を向けては寝られないな、と随分と前に思ったものである。

 川辺の平たい石の上に腰かけた私を中心に、扇状に子供らが思い思いに親しい者同士で固まって、腰を落ちつけるか立ったまま私の話を聞いていたが、私が話は終わりだと告げると何人かは手を上げて、物語の続きや疑問に思った事を質問してくる。

「ねえドラン、ドラゴンって他にはどんなのが居るんだ?」

 ディラン兄と一番仲の良い出っ歯のサマンの質問に、私はふむといつもの癖を一つ零してから答えた。

「竜族の格は古神竜、古龍神を頂点に、神竜、龍神、ついで神竜と龍神から産まれた真竜の順に下がる。ここまでの竜が神代から生きた竜族だ。竜族のみならず混沌の時代に産まれた神は、地上で生きるにはあまりに強大過ぎた。
 その力を振るえば地上が容易く壊れてしまうほどに強く、それゆえ地上が出来てからも神々は地上に降りる事はなく、天界あるいは神界と呼ばれる世界で暮らしていた。それは竜も同じで真竜より格が上の竜達は地上で生きるには余りに強すぎたのだ。
 地上で生きる事を決めた竜達は自らの力を抑えて暮らす様になり、やがて竜達の子孫の中には全力を振るっても地上が壊れない程度の力を持つ、弱い竜達が産まれるようになり、それらの真竜の次の位階にある竜を古竜という。
 竜族は地上で生きるには弱くなるしかなかったのだ。そうして古竜が産まれ数を増やし世代を重ねると、徐々に竜族はより弱く、より小さく変わっていった。
 これらの竜が今で言う所の大部分の竜だな。後は竜の年齢によって幼竜、子竜、成竜、老竜などが存在する。まあ人間と同じで赤ん坊から子供、大人、老人が居るということだな。
 後は火、水、風、地、雷、氷、光、闇などの属性を持った者や中には病を撒き散らす疫竜、数多の毒を体内に備える毒竜などが産まれ、更には亜竜と呼ばれる竜でありながら他の生き物の特徴を備えた亜種も存在している。ただ大型の爬虫族と亜竜は混同されることもあるから、間違えないように」

 流石に竜の事となると私の舌は随分と滑らかになってしまい、思いのほか長い話になってしまった。サマンは途中から話についていけなかったのか眼をぱちくりさせている。
 子供たちの姿の中には川辺でとぐろを巻いた尻尾の上に子供を乗せてあげているセリナや、親鳥の後をついて回る小鳥の様に私から離れないリネットの姿があり、またレティシャさんの姿もあった。
 教団のシンボルをあしらわれたネックレスと白いシンプルな貫頭衣姿は変わらぬが、私の物語に時折首を傾げながら、微笑ましく見守っていてくれた。
 マイラスティ教における神話と多少の食い違いがあってもおかしくはないから、そこらへんがレティシャさんの中で引っ掛かっているのだろう。
 物語を語るにあたって私の創作だというのはレティシャさんにも言ってあるから、物語を中断させてまで注意する事もなく、最後まで聞いていてくれたから私としてはありがたい。
 以前、どうしてそんなにいろんな話を知っているのかとレティシャさんに聞かれた時に、色々と物語を想像するのは楽しいと答えると、そう言う年頃なのよね、と呟いてそれきりレティシャさんが私に疑問を挟む事はなくなった。

「マスタードラン」

 私より年上の少年達から熱を帯びた視線を向けられているのにも気付かず、いや気付いても無視してというべきか、リネットとセリナが物語をかたり終えた私の元にやって来た

「話がつまらなかったか?」

「いいえ。グランドマスターイシェルから伝えられた知識の中にある世界創成の神話と酷似していたものですから、マスタードランがどこで先ほどの物語の様な知識を得られたのか不思議です」

「マグル婆さんの所の本やレティシャさんから聞かされたマイラスティ教の神話を基にしただけだ。ただの子供の作り話と思って聞いてくれていればいい」

「そうだとしてもとても面白かったですよ。まるで私達も物語の中に居るみたいで、お上手です」

 セリナの賛辞に軽く笑んで答え、私は椅子代わりにしていた石から立ちあがると尻をぱっぱと叩いて埃を落としておく。
 中天から徐々に西に傾ききつつある陽を仰ぎ見た私は、眩い陽光の中に羽ばたく影を二つ見つけた。
 一つはマグル婆さん三匹の使い魔の一匹である翼長五メル(約四・五メートル)に達するジャイアントクロウのネロ、そしてネロに先導される様に追従して翼を広げているのはここら辺では滅多に見られないシルバーホーク。
 猛禽類の中でも有数の戦闘能力を誇り、翼長四メルの巨体と名前の由来になった銀色の爪と嘴で、時には集団でワイバーンさえ狩りたてる。
 シルバーホークが本来持つ魔力とは異なる波長の魔力が感じられる事から、おそらくは魔法使いの支配下にある使い魔なのであろう。

「ふむ、なにやら一波乱あるか……」

 イシェル・レイゼルの遺産の売却に関し、マグル婆さんがガロアに住んでいる息子さんを頼ると言っていたから、あのシルバーホークはその息子さんの使い魔であろう。
 恙無く売却が進み、村にお金が入ればいいがイシェル氏の技術の粋を凝らしたリネットがどう扱われるのか、その点が私にとっては気がかりだった。リネットの扱い如何によっては、私はある程度の武力行使も辞さぬ覚悟を腹の奥で固めている。

 二、三日に一度行っている物語の読み聞かせを終えた私は、リネットを伴って家へと帰った。
 大麦をミウさんの乳で煮込み、細かく刻んだハイイロマダラシカの肉、ベルンキャロットを具にしたオートミールで昼食をすませ、噛み締めると鼻にツンとくるやや刺激がある葉を噛みながら、私は庭の地面に腰を落として手の中の細工物を作る作業に夢中になっていた。
 疲れを知らぬリネットとアイアンゴーレム五体の労働力は凄まじく、アイアンゴーレム達が農作業を手伝った家の仕事は午前一杯で終わる事が多く、特にリネットが専属で手伝ってくれる我が家などは、作業の進展速度が著しく向上している。

 汗一つかくこともなく息を切らす事もなく、黙々と家の裏手に広がる原っぱの草を刈り取り、地面を掘り起こして均し、切り株を片手で引っこ抜いてゆくリネットの姿に、父母はもちろんディラン兄やマルコも目を丸くしてぽかんと見ている。
 私たち家族全員が額に汗をかきながら数日をかけてこなさなければならないような重労働も、巨人族かと思わず疑ってしまうリネットの怪力にかかればあれよあれよと言う間に終わって行くのだから、多少複雑であった。
 ま、楽だし他の事に時間が取れるから良いだろう。私がこうして細工ものをつくる時間を確保できているのもリネットのお陰であるし。

 ちりちりと剥き出しの首筋を焼く太陽の光を浴びながら、私は家の庭に出て地面に胡坐をかいて座り込み、慎重に地面に敷いた布の上の材料を手に取り、組み合わせる作業を飽きる事もなく続ける。
 布の上には私が材料として用意したツラヌキウサギ、ハリイタチ、トビタヌキをはじめとした動物のなめした皮や革紐、小指の先くらいの大きさの黒紅色の魔晶石、黄色い水晶を思わせる地精石と青い色をした水精石、緑色の風精石、鉛や胴で出来た小さな円形のプレートがある。
 これらの材料の内、魔晶石と三種類の精霊石は最近になってようやく私が堂々と調達できるようになった品である。
 魔晶石はマナという空間に満ちている純粋な魔力が結晶化したもので、大量の魔力が蓄えられた場所などで自然に結晶化し、人工的に魔力を凝縮させることで製造できる。
 欠片や屑石程度の魔晶石なら村の近くでも時々地面の中から出て来たが、私が用意した物はサイズこそ小ぶりだが、きちんと魔晶石扱いされるだけの純度と魔力を秘めたものだ。

 さて魔力が集まる場所と言えば、そうリネットが眠っていたイシェル氏の地下住居だ。
 誰も目を向ける者のいない荒野に存在していた地脈を流れる魔力の集積地であった場所に建造されたあの付近では、極自然と魔力が凝集し小さな魔晶石と化して地面の下で眠っていたのである。
 魔晶石が見つかる理由が出来た事を利用しない私ではなく、こっそり地脈に私の魂が常時生産する魔力を流し込み、大量に魔晶石が発生する環境を整えたのである。
 それとて余り高品質の魔晶石が取れては、魔晶石の鉱脈を国が独占しようとなにか働きかけてくるかもしれないから、魔晶石が取れるとは言ってもあまり魅力出来過ぎないように、ほど良く算出量と質を抑えなければならない。
 私はその加減が苦手なので、非常に面倒な作業である。

 イシェル氏の遺産を回収がてら私は近辺の地面を同道させていたアイアンゴーレム達に掘り起こさせて、魔晶石の存在を皆に示唆してから、持っていた鞄や袋に入れられるだけ魔晶石を詰め込み、こうして我が家に持ち帰った。
 その気になればいつでも特大最上級の魔晶石を生成できると言うのに、わざわざいくつもの手間を踏まなければならないとは、普通の人間の子供のふりというのは途方もない制約となって私に枷を強いるものだ。
 とはいえ自分で選んだ結果なのであるからやはり文句を言っても仕方がない。仕方がないが心の中で愚痴くらいはこぼす事を許して欲しいものである。

 魔晶石以外の三種類の精霊石も似たような経緯で私が採取できるように仕組んだ品である。
 旧リザード集落の沼で強くなっていた地属の力の流れを操作して、ヒールグラスなどが生えている草原の中で一番目立つ高さ三十メルにも達するコーナ樹へ集まる様にしてある。
 これでコーナ樹の根の辺りを掘り返せば大地の精霊石が採取できるようになり、コーナ樹も豊潤な大地の力を受けられて、青々と葉を茂らせてさらにすくすくと育ちコーナ樹の果実も実りがよくなると一石三鳥である。
 ちなみにコーナの果実は、コーナ樹の枝に成る私の頭くらいの大きさで、胡桃の様な殻に覆われており、中には私の指くらいの細長い種とねっとりとした白い果肉が詰まっている。
 枝によじ登ってナイフでも使わない限り簡単には獲れない果実で、味はさっぱりとしていて甘さは控えめ。指で掬うかスプーンを指し込んで食べるのが普通だ。
 万が一落下したコーナの果実が頭にでも直撃したら、そのままこの世とおさらばしなければならないだろうから、意外と地精石の採取は危険な作業かもしれない。

 沼から強くなっていた地属の力を取り除いたことで、あの沼――ラヴェリア沼地と正式には言う――は放っておいても元の環境を取り戻すだろうし、リザード族との交渉次第では綺麗になった沼を利用できるかもしれない。
 水精石は村の中を流れる川辺から安全に採取できるようにしてある。
 村を流れる川だが、これはリザード族が移住した北方の山脈近くにあると言う複数の湖から南方に流れるレマゲン河の支流のひとつで、元から水の精霊の力が強く水精石が出来る様に調整するのは、そう難しい事ではなかった。
 最後に風精石であるがこれは村の西側に広がっている緩やかな丘陵地帯で採取できるようにしてある。
 常にある程度の強さの風が吹いていて非常に心地よく、ここを開墾して風車小屋でも建てれば良質の小麦粉が大量に確保できるようになりそうだ。
 問題はそれだけの人手が足りない事で、これは村に移住希望者などを募って人口を増やすか、開墾用にゴーレムを大量生産することでなんとかできると私は考えている。

 村の子供連中でも採りに行ける範囲で採掘できるように仕込むまで、加減を間違えて危うく嵐を起こしそうになったり、大陸全土が崩壊する規模の地震を起こしそうになったり、世界が全て海の底に沈むほどの雨が降りそうになったり、と失敗を重ねてしまった為に時間が掛ってしまったが、私にとっては大いなる一歩を踏み出す事が出来たことになる。
 さてなぜ私が魔晶石や三種類の精霊石が発生するように周辺の環境を整えたかと言えば、これはお金を稼ぐためである。
 何事を成すにしてもまず先立つのはお金と人間に産まれて数年を経てから理解した私が、ある程度まとまった額の収入が得られるようにと無い知恵を絞った金策の一環なのだ。
 当初は採取した精霊石などをそのままラギィおばさんに買い取ってもらうか、ガロアで売りさばいてもらう予定だったのだが、私がマグル婆さんの弟子になったことで人間の魔法をある程度大手を振って扱えるようになった事と、先日イシェル氏の遺産とリネットから更に多くの魔法を学習した事から予定を変更している。

 私が用意した材料で作ろうとしているのはごく初歩的なマジックアイテムである。竜時代に収集した財物と比較すれば取るに足らない品であるが、人間の魔法使い初心者の私が作れるものとしては、やはり簡単なものが適切だろう。
 イシェル氏の知識と技術を継承しているリネット監修の元、私は用意した材料を使って装着者の能力を向上させる数種のブレスレット、それぞれの属性に対する魔法耐性を付与する風、水、地のブレスレットを作成中である。
 金属類のプレートにナイフでごりごりと半永久的に魔法の効果を発する為の術式を刻みこみ、プレートの穴や窪みなどに魔晶石や精霊石を嵌めこむことで術式が完成し効果が発動する。
 これがまた繊細な作業で、細工物が得意になる様に指を血まみれにした努力がなかったら、私は指を切り落としていたかもしれない。今の私なら麦粒に詩文だって綴って見せよう。

 本来使われるのは金属製の腕輪だというのだが、如何せん金属製の品が貴重なベルン村では、鍛冶の時に出るクズ鉄などを使って直径三シム位のプレート類を用意してもらうのが精一杯で、仕方なく革のベルトで代用してブレスレットにすることで妥協している。
 それでも金属製のプレートの数が揃わなかったから、こっそりとイシェル氏の遺産の一部からゴーレムの材料となる金属類をちょろまかしたのは村の皆には内緒である。
 ごりごりと音を立てながらプレートに緻密な魔法文字とミスティックシンボルを刻みこみ、ナイフの先で指を切らぬよう注意を払いながら作業を進める。
 プレートを革のベルトに縫いこんで自分で身につけて、ある程度動かしてブレスレットからプレートが外れない事と効果がきちんと発動するかを確かめる。

 ぐっぐっと手を開いて握り、足元に置いておいた石を持ち上げてみて普段との違いを確認するが、ふむ、私の身体強化ほどではないにせよ若干の向上効果があるのは間違いない。
 私の右手に巻いているのは腕力を向上させる力のブレスレットだ。他にも筋組織や表皮を頑健にする体力のブレスレット、精神力を向上させる知恵のブレスレット、脚力や反応速度を向上させる速さのブレスレットといった品がある。
 いずれも装着者の能力を向上させる類のマジックアイテムとしては最下級の大量生産品であり、駆け出し冒険者や王国の下級兵士に愛用されているという。

「ふむ、一応機能はしているな」

「術式の構築に問題はありません。魔晶石及び各種精霊石も一級品の品質です。金属製でないとは言え十分に商品として通用するとリネットは保証します」

 私が術式を刻み込んだ他のプレートをまじまじと観察していたリネットが、褒めているとは思えない無表情の顔で私に告げる。
 ゴーレムをはじめ使い魔、ホムンクルスと言った人造生命は、創造主に危害を加えない、虚偽を伝えない、命令に逆らわないといった三つのルールで縛られているのが常で、リネットにもこれら三つのルールが備わっており、いまはマスターである私に対して適用されている。
 よってリネットの私に対する言葉はすべて本当の事であるのは間違いない。

「よし、用意した材料の分を作るか。すまんが、手を貸してもらうぞリネット」

「お任せを。リネットはマスタードランのお役に立つ事が存在意義ですから」

 どこか気合いの入った顔をしているリネットの姿に、微笑ましい物を感じながら私はブレスレットを外して、残りの材料からマジックアイテムの作成に勤しんだ。
 途中興味から覗きに来たマルコとディラン兄を私が貯蓄している乾燥肉を報酬に、半ば無理矢理手伝わせて、全ての材料を使い終えた頃にはすっかり世界は夕闇の帳が下りていた。
 ふむ、熱中し過ぎるのも考えものだな、と私は作業に集中するあまり軽く頭痛のする頭を抑えながら、父母の呼ぶ声に従って家へと帰った。

 以前ジーノさんとラギィおばさんに確認を取った所、私の作成した最下級のマジックアイテムの市場における相場は、身体能力向上系のアクセサリーがおおよそ五百ゼギル、精霊石を使ったものは少し値段が上がって六百ゼギル前後となる。
 父が愛飲している三級品の麦酒は一杯四十ゼギルくらいで、ホコロ芋は一個一ゼギルかそこら、主食の一つである黒パンは十~二十ゼギルほどである。
 私達ベルン村の所属するアレクラフト王国及び大陸では基本的にゼギルと言う通貨が流通している。
 各国でゼギルの相場は違うしそれぞれの国独自の貨幣も鋳造されているから、国や地方が違えば貨幣の価値も大小さまざまに変動するし、それぞれの貨幣にも鋳造された時代などによって、純度が異なって銅貨同士でも価値が違ったりする。
 とりあえず北部辺境区での貨幣の価値は、このようなものになる。まず貨幣は銅貨、銀貨、金貨が流通しており、銅貨が一枚一ゼギル、銀貨が一枚百ゼギル、金貨が一枚一万ゼギルである。
 それぞれの貨幣の差額が百倍ずつであるから、実に分かりやすい。金山や銀山の採掘量や新たな鉱脈の発見、貿易などによって貨幣価値は変わるからいつまでも絶対と言うわけではないが、取り敢えずはこの様な形に落ち着いている。

 ジーノさん達に相場を聞いたその日、アクセサリー一つでホコロ芋数百個分になるのかと、私は普段私たち家族が世話をしている芋畑を見ながら、どことなく寂しい物を覚えたものだ。
 私達が汗水を流して長い時間をかけて世話をし、育てた芋数百個分とアクセサリー一つが等価なのだ。
 ホコロ芋は空腹を満たし生きる糧となるのに、アクセサリーは空腹を満たしてはくれない。なのにどうしてそこまで金銭的な価値が異なるのかと、どことなく理不尽な物を覚えても仕方がないではないか。

 私が作成したブレスレットの数は、それぞれ力のブレスレット、体力のブレスレット、三種類の精霊石を使ったブレスレットが五個ずつで、合計二十五個。
 ううむ、勢いに乗って作ったがこれが結構な数になったものだ。流石に机上の計算であるから、定価で売れるかは分からぬし売る伝手も特にない状況ではそっくりそのまま利益が入ってくる事もあるまい。
 だがそれでも地道に畑仕事をするよりも短い時間と手間でかなりの額を稼げる可能性は高い。
 私は出来上がった力と体力のブレスレットを早速家族にプレゼントし、訝しむ家族にこれを着ければ仕事が楽になると告げ、残りは村長の所に持ち込んだ。

 村の中央広場にある村長の家を訪れて戸口に設置された真鍮の輪製のドアノッカーを叩くと、共通資産や税として差し出す穀物の管理などを担当し帳簿を着けている財務係のシェンナさんが顔を覗かせた。
 切れ長の薄紫色の瞳は涼しげで、鼻筋はくっきりと通り細い眉と鼻梁から唇に至るまでのラインの流れが美しい。前髪を眉に掛る程度で綺麗に横一文字に切り揃え、肩甲骨に届く程度に伸ばした後ろ髪も、前髪同様に綺麗に切り揃えられている。
 深緑色のシャツの上に薄緑色のストールを羽織り、くるぶしまで届くベージュのスカートを履いた体は年相応に起伏を描いていて、整った顔立ちと相まっていまだに独身であることが信じられないほどに魅力的だ。
 村の独身男性が何人かコナをかけているが、いずれもすげなくあしらわれており、シェンナさんが結婚する気がないのではないかと村長が気にしているのは、村の皆が知っている公然の秘密。

「おはよう、シェンナさん。村長とシェンナさんに見て欲しいものがあって来たのだが、お邪魔しても?」

「おはようドラン。朝ご飯はもう済んでいるし、村長も暇みたいだから構わないわよ。お上がりなさいな」

 私が肩から下げていた皮鞄にちらりと視線をくれてから、シェンナさんは私を家の中に招き入れてくれる。
 シェンナさんは家族以外の誰かが居る前では、決して村長をおじいちゃんと呼ばない。公私の区別ということだろうが、村全体が一つの家族の様なコミュニティであるから、そこまで気にしなくて良いと私は思うのだが。
 戸口を潜ってはいった部屋から繋がる奥の村長の私室に案内されて、私はベッドと机、テーブルや何冊かの書籍が納められた小さな文机が置かれている私室に入った。

「おや、ドランじゃないかね。また魔物のお嬢さんでも見つけて来たのかの? ま、お座り。シェンナ、白湯を」

「お言葉に甘えて、失礼する。残念ながら魔物の女性を連れて来たわけではない。村長に見て欲しいものがある」

 私個人としてはアラクネや鳥と人の融合した姿をしたハーピーなどに村に来てほしいものだが、あまりそう立て続けに村に魔物が姿を見せては、流石に村の人達も気分を害するであろうし、他の町や村の人々からどう思われるか分かったものではない。
 今後は交渉の出来る魔物と遭遇してもある程度自重したお付き合いを考えねばなるまい。色々な意味で非常に残念な決断である。
 シェンナさんが白湯を用意する為に部屋を出る間に、私はテーブルの上に昨日作成したブレスレット類を並べる。
 開拓初期においては冒険者や王国の兵士達と共に魔物や蛮族との戦いに明け暮れた村長であるから、私がテーブルの上に並べた品の正体をすぐさま把握したようで、感心した様子でほおと一つ洩らすと手にとって鑑定するようにブレスレットを見ている。

「これはドランが作ったのかね? 良く出来ておるが効果は……あるようじゃの」

 自分の腕に力のブレスレットを嵌めてベッドに立てかけてあったエンテ杉の杖を握った村長は、それをぶんぶんと振り回して効果のほどを確認する。中に鉛の芯を通しており、あの杖でゴブリンの頭をかち割るのを私はこの目で目撃している。

「魔晶石や精霊石が採取できるようになった事と、リネットから教わった知識を基に作成した。これを売ればお金を稼げると思ったから作った」

「なるほどのう。リネットちゃんは確か魔法の技術を受け継いでおるんじゃったか」

 考える様に村長が髭をしごき始めるとちょうどシェンナさんが、私と村長の分の白湯を持ってきてくれて、村長はシェンナさんを呼び寄せるとテーブルの上の品々と私の見解について意見を求めた。

「マジックアイテムをドランが? これが本当に使いものになるならラギィさんのお店で取り扱ってもらえば販売は出来ると思います。でも既にガロアには魔法学院や魔法ギルドの流通経路が形成されているから、そう簡単には割り込めないでしょう。第一、ドランだけで商売に出来るほど数を用意できるのかしら?」

「それは大丈夫。一番重要な魔晶石の加工やプレートに術式を刻む作業は私やマグル婆さん、ディナさん、リシャさん、それにリネットなら十分にできる作業だ。その他の革ベルトの作成や組み立ては村の子供でもできる様に簡単な造りにしておいた」

 私は鞄からマジックアイテムの材料と木の板に刻み込んだ簡単な図式付きの制作マニュアルを、村長達の前に出す。基本的に農村の住民は子供も大人も読み書きは出来ず、村長などの一部が文字を読める程度だ。
 ただそういった点ではベルン村は恵まれており、マイラスティ教の神官戦士であるレティシャさんが折を見ては、教団の教えや神話と一緒に文字の読み書きを教えてくれるし、私に至ってはマグル婆さんの下で文字のみならず簡単な計算も教わっている。
 元から計算は出来たがこの時代の人間の文字は知識の外だったので、学ばないと流石に私も分からない。
 異なる言語を理解する魔法もあるが、堂々と使うわけにもいかないし私にとって勉強は非常に楽しく感じられ、マグル婆さんやレティシャさんの授業は私にとって待ち遠しい時間である。
 さらに私もディラン兄やマルコ以外の子供たちにも教わった事を伝えているから、私と年が近い子達なら自分や家族の名前と簡単で短い文章を読むくらいはできる。これは辺境の農村としては非常に珍しいことらしい。

 シェンナさんは私が木板に彫った制作マニュアルに従い、テーブルの上の材料を手にとって、時折手を止めて手順を確認しながら組み合わせて行く。
 魔晶石の加工と術式の刻印さえ済んでいれば、あとは材料を組み立てて外れないように固く縫いつければいい。
 シェンナさんのしなやかな指は瞬く間にブレスレットを組み上げて、後は縫いつけるだけという状態にまでする。

「なるほどこれなら図の通りにするだけで文字が読めなくてもブレスレットを作れるわね。良く考えられているわ。ドランはこれをそうね、月にどれくらい作れると考えているのかしら」

「一番重要な魔晶石と精霊石の加工は私なら仕事の終わった後夕方からでも二個はできる。リネットなら休み要らずだから一晩で五個はできると思う。
 それとマグル婆さんの家は魔法薬の調合があって忙しいだろうから、少なく見積もって一個。合わせて一日で八組用意できるから、これを時折作らない休みの日があるとしても、月に百六十個位は揃えられると思う。
 ただ魔晶石と精霊石の質と数にもよるから、この数字よりは少なくなるだろう。それでもブレスレットを組み上げる作業を村の皆で分担すれば、一人あたりの労力はそれほど大きくないし、良い稼ぎになる」

 今回二十五個も用意できたのは、前々から用意をしておいたためである。シェンナさんは私の意見を、右のこめかみに指をあてながら吟味している様だった。

「ただ問題はガロアにそれだけの数のアクセサリーに対する需要、つまりは欲しがっている人が居るかどうかね。百個用意したとしても、それを欲しがる人が十人しかいないようなら、残りの九十個が無駄になるわ。
 それに金属製の腕輪ではなくて革のベルトで代用しているから、品質を下に見られるだろうし売りものにするなら価格を低く設定しないといけないわね」

 ずばずばと問題点を並べ立てるシェンナさんの意見に、私はむう、と小さく唸って考え込む。なるほど数を用意できたからと言ってそれらを欲する人がいなければ、労力と資源と時間の無駄に終わってしまうのか。
 となるとベルン村の主産業とまでは行かず、あくまで副収入程度で落ち着くのだろうか。いやそれでも随分と収入が上がる事には変わりはない筈だ。ブレスレットの作成は決して無駄にはならない。

「それでも現金の収入が得られるのは悪い事ではない。貨幣なら麦や作物と違って腐る事はないし、価値が変わっても役には立つ。貨幣として役に立たなくなっても、鋳潰して農具にしてしまえばいい」

 それでもめげずに言い募る私が微笑ましかったのか、シェンナさんはくすりと微笑んで手の中の完成一歩手前のブレスレットをテーブルに戻した。

「ドランは前向きなのね。私も意地の悪い事を言ったわ。この腕の力と体力を補助してくれるブレスレットなら、冒険者ではない普通の人達でも欲しがってくれるでしょうし、普通の人でも手が出る様に価格を設定すれば十分に売れると思うわ。ドラン、これと同じ品質のモノをちゃんと作れるのね?」

「私とリネットなら確実に。マグル婆さんやディナさん達は魔法薬の仕事が忙しいから、ひょっとしたら手伝ってもらえないかもしれないが……」

「そうね、魔法薬も貴重だし調合の数を減らすわけにも行かないわ。取り敢えず貴方とリネットで作って頂戴。まずは力と体力のブレスレットを作って貰えるかしら。村の皆も欲しがるでしょうし、貴方の心象も良くなるわよ」

「分かった。まずは村の皆の分を作ってから、売る事を考える事にする。では後でイシェル氏の地下住居の近くに行く許可を出して欲しい。魔晶石はあそこで採れるから」

「ええ。構いませんよね、村長?」

「お前達がそうしたいというのなら構わんよ。ただ少々遠い場所にあるからの、行く時は十分に気をつける様に」

 ありがとう、と私はお礼を告げて村長の家を辞退した。早速魔晶石と精霊石の確保の為にあちこちを走り回る為である。
 村長の家をシェンナさんと村長に見送られて出た後、すぐに駆けだそうとした私であったが、閉じられた扉越しに村長達の会話が聞こえて、つい足を止めて聞き入ってしまった。
 無論聴力を強化しているからこそ可能な芸当である。私が居なくなったことで気を抜いたシェンナさんは、村長とその秘書ではなく祖父と孫娘の雰囲気で村長に話しかけていた。

『相変わらずドランは変わった事を思いつく子ね、おじいちゃん』

『昔から好奇心の強い子じゃったからのう。それにあの子は家族はもちろん村の皆を好いておる。少し前は避けられがちだったこともあったと言うのに、まるで気に留めておらんし、いつの間にやら子供らの輪の中にも入っておったしのう』

『不思議な子供よね。普段はほとんど無表情だけど、年齢より小さな子供みたいに笑う時もあれば、大人顔負けな位に落ち着いている時もあるもの。さっきも計算をあんなに速く出来たし、文字の読み書きもあっという間に憶えたから頭も良いのよね』

『確かにの。それと同時に村の事が大好きだと平気な顔で堂々と言う子じゃし、いつも村の皆の為になる事を考えておるのも確かじゃ。大概の事は眼を瞑ってやってもええじゃろ。ほっほっほ』

『村に魔物が来る度に必ずドランが関わっているのは、どうかと思う事もあるけどね』

『流石にゴブリンやオーク共を連れてきたらわしもドランを折檻するか、村から追い出す位の事はせねばならんかったが、どのお嬢さん方も可愛いし優しい娘な上に、皆が皆村の役に立ってくれておる。
 今のところは村から追い出すような真似をせんで構うまい。ただドランの事を不思議がる者がまた増え始めとるからの、これ以上魔物を村に連れ込まぬよう釘を指しておかんとなるまい。なまじドランは村の為に良かれと思っておるから、納得せんかもしれんのう』

 ふむ、こんな評価を私は受けているらしい。まあ、流石に人類の敵対種として創造されたゴブリンを村に連れ込むような真似はせんが、村の為になるからと言ってあまり破天荒な事をしては、私の身の破滅に繋がってしまうようだ。
 世の中上手く行かぬようにできているものだ、と私は胸の奥で少しばかり嘆き、今度こそ魔晶石を採取に行くべくその場を後にした。
 二鐘の距離がある荒野までを鞄を背負って素の脚力で全力疾走し、行きは一鐘、帰りは二鐘半の時間をかけて私は村へと戻り、リネットと暇を持て余していたディアドラに声をかけた。

 病んだり傷んでいる作物が現状ないベルン村でディアドラのやる事は、主にマグル婆さんが管理している魔法薬の材料に対する説得であり、それが終わると葉っぱや花弁から繊維を紡いで衣服を仕立てるか子供らと遊ぶ位しかやる事がなくなるらしい。
 そんなわけで手の空いていたディアドラを加えた私達三人は、我が家の裏手に転がされている丸太や切り株に腰かけて、魔晶石と精霊石の大きさや精度で大雑把にグループ分けし、特に技術が居るものは私とリネットが引き受け、プレートに嵌めこめる大きさと形状にする作業を行う。
 魔晶石に直接自身の魔力を流し込んで同調させ石の形状や内部の魔力濃度を調整する作業だ。魔力を帯びた刃でカッティングを行う方法もあるが、そちらには繊細な技術が居るので、予め除外している。
 魔力で直接干渉する方法も、魔力の制御に長けていないとこれがなかなか難しいが、私の場合失敗したら自分の魔力で新しく魔晶石を作りだして減った分を補ういかさまみたいな事をしている。
 精霊石の場合は石に宿る微精霊という自我の無い精霊に語りかけて、形などを変えて貰う作業になる。樹木の精霊であるディアドラは地属性の精霊とは大変相性が良いから、地精石の扱いに関しては全幅の信頼を寄せられる。

 他の人の目がない事を確認した私は猫を被るのを止めて、さくっと魔晶石と精霊石の形状変化などの加工を終わらせる。
 ディアドラとリネットが目を丸くする中で、私はアクセサリー作り以外にも何かできる事はないかと頭を捻った。
 そして視線を私から外して作業に戻って黙々と魔晶石の魔力に干渉して形状を整えているリネットを見ていて、あっと気付く物があった。そう、ゴーレムだ。
 ゴーレム。疲れを知らず病を知らず老いを知らず、与えられた命令に従う忠実な人形。私としてはリネットを奴隷の様に扱うつもりはないが、労働力としては非常に魅力的な存在である。
 そして私はイシェル氏の遺産や魔法書からゴーレムクリエイションの初歩を学び、リネットに対しても様々な質問を重ねることで理解を深めている。一体くらいならなんとかなるだろうか?

「リネット、ゴーレムを作ってみようと思うのだが、少し見てくれぬか?」

 唐突な私の言葉に、魔晶石の形状変化を順調に進めていたリネットは手を止めて、はい、と従順に小さく頷く。
 ディアドラには悪いが思いついたら試さずにはいられない性分の私である。取り敢えず用意できる材料から考えると、造るのは木のウッドゴーレムか土のアースゴーレムが妥当であろう。
 ゴーレムの作成を補助する魔法陣をリネットの指示に従って棒きれで魔力を流し込みながら地面に描き、その中心部に素材を置く。今回はアースゴーレムを作るので山盛りの土だ。
 先にゴーレムの身体のパーツを成型しておけば、組み上げる作業は楽になるが今回は私の思いつきが発端であるから成型の工程は省く。

 材料に対し自身の魔力を伝達・浸透させ、材料に完全に自分の魔力が行き渡るのを待ってから、ゴーレムの姿を克明に想像するのが次の手順である。とりあえずはのっぺらぼうの特にこれと言った特徴の無い人型を作ってみる事にした。
 竜の身体と人の身体の相違に四苦八苦している私であったが、分身体と違って外見だけを模せば良いのだから、分身体を作るのよりも楽な作業である。
 魔法陣の中心に置かれた山盛りの土がもぞもぞと蠢きだし、私が脳裏に描いた姿を再現しようと徐々に人型を成してゆく光景に私が上手くいっているな、と考えていると地精石の半分を加工し終えたディアドラがふと顔を上げてこう呟いた。

「ゴーレムって、必ず人型でないといけないの?」

「……なに?」

 ディアドラとしては軽い気持ちで口にした質問だったのだろうが、言葉の意味を理解した私が思いのほか硬い声音で答えたのが意外だったようで、ディアドラは眼をぱちくりさせると少し驚いた様子で弁解じみた言葉を口にしはじめる。

「え、だからゴーレムは人間の姿を真似していないといけないのかしらって思っただけなんだけど」

「ディアドラ、そなたは天才か」

 何と言う事か、なまじ古代の人間達が作ったゴーレムなどを知っていたものだから、魂は竜である筈の私でさえ、ゴーレムは人間の形状をしていなければならないと言う固定概念に捕らわれていたのである。
 固定概念、先入観、新しいものを創造する職にある者達にとって一種の天敵とも言える概念であるが、よもや私もそれに捕らわれている事を実感する日が来るとは。
 愕然と固まる私の精神状態に反応して、人型に近くなっていたアースゴーレムがべしゃりと崩れて元の土くれに戻る中、リネットとディアドラが酷く心配そうな顔で私を見ている。

「リネット、人型ではないゴーレムの作り方はなにか変わる事はあるか?」

「……いえ、即興でゴーレムを製造する場合に置いて重要なのはイメージですから、それが強固なものであれば人型でなくとも手順に違いは生じません」

「よろしい、ならば非人型ゴーレムの創造を行う」

 農作業を行わせるのなら人間を模した方が良い面もあるだろうが、人間の姿をしていないゴーレムにも使い道はあるのではないだろうか。
例えば田畑を耕す際に大きな力となってくれる牛馬をゴーレムで代替するのはどうだろう?
 例えば麦を刈り取る時にいくつもの腕を持ち、一振りでまとめていくつもの麦を刈り取れる多腕のゴーレムはどうだろう?
 例えば襲い来る魔物たちの襲撃を早期に発見する為に鳥やハーピーの様に空を飛び、敵を見つけたら空から奇襲をかけ、時には人型に姿を変えて地上での戦力にもなるゴーレムはどうだろう?
 例えば襲い来る魔物たちを遠方から一方的に撃退する為に、攻城用の巨大な矢の発射装置であるバリスタや投石機であるカタパルトを装備したゴーレムはどうだろう?
 まだ私の頭の中で構想段階にあるそれらを現実のものとし、村の人達の役に立つことで皆が笑顔になる光景を思い描き、私は口元に笑みを浮かべるのだった。
 少し浮かれていたのは否めない。

 ガロアから役人と護衛の兵士、レティシャさんの上司に当たるマイラスティ教の司祭、マグル婆さんの息子さん達が連れだってベルン村を訪れたのは、私がゴーレムの活用に大いなる可能性を見出してから二日後の事である。

<続>

可変型ゴーレム・バルキリー(仮)
砲撃型ゴーレム・ガチタン(仮)

 以上二種のゴーレム開発フラグが立ちました。技術力を向上させましょう。

 村長の孫娘シェンナさんは前髪パッツンのクール美人秘書。

ううむ、がくんと感想が減ったあたり、エロの力は偉大なりと思わざるをえませんね。それ以外の部分も面白くなるように精進せねば。

10/09 00:10 投稿
10/09 09:38 誤字修正 JL様ご指摘ありがとうございます。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑪
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/28 08:48
さようなら竜生 こんにちは人生⑪

「ふむ」

 と私は残念な響きを交えた口癖を零した。ディアドラのふとした発言から着想を得たゴーレム活用計画であるが、リネットと相談を交した所どうにも問題点は多そうだった。
 構造が単純なゴーレムであれば壊れても修復は容易であるが、例えば我がベルン村で絶賛活躍中のアイアンゴーレム。
 彼らは私が目覚めさせたリネットあるいは成功作のリネットを護衛する為に、イシェル氏が技術を凝らして作り上げたゴーレムだ。
 私が簡易的に作ったアースゴーレムとは異なり、各部位ごとに精密な寸法を計算し、稼働域や各部位の組合せによる運動性能や耐久性の変化、部品の摩耗率、鉄の巨体にびっしりと刻まれた耐魔法処理の呪文の配置ととんでもなく繊細で緻密な計算の元に作りだされている。
 土があればいくらでも修復できるアースゴーレムはともかく、アイアンゴーレム達が破損したとなると、地下住居で見つけた予備の部品を使わなければ満足に修復する事もままならない。

 アイアンゴーレム達には耐魔法処理以外にも経年劣化を防ぐ魔法処理が施されているから、錆びることはないのだが施された魔法を解除されるか効果を軽減されてしまっては、その限りではない。
 定期的に部位をチェックしこまめな清掃や点検を行うのが好ましい。アイアンゴーレムでこれなのだから生の肉体と魔法素材から身体を構成しているリネットは、より細やかな配慮が必要であるが、幸い魔力の供給さえあれば欠損部位を自己修復する事がある程度は可能だと言う。
 私もアイアンゴーレムやリネット級の作成に極めて高い技術を要するゴーレムは、必要に迫られなければ作るつもりはないが、長期的な運用を考慮するとなると技術を収める必要もあり、そしてまた予備の部品などを大量に確保する為の時間と素材を用意しなければならなくなる。
 部品作製、素材確保の時間を取るのが難しい私が作れるのはアースゴーレムやウッドゴーレムなど複雑な工程を必要としない、簡易ゴーレム止まりであろう。

 創造者が直接操作するならともかく、簡易ゴーレムにあらかじめ下せる命令は単純なものだ。単純に畑を掘り起こせとか、雑草を刈り取れとか、襲ってくる魔物を撃退しろ、が精一杯だろうか。
 出来れば臨機応変な対応も可能なゴーレムを作りたい私としては、悩みどころである。いや、用途ごとに分けてゴーレムを作り分ければまあなんとかなるだろうと思わないでもない。
 ただ一体作るのは簡単だとしても用途ごとに分類し、大量に用意するとなればこれはリネットと私の二人では一朝一夕でどうにかなる話ではない。
 地道にこつこつと簡易ゴーレムを作りためて行くのが堅実な手ではある。だが簡易品であろうともゴーレムの作成には一定以上の魔力とそれなりの知識が必要なるから、マニュアルを作成したとて他の村の人達に任せられるものではない。
 マグル婆さんの家の皆に頼むにしても、彼女らの調合する魔法薬は長年にわたってベルン村のみならず近隣の村や町でも使われてきた、我がベルン村唯一の特産品と言ってもよい。
 量こそ少ないが質の高い魔法薬とマグル婆さんの技量への信頼は、見方によっては魔法薬の売買によって得られる金銭以上に価値がある。
 ゴーレムにかまけて魔法薬の調合が疎かになり、長年に渡ってようやく築きあげた信頼が損なわれる様な事になっては、目も当てられない。

 ブレスレットの件と言い思うようには進まない事態に、私はやれやれと言う代わりに小さな溜息を吐き、私を背後から抱きしめているディアドラの胸に頭を預けた。
 ほど良い柔らかさと薔薇の様な匂いがたちまち私を包みこみ、胸の奥にわずかに溜まっていた苛立ちが消える。何も言わずディアドラが私の胸元に手を回してかすかに私を抱きしめる力を強くしてくれた。
 私は今、北門と南門のアイアンゴーレムを含めた見張り役を除き、村の皆が寝静まった時刻にいつものようにセリナとディアドラとリネットが寝起きしている小屋に居た。
 板をつっかえ棒で支えているだけの四角く区切られた窓から見える、半円の月と星と夜空ばかりが覗く情事は先ほどひとまずの終わりを迎え、互いの身体と小屋の中の空気に色濃く残る余韻を楽しんでいる。
 藁を清潔な布でくるんだベッド代わりのクッションの上に座るディアドラに私が背を預け、その傍らには体を起こすのも気だるげな様子の、白い肌に情欲の残り香を漂わせるセリナが寝そべっている。
 窓からは火照った肌に心地よい程度に冷えた春の夜風が吹き込んでいるが、肺腑を満たす空気には、様々な体臭の混じり合った媚香のごとき匂いが残っている。
 ディアドラの胸枕の感触を後頭部で感じ取っていた私だが、ふと傍らのセリナが無意識にか自分の腹を優しく撫でる仕草を繰り返している事に気付く。

「子が欲しいのか?」

 かすかに笑みを浮かべながら口にした私の言葉に、セリナはようやく自分が腹を撫でている事に気付き、何か口にしようとして結局何も言わずに口を閉ざして、視線を俯かせる。
 私とディアドラはセリナに何も言わず、ただセリナが口を開くのを待った。それが最上だと判断出来る位には、私達の関係は色濃いものだという自負がある。

「……欲しいです。ドラン様の赤ちゃんなら何人でも産みたいと思っています。でも、ほんの少しだけ、怖い、と思う時があるのです。私がちゃんと産んであげられるのかどうか、それが怖いのです」

「ラミアに掛けられた呪いか。始祖が呪いを受けてから数千年を経た筈だが業の深いことよ」

 ラミアの始祖ははるかな昔に滅びた王国の王女ないしは女王とされている。魔物の呪いを受けたラミアの始祖は、見る者の心を奪わずにはいられない美貌の持ち主であったが、その美貌をそのままに下半身を巨大な蛇のそれへと変えられた。
 だがこの時受けたのは下半身が蛇に変わる呪いだけではなかった。この時ラミアの血族には、腹に宿した子を産む事が出来ないと言う死産の呪いと昼も夜も眠る事の出来ない不眠の呪いが宿る運命となった。
 不眠の呪いこそある神がラミアの始祖を哀れに思って解いたが、死産の呪いはいまもなおラミアの血族に延々と受け継がれており、これまで何百何千というラミアが腹を痛めて産んだ子が産まれ落ちるのと同時に死ぬというあまりに酷な定めに血の涙を流している。
 その死産の呪いはセリナの血肉にも逃れられぬ運命として宿っている。いや、既に私が解いているから、宿っていたというべきだが、それでもなおラミアと言う種族最大の悲運の恐怖は、セリナの心に深く思い影を残している。

 ラミアが総じてより強い力を持った雄を求めるのは、ラミアの血肉に掛けられた死産の呪いに屈することのない、この世に産まれる事が出来る強い生命力をもった子を宿す為であり、中途半端な力しか持たない子供では産んであげることさえできないと言う母としておそらく最も辛く苦しい運命にせめても抗う為の、唯一の手段でもある。
 セリナ自身、母が自分以外の子を設けなかったとは考えていないようで、でありながら子供がセリナしかいないと言う事は他のセリナの姉達は、全て死産だったという結論に行き着く。
 セリナにとって尊敬する母でさえ、自分ひとりしか子供を産む事が出来なかったという事実――推測だが――は、母に到底及ばぬ自分がきちんと子供を生きた状態で産んであげられるのかと言う不安となって、ずっと胸の奥にあったのだと言う。
 いまとなってはラミアの血族すべてに掛けられた呪いを解くことは至難の業であるが、もしラミアの始祖に呪いが掛けられる時代に戻る事が出来たなら、私はそれを阻止するだろうか? 
 心情的には無論阻止してその後のラミア達に振りかかる不幸を防ぎたいとも思う。
 だが、その呪いと共にラミア達が血脈を現在に至るまで絶やすことなくあったからこそ、こうして私の目の前にセリナが居るのであり、過去を変えることで目の前のセリナが居なくなるとしたなら、私はラミアの始祖に呪いが掛けられる場面に遭遇したとて、それを妨げるだろうか?

 いや、今それを考えても答えは出まい。あるいはこれからもずっと出ないのかもしれない。ただ目の前のセリナと言うラミアの少女を幸せにしてあげたいという気持ちだけは本物であった。
 幾度となく私の精を子宮に受けているセリナであるが、まったく妊娠する気配も兆候もない。これは私が意図的にセリナが妊娠しないようにしている為で、セリナやディアドラにも予め伝えてある。
 魂はともかく肉体は純粋な人間である私は、精通を迎えた以上万年発情期の状態である為、条件が整えば相手を孕ませる生殖能力を有している。
 でありながらなぜ今に至るまでセリナの腹が子を宿した事で膨れる事もないのかと言えば、別段私が子を欲していないと言うわけではなく、まだ子供が出来たとして養う事が極めて難しいと判断している為だ。
 むしろ子供は多ければ多いほど良いと考える位には、私だって子供は欲しい。子供を産んでくれる相手がセリナやディアドラ、アイリやリシャさんならなおさらのことである。

 私が自身の肉体機能を魔法で完全に掌握し、既に体内で子種は分離させてから放出しおり、これならいくら出そうが相手を孕ませる事はない。
 ただ子種が分離した状態であるから、精気としての質は一段落ちておりセリナとディアドラ、リネットには実の所まだ私が供給できる最上級の精は一度も与えた事は無かったりする。
 私が子供を養うのが難しいと判断したことに特別な理由はない。
 まず立場上はまだ十歳の子供にしか過ぎない私が、父親になる事はましてや相手が村の人間ではなく受け入れられているとはいえ、魔物の女性となればいかにベルン村の人々でも私とセリナ達と子供を受け入れる事はほぼ不可能だろう。
 村からの排斥くらいは確実と見ておいて間違いはないだろうし、最悪町に駐屯している王国の兵士やどこぞやの教団に、異端者として密告されかねない。
 そしてたとえその様な目にあわされても、私はベルン村の人々に危害を加える事は出来ない。子供が出来てそれを村の人達が知ったなら、騒動になる前に私達は誰に知られることもなく村を後にして、二度と帰ってくる事はあるまい。

 子供を産む事、新たな生命を作る事自体は素晴らしい事で生物として至極当然の欲求であり権利であるが、産んだ子を育てる事が出来ないのは罪、というのが世間一般がどうかは知らぬが竜時代からの私の価値観の一つである。 
 だがベルン村を離れれば例え子供が居たとしても、私達自身の糧くらいなら私が自制をしなくて済む事で、いくらでも得られよう。
 それを考えれば私がいまはまだ子供は早いと子供を作らずにいるのは、単に故郷と家族、友人たちと離れたくはないと考えているからで、一重に私の我儘と言える。詰まる所は我が身可愛さかと、私は自分自身に対する深い失望に人知れず溜息を零したものだ。
 
「セリナに掛けられている呪いは既に私が解いている。子が腹に宿ってから体調に気をつければきちんと産んであげられる筈だ。その事は私が私の全てに誓って保証しよう」

 私の言葉に、セリナは小さく微笑んだ。私に対する信頼はラミアの呪いに対する恐れよりも強いものだと、一目で教えてくれる信頼に満ちたセリナの笑みであった。

「はい、信じております。今の内に赤ちゃんの名前を考えておきましょうか」

「そうだな。後五年、私が成人したらセリナには何人でも子供を産んでもらおう。そうしたらもう胎が休む暇はないから、それまでの間にしたい事はしておいた方がいい。子育てに時間を取られて自分の時間が減るのは間違いない」

 私が一人前の大人と認められるまで後五年。
 私が少しでも早く村を豊かにしたいと考えているのは、私が成人の年を迎えた時にセリナやディアドラ、リネットといった複数の女性を迎い入れる事が出来るだけの余裕ある暮らしをする為というのも大きな理由の一つだろう。
 五年と言う時間は決して短いとは言えないが、同時に長いとも言えない。その五年の間に、私はこのベルン村をどうする事が出来るのだろうか?
 ひょっとしたら私は、少し生き急いでいるのかもしれない。ともすれば永遠を生きることさえ出来た竜の身体と違い、この人間の体は六十年からそこらで朽ちる時代である。既に私は与えられた時間の六分の一を消費している。

 生きる事を急ぐ、か。言葉と意味だけは知っていたがよもや自分がそれを体験する事になるとは、人間に転生するのと同じくらいに私には縁のない事だと思っていたが。
 一体如何なる存在がこの皮肉的でそしてなんとも素晴らしい運命を私に与えたのだろう。
 人間として生きる喜びも苦しみも悲しみも、そして愛する者と子供と未来の事について思い悩む事が、私にとってどれだけ幸福に感じられる事か。
 ああどうか私の手の届く人々、私の目に映る全ての愛しい者達が幸福の霧に包まれん事を。
 そう願う私の膝に頭を預けて枕代わりにしていたリネットが顔をあげて、セリナを見つめると、無垢な少女はこう言った。

「セリナやディアドラとの間にマスタードランとの御子ができたら、リネットが全身全霊で守ります」

 私は私だけでなくディアドラとセリナも口元に笑みを浮かべるのを、見るまでもなく理解した。私は礼を言う代わりにリネットの雪色の髪をなでる。この髪の手触りと比べては、絹糸も痛んだ糸くずと勘違いしてしまいそうだ。
 その日の夜は、そうして朝陽に明けて行った。

 あくる日、朝からやけに村が騒がしいのを、私はハードグラスの葉を巻きつけた木製の鍬を畑に向けて振り下ろしながら肌で感じ取っていた。
 普段なら皆がそれぞれの家の畑や、ささやかな果樹園、あるいは川で漁に勤しんでいる筈なのだが、それをしている者の数が少ない。
 更に私に奇妙だ、と感じさせたのは村に広がる慌ただしい雰囲気の中に、不安と困惑の感情が混じっている事か。明らかに悪い方向に向かっている雰囲気だ。
 私の嫌な予感が的中している事を証明するように、道の向こうからバランさんの部下の一人であるクレスさんが、険しい顔立ちで我が家に向かっているのがみえた。
 普段は陽気なお調子者で、村の皆からの信頼も厚い青年なのだが、ころころと良く変わる表情を浮かべている顔には、これまで見た事の無い険が浮かんでいる。
 そしてクレスさんの黒い瞳は鍬を振る手を休めた私を確かに見つめていた。私に何か用があるということか。私に遅れて父母や兄弟がクレスさんの姿に気付き、私のすぐ前で足を止めたクレスさんを囲むようにして、クレスさんが用件を切り出すのを待った。
 クレスさんは、私たち家族を前にして少し口を開くのを躊躇する素振りを見せたが、やるせないように首を左右に振ると、私の顔をまっすぐに見つめてこう言った。

「ベルン村のゴラオンの息子ドラン。広場まですぐに来るんだ。北部辺境区ベルウィル地方第四等管理官ゴーダ・デュメレ・シャトル様の命令だ」

 ベルウィル地方と言うのはシノン村やボルニア村、ベルン村を含む北部辺境区の最北部一帯を指し、北部辺境区は王家の直轄領に当たるため、領主の代わりに王政府から役人が直接派遣される。管理官というのはその役人の名称だ。
 最上級職は総督で以降第一等、第二等、第三等、と数字が大きくなるにつれて管理を任される地区が狭くなる。
 第四等管理官となると精々村落をひとつかふたつ管理する程度だったろうか。言ってしまえば木っ端役人である。
 志がありそれに見合う能力のある人物が役職に就けば、担当地区に住まう人々の未来は明るいがその逆となるとこれは少々目もあてられない事に往々にしてなりやすい。
 我がベルン村は辺境の僻村の中でも特にうま味の無い村であるから、これまでほとんど放置されていたも同然だったので、お偉い管理官様の興味を引く事もなかったのだが、その管理官の命が下るとなると、ここ最近の村の変化が興味を引いてしまったらしい。
 まだ断言はできぬが、どうにも身から出た錆か自業自得という結果が待っている予感が、私の胸の中で加速的に膨らんでいった。

 苦渋の色を浮かべるクレスさんの言葉に従い、不安がり私と一緒に来ようとする家族を宥め、私はクレスさんと二人で村長の家を目指した。
 短い道中、クレスさんは終始無言で、どうやらこれは碌な事にならないようだと、私は胸中で溜息を吐かざるを得なかった。
 特に未来視や運命を詠むといった行為を行ったわけではなかったのだが、私の嫌な予感は的中したらしい、と村長の家がある中央広場に来た時点ではっきりと分かった。
 広場に目をやればここ最近やたらと顔を合わす機会の増えた村長、シェンナさん、バランさんとその部下の皆さん、マグル婆さんにリシャさんといった村の重要人物たちの顔触れと私の愛するセリナ、ディアドラ、リネットと頼もしい五体のアイアンゴーレムの姿がある。
 ここまでは私にとっても見知った人達であったから、一様にしてその顔が浮かないものである事以外は、何も問題はない。

 問題があるとすれば広場のど真ん中に停められた黒塗りの箱馬車と、その近くに設置された椅子に腰かけた見知らぬ人物、更にその周囲の完全武装した兵士達である。
 兵士達は総勢十名。全員がフルプレートアーマーとロングスピアで武装し腰帯にはブロードソードを刷いている。
 私にとって看過しえないのは、あろうことかセリナ達三人をぐるりと囲んでいつでもその切っ先を突きこめる体勢にある事だ。
 私は心の片隅に憤怒が激しく燃え盛るのを感じ、それを表出せぬよう強く意識しなければならなかった。私の理性を振り切った感情の発露は、下手をすれば大陸の一つ二つでは済まない大規模な災厄を招きかねない。
 私は木材を組み合わせて布を張り、絹様の布で綿を包んだクッションに深々と腰かける壮年の男性が、第四等管理官のゴーダ某であろうと目星を付けた。
 おそらくは官服と思しい灰色の衣服は腹部で大きく出っ張ってラインを丸いものにし、ゴーダの顎下は不摂生な生活を象徴するように何重にも肉が重なっている。
 頭部を飾る白髪はたっぷりと油を使って纏められていて、気味が悪い位に輝いていた。
 頬や眼もとにもたっぷりと乗っている脂肪と肉に挟まれて、嫌に細い目の奥では濁った光を宿した青い瞳が私の姿を睨み、特大の芋虫を思わせる唇は薄く開かれてこればかりは綺麗な白い歯並びが見えた。

 私にとって人間に生まれ変わってからこのゴーダのように、“肥えた”としか表現しようのない人間を目の当たりにするのは初めての事であった。
 食糧事情と日々の重労働から、ベルン村の人々でただ無為に脂肪と肉を纏った人間など一人もいないし、体が太いと言ってもそれは筋肉が全身についていて、その上にうっすらと脂肪が乗っていると言う程度のものであり、食欲に任せた暴飲暴食で作り上げられる肥満体はまったく違う。
 なにより私はゴーダの瞳の濁り具合が一目で嫌になった。たった一目であそこまで人品の卑しさと醜さを他者に理解させる瞳は、竜であった頃を振り返ってみても、滅多にはない例である。
 ゴーダから視線を外すと、私はゴーダの周囲には彼に次ぐ地位か立場にあると思しい三つの人影を注視した。

 一人は下半身が栗色の毛並みを持ったしなやかな肉付きの馬で、腰から上には妙齢の美女の上半身が繋がっている、半人半馬のケンタウロス種の女性である。燃える様な赤い髪を後頭部で結わえて、背中に流しそよ風に毛先が揺れている。
 馬体から人間の上半身に至るまで鈍く輝く鋼鉄の鎧で固めており、馬体の右前脚の近くには長大な円錐状のランス(突撃槍)が留められ、人体と馬体の境目あたりの左右には使いこまれた跡のあるショートソードが一振りずつ。
 ケンタウロス種は主に広大な草原や平原に棲息しており、人馬一体の肉体構造を有している為、疾走しながらの弓の扱いやその爆発的な脚力と瞬発力を活かしてランスを構えてのチャージ(突撃)を得意とする。
 一糸乱れぬ連携で素早く戦場をかけながら矢を射かけ、集団でまとまってランスを構えて突撃するケンタウロスの戦闘能力は極めて高く、敵に恐怖を味方には畏怖を与えるとしてよく知られている。

 また種全体の傾向として、自己に厳格で戦士たる事を誇りとする傾向にあり、傭兵ないしは騎士として人間の国家や社会に身を寄せる者も多い。
 ランスナイトやボウナイトで揃えたケンタウロスだけの騎士団なども国によっては存在することが表す様に、ケンタウロス種と人間との付き合いは深く長いものだ。
 明らかに一段も二段も装備の質が違うことからこのケンタウロスの女性が、兵士達の上役に当たる人物なのであろう。
 やや眦の鋭い琥珀色の瞳はわずかに嫌悪の色を浮かべてゴーダを時折見つめている。どうやらあまり気の合う仲ではないようだ。
 この場の兵士達のまとめ役であると同時に、おそらくはガロアにおけるバランさんの直属の上司なのだろう。
 先ほどから腰に下げた愛用のアイアンハンマーの柄を苛立たしげに指で叩くバランさんが、女性ケンタウロスに視線を送っている。
 女性ケンタウロスはバランさんの視線に気づく度に、やや申し訳なさげに眉根を下げていた。
 厳つい上に不機嫌になっているバランさんと妙齢の美女の対比であるから、おそらく理はバランさんにあるにしても見ているこちらの胸が痛む光景である。

 残りの二人の内片方はレティシャさんと同じマイラスティ教の白い質素な貫頭衣を纏い、レティシャさんの首飾りよりやや複雑な意匠が凝らされたシンボルの首飾りを下げた、五十代近いと思しい女性である。
 流石に皺は目立つがそれも柔和な雰囲気の一つとして機能していて、泣きじゃくる赤子も頭を撫でられるだけで泣き止んで、とびっきりの笑顔を浮かべる。そんな印象を受ける女性だ。
 ちらほらと白いものが混じる黒髪を首の後ろで束ねて、女性ケンタウロスとは違ってはっきりとゴーダに向けて、非難と色合いを含んだまなざしを向けている。
 その隣でレティシャさんが不安げに佇んでおり、おそらくこの初老の女性神官はレティシャさんがガロアに居た頃に大変お世話になったと言う御婦人に違いあるまい。
 御婦人の話をする時のレティシャさんはとても優しい顔をされていて、いつか会ってみたいと考えていた方だ。

 そして三人目は私が広場に着く前からマグル婆さんとリシャさんから矢のような視線を浴びせられて、顔色を青くしている壮年の男性である。
 顎先や鼻と唇の間を飾る髭はよく手入れが行き届いて、金糸の刺繍で縁取られたケープや針金でも通しているかのようなぴしりとした背筋と佇まい、右手に握られた黄金の鷲の頭飾りがついた杖と紳士然とした風格と気品がある。
 ただしマグル婆さん達の視線を浴び続けて青かった顔色は、更に濁り冷や汗らしいのが顔からだらだらと流れている。
 その左肩で羽を休めているシルバーホークの姿に、この人がイシェル氏の遺品鑑定の為にマグル婆さんが呼びつけた息子さんなのだと見当をつけるのは簡単だった。
 なんらかの理由でゴーダと一緒にベルン村を訪れる事になったのだろうが、母であるマグル婆さんと姪であるリシャさんからは余計なのを連れてきやがって、という無言の視線が注がれており、どうにも身内の中での立場はあまり強くはなさそうである。

 ふむ、どうやらこの広場にいる王国側の人間ではっきりと敵と認識していいのはゴーダだけのようだ。
 ケンタウロスの女性は立場上仕方がなくといった雰囲気であるし、女性神官は態度で村側の立場を示し、マグル婆さんの息子さんはむしろそれどころではない顔色である。
 さて私よりも先にセリナ達が呼びつけられ、兵士に囲まれているような状況になった経緯はいかなるものかと私が考えていると、先ほどから私を睨みつけていたゴーダが億劫そうに私を呼びつけた。

「貴様がドランか。こちらに来い」

 逆らう意味はない。村長やシェンナさん達から心配する視線を向けられる中、私はどんな理不尽が口を開いて待っているのやらと少々重い気持ちでゴーダの前まで進んで足を止める。
 私が足を止めるのを待ってから、ゴーダは傍に控えさせていた従士らしい色白の少年から革袋の水筒を受け取って、喉の奥に流し込んだ。ぷん、と強い酒精の匂いが私の所まで届く。
 朝から酒を飲んでいるのか。見れば顔には朱の色が上り、げぇっぷと私の顔に浴びせる様に零したげっぷは酒臭く、更にその他の食べ物の匂いが混じっていて、反射的に顔を顰めるのを堪えなければならなかった。顔を顰めたら顰めたで難癖をつけられそうだった。

「ふん、気に入らない顔をした子供だ。お前だな? この村に魔物を招き入れ、不遜にも国王陛下からお預かりしておる神聖な土地へ汚らわしい魔物に足を踏ませたのは」

 ふむ? 死後も永遠に救われぬ最も罪深いものが落とされる地獄に行きたいのか、この男。聞き逃すわけに行かぬ暴言に、私は反射的に冥界と空間を連結し、冥界の最も深い場所にこの男を生きたまま落とそうとする自分を、なんとか堪えた。
 いわゆる所の異端審問ということだろうか。だがそれにはマイラスティ教をはじめ、人間の崇める六柱の大神を信仰する高位の聖職者にのみ許された、極めて厳格な管理下に置かれた行いである。
 資格の無いものが異端審問を行えば、それは王族に対する殺傷行為や謀反にもならぶ最大の罪と数えられるほどだ。言葉の選別を誤まれば、縛り首か断頭台の露と消えるのはゴーダの方である。
 失言を誘うべきかと私が逡巡した時、レティシャさんの傍らに居た女性神官が非難をゴーダに浴びせた。

「ゴーダ管理官! すでに証明した筈です。神託を受けたレティシャのみならずマイラスティ教の司祭である私もまた、母なるマイラスティの審判によって彼女達が邪悪な魔物ではないと!」

 セリナがバランさん達と相対した時にレティシャさんが受けた神託とは異なり、審判は己の信仰する神に疑問に対する答えなどを直接問う高位の奇跡である。それが出来ると言う事は、初老の女性神官は司祭と言ってもその徳の高さは位階以上のものがありそうだ。

「パラミス司祭、わしはなにも偉大なるマイラスティのご判断を疑っておるわけではありませぬ。ただ国王陛下よりこの地区を管理する聖なる権利を委ねられた卑小の身としては、いかなる危険の芽も摘んでおかなければなりませぬからな」

「ですが、貴方のその物言いは」

「もう結構ですぞ。魔物共の善悪を確かめたいという貴女のたっての願いは既に聞き届けた筈。これ以上貴女の出番はありませんな」

 悔しげに口を噤むパラミスと言う司祭の様子と、不安と心配の二色の視線で私とセリナ達を見つめるレティシャさんの様子から、私は大体の所を察した。
 おそらくレティシャさんから村に現れた魔物と神託の件を知らされたパラミス司祭は、可愛い弟子の成長を確かめる為にいつかはベルン村を訪れるつもりだったのだろう。その矢先にゴーダのベルン村視察の事を耳にし、雲行きが怪しいと考えて同行を申し出たと言ったところか。
 セリナ達を邪悪な魔物と断じて処理しかねないゴーダを牽制する為に、レティシャさんが受けた神託と、実際にゴーダの目の前でマイラスティに審判の奇跡でディアドラ達の善悪を問い、邪悪にあらずという答えを得てゴーダの凶行を止めたのだろう。
 審判の結果が邪悪と出れば、いまのこの光景も変わっていただろうが、セリナやディアドラが断じて邪悪な魔物でない事は、私が何より知っているしマイラスティがその様な判断を下すわけもない。
 ゴーダはセリナ達を舐めるように見つめ、それぞれが美しい女性の姿をしている事に欲情でも覚えたか、好色そうに唇を歪めた。笑みを形作ったと言うよりも、歪めたというべき動きであった。

「はん、邪悪でなくとも淫売ではあるかもしれませんぞ。子供を咥えこんで誑かして村に入り込んだのかも。くく、まあ由としよう。だがその魔物らの分も税は納めて貰うぞ。村長?」

 むしろ誑し込んだのは私である。だがそれを言うわけにも行かず、私はこれまで出会った人間の中でも最悪の部類に入る目の前の男に凍えた視線を向ける。

「はい。それは間違いなくお納めいたします。ゴーダ様」

 硬い声音で答える村長の杖を握る手が白く変わるほど力が込められて、震えているのを私は見逃さなかった。
 改めてセリナ達を受け入れてくれる判断をし、いままたこの上ない侮辱の言葉に怒りを抱いてくれている村長に、私は心の中で深く頭を下げる。一生頭は上がるまい。
 一方で私はゴーダの言葉の数々に血が上っていた頭を冷やしていた。募った怒りがある一定の量を越えると、それ以上の感情の激発を抑える為に精神は却って落ち着く様に出来ているらしい。

「さて、魔物共は偉大なるマイラスティの思し召しと王国の法に反さぬ限りにおいては、私がめこぼしをしてやるとしよう。慈悲深いわしは国民の権利である税さえ納めるなら、魔物とて受け入れる。だが、ドランとか言ったな? 貴様、魔法使いの遺産を発見しそこのゴーレム共の主となったとか。だがそのようなことは……」

「待たれよ、ゴーダ管理官! かつて宮廷魔術師であったイシェル・レイゼン氏の遺産については既に我が王立魔法学院ガロア分校が、国王陛下から授けられし権利の元に買い取る事が決定している! 余計な口出しは魔法学院ひいては宮廷への越権行為ですぞ!!」

 ここぞとばかりに舌鋒鋭く語威激しく、ゴーダの言葉を遮ったのは先ほどから顔色が悪くなる一方のマグル婆さんの息子さんだ。パラミス司祭に続きまた横槍が入った事に、不機嫌を募らせたゴーダが、息子さんに酒精で濁った瞳を向ける。

「デンゼル導師。貴方までわしの崇高な職務の全うを邪魔されるのですかな? 導師が遺産の鑑定を行われる事は伺っておりましたが、すでに売却が決まっていたと言うのは初耳ですが。たまたま同道する事となりましたわしの職務を妨げる様な事は……」

「たったいま、私の権限に置いて買い取りが決定したと言っているのです! イシェル氏が残したゴーレム六体に関しては、既に次期マスターの認証が済み所有権はイシェル氏から移っております。これはイシェル氏の残した遺書と魔法使いの知識と技術の保護と取扱いに関する王国の法に則ったものであり、第四等管理官である貴方に異議を申し立てる権利はない」

 ますます口上の激しさを増すデンゼルという名前の息子さんだが、その理由がゴーダの卑劣な物言いの数々などに対する義憤や嫌悪以上に、マグル婆さんとリシャさんからの視線の脅迫に屈した物である事は、容易に察しがついた。
 実際、ゴーダを言い包めるべく言葉を並べ立てて津波の様に叩きつけるデンゼルさんに対して、マグル婆さんとリシャさんは揃ってうんうんと頷いて、もっと言ってやれ、そうしないと後で恐ろしいぞ、と言わんばかりの態度である。
 少々、いやかなりデンゼルさんが気の毒だ。
 ゴーダはもううんざりだと言わんばかりに、デンゼルさんに向かって手をひらひらと動かし、大仰な溜息を吐いた。

「分かりました。それ以上唾を吐かれずとも結構。学院の導師殿のご判断となればわしも尊重せざるをえませんな。よろしい、ゴーレムの所有は認めよう。だがこれには財産の貯蓄に関する税が掛る。一度たりとも欠かすことなく納めねば厳正なる罰を下す。こればかりは導師殿のご意見といえども変えることはできませんぞ。
 やれやれ今日は余計な御人を連れてきてしまったな。厄日だわい。では最後に、ドランよ。貴様がこのブレスレットを考案しガロアで商売をしようと考えているそうだな?」

 そういってゴーダがぱんぱんに張りつめた衣服の腰に下げていた革の小袋から、私が作成した腕力を増強する力のブレスレットを取りだして私に見せる。

「そのとおりだ……です」

 相手が村の今後に関わる立場の人間であると、私は無理矢理口調を直して答えた。ゴーダはぴくりと眉を動かして、気に入らぬ様子で私の顔をまじまじと見つめる。

「お待ちください、管理官様。それはあくまで子供の浅はかな考えです。本当にガロアで商売をしようなどと大それたことは考えてはおりません」

 慌てた様子で飛びだしたのはシェンナさんだった。普段の落ち着いた振る舞いから少々信じられない焦った表情を浮かべている。なまじ私が変に頭が回り口も達者なものだから、余計な事を言ってゴーダの不興を買う事を恐れて、私を庇おうとしてくれているのだ。

「黙れ、小娘。貴様には聞いておらぬ。だがそうだな。子供の浅知恵でも大人の入れ知恵があればどうかはわからぬ。例えばわしの様な高貴なる管理官やガロアの卑しい商人どもに貴様やそこの娘が股を開いて交渉するとかな。ぐふふふふ」

 とんでもないゴーダの暴言はシェンナさんばかりかリシャさんにまで矛先を向けていた。二人がゴーダの言う言葉の意味を理解した時、そろって顔を恥辱と怒りの赤に染めて歯を食いしばってそれを堪えた。
 王国の法において辺境区の管理官と平民とでは身分と与えられた権利に隔たりがあり過ぎる。シェンナさんとリシャさんが目尻に涙さえ浮かべて、ゴーダの暴言に耐える様に、いい加減私も理性が感情を抑えるのも限界に近い。
 その事が態度に出て、私は知らぬうちにゴーダを睨みつけていたようだった。この上なく下品に笑っていたゴーダが、私の視線に気づき反吐の出る笑みを引っ込めてたちまち怒りの色を新たに醜い顔に刷いて私を睨み返す。

「なぁんだ、その顔は? 水飲み百姓風情がそんな目でわしを見るか?」

「管理官様、私が愚かである事はお言葉の通りだ……でございます。ですがシェンナさんやリシャさんに対するお言葉はあまりに……」

「はっ! 土臭いガキが一丁前に分別のある言葉を口にする! ふふ、そうだ。貴様の作ったこのブレスレット、効果があるかどうかわしが確かめてやろう。このようにな!」

 ゴーダは左手の中のブレスレットを固く握りしめると右手を大きく振り上げた。周囲の人々が気色ばむ中、乾いた音が私の左頬で鳴る。力のブレスレットの効能で腕力を増したゴーダが、私の頬を張ったのである。
 じん、と痛みが広がる中ゴーダがもう一度手を振り上げる。あ、と従士の少年が悲痛な声を零すのが聞こえた。ふむ、主人ほどに腐ってはいないらしい。むしろ碌でもない主人を迎えて、可哀想でさえある。
 そして今度は私の右の頬で大きく乾いた音がした。少し口の中を切ったのか、血の味が口の中に広がる。
 私はその痛みよりも背後で兵士に囲まれているセリナ達が殺気立つのを感じ、精神を繋ぎ心の声で制止する事に気を取られた。
 ここで私が手を上げられたからとディアドラやリネット達が暴れてしまっては、せっかくパラミス司祭やレティシャさん、村長が擁護してくれた意味がなくなってしまう。
 私の制止する心の声に、セリナ達は納得が行かぬ様子であったが、私は重ねて思いとどまるようセリナ達を制止した。

「はあ、はあ。貴様、まだ反省の色が見えぬな。はあ、はあ、ならもう一発!!」

 たった二度手を振るっただけで息を荒げたゴーダが、三度右手を振り上げる。今度は平手ではない。拳を握っていた。これは歯の一本か二本は覚悟しなければならないな、と私が考えた時、ひどく慌てた様子のクレスさんが広場に駆けこんできた。
 私を広場にまで連れて来た後、どこかに姿を消していたのだがいままでどうしていたのか。

「管理官様、大変です! ベルン村の北西より魔物の大群が!!」

「な、なに!? 魔物だと、一体どれだけの魔物が来たと言うのだ」

「それが、数えられないほどです」

「か、数え“切れない”ほどか!?」

 見る間に顔を青くするゴーダに、クレスさんはぜーはーと息を切らし、しきりに額の汗を拭う素振りを混ぜながら答える。

「はい、数え“られない”ほどです。とてもではありませんが、“数えられません”!」

「ええい、よりにもよってこんな時に。村長、貴様らベルン村の者どもは何が何でも魔物どもを迎え討ち、一匹でも多く殺せ! 村から逃げ出す事はわしが許さん。イゼルナ隊長、い、いますぐにここを引き上げるぞ。わしの護衛をせい」

「は! お前達、すぐに馬の用意をせよ。管理官殿を傷一つなくガロアまでお届けするのだ」

 イゼルナという名前の女性ケンタウロスの言葉に従い、それまでセリナ達を包囲していた兵士達は槍を構え直し、周囲の木々や柵に繋いでいた馬に騎乗し始める。
 従士くんの手を借りて箱馬車に乗り込んだゴーダは、兵士達が馬に乗り終えるのを待つとイゼルナさんへの指示も待たずに御者に箱馬車を走らせて、さっさと南門から村を出て行った。
 そのあまりの早業にイゼルナさんは呆れた顔をしていたが、箱馬車を追って走りだす直前、私や村長、シェンナさん、リシャさん、バランさん達を一瞥すると自分が非礼を犯したわけでもないのに、深々と頭を下げてそれから箱馬車を追って四本の足で疾駆した。
 やはり悪い人ではない。上司に苦労して大変だな、と私は哀れみさえ覚えた。やれやれと私がここ最近では最大の溜息を吐くと、後ろからセリナに抱き締められてやや体を前につんのめった。

「こら、セリナ。抱き締めるのは構わぬが、不意を突くのは止めなさい」

「そんな事よりお怪我の方が大事です」

 セリナは私を抱きしめたまま、そしてディアドラもまた私の正面に回り込むと何も言わずに腫れあがっている私の顔に手を添えて、それぞれがウォーターヒールとアースヒールを使用する。
 確かに力のブレスレットで強化されたゴーダの平手は素の身体能力であった私には、なかなか効いたが、回復魔法を二重にかけるほどではないのだが。
 さんざんにゴーダに貶されたセリナ達三人の内、残るリネットはと言えばシグルドら五体のアイアンゴーレムを背後に従えて、無言で去っていったゴーダの箱馬車の姿を追うように睨みつけている。
 私に背中を向けるリネットのその姿が、燃える様な憤怒を立ち昇らせている様に見えて、私の為にそこまで怒ってくれている事が嬉しく感じられた。
 セリナとディアドラに回復魔法を丁寧過ぎる位にかけて貰っていると、リシャさんとシェンナさん、レティシャさんにパラミス司祭が私の近くに集まっていた。

「大丈夫ドラン? あの管理官、前はベルン村の事なんか放置して全て私達でやらなければならなかったのだけれど、どうやら最近村が上手くいっている事を聞きつけて、点数稼ぎに来たらしいわ。悪い評判は知っていたけど、実物はもっと悪かったわね」

 憤懣やるかたない様子のシェンナさんに対し、リシャさんは私を心配する言葉を口にした。

「まさかあんな乱暴をするなんて。ドラン、口の中を切ってしまったみたいだけど、ほかにどこか怪我をしていない? 痛い所はない?」

 既にセリナとディアドラの回復魔法で張られた頬と切った口の中は治っていたから、問題はないのだが私はあんまりに心配するリシャさんの姿が愉快だったので、からかうつもりでこう言ってみた。

「リシャさんがキスしてくれたら一発で治る」

 リシャさんはきょとんとしてから、くすくすと鈴を鳴らしたみたいに可憐な笑い声を零すと、そっと私の右頬に唇を当てた。

「どう? 少しは効いたかしら」

 恥ずかし気に頬を赤くして私に問いかけるリシャさんの笑顔は、輝かんばかりに美しい。見惚れた私が

「ん、もう一度かな」

 とつい調子に乗って言うと、リシャさんは困った子ね、と呟いて私の左頬に唇を寄せる。だがリシャさんの唇が触れる寸前、私の体を抱きしめていたセリナの腕がぐいと私を振り向かせて、左頬にセリナの唇の感触がした。
 私とリシャさんのキスが気に入らなかったのか、私の左頬から唇を離したセリナはかすかに頬を膨らませて

「私のキスではいかがですか? 痛みはひきましたか?」

 と言ってから、リシャさんに対抗意識を燃やしたのかむむむ、と可愛く唸って睨んでいる。対するリシャさんはと言うとあらあらといった感じで、軽くセリナの視線を受け流していた。
 役者が違うな、と感心していると今度はディアドラの腕が私の首を横に向けて、右にディアドラの唇が、左にリネットの唇が当てられた。どちらもみずみずしく柔らかで、頬に伝わる感触は非常に心地よい。

「心臓に悪いわ。もうこんな事は二度とごめんよ」

「マスタードラン、ご命令とは言え危害が及ぶ事を防げず、申し訳ありません」

「気にしなくていいさ。私より皆が無事な方が私にとってはなにより大事だ」

「本当に貴方は出来過ぎた位に大人な子供ね」

 いつのまにか私のすぐ傍に居たシェンナさんが多分に呆れを含んだ声でそう告げて、不意に顔を近づけてきたなと思った時には、シェンナさんの唇が私の額に触れて、ちゅ、と小さな音を立てて離れた。

「一応、私の唇にも効果があると期待しておくわね。でも残念ね。ゴーダが手を回すのは間違いないから、ブレスレットの件は上手くはいかないでしょう」

「仕方がない。村の人達の分を作ったらまたなにか他の事に使えないか考える。それより村に近づいている魔物の事は良いのか? クレスさん、実際どれくらいの魔物が向かってきているのかな?」

 バランさんと話しこんでいたクレスさんは私の声に振り向くと、悪戯を明かす子供の様に肩を竦めておどけた調子で答えた。

「ああ、そりゃ数えられないくらいさ。なにしろ一匹もいないもんだから、数えようがない。嘘は言ってないぜ? おれはずうっと数えられないって管理官様に言ってたからよ。数え切れないってのは管理官様の聞き間違いだろうぜ」

 私にウィンクをして答えるクレスさんの言い分に、思わず苦笑が零れた。なるほど口から出たハッタリだったというわけか。
 ただでさえ頭の回転が速い方には見えないゴーダは、酒精が回っていた事もあって、まんまと追い払おうとするクレスさんの虚言を信じ込んだのだ。

「でもいいのか? 嘘の報告をした事がばれたらあとでどんなことになるか」

「そりゃ平気さ。数えられない位の魔物たちは村人たちの徹底抗戦の構えを目にして、分が悪いと引いて行きましたと言えばいいんだって」

「そういうものかな。ところでパラミス司祭様に全部聞かれているけど、それはいいのか?」

「げ」

 馬鹿ものが、とバランさんが部下の詰めの甘さに頭を抱え、クレスさんと私達はおそるおそるパラミス司祭の方を振り返ると、穏やかな印象を裏切らぬ笑みを浮かべた司祭はこう答えた。

「あら、私も聞いていたとおりですわ。最初からクレスさんは数えられないと仰っておられましたもの。それを管理官様が聞き間違えただけですし、実際に魔物は村に向かっているのでしょう。ただ引き返すまでの間、私はレティシャと教会に籠って魔物の姿を見る事はなかったと報告するつもりですけれど」

 なるほどこちらの味方で居てくれるらしい。私達は揃って安堵の息を吐いた。パラミス司祭がゴーダ側の人間であったら、少々厄介な事になっていたクレスさんの失言である。

「ドラン君、貴方は勇気と聡明さを併せ持っている子供ですね。それはとても素晴らしい事です。今日の様な事がひょっとしたらまた貴方の身の上に襲い掛かってくる事もあるかもしれません。
ですが、貴方ならそんな事に負けず優しさを忘れずに乗り越える事が出来るでしょう。マイラスティの御加護が貴方とこのベルン村の全ての方たちにある事を私は祈りますよ」

「ありがとうございます。パラミス司祭様」

 唐突な管理官の来訪はとりあえずこの様にして幕を閉じた。ほとんど有耶無耶になっただけで、問題が先送りになっただけの感はあるが、取り敢えずの平穏は保たれたと言えよう。
 なおベルン村からガロアへと大急ぎで舞い戻ったゴーダ第四等管理官様だが、日頃の不摂生と急な運動が祟ってか、この二日後に急に倒れてしまい健康上の理由から管理官の職務から外され、隠居する事になったらしい。
 噂では白髪は全て抜け落ち、夢の中で白い竜に生きたまま食い殺される悪夢に悩まされた事が、健康を損なった大きな理由だと言う。
 いやいやたかが人間一人を呪うとは、世の中にはなんとも奇異な真似をする竜が居る者だ。私だったら直接魔界に落として、悪魔どもが飽きるまで死んでも蘇らされて終わる事の無い拷問に苛まれるよう仕向ける位の事はするのに。
 だから、ゴーダの悪夢に出て来た竜は私ではない。私ではないと言ったらないのである。

<続>
 管理官についてはテンプレ的な嫌な奴をどこまで嫌な奴にできるかと試してみたキャラです。
 ケンタウロスは人間と馬のが二つあるんですかね?
 少々モチベーションの問題で感想返しは控えさせていただきます。申し訳ございません。

10/12 23:56投稿
10/13 12:31修正 19:48序盤リネット関連を大幅修正
10/16 20:41修正 どてら様ありがとうございました。
10/28 08:45修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑫
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/17 12:31
さようなら竜生 こんにちは人生⑫

注 後半においてご都合主義的なハーレム展開があります。その様な展開を嫌われる方はご注意ください。

 破棄された廃村を除けばアレクラフト王国北部辺境区最北に位置するベルン村の、更に北方に広がる東西に数百キラに渡って広がるモレス山脈。
 標高が最高で一万メルにも届こうかと言うその山脈を眼下に見下ろし、私は翼に受けた大気の流れと風の精霊力を利用し、一気に上昇する。
 人間はおろか家々や数千以上の人々が住まう町は芥子粒の様に小さくなり、広大な筈の湖でさえも小さな水溜まり程度にしか見えない。
 ベルン村の農民の息子として転生しドランという名前を与えられた私は、いま翼長二十五メル(約二十三メートル)にも達する成竜の姿となって地上世界の空を気ままに飛んでいる。
 より正確を期するのならば竜の姿をしているのは、人間の肉体に生まれ変わった私ではなく、私の魂が生産する魔力と大気中の元素を材料にして作った分身体である。本体の私と意識を接続した竜の分身体で、空を飛ぶ自由を満喫しているのだ。
 リビングゴーレムであるリネットの発見やブレスレットの作成、ゴーレムの活用方法、ベルン村を管理する役人の来訪と立て続けに賑わっていた昨今、私はなにかを忘れている様な気がして記憶の棚を開いては閉じ、そして分身体の活用方法を思いついたものの、それを記憶の棚の奥の方に仕舞いこんだままにしていた事を思い出したのである。

 分身体はもともと夜に我が家の寝台からこっそりと抜けだす際に、私の身代わりとして作成した私そっくりのものだ。
 だが人間の肉体に精通していない私には身代わりを作成する事は出来ても、それを自由自在に動かすというのはなかなかに難しかった。
 それもあまり精密に人間を模さなければ解決はするのだが、凝り性の私は外見だけでなく中身も人間を模倣しようとして、不必要な手間をかけている。
 しかしある夜私はそもそも竜の時分にも分身体を作った事はあり、その時は上手く行ったのだから人間に生まれ変わった今でも、竜の分身体ならばつくれるのではあるまいかと思い至ったのである。
 しばらくの間はその発想自体を忘れ去るという失態を演じた私だが、ようやく思い出すに至り、かつての勘は鈍っていなかったようでそう苦労する事もなく実際に竜の分身体を作る事に成功した。

 生前の私は全竜族の中でも最高位に位置する古神竜の一柱である。だが既に地上世界には、地上で暮らすにはあまりにも強すぎる力を厳重に抑制しなければならない窮屈さから、真竜以上の格の竜族は姿を消している。
 地上に残っていた最後の古神竜である私も既に七人の勇者達によって討たれており、例え分身体であってもかつての姿をそのままに現すのは大いに問題があるので、現状分身体は人間のイメージする一般的な竜の姿を模している。
 おおよそ翼長が二十メルから四十メルほどの成竜の規格に収まる分身体を作り、鱗の色は以前と同じ処女雪のごとき白で、翼は六枚あった所を二枚に減らし、瞳の色は虹色から人間の肉体と同じ青に変えている。
 また頭部から後方に向けて伸びる三対の角の間からは、白い鱗と同じ真っ白い体毛が首筋に沿って背の半ばほどまで伸びている。
 人間や亜人ならまず手を出す事を避ける白竜(ホワイトドラゴン)の成竜が、私の竜の分身体だ。本来の私が六翼一頭一尾虹眼白鱗の古神竜であったのに対し、現在の私は二翼一頭一尾青眼白鱗の竜である。

 竜はおおむね鱗の色で種族が区別される。私がいま姿を変えている白い鱗を持ったホワイトドラゴンは、闇を除く全ての属性の魔力と親和性の高い万能型だ。
 他に例を挙げるなら赤い鱗なら火属性と親和性の高い火竜(ファイアドラゴン)、茶色い鱗で地属性と親和性の高い地竜(アースドラゴン)、透き通るような氷の鱗を持っていれば氷属性と親和性の高い氷竜(アイスドラゴン)、金色の鱗を持っていれば光属性と親和性の高い金竜(ゴールドドラゴン)。
 とまあこういった具合である。ただ中には複数種の血が混ざった竜もおりそういった個体の場合は、必ずしも鱗の色が単色とは限らず合わせて特性も変化していて、赤い鱗を持ちながら稲妻を操ったり、風のブレスを吐く特性を持っていたりもする。
 特に世代を重ねた若い竜になると純血の竜種は数を減らしているようで、種族を越えた竜の婚姻が珍しくもない昨今であり、私がまだ竜として生きた頃にも、異なる種族の竜が番になったと言う話がそれなりに届いたものである。
 竜種の中でも鱗の色の違いでいがむ事もある様だが、やはり当事者同士の間に愛があるかどうかが一番問題であろう。人間に生まれ変わり、ラミアやドリアード、ゴーレムと情を交すようになってから、私はそのように深く考えるようになっていた。

 ベルン村からでも見えるモレス山脈の近くで翼長十五、六メルほどの竜に酷似した影が七頭ほど空を飛んでいるのが見えた。
 竜とは異なり前肢は無く蝙蝠の皮膜に近い翼に変わっていて、鏃の様に鋭い尻尾や鉤状の爪からは猛烈な毒が分泌されている。
亜竜の一種としては古参の部類に入る飛竜、翼竜と言われるワイバーン種である。
 後方へ向けて角が伸びる頭部の形状や、灰色の鱗に覆われた四肢などはほとんど竜とは変わらない。だが竜と比べると知性が低く、ブレスを吐く能力もなく、竜語魔法を操る魔法能力も持たない為、単体の能力では繁殖能力を除けば大きく劣る。
 中にはワイバーンロードという上位種がおり、ロードともなれば火炎のブレスを吐き、体長も一回り大きくより強靭になり、飛行速度も時速六〇〇キラ(約五四〇キロメートル)に迫るが、それでも成竜には及ばない。
 人間の時とは比較にならない私の視力は、魔法による強化を施さずとも豆粒の様な大きさで見えるワイバーンの背に、鞍と手綱と鐙を括りつけて騎乗している人間の姿を捉えた。

 以前セリナがモレス山脈には野生のワイバーンが棲息し、人間の集落があると言っていたが、どうやらその集落ではワイバーンを飼いならして乗騎としているようだ。
 高空は人間には過酷なほどに冷え込むから、春の時節だと言うのに全身を毛皮の外套やマフラー、兎の様なふわふわとした毛皮の耳覆い付きの帽子を目深にかぶってほとんど肌の露出がない様にしている。
 牧場で繁殖させたワイバーンを航空戦力として使用する国家も存在していると言うし、ワイバーンライダーの存在はかつてから耳にしていたが、こうも身近な所に実物が存在していたとは、と私はささやかな驚きを覚えた。
 希少なワイバーンライダーが存在していながら、我がアレクラフト王国が彼らと接触した話は聞いた覚えがない。となると王国側と山脈の民族とは接点がなく山脈の北側にある別の国家と交流があるのだろう。

 ワイバーンに騎乗している事から通常の人間よりも高い視力を持つライダー達や、ワイバーンもまだ私に気付いた様子はない。存在を気付かれても面倒なだけと私は翼を力強く羽ばたき、高空へと飛び上がる。
 白い雲の海を抜けて中天に差しかかる強烈な太陽の光を満身に浴びて、分身体ではあるが、私は久方ぶりになにものにも縛られることなく空を飛ぶ自由を再度満喫していた。
 ところがそうして暫くしているうちに、何も考える事もなくただ大気と風の精霊力の流れに任せて心地よい気持ちで空を飛んでいる私の諸感覚が、急速に接近してくる異物の存在を感知して小さく警告を発する。
 危険度は極めて低い。だが私は異物の正体に気付いた。私を目がけて近づいてくるのは、紛れもなく竜の系譜に連なる存在なのである。
 久方ぶりに感じる同族の気配に私は思わず目元を緩めた。遠い遠い私の子孫と顔を突き合わすのは、そう悪い気分ではない。
 しかし高度こそ取ってはいるが私の眼下にはモレス山脈の黒い山並みが見える。となると私に近づいてくる竜は、モレス山脈の一角を縄張りとしているのだろう。
 自分の縄張りに侵入してきた同族を追い払う為に、近づいてきているに違いない。私はその場で翼を羽ばたかせて滞空し、モレス山脈に住まう竜が白い雲海を突きぬけて姿を見せるのを待つ。

 ほどなく雲海を下から突き破る様にして姿を見せたのは、鮮やかな深紅の鱗を持った若い雌の火竜であった。いや、鱗の色彩から考えて火竜の中でも強力な深紅竜(クリムゾンドラゴン)であろう。
 私の白い鱗と同様に陽光を跳ね返す鮮やかな深紅色の鱗と言い、若々しい生命の躍動に満ちながら、老竜ほどには成熟しきらぬ発達途中の四肢から、私はまだ子竜から脱皮して二十年と立っていない成竜であると判断した。
 鱗と同じ深紅色の瞳の瞳孔は縦に窄まって険しい警戒と闘争の光を宿して私を見つめる。人間に換算すれば十代後半、多めに見積もってもかろうじて二十歳に届くかどうかと言ったところか。
 力強く羽ばたく翼、強靭な筋組織と神経、骨格を堅牢な鱗で覆った姿は、久方ぶりに同族を見ると言う事もあって、竜としては最高齢の私には若々しい生命力に満ちたとても眩いものに見えた。
 若いと言う事はそれだけ未来と可能性に満ち溢れていると言う事だ。それだけでも素晴らしい事であると私には感じられた。

「貴様、私のテリトリーとしって足を踏み入れたのか?」

 私が何かを言う前に深紅竜が刺々しい語調で私に問いかけて来た。血気に逸っているとはいささか言い過ぎだが、火竜は気性が荒い傾向にある。不意にテリトリーを侵した私に、攻撃的な意識を向けるのも無理のないこと。
 ただ私の目からすると深紅竜の様子はまだ大人になりきらぬ子供が精一杯背伸びをしている様に見えて、微笑ましいものを覚えるばかりだ。如何せん私と地上で暮らすようになって著しく退化して行った竜とでは、格が違いすぎる。
 それでも竜族は例え竜としては最下級のレッサードラゴンであっても、人間や亜人には油断できぬ強敵だ。
 一般的な竜の成体ともなれば一流の実力を備えた冒険者や騎士団が立ち向かうにせよ、勝ちの目は残酷なほど小さな強敵である。
 だが分身体とは言え同じ成竜である事と、肉体を失っても魂に残っている力さえあれば、目の前の成竜などどうとでも対処できる、ということが私に余裕がある理由の一つである。

「いいや、そなたが縄張りとしているとは知らなかった。気に障るようならばすぐに離れよう」

 少しは会話を楽しみたかったのだが、どうにも深紅竜は私に対する警戒の念が強い様子で、話をするのも難しそうだ。火竜は総じて気性が荒いものだが、ここまで露骨に警戒しなくても良かろうに。
 己のテリトリーを侵されたにせよいささか同族を相手に、気炎を吐きすぎの様に私には感じられたが、巣立ってからまださほど時間が立っておらず、色々と気を張っているのやもしれぬ。
 若者の心を汲む事にして、多少残念な気持ちを抱きながら私はこの場から去ることを提案し、実際にそうしようとした。だが私が背を向けようと動いた時、深紅竜の口腔に紅蓮の炎が噴き出すのを知覚する。

「二度と私の前に姿を現さぬように痛みを持って知らしめてくれよう!」

 やれやれ何もせねばさっさと立ち去ると言うのに。竜としての最後の戦いで、勇者達が何も言わぬままに私に挑みかかって来た時と似たような徒労感を覚えながら、私は深紅竜と向きあった。

「己の縄張りを守る事も大切だが、要らぬ戦いを起こす事は感心できんな」

 開かれた深紅竜の口から直径が十メルにも達する巨大な火球が放たれる。竜族の吐く炎は意識する事もなく強大な魔力を帯び、単なる物理的な炎とは一線を画す。それは霊体、魂さえも焼く炎なのである。
 私は四連射された火炎弾に対し、翼を交互に広げては閉じて、その場に浮かんだままゆらりゆらりと柔らかく動き、放たれた火炎弾を全て回避する。
 火炎弾から零れた火の粉が私の白い鱗に触れたが、圧縮した魔力の結晶である私の鱗は、その程度なら焦げ一つ出来る事もない。

「あまり血気に逸ると寿命を縮めるぞ。お嬢さん」

「貴様も私と年はそう変わるまいが、その口を利けぬようにしてやる。私はモレス山脈の深紅竜ヴァジェ! この名を死ぬまで覚えておくがいい」

「ふむ、“炎の偉大なるもの”有翼の蛇ヴァジェトにあやかった名前か。かの女神は慈悲深き善神であるが、血の気の余っておるお嬢さんにはちと似合わぬ。良い名前ではあるがな」

 ヴァジェと名乗った深紅竜の返答は、再びの火炎弾であった。私の顔面を捕らえる火炎弾を、こちらも白く燃える火炎弾を吐いてぶつけることで相殺し、私は更に上空へ向けて翼を打つ。
 火炎弾を相殺するのと同時にすでに動く用意を整えていた私にやや遅れて、ヴァジェもまた私の後を追って深紅色の鱗と皮膜の翼を広げる。
 既に雲海の上に出ている以上私とヴァジェの間に遮蔽物は存在せず、眩い陽光の光を浴びて、白と深紅の鱗は眩い輝きを纏う。
 私は背後に視線を送り、蛇行する動きで飛翔する私の後方二百メルを飛ぶヴァジェを捕捉する。
 成竜として規格外にならぬ程度に速度を抑えた今の私は、竜族最速の風竜の成体とほぼ同じ速度だ。その私に離されることもなく追従してくるのだから、深紅竜であるとはいえ、ヴァジェも大したものだ。
 私は再び背後のヴァジェの魔力が高まるのを感じ、右に左にと春風に飛ぶ蝶を真似て翼を動かし、再び放たれる火炎弾を背を向けたまま回避する。

「どうした、ただ逃げまどうだけか白いの! 名すら名乗らぬ臆病者めが」

「なに、まだ若いお嬢さんの練習相手になろうと思っておるだけよ。私の名は、ふむ、私に傷をつけられたら名乗ってやろう」

「小癪な」

 私は翼をたたみこみ、風の精霊力と大気に対する干渉を止めて急激に失速。例え遮蔽物がないにせよ、高速で飛翔していた私が速度を落とした下方に落下するように動いたことで、ヴァジェは私の姿を一瞬見失ったようである。
 ヴァジェが私の姿をようやく見つけ出した時、私はヴァジェの腹部を見上げる位置に居た。そこからヴァジェに合わせて周囲の大気流に干渉して加速し、雲海を背に翼を広げて、ヴァジェのお株を奪う火炎弾を私の前に晒している薄紅色の鱗で覆われた腹部に連射する。
 生まれつき火の属性を強く備える深紅竜であれば、手加減した私の火炎弾は然したる痛痒にはなるまい。
 私は別にヴァジェを傷つけるつもりで戦っているわけではない。ヴァジェに告げた通り、まだ年若い同胞に先達として戦い方を見てあげようという気持ちであった。
 加減した火炎弾は傷を与えるまでには及ばないが、高速で飛行中に下方から大きな衝撃を受けたことで、ヴァジェは一時翼のコントロールを失い、激しく錐揉みしながら眼下に広がる白い雲海の中へと落下してゆく。
 私はそれを追う為に雲海に背を向けた体勢から一回転して、空を仰いで地を見下ろす体勢になってから翼を畳んで急下降に移る。

 雲海の中に飛び込むのと同時に後方に流れてゆく雲に視界を遮られるが、鋭敏な諸感覚を有する竜であれば、視界が遮られただけなら戦闘を続行するのに対して支障は生じない。
 既にヴァジェも体勢を立て直しているであろうから、後を追って雲海に突入した私に対して奇襲を狙っているだろう事は想像に難くない。
 畳んだ翼を広げて風を受け止めながら、私は雲海のどこに、あるいは既に雲海の下か上にヴァジェが出ているのかを確認しようとして、正面から五連射された火炎弾の回避を余儀なくされた。
 やや弾速は遅いが私の回避を予測した予測射撃による火炎弾は、先ほどまでのモノより私の体の際どい所をかすめてゆき、焦げた大気の匂いが私の鼻の粘膜を刺激する。
 続くは再びの火炎弾かあるいは爪や牙を振るっての肉弾戦か、と私がヴァジェの取る選択肢を推測した時、ヴァジェは既に私の上を取りその影に気付いた私が頭上を仰ぎ見れば、胸部を膨らませて口内にこれまで以上に激しく燃える業火を溜め込むヴァジェの姿がある。

「私の上をとるためにわざと火炎弾を遅くして時を稼いだか」

 私が小さく感心するその矢先で、ヴァジェは口を大きく開くことなく小さくすぼめたまま勢い良く首を伸ばし、私めがけて口内の業火を吐きだす。
 これまでの巨大な火炎弾とは異なり、ヴァジェが吐いた火炎は細く束ねられてその熱量、貫通力、弾速を劇的に上昇させている。
 私は喉の奥でぐる、と一つ唸り脳裏に決して砕ける事の無い強固な光の盾を想起し、竜語魔法を発動させて、自分の体の上を覆う純魔力の半透過性の盾を構築することでヴァジェが集束させた光線状のブレスを受け止めた。

「ふむ、ブレスの撃ち分けをその若さで出来るとなると、これはなかなか優秀ではないか」

 主に竜族のブレスの撃ち方は、先ほどまでのヴァジェの様に火球状にして撃つもの、放射状に放つもの、小さな散弾状にして広範囲に放つもの、そして今ヴァジェがしているように細く束ねて威力を集束して放つ四種類がある。
 大抵の成竜は放射状に放つか火球状に放つきりで、集束させて撃つのにはそれなりの経験とコツが必要とされる。
 とはいってもブレスの撃ち方を学ばずとも単にブレスを吐くだけで大抵の魔物や人間は死んでしまうから、わざわざ修練を重ねる竜は少ないが。
 やがてヴァジェが集束ブレスの放射を終え、悔しげな瞳で私を見下ろして次の行動に移る前に、私は周囲に散らばったヴァジェの火炎に混じっていた魔力を自身へと取り込む。
 大気中に満ちるマナに溶けて消えそうになっていたヴァジェの魔力を選別し、自身の魔力と同調させて吸収する私の姿に、ヴァジェは追撃を加える事を忘れて驚いている様子であった。

 魔法使用後に周囲に残留する魔力の残滓を吸収する技術は、修得しておけば長時間の戦闘でも自身の魔力の消費を抑え、敵の魔力を利用する効率的な戦闘方法の学習に繋がる。
 驚きの様子を見るにヴァジェはおそらく、まだ他者の魔力を同調させ取り込む様な事は出来ないのだろう。そういった技術の学習の必要を迫られた事がないのかもしれないが、となる自分より格下の魔物か亜人としか戦った事がない可能性が高い。
 ブレスを吐くか五体を振るえば容易に倒せた相手と違い、同族の竜である私と戦うには技術面に置いて未熟さが残っている。
 私を相手に強い言葉を吐いたのも、戦闘経験の少ない同族を相手にして戦う危険性を理解して、戦闘を回避しようと強がってのものだったのか。
 その癖この場を譲ろうとした私に不意打ちを仕掛けて来たのは、気性の荒い深紅竜として相手に見逃してもらおうと考えた自身に対する怒りが理由かもしれない。

「魔力の同調は出来ぬようだな。憶えておくと同格以上の相手と戦う時に役に立つ。修得の努力を欠かさぬようにせよ」

 言い終わるのと同時に私は開いた口の先に圧縮していたヴァジェの魔力と、私の魔力を融合させたブレスを私の上空にいるヴァジェめがけて解き放った。
 ヴァジェが私に放った集束ブレスと同形態の光線状のブレスは、私の白い火炎を軸にその周囲をヴァジェの深紅の火炎が縁取り、直径が二十メルにもなる巨大な光柱となってヴァジェへと襲い掛かる。
 圧倒的な熱量で射線軸とその周囲に掛る雲を瞬時に吹き散らし、雲海に大穴を空けながら迫る集束ブレスを、ヴァジェは反射的な動きでかろうじて回避した。
 火竜の上位種の深紅竜であるヴァジェの左の翼の皮膜と長い尻尾の鱗が、集束ブレスの余波を浴びて黒く焦げ付いているのが見える。ちと火力を増し過ぎたか。

「私の鱗を焦がす!? 馬鹿な、私は深紅竜だぞ!!」

「そなたの体が耐えられる限界を越えていただけの事。火竜といえどもあらゆる火炎に対し無敵というわけではない。それと相手から意識と視線をはずす真似は、あまり感心できんな。だからお嬢さんなのだよ」

 ヴァジェの意識が逸れた数瞬の間に私は、その懐にまで飛び込み愕然とするヴァジェの首筋に喰らいつく。そのまま深紅色の鱗を貫く事も出来たが、まだ年若い同族にそこまでするつもりは私にはなく、私の拘束から逃れられない程度に込める力を留める。
 私の声と気配に自分が取り返しのつかない失態を演じつつある事に気付いたヴァジェは、私に完全に拘束される前に私を振り払おうと足掻くが、すぐに私が伸ばした腕と尻尾が体 に巻きついて、翼を羽ばたかせることすらできなくなる。
 私はヴァジェを拘束したまま、重力と周辺の大気の流れに干渉し加速して、はるかな眼下に広がるモレス山脈めがけて、ほとんど垂直の角度で降下してゆく。
 切って行く風に鱗はびりびりと震え、畳んだ翼は隙間から忍びこむ風を受けて自然と広がりそうになり、瞬きする間もなく山脈の黒ずんだ地面が視界の中で大きくなってゆく。
 ヴァジェはこのまま地面に激突するように降下する私の行動に焦燥を覚えた様で、私の腕と尻尾に拘束されたまま激しく抵抗するように体を動かすが、私の拘束を振りほどくには到底及ばない。

 私は地上から百二十メル辺りで翼を広げて風を受けて減速し、竜語魔法による干渉で慣性を操作して体に掛る負荷を全て消し去り、拘束していたヴァジェの体を解放してモレス山脈の山肌に叩きつけた。
 私の戒めから解放されたとはいえ、高速で放り投げられたヴァジェは体勢を立て直す暇もなく、勢いをそのままに山肌に叩きつけられて大きく山肌を揺るがす
 ヴァジェの激突と同時に一斉に山肌に蜘蛛の巣状の罅が広がって、ヴァジェの巨体は崩れた土と岩に半ば埋もれる。
 それでも私が急速に減速をかけた事もあって、ヴァジェは激突の衝撃にも耐えており骨が折れた様子もない。脳を揺らされてやや意識を朦朧とさせていると言った所だろうか。
 私は、頭を振って意識と気を持ち直そうとしているヴァジェを見下ろす。

「あまり同族や自分より強いものとの戦いには慣れておるまい? 必要になる事は少ないとはいえ、戦い方に工夫を凝らすことを常に意識しておくべきだ」

「……ぐぅうう、貴様ぁ、どこまでも私を下に見て!」

「意識を保っているだけでも大したものよ。口惜しく思うのならばいつか私を倒す事だ。まずは私に傷の一つも与えて、名乗らせる事からだな。近いうちまたそなたに会いに来よう」

 私は羽ばたきを打って飛びあがり、ヴァジェの姿が見えなくなる所まで来てから、この竜の分身体を構成する魔力の結合を解除してゆく。
 北のモレス山脈に深紅竜の成竜がいる事がわかったのは大きな収穫だ。将来的にはベルン村以北の荒野や森林地帯、山岳部の開拓も未来計画の内に入れていた私だが、竜の分身体を北に飛ばしていなかったら、何も知らぬままにヴァジェと遭遇し戦う事になっていただろう。
 今の内にその存在を知る事が出来たのだから、これから対策を講じる余裕もある。まあ、現状ではベルン村以北の開拓など絵に描いた夢物語に過ぎない事が最大の問題であるだろうか。
 私はこれからの事を考えながら、白い微細な光の粒へと変わって分身体を構成していた魔力を、本体の魂へと還元した。


 分身体を完全に分解し、構成していた魔力が戻って来た事を確認し、私はふむと呟きを漏らした。私はすでに家の農作業を手早く済ませ、ゆっくりと太陽が西に傾き始める時刻である。
 管理官が帰った後、パラミス司祭は村の教会に一泊してレティシャさんを連れてガロアにあるマイラスティ教の神殿へと帰っている。
 レティシャさんにマイラスティの神託が下りたことで、教団側はレティシャさんの位階を上げる事と、希望があればより人口の多い地区への移動を認めることを決めていた様で、パラミス司祭はそれをレティシャさんに伝える為に、ベルン村に向かう途中でゴーダと偶然鉢合わせて行動を共にしていたいそうだ。
 レティシャさんは位階が上がる事に関しては多少驚きながらも謹んで承諾したようだったが、地区の移動は辞退しこのままベルン村に残るつもりだそうで、ガロアの神殿で必要な手続きを済ませてからまたベルン村に戻ってくる予定である。
 今回の事で正式にレティシャさんは、最小規模の教会の責任者である助祭から準司祭へと位階が上がることだろう。ただ教区の信者が増えたわけではないから、これまでの暮らしぶりが特に変わる事はないかもしれない。
 マグル婆さんの息子でアイリとリシャさんの伯父に当たるデンゼルさんは、泊り込みで数日をかけてイシェル氏の遺産を現在も鑑定中である。

 そんな中、私はよく子供達に物語を聞かせているいつもの川辺の土手に腰かけて、セリナ、ディアドラ、リネット、アイリ、リシャさん達に囲まれていた。
 ここにミルさんが加わっていたら、ベルン村の中でも指折りの美少女達が勢ぞろいの光景に変わる。ラミア、ドリアード、ゴーレム、人間と多種族の、胸の大きさから性格まで様々な美少女達に囲まれるのは気分の悪いもではない。
 これは他の男連中に恨まれても仕方ない光景であるが、目下私はアイリによる糾弾と取り調べを受けていたので、当初の少し浮かれた気持ちはどこへやら、とても両手に華を超える現状を喜ぶ心境ではなかった。
 よく椅子の代わりにしているほど良い高さと平べったさの石に腰かけた私の目の前に、腰に手を当てたアイリが立っている。
 最初はゴーダに頬を張られた事やさんざかセリナ達やシェンナさん、リシャさんが暴言を吐かれた事に対する怒りをぶちまけ、私や皆を心配するアイリだったが、話が進むにつれて方向性が怪しくなり、気付いたら私がリシャさんにキスをしてもらったらゴーダに張られた頬が治ると言った事に関して詰問を受けていた。

「ドラン! いくらなんでもお姉ちゃんにキスしてもらったらほっぺたが治るなんて、悪ふざけが過ぎるでしょう。管理官が居なくなった後だからってもう少しものを考えて言いなさい」

 先ほどから私を叱る言葉を絶やさず口にし続けるアイリに、セリナはおろおろと慌て、リシャさんとディアドラはどうしたものかしらね、とどこかアイリの姿を微笑ましそうに見ていて、リネットは特に私に危害が加えられているわけではないと判断しているようで沈黙を維持している。
 第三者からの助けの手が入る事は諦めねばなるまい。私は自身の弁舌でアイリを宥める他ない事を悟った。

「既に口にした事は取り消せん。それに冗談半分で口にした事だったから、本当にしてもらえるとは思わなかったものでな」

「もう、なんでそんなに反省の色がないのよ。あの管理官はなんだかもう隠居するみたいだから良いけど、下手に目をつけられたどんな嫌がらせをされたか分からないのに、そのすぐ後にいつもみたいにケロッとした顔でお姉ちゃんにキスをねだるなんて、もう信じられない!」

 腕を組んであらぬ方向に顔をそむけるアイリは、先ほどから一向に怒りを解く様子がない。管理官がディアドラ達や私を糾弾した場に居合わせていなかった事も、アイリにとっては怒りの原因の一つらしい。べつに私が意図して仲間外れにしたのではないのだが。

「だが以前にアイリの家でご馳走になった時にも言っただろう。リシャさんは村の女の子の中で二番目に私が好きな方だ。それにリシャさんならしてくれるかもと期待したのも否定はできんしな。場を和ませる意味もあってああ言ったのだ」

「ますます性質が悪いわよ!? なによ、お姉ちゃんにキスしてもらう口実だったんじゃないの」

「否定しきれんな。ただまあ、あの場にアイリが居たらアイリにもねだったな。そう考えるとあの場にアイリが居なかったのは、惜しい事をしたとも思う」

 もっともあのゴーダなどの視界の中にアイリがおらず、汚い言葉を耳にしないで済んだ事の方がはるかに良い事だろうと私は思う。そう言った意味では、リシャさんやセリナ達には気の毒な事をしてしまった。
 私がそんな風に思っているとは知らぬアイリは、顔を強張らせたかと思うと紅潮させ、私の顔に唾が掛る勢いでどもりながら喋った。

「ば、馬鹿じゃないの。なんで、わ、私がドランにキスするのよ。キスしたって痛いのは治んないでしょう!?」

「だからその場を和ませる冗談半分だったのだ。それとアイリが居たらキスをねだったと言うのは間違いないぞ。リシャさんが二番なら一番は誰だとあの時私は言った?」

「あう。そ、それはまあ、そうだけど……。だ、だったらなんだっていうのよ。お姉ちゃんだけじゃなくって、セリナさんやディアドラさん、リネットさんにシェンナさんにまでキスしてもらっといて白々しいわよ」

「ふむ、確かにシェンナさんまでキスをしてくれたのは私にとっても意外だった。まあ、シェンナさんの場合は好意とかではなく、慰労の意味合いでしてくれたのであろうよ」

「うう、これだけ言ってもいつもと変わらない所が嫌なのよ。あたしだけ空回りしているみたいなんだもん。あのね、ドラン。この際だからはっきり聞くわね。あなたとセリナさんってどんな関係なの? 前からセリナさんはドランに好意的だったけど、管理官が居なくなった後すぐに貴方にキスしてきたっていうし」

 ここでアイリは事態の推移をはらはらと見守っていたセリナに一瞥をくれて、話題が自分に及んだ事に気付いたセリナは、ひどく緊張した様子で体を強張らせている。
 アイリの視線を浴びたセリナは紫苑色のスカートの裾を握り、もじもじと落ち着かない様子で動かす。時折私に向けられる視線には期待の色が濃い。
 かつては私の奴隷にでも何にでもなると誓ったセリナだが、私がその様な関係を望まなかった事などから、やはりきちんとした夫婦関係になれる事を望んでいるのだろう、と人間的な感情の機微には疎い私でもはっきりと分かっている。

「ふむ、私は言葉を弄する事が苦手だ。正直に言うとしよう」

「……うん」

 不安そうに瞳の中の光を揺らすアイリをまっすぐに見つめ、私は私が普段心の中で思うだけで、これまで口にはしていなかった本音を隠さずに告げた。

「セリナとは王国の法律上、人間と魔物が結婚できない事から法的な夫婦にはなれんが、番いとなって私の子供を産んでもらうつもりだ」

 くしゃりとアイリの顔は悲しみと問いただしてしまった事の後悔に歪み、反対にセリナの顔は歓喜に満ち溢れていた。
 ただし続く私の言葉にアイリやセリナのみならず、アイリとよく似た表情を一瞬浮かべたリシャさんやディアドラ達も少々呆れる事になったが。

「あとディアドラも同じだな。精霊と人間で子供を作れるかは分からんが、半精霊の英雄の話などもあるし、回数と愛情で補えば何とかなるだろう。それからリネットは子供を産めないから仕方がないが、それでも私の妻にするつもりだし、当然アイリとリシャさんにも私の子供を産んでもらうつもりだぞ。
 二人とは人間同士だから法的な夫婦関係になれるから、私とアイリが成人したら二人と結婚する。式は別々に挙げるか合同で行うかは、まだ考えなくてもいいだろう。そうだな、あと子供は皆に五人位ずつは産んでもらいたい所だな。リネットには私の子供たちの面倒を見る手伝いをしてもらえると以上に助かる」

 うむうむ、と私がこれまで考えていた未来について語り終え、どこか満足感を得て頷いているとアイリとセリナを含めた周囲の皆がぽかんと――リネットはほとんど表情を変えていなかったが――私の顔を見ていた。
 はて? なにか妙な事を口走っただろうか。私としてはもはや確定事項の未来計画について語っただけなのだが、アイリはなにがなんなのか分からないという顔を作って、私に聞いてきた。

「え、いやいや、え? あのね、えーーと、そのドラン、ごめん、ちょっとあたし頭の中がこんがらがってるんだけど、ううんとそもそも普通複数の相手と結婚できないのよ、ドラン? て言うかなに、あんた私達にええと五股をかけるつもりなわけ」

「そうなるか。だが別に複数の配偶者を得られんわけではないぞ。確かに農民に限らず平民は配偶者を一人しか持てんが、方法はあるだろう、リネット?」

 私の発言をどう捉えているのか表情からは伺えぬが、リネットはいつもと変わらぬ無表情で私の問いに答える。

「はい、マスタードラン。アレクラフト王国の法律において貴族であれば配偶者を複数持つ事が許されています。マスタードランが貴族に叙される事があれば、先ほど述べられました様にアイリとリシャを妻として迎え入れることは可能です。
 またセリナやディアドラ、リネット達を事実上の妻として扱う事も出来るでしょう。貴族の中には色々と特異な性癖の方々が多いと、グランドマスターイシェルの知識にありますから、魔物を妻として遇する事は瑣末な事と捉えられる可能性が高いかと」

 貴族が配偶者を複数持てる王国の法律は、随分な昔に魔界に棲息する淫魔達が大量に出現し、多くの男性が精を絞り取られた上に魔界に連れ去られるなりした為に、人口の男女比が大きく偏った事に起因する。
 とはいえ私の調べた限りではほとんど形骸化していて、基本的には王族が正室と側室を持つ事は認められているが、その他の貴族では正妻の他に妾を囲む事自体は暗黙のうちに了解されているのが現状である。それでも法律が撤廃されていない以上は有効な筈だ。

「というわけだ。貴族と言ってもどうやら豪勢な暮らしが出来るのは極一部の様だし、生活の糧を得る為にも、魔晶石と精霊石の売買ルートの確定と村の更なる開拓を急がねばならないのが、私が貴族になるのと並んで最大の問題だな」

 ふむす、と私が思い描く未来を実現させる為にも改めて気合いを入れて口癖を零すと、アイリは何を言えばいいのか分からない様子で、激しい頭痛に襲われているのかこめかみに指を当てている。
 セリナはそれでもアイリとは違って私の考えでも構わないと考えているのか、私との夫婦生活を思い描いて自分で自分の体を抱きしめて蛇体をくねらせている。
 私の番い発言と子供を産んでもらう発言に気を良くしているようである。元から私の奴隷で構わないと考えていた事も、この態度に関係しているだろう。
 リシャさんは腕を組んで豊乳を圧迫させながら整った顎先に指を添えて、私の発言を吟味しているが、突然ディアドラがくすくすと笑いだした。

「うふふふ、あはははははは! あ~あ、おかしい。ドラン、貴方らしくっていいわね、それ。それ位馬鹿らしくって強引な方がドランって感じだわ。いいわよ、私は貴方と子供を作ってもいいわ。セリナも文句はないんでしょう?」

 ディアドラと初めて出会った時に強引極まりない方法を取ったから、ディアドラにとっては今さらという気持ちが強いのかもしれない。それでも私の考えを承諾してくれた事には、望外の喜びを覚える。
 あまり笑うものだから眼の端に浮かび上がった涙を指で拭い、ディアドラはいまだくねっている途中だったセリナに水を向ける。

「あ、はい。それはもう、私はドラン様のお傍にいられればそれでもう十分ですから、そのうえ御子を授けていただけるのなら、もう不満なんて」

「ディアドラさん、セリナさんも! というかなんでセリナさんはドランを様付けしているんですか。あたしの知らない所で二人の間に一体何があったって言うの!?」

 あ、とセリナは一声零して口を抑えたが、一度口から出た言葉を戻す事は出来ない。いまさら私を様付けした事を否定しても遅い。

「私の人徳だな。セリナとディアドラは承諾してくれたが、アイリは私と結婚するのは嫌か? それともやはり他の女性を私が相手にするのは気に食わんか」

「そ、そりゃお父さんとお母さんを見ていれば、何人も女の人に手を出しているのは変だって思うに決まっているでしょ。セリナさん達の事は嫌いじゃないけど、でもやっぱり結婚となると話は別よ。第一貴族になるなんて、どうやってなるつもりよ」

「そこが難しい所だが、必ずなる。そしてアイリとリシャさんを妻にしてセリナ達とも子供を作って幸せに暮らす。村の皆にもっと楽な暮らしをしてもらう事と同じ私の大切な夢で、生きる目的だ」

 頑として譲らぬ私にアイリはたじろいだのが、うう、と怯える猫の様に唸るとじりじりと後ずさりする。何と言われようが私は口にした通りに実行するつもりである。
 貴族に叙されるには、王国に対して著しい貢献を果たす事が必要だが、私の場合は魔法使いとしての技量を高めて宮仕えすることが一番手っ取り早いだろうか。
 身分と言う奴は目下私の描く未来図の中では最大の障害の一つで、これをどうにかする画期的な名案を、残念ながら私の脳みそは導き出せずにいる。
 そう言った意味では、私の未来図の信憑性が今一つ確固たるものになり得ないのが難点である。
 アイリは私に何を言っても無駄だと考えたのか、問題の矛先を私から実姉であるリシャさんへと移した。逃げたな。

「お、お姉ちゃんはどう思う? ドランのお嫁さんなんて嫌だよね。しかも私達皆に手を出すなんて言っているし」

「え、ああ、そ、そうね。うん、難しいわよね」

 おや、と私は落ち着かない様子のリシャさんに違和感を覚えた。いつもの私やアイリをからかうリシャさんなら、私に合わせていいんじゃないかしら、位の事は柔和な笑みを浮かべながら口にすると思ったのだが、リシャさんはひどく困った様子で頬に仄かな朱色を昇らせて、ちらちらと私を見ている。

「お姉ちゃん?」

「えっと、ううん、ドランもまだ子供だしついそう言う事を考えてしまっても仕方ないんじゃないかしら? ほらもう少ししたら自分の言っている事がどれだけ無茶で自分勝手な事かちゃんと分かる様になるわよ」

「リシャさん。私はリシャさんの事をほとんど家族も同然に思っているが、女性としても好いているよ。何度も言っているが妻にして子供を産ませたいと願うほどに」

 私は腰掛けていた石から立ちあがって、私の瞳に体を射ぬかれた様に動けずにいるリシャさんの前まで歩いて、華奢なリシャさんの手を取り優しく包み込む。
 私やアイリ同様にマグル婆さんから厳しき魔法薬の調合の手ほどきを受けているリシャさんの指は、それでもなお傷一つなく、滑らかな肌触りで思わず包み込んだ手を離したくないと言う強烈な欲望を抱くほどに心地よい触り心地とぬくもりがある。

「駄目かい、リシャさん」

「だ、だめよ、ドラン。私とあなたは七つも年が離れているし……」

「私は魔物であるセリナやディアドラも愛している。なら同じ人間同士でたった七歳の年の差が一体何になる? リシャさん、いや、リシャ、私の眼を見て答えなさい。私の妻になるか、ならないのか」

 私に握られた手を振りほどく素振りも見せず、私の瞳に心の奥底まで見つめられるリシャは、ひどく狼狽したようで私に言うべき言葉を必死に探している様だった。

「だって、アイリはドランの事を、だから、私がドランと、その夫婦になるなんて……」

「私は皆が欲しい。欲しいものは必ず手に入れる。妻も幸せも子供も未来も夢も、だからリシャ、君も必ず私の妻にする。私の妻になりなさい。いいね?」

「ドラン……」

 普段の余裕ある年長者の態度はもはや見る影もなく、リシャは私の瞳と言葉に心と体を絡め取られて、拒絶の意思を表す事が出来ずにいた。ひょっとしたら前から私はリシャに好かれていたのだろうか?
 リシャが私の望むとおりの言葉を口にしようとした時、不意に私の後頭部に凄まじい衝撃が走り、数瞬の間を置いて襲い掛かって来た痛みに、素の身体能力であった私は思わずリシャの手を離して、その場にうずくまる。

「お姉ちゃんになにしているのよ、ドランの馬鹿、アホ、間抜け!! 行こ、お姉ちゃん」

「え、あ、アイリ?」

 私の後頭部に拳骨を叩き込んだのは他ならぬアイリであった。私が歯を食いしばって痛みを堪えている間に、アイリはリシャの手を取るや否や足早にこの川辺から走り去ってゆく。
 止める間もなく遠ざかるアイリと時折こちらを振り返るリシャの姿を見つめ、私はようやくおさまり始めた痛みを堪えて立ちあがり、やれやれと溜息を吐いた。
 なかなか思う通りにはいかないものだ。だがこれまで胸の中で温めていた未来図を皆の前で口にした事で、私の中で必ず口にした通りにするという決意はより一層強固なものとなり、私の心中の決意と言う名の炉には、新たな薪が次々とくべられるのだった。

<続>

 最近になって村を拠点にあちこちに冒険に行く話にすべきだったか、あるいはもっと年齢を挙げて冒険者や出世して一旗揚げる話にして、その過程でモンスター娘と仲良くなる話にすべきだったろうかと悩んでいる作者です。
 今回は多分にご都合主義的であり、別のお話で指摘されたキャラクターを都合の良い人格に矯正しているという私の悪癖が、多少なりとも出てしまっている事かと思います。
 自戒するつもりであっても、どうにも私はこのようなお話しか作れないようで、御不快な思いをされた方には、前もって謝罪いたします。
申し訳ございません。
 さてそろそろこの『さようなら竜生 こんにちは人生』も一区切りと言った所。皆さんに楽しんで頂けていると良いのですが、もうしばしお付き合いのほどお願いいたします。
 ただの姉妹丼にするかそれともミルクがけ姉妹丼にするかが、大変悩ましゅうございます。
 また今更ですが、皆さんはいわゆる西洋式の竜娘と東洋風の龍娘ならどちらがお好みだったでしょうか? ちと遅い質問になってしまいましたが、ご意見を頂ければ幸いでございます。

以下の文章はお遊びです。目を通されずとも支障はございません。私はステータスとか設定とか考えるのが楽しい人でして、以下のゲーム的な数値に関してはお遊びの範疇ですので、真面目なファンタジーがお好きな方は目を通す際にはお気を付け下さい。

名称 :ドラン
職業 :成竜
種族 :白竜(分身体)
Lv :10
HP :25000
MP :25000
STR:3800
VIT:3800
INT:3900
MND:3700
AGI:3900
TEC:3400
LUC:3200

 ドランが分身体を竜ベースで作成したもの。意識は本体であるドランと共有している。ドラン自身は成竜の規格内と思っているが、実際にはそれどころではなく、古竜を超えるとんでもない戦闘能力を有している。数値二~三桁が基本の地上世界ではまず敵なし。
 これはドランがきちんと実力を把握しているのが真竜までで、真竜未満の格の竜の戦闘能力を、多分これ位? と大雑把に見積もっているため。ただ実際に成竜であるヴァジェと交戦した為、今後は下方修正される可能性が高い。
 ステータス通りに戦えば大陸中の人間・亜人国家を纏めて相手に出来るほど。
 ちなみに第二話のドラン(LV5)よりLVが上がっているのは、この話までの間にドランが何度か訓練や実戦を経験している為。

名称 :ヴァジェ
職業 :成竜
種族 :深紅竜
LV :24
HP :2090
MP :2140
STR:568
VIT:559
INT:542
MND:523
AGI:511
TEC:505
LUC:487

 一般的な成竜はSTRなどの各ステータスは300~500ほど。ヴァジェは火竜の上位種“深紅竜”であるため既に一部で平均的な成竜の枠を超えている。
 入念に準備を重ねた魔法使いと騎士団の混成軍を相手にするとぎりぎりで討伐できるかどうか位の数値。老竜になると突出した能力を持った英雄達に任せるか、大国が総力を挙げてどうにかするしかなくなります。

 種族と年齢にもよりますが竜族の平均値は即興で考えただけなのであまり真に受けないで下さい。あと地上に居る間は真竜以上の竜は特殊な空間などを除けば、大体古竜程度にまで力を抑えています。
 一般的な人間の兵士のステータスは訓練を積み、実戦を経た者で40~50位と規定しています。ベルン村のバランやその部下達は辺境で鍛えられているので、ただの兵士より一回りか二回り強い感じです。

10/16 01:43 投稿
10/16 09:01 修正ひこ様、通りすがり様、ご指摘ありがとうございました。
10/16 20:37 修正光恵様、ありがとうございました。
10/17 12:30 修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑬ 搾乳注意
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/22 09:33
さようなら竜生 こんにちは人生⑬ 搾乳注意

※搾乳描写、エロ要素が苦手な方はミル(牛娘)が作中で出てきたらほぼ最後まで読み飛ばしてください。そのまま読み進めて気分が悪くなるなどしても、責任は負いかねます。最後の数行を読めばおおむね問題はありません。

 アイリやリシャ、セリナ達の目の前で私が皆を妻として子供を産ませるつもりである事を公言してから、やはりと言うべきかアイリとリシャの私に対する態度には変化が見られた。
 これまでは私を見つけると人懐っこい子犬の様に私に駆けよって来たアイリは、いまでは私の顔を見るとふっくらとした頬をリンゴの様に膨らませて、そっぽを向いて私の顔を見ようとはしない。
 リシャはアイリの様に露骨に私に対して拒絶の態度を示すわけではないが、さっと頬に朱を昇らせてそそくさとその場を立ち去って、私と顔を合わせる事を避けるのである。
 それでもマグル婆さんの所で魔法薬の調合の勉強とセリナとディアドラから、それぞれ魔法を教わる際にはどうしたってアイリとは顔を突き合わせるし、リシャとも頻繁に出くわす。
 その様な時には気まずい空気が私達の間に渦巻き、ほとんど必要最低限の言葉しか交してくれなくなる。

 授業中、マグル婆さんや二人の母であるディナさんは、敏感に私達の間に漂う不穏な空気に気づいているのだが、子供たち同士で解決させようとしているようで、今のところ不干渉である。
 しかし、今振り返って思うに私の考えが村中に知れ渡るとなると、これは結構な問題になっていたのではあるまいか。
 農民の子として産まれた私が大胆不敵にも貴族を目指し、しかもその理由が村の女子達ばかりでなく、魔物であるセリナ達と婚姻を結ぶ為という、不純と言えば不純なものなのである。
 とはいえあの時のアイリの真剣な雰囲気から私が嘘偽りや、誤魔化しの類の言葉を吐く事は到底許されぬものであったし、私の性格を考えればやはり正直に告げる以外に選び得る道はなかったと今でも思う。
 余人の耳に入っていたなら、父母からのげんこつと説教、あるいは村長からの忠告、空いている倉庫に数日監禁される位の事はあり得ただろう。

 私としては常々考えていた事を口にしただけなのだが、アイリやリシャにとっては寝耳に水を撃たれたというべきなのか、到底信じられないものだったようでいまだに二人は私の案に賛成する事も、納得の意を表す事もせずにいる。
 あの後、セリナは私が妻にして子供を作る気だと断言した事が嬉しかったのか、その日の夜はいつもより激しく私を求めてきて、しきりに子供をねだる言葉を口にして私の上と下で乱れ、つい私ももう子供を作ってもいいか、と危うく自制し損ねる所だった。
 ディアドラは私らしいと笑っていた様に私の全員を妻にするという発言に気を悪くした様子もなく、セリナと私の痴態をいつもと同じ年上ぶった余裕のある態度で見ていた。
 リネットはと言えばいずれ私の子供の面倒を見る練習をしているつもりなのか、赤ん坊をあやす様な素振りをしきりに繰り返し、その眼差しは極めて真剣なものであった。

 このようにセリナ、ディアドラ、リネットは私の考えを受け入れており、アイリとリシャの二人が納得してくれればおおむね丸く収まるのだが、これが中々うまくは行かないのである。
 リシャが私の思っていた以上に好意を寄せてくれていたのは嬉しい誤算であったが、アイリがこれまた強情な様子で納得させるのには骨が折れそうである。
 どうしたものか。実際に私が婚姻を結べるようになるのは十五歳ごろになってからの事であるから、それまでの間根気よく説得を続けてアイリとリシャを納得させるほかないだろうか。
 ふむ、と私が喉の奥で少しばかり唸り声を零すと私の足をぺちぺちと何かが叩いている事に気付いた。

「ぐ、ぐぬぅぅううう……」

「む、すまぬ、ヴァジェ。少々考えごとをしていた」

 再び白竜の分身体となってモレス山脈に赴いた私は、ヴァジェが私の姿を見つけて突っかかって来るのを待ち構え、また精一杯背伸びをしている若人を微笑ましく見守る老人の気持ちで戦いの相手を務めている最中なのである。
 先日の出会いを再現するように空中で待っていた私は、挨拶もなしに遠方から放たれたヴァジェの火炎弾を回避し、そのまま白雲と風を切り裂いて激しく交差する空中戦を演じ、ヴァジェの火炎弾を掻い潜って組みつき、地上に落下してから竜同士による格闘戦へと移行した。
 同じサイズの相手との戦いに慣れていないヴァジェは、全力を込めて腕や尻尾を振るい、私の喉笛に牙を突き立てんと首を伸ばしてきたが、余分な力が込められている為に回避する事は容易かった。
 巨人種でも一撃で首をへし折られる腕の一振りを掻い潜った私は、大地を蹴って伸びきったヴァジェの左腕に組みつき、その勢いと体重を活かしてヴァジェを大地に仰向けに倒した。

 ヴァジェが首を伸ばして私に火炎弾を叩き込もうとするのを、私は組みついたヴァジェの左腕に足を絡め、間接が本来は曲がらぬ方向に体重をかけて苦痛を与えることで制した。
 そのままぎりぎりとヴァジェの左腕を締め上げてヴァジェが降参するのを待っていたのだが、どうも考えごとに熱中していた所為で、ヴァジェを少々強く締め上げ過ぎたらしい。
 さしものヴァジェも左腕を壊されては堪らぬと、尻尾を使って私に降参の意を示したのである。私は短く謝罪の言葉を吐いてから締め上げていたヴァジェの左腕を解放し、軽く翼を動かしてふわりと体を浮かす。
 ヴァジェはまだ痛みが骨の髄まで残っているのか、仰向けに倒れていた体を起して左腕をしきりにさすっている。噛み締めた牙の間からは苦痛を堪える唸り声が零れている。
 私の前と言う事で痛みを必死に堪えて苦鳴をかみ殺すヴァジェの傍らに着地し、私は心配のあまり前屈みになっているヴァジェの顔を覗きこんだ。

「骨が折れてはおらん筈だが、腱を痛め……」

「ぐるうぉああ!!」

「ふむ」

 首を伸ばして覗きこむ私に、隙を見出したヴァジェが私の首根っこに牙を突きたてようと身を翻そうとするのを、私はヴァジェの脳天に平手を叩き込んで抑え込む。
 演技が下手過ぎて見え見えである。ヴァジェに腹芸は無理だと確信させるに十分すぎる大根役者ぶりであった。

「がっ!?」

「殺気を抑える位の芸当はせんと騙されるものはおらぬぞ。ヴァジェよ、そなたはいささか直情的に過ぎるな。老竜の年頃になれば落ち着きは得られるであろうが、今の内から頭に血が昇らぬように自制せぬと冗談ではなく寿命を縮めかねんぞ」

「つぅ、私の命は、私だけのものだ。お前にとやかく言われるものではない。第一、私とさして変わらぬ外見の貴様が、分別臭い年寄りめいた事を口にしても、説得力などないわ」

 最古の竜であった私の言動に、まだ若いヴァジェが年寄り臭さを感じるのは仕方のない事だが、なまじ分身体の外見がヴァジェとそう年齢の変わらぬ成竜であることも、ヴァジェの反発を買う理由の一つになってしまっている。
 最初に出会った時に少々こてんぱんにし過ぎたのか、ヴァジェは私の顔を見るとすぐさま頭に血の気を昇ってしまい、自制する前に挑みかかってしまうようだ。
 ただまあ以前私が口にした戦い方の工夫は、頭の片隅で考える程度の事はしているようで、前回と同じように私が翼を畳んで急制動をかけて背後を取ろうとする動きには反応していたから、私の口にしている事を完全に無視しているわけではないらしい。
 若者の成長は早い。私の言う事を学んで手強さを増すヴァジェの姿に、私は若者の特権だなと感慨深さを覚える。

「しかしヴァジェよ、お前のその気性では番いとなる雄が見つからぬぞ。母御と父御に孫の顔を見せてやろうと殊勝な事は考えておらんのか?」

 それこそヴァジェの父母の様な気持ちで問う私に、ヴァジェは何を言っているんだこいつはと盛大に深紅色の鱗で覆われた顔に浮かべた。
 人間に換算すればリシャより一つ二つ上と言った所のヴァジェにとって、まだ自分が母親になるという事に対する実感はまるでないのだろう。

「夢にも考えた事はないわ。第一お前に心配される様な事でもない!」

「だからその短気を直せと言うに。取り敢えず元気は有り余っておるようだが、もう一戦構える気にはならぬし、今日はこれ位で切りあげるとしよう。ではヴァジェよ、またな」

「次こそ貴様の全身を紅蓮の炎で包んでくれる」

「それは楽しみだな、お嬢さん」

 私のお嬢さん発言に、ヴァジェが口内に紅蓮の炎を溜め込むのが見えて、私はやれやれと言う代わりに翼を大きく広げてその場から飛び上がり、瞬く間に背後のヴァジェは小さな深紅色の点に変わった。
 風の精霊力を受けて速度を増し、重力の見えざる鎖をすべて中和して白雲を抜けて、私はこのまますぐ分身体を構成する魔力を本体に戻すのも勿体無いかと、モレス山脈を離れて暫く空中散歩を楽しむ事にした。
 そう言えばヴァジェと遭遇したことでモレス山脈の北側にまで足を伸ばした事はなかったし、ゴブリンやオークなどの魔物が大群を成して姿を見せるベルン村の北西をまだ偵察してもいなかったが、そろそろ良い機会だろうか。
 さてもうしばしどのようにして時間を使おうかと私が考えごとをしていると、南西の方角から珍しい気配が私と同じ高度で近づいてくるのを感じた。
 ヴァジェと同程度の力を持った同族の気配。巣や集落があるわけでもないのに、こうも連続して同族と出会う事は稀である。ただ感じ取れる気配から近づいてくるのは、竜ではなく龍であると判断出来た。

 始祖竜が自ら細分化した肉体から産まれた原初の竜達は、位階の他に竜と龍とに分類される。私を含む最高位の七柱の竜の内、四柱が古神竜であり、残り三柱が古龍神と称される様に、竜と龍とでははっきりと外見に違いが出る。
 竜は蝙蝠に似た皮膜を持った翼と長く伸びた尻尾に、人に似た四肢と長く伸びた首を持つが、龍は蛇のように細長い胴に短い手足、鹿の様な角が生えた頭部の口先からは細長い髭が伸び、後頭部からは長い髪がたなびいている。
 竜の多くはヴァジェのように峻険な山や幽山深谷に住まうが、龍は大河や湖、海などに棲んでいる者が多く、自然と棲み分けも行われている。
 ほとんど翼を持たない種で占められる龍であるが、それでも自在に空を飛び、天を駆ける高い飛行能力を有しており、私のいる方向へと近づいてくる龍の速さは、風竜の成体と比べても遜色のないものだ。
 ひょっとして私が目的だろうか、となんとはなしに考えついた私は、自分からも近づいてくる龍の方へと向かって翼を羽ばたかせる。

 お互いに向かって飛べば見る間に龍の姿が私の瞳に移り、龍の方も私の白い姿を認めていることだろう。
 細長い体はどこまで吸いこまれそうな海の青を思わせる鱗に覆われ、段々になっている腹など体の内側は鱗よりも淡い水色であった。
 細長い口には髭はなく、後頭部から長く真っ直ぐに伸ばされた烏の濡れ羽色の髪が風にそよいでいる。絹糸に星と月の灯りを取りはらった夜の色を写し取る事が出来たなら、この青龍のお嬢さんの様な美しい黒髪が出来上がるだろう。
 底まで見通せそうな透き通った海の青に似た細長い胴体は、龍という生物の王者的な存在の強靭さよりも、柔らかさとしなやかさの印象の方が強い。
 これまたヴァジェとそう変わらぬ年頃のお嬢さんである。私が竜として生きていた時代にはもう少し年を取ってから親元を巣立っていたと思うのだが、最近では親元を巣立つ若者の低年齢化が進んでいるのだろうか。

 龍の特徴として四本の足から伸びる指の数で格が別れる。私のような竜ならばおおむね四本か五本の指があり、その数で格が別れるような事はないのだが、龍となると三本から四本、五本と数が増えるほどより強く高貴な血統の主であることを表す。
 地上に残っている龍を束ねる十二大龍王とその親族、あるいは先祖返りを起こして強力な力を生まれ持った突然変異の個体だけが五本の指を持ち、龍の九割は三本の指を持った者達である。
 私の姿に気付いて飛行速度を速めた青龍のお嬢さんの指は四本。王族ではないが、それに近しい貴種の血統なのであろう。
 青龍のお嬢さんとの距離が二十メルほどになった所で私は翼の羽ばたきを止めて、私の姿をまじまじと見つめるお嬢さんと挨拶を交した。少なくともヴァジェより気性が荒い様子はない。

「こんにちは、青龍のお嬢さん。随分と遠き地より参られた様だが、如何したのかね? ここいらでは見ぬ顔だが」

 気軽な調子で話しかける私に対して、私の様な竜と会うのは初めてなのか、ひどく緊張した様子でお嬢さんは精一杯胸を張って私に挨拶を返してきた。

「初めまして。わたくしは十二大龍王であらせられます龍吉公主様にお仕えする、巫女の瑠禹(るう)と申します」

 軽く頭を下げて主の名前と合わせて自己紹介をする瑠禹の所作や、川のせせらぎを耳にしている様に涼やかな澄んだ声音は、全てを燃やし尽くさんと猛る業火を思わせるヴァジェとはどこまで対照的である。

「龍吉公主となるとリヴァイアサンを遠き祖とする系譜に連なる龍であるか。今地上に残る古竜(エンシェントドラゴン)の中でも屈指の力の主と記憶している。その巫女を務めているとならば、瑠禹もずいぶん高位の龍ということになるな。若いのに大したものだ。ああところで瑠禹と呼んでも構わぬかな?」

 主のみならず偉大なる父祖をまるで良く知る相手の様に親しみを込めて呼ぶ私に、瑠禹は無礼な、と怒りを表すよりも、呆れの方が強かったのかわずかに困った様子で小首を傾げている。
 あるいはヴァジェ同様に自分とそう年が変わらぬように見える私が、奇妙に老成した雰囲気を纏っている事を、不思議に思っているのだろうか。
なまじ普段纏っている人間の肉体と言う器から解放された状態であるだけに、私の言動は常にも増して竜であった頃に近くなり、老いた物言いになりがちなのだ。

「わたくしの事はどうぞお好きなようにお呼びくださいませ。それとたまたま公主様にお仕えする一族に生まれ付いただけのことですから、お褒めに預かるようなことではありません。あの、ところでこの辺り一帯は貴方様の縄張りだったのでしょうか。そうでしたのなら、不用意に足を踏み入ってしまった事をお詫びいたします」

「いやいや、ここら一帯を縄張りにしているのは私ではなく、瑠禹と同い年くらいの深紅竜だ。ずいぶんと気性の荒い竜であるから、どうしてもこれより先に北上せねばならぬ用事がないのであれば、迂回して行った方が良い」

「そうですか。でしたら急ぎの用向きがあるわけではございませんし、北に向かう理由も特にはございませんから。貴方様の仰る通りに致しましょう。
 あの、所で龍吉公主様とはどのような御縁がおありなのでしょうか? リヴァイアサン様の事もなにやら深く御存じの様ですが」

 ふむ、ちと口を滑らせたか。純粋な疑問として問いかけて来た瑠禹にどこまで本当の事を語ってよいものか、少々判断に迷ったが適当にお茶を濁す程度に留める事にした。既に滅びた筈の始原の七竜が蘇っても、良い事はあるまい。

「いや、昔少しな。公主については、そうだな……。そなたが一度公主の元へ戻る事があったなら、その時にこう尋ねてみると良い。ひょっとしたら私の事を憶えておるかもしれん。幼少のみぎり、ある古神竜を招いた宴で公主は左の頬に、火傷を負った事がある筈だ。それはもうすでに治り痕は残っておらんが、“もう痛いのは飛んでいったか?”とな」

 私が勇者達に討たれる一万年、いやそこまで昔ではないから多分何千年だか前に、公主の一族とまだ地上に残っていた龍神の海底にある城に招かれたおりに開かれた宴で、まだ幼かった公主が私の言った通りに頬に火傷を負う事故が起きた事がある。
 いまでこそ地上屈指の力を持つ古竜にして龍王たる公主だが、その場では最も力の無い龍であり、また幼子であった事から熱さと痛み、場に揃った自分よりはるかに強大な者達の醸し出す雰囲気に飲まれて脇目も振らず泣き出してしまい、皆が困ってしまった。
 その時に私が公主の所まで行って火傷を舐めて直してやり、人間か亜人の子供に教えて貰った“痛いの痛いの飛んで行け”というおまじないをして、公主はそれまで一番恐ろしかったのであろう私が、優しく接したことで緊張の糸がほぐれ、にっこりと笑みを返してくれたのだ。
 時の流れの中に埋没していてもおかしくない古い話だが、憶えてくれているようなら私としてもいささか嬉しいが、あの場には他にもたくさんの竜や龍が居たから、私であると特定する様な事にはなるまい。
 瑠禹は私の言う事になんら思い当たる様子はなく、不思議そうな顔をしている。龍吉公主自身も憶えているか怪しい話とあっては、知らぬのも無理はない

「なに、私の言が信じられぬなら公主に尋ねずとも構わぬ。公主は理知的で温厚な名君と聞くが、戯言を耳にしては表に出さずとも不愉快な思いをするやもしれぬ。仕える主にその様な思いをさせたとあっては、巫女であるそなたに対して私も申し訳ない」

 私は微苦笑と共にそう瑠禹に告げて、それからしばし瑠禹の住む海の中の竜宮城での同胞の龍達、人魚や魚人達との暮らしなどを聞かせて貰い、代わりに私はここから北に行けばヴァジェが縄張りとする一帯にさしかかり、北西に行けばおそらく魔物たちの大規模な集落がある事などを伝えた。
 腹を空かせれば人を喰らう事もある竜と違い、龍は全体的に温厚であるから目の前の瑠禹が人里を襲うような事はあるまい。
 とはいえ龍であれ人間からすれば手に負えない超常の存在には違いないから、北に向かえば野生のワイバーンやワイバーンを飼いならしている部族に遭遇する可能性があることも伝えておく。
 ワイバーン達が興奮して、瑠禹との間で誰も望まぬ様な不幸な戦いが起きては悲しい事だ。
 それから私は瑠禹は竜宮城を離れて瑠禹がこの辺りを飛んでいた理由を問うた。

「公主様にお仕えする巫女や武官はある程度年を経ましたら、一度竜宮城を出て外の世界を回り、見聞を広めるのが習わしなのです。わたくしも直に竜宮城を出る頃合いですので、一足早く外の世界を知っておこうかと思いまして、こちらまで参ったのです」

「ふむ、散策がてら、というわけか」

 というのが瑠禹と私の出くわした理由らしい。私と出くわすまで巨大なロック鳥や飛行性の魔物などは目にしたようだが、竜と出会ったのは私が初めてだった様で、瑠禹もずいぶんと緊張したのだと言う。
 それから私はヴァジェとはまともに会話が出来ない分を取り返すかのように、落ち着き払った性格の瑠禹を相手に口を動かし続け、いつのまにやら長話になってしまい、私がはたと気付いた時にはずいぶんと時間が立ってしまっていた。
 私は瑠禹に貴重な時間を使わせてしまった事に謝意を述べ、ふと瑠禹の体から薫って来た匂いに気付き、最後に一つだけ聞いた。

「最後に瑠禹よ、そなたは南から飛んで来たが龍族の棲む東方からではないのか?」

「あ、いえ、東の海を出ましてこの土地の南の海から北上してまいったのです」

 瑠禹は少し慌てた様子で隠し事をするように、言葉を濁す。どうやら余り深く追求して欲しい話題ではないようだ。

「ふむ、そうか。時間を取らせてしまってすまぬ。帰り道は気をつけておゆき」

「ご心配いただき、ありがとうございます。時に、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「おや、これは失礼、名乗らぬままであったか。私は……ドランだ」

 人として貰った名を告げるべきか、それとも竜としての名を告げるべきか逡巡したが私は人の父母から貰った名前を気に入っているし、竜としての名を告げても信じて貰えるか分かったものではなかったから、人としての名を口にした。

「ドラン様ですね。今日は本当に楽しいお話をありがとうございました。またお会いする事がございましたら、なにとぞよしなに」

「ああ。また巡り合う運命である事を祈っておる」

 身を翻し、青い鱗に覆われた細長い胴体をくねらせながら南へと向かって飛んでゆく瑠禹の姿を見送りながら、私は瑠禹の体から薫っていた香りを思い出し、野太い首を傾げた。

「あれは潮の香り。しかし南の海から飛んでくる間に取れていてもおかしくはない。さて、どんなからくりで潮の香りを纏っておるのやら」


 短い時間の間に深紅竜に続いて青龍と遭遇するという機運が巡って来た私であるが、ベルン村における日常生活には、アイリとリシャの問題を除けば特にこれと言って変化はなかった。
 デンゼルさんによるイシェル氏の遺産の鑑定がそろそろ終わり、改めてガロアから遺産の引き取りと対価を持ってくるまではあと数日は掛ると言う。
 リネットは遺産の処理に関してはあまり関心がない様で、アイアンゴーレムと自身の予備部品と武装、遺書でもあった日記帳などの私物が残っていれば文句はないらしい。
 私は特に自分が口を挟む問題でもないかと、エンテの森から持ち帰ったオイユの実の栽培や、技術の蓄積の為にリネットと協力して次々とアースゴーレムの試作品を考案し、作成しては破棄し、破棄してはまた新たに作成するということを繰り返していた。
 
 アイリとリシャに素っ気ない態度を取られ、自分でも思った以上に傷つく日々に、私はバランさんやその部下の人達に、どんな相手だったら戦いにくいかという質問をして、大量生産を前提とした簡易ゴーレム戦闘タイプの素案を考えることで気を逸らしたりしてなんとか耐えている。
 産まれた時から一緒に育ったと言っても過言ではないアイリと、アイリと一緒に面倒を見て貰っていたリシャにこれまでと違った態度を取られるのは、私にとって思っても居なかったほど堪えるものだった。
 ここはやはり無視されるとしてもきちんとアイリとリシャに私の考えをもう一度伝え直し、二人を口説き落とす他あるまい。

 先の見えない日々が続く中、私は決意を固めて今度マグル婆さんの授業を受ける時に、アイリとリシャを訪ねて今の曖昧な形に固まってしまった状況を変える決意を固める。
 二人とは絶対結婚して子供を産んでもらうぞ、と私が腹を決めて村の中を走る枝分かれした道の一つを歩いていると、なにやら困った顔で家の戸から顔を覗かせてきょろきょろとあたりを見ているミルさんの姿が見えた。
 腹を決めたことでどこか陰鬱としていた気分の晴れた私は、同じ村の仲間同士困っているのなら助けにならなければ、と意欲を燃やしてミルさんの元へと急ぐ。

「ミルさん、なにか困った事でもあったのか? バランさんとミウさんは?」

「あ、ドラン。うんとね、お母さんとお父さんは仕事だよ。タロスもね、お母さんと一緒。私だけ戻ってきてるの~」

 いつものワンピースの代わりに太ももの半ばほどで裾を切った麻のオーバーオールと、木綿のシャツを着ているミルさんは、たっぷりとした質感のある乳房を左手で支える様に隠したまま、恥ずかしそうに私の顔を見返していた。

「ミルさんだけ? ああ、そうか、この匂い。また乳が出たのか」

 かすかに鼻をくすぐる甘い匂いに得心の行った私がそう告げると、ミルさんは更に恥ずかしそうに縮こまる。既に村の皆が一度はミルさんの乳を口にしているのだから、乳が出たと言われる位で恥ずかしがる事もあるまいに。

「うう、そういうのは正直に言っちゃだめだよ、ドラン。でも、うん、またお乳が出ちゃったから搾りに来たんだけど、まだ自分ひとりだと上手く出来ないの。だからお母さんを呼ぼうと思ったんだけど、呼びに行っている間にお乳で服が汚れちゃうから困ってて。ねえ、ドラン、お母さんを呼んできてくれないかなぁ? お願い」

「ふむ、ミウさんを呼んでくれば良いのだな。……ああ、そうだ。ミウさんを呼ばなくてもいい方法があるな」

「ほぇ? 良い方法ってなにかあるの、ドラン」

 ミルさんに頼まれたとおりにミウさんを呼びに行こうとした私であったが、ふとそれよりも早く上手く行くかもしれない方法を思いつき、ミルさんに提案してみる事にした。

「ああ、上手くやって見せる自信はある」

 はっきりと断言した私をミルさんは信じてくれて、私は家の中のミルさんの部屋に招かれた。私の家にあるのと同じ藁を清潔な布で包んだベッドに、文机と気が絵の入った衣装ダンスなどが置かれ、ベッドの枕元には布を丸めて作った牛や犬などのぬいぐるみが置かれている。
 小さな花が活けられたピンク色の花瓶が窓に置かれ、天井に渡されたロープにはドライフラワーが何束か括られていて、部屋の中にはドライフラワーの芳香が漂っている。
 辺境の農村ではたいして部屋に飾るものもないだろうが、それでも我が家とは違ってきちんと女の子らしさを感じられる部屋だった。
 その部屋の中で私は、目隠しをされた状態で椅子に座り、ベッドに腰掛けたミルさんと向かい合っていた。
 私の肩には前屈みになったミルさんの手が置かれ、前屈みになったことでさかさにした釣鐘の様に垂れるミルさんの乳房の下には、乳を受け止める為の桶が置かれている。
 さて、なぜ私が目隠しをし、目隠しをした私の目の前でミルさんは上半身裸になって、乳房を剥き出しにしているかと言えば

「ど、ドラン、本当にドランが私のお乳を搾るの? ね、ねえ、やっぱり恥ずかしいし、止めようよぉ」

「目隠しをしているからミルさんのおっぱいは見えていない。だから恥ずかしがる事もないだろう。我が家は乳牛を飼ってはいないが、近くの家で乳搾りの手伝いはした事があるから、手慣れているし、ミルさんを痛くするような事はしないから安心して」

 それに牛のみならずセリナやディアドラ、リネットの乳房を毎日揉みしだき、舐めまわし、吸い、挟んで貰っている私である。乳房の扱いに関してはそれなりに手慣れているという自負があった。
 ただ私がそう力説してもミルさんは不安なのか、私の肩に置いた手は震えて、ううん、と悩んでいる声を漏らしている。既に目隠しをしている私にはミルさんの表情は伺えぬが、困っている様子は手に取るように想像できた。
 ミルさんの返答を待っているとこれは日が暮れても乳搾りが始まらないな、と私は結論付けて構わずミルさんの乳房に手を伸ばした。

「きゃっ、ど、ドラン。やや、やっぱり駄目だよ。ドランにお乳を搾って貰うなんて」

「ふむ」

 ミルさんの乳房の付け根からゆっくりと親指、人差し指、中指、と小指まで順々にゆっくりと握りしめ、付け根から先端の淡い色合いの乳首まで、優しい手つきを強く心がけて搾ってゆく。
 指の付け根、第二関節、第一関節、指先、それに掌の動きも良く意識して手首から先全体を使って、ミルさんの私の手にはあまりある大きくどこまでも柔らかで、それでいてしっかりと沈み込む指を跳ね返す弾力のある乳房を揉みしだく。

「や、あ、あん、んん」

 揉みしだき乳房をしごく動作を左右の手が別々のタイミングになる様に行うと、すぐにミルさんの乳首の先に白いものが現われて、びゅ、と音を立てながら下に置いた桶の中にミルさんの乳が落ちる。
 まだ空っぽで乾いている桶の底をミルさんの乳が勢いよくびゅ、びゅ、びゅ、と何度も音を立てながら叩いて、目を隠して敏感になった私の耳に心地よいリズムが届き、順調にミルさんの乳が絞れている事を私に伝える。
 私の小さな手に合わせて形を変えるミルさんの乳房はどこまでも柔らかで暖かく、堪え切れずに零すミルさんのとぎれとぎれの声が、魅惑的に私の耳を震わせる。

「ミルさん、どうだ。痛くはないか?」

「ん、ううん、だ、大丈夫だよ。ひゃ、あぁう、ドラン、は随分上手だね。おっぱい触るの、慣れてるの?」

 口を動かして私の手から与えられる乳房への刺激を堪えようとしているのだろう。ミルさんはどもりながらも震える唇から言葉を紡いでいる。すこし、私の肩に置かれたミルさんの手に込められた力が増す。
 私はミルさんの乳房を揉む動きに強弱と速さに変化を着けて、ミルさんが私に乳を搾られるタイミングを覚えないように工夫した。
一定のリズムで搾った方が乳はよく出るかもしれないが、それ以上にミルさんをもっと良い声で鳴かせたくなっていたのである。
 私は乳房の付け根の辺りから握っていた手を一度離して、ミルさんの丸やかなラインを描く大きな乳房の柔肌を、触れるか触れないかと言う繊細で撫でまわし、ミルさんが新しい刺激に、ひゃん、と小さく鼻を鳴らした。

「どうかな。不快に感じるだろうけれどミルさんの胸には前から興味はあった」

「んん、し、仕方ないよ。男の子だもんね。他の子も、んあ、私の、お、おっぱい良く見てるもん」

「そうか、こうして本当に触れて嬉しいよ」

 乳房のラインを確かめるように繊細に触れていた手を再び握り込み、私は小指をミルさんの勃起した乳首に睦事の時のセリナの下半身の様に絡みつかせ、指先でいまも乳を出している乳首の先端をこりこりと突いて刺激する。
 ミルさんの反応は劇的だった。

「ひゃ、や、やああああ、どら、ドラン、それ、それだめぇ!?」

 私の小指を押し返す勢いでミルさんの乳房は白い乳を噴き出して、私の手が暖かな乳に濡れる感触がする。既に桶の中にはコップ四、五杯分の乳が溜まっているだろう。
 室内にはミルさんの乳と性的快感に興奮しつつあるミルさんの体から発せられる匂いが混ざり合い、過剰なほどに甘い匂いが立ちこめている。

「駄目とは言うが一番喜んでくれているだろう、ミルさん。尻尾が動く音が聞こえているし、乳の出も一番いい。ただもう少し手の力を抜いてくれないか? 痣になりそうだ」

 必死に乳首と乳房から伝わる快楽に耐えようと、ミルさんは私の肩に置いていた手を思いきり握りしめており、牛人の握力に私の肩はいまにも悲鳴を上げそうだった。痣になりそうとは言ったが既に痣くらいはできているだろう。

「ごめ、ごめんね、ドラン。でも、でも、駄目だよぉ、ドランの、おっぱいの触り方、先っぽじんじんして、お腹の奥がね、きゅって、きゅんってなっちゃうからぁ」

「ふむ、分かった。私が我慢するから、ミルさんは好きなだけ乳を出すと良い」

「ち、違うよぉ、お乳搾るの、止め……ひゃあああんん!?」

 ミルさんのそれ以上の言葉を遮る為に、私はひときわ強く親指から薬指までを搾り込み、小指の先で乳首の先端を細かく何度も擦りあげ、乳首を巻きこんで締め上げる様に力を加える。
 その刺激にミルさんはこれ以上耐えられないと言う代わりに悲鳴を上げて、盛大に乳を噴き出して私の左右の手と自身の乳房を白く濡らしながら、体をびくん、びくんと大きく震わせる。
 私は乳の醸す甘い匂いの中に、はっきりと女の匂いをかぎ取っていた。私が毎夜三人の美女と美少女達からかぐのと同じ匂い。はあ、はあ、と大きく声を荒げるミルさんの乳房から手を離して、指先を濡らすミルさんの乳を舐めた。
 ふむ、ほのかな甘みが舌から口の中に広がる。実に味の良い乳である。

「ミルさん、乳の出は落ち着いた様だが、まだ搾るか?」

 優しく問う私にミルさんは、少しずつ整ってきた息の中、それでも熱を帯びた体で喘ぐように答えた。

「う、ううん、も、もう大丈夫だから、ありがと、ドラン……あ」

 体を起こして私の肩に置いていた手を離したミルさんが息を飲む音が聞こえた。何かに驚いた様だが、ああ、そうか、ミルさんの声と乳房の感触、室内に籠る甘くかすかに淫靡な空気に勃起した私の下半身に驚いたのだ。

「前にミルさんの乳を頂いた時にもこうなっていただろう? 私もしっかり男なのだからね」

「そ、そうだよね、うん、男の子なら仕方ないんだよね?」

「ああ。ところで少し咽喉が乾いてしまった。少し乳を頂いても構わないだろうか?」

「あ、うん、ちょっと待っていてね。コップを持ってくるから」

「いや、それには及ばないよ」

 ベッドから立ち上がろうとするミルさんを言葉で制し、私は強化した視覚以外の感覚で乳房を隠す様に腕を構えているミルさんに近づき、え、とミルさんが一声零している隙にミルさんの腕を取って開かせ、私に向けて何も隠すもののなくなった双乳の丘の内、見美の乳房に吸いついた。

「え、あ、え? ど、ドラン、あ、あ、んん!?」

 ミルさんは必死に私を止めようとしたが、それより先に私がちゅう、と音を立てて乳首を唇で挟みこみ、唇越しに歯を立ててこりこりと刺激すると、じんわりと乳房の中に残っていたミルさんの乳が溢れて、ミルさんは再び与えられた刺激に言葉を封じられる。
 赤子の頃に母とミウさんの乳房に吸いついていた頃を思い出し、私は乳輪とその付近の乳肉全体に吸いつく様に大きく頬張り、舌と唇で刺激を与えながらもっともっとと乳をねだった。
 そのままミルさんをベッドに押し倒し、私は目隠しをしたままミルさんの乳房と乳輪と乳首と乳の味を、じっくりと堪能する。
 ちゅう、ではなくじゅるじゅるという音が立つほど強く吸っても、まだしばらくミルさんの乳は出続けて、ミルさんは乳房に与えられる刺激に必死に耐えようと無我夢中で私の手を握って来た。

 私は少しでもミルさんが安心してくれるようにと指を絡ませ合い、ミルさんの手を深く握り返す。そうすることでミルさんはほんの少し安心したようで、唇から熱く濡れた短い吐息を、断続的に零すようになっている。
 ミルさんの素のままの優しい色合いの唇から零れた吐息が私の髪を揺らし、赤ん坊の時に帰った様な気持になっていた私は、母に抱かれている様な安らぎに包まれて、とても心地が良かった。
 そうしてミルさんの右の乳房をひとしきり味わった私は、ちゅぽん、と水音を立てながら唇を離し、左の乳房に吸いつく。ふぅん、とミルさんは力の抜けた声を零し、私を止める事もなくなっていた。

 ごくごくと咽喉を鳴らして口の中一杯に溜まったミルさんの乳を飲みほして、喉の渇きを癒した私は満足して左の乳房から口を離し、目隠しの布を外す。
 私の目の前には茶色い髪を白いベッドに広げ、すっかり白い肌を桜色に染め上げて蕩けた顔をし、乳房をてらてらと掻いた汗と私の唾液、白い乳で濡らしたなんとも扇情的な姿のミルさんがいた。
 この時私はミルさんも私のものにする、と決めた。私は涙を浮かべて潤むミルさんに覆いかぶさり、鼻先がくっつくような近い位置に顔を近づけて、笑みを浮かべながらミルさんに囁きかける。
 子供らしく振る舞うよう気を使っているドランとしてではなく、男として竜であった頃の口調に近い私の声と言葉で。

「ミル、キスするよ」

「……うん、ドランならいいよ」

 立て続けに与えられる快楽に頭がぼうっとしているのが見て取れるミルさんは、だからこその本音か、それともぼんやりと答えたのか、私に了承の返事をし私にはそれで十分だった。
 ミルさんがそっと瞼を閉じて少しだけ唇を突き出してキスをねだる姿勢になる。なんと可愛らしい姿であろうか。私はミルさんの唇に自分の唇を重ねようとし、玄関先で聞こえて来たノックの音にキスを中断せざるを得なかった。
 そのままキスをする事も出来たが玄関に居る訪問者が、どういうわけでか私を呼んでいる事に気付いて、誠に残念ながら押し倒していたミルさんの体の上から離れ、軽くミルさんの肩を叩く。

「ミルさん、お客さんが来たようだ」

「ふぇ? …………え、あ、ああう。ど、ドラン、私着替えるから早く部屋から出て。あとお客さんの対応お願い」

「ふむ、分かった。ミルさん」

「な、何かな?」

「乳、とても美味しかった。キスの続きはまた今度にしよう」

 ミルさんはぼしゅっと湯気が噴く様な音を立てて顔を真っ赤にし、あうう、と呟きながら小さくなる。正気に戻って私との間に起きた事を振り返り、恥ずかしさのあまりに言葉を忘れてしまったらしい。まあ無理もあるまい。
 服を着る事を忘れていて乳房が露わになったままなのだが、ミルさんはそれにも気付かぬ様子。
 私は微笑ましいものを覚えて、口元に笑みを浮かべながらミルさんの部屋を出て、トントンとノックの音がする玄関の戸を開けた。

「どなた?」

 私がミルさんの代わりに玄関の戸を開くと、その先に居たのは綺麗に整った髭が特徴的なマグル婆さんの息子さんである、デンゼルさんであった。デンゼルさんは私の顔を見ると、ディナさんと似た所のある目元をかすかに動かした。

「おや、これは、ドランの居場所を知っているかと尋ねに来たのだが、本人が居るとはな。経緯は分からぬが、これは都合が良い」

 ふむ? どうやらミルさんかその家族に用があったのではなく、私の居場所を知らないかと確認しにこの家を訪ねたらしい。しかしデンゼルさんが私に用があるとなると、やはりイシェル氏の遺産かリネットの関係だろうか。

「私に何か?」

「うむ、ドランよ。今から時間はあるか? 私の家に来て貰いたい」

 デンゼルさんの家と言う事は当然マグル婆さんの家であり、アイリとリシャもいるだろう。このままデンゼルさんに着いて行けばアイリとリシャと顔を突き合わせることもできる可能性が高い。私はすぐに了承の返事をデンゼルさんにした。

<続>

○ドラン - ×ヴァジェ 決め手:竜式飛び付き腕ひしぎ十字固め

 漢字としては龍よりも竜の方が古いそうです。西洋は竜、東洋は龍というイメージがありますが、切っ掛けはなんだったのでしょうね。

 タイミングを間違えていたのと私の書き方が良くなかったのですが、西洋風と東洋風なら、という質問は西洋竜である赤髪バリボーなヴァジェと、黒髪ロング巫女の控えめボディ東洋龍ならどちらがヒロインの方がいいですか、という意味でした。


 そして……なんと言いますかこれまで自制したエロス要素が爆発してしまったと言うか、まあ、エロスも『さようなら竜生』の大切な要素ですから、抑えめにするといっても完全になくなるわけではありません。
 正直引かれた方もいらっしゃるでしょうが、こういう話です。これからもこう言う話があるでしょうし、書きます。それでも読んで下さった方、これからも読んで下さる方、皆さまに感謝を。ありがとうございます。

10/20 22:37 投稿
10/21 08:50 12:17 12:35 修正 科蚊化様ありがとうございました。 
                 そのほか手刀→平手に。
10/22 09:33 修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑭+外伝 微エロ注意
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/23 22:21
さようなら竜生 こんにちは人生⑭ 微エロ注意

 ミルさんにそのままデンゼルさんと一緒にマグル婆さんの家に向かう事を告げて、別れた私は、口の中にまだミルさんの乳の味と匂いが残っているのを感じながら、前を歩くデンゼルさんの背中を見た。
 銀糸で縁取られた紺色のケープを纏うデンゼルさんの背中は、背丈が二百シム以上ある上に、肩幅も広く大変逞しいものに見える。
 日々のほとんどを室内で研究に没頭する印象の強い魔法使いの想像図とは、大きく異なる立派な紳士然とした体つきである。村を出てガロアの魔法学院に入学するまでの間は、私や村の人達の様に毎日農作業に没頭していたのであろうから、その時の名残だろう。
 川の上に渡された橋の上を歩く最中、私は今回呼び出しを受けた理由をデンゼルさんに問うた。
 空には小鳥が舞い、川のせせらぎはどこまで涼しげだが、そんな心安らぐ周囲の光景とは裏腹に、私は心中でなにが問題となって呼び出しを受ける事態になったのかと思案を巡らしている。
 これまで数々の魔物と関わって来た事に対する不審か、それとも管理官を相手に子供らしからぬ不遜な態度を取った事がガロアで何か問題にでもなったのか、それともリネットに習って無数のゴーレムの作成と破棄を繰り返している事か、あるいはアイリとリシャに対する私の件の発言が問題視されてか。
 可能性が最も大きいのは最後の問題である。十中八九そうなのだろうと私は結論付けていた。

「デンゼルさん、今日の呼び出しの用件がなんなのか教えて欲しいのだが」

 頑丈な木材で建てられた橋を渡り終えていたデンゼルさんは、私の声に足を止める事もなくそのまま私を振り返る事もなく足を動かし続けていたが、しばらくすると歩き続けながら答えた。

「うむ。母から聞いたが、ドラン、君は魔法薬の調合だけでなく魔物の女性達から魔法の指南も受けているそうだな。簡単なものではあるがマジックアイテムを作成し、今では亡くなられたイシェル殿の残された書籍と、ご息女を模したゴーレムから学びゴーレムクリエイションも行っているとか」

 ふむ、身内であるからアイリ達の関係の話かと思ったが、これまで私が魔法を学ぶものとして行ってきた行動の方が呼び出しの理由であったか。私はデンゼルさんの言葉を肯定する。

「魔法薬も魔法もマジックアイテムも、それにゴーレムも村の皆の役に立つことだと思ったから学んでいる。ゴーダ管理官のようなのがいるようではあまり目立つ事はしてはいけないのかもしれないが」

「君の作ったと言うブレスレットを私も見させてもらったが、ほぼ独学でマジックアイテムを作ったにしては、いっそ上出来過ぎるほどの出来だ。
 学院の魔法具作成の授業を受けている学生でも、そうそう簡単にはあれだけの質のものは作れん。その上必要な処理を済ませてしまえば、魔法の心得のないものでもあとは手順どおりに作れば効果を発揮し、効果も均質というおまけつきだ」

 こうも素直に褒められることは珍しいから、私は呼び出しに関してもあまり緊張して身構えるような事はないのかもしれないといささか警戒心を緩めた。
 橋を渡り緩やかな傾斜の大地を蛇行する道の上を歩き、西に傾ぎ始めた太陽の光はまだ春のぬくもりを留めていて、先ほどから歩き通しである事もあってほど良く私の体は温まっている。
 冷や汗をかいて体を冷やすような事にならぬと良いのだがな。

「時にデンゼルさん、ガロアで私の作ったブレスレットを売るのはやはり無理だろうか」

「ん、やはり難しかろうな。もともとガロアにある我が魔法学院が軍や市井の商業ギルド(組合)に専門の販売ルートを持っている。流通する数が少ないとしても、いずれは眼を着けられる事は必定。結局面倒な事になっていただろう。
 それにガロアにはまだあの管理官の様なのが数多くいる。北部辺境区の中でベルン村は極めて旨みの少ない寒村だ。
 だからこそこれまで欲に目を濁らせて肥え太った愚物どもの目に留まる事もなかったが、甘い汁が啜れると知られれば骨までしゃぶられかねん。ならいっそ今のままの方が良い。
 単純に金銭の類でないとしてもこの村には欲深な屑どもの眼を惹く物がある。ウチのリシャやアイリ、村長の所のシェンナ、バランの娘のミルとかな。お前にはまだ分からない話かもしれないが、美しい外見をした女性は得てして不幸な目に遭いやすいのだ。
 あの時のゴーダもふざけた事を口にし、不愉快な目でリシャやシェンナを見ていただろう。あれと同じ事が続くかもしれん」

 私の目の前でゴーダがリシャやシェンナさんに向けていた視線と感情の類を思い出し、私はデンゼルさんの見えない所で、苛立ちと不快感を表情に色濃く浮かべている事を、強く自覚した。
 いまではゴーダが隠居しなければならないほど精神的に追い詰めた事から、白い竜がゴーダを食い殺す夢を見せる、いや、見るような事もなくなっているだろうが、やはりもう少し悪夢に魘される様にして、ごほん、魘される様に祈るべきか。

「魔法学院伝いに私の方でもガロアの執政庁に具申はしておくが、次の管理官もあまり期待はできん。十一年前に北部辺境区の開拓責任者であったアルマディア伯爵が亡くなられ、王国直轄領になってからは性質の悪い文官が増えた弊害だな。全く嘆かわしい事だ」

 グラーツェン・ブルアス・アルマディア伯爵、デンゼルさんが言うとおりに十一年前に亡くなられた最後の北部辺境区開拓責任者であった貴族のご老人だ。
 開拓責任者に任じられた時には既に老齢に差しかかっていたが、残り少ない命を全て燃やし尽くそうとしているかのような熱心さで北部辺境の開拓に乗り出し、それまで魔物と蛮族と猛獣が跋扈する未開の地であった北部辺境に、ベルン村、シノン村、ボルニア村を築き、エンテの森の伐採や北部の沼地に住まうリザード達との交流を成功させた大人物であったらしい。
 いまでもアルマディア伯爵と共に辺境の開拓に挑んでいた年代の人々は、時折懐かしむように伯爵が存命だった頃の、情熱と苦難と未来への可能性に満ち溢れていた時を思い出して、私達に語り聞かせている。
 北部辺境区開拓責任者としての権利と、広大で肥沃な領土を持つアルマディア家の財力、文官と武官の間に網の様に広がる人脈を最大限に活用する度量と、知性と、決断力、先見性、情熱を併せ持っていた傑物たるアルマディア伯爵が御存命であったら、私が今目にしているベルン村ののどかな光景も、より素晴らしいものであったのかもしれない。

「少々話が逸れたが、母とディナは非常に君の能力を評価していてな。イシェル殿の遺産の鑑定のついでに学院で教鞭を振るう私に、君の能力の試験を任されたのだ」

「ではマグル婆さんの家でこれから魔法の知識に関する試験を受ければよいのかな?」

「しかり。それにしてもドラン、君は本当に子供らしからぬ大人びた物言いをするな。しかもその口調の方がごく自然なモノの様に感じられる。奇妙な事だ」

 デンゼルさんが足を止めて私を振り返り、まじまじと顔を見つめて来たのはマグル婆さんの家の前での事だった。私はマグル婆さんの調合棟と家を囲むハードグラスの生け垣と、にらめっこをしているディアドラに気付き、軽く手を振って挨拶をした。
 ハードグラスや他の魔法薬の素材との対話と交渉を行っていたディアドラは、あら、と言わんばかりの表情を美貌に浮かべて、手を振る私に微笑を浮かべて小さく手を振って挨拶を返す。
 近頃は村にある木製の農具のほぼ全てにハードグラスの加工が済んでいて、貴重な鉄製の農具を摩耗させる事もなく、長持ちさせる事が出来るようになっている。ドリアードであるディアドラ様様である。
 村で唯一の鍛冶場を預かる鍛冶師の方々は、仕事が減ったと少しぼやいてはいたが。
 挨拶だけ交わしてディアドラと別れ、私はデンゼルさんの案内の元、今日も調合棟の入り口の辺りで寝そべっている黒猫のキティに退いて貰い、マグル婆さんの待っていた調合棟に入る。

 ぷんと鼻の粘膜を刺激する無数の魔草、妖花、薬木の根っこや樹皮、干されたなにがしかの小動物などが、壁を問わず天井を問わず吊るされている光景は相変わらずで、足を踏み入れる度に異なる刺激臭が私の鼻と目にささやかな痛みを与えてくる。
 デンゼルさんは部屋の中央に置かれている円卓に用意されている椅子の一つに腰かけて、私にも着席を勧めてから、いつのまにか足元に置かれていた皮鞄を手に取っていた。物質転送(アポート)の魔法か。
 自分自身や物体を、空間を越えて跳躍させる空間跳躍(テレポート)ほどではないにせよ、空間に作用する魔法である為それなりに高度なものだ。

 私の知る限り消えた事のない火に熱せられている大釜からは今も紫色の煙が噴き出し、調合棟の壁や天井は極彩色に染められている。
 それでいて色彩や室内の空気に過剰な生理的嫌悪感を催さないのは、マグル婆さんが室内で焚いている魔法薬のお香に、精神を落ち着かせる作用があるからだろう。
 私はデンゼルさんに勧められていた三脚目の椅子に腰掛けた。
 いつもどおりの裾のほつれたケープを纏い、きぃ、と小さな音を立てて椅子に深く腰掛けるマグル婆さんが私とデンゼルさんの姿を認めて、声になっているかどうか怪しい小さな呟きを零す。
 マグル婆さんの声はとても聞きとれそうにない位小さいのに、これまで不思議と一語とて聞き逃す事はなかった。

「よう来たね、ドラン。時間を取らせて悪いけれど、ちょいと勉強の具合を見る為に、試験を受けて貰うよ。デンゼルからはもう聞いているかい?」

「道すがら教えてもらった。今日の分の仕事は終わっているから問題はない。それでどんな試験を受ければいい?」

 私に答えたのは皮鞄の中から紙束とインク壺、羽ペン、それに大きめの砂時計を取りだして円卓の上に並べたデンゼルさんだった。

「これは魔法学院で実際に使われている筆記試験の問題を、私が君の学んでいるレベルに合わせて作り直したものだ。これをこの砂時計が落ちるまでの間に解いてゆくのが試験だ。
 筆記用具は私が用意しておいたものを使う様に。魔法学院では魔法だけでなく算法や基本的な語学、歴史学なども学ぶ。君はここ以外でも教会や村長の所で、文字や算法の基礎を学んでいると聞く。
 いささか難しいかもしれんが、とりあえず分からない問題は後回しにして、分かる問題から解いてゆくと良い。私が砂時計をひっくり返したら試験開始の合図だ。それまで試験の内容を見てはいかんぞ」

 渡された試験の紙束を見ようとしていた私に釘を指し、デンゼルさんは筆記用具一式を私に差し出す。
 インク壺に羽ペンを指し込んでインクを吸わせ、私はこれまでマグル婆さんやレティシャさんをはじめ、村の知識人から学んだ人間の世界の知識と、竜としてあった頃に学んだ知識の整理を、一息吸う間に済ませておく。
 これから私が挑む試験はあくまで人間の世界で培われた学問であるから、私の持つ人ならざる者としての知識は、あまり期待できないかもしれない。
 試験の結果云々で村の運命がどうにかなるものでもあるまいと、私はさして緊張する事もなくデンゼルさんに試験を開始して構わないと伝え、砂時計がひっくり返されてさらさらと砂が落ち始めるのを認めてから、試験用紙を裏返して記されている問題の解答に神経を集中させた。

 結論から言うと試験内容のおよそ三割が一般的な知識、さらに四割が人間としての私が学んでいる範囲の魔法の知識を問うもの、残った三割がそれまでの知識の応用を含むまだ未学習の魔法に関する問いであった。
 ただ私がこっそりとリネットを通じて、イシェル氏の全魔法技術と知識の教授を受けている事を想定していないものだった事が私にとっては幸運だったと言える。
 私が学習済みの七割分に関しては一つの間違いもない。よって残る未学習部分の三割の問題の解答の正答率が如何ほどであるかが肝要なのだが、竜として感覚で理解していた世界の真理、魔法の法則を人間としての知識と整合して言語化し、イシェル氏の技術と知識を動員すれば、こちらも全問回答する事は優しい位であった。
 用意された試験問題すべてに目を通し解答を書きこみ、誤字や脱字の類がないか確認し終えたのは砂時計の砂が三分の一ほど落ちた頃だった。

「全て解いたが、砂が落ちるまで待たなければならないだろうか?」

 私が淀みなく羽ペンを動かすさまを見守っていたデンゼルさんは、わずかばかりその表情に驚きの色を浮かべたが、すぐさまそれを顔の奥へと引っ込めると私から紙束を受け取り、そこに記されている解答に目を通し始める。

「確かにすべて解答しているな。私はこれから試験の答え合わせを行うから、それまで暫く休んでいると良い。母さん、少し手伝ってもらって構いませんかね?」

 あいよ、とマグル婆さんは皺がれた声で息子に答え、どこからか赤いインクの入った小壺と木の枝を加工したと思しい粗末なペンを取りだしていた。

「時に、アイリとリシャさんは家に居るだろうか」

 いまはまだあの時私の発言を耳にしていた者以外の前で、リシャを呼び捨てにするわけにも行くまい。

「ふぇふぇ、二人の事が気になるのかい? なんだかここ数日ずっと機嫌が悪いからねえ。ディナとドルガは外に出ているし、ドラン、理由はお前さんだろうからさっさとあたしの可愛い孫娘の機嫌を治しておいで」

「ふむ、そうするつもりだ」

 私は二人の許可を得て調合棟を後にした。試験の解答を吟味したマグル婆さんとデンゼルさんが、まだ解ける筈もない問題さえも正答している事に驚くのは、もうしばらく後の事である。


 ふむ、と私はアイリの部屋の扉を前にいつもの口癖を零した。勝手知ったるアイリの家、これまで何度となく訪れた事のあるアイリの部屋であるが、今までは何の気兼ねも無しに入れたものを、二の足を踏むようにしているのは訪問の目的がこれまでとは異なるものだからであろう。
 ここで扉を前に睨み合いを続けていても得られるものは何もない。私は望む未来になる様に行動するのみ、と腹を括って扉をノックした。返事は幾許かの間を置いてあった。

「……ドラン?」

 ノックの仕方だけで私だと気付くあたりやはりアイリである。私の口元にはごく自然と笑みが浮かびあがっていることだろう。

「ああ、私だ。ノックの音だけで分かるとは流石はアイリだ。入るぞ」

 え、とアイリの声が聞こえて来た間に私は扉を開いて、アイリの部屋に足を踏み入れていた。
 私が来るまでベッドの上で横にでもなっていたのか、部屋の中央に突っ立ったアイリは、癖のある赤い髪の毛をいつにもましてあちらこちらに跳ねさせ、あたふたと落ち着きのない様子であった。
 小さな机の上にはわずかな書籍と小さな白い花弁の花が活けられた花瓶、部屋のあちこちに魔法薬の材料となる花々が乱雑に置かれていて、ミルさんの部屋とはまた違った雰囲気がある。
 アイリは必死に癖がひと際ひどくなっている髪の毛を整えようと、櫛を探して慌てていた様だが私が返答を待たずに入室してしまった為に、間に合わず咄嗟に小さな両手で髪の毛を抑え込みながら、眦を釣り上げて私に向けて拗ねたように口を尖らせる。

「なんで勝手に入ってきちゃったの。私が良いって言うまで待ってなさいよ」

「今までそんな事はなかったろう。立ったままというのもなんだ。ほら、アイリも座るといい」

 私はアイリのベッドの上に腰を降ろし、自分の右隣をぽんぽんと叩いてアイリに着席を促す。本来部屋の主はアイリであるのに、まるで私の方が部屋の主であるかのように振る舞う事に、アイリは小さく文句を漏らす。

「もう、ここは私の部屋よ。これじゃまるで逆だわ」

 そうは言いつつも私に従って隣に座ってくれるアイリが可愛くて、私はくすりと笑みを零した。

「そうだな。だがアイリの部屋には私も随分前から入り浸っているから、今更と言う気もする。好きに入っていいと前に言ってくれたろう」

「あ、あれはもっとちっちゃかったから気にならなかっただけよ。いまはその、ドランに部屋に勝手に入られるのは、ちょっと困るのよ」

「そうか」

 そう返してから私はアイリの横顔を見つめる。だがアイリは私にちらちらと視線を向ける事はあっても、私と正面から向き合おうとはしておらず、まだ許してくれる、あるいは心の整理がついているわけではないようだ。
 時間があらゆる事を解決してくれるという言葉もあるが、それにはまだ時間が足りないのは明白であった。
 人間に生まれ変わっても竜であった頃でも私は嘘を吐く事や、隠し事をするのが苦手な性格である。常に正面から自分の意思を吐露してぶつかるのが常なのだ。もう少し器用に生きられぬものかと自分でも思うが、目下矯正の見込みはない。

「アイリ、最近ずっと私の事を避けているだろう。理由が私にある事は分かっているが、それでも私は寂しかったし、悲しかったよ」

 アイリは元からそむけていた顔を更にぷいと逸らして、私に顔を見せまいとするが、私の目に晒す赤い髪の毛の合間から見える日焼けしたうなじや耳は赤く染まっている。私がアイリに避けられている間抱いた感情は口にした通り偽りのないものだ。

「ドランが変な事を言うのが悪いのよ。あたしだってドランと話せなくて少しは寂しかったんだから」

 アイリの言葉は後半に行くにつれてしりすぼみになり聞きとれない位に小さくなっていたが、それでもそむけていた顔を少しだけ私の方に向けて、私の顔を見るようになっている。
 私達のいるのがアイリの部屋でありもうこれ以上逃げ場がない事もあって、アイリもある程開きなおって私と話をしようと考えているのかもしれない。

「セリナさんやディアドラさんにリネットさんは、可愛いし良い人達だけどだからってあたしとお姉ちゃんと皆まとめて結婚しようなんて、やっぱり変よ。第一貴族になるのだって、どうやってなるっていうの? なった人がいないわけじゃないけど、すごく難しいことなのよ」

「だろうな。だが挑戦する前から諦めたくはない。上手くいって私がベルン村の領主にでもなれれば、便宜も図れる様になるしアイリやリシャやセリナ達を纏めて妻に出来て、良い事だらけだろう」

「そんなの、全部都合よくいったらっていう話じゃない。そ、それにあたしは他に奥さんがいるのって、嫌なの!」

 癇癪を起したように声を荒げたアイリは、ようやく私の方を振り返り赤くなっていた顔に新しい怒りと羞恥の赤を上塗りして、私の瞳をまっすぐに見つめてくるが、私はアイリの言葉をこう解釈して答えた。

「そうか、他に私が妻を迎えるのが嫌と言うなら、私の妻になる事自体は嫌ではないのだな」

「え? え、あ、あの、その……」

「私の考えを許してもらえないのは残念だが、アイリが私の事を好いてくれているのなら、私はとても嬉しい。私もアイリが好きだから」

 アイリはまともに言葉を発する事も出来ず、ただただう~、う~と唸って視線を泳がせて私から逃れようとベッドに座ったままの体勢で後ろにさがろうとする。それを私はアイリの両肩を掴んで無理矢理に引きとめる。
 小さなアイリの体がびくりと震えた。日々の農作業に余分な肉を削ぎ落されたアイリの体は細く引き締められていたが、それでもやはり小さな子供らしい柔らかさがあり、アイリの体の熱が服の布地越しに伝わる。

「アイリ、はっきりと口にして欲しい。私の事をどう思っている?」

「そ、そんなの、いう、言う必要ないでしょ。どうせドランがあたしの事をす、す、しゅきって言うのも、皆の事が好きっていうのと一緒でしょ」

「ふむ、確かに私はアイリを含めセリナもディアドラもリネットもリシャも好きだが、全員を同じように好きだとか、愛していると言うわけではないよ。全員違う人間なのだから、言葉にすれば同じ好きでも実際にそこに込めている想いは皆違うものだ」

「えと平等にって言うわけではないのね? でも、な、なんだか言い包められているだけのような。結局、皆好きなんでしょ? そういうのってずるいもん」

 ここはたたみこんでアイリにまともな判断をさせない事だ、と私は判断した。もう少し頭の出来が良ければ妙案も出ようが、生憎と私は猪の様に前に進む事で万事を解決してきた竜なのである。
 ただ肉体に満ちる力を振るえば如何なる難事も解決してしまう為に、深く物事を考える経験に乏しくなってしまう弊害があり、力が強すぎると言うのも考えもの だ。
 私はアイリの肩を握る手により力を強め、アイリに眼を逸らす事を許さないという意思を込めて見つめる。アイリが、かすかに息を飲んだ。

「アイリ、私は欲深い。アイリが拒んでもアイリの心も体も手に入れる事は諦めない。アイリもリシャも他の皆もだ」

「でもあたしは、ドランが他の女の人とその、仲良くしているのを見ると胸の奥の方がもやもやして、凄く嫌な気分になっちゃうの。あたしね、ずっと黙っていたけど、ドランのことが本当に大好きなの。だから、あたしだけを見てよ……」

 くしゃりとアイリの顔が歪んだ。やや吊り目がちでいつもははっきりとした意思の強さを宿す瞳が、今にも泣きだしそうになっている。
 小鳥の様にピィピィと泣いていた小さな時以来、最近ではめっきり見る事のなくなっていたアイリの弱気な姿に、私は少しばかりの懐かしさと泣かせるつもりではないのだと言う悔恨の念が同時に湧きおこる。

「すまぬ、アイリ。私が他の女性と仲良くしているのが嫌だとアイリが感じる様に、私もアイリやリシャが他の村の男と仲良くしている姿は見たくないし、ましてや夫婦になるのは我慢ならないのだよ。私ばかり我儘で自分勝手な事を言って本当にすまない」

 アイリはぽろぽろと大粒の涙を流しだしたかと思うと、わっと泣き出して私の胸に飛び込んできた。私の胸を熱い滴が次々と濡らしてゆく。どうしてこんなに私は不器用にできているのだろう? 私の胸の中で愛する少女が流す涙一つ止める事も出来ない。

「ドランのこと、ずっと大好きだったの。あたし、これからもずっと、ドラン以外の他の誰も好きにならないもん」

 肩を掴んでいた手をアイリの背中に回し、私は自分よりも年下の子をあやすように優しく小さなアイリの背中を撫でた。少しでもこの行為がアイリに慰めとなるようにと祈りながら。

「ありがとう、アイリ」

 謝罪の言葉よりはこちらの方が相応しいだろう。不誠実な私に対して、これまで胸の奥に秘めていた気持ちを伝えてくれるアイリに対する愛おしさは、刻々大きなものになっている。
 好き、大好き、と私の胸の中でアイリは呟き続け、私はただただアイリを抱きしめ続けた。そうしてどれだけ時間が経った頃だろうか、アイリがようやく泣き止んで、くすんくすんと鼻を啜る様になっていった。
 するとアイリは私の胸を突いて腕の中から離れて、涙を流して赤くなった瞳で私を睨みつけて来た。ふむ、これは余計に何か怒らせてしまったのか? 
 解せぬ、と私が心中で首を捻るとアイリは左手の裾で眼を乱暴にごしごしと擦って涙の残りを拭うと、私に左手の人差し指を突きつける。

「い、いいわ。あんたが皆と結婚したいって言うんなら好きにしなさい。その代わり、あたしもあんたの事、諦めないからね! 絶対にあたしだけをみるようにしてやるんだから」

「ふむ、宣戦布告と言ったところか。その方がアイリらしくて私は好きだな。だが私も強情にできているからな。まとめて私のものにするぞ。アイリが私を自分だけのものにするか、私がアイリを自分のものにするか、どちらが早いかの勝負だな」

「ふんだ。セリナさんやお姉ちゃんには絶対負けないもの」

「ふむ、時にアイリよ、戦いの時の鉄則の一つを知っているか? 先手必勝と言う奴だ」

「それがなに……ぅにゃ!?」

 私を睨みつける瞳の鋭さはそのままに疑問を口にしようとしたアイリの唇を、私は反応を許す間もなく自分の唇で塞いだ。アイリが目を白黒させて私に何をされているのか理解して、ひどく混乱している。
 数えて十ほどの間唇を重ねてから離し、あわあわと唇を震わせるアイリの目元に吸いついて涙の残りを啜り、それから小さな可愛らしい額や紅潮した頬、かすかに汗の匂いがするうなじにも私は唇を這わせた。

「ど、ど、ドラン! ななな、何、なにして……」

「これ位はセリナ達にも毎日しているぞ。彼女らの方がアイリよりもずっと先を行っている」

 私の言葉をどう捉えたのか、アイリは目に見える範囲の肌をすべて真っ赤に染めた。分かりやすいアイリの反応である。

「え、え、ちょっと、ま、待ってよ。心の準備が」

「それをさせぬ為の先手だよ」

 私は構わずアイリの顔と言わず首と言わず、手の甲や指にも唇を這わせて、アイリの体中に私の所有印を着けて行った。
 アイリは小さく鼻を鳴らして恥ずかしさとこそばゆさに身をくねらせて、いやいやと私から離れようとするが、私は一向にそれを許さず、アイリの肌の感触と匂いを楽しんでいた。
 赤子の頃からの付き合いがあるせいなのか、アイリのぬくもりと匂いは私の心をひどく落ち着かせるものだ。アイリが他の男のものになるなど、やはり私には許せそうにもない。
 例えその為にアイリを傷つける事になっても、必ず手に入れる。どこまでも自分本位な想いを込めながら、私はアイリの体を唇でついばんだ

「にゃ、ドラン、ね、それ以上は……」

 荒く息を吐きながら、アイリはとろんと瞳を潤ませて私の肩に手を置いて制止する。私はアイリの首筋に接吻の後を残して唇を離す。

「ん、そうだな。とりあえずこれ位で良いか。所でリシャ、そろそろ扉に耳だてるのを止めて部屋に入ってきたらどうだ」

 私の声に扉の外でかすかな物音がした。私が看破した様に扉の向こうから私とアイリのやり取りを聞いていたリシャが、ひどく気まずい様子で扉を開いて入って来た。
 見慣れたやや褪せた白色のワンピースを着たリシャは、自分の体を庇うように腕を交差させて自分を抱きしめている。
 リシャが自分達のやりとりを盗み聞きしていた事にアイリは酷く驚いた様で、私に抱き締められたまま、またあたふたと慌てる。やれやれ、落ち着きのない娘である。私は腕の拘束を解き、アイリから一歩離れた。

「ほぼ最初から私とアイリの話を聞いていたな」

「お、お姉ちゃん、どうして」

「その、アイリ、ドラン、ごめんなさい。ドランがアイリの部屋に入るのが見えて、二人っきりになっていると思ったら、居ても経ってもいられなくていけない事だと分かっていたのに、部屋の中の事が気になってしまって」

 リシャは自分のした事に対して後ろめたさを覚えて、アイリと私からの視線に耐えきれずにあらぬ方を見ているばかり。

「私とアイリが何をしているのか、か。アイリはやはり皆と一緒に私の妻になるのは嫌だそうだ。ただ私はそれでもアイリを妻にするつもりだが、リシャはどうするのだね?」

「こら、ドラン。お姉ちゃんになんて口利くのよ」

「もう今までとは違う。私はリシャと男と女、夫と妻の関係を求めている。ならば口の利き方も変わるのが道理であろう。それとアイリとはこういう事をしていたよ、リシャ」

 アイリが姉に対してよくない口の利き方をする私に怒って詰めよったのを利用して、アイリの腰に腕を回して抱き寄せ、有無を言わさず唇を重ねた。
 そのままねじ切るような勢いでアイリの唇を吸い、暴力的なまでの私の口付けにアイリはびくんと体を震わせて硬直する。
 たっぷりとアイリの唇を嬲った私は、舌先でアイリの唇を舐めながら唇を解放し、腰の抜けたアイリに手を貸してベッドに座らせる。アイリはそのまま仰向けに倒れ込んで、私の行いにぽうっと頬を朱色に染めて呆然としていた。

「これからもするし、セリナ達ともする。リシャはどうする? 私の妻になるか? なれば私もまたリシャの夫となろう」

 私とアイリのキスを目の当たりにして体を強張らせていたリシャはその美貌に嫉妬と羨望の色を乗せていた。私が自信過剰になっているかと危惧していたが、どうやら本当にリシャに好かれているらしい。
 リシャは逡巡した後、私の顔を正面から見つめながら、ぽつぽつとこれまで自分の心の奥に仕舞っていた感情と想いとを語った。

「前はドランをアイリと同じで私の弟みたいに思っていたの。でも時々ドランがとても大人びた顔をしたり、振る舞いをしたりするのを見ていたら、その内に貴方の事が気になるようになっていって、気付いたら貴方の姿を眼で追っていたのよ?
 それからアイリやセリナさん達と一緒に居るのを見ていると胸が苦しくなる様になったわ。
 私も最初はすごく驚いたの。だってドランはまだ十歳の子供なんだもの。なのに私はドランの事が好きになってしまって、でもアイリがドランの事を好きなのは知っていたし、私とドランとでは七歳も違うから、ずっと我慢していたわ」

「そうか。気付かずに済まぬことをした」

「そういう言葉使いが不思議に似合うのよね、ドランは。そう、ね、もう自分の気持ちを誤魔化さなくていいのね。そう考えるとなんだか気が楽だわ。ドラン、私は貴方の事が好きよ。他の誰かが貴方の奥さんになっても、それでも構わない。私は貴方を愛している。貴方の一番になってみせるもの」

 自分の気持ちを偽るのを止めたリシャは、自分の気持ちを誇る様に堂々と胸を張り、私の顔をまっすぐに見つめて、私への好意と愛とを語ってくれる。私はその言葉と想いに溢れんばかりの喜びを覚えて、これ以上ない暖かな笑みを浮かべていたことだろう。
 私はリシャを抱き寄せた。身長の関係上、私の顔がリシャの豊乳の辺りに来るが、当たらない程度に距離を離してリシャの顔を見上げた。恋する美しい少女の笑顔がそこにあった。
 私とリシャは見つめ合ったまま何も言わず、リシャが腰をかがめてお互いの唇を重ねた。唇の合間から熱く濡れたリシャの吐息が零れ、これまで眼をそむけ押し殺していた感情を解放できる喜びに、リシャの心と体が喜んでいるのが唇伝いに理解できた。
 私は無言のままリシャと唇を離し、仰向けに寝そべるアイリの横にリシャの美駆を押し倒す。それまで呆然として自分の唇を指でなぞっていたアイリも、隣に姉が寝そべっている事に気付くと、はっと正気を取り戻して姉と見つめ合う。

「お姉ちゃん?」

「ごめんね、アイリ。私もドランの事が好きなの。でもアイリの事も大好きよ。私の可愛いたった一人の妹なんですもの。ねえ、アイリ、一緒にドランの奥さんになりましょう?」

 リシャが右手を伸ばしてアイリの左手を取り、指を絡めて握りあう。アイリはリシャの全てを受け入れて覚悟を決めた姿に、何を思ったのか小さな唇をきゅっと閉じて姉の手を握り返す。
 私はそんな二人に覆いかぶさった。
 二人と肌を重ね合わせる喜びは、しかし長くは続かなかったのである。
 非常に残念な事にとても良い所まで行った時に、試験の答え合わせを終えたデンゼルさんの私を呼ぶ声が聞こえてきたために、私は生まれたままの姿になった姉妹から、大変後ろ髪を惹かれながらも離れるしかなかった。
 息も絶え絶えになっている二人は、ベッドの上でリシャが下に、アイリが上になって重なり合っていたが、デンゼルさんの声は聞こえていない様子であった。

「やれやれ」

 私は二人に服を着るように告げて、部屋を後にする他なかった。

<続>

 都合が良すぎる感が半端ないですね。かといって他に書きようもなかったので、この様な形に落ち着きました。ドランがどこまで二人にしたところで呼ばれたのかは、皆様のご想像にお任せいたします。ミルクがけ姉妹丼はまた次の機会にて。

外伝 ドラン前世録――神々の大戦

 延々と続く暗黒の闇の中に星々の光が集まり渦状になった銀河が四方に広がる虚空に、幾千億にもおよぶ無数の影が散っていた。
 いまだ神々が天界と魔界とに住まう場所を分け隔てる前の、世界創成が終わりを迎えつつあった時代である。
 無窮の暗黒が続く星の海の中、暗黒よりもさらに暗く黒き影は邪悪なる大神に率いられし眷族共と、名状しがたき恐るべき魔性達。
 いざ行かん、光輝く神々の御園。そして破壊するべし、蹂躙するべし、圧するべし、縊るべし、切り裂くべし、喰らうべし、犯すべし、穢すべし、滅するべし。
 光あれば影あり、影あれば光あり。されど我ら光を飲み込みただ影のみぞとなるべく星の海を渡らん。
 第一の神は全て皆等しく混沌より産まれどもその性は尽く異なりて、共に第二の神々や眷族達の上座に立つを由とせぬ、邪心抱きし神柱がおわした。
 支配者たらんとする神、共に等しく在る事を由とする神、それらの神々の行いに興味を持たぬ神。
 神と神との争いが始まった時代でもあった。銀河をいくつもまたぐ星の海の中に広がる邪神の眷族達は、はるか遠方、人間の概念では言い表せぬ空間と次元の隔たりを越えた先に構える善き神々の尖兵たちと対峙していた。

 数え切れぬ戦いである。もはや始まりも定からぬ戦いである。終わりの見えぬ永劫の戦いである。
 しかし邪悪なりし神も善き神もいまだ戦いに飽きる事も倦む事もなく、神の屍は累々と虚空に積み上げられて、原初の混沌や上位の神から産まれた神の死骸は新たな地上世界と変わり、神の肉体の死の数だけ新たな地上世界が産まれていた。
 神々はわずかな例外を除けばほぼ不滅の存在である。老いる事も死する事もあれど、それは真実の滅びではない。肉体が死を迎えようとも不滅なる魂がある限り、神はやがて血肉を得て蘇る。
 それゆえ神同士の戦いはいまだ争いの矛を収めるほどの被害には到底足りぬ死者しか出ていなかった。

 対峙する善と悪。聖と邪。白と黒。祝福と呪詛。また新たな神の屍が地上世界の礎と変わり、永劫に語られる神々の戦いのささやかな記述と変わる。
 この戦いもまたそうであるはずだった。そうであるべきだったというべきなのかもしれない。
 光輝く善なる神の尖兵へと邪悪なる神々の下僕達の向かうその先に、不意に光の粒子が結集し、神々の戦場にどちらの勢力にも属さぬなにものかが姿を現さんとしていた。

――なんだ、何が来る? なにものだ? いかなる御神の顕れか。

 対峙する両陣の者達が、この時奇妙に思考を一致させて、光の粒子の結集を待った。
 一駆けで銀河をいくつもまたいで渡る神々の足が止まり、虚空を満たすエーテルを振動させて飛翔する翼は羽ばたく事を忘れ、すべての眼と眼と言えぬ眼と意識と魂とが形成しつつある光の粒子へと注がれる。
 そして、ああ、とこの場のいずれかの神の口が、あるいは目が、あるいは鼻が、あるいは耳が、あるいは手足が嘆きの吐息を零した。
 おお、星々の光の全てを集めても足りぬほどに眩く輝く白き御姿。
 空の全てを覆い尽くさんばかりに広げられる三対六枚の皮膜を持った翼。
 この世の色と言う色を宿してこの世の如何なる光よりも美しく輝く虹色の瞳。
 光の粒子が集まった時、その場に姿を顕したるは六翼一頭一尾虹眼白鱗の古神竜。
 全ての神の産まれし混沌と原初より共にあった、秩序たる始祖竜より産まれた無数の竜と龍の頂点に君臨する至高の竜。

――なぜ、なぜ、なぜ、貴方様がここに!?

 これまで神同士の戦いに関して不干渉を貫いてきた竜達。全ての竜の頂点に立つ始原の七竜の一柱がこの場に姿を現した事は、不干渉の姿勢を変えることを意味する。
 竜達の中でもっとも力弱き真竜でさえ、主神に準ずる第三の神や第四の神にも匹敵する強大な存在。頂点に立つ古神竜となれば最高神といえども、争えば一方的に膝を屈する事を強要される、神からしても強大な存在である。
 邪悪も善も怯えて震える中、一部の者達は知っていた。すべての竜ではなく眼前の虹の瞳をもつ白き竜ただ一柱が、それまで傍観に徹していた姿勢を覆し、善なる神に助力していることを。
 至高の白き竜は邪悪な神の尖兵たちの方へと振り返り、それまで閉じられていた顎を開き、その口先に自身の鱗と同じ色の光を生み出す。
 その光を見た時、ある神は絶望に心食われてその場で自壊して塩の柱と変わり、またある神は己が肉体のみならず魂までも消滅する事を悟り悪罵を口にした。ある神は無駄と知りつつも背を向けて逃げ、またある神は手近な神を捉えて己の盾とした。
 全ての邪悪なりし神々に共通していたのは、皆等しく己の全存在の消滅を理解していた事である。

 ほどなくして至高の白竜の口からは、不滅である筈の神々の魂さえ滅するが故に“滅び”と称された、白い光のブレスが放たれた。
 白き滅びの光は邪悪な神々と名状しがたき醜悪という概念を越えて冒涜的な魔性どもを飲み込み、善なる神々の見る前でまるでその軍勢の姿が嘘か幻であったように消えてしまった。
 肉体も、魂も、なにもかもが消えている。地上に生きる者達からすれば永劫と思える時間をかけて行われる神々の戦いが、たった一柱の竜のブレス一つで終幕となった事のなによりの証明である。
 至高の白竜は己の成した事に対してさしたる感慨を抱いた風もなく、口を閉ざすや現れた時と同じようにその体を光の粒子に分解し、竜達が作りだした自分達の世界へと帰還した。
 後に残ったのは、自分達の戴く最高神さえも凌駕すると言われていた古神竜の真の力の一端なりを目の当たりにし、慄く善き神々と静けさを取り戻した星の海だけである。
 この後も白き古神竜は度々邪悪な神と善なる神との戦場に姿を現し、圧倒的と言う他ない力で邪悪な神々の眷族と言わず下級神と言わず時には最高位の魔神や悪神さえも屠り、その存在を一辺の欠片も残さず消滅させた。
 なぜ至高の白竜が不干渉を止めて善き神々に助力したのか、それが白竜が親交をもっていた、ある地上世界に産まれたさる種族の子供らが、邪悪な神々の取るに足らぬ下級の眷族にむごたらしく殺された事に対する報復であると知るのは、白竜と白竜に近しい極一部の者たちだけであった。

<終>

たまには主人公TUEEEEE、してみたくなりましたので、ついやっちゃいました。敵と認識した相手には理不尽なほど容赦ないのが主人公の特徴です。その分身内に甘いのですね。テンプレ的な最強主人公ですなぁ。

名称  :“全にして一なる”????
職業  :始原の七竜
種族  :古神竜
LV  :999999999
HP  :10000000000000
MP  :10000000000000
STR :9999999999999
VIT :10000000000004
INT :10000000000007
MND :9999999999996
AGI :10000000000002
DEX :9999999999995
LUC :10000000000001

≪スキル≫
『始祖竜の心臓』
・行動開始時にHP/MPの最大値の99%回復
・全ステータス異常無効化
・六回までHPが0になった時HP/MP最大値で復活

『無限成長』
・行動開始時に全ステータス最大値の1~5%上昇

『絶対存在』
・全ステータス異常、無効化能力を無効
・防御スキル、DEF/MDEFを無視したダメージを与える

『古神竜』
・古神竜と古龍神のスキルを持たない全ての竜/龍族からの被ダメージを99%軽減、与ダメージ二倍

『古神竜の鱗』
・全属性の被ダメージを30%軽減、30%反射、30%吸収
※100のダメージを受けるなら、HP30回復、30軽減、30ダメージを相手に与え、自身は10ダメージを受ける。回復・反射・軽減そして最後にダメージを受けます。

『古神竜の逆鱗』
・HPが最大値の50%以下になった時、HP/MPを除くステータス値二倍。HP回復後も継続
・HPが最大値の30%以下になった時、HP/MPを除くステータス値が五倍。HP回復後も継続
・HPが最大値の10%以下になった時、HP/MPを除くステータス値が十倍。HP回復後も継続

『絶対耐性』
・同じ攻撃を二度受けた時被ダメージ50%軽減。
・三度受けた時被ダメージ80%軽減
・四度受けた時被ダメージを100%軽減して無効化
・五度以降は被ダメージ100%反射

『対物理障壁』
・10000000000以下の物理ダメージを軽減無効化。発動ごとにMP10消費

『耐魔法障壁』
・10000000000以下の魔法ダメージを軽減無効化。発動ごとにMP10消費

『対物理カウンター』
・物理攻撃に対して、STR算出によるダメージを相手に与える

『対魔法カウンター』
・魔法攻撃に対して、INT算出によるダメージを相手に与える 

『超感覚』
・カウンター無効。命中/回避+50%。クリティカル率+50%

 攻略法は1ターンで撃破を七回する事。その他の防御スキルで減ったダメージで、古神竜の鱗の効果によって30%回復し、30%反射し、30%軽減され、最後に10%のダメージを与える事が出来る為、この最後の10%のダメージでHPを0にすれば倒せます。それを七回くりかえせば勝てます。
 更に多種多様な攻撃方法と魔法、補助魔法によってステータスが強化されます。ぼくのかんがえたさいきょーのどらごんにしてみました。

10/23 14:40 投稿 22:14 修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑮
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/10/27 20:56
さようなら竜生 こんにちは人生⑮


 イシェル氏の遺産の鑑定に来ていたデンゼルさんが、来る時には村への土産を満載し、帰りには空になった二頭立ての馬車に乗ってガロアに帰る日になった。
 陽がようやく地平線の彼方に顔を覗かせて、赤茶けた荒野と緑色の海の様な草原が広がるベルン村の周囲を黄金色に染め上げる時刻に、私はデンゼルさんを見送る為に村の南門に来ていた。
 見張り役の顔見知りの村の青年二人が、何重にも木の板を重ね張り鉄板で補強した南門の扉を開き、デンゼルさんは装飾の少ない長距離の移動を想定した実用性一点張りの、茶色い馬車の御者台に座って、自ら手綱を握っている。その肩にはデンゼルさんの使い魔であるシルバーホークのヴァンが停まっている。
 朝もやの漂う中、南門にデンゼルさんを見送りに来たのは私の他にはイシェル氏の遺産の一つであるリネットと、デンゼルさんの母親であるマグル婆さん、妹のディナさん、妹婿のドルガさん、姪であるリシャとアイリである。
 合計七人の視線を浴びながら、デンゼルさんは御者台の上から別れの言葉を私達へと告げた。

「なんとも珍しい用件で村に帰ってくる機会に恵まれたが、いや、村にとっても魔法学院にとっても有益な結果になり僥倖だったよ。母さんも、ディナも、ドルガも、それにリシャとアイリも皆健康を損なっている様子もなく、安心した」

「兄さんももう少し便りをくださいな。使い魔のヴァンちゃんだっているんですから、もっと近況を知らせてくださっても良いと思いますよ。シルバーホークの翼ならガロアから村まで手紙を運ぶくらい、あっという間でしょうに」

 右の頬に右手のひらを当てて困った顔で告げるディナさんに、デンゼルさんはうぅむ、と小さく唸って、眉間に皺を寄せる。この兄妹の力関係の分かる光景であった。
 デンゼルさんが何かディナさんに答えるよりもはやく、マグル婆さんが腰のひんまがった体勢のまま、威圧感のある眼光で息子を見上げていた。

「お前もさっさといい人を見つけな。お前以外の兄妹はとっくに結婚してこの婆に孫の顔を見せてくれていると言うのに、お前ばっかりは魔法学院の仕事が忙しいの一点張りじゃないかえ? お前、嫁を貰うつもりはないのかい」

「ですから、それは機会が巡ってくれば私も考えると言っているでしょう。何回言えば分かるんです。それにアイリとリシャが手元に居るから寂しくはないでしょうし、ガロアや別の町にだって孫や孫娘ぐらいたくさんいるじゃないですか。私一人婚期が遅いからとそう口を酸っぱくされずとも構わんでしょうに!」

 なるほど、デンゼルさんが滅多に村に帰ってこない理由はコレらしい。いまだに恋人の一人も作らない息子の事を心配して、つい口が出過ぎてしまう母親とそれを煩わしく思う息子の構図である。
 普段は皺深い瞼の奥の瞳に計り知れない知性の光を宿し、魔法医師として、知恵袋としてベルン村の人から尊敬を集めるマグル婆さんも、一皮むけばやはり人の子と言う事なのだろう。
 マグル婆さんは良縁の話のひとつもない息子に対してやきもきとした思いから、つい口うるさくなってしまい、デンゼルさんはデンゼルさんでとっくに自分でも分かっている事を、繰り返し繰り返し顔を合わす度に言われるものだから、紳士然とした風貌にそぐわぬ乱暴な態度を取ってしまうのだ。
 今の私にとって父母や兄弟と言った肉親は極めて重大な存在であり関係だ。私は将来の結婚相手は既に決まっているので、目の前のデンゼルさんの様な詰問を受ける事はあるまいが、これもまた親子のあり方の一つなのだと、私は実に興味深くマグル婆さんとデンゼルさんの口論を観察していた。

 始祖竜の肉体から産まれた私を含む原初の竜達は、皆すべて親を持たぬ存在である。強いて言えば父母は肉体を裂く前の始祖竜であるが、その一部が変じたのは自分達自身なのだから、自分達自身が父母でもあり子供でもあるという奇妙な関係になる。
 それゆえ、人間に転生して初めて無償の愛を注いでくれる庇護者である両親や家族の存在を、言葉や概念ではなく実際に触れあえる距離で感じ取った時、私の心を満たしたのは言い表しようのない安らぎと感激であった。
 自分をこの世界に産み落としてくれた存在であり、一人では生きてゆくこともままならない絶対的弱者である自分を守り、慈しみ、育ててくれる存在。
 これが父か、母か。なんと暖かな存在である事か。なんと偉大な存在である事か。
 母の腹の中に居た時も初めて味わう安らかな夢を見ている様な居心地の良さに、驚きと感激を覚えていた私だが、実際に母の腹の中から産まれ落ちて父母の手に抱かれた時には、更に上回る感激と感動に思わず頬を濡らしたものである。
 赤子の時分であったから、父母やディラン兄にはただ赤子らしく鳴いているだけだと思われていたが、実際には私は人間に転生することで初めて味わった体験に対して感動していたのだ。
 私がそんな風にマグル婆さんとデンゼルさんの親子のあり方に、この世に人間として産まれたばかりの頃の事を思い出して、胸の内を暖かくしていると口論を交す二人の弁舌には過剰なほどの熱が帯び始めていた。
 不穏な空気の漂う雲行きに、私はおや、と眉を潜める。

「だから、研究室に籠りっきりになっておらんで、装飾品の一つでも買って学院の教員でも事務の女子(おなご)でも良いから食事の一つにでも誘わんかい、この臆病者が!」

「いまが一番研究の成果を上げるのに重要な時期だって言っているでしょう。それに学院の教諭と言っても決して懐が暖かいわけではないのですよ! 村への仕送りもあるし、研究に必要な予算だって、学院から満足に回されるわけではないのです。色恋にうつつを抜かして成果を出し損ねれば、私だけではなく村への仕送りも滞って多方面に迷惑がかかるっつってんでしょうが!!」

「村始まって以来の出世頭ともてはやされて調子に乗るのも大概におし、このバカ息子。お前一人の仕送りが途絶えた所でどうにかなるほど、この村がお粗末なもんかね。お前が産まれるより前、魔物が跋扈し、人喰いの獣どもがうろつくばかりで、他には何にもないだだっ広い荒野だった所を、一からここまでにしたんだ。お前なんぞおらんでもどうとでもなるわい」

「言ったな、この皺婆! いつか私からの仕送りがなくなって村が悲鳴を上げてもお前が頭下げるまでは、絶対に金は送らんぞ!!」

「そんな増長満でくそ生意気な言葉は、この婆の度肝を抜かす様な嫁っ子を捕まえて子供の五人でも十人でも拵えて、一人前の男だって事を証明してからにおし、この半人前が!!」

 いまにも互いに杖を突きつけ合って攻撃魔法の応酬をおっぱじめかねない物騒な親子の雰囲気に、見張りを務めている二人の青年はあからさまに腰が引けて遠巻きに見守り、私もこれもまた親子の姿なのかと正直首を捻る思いであった。
 私の知る限りにおいてマグル婆さんとデンゼルさんがお互いにぶつけている言葉は、肉親間で飛び交って良い様な言葉ではないが、逆にこれは赤の他人ではない気心の知れた身内相手だからこそ、言えるものであるかもしれない。
 いやいや、実は心底お互いの事を罵り合っていて、親子である以上に互いの相性が良くないのか。
 どう判断したものか私が分からずにいると、二人を仲裁したのは両者と血縁のあるディナさんであった。
 少々デンゼルさんとは年が離れている様に見えるが、それでも二人のこの喧嘩にはデンゼルさんが家に居た頃から慣れていたのか、ディナさんは全く臆する事もなく、唾を飛ばし合う勢いで口を動かす二人の間に入って制止の声をかけた。

「はいはい、二人ともそこまで。久しぶりに兄さんが帰って来たからって、母さんは少しはしゃぎすぎよ。それに兄さんも、ちょっと言葉の選び方が良くないわ。私や他の兄妹に子供が居るからって、母さんが兄さんの子供を見たくないわけはないでしょう? 
 少しくらいは妥協して、努力している所を証明してくれれば、母さんもここまで口を酸っぱくはしないわよ。二人とももういい年をした大人なんだから、私の娘と娘のお友達の前でみっともない所は見せないで頂戴な」

 ディナさんが手慣れた調子で二人に対し、手をぱんぱんと打ち合わせながら宥める様に言うと、歯を向いていがみ合っていたデンゼルさんとマグル婆さんは、いかにもしぶしぶと言った様子で矛を収めて、互いにそっぽを向き合った。
 なんともまあ、私が二人に抱いていた印象を大いに裏切ってくれる一コマである。私は呆れればよいやら人間味のある親子だなあと感心すればよいのやら、正直分からなかった。
 ただ、交し合う言葉の辛辣さほどにはこの親子の仲が悪いわけではないと言う事だけは、間違いがないだろう。
 デンゼルさんは身内以外に私と見張りの二人の視線があった事に思い至った様で、非常に決まり悪そうに、へたくそな咳払いをしてから私を見て、こちらに来るように言って来た。

「あ~、ごほん、いやディナの言うとおり少々箍が緩んでしまったようだ。まったく、良い年をした大人が格好の悪い所を見せてしまったな。はっはっはっは……。はあ、ああ、そうだ、ドラン。少し話があるからこちらへ来なさい」

「なにか?」

 素直にデンゼルさんに従って御者台にまで歩み寄った私に、デンゼルさんは顔を寄せて耳打ちしてきた。

「これからも定期的に君宛に試験と、それから私が作った教材を送る。それを使って魔法と諸学の勉強をしておきなさい。ひょっとしたらそう遠くない時期に必要となるかもしれん。率直に言えば君はとても頭がいいし、飲み込みも速い。魔力量もずいぶんと多いようだし、かなり見込みがある」

「ありがとう」

「うむ、良い返事だ。まあ、いまは良く学び、良く食べ、良く遊び、良く眠り、そして怠ることなく鍛えるのだ。最近では数が減ったが、ベルン村は魔物共の襲撃があって当たり前の場所だ。
 大規模な襲撃があれば、ガロアの駐屯部隊が救助に来る手筈に放っているが、それでも時間が掛る。救助には来たが既に村は壊滅していた、などという事もありうる。良いか、自分の命と守りたいものを守るだけの力を身につける為なら、どんな事でも厭うな。妥協してはならん」

「肝に銘じる」

 水を打つように間を置かない私の返事を聞いた後、デンゼルさんはふと自分が少々熱を込めて喋り過ぎた事に気付いた様で、気恥ずかしそうに顎髭を撫でた。

「あっとこれはいかん、まだ十歳のお前にずいぶんと無茶な事を言ってしまったな。だがどうしてだろうな、お前にならこれぐらいの事を言っても大丈夫な気がしてしまう。すまんな。ところで一つ聞きたい事があるのだが」

 デンゼルさんは余人の耳には入れたくない事を聞きたいらしく、手で口元を隠しながらさらに私の耳に顔を寄せて来た。ふむ、これがセリナやアイリ達なら大歓迎なのだが、男性に顔を近づけられてもやはり嬉しくはない。

「先日お前に初めて試験を受けさせてから、アイリとリシャの私を見る目がどことなく、いや明らかに冷たいのだが、なにか心当たりはないか? 私にはとんと思いつかんのだ。ディナとドルガも娘達の態度の変化を察して、私に口にはせんが視線で何をしたと問うて来るのだ。正直、生きた心地がせんでな」

 心当たりはあった。その試験を受けた日に、私はアイリとリシャと納得のゆくまで話し合い、そして合意の果てに産まれたままの姿になって、肌を重ねる甘やかな時間を共有していたのである。
 そして非常に良い所までいった時に、試験の答え合わせを終えたデンゼルさんに呼び出しを受けて、私は未練をたっぷりと残しながら、アイリとリシャから離れなければならなかったのだ。
 アイリとリシャからすればいよいよ私と初めての逢瀬を交すと言う人生の一大事に、何と言う事をしてくれたのだ、と怒りを募らせてもおかしくはあるまい。というかその日の内は私も正直、ミルの時も邪魔されたこともありデンゼルさんの間の悪さに思わず呪詛の念を抱きかけたほどである。
 例え転生したことで著しく魂を劣化させてしまった私といえども、本気で呪詛などしようものなら被害がデンゼルさん個人で済むどころか、一体何が起きるかさえも分からないものだから、重ねて自粛はしたが。
 また一つ世界は私しか知らぬ所で破滅の危機を迎え、そして免れたのである。なんだか下手な邪神や魔王よりも、私の方が世界を滅亡の危機に追いやっている気がしないでもない昨今である。まったく、もっと重ねて自粛しなければなるまい。

「あの時、アイリの部屋でアイリとリシャさんと仲良くしていたから、それを邪魔されたと怒っているかもしれない」

「ふうむ、そう言えばアイリはお前の事を……おっと、これは私が口にして良い事ではないか。しかしなあ、仲良くしている所を邪魔されたからと言ってあそこまで露骨に態度で示さんでも良いではないか」

 少し拗ねたように口を尖らせるデンゼルさんであるが、デンゼルさんが思い描いている仲良くと私が実際にアイリとリシャを相手にしていた『仲良く』は、絶対に異なるものである。
 よもや正直に口にするわけにはいかない。少なくともあと四、五年は口を閉ざしておかねばなるまい。ディナさんとドルガさんには初孫の顔を、マグル婆さんにはひ孫の顔を見せてあげられるだろうから、許して欲しいものである。
 デンゼルさんは取り敢えず気になっていた事の理由を知る事が出来たので、納得はしたようで顔を戻して御者台の上で、ううむと唸る。

「すまんな、ドラン。まあこれからもアイリやリシャと仲良くしてやってくれ。では、母さん、ああは言いましたが、取り敢えずお元気そうで安心しました。ディナ、次の魔法医師はお前だ。立派に務めるのだぞ。ドルガ、君は妹には過ぎた夫だ。どうかこれからも妹を支えて欲しい。
 リシャ、アイリ、君達は日に日に美しくなっているな。将来が楽しみだよ。ドラン、君は非常に優秀で好もしい生徒だ。後は口の利き方をなんとかせんと気にする者がおるから、矯正しなければならんぞ」

 流石にこれまで冷視線を向けていたアイリとリシャも、本気で伯父であるデンゼルさんの事が嫌いなわけではないから、別れの時となれば態度にぬくもりを取り戻して、いよいよ手綱を取って去ろうとするデンゼルさんに、別れの寂しさを抱いているのが分かる表情を作る。

「それでは、皆達者でな。父さんの墓参りの時には来るのでな」

 デンゼルさんは手綱を操り、大人しく待っていた二頭の馬達に出発の合図を告げて、ゆっくりと馬車の車輪が回り始めた。ぽっかぽっかと馬達の足がのどかな音を立て、車輪が回る度にごとごとと馬車の車体が音を鳴らして、私達から遠ざかってゆく。

「デンゼル伯父さん、元気でね」

「伯父さま、はやく良い方を見つけてくださいね」

 これまで黙っていたリネットも、造物主であるイシェル氏の遺産の取り扱いについて便宜を図ってくれたデンゼルさん相手に、一応の礼を述べる。

「ミスタ・デンゼル、お世話になりました。グランドマスターイシェルも、草葉の陰で感謝している事でしょう。どうぞお健やかに」

 私もアイリとリシャに倣って南門から離れてゆくデンゼルさんの馬車に向かって、その後ろ姿が見えなくなるまで手を振って見送り続けた。
 少しばかり振り続ける手に疲れを覚え始めた頃、ようやく馬車が見えなくなり、手を振るのを止めた私達はそろそろ日頃の畑仕事に戻らねばならないと気持ちを切り替えた。
 別れの挨拶はしっかりと交したのだから、いつまでもその余韻に浸っているわけにはいかない。冷たい反応の様に感じる者もいるかもしれないが、無駄にしても許される時間は他所に比べて辺境の農村には少ないのだ。

「さて、今日も芋とオイユの実の世話をせんとな。リネット、今日も手伝いをよろしく頼む」

 影の様に私に寄り添っているリネットに、私はいつも通りに声をかけた。

「お任せください、マスタードラン。完膚なきまでに世話をして見せます」

「少々物言いがおかしい気もするが、頼りにしている」

 心なしか薄い胸を張って私の役に立てる事を誇る様にするリネットの姿に、暖かいものを覚えて私は思わず微笑を浮かべたのだが、いつの間にか近づいていたアイリが私の左腕を抱きしめる様にくっついてきた。
 おや、ディナさんやドルガさんの眼もあると言うのにずいぶんと積極的なものだ。ようやく自分の気持ちに正直になったか、あるいは私の一番になろうとアイリなりに行動し始めたのかもしれない。

「どうした、アイリ。アイリにはアイリの家での手伝いがあるだろう」

「お手伝いはするわよ。でも、家に戻るまで、こ、こうしてドランとくっついていてもいいでしょ」

 私の顔を正面から見るのは気恥ずかしいのか、そばかすの散るほっぺたを赤くしながら、アイリはそれでも私の腕に絡めた自分の腕にぎゅっと力を込めて、私に腕を振りほどかれない様にしている。
 あれほど最後の最後までは行かぬ寸止めであったとはいえ、私に可愛がられたと言うのに、まだ心情の全てを正直に表せないようだが、ここまでくるといっそ天晴れと褒めたい位に正直ではないアイリの性格である。

「そうか、そうだな。アイリとくっついているのは私も好きだから、このまま行こうか」

 気を良くした単純な私の答えに、アイリは見ているこちらが嬉しくなる笑みを浮かべたが、それも空いている私の右腕にリシャがアイリと同じように腕を絡ませてきたことでたちまち曇り空に変わる。
 たゆん、とアイリとは比較する気にもならないほど圧倒的な戦力差を備えた、リシャの豊かな乳房が私の二の腕と肩を飲み込んで、とても柔らかで魅惑的な感触が伝わる。
 ふむ、大きさではミルに一歩譲るが、さわり心地と感度の良さでは勝るとも劣らないリシャの逸品である。私が思わずふむ、と嬉しげに一つ零すとたちまちアイリはぷくっとほっぺたを餌を溜め込んだ冬のリスの様に可愛らしく膨らませる。
 あちらを立てればこちらが立たぬか。それにしてもアイリは可愛いし、リシャの胸は気持ちが良いものだ。良い匂いもする。

「アイリばっかりずるいわ。お姉ちゃんもドランに構って欲しいんですからね。ほら、ドラン、行きましょう」

 分かった、と私はリシャに答えようとしたのだが、背後から新たに加わった重さとふわっと鼻をくすぐった匂い、私の背中で潰れる小さな肉の双子丘と首に回された華奢な腕に、言葉を口の中で潰された。
 先ほどまで私の傍らに居たリネットが、アイリとリシャに対抗してなのか私の背中に回り込んで、不意を突いて抱きついてきたのである。
 リネットは生身の同年代の少女に比べて、生身以外の部分が存在している為いささか重量があるが、体重を全て私に預け切ってはいなかったら、私が潰れるような事はなかった。

「マスタードラン、アイリとリシャばかりでなくリネットにも同様の処置をお取りにくださるよう要請いたします」

「分かった。リネットの好きなようにせよ。しかしこれはいささか歩きにくいな」

「あら、両手と背中に華よ。もっと喜んでくれなきゃ、私達に魅力がないみたいで悲しいわ、ドラン」

 私の顔を覗きこみながら、より一層乳肉を押しつけて私を喜ばせながら、からかう言葉を口にするリシャに、私は首を横に振って答える。

「皆に魅力がないなどととんでもない。私は世界一の果報者であると思っているとも」

 ただし引き換えに先ほどまで腰の引けていた見張りの青年二人と、背後から私に注がれるドルガさんの視線は、鋼の矢のように鋭く私を射ぬいていたが。
 やれやれ、リシャとアイリが浮かれるのも分かるが、もう少し周囲の状況を考えて振る舞ってくれると良いのだが。
 まあそれも私の望みが果たされつつある証左であろう。むしろこの状況を楽しむべきかな、と私が思う一方で私に絡みつく三人の美少女達は、実の姉妹でさえも互いを見つめる視線をぶつけ合い、紫電を散らし合っていた。
 むす、と表情を不機嫌なものにするアイリ、あらあらと変わらぬ余裕の微笑みで揺るがぬリシャ、表情を読み取れぬ鉄面皮のリネット。
 ふむ、これは一度セリナらを含めた全員を集めてまとめて『仲良く』した方が良いかな。なに、連日夜通し朝まで『仲良く』すれば、和解のきっかけくらいにはなるだろうさ。


 デンゼルさんを見送り、アイリとリシャとの関係が変わった事以外は特に変わらぬ日々を過ごした私は、ある日バランさん達監修の元、村の子供達が受けている戦闘訓練に参加していた。
 今は兵士さん達が宿としている二階建ての駐屯所兼宿舎にある中庭で、見本となる模擬戦を見学している所である。
 地面の上に訓練用の木剣や木の槍を持ったまま座り込み、私とアルバート、アイリに他の村の子供らの目の前で、二人の戦士が対峙して先ほどから互いの技量を競い合っている。
 一人はバランさんの部下で右腕でもある副官マリーダさん。
 ショートカットにした茶色い髪と意思の強さをはっきりと示す勝気な鳶色の瞳、色素の淡い唇と目鼻の筋はくっきりと通っており、中々の美人だがバランさんの片腕を務めるだけあり剣を操る技量は並みではない。

 今は鎧の下に着込む薄い布製のアンダーウェアの上に、ハードレザーの胸当てを着こんで左右の手にレイピアを握っている。細身の刀身は刃引きし、先端を丸めた模擬戦用のものだ。
 女性としては大きいほうの百七十八シム(約百七十センチ)ほどあるマリーダさんだが、それでも女性ゆえに鍛えたとしても単純な膂力や持久力では男性に劣る為、軽快かつ俊敏な動作によって、素早く細かい攻撃で相手の急所を狙う剣術を身につけている。
 実際私達の眼の前で風に遊ぶかのように大地を蹴り、緩急の差を着けて二本のレイピアを振るうマリーダさんの姿は、まるで軽妙な音楽に乗って舞い踊っているかのような錯覚を覚えるほど流麗だ。
 王国にとってほとんど価値もないに等しい辺境の僻村には、あまりにも勿体ない技量の主である事は間違いない。
 しかし、マリーダさんの技量が並みでない事が確かであるほどに、いま、マリーダさんが対峙する相手が、より一層並みはずれた使い手である事を皮肉にも証明している。

 マリーダさんが対峙しているのは、先日から村に唯一の宿屋に泊っているうら若い女剣士である。
 いつの間にか宿を取っていたかと思えばふらりと外出して志の迷宮に入るのを見た者もいれば、川の上流へと向かいオオキバワニの首だけを持って帰って来た事もあると言う。
 かと思えばガロアから準司祭に位階を上げて帰って来たレティシャさんの教会に顔を出し、日長マイラスティに祈りを捧げて過ごす、と行動に一貫性のない不可思議な女性だ。
 珍しい外からの来客と言う事もあってベルン村の人々は、私を含めて女剣士に関心を寄せるのは極自然な成り行きであったが、それ以上に人々の興味を惹いたのは女剣士が、その裕福な身なりと隠しきれぬ気品ある所作や言葉遣いから、どうやら貴族階級の出自らしいと言う事と、その一目見れば夢の中にも出てきそうな見惚れる他ない美貌の為であった。

 マリーダさんを悠々と超える二百シム(約百八十センチ)近い長身は服の上からでもはっきりと分かるほど、無駄な肉と脂肪が削ぎ落されてしなやかで、それでいて胸元の生地を押し上げるだけの大きさを持った乳房と、やや小ぶりだが形の良い健康的な尻とを支える腰は大胆にくびれて、本当に内臓が詰まっているのかさえも怪しい。
 足の線をはっきりと表す革製のパンツは足の付け根から膝のくびれを経て、きゅっと引き締まった足首までの優雅なまでの線を露わにし、鍛練で培った筋肉や過剰な栄養摂取で蓄えた脂肪の類が一片もない、ただただ美を追求したような足の持ち主である事を証明している。
 背の中ほどまで届く銀の髪は、これは本物の純銀でないのかと思わず錯覚してしまうほど眩いきらめきを纏う美しさで、女剣士はこれを首の後ろの辺りで金糸の飾り刺繍が施された青いリボンで束ねていた。
 驚くほど長い睫毛が細やかな配置で守る切れ長の瞳は処女の破瓜の血を思わせる鮮烈な赤。硬く横一文字に引き締められたこれ以上ないほどに形の整った唇は瞳を同じ色に濡れている。

 意識して振る舞えばやがては一国を傾けることも可能であると断言できるほどの美貌を持ったこの女剣士は、クリスティーナと名乗って宿を取った後に村長の家を訪ねるとそのまま、数日間の滞在の許可を取りつけた。
 そうして村の人々の意識と興味を集めてやまぬクリスティーナは、動きやすい革のパンツとレースが所々にあしらわれた絹のシャツの上に、夜の闇の様に深い色合いの黒い袖無ベストを纏っただけの軽装で、マリーダさんと刃を交している。
 村の子供達が駐在している兵士達に武芸を習う、というのは外から来た人間からすればよほど珍しい事であったらしく、ふらりと顔を覗かせたクリスティーナは、赤い瞳に興味の色を浮かべて参加の意思を示したのである。
 広場の真ん中に用意された標的用の藁人形に向けて、私達が木の槍を突き、木の剣を打ちこんでいる所に姿を見せたクリスティーナは、しげしげとその光景を見まわしたかと思うと、私達からの好奇の視線はどこ吹く風とばかりに、マリーダさんにこう申し出た。

「迷惑でなかったなら、私も訓練に参加したいのだが、構わないだろうか? 迷宮のパペットやここらの猛獣相手では腕が鈍ってしまいそうなのだ」

 頼み込む立場ながら、どこかまだ上から目線の言葉遣いになっているのは、産まれた時から周囲のものにかしづかれて育ったものならではだろう。
 兵士であるマリーダさんはそういった言葉づかいをされることに慣れているようで、一緒に監督役をしていたクレスさんに、私達の事を任せるとクリスティーナに、広場に出しておいた木箱の中に無造作に突っ込まれていた刃引きした鉄剣を手に取ると、それをクリスティーナに差し出す。

「構いませんが貴女ほどの腕では、子供達の相手をするのも苦痛でしょうし却って子供達にとっても為になりません。代わりに私が精一杯お相手を務めます。それでよろしいかしら?」

 捉え方によっては相手の怒りを買いかねない危ういものを含んだマリーダさんの言葉に、連綿と古い歴史を伝えて来た貴種のみに備わる重厚な気品を纏うクリスティーナは、不愉快の色を浮かべる事もなく、小さく口元を綻ばせた。
 意識して浮かべたわけではない、飾らない小さな笑みだけでも思わずこっそりと観察していた私達やクレス、果ては同性であるアイリやマリーダさんが薄く頬に紅色に染めるほどに魅力的だ。

「いや、私の方が余計な事を頼む立場なのだから、断る理由はないし礼を言うべきだろう。ひとつよろしく頼む。ただ私は貴女の前で腕を振るった事はないと思うが」

「後ろ足に体重を残しつつ前後左右どちらにでも跳躍できるよう自然と構える佇まい、異様に安定した重心。他にもいろいろありますが、貴女ほどの使い手はガロアにもそうは、いえ、ほとんどいないのではないでしょうか」

「非才の身には過ぎた褒め言葉だ。だが、今日は久しぶりに腕の振るい甲斐がありそうで良かったよ」

 私達がクリスティーナの剣の腕に無言の興味を示した事もあり、本日の訓練の監督役だったマリーダさんは、苦笑交じりに許可を出してくれた。
 そうしてクリスティーナは、普段腰に回している鷲の頭と翼に獅子の胴体を持ったグリフォンを彫刻した純銀のバックル付きの革ベルトに佩いている、魔法銀――ミスリルと多くの魔晶石を使った一目で業物と分かるロングソードを、あろうことか地面に鞘ごと突き刺すと模擬剣片手に、マリーダさんと刃を交し始めて現在に至ったのである。
 端的に言えばクリスティーナの技量は私達の、そしてマリーダさんの想像を越えるものであった。マリーダさんが一流であるならば、クリスティーナはまさに超一流。よもやこれほどの使い手が実在していたとは、と我が目を疑うレベルであった。
 最初は真面目に私達に訓練を施していたクレスさんも、実力と人格双方を信頼する上司が、クリスティーナを相手に攻めあぐねて明らかに押されている光景に気付くと、私達への訓練も忘れて二人の模擬戦に見惚れるようになり、私達も揃ってクレスさんに倣っている。

 三メルの距離を置いて対峙し、マリーダさんは左半身を前に出して左のレイピアの切っ先を突きだし、右腕は下弦の月を模倣するように頭上に子を描いて切っ先をクリスティーナに向ける。
 対するクリスティーナは右手で慣れぬ模擬剣を深く握り込み、ただ自然体に腕を下げて構えと言えぬ構えを取っていた。
 隙だらけに見えるその姿が、一歩刃圏に敵が足を踏み込んだ際には、電光石火の速さで動くさまを容易に想像できて、見ている私達と実際に対峙しているマリーダさんも、瞬きをする事さえ忘れる。
 唐突にクリスティーナが、横一文字に引き締めた口元を綻ばせて小さな笑みを浮かべる。

「私の方が頼み込む立場なのだから、先に動くべきなのだろうな。参る」

 まるで今日の天気でも告げるような軽い調子で言うや、クリスティーナは一歩を踏み出した、と同時に駆けだした。
 果たして踏み込んだ地面にくっきりと足が沈みこむほどの踏み込みの強さとは、どれだけのものだろうか。そしてその踏み込みの強さが生み出す速さはいかほどのものか。
 少なくともマリーダさんと私とクレスさん以外には、クリスティーナが風に変わったとしか見えなかったのではあるまいか。
 私達の視界の先でマリーダさんの顔の近くで無数の火花が散った。風と変わって駆けたクリスティーナの振るった模擬剣の左頸部を狙った横薙ぎの一刀を、マリーダさんが思考よりも肉体の反応で、二本のレイピアを束ねて模擬剣に対して斜めに構えることで斬撃を流したのだ。
 刃引きをした刀身同士の接触は、盛大な火花を散らして陽光の元でなおマリーダさんの横顔を赤々と照らす。戦闘中でありながらマリーダさんの顔は驚愕に染まり、一瞬の停滞が生まれる。

 だが流石にマリーダさんも油断と隙が死に直結する辺境で実戦を経験していることから、驚愕の感情をすぐさま押し殺して、クリスティーナが流れた刀身を切り下げに変える寸前に、クリスティーナの空いている右脇腹に平行に揃えたレイピア二本の刃を斬りつける。
 回避が間に合うかと言えば十中八九間に合わないが、クリスティーナの反応速度と身体能力は、人間に産まれてから十年の間で私が知った人間のレベルを越えているらしかった。
 レイピアの切っ先を皮二枚ほどで回避できる距離まで下がりレイピアに空を切らせるや、その場で体を旋回させてたっぷりと遠心力を乗せた一撃を、今度はマリーダさんの右頸部に叩きこむ。
 風を切る音も鋭い一閃は、例え模擬剣といえども人間の首を骨ごとまとめて断つには十分すぎる威力を備えているに違いない。
 おそらくあれでも手加減はしているのだろうが、模擬戦で振るっていいレベルの剣技かと言えば、少々疑問である。あるいはマリーダさんなら対処できると判断したうえでの事か。

 マリーダさんは空を切ったレイピアを手元に引き戻しながら、尻餅を着く様に背後にしゃがみ込んで首を断ちに来た模擬剣を回避し、マリーダさんから見て左方向へと転がってクリスティーナとの距離を取った。
 クリスティーナは視界の死角になる位置を転がったマリーダさんの姿を気配か音で認識しているようで、旋回の勢いをそのままに淀みない動作で立ち上がったマリーダさんへと追撃の斬撃を右袈裟に放つ。
 首をわずかに引いたマリーダさんの額を切っ先がかすめて、刃が潰されている筈の模擬剣は、マリーダさんの綺麗に切り揃えられた茶色い前髪を数本斬り落とし、はらりと舞う。

「でぇあああ!!」

 マリーダさんが雌獅子を思わせる咆哮をあげ、左右のレイピアを煌めかせてマリーダさんとクリスティーナの間に斬閃の鳳仙花が咲き誇る。
 ひゅん、と風を刃が切る音が先ほどから延々と飽きることなく繰り返される。模擬戦用とはいえ、良く手入れをされた刀身が幾重にも虚空に光の軌跡を描きだし、見つめる私の網膜には折り重なる斬撃の軌跡が直接刻まれた様に残っている。
 光の軌跡が描く美しい円を、別の黒光りする軌跡が受けて大きく円の形を乱す。
クリスティーナがマリーダさんの首を狙って放った左半円を描く一閃を、マリーダさんがレイピアを交差させてかろうじて受け止めたのである
 ぎん、と広場に響き割った音はその音だけでどれほどの重量がマリーダさんの腕に加えられているのか、はっきりと分かるほどに重々しい。
 クリスティーナは筆よりも重いものを持った事もなさそうな、美しすぎるあまりに神秘的なまでの美貌の印象を裏切る途方もない膂力の主のようであった。
 この場では私しか気付いていなかったが、クリスティーナの体は、確かに人間のものではあったが、私の眼と感覚からすれば常人とは明らかに違う点がいくつもあった。

(ふむ、これは珍しい。人間離れした美貌と身体能力の高さも、“あの体”で産まれて来た為の副産物か。剣の鍛錬も欠かしてはいないようであるし、大したものなのだろう。さすがにかつての勇者や英雄たちには及ばぬが)

 人間の歴史上、クリスティーナの様に“特異な身体構造”を持って生れた人間は確かに存在するが、極めて稀な例だ。
 私一人が心中でクリスティーナの技量以上に凄まじい身体能力と、傾国の美貌の理由に納得している中、二人の模擬戦はいよいよ熱を増してゆく。
 模擬剣を弾いた勢いのまま後方に飛び下がったマリーダさんは、爪先が地面に触れるのと同時に両足のしなやかな筋肉の力を爆発させて、大きく腰を傾げて地面すれすれに頭を下げた変則的な姿勢でクリスティーナの足元へと襲い掛かる。
 人間の武術はおおよそ膝から下ほどの背丈しか持たぬ者を想定していない事が多い。人間同士にしても、主要な敵対種であるゴブリンやオーク、トロルなども人間種とそう背丈は変わらぬし、低く見積もるにしても精々が腹部までだろうか。
 それゆえあまり背丈のない小型の魔物を相手に、ゴブリンなどと戦い慣れた熟練の戦士が思わぬ不意を突かれることが少なからずある。
 マリーダさんの変則的な体勢は、その人間の武術の弱点を人間が突く様に工夫を凝らしたものだろう。正規の剣技を学んだ者ほど奇襲的な効果が望める、邪道な戦法であった。
 クリスティーナは弾かれた模擬剣を正面垂直に構え直し、地を這うような低さで素早く距離を詰めるマリーダさんを冷徹にさえ見える赤い瞳で見据えている。

 私の周囲のアイリやアルバート達が息を飲んで勝負の推移を見守る中、私はふむ、と一つ零して、右足を軸に左半身を振り子のように回転させて、地面と水平にクリスティーナの足首を切り取りに走ったマリーダさんの左レイピアの動きを眼で追った。
 上質の黒いブーツで守られたクリスティーナの足首であっても、刃引きしていなかったら骨込めに両断していてもおかしくはない、速さと鋭さを兼ね備えたレイピアの一閃。
 これを受けられるのなら、一角の剣士であると自己を誇っても構うまい。そう思わせるに足る一撃であった。クリスティーナは自分の右足首に襲い来るレイピアの刃を、右半身を後方に引く一動作で躱す。
 完全にマリーダさんの刃を見切っていなければ、予め打ち合わせをしていたかのように避ける事は出来まい。
 右足首を狙ったレイピアが避けられるのはマリーダさんも想定済みだったのだろう。次のマリーダさんの行動は、それを証明するかのように淀みなく流れる様に繋がっていた。
 マリーダさんは大きく踏み込んだ左足で力強く大地を踏みこんで体を跳ねあげながら体を巻きこみ、半身になったクリスティーナの左脇腹へと右のレイピアを斬り上げる。
 空を舞う鳥が弧を描く様に美しい軌跡は、振るわれたマリーダさんの刃が会心の一太刀であるという証明に他ならない。

 左脇腹から右胸部まで斜めに斬り裂く地上から天空へと伸びる一太刀を、クリスティーナは美貌にわずかな驚きの色もなく、赤い瞳でしっかとレイピアの刀身を捕捉し、軽く、花を摘むほどの軽さで自身へと迫るレイピアに、模擬剣の柄を当てて呆気なく軌道を外側に逸らした。
 レイピアの刃に対してやや斜めに円形の模擬剣の柄頭を添える様に押し当てられるや、マリーダさんが起死回生を狙った渾身の一太刀は、クリスティーナの体から離れて虚空を無為に斬った。
 クリスティーナはそのまま振りかぶる事もなくただ模擬剣を前方に軽く押しだして、その刀身は体を跳ねあげたマリーダさんの首筋に触れる。
 マリーダさんがクリスティーナの右足首に左手のレイピアを振るってから、首筋に模擬剣の刃が添えられるまで瞬き一つほどの時間もない、一瞬にも満たぬ時間の濃密な攻防であった。

 首筋に触れる冷たい感触に体を強張らせるマリーダさんが、自分の負けを認めて吸いこんでいた息を大きく吐き、ゆっくりと体勢を戻してレイピアを鞘に納めると、ようやく雰囲気に飲まれて緊張していた私の周りの皆が揃って溜息を吐く。
 息をする事さえ忘れてしまうような緊張感が、ようやく緩和されて皆が口々に先ほどの攻防の凄まじさに、浮かれた様に口を動かし始める。マリーダさんとクリスティーナの攻防を、完全に把握できていたのは私とクレスさんくらいのものだろう。
 鞘に納めた模擬剣をマリーダさんに手渡しながら、クリスティーナがうっすらと笑みを浮かべて二言三言言葉を交している。互いの健闘を讃えあっていると言ったところか。
 数日前から見かけるようになったクリスティーナは、神話の中から時代を遡って姿を見せた戦乙女の如き美貌のどこかに、常にうっすらと翳を這わせ、マリーダさんと刃を交している間は峻烈なほどの光を湛えていた赤い瞳には、どこか諦観めいた暗い光が宿っていた。
 今は思う存分剣の技を振るえた事で、一時の明るさを得ているがこの美貌の剣士の精神には、光の下には相応しからぬ鬱屈とした感情と事情が存在しているのだろう。

「こう言っては悪く思われるかもしれないが、マリーダ殿は武芸だけでも軍で出世も望める技量ではないか?」

「いえ、そのような大したものではありませんよ。それに私は今の仕事に誇りを持っています。実際に自分の力で人々を守っているという実感も得られますしね」

「そうか。羨ましいものだな。私にはどうにもそういった生きる張り合いと言うものが欠けている様でね」

 聞こえてくる会話の内容と口調に混じるクリスティーナの暗い感情の響きは、どうにも私の想像が当たりだと嫌な保証を与えてくる。ふむ、安易に私が踏み込んで良い話題ではないだろうが、さて話をする機会でもあったら世間話くらいはしてみるか。
 アルバートやアイリ達が模擬戦のあまりのレベルの高さに、思わず拍手などして検討を讃えていると、マリーダさんとクリスティーナさんは少し気恥ずかしげに手を挙げて応えた。これ位の愛嬌はクリスティーナにもある様だった。
 私もアルバート達と同じように大したものだなと、腕を組みながら感心していると宿舎の中から、大きなお盆の上に人数分の木製カップと素焼きのフラゴンなどを乗せたミルとリシャ、ディアドラが姿を見せた。

「皆、お疲れ様。ミルクと果汁水を持ってきたから飲んでね」

「でもあんまり飲み過ぎるとお腹痛くしちゃうから、気を付けてね~」

 おそらくベルン村で一、二を競うほんわとかした雰囲気のあるリシャとミルの笑顔と声に、私達は訓練の後の心地よい疲労と模擬戦の興奮の余韻に浮かされている私達はとても癒される。

「クリスティーナさんもぜひ召し上がってください。ただ田舎なものですから、お口にあうか心配ですけれど」

 広場に置かれている切り株のテーブルの上に、果汁水やミルクをなみなみと注いだカップを置きながら、リシャは愛剣をベルトに佩き直して具合を調整していたクリスティーナに声をかける。

「いや、この村の食べ物はなんにしても美味しいから、喜んでいただくよ。ありがとう」

 そう言って嘘偽りのない笑みを浮かべて、リシャから柑橘系の果汁水を受け取るクリスティーナは、どうやら厭世的な普段の雰囲気ほどに人付き合いの出来ない性格ではないようだ。となると美貌に纏う暗い影は後天的なものなのだろう。
 貴族であるとクリスティーナ自身が明言したわけではないが、優雅な物腰や絹を惜しげもなく使っている衣装からすれば、ほぼ間違いなく貴族の出自であろう。
 上手く関われば私の目的を果たす切っ掛けにできるかという打算と、これまで目にした事のない類の美貌から純粋にお近づきになりたいと言う雄の欲望をないまぜにしてクリスティーナを見ていたが、喉の渇きを覚えたので私も飲み物を受け取る事にした。

「ミルさん、私にも一つ貰えるか」

「あ、ドラン。あぅ、ううんと、はい」

「ありがとう」

 私の視線に気づき、ぽっと頬を赤く染めたミルは、忙しなく細長い尻尾を左右に振りながら、おずおずと私に乳の入ったカップを手渡す。口を着けたミルの乳が搾りたての新鮮なものである事は間違いない。
 なにしろ訓練の合間を縫って、私とリシャの二人でミルの大きな乳房から直接絞ったばかりなのである。搾っている時にも訓練の邪魔にならぬ程度にミルから直接乳を飲んだが、やはりミルの乳は美味しい。
 ふむ、と私が満足の吐息を零すと、口の周りに白い髭を作ったアルバートがじとっとした眼で私を見ていた。
 アルバートがこのような眼を私に向けるのは珍しい。言いたい事ははっきりと言い合える仲である、と思っていたのだが、私だけの思い込みだったのだろうか。
 だとしたらなんとも悲しい事だ。ただしどさくさにまぎれてセリナの胸を触った事はまだ許してはいないが。

「アルバート、言いたい事があるのならはっきりと言ってくれ。お前に陰口でも言われているのかと思うと、ずいぶんと堪える」

「んん~、いや、別にドランの悪口ってわけじゃないんだけどさぁ。……なあ、ドラン。お前なんでそんな急に人気になったんだ?」

「ふむ?」

 アルバートの言う事が分からず、私は一瞬疑問符を頭の上に浮かべたが、改めて自分の周りを観察してみると、私の左にはミルの乳房を見つめながら、その乳房から出た乳をぐびぐび飲んでは自分の胸をぺたぺた触っているアイリがおり、アイリの右腕は私の左腕と組んでいる。
 クリスティーナにカップを渡し、お代わりを求める皆に二杯目、三杯目を注いでいたリシャもいつのまにやら私の右側に陣取っていて、私の右肩にリシャのぽよんとした柔らかな感触の乳房が当たっていた。
 さらにはミルもちらちらと私の方に視線を向けては恥ずかしそうに俯きつつ、さりげなく私との距離を詰めていて、私の背後に回り込みすぐにでも抱きつける位置にいる。
 私に向けられるミルの視線はねっとりとした熱を帯びており、私に抱きついて甘えたいけれど、皆の眼があるから躊躇していると言ったところか。後でたくさん可愛がって上げよう。
 私は自分の周辺の事情を鑑みてからアルバートの顔をまっすぐに見て、きわめて真摯な顔と声で答える。

「人徳とこれまでの行いの積み重ねだ」

「……なんだそりゃ」

「なんだと言われても、実際にそうだとしか言えん。それにセリナとディアドラとリネットもいるぞ」

 アルバートは苦虫を一万匹も噛み潰した様な顔を新たに拵えた。本当の事を言っただけなのだが、それでも認め難い事というものはあるものだ。
 しかしアルバートよ、少なくともお前は覗き行為やスカートをめくるのを止めないと、良縁に恵まれるまで時間が掛るぞ。
 私は親しい友人として、アルバートの将来を真摯に心配するのと同時に、どうだ、と少々自慢めいた気持であった事は否めない。
 やれやれ、これでは宝物を自慢する見た目通りの子供だ。かつて竜であった頃の私を知る者からすれば、気でも違えたかと疑われても仕方がなさそうだ。


 村に訪れた珍客を交えての模擬戦やアイリ、リシャ、ミルとの新たな関係は私にとって非常に好ましく、日々の農作業やゴーレムのバリエーション作成、魔法薬の調合にも熱が入り、実に充実した日々を送っていた。
 村での日々とはまた別に私は定期的に成体の白竜を模した分身体で、ベルン村周囲の空の散歩とヴァジェへの戦闘方法の教授――ヴァジェからすれば捉え方は随分と違うだろうが――を、継続的に行っている。
 ベルン村での日々の充実もあって空を羽ばたく竜体の私も気分は意気揚々と弾んでおり、ヴァジェが見たら呆れた顔をしたかもしれない。
 空中で思わず輪を描いて見せようかと私が翼を羽ばたかせた時、ヴァジェよりも早く南西の方角から憶えのある気配と姿が近づいてきたのを感じた私は、翼の羽ばたきを止めてそちらへと進行方向を転じた。
 私が白竜の分身体を通じて知り合った二体の同胞の片割れ、青龍の瑠禹である。方向を転じてから、お互いを目指して進んでいた事もありそう時間をかけずに私は瑠禹と出会った。

「瑠禹か、壮健なようでなによりだ。どうしたね、ああ、公主に例の話でもしたのかな?」

 青く晴れ渡った空の下、白い雲海の上で私は青い鱗の美しい竜の巫女に問い、清楚とした美しい巫女はこれまで私に見せた事のないどこか緊張を帯びた顔つきで答えた。

「はい。ドラン様より伺いましたお話を公主様にお伝えした所、公主様は大変懐かしがられて、ぜひともドラン様とお会いしたいと。どうか私と共に竜宮城へ来てはいただけませんでしょうか?」

 ふむ、よもや龍吉公主が憶えていてくれたとは。まあ、ドランである私が至高の地位にあった竜と同じ個体であるとまでは考えは及んでおるまい。あの場に居た古竜や真竜の系譜のものと考えているのだろう。
 地上に残る知恵ある龍の中でも特に名高い龍吉公主との縁、結んで置いて損はあるまいと、私は緊張した面持ちで私の返答を待つ瑠禹に、承諾の意を伝えた。

「構わぬとも。名高き龍吉公主に直に拝謁出来る栄誉は、滅多にあるものではなかろう。この身に余る光栄なことだ」

<続>

 しばらく後で判明する事になりますが、クリスティーナには特大の地雷付きです。
 以前にも書かせて頂きましたが、ドランが前世で勇者達に討たれたのは、ドラン自身が全スキル封印の上に能力を大きく抑制し、なおかつ殺される事を受け入れていた為です。
 加えて言えば真竜以上の格の竜と龍は、地上で活動する際には能力を古竜レベルにまで落とすので、地上に居る時点で地上世界を破壊してしまわぬようにとドランは凄まじく能力を落としていました。
 マイラスティに語ったように自殺も同然だったのです。前世のドランはいわばバグキャラ。まともな方法では勝てません。専用のワクチンを作り出すか、バグ自身が消滅を受け入れる、つまりはドランが死を受け入れない限りは、です。
 人間のドランとして生まれ変わった以上は、地上世界が舞台ですのでドランが力を完全に発揮する事はないでしょう。

 いただいたご感想に対して返信をしたりしなかったりと優柔不断な私ですが、すべて目を通させていただいております。数々のご感想に一喜一憂しながら、励みとさせていただいております。今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

 それではなにげにミルから直接乳を飲める仲になっていたドランの回でした。次回にて龍吉公主との対面。一区切りをつける頃合いでもあります。ではまた次回にて。なお一区切りといっても最終回ではありませんので、あしからず。

10/26 22:53 投稿
10/27 08:44 20:56修正 a様から指摘のあった箇所を修正。ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑯+外伝
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/11/06 10:34
さようなら竜生 こんにちは人生⑯


 ベルン村よりやや北方、いつも私がヴァジェと顔を合わせる空域よりも南の空の上で、私は鮮やかな青い鱗に覆われた体に、かすかな潮の香りを漂わせる若い女性の青龍瑠禹と対面している。
 足元には大地と空とを遮る広大な白い雲が海の如く広がり、私は遮るもののない太陽の光を満身に受けながら、瑠禹の主である古龍の龍吉公主からの招きに応じる答えを瑠禹に告げた。
 果たして瑠禹に話を聞かされた龍吉公主がどのような返答をしたものか、細かい所までは分からぬが、緊張に身を強張らせている様子の瑠禹を見れば、私に礼を失せぬように位は言ったのかもしれない。
 風の精霊力を受けて浮力を得、大地の精霊力に感触して重力を無効化して空中に浮いたまま、瑠禹と顔を合わせて話をしている間、私はふと思いついたことがあった。

「時に瑠禹や、龍宮城だったか? そこに連れて行きたい者がおるのだが、その程度の融通は利くかね?」

「ドラン様以外の方をでございますか。ええ、おひとりさまでしたら特に問題はないかと思います。ただあくまで公主様の私的なお客様と言う事ですので、城の者達総出での歓迎と言うのは少々難しく、その点はなにとぞご了承くださいませ」

「なに、どこの馬の骨ともしれぬ竜に過ぎぬ身なれば、それでもなお身に余る光栄。分は弁えておるつもりだ。さてもう少し北上すれば向こうから勝手に私達の方にやってくるだろう」

 瑠禹は私の言葉から私の招きたい者が誰なのか察しがついた様で、あ、と一言漏らして私におずおずと問うてくる。

「ひょっとしてドラン様が招きたいというのは、以前お伺いした山脈に棲む深紅竜の方でございますでしょうか」

「うむ。ヴァジェという女竜(めりゅう)なのだがどうにも跳ねっ返りが過ぎる性格をしておってな。世界の広さと言うものを教えれば少しは大人しゅうなるだろう。龍吉公主のせっかくのご招待を利用する様な形で申し訳ないが、これも私なりの親心のようなもの。どうかお許し願いたい」

「公主様は御心の広い方ですから、よほど無作法な方でなければ大丈夫でございますよ。ですが深紅竜の方にとって、海中にある龍宮城は決して居心地の良い空間とは言えません。体調を崩される心配がありますが……」

 火竜の上位種である深紅竜のヴァジェの事、周囲を全て海水に囲まれた海中では確かに居心地の良い環境ではあるまい。だが竜語魔法には周囲の環境を自身に最適なものに変えるか、逆に周囲の環境に自身の属性を変化させるものもある。
 まだ若い成竜であるヴァジェが修得しているかはちと怪しい所だが、なんとなれば私がヴァジェに竜語魔法を施せばよい。
 そういえば格闘術やブレスの効果的な撃ち分けなど、戦闘の事ばかりを叩き込んでいて、竜語魔法についてはさほどヴァジェに教授しておらなんだ。良い機会だから今後は竜語魔法についても面倒をみる事にしよう。

「なに長居するわけでもない。その程度で体調を崩すほど可愛らしい女竜ではないさ、アレはな」

「ドラン様がそう仰られるのなら、わたくしが申し上げる事は御座いません。ところでそのヴァジェ様は、龍宮城の件は既に御承知の上なのでしょうか?」

「いや、これから言って聞かせる。典型的な火竜だから最終的には力で解決する傾向にある。逆に言えば自分より強い相手には従うのでな。言う事を利かせるのは簡単だ」

「まあ、ドラン様はお優しい方と思っておりましたが、意外と強引な所もおありなのですね」

 言葉通りに意外だという響きを交えて言う瑠禹の顔には、言葉ほどには意外そうではなく、青い鱗に覆われた顔もさして失望したような色はない。私は悪戯を見つかった子供の様な気持ちで肩を竦めて問い返した。

「失望したかね」

「いいえ、殿方はそれ位の気骨がございませんと」

「ふむ、瑠禹は良い嫁御になりそうだな」

 私が思った事を正直に述べただけだが、瑠禹はこの様に飾らない称賛を受けた事があまりないのか、恥ずかし気に長い胴をくねらせる。セリナも照れた時はよく下半身の蛇体をくねらせるが、鱗を持つ者共通の感情表現なのかもしれない。

「おやめ下さいませ。わたくしめにはまだ早い話でございます」

「そうかね? 瑠禹を妻にと望む話はいくらでもありそうなものだがな。さて、そろそろヴァジェの奴を呼んでくるか。しかし、あれの気性ではまず間違いなくごねるだろうな」

 あまりにも簡単に烈火のごとく私に悪罵の文言を叩きつけてくるのが想像できて、私は胸中でこっそりと笑みを零した。ヴァジェは本当に分かりやすい娘で、どうにも本当に父親か祖父の様な気持ちに、私はなってしまうのである。
 瑠禹を伴い白雲の上を飛んだ私達が目的である深紅色の鱗を持った女竜と遭遇するのには、いつもと変わらぬ手順で済んだ。方法は至って簡単でヴァジェの縄張りの中を適当に飛ぶだけだ。
 私が知る限り最も簡単な狩りの方法とたいして変わらない。ヴァジェが成竜である事を除けば、これほど簡単に獲物をおびき寄せられる狩りもあるまい。
 私と瑠禹がしばし北上してからその場に留まり、待ち受けているとすっかり慣れ親しんだ深紅竜の魔力と気配、匂いが私の知覚に触れる。瑠禹も、私に遅れて気付いた様である。

 ふむ、近づいてくる速度に感じ取れる魔力から、ヴァジェが今日も健康そのものである事が分かる。老竜(エルダードラゴン)へと脱皮を経るまでまだ数十年か百年近い時間は掛るかもしれんが、この健康具合なら思ったより早く老竜へと至るかもしれん。
 以前南下して人間の村を襲わない様に、とヴァジェに言い聞かせた事があるが、ヴァジェは基本的にモレス山脈の動物か、北西の方角にある魔物の集落を襲って腹を満たしているらしく、人間は小賢しい上に肉の量が少ないという理由から滅多には襲わないらしい。
 一度か二度は食った事はあるようだが、過去の事を叱責しても仕方がない。私としてはベルン村と周辺地域に被害が及ばなければ、そう口を酸っぱくするつもりもない。
 最寄りのワイバーンライダー達の集落にも手を出していないようだし、ヴァジェによる人間への襲撃に関しては、あまり心配しなくていいだろう。

 これまでとは違い私の傍らに瑠禹が居る為にか、接近中のヴァジェが先制のブレスを吐いてくる事もなく、ヴァジェは下方から白い雲海を突き破り、千々に千切れて霧の様に変わった雲を纏いながら、私と三十メルの距離を置いて翼を羽ばたいて滞空する。
 ヴァジェの鱗と同じ色の瞳は、私の左方に居る瑠禹へと向けられて、属性の相反する水龍の一種である青龍の存在に不愉快そうな色を一瞬浮かべた。瑠禹の方からもヴァジェが姿を見せたことで纏う雰囲気に、緊張感が増している事がひしひしと感じられる。
 ヴァジェの方はともかく瑠禹の反応はいささか予想外であった。いや、龍吉公主に仕える家系と言っていた通りなら、周囲には自身と同じ水属の龍しかいなかったのだろう。
 であれば火属の竜を見るのは初めての事かもしれない。それで多少は緊張しているのだろうか。

「白いの、その青い龍を連れて如何なる用向きか?」

 いつでもブレスを撃てるように咽喉元に火属性の魔力を蓄えたまま、ヴァジェは射抜くように鋭い視線と言葉で私に問いかける。相も変わらず刺々しい言動の娘よ。これは本当に番いを持たずに生涯を終えそうで、私はヴァジェの将来が本気で心配になった。

「ヴァジェよ、私とお前が初めて出会ってから幾度となくお前に色々な事を教えて来たつもりだ。その中でお前も私が教えた事を忠実に学ぶ姿勢を表には出さぬが、暗に示して私もお前に会いに来る甲斐というものを覚えている。
 しかしながらお前のその態度は相も変らぬ。それはそれでお前の個性かもしれんが、ちと心配でな。お前に世界の広さと言うものを見せた方が良いと考えた」

「要らぬ世話を焼く。私が貴様の思い通りになるとでも思ったか? 世界の広さとは言うがそこな青龍一匹を連れてきてなんになる? お前と纏めて私の炎で焼いてくれるぞ。はん、親の膝下から離れた事もなさそうな小娘なぞ、連れてきおって」

「なんて口の悪い方。ドラン様、わたくし、この方のことをあまり好きになれそうにありません」

 流石に瑠禹も侮蔑を隠さぬヴァジェの言葉には怒りを示した。ふむ、ヴァジェはさんざか自分を痛めつけた私だけにあのような態度を取るのかと思っていたのだが、私以外の龍を相手にも態度は変えないようだ。
 同じ年頃の女同士ならもう少し柔らかな態度を取るかと思ったが、これは裏目に出てしまったか。一方でヴァジェも瑠禹が私の名前を呼んだ事を聞き咎めた様で、瞼をピクリと震わせるや、全身から視覚化できるほどの深紅色の魔力が陽炎のように立ち上った。
 ヴァジェには私に傷を着ける事が出来たら名乗ると言っていたが、瑠禹には普通に教えていたからな。そこで互いの認識に食い違いがあるというか、とにかくヴァジェは私が瑠禹に名前を教えている事が気に食わないらしい。

「ほう、貴様はドランと言うのか。そうかそうか、ふん、ということはその青龍はお前に傷の一つも負わせたと言う事か。……面白い。どれほどのものか、私が確かめてやる」

「なにやら一方的に嫌われている様ですが、わたくしがなにかあの方の気に障る事をしましたでしょうか?」

「いや、実はヴァジェには私に傷をつけられた名前を教えてやると条件を着けていてな、ヴァジェはまだ私の名を知らぬのだ。であるのに瑠禹が私の名前を知っている事を、瑠禹が私に傷を着けられるほどに強いと解釈したのだろうが、すまぬ。余計な面倒に巻き込んだ」

「なるほど、その様な御事情がありましたか。ですが、わたくしも公主様にお仕えするものとして、侮られたままにしては公主様の沽券に関わります」

 何故だか瑠禹もヴァジェの戦意に応じる様に自身の魔力を高めており、周囲には大気中の水分を凝縮させた水球が無数に生じている。深紅竜のヴァジェと青龍の瑠禹とでは相性の面で言えば瑠禹の方が有利だ。
 だがヴァジェも私との模擬戦でずいぶんと戦い方を上達させている。魔力の同調と吸収に関してもまだ拙いが、それなりに扱えるようになっておりなかなか侮れないものを見せ始めている。
 この二体が激突すればその勝敗は私にもいま一つ読み切れない所がある。おっと、二体の戦闘能力の検証を行っている場合ではない。魔力を高めてお互いを睨みあう二体の間に体を割り込ませて、制止の言葉をかけた。

「止めぬか。ここでお前達が諍いを起こしても何も良い事はない。ヴァジェよ、私は今日瑠禹の主である龍吉公主より龍宮城へと招かれた。これはお前の見聞を広める良い機会と、お前を共に行かぬかと誘いに来たのだ。お前とて地上に残った数少ない古龍である龍吉公主の名は知っておろう。より高位の龍というものを一度見ておくと良い」

 流石にヴァジェも龍吉公主の名は知っているようで、私の口から出て来たその名前にわずかな驚きを覗かせて、口中の紅蓮の炎を鎮める。
 ヴァジェが再び口を開くまでの間には幾許かの間があり、どう応えて良いものかこの苛烈な性格の深紅竜にしても悩んだ様であった。

「私が行く理由はあるまい。第一、水の中は好かぬ」

「そう言うな。はっきりと格が上の存在を知ればお前も少しは考え方を変える事もあろう。龍宮城は海の底ゆえ、お前にとっては慣れぬ環境であろうが竜語魔法を使えば良い。ふむ、ヴァジェよ、環境に適応するか、自分に環境を適応させる竜語魔法は使えるか?」

「……」

 竜なりにむすっとした顔にヴァジェが変わった事から、私は使えないのだと判断した。自分に適した環境に棲んでいれば使う必要に迫られぬ竜語魔法であるし、修得していなくても仕方はなかろう。

「ならば私がお前の分も使えば問題あるまい。お前とて地上に残った龍族の中でも最強の一角に数えられる龍吉公主を見てみたいとは思わぬか? せっかくの機会ぞ、これを逃せば千年か二千年は待たねば次の機会は来ぬ」

 ヴァジェはう、むと口ごもって随分と悩んでいる様だった。この深紅色の鱗をした女竜には珍しい様子を、私はしげしげと観察した。
 瑠禹は黙ってヴァジェが決めるのを待っていたが、どことなくヴァジェを連れてゆくのが嫌そうな雰囲気を醸し出している。
 私から聞いていた話よりも実物のヴァジェの気性が荒々しいものであった事と、初対面から喧嘩を売られたも同然だった事に、多少なりとも気分を害しておるのだろう。

「さて、如何する、ヴァジェよ」

「……よかろう。龍吉公主の高名は私も耳にしている。直接拝謁する栄はなくとも、龍宮城とやらを一度見るだけでも良い経験にはなる」

「ふむ、よろしい。そう言うわけでな、瑠禹よ、私とヴァジェの二体、龍吉公主のお招きに預かろう。これから向かうとしてどれほど時間が掛るのだ?」

 どことなく機嫌が悪くなった様に見える瑠禹は、なぜだか淡々とした口調で私の質問に答えた。リシャを前にしている時のセリナに近い反応である。

「ドラン様の翼でしたなら、ここより南西の方角へ半日も飛べば龍宮城の上空へと到着いたします。そこからさらに海を潜り、龍宮城につくのに四半刻(約三十分)ほどかかりましょう」

 抑揚に乏しい声音で告げるや、瑠禹とヴァジェは互いに深紅と青の視線を交差させたかと思えば、つんと互いの顔を背け合った。なんともはや、一目顔を突き合わせて少しばかり言葉を交しただけで、互いの相性が悪いと心底から思いあっているらしい。
 女心は、人間であれ魔物であれ龍であれ、難しいものよと、私は心中で嘆息せざるを得なかった。
 渋々と言った様子を隠さぬヴァジェを交え、私達は肩を並べてワイバーンや他の飛行魔獣が届かぬ高空を飛んだ。
 道中で要らぬ戦いをして労力をかけるのもつまらぬ話であったし、生憎と私は腹が空かぬ分身体、ヴァジェも姿を見せる前に腹を満たしており、また瑠禹は地上の獣の肉は口にした事のない、水棲の龍であるし水か霞、天地のマナを吸って生きている。
 食料の調達を考えるならばロック鳥や飛行魔獣を道すがら食べる為に、もうすこし高度を下げる所だが、このように食事を必要としない状態だったので無意味な労力を避ける為に、わざわざ高度を取っていた。

 所々雲海が途切れて眼下に広がる大地の様子がうかがえて、私がこれまで翼を伸ばさなかったアレクラフト王国の中央部や南部の光景が見える。
延々と広がる大地の上に時々思い出したようにぽつりぽつりと人間の集落があり、 人間国家の領内とはいえまだまだ人間の足が踏み言っていない場所の方が多かろう。
 時折石を積み上げた城壁に囲まれた大都市なども見受けられ、通り過ぎ去った都市のどれかは王都であったかもしれない。もっとも平凡な農民の子供として生まれ変わった私にとっては、ほとんど縁のない場所だ。
 精密に再現されたミニチュアの様な都市を見つめるだけに留めて、私は翼を止めることなく瑠禹の案内の元龍宮城を目指して空を飛ぶ。

「そういえばヴァジェは元からモレス山脈に棲んでおったのか? 父母もあそこにいるのか?」

 私と瑠禹からやや距離を置いた後方で翼を広げていたヴァジェは、首を振り返らせて問う私に詰まらん事を聞くとひとつ吐き捨ててから答える。そこまで露骨に面倒がらぬとも良かろうに。

「私はあの山脈よりも北の生まれだ。巣立ってから新たな住処を探して山脈に辿りついた。あそこは広大で環境も様々だ。私以外の竜もいるだろうが、精々老竜までだ。古竜はおらぬ」

 ふむ、確かにモレス山脈には広大な湖がいくつか点在しているし、水竜や地竜の類も少なからず棲息していてもおかしくはない。私が最初に接触したのがたまたまヴァジェだっただけなのだろう。
 まあ、私の方から顔を覗きに行く気には慣れないし、若い竜の面倒をみるのはヴァジェだけで十分である、というのが私の正直な気持ちだった。
 人間に転生してからはベルン村とその周囲が世界の全てであった私にとって、瑠禹に連れられて遠出して見る地上の光景は、転生によってすっかりと摩耗していた感性に新鮮さを取り戻したいまとなっては、非常に心惹かれるものであった。
 時と状況が許すのなら翼を降ろして実際に見て回りたいものだが、竜が人里に姿を見せようものなら蜂の巣を突いたどころではない騒ぎになるのは火を見るよりも明らかである。
 それを理解する位の分別は私だって当然持ち合わせていたし、龍吉公主と公主の待つ龍宮城への興味もまた山のように私の心の中にあったから、ついつい気持ちを逸らせて瑠禹を追い越しそうになるのを堪えなければならなかった。
 我ながら子供のようだと呆れるばかりである。まったく私を転生させようと考えた者にはいくら感謝してもしきれぬものだ。私がこのように弾んだ気持ちで日々を生きる事が出来るなど、いまもなお心のどこかで信じる事ができないほどなのだから。

 更に飛翔を続けて王国の港町から出ている帆船や逆に寄港しようとしているガレオン船などを、見下ろして青い海の上を私達は飛び続けた。
 かつては青い海原がまだ煮えたぎる溶岩の海でしかなった頃から見続けた私にとって、潮の香りがする風が吹く海はすでに飽きるほど見て来た筈であったが、不思議な事に改めて今見ると静かな感動が私の胸の中に広がってゆく。
 私の記憶の中にある海の風景と特に大きく変わる所はない。降り注ぐ太陽の光を浴びて煌めく広大な海面も、絶えず吹く風と潮の満ち引きで寄せては返す波も。
 なのに私の心は、初めて雄大な海を目の当たりにした少年の様な言葉にはできない感動がゆっくりと、岩に沁み入る水の様に広がっているのだ。
 ああ、空よ、大地よ、海よ、そして世界よ。お前はかくも美しかったのか。かくも雄大であったのか。
 私が一人感慨に耽っていると、先を行っていた瑠禹が進む事を止めて空中でその長い胴体をくねらせて、私とヴァジェを振り返る。
 どうやら、龍宮城の上空にまで到達したらしい。私の翼で半日の道行きであったから日は暮れ始めているものの、世界はまだ夕陽の色よりも青色が主だ。初めて目にする王国の中央部や南部を目にしていた為、時間はさしてきにならなかった。
 ここから更に海を潜って海底にある龍宮城を目指すわけだ。周囲に人間やその他の亜人種族の用いる船の影はない。

「これより海に潜ります。わたくしは問題ありませぬが、お二方は竜語魔法をお忘れなく」

 私はこのままでも海底はおろか大気の層を突きぬけて太陽に突っ込んでも問題ないが、ヴァジェはそうも行かない。
 足元が島影一つ見えない海原に変わってからヴァジェはどうも落ち着かない様子を見せており、やはり深紅竜として視界を埋め尽くすほどの海が足元にあると気になってしまうようだ。
 これで海中に入ったらどうなることやら。私は気がそぞろになっているヴァジェに首を向け、喉の奥で小さく唸ってヴァジェの周囲の環境が深紅竜にとって最適なものに変わる様干渉した。
 ヴァジェの体の方を操作するのでは後で要らぬ怒りを買うのは火を見るよりも明らかである。

「ほれ、これで不愉快さは消えただろう。今のお前なら海の底だろうが嵐の中であろうが、火山の火口のように居心地の良い場所と感じられるはずであろう」

 ヴァジェは少し驚いた顔をしたが口を噤んでそっぽを向くきり。礼の言葉の一つくらい口にしても罰は当たるまいに。ケチだな。

「深紅竜を相手に竜語魔法を一方的に掛ける。やはりドラン様は公主様がお気になさるだけの事はある方でございますね」

 瑠禹の感心しているらしい声に、私ははてと首を捻りそうになったが、つい先ほど自分のした事を省みて納得がいった。同じ成竜同士であるなら、上位種である深紅竜のヴァジェに対し、例え補助系統の竜語魔法であれ了承を得ずに一方的に掛ける事は難しい。
 ましてや普段から私に対して刺々しい態度を取り、敵意を抱いているヴァジェ相手では、まずレジストされてしかるべきだ。それを私が一方的にヴァジェの意向を無視して竜語魔法をかけた事から、見た目通りの普通の白竜ではないと瑠禹は判断したのであろう。

「瑠禹の主殿には及ばん。これで私達の準備は整った。そろそろ龍宮城とやらを拝みに行こうではないか」

「はい。それと申し訳ございません。お伝えしていなかったのですが、龍宮城より公主様の迎えが参ります。迎えの者に乗って龍宮城まで御案内致します。ですから直接海の中を泳ぐ必要はございません。あ、話をすればなんとやら、迎えが参りました」

 なんだ、泳がずとも良いのか、と私が拍子抜けした矢先に瑠禹が眼下の海面を示し、つられた私とヴァジェが瞳を動かせば海の下から巨大な黒い影が急速に浮上し、海面を突き破って私達の目の前に姿を見せたではないか。
 まるで小さな山を目の前にしているかのように、二十メル以上ある私やヴァジェでも思わず圧力を感じる、甲羅の直径が百二十(約百八メートル)メルはあろうかという巨大な亀だ。
 その巨体も眼を惹くがなにより甲羅の中央に海中から現れたにもかかわらず、まるで濡れた様子のない一件の家屋が建っているのが特徴的である。
 上空から見下ろすと六角形の形をしていて、白い漆喰の壁に六本の朱塗りの柱で支え、屋根はアレクラフト王国では見られない、東方の瓦とかいうものを使っている。
 六角形の中央に向かって上弦の弧を描き、中央は黄金の尖塔のような形状をしていた。
 家屋を甲羅の上に乗せた大亀はというと四本の足は鰭の形状をしており、尻尾は長い白毛で口の辺りにも同じように白い髭が長々と伸びている。
ある神が造りだした神獣の一種玄武を思わせるが、あれはたしか尻尾が蛇であったし色も黒かったから、この亀は玄武とは違う霊獣の一種であろう。
 龍宮城の送迎用の亀の大きさを前に、食い出がある、と農民の子供らしく食欲に直結した事を考えてしまったのは、私だけの秘密である。

「大きな亀だな。あの家屋の中で待てばよいのか? 巨人族でも入れそうだが私達では無理だな」

「龍の姿のままでは無理でしょう。ですが龍宮城に棲む龍達は普段はほとんどが龍人の姿になっておりますから、わたくし達も龍宮城に向かうに当たっては龍人か人間の姿を取らねばなりません」

 龍人あるいは竜人、ドラゴニアンと呼ばれる種族は読んで字のごとく龍の特徴を兼ね備えた亜人である。
 牛人であるミルやイゼルナと言う女性ケンタウロスの様に、体の一部が竜ないしは龍のものに変わっている人間の姿をしており、亜人の中でも最高峰の魔力、体力、知力、霊格を備える。中には一時的に成竜などの姿に変わる能力を持つ者もいると言う。
 始祖は地上で暮らし退化していった龍と竜達が、知性だけは維持したまま巨体を失い地上に適応した果ての姿だとも、人間に姿を変えた竜族が人間と交わって作った子供の子孫だとも言う。

「ふむ、なぜわざわざ龍人に姿を変えてまで暮らすのだね? 龍族のみであるなら体の大きさは気になるまいに」

 瑠禹は苦笑するように私の疑問に答えた。

「龍宮城とは申しましても龍族のみならず人魚や魚人の方々も居られますし、龍のままの姿ではいささか空間を取ってしまいます。中には魚貝や海藻を口にして餓えを満たす者も居りますから、食事の量を減らす意味でも龍人の姿を取った方が、龍のままでいるよりも効率が良いのです」

「竜よりも人間と近しく親しい龍ならではの発想であるな」

「他の生き物と共生しようと考えた先人の知恵でございます。ではわたくしから」

 私が感心している間に、瑠禹は空中で龍から龍人へと姿を変えながら大亀の上へと着地していった。
 瑠禹の体は尻尾や四肢の先など体の末端から光の粒へと変わり、大亀へと降下している間に全身が光の粒に変わって形を変え、大亀の甲羅に立っている家屋の向かい合う龍の透かし彫りが施された翡翠の扉の前に降り立った時には、見目麗しい龍人の姿へと変わっていた。
 瑠禹は十代後半ごろの少女へと姿を変えていた。純白の雪の色をした絹様の上衣は肘から先で随分と生地を余らせているようで、そこになにか物が入れられるようになっているのかもしれない。
 腰から下は鮮やかな赤いズボンやスカートとも異なる東方風の装束であった。同色の帯でただでさえ細い腰をきつく締めていて、白い靴下の様なものとサンダルに似た履き物を履いている足首から下位しか露出はない。

 漆のように艶やかで深い色合いの黒髪は真っ直ぐに伸ばされて、瑠禹の小ぶりな尻にまで届くほど長い。その黒髪は柳眉の上で綺麗に切り揃え、左右の側頭部をまっすぐに流れる横の黒髪は腰のあたりまで伸びた所で毛先が切り揃えられていた。
 肌の下の血管が青く透けて見えるかの様に白い肌はきめ細やかで、それ自体が絹の様に美しい光沢を纏っている。
 星が封じられているかのようにきらきらと輝く青い大粒の瞳に、桜の花びらをくりぬいたような淡い色彩の唇、目と鼻と唇の小ぶりなそれらの配置は妙を極めたもので、人間であれば男女を問わず目を惹かれる美貌がそこにある。
 私を見上げる黒髪の美しい異国の装束を纏った少女の本来の姿が龍である事を証明するのは、黒髪の脇から先端を覗かせている鹿に似た龍の耳と頭頂部の両脇から斜め後方へと突き出ている節くれだった角、それに背中側の赤い帯の下部から伸びている青い鱗に覆われた尻尾だ。
 また時折わずかに覗く首筋や目元の辺りに、光の辺り具合かあるいは瑠禹の精神状態によって、青い鱗の様な文様が浮かび上がっている。私に向けてかすかに振られる手も指先に至るまでが、染み一つ、傷一つない繊細な人間の手に変化している。
 私達を見上げて小さく微笑む瑠禹に、私は見事な変化だと賛辞を贈りたい気分であったが、ヴァジェはそうでもなかったようだ。

「ちっ、わざわざ人間などに姿を変えねばならぬとは七面倒な事を考える」

 私の少し後ろに居たヴァジェは瑠禹に続いて空中で小さく咽喉を鳴らし、自分の巨体を炎で包み込みながら大亀へと降下する。
一瞬、私の顔と海面をヴァジェが生んだ炎が赤々と照らし、私が炎の輝きにかすかに目を細める先でヴァジェの姿が変わる。
 重厚さを感じさせる鱗に包まれたヴァジェの巨躯を包んでいた炎が消えた時、瑠禹からやや離れた位置に素足を降ろしたのは、長身美駆の褐色の肌に血の色にも似た深い紅色の髪を持つ妙齢の美女へと姿を変えたヴァジェであった。
 瑠禹が気品ある清楚さを持った穢してはならない神聖さを纏う美少女であるなら、ヴァジェは躍動する生命の力強さと深紅竜が身の内に宿す炎の魔力と猛々しさを、擬人化した様な印象を与える。

 ヴァジェの皮膚が変じたであろうややピンクがかった布は、大きくせりだした乳房にぱんぱんに張りつめられて乳房の谷間と下の部分を露出したわずかな面積の胸着と、大きなくびれの下にある肉付きの豊かな艶かな腰回りを覆うきりで、ほとんど足の付け根までを剥き出しにした大胆を越えて破廉恥な品だ。
 慎ましく窪んだ小さな臍や足の付け根のすぐ下や鎖骨から肩にかけてまでを大胆に露出し、肘と膝から先は竜の四肢に近く、かろうじて人間のものと見えるシルエットだが、五指は太く節くれだって鋭い爪を生やし、指先から二の腕と太ももの外側には肌に溶けるように深紅色の鱗で覆われている。
 背と尻からは大きさを縮小しただけの翼と尻尾が生え、ヴァジェのブレスを思わせる紅蓮の髪は毛先を緩く巻きながら、私の手にはあり余る大きな尻肉に届くまで伸びていた。
 潮風にそよぐ紅蓮の髪からは竜の姿の時と同じ角が鋭く飛び出し、末端に向かって尖るエルフのものに似た耳が人間と同じ位置で、紅蓮の巻き毛の中から飛び出している。
 縦にすぼまった瞳孔を持つ深紅色の瞳は変わらぬ猛々しさを残し、眦は刃で切られたかのように鋭く、すっきりと筋の通った鼻梁や血の紅を塗った様に紅い唇は、どれも挑戦的な形をしている。

 瑠禹とはまるで正反対の魅惑的な体つきと肌の下から溢れんばかりの生命力を辺りに撒き散らす、妖艶でそれ以上に苛烈な性分をなによりも外見で主張する美女であった。
 竜人と龍人に姿を変えたヴァジェと瑠禹は、お互いを憎い親の敵とでも思っているのか、一瞬睨み合ったかと思えば、首の骨が折れそうな勢いでそっぽを向き合う。
 本当に相性が悪いな、この二人。ヴァジェを連れて来たのは失敗だったろうかと私は遅まきながら思い至った。殺し合いを始めないだけましか。
 二人の相性はともかく変化は問題なく終わった以上、残るは私である。竜の分身体は問題なく作れるようになった私だが、さて分身体を人間の姿に変える方はどうだろうか。
 人間に変化と言っても、私が出来そうなのは本体である私の十歳の肉体を模倣する事である。ヴァジェと瑠禹は私の事をさして年齢の変わらぬ相手と考えているようだから、十歳の姿を見せたらさぞや驚くことだろう。

 甲羅の上に立つ二人が私をせかすような視線を送っていたので、私はどんな反応をされるやらと思いながら、分身体を構成する魔力と元素に働きかけて形状を人間のものに変える。
 瑠禹とヴァジェを真似る様にして空中で私の体は無数の光の粒へと変換され、甲羅の上で改めて集束し新たな形に変わる。
 同年代の子供らよりはやや背が高く、黒い髪に青い目とよく日焼けした肌を持った農民の子供に。顔立ちはまあそこそこ良いらしい。
 人間の姿に変わったことを確認した私がふむ、といつもの癖を零して左右のヴァジェと瑠禹に視線を巡らせると、おおむね予想した通りの表情を浮かべて私の姿を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見ている。
 いくら見られても姿は変わらんのだがなあ。
 例え人間の姿であっても中身まで拘らず、外見だけを人間にするのなら動かしても問題はない。私は無言の二人の間を縫って歩き、家屋の戸に手をかける。
 高さ三・五メルほどの高さの巨大な翡翠の板から彫刻した扉は、感嘆の吐息を誘う芸術品そのものであった。私は扉に手をかけて、いまだぽかんとした顔で私の姿を見ているヴァジェと瑠禹に声をかける。

「入らんのか? 亀が潜れぬぞ」

 私の声に正気を取り戻した二人は慌てて私に続いて家屋の中へと足を踏み入れる。中は見慣れぬ東洋様式らしく、墨だけで描いた掛け軸や奇妙に見える形状の花瓶などが置かれ、中央には六人ほどが席に着ける大きさの、巨大な珊瑚を加工したらしい円卓がある。
 黄金の香炉からは白い煙が立ち上り、家屋の中に潮の香りではなくかすかに甘みの混じる匂いが立ち込めている。
 円卓の傍らには茶器が置かれたワゴンが置かれていた。客人の咽喉を潤す為の品であろう。

「ふむ、空間を操作して広くしてあるな。実質広さは無限にも等しいか。なかなか高度な竜語魔法を施してあるようではないか」

「あ、はい。まだ地上に真龍様達が残っていらっしゃった時代に竜語魔法を用いて建てられたものです。どうぞお掛けください。すぐにお茶の用意をいたします」

 まだ私の変化した姿に対する困惑は残っている様だが、瑠禹はワゴンに近づいて三つの白磁の茶碗に、同じく白磁に珊瑚の絵が描かれた急須から琥珀色の液体を注いでいった。
 新たに立ち込めた香りの良さに、茶の味に期待を寄せながら私が円卓の椅子に腰かけると、対面に座ったヴァジェがまじまじと私の顔を見つめながら口を開く。
 なお椅子は龍人の着席を前提としているようで、腰掛ける部分と背もたれの間に広く空間が取られ、尻尾はそこから垂らすようであった。

「お前のその姿は一体何の悪ふざけだ。お前はそこまで幼くはないだろう。少なくとも私かそこの青龍と同じ程度には年を経ている筈ではないか」

 私とヴァジェの前に茶を置く作業を行っていた瑠禹も不服ながらヴァジェと同じ疑問を抱いているようで、椅子に腰かけた私をちらちらと見ている。そこまで気になるものかね?
 心地よい香りを立ち昇らせる茶器を手に取り、口に運びながら私は二人の疑問に解答を与えた。

「二人にはまだ伝えていなかったが、ここで茶を啜っている私は本体ではない。私の魔力と大気中のマナ、元素界から抽出した元素を用いて作った分身体だ。このように飲食もできるし、話もできるがね」

 二人がかすかに息を飲んだ。上位種深紅竜、青龍の貴種である二人にひけを取らぬどころから明らかに上回る力を持つ私が、分身に過ぎないと知れば驚きもしよう。二人の中では、本体の私がどれほどの力の主なのかと疑問が渦巻いていることだろう。

「あの、ではドラン様のそのお姿は一体どういう事なのでしょうか。よもや本来のドラン様がまだ子竜であるなどということは……」

 ふむ、同胞が相手であるし、セリナ達に対してもまだ伝えていない事情をある程度伝えても構わぬだろうか。口の中に含んだ茶の味と、鼻の奥にすっと広がる芳しい香りに気持ちを落ち着かせて、私は更に口を開く。

「いや、少なくとも瑠禹とヴァジェよりは長く生きておるとも。ただ私は人間に転生した竜なのだよ。前世は竜であったが今生は人間として産まれている。この子供の姿は人間としての私の姿なのだ。
 人間としての年齢は今年で十歳なのでな。現状、私は人間として生きていて、これからもそうするつもりでいる。そなたらと顔を突き合わせていた竜の姿は、前世を懐かしく重い空を飛ぶ自由を満喫する為に作った仮のものなのだよ」

「ではその、ドラン様の魂は間違いなく竜のもので、人間に転生こそすれ、竜としての自覚と御記憶はお持ちなのですね。そしてその御姿はあくまでも人間としてのものであって、竜としては成竜であると」

 瑠禹はよほど私の実年齢が気になるのか、重ねて問いかけてくる。実際には成竜どころではないのだが、私の竜としての真名や姿を教えるわけにも参らぬから曖昧に頷いていた。瑠禹はほっと安堵したようだが、なにか気になる事があったのだろうか? 
 見ればヴァジェも同様に私の年齢が気になっていたようで、腕を組み眉間に寄せていた皺がほぐれて消えている。

「それほど私の年齢が気になるものか? 年上の様に振る舞いながら実際には大きく年下であったなら、確かに気まずくもなるかもしれぬが……」

「あ、いえ、その、何と申しましょうか、ドラン様はとても落ち着かれた物腰の方ですし、ずっとこれまでわたくしよりも年上の方であると思いこんでいたものですから」

「まったく、驚かせるな。私より強い竜がガキなどとふざけた話だ」

 解せぬ。
 私が思う以上に私が年下である事は瑠禹とヴァジェに都合が悪いらしい。竜の格によっては老竜が子竜に敵わぬこともあるから、必ずしも年齢が竜の能力の優劣を決めるわけではあるまいに。
 私の実年齢問題は、私が人間に転生した竜であり瑠禹に同行しているこの私は分身体である事、人間としてはこの姿通りの年齢だが竜としては瑠禹達よりも年上である事を説明して取り敢えず決着を見た。
 私達はそれから玻璃を嵌めこんだ窓の向こうに見える海の風景を楽しみながら、話をして新しい茶を貰って咽喉を潤しながら、龍宮城に着くまでの時を楽しんだ。もっともヴァジェは黙って茶を飲むきりで終始黙り込んでいたが。

 厳重に竜語魔法による保護が施された家屋には海水が入り込む事も、水圧に軋む事もなく、潜水による振動や気温の低下などもなく、快適な空間が維持されていた。
 時間が経つにつれて深度が深まり、陽光が届かぬ事で窓の外に広がる光景はどんどんと暗くなり、時折発光性の深海生物の姿が薄ぼんやりと見えるばかりである。
 だが外の海の風景が暗闇に沈み始めてからそう時間を立たぬうちに、急激に窓の外の光景に光が溢れ、大亀の潜航速度が急激に緩められるのを感じる。どうやら龍宮城まであとわずかと言った所の様である。
 席を立ち四角い窓に顔を寄せて明るさを増した外を見ると、王国や近隣の諸国とはまるで様式の異なる巨大な城郭が、大亀の向かう先に建てられている。
 海底の鉱物を用いて積み上げられた城壁は左右の端が暗い深海の果てに消えて見えず、この家屋の様な瓦屋根が用いられ、まるで地上のエンテの森を連想させる巨大な珊瑚の森が城郭の中に広がり、黄金や銀、翡翠や瑪瑙などで建てられた巨大な家屋の連なりが見えて、その果てもまた城壁同様に見ることはできない。
 地上のいかなる人間国家にも再現不可能と思えるほど、膨大な貴金属と資材とそして悠久の時を用いて建立された、途方もなく巨大で荘厳な海に住まう者達の城、それが龍宮城であった。
 海底の暗闇を煌々と照らしだす灯りの強さと、それ以上に冷たく暗い海底の圧力を越えて私の肌を打つ力が渦巻いている。瑠禹もそれを感じており、椅子の上から立ち上がると私達を振り返る。

「龍宮城に着きましたようでございます。申し訳ない事ではありますが、公的なお客様ではありませんので、正門からではなく私的なお客さまをお迎えする裏口からの入城となります。なにとぞお許しくださいませ」

「頭を下げられるような事ではない。このような機会にでも恵まれなければ龍宮城を訪れるような事はなかっただろうし、私もヴァジェを同行させる我儘を聞いてもらっておるからな」

 空になった茶器を戻して瑠禹の案内に着いて行く形で、私達は大亀の甲羅に建てられた家屋から外に出る。家屋の中に籠っていた甘い香りに変わって、家屋の外にはかすかに潮の香りを含んだ爽快な空気が満ちていた。
 見上げるほど巨大な建物の中に海水が引き込まれ、そこを通じて大亀は龍宮城の内外を出入りしているのだろう。家屋の外に出た私は大亀の周囲が真っ白い石畳みと白い壁、見上げるほど巨大な珊瑚が柱の代わりになっている船着き場の様な場所であった。
 辺りを見れば私達が乗ってきた大亀と同じ種類の大亀や豪奢な金縁の飾りや水晶板による補強が施された巨大な船が、何艘も舫われている。
大亀の甲羅に船着き場の方から、朱塗りの桟橋が掛けられた。誰も操っている様子はなく、ひとりでに動く仕掛けになっているのだろう。
 見れば石畳みの上に来客用の品であろう、緋色の金糸銀糸による絢爛豪華な刺繍が施された絨毯が敷かれている。

 大亀の甲羅の上と桟橋を進む瑠禹に従い、私は相変わらず不承不承と言った顔をしているヴァジェと連れだって船着き場一つとっても広大な龍宮城へと降り立つ。
 くるぶしまで沈み込みそうな絨毯の感覚には、いまひとつ慣れないが悪くはない。
 白い大理石と透き通った水晶で出来た壁には、轟々と炎を燃やす黄金の燭台が一定間隔で配置され、水晶と黄金を惜しげもなく使い、私の拳ほどもある無数のダイヤモンドで造られた巨大なシャンデリアと共に、龍宮城の中から薄闇を払拭する光源となっている。
 シャンデリアひとつだけでベルン村をいったいいくつ買う事が出来るだろうか。古代から財を蓄えた無数の竜と海に住まう者達が力を結集した成果と考えれば、そう不思議なものではないだろうか。

 絨毯の脇には瑠禹と同じ東方風の着物と、周囲の灯りが透けて見えるほど薄い羽衣を纏った龍人や人魚達が列を作って腰を曲げ、頭を下げて私達を迎えている。
 龍人達は瑠禹と同じように角や耳、尻尾が龍である者達で、人魚は下半身が皆一様に魚であったが、中には二股に分かれている者、耳が人間と同じ形をしている者、魚の鰭状になっている者と大なり小なり外見に差異があった。

「公主様のお客様をお連れいたしました。ドラン様とヴァジェ様です。皆、失礼の無きように」

「はい、巫女様」

 巫女ともなれば龍宮城の中でも地位は高いらしく、女官達が瑠禹に応じる声には紛れもない敬意が強く聞きとれる。
 私に見せる子供らしさを払拭し、女官達からの敬意を受けるのに相応しい巫女らしい態度を取る瑠禹の姿に、私は孫娘の成長した姿に感心する祖父の様な気分であった。ま、外見が十歳の子供では似つかわしくないことこの上ないが。
 ふと私はやや後ろを歩くヴァジェが異様に大人しい事に気付き、少々顔色の悪い褐色の肌を持った美女に声をかけた。

「どうした、やはり海の中では調子が出ぬか」

「お前はどうしてそんなケロッとした顔をしていられる。静かで穏やかだがこれほどまでに強大な力が渦巻いておると言うのに。とと様とかか様でさえ及ばぬぞ、これは」

 どうやらヴァジェは龍宮城の中に渦巻いている龍吉公主やその他の竜達の力の影響を受けて顔色を悪くしているが、それよりも私はヴァジェの口にした言葉に少々耳を疑った。

「ふむ? とと様にかか様か。ヴァジェよ、そなたは父御と母御をその様に呼ぶのか」

 つい口元がヴァジェをからかうように笑っていたのは不可抗力である。ヴァジェはつい漏らしてしまった失言に気付き、はっと顔を強張らせて深紅色の瞳で私を睨みつける。瞳の中には怒りと羞恥が燃えていた。

「き、貴様、今耳にした事はわ、忘れろ。いいな!?」

 興奮のあまり言葉を震わせるヴァジェに、私は真摯な顔を作って頷く。うむ、しっかりと憶えておこう。

「それにしてもそなたのその反応、ここに連れて来た甲斐が早速あったということであるかな。よしよし、その調子でもう少し性格を丸くしような」

「お前は私のあに様かとと様か」

「また“とと様”と言っておるぞ。父母には可愛がられて育ったと見える」

 私の言い草がよほど気に入らなかったようで、ヴァジェはこめかみに青筋を浮かべて私を睨み殺さんばかりの視線をぶつけてくるが、私はさらりと流す。これ位の殺気は竜であった頃に神々から浴びせられたものと比べれば、どうということはない。

「ほれ、瑠禹が待っておる。さっさと行くぞ」

 私とヴァジェのやり取りが長くなるのかと心配そうに見ている瑠禹を顎で示し、私は竜の牙を露わにして歯を剥くヴァジェの前を歩く。口の端から燐光の様に火を噴き零すヴァジェの性格は、なかなか矯正できそうにないなと私は小さく嘆息した。
 瑠禹を先頭に私とヴァジェが続き、その両脇に女官達がしずしずと列を成して追従している。
 男の影は見えぬがこの女官達が、世話役と護衛と私達に対する監視も兼ねていると言ったところか。龍吉公主の膝元である龍宮城に勤めているのだ。見た目通りの細腕の女官と言う事はあるまい。
 人魚、魚人も厳選された力を持つ女戦士であり、龍の女官に至っては改めて語るまでもあるまい。貴種である瑠禹ほどではないにせよ、それなりに強力な龍族であることには変わりない。

 現在地上に残っている人間種や亜人勢力では、この龍宮城を落とせる者達はいそうにない。ある程度位階の高い魔神や悪魔でも、本体が実体化しなければこれは随分と手古摺るだろう。
 瑠禹の道案内に従い、爆音を轟かせる滝や大渦の上に渡された黄金で出来た橋、一枚一枚が恐ろしく巨大な翡翠を重ね合わせて作った階段、薄紫色の水晶を削りだし精緻な細工を彫り込んだアーチなどを潜り、龍宮城の中を進む。
 予め私達の進路は通達してあったのだろう。案内役の瑠禹と女官を覗いた龍宮城の住人達の姿は、影さえも見る事はない。あくまで私的な客人として招いている以上、余計な物を見せるわけにも行かんのだろう。
 ただ私やヴァジェは城内に無数の水場どころか激流や大河、湖に滝が巨大な規模で流れている事に意識を惹かれ、また龍宮城を構成する金銀などの貴金属や宝石の数々に竜としての本能を刺激されていて、すっかり内部の見学に夢中になっていた。
 大陸中の人間国家の財宝を集めても、とうていこの龍宮城の足元にも及ぶまい。壺の一つでいいから土産にくれないものかと、私は半ば本気で考えたものである。

 どれほど龍宮城の中を歩いたものか、やがて瑠禹は巨大な板状の黒曜石に黄金の龍の細工が板金された扉の前で足を止めた。黄金の指は五本。
 最も貴い血統を持つ龍のみが持つ指の数であり、例え装飾品であっても五本指の龍があしらわれたものを所有できるのは、やはり同じように王に連なる者のみ。
 扉の奥にこの龍宮城の主たる龍吉公主が居るのだろう。扉の向こうから感じられる魔力に当てられてか、ヴァジェが酷く緊張した様子で生唾を飲み込む音がいやに大きく聞こえた。
 ふむ、確かにヴァジェや瑠禹よりは強力だが、それほど実を強張らせる事もあるまいに。流石に古龍とはいえ仮にも古神竜であった私からすれば、驚くほど力を退化させた子孫に過ぎないから、ヴァジェの様に龍吉公主の力を感じてもこんなものかとつい感じてしまう。

「公主様。巫女の瑠禹でございます。ドラン様とお連れの方をお連れいたしました」

 護衛らしい武官の影もない扉の向こうに瑠禹が恭しく頭を垂れて口上を述べると、そう間をおかずに扉の向こうから、音楽神の眷族が爪弾く調べの様に美しい声が返って来た。

「御苦労さまです、瑠禹。お客様と一緒に御案内なさい」

「はい」

 瑠禹は顔を伏せたまま扉を押し開き、室内に一歩を踏み入れる。特に礼儀に関しては詳しい事は聞いておらず、あくまで私的な客であるから多少の無作法は許してくれるそうだが、さてどこまで気を張ればよいのやら。
 ここに至るまで私達の左右に列を成していた女官たちは部屋の外で足を止め、顔を伏せたまま進む瑠禹の数歩後ろを私とヴァジェは歩いて室内に足を進める。
 黄色や桃色、青色にうっすらと染色された薄絹の紗幕が天井から下げられ、赤水晶が敷き詰められた床を歩く音を立てながら進んだ私達は、部屋の奥で朱塗りの象牙から彫琢した円卓と、珊瑚を加工した椅子に腰かけた龍人の美女の前に辿りついた。
 金細工の施された漆塗りの長櫃、箪笥、薄紫色の煙を芳香と共に立ち昇らせる黄金の香炉と、三十畳はゆうにある部屋の中の調度品は、そのどれもが王都の大貴族もおそらく眼を剥く値段もつけられない貴重品ばかりであろう。
 そして部屋の主たる龍人の姿を取った美女、龍吉公主は壮麗かつ華美な部屋の主に相応しい。

 膝まで届く豊かな黒髪は壁際で赤い火を灯す燭台の明りを煌々と照らしだし、青い水晶細工の簪を用いて後頭部で結われてから、龍吉公主の肩や背に沿って黒い流れとなって伸びている。
 人間の成人女性とさして変わらぬ体躯は縞絹の単衣の上に、白、青とそれぞれ染色され金糸と銀糸をふんだんに用いた鳳凰や龍、亀といった霊獣の刺繍が施され、繊維状に紡がれた宝石類が惜しげもなく使われた衣を重ねている。
 美女を例えるに絵に描いた様な、というものがあるが龍吉公主は絵にも描けず絵師が自身の非才に筆を折る他ない美女である。目鼻顔立ちの妙をどう言葉にすれば良いか、私の乏しい語彙では表せそうになかった。
 これは龍の姿に変わっても相当な美龍であろう。
 龍吉公主は私達に向かってにっこりと、友愛の情がたっぷりと込められている事が見て取れる笑みを向ける。この場合私達の方から話しかけるのが礼儀か、それとも話しかけられるのを待つのが礼儀か?

「皆さま、突然の招きに快く応じてくださり、お礼申し上げます。私が当龍宮城の主、龍吉公主と申す者。長い道行きにお疲れの事でしょう。どうぞおかけになって」

 席から立ち上がり、着席を進める公主に従い私達は円卓の席に着いた。ヴァジェは実際に目の当たりにした古龍屈指の実力者の、柔らかな態度にどう反応すればよいかさっぱりと分からずに困惑していたが、私がさっさと椅子に座ったのを見て慌てて自分も席に着いた。
 龍吉公主を前にいつもと変わらぬ私の態度に、ヴァジェと瑠禹ははたしてどんな感想を抱くことだろうか。

「私はドラン。この度は高名なる龍吉公主御自らのお招きに預かり光栄の至り。田舎ものゆえ無作法もあろうが、お許し願いたい。それでこちらはモレス山脈に住まう深紅竜のヴァジェ。龍宮城や公主への拝謁の栄に預かれれば、と同道させた次第。なにとぞお目零しを」

 あまり敬語を使った事がないので正しい使用法かどうかはまるで自信はないが、 こちらが作法とはとんとと縁のない素性の主である事を知っていれば、いちいち目くじらを立てるような狭量な相手でもあるまい。
 ヴァジェは回廊での私に対する態度はどこへやら、すっかりかちこちに固まった様子で、ぎぎぎ、と錆びついた蝶番の軋む音が聞こえてきそうな硬い動作で頭を下げて会釈した。
 回廊にも満ちていた龍吉公主の力を直に対面したことでより直接的に感じ取り、彼我の実力差を明確に理解して萎縮しているらしい。流石にこれだけやればヴァジェの性格も少しは角が取れるだろうか。

「この龍宮城に深紅竜の方に限らず火属の同胞が足を踏み入れること珍しい事。歓迎こそすれ眉根を寄せる必要はないでしょう。瑠禹、貴女もおかけなさい。今お茶を淹れましょう」

 龍吉公主手ずから茶を淹れるのを瑠禹は止めなかった。王侯貴族なら使用人に任せる事を自分でするのが公主であるらしい。大亀の背中の家屋に用意されていた茶器よりもさらに上等で、使われる茶葉の香りも天界にのみ頒布しているものに近い。
 地上ではこれ以上上等な代物を望むのはおそらく不可能だろう。
 龍吉公主手ずから淹れた黄色みがかった茶を一口含めばたちまち体中に爽快な気が満ち溢れて、体内の毒素が浄化される――といっても分身体の私には毒素など元からないが。紛れもなく神代の品であろう。

「ドラン殿、瑠禹からは良く話を伺っておりますよ。大変良くして頂いているとか。ただ聞いていたよりも随分と幼い外見ですけれど。ですが貴方の魂はあくまでも竜のものですね?」

「ふむ、流石に察しの良い方だ。瑠禹らには伝えてあるが私は人間に転生した竜。現在は人間として生を得ておる」

 不遜ともとれる私の物言いにも、龍吉公主や瑠禹が柳眉を逆立てる事はなかった。どうにも他の竜にかしづかれることはあっても、私の方が膝を折った事はないから目上の相手に対する態度というものがいまひとつ分からんな。
 ヴァジェは龍吉公主を前にしているとは思えぬ態度を取る私に、目を白黒させていたが少しは私を見直してくれるいいがな。にこやかな龍吉公主と私を中心に話をしていると、外で待機していた女官達が鈴を鳴らす。

「あら、どうやら用意が整ったようですね。別室でささやかではありますが歓迎の宴をご用意させて頂いております。どうぞそちらへ。女官達がご案内いたします。瑠禹、お願いしますよ」

「はい、公主様」

「ヴァジェさん、どうぞお楽しみくださいな。ところでドラン殿、貴方には少々お話がありますので、残って頂けますか」

「承知した。ヴァジェ、私がおらんでは心細かろうが、先に行っていなさい」

「う、うむ。先に行っている」

 いつもなら保護者の様な言葉をかける私に怒りを露わにするヴァジェだが、すっかり龍吉公主に飲まれて借りてきた子猫の様に大人しい。これはなかなか面白いものが見れたものだ。
 公主の命を受けた瑠禹がヴァジェを案内して扉の外に連れ出し、別の部屋へ案内をするのを見届けてから、私は改めて公主を振り返る。
 瑠禹とヴァジェが姿を消す否や、私の視線の先で公主は椅子を降り、床に膝と指を突いて頭を垂れる。

「無礼の数々、なにとぞご容赦くださいませ。最も貴き竜たる御方」

「ふむ。その物言いでは私の素性の細かい所まで察しがついているか。無礼などは気にせずに良いから面を上げよ。公主がこの城の主であり、私はあくまでも招かれた氏素性の知れぬ野良の転生竜に過ぎぬ」

 龍吉公主の手を取り立ちあがらせて椅子に座れ、私は苦笑を刻みながら言った。龍吉公主はそれまでの穏やかな雰囲気を取り払い、公主を前にしたヴァジェ以上に緊張と畏怖に身を強張らせている。

「いつ私が“私”であると気付いたのだ。瑠禹には前世での名を告げてはいないし、姿も変えているのだが」

「私も貴方様を前にするまでは気付きませんでした。瑠禹より伝え聞いた幼き日の話から、あの場におられた方々のどなたかではと思ってはおりましたが、直接お目に掛りその魂の輝きと眼差し、力の胎動にあの日の事を鮮明に思い出し、よもやと思い至ったのでございます。我ら龍と竜族全ての頂きに座する貴方様の事を」

「そうか。だがいまの私は人間よ。たまたま竜の分身体を作り瑠禹とヴァジェとの間に縁を結ぶ事にはなったが、再び古神竜として世に姿を現すつもりは毛頭ないのでな。そこの所の事情は考慮してもらえるとありがたい」

「貴方様のご意向に背く事は致しませぬ」

「では二人きりの時はともかく余人の眼がある時は先ほどの様に、そなたを目上のものとして対するが構わんな? 私のこともドランと呼ぶようにな」

 龍吉公主は随分と戸惑ったらしく、口籠って見せた。

「それは、ですが、いえ、貴方様のお望みとあればそのように致します」

「素直でよろしい。さてせっかく二人きりなのだし、少し話をしてから行くのもよかろう。龍吉公主よ、あの瑠禹はお主の娘であろう」

「……よくお分かりになりましたね」

「目元と雰囲気が似ている。瑠禹はそなたに仕える家系に産まれたと言っていたが、外の世界を巡るにあたって公主の血縁と分かれば、要らぬ諍いを招きもしよう。それを未然に防ぐためか?」

 龍吉公主は私を相手に隠しだてはできそうにないと諦めたのか、困った様な笑みを浮かべる。それはとても魅力的な笑みで、人間の肉体から解き放たれて肉欲とは縁遠い今の私でも、おもわず眼を惹かれる笑みだった。

「左様でございます。愚かな女の浅知恵とお笑いください。瑠禹は私と今は亡き良人との間に産まれた一人娘でございます。一通りの手仕事と武芸は仕込んでおりますが、どうしても母として良人の忘れ形見でもあるあの娘を甘やかして育ててしまいました。
 例え私の娘といえども、掟に従い外の世界に出さなければなりません。外の世界に出た時私の娘であると知られれば、余計な色眼鏡で見られる事もありましょう。悪意というものを全く知らずに育ったあの娘では、力を悪用される危険性も小さくはありません。せめてそれを避ける為に私が瑠禹に言い聞かせました」

「ふむ、母心か」

「はい。ドラン様、もしよろしければ瑠禹に外の世界の事を教えてやってはいただけませんでしょうか。本来であれば私などが拝謁する事も許されぬ高貴なる御方に、頭を垂れても口にできるようなことではないのは百も承知しております。ですがどうかこの母の心を汲んではいただけませんでしょうか」

 椅子から立ち上がり再びその場に膝を折ろうとする龍吉公主の手を取って止めさせ、私は黒瑪瑙を思わせる龍吉公主の瞳をまっすぐに見つめる。

「私などで良ければ瑠禹の面倒は喜んで引き受けよう。ただ私もそう世間に詳しくはないぞ。人間に生まれ変わって十年余りを過ごしたが、産まれた村の外へあまり出た事がないのだ。それでもよければ、だが」

「ありがとうございます。貴方様の庇護受けられるのなら、娘を安心して外の世界に送り出す事が出来ます」

 そう言って龍吉公主はそこに光が灯ったかのような明るく美しい笑みを浮かべた。
 龍吉公主から娘である瑠禹の事を任されて話を一区切りさせた私と龍吉公主は、そろそろ瑠禹とヴァジェの待つ別室へ向う為に、龍吉公主の私室から回廊へと出た。
 私の態度が身分を気にしないのと瑠禹の事を快諾した事で気が解れた龍吉公主は、しきりにまだ地上に真竜や龍神が残っていた昔の事を、道すがら私に話しかけて来た。
 いまでは古龍の最古参格になった龍吉公主にとって、自分よりも格が高く古い話をできる私の様な存在は希少なのであろう。

「近頃では他の龍王たちともあまり話をする機会もなく、ドラン様のように昔語りをする事の出来る相手も減ってしまい、寂しくなってしまいました」

「ふむ、私が竜であった頃でもそうだったからな。いまでは更に数を減らしていよう。亜竜や瑠禹、ヴァジェの様な若い竜はいるかもしれんがすっかり古代の竜の力は絶えてしまったか。瑠禹に流れる古龍の血も半分ほどであろう。父親は青龍か蒼波龍(そうはりゅう)であったのかな?」

「はい。私の亡き良人(おっと)は蒼波龍の老龍でした。古代に召喚された高位の海魔との戦いで命を落とし、私のお腹の中に瑠禹の卵を残してこの世を去ってしまいました」

「そうか、辛い事を聞いてしまったな。だがなるほど、瑠禹が私に良く懐いてくれる理由が一つ分かった気がする。瑠禹は私に兄か父を見ておるのだろうな。それでは私がこの様な子供の姿を取っては驚くのも無理はない」

「あの子がドラン様に父の姿を。そうかもしれませんね。私の周りには人魚や龍の女官ばかり。殿方にしてもあくまで臣下の態度を取る武官や文官ばかりですから、ドラン様のお取りになられた態度は、あの娘にとって新鮮なものと映ったのでしょう」

 産まれる前に父親を亡くし、周りにも父親代わりになる男もいなかった事で私という存在がひどく新鮮に感じられたというわけか。なるほど、な。ならこれからは出来るだけその様に振る舞う方が、瑠禹は喜ぶだろう。
 龍吉公主の案内に任せて回廊を進むと、私達を迎えに来た女官達が左右の壁際にずらりと並んで待っている一角に到着し、海底に根を張る水棲の世界樹の幹から削りだした扉がひとりでに開いてその奥に私達を招く。
 あくまで親しい私的な客人をもてなす為の部屋だそうで、中はそう広くはなく一度に四、五人ほどが料理を囲むのに適した大きさの円卓が、豪奢な調度品に囲まれた部屋の中央に置かれ、先に向かっていた瑠禹とヴァジェが席に着いていた。
 ヴァジェは私の顔を見てほっと安堵し、瑠禹もまた母であり主でもある龍吉公主と私の姿に、引き締めていた口元をほころばせる。
 給仕を行う女官が控えているとはいえ、この二人では話が弾むどころか沈む一方だったろう。円卓の上座に龍吉公主が座り私が残っていた最後の席に座る。龍吉公主は私が上座を辞した事に随分とごねたが、これは私が押し通した。

「さて、お待たせしてしまいましたね。さあ、ヴァジェさん、ドラン殿、海の妙味珍味をご用意いたしました。龍宮城以外では滅多に出回らぬものです。ご存分に堪能して下さいな」

 食堂に控えていた給仕役の女官達が手押し車を押し、円卓の上に所狭しと私が見た事もない食材の数々を使った、どうやって食べればいいのかもわからない料理が並ぶ。
 精緻な飾り切りが施された蒸し野菜の数々に、食欲をそそる刺激臭を放つ、挽肉や白い固形物を具としたとろみのあるスープのようなもの、頭がついたまま揚げられた魚や、姿をそのまま残して白い身を切り分けられた魚もいる。
 酒精の匂いを漂わす蒸した貝類、魚介のすり身を団子状にしたのやら、私が人間として生涯を送る限りでは、到底縁のなさそうな豪華な料理ばかりである。というか豪華そうとしか分からない。
 主である龍吉公主の許しが出た以上、私が手を伸ばすのに躊躇する理由はない。龍吉公主と瑠禹の手元には二本の細長い棒が置かれていたが、私とヴァジェの手元には純銀の匙やフォークが置かれている。
 本来ならあの棒を使って食事をするのだろうが、不慣れな私達を気遣って匙を用意してくれたのだろう。
 ヴァジェは匙――スプーンさえ使った事があるか怪しいものだったが、緊張したままなりになんとか食事を進める事が出来ている様だった。
 恙無く食事が進む中、不意に龍吉公主が私に水を向けて来た。

「時にドラン殿、貴方は人間として生まれ変わった竜であるとか。人間として、あるいは竜として好いた方はおられるのですか?」

 なぜか場の空気がぴたりと静止した気がした。瑠禹の端を握る手が止まり、慣れぬスプーンに苦戦しながらも口に魚肉団子を運んでいたヴァジェも、手の動きを止めて私に視線を向ける。
 ふむ、まあ正直に答えておくか。

「成人したら正式に夫婦になる予定の人間の女性が三人。種族が違うから人間社会の法では認知されぬが、事実上の夫婦になる予定の魔物の女性が三名。都合六名が私の心に決めた女性だな。人間に生まれ変わってから私はどうも気の多い性格になった様でね、場合によってはこれからも私が妻にと望む相手が増えるかもしれん。女性からすればどうしようもない破廉恥漢だろうな」

 私の答えは予想を外したようで、龍吉公主は困った顔で小首を傾げて愛娘の顔色を伺う。瑠禹はひどく衝撃を受けた様で眼を見張り、私の顔をまじまじと見ていた。私に兄か父の姿を重ねているのだろう瑠禹にとっては、辛い話だったかもしれん。

「それは、申し上げにくい事ではありますね。ドラン殿の器量であれば複数の女性を妻にしてもおかしくはありませんが……」

「強欲な性分に変わってしまっていてね、前世の時と比べるとまるで別人だと我ながらに思う」

 龍吉公主にそう答えてから、私は長さ一メルほどの蟹の足を折って殻の中に詰まっていた身にむしゃぶりついた。しかし蟹を食べると無言になるのはなぜだろうか。
ヴァジェと瑠禹から寄せられる視線は痛みを感じるほど強いものであったが、それを紛らわせるために私は蟹の殻を剥き続けた。
 私が将来妻とする予定の女性の話になってから、微妙に不穏な空気がその場に流れたが取り敢えず食事はそのまま進み、最後に食後のお茶を頂いてから私達は龍宮城を後にする運びとなった。
 一泊二泊はしてもよかったかもしれんが、あまり居心地が良すぎてそのままずるずると長居してしまいそうなので、私は来た時と同じように船着き場の大亀の所へとヴァジェと共に向かった。
 土産として山ほどの金銀財宝が詰め込まれた小箱を渡され、見送りには瑠禹と龍吉公主が来てくれた。小箱には大亀の背中の家屋と同じ内部の空間を拡張させる魔法が施されていて、重量も小箱のものだけしか感じられない品であった。

「あまり大した御持て成しもできず、申し訳ありませんでした。ドラン殿、ヴァジェさん」

「い、いえ、そのようなことは」

 軽く頭を下げて告げる龍吉公主に、ヴァジェはうろたえた様に慌てて首を横に振るう。ふうむ、どうやら思った以上に薬が効いているらしい。これならヴァジェでも将来番いとなる雄の相手を見つけられるだろう。

「ヴァジェよ、まだそんなに緊張しておるのか。公主殿が瑣末な事を気にする様な狭量な方でないことくらい、もう十分に分かっていように。お前とて最低限の礼儀は弁えておったし、もそっと肩の力を抜いて御招きいただきありがとうございました、位言えば良かろう」

「……貴様は本当にどういう神経をしているのだ? 十二大龍王を前にしているのに、どうしたらそんな態度が取れる」

「自然体で居るだけだ」

 ふむ、と胸を張る私がよほど理解しがたいようでヴァジェは力なく首を左右に振り、この女竜には珍しい疲れ切った溜息を零した。龍吉公主はそんな私とヴァジェの様子を見てくすりと品よく小さな笑みを零す。
 龍吉公主の傍らに控えていた瑠禹がおずおずと前に踏み出し、私の顔を見つめながら言った。

「ドラン様、わたくしが外の世界に旅立つ時には何かと頼りにさせて頂く事も多かろうと存じます。御迷惑とは思いますが、どうかよろしくお願いいたします」

「なに、公主殿からもよしなにとお願いされておるのでな。可愛い瑠禹の面倒くらいはいくらでも見ようさ」

「まあ、可愛いなどとその様な事は口になさらないでくださいまし。わたくし、照れてしまいます」

「ふふ、瑠禹がこうもドラン殿に懐くとはこの龍吉も驚いております。ドラン殿、重ねて瑠禹の事をよろしくお願いしますね」

「ああ。微力を尽くすとも」

 そして私達は龍宮城に来た時とは逆の順序を踏んで、海底に聳える巨大な城郭を後にしたのだった。
 大亀の家屋の中ではヴァジェは終始無言で手慰みに小箱をいじるきりだったが、海上に出て満天の星空の下でお互いに竜の姿に戻り、再び半日をかけていつも私と出会う空域に辿りつき、別れようとした時、私を呼びとめた。
 殺気を伴わずにヴァジェが私に呼び掛けてくるのは珍しいから、さっそく龍吉公主と対面させて、鼻面をへし折った効果が出たのだろうかと私は密かに期待した。

「ドラン、お前は、なんだ、その」

「その様に口籠るとは珍しい。なんぞ尋ね難き事でもあるのか?」

 我儘なほど実り豊かに育った美女から、本来の深紅の鱗を纏う竜に姿を戻したヴァジェは、もごもごと口を動かすばかりではっきりとした物言いをしない。

「うぅむ、お前、つが、番い、をだな、その……。ええい、面倒な。何でもないわ。次あった時は貴様を地べたに這い蹲らせてくれる。龍吉公主様に拝謁が叶った事は感謝してやらんでもないが、貴様との戦いは別なのだからな! 私は巣に帰って寝る。貴様もさっさと人間の家族共の元へ帰って寝ろ」

 そう言って私が声をかける暇もなくさっさとヴァジェは翼を翻して山脈の方へと飛んでいった。

「解せぬ。何が言いたいのだ、あの娘は? 第一寝ると言っても、昼真っ只中ではないか。ぐうたらな奴め」

 結局ヴァジェはいままでとたいして変わらなかったらしい。まあそれはそれであの娘らしいから、由としておくか。私はそう結論付けてこの白竜の分身体を構成する魔力を、本体へと還元した。

<続>

 話が進まないので文章を簡略化しようかと思う作者です。いささかくどいかもしれないですね。予定の半分しか進まなかった位ですし。

 ヴァジェはゼロ魔のキュルケカラーにしたエクシリアのミラ・マクスウェル、バリボー!
 瑠禹は典型的な黒髪ロング大和撫子控えめボディ巫女さん。
 龍吉公主の外見はフジリュー版封神演義の竜吉公主のイメージです。未亡人です。
 龍吉公主と瑠禹は黒髪ロング美人母娘なのです。あれですね、姉妹丼も素敵ですが親娘ど……げふんげふん、親子丼も美味しいですよね。

 なお青年期まではあまり考えてはいません。精々後一、二年位でひとまず構想は終わっています。
 何年か飛ばしてドランを成長させてもいいかもしれませんが、そう何年も作中で時間が経過する事はないかなあ、というのが現状の予定表です。ヒロインもそろそろ人数の上限ですかねえ。
 ハーピー、アラクネ、スライム、ケンタウロス、ウンディーネ、セルシウス、リザードマン、ワーウルフ、ワーラビット……いろいろと出したいモンスター娘は多いのですけれどもなんともかんとも。
 青年期で制約なしのドラン無双とかもやってみたいんですけどね。


 以下の外伝は本編より多少時間が経った後の話になります。

さようなら竜生 こんにちは人生――外伝 ドライセンの冒険

 ごとごとと音を立てながら車輪が回り、轍の跡を草原に四筋ほど刻みながら、二台の馬車が周囲を醜悪な顔立ちをした緑色の肌を持ったオークに囲まれて、昼下がりの空の下を進んでいる。
 オーク達は成人男性と変わらぬ背丈に筋肉の上に脂肪を纏った体を持ち、肌の色は薄緑、灰色、茶と様々だ。
それぞれが腰に布を巻き革や鉄製の胸当てを身につけ、木板を鉄で補強した盾、錆びの浮いたブロードソードや槍、手斧などで武装している
 顔の中心で横に広い胡坐をかいている鼻、突き出た瞼には眉はなく頭髪も薄い。分厚い唇はべろりとめくれて、黄色く汚れた牙が突きでてだらだらと零れる涎で濡れていた。
 先を行く馬車の二大には太い木の枝を組み合わせて荒縄で縛りあげた簡素な檻が乗せられており、そこには粗末な衣服に身を包んだ村娘や、後ろ手に縄で縛られた冒険者か傭兵らしい女の姿もあった。
 武器は全て奪い取られてもなお抵抗した為に暴行を受けて、顔には殴られた痕が残って青黒い痣を作っている。
 女たちはある隊商の護衛に雇われた冒険者たちと、付き合いのある商人の馬車に乗せてもらった農民の女性たちであった。
 本当なら村で採れた農作物を街で金銭に変えるはずだったのが、行き道にオークの集団に襲われてしまい力及ばずこうして捕らわれてしまったのである。

 オークはエルフやドラゴニアン、リザードなどを除くほぼすべての亜人と交わって、子を成す事の出来る種族である。欲情の対象は同じオークだけに留まらず、人間や獣人、ドワーフやバードマンの女性にもおよぶ。
 こうして馬車の上の檻に捕らわれた八名の女性達に待ち受けているのは、子を孕ませる為と性欲を発散する為の肉袋として扱われ、女と母としての機能を失った後は腹を満たす食料に変わる運命だ。
 オークの習性については良く知られていて、捕まった女性たちの顔には恐怖と絶望と不安の三色が濃厚に浮かびあがっており、冒険者らしい五人の中にはまだ逃げ出す機会を伺う強かさを残している者もいるが、大半は涙で頬を濡らし嗚咽を零している。
 女性たちの啜り声は、周囲を囲むオーク達にとって女たちの開いた股ぐらに腰を打ちつけた時の声を想起させて、にやにやと下半身に直結した欲望が形作る汚らしい笑みを浮かべさせている。

 肉の味も女陰の具合も人間は非常に具合の良い獲物であり、武装した集団の人間は侮れない相手ではあるが、こうしてひとたび捕らえてしまえば、人間の雌などはオーク達にとって格好の欲望のはけ口としてしか映らない。
 隊商を襲った際に護衛であった冒険者たちの果敢な反撃に遭い、半数を取り逃がしオーク達も十数名が戦死したが、女以外にもたっぷりと乗せられていた小麦や燕麦、大麦などの穀物なども手に入り、しばらくは食うに困らないだろう。
 オークの中には既に妄想の中で女たちの穴という穴を侵す妄想に耽って、腰布を大きく盛り上げて、腰を前後に揺する者もいた。
 そいつらに対し汚物を見る視線を向けていた、紫色の髪をまっすぐに伸ばした冒険者の一人が、不意に上空に輝く太陽をなにかの影が遮った事に気付いた。
 大型の猛禽類だろうか、と疑問を胸に抱いた時、風を切る鋭い音が無数に鼓膜を震わせ、視線の先に居たオーク八匹の頭部を、被っていた厚手の革や鉄の兜ごと頭頂部から咽喉、下顎に至るまでを矢が貫いていた。

 脳みそと頭蓋骨と筋組織を貫いて飛び出た鏃には赤黒い血と肉片がこびりつき、八匹のオークが耳、目、鼻、口からどろっと血を流すと同時に白眼を剥いて糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちる。
 唐突に訪れた死に、他のオーク達のみならず檻の中で悲嘆に暮れていた女性達も事態の変化に驚きに目を見張り、あるものはただ呆然とし、あるものは悲鳴を上げ、またあるものは助けが来たのかと諦めていた幸運に期待を寄せた。
 上空からまっすぐに矢が降って来た事から、襲撃者が空に居ると判断した残り十二匹のオークが空を仰ぎ、太陽を背にした二つの影が急速にオーク達へと向かって降下してくるのを濁った瞳に映す。

 二つの影の内、柳の様にしなやかな影は、白い服の裾を激しく風にはためかせながら降下し、咄嗟にオーク達が突き出した鉄の槍を、風に遊ぶ蝶の様に軽やかに躱や木製の檻の上に降り立ち、手に握った青い弓に鋼鉄の矢をつがえて、四メルと離れていないオーク達の額と咽喉へ一匹につき二本ずつ鋼鉄の矢を体を旋回させながら射た。
 影は黒い髪を風に揺らがせる弓を握った少女と変わり、少女が檻の上で一回転した時、少女に槍を届かせる距離に居たオーク三匹は額と咽喉を矢に貫かれて瞬く間に絶命し、仰向けにどうっと音を立てて倒れる。
 怠惰なものが多いとはいえ、鍛錬を重ねれば人間と遜色のない戦闘能力を持つオーク達を、奇襲を含めてとはいえ十一匹を瞬殺せしめた少女の力量は尋常ではない。

 檻の上に降り立った自分達の救い主を仰ぎ見た太い三つ編みが特徴の農民の少女は、檻の上に片膝をついた救い主がこちらを見下ろしているのに気付き、救い主の海の底を連想させる青い瞳と視線を交錯させた。
 少女の視線に気づいた救い主は、こんな状況であるにも拘らず希望と安らぎが胸を満たす暖かな笑みを、その秀麗な口元に浮かべたのだ。
 農民の少女――セタは、同性でありながら胸が高鳴るのを認めざるを得なかった。見れば、他の捕らわれの女性たちの中にもセタ同様に頬を赤らめている者がいる。
 自分達のおかれている凄惨な状況を忘れさせてしまうほどの、人間離れした美貌を救い主の黒髪の少女は備えていたのである。
 残るオーク達がいまだ檻の上に片膝をつく黒髪の少女を引きずり降ろそうと、動きだそうとした時、残るもう一つの巨大な影が死の化身となって襲い掛かって来た。

 黒髪の少女に意識を奪われた一匹のオークの頭上に、巨大な影が落下の勢いをそのままに襲い掛かり、振り上げた巨拳をオークの頭頂部に叩きこんだのである。
 卵に拳を降ろす様にして、巨大な影の拳は鉄製の兜ごとオークの頭部を砕き、中に詰まっていた脳漿や血液、破砕された頭蓋骨の破片がぶちまけられた。
 ずしん、と重々しい音とともに地面に両足をめり込ませて大地に降り立ったのは、誰も足を踏み入れていない処女雪を思わせる白い鱗に身を包んだ、直立歩行の二・八メル(約二・五メートル)近い、竜人、ドラゴニアンと呼ばれる種族の雄であった。
 ハイエルフなどと並び全亜人種の中で最強の呼び声が名高い存在である。幻の種族と呼ばれるほど個体数は少なく、ドラゴンが住まうような秘境に身を隠し、まず他種族が目にする事は滅多にない。

 だが今、オークと捕らわれの女性たちの前にその幻の種族が姿を見せ、その右拳をオークの血で濡らしていた。白い鱗のドラゴニアンは、尻尾用の穴が開いた東方で袴と呼ばれる特異な着物を履き、筋骨隆々とした逞しい上半身や鋭い爪のはえた素足を晒している。
 青い瞳で残るオークを睥睨した後檻の中の女性たちの痛々しい姿に気付くと、眉間に深い皺を寄せて、ドラゴニアンは残り八匹のオークを瞬く間に殲滅していった。
 怒りに身を委ねたドラゴニアンがその力を振るえば、如何にそれなりに鍛えたオーク達といえども、敵う術があるわけもなくオーク達が全て物言わぬ骸と変わり果てて大地の上に転がるのに、さしたる時間はかからなかった。
 ドラゴニアンが手に着いた血や脳漿などを、口から吐いた炎で焼却して洗浄する傍らで、黒髪の少女は木の檻から飛び降りて腰帯の後ろ側に差しこんでいた短刀を抜いて、檻を開き掴まっていた女性たちの縄をほどいて行った。

「さあ、もう大丈夫ですよ」

 セタは縛られた跡が赤く残る手首をさすりながら、笑みを浮かべる自分達の救い主の頭部から、鹿の様な耳と節くれだった角、そしてトカゲに似た尻尾が臀部から伸びている事に気付く。
 オーク達を圧倒的な力で蹂躙した白いドラゴニアンだけでなく、一見すれば人間と見間違えてしまうこの救い主の少女もまた、ドラゴニアンなのだとセタはようやく理解した。
 ある日、アレクラフト王国西部、隣国との国境に近い都市エジュールに、オーク達に襲われて誘拐された隊商の護衛と、農民の女性達が二人のドラゴニアンによって救出され、送り届けられる、という事件が起きてエジュールの人々を驚かせた。
 誘拐されたのがみな若い女性だったと言う事もあり、隊商が襲われた事知った人々は皆女性たちに待ち受ける運命に暗い影を背負っていたが、全員無事に救助された事には安堵の息を吐いて、それぞれの神に感謝の言葉を口に乗せた。
 そして救出したのが幻の種族であるドラゴニアンである事を知ると、一様に少なくない驚きのさざ波を新たに顔の上に起こしたのであった。

 そして今、網目状に計画的に建設されたエジュール市街の一角に建てられた冒険者の相互扶助組織である冒険者ギルドのエジュール支部受付嬢、ハーフエルフのエミリアはオークによる女性誘拐と救助事件とはまた別の驚きに、冒険者たちから人気の高い可憐な顔立ちを強張らせていた。
 受付のカウンターに居るエミリアだけでなく他の受付嬢はおろか、仕事を求めてやって来た冒険者たち、依頼を伝えに来た依頼人達に至るまでがエミリアの前に立つ大小二つの人影に視線を向けて、声を交し合っている。
 薄緑色の髪を木製のバレッタで纏め、ギルドの白いシャツと黒いベストにフレアスカートという制服に身を包んだエミリアの前には、オーク二十匹を殲滅して誘拐された女性達を救出した当事者である、雌雄のドラゴニアンが立っていたのである。

 オーク達からの戦利品であるハルバードにありあわせの革の覆いを被せた巨漢のドラゴニアンは、ただそこに立っているだけでも周囲の空間を圧迫するような、圧倒的な存在感とある種の神聖さを醸し出している。
 これが幻のドラゴニアンかと、エジュール支部に集まった面々が慄くのも無理はない。
 そして白いドラゴニアンとは対照的にほとんど人間と変わらないシルエットと、人間離れした若々しい美貌にはるか東方の衣服に身を包んだ少女は、さきほどからエミリアに質問を重ねている。
 エミリアのあどけなさを残す美貌を強張らせているのは、対照的なドラゴニアンの他を圧倒する存在感と威容ばかりでなく、彼らの求めに対してだった。
 瑠禹と名乗ったドラゴニアンの少女は、後ろの白いドラゴニアン共々冒険者になりたいと申し出て来て、エミリアがかつてない緊張に身を浸しながら懇切丁寧に冒険者という職業の説明を行っていた。

「で、では冒険者のクラスについてはよろしいでしょうか」

「はい。まずカッパークラスから始まり、ブロンズ、アイアン、シルバー、ゴールド、プラチナ、ミスリル、オリハルコンと上がって行くのですね? 昇格条件は実績に応じ、また初めて冒険者として登録する場合には、登録料として五百ゼギルを納めなければならない」

 黒髪の少女はエミリアには見慣れない衣服の手元の大きく余っている布地の部分に手を入れると、そこから王国銀貨十枚、千ゼギルを取り出してカウンターの上のトレイに乗せる。
 あの手の布の部分は物を入れるのね、とエミリアは頭の片隅で呟いた。

「はい。では冒険者としての登録を行います。それぞれクラスに応じて冒険者の証である金属製のプレートを発行いたします。では、こちらの用紙に必要事項をご記入ください。代筆ですと手数料として五十ゼギルかかりますが」

「いえ、自分達で記入します」

 黒髪の少女ドラゴニアンはエミリアから二人分の用紙とインク壺、羽ペンを受け取ると後ろの白いドラゴニアンにも手渡して、二人のドラゴニアンは羽ペンをすらすらと動かして用紙の空白を埋めて行った。
 二人から渡された用紙に目を通したエミリアは重ねて不備がない事を確認する。

「では瑠禹さんとドライセンさんですね。証明プレートを発行いたしますので、少々お待ち下さい」

 にこやかな笑みを浮かべて席を立つエミリアを、十二大龍王龍吉公主の娘にして巫女たる青龍・貴種の瑠禹と、人間によって討伐された古神竜が転生した人間ドランが膨大な魔力を持って作りだした分身体のドラゴニアン――ドライセンは、エミリアの言葉に静かに首を縦に動かすのだった。

<続>

 迷宮ものや冒険者ものを読んでいたらむらむらと書きたいという欲望が湧いてきて、外伝として書きました。まあ要するに主人公TUEEEをやりたかったのです。瑠禹が外の世界を巡る事になり、ドランが瑠禹の面倒をみる為に専用の分身体を作り、二人は世間を知る為に冒険者になろうとしているのですね。

例によってお遊びのステータス表です。

名称 :ドライセン(ドラン)
職業 :ドラゴンウォリアー/初級冒険者
種族 :ドラゴニアン(分身体)
LV :15
HP :5000
MP :5000
STR:200~2000 + 50 = ATK250~2050
VIT:200~2000 +300 = DEF500~2300
INT:190~1900
MND:180~1800 +300 = MDF480~2100
AGI:160~1600
DEX:170~1700
LUC:190~1900

武器
ハルバード      ATK+50
防具
白竜鱗(ドライセン) DEF+300 MDF+300

名称 :瑠禹
職業 :辰巫女/初級冒険者
種族 :青龍人・貴種(偽)
LV :17
HP :157
MP :223
STR: 98 +110+20 = ATK228
VIT: 86 + 90    = DEF176
INT:122 +110    = MAT232
MND:124 +100    = MDF224
AGI:102
DEX:110 + 30    = DEX140
LUC: 99 + 20    = LUC119

武器
 蒼波龍の弓    ATK+110 MAT+110 DEX+ 30
  魔力の矢    ATK+(補正無しMP最大値×10%) 一本使用するごとにMP最大値1%消費
  鋼鉄の矢    ATK+ 20 所有数:50本
防具
 青龍鱗の巫女装束 DEF+ 90 MDF+100 LUC+ 20 水・氷属性からの被ダメージ30%軽減 与ダメージ10%増加

10/30 21:09投稿 21:25誤字修正
10/31 20:45修正
11/02 12:30駆け出し冒険者→初級冒険者
11/05 19:32数多→頭修正。ご指摘ありがとうございました。
11/06 10:34有給→悠久修正。ぷぷぷりんさま、ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑰+外伝
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/11/25 12:35
さようなら竜生 こんにちは人生⑰+外伝


 はたしていつの事だったか、よくは憶えていない。ただ、遠い、遠い昔の事だったのは確かだ。
 その遠い昔、始祖竜から産まれた原初の竜達が創った竜族の世界“竜界”を離れ、無数に存在する地上世界の一つに降り立った私は、ある広大な湖と周囲の光景を気に入り、暫くの間そこを塒代わりにしていた時期があった。
 鏡の様に透き通った湖には水晶状の樹木が生え、広く深い原始林と草原に緑の波を起こす風が心地よかった記憶がある。
 私は湖の傍らに寝そべり時折空を眺めては星を数えて宇宙全体の運行を観測し、大地を通じて星の鼓動を感じ調律の合っていない場所があれば干渉し、地上世界全体の寿命を整えるなどして日々を過ごしていた。
 穏やかな時の流れに満足していた当時の私が、その湖から離れることを決心したのは、地面に寝そべり瞼を降ろしていた私に小さな人間の子供が近づいて来るのに気付いた日の事であった。

 私以外にも何体かの竜族が地上に降りていて既にその存在が知れ渡って長い年月が経っており、数が少なく滅多に見る事の出来ない竜の姿を見ようと、遠巻きに私を近くの街の人間が見ていることは承知していたが、その日は違った。
 まだまだ親の庇護を必要とする七歳かそこらの男の子が、ただでさえ小さな体を恐怖で震わせながら、ゆっくり、ゆっくりと石に変わってしまったように動きの鈍い足を動かし、私に近づいてきたのである。
 男の子が、私が手を伸ばせば届く距離まで来た所で私は瞼を開き、首を持ち上げて男の子を見下ろした。
 その時の私の胸中に近づいてくる男の子に対する警戒や敵意というものは欠片もなかった。
 悪意や敵意を持って近づいてくるのであればともかく――例え持っていたとしても相手が人間では脅威足り得ないが――恐怖に震えながらも、その恐怖を押し殺して私に近づいてきた理由が気になり、私はなるべく威圧的にならぬようにと心がけながら、男の子を見下ろしながら問うた。

「小さき人の子よ。私になにか用か?」

 眠っていたと思っていた私が目を覚まし、自分を見下ろし更には口を利いた事に男の子は気の毒なほど驚いている様子で、私は思わず苦笑が浮かび上がりそうになるのを堪えなければならなかった。
 ここで私がまた新たな行動を起こせば、男の子は更に驚いてしまって口を動かす事もままならなくなってしまうだろう。
 私が誕生したばかりの頃に最初に話しかけて来たのが、人間種を創造した神であり、その後も友誼を結んでいた事もあって、私はかの神の被創造種である人間に対しては基本的に好意的だった。
 男の子はずいぶんと長い事、バジリスクの瞳に睨まれて石像に変えられたかでもしたようにぴくりともしなかったが、ようやく大きく息を一つ吸うと真っ赤に顔を紅潮させて、私に向かって大きく口を開いて、こう答えた。

「ど、ドラゴン様におね、お願い、があ、ああ、あって来ました」

「ふむ、珍しいな。人間が竜である私に願い事など。そなたは竜教徒というわけでもあるまい」

 竜教徒というのは神々とは異なる起源から発生し強大な力を持つ竜や龍を、神の代わりに崇める者達の事を指す。
 竜族を崇める彼らは生活様式や思考を竜族に真似て生活し、時には竜族と共に暮らして傍に居続けることで、遂には竜の能力の一部なりを手にする事もあり、そこまで至ったものは竜司祭、竜神官などと呼ばれて畏敬の念を教徒たちから集める。
 私は人間と暮らした事はなかったが、同胞の中に人間と共に暮らし竜教徒達に信仰と引き換えに力の一部を貸与する者が居る事は耳にしていた。
 目の前の男の子が竜教徒であるかどうかはまだ分からなかったが、もしそうであるなら私に崇め奉られる事を喜ぶ趣味はないから、丁重に断るつもりだった。

「ぼくは近くの街に住んでいる、ライです」

 なんとかつっかえることなく自己紹介をしたライは、それだけでも大いに気疲れしてしまったようで、深呼吸を何度か繰り返した。

「ぼくのお母さんがこの間、病気で倒れてしまいました。神官様や御医者様にも見てもらったけど、皆、助からないって……。けどど、ドラゴン様の血にはどんな病気や怪我も治す力があるって、聞きました。だから、ドラゴン様の血をぼくのお母さんにください。その代り、お礼にぼくを差し上げます。まだ小さいですけど、あの、きっと美味しいですから」

 何を言うのやら、というのが正直な私の気持ちであった。私に人肉を食す嗜好はなかったし、竜族の血肉に他者の傷を癒し、食した物を不老不死にする力はない。
 屈強な同族や野生の獣、魔物の肉を食べることでその力が自分に宿る、と考える原始的な思想は既に存在していたし、実際他者の肉を食べる事でいくらか力が増し、特殊な能力を得る事もあるが、だからといって竜の血をそのまま飲んだとて傷が癒える事にはならない。
 むしろ竜に近しい生物か、単独で竜を打ち取れるほど強靭な存在でなければ、竜の血はあまりに生命力と魔力が強すぎて、毒にしかならないだろう。
 少なくとも竜の血でどんな傷や不治の病でも治ると言うのは迷信の類である。ましてや病床にあるライの母に、竜の血を与えた所でただでさえ残り少ないであろう寿命を大幅に削る事になるだろう。
 とはいえ――

「ふむ、口にした言葉に偽りはないか」

 比べるまでもなく圧倒的強者である竜を前に、自らを生贄として差し出す恐怖に震えるライが、心の底から母を助けたいと思っている事は疑いようがない。
 軽く心の表層を読んだが、私への恐怖、死への恐怖よりも母を想いやる気持ちの方がはるかに強い。
 十歳にもならぬ子供が、無限の未来が待つ自分の可能性を捨ててまでも、病に苦しむ母をなんとしてでも助けるのだと、揺るがぬ決意を胸に抱いているのだ。
 当時、家族というものを持っていなかった私にとって、ライの血のつながりのある肉親に対する情というものは、ひどく眩しく、そして羨ましく思えたのだと、人間に転生した今になって分かる。
 だから、ライを前にした私はライの心を汲み、病床の母を助ける事を自分でも驚くほどあっさりと決めていた。

「よかろう、ライよ。汝の母を救ってみせよう。これを母に与えるがいい」

 私は自身の肉体に満ちる魔力を高純度の生命力の塊に変換し、ライが両手で抱えられるほどの大きさの光の珠に凝縮して、ライの目の前に出現させる。
 小さな太陽を思わせる白い光の珠をライは恐る恐る手にし、生命力の塊が放つ暖かな波動とぬくもりに、私と死への恐怖を忘れてこれなら母が助かると直感的に悟ったのか、朗らかな笑みを浮かべた。

「ライよ、それは我が生命の一部。本来人間には馴染まぬ竜の生命だが、人間用に特別に調整したそれであれば、病の床に伏したそなたの母であっても受け入れられよう。もし余る様であったならそなたの一族で好きに使うが良い。傷を癒すも病を治すもそれがあれば事足りよう」

「あ、ありがとうございます、ドラゴン様。あの、お母さんが元気になったらすぐにここに戻ってきます。嘘じゃありません、絶対に帰ってきます。ですから、その時にはぼくを……」

 私が小さく喉の奥で唸ったのを、ライは怒りの表現と捉えたのかもしれない。母を助ける事が出来ると喜びに輝いていたライの顔がたちまちのうちに曇ってしまう。

「そう慌てるな。別に怒っているわけではない。ライよ、私は多くの人間を見て来た。人間達は不完全な神の生み出したより不完全な存在。であるが故に実に多くの心や考えを持った者達が居る。
 人間は一人として同じ者達はおらず、私は人間の始祖がこの地上に誕生してから今日に至るまで、人間と言う種族を飽きるほど見続けて来た。だが、それでも見なければ良かったと思ったことの方が多い。残念ながらな。
 それでも多くの人間達の中に時々そなたの様な者が産まれる。私はどうしてだかそなたの様な人間を見ると嬉しくなるのだ。人間も捨てたものではないと思えるからかもしれんな。ライよ、そなたの命はそなたの思うように使うが良い。
 そして出来得るなら強くて優しい大人になれ。そうすればそなたの周りの人間も同じ様になろうと努力するかもしれん。今日拾った命、それをより多くの者達にとって正しく使うのだ。そうすることが私への何よりの礼と考えるが良い」

 自分の命を取らぬという私の発言は、ライにとって想像だにしていなかった事の様で、ひどく驚いた顔のまま私を見上げていた。私は穏やかな微笑を浮かべ、ライにもう一つの贈り物をした。
 自らの牙の一本を口の中で折りそれを人間の人差し指位の大きさに変えてから、思念で浮かべてライの目の前に持って行き、生命力の珠を小脇に抱え直したライに受け取らせる。

「餞別だ。それを持っておれば我が同胞はそなたに牙を剥ける事はすまい。飾りにするも由、武具とするも由、そなたの好きにせよ」

「で、でもドラゴン様、お母さんを助けてもらっただけじゃなく、こんなものまで、本当に、良いんですか?」

「構わぬ。母を想う今の気持ちを忘れることなく生きよ。それを私はそなたに願おう。さて、どうやらそなたを心配した父御が来たようだな。これ以上私がここに居ても面倒事が長引きそうだ。ライよ、私の言った事を、くれぐれも忘れるな」

 ライが来た方角にある穏やかな傾斜の丘の向こうから、額に汗を浮かべた大人の男を先頭にした、付近の街の住人達の姿が見える。姿の消えたライを追って来たのであろう。
 今にも転んでしまいそうになりながら、必死に先頭を走る男の顔にはライと良く似た面影が見られた。父親に違いあるまい。

「大方、家族に黙って私の所に来たのであろう。随分と慌てておる。家族を心配させるのはあまり感心せぬぞ。そなたが母を心配するように、父もまた息子であるそなたの事を心配するのが道理。ふふ、良いものが見られたな。では、さらばだ、ライよ」

 私は父の姿を振り返って見ていたライに別れの言葉を告げると、二枚に減らしていた翼を広げて、重力の鎖を断ち切って青い空へと飛翔する。
 見る間にライやライを追って来た街の人間達は小さな芥子粒の様になり、私は青い空の向こうへと飛ぶ前に一度だけライを振り返り、父親に肩を掴まれて叱られているらしいライが、私の視線に気づいて手を大きく振って別れと感謝の言葉を叫ぶ。
 湖畔で出会った少年との思い出は人間に転生した今でも、私の永い竜としての生の記憶の中でひと際強い輝きを放つものであった。
 そしてそれから更に多くの生命の始まりと終わりを見続け、生に倦み始めた私を討つ事になった七人の勇者達のリーダー格の青年に、あの時ライに渡した私の牙の気配とライの面影があったのは、いかなる運命の歯車の働きによるものだったか。

 生き続ける事に意味と意義をほとんど感じなくなっていた私が、邪神の生み出した偽竜ニーズヘッグを倒す為に助力を求めて訪ねて来た七勇者に、快く力を貸したのも七勇者のリーダーが遠くライの血を引く子孫であると気付いたからだ。
 澱のように蟠っていた倦怠と諦観に埋もれた私の心をわずかに動かした過去の記憶が、人間に力を貸す事を私に快諾させたのである。
 その宝物の様に美しい過去の記憶とともにやって来た勇者が、私を滅ぼす為だけに鍛造された竜殺しの聖剣を携えて私の塒を襲った時、私は自分の心がなにを感じたのかいまでも分からない。
 かつて私が助けた少年の子孫が、悠久の時を経て私の元を訪ねて助力を請い、そして最後には私の生命を終わらせに来た時、私はわずかに残っていた生きる希望を捨てて絶望したのだったろうか。
 それとも憤怒に心の片隅を燃やしたのだったろうか。あるいは己の過去の行いが巡り巡って、自らの命を失う事に繋がった事に対する嘆きに包まれたのだったろうか。

 自分の事だと言うのに、私にはどうしてもわからない。殺されたあの時も、人間に生まれ変わった今でも。思い出せないのか、それともそもそも心は如何なる感情も動いてはいなかったのか。
 ただ、ひとつだけ確かな事はある。竜殺しの聖剣を携えた七勇者のリーダーの顔と瞳を見た時、私はライの笑顔を思い出し、そして“もういいか”と思った事だけは間違いのない事だ。
 もういいか――私はそう思いながら竜殺しの聖剣が心臓を貫くのを受け入れたのだ。
 それにしても、人間に生まれ変わって十年も経ったと言うのに、どうして今になって自分が死んだ時の事、湖畔で出会ったライと言う少年の事を夢に見たのだろう。それもまた、私には分からぬ事であった。
 そして私は慣れ親しんだ土と草の匂いのする家の寝台の上で、目を覚ました。



「ふむ、どうにも揺れがひどくて移動には適さんな」

「ですから、申し上げましたでしょうに」

 私の呟きに、セリナが呆れを交えた声で答える。昼下がりの心地よい春の風の中、畑仕事を終えた私は、この十年ですっかり慣れ親しんだベルン村の道の一つを、セリナの尻尾に巻きつかれた状態で歩いていた、というよりは運んでもらっていた。
 我が家の畑の片隅で私が栽培しているオイユの実を籠に入れて、村で唯一の宿屋“魔除けの鈴亭”に持ち込む為、家から向かう途中で狩りの帰りだったセリナと合流し、一緒に向かう事になった。
 その道中私の隣で地を這うセリナを見ていて、ふと私はセリナの尻尾に巻かれて移動すれば楽だろうかと思いつき、突拍子もない私の提案を渋るセリナに対して重ねて頼んでみた。
 その結果として、私は今セリナの尻尾に巻かれているのだが、どうにもセリナが這う度に振動で鱗が微細に揺れて、なおかつ尻尾自体も上下する為具合がよろしくない。
 情事の時にセリナが蛇の下半身を使って私の体のあちらこちらを擦る時は、非常に気持ちが良く、女の扱いに慣れた男でもあっという間に絶頂に達してしまうだろうと思わせるほどなのだが、移動に際してはそうはいかないようだった。

「良い考えだと思ったのだがな。それに他者にはどう見えているかも考えるべきだった」

「え?」

 セリナに地面に下ろしてもらい、私は私達の進行方向に居た銀髪赤眼の美女クリスティーナさんに視線を向けた。
 私の視線を追従したセリナもクリスティーナさんの姿に気付き、そのクリスティーナさんが腰のベルトに佩いているミスリルソードの柄に手を伸ばした所で硬直しているのを見て、私の言葉の意味に、あ、と慌てた声を一つ零す。
 セリナと私の関係を良く知らない村以外の人間が見たら、ラミアが子供をさらおうとしているようにしか見えないだろう。
 クリスティーナさんはミスリルソードに伸ばした手はそのままだが、龍吉公主や瑠禹のような人ならざるものにも通ずる美貌に、はっきりと分かる困惑の色を浮かべて私とセリナをまじまじと見ている。
 セリナが私を解放し、特に荒事めいた雰囲気を醸し出すでもなく普通に話をしていたからだろう。
 セリナに持っていてもらったオイユの実を入れていた籠を受け取り、私はクリスティーナさんに近づきながら、努めて朗らかに挨拶に声をかける。

「こんにちは、クリスティーナさん。天気がいいから散歩ですか?」

 デンゼルさんに言われた事もあって日夜矯正した成果もあり、私はなんとかですます口調というものを使えるようになっていた。
 流石に本格的な敬語などというものは、まるで自信はないが、農村の子供として振る舞う分にはこれくらいで十分であろう。
 当初クリスティーナさんは貴族だろう、と推測した大人たちから下手に不興を買っては大事と、私を含む村の子供達はクリスティーナさんとの接触を厳に戒められていた。
 だが数日間の滞在中の行動でクリスティーナさんの気性が、多少暗い影を背負ってはいるが穏やかなものであることが分かっており、いまでは道すがら挨拶を交すくらいは普通になっていた。
 私の体にセリナに締め上げられた痕が残っていない事と、にこやかに挨拶をしてきたものだからクリスティーナさんも、自分の危惧が無用なものらしいと結論付けてミスリルの剣から手を離す。
 小さく溜息が一つ、紅を塗らずとも艶めかしい色の唇から零れる。その吐息に触れた風の精霊は、恍惚と蕩けて地に落ちる事だろう。

「あ、ああ。君はたしかドランだったかな。うん、まあ、春の日差しと風が心地よいものだから、外を歩けば気持ちがいいだろうと思ってね」

 クリスティーナさんの言うとおり徐々に夏の足音が近づいてきた昨今、降り注ぐ日差しは一層ぬくもりを増し、木陰で腰を降ろして休み頬を撫でる風の感触を楽しんでいると、いつのまにか、うとうととしだす事が多い。
 危うく斬りかかられる所だったセリナだが、先に私が挨拶をしてクリスティーナさんから胡乱な気配が消えている事もあり、セリナもずるずると地を這って私の横まで来て、銀髪赤眼の美剣士に、にこやかな笑みを浮かべる。
 家を出る前に父親から人間に対する危険性を何度も聞かされていたことで、私と出会ったばかりの頃のセリナはずいぶんと人間に対する警戒を抱いていたものだが、私の傍に居る為にはその人間とも積極的に接することも必要だと考え直したそうだ。
 その努力の甲斐もあっていまではすっかり村の子供らの人気者だし、セリナの魔法や蛇眼、毒液のお陰でずいぶんと狩りが楽になっているから大人達から向けられる眼も好意的である。

「こんにちは、クリスティーナさん。良いお天気ですね。これからブライトさんの所に行くんですけれど、ご一緒しませんか?」

 ブライトさんというのは村唯一の宿屋兼酒場の“魔除けの鈴亭”の主人である四十過ぎの男性の名前だ。奥さんと娘さん、息子さん合わせて四人で畑仕事をしながら宿を経営している。
 宿の利用者は滅多に居ないが、酒場と食事処も兼ねており家庭料理よりも凝った料理を出してくれるから、村の人たちもちょくちょく足を運んでいるし、なにかおめでたい時などはお酒や料理を気前良く振る舞ってくれる。
 
 魔物であるラミアとはいえ友好的な要素だけで構成されているセリナの提案に、クリスティーナさんは少し迷ったような表情を浮かべたが、すぐに細く美しい頤(おとがい)を縦に振ってくれた。
 私たちと会話する最中も絵画の中にも存在しない様な美貌には、負の感情が醸す影のようなうっすらとした霧が漂っていたが、それを晴らす役目が私にあるのかどうかは分からない。

 極稀にしか存在しえないクリスティーナさんの特異な体、英雄譚の中の戦乙女を彷彿とさせる美貌、英雄には欠かせぬ暗い事情がいかにもありげな雰囲気。
 運命を司る三女神や戦神の類が好んで試練や加護を与える英雄に、共通してみられる特徴をいくつも兼ね備えている。
 おそらくクリスティーナさんにこれから待ち受けている運命は、常人とは比べ物にならない過酷な、歴史に名を残す英雄への道か、あるいは凄惨な結末が待ち受ける悲劇への道の二つだろう。
 
 陽の光を満身に浴びる栄光か、深い闇の底で朽ちる絶望か。クリスティーナさんに許されるのはそのどちらかになる公算が高い。
 私は横目でクリスティーナさんの神秘的でさえある透き通った美貌を見つめながら、その未来に待ち受けるものに対し、多少なりとも憐憫の情を抱かざるを得なかった。
 私の左を這っているセリナがクリスティーナさんを見つめる私を、頬を膨らませながら見ていたが、確実にこれは勘違いしているな。セリナが危惧するような感情で見ているわけではないのだが。

「それにしても、噂では耳にしていたが本当にラミアが村の一員として暮らしているのだな。稀に魔物と人間や亜人が心を通わせて友や恋人になったと言う話は知っていが、本当に目にする事になるとは思わなかったよ」

「噂、と言う事はガロアか他の村でもベルン村の話が?」

「ああ、行商人が噂の出所らしいが、最近ドリアードの蜜やラミアの毒液と言った希少な品が少数ではあるが市場に流通し始めたそうで、私の周りでも小鳥の囀り程度には人々の口に昇っていたのさ」

 ふむ、マギィさんが色々と話を広めてくれている成果か。セリナの分泌するラミア種の毒液は並大抵の毒薬を上回る強力さで、水で希釈しても十分に効果を発揮する。
 ディアドラの肌や乳から採取できる蜜も、上質の蜂蜜を上回る味と栄養価を誇り、魔法薬などの素材にもなる。
 供給量は共に微量ではあるが需要が増えれば、自然と価格は高騰しベルン村に落ちてくるお金の額も増えると言うもの。
 以前のゴーダ管理官の様な不埒な事を考える者が出てくるかもしれないが、いざとなったら私が持てる力の全てを使って排除する心算である。
 間接的にも直接的にも取りうる手段はいくらか存在しているのだから。

「それにしてもドランとセリナはずいぶんと仲が良いのだな。流石に尻尾に巻かれている姿を見た時は焦ったが、次からはいくら仲が良いからと言っても他人の目を気にして欲しいものだ」

「心に留めておく……きます。セリナは止めた方がいいと言ってくれたのだけれども」

「いくらなんでも他人からどう見られるか、もっとお考えにならないと」

 まったくもってセリナの言うとおりである。思いついた事をすぐに行動に移す行動力と決断力は、良いかもしれんがその行動の過程と結果を他者にどう見られるか、という点に置いて私の思慮はいささか足りていない。
 緩やかに蛇行する道を歩きながら、私はせっかくの機会であるからとクリスティーナさんに色々と話しかけることにした。
 セリナが少し勘違いをして拗ねる様子を見せるが、私が籠を右手だけで持ち直し、空けた左手でセリナの右手を握るといくらか機嫌を直してくれた。

 クリスティーナさんは私の行動に気付いた様だが、少し口元を緩めるきりで追及するような事はしなかった。微笑ましく思ってくれたのだろうか。
 魔物であるラミアと人間の子供が仲良くしている光景は、実際に目の当たりにしてもそう簡単に信じられないものかもしれないが、この美剣士は割とあっさりと受け入れてくれたらしい。なんともありがたいことよ。

「クリスティーナさんはどうしてこの村に来たんですか? あ、話しにくい理由があるなら言わなくていいですから」

 しかしこの口調は自分で言っていてなんとも背筋がむずむずとする。まったく自分に似合わない感じがするのだ。
 セリナも口元を左手で隠し、そっぽを向いて笑いを堪えている。白いうなじはかすかに震えており、そんなにも私の敬語もどきの口調は可笑しいだろうか。

「いや、なにか特別な理由があったわけではない。ただ私の祖父がここに縁のある人で、ちょうど身の空く時間が出来たから見てみようと思って来ただけだ。
 前から名前は耳にしていたしね。志の迷宮で少しは自分の力量というものを確かめる事も出来たし、良い気分転換になった」

「そうか……ですか。ベルン村の管理官はちょうど体調を崩して職を辞したと言うし、クリスティーナさんみたいに、真面目で私達の事を考えてくれる人になって欲しい」

 直接クリスティーナさんが貴族であるかどうかを確かめたものはいないが、十中八九貴族の出だろう。
 ひょっとしたら没落貴族か傍系の方かもしれない。そうであるなら幾ら望んでも管理官になどはなれないかもしれんが、口にする位なら誰も怒らないだろう。

「それは君の買い被り過ぎだ。私は領主が務まるほど政治や人を治めると言う事を知っている人間ではないから。
 それに私はガロアの魔法学院の生徒に過ぎない。特別な事情でもない限りは学生が、例え四等管理官であろうとも領主になる可能性は低いよ」

「ないわけではないのでしょう。クリスティーナさんに領主になって貰って、ついでに仕事の手伝いにでも雇ってもらえるとありがたいな」

「領主の仕事の手伝いを? ふふ、確かにベルン村の出身者を傍に置いている方が、村を治めるのにはいいだろうね。
 君は読み書きもできると言うし、魔法も扱えるのだから意外と将来有望な人材かもしれないな。私が雇う事はないだろうけれど、知り合いが人を欲しがるようだったら、君を推薦するのもいいかもね」

「そうしてもらえるととても助かるけれど、仕える事が許されるならクリスティーナさんがいいな。美人だし優しい」

「はは、分かりやすいな、君は。そら、セリナの顔がまた怖い事になっているぞ」

「……節操がなさすぎです」

 ぎゅっと私の手を握るセリナの手に込められた力が増した。これまではあまり嫉妬などを見せる事の無かったセリナだが、流石にそろそろ私の尽きない欲望に少しは眉を顰める気持ちになるようだ。
 私は心底から申し訳なさを感じたが、セリナを受け入れた時に伝えた様に私は欲望を覚えたなら、その通りに行動するつもりだし実際にそうするだろう。
 だから私はセリナに今感じている感情を、これからも抱かせ続けてしまうことに対する申し訳なさだけを口にする。

「申し訳ない」

 貴族の傍で働いていれば平民から貴族に叙される機会も、少しは増えるだろう。
 生憎とアレクラフト王国は金で貴族の地位を買うのが難しい格式あるお国柄であるから、貴族になる方法は貴族の女性との婚姻や養子縁組、功績を上げて貴族に叙されるかだ。
 あとは実は本人の知らない所で貴族の血を引いており、本来家を継ぐはずだった人間が尽く死亡し、仕方なく当主に祭り上げられるというような話の中にしかない例もあるが、生憎と我が家は由緒代々農民か兵士に過ぎない。
 私が竜の分身体を使って王国を騒ぎ立たせ、本体の私が分身体を始末してドラゴンスレイヤーにでもなれば、貴族位の最下位くらいにはしてもらえるかもしれないが、これはとってはならぬ禁断の手段だろう。

 物語の中でなら窮地に陥った姫君や大貴族の令嬢なりをたまたま助けて、恋の一つも始まるだろうが、ベルン村に王族が来る可能性など百年の間にひとつもあるまい。
 いや、現在停滞している開拓が再開され、大成功を収めればあるいは、と言えない事もないから、村を豊かにしたいと言う私の方針と合わせて考えれば、開拓を大成功させてその立役者として村の領主なりに任ぜられるという流れもあるかもしれない。
 まあ、なんにせよ数年間は村の発展を第一に考えて行動するのが一番の近道なのだろう。

「ガロアはどんなところですか? 北部辺境最大の都市だからずいぶんと賑やかなのでしょうね」

 という私の質問に、クリスティーナさんの舌は滑らかに動いて答えをくれる。

「定住している人間だけでも三万人くらいはいるからな。交通の要衝でもあるから物、人、金、情報とあらゆるものが集まる。
 総督府を中心に煉瓦造りの街並みがこう、円形に広がっていて城壁で囲っているのだが、これまで何度も増築を重ねていて五層もの城壁があって過去にあった北方の蛮族と魔物達を迎え討った城塞都市としての名残だな。いまでもガロアの古い住人は、都市を囲む城壁を誇りにしている人が多い。
 あとは私が籍を置いている魔法学院が特徴だろう。王国の東西南北と王都に一つずつ存在する分校の一つがあり、身分を問わず魔法使いの素養を持つ者ならだれでも入学が許されていて、多くのマジックアイテムやスクロール、魔法が生み出され市場にも一部が出回っているし、魔法に関する素材を専門に取り扱う店も市内に多い。
 ガロアが魔法都市の名で呼ばれる由縁だな。ただ門戸が広く開かれている分、籍を置く者達に求められる能力の水準は極めて高い。入学者の半数近くはまず進級する事が出来ずに留年するほどだ。その分卒業生は魔法使いとしての能力と知識を十二分に持つ。
 地方領主のスカウトを受けたりあるいは大商人のお抱え魔法使いになったりと、卒業生で職に困る事はないし、宮廷に勤めている魔法使いの子息の多くも通っている。
 常駐している兵士も多いし文官の数もそれ相応だ。一旗揚げようと言うのなら、北部の人間ならガロアか中央部の王都を目指すだろう」

「ふむ、クリスティーナさんはその中でもかなり優秀でしょう? 常態的に生産している魔力量も多いし、肉体に蓄積している魔力の方もセリナやディアドラを超えている。ラミアとドリアードを超えるほどの魔力となれば、人間では珍しいのではないかな」

 私の知っている人間の魔法使いはマグル婆さん、ディナさん、リシャ、アイリ、それに大地母神の神官だがレティシャさんの五人で、人間の魔法使いの平均値を計るには少々数が少なく、また過去に見知った人間の魔法使い達はいずれも超一流が最低ラインの使い手たちばかりだから、こちらも比較対象とするのには適さない。
 なので私はクリスティーナさんの魔力を、魔物であるラミアと樹木の精霊であるドリアードたる私の愛する二人と比較して評した。
 クリスティーナさんは私の言葉に、かすかにその秀麗極まりない眉根を寄せる。怒らせた……か? 貴族を相手に相手の力量を計るような「言葉を吐いたのは、流石にまずかったのだろうか?

「君は他者の魔力量を計るのが随分と巧みなのだな。その年齢で良くぞそこまでの技量を身に着けたものだ。ただ私はあまり優秀な生徒ではないさ。
 こうして授業を受けずに外を出歩いているし、魔力量が魔法使いの優秀さを決めるわけではない。十の魔力を持っていても、一しか扱えぬなら五の魔力を持ち五扱える者の方がはるかに優れている」

 まあそれはそうだ。扱えぬ力を持っていても不幸な結果を引き起こす事にしかならない実例は、私も例を挙げればきりがないほど目にして来たからクリスティーナさんの言いたい事は良く分かる。
 しかしそれは素行が良くないのであって能力の良し悪しの計りにはならないだろう。

「セリナやディアドラをガロアに連れていけるかな?」

「それは……どうかな。魔法学院では生徒に使い魔を作る授業も行っているが、鳩や猫、犬といった小動物くらいなら珍しくはない。から街に連れ込んでも大丈夫だろう。
 だが流石にラミアやドリアードの様な確たる知性と強い魔力を持った魔物を使い魔にしている生徒は、私の知る限りではほとんどいないな。教鞭を取っておられる方々なら、まあいないでもないけれど、この村の人々の様には受け入れられないのではないかな」

「ふむ、使い魔か。しかしセリナやディアドラを使い魔扱いする気はないし、ガロアに一緒に出かけるのは意外と難しいかな」

 一緒に連れ歩くと言う意味では、外見が人間そのものであるリネットが一番問題ない。
 イシェル氏の愛娘の外見を完璧に模して造られたリネットは、同年代の少年ばかりでなく男の視線を吸い寄せるだけの可憐さと無垢な魅力を持ち、人間ならざる者であるがゆえの神秘的な雰囲気を纏っているからだ。
 どうしたものかなと私が頭の片隅で悩むのを察し、セリナが朗らかな笑みと共に私を励ます様に口を開く。

「私はベルン村が好きですよ。ディアドラさんも同じです。あまり気になさらなくていいと思います」

「そう言ってくれると助かるが、男の甲斐性というものだ」

 うむうむ、と私が父を真似ていかにも分かった様な素振りで何度か頷くと、それを見ていたクリスティーナさんは呆れたらしかった。

「君は本当に十歳とは思えんな。訓練を受けている時の動きは他の子供達と変わらぬものだったが、言葉遣いだけでなく雰囲気は外見を見事に裏切っている」

「褒め言葉?」

「ふふ、まあ、そう受け取っておいてくれ」

 子供好きなのか面倒見が良いのだろう。
 ほんの少しの間言葉を交しただけなのに、クリスティーナさんの物腰は柔らかなものになっていて、その後もブライトさんの所へ向かう間、クリスティーナさんはガロアや他の都市の話をしてくれて、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
 クリスティーナさんと深く関われば絶対になにか面倒な事に巻き込まれるのは間違いがないが、私は短い時間の間にこの銀髪赤眼の美剣士に対してかなり好感情を抱いていた。
 七勇者のリーダーになんとなく似ているからだろうか。私の竜としての生に終わりを齎したあの青年の事を、私は気に入っていたしいまでも彼に対する感情は好意に属するもので占められている。
 そう言えば英雄や勇者と呼ばれる者の多くは人誑しだったな、と私がクリスティーナさんの横顔からそんな事を連想した時、村の北門に建てられた物見の塔に備え付けられた青銅の鐘が大きく打ち鳴らされて、村全体にそのけたたましい音を響かせた。

 この鐘の音がなにを意味するのか、ベルン村に産まれた子供であれば三歳の幼子でも知っている。遠目に畑仕事を行っていた皆が畑から離れて、すぐさま自分の家に駆け戻り始めている。
 いつもと変わらない穏やかな一日は、鐘の音と共に終わりを迎え、ベルン村は辺境最北の開拓村が持つ、ある一面を晒しつつあった。
 鐘の音が持つ意味は知らなくても、村の雰囲気の劇的な変化を察したクリスティーナさんはそれまで笑みを浮かべていた美貌に、濃い警戒の色を浮かべる。
 長身の美駆から発生られる雰囲気は命を賭け金にした戦いを経たものが醸すもので、どうやら魔法学院の生徒とは言えぬるま湯に浸かってばかりいたわけではないようだ。
 不安の色を浮かべて慌ただしい周囲の様子に青い視線を巡らしていたセリナが、私の顔を除きこみ、鐘の音の意味する事を問う。

「この鐘は一体何を意味しているのですか? 皆さんが急に慌ただしくなっていますけれど」

「なに、実に簡単な事だ。……魔物の襲撃だよ」

 ほら、さっそく面倒事がむこうからやって来た。私の言葉にクリスティーナさんははっきりと表情を強張らせる。

「ここ数年、村が大規模な襲撃を受けた事はなかったと聞いたが、どうやら完全になくなったわけではなかったか」

「魔物達が根絶されたわけではない以上、いずれは襲撃があると皆が考えていますから、備えはしてあります。私は一度家に帰ります。武器を取ってこないといけないので」

「君も戦うのか!?」

 ひどく驚いた様子のクリスティーナさんに私は、淡々とした口調で答えた。

「弟のマルコも戦います。矢を射る事も槍で突く事も石を投げる事も私達はできますから。それに私は魔法が使える。
 魔物との戦いに参加しないわけにはいきません。本当に戦えないものだけが、村か逃げる準備をしている筈です。クリスティーナさんも早くガロアに戻る準備をされた方がいい」

「……そうか、そうだったな。ここは辺境の最前線だったな。なら私もそれ相応に行動させてもらおう」

 言うや否や風に純銀の如く美しい長髪を翻して、駆け出すクリスティーナさんの背中を見ながら、私はクリスティーナさんが村からは逃げずに一緒に戦うつもりなのだろうとほとんど確信していた。
 人間は場合にもよるがおおむね自分よりも他者を思いやれる人間から先に死んでゆく。そういう人間は先ほどのクリスティーナさんと同じ瞳や背中をしていたものだ。
 それでも生き残った者が英雄や勇者と呼ばれるが、クリスティーナさんは果たして英雄たり得るか否か。
 クリスティーナさんは荷を置いてある宿へと向かって駆け出し、私とセリナは逆にブライトさんの元へ向かうのを中止して我が家へと戻る為に走る。
 リネットとアイアンゴーレム達に戦闘の用意をさせ、私もまた家に置いてある武器を要しなければならない。

「セリナ、ディアドラを探して村長の所に向かいなさい。魔物の襲撃があった時にはまずそれぞれの家の家長が村長の所に集まる。二人は貴重な魔法戦力だ。その場にいた方がいい」

「ドラン様は!?」

「リネットと一緒に行く。マスターが私である以上は子供であっても私もその場にいた方が都合が良い」

 魔物の襲撃があった時、本当に戦力にならない老人や幼子に最低限の荷物を持たせて南へ逃がし、また合わせて魔物の襲撃を知らせる為の早馬をガロアに走らせる。
 北から襲いかかってくる魔物を発見したのは空から索敵を任されている、マグル婆さんのジャイアントクロウの使い魔ネロだろう。
 馬よりはネロの方が速いから最低限の偵察を終えた後は黒猫のキティに偵察を引き継がせ、ガロアの兵舎に事の次第を記した書簡を届けさせる手筈になっている。
 馬とネロの双方を使うのはもし万が一、何らかの要因でどちらかがガロアに辿りつかなくても危急の事態である事が、確実に伝わる様にする為の保険である。

 以前私は村を襲おうとしていたゴブリンとオークの混成部隊を、村の皆が気付くよりも早く塵一つ残さず滅殺したが、今回はそれをせずに――念のため上空に白竜の分身体を生成して、非常時に介入できるようにしてあるが――村の一員として迎え討つつもりである。
 村の皆に死の危険もあるわけだが、実のところ魔物の襲撃には村にとっての利益と言うモノもある。
 大抵襲ってくるのはゴブリン、オーク、コボルド、稀にトロルやオーガであるが、まずこれらの魔物が持っていた武器や村への襲撃に合わせて持ってきていた食料などは、すべて迎え討った村のものとなり、また討ち取った魔物の種別と数に応じて報奨金が王国から出る。
 場合によっては納めている税の軽減や、鉄農具や家畜が格安で貸し出されたりもする。上手く魔物の襲撃を防ぎきれば村に齎される利益は大きなものとなる。

 考慮しなければならないのは村の人達の目がある為に、私が力をおおっぴらに振るうわけにはゆかないことと、犠牲者が出るかもしれないと言う事である。もっとも私に死者を一人も出すつもりがない事は、言うまでもない。
 私が一村人として振る舞うにせよ、現在ベルン村には魔法使いとして私、マグル婆さん、ディナさん、リシャ、アイリの五名がおり、ゴブリンなど及びもつかない強力な魔物であるラミアのセリナ、精霊魔法や種固有の異能を持つドリアードのディアドラがいる。
 更におそらく人間の作りうるゴーレムとしては最高峰の性能を持つリネットと、私及びリネットの指揮下にある五体の強力なアイアンゴーレム。

 また私が日々人目につかぬ所でこっそりと作成して磨いたゴーレムクリエイションで、簡易大量生産式のゴーレムを用意する事も出来る。
 私は延長した知覚網が捕捉した魔物の集団の姿を感じ、来るなら来いと闘志を燃やす。ゴブリン単種族で構成された集団は、およそ五百。
 統率されてはいるが軍隊と言うほど厳しく律せられた感じではない。有力なゴブリンの氏族が募った私兵集団といったところか。
 集団としての戦闘能力はあまり高くないだろうが、それだけのゴブリンを討ち取れば王国からの報奨金はなかなかの金額となるだろう。私はゴブリンを一匹残らず返り討ちにするにはどう動くべきかと、思案を巡らせながら家に着いた。

<続>

 主人公は最終手段として上空の白竜の分身体による介入を決めていますが、極力村の皆にばれても構わない範囲で迎え討つつもりです。
 その気になれば呼吸をする様に簡単に全滅させられる相手ですから、出し惜しみしなければいいのにともどかしく思われたり、出来の悪い消化試合を読まされているみたいと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
 またキャラクターを~~の○○と例える事もありますが、分かりやすく記号的な外見の特徴を伝える為の例えとしてあげているだけで、実際には皆さまのお好きなようにイメージしてください。決して外見を強制する為に例に挙げているわけではないのですから。
 もっとこうしたら面白い、といったご意見や気になる点がございましたら、ご指摘いただけると幸いに存じます。

 なおいまさらですが主人公は竜サイズまでなら相手に合わせて伸縮拡大膨張硬軟自在の素敵紳士棒の持ち主です。なので相手が竜サイズ以下ならどんな種族だろうとジャストフィットします。

外伝――ドライセンの冒険

 国境沿いの都市エジュールは、国境が近いと言う事もありそれなりの兵力が駐屯しており、また付近には遺失文明の遺跡や神や悪魔の類が建造した迷宮、天に角突く塔などが複数存在している事もあって、冒険者や傭兵の類も数が多く人間種と敵対する亜人や妖魔の類は近寄る事を避ける。
 それでもエジュールから広がる田園地帯に散在する農村は、時折ゴブリンやオークなどの集団に襲撃を受ける事もあり、それぞれに自警団が存在してそれなりに自衛の戦力を整えているが、村と街を行き来する商人や収穫物を運ぶ農民などが被害を受ける事が時折ある。
 白い鱗のドラゴニアン、ドライセンと青龍人の瑠禹が、たまたま遭遇したオークの集団も、そうした襲撃に成功した幸運な一団であった。
 もっとも隊商を襲って女と荷を得た直後に、竜の眷族二体に襲われて全滅した事を考えれば、襲撃の成功で全ての幸運を使い果たしたと言えるだろう。

 誘拐されている最中に遭った女性八人を救出し、隊商が奪われた荷を馬車ごとエジュールに送り届けたドライセンと瑠禹は、エジュールを預かる有力者や駐屯している騎士から感謝の言葉を送られた後、冒険者として行動する為の手続きを終えた所であった。
 オークの集団を壊滅させたドラゴニアンの話はエジュールの隅々まで広まっており、冒険者ギルドの中の人間の視線が先ほどから二人に注がれ続けている。
そうでなくとも幻の種族と言われるほど、その姿を見ることの少ないドラゴニアンであるから注目を集めるのは仕方のない事であった。
 戦利品である鍛鉄製のハルバードを肩に担いで腕を組む白鱗のドラゴニアンは、傍らに立つ異国の趣ある黒髪の美少女に向けて、やや面長の口から恐ろしげな牙を覗かせながら口を開く。

「して瑠禹よ、これからなにかしたい事はあるか? 宿でも借りて冒険者暮らしをするのか? 私はそなたの意向を最大限に汲もう」

 二人のドラゴニアンは共にずぶとい神経をしているのか、周囲から寄せられる視線の矢束をまるで気にした風もない。

「はい。気になるのはオーク達の拠点が近くにあるのではないかと言うことです。おそら
くそこには……」

「ふむ、奴隷か家畜扱いされておる人間が捕らわれていよう。先ほどは怒りにまかせてその場で皆殺しにしたが、一匹くらいは逃がして拠点を突きとめるべきだったか」

「わたくし達が関わったのも縁でございましょう。捕らわれている方々を助けたく思います」

 二人の会話には徹底してオークなどに対する憐憫の情などは欠片もない。人間に対する好意的な態度と比べると、まるで別人のごとき冷徹ぶりであるがこれにははるか古代からの因縁が存在している。
 オーク、ゴブリンなどの人類に対する敵対種は神代の竜からすれば絶対の敵対種であり、地上で生まれた新しい竜達からすれば単なる食料の一種という認識にある。
 かつてある悪神の一派がオークなどの原種を作りだした際に、調子に乗ったのかあるいは元から竜種を敵対視していたのか、竜界に攻め込みあろうことか原種オークが真竜同士の間に産まれた卵の一つを奪ったことがある。
 しかしこれはその後の結果を考えれば奪ってしまった、大いなる過ちを犯したと言うべきだろう。
 これに怒り狂った原初の竜達は、始祖の七竜を筆頭にして全竜族が悪神の支配していた小魔界に乗り込み、即座に卵を奪還した後に一切の理性を捨ててその強大な力を振るい、その結果当時大魔界に存在していた邪神や悪魔の三分の一と、小魔界の半分近くが巻き添えを食って完全に消滅する事になり、たいして竜族の死者はゼロである。

 この事が切っ掛けとなって善神と悪神の戦いの趨勢を計る天秤は大きく善神に傾き、更には竜族の怒りを買う事を恐れた他の邪神達は、当時神々の戦争の為に作りだしていた原種オークをはじめとした妖魔達をそろって手放して地上に棄てたのである。
 地上に棄てられた原種オーク達は、神々の戦争に用いられるほどの力を失って人間や獣人などが対抗できる程度に力を劣化させる事となった。
 その後も地上に降りた竜族はかつて卵を奪われた怒りから、オークやゴブリンを見かければ積極的に狩りたてた。
 もっとも竜族も世代を重ねるごとに知性と力、そして始祖の怒りの記憶を失い、今ではオークなどを見かけても単なる食料程度にしか考えないものがほとんどだが。
 その悪神が本来不滅である筈の魂ごと滅せられる事になった太古の戦いの当事者であったドライセンと、始祖達の怒りの記憶を継ぐ古龍の娘である瑠禹の心には、オークに対する憐憫や慈悲の心は全くと言っていいほど存在していないのである。

「捕らわれている人間達を救う、か。異論はないが、既にギルドに依頼が出されておるかもしれんし、まずはそちらを見てからにしよう。都市の方で救出計画が練られていたら、私達の横槍で台無しになってしまいかねん」

「その様な事になったら目も当てられませんね」

 オークやゴブリンなどの妖魔が齎す被害は常に人間達にとっては悩みの種だ。この都市の為政者か有力者が討伐か捕らわれている人々の救出を、冒険者ギルドに依頼していてもおかしくはない。
 ドライセンと瑠禹の二人はギルド一階の奥にある掲示板の前へと移動した。依頼者の個人情報などが多少掲載される事から、冒険者ギルドの関係者しか入れない様に区切られた奥では、依頼を求めて掲示板に視線を彷徨わせる冒険者たちが屯していた。
 こちらでは依頼の報告などを行うスペースも兼ねており、受付のカウンターで話しこんでいる冒険者の姿も見られる。同じドラゴニアンであるはずだが別種の様に姿の違う二人に、次々と視線が吸い寄せられる。
 亜人最強種の一角に数えられるドラゴニアンの力を計るように見つめるものや、瑠禹に対する欲情を交えたもの、純粋な驚きを覚えているものなど、一口に冒険者と言っても反応は人それぞれであった。
 掲示板の前に着いた二人の威圧感に押されてか、掲示板の前からほかの冒険者たちは潮が引く様にして離れる。
 掲示板はそれぞれ冒険者のランクごとに分けられていたが、既に貼り出されているものを見る限り、少数の妖魔討伐などはあってもオークの拠点そのものを壊滅させる依頼や捕らわれた人々の救出と言った依頼はない。

「流石に難しい内容であるからここには貼り出されていないのでしょうか?」

「一定以上のランクでないと受けられないのかもしれんし、そもそも依頼が出ておらんのかもな。聞いてみるか」

 つい先ほど冒険者になったばかりの二人は、自分達に知識が全く足りていない自覚があるため、分からなければ分かる人に聞くと当然の様にお互いに意見を帰結させ、その事に対して特に恥を感じなかった。
 先ほど手続きを取って貰ったエミリアの元へと舞い戻り、二人は手の空いていたエミリアへと自分達の疑問をぶつける。初めて見るドラゴニアンを相手に重圧を感じ、解放された反動で気を緩めていたエミリアにとっては、不幸なことだったろう。
 再びどこか幼い顔立ちを緊張に強張らせたハーフエルフは、ドラゴニアンの口を突いて出た言葉に痛ましげに目を伏せてから、その様な依頼が出ていない事を告げた。

「いえ、オークの拠点攻撃あるいは誘拐された方々の救出の依頼は出ていません」

「なぜだね?」

 ドライセンの神々しくも凶悪さを感じさせる外見にそぐわぬ、落ち着き払った高い知性を感じさせる響きのある物言いに、エミリアは少しばかり驚きながら答える。

「この街に駐留している兵力は隣国との非常事態に備えてのモノです。街を守るための戦力ではありますが、積極的に討って出る為のものではないのです。そしてオーク達の拠点がいまだ判明していません。攻撃するにしろ救出するにしろ、場所が分からなければどうしようもありません」

 ドライセンは鋭い爪の生えた指先を顎に添えてふむと呟くや、思案に耽った。瑠禹はと言えば種族は違えど同じ女性がどのような悲惨な目に遭っているのかを考えて、傍目にも明らかに白い麗貌を悲しみの色に染める。

「そうなのですか。この街を治める方か騎士様に願い出てもやはり駄目でしょうか?」

「残念ですが難しい、いえ、無理でしょう。エジュールではオーク達の被害はほとんどありません。エジュール近郊の村に住む方達や商人がほとんどで、拠点を壊滅させるほどの大規模な人員を必要とする依頼に見合った報酬は用意できません。
 定期的に街道近くに出た妖魔や魔物を討伐はしていますが、時間が経てば街道の近くに再び姿を見せますし、むやみに大きな戦力を動かせば隣国に隙を見せることにもなります。他にも迷宮から外へ進出しようとする魔物達にも対応しなければならないのです。大変残念ながら、エジュールを取り囲む状況は厳しいものなのです」

「あい分かった。色々と制約があり動けぬと言うわけか。時にちと答えづらい事ではあるかもしれんが、もし乱暴された女性などが見つかった時この都市ではどうしているのだね?」

「そうですね、まずはマイラスティ教の神殿に運び込んで治療を受けるのが一般的です。神殿では体の怪我ばかりでなく、傷ついた心の癒しも行っていますし、女性の方が多いですから」

「そうか、丁寧な説明痛みいる。重ね重ね礼を申す。瑠禹、行くぞ」

「はい」

 去り際に一礼するその所作も優雅にギルドを出て行く瑠禹の後ろ姿に、エミリアは小さく頭を下げた。あのドラゴニアンの二人があった事もない人々に心からの憐憫の情を抱き、案じている事は間違いがなかったから。
 冒険者ギルドを出た二人は馬車がすれ違える広さの通りを歩き、吸い寄せられる人々の視線を引きはがしなら、これからの行動について語り合っていた。といっても二人の行動は既に決まっていた。

「人間の助力が得られぬとなれば私と瑠禹で救出するしかあるまい。救出後はマイラスティ教の者達に身体と心の傷を癒してもらうか」

「はい。ドラン……こほん、ドライセン様とわたくしならば数百匹程度のオークなら問題なく駆逐出来ましょう」

 過激な事を口にする瑠禹に、ドライセンはこの娘も激しい所があるものだと意外そうな顔を拵えて、自分の腕だったら簡単に首の骨を折れてしまう華奢な少女を見た。

「マイラスティ教の方々には多大なご負担となりましょう。後々匿名で喜捨いたしましょう。あまり人間の方々の事に関わるのは良くない事ですが、今回ばかりは見過ごせません」

「ふむ、龍吉公主から腐るほど金を受け取っておるからな。傷ついた女性達の為に喜捨するのは良い使い方であろう」

 一族の掟に従って実娘を外の世界に旅立たせた龍吉公主であるが、旅の供をドライセンに頼み込み、人間世界でも通用する金銀や財宝を持たせている辺り、十二分に過保護な母親と言えるだろう。
 まだ瑠禹が腹に宿っている時に良人を亡くし、母一人娘一人で生きて来た事を考えれば、多少過保護になっても責める事は出来ないか、とドライセンは一人ごちた。
 そうと決まれば二人の行動は早い。本来はドラゴニアンではなく、魔獣幻獣の中で最高位に君臨する龍と竜が姿を変えた二人であるから、実際の戦闘能力は亜人最強種の一角どころか地上の全生物の中での最強種なのである。
 食欲の旺盛なドラゴンなどは一晩で数百匹のオークで胃の腑を満たす事もあり、この二人が本気でオーク殲滅に動いたら、例え千匹の屈強なオーク族の戦士達が待ち構えていても、全滅させるのに半日もかかるまい。
 元々古龍の血を引いている事で高い霊格と魔力を兼ね備え、巫女として占星術など各種の占い、祈祷を学んでいた瑠禹や、竜種として高位の神々さえ上回る戦闘能力と霊的知覚能力を有するドライセンが本気でオーク達の集落を探し求めれば、その所在を突き止めるのは難しい事ではない。

 エジュールを出て近くを流れる川縁の石の上に座し、両手で川の水を掬った瑠禹は目を細めて精神を集中させ、短く祝詞を呟いて手の中の水に視線を向け続ける。
 瑠禹の細身からトランス状態に入ったことで放出される青い霧の様な霊力が溢れて、周囲を青く神秘的に照らし出している。ドライセンは瑠禹の精神集中を妨げぬようにその背後で腕を組み、水占いの結果が出るのを待っていた。
 荘厳な神霊の宿る場と変えるかの様な瑠禹の雰囲気の変化は、頬を撫でる風や照りつける陽光、川のせせらぎさえも音を立てて場を乱す事を恐れているかのような静寂を作りだす。
 瑠禹の細く美しい手が掬った水が波紋を浮かべて透き通った水面に色が着き、様々な光景を映し出す。それを瑠禹はつぶさに見つめてやがて水面に映る光景が終わると、水を静かに川辺に棄てて立ち上がる。
 ドライセンは袴をとめる腰帯に括りつけていた革の袋から手拭を取り出して瑠禹に手渡す。

「ありがとうございます。オーク達の集落はエジュールの北東に広がる森の中、人間の足で四日の距離にございます」

「歩いてゆくには遠いな。飛んで行こう。ご苦労だったな、瑠禹」

 瑠禹の占いの結果を微塵も疑わず、ドライセンは瑠禹の頭を軽く撫でて労をねぎらう。
 労うドライセンの言葉に瑠禹は静かに微笑を浮かべて、賛辞を受けた。父の顔を知らず、父親代わりの男性も傍に居ないままに育った瑠禹にとって、目の前の白鱗のドラゴニアンは父か年齢の離れた兄のような存在であった。
 その事をドライセンも理解しているから、意識して父兄のように振る舞っている。
 かくしてエジュール近郊に住まうオーク達に対する覆されることのない死刑宣告は、どこにでもあるような川べりで下されたのである。

 オークの集落はエジュールの北東に存在する森林の奥深くを切り開いた場所に存在している。先端を杭の形状に削った丸太を大地に突き立てて集落を囲い、分厚い木の扉の近くには常に十名近い見張りが立てられている。
 総勢四百に及ぶ老若男女のオーク達が生活を送り、時折街道をゆく人々や集落に住まう農民を襲っては作物や種付け用の家畜として人間の女性を誘拐している。
 今日も人間達を襲いに出た二十名ほどの集団が一向に帰って来ないままだったが、帰りの道中手に入れた獲物を食い漁るか、女達を凌辱する事に熱中して遅くなる事はしょっちゅうだから、集落には弛緩した雰囲気が漂っていた。
 だがそれも頑丈に作り上げた筈の門が見張りのオーク達共々粉微塵に吹き飛んで空を舞い、大音量の破砕音を集落の中に響かせた事で一変する。
 首だけになったオークや臓物を撒き散らしながら胴体から真っ二つになったオーク達の死骸が、門の残骸と共に音を立てながら地面に落下して、集落の中で思い思いに怠惰に時間を過ごしていたオーク達が、襲撃を受けたのだと理解してそれぞれが愛用の武器を手に取る。

 立ち込める土煙の奥から、オークの頭部を踏み潰して姿を見せたのは、三十キログラム以上の重量がある大型のハルバードを小枝の様に軽々と担いだドライセンである。
 白い鱗に覆われた全身からは鏖殺(おうさつ)の殺意と闘気を迸らせるドラゴニアンの姿に、オーク達は竜族に対する始祖から受け継ぐ根源的な恐怖に襲われて、目にしたほとんどのものがその場で失禁し、腰を抜かして恐怖に震えて武器を落として自分の足を傷つける者が続出した。
 ぐるるぅ、と耳にした者の心を恐怖に塗れさせる唸り声を零していたドライセンの口が大きく開かれ、その奥に紅蓮の輝きが灯る。火山の火口を思わせる抗う術さえ思いつかない炎。
 闘争の始まりを告げる言葉も、皆殺しにする宣言もなく、その代わりとばかりにドライセンは魂さえ燃やし尽くすドラゴンブレスを吐いた。

 白い鱗と青い瞳を煌々と照らしながら、ドライセンの口からごおおうという大音響を轟かせながら、紅蓮の津波の如く大火炎が放出される。
 空中でいける大蛇の様にくねらせながら放たれた炎のブレスは、扇状にドライセンの前方を薙ぎ、摂氏数千度に達する超高熱は触れる者すべてを瞬時に炭化させ、紅蓮の津波は無慈悲に十数匹のオークを飲み込んで瞬時に絶命させた。
 オーク達が身に着けていた鉄製の鎧や武具は高温に晒された飴のように瞬時に溶解し、オーク達の肌や肉からは水分が一瞬で蒸発してわずかな抵抗を示す間もなく白い灰へと変わる。
 大火炎の放出が終わった後にはオーク達のなれの果てである白い灰がわずかに蟠っているばかり。
 門の破壊とブレス放出の大音響にいよいよもってオークの集落はただならぬ事態である事を把握し、オークと言うオークが武装した姿で家屋や地下に掘られた穴から顔を覗かせて、揃いも揃ってドライセンの姿に恐怖を浮かべる。

 竜の眷族に過ぎないドラゴニアンといえども、オーク達にとって竜に連なる者はただそれだけで途方もない恐怖の権化であった。
 オーク達の醜態を前にしたドライセンは、青い瞳に圧倒的弱者に対する憐みはおろか、侮蔑の感情も浮かべる事はなかった。
 なにがしかの感情を抱くに値しない存在として、オーク達の事を見ているのだろう。大地の上で転がっている石ころや樹木を見る瞳の方がよほど温かみがある。
 ドライセンはぞろぞろと雁首を並べるオーク達の数が百を超えた所で、大きく胸を逸らし集落ばかり森全体に響き渡る大音響で咆哮を上げた。
 木々を振るわせる咆哮は拙い技術で作られたオーク達の家屋を大きく震わせ、木々の枝から落ちた葉がびりびりと震えてその場に縫い止められたように落ちるのを止めるほどであった。
 ぐるぐると渦を巻いていた飛び火も突風にあおられた様に揺らめき、燃やしていたオークの炭化した死体や家屋ががらりと音を立てて崩れる。

 竜に限らず高位の魔獣の咆哮には精神を強い恐慌状態に陥らせる魔法的な効果がある。魔法に対する抵抗力の弱いものでは、単なる声を聞いただけでも心拍が乱れて動悸が激しさを増し、正常な判断力を狂わせる。
 創造神を失うか見捨てられたオーク達は一部のメイジやダークプリーストを除いて、魔法に対する抵抗力は極めて低い。
 結果として集落に住まう全てのオークはドライセンの咆哮に鼓膜はおろか、魂のレベルで極めて深い恐慌状態に陥る。
 ある者は我先にと逃げ出し、またある者はその場に頭を抱えてうずくまり、またある者は手に持った剣で自分の咽喉を突いた。
 ドライセンが咆哮を上げた時点で自殺した者を含めて、オークの死者は二十名余り。残り三百八十匹のオークを、ドライセンは一匹たりとも逃がすつもりはなかった。
 火炎の放射によって黒く焦げた大地を踏みこみ、ドライセンは蜘蛛の巣状の罅が出来上がるほどの力を込めて、大地を蹴った。
 ほとんど同時に足場となった大地は微塵に砕け、ドライセンはその巨体からは信じられないほどの速さで持って、もっとも近くに居たオークへと風を切って襲い掛かる。

 オークは肌色の肌にいくつもの小さな瘤と赤い斑点を散らした顔を、蒼白く変えて呆けた顔でドライセンを見ていた。
 ドライセンの振り上げたハルバードが頭頂部に振り下ろされ、そのまま水を切る様に股間部までを縦に両断し膂力の凄まじさから、そのままそのオークの体は体内で爆発が生じたかのように、爆散する。
 原型を留めぬ肉塊、いや肉片には目もくれず、ドライセンは背から伸びる白い翼を大きく広げ、ドラゴンの眷族たる事を示す凶悪ながらも神々しい威容を知らしめる様にして大地を蹴る。
 翼の羽ばたきが生む推進力を加味して加速するドライセンの姿は、遠巻きに囲むオーク達の目に白い風としか見えなかった。
 その白い風がオーク達の傍を吹き抜けるとその度に、オーク達が纏っている鎧ごと爆発して、吐き気を催す内臓と肉と血を当たりにぶちまけて死んでゆく。
 風はオーク達の性別や年齢を問わず平等に吹き抜けては、瞬く間に門から続く広場に姿を見せていたオーク達を、全て物言わぬ骸に変えた。

 百体近いオークを挽肉に変えてから、ドライセンはようやく足を止めて広げた翼を折り畳む。
 未踏の新雪を思わせる白い鱗には返り血の一滴たりとも付着してはおらず、右手に握るハルバードも同様だ。あまりに高速で振るわれた影響か、銀色の刃は大気との摩擦で真っ赤に焼けている。
 まさに死の運命がドラゴニアンの姿を取って現れたかの如き一方的な殺戮劇に、言葉を忘れて呆けることしか出来なかったオーク達もいよいよもって自分達が皆殺しにされる恐怖に気付き、それぞれが聞くに堪えない悲鳴を上げはじめる。

「む、無理だああああああ、勝てっこねええーーーー!!」

「どけえ、おれは逃げる、逃げるんだッ。ありゃあああ化けものだ化けものだ! おれ達の死が来やがったああああああ」

「い、いやだあああああ、じにだぐねえよよおおおおおお」

 ドライセンは再び口腔に紅蓮の炎を溜め込むと、今度はそれを放射状ではなく小さな散弾の形状に変えて同時に百近い数を撃ち、背を向けて逃げ出す姿勢を見せていたオーク達めがけて、火炎の散弾が虚空に紅蓮の軌跡を描いて舞い踊る様に飛翔し、オーク達の頭部を吹き飛ばし、背中から腹に向けて大穴を開け、顔の半分を燃やして真っ黒な炭に変える。
 尋常ではない熱量に加えてドライセンが認識した対象に向けて自動追尾機能を併せ持った、おそるべきブレスであった。
 我先にと逃げ出す動きを見せたオークを優先して焼き殺したブレスを吐き終えて、ドライセンはおそるおそるこちらを振り返る生き残りのオーク達を睥睨する。散弾状のブレスは、オークの数を減らす事以上に意思表示の為に放ったものであった。

「崇めるべき神を持たぬ者たちよ! 貴様らを一匹たりとも生かしては逃さぬ。砂漠に落ちた真珠を拾うがごとくわずかな生の可能性を求めるならば、我を殺せ。
 その手に握る槍で我が心臓を貫き、剣で首を切り落とし、鉄槌で頭を砕け! それしか貴様らに生きる術はない。それ以外を許さぬ!!」

 非情極まるドライセンの宣言は残るオーク達に覚悟を決めさせるに足るものだった。逃げる事は出来ない。先ほどのブレスがまた放たれて背を見せた者は一匹残らず焼き殺されるのだ。
 ならば生き残る手段はたった一つ。残忍無比な死の化身のごとき白いドラゴニアンを殺すことだけ。死中に活を求める以外に許された選択肢はない。その選択肢自体が明確な死に等しくとも。
 恐慌作用を持ったドライセンの咆哮と、虐殺にしかならないほどの圧倒的な戦闘能力の差に、恐怖に塗れたオーク達の目にこの悪夢じみた戦いを終わらせるたった一つの手段を取る事の決意の光が宿って行く。
 死に物狂い――あるいは死を前提とした生き残りのオーク達の狂気と恐怖と絶望に塗れた特攻を、ドライセンはまるで無価値なものを見る冷酷と言う言葉を越えた光を宿す瞳で静かに見つめていた。

 ドライセンに向かって半ば狂気に染まって襲い掛かるオークの戦闘集団に先んじて、歯車式のハンドルで弦を固く張った弩(いしゆみ)から、一撃で人間の頭蓋を射ぬく矢が数本、無秩序にドライセンの巨躯に命中する。
 弓ばかりでなく矢も鋼で出来たそれは、しかしドライセンの体を覆う白い鱗に触れるやかつんと乾いた音を立てて落ちる。近距離であればプレートメイル(板金鎧)の胸部装甲や半端な盾など軽く貫く矢である。
 それがドライセンの鱗を相手にしてはまるでおもちゃの矢の如く無力な存在へと変わり、当のドライセンにはまるで痛痒を感じた素振りがない。
 弩の援護がまるで無力なものと分かっても、オーク達に足を止める事は許されない。死に物狂いの特高にこそ生存の光明を見ているが、ここで足を止めれば生存の可能性が一つもない死が待っているだけなのだから。

 弩を除いて最初にドライセンに一撃を叩き込んだのは、両刃のバトルアックスを振り上げたオークであった。でっぷりと脂肪を蓄えた腹が突き出し両腕は丸太の様に太い。
 バトルアックスは刃毀れの目立つ品であったが、斬る、あるいは断つというよりも叩き殺す為の武器として使っていたのであろう。
 死の恐怖を前になり振りを構わぬオークの全力が込められた一撃は、ドライセンの左頸部に叩きつけられ、鱗に当たった瞬間にあまりの堅牢さに耐えきれずにバトルアックスの刃の付け根から折れて、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。
 鱗に全力を込めて叩きつけた反動で腕が痺れるばかりか、手首の骨までも負ってしまった上に砕けや刃の破片を顔面に受けたオークは、潰れた目から血を流し苦しみの声を零し、直後ドライセンの左拳を顔面に受けて、卵を地面に叩きつける様に頭部を砕かれて絶命する。

 バトルアックスの一撃に留まらずドライセンには、オーク達が自ら鍛えたか人間などから奪った武器が叩き込まれていった。
 トゥーハンデッドソードや良く手入れのされたバスターソード、パイクやロングスピア、ポールアクス、トマホークと武器の見本市の様に次々とドライセンの鱗に当たっては、まるで風化する寸前であったかのように砕け、それを操っていたオーク達の手首や肘、肩の骨が砕ける始末。
 元々ドラゴニアンの鱗は大型爬虫類の鱗を用いたスケイルメイルをも上回る堅牢さを持ち、渾身の一撃でもなければオーク達では貫く事は叶わない。
 並みのドラゴニアンであれば腹部や咽喉などの比較的守りの薄い場所に叩きこめば、鱗の守りを貫く事も出来ただろうが、ドライセンは並みどころか最強のドラゴニアンをもはるかに上回る規格外の個体である。
 要するにこの場に居るオーク達がどれほど潜在能力を解放し、腕を犠牲にするのを覚悟して全身全霊の一撃を叩き込もうが、その全ては無駄なのだ。

 攻撃を重ねれば重ねるほど腕と骨と武器が砕け、見舞われるハルバードの一撃や左の剛腕に腰から胴体を真っ二つにされ、頭を叩き潰され、更には周囲を囲いこんで一斉に槍を突き出せば、ドライセンの尻尾が瀑布のごとき轟音を立てて旋回し、包囲していたオーク達の体を真っ二つに引き裂いて行く。
 ドライセンの尻尾にはその形状から刃の様な切断能力はない。しかしミスリルをも上回ろうかという硬度の鱗に覆われた尻尾が、巨人族やオーガを軽く捻り殺すドライセンの筋力に任せて振るわれれば、それはもはや下手な破城鎚など問題にならない鈍器と化す。
 音の壁を超えかねない速度で振るわれた尻尾はその運動エネルギーと重量、硬度と合わせて鞭の様にしなって叩きつけたオーク達の体を、結果として真っ二つに断裂させて、包囲していたオーク達を醜い肉塊へと変える。
 いくら武器を叩き込んでも鱗の前には通じず、包囲しても唸る尻尾やハルバードの一閃で薄紙を手で裂くがごとく肉体を破壊され、オーク達には死中に活を求める事さえ実際には不可能なのであった。


 オーク達が誘拐した人間の女性達を捉えた獄舎は集落の最も奥、酋長の家のすぐ近くにあった。最高権力者である酋長の気が向いた時にすぐ女性達を凌辱するか、あるいは食べる為の利便性の故である。
 太く頑丈なクロガネ杉を使って拵えられた牢屋に、十六名ほどの首輪や足枷を嵌められた全裸の女性体が捕らえられている。
 当然この牢屋にもドライセンの咆哮は届いており、ほとんどが死んだ目をして虚ろな表情を浮かべていた捕らわれの女性達は、精神が衰弱しきっていた事もあってその場に気絶した者が多くて、かろうじて一人が意識を保っているきりだ。
 最大の天敵にして絶対に敵わぬ存在の襲撃を悟った監視のオーク六匹は、女性達をどうやって凌辱するのが一番気持ちいいか、という下劣な話を止めて我先にと逃げ出す算段を整えていた。
 しかし外に居た二匹は天空から放たれた矢に頭蓋を貫かれて即死し、獄舎の中に居た四匹も唐突に自分達の頭部を覆った水球に、気管を一杯にされて地上で溺死した為獄舎の異常を外に伝える事は出来なかった。
 もっとも集落の中では白鱗のドラゴニアンとの絶望しかない戦いが繰り広げられており、誰も獄舎に向かう余裕はなかっただろう。

 生ある者が女性達だけになった獄舎の中に、開きっぱなしになっている戸に影さえも美しい異国の雅趣薫る少女の姿がある事を、かろうじて意識を保っていた女性の一人が気付く。
 日夜絶え間ない凌辱に鉛の様な疲労が親しい友人の様に身体に溜まっていて、先ほどの咆哮もあって瞼を開いているのも難事であったが、少女がオークとは違いはっきりと人間と分かる姿をしている事に、その女性はかすかに息を飲んだ。
 ドライセンが正面から囮――というといささか違和感があるが――になっている間、捕らわれの女性達の救出役を買って出た瑠禹である。
 ドライセンは女性達がどのような目に遭っているかを考慮し、その姿を瑠禹に見せる事を渋ったが、自分が姿を見せる方がよほど女性達を警戒させ、恐怖させかねない事は分かっていたし、異種であっても雄に凌辱を受けた姿を晒すのは酷な事であろう。
 危険性で言えば正面からオークの大集団と戦うドライセンの方が上であることと、瑠禹が女性達の救出を買って出た事から、このような役割分担とあいなったのである。
 瑠禹は女性達の口にする事も綴る事も憚られる惨状に顔を顰め、そうする事が女性達に対して礼を失するからとすぐさま表情を引き締めて、深く腰を折って頭を下げながらこう口にした。

「皆さまをお助けするべくまかりこしました」

 偽りの響き一つない瑠禹の言葉に込められた鎮静の言霊に、かろうじて意識を繋いでいた女性は、張りつめていた緊張の糸を切らしてその場に倒れ込んで気を失った。
 瑠禹は下げていた頭を上げて、牢屋を破壊し女性達の体を清めて傷を癒し、首輪や足枷を外す作業に集中した。
 全ての女性達の弱り切っていた体に新たな活力を吹き込み、痛々しい青あざや傷跡を癒し、子宮に溜まっていたオーク共の黄ばんだ精子を浄化して体を清め、予め用意していた衣服を着させてから、瑠禹は暗澹たる気持ちのまま獄舎の外に出た。
 戦闘と悲鳴の合奏は、既に治療の途中で絶えている。
 オーク達の肉が焼ける匂いはなかった。ドライセンのブレスを浴びれば瞬時に炭化する為で、代わりに濃厚な血の匂いが漂い空気が赤く変色していないのが不思議なほどである。
 直に血の匂いに誘われた森の獣たちが姿を見せて、オークの死骸を綺麗に平らげるだろう。死んで骸と変わればオーク達も他の生き物の役に立つ。
 瑠禹は燃え尽きた酋長の家の前で、布包みを下げているドライセンの姿を見つけ、迷子になった子供がはぐれた親を見つけた時の様に、わずかに白い顔に明るいものを浮かべて小走りに近づく。

「ドライセン様」

「瑠禹、オーク達は全て片付けた。女性達は……」

「皆さま、今は眠りに就いておられます。傷の治療は終えましたので、命を落とすような事はありません。ですが、心の傷ばかりはそう簡単に癒えません。龍のわたくしでは人間の心を完全に理解することはできませんし、至らぬ自分が歯痒くはありますがやはり人間の方々に心を癒して頂くほかございませんでしょう」

「そうか」

 ドライセンは短く呟いて瑠禹のすぐ目の前に歩み寄ると、黙って空いている左手で瑠禹を抱き寄せる。華奢な瑠禹の体は繊細なガラス細工を思わせ、ドライセンは力加減を間違えれば簡単に壊れてしまうのではないかと気を遣った。

「見ないで済むのならその方が良いものを見たな。だが彼女たちの前でその様な態度を取ってはならぬ。最も傷ついているのは彼女たちなのだから。その代わり、私がお前を労り慰めよう。よくやった。お前は立派に務めを果たした」

 ドライセンの腕の中で瑠禹は涙こそ零さなかったが、ドライセンの背に腕を回した暫くの間そうして動く事はなかった。
 母の庇護の元、龍宮城で生まれ育ったこの少女にとってオーク達の凌辱を受けた女性たちの姿は、言葉にし難い衝撃と恐怖、嫌悪感を与え世界が綺麗なものや美しいもの、優しいものばかりではない事を分かりやすく示したことだろう。
 そしてこれは別にオークばかりが行っている事ではない。今回二人が救出した人間種とて、異種族や異民族、異国民が相手だったならオークと同じかそれ以上に無慈悲で残酷な、人間の皮を被った鬼畜に変貌する。
 長く人間を見続けた結果、その事を否が応にも理解させられたドライセンにとって、これから瑠禹が外の世界で見るものの多くは、そういった知ってしまった事を後悔するものばかりだと、深い悲しみを覚えてならなかった。
 しばらくドライセンの胸に縋ってから、瑠禹は顔を上げて離れ羞恥に頬を紅色に染めて、恥ずかし気に笑んだ。

「申し訳ございません。恥ずかしい所をお見せいたしました。時に、ドライセン様、斧槍はいかがなさったのです? それにそちらの包みはなにやら血を滴らせておりますが」

「ふむ、ハルバードは柄を握り潰してしまった。オーク共が使っていた武器である事を思い出したら、つい力が籠ってしまってな。こちらはここの酋長の首だ。オーク達が壊滅した事を伝えるのに分かりやすい証拠となろう」

「そうでございますか。ではもうここでするべき事はありませんね」

「うむ。後はテレポートで女性らをマイラスティ教の神殿まで運べばそれで我らに出来る事は終わりだ。治療費が足りぬようなら喜捨を続ける位か」

 そうして言葉通りエジュールの人々が知らぬうちに救出された女性達は、誰の目にも触れずに突如マイラスティ教のエジュール神殿の、神官たちが住まう居住区の一角に姿を現し、女性達の事情を記した手紙と神殿の十年分の予算に匹敵する財宝がその傍にあった。
 オーク達に誘拐された女性達がどのような境遇にあったかは想像に難くなく、一体誰の仕業によるものかは不明であったが、神殿の長を務める女性は幸いにして聡明な人物で、神殿の者達に緘口令を敷き、手厚く救出された女性達を治療するよう固く命じる事になった。
 救出者不明のこの事件は長い事エジュールの人々に知られることはなかったが、一部の有力者や都市を治める貴族や騎士団、信頼のおける高名な冒険者などには伝えられて、女性達の救出者の正体が、探し求められたがそこに二人のドラゴニアンの名前が上る事はなかった。

<続>

 感想板でのご指摘を受けて、あ、そういうやそうだ、と思いついて急遽書いたので色々と練り込みが甘いかもです。展開が急すぎるかもしれませんね。
 とりあえず冒険者に登録、迷宮なり依頼を受ける、と来たらあとは奴隷を買うか仲間を増やすのが定番コースでしょうか。本編で大っぴらに活躍できないドランの代わりに活躍する為の話という一面が強いのが外伝の特徴ですね。
 お楽しみいただけたなら幸いです。ではまた次回にて。

11/05 19:39投稿
    22:20修正 通りすがりさま、ありがとうございました。
11/06 10:35修正 科蚊化様、ありがとうございました。
11/07 22:42修正 JL様、ありがとうございました。
11/25 12:35修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑱
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/11/16 12:57
さようなら竜生 こんにちは人生18


 ベルン村の人々のゴブリン襲撃に対する対処は迅速を極めた。
 予め襲撃があった際の対処の段取りは綿密に打ち合わされていた事もあり、戦力にならない老人や幼子は本当に必要な最小限の荷物を纏め、数の少ない驢馬や牛馬の引く荷車に乗ってガロアへと向かっている。
 ガロアへ火急の事態を伝える早馬も鐘が誤報でない事を確認後、村長が事前にしたためておいた書簡を手に出立を終え、マグル婆さんの使い魔でゴブリン達を空から監視しているジャイアントクロウのネロも、黒猫のキティと役割を交代したらガロアへ向かい、デンゼルさんに事態を伝えるだろう。
 そして私はと言えばセリナ、クリスティーナさんと別れた後既に戦仕度をはじめていた父母やディラン兄、マルコの居る家に駆け戻っていた。
 村の中なので身体を強化する事はしなかったが、普段から厳しい農作業に加えて戦闘訓練と狩りで鍛えられた体は、軽く息切れするだけでそれも少し足を止めて休めばすぐに整う。
 マルコに薄い鉄板を挟んだ革の胸当てを着せていた母と、物置から作り置きしていた木の槍や矢、鉄製の武具などを引っ張り出して身に着けていた父とディラン兄の全員に声が届く様に、私は声を大にして話しかけた。

「私は用意をしたら村長の所へ行く。魔法使いをどう使うか確認を取って来なければならいから」

「うむ。おれ達はマルコの用意が終わり次第北門に向かう。お前はマグル婆さんに指示を仰げ」

「ドラン、こっちに来て。胸当てと短剣だけでいい? 槍や弓矢は持ってゆく?」

「胸当てと短剣だけで大丈夫。合流した時に受け取るから」

 私がマグル婆さんの下で魔法薬の調合に留まらず攻撃魔法の習得も始めた時から、有事に私が魔法戦力として扱われる事は決定していた事だ。既に自分達の武装を終えていた父母は、躊躇う素振りも見せずに頷き返して指示を出した。
 マルコだけはまだ戸惑っている様にも、不安を感じている様にも見えたが、ディラン兄が気を紛らわせるために矢を筒に入れるよう指示を出すと、大人しくその作業に没頭しはじめる。

「マルコ、お前はこっちを手伝え。ドランはドランでやる事がある。おれ達にもおれ達でやることがある」

「う、うん。分かったよ、ディラン兄ちゃん」

 流石ディラン兄、こういう時の気配りは大したものである。
 母に薄い鉄板を中に挟んだ革の胸当てを着けてもらい、自分では腰に戦闘用の頑丈なベルトを回して短剣を佩く。
 愛用のツラヌキウサギの槍やショートボウは家族に運んでもらう事にし、私は後で合流する事を確認してすぐさま村長の所に戻る事になった。
 ただし一人ではなく家で畑仕事を手伝っていたリネットを伴ってである。時間を惜しんだ私は、傍目には情けなく見えただろうがリネットに負ぶわれて村長の元へと急ぐ。
 慌ただしく迎撃の準備に急ぐ村の人達の姿があちこちで見受けられ、これでは私が身体能力の強化を施して急ぐわけにも行かないからだ。
 セリナが繕った衣服に身を包んでいたリネットの背に乗った私は、労働の後でも汗一つ浮かべないリネットの体に腕と足を絡め、瞬く間に近づいてくる村長の家を視界に納めていた。

「すまんな、リネット。重くはないか?」

 リネットは一歩で十メルも二十メルも跳躍しており、走ると言うよりは飛翔に近く瞼を開いているのも辛いほどの風が、私の顔を打っている。リネットは長い雪色の髪を風に靡かせ、前を向いたまま私に答えた。

「いいえ。マスタードランが十倍の重量に変わってもリネットが運ぶのになんの問題もありません」

「それは頼もしいな」

「ご存分にリネットをお使い潰しください」

 自らをゴーレム、被造物であり道具であると定義するリネットの言動は、これまで何度か窘めているもののいまだ改善の様子は見られない。こういった自身をゴーレムと強く認識している所などが、イシェル氏にとっては耐えがたかったのだろう。
 なまじ実の娘と同じ姿をしているだけに、感情を持っている様には見えず笑う事も怒る事も悲しむ事もしないリネットの姿には、おそらくではあるが心を切られる様な気持ちであったのではないだろうか。
 イシェル氏には及ばぬだろうが、私もリネットのこの様な言動を目にすると胸に痛みを覚える。

「頼りにする事は間違いないが使い潰すなどとは言ってくれるな。リネットにはこれからも長く付き合ってもらうし、リネットの事も私は大切なのだから」

「ありがとうございます、マスタードラン。リネットもマスタードランのお傍に居続ける事を希望します」

 嬉しい事を言ってくれるな、と私が思った頃にはリネットは既に村長の家の近くにまで到着しており、そろそろと良いだろうと私はリネットの肩を軽く叩いて移動速度を緩めてもらう。
 リネットはそれまでの弓弦から放たれた矢のごとき疾風の速さを瞬く間に落とし、ふわりと柔らかく地面に着地する。着地の衝撃は私にわずかも伝わらず、人間とは異なる柔軟で強靭な関節構造がリネットに持たされているのだろう。
 イシェル氏の技術は大したものだ。私自身簡易型のゴーレムや少々技術を進めて構造の難しいゴーレムを作るようになってから、リネットを創りだしたイシェル氏の技術の素晴らしさと執念の凄まじさが理解できるようになってきた。
 柔らかなリネットの体から手足を離して背から降りた私は、既に村長の家の前で集合していた、バランさんやマグル婆さん、レティシャさんなど主だった村の人達の輪の外に向かって近寄る。
 全員が武装しておりそろって重々しい顔をしているのは、五百もの数を相手にするのは村の歴史を振り返っても相当な窮地ということか。

「遅くなった」

 先に向かわせていたディアドラとセリナの顔が見えたので、私は二人の傍に寄った。私と同じように魔法戦力として数えられているアイリとリシャもこの場に集まっている。
 アイリ達は家族で固まっており、入り婿のドルガさんの姿だけが見えない。おそらく北門の防備を固めているのだろう。うちの父とドルガさんは村で一、二を争う猛者としてこういう荒事の時には、強いリーダーシップを発揮するし同時に求められもする。
 その重圧たるや相当なものだろうが、弱音を吐かず言葉よりも雄弁にその期待に応えて見せる父とドルガさんの事を私は誇りに思う。

「ドラン様、それにリネットちゃんも」

「遅くなった。少し顔色が悪いな。セリナ、私がいるのだから何も心配する事はないぞ」

 広場を包んでいた暗澹色の強い雰囲気に不安の顔色を浮かべていたセリナの肩を優しく撫でて慰撫してから、ディアドラとも軽く一言二言交わしておく。
 人生経験の差なのか、精霊とラミアの感性の違いなのかディアドラはそう不安がってはいないようだ。この二人の場合は前者だろう。

「何か重要な話は決まったか?」

「いいえ。ただゴブリン達は戦力を分けるような事はしていないようよ。北門だけを守ればいいみたいね」

「ふむ、そちらの方が村にとっても戦いやすい。二手に分かれられたらこちらの負担の方がはるかに大きい。五百もいれば小細工は無用と判断したか、元から全戦力をぶつけることしか思いつかないのか」

「ゴブリンなら後者でしょ」

 軽く肩を竦めて小馬鹿に言うディアドラに、私も小さく笑って同意する。
 オークやゴブリンなどは、元は邪悪な神々の尖兵として生み出されたのだが、ある理由から創造した邪悪な神々に魔界から地上へと捨てられており、現在地上に棲息するゴブリンなどは原種から大きく力を劣化させた種がほぼ全てを占めている。
 本来加護を授け導くべき創造神が尽く滅びるか、見捨てられるかしている為にゴブリン達は、その文明や社会を発達させる力に極めて乏しく、おそらく単独ではこれ以上種として進化する事も文明社会を発達させる事もないだろう。
 とはいえ決して侮っていい相手ではない。種としての平均値を取ればゴブリンよりも人間が勝るが、ゴブリンは繁殖力が高い上に成長も速いため、往々にして辺境や小国では人間より勝る数で戦いを仕掛けてくるので、人間側が大いに苦戦を強いられてしまう。
 ちょうど今の私達の様に、だ。

「おお、ドランにリネットお嬢ちゃんか、よう来たの。ちょうどマグルからゴブリン達の様子を聞く所じゃ」

 村長の言葉に私のみならずこの場に集まっていた全員の意識が、いつもの格好に節くれだった樫の杖を突いているマグル婆さんに集まる。
 樫の杖は魔法の行使を助ける触媒で、魔法医師ではなく魔法使いとしての力が求められた時にだけ、物置の奥から引っ張り出してくる品だ。
 マグル婆さんは瞼を閉じて使い魔のネロと視界を共有することで、遠方にいるゴブリン達の様子を村に居ながらにして把握する事が出来る。これは使い魔を持つ魔法使いならまず誰にでもできる事で、使い魔を持つ事の恩恵の一つである。

「そうだねえ、まずゴブリン種だけの連中で数はざっと五百。率いているのは……若いハイゴブリンだね。それと周りに護衛らしいゴブリンメイジが六匹はいるよ。
 残りは皆普通のゴブリンさ。弓を持っているのは五十匹くらいで後は槍と剣、棍棒。ハイゴブリンが出てくるって事は、多分、ゴブリンの有力氏族の跡取りかなんかに箔を着けさせる為の戦いなんじゃないかね。
 ベルン村が王国の最北地になってからは、妖魔共の侵攻を阻止する防波堤の役目も無理矢理やらされているし、結構な数を返り討ちにしてやったからねえ」

 ゴブリンはざっと原種である古ゴブリン、ハイゴブリン、ゴブリンの三種に分けられ、後は魔法を操るメイジや大多数を占める戦士の他、稀に邪悪な神々を信奉するダークプリーストなどが各種族にいる。
 生息地や創造した神によって肌の色や角、牙の有無、能力に多少の差はでるが、人間の人種と同程度の差異でそれほど大きな違いはない。
 原種の古ゴブリンは神に作られた当時の力を強く残す強力なゴブリン種だが絶対数が極めて少ないため、人間が目にする事はまずなく私達が戦うような事にもなるまい。
 世界各地のゴブリンの大きな集落や氏族の指導者は、ハイゴブリンが担っており個体としても人間種をやや上回るほどで、なかなか侮れない戦闘能力を持つ。
 ハイゴブリンが姿を見せた例は北部辺境区開拓の歴史を振り返っても、氏族の族長クラスが出張る様な大規模な戦いがほとんどだという。
 そう考えると今回の五百と言う数はハイゴブリンが出張るにはいささか少なく、おそらくはマグル婆さんの言うとおり若いハイゴブリンに箔を着ける為の生贄に、我がベルン村は選ばれた可能性が高い。

 老年のハイゴブリンなら人間との戦闘にも慣れたもので厄介な相手となるが、年若いハイゴブリンであれば身体能力は盛りを迎えていても、集団戦闘の指揮と言う点においてはさほど脅威ではあるまい。
 護衛のゴブリンメイジが護衛以外にも補佐役を兼ねているのだろうが、単純に魔法を操る力だけでも厄介だ。
 ゴブリン種などが使う魔法は、魔界の邪神や悪魔との契約で行使可能になる暗黒魔法と、善悪の概念を持たない精霊たちに働きかける精霊魔法の二種がほとんどである。
 呪詛や負の力を操り敵対者を殺傷する事に特化した暗黒魔法は、敵に回すと厄介な事この上ない。
 その分傷を癒す治癒系の魔法は少ないが、元々同族に対する情愛が希薄なことこの上ないゴブリンである。
 ハイゴブリンかゴブリンメイジ以外のゴブリンが、どれほど重傷を負ったとしても治癒魔法は後回しにして敵、この場合私達を殺傷する魔法の使用を優先するだろう。

「やれやれここしばらくは大人しくていたと思ったら、数が揃うのを待っておったのかの」

「さてね。案外ゴブリンの氏族で後継者争いにでもなっているんじゃないかい。後継者候補の一匹に箔を着けさせようと、うちの村を襲わせたとかね。単純に春の収穫物が狙いとか、口減らしを兼ねているなんて可能性もあるけど、まあ、疑い出せばきりがないさね。結局あいつらが襲ってくるのは変わらないしね」

「それもそうじゃな。では時間を無駄にするのも惜しい。マグル、魔法の使い方はお前さんに一任するわい。お前ん所の娘に孫娘、セリナちゃん、ディアドラちゃん、ドランと手は随分多いからな。上手くやっとくれ」

「あいよ、任しときな」

 確かに王国が北部辺境区の開拓を一時停止してからは、今ほどベルン村に魔法の使い手が揃った事はなかったかもしれない。ましてや魔物と精霊が村人と肩を並べるなど、村の歴史を振り返っても初の事例であろう。
 ガロアに居るデンゼルさんが戦闘に間に合ってくれれば、学院で教鞭を務めるという実力から、大いに戦力として期待できるのだがどうも今回は間に合うか厳しい。
 ネロが迫りくるゴブリンの一団を発見したタイミングが悪く、ゴブリン達はすでにかなり近い所まで村に接近しており、ガロアの兵士達の方もさて間に合うかどうか。
 ここで厄介になるのが現在ベルン村からの徴税や管理を担当する、ガロアの第四等管理官の席が空白であることだ。
 我がベルン村を訪れて、それはそれはありがたいご高説をくれていったゴーダ元第四等管理官は、ガロアに帰還して以来白い竜に生きたまま食われると言う悪夢を連日見た為に、精神的に疲労し現在は管理官の職を辞している。
 いや、まったく竜に食われる夢を見ただけで情けないものだ。辺境の僻村とはいえ王国から統治を任される身ならば、例え魂が千に引き裂かれようとも職分を果たす位の気概を見せて欲しいものである。

 それはともかくとして本来、この様な火急の事態に陥った際に援軍の手配や逃げ出した村人の受け入れ、被害に応じた復興計画を担当する筈の管理官が不在という事態はそれらのすべてが滞るのにも等しい。
 残念ながら管理する旨味に乏しいと認識されているベルン村の新しい管理官になろうという人物は、今のところガロアの総督府にはいないようで管理官不在の状態であり、それが却って良い結果に繋がるなどと言う都合の良い展開にはなるまい。
 ゴーダと一緒に村を訪れたあのイゼルナと言う女性ケンタウロスなら、バランさんの上司だと言うしゴーダの横暴に負い目を感じている風でもあったから、ひょっとしたら部隊を強引にでも動かしてくれるかもしれないが、正直大規模な援軍は期待できないだろう。
 私がさて村の戦力でどうなるかと考えていると、マグル婆さんが手招きしていたのでディアドラとセリナを伴ってマグル婆さんの所に行く。
 魔法医師や相談役として以外にも、希少な辺境住まいの魔法使いとして、古くから戦い慣れているマグル婆さんはこう言う時にも頼りになる。
 それから私達がマグル婆さんから戦闘時の指示を受けている中、凛と広場に響き渡る声が聞こえた。
 ゴブリンを迎え討たねばならないという緊迫感に満ちていた村の人々が、一人の例外もなくその声の主に意識を吸い寄せられる。彼女は声一つだけをとっても、人々をひきつけてやまぬ魅力を持っていた。

「私も戦いに参加させて頂きたい。剣と魔法、どちらも使える」

 私を含む人々の視線の先には、脚甲と手首から肘までを覆う鈍い銀色のガントレット、首元から腹部を守るガントレットと同色の鎧を纏う、銀髪紅眼の美女クリスティーナさんの姿があった。
 束ねられた銀の髪は黄金の陽光を受けて燦然と輝き、暗鬱とした光に沈んでいた紅瞳はいまや自分のすべきことを見出した者特有の美しく苛烈な光を宿し、物理的な圧力さえ伴って私達を見ている。
 辺境の村に襲い来る醜悪で邪悪な魔物達を迎え討つ為に、颯爽と現れて助力を申し出る神秘的な美少女の登場、か。
 やはりこの少女は英雄、勇者と呼ばれる者達が備えていた天運やカリスマと言うモノを、生まれながらに備えている。世界がクリスティーナさんの相応しい舞台を整えるかの様に、流転するのだ。
 彼女がこの村に来たからゴブリンが襲い来たと言うわけではあるまいが、クリスティーナさんが村に居る間にゴブリンの襲撃が重なったのは、運命の巡り合わせと言うものだろう。
 巻き込まれる方は堪ったものではないが、おそらくクリスティーナさんの英雄譚の始まりがこの村でのゴブリン迎撃とすれば、ベルン村が壊滅するような結果にはなるまい。
 問題はどの程度の悲劇になるか、だ。生憎と私は一人も犠牲者を出す事を許容はしないし、そのような結末は必ずひっくり返す。

「クリスティーナさん、しかし貴女は村の人間ではない。貴女が命を賭ける必要はないのですぞ」

 借りられるのなら猫の手であろうと借りたい状況だが、それをおしてクリスティーナさんを案じる言葉が出るか。
 村長としての職分を考えれば、あの手この手を尽くしてクリスティーナさんを戦わせるべきなのかもしれないが、私は今の村長の発言に気分が良くなった。
 苦境に追い込まれた時にこそ見せる人間の本性が、千に九百九十九は醜いものである事は嫌と言うほど知っているからこそ、例外的な一が見られた瞬間は私にとってなにより嬉しいものなのだ。
 宿屋の方へと続く道から姿を見せたクリスティーナさんは、戦神アルデスの配下である戦乙女を連想させるほどに美しく凛々しい。
 死せる勇者達をアルデスの宮殿が存在する天界の一角“喜びの野”、“ヴァルハラ宮”に導く役目を持つ戦乙女は、女戦士の理想像であり人ならぬ美貌と清冽な精神を持つ女神として、人間の間でも数々の英雄譚や抒情詩にも登場するなど人気が高い。
 時に魔物、異種族、異民族との戦いで功を挙げた女戦士や姫騎士などが戦乙女と称賛されるが、私達の目の前に居るクリスティーナさんもまた戦乙女の降臨かと錯覚するほどの神秘性と神威を醸し出している。

「いいえ、ここで何もせず剣を鞘に納めたまますごすごとガロアに戻ったとあっては、冥府で祖霊に何と申し開きをすればよいでしょうか。なにより私が私自身を許せないのです。この魂が幾度生まれ変わろうとも我が魂は、恥ずべき行いを悔い続ける事でしょう」

 声の響き一つ、眼差しの一つをとってもクリスティーナさんの意思が揺るがぬ事を察するには十分過ぎるだろう。村長はいっそ苛烈なほどの意思の光を宿した瞳で見つめてくるクリスティーナさんに対し、疲れた様に溜息を突いて顎髭をしごく。
 村長に自覚があるかどうかは知らぬが、これは降参の合図である。現状のクリスティーナさん相手では、村長でなくとも抗える者はこの村には居ないだろう。

「仕方ありますまいな。正直に申し上げて一人でも戦力は欲しい所ですのでな。貴女の剣の腕前はバランからも聞いております。魔法に関してはマグルとご相談ください」

「お許しいただきありがとうございます。この剣に誓ってこの村の人々の力となりましょう」

 ふむ、予測はしていたがクリスティーナさんが戦力として数えられるのは非常に心強い。最後の手段として私が村からの追放を覚悟で力を使うことも考慮していたが、これならそうせずとも済むかもしれない。
 これでラギィさんとジーノさんがいたらなお良かったのだが、それは高望のしすぎというものであろう。二人は元よりクリスティーナさんとて本来はベルン村の住人ではないのだから。


 クリスティーナさんを交えて改めてマグル婆さんとの打ち合わせを終えた私達は、何人かのグループに別れた。村を回って避難する人々の状況の把握に努める者や、北門に指示を伝えに行く者、家で待っている家族の元へ一時戻る者などだ。
 そして私を含む魔法使いグループとリネットは早速北門へと向かった。既に北門を塞ぐ鉄板で補強した分厚い木の扉は固く閉ざされ、村の皆が常に用意して備えていた木製の槍や鉄の槍が立てかけられ、沸騰させた油や湯を張った鍋や釜がそこかしこで湯気を吐いている。
 マルコやディラン兄ばかりでなくランやアルバート、サマンなど私の見知った同年代か年上の子供らも武装して、親しいもの同士や家族で固まって緊張に強張る顔で何事かを話し合っている。
 私の姿を見つけたマルコとディラン兄からツラヌキウサギの槍とショートボウを受け取るが、生憎と魔法使いである私はマルコ達とは配置が異なるため、少し話をしてまたすぐに別れた。
 木塀の内側に組まれている足場や木箱、高見櫓の上には既にロングボウを携えた王国兵士のカチーナさんの他、村の猟師の人達が愛用の弓やクロスボウを手に昇っており、射殺すような瞳を北へと向けている。

「さて、打ち合わせ通りに動くよ。あたしとディナ、リシャ、ディアドラ、セリナ、クリスティーナが等間隔に並んで、アイリとドランは二人一組で魔法を使うんだよ。最初は矢避けの風の守りだ。ゴブリン共に魔法の怖さを教えてやるのはそれからさ」

「分かっている」

 私とアイリの二人で一人前扱いと言うわけだ。基本的に村での防衛戦は門を固く閉ざして木塀の上から、槍で突き、矢を射かけ、石を落とし、油を浴びせ、魔法を叩き込んで数を減らし、ガロアからの援軍と敵が退くのを辛抱強く待つのが基本である。
 こちらから討って出て攻勢を仕掛けると言う事は滅多にしない。
 戦う力のない老人と幼いものを除いて、ベルン村で戦える人間は百二十人と言った所で、これにセリナ、ディアドラ、リネット、アイアンゴーレム五体にクリスティーナさんが加わり、数の上では約百三十。
 一人で四匹以上のゴブリンを倒せばお釣りが来る計算である。はるか頭上の雲の中にはすでに私が形成した白竜の分身体もいる。最後の手段としての分身体による介入も、いつでも行える状態にしてある。
 選択肢を誤らなければ村人の被害は極めて軽微なものに抑えられるだろう。
 そんな計算をしていた私は、肉親のマグル婆さんやディナさん、リシャと別れたことで抑えていた恐怖心が鎌首をもたげたのか、酷く不安そうな顔になったアイリが私のシャツの裾を握っている事に気付いた。

「怖いか、アイリ」

 リネットを発見した時と同じ格好のアイリは、私の言葉に眉根を寄せて私の指摘の通りである事を、愛らしいそばかすを散らした顔を歪めて証明する。小さくアイリが頷いた。

「うん。ドランは怖くないの?」

「戦う事は怖くない。ただ誰かが傷つくのは怖いな。家族やアイリ、リシャだけじゃない。村の誰かがゴブリンなんぞに傷つけられるのは我慢ならん。だからそうならないようにする事に夢中で、怖いとは感じる暇はないな」

「やっぱりドランて変わっている。私は凄く怖いわ。皆もそうよ。普段の狩りとか魔物退治とはわけが違うもの。五百もいるのよ?」

「なに、ドリアードとラミアとゴーレムが居る上に私やアイリの様な魔法使いもいる。戦って倒せない相手ではないよ。それになにも五百全てを倒さなければならないわけではない。ガロアからの援軍が来れば連中も尻尾を巻いて逃げだすだろう。
 それまで守り切ればいいのだ。それでもまだ怖いなら隣に私が居る事を忘れなければ大丈夫だ。私と一緒なら怖さなどすぐに忘れられる」

 私のシャツの裾を握っていたアイリの手に私自身の手を重ねて握り込み、私はアイリの心の中の恐怖を少しでも和らげられるように微笑みかけた。
 アイリは恥ずかしげに私に笑い返して、私の手を握り返してきた。すこしは気休めになったようである。
 幸いにして私とアイリは二人一組の扱いであるから、戦っている最中もアイリの様子に気を配るのは難しくない。マグル婆さんはこれを見越して私とアイリを一緒にしたのだろう。
 アイリが落ち着くのを待っていると私とアイリが配属された一角のまとめ役であるゼネックさんとその奥さんでありクック種の鳥人であるシャーリーさんが、声をかけて来た。

「ドランとアイリは本当に仲が良いな。緊張している様だったら解してやらないといけないと思っていたんだが、その心配はなさそうだな」

 ゼネックさんはまだ十八歳だがすでにシャーリーさんとの間に二児を設けており、村の十代のグループの中ではまとめ役を担っている人だ。
 精悍な顔立ちの逞しい方で今はやや草臥れたブレストプレートを身につけて、腰にブロードソードを佩いている。
 短く刈りあげられた茶色い髪の下には太い眉とやや小さな目、高い鼻が伸びている。精悍な顔立ちには、年長者として私達を不安にさせまいと朗らかな笑みを浮かべていた。
 ゼネックさんの傍らには鳥人のシャーリーさん。
 年齢はゼネックさんと同じで小粒な鼻や唇、大粒のやや垂れ目がちな目と可愛らしい印象の女性だが、腕は鳥の翼の様になっていて茶色い鶏の羽毛に包まれ、手首から先は五指を備えているが鶏の足と同じような肌に覆われており、指先には意外に鋭い爪が伸びている。
 太ももの中ほどから膝に至るまでが鶏の羽毛に包まれて膝から下は、手と同様に鶏の足に酷似した黄色みがかった肌を持った足となっている。
 背の真ん中位に届くまで伸ばされて襟足の辺りで二つに縛った髪は茶色いが、髪の毛の真ん中の当たりは鶏の鶏冠のような赤色である。
 臀部の上あたりから鶏の尾羽が伸びて身に着けている革鎧も尾羽や、腕の羽が邪魔にならないようにと工夫がされていた。

 ハーピーの亜種ともされるクック種の鳥人だが、翼はあっても空を飛ぶ力はなく代わりに大地を蹴る脚力に恵まれていて、他に女性だと子の宿らぬ大きな卵を産むのが特徴と言えるだろう。
 ハーピー種は大抵卵を産むが、クック種の産む卵は一つ一つが大きく、味や栄養と言う面で他のハーピー種の産む卵よりも評価が高い。
 シャーリーさんは大体一日に二個か三個、大人の握り拳くらいある大きさの卵を産み落としており、自分の家の食卓で消費するがたまになにか祝い事がある家などにはお裾分けしてくれる。
 我が家も時折シャーリーさんの特大の卵を頂いており、家で飼っているドゥードゥー鳥の卵同様、大変貴重な栄養源となっている。
 聞きかじった程度だがシャーリーさんは、藁などのクッションを敷いた籠の上に跨り、排泄行為をする様に卵を産むか、あるいはゼネックさんに幼子に小便をさせるように、開脚した体勢で膝の裏に手を回して持ち上げられて、卵を産んでいるそうな。
 下世話な噂話ではあるがその真相を確かめる為に一度ぜひ拝見したい所ではある。とはいって流石に夫婦か恋人同士でもなければ拝めない光景であろうから、私にそのような機会は巡っては来まい。
 シャーリーさんはミウさんやミル同様にベルン村の数少ない亜人であるが、怪力を誇る牛人に比べるとクック種の鳥人は戦いに向いているとは言い難く、人並みの戦力として考えるべきだろう。

「ありゃりゃ、アイリはもうドランのお嫁さんに決定かな? 結構アイリは人気あるからドランが恨まれちゃうかもね」

 ゼネックさんと同い年のシャーリーさんは二児の母とは思えない若々しさで、やはり鎧を纏って武装してはいたが私達よりこう言った事態に慣れているのと、愛する夫が傍らにいる為に普段とさして変わらぬ様子である。
 なおゼネック夫妻の子供は、二歳と一歳の女の子で既にガロアに向かって避難している。
 シャーリーさんの言葉にアイリは照れているようで、私の手を握るアイリの手がもじもじと動いていた。

「当然アイリと結婚するつもりだ。恨むのなら恨むので結構。子供もたくさん作って幸せな家庭を作るし、いちいち気にしてはいられんよ」

 私が胸を張る様に言うと流石に予想もしなかった返答であるらしく、ゼネックさんとシャーリーさんはきょとんとした表情を浮かべてから互いの顔を見つめ合い、小さく噴き出す。
 最近こうして皆の前でアイリと結婚する意志を表明しているから、徐々に村の中で私とアイリの将来については、暗黙の了解の様なものができつつある。
 実際には私がアイリだけでなくリシャもミルもセリナもディアドラもリネットも、自分のものにするつもりであると知っている人はいないが、その願望を表に出すのはまだ早い。今皆に知られても反対する者しかいないのは明白だ。
 いずれその未来を迎える為にも、今は迫りくるゴブリン共を始末するのが最優先だ。幸いゼネックさん達との談話で、アイリはすっかり落ち着きを取り戻した様子である。
 戦力として動員できる人員は全員集合しており、村長邸前の広場で話しあわれた打ち合わせ通りに、大体五人前後のグループに別れて木塀の内側で配置についている。

 私達のグループはゼネックさん、シャーリーさん、それにミルで三人はゴブリンの迎撃よりも魔法戦力である私達のガードが主目的である。
 弓矢や槍も多いが、ゴブリンの矢や槍から私達を守る為の木板を鉄板で補強したラージシールドが支給されている。
 マルコとディラン兄は父母の元に配置されており、家族ごとにまとめておいた方が戦闘に集中できる為だろう。私だけ仲間外れにされた様で寂しかったが、私の隣にはアイリが居るし、ミルも居るから寂しさや不満を顔に出すのは禁物だ。
 ミルはぱっと見ると目を見張る乳房のほかはいっそ華奢な位なのだが、牛耳を保護するレザーキャップを被って、胸の部分に大きく余裕を持たせた革鎧を着用し、手には到底不釣り合いの長柄物である両刃型のポールアクスを握っている。
 とてもではないが十四歳の少女が振り回して良い武器ではないのだが、牛人であるミルなら十分に余裕を持って振りまわせる武器だ。
 他にも腰のベルトに投擲用のトマホークや格闘戦用のダガーが吊るされており、これから何匹ものゴブリンの血を吸うであろう凶悪な輝きを放っている。

「うう~緊張するねえ~。私も五百匹も相手にするのは初めてだよぉ」

 そう言う割にミルは普段と変わらぬのんびりとした口調なものだから、あまり緊張感はないのだが、せっかくアイリの緊張が解れたのだからその方がありがたい。

「ミルさんがいうとそんな風には感じないわね。私とドランが魔法を使っている時は無防備になっちゃうから、大変だと思うけどよろしくお願いします」

 ちょこんと頭を下げるアイリにミルは、笑って空いている左手を振るう。

「そんなの気にしなくていいよ~。二人の魔法が頼りだからね。風の守りがないと向こうの矢で被害が出ちゃうだろうし、攻撃魔法も相手の勢いを挫くのに役立つから、二人はきっちり守るよ」

「頼りにするさ。祝杯はミルの乳とディアドラの蜜を混ぜたので上げるか」

 季節を考えると温かい飲み物はまだ早いかもしれないが、温めたミルの乳にディアドラの乳首から滲む乳蜜を混ぜると、甘みの強いホットミルクが出来上がる。
 これがまた非常に美味しく、私と将来を誓い合っている関係者しかまだ口にはしていないが、いずれは商品化出来ないものかと私は日頃頭の片隅で思考を巡らしている。
 ゼネックさんとシャーリーさんの耳に入らないように小声で話していたのだが、ミルは自分の乳房を咄嗟に革鎧ごとに手で覆って隠す。
 私がしょっちゅう吸いついているものだから、最近は乳の量が増え敏感にもなっていて色々な意味で大変なようだ。
 私としては乳を吸い、乳首を甘噛みした時や、搾る度に上げるミルの声がますます艶やかになっていて、非常にそそられるのでとてもよろしい。

 またアイリは自分の胸がまだ平たい事を随分と気にしているようで、牛の乳を飲めば胸が大きくなると誰かに吹き込まれたのか、私とミルの関係を知ってからはミルやリシャの様に胸を大きくしたいと言って、しきりにミルの乳を直接吸っている。
 まだ十歳なのだからそう気にする事もないだろうし、アイリの体だって私はミルやリシャに劣るモノとは思わないのだが、いくらいってもアイリはなかなか納得してくれない。
 まあ、まだ幼いアイリが赤子の様に豊満なミルの胸に吸いついて一心不乱に乳を飲むのに対し、同性の年下の少女に乳房を吸われて悶え、必死に漏れそうになる声を手で口を抑えて堪えるミル、という光景は素晴らしいものなので、私としてもあまりアイリを窘めるつもりはない。
 再びあの光景を見る為にも今回はなんとしても全員無事に戦いぬかねばなるまい。私は改めて戦意を固めた。
 兜や全身甲冑で完全に武装したバランさんを筆頭にその部下のカチーナさん、クレスさん、マリーダさん、それに最後の五人目である槍使いのエリウッドさんも北門に集まっており、いよいよゴブリンが近寄ってきたようだ。
 マグル婆さんもゴブリンの監視をネロからキティに交代させて、ネロはガロアに向かわせているだろう。

 私はゼネックさんに断りを入れて少し皆の様子を見に行く事にした。アイリもミルなどの顔見知りと一緒ですっかり落ち着いた様だし、一時私が離れても大丈夫だろう。私が最初に会ったのは近場に配置されていたリシャである。
 普段のゆったりとしたワンピースとは異なり、動きやすいシャツと細く絞ったズボンに革鎧といった出で立ちのリシャは、愛用している長さ二メル(約一・八メートル)の杖を利き手の右手に携えていた。
 私の姿を見つけたリシャは、ぱっと大輪の向日葵が咲いた様な綺麗な笑みを浮かべて小走りに私に近づいてくる。

「ドラン、アイリの様子はどう? あの子、ひどく緊張していたでしょう。お母さんもお婆ちゃんも心配しているのよ」

 流石は血の繋がった家族、アイリがどんな精神状態であるか正確に予想していたようだ。私は空いているリシャの左手を握り、私の視線に合わせて前屈みになってくれたリシャの瞳を見つめながら答えた。
 いつもの服装でこの姿勢ならリシャの深い乳肉の谷間が見える所なのだが、革鎧を着ていてはそれを見る事は叶わない。残念と言わざるを得ない。

「もう落ち着かせたから大丈夫。私と同じ場所に配置されているし、顔見知りのミルもいるから、戦いが始まってもパニックになる事はないだろう」

 ミルとアイリは私と夜の時間を共にし、暗黙の婚約関係にあるわけだが幸いに嫉妬と言うか恋敵と言った感情はさほど強くない。
 ミルの乳房を見るアイリの瞳には嫉妬と羨望が雷光轟く黒雲の如く渦を巻いてはいるが、狭い村の中で実の姉妹も同然に育ってきた事もあって、少なくとも私の知る限りにおいては取っ組み合いの喧嘩をする様な事はしていない。
 リシャとアイリの実姉妹はリシャが積極的にアイリを可愛がっている――性的な意味でも――事もあって、以前よりもむしろ仲の良い姉妹になっている。

「そう。ドランもそう言う所には気が利くのね。安心したわ」

「リシャこそ大丈夫か。私とアイリは二人一組だがリシャは一人だろう」

「あら、これでも貴方達よりも年上なんですからね。小さい子も多いし私みたいな大人が慌てている姿を見せたら、不安がるでしょう? そんな姿は見せられないわよ」

 リシャより一つ年上のシャーリーさんが既に二児の母である様に、リシャの年齢ならこの時代ではすでに大人として扱われる。
 私やマルコと年の変わらない子も多くこの場にはいるから、大人であるリシャが不安がっている様子を見せられないと言うのは、正しくその通りであるがだからといって無理に強がっていると言う雰囲気ではない。
 辺境の女は強く逞しいがマグル婆さんの家系はそれに輪をかけた女傑を多く輩出しているらしい。
 アイリは普段は勝気で言いたい事をはっきりと言うのだが、あれで繊細なとこもあるし、まだ十歳なのだから弱音の一つくらいは口にしても仕方ない。

「流石リシャだ。私が愛する人だけの事はある」

「ふふ、ありがとう。ドラン、でもね、私だって怖いって思ってないわけじゃないのよ? 勇気を分けてくれると嬉しいな」

 ふむ、これはある種のお誘いということだろう。私が意図を察した事を理解してリシャは小さく笑んで目を閉じる。周囲に顔見知りの人々の目があるから、私はリシャの右頬に唇を落とした。瑞々しく柔らかな感触が私の唇に返ってくる。

「あら、唇じゃないのね。残念だわ」

 私がリシャの右頬から唇を離すと、リシャはからかうように言ってころころと笑う。私とのこれまでの関係を激変させてから、リシャは時に人目を気にせず私に接してきてはからかうような言葉を言う事が増えている。

「戦いが終わったら望む場所に好きなだけ口付けしよう」

「それは素敵だわ。いろんな所にたくさんキスしてもらいましょう。ドラン、勇気をくれてありがとう。お礼よ」

 そう言ってリシャは私の額にちゅっと小さな音を立てて唇を重ねてくれた。なるほど確かに口付けは嬉しいのだが、唇に欲しいという寂しさはあるな。
 リシャはアイリの様子を確認できたことと、私と言葉と唇を交せたことで満足したようで、またねと手を振って配置された場所へと戻って行った。さて次はリネット達の所かな、と思っていると怒り混じりの声が私の耳を打つ。

「ドラン、お、お前リシャさんとなにしてくれてんだよ!!」

 なんだなんだと後ろを振り返ると、相変わらずバンダナで針金みたいな髪を纏めているアルバートを先頭に、私と良く遊んでいるやせ気味のハリスやひょろっと背の高いアルデロなど全部で六人ほどの同年代の男連中が私に猛然と詰め寄ってくる。

「なにが、と言われてもな。勇気づける為に軽く口付けしただけだろうに」

「く、口付けだとぉ!?」

 怒りのあまりか絶句するアルバートの周囲で、ハリスやアルデロがこの世は絶望に満ちているとでも言わんばかりに、膝を折って拳で地面を叩き、あるいは頭を抱えて空を仰ぎ始めて嗚咽を零している。
 ふむ? ああ、そう言えば品が良く、また豊満な体つきに加えて村でも一、二を争う美貌の持ち主であるリシャは、男連中の高嶺の花として人気を集めていたか。
元からアイリと親しい事から接点があり、魔法薬を学ぶ為にマグル婆さんの所に出入りしている私は随分と羨ましがられていたものだ。
 そこに加えて周囲の目がある中で頬と額にとはいえ口付けするものだから、いよいよもってアルバート達も黙ってはいられなかったのだろう。

「アイリとようやくくっつくかと思ったら、セリナさんやディアドラさん、リネットさんと何だか仲が良いわ、最近はミルさんともなんかよく一緒に居るしそれだけでも羨ましいったらありゃしないってのに、その上リシャさんとキスだとぉ!? 一体どうしたらそんな羨ましいことになんだよお」

 いや、だからといって泣く事はないだろうアルバートよ。血の涙さえも流しそうな悲哀と嘆きに満ちた顔で私を睨むアルバートの様子に、私も少しばかり戸惑いを禁じ得ない。
 とはいえ今アルバートが口にした女性全員と関係を持つに至り、未来を誓い合った私である。多少の優越感と共にお前たちには誰もやらんという独占欲もまた憶えていた。実際リシャとはキスどころではない関係だしな。
 ふふん、と意識して鼻で笑い私は自慢げに言った。

「前にも言ったろう。普段の行いの賜物だ。後は人徳と仁徳だろう。陰徳も積んでおけ」

 ジントク? イントク? としきりに首を捻るアルバート達はそれが分かれば私の様に女性との縁に恵まれると信じ切っているのか、至って真剣な様子であった。
 なに将来的に村が発展すれば、他所から移住してくる人達も増えるだろうし、そうすれば出会いの機会も増える。友人としての贔屓目を抜きにしてもアルバートをはじめ皆には良い所があるし、良縁に恵まれることだろう。
 うむうむ、と私は一人で納得してその場を離れた。次に私が向かったのは北門中央で一時的に集合していたセリナ、ディアドラ、リネットの三人の所である。セリナとディアドラは両翼に正反対に配置される予定だ。
 セリナとディアドラはマグル婆さんから貸し出された魔法使いの杖を持っていて、魔晶石も支給されている。
 格好こそ普段と変わらないディアドラ手製の服装だが、もともとドリアードの魔力と特別な製法で植物の繊維を編んで作られた衣服は、下手な金属製の鎧に勝るとも劣らぬ装甲性能を誇る。
 ベルン村で用意できる鎧では却って動きにくくなり防御力も落とす事になるだろう。一度それぞれの配置場所に別れる前に、軽く話し合いをしているところに私が顔を出したらしい。

「あ、ドラン様」

 いの一番に私を見つけたセリナが、大好きな御主人さまを見つけた子犬よろしく尻尾の先端と手を振ってきた。ふむ、相も変わらず愛い蛇娘よ。

「三人で別れる前に話し合いか?」

「ええ、流石に私達三人とも五百を相手にするとか、こういう集団戦の経験もないし、ちょっとは気弱になっても仕方ないでしょ」

 口で言うほどに気弱な様子がないのはディアドラである。リシャもそうだが私の周りの年上の女性は口にする言葉と態度が裏腹な事が多いようだ。
 ディアドラは私の目の前に来るとからかうように額を突いてきた。私と関わりの深い女性陣の中では最年長と言う事もあってか、ディアドラは最近になってこういう年下の子供をからかうような、些細なコミュニケーションを重ねるようになっている。
 私の頬や額をしなやかな指でつついたり、髪の毛や頬を摘んでいじくったりである。私くらいの年齢なら子供扱いされるのは嫌がる所だろうが、精神年齢は桁をいくつ重ねればよいのか分からない私であるから、この程度の事で気を荒立てる事もない。
 こういった関係を構築するのも人間に転生してから初めて体験することで、私にはなんにしろ楽しく感じられるから、ディアドラにちょこちょこといじり回されるのもまた面白い。

「なに、マグル婆さんとバランさんの指示に従って戦っていれば特に問題はあるまい。いざとならば私も力を使う。誰も死なせはせんよ。ゴブリン共には報奨金に変わって貰う。私にとってはそういう戦いに過ぎん」

「あらあら、私達の小さなご主人様は随分と強気なのね。頼もしいのは良い事だけど、油断して失敗したら格好悪いわよ?」

 ディアドラはふにふにと私の頬を引っ張りながら言うが、まったくもってその通り。油断して誰か一人でも死者が出るのを看過しては、私は生涯それを後悔し続けるだろう。

「耳に痛い忠告だな。この場における戦いで私が最も恐れるのがそれだな」

「ドラン様なら大丈夫です。村の皆さんはとっても逞しい方々ばかりですし、私達もドラン様の為に全力を尽くします」

「セリナの言うとおりです。リネットもマスタードランのゴーレムとして恥じる事のない戦いをして見せましょう」

「嬉しい事を言ってくれる」

 顔の前で小さく握り拳を作って力説するセリナと、いつもと変わらぬ無表情だが心なしか言葉に力の籠っているリネットに、私は思わず嬉しさから笑みを浮かべて返した。
 それからふと門を背後にしているリネットの背中に、巨大な長方形の箱が置かれているのが目に入る。蓋の表面に細かい魔法文字が刻みこまれ、魔法で鍵の掛けられた特殊な箱である。

「これは、たしかイシェル氏の遺産の一つか。セリナ達の小屋で預かる話になっていた筈のものだな。リネットが持ってきたのか?」

「はい。リネットがシグルド達に運ばせました。いうなれば切り札です」

「切り札?」

「はい。すぐにお披露目する事となりますので、それまでお待ちください」

 私にそう告げるリネットの顔はどこか宝物を自慢する子供の様にも見えて、この娘も少しは変わってきているのかもしれないと思うと、不思議と嬉しかった。
 幸い三人共変に気負う事や、緊張している様子はなかったから、私は三人と軽く抱擁と口付けを交してから別れた。
 そろそろ戻る頃合いかと私が思案していると、一人で誰も寄せ付けぬ雰囲気を発しながらゴブリン達の襲い来る北の空に赤い瞳を向けて佇むクリスティーナさんの姿が見えた。
 美を司る神々の寵愛を一身に集めたに違いない美貌は、ただそこに佇んでいるだけでも一枚の絵画の如く様になっていて、思わず恍惚の溜息を零しそうになってしまう。
 実際、周囲にはクリスティーナさんの姿に見惚れて頬を赤くしている村の男女が、数人見られた。どうにもここまで魅力があり過ぎるのも考えものだな。

「クリスティーナさん、考えごとですか」

「ああ、ドランか。いや私が今ここに居るのも運命なのかと、考えていてね。がらにもないことだが」

「運命にしろそうでないにしろ、こんな時にクリスティーナさんの様な優秀な方の力を借りられて、とても心強い」

「そう言ってもらえるのなら助力を申し出た甲斐もあるよ。ただここだけの話だが、魔物と戦った事は何度かあるが、これだけの数を相手にするのは初めてでね。実のところ緊張しているのさ」

 顔を寄せてそっと私の耳にクリスティーナさんが本音を漏らす。といっても不安に揺れているわけではなく、どこかうきうきと弾んでいる様にも聞こえる。
 鼻をくすぐる匂いはクリスティーナさんの髪から香っていた。薔薇の香りに近い。香水か何かだろうか。私の好みの香りである。
 これまでなにか自分にできる事、自分でなければできない事を探し求めて人生と言う迷路に迷っていた様子のクリスティーナさんであったが、いまではゴブリン達の襲撃を前にするべき事をはっきりと認識して村に来てから初めて覇気に満ちている。
 なんとも因果な性分の少女だ。

「そう言う割にはずいぶん落ち着いているようだ。いずれにしろクリスティーナさんの剣技の確かさはこの目で見ているし、魔法の方も頼りにしています。魔法学院で正規の教育を受けているのは、クリスティーナさんだけですし」

「そうか。それにしてもデンゼル師の生まれ故郷と言うだけあって思ったより魔法使いの数が多いな。それにセリナとディアドラ、リネットがいるのも大きな力になるだろう。私も微力を尽くして村の方々を守ろう。この村は私の祖父とも関わりがある場所だ。この命に換えても守って見せる」

「その意気込みは大変ありがたい。けれどクリスティーナさんも自分の命を粗末にはしないで欲しい。貴女は村の恩人に当たる方だ。むざむざと死なせたとあっては後味が悪い。それに祝杯を上げる人は一人でも多い方が楽しい」

「君は本当に大人びた事を口にするな。この村の子供達はよその子供と比べて随分と逞しいが、それでも子供らしいものだが君はどうも毛色が違うらしい」

「よく言われる。でもこれが私だ。ドランと言う人間だよ」

 いつの間にやら目上の人間用の口調を忘れて素の口調になっていたが、クリスティーナさんは特に咎めるでもなく、私の言葉を吟味するようにクリスティーナさんはしばし口を閉ざしていた。

「……君は、自分の事が好きなのだな。ありのままの自分をさらけ出してそれを誇れる人間は、意外と少ない。私には到底できない事だ。とても羨ましい」

 そう答えるクリスティーナさんの顔には、またベルン村に来たばかりの頃と同じ暗い影が親しい友人の様に浮かびあがっていた。

「クリスティーナさんは自分の事が好きではないのか?」

「聞きにくい事をはっきりと聞くな、君は」

 苦笑が一つ、クリスティーナさんの麗しい造作の唇から零れる。

「子供なのでね」

「君の様な子供らしくない子供がそう言っても、皮肉にしか聞こえないさ。ただ、そうだね、私は私の事を好きではない。むしろ嫌いだ」

「私はクリスティーナさんの事は好きだな。こうして村の為に命を賭けてまで戦おうとしてくれている。勇気がある。優しさもある。クリスティーナさんは滅多には居ない素晴らしい人だ」

 私の言葉にクリスティーナさんはきょとんとした顔を拵えた。大人びた美貌に意外とあどけない表情が浮かんでいる。
 ふむ、これほどの美人なら口説き文句の十や二十くらいは言われ慣れていると思ったのだが、私の様な子供が口にしたのがよほど意外だったのか。

「あと美人でおっぱいも大きい」

「く、くくく、君は本当に面白い子供だな。君の知己を得られただけでもこの村に来たかいがあったかもしれないな。なんとしてもこの村を守り抜きたくなったよ」

「それはよかった。そろそろ戻らないといけないな。名残惜しいが、クリスティーナさん、どうか怪我の一つもないように」

「ああ。君の方こそな。君はこんな所でつまらない事になってしまうのが勿体ない面白い人間だ。まったくこんなに愉快な気分になったのは本当に久しぶりだな」

 そう言って晴れやかな笑みを浮かべるクリスティーナさんと別れて、私はアイリやミル、ゼネックさん夫妻の待つ場所に戻った。
 先ほどまではめいめいに緊張をほぐす為にそこかしこで会話が聞こえていたものだが、それも時間が経つにつれて少なくなり始め、いよいよ誰も口を開かぬ頃合いになってから、北の草原の向こうにゴブリンの群れが見えはじめる。
 既に私は上空に待機させている分身体を介して発見してはいたが、村の方で最初にゴブリン達に気付いたのは、監視を継続していたマグル婆さんを除けば高見櫓にいるカチーナさんだった。

「ゴブリンの姿が見えたぞ!」

「全員、武器を取れ! 魔法薬を飲むのを忘れるなよ」

 カチーナさんの声に塀の足場に昇っていたバランさんが声を大にして叫び、非常時に備えて蓄えていた魔法薬を、村の人達が一斉に服用する。
 私も支給された小瓶を呷って皮膚を硬化させ、筋力を増加させる作用のあるとろりとした青い液体を飲み下し、次いで精神を落ち着かせる作用のある魔法薬を次々に服用する。
 村を囲う空掘には鋭く先端を削った杭が突き立てられており、そこにはセリナがラミアの能力で下知して集めた近隣の蛇が蠢いており、中にはこんな蛇が居たのかと驚くほど大きい全長十八メル(約十六メートル)もの大蛇もいる。
 門を出て迎え討つ事はしないため、足場から降りてゴブリン達を迎え討つのは門を破られてからだが、五体のアイアンゴーレムとリネット達だけは門の外に出ており、ゴブリン達をそこで迎え撃つ。
 鋼鉄製のアイアンゴーレム達はともかく、リネットが外でゴブリン達の猛烈な圧力に晒される事を私は渋ったが、リネットが普段寝起きしている物置小屋に置いていた装備を身に纏った姿を見ると、リネットを止める気にはなれなかった。

 単体で一流と言っていい剣技を誇るジーノさんと互角以上に戦う五色のアイアンゴーレム達の中央に、完全武装したリネットが立っている。
 ただし普段の可憐な少女然としたリネットの姿を知る者は、今のリネットを見てもリネットであるとは気付かないだろう。
 というのも現在リネットは、全高三・三メル(約三メートル)はあろうかと言う巨大な鎧に身を包んでいるのだ
 正確を期するならば巨大な鎧の中に胎児の様に丸まった姿勢で入りこみ、リネットの首後ろの皮膚の下に隠されている神経系の接続端子に、鎧を操る魔法加工を施した黄金の操作線が接続されており、リネットのイメージ通りに鎧が動くそうだ。
 イシェル氏がまだ存命の頃に賊か宮廷の追手か何かに襲われた際に、最悪リネットが自身を守れるようにと残した特殊な魔法の鎧らしい。これがリネットの言っていた切り札である。

 グレートソードやバトルハンマーの直撃を受けても傷一つ出来そうにない重厚なブルーミスリルの鎧は、魔法によって自立稼働するリビングアーマー(生きている鎧)とゴーレムを融合させたような品で、アーマーゴーレムというイシェル氏の遺作の一つである。
 装着者のイメージに従って全身を稼働させる、装着するゴーレムというコンセプトの元に作りだされたのだとか。
 以前からゴーレムクリエイターやマジックアイテム制作者の間では、何度か開発が検討された品だが、開発に必要な資金や素材、作成時間の長さから実用には至ってはおらず、イシェル氏の職人的な気質と趣味で作られた品と言えよう。
 全身を覆い尽くす鎧は細かく部位分けされていて、極力稼働域を狭める事のない様にと計算されている。
 鎧の隙間にも黒い革のような素材が張られていて、特殊な加工が施されたそれは、鉄と同じ硬度を持たされているのだと言う。
 鎧の中身は骨格に等しいミスリルの芯が通り、無数の管と線が伸びて人間の肉体を模倣しているかのように、骨格と神経系が巡らされている。
 両肩には巨体を覆い隠せるほどの巨大な盾が備え付けられ、武装はオーガや巨人族が使うようなとてつもなく大きなグレートソードの他、バリスタと見間違うほど巨大なジャイアントクロスボウ、重装の騎士が馬上で使うべきランスと尋常ではない。
 これらを数頭の馬に牽かせた戦車の上や、複数人で扱うのではなく単独で使うのだという。
 リネット自身も外見に似合わない怪力の主であるが、アーマーゴーレムに施された筋力増加の魔法や間接部位の魔晶石によって膂力が増幅されるからこその重装備だろう。

 閉ざした門の前に長年の風雨に耐えた巨大な岩の如く立ちふさがるリネットの周囲には、すぐさま使えるようにと地面に突き立てられた巨大な武器がある。
 鈍く陽光に輝くサイズ(大鎌)や鎖付き鉄球、巨大なサーベルやらロングスピア、投げ槍、銛のようなジャイアントクロスボウの矢などだ。
 あれだけの重武装ならよっぽどの事がない限りはリネットに傷がつく様な事にはならないだろう。この場合、リネットやアイアンゴーレムが討ち漏らすゴブリン達を、私達がどれだけ迅速かつ効率的に返り討ちにできるかが肝要か。
 北門の外側の配置はこの様になっており、また傷ついた人々の治癒はレティシャさんが任されていて、北門の近くにある家を緊急の治療所として簡単に内装を整えて、そこに何人かの女子供や女性が助手として詰めている。
 マグル婆さんもある程度魔法を使ったら後方にさがって、治療に専念する予定である。イシェル氏の遺産である魔晶石の類も、魔法戦力である私達にはふんだんに支給されており、景気良く魔法を使えと暗に言われたも同然だ。

 視界の先に見えるゴブリン達は五百と言う莫大な数は圧倒的な迫力を醸し出しており、薄緑色の肌を持ち、鉤鼻と薄汚れた牙が覗く唇、眉はなくぎょろぎょろと動く濁った眼、斜め上に向かって尖りながら伸びる耳を持った小柄なゴブリン達が列を成している。
 ほとんどは素足で腰に申し訳程度の布を巻き、自作したか人間を殺して奪い取ったらしい今一つサイズの合っていない革鎧や鉄の胸当てなどを身に着けている。装備は棍棒、ナイフ、槍とばらばらで統一感はない。
 目を凝らせば今一つ整然としたとは言い難い乱れた列を成すゴブリン達の最後列には、四匹のゴブリンが担ぐ輿の上に胡坐をかく、ひと際体の大きな若いゴブリンが居る。
 灰色の肌に良く手入れがされて、美しい光沢を放つチェインメイルを纏っており、右手の近くには刀身が緩くカーブを描くシミターが置かれている。
 あれが例のハイゴブリンに間違いあるまい。その周りには極彩色に染めたローブの上に鳥の羽や動物の骨、魔晶石の欠片を組み合わせた首飾りを何重にも巻き、杖を突くゴブリンメイジ達の姿もあった。

 雑兵のゴブリン達は五十匹くらいで一列を作り、それが二列横に並んで縦に五列並んでいる。村の北門に繋がる橋は馬車がすれ違えるくらいの横幅があるから、ゴブリンなら六、七匹は横に並んで渡れるだろう。
 空掘と村を囲む塀を渡る為の梯子や、矢を避ける為の板や木の盾を構えているのが見て取れた。弓矢を持っているのはマグル婆さんの報告を信じるなら五十匹ほどだと言う。それらの弓持ちや梯子を伝ってこようとするゴブリンが、優先目標だ。
 魔法薬の服用を全員が終え、私はイシェル氏の遺品である魔法の杖を手にして精神集中の準備に入る。
 右手に杖を左手には魔晶石を握る。魔晶石はただ手に握るなり身に着けていれば自動で効力を発揮し、魔法仕様における消費魔力の代替や魔法の効果の補強を行ってくれる。
 イシェル氏の遺産様々と言った所である。アイアンゴーレム達と言いリネットと言い、冥府のイシェル氏には頭の下がる思いだ。既に輪廻の輪に加わって転生していたら、頭の下げ損だが、ま、そこは気にしないでおこう。
 戦闘の指揮を取るバランさんが塀の上で大きく腕を振るい号令をかける。

「弓構え、弦を引けえ!」

 村の皆がバランさんの号令に従って弓弦を引き絞る音が当たりに響く。ゴブリン達は一瞬も足を休めることなく全身を続け、ぎゃあぎゃあと喚き声を立てながらベルン村へと近づいてきている。
 宣戦布告などという行為の真似ごとが妖魔と人間の間で行われる筈もなく、相手の姿を認めた瞬間から殺し合いは始まっているのだ。先頭で盾を構えるゴブリン達はゴブリンの社会の中でも最下層の使い捨て前提の者たちだろう。
 矢避けの為の板や盾を頭上にかざしながらゴブリン達は、どんどんと迫ってきていて最後列のハイゴブリンが輿の上に転がしていた角笛を手にとって口に咥えると辺り一帯に低く濁った音が響き渡る。
 ゴブリン側の突撃の合図と言うわけだ。当然私達にも聞こえるから、いよいよ来るかと私達も腹をくくる。それまで歩いていたゴブリン達が一斉に走り出し、それぞれの武器を一斉に掲げてくる。
 血走った目と開いた牙の並ぶ口から唾液を零しながら迫りくるゴブリン達の姿は、ある種の狂気を感じさせ物理的な圧力さえ持っているかのようだ。
 殺意に突き動かされたゴブリンの波が押し寄せる光景に、誰かの息を呑む音が嫌に大きく響く。
 弓弦を引き絞ったゼネックさんが視線を前方のゴブリンに固定したまま、私達に声をかけて来た。

「いいか、無理に狙おうとしなくていい。あんだけいれば撃てば当たるって奴さ。矢もたっぷりあるからよ。外しても構うもんかくらいの気持ちでいいぞ」

 セリナが牙から分泌する毒液や毒草、毒を持った動物の内臓などから抽出した濃い紫色のねっとりとした毒をたっぷりと溜め込んだ桶が足元に置かれており、村の皆が使う矢にはたっぷりと毒が塗られている。いざとなれば桶の中身をぶちまけるのもいいだろう。
 ゴブリン達は以外に健脚なようで見る見るうちに距離を詰めてくる。竜としてではなく人としての視線から、これだけの規模の集団を目のあたりにするのは初めての事で、私はわずかながら緊張していたかもしれない。
 拭わずにおいて血で錆びついた斧や剣を振り上げるゴブリン達が向かって来て一定の距離を越えた時、バランさんが咽喉よ裂けろとばかりの怒声を上げる。雷が近くに落ちたかと錯覚するような声であった。

「放てええええ!!」

「風の理 我が声を聞け 我らを優しき腕に包み守りたまえ シルフヴェール」

 私とアイリの詠唱が重なり、他にも風系統の精霊魔法を操れるマグル婆さん、ディナさん、リシャさん、クリスティーナさんが放たれた矢から味方を守る矢避けの風の盾を発生させる。
 目に見える事はないが風の唸りが変わり木塀から身を乗り出す村人たちを風の盾が包み、ゴブリン達の矢からの守りを完璧にする。
 放たれたゴブリン側からの矢は一本の例外もなく、村人たちから一メルほどの距離で無色の風の腕に絡め取られてあらぬ方向へと逸れてゆく。
 反対にバランさんの合図とともに放たれた矢は、青空に弧を描いて放たれて一度に百本近い矢がゴブリン達の頭上へと降り注ぐ。先端を鋭く尖らせただけの木製の矢もあれば、鉄の矢もある。
 ゴブリン達が頭上に掲げた板や盾はよく矢から持ち主を守ったが、はみ出した肩や太ももを貫かれて、その場にのたうちまわるゴブリンやあるいは咽喉や頭蓋、腹を貫かれて絶命するゴブリンの姿も見られる。
 たっぷりと毒を塗った矢だ。どこかに当たればそれだけで戦闘能力を奪うには十分。私達が風の守りを発動させる間に、セリナとディアドラは地属性の攻撃魔法の詠唱を終えている。
 マグル婆さんから貸し出された二の腕ほどの小さなワンドを手に、セリナは金色の波打つ髪を風に靡かせながら、朗々と歌う様に詠唱する。

「大地の理 我が声に従え 母なる大地は刑死者と変わり我が敵を討て スタンピードアース!」

 ゴブリンの最右翼が走る大地が隆起し、それらは巨大な丸い岩石と変わり乱暴に突かれる毬の様に跳ねまわり、転がってはその圧倒的な重量で次々とゴブリン達を牽き殺す。激しく回転する岩石は瞬く間にゴブリン達の血と肉片に汚れていった。
 セリナと反対側に配されていたディアドラも同じく魔法の詠唱を終えていた。こちらはドリアード種固有の精霊魔法である。
 通常エルフや人間は精霊言語を用いて精霊に呼び掛けて精霊魔法を行使するが、自身が精霊の一種であるディアドラは詠唱を用いずとも行使可能なのだ。

「恨みはないけどね、貴方達は死んでちょうだいな。命吸う荊の狂乱、マーダーウィップ!」

 かすかに大地が地鳴りを上げたかと思えば次の瞬間には左翼を走るゴブリン達の足元の地面がひび割れて、地面の下から無数の刺を生やした植物の蔦が伸び、近くを走るゴブリン達を目指して手当たり次第に絡みつき、鎧の隙間を縫って忍びこんで首を締めあげ、無数の刺で肌と肉を破って急速に血を啜り始める。
 植物の根や蔦に干渉して一時的に急速に成長させて、殺人植物と変えて敵対者を襲わせる凶悪な精霊魔法だ。どちらもリネットを発見した地下の遺跡では、密閉空間であることなどから使用できなかった中級以上の攻撃魔法に相当する。
 跳ねまわる巨岩と血を啜り肉を骨から削ぎ取る殺人植物の氾濫に、ゴブリンの両翼は足並みを乱して、合わせて四十近い死者を出し手から中央に戦力を寄せ始めている。
 あまり横に広がられて、それに対応する為にこちらも手を広げるような真似になる事は、目下防がれている。
 このままゴブリン達が北門を目指して中央に戦力を寄せてくれれば、こちらの思惑通りだ。

 ゴブリン側は人間の中に混じるラミアとドリアードに気付いているのかいないのか、呆気なく死んだ同胞の事を気に留める事もなく、相変わらずの突撃体勢であるがどうやらハイゴブリンの吹いている角笛に、恐怖を忘れさせる精神作用があるようだ。
 支配下にある同族に言う事を聞かせる従属の呪いもあるといったところか。視覚・聴覚的に派手な魔法を打ちこんで恐慌に陥らせるかと考えていたのだが、その手は上手くはいきそうにないな。
 ゴブリンの側も梯子を持った者達を優先的に守り、また反撃の弓を引いて私達を狙って射かけてくる。だが高低の有利と風の守りが私達を矢の脅威から守ってくれる。時間制限付きだが、こう言う時に非常に頼りになる。
 セリナとディアドラばかりに任せるわけにも行かんし、私も良い所を見せたいと言う人並みの見栄はあった。アイリは既にエナジーボルトで梯子を持ったゴブリンを仕留めている。
 今更ゴブリンの一匹二匹を殺した所で動揺するような、軟な精神をしている者は村には一人もいない。むしろ侵略者を皆殺しにしてやると言う闘争心に燃えたぎっており、アイリの横顔にもそれまでの不安を塗り潰す闘志が燃えていた。

「ふむ、私も良い所を見せねば、男が廃るな。手早く数を減らさせてもらおうか」

 左手に握る魔晶石からありったけの魔力を吸い取り、私は突き出したワンドを中心に次々と純魔力で構成された光の矢を産み出す。エナジーボルトの対集団用上位魔法エナジーレインである。
 魔晶石のブーストで誤魔化して、私は二十本近い光の矢を虚空に作りだして、それら一本一本の狙いをゴブリンアーチャー達に定めて、ワンドの一振りと共に放つ。 エナジーレインの発する光が降り注ぐ陽光を払拭し、私の周囲を白い魔力光で照らし上げる。

「射殺せ、エナジーレイン」

 まだ青く濡れている空に二十本の純魔力の矢が光の軌跡を描き、ひしめくゴブリン達の頭上を走って私達を目がけて弓を引くゴブリンアーチャー達の咽喉や、額を貫き脳漿や血液をぶちまけさせる。
 視覚を強化した私が精密に狙いを着けて放ったエナジーレインは、本来必中の魔法ではないが今回に限っては百発百中の命中率でもって、ゴブリンアーチャーを一気に二十匹減らす。
 村での私の立ち位置を考えると、多少やり過ぎな気がしないでもないが、風の守りは時間制限つきだ。
 改めて掛け直すにしても、無防備になるその間を弓で狙われるのは上手くない。シルフヴェールが効力を発揮している間に、ゴブリンアーチャーは殲滅しておきたいのだ。

「アイリ、打ち合わせ通り弓持ちは私が片付ける。梯子持ちは任せるぞ。落ち着いて一匹ずつ狙いを着ければいい。慌てなくていいからな」

「う、うん。分かってるもん」

 他者には初めて見せる私のエナジーレインを目の当たりにして、アイリはいささか驚いた様子ではあったが、私に言い返す余裕があるのなら大丈夫だろう。
 ミルは風の守りが残っている間にも念を入れてラージシールドを構えているが、ミルが盾になる場面が来ないように済ませるべきだろう。
 盾を構えて私とアイリを庇う位置に居るミルの背中は、肉付きが良いとは言えそれでも華奢だが中々に頼もしい。
 ハイゴブリンの吹いた角笛の効果はまだ残っているようで、私達の放つ魔法と村の皆が絶え間なく展開する矢の雨に晒されても、ゴブリン達の死にもの狂いの突進は一向に止まる気配がない。
 いよいよ距離を詰めて来たゴブリン達の先頭集団を前に、アイアンゴーレム達もそれぞれの武器を構えて、正真正銘恐れる心を無しに突っ込んだ。
 特にバリスタのごとき巨大なクロスボウから矢を放ち、一矢で五匹も六匹も纏めて射殺していたリネットがアーマーゴーレムを操って突っ込むと、それはもう鋼の嵐とでも言うべき殺戮の暴力であった。
 ジャイアントクロスボウを放り投げて、グレートソードとサイズを両手に構えてリネットが地を蹴る。走ると言うよりは私を背におぶっていた時と同様の、獲物を狙い澄まして降下する猛禽のごとき跳躍である。

“マスタードラン、リネット、突貫します”

 主従の契約を結んだ私に対しリネットが思念で告げてくる。ふむ、まめな娘である。私はリネットに短いが激励の言葉を返す。願わくはこの忠実で愛らしいゴーレムの少女に、傷の一つもつきませんように。

“活躍を期待している”

“リネットにお任せください”

 ぶん、とこちらにも届く様な風切り音を立てたグレートソードが、銀の孤月を描くやゴブリンの胴体を横に薙いで五匹、六匹とまとめて斬り飛ばす。
 リネット本来の膂力に加えてアーマーゴーレムで強化された剛腕は、グレートソードを疾風の早さで振るいゴブリン達の身に着けている防具などまるでないかの如く、臓物と筋肉、骨格ごと断っている。
 普通のゴブリンならそのような化け物を相手にしては背を向けて逃げ出しそうなものだが、全く臆した様子を見せずますます大きな目玉を血ばらせて、手に持った斧やらナイフやらをリネットに突き立てて反撃している。
 むしろこちらのベルン村側の人々の方が、リネットの一撃の凄まじさに驚いて思わず弓を引く手を休めてしまったほどである。
 グレートソードで斬り払えば、ゴブリンの首が纏めて喜劇のように斬り飛ばされて宙をくるくると舞い、サイズを振るえば巨大な鎌の刃も同じように首と言わず胴体と言わず真っ二つにする。
 アーマーゴーレムの青い装甲はゴブリンの最前列に突撃してから、百と数える前にその面積の大半を返り血で真っ赤に染められて、ぶちまけられた臓物の一部がこびりついている始末である。

 リネットが両腕を振るった範囲内に居たゴブリンが一匹の例外もなく斬り殺されて、雑草を刈る様にいとも簡単に根こそぎにされると、リネットはアーマーゴーレムの両肩についている巨大な盾状の装甲を横に開いた。
 その内側にびっしりと装着されていた筒が、その口先を前方のゴブリン達へと向ける。
 リネットの首筋に接続された特殊な鋼線を介して角度を調整された筒の内部には、刃渡り十一シム(約十センチ)ほどの鉄の刃が装填されている。
 筒の内部には風を発生させて刃が射出される際に加速される魔法術式が刻まれており、これら両装甲合わせて百を超える刃がリネットの意識一つで自在に発射されるのだ。
 風の魔法によって加速された鉄の刃は、密集した敵兵が相手なら全身鎧や大盾が身を守っていようと、容赦なく骨混じりの挽肉に変えられる強力を通り越して凶悪な隠し武器である。

 ゴブリン達はリネットとアーマーゴーレムの脅威を前に密集せず散開した状態であったが、リネットが前方のゴブリンの布陣に合わせて筒の角度を百本個別に調整している為、まず空振りに終わる刃はあるまい。
 鉄で鉄を叩く様な音と共に筒から風の魔法力が放出され、筒から放たれるのとほぼ同時に音の壁に迫る速度に加速された鉄の刃が、前方のゴブリン達を目がけて扇状に襲い掛かった。
 刃の嵐とでも言うべき仕込み刃の一斉発射は、ゴブリン達をまとめて二十匹ほどを貫いて瞬時に絶命させ、距離や角度の関係上絶命は至らなかった者達も十匹近くおり、脚や腹に仕込み刃が突き刺さり、その場に蹲って痛みに悶えるが恐怖を忘れた後列のゴブリン達に踏み潰されて、辛うじて死を免れた者達もすぐさま死の手に掴まれた。
 仕込み刃を全て発射した肩の大盾のような装甲を切り離し、身軽になったリネットはすぐさま前方から怯まず突撃を再開するゴブリン群へと飛び込む。
 死への恐怖を喪失した軍団は厄介だと思ったばかりだが、ことアイアンゴーレム達やリネットに関しては、別の話の様である。背を向けて逃げ出す事をしないから熱した鉄板にバターを押しつけるように、向こうからわざわざ殺されにやってきている様なものなのだ。
 全身が鋼鉄製のアイアンゴーレム達もゴブリン達の攻撃を幾ら浴びても、大した傷も出来ず淡々と武器の範囲に入ったゴブリンを殺戮している。

 時間さえあればリネットとアイアンゴーレム達だけで五百のゴブリンを皆殺しに出来るのではないか、そんな風に思ってしまうほどリネット達の活躍は目覚ましい。
 とはいえ一人と五体の前衛がカバーできる範囲は狭く、そこに毒矢と魔法を注いだとしても元々五百対百三十では討ち漏らしが出る。
 板や盾、あるいは仲間の死体を盾代わりにして矢と魔法の洗礼をくぐり抜けた一部のゴブリン達が、いよいよ梯子をかけて塀の内側に潜り込もうとしはじめていた。
 私達の担当している場所にも梯子が掛けられて、弓から足元に立てかけておいた槍に武器を変えたゼネックさんが梯子を昇る先頭のゴブリンを突き殺す。
 鋭く磨かれた鉄の穂先は、ゴブリンの右目を貫きそのまま脳みそをかき回して絶命させた。引き抜いた槍の穂先には貫かれた目玉と視神経、脳や骨の破片が血液と共にこびりついている。

「ミル、シャーリー、おれ達は梯子を昇ってくるゴブリンを始末するぞ。アイリ、ドラン、二人は構わず魔法を使ってくれ。一匹も通さないからな」

「はいな、一匹も通さないよ」

 シャーリーさんはゼネックさんと同じように短槍を手に取ってゴブリンを突くと言うよりも叩き殺す様に振るい、ミルはと言えば牛人の怪力を活かして自分の頭くらいある大きさの岩を手に取ってゴブリン達に投げつけている。

「えい、えい!」

 掛け声だけは可愛らしいのだが、人間の大人でも運ぶのに難儀する様な重い岩をほいほいと投げているのだから、ミルの細腕に秘められた怪力具合が分かると言うものだ。
 ベルン村を囲う塀にかけられる梯子の数は増えているが、少なくともゼネックさんが守ってくれている私達の担当の場所は、しばらくは問題なさそうである。
 ゼネックさんは一匹一匹ゴブリンを正確に突き殺し、シャーリーさんもゼネックさんが槍を引いた時に合わせて槍を突き出し、夫婦の息があった戦い方を披露している。
 ミルが投げた岩はゴブリンの頭を叩き潰し、時には梯子を半ばからへし折ってゴブリン達を数匹纏めて下の堀に突き立てられている杭の上に落とし、あるいは蠢いている無数の蛇たちがゴブリン達に次々と牙を突き立て、絞め殺しに掛っている。
 これからはなるべく蛇を取るのは控えた方が良さそうだ。リザードや蛇などの鱗持つ者を創造した神とは見た目が似ている事もあって親しくしていたし、今後はなるべく殺生を控えよう。ふむ。

 煮えた油を浴びせかけられたゴブリンが全身に火傷を負って掘へと落下し、ほかのゴブリンも梯子を昇り終えた所を父やドルガさんの振るう斧に叩き割られて、梯子ごと叩き返されている。
 ディアドラの近くに迫ったゴブリンは、鞭の様にしなるディアドラの蔦状の髪に打たれて塀の外へと叩き返され、横に広がる動きを見せていた右翼のゴブリンの一部では先頭を進んでいた連中が背後を振り返り、同胞を相手に剣や棍棒を振るって同士討ちを始めている。
 右翼のゴブリン迎撃をセリナが担当している事を考えると、ふむ、ラミア種の魅了の魔眼でゴブリンの一部を操っているのだろう。
 魔法を使用した直後に発生する隙を魔眼でカバーできるのがラミア種の強みで、それを活かさぬセリナではあるまい。
 二発目のエナジーレインを放ち、再びゴブリンアーチャーを優先的に狙い討っていた私は、ちらりと視線を動かして全体を見回す。
 マグル婆さんはすでに塀の内側に後退し、治療に回っているようだ。アイアンゴーレムはまず予想以上の戦果を上げ続けているが、流石に斧や鎚などの打撃武器を立て続けに浴びれば鋼鉄のボディにも傷や凹みが産まれている。

 周囲を十重二十重とゴブリンに囲まれて動きを取れなくなっているアイアンゴーレムとリネット達は、ゴブリンを殺傷するペースは落ちているがそれでも多くのゴブリンを始末し動きを大きく阻害している。
 ゴブリン達は塀に梯子をかけて乗り越えてこようとしているが、時に梯子をかけた地面が崩れ、走っている途中で石に躓いて横転し、突風にあおられて梯子から落ちて掘の底に巡らされた杭に貫かれ、あるいは蠢く蛇に噛みつかれて絶命する。
 剣や棍棒、斧を振り上げた時にはゴブリン達の大きな目玉に、風が運んだ埃が目に入り、反射的に動きを止めた所を村の皆が使う槍で突き殺される者が続出している。
 そんな誰もが運が良かった、と思うだけで深く気に留める事のない偶然が、先ほどからベルン村の住人にとって良い形で立て続けに起こっている。
 おおっぴらに力を使う事を抑制している私が、誰にも気づかれない形で行える援護の一つとして、森羅万象に宿る精霊たちに囁きかけてそれらの偶然を意図的に引き起こしているからだ。
 先ほどから立て続けに魔法を放ち、矢を射かけている成果で既に三割近いゴブリンを倒しているだろうか? 
 これなら問題はなさそうだ、と私が心中で順調に言っている事を確認していると、ひと際大きな魔力が北門中央から発せられて私がそちらに視線を向ければ、大振りの魔晶石を柄尻に埋め込まれたミスリルソードを天に掲げるクリスティーナさんの姿があった。
 魔法学院の学生の水準はこれほど高いのだろうか。クリスティーナさんの天井を知らずに高まって行く魔力に、ほうと私が感嘆の声を漏らした矢先に白銀の髪を逆立たせ、全身から青い魔力光を迸らせるクリスティーナさんの唇が歌う様に詠唱を紡ぐ。

「雷と風の理 古の盟約に従って我が意のままにその力を行使せよ 雷鳴は唸る風と共に轟き万物を打ち砕け サンダーストーム!!」

 風と雷の精霊による複合魔法か。呪文の完成と同時にクリスティーナさんの頭上には黒い雷雲が発生し、天に切っ先を向けて掲げられたミスリルソードを介して、青い一条の雷がクリスティーナさんの美駆からその雷雲へと向かって放たれる。
 二種の精霊に呼び掛けることで発生した黒雲の中で雷のエネルギーは何倍にも増幅されて、大気を震わせる轟音が響き渡り、次の瞬間青い雷光が幾本も列を乱してなお突進してくるゴブリン達の中央めがけて降り注いだ。
 網膜が焼かれるかと思うほどの凄まじい光量と咄嗟に鼓膜を庇わねばならぬほどの大音量を伴い、黒雲から降り注ぐ雷の狂宴は数秒間続いた。
 蒼白い雷の光によって地に落とされる黒い影は、落雷によって痙攣し糸の切れた操り人形のように無様なダンスを踊るゴブリン達のものだ。
 世界の音と言う音を奪い去り、光と言う光を奪った雷の直撃を受けたゴブリン達は、目玉を破裂させ、肉を炭に変えて瞬時に絶命している。
 ハイゴブリンの吹いた魔法の角笛の効果がなかったら、確実にゴブリン達が背を向けて逃げ出すのは間違いない雷の洗礼である。

 ゴブリン達の列の中央にぽっかりと空白が生まれ、雷の膨大な熱量で全身を炭化させたゴブリン達の亡き骸がいっそ無残なほどに転がっている。
 魔晶石の助けがあるとはいえ、流石にクリスティーナさんも消耗を感じているようで、額や頬に汗が滲みほつれた銀の髪が張りついている。
 汗の粒を浮かべ疲労の色を露わにするその姿もまた美しく、如何なる姿であっても美しさと凛々しさを兼ね備えているとはなんとも反則級である。
 クリスティーナさんの放った高位の魔法に、村の人々が呆気に取られる中迅速に呪文詠唱を終えて、隣で呆けた顔を浮かべているアイリに怒鳴りつけるように声をかけた。

「呆けている場合ではないぞ、アイリ。大きいのを叩き込む!」

「あ、う、うん」

 残っているゴブリンアーチャーをいい加減纏めて片付ける。アイリが得意とする火属の魔法の詠唱に入るのに合わせ、私も教わっている魔法の中で特に殺傷能力の高い呪文を選択する。
 リシャやディナさんは既に魔晶石ばかりでなく、自分自身の魔力をすっかり消耗し尽くしており、一時後ろに下がって休みを取ってから弓や槍を取って戦列に並び直す動きを見せている。
 マグル婆さん、リシャ、ディナさんが魔力を使い果たした状況では、風の守りも完全には展開しきれない。となればゴブリンアーチャーの脅威を取り除く事が優先と私は判断を下した。

「火の理 我が声のままに荒れ狂え 紅蓮の炎流地を裂いて現れよ 炎の円卓の饗は汝らなり ラウンズバーン!」

 残るゴブリンアーチャー六匹を中心に、大地が円形の赤く発光するサークルラインが描かれ、急速に大地を灼熱させて大気を熱してゴブリン達が吸いこんだ肺腑を焼け爛らせ、更に大地を踏みしめる足を瞬く間に焼く。
 大地のはるか地下を流れるマグマ流の熱エネルギーを地表へと表出させ、サークルラインの範囲内に捉えた対象をそのマグマ流の熱量によって焼き尽くす火系中級魔法だ。
 持っていた三個目の魔晶石の魔力全てを使い尽くし、私が完成させた魔法は、サークルライン内部の大地を一瞬で赤熱化させて、直径二十二メル(約二十メートル)の大地は一斉に紅蓮の炎を吐きその高さは八メルに達していた。
 紅蓮に満たされる空間の内部でゴブリン達は皮膚を焼かれ、肉を焙られ、骨を焦がされて、影絵のように踊り狂い次々と絶命しては大地に倒れ伏し、更なる高熱に焼かれて原型を留める事も出来ずに、焼け焦げた体を崩壊させてゆく。
 残っていたゴブリンアーチャーとついでに十数体のゴブリンも巻き込んで焼殺できたようだ。その結果に私はふむ、と一つ零す。
 クリスティーナさんに続いてとっておきの魔法を叩き込む事を決めたのは私だけでなく、ディアドラとセリナも同じであった。二人とも私から渡されている首飾りによる魔力強化補正もあり、まだまだ魔法を行使する余裕がそれぞれの美貌に伺える。

「地と水の理 我が声のままに狂奔せよ 大地の怒りは波濤となり全てを飲み込み 汝らを滅ぼす災い クエイクウェーブ!!」

 右翼のセリナが詠唱を完成させたのは地属と水属の混合魔法クエイクウェーブ。
 地鳴りと共に盛り上がった大地が、波濤の如く敵対象を目がけて襲い掛かり次々とその大質量で持って押し潰し、地形を変えながら敵対者を殺傷する大地の津波である。

「大地の精霊ノーム 我が呼びかけに答え 大地の秘めたる脅威をここに 地精召喚!」

 左翼のディアドラは同じ地属の精霊であるノームに対し、精霊言語による呼びかけを行い、大地に新たな魔力の胎動が放たれるのと同時にくりくりとしたつぶらな瞳をした土竜(もぐら)に似た姿で、ノームが精霊界より召喚されて顕現していた。
 召喚者のイメージや被召喚対象である精霊の個性によって、物質界に顕現する際の姿は異なるが、ディアドラの召喚したノームはなかなかに可愛らしい。精霊の召喚者によっては、人間に近しい姿をしていたりあるいは獣の姿をしていたりする。
 術者の力量によって一度に召喚できる精霊の数は異なるが、今回の召喚では土竜そっくりの可愛らしいノームが六体召喚され、六体全部がゴブリンの最高列に居るハイゴブリンめがけて突進を始めた。
 ノームが駆けた後の大地は巨大な槍か竜の鉤爪の様に隆起して周囲のゴブリン達を巻きこんで押し潰し、貫き殺して誰も止める者もなくハイゴブリンとの距離を瞬く間に詰める。
 大地の津波と六体の大地の精霊による襲撃に対し、同族の惨めな戦いぶりに苛立ちを露わにしていた若いハイゴブリンは、戦端が開いてから初めて自分に襲い来る脅威に大慌てで輿の上からシミターを手に飛び降りる。
 その前に輿を持ち上げていた屈強な大柄のゴブリン四体が盾となり、さらに六匹のゴブリンメイジが一斉に杖を掲げて、対魔法障壁の構築と敵対者が召喚した精霊と逆の属性の精霊の力を召喚することで相殺する、アンチエレメンタルの魔法を完成させる。

 流石にゴブリンの中でも二、三十匹に一匹の割合しかなれないというメイジになったゴブリン達だ。こちらの魔力の高まりと波動から、こちらの行使する魔法の属性を把握して迅速に対応策を練り上げている。
 左右から襲い来る大地の津波とノーム達とゴブリンメイジの間に黒色を帯びた半透明の光の壁と地属と相反する風の属性の精霊力が抽出され、両翼からの魔法に対する防御が完成する。
 それらが激突する瞬間を私は見逃すことのないよう、瞬きを忘れてつぶさに見つめる。
 大地の津波は魔力の防御壁に衝突して一瞬、その勢いを弱めたが私の精で強化されたセリナの魔力は尋常ではなく、大地の津波はあっさりと防御壁を打ち砕くとゴブリンメイジ三体を飲み込み、その圧倒的質量で押しつぶして磨り潰し、鮮血を滲ませる挽肉に変える。
 ノーム達も風の精霊たちによってその力を少なからず減衰されたが、減らされた現界していられる時間で、風の精霊を召喚したゴブリンメイジ達を牽き殺すだけの事は出来た。
 大地の津波が停止し、ノーム達がその姿をこの世界から消した時残っていたのは、数十体のゴブリンの原型を留めぬ死体と、瞬く間に殲滅された六匹のゴブリンメイジの死体であった。

 ハイゴブリンの護衛と補佐役を兼ねていた事もあって、前線には出てこなかったゴブリンメイジだったが、もっと早く前線に投入していれば脅威と成り得ただろうに、無駄に戦力を出し惜しみした結果、貴重で強力なゴブリンメイジ達はまったく戦果を上げることなく殺されてしまったわけだ。
 なんとか精霊と大地の魔法の脅威から逃れられたハイゴブリンだが、どうやら頼みとしていたゴブリンメイジ達が瞬く間に殺された事で完全に腰が引けた様子で、全身に脂汗を滲ませて恐怖に震えている様子が見て取れた。
 この若いハイゴブリンにとって今回のベルン村襲撃は初陣だったのかもしれない。いや、そうでなくともこうも強力な魔法を立て続けに撃ち込まれては、正常な判断力を残す事は出来まい。
 ハイゴブリンがなにやら口喚いているようで、護衛の厳ついゴブリン達も青ざめた顔でしきりに頷いている。これは逃げるつもりか。
 それでいて角笛を吹く様子がないのは現在ベルン村めがけて突進してくるゴブリン達は、捨て駒としてそのまま戦わせ続けるつもりなのだろう。
 運よくベルン村を陥落すれば儲けもの、そうでなくとも自分が逃げる時間は稼げると言ったところか。

「だがその首は金に換えさせてもらおう」

 ハイゴブリンの首となれば報奨金の額もひと際大きい。命を金に変える事の嫌悪感はあるが人間に転生して以来、人間社会の世知辛さや生きることの厳しさと言う者を学んだ私は、その嫌悪感を心の奥で殺す程度の事は出来た。

“リネット、ゴーレムでハイゴブリンの退路を塞ぐ。その隙に討て。決して逃すな”

“マスタードランからのオーダーを確認、リネット、突貫します!”

 限界近い魔力の行使に荒く息を吐くアイリを尻目に、私は遠隔操作によるゴーレム作成と言う通常なら膨大な魔力を消費する魔法を行使した。
 すでに並みの魔法使いの魔力量をはるかに超えて魔法を行使しているが、この際多少の異常ぶりは目を瞑る事としよう。
 ゴーレム作成の触媒はさきほどセリナが発生させた大地の津波である。魔法によって発生した大地の津波は、その津波型の形状のまま固まっていて更にセリナの魔力を含有している。
 そのセリナの魔力を吸収し、大地の津波を材料にして私は簡易大量生産型ゴーレムを、一気に十体生成する。
 たった一つの機能しか持たせていない簡便さを優先して生産性を高めたゴーレムは、初めて目にする人には奇妙な印象を与えるに違いないシルエットを持っている。

 岩土で構成されたそのゴーレム達の下半身は馬そのもので、上半身は人間のそれだ。これだけならケンタウロスを模倣したゴーレムと言う事になるのだが、肝心の上半身には頭や腕はなくその代わり胸部から太く鋭い一本角が伸びているのだ。
 馬上で振るう突撃槍を胸から生やしている様な奇妙なケンタウロスもどきのゴーレム。これが今回私の生成したホーンゴーレムである。
 機能は至極単純明快で、馬を模した四本足で大地を疾駆して敵を牽き殺し、胸部から伸びる角で突き殺すだけ。たったそれだけの機能しかないが、その分生成するのは容易で、大した時間もなく作り出せる。
 これといって耐久性も高くはなく、ゴブリンの振るう棍棒の一撃で簡単に壊れてしまうのが難点だが、もともと一回の戦闘で使い捨てることを前提にしているから、さしたる問題点でもあるまい。

 馬を模した成果で機動力はそれなりにあるホーンゴーレム達は逃げ出し始めていたハイゴブリンと、それにつき従う二十匹近いゴブリン達を追いかけて瞬く間に包囲し、そのままぐるぐると円を描いて走り続ける。
 ハイゴブリン達が自分達を囲むゴーレム達に足を止めるが、数の上では自分達の方が上であることと相手が対して魔力が込められているわけでもないゴーレムである事を、多少時間をかけてから見抜くと、それぞれの武器を掲げて一団となって正面のホーンゴーレムに襲い掛かる。
 できればそのまま攻めあぐねて足を止めていて欲しかったが、そう上手くも行かんか。私は木塀の上からゴーレム達に指示を飛ばして周囲を走り続けるのを止めさせて、ゴブリン達めがけて相討ち上等の突撃を敢行させる。
 四本の足が大地を蹴って蹄の音が重なって轟きと鳴り、剛腕を振り上げるゴブリン達と激突して、分厚い胸板にホーンゴーレムの角が突き刺さり、あるいは屈強なゴブリン達の振り上げたハンドアクスや棍棒がホーンゴーレムの角の根本や、肩口に叩きこまれて土で構成された脆いホーンゴーレムを呆気なく崩壊させる。

 流石にハイゴブリンにつき従っているゴブリンは鍛え抜かれた精鋭の様で、並みの人間の兵士では不覚を取ってもおかしくない戦闘能力を持っているが、生憎とホーンゴーレム達の役割はあくまで時間稼ぎだ。
 ゴブリン達の間をホーンゴーレムが機動力を生かして駆け抜けるだけでも、ゴブリン達をかく乱させて足を止める位の役目は果たせる。
 ゴブリン達の攻撃を受けたホーンゴーレムは簡単に倒されるが、腰から上を丸ごと吹き飛ばされでもしなければホーンゴーレムが完全に機能を停止させる事はない。
 ほとんど下半身だけになってもゴブリン達の間を駆け抜けるホーンゴーレム達に翻弄されて、撤退する速度を落としたゴブリン達の元にリネットが到着するのにさしたる時間はかからなかった。
 アーマーゴーレムの脹脛(ふくらはぎ)の装甲に内蔵されている風精石から風の魔力を抽出し、推進力に変える機構を起動させたリネットは、爆発的な加速力を得て五百メル近い距離を瞬く間に詰めていたのである。

 巨人種族が纏っているかのような巨大な全身鎧の塊が、天高くから舞い降りる姿は見物といえた。
 脹脛の装甲が開きそこから指向性を持たせた風が吹き出し、超重量のアーマーゴーレムに一時的な飛翔能力を与えているのだ。
 ホーンゴーレム達をやや手間取りながら駆逐しつつあったゴブリン達の頭上に到着したリネットは、脹脛からの風の噴出の推進方向を眼下へと変える。目標はゴブリン達の中心でシミターを振るうハイゴブリンの首ただひとつ。
 魔法による斬撃強化と重量増加、非実体の敵を斬る為の魔力付与が施されたグレートソードを大上段に振りあげて、リネットがハイゴブリンの直上から斬りかかる。
 天から地上へと逆さまの体勢で虚空を飛翔するその姿は、さながら天より地に落ちる流星の如く激しく、素早く、勇ましい。

「マスタードランの命により、首級頂戴いたします」

 地に落とされたアーマーゴーレムの影に気付いたハイゴブリンが頭上を見上げ、凄まじい勢いで襲い来るリネットの姿に発見して、大慌てでシミターを振りかぶる。が、リネットの方が断然速い。
 ハイゴブリンクラスの振るうシミターの一撃なら、人間の首くらいは簡単に飛ばせるがハイゴブリンが選んだのは、リネットの一撃を受ける事であった。
 ハイゴブリンが咄嗟に頭上にシミターを掲げるが、リネットが振るったグレートソードの一撃は掲げられたシミターごとハイゴブリンを体中線に沿って真っ二つにしてのける。 
 私の位置からでは見えないが、神速で振るわれたグレートソードの一撃はハイゴブリンの骨格と臓物の数々を鮮やかなに断ち、鏡の様に研ぎ澄まされた断面を覗かせていたことだろう。
 勢い余ったグレートソードはそのまま大地をも深く斬り裂き、その根本に至るまでを土の中に埋めている。リネットの突然の襲撃とハイゴブリンの絶命が、場を凍りつかせて戦闘の最中でありながら、時が止まった様に場の動きが停滞する。
 ゆっくりとグレートソードを大地から引き抜いたリネットにとっては、周囲の停滞はまるで関係のない事の様で、無造作にグレートソードを振るうや動きを止めていた屈強なゴブリンの首が飛ぶ。
 停滞していた場が動きを取り戻し、リネットめがけて大将を討ち取られた怒りに狂ったゴブリン達が襲いかかり始めた。

「ハイゴブリンの首は取ったか。場が動くぞ」

 視覚を強化しリネット達の状況を把握できる私と違い、梯子を昇ってくるゴブリン達の迎撃に勤しんでいたゼネックさん達は、私の呟きが理解できず、「なに? 」と私をふりかえる。

「リネットがハイゴブリンを斬った。あの魔法の角笛の効果も切れるだろう。そら、丁度いま」

 私が顎をしゃくる先、梯子を昇っていたゴブリンや死を恐れずに門を目指して死の行進を繰り返していたゴブリン達が、一斉に長い夢から醒めた様にきょとんとしはじめ、次いで周囲の惨状に気付くとにわかに恐慌状態に陥り始める。
 ベルン村側には被害らしい被害をほとんど与えられていないのに引き換え、周囲には同族の死体がいくらでも転がっているのだ。
 それも原型を留めぬほど焼き尽くされた者、矢襖にされた者、頭をかち割られた者、咽喉や眼玉を槍で貫かれて絶命している者と目をそむけたくなるむごたらしい死にざまを晒している者ばかり。

 更には村を囲む堀の中ではつき立てられている杭に全身を串刺しにされて、痛みと死への恐怖に塗れた顔のまま絶命している者、無数の蛇に絡みつかれて毒の滴る牙を突きたてられ、首を締めあげられ、あるいは大蛇に生きたまま丸呑みにされている者などなど。
 魔法の角笛による恐怖の抑制を失ったゴブリン達は、その生存本能に従って一斉に私達に背を向けて逃げ出し始める。
 まだ息のある者が助けを求めて、仲間に手を伸ばすがそれも後から走ってきた者たちに次々と踏み潰されて、あっという間に死んでゆく。
 魔物でも人間でもいざ自身の死がすぐ傍に迫った時に見せるごくごくありきたりで、醜悪で、生命のあり方を刻々と晒す姿であった。
 この状況を見逃すほどバランさんやうちの村人が甘い筈もない。それまで木塀の上からの防衛戦に終始していたが、バランさんが血塗れのバトルハンマーを掲げて新たな号令を発する。

「門を開けえ。ゴブリン共を掃討する好機だっ!!」

 バランさんがすぐさま塀を下りるのに続き、ゴブリン達に怪我を負わされていない村の人達が次々と武器を手にとって塀を下りて、ゆっくりと開く門へと殺到する。
 その中にはクリスティーナさんの姿もあり、マリーダさんを圧倒した剣技でゴブリンを狩りたてに向かうのだろう。
 サンダーストームによる魔力消費は相当な精神的疲労をクリスティーナさんに与えている筈だが、まるでそのような素振りのない機敏な動きである。
 秩序なく生存本能に突き動かされるままそれぞれが勝手に逃げ出すゴブリン達に追いつくのは、難しい事ではあるまい。
 ましてやゴブリン達が逃げ出す先には、ハイゴブリンの護衛であった精強なゴブリン達を殲滅し終えたリネットと、私が魔力を注いで再構築したホーンゴーレム十体が手ぐすねを引いて待ちかまえているのだ。

 前に進もうが後ろに下がろうがゴブリン達に生存の目はほとんど残されていない。ゼネックさんとシャーリーさんはゴブリン掃討に参加する為に、それぞれ武器を手に塀を下りている。
 ミルもポールアクスを手に塀を飛び降りていて、その華奢な腕に秘められた怪力を思う存分発揮して、ゴブリン達を血祭りに上げることだろう。
 すでに梯子を昇って塀を上がろうとするゴブリン達の姿が居ない以上、私達の護衛はもう必要あるまい。私は戦況の変化をまだ理解できていない疲れ果てたアイリの肩を叩いて、声をかけた。

「え、あ、ドラン? なに、ゴブリン達が攻めてこないけど、どうしたの?」

 緊張の糸が切れたらすぐさま膝を突いて気を失ってしまいそうなほど、アイリはくたくたな様子である。

「リネットがハイゴブリンを片付けて、ゴブリン達が混乱して逃げ出そうとしている。バランさんとクリスティーナさんを筆頭に、村の皆が掃討しようと出撃しているのだ」

「……えっと、もう魔法を使わなくてもいい?」

 可愛らしく小首を傾げて訪ねてくるアイリに、私は苦笑交じりに答える。

「ああ、お疲れ様、今マグル婆さんの所に連れて行くから、ゆっくり休むと良い」

「……ふにゃあ、疲れた」

 ぺたんと腰を降ろしそうになるアイリに肩を貸し、私はアイリを支えて塀の足場からゆっくりと慎重に降りてゆく。アイリは子猫の様にしきりと私に甘えようとして、頬ずりしてくるが髪の毛が首筋や鼻先に触れて、すこしくすぐったかった。

「ドラン、あたし、疲れたあ」

「ああ、良くやったな。立派だったぞ、アイリ」

「んふふ」

 私の言葉にアイリは機嫌を良くしてますます私に自分の体を擦り寄せて甘えてくる。可愛らしいその仕草に、私は悪戯心を突き動かされてアイリの額、頬、首筋に唇を落とす。ゴブリンの掃討に急ぐ村の人達は、私達の姿が目に入らない様子である。
 それを良い事に私は小さな音を立てながらアイリの身体に唇を落とし続けた。

「ん、やあ、ドラン、くすぐったいよお」

「たくさん頑張ったアイリへのご褒美だ」

「ご褒美? それならもっとして、い~っぱいご褒美欲しいの」

 ふむ、全身が疲労困憊状態なものだから、あまり頭が回っていないようで、いまのアイリは非常に素直な態度で私に甘えている。可愛い事極まりない。アイリの小さな唇にも私の唇を重ねながら、私はこうアイリに尋ねた。

「アイリ、私の子供を産んでくれるか? リシャやセリナ達にも産んでもらうがそれでもアイリは産んでくれるか?」

「うん、産むよぉ、ドランの子供なら何人でも産むの、あたしが一番ドランの事好きだもん。だからね、ドランの赤ちゃんいっぱい産ませてね」

「ああ、たくさん子供を作ろうな」

「うん。い~っぱい、いっぱい産むもん」

 私はよしよしとアイリの癖のある髪を慰撫しながら、足場を下りる途中ゴブリン達が逃げる先とは反対の南へと目を向けて、ぽつりとアイリにも聞こえない声で呟いた。

「勝ったか」

 私の視線の先には激しく土煙を上げながら、ベルン村を目指して全力で大地を蹴るイゼルナさんを筆頭とした数十騎の騎馬の姿があった。ガロアから出撃した救援部隊が、遅まきながらベルン村に到着しようとしていた。
 ゴブリン達の命運はここに尽きたと言える。
 アイリに肩を貸してレティシャさんやマグル婆さんが詰めている治療所に向かう途中、私はふとゴブリンに生まれ変わり、今回の戦いでゴブリンの側に立っていたならばベルン村の人々を、一人でも多く殺す事に邁進しただろうかと疑念を抱き、すぐに小さく笑ってその考えを捨てた。
 私の知るゴブリンの生態と社会構造を考慮すれば、ゴブリンに生まれ変わったとしたら、私はおそらく二日ともたずに自殺することだろう。
 そう言う意味では人間に生まれ変わった事、そして生れ変った先が優しい父母と兄弟、村人たちのいるベルン村であった事は、私にとって最大の幸運に違いなかった。
 人間だからと言って善なる者とは限らない。その中には、いや少なからず人間にはゴブリンやオークの様に根本から邪悪に生み出された魔物たちとたいして変わらぬ者とているのだから。

<続>

>[152]mei◆dc9bdb52 ID: ce63f17b
鳥足の上に馬上槍つけて、稼動部には「┥←こちら側前面」な形の簡易装甲板つけて、数をそろえて突撃させるゴーレムとか。
敵に向かって走るよう指示するだけなら多数制御いけるはず・・・!

 作中のホーンゴーレムはmeiさまのご感想を参考に突撃仕様に変えたものです。
改めてお礼申し上げます。ご意見をありがとうございました。これからもなにかアイディアございましたら、よろしくお願いいたします。


 主人公が精霊を召喚したらおしなべて女性の姿をしている事でしょう。そして押し倒してナニすること間違いなし。
 ともかく無事平常運転で本編再開です。リネットの鎧は『キメラ』という漫画のある鎧と『うたわれるもの』というゲームソフトに出てくるとあるものを参考とさせて頂いております。
 シャーリーの産卵風景は要するに便器の上に跨る様な姿勢か、M字開脚で後ろから膝裏に手を回されて持ち上げられる姿勢と言う事です。十八歳の人妻が産んだばかりの産みたてほやほやの新鮮卵が食べられるわけですね。
 十四歳の少女の搾りたての乳と十八歳幼妻の産み立て卵の食事でというわけですな。ただ卵は希少なので、頻繁には食べられません。
 外伝を書こうと思っていたのですが、通常の倍の分量になったので本編だけです。

 分かってはいましたが外伝における賛否両論なご感想は非常にためになりました。予想外だったのは私のメンタルの豆腐具合で、よし、書くのを止めよう、などと考えてしまった事です。
 そういう反応が返ってくると分かって書いた話ですから、そんな自分が情けない限り。
 とまれそう言うわけでして『さようなら竜生 こんにちは人生』完結と相成りました。









 ベルン村編が。次かその次辺りからガロア編になります。ではではまた次回にて。ちょっと悪戯心が湧いただけなんじゃよ? もうちょっとだけ続くんじゃよ!


11/13 19:41投稿
    22:48修正
11/14 12:47修正 通りすがり様、JL様、ご指摘ありがとうございました。
11/15 12:30修正 JL様、たびたびのご指摘ありがとうございました。
11/16 12:57修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑲
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/12/08 20:24
さようなら竜生 こんにちは人生⑲


 私とアイリは配置された木塀から降りて、住民が避難した空き家を利用した仮設治療所へと二人揃って足を向けていた。
 マグル婆さん、ディナさん、リシャの三人が魔力を使い切ってからしばらくは弓と槍で戦っていたが、後方に下がったのは確認していたし、私の両親や兄弟も激しい戦闘の最中、幸いにも大きな怪我を負う様な事がなかったのも、随時調べていたから安否を心配する必要はない。
 ただしそれは私からすれば、の話であって私の本当の異常性を知らぬ他の人間からすれば、ここは家族の安否を確かめる為に仮設治療所へ向かうのが自然な流れだろう。
 それにドゥルガさんを除いたアイリの家族は、全員仮設治療所に居る。

 アイリの無事をアイリの家族に伝える為にも、またアイリに家族の無事を伝える為にも仮設治療所へ一旦足を向ける事が好ましい。
 私とアイリは後方に下がる組だがバランさんの号令一下、北門を出てゴブリンの残党を討ちに向かった人達に続く村の顔見知り達と時折すれ違いながら、ゆっくりとした足取りで仮設治療所へ向かう。
 闘争の喧噪はまだ私の鼓膜を揺らしているが空の青は変わらず、太陽も常日頃と変わらぬ輝きで地上を照らしていた。
 私達にとってはまさに人生の一大事であっても、世界全体からすれば採るに足らぬ瑣末な事に過ぎないと言う事か、と私は雄大な自然に比べるにあまりに矮小な我が身を想い、奇妙な感慨に耽っていた。
 このような考えが浮かぶのも人間に転生した影響なのかもしれない。

 家財が一切合財外に放り出されて代わりに怪我人を寝かせる為の寝台や、貴重な医薬品、薬草、湯気を吐く大鍋などが並ぶ仮設治療所に、ほどなくして辿りついた。
 それまで私にもたれかかる様にして歩いていたアイリであったが、レティシャさんが詰めていた仮設の治療所に足を踏み入れると、立ちどころに背筋に鉄の芯を通したように態度と顔つきを変える。
 家屋の中ばかりでなく外に出された寝台の上には、ゴブリンとの戦いで傷を負った顔見知りの村人たちの姿があり、腕や足、腹に巻かれた包帯にうっすらと血が滲み、苦悶に顔を歪めて脂汗を浮かべる姿が何人も見られる。
 
 日頃朗らかに挨拶を交わし、苦楽を共にしてきた村の人々の傷ついた姿にざわつく心をなんとか宥めすかした私は、少量の魔力を瞳に通して霊的視覚の段階をいくつか引き上げる。
 瞳を魔眼化することで通常の人間の視界では捕捉する事の出来ない、あらゆる類の情報を瞳に映す事が出来るようになる。
 そうして私が姿を求めたのは、いわゆる死神と呼ばれる者達の姿であった。

 死者の魂を冥界へと導く役目を負う死神には、いくつか階級があり一般的に大多数の生物の魂を運ぶのは、アンクーと呼ばれる霊体である。
 この時代の人々が思い描く死神をそっくりそのまま当て嵌めた姿をしており、黒一色に染め上げられた襤褸のマントを纏い、同色のフードに隠された顔は常闇を眼窩に蟠らせた骸骨で、手には魂を刈り取って冥界へと導く為の大鎌を握っている。

 怨霊や悪霊の類ではなく、明確な知性や感情も持たないアンクーは死に際の生物の思念を感じ取り、それらが悪意に塗れて怨霊化する事を防ぎ安息の内に冥界に運ぶ事をその存在理由としている。
 極めて単純な存在でその役目の為だけに存在しており、まずアンクーが死に際を見誤る事はない。
 今頃村の外ではゴブリンの魂を冥界へ運ぶ為に多数のアンクーが集まっているだろう。
 幸い私の見た所冥界からの使者たちの姿は見られず、治療所に居る人々の元に死の影はまだ訪れてはいない様である。
 怪我はしているが命に別条はない人ばかりで、アンクーの姿や気配の残滓がないと言う事は、治療の甲斐なく死んでしまった人々もいないと言う事になる。

 革鎧を着たままのレティシャさんが寝台に寝かせられている女性――ルヴィリアさんの傍らに膝を突き、瞳を閉じて指を組み、マイラスティに祈りを捧げて治癒の奇跡を行使していた。
 四十がらみのふくよかな体つきをしたルヴィリアさんの右肩には、剣か何かで切りつけられた傷が出来ており、血を噴くその傷にマイラスティの治癒の奇跡が施されて白い光に包まれるや、見る見る内に赤い断面を晒す筋肉と裂かれた肌が癒着してゆく。
 完全に傷が塞がれば、後は血を拭って衣服を清潔なものに変えるだけで済む。
 マイラスティの治癒の奇跡は、単純に傷を塞ぐだけでなく失血や体力も補充してくれるから、ルヴィリアさんは着替え終えたらすぐさま怪我人の治療の手当てを手伝い始めた。
 
 運び込まれた怪我人の中で魔法薬や通常の医療手段では間に合わない大怪我を負った人をレティシャさんが優先して治癒の奇跡を施し、レティシャさんの周りでは助手代わりを務めている人達が忙しなく動き回っている。
 その中にはディナさんやリシャ、マグル婆さんの姿もあった。
 血の香りの中に、マグル婆さんや私達が調合した治療薬や魔法薬の鼻にツンと来る匂いが漂っており、少なくない数の怪我人が出ている事を暗に示している。
 これで怪我人こそ出たものの村の誰も犠牲になっていなければ、後ろめたさを覚える事もなく家族の無事を喜べるところだ。

 可能な限り私が村人全員に九死に一生を得る偶然が頻発するように手を回してはおいたし、広げていた知覚網の中でも誰かが命を落とす気配は感じられなかったから、ある程度安心はしていた。
 だが実際にゴブリンとの戦闘で怪我を負った村の顔見知りの人達の姿を前にして、私は自分で思っていた以上に罪悪感や悔恨の念の類の感情に胸をかき乱されていた。
 ゴブリン討伐によって得られる報奨金などの恩恵を考えて今回は襲撃を見逃したが、村の人達が傷つく姿を目の当たりにするのは、あまりに心臓に悪いし私の精神を追い詰めてくる。

 今回はマグル婆さんの使い魔の方がゴブリンの一団を発見するのが早かった為、事前に私が殲滅するにしても姿を見られた可能性があったことなどをを反省し、警戒網をもっと大きく広げ直さねばなるまい。
 白竜の分身体による介入はベルン村近隣にドラゴンが住んでいるという風聞が広がることの不利益を考えると、やはり最終手段になるだろうがそれでも介入の機会をより厳しく再検討するべきか。
 今この瞬間、誰かがの生命が死への坂道を転がり始めたら、私の正体発覚ないしは異常さゆえに村からの追放処分をくらう事になっても、力を使って助けようと私は腹の奥で決めた。

 私がその様に自身の中の葛藤に折り合いを付けている傍らで、アイリは弛緩していた顔を引き締め直すや杖を仮設治療所の壁に立てかけて、袖をまくりながらずんずんと家屋の中に足を踏み込んでゆく。
 マグル婆さんとディナさんから魔法薬の調合のみならず医術の手ほどきも受けている為、私達にもこの光景を前に出来る事があると悟ったアイリは、煮出した薬草の液で右の二の腕を怪我した人を消毒していたマグル婆さんの所へ飛んでいった。

「お婆ちゃん、あたしも手伝う」

 薬液を塗り終えて器を手元に置いたマグル婆さんは、椅子に座って治療を受けている男の村人の腕に包帯を巻きながら、戦闘の後にも関わらず疲労を吹き飛ばして駆けこんできた孫娘に向けて、皺深い顔に笑みを浮かべる。

「おお、アイリ、無事だったかね。よかった、よかった。そうさね、ここにいる者らには一通り手当ては終えているからね。次に来る者達の為に薬湯や包帯や添え木の準備をしておきな。そら足を止めるんじゃないよ」

「うん!」

 アイリはセリナやディアドラを教師に魔法の勉強を教わりはじめた事もあり、地系統や水系統の治癒魔法を扱えるが、生憎と魔力が切れた状態ではマグル婆さんの言うとおりにするしかないだろう。
 小走りに家の台所の方へと向かうアイリの背を見送り、私は改めて家の中と外で治療を受け、休んでいる村の人達の体調をそれとなく検査しておいた方が良いと判断した。主に私の精神衛生上、だ。

 ガロアからの援軍を含めて、現在北門から逃げようとしているゴブリンに追撃を仕掛けている村の人達の状態を確認する。
 人体の発する生命の波動、魔力、感情の波、心臓の鼓動、呼吸……存在を証明するあらゆるものを強化した諸感覚と霊的知覚を持って把握し、生命のベクトルが死へと傾いていないかを入念に検査を重ねる。
 私が皆の状態を調べている事を気付かれぬようにと、繊細さと隠蔽性を重視して行わねばならないが、人間の魔法ではなく竜語魔法で行える分私にとって難易度ははるかにやさしい。

 無色無音無感触の霊的知覚の手――実際に手の形状をしていると言うわけではないが――が村の内外に居る皆に触れて、その精神と肉体の状況を光の速さで私に伝えてくる。
 ふむ、調べた限りにおいて多くの人々が戦闘の興奮に包まれているのは確かだが、バランさんやドゥルガさんなど魔物との戦いを重ねて来た重鎮組が上手く手綱を引いてくれているようで、思わぬ反撃は今のところ受けてはいないようだ。
 家族が怪我をした人の中には流石に取り乱している人もいるが、命を落とす可能性に関しては王国の領内でも有数の高さを誇る辺境に生きている事から、ある程度の耐性と覚悟ができており、我を忘れるほどの取り乱し方をしている人はいない。

 多少落ち着きを失っても怪我人の手当てや、生き残りのゴブリンが村に入り込まないようにと警戒を怠らないように動きまわっているようだ。さて、では私はどうするか。
 まだ魔力はいくらでも余裕はあるが、普段マグル婆さん達に伝えている魔力量ではすでに限界に近い。村の皆の治療を手伝うのならば、私もアイリ同様魔法ではなく医術の方で手伝わねばなるまい。
 私もアイリと同じようにこの場を手伝うべきかと考えていると、マグル婆さんが私が思い悩んでいる様子である事に気付いて、こう言って来た。

「ドランや、この場は私らだけで十分に手は足りておる。手当が終わって動ける者は手伝ってくれておるからね。お前は自分とこの家族とあとお嬢ちゃん達の様子を見ておいで」

 マグル婆さんはどうやら私が治療を手伝うべきか、その前に家族の顔を見ておきたいと悩んでいると判断したようだ。
 確かにマグル婆さんの言う通り、手当ての終わった村の人達が新しい怪我人の世話をしはじめているし、私の手が必要なほど忙しいという様子ではない。
 アイリも随分と張り切ってあちこちで動きまわっている様である。

 それにマグル婆さんに言われて、家族やセリナ達の様子を直接この目で確かめたいと言う欲求に、私は強く突き動かされた。
 全員の無事は生命の気配を探る事で確認してはいたが、やはり直接目で見てその安否を確認する事の安心感の方が大きいということか。
 私はマグル婆さんに小さく頭を下げて礼を述べた。

「ありがとう。では私は皆の無事を確かめてくる」

「そうおし。アイリ、ドランはゴラオンん所にやるよ、いいね?」

 背後を振り返り汚れた衣服や傷ついた防具を盥に乗せてどかしていたアイリは、マグル婆さんの言葉と私の視線に気付いて、山と盛られた衣服と防具の脇からひょいと顔を覗かせる。

「うん。ドラン、おじさんとおばさんに早く怪我一つしていない所を見せてあげなさい。こっちは私達だけで十分だから」

「そう言ってもらえると助かる。ついでにゴブリンを追っている人達で怪我人が出ていないか見てくる」

 私はマグル婆さんとアイリに対してもう一度頭を下げてから、仮設治療所の外へと足早に出た。
 すると外に出されている何脚かの寝台の内の一つに、左の太腿を槍で突かれた青年――ヨシュアさんを寝かせていたリシャの姿に、私は気付いた。
 リシャの方も仮設治療所から出て来た私に気付いて、ぱっと可憐な顔立ちに明るい笑顔を浮かべて私に近づいてきて、私の両肩に手を置くや体のあちこちを検分し始める。怪我をしていないか調べているのだろう。
 リシャに手当てをされていたヨシュアさんはそれまでどこかにやけた風であったが、リシャが離れるとすぐに残念そうな顔をした。
 怪我をした事を役得位には考えていたのかもしれない。ヨシュアさんもリシャに憧れている男連中の一人だったらしい。

「怪我はしていないよ。ここにアイリを連れて来た。ああ、もちろんアイリも怪我はしていない。今は中でマグル婆さんとレティシャさんのお手伝いをしている」

「そう、アイリには怪我一つないのね? ドランも怪我をしていない様で良かったわ。私は魔力が無くなった後しばらく戦ってからここに下がったのだけれど、こっちに二人の姿がなかったからずいぶん心配してしまったわ。てっきり二人も魔力が切れていると思ったから」

「御覧の通り、怪我は一つもしていない。リシャも怪我一つない様で良かった。私は一度家族の様子を見てくる。もう少し話をしたいがまだ怪我人もいる。リシャは怪我をした人達を診てあげてほしい」

「ええ、そうするわ。ゴラオンおじさんにアゼルナおばさん、ディラン、マルコ、皆きっと無事よ。あまり心配しないでね」

 無事である事は確認済みなのだが、それを言っても仕方がないかと私は考え直し、リシャの言葉に素直に頷いてその場を後にした。
 再び北門の方へと向かう道すがら、特に怪我を負う事の無かった無事な村の人達の中で村の外に出ていない組は、怪我をした人に肩を貸し、村の内部に用意した先端を杭状に尖らせて組みあわせた柵などの撤去作業を行っている。
 ゴブリンの掃討が終わったら堀の中に落ちている死骸の引き上げや、外に転がっている無数の死骸の片付けもしなくてはならない。
 勝利と生存の無事を祝うのはまだまだ先の事になるだろう。

「ドラン! こっちよ」

 私の名前を呼ぶ耳に馴染んだ母の声が聞こえてきた方向を振り返れば、そこには母だけでなく私の家族四人全員の姿があった。
 父を除いた三人の顔には多少の疲労の影が見られたが、怪我をしている様子はなく返り血以外の血の匂いも体から香ってはいない。
 確認済みとはいえやはりこの目で直接確かめた方が安心できるな、と私は自分でも意外なほど大きな安堵のため息を吐いた。

「全員無事みたいだな」

「ドラン兄ちゃん、ぼく、ゴブリンを三匹やっつけたよ!」

「ふむ、よくやったな」

 褒めて欲しくて仕方がないと言う顔を拵えて私に近寄ってくるマルコの頭を一つ撫でて、その労をねぎらう。
 一般的な感性の人間からすれば九歳の子供がゴブリンを屠った事を自慢し、一つ上の兄がその事を褒める光景というのは異様なものかもしれない。
 しかし王国中枢からほぼ忘れられた様な辺境では、九歳の子供といえども立派な戦力であるしこれが普通である。
 母がぺたぺたと私の頬を撫で、頭を掴んでぐいぐいと動かし体のどこかに怪我がないかを確かめる姿を、父とディラン兄はやや呆れた様子で見守っている。
 できれば止めて欲しい所なのだがおそらく父とディラン兄やマルコも、戦闘に一旦一区切りがついた時には、母に今の私の様に弄繰り回されたに違いあるまい。苦労は分かち合えと言う事か。

「怪我はしていないから大丈夫だ。この後の行動は? 皆の無事が確認できたから、私は北門を出てゴブリンを追っていった人達の様子を見に行く。回復魔法も後一、二回は使えるし怪我人の手当てもできる。それにセリナやディアドラ、リネットの様子を確認しておきたい」

 腕を組んで顎をさすっていた父の顔を見上げて問うと、父は他の家族の視線もその厳めしい顔に集めながら一つ頷いて答えた。

「娘っ子らの無事を確認するのも怪我人の手当てをするのも、どちらも大事だな。良いだろう、おれがドランと一緒に行く。アゼルナ、ディラン、マルコ、お前達はマグル婆さんとレティシャの所に行って、怪我人の手当てを手伝ってこい」

「分かったわ。あなた、ドラン、まだ息のあるゴブリンがどこに隠れているか分からないから気を付けてね。ディラン、マルコ、行くわよ。疲れているでしょうけど、頑張って。怪我をしている人達はもっと辛いんだから」

「うん。ドラン、父さん、気を付けて」

「父ちゃん、ドラン兄ちゃん、また後でね!」

「よし、行くぞ、ドラン」

 母と兄弟と別れた私はゴブリンの返り血で鎧に血の斑を付けた父と共に、北門へ向かった。
 道すがら家族の担当した場所での戦闘の様子を父から聞かされながら北門へと向かっていた私達は、その北門に探していたセリナ、ディアドラ、リネットばかりでなくバランさんとあのイゼルナという女ケンタウロスの騎士が村へと戻ってくるのと鉢合わせた。
 リネットは返り血をたっぷりと浴びたアーマーゴーレムの胸部装甲を開いて降りる所だった。
 リネットが着用していたのはセリナやディアドラが用意した衣服ではなく、初めて私達と出会った時と同じ乳房と股間部だけを覆い隠す、面積の少ない衣服姿である。

 アーマーゴーレムに搭乗する際には首後ろにあるコネクタを開く以外にも四肢や腰部などにも、魔法生物の生体神経を利用した髪の毛ほどの細さのチューブを繋ぐ必要があるそうで、この服装の方が都合が良いそうだ。
 三人の魔物の女性達と私との間には精神的な繋がりが構築されており、言葉を用いずに思念だけで会話する事も出来るし、お互いの無事は確認し合っていた。
 それでもやはりと言うべきか、家族の無事な姿を直接目にした時と同様に、セリナ達の無事な姿を見た私の胸には愛する者が無事である事への安堵が広がる。

 向こうも私達の姿に気付き、セリナ達は手を振って自分達の健在ぶりをアピールし、バランさんとイゼルナさんは何か話し合っていたのを中断して、私達の方へと顔を向けていた。
 やれやれ、と私が溜息を吐いていると隣を歩いていた父に軽く背中を押されたので、横がを見上げると父は顎をしゃくってディアドラ達の方を示した。

「早く行ってやれ。お前は娘っ子らとやけに仲が良いからな。不安がっている女子(おなご)が居たら、安心させてやるのが男の務めってもんだ」

 相手が魔物でもきちんと女性として扱う父の発言を聞き、私は肉親の寛大な心に嬉しくなった。ただその後の父の言葉は少々頂けないものであったが。

「うん、ありがとう」

「ああ。……ただまあ、将来お前がどうなるのか心配ではあるがなあ」

 珍しく呆れた様な声で呟かれたそれは、私が女性関係で危険な目に遭うのではないかと危惧しているという事なのか、父よ。
 確かに複数の女性と関係を持っている私が、不誠実と言えばこれ以上なく不誠実な破廉恥漢であることは間違いがない。
 いつか女性達に愛想を尽かされるか、あるいは怒りの琴線を盛大にかき鳴らしてしまい、刃傷沙汰になる可能性も否めない。
 だがそうなったらそうなっただ。私に男の甲斐性が足りなかったという事であろう。
 もちろんそうならないように、皆との関係をより良いものにする為の努力は欠かしていないつもりである。
 私は父の態度に今一つ納得の行かない気持ちではあったが、まずはなによりもセリナ達の所に行くのが優先と、軽く小走りで近づいた。

「ふむ、全員無事だな。私もご覧の通り怪我一つしておらぬが、疲れたりはしていないか? 随分無茶な魔法の使い方をしてもらったが、すぐに休むか?」

 いの一番に答えたのはディアドラである。

「いいえ、まだ大丈夫。それよりも私も治療所で手伝うわ。回復魔法もまだまだいけるわよ? ああ、それとゴブリンの追撃に出た村の人達に怪我人はいないわよ。ガロアの援軍が落ち穂拾いも引き受けてくれているわ」

 バランさんやイゼルナさんが戻ってきた事から予想はしていたが、どうやら外のゴブリン追撃も一息がついた様である。
 怪我人が出なかったのは何よりであるが、ホーンゴーレムとリネットが逃げ出そうとしていたゴブリンの大半を虐殺とほぼ変わらぬ勢いで掃討していた所為もあるだろう。
 ガロアからの騎馬部隊はかなり急いで来たようで強行軍の疲れがないか気にはなるが、後で歩兵部隊の方も合流するだろうし、王国の正式装備に身を固めて正規訓練を受けた彼らなら、士気も統制もないゴブリンに遅れは取るまい。
 なお落ち穂拾いとは言葉の通りに麦などの収穫の時に、畑に落ちてしまった落ち穂を拾う行為を指すが、戦場に置いては落伍兵やまだ息のある敗残兵を見つけ出して処理する行為を指す。

「えっと、私は手伝ってもらった蛇を住みかに返してからディアドラさんをお手伝いします」

「では、ディアドラにはすぐにでも治療所に行ってもらおう。セリナも蛇たちにはよろしく礼を言っておいてくれ。村の人達も暫くは蛇を獲物にするのは控えるだろう。リネットの方はどうだ?」

 アーマーゴーレムから降り立ち、息一つ荒げず汗一粒も流していないリネットは私の目をまっすぐに見返しながら、すっかり見慣れた無表情で私に答える。

「アーマーゴーレムの洗浄と収容、シグルド達の回収が済み次第村の方々のお手伝いをする予定ですが、マスタードランから別命があればそちらを優先いたします」

「いやそれで構わん」

 見た所セリナやディアドラ達に怪我はなく、魔力の消耗による精神的な疲弊もさほど見受けられない。
 セリナとディアドラの保有魔力は私と出会って以来毎日上昇し、また私と精神的なリンクを繋ぐことで、私からの魔力供給も受けられる。実質二人に魔力切れと言う現象は生涯発生すまい。
 リネットの方はゴブリンの返り血に塗れたアーマーゴーレムの洗浄には少々手間がかかりそうだ。

 そのままにしていては装甲にこびりついた血が乾燥し、錆びに似た悪臭を放ちはじめてしまうだろうし、精巧極まる内部の部品に悪影響を与えてしまう事を考えれば、念入りに洗浄する事が肝要だ。
 シグルドやセリスなどのアイアンゴーレムは、リンクを通じて状態を確認した限りでは装甲に無数の傷が出来たものの機能停止にまでは追いやられておらず、表面装甲と内部の歪んだ部品の交換だけで済む。
 私は元々精神的な繋がりを介してお互いの無事を確認しあっていた事もあって、ディアドラ達との会話は短めに済ませた。

 あまり長話をしているよりもセリナとディアドラには早く治療の手伝いをして欲しかったし、掃討に向かった組みに怪我人が出ていないのなら、私もアイリとリシャの所に戻って怪我人の治療を手伝うべきだと判断したからである。
 死人が出ていない事は大変喜ばしいがやはり怪我を負って苦しみに顔を歪め、呻き声を上げる知己の姿を見ていると、私の心はざわめいて落ち着く事を忘れてしまう。
 戦闘が終わりその結果として五百匹ものゴブリンを撃退という快挙を祝い、村を挙げての宴のひとつも開く所だろうが、怪我人の治療とゴブリンの死体の始末と、報奨金支払いの為の数やゴブリンを率いていたハイゴブリンの確認などもある。

 ガロアからの救援部隊が最低限の人員を村に残し、周辺の警戒と村長との情報交換などを行うだろうから、それらの人々の受け入れ準備などやる事はむしろゴブリンを撃退した後にこそ多い。
 私やディラン兄くらいまでの年頃の子供らはある程度手伝いをしたら休ませてもらえるかもしれないが、それでも休みの許可を得るまでの間に私達がするべき事は多いだろう。
 気付けば太陽は濃い橙色に変わって西に広がる地平線の彼方に沈みつつあり、夜の訪れがそう遠くない事を示していた。夜を徹しての作業になるから篝火を焚く準備もせねば。

 私が頭の中で行うべき事と優先順位の割り振りを行っていると、父とバランさん、イゼルナさん、それに返り血塗れのドゥルガさんが話をしていた。
 救援部隊の扱いやそれに対する村の対応など、大人組も話し合わねばならない事は多いのだろう。
 私は父に一声かけて先にディアドラと共に仮設治療所に戻る事を告げた。

「父さん、ディアドラと治療所で手当てを手伝ってくる!」

「分かった! おれはもう少しバランと話をしてから戻る。また夜にな」

 ゴブリンの死骸の片付けや防護柵の撤去作業と言った力仕事は父をはじめとした村の大人達、それにガロアの救援部隊に任せるのが最良だ。私は軽く手を振って父に一時の別れを告げた。

「うん」

 私はディアドラを伴いその場を後にした。


 怪我人の治療、設置した村内部の防護柵の撤去、まだ息のあるゴブリンやゴブリンの死骸の後始末、イゼルナさんが残していった兵士や後から派遣されたガロアの役人の受け入れなどが済んだのは、実に三日後の事であった。
 三日間私は回復魔法が使える事と魔法薬の調合が出来る事から、碌に休まずに働き続けて過ごした。
 家族やアイリ、周りの人間から休めと言われたものの、私はそれを聞かずに馬車馬のごとく働いて働いて働き通した。

 怪我をした顔見知りの人々を前にしてじっとしていることなど到底できなかったし、ゴブリンを村人たちが撃退することで得られるものが多く、死人が出ないように裏で暗躍したとはいえ怪我人が出てしまった事は私にとって強い精神的な負担となっていた。
 その負担を軽減する意味合いもあって、私は休んでいるよりも働く事を選んだのである。
 がむしゃらな私の働きと水と地属の回復魔法が使えるセリナ、回復魔法のみならず各種の薬草の成長を促進できるディアドラの助力もあって怪我人の治療は恙無く進んだ。
 リネットの方もアーマーゴーレムの装甲の洗浄が終わった後、防護柵やゴブリンの死骸の後始末に奔走してくれた為、やはり後始末は早く済んだ。

 ただシグルドらアイアンゴーレムの修復を行う時間は取れなかった為、申し訳なさは憶えたが、時間の余裕が出来るまではセリナらが住まいとしている小屋に安置している。
 三日という時間をかけてようやくひと段落が着き、その日の晩にベルン村では食糧庫に蓄えてあった穀物やお酒、家畜の肉、野菜を惜しまず使った宴が開かれた。
 まだ村に残っていたガロアの兵士さん達は村の外の警備などをしてくれている為、酒は持って行けなかったがそちらにも差し入れを行い、私達は村の中央の広場に食料やテーブル、長椅子を持ち寄って巨大な篝火を中心に老若男女を問わずに騒ぐ。

 一通り手当ての終わった怪我人も、包帯で腕を吊るした人や足を怪我しても杖があれば出歩ける人らは顔を出し、また家から離れられない人にも家族が食べ物を持ち寄っている。
 空は黒いカーテンに宝石箱の中身をぶちまけたような満天の星空で、その中心には大きな金色の月が夜空の支配者として煌々と輝いている。
 その下で私を含めた村の人達はあちらこちらで大小の篝火を焚き、その周りに家族や親しい人達で固まって酒を酌み交わし、惜しげもなく饗された肉類を口いっぱいに頬張り、その味に笑顔を浮かべて舌鼓を打っている。
 あちこちで陽気でへたくそな歌が歌われ、空いた皿や鍋が即席の楽器に変わって調子の外れた伴奏となり、夜空にどこまでもがなりたてる様な野蛮な、けれど陽気で楽しい歌声が広がってゆく。

 五百ものゴブリンを相手に戦って死者が出なかった事は、奇跡にも等しいようでイゼルナさんをはじめ救援に来たガロアの兵士たちのみならず、ベルン村の人達も全員がしきりに驚いていた。
 その奇跡的な結果、怪我人こそ出したがベルン村村民全員がこうして宴の席に顔を並べる事が出来て、誰も死者やその遺族に気を遣う必要もなく騒ぐ事が出来ているのは、一人の死者も出さんと決めていた私にとってなによりの報酬であった。
 広場の周囲には長持ちするように干物にされた鹿や熊、兎に鳥など周辺で獲れる獣類の肉や、獲ったばかりの魚が火に焙られて盛大に肉脂を滴らせ、焼けた肉の食欲をそそる香ばしい匂いとぷんと鼻を突く濃厚な麦酒の匂いが立ちこめている。
 私もクロシカの丸焼きの列の前に並び、手に持った木製の皿に肉を切り分けてもらった。
 あちこちで焼かれている肉を食べ周って全種類を制覇し、クロシカの焼き肉の列の前に並ぶのはこれで三回目である。

「おう、ドラン。お前、すごい魔法を使えるようになったもんだな。前々から妙ちきりんなことをするし、魔物の娘さん方を連れ込むわ、変わっているったらありゃしないが、なに村の役に立ちてえってのはよ~く分かってる。今回の戦いじゃ立派に戦ったしな! そんなお前にはおまけしてやる」

 肉の切り分けをしていた魔除けの鈴亭の主人、ブライトさんが私の頭をぐしゃぐしゃと痛いくらいに力を込めて撫でまわしてから、私の差し出した木の皿にクロシカの焼けた肉を多めに盛ってくれた。
 割と酷い事を言われていると思うが村の人達から見た私の評価は、概ねブライトさんの言う通りであろう。
 ベルン村で変な子供といったら私、私といったら変な子供――ただし村の役に立つ事を考え、行動している為に受け入れられているのだ。
 まあ、一時期浮いていた事もあったが今では笑って話せるちょっぴり悲しいだけの思い出である。

「ありがとう、ブライトさん」

「良いってことよ。そら、次の奴の番だ」

 私は皿の上の肉の匂いに涎を零しそうになるのを堪えて、私は列から離れた。私は家族で出席していたが、父は麦酒を並々と注いだ木製のジョッキを片手にあちらこちらを回って飲み回っている。
 広場のあちこちに村民共用の麦酒や麦芽酒の樽が置かれ、それらは自由に飲み回して良い為、普段節約のために好きなようにお酒を飲めない私の父や他の村の男連中が樽に群がっており、宴が始まる前から顔を赤くしている有り様である。
 余りに濃厚に立ちこめる酒精の匂いに、私と年の近い子供連中もお酒を飲んでいないにもかかわらず酔っ払ってしまっている者が多い。

 実際マルコは酒の匂いにやられてしまい母に連れられて家に戻っているし、子供組の多くはマルコと同じように宴が始まって二鐘(約二時間)した頃には、顔を赤くしてふらふらと危うい足取りでそれぞれの家に引き返していた。
 ちなみにディラン兄は宴の途中で想いを寄せるランを呼びだして暗がりの中に消えている。
 頑張れ、ディラン兄。一生一代の大勝負、男の見せ所ぞ。私は心の中で我が兄の健闘を願った。
 こればかりは私が助力することのできないディラン兄だけの戦いなのである。ディラン兄なら告白してキスまで出来れば上出来だろうな。
 ディラン兄とランの二人とも少しくらいは酒精の匂いで気分が高揚しているだろうし、そう悪い結果になるまいて。
 私はそんなことを思いがながらお祭り騒ぎと酒の空気の力を借りてディラン兄がなけなしの勇気を振り絞るのを見送ったのである。
 

 私も肉体が素の状態であったら酒精の匂いに酔ってしまっていたかもしれないが、肉、肉、肉、という食欲に突き動かされている私は消化器官や胃袋の伸縮性、酒精の分解速度を向上させているので全く問題はない。
 過剰に摂取した栄養に関しては肉体の燃費を極端に悪化させれば均衡が取れて、余分な肉が着く事もない。
 人間の肉体は食事で得られる活力の割合は、決して効率的とは言い難く少なくない無駄が生じているが、私の場合はその消化効率なども自由自在なのである。
 女性に言ったらなんだか怒られてしまいそうだな。
 冬眠を前にしたリスの様に口いっぱいに詰め込んだ肉で頬を膨らませていた私は、村人の輪からやや離れた位置で長椅子に腰かけて、手に取った錫のカップを傾けているクリスティーナさんの姿を見つけた。

 武装を解き見慣れたレース付きのブラウス姿のクリスティーナさんは、時折錫のカップを傾けてはその秀麗な口元に小さな笑みを浮かべて、騒ぐ村人たちの様子を眺めて楽しんでいる様子であった。
 その横顔からは、自分が守る事の出来た光景がなによりの報酬だと感じているのだろうと容易に察する事が出来た。
 束ねて左の肩から流した銀の髪も透ける様に美しく肌理の細やかな雪肌、血の海の底に沈めてもなお輝きを放つだろう程に鮮やかな赤い瞳が、広場のあちこちで焚かれる炎の照り返しを受け、炎の色を映した薄絹のヴェールを纏っているかのよう。
 見る者の心を奪うこの世の者と思えない美そのものとしか言いようのないクリスティーナさんの顔からは、村に来た時の影が払われているのが見て取れて、私は我が事の様に嬉しかった。
 クリスティーナさんに感化されたかのような私の心の動きは、クリスティーナさんの生まれ持っている人誑しの才能に、知らず誑かされていたのかもしれない。

「楽しんでいますか?」

 声をかけて近寄るとクリスティーナさんは私を振り返り、にこやかな笑みを浮かべてカップを掲げて応えた。
 美女を心底から見飽きた男であっても、このクリスティーナさんの笑みを見れば、初恋を覚えた初心な少年の様に胸を高鳴らせるだろう。

「ああ、とても楽しいよ。君も随分と活躍していたな。戦いの後もかなり忙しく働いていた様だが、疲れてはいないか? 良かったら、ここに座ると言い」

 クリスティーナさんが自分の左手に空いているスペースを軽く叩いて促すのに従って、私は銀髪赤眼の美女の隣に座る栄誉に預かる。
 私と反対のクリスティーナさんの右側には山羊や牛の乳から作ったチーズや、干した果物、黒パン、鹿肉などを盛りつけた皿が置かれていた。酒のつまみだろう。

「一緒に戦ってくれてありがとうございました。クリスティーナさんが居てくれたおかげで、ずいぶんと助かりました」

「いいさ、もう十分に礼は頂いているし、私が好きと勝手にした事なのだから」

 この三日の間に村のほとんどの住人から礼の言葉を告げられているクリスティーナさんは、それでも私の口にした礼の言葉が気恥ずかしかったようで微笑しながら錫のカップの中身を呷る。
 つまみの皿の横にはワインの瓶が置かれていた。仔細に観察すれば雪の色に似たクリスティーナさんの肌に刺す赤みは、炎の照り返しばかりではない様であった。
 ただでさえ色の白いクリスティーナさんは、肌の色の変化が分かりやすい。
 うっすらと肌の内側から朱色に頬やうなじを染めるクリスティーナさんの姿は、神話の中に出てくる戦乙女を思わせるほどの神秘性と相まって、天上世界に誤って足を踏み入れてしまったかと勘違いしてしまいそうなほどに美しい。

「頼まれてもいないのに村の為に戦ってくれたのだから、お礼の言葉だけでは心苦しいですよ」

「はは、君は本当に大人の考え方や言葉遣いをする子供なのだな。もう少し子供っぽくしても良いと思うけれどね」

「クリスティーナさんもまだ二十歳にもなっていないでしょうに」

「それでも君よりは年長さ。もう酒を飲んでも窘められるような年でもない」

「こう言ってはなんですけれど、あまり良いお酒ではないでしょう。ブライトさんの所では一番かもしれないけれど、辺境ではあまり質の良いお酒は手に入らないから」

「ふふふ、そういう言葉が出てくるあたりは君もまだ子供だな。酒の味を決めるのは酒そのものの良し悪しばかりではないよ。どんな時にどんな場所で誰と飲むのか? 酒の味は飲む環境によっても大きく変わる」

 そう言ってクリスティーナさんは残っていたカップの中のワインを一息に呷る。ん、とかすかに零れた声がなんとも艶っぽく、私の背筋に怪しい電流を走らせた。
 多少酔っているのかもしれないが、もう少し自身の美貌が周囲に与える影響と言うモノを考えて欲しい。

「そして、いまこうして飲む酒は、これまでで一番美味しい」

 自分の力で守る事が出来た人々を前に飲むお酒は、クリスティーナさんにとって最上の美酒となっているようだ。

「それは何よりだ。にしてもクリスティーナさん、少し酔っている? いつもよりも明るいし饒舌だ。私はその方が好きだけれど」

「嬉しい事を言ってくれるね。セリナやディアドラ、リネットと言ったか。魔物の彼女達や赤い髪の毛の……アイリだったかな、村の女の子にも人気があるようだし、君は将来……と言うか今も女の敵であるような気がする」

「相手が魔物であれ人間であれ、男が女と仲良くしようとするのは当然じゃないかな」

 クリスティーナさんは私の言葉のなにかが琴線に触れたのか、かすかに目を伏せてなにか思い悩む素振りを見せた。クリスティーナさんの抱える負の感情の根源には、男と女という性別かあるいは男女関係でも関わっているのだろうか。

「……君が言うと説得力があるな。私の周りに君の様な人間がもっといたらどんなに良かったか」

 十中八九勇者か英雄に準ずる星の定めの下に産まれているクリスティーナさんと深く関われば、これからもゴブリンの襲撃の様に滅多にない様な困難や災いが降りかかってくるだろう。
 その対象があくまで私個人に留まるのなら、私の力が及ぶ限りにおいてクリスティーナさんの力を貸したい所だが、英雄には栄光と同時に悲劇もまたつきものである。
 ベルン村がその悲劇の場になる可能性もあるかと思うと、安易にクリスティーナさんの事情に深く関わる事は躊躇われる。
 ただしこれには普通なら、と付く。竜としての力と自我を維持したまま転生している私が普通である筈がない。並大抵の英雄の運命などいくらでも背負って見せようさ。
 そう思う程度には、私はクリスティーナさんの事を気に入っていた。
 私がクリスティーナさんの抱えている事情について、質問をしようとした気配を察してか、クリスティーナさんは努めて明るい笑みを浮かべて私の言葉を遮る。

「いやあ、それにしても君は大した力量だな。あのラウンズバーンは見事だったぞ。魔法学院で攻撃魔法を専攻する学生はそれなりにいるが、君ほどの使い手はそうはいない。たった十歳だというのに大したものだ。
 簡単な医術の心得もあるし読み書き、計算もできる。魔法も正規の教育を受ければ上位の魔法も扱えるようになるだろう。あのアイリという少女やセリナも大したものだったが、君が学院に来たらすぐに頭角を現して、あっという間に卒業するだろうな」

 ふむ、まだ私がクリスティーナさんの懐に踏み込めるほど心を許されてはいないか。たまたま数日過ごした村の子供相手だから、後腐れなく普段隠している心中を話せている面もあるだろう。

「そう言ってもらえると、少し照れくさいかな。学院に通ってみたくはあるけれど、村と家族から離れるのは寂しいから」

「そうか、君はこの村と家族が好きなのだね。故郷と家族に愛着が持てると言うのは素晴らしい事だ。羨ましいよ」

 何と答える事が正しいのか私が逡巡してから口を開こうとした時、ひどく陽気な声が私の背後から聞こえて来た。

「ドラン様~、ちゃんと食べていらっしゃいますかあ~~~」

「むぐ」

 むにゅ、と柔らかな肉の感触が私の後頭部を包みこみ、私の背後からセリナが私の体に自分の蛇の下半身を絡みつかせてきた。
 むにむにとセリナの乳房に後頭部を埋もれさせたまま目線を動かすと、セリナの左手には並々と麦酒が注がれたジョッキが握られている。
 なんとか頭を動かしてセリナの顔を見上げると、蛇舌と瞳孔の細まった瞳以外は美しい人間の少女としか見えないセリナの顔が、真っ赤に染まって瞳がとろんと蕩けている。

「あん、もう、ドラン様、急に動いちゃらめれすよぅ」

「ひょっとして、いやひょっとしなくても酔っているのか?」

「酔ってませ~ん。胸とお腹の奥の方からぽかぽかしてて、すっごく気分が良くて、世界がぐるぐる回ってるだけれふよ? あはははは、なんだかすごく楽しいなあ」

「ふむ、酔っておるな」

 これまでセリナが酒を飲んだ所を見た事がなかったから知らなかったが、どうもこの蛇娘は笑い上戸と言うかひどく陽気になる性質であったらしい。私の頭のてっぺん辺りに掛るセリナの吐息も随分と酒の匂いが強い。
 左手のジョッキを口につけてぐびぐびと咽喉を鳴らしながら麦酒を飲み、セリナは陽気な笑い声を上げて、とてもご機嫌な様子である。
 胸が当たるのとセリナの蛇の下半身が絡みつくのは柔らかいし、さわさわと細かく蠢く鱗の感触は心地よいし、ぽかぽかとセリナの体全体が暖かい事もあって気持ちの良いものだが、これ以上セリナが酒を飲んだらどうなってしまうのかという小さな不安があった。

「大丈夫、ドラン? 村の人が冗談で勧めたお酒を飲んだら、セリナったらこんな風になっちゃって、私達の言う事もほとんど聞いてくれないのよ」

 果実酒のコップを片手に持ったディアドラが、セリナの後に続いて姿を見せて私を気遣う言葉を口にする。
 ディアドラもそれなりに酒が入っているようで、ほんのりと頬を赤らめているが酒に酔っている様子はない。
 ディアドラの体や髪の所々に咲いている花の芳香に、わずかながら酒精の匂いが混じっているが、幸いディアドラはセリナほどに酒に弱くはない様である。
 これで普段セリナ達のまとめ役でもあるディアドラまでが酒に酔い、普通ではない様子になっていたら収拾のつかない事態になっていた所であるから、私としては朗報だ。
 ただまあ酒に酔ったセリナが姉の様に慕うディアドラの言う事を聞かないと言うのは、残念極まりない報告ではある。

「リネットは……ふむ、いつも通りか」

 ベルン村魔物娘三名の最後の一人であるリネットはと言えば、ディアドラの後ろで魚の塩焼きやら肉と野菜の串焼きを山盛りにした皿とフォークを手に、もぐもぐと口を動かしていた。
 リネットは先ほどまでの私のように頬を膨らませて咀嚼していたが、私の視線に気づいてごくりと大きく喉を鳴らして口の中の食べ物を飲み込む。
 限りなく人間に近しい身体構造をしている特殊なゴーレムであるリネットは、通常の人間同様に飲食が可能であり、また老廃物を出す事もなく胃の腑に納めた飲食物を全て消化吸収できた。

 一応排泄機能も備えているらしいが、目覚めてからまだ一ヶ月も経っていない事や、老廃物を出さない体である為その機能は未使用である。
 ただ私が出会った日の夜に使っ……ごほん、ともかくリネットの体に異常が生じない限りは、これからも使われることのない機能であろう。
 果たしてどれだけこのゴーレム娘は食べたのか、なだらかな平原を描いていた筈のリネットの腹部はぽっこりと膨らんでいる。
 ともすれば妊娠してお腹の中の子供が大きくなりはじめたかのようである。まあ一晩寝る間に消化して元通りになるだろう。

「失礼をいたしました、マスタードラン。それとセリナの無礼はどうかご容赦を。初めてのお酒で気分が高揚しているだけであると、リネットはセリナを擁護いたします」

「別に気にしては……むが」

「無礼なんかしてないですよね~ドラン様~? うふふ、気分がぽかぽでとぉってもいいです~。んん~、ドラン様可愛い、大好きです~。ちゅーしちゃいます、えい。ちゅ、んちゅ、ふふ、ぺろぺろもしちゃおうっと」

 私を背後から抱きかかえたセリナが私のうなじにその長い蛇舌を這わせて嬲り、耳をその鮮やかな赤い唇で甘く噛んできた。
 それだけでは満足しないのか、左手はジョッキで塞がれていたが空いている右手で私の体中をまさぐりだす。
 いや気持ちは良いのだがクリスティーナさんが思わず口の中のワインを噴き出しそうになり、目の前で始まったラミア種の人間の少年への愛撫に酒精とは違う朱色に頬を染めているではないか。
 この反応を見るに性的な経験に乏しいのであろう。頬を染めて挙動不審に視線を彷徨わせる様子は、冷美な美貌とのギャップも相まって非常に可愛らしく見える。初心な女性らしかった。

「これ以上は悪ふざけが過ぎるぞ」

「やーれす。ドラン様ともっとぎゅーするんれすう。んふふ、ドランさまぁ」

「なにかな?」

「呼んだらけれすよぉ。ドラン様、ドランさま、うふふふ」

「……そうか。まあ、セリナが楽しいならいいか」

 窘める私の言葉もセリナの耳には届いていないようで、セリナは私に頬ずりを始めていてなんとも幸せそうな甘えた声が私の耳を揺らしている。
 先日のゴブリンとの戦いで見事な活躍を見せたセリナを労わりたい気持ちはあるから、好きなようにさせてやりたいのだが、村の皆の目もあるこの状況でこれはなあ……。

「こらー、セリナさん、なにドランにくっついているのよおー!!」

「アイリか、これはまた面倒な」

 マグル婆さんの手伝いもすっかり終わり、今日一日ゆっくりと休んでいた筈のアイリが癇癪を起した様子で、ずんずんと私とセリナの方へと近寄ってくる。
 セリナは自分のしている事を咎めて来たアイリの姿につん、と顔を背けて耳を貸す様子はない。
 セリナからするとアイリはいわゆる恋敵的な脅威とは認識されておらず、子供扱いしているから、このような反応になるのだろう。
 これがリシャ相手になると自分と年が近い事や私と同じ人間である事から、極めて強大な恋敵と認識して普段から警戒する素振りを見せている。
 とはいえ二人とも大人扱いをされる年齢であるから分別も相応に持ち、基本的には温厚な性格であるから取っ組み合いの喧嘩をする様な事はないのが幸いである。

「ふーんだ。アイリちゃんが何を言ってもむらなんれすよーだ」

「む、なによなによ、あたしだってドランともっと……えっと、うう、抱きしめたり手を繋いだりしたいもん!」

 アイリは私のすぐ目の前で聞かん坊の幼子みたいに駄々をこねて地団駄を踏み始めて、セリナを相手にまくしたてた。私の顔に少しばかりアイリの飛ばした唾が着いたが、アイリに気付いた様子はない。
 そして私はアイリの顔が常よりも赤く染まっている事に気付いた。羞恥や怒りなどの感情の影響による紅潮ではなく、酒精の影響による赤みである。
 直接飲んだかどうかは分からないが、広場に色が着いていてもおかしくないくらいに濃厚に漂っている酒精の匂いだけでも、十分に当てられるだろう。

 酔っ払いは一人だけでお腹いっぱいなのだがな、と私が心の中で溜息を吐くと私の下半身を少々痛いくらいに締め上げていたセリナが、私から離れて腰に握り拳を当てて胸を張り、アイリと真っ向から睨み合う。
 セリナは景気づけとばかりに左手に持っていた麦酒のジョッキを一息に煽り、唇から零れた麦酒の滴を乱暴に手の甲で拭い、淫らな仕草で麦酒の滴の付いた指を長い蛇舌で舐め取ってから、堂々と宣言した。

「それはらめなのれす。なじぇならばドランしゃまの事をいっちばんしゅきなのは私らから!」

 どうだ、えっへんと言わんばかりに大きな乳房を揺らしながら胸を張るセリナを前に、アイリも薄い胸の前で握り拳を作って反論を並べた。

「違うもん、ドランの事が一番好きなのはあたしだもん。好きだもん、大好きだもん」

 ぶんぶん腕を振って主張するアイリの姿は見ていて可愛いし、口にしてくれる事も私にとっては嬉しいのだが、これはどう収拾を着ければよいのやら。
 ディアドラとリネットはと視線を巡らせると二人は連れ立って、また食事を取りに辺りを歩き回っていた。

「野菜もきちんと食べないとだめよ、リネット」

「はい。ディアドラの言う通りもりもりと食べます」

「リネットは素直ないい子ね。良く噛んで食べるのよ」

 ディアドラは果実酒のコップを傾けながら、隣に並んでいるリネットに姉の様に口を出し、リネットはディアドラの言う事に素直に従って温野菜やサラダを供している列に並んでこれまた山の様に皿に盛っている。
 ふむ、どうやら私は見捨てられたらしい。おのれ、薄情なドリアードとゴーレムよ。
 特にリネット、普段は自己をまるで省みない献身と忠実さを見せるのに、ちと薄情すぎやせぬか。確かに私の命の心配をするような場面でないとはいえ、も少し私を気遣ってくれても罰は当たるまいに。

 ひょっとして食事を楽しんでいるのだろうか? 無趣味を通り越して無私に近いリネットに何か嗜好や趣味が出来るのは喜ばしいが、それを見せるのがこのタイミングと言うのはちょっと酷くはないだろうか。
 それにしても樹木の精霊であるドリアードのディアドラが野菜を食するのを勧める光景と言うのは、妙な違和感と言うか不思議な感じがする。
 本体がエンテの森にある大樹であるディアドラにとって、野菜を含む植物の類は同類の様なものだろうに。以前訪ねた時にはまるで気にしていない様だったし、気にしても仕方ないか。

「はあ」

 セリナとアイリがぎゃんぎゃんと自分の方が私の事が好きだ、と言い合いの激しさを増すのを前に、幸せな気苦労ではあるのだろうがと思いつつ私は思わず溜息を吐いた。
 するとそれまで所在なさ気にセリナとアイリの口論を、顔を赤らめながら傍観に徹していたクリスティーナさんが、頬を軽くひくつかせて皿とワインを手に立ちあがっていた。

「あはは、いや、なんだ、そのドラン。私はお邪魔虫の様であるからそろそろ宿に戻るとするよ。うん、まあ、君も頑張れ。あれだけ好かれているのなら男冥利に尽きるだろうしな。な?」

「まあ男冥利に尽きると言えば尽きるけれども」

「ではな。おやすみ、ドラン」

 さっと立ちあがったと思った瞬間には、クリスティーナさんは風の様に素早く銀の髪をなびかせながら私の視界から消えて、魔除けの鈴亭を目指して離れて行った。
 ううむ、ディアドラとリネットばかりでなくクリスティーナさんからも見捨てられてしまったようである。これは参ったな。
 私が途方に暮れ始めているとようやくアイリの保護者役をしているリシャと、それにミルク入りのコップを手にしたミルが姿を見せた。
 素早く視線を二人の顔に巡らせた私は、幸いにして二人の顔がいつもと変わらぬ色である事に安堵した。この二人は酔ってはいない様で、ようやくまともなのが来てくれたのだ。

「はい、ドラン。ミルク飲む?」

「ありがとう、ミル。二人とも楽しめているか?」

 ミルの差し出してくれたコップを受け取り、新鮮なミルクで咽喉を潤し沈んでいた気持ちを慰めて、私は安堵の息を突く。セリナとアイリの対決が始まってから心の休まない時間が続いていたが、リシャとミルのお陰で一息つけそうだ。

「ええ。皆戦いの疲れを癒す為に好きなだけ騒いでいるし、ここに居るだけでも何となく楽しいもの。それにしてもセリナとアイリがすっかり酔っ払っちゃっているみたいね。アイリはお酒を飲んではいないんだけれど、雰囲気に当てられてしまったみたいなのよ」

 困ったわと言わんばかりにリシャは眉根を寄せて、いつのまにやら私の右隣に腰を降ろしていた。いつのまに、と言う他ない自然さである。
 時折見せる凄みと言いこのリシャと言う女性はどこかしら侮れない所があり、マグル婆さんの血を引く女傑の片鱗を伺わせる。
 ミルも細長い尻尾を機嫌よく左右に振りながら私の左隣りに腰掛けて、言いあいを続けているセリナとアイリを眺め始めた。

「飽きないで良くやるねぇ、二人は。それだけドランの事が好きなんだね」

 しみじみと呟いたミルは自分の分のミルクをちびちびと飲んでいる。そう言いながらもミルの尻尾は構って欲しいとでも言う様に私の腰を叩いたり、足に絡みついている。
 セリナやアイリの様に声を大にして私への感情を口にするのが恥ずかしいミルなりの、私に対する好意を示すアピールである。

「二人の事はもちろんだがミルの事もリシャの事も私は大好きだよ。命がけで愛するに値する女性だ」

「えへへへ」

 とはにかむミルの姿はこの上なく可愛らしかった。恥ずかしさを隠す様にミルは両手で持ち直したジョッキを傾けて顔を隠す様にしていた。リシャはそんな私とミルをにこにこと嬉しそうに見ている。
 ん?

「リシャ、お酒を飲んでいるのか?」

 リシャの手には何も握られていないし顔に朱の色も刺してはいないのだが、かすかに肌から酒精の色が香っている様な。
 ふむ、リシャはどうやら酒を飲んでも顔には出ない体質の様で、最初は普段と変わらぬ様子に見えたから私も勘違いしたようだ。
 まともなのが来たと思ったらまた厄介な酔っ払いが増えただけだったとは。なんと不運なことよ。

「あらあらそんなことないわよ。わたしおさけなんてのんでないわよ」

 笑顔はそのままに淡々と唇を動かして私に答えるリシャが、すこしだけ怖かったのは私だけの秘密である。

「……うん、そうだな。リシャはお酒を飲んでないな」

「そうよわたしはおさけなんて、おさけなんて…………」

「リシャ?」

「ありゃ、リシャさん眠っちゃったね~」

「本当にどうするんだ、これは」

 抑揚のおかしい言葉遣いをしていたと思ったリシャが唐突に口を閉ざして、こてんと首を傾けたかと思うとすやすやと安らかな寝息を零し始める。
 私は途方に暮れるほかなかった。結局皆の後始末は私がすることになった。


 口論し合ったままその内に疲れてお互いを抱きしめあいながら眠ってしまったセリナとアイリ、それと私の肩に頭を預けて眠り込んだリシャをドゥルガさんとリネットの力を借りて家に帰し、私が自分の家に帰ったのは夜も更けて普段ならとっくに床に就く様な時刻であった。
 宴の翌朝、マルコとディラン兄は二日酔いの症状に悩まされて床からろくすっぽ起き上がれず、私は父母に断りを入れてから村の南門へと向かった。
 おそらくだがマルコとディラン兄だけでなくアイリやセリナ達も寝床の中で、頭痛やら吐き気やらに悩まされているに違いあるまい。
 この日、クリスティーナさんが宿を払いガロアへと戻る事になっており、私はクリスティーナさんを個人的に気に入っていた事もあり、見送りに向かったのである。

 私の他にもなぜか村長が来ていたのだが、村長の方も同じように何故私が居るのだと疑問に思っているに違いあるまい。
 村の広場では昨晩の宴の片付けが、朝から動ける人が総動員で行われており私もクリスティーナさんの見送りが終わったら、そちらを手伝うつもりである。
 朝の爽快な空気は残念ながらまだ村中に立ちこめている酒と肉の匂いによって、望むべくもなかったが差し込む朝陽に照らされた世界は、清々しい光景の様に見えるのがせめてもの救いか。
 クリスティーナさんは一頭の栗毛の馬の上にあった。戦いの時に来ていた鎧を収めているらしい鎧櫃や着替えなどを入れた箱を鞍の左右に括りつけ、馬の首筋を撫でて穏やかな表情を浮かべている。
 いつもの格好の上に白雪豹の毛皮製のケープを纏うクリスティーナさんは、村長と私の方を振り返って口を開いた。

「私などの為にわざわざご足労いただきかたじけない」

「なんのなんの村の恩人の見送りにこの老骨と子供だけで、むしろこちらの方が申し訳ないですじゃ」

「いえ、出立を知らせてはおりませんし昨晩の片付けで皆さんお忙しいでしょう。お二人に見送りに来て頂いただけでも、私には十分すぎるほどです。ドラン、君もこんな朝早くに起きなくてもよかったのに。というより私の出立の日を良く知っていたな」

「ブライトさんから聞きだしたからね。クリスティーナさんにさようならの挨拶もしない内に別れるのは嫌だったし、それにこれ位の時間にはいつも起きているから全然辛くない」

「そうか。この村で過ごした時間は決して長くはなかったが、何年、いや十年分くらいの密度の、そしてとても有意義な時間だったよ。特にドラン、君はとても面白い男の子だ。
 もしガロアに来る事があったら魔法学院に私を訪ねに来てくれ。ガロアの街並みを案内させて欲しい」

「うん。機会があったら必ず訪ねる」

「ああ、ぜひそうしてくれ。本当にこの村に来て良かったよ。少しは私も生きる張りのようなものができた。さて、とあまり見送りを長引かせては忙しい二人に申し訳ないから、私は行くよ。ドラン、村長殿、本当にベルン村の方々にはお世話になった。ありがとうございました」

 馬上で頭を下げるクリスティーナさんに私と村長は頷き返した。クリスティーナさんは颯爽と馬首を巡らせると、軽く鐙を蹴って馬を歩かせる。
 ぽっくりぽっくりと馬蹄の音が重なって、クリスティーナさんがガロアへと続く南の道を進んでゆく。
 一度こちらを振り返ったクリスティーナさんが手を上げて振るのに振り返す。神話の中から飛び出してきた様な美女の顔に浮かんでいるのが、終始あどけない笑みである事が私にはとても嬉しかった。
 クリスティーナさんとの間に結ばれた縁が今後どのような形で、私を運命の流れの中に飲み込むのかはこの時まだ分からなかった。
 だがそれはそう遠くない日に私とクリスティーナさんを再び巡り合わせた。
 夏が過ぎ、秋の収穫祭を向かえ、冬になれば年が明ける日に生まれた私は一つ年を取り、そしてまた新たな春が来てセリナの脱皮を手伝っていたある日、私にクリスティーナさんの通うガロアの魔法学院入学の誘いが来たのである。


<続>

ドランの誕生日は一月一日です。次回はいくらか時間が経過します。

11/27 14:17投稿
    20:04修正 JL様、科蚊化様、ご指摘ありがとうございました。
11/28 22:18修正
12/08 20:24修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生⑳
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/12/20 16:11
さようなら竜生 こんにちは人生⑳


 すっかり居心地の良い場所になった物置小屋の一室で、私、ラミア種のセリナはベッドの代わりに床に敷き詰めてあるクッションを積み重ね、背もたれの代わりにして体を預けていました。
 ドラン様のお傍に置いて頂いてから、一年近い時間が経っています。
 春が盛りを越えた頃に起きたゴブリン達との戦いの後、ベルン村が魔物の襲撃などで殺気立つようなことはなく、私達は心穏やかに日々を過ごせています。
 そう言えば特筆する様な事ではないかもしれませんが、私とディアドラさんとリネットちゃんの家となっている物置小屋なのですが、夏に一度改築しました。

 私達はさほど気にはしていなかったのですが、ドラン様にとって私達三人がいつまでも同じ部屋の中で過ごしているのは、年頃の女性としていかがなものかと悩んでいたそうなのです。
 お父様や村長さんにドラン様が直訴して村の方々が力を貸して下さり、私達の家はあっという間に大きくなりました。
 私とディアドラさんとリネットちゃんそれぞれの個室が出来て、傷んでいた木材も新しいものに変えられて、竈も前よりも大きなものに変わってお料理がしやすくなりました。

 お家を出る時、パパにたくさん人間の怖い話を聞かされましたが、私はドラン様と言う素敵な旦那様ばかりでなく、ベルン村の人々との出会いにも恵まれたのです。
 そういう意味では私は他のラミアの方達よりもずっと幸せなラミアであるでしょう。この一年間を幸せに過ごせた事ばかりでなく、他にも良い事があります。
 私は私の人間の上半身と蛇の下半身の境目の辺りをそっと撫でました。
 私の腰の外側から太もも、膝上に下がるにつれて面積を増やす蛇の鱗と人間の肌が溶けあっているかのようなその境目をなぞり、私は両手をちょうどおへその下の辺りで重ねて止めます。

「もう少し……」

 そう呟いた時、私の体に鈍い痛みが走り思わず眉を顰めてしまい、唇から痛みに満ちた小さな声をあげてしまいました。
 痛みはこの数日中に私に訪れる変化の始まりを告げるものです。既に前兆はありましたし、私にもその変化に対する知識はあったので覚悟はしていたつもりなのですが、身体に走る痛みはその覚悟を揺らがせるのには十分なものでした。

「あうっ」

 思ったよりも速い始まりに、私は堪え切れずに苦鳴の声を零して下半身をくねらせて、床に敷き詰められたクッションをはね飛ばしてしまいます。
 私の苦しみに満ちた声と部屋の中から聞こえてくる激しい物音に気付いて、左右の部屋に居たディアドラさんとリネットちゃんが慌てた顔で――リネットちゃんはいつもの無表情でしたけれど――私の部屋に入ってきました。
 私は顔中に汗を浮かべ、自分の体を力の限り抱きしめて必死に痛みを堪えていましたが、なんとか二人の方に顔を向けて声をかける事が出来ました。

「ごめん、なさい。……うるさく……うう、して……しまって」

 なんとか笑う事は出来たと思うのですが、私の顔を見て声を聞いたディアドラさんは心配そうにしていた顔をさっと怒った顔に変えて、私に詰め寄って捲し立てます。

「馬鹿、こんな時に何を言っているの! 貴女は自分の体の事だけを心配なさい。リネット、すぐに準備しなさい。私はドランの所にひとっ走りして知らせにいってくるわ。こんな時にあの子がいないなんてあり得ない」

「了解しました。セリナの容体は私が診ておりますので、ディアドラはマスタードランを一刻も早くここへ」

「分かっているわ。ドランを連れてくるまで頑張るのよ、セリナ」

 大急ぎで部屋を後にするディアドラさんの声に、私はかろうじて頷き返しましたが、そこから後の事は下半身から全身に広がる苦痛に意識を飲まれて、あまりよく憶えてはいませんでした。
 後になって思念でドラン様に呼びかければよかったと気づきましたが、それだけ私もディアドラさんも慌てていたのです。


 あの五百匹ものゴブリンによるベルン村襲撃から一年近い時が流れ、私は一つ年を取りまた生命萌え出るうららかな春の季節を迎えていた。
 あれからゴブリン氏族からの報復などもなく、他のオークやトロルと言った亜人種からの襲撃もなく、ベルン村の人々は私を含めてこれまで通りの、ただし魔物であるセリナ達の助力によって、いつもより便利な日々を過ごす事が出来た。
 五百匹ものゴブリンとハイゴブリン撃退の報酬と、ゴブリン達の装備や遠征に伴って用意していた食料品などがベルン村の倉庫に収まり、その年は皆が例年よりも裕福に日々を過ごせた事を考えると、ゴブリン達をベルン村で迎撃した甲斐もあったというものだ。

 約一年と言う日々の中でベルン村のほとんどの人々の生活に変化を齎さなかったが、私の周りの人々には、少しばかりの変化を齎していた。
 私はその日、午前の畑仕事を終えて昼食で空腹を訴える腹を宥めていた時、私の所に慌てて顔を見せたディアドラが告げた用件に、食べかけの昼食を放りだして家から走って飛びださざるを得なかった。
 向かう先はセリナ達の住居である元物置小屋である。
 元々はセリナ一人の為に用意された空き家であったが、その後ディアドラやリネットが新たな住人となって手狭に感じられた事もあり、先年の夏に増築と改築を行っている。

 入ってすぐの台所と奥のスペースに壁の仕切りを設けてセリナの部屋として、さらにディアドラとリネットの部屋を一部屋ずつ増築している。
 私は何度も足を運んでいるが、それぞれの部屋の内装も村で手に入れられる木製の髪止めや、精霊石と魔晶石の屑石を使ったアクセサリー、木製の食器類や書籍にそれらを仕舞う棚、衣装箪笥と三人三様の個性が見受けられる。
 私にとっては我が家も同然に足を踏み入れ慣れた場所に駆けこみ、その勢いのままにセリナの部屋のドアを開くと、ベッド代わりのクッションが敷き詰められた部屋の床の上に横になったセリナと、傍らに寄り添って介抱するリネットが揃って私に視線を向けた。

「ど、ドラン様?」

 薄い青のワンピースを皺苦茶にし、額と言わずうなじと言わず珠の汗粒を浮かべ息を荒げるセリナが茫と霞む青い瞳で私を見つめ、安堵したようにかすかな笑みを浮かべる。
 ああ、セリナ、そんなにも苦しそうに。私がその苦痛を引き受ける事が出来たなら、どんなに良かったか。

「マスタードラン、既に始まっております。セリナの手を握っていてあげてください」

 たっぷりと沸かした湯を張った盥や清潔な布をセリナの傍らに用意していたリネットの助言に、一も二もなく私は従ってセリナの手を両手で包み込むようにして握る。
 するとセリナは私が傍らに居る事を確かめるように、私の両手を力の限り握り返してきた。セリナを安堵させるだけでなく苦痛を少しでも紛らわせる意味合いもあっただろう。

「ああ。大丈夫か、セリナ? 遅くなってすまない」

「いいえ、うう、あうぅ……手を、握っていて、ください。私、ちゃんとしますから」

「ああ、私にできる事ならなんでもするとも」

 私がセリナに顔を近づけ瞳を見つめながら頷き返すと、セリナは心を許したものにしか見えない無垢な笑みを浮かべ、すぐに新たに走った痛みに汗に濡れた美貌を歪める。
 セリナはあらんかぎりの力で歯を食いしばり、瞼を閉じ、背骨が折れんばかりに背筋を逸らし、蛇の下半身は少しでも苦痛を紛らわせるために激しくうねる。
 部屋の中の調度品や私を蛇の下半身が打たないようにと、セリナを宥める役を私に譲ったリネットが、その細い腕に秘められた怪力で抑え込む。

 私の手を握りかえるセリナの手に込められた力は凄まじく、普通の人間だったら青痣で済めば御の字、下手をすれば骨が折れてしまっただろう。
 ぬちゃ、ともずちゅ、とも聞こえる水音がセリナの下腹部から聞こえた。セリナの体に痛みが走りだしてからようやく、この痛みの元が動きを見せ始めたのである。
 ディアドラも私の反対側に膝を突き、セリナの顔や首筋に浮かぶ汗を丁寧に拭って何度もセリナを気遣う言葉を口にしている。

「セリナ、もう少しよ。痛いでしょうけれどなんとか頑張るのよ。私もリネットもドランも傍に居るわ」

 もう答える為に言葉を口にするのも辛い様子で、セリナは汗でぬれる頬や額に金糸の様な髪を張り付けながら、なんとか頷いてディアドラに答える。
 時間が経つにつれてセリナの蛇の下半身の狂乱は激しさを増し、リネットが抑え込んでいなかったら部屋の中は二目と見られぬほど荒れていたに違いない。
 ますます私の手を握るセリナの力は増しており、筋組織などに強化を施していなければ、私はセリナに手の骨を折られていた所である。
 
 精一杯セリナの手を握り返しながら私もセリナの体に浮かぶ汗を拭い、少しでもその人と蛇の混じる体を苛む痛みが紛れる様にと尽力する。
 こんな時男は無力だと耳にした事はあったが、よもやここまで無力で役に立たぬ存在になり下がるとは、予想外である。
 セリナ、私の愛しい蛇娘よ。苦しみに襲われるそなたの為に、なにもしてやれぬ無力で愚かな私を決して許してはならない。

「んんん、あああ、あああああーーーー!!!」

 セリナが苦しみ始めてから果たしてどれだけの時間が経ったのか。
 少しだけ開かれた鎧戸から差し込む光は変わらぬ色合いでまだ夕暮れ時ではないようだが、セリナが白い咽喉が避けんばかりの大きな叫びを挙げた時、ずるりと糸を引く様な水音がして、私の手を握るセリナの手からふっと力が消える。
 荒々しい息遣いはまだそのままであったが、汗の玉粒に覆われたセリナの白い美貌からそれまでの苦痛が潮の様に引いているのが見て取れた。
 セリナの下半身は薄く白濁した液体に塗れて艶めかしくつやつやと輝いていた。蛇の下半身を抑えるのを止めたリネットが、ゆっくりと立ち上がって手の中のセリナから離れたばかりのソレを私たちに見せる。

「マスタードラン、御覧ください。見事な抜け殻です」

「ふむ。流石にラミア種の抜け殻は大きいな」

 リネットが両手に持って広げて見せたのは、セリナの太ももの半ばほどから下を覆う蛇の下半身の抜け殻であった。
 薄く透き通る脱け殻は一カ所も破れる事もなく綺麗なもので、まだ内側は白っぽい粘液に濡れている。
 ディアドラが汗を拭うのに心地よさそうな顔を浮かべていたセリナが、小さくはにかみながらリネットに抗議した。

「もう、リネットちゃん、恥ずかしいからそんなに見せないで」

「そうなのですか? 綺麗に脱げていますし流石はセリナの抜け殻。リネットの知識の中にあるラミアの抜け殻よりも強大な魔力が宿っています。非常に良質のラミアの抜け殻であると、リネットは太鼓判を押して褒めます」

「もう」

 とリネットは一つ呟いて少し困ったように首を傾げる。尻尾の先端までが抜け切ってしまえば、脱皮途中の苦痛は嘘のように消えるらしく、セリナに苦痛の色はない。
 やれやれ、先ほどまでの狂乱ぶりが嘘としか思えない姿に、私は安堵の息を吐くのを禁じ得ない。
 古い鱗と皮を脱いだばかりのセリナの下半身は薄い白色の粘液に濡れており、まだ固まり切っていない新しい鱗は柔らかなものだろう。
 竜の中にも全身を丸ごと脱皮する種があるが、脱皮した直後はまだ鱗が柔らかく感覚も敏感になる事が多いのだ。

「セリナ、よく頑張ったな」

「あ、ドラン様。はい、少し疲れたかもしれません」

 私はセリナを抱き寄せて波打つ金の髪を優しく撫でて労をねぎらうと、セリナは少し甘えた声を出して私の胸に頬を擦り寄せる。
 暫くの間、自分よりも年下の幼い子供をあやす様にして、私はセリナを抱きしめながら髪を撫で続けた。
 その間にセリナの抜け殻を畳んだリネットとディアドラが、お湯で濡らした手拭いを使って粘液に包まれているセリナの下半身を清めていた。

 白みがかった粘液に包まれているセリナの下半身は、なんとも淫らな印象を私に与えるものだが、いまこの場で欲情してセリナを押し倒すわけにもゆかない。
 まだ脱皮を終えたばかりのセリナは体力を使い果たしてへとへとだし、蛇の下半身もその感覚を非常に敏感なモノにしている。
 あまり強い刺激を与えてはセリナの体に毒であろう。
 自分の欲情を紛らわしセリナを慰撫する為に、私は抱き寄せたセリナの顔に何度も口付けて愛しい蛇娘と自分の欲望を慰めた。

「はい、これで綺麗になったわよ。まだ鱗はずいぶん柔らかいわね」

「脱皮した影響で鱗の色が深みを増したようですね」

 セリナの下半身を清め終えたディアドラとリネットが、それぞれ脱皮した後のセリナの蛇の下半身の変化を口にする。
 私も軽く目を走らせて脱皮を終えたセリナの下半身の鱗が色の深みを増し、ようやく硬化し始めて以前よりも一層その硬度と備える魔力量が向上しているのが分かった。
 私の腕の中で甘えているセリナの顔を覗きこんで、私はこう聞いた。

「それにしても毎年これではセリナも辛かろう」

「これだけ脱皮に時間が掛るのは成長期の間だけです。私の場合だとたぶん、後一、二回脱皮をすれば今日みたいにお騒がせする事はなくなると思います」

「ふむ、それはセリナにとっては幸いだろう。では抜け殻はマグル婆さんに預けよう。ラミアの抜け殻は希少な品だ。マグル婆さんなら上手くガロアの魔法使いを相手に捌いてくれるだろうからな」

 私はセリナを腕の中から解放して、リネットが折り畳んで床に置いたセリナの抜け殻を拾い上げる。
 白く透けた抜け殻から手を通じて感じ取れる魔力は、流石に竜族の抜け殻には及ばぬがそれでも並みの魔物など比べ物にならないくらいの力は感じられる。
 セリナは脱皮で体力を使い果たした様子で、すっかり憔悴した様子でベッド代わりのクッションに長々と身を横たえて起き上がる気配もない。
 普段セリナは大抵狩りの手伝いやこの家の周りを切り開いた畑の世話をして過ごしているが、今日一日いっぱいは体を休ませなければなるまいて。
 私もしばらくセリナの傍で愛らしい蛇娘を労わる事に決めて、リネットに家族に対しての伝言を頼む事にする。

「リネット、すまぬが父と母に私が今日午後いっぱいはセリナの傍に居ると伝えて来てくれ。夜には戻るつもりだが……む? 来客か」

「お父様とミスタ・デンゼルの足音です」

「デンゼルさんが?」

 はて、イシェル氏の遺産鑑定やゴブリン襲撃の後始末以降デンゼルさんがベルン村に来る理由はない筈である。
 一月に一度ずつデンゼルさんから私宛に試験問題と、魔法や錬金術に関する書籍が送られて来ているのだが、試験の結果が良くなかったのだろうか?
 だからといって忙しい教職にあるデンゼルさんが試験の成果一つで、わざわざ村には来ないと思うが。
 とはいえデンゼルさんが父と共にセリナ達の家をわざわざ訪ねて来たという事は、目当ては私であることは間違いない。
 ドアノッカーを叩く音が数度し、セリナの頭をもう一度撫でてから私はリネットと共に玄関で待つデンゼルさんと父を迎えに行った。

「ディアドラ、セリナの事を頼む。デンゼルさん達に用件を伺ってくる」

 玄関の扉を開けば、私とリネットが聞きとった足音のとおりにそこに待っていたのは我が父ゴラオンとアイリとリシャの伯父デンゼルさんであった。
 裾に銀糸で飾り刺繍のあるインバネスを纏い、銀の鷲の頭が柄についたステッキを手にしたデンゼルさんは私の顔を見ると、うむ、とばかりに一つ頷いた。
 おそらく最初に私の家を訪ねたのだろうが、折悪しく私がセリナの脱皮の場に向かっていた為、不在だったので父がデンゼルさんをここまで案内したのであろう。

「こんにちは、デンゼルさん。多分、私に用があると思うのですけれど」

 もちろんデンゼルさん相手となれば他所行き用の口調である。この一年の間に必要になる事もあるかと、密かに練習を重ねて来たので以前よりはすらすらと私の口から出る。

「察しが良いな。私はまだ用件を口にはしておらんが」

「父が一緒ですから。私に用件があると思いました。セリナ達に用があるのなら、父が同行する必要はないでしょう」

「その通りだ。にしても口調が以前より滑らかに出る様になったな。お前に大事な話があるのだが、昼食の最中に急いでここに向かったと言うが、なにかあったのか?」

 セリナ達の誰かが怪我をしただとか、具合を悪くしたのかと心配しているのだろう。

「セリナの脱皮です。今日が年に一度の脱皮の日でしたから傍に居てあげたくって」

「なるほど。セリナ嬢を村につれて来たのは君だったし、随分と仲が良い様子であったな。静かなものだがもう脱皮は終わっているのかね?」

「随分と疲れた様子で今は部屋でディアドラに介抱されて休んでいます。とても綺麗な抜け殻が出来ましたよ」

「彼女の脱皮ならさぞや強い魔力が籠っているだろうな。脱皮が終わったと言うのなら、せめても都合が良い。これから私の家の方で君のご両親と一緒に話したい事があるのだ。本来なら君の家でするべき話なのだが、他の客もいる都合で我が家の方に来てほしい」

「それは」

 私は即答する事を避けた。今日は午後いっぱいをセリナの傍で過ごすつもりであったから、デンゼルさんの提案に従う事には躊躇いを覚える。
 とはいえデンゼルさんもあまり村に滞在はできないだろうし私に対する用件はすぐに済ませたいだろう。私の顔に浮かぶ躊躇の色を見て取ったデンゼルさんが、口髭を指でいじりながら私に問う。

「なにか用件があるのか? ゴラオンに聞いた限りでは午後に用件はないと聞いていたのだが」

 セリナの傍に、と言おうとした私の口は背後から聞こえて来たセリナの言葉によって閉ざされた。

「私の事は気になさらず、お話を伺ってきてください。私はほら、もう大丈夫ですから」

 顔色はまだ白く透けており疲労も見て取れたが、汗で汚れたワンピースから薄いオレンジ色のブラウスとロングスカートに着替えたセリナは、笑顔を浮かべて私に告げる。
 セリナの隣に立つディアドラに視線を滑らせると、樹木の精霊であるこの美女は少し困った顔をして首を横に振るう。
 私達の会話が届いたかあるいは第六感でも働いたのか。気丈なセリナの振る舞いに私は胸中で感嘆の唸り声を挙げる。

「……分かった。デンゼルさん、すぐに行きますから、すこし時間を頂いてよろしいですか」

「ああ、分かった。少しなら構うまい。では先に待っておるよ」

「父さん、すぐに行くから」

 父は私の言葉に短く頷いて、デンゼルさんと共に玄関から踵を返して去っていった。相も変らぬ寡黙な父である。
 私は小さく溜息を吐き、背後を振り返ってセリナに近寄ってその手を取った。同時に手を介して私の精気を、刺激が強すぎない程度に量を調整して供給する。
 体力が底を尽いて弱っているセリナの身体に過剰に精気を与えては、却って毒になってしまうだろう。

「すまぬな。本当はずっとセリナの傍に居るつもりであったのに。ほんっとうにデンゼルさんは以前から間の悪い方だ」

 振り返ってみるに一年前もミル、アイリ、リシャと良い感じになっていた時に限ってデンゼルさんから声が掛り、非常に良い所で中断しなければならない状況になった事がある。
 デンゼルさんに悪意はなく本当に偶然が重なった結果である事は理解しているつもりだが、それでも多少なり恨みごとの一つも口にしたくなるもというものだ。
 おのれデンゼルさん、本当に私に恨みを抱いたりはしないだろうな。アイリとリシャが私と仲が良いからと変な勘繰りをしている可能性はあるか?
 いやいや邪推はいかんな、と私は邪心を振り払う為に頭を振るう。

「正直に申し上げますと少し寂しくはありますけれど、ドラン様にとって大切なお話でしょうから、それなら私にとっても大切なお話ですもの」

「私はどうもセリナやディアドラ、リネットに甘え過ぎな気もするな。では行ってくるよ」

 最後に三人と軽く抱き合い、セリナには長い口付けをしてから私は家を出てデンゼルさんと父の待つマグル婆さんの家を目指した。
 ほどなくしてマグル婆さんの家に到着した私はデンゼルさんに迎えられて、居間へと通された。マグル婆さんは隣の調合棟、アイリやリシャ達は外で働いているようで家の中に気配を感じられない。
 中には父とデンゼルさん以外にも初めて目にする三十歳前後と思しい、毛先が跳ねた青い髪を長く伸ばし、横長の赤いフレームのメガネをかけた女性が椅子に座っていた。
 着飾れば舞踏会でダンスを申し込む男には困らないだろう美女である。吊り目がちな瞳は髪と同じ青、輪郭はシャープで鼻筋もすっきりと通っているが、全体的に冷たく厳しい印象が強い。
 くるぶしまで届く様な真っ赤なローブを纏い、白いブラウスの胸元をエメラルドのブローチと赤いリボンが飾っている。

「初めまして、ドランと言います。お名前をお尋ねしてもよろしいですか?」

 どことなくきつい印象を受ける美女に、まずは礼儀として私の方から名前を告げて答えを待つ。デンゼルさんがこほん、とわざとらしい咳を一つして美女へと目配せをする。ふむ、デンゼルさんの同僚と言ったところか。

「初めましてね、ドラン。私はヴェイゼ・リシュラシュテレヒア。ガロアの魔法学院で教鞭を取っています。
 以前からデンゼル師が私的に貴方に対し魔法の教授を行っていた事が学院で話題となり、貴方が受けた試験の内容も目を通させてもらいました。その結果だけを言えば貴方は非常に優秀な生徒です」

 ヴェイゼと名乗った女性は足元に置いていた鞄から、私がこれまでデンゼルさんに課せられた試験の紙束を取り出して机の上に置く。赤いインクのペンで採点が成されたそれらは、この一年の私の勉学の成果とも言える。

「まずは座って。長い話になるから」

 勧められるままに私は父の右に空いていた椅子に座り、真摯なまなざしで私を見てくるヴェイゼさんの瞳を見つめ返す。既に父は事前に話を聞かされているのだろうか。
 父は腕を組んで瞳を細めているきりで、なにかを語ろうとはしない。ヴェイゼさんの話しの矛先次第で態度が変わるだろうか。

「それで、どんなお話なのですか?」

 私の催促にヴェイゼンさんとデンゼルさんがお互いの顔を見合ってから、ゆっくりと口を開いて、私に対する用件を述べ始める。

「デンゼル師の行いは多少学院の規範に抵触するものですが、これは問題視しない事が決まっています。さて学院としては君ほどの優秀な素質と勤勉さを持った子を、放置しておく事はあまりにも惜しいという判断が下されました。ドラン、貴方、ガロアの魔法学院に来ない?」

 客観的に人間の基準でみた時に私がどれほど優秀なのかは今一つ分からぬ所であるが、デンゼルさんやマグル婆さんの評価を聞く限り、私はそこそこ優秀らしい。
 だからといってよもや魔法学院からスカウトが来るほど優秀だとは思わなかったが、なにか裏の話があるのではなかろうか。
 とはいえガロアの魔法学院に対して少なからず興味があるのもまた事実。条件次第では魔法学院入学も選択肢の一つに入れる価値がある。
 それにクリスティーナさんとまた会う機会にも恵まれるだろう。あの愁いを帯びた麗人との間に結ばれた縁は、まだどこかで私と繋がっている様な気がする。
 まあ誘われたからと言ってほいほいと入学しますと言えない理由もある。

「あの、でも、魔法学院はお金が……」

 父の前で口にするのは躊躇われたが魔法学院の学費を払う様な余裕は、とてもではないが我が家には存在していない。
 子供に家計を心配される事は親にとってそれなりに屈辱的で、情けないと感じる事かもしれないが、かといって口にしないわけにも行かぬ。
 まず何より学費の問題がどうにかならねば、私がどれだけ望もうが魔法学院に入学なぞできはしまい。
 確か奨学金と言う制度があったと思うが、あれは後でお金を返さなければならないし、まあ私が学院卒業後に稼げばいいのだが、ううむ。

「学費についてはご両親にも説明してあるのだけれど、貴方の成績如何では学費を免除するという話も出ています。貴方に自覚があるかどうかは分からないけれど、デンゼル師が貴方に課した試験の内容は、とても難しいものだったのよ。
 貴方はそれらの試験に対して全満点という極めて優秀な成果を残しています。それに昨年のゴブリンの襲撃があった際に、貴方が獅子奮迅の活躍をした事は耳にしているわ。
 学業が優秀な生徒ならいくらでもいます。けれど実戦も経験しなおかつ戦果を挙げた生徒は、学院にも滅多にいない。貴方は色々な意味で希少なのよ」

 希少性で言ったら自我を維持したまま竜から人間に転生したという点に置いて、私は世界でほぼ唯一無二の存在かな、と余計な事を頭の片隅で考えていた。
 つまりは私が成績を残し続ける限りにおいては学費を免除してくれると言う事か。免除してもらえなくなったら、すぐに学院を辞めなければならなくなるだろうな。奨学金は後々面倒な事になりそうだし避けたいのだ。
 魔法学院で正規の教育を受けて卒業をすれば、それは十分に王国の宮殿でも通用する実力と知識の持ち主であることの証明と資格になる。
 王宮に上がれなくとも大商人に雇われ魔法使いとして抱え込まれれば高給を貰えるだろうし、なんなら大陸全土に根を張る魔法使いギルドの組合員になって、ギルドからの仕事をこなすだけでも今の暮らしよりは収入の増加が見込めよう。

「とはいえすぐに貴方を学院に迎い入れられるわけでもありません。一度学院に来て貰って筆記と実技の試験、それに面接を受けて貰って貴方の能力を学院に証明してもらう事になるでしょう。その試験の結果が良好であれば今年の春の入学式から、貴方は学院の生徒になれるわ。これは特別な事なのですよ?」

 魔法の素養がある人間は全体的に少なく見つければ積極的に勧誘していると言うから実際、ヴェイゼさんが言うほど特別な事なのかは、判断がつかない。
 入学の試験は面接だけはどうなるか分からんが筆記と実技ならまあ問題ないだろう。どんどん私が魔法学院に入学する話になっているが、このままでは私の意思を表明する前に話が決まってしまいそうだ。

「でも、私が家を離れたら働き手が減るし……」

「子供が要らん事を心配するな。お前一人いなくても問題はない。それにお前は物心のついた時から村の皆の役に立つ事をいつも考えていた。
 マグル婆さんに魔法を習い始めてからは、実際に行動にも移せるようになってきていたし、この機会を活かして一度しっかりと勉強をしてこい。
 魔法は使いたいと思っても使えない人間の方が多い。そしてお前は魔法が使える才能に恵まれた。ならその才能を伸ばすのがお前にとっては良い道だろう。魔法学院できっちり勉強する事が、村にとっても良い結果になるとおれは思っている」

 普段寡黙な父が私の顔をまっすぐに見つめて饒舌に言葉を紡ぐのを、私は真摯に受け止めた。口を動かすよりも行動と背中で語る父が、私の将来をきちんと考えた事を語ってくれている。
 そのことが何よりも嬉しく、私は喜びのあまりにやけそうになる顔を必死に引き締めて最後まで父の言葉に耳を傾けた。
 父が許しを出すのならば母も承知の上と言う事だ。今日以前から既に父母には話がいっていたのだろう。知らぬうちに包囲網が敷かれていたというわけだ。
 そこまで私が魅力的な人材と言う事なのだろうか? 評価されるのは嬉しいが魔法学院に入学すると言う事は距離を考えるとベルン村を離れざるを得まい。
 そうなるとアイリやリシャ、ミルといった村の女性たちにアルバートをはじめとした村の友人とも中々顔を合わせられなくなってしまう。 

「もし魔法学院に入学できたら私は村を出ないといけませんか?」

「ええ。学院の生徒は寮に入ってもらう事になるわ。中等部から高等部までの六年間を過ごすのが通例。ただ貴方の学力と魔法の実力を考慮すれば高等部の一学年からの入学も十分可能よ。
 十一歳という年齢を考えれば、これは大変素晴らしい事だわ。それに貴方は村から長期間離れるのを嫌がっているようだけれど、成績次第では学年を飛ばす事も出来るの。貴方が一生懸命勉強して優秀な成績を残せば、すぐに卒業する事も出来るわ」

 上手くやれば一年で卒業もできると言うことだろうか。しかし村から離れると言うのは、私の胸の中で消せぬしこりとなっており、どうしても首を縦に振る事が出来ない。
 理性は学院に入学する事が私の村の皆の役に立つと言う目的に叶う、と告げているのだが愛する人達や友人と長期間に渡って離れなければならない事に対して、感情が頑として否を訴えている。
 それにもう一つ私には何としても譲ることのできない事があった。
セリナ達の事である。

 リネットはイシェル氏から、嫌な言い方になるが所有権を私に移譲してあるし、その事は昨年の内にデンゼルさんを通じて王国の魔法関係者には知られているだろうから、外見も人間然としている為ガロアに連れて行っても問題はあるまい。
 となるとディアドラとセリナが大問題となる。ドリアードであるディアドラはまだしも危険視されることの多いラミアであるセリナを、堂々とガロアに連れてゆけるものかどうか。
 アイリやリシャ、家族と離れなければならないという時点で私の感情が拒否を訴えているのに、この上さらにセリナやディアドラとも離れなければならぬとなれば、私の感情は拒否の選択しかなくなる。
 軟弱と言えばあまりに軟弱で、村の皆の役に立つ為に生きようと決めたのではなかったかと、私の理性は嘆きを交えて訴えている。

「ヴェイゼさん、私は今村に住んでいる三人の魔物の女性と親しくしているのですが、彼女らをガロアに同行する事は出来ますか?」

 理性と感情の板挟みになりながら、私はその折り合いを着けられる答えを探してヴェイゼさんに問いかけた。するとヴェイゼさんはデンゼルさんに視線を送る。
 その所作の意味する事はなんであろうか? デンゼルさんが事前に私とセリナ達が親しい事を伝えていた? いやだとしても私がセリナ達をガロアに連れて行こうとするまで入れこんでいる事は知るまい。
 あるいはデンゼルさんならアイリやリシャを通じて、私がセリナ達と離れる事を厭うと暗に聞かされている可能性もあるか?

「デンゼル師から聞いていたけれど、貴方が新たな主となったというゴーレムの女の子はまず問題はないでしょう。ただしラミアとドリアードに関しては、通常ではガロアに連れ込む事は難しいと言う他ありません。
 どちらも人間に危害を加えることのある魔物である以上、安易に街に入れる事はできませんからね。ただし彼女達が人間の従属下にあるというのなら話は別です。ラミアとドリアードがいわゆる使い魔であるのなら、ガロアに入れる事も出来るでしょう」

 むう、使い魔か。マグル婆さんの所の黒猫のキティやジャイアントクロウのネロ、ジャイアントモールのベティが思い当たるがセリナ達を使い魔にするというのは、ううむ。
 マグル婆さんの授業によれば、使い魔は小動物や猛獣、魔物のみならず自身が制作した魔法生物やホムンクルスなどでも構わないらしい。
 ただ倫理面から人間や亜人を使い魔とする事は強く禁じられている。セリナとディアドラは魔物と精霊であるからこの定義に外れるので、使い魔としても特に問題が生じるわけではない。

 使い魔化した動物や魔物は主との間に精神が一部接続され、言葉によらない思念での会話が可能となり、五感の共有や使い魔の知性や魔力の増加、逆に主の方も使い魔が有する記憶や知識を得ることもできる。
 ふむ? 今の私とセリナ、ディアドラとの関係とそう変わらないか? いや、しかし使い魔が主からの命令に逆らえないのにたいして、私がセリナ達の意思を無視して服従する様な術を掛けているわけではない。
 あくまでいまもセリナ達が村に居るのは本人達の自由意思によるものである。村に連れ込んだのが私の意思に依る所が大きいのは否定できないが、それでもセリナ達は村を出て行こうと思えばいつでも出て行けるのである。

「もし君がラミア達を連れて行きたいというのなら彼女らに使い魔になって貰う他はないわね。それにしてもそんなに一緒に来てほしい相手なの?」

 私は他所行き用の口調で答えた。
 私くらいの子供が大人びた口調で賢しげに論理的な言葉を口にすると、どうも気持ち悪いとか小生意気であるといった印象を与えてしまう様なので、それを避ける為の小細工である。流石に村の人達には今更口調を変えても仕方がないが。

「父さんや母さん、家族と離れ離れになるし、村の皆とも滅多に顔を合わせられなくなるのでしょう? かといって皆が村を離れられるわけではないし、リネットなら連れてゆけるだろうけど……」

「元々村の住民ではなかったラミアとドリアードの二人なら、村を離れられるというわけね。それにしても着いてきてくれるあてがあるの? 君、モンスターテイマーの素養もあるのかしら?」

 眼鏡の奥の瞳を好奇心でらんらんと輝かせるヴェイゼさんは、私を一人の人間と言うよりは興味深い研究対象であるかのように見ている。
 モンスターテイマー(魔物を手懐ける者)というと、魔物や魔獣を魔法で意のままに操る魔法使いか、あるいは特有の調教術などで魔物などを飼いならす部族に与えられる称号だったはずだ。
 前者であるなら特に個人の素養に大きく左右されるから、ゴーレムであるリネットはともかくセリナとディアドラを村に連れ込んだ私に、モンスターテイマーの素養を見るのは無理のない事か。
 とはいえあまりヴェイゼさんの瞳は居心地の良いものではない。この人は、どうも自分の興味のある事の為なら大なり小なり倫理や道徳を無視するタイプだろう。あまり深く関わると碌な事になりそうにない。

「ヴェイゼ、そこまでにしないか。ドラン、君に魔法学院に入学する意思があるのなら、済まないが早めに結論を出してくれたまえ。明日には私達も学院に戻らなければならん。期限は明日の午前一杯だ。何か聞きたい事があるのなら、今の内にしておいた方がいいぞ」

 ふぅむ。私がガロアに入学するに当たり、試験を受ける必要がありそこでの成績次第で学費免除かあるいは奨学金での入学くらいは、許されるだろう。
 ヴェイゼさん曰く私の学力なら高等部の一年生くらいから始められ、また成績次第では三年になる前に卒業もできるらしい。
 ここまではまあ良かろう。学院卒業後の展望も大きく開けようし、なにより私自身の努力次第で結果をいかんとも変えられると言うのが私の気に入った。

 何事も自身の努力で未来を切り開く方が私としては好みなのである。
 私はしばし瞑目して魔法学院に入学することの良し悪しを天秤にかけた。父は私の意思を尊重する態度を示しデンゼルさんはそこはかとなく、ヴェイゼさんは言葉にはしていないが私の学院入学を願っている風がある。
 暫くの沈黙の後、私は結論を出して口にした。学院に入学するにしろしないにしろどちらにも良い面と悪い面があるが、私が選択したのは前者であった。
 これを逃せば二度と機会が巡ってはこないと、理性が感情の説得に成功したのである。納得しきらぬ感情は心の奥底でぐるぐると唸り声を挙げるが、それを意思と理性で封殺して私は口を開く。

「いえ。彼女達が使い魔になる事を承諾してくれたら、魔法学院への入学試験を受けさせて頂こうと思います」

「使い魔になって貰えなくても入学する意思を示して欲しいものだけれど、とはいえラミアとドリアードを入学以前に使い魔にしている子が入学となれば、君の評価も高まるわ。しっかり説得なさいな」

「そうします」

 実はセリナ達にはこの会話を中継している。使い魔の話が出た時には既に彼女らから今とそう変わらないし問題はない、という返答が返ってきており三人娘の家に戻って返答を貰う必要はなかったりする。
 例えガロアに行く事になってもセリナ達と一緒が良いと言う私の要望は、セリナとディアドラには受けが良かったようで、私に返ってきた二人の思念には喜びの感情が強かった。
 それでもヴェイゼさんに一言断りを入れたのは、周囲の人達に私がセリナ達に使い魔になって貰う事の許可を取った、という印象を与える為であり、脱皮を終えたセリナの傍に早く戻りたい為でもあった。
 さてヴェイゼさんが一足先に荷物を片付けて宿を取っている魔除けの鈴亭に戻った後、大きな溜息を吐いたデンゼルさんが、椅子を立ち上がろうとしていた私と父に対して罪を吐露するように口を開いた。

「すまんな、ドラン。ヴェイゼは優秀なのだが周りが見えなくなる所があってな。お前に対して少し良くない態度を取ってしまった」

「別にそれは気にしていないけれど、ずいぶん熱心に勧誘されたような印象があります。なにか理由でもあるのですか?」

「う、む。実は私はお前をまだ魔法学院に入れるつもりはなかったのだよ。中等部の一年生にしても、十三歳か十四歳で入学するのが平均だ。
 しかるにお前はまだ今年で十一歳だ。学力で言えばヴェイゼの言う通り高等部でも通用するが、あまり優秀すぎても周囲から要らぬやっかみを買うことが往々にして多い。
 だからお前を学院に誘うにしても二年か三年は待ってから、中等部に入学を勧めるつもりだった」

 ふむ、来年に入学とかならばともかく、試験を受けて今年の春の内に学院に来ないか、とは随分と急な話だと思っていたが、少なくともデンゼルさんにとっては本意ではないのか。

「だが私がお前に私的に魔法の教授を行っている事が、学院に知られてな。まあ、この事自体には学院にも申告してあったし、もともとうちの母がお前の師匠であるから、いわば兄弟子である私がお前に教えを施す事自体はたいして問題ではないのだが、お前が優秀すぎたことでヴェイゼの目に留まったのだ」

 デンゼルさんが私に教えを与えていると言うのも、あくまで学院の規則に抵触しない範囲で気を使ってくれているからだろうだが、にしても頑張った結果こういう事態に繋がるとは。
 いつかクリスティーナさんを訪ねにガロアには行ってみようかとは思っていたが、私自身が魔法学院に入学すると言うのは、あまり考えた事のない話である。

「実はな、これはあまりしていい話ではないのだが、二人の口の堅さを信じて話す。お前達も知っているとは思うが魔法学院は王都の本校のほかに東西南北に一校ずつ、全て合わせて五校存在しておる。
 それぞれに独自色があるのだが、実は本校を含めたこの五つの学院は互いを競争相手として認識しているのだ。基本的には根が同じ組織であるから表だっていがみ合う様な事はしないが、教師や生徒の中には他校と張り合あおうという考えの者が少なくない。
 そして三年前に南の学院に、一年前に西の学院にそれぞれ十年に一人と言われるほどの天才が入学してな。
 元より生徒と設備の質と量に置いて頭一つ飛びぬけていた本校や、東方との交流で独自色の強い東の学院に比べ、我がガロア魔法学院分校は一歩遅れた形になっていると言わざるを得ん」

「つまり、他の学院に比べて遅れを取っている分、魔法使いの素養がある子は熱心に勧誘していて、素養ばかりでなくゴブリンとの実戦経験があってマグル婆さんやデンゼルさんに教えを受けている私は、点数稼ぎにちょうどいいということなのかな?」

 横目でちらっと父を見ると腕を組んだ姿勢は変わらずだったが、その巌のような厳めしい顔には不満の色がありありと見えた。息子である私が各魔法学院に利用される形になっている事が、不満なのであろう。その父の態度が、私には嬉しい。
 この様子では事前にデンゼルさんが話をしに来た時もそれなりにすったもんだがあったのではないだろうか。

「うむ。優秀な生徒を輩出すれば当然学院全体の評価に繋がり、王国から降りる予算も増すからな。実際の所、ドランよ、お前は西と南の天才とも張り合えるだけの能力があるかもしれん。
 特に西の生徒はお前より二つ年上なだけで今年の春から高等部の二年に進級する。年の近いお前ならちょうどいい対抗馬になるというわけだ。
 しかもお前は五百のゴブリンを相手に死者を一人も出さなかった村の人間で、宮廷に仕えた魔法使いの遺産の一部を継ぎ、更にはラミアとドリアードを使い魔に出来るかもしれないと来ている。これほどの経歴の主は滅多にはおらんわな」

 言われてみると確かになんともはや異常な経歴である。他校に比して遅れを感じているガロア魔法学院のお偉方にとっては、私は降って湧いたように都合の良い生徒と言うわけか。
 実際入学試験で多少失敗しても、目を瞑って私を入学させるのではなかろうか? 入学させてしまえばあとは幾らでも処置のしようはある、と言う意味でだ。

「でもガロアにもクリスティーナさんのような優秀な人もいるでしょう。銀色の髪に赤い瞳をした女性なのだけれど」

「う、む。彼女か。確かに彼女は学生の中でも最高峰の能力を持っているが、本人の性格とちとやんごとない事情があってだな」

 思いきり苦いもの含んだ表情になるデンゼルさんの様子と言葉から、クリスティーナさんが紛れもなく優秀な生徒である事の確認は取れたが、やはりなにかしらの事情持ちらしい。
 ふむ、クリスティーナさんほどに優秀な生徒は他にはあまりおらんということだろうか? 
 学院の裏の事情を話してくれたのはデンゼルさんなりに負い目を感じていたからだろうし、あまり責める気にはなれない。
 そういった事情があるのなら、私が入学する時やその後もなにかしら便宜を図ってくれるのではなかろうか、という打算もあったからだ。

「まあいいや。とにかくセリナ達に使い魔になって貰えるか聞いてくる。方法はデンゼルさんかマグル婆さんに聞けばいいですか?」

「ああ、私と母さん、それにディナも方法は知っているからな。結論が出たらもう一度ここに来なさい」

「分かった。父さん、そう言うわけで私はまたセリナ達の所に行くから、家に戻っていて」

「ああ。……ドランよ、お前が学院に行くにしろ、そうでないにしろ、それがお前の意思ならおれは何も言わん。ただな、ドラン。自分で選んだ道だ。責任は自分で取れ。辺境だろうとガロアだろうと、そればかりは忘れるなよ。後悔する様な事があってもそれを人のせいにはするな。自分の責任であるのなら、それから目を逸らしちゃいかん」

 そう言って父は私の頭をごつごつとした岩の様な感触の手で撫でてから、マグル婆さんの家を出て行った。私は撫でられた頭の部分を、父の手の感触を求める様にさすってから、父に続いてマグル婆さんの家を出て、デンゼルさんと別れた。
 取り敢えずセリナ達と合流してもう一度ここに来ればよかろう。しかし私が村を離れてガロアの魔法学院に行くとなれば、アイリ辺りは泣き喚いて駄々をこねそうだ。
 リシャとミルの説得は二人が年長である分まだ容易であろうが、アイリは強敵に違いない。私はそんな事を考えながら、セリナとディアドラとリネットの待つ家へと続く道を歩いて行った。

<続>

メリットとデメリットを考えた結果、主人公は魔法学院行きを決めました。卒業までどれだけかかるのかはこれからの頑張り次第。
セリナの脱皮に関しては前回で言及してありましたが、意図的に出産と誤解するように努力しました。あと四年もすればあっという間に子供が出来る事でしょう。

・ベルン村 
称号:ゴブリン殺しの農村←NEW
    鉄壁の農村    ←NEW


主要登場人物簡易現況紹介

・ドラン

 言わずと知れた主人公。前世はあらゆる存在の頂点に君臨する最強無比の竜。ただし本人に自分が竜の神であるとか、王であると言った自覚はなくあくまでただの竜という認識。
 生きる事に飽きた結果七人の勇者たちに倒されて人間に転生し、今に至る。記憶と自我と劣化した竜の力を受け継いでいるが、人間として生きて人間として死ぬつもりなので、極力人前では竜の力を使わない方針。
 人間の肉体が覚える欲望になるべく従って生きる事が人間らしく生きることだろうと思っているので第一話から性欲を全開で解放した。

 現在は多少落ち着いており、欲情したからと言ってすぐに手を出すのはよろしくないと言う認識に至っている。……が、毎夜毎晩魔物娘達を可愛がり、昼日中でも時間を作ってはアイリ、リシャ、ミルと爛れた時間を過ごしているのは変わらない。
 現在関係を持っているセリナ、ディアドラ、ミル、アイリ、リシャにはそれぞれ五人くらいは子供を産んでもらうつもりでいる。最終的には十人か二十人くらいは産む事になる可能性が高い。

 竜として誕生した時には親を持たなかったが、人間に転生したことで肉親を得たことで非常に強い愛着を抱くようになり、たった十年の人間生活の間にかなり人間よりの思考をするようになっている。
 目的はベルン村の皆の生活向上と貴族になって合法的に配偶者を複数得られる様になる事。あと子供を百人くらい作る事だが、二百人になるかもしれないし三百人になるかもしれない。

 転生の影響によって大きく力を落としているが、もとがとんでもないバグキャラであった為、現在もなお世界最強といっても過言ではない力を有している。
 転生の呪いは継続してかかっており人間として死した後も転生するが再び力は落ち、そうして転生を繰り返すことで最終的には魂が消滅する運命にある。

・セリナ

 ドランに誑し込まれた初心なラミアの少女。ドランに心酔しきっており傍にいられればいいと考えており、他の事は実はあまり深く考えていない。
ドランに死産の呪いを解いてもらっておりすぐにでもドランの子供が欲しいが、育てる環境が整っていないと言うドランの説得を受けて我慢している。
ドランが普通の子供でない事は知っているが、竜の転生体である事は知らないし、特に気にしていない。村の子供達や大人連中からの人気者。上半身は童顔巨乳の金髪美少女なので、色々と注目を集める事もある。エロい意味で。

・ディアドラ

 ベルン村東方のエンテの森に住まうドリアードの女性。ドリアードとしてはまだ若い方。森に出現した炎の悪霊フレイムランナーを退治すべく挑むも、相性の問題から返り討ちになりそうになった所を、ドランとセリナに救われそのままなし崩し的にセリナとドランと3Pする事になってしまい、ドランに誑し込まれる。
 割と義理堅い性格をしているので、誑し込まなくても数日を掛けて説得していればベルン村に来ていた可能性が高い。
 樹木や草花に加護を施し活力を与えて、病気にならないようにしたりと農民には大変心強い能力を持っている。手先も器用で特殊な繊維の衣服を繕っている。
 セリナ同様ドランが普通でない事はよく理解しているが、村での居心地も良いしあまり気にしなくてもいいかと考えている。
ざっくばらんな思考は、種族的に寿命が長く物事を長期的なスパンで考える為でもある。

・リネット

 ドランが発見し新たなマスターとなったゴーレムの少女。人間の少女の死体から採取された細胞を培養し、臓器系や筋組織などを有機素材や魔法素材などで代替し、身体能力を劇的に強化させた特殊なフレッシュゴーレム。
 性交によって擬似子宮に存在する魔力貯蓄機に魔力を注がれることで、長時間の稼働が可能になる。ドランの場合はその性欲も相まって性交による膣内射精で補充を行っている。
 性格は感情の起伏がない淡々としたもので、マスターであるドランには極めて従順。同居しているセリナやディアドラに対しても基本的には従順だが、時折からかう様な口ぶりや冗談めいた言動を見せており、全く感情がないわけではないらしい。
 子供を産む事は出来ないらしく、リネット自身とドランは非常に残念がっている。

12/4  16:50 投稿
12/4  20:24 修正 通りすがりさま、雨さま、JLさま、ありがとうございました。
12/5  8:50 修正 金城さま、科蚊化様、ありがとうございました。
12/20 16:10 修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生21
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/12/12 12:41
さようなら竜生 こんにちは人生21

 ガロアに在る魔法学院への入学の選択は、私の中で決して軽々しく決められるようなものではない。
 これまで誰に習ったわけでもない、私にできる筈のない事もガロアの魔法学院で学んだと言えば使えるようになる事、魔法学院卒業生と言う経歴、学院生活の間に作る事の出来る人脈、魔法学院に所蔵されている膨大な書籍をはじめとした知識。
 私が魔法学院に籍を置く事で得られるものが、さっと考えつくものでもこれだけある。
 どれ一つをとってもほとんどの人間が得る機会にさえ恵まれないものばかり。
 確かにこれは現状の私からすると咽喉から手が出るほどに欲しいものばかりで、魔法学院入学で得られるものだけを見る事が出来たなら、私は喜び勇んで、あるいは涎を垂らして入学の誘いに飛びついたことだろう。

 しかし、魔法学院入学によってベルン村から離れなければならないと言う一点が、魔法学院入学という餌に飛びつこうとする私に二の足を踏ませる。
 家族を持たなかった竜の前世と違い、血の繋がりのある父母と兄弟を持った今世では、私自身が意外に思うほどに極めて強い愛着を家族に対して抱いている。
 その想いは歳月を経るにつれて強さを増しており、おそらく、いや間違いなく生涯強さと深さを増してゆくに違いあるまい。
 かような次第であるから一年かあるいは二年か、村を離れるとなれば果たして私はどれだけの寂寥と望郷の念を抱く事になるのか、自分の事でありながら私にはまるで予想が着かなかった。

 だから私の精神の均衡を保つ為には、せめてセリナやディアドラ、リネット達には使い魔と言う体裁を整えてでもガロアに共に行き、傍に居て欲しいと心底から願っていた。
 幸いにしてデンゼルさんとその同僚であるガロアの魔法学院教師ヴェイゼさんから、魔法学院入学にあたっての話をしている最中に、セリナ達にはその話を中継し使い魔の件については了承を得られている。
 私は一旦セリナ達の家に戻って一応の確認を取る為に話をしていた。
 家の扉を開いてすぐの場所が、セリナ達が食事を取る為の空間で中央に六人ほどが席に着けられるテーブルがあり、今私達はそのテーブルを囲んでいる。

 セリナはデンゼルさん達の訪問を受けてこの家を出た時は、年に一度の脱皮による疲労の色が濃かったが、別れ際に私が注ぎ込んでおいた活力の影響もあって、ほぼ普段通りにまで回復している様子であった。
 私とディアドラとリネットは椅子に腰かけ、セリナは蛇の下半身でとぐろを巻いて椅子の代わりにしている。
 テーブルの上で白い湯気を吐いている夕焼け色の水面のフラワーティーは、ディアドラが丹精込めて育てたある花の花びらを乾燥させて淹れたものである。

 ディアドラはこの花以外にもマグル婆さんと共同で、何種類かの医療用や飲食用の植物を育てている。
 樹木の精霊であるドリアードが、とはもうこれまで何度も思った疑問だがディアドラに気にする様子はないし、二杯目を手ずから淹れて飲んでいる始末であるから、この際もう何も言うまい。
 私も一口フラワーティーを飲んで口の中と咽喉を潤してから、セリナ達に話を切り出した。
 ゴーレムとその主としての契約を既に結んでいるリネットは別として、ガロアに共に行くにはセリナとディアドラとは使い魔の契約を結ばねばならない。

「三人に聞いてもらっていた通り、私は魔法学院入学試験を受けようと思う。無論受けるからには合格するつもりだ。
 さしあたって可能な限り早く卒業するつもりだが、期間が具体的にどれだけの時間になるかはまだ分からない。
 だがその間セリナとディアドラには私の使い魔として傍に居て欲しい。お願いする。正直、村から離れる上にセリナ達とも離れ離れになるのは、耐え難い」

 セリナ達に対して初めて心底からの弱音を吐いたのは、間違いなくこの瞬間だった。
 自分でも信じられないほどの精神の脆弱さに、私としても情けないことこの上ないのだが、体裁を気にする余裕がこの時の私にはなかったし、セリナ達には私の弱さを見られても構わないと心のどこかで思っていたのである。
 セリナとディアドラは、私のこの態度が意外だったのか揃ってそれぞれの美貌をきょとんとしたものにして、お互いの顔を見つめあっていた。
 炎の悪霊たちを前にした時や、ゴブリンの襲撃を受けた時にも風に柳とまるで動じる事の無かった私が、生まれ故郷から離れるというだけでこれほど弱っているのが、意外だったのだろう。
 自分自身でも意外に感じているほどなのだから、無理もない事である。

「貴方がこの村の事が大好きで、強い愛着を持っているのは知っているつもりだったけれど、なんていうのか、そこまで弱るっていうのかしら? 困っているのは驚きだわ」

 ディアドラがまじまじと私の顔を見ながら言うのに、セリナがこくこくと首を縦に振って同意である事を示す。確かにディアドラの言う事はご尤もである。
 悪意を持って迫ってくる相手ならそれが破滅を司る大邪神や、銀河崩壊程度の自然現象の類ならば、私の力技で鼻歌を交えながらでも解決して見せるが、今回の様な事態にはとんと解決の妙法が思いつかないので私はすっかり弱り切ってしまう。
 少し、いや大いに人間の感性に私が染まってしまった証拠なのかもしれない。
 竜として生きた時間に比べれば、人間として生きた十一年は認識できない様な短い時間に過ぎないと言うのに、我ながら人間の感性に馴染み過ぎと言うほど馴染んだものである。
 楽しんでばかりいた人間としての今世であるが、思わぬ弊害が見つかってしまったと言う他ない事態に、自分でも知らぬ所で溜息を吐く。

「あ、でもドラン様の使い魔になる事はなんの問題もありませんよ。お会いした時からずっと私の身も心もドラン様のものですから」

「私はそこまでではないけれど、貴方達と出会ってからずいぶん楽しくやらせてもらっているし、魔法学院にも付き合ってあげるわよ。私が離れてもベルン村に掛けてある大地の加護に問題はないしね」

 ディアドラが栽培している植物や私の管理している小さなオイユの実の畑の管理は、村の人か家族に頼まなければならないだろうが、そう大きな畑ではないからそう手間もかかるまい。

「リネットはマスタードランのゴーレムですから、使い魔でなかろうともどこまでもお傍におります。ただシグルド達は村に置いて行くべきかと」

 三者三様に朗らかに笑みながら告げてくれるその内容に、私は良い縁を得たものだと胸の詰まる思いであった。
 予め了承の返事を思念の会話で伝えられていたとはいえ、やはり直に答えてもらうと感慨と感動もひとしおである。
 鼻の奥がツンとしそうになるのを堪えて、私は心からの笑みを浮かべていると自分でもはっきりと自覚しながら、礼の言葉を口にした。

「本当にありがとう。三人に傍に居て貰えるのなら、とても心強いよ」

「ドラン様に喜んでいただけるなら、私はそれだけで十分です。でも、私達はドラン様と一緒に行けるから良いですけれど、アイリちゃんは納得しているのですか? まだ説明していないなら、その、説得するのはものすごく大変だと思いますけれど」

 私がベルン村を離れるという話を聞いたアイリがどのような反応をするかを思い浮かべ、私はふむぅ、と苦いものを交えた呟きを咽喉の奥で零す。絶対にごねる。アイリならごねる。ごねるに決まっているのだ。

「セリナの言うとおりねえ。ミルはちょっと渋るかもしれないけど、それでもミルとリシャなら、貴方の意思を尊重してくれるでしょう。でもアイリはねえ。あの子は泣き喚くのではないかしら。かなりの強敵に違いないわよ」

「リネットもセリナとディアドラの意見に同意します。マスタードランはアイリをいかにして納得させるか、お考えになるべきだとリネットは進言致します」

「三人に言われぬとも分かってはいるとも。アイリばかりは腰を据えて説得しなければなるまい。
 幸い私の父母には既に話しはいっていたし、ディラン兄やマルコが私を引き止める事は特にないだろうからな。
 実質アイリの説得がベルン村を離れるにあたっての、最後の大仕事になるだろう」

 私はかつてない強敵を前にした緊張感を覚え、表情を引き締めながら腕を組み、うむと頷く。
 とはいえ実際どうしたものか。そんなほいほいと妙案が思いつくのなら、いまごろベルン村はとっくに私が思い浮かぶ繁栄の光景になっていただろう。
 竜と龍の頂点に君臨する古神竜である私だが、実の所私を含めた他の古神竜や古龍神はあまり頭がいいとは言えない。
 少し考えれば分かる事だが、始祖竜の頭部から産まれたバハムートを除いた私達は、翼や尻尾、心臓などから産まれている。つまり原型となった始祖竜の部位には知性を司る脳がないのである。

 各部位が独立した生物に変化した為に臓器や脳など生物として必要な部位を一通り得たが、そこはそれ、元が尻尾やら目玉であったので頭の出来がお世辞にもよろしいとは言えないのだ。
 いや知性が低いというと語弊があるか。思考に偏りがあるというほうが正確かもしれない。それに生物としての格が桁外れであるから、人間や亜人などよりは知能は高いし知識も莫大だ。ただまあ頭は良いけれど馬鹿というべきだろうか。
 翼から産まれたヴリトラは年がら年中飛び回っていれば幸せという飛翔狂だし、尻尾のヒュペリオンなどは日長寝て過ごしてばかりいて、私を含めた始原の七竜の内六柱は面倒事や頭を使う事を、全て一番頭のいいバハムートに押しつけていたのである。
 思い返してみるとバハムートには本当に申し訳ない事をしてしまった。なまじ知恵と機転が利くだけに、私がまだ竜界に居た頃は竜族の面倒事はほとんどバハムートに集中していたのである。

 面倒くさがらずに昔から頭を使っていれば、アイリを説得するだけの理が思いつきもしたかもしれないが、いまさら過去を振り返ってみても現在を変えられないので仕方がない。
 私は取り敢えずアイリの説得と言う大難事を思考の中の棚にしまいこみ、使い魔の契約を結ぶ儀式を行う為に、またマグル婆さんの家で待っているデンゼルさんの元を訪ねた。
 お互いが予め同意の上で使い魔の契約を結ぶのだから儀式それ自体は滞りなく済むと思うが、使い魔の契約の中に主人の命令に絶対服従や、セリナ達の思考に影響を与える効果があったならそれだけは事前に削除するつもりだった。
 私がセリナ達と一緒にマグル婆さんの家に顔を見せると、デンゼルさんは思ったよりも速い戻りであったのか、少し驚いた顔をした。

 セリナ達に使い魔になって欲しいと言う私の願いに対して、了承を得るまでに時間がかかると思っていたのだろう。それはそうだ。
 セリナもディアドラも確たる自我を持った個人である以上、魔法使いの所有物にも等しい扱いをされる使い魔になる事をすんなりと了承するなど、私達の本当の関係を知らねば想像する事も出来ないだろう。
 デンゼルさんはしげしげとディアドラ達を見てから、私達をマグル婆さんの調合棟へと案内した。使い魔の契約を結ぶ儀式の準備は、調合棟で行われているらしい。

「随分早い戻りだったな。リネットくんはまだしもセリナくんとディアドラくんはドランの使い魔になっても、本当に構わないのかね?」

 いつもと変わらず黒猫のキティが日向ぼっこをしている調合棟の扉をデンゼルさんが開くと、様々な魔法薬の材料の匂いが混じり合う空気が、私達を包み込む。
 中にマグル婆さんの姿はおらず、代わりにいつも部屋の中心に置かれているテーブルがどかされて、壁際に追いやられている。
 先にデンゼルさんに答えたのはディアドラだった。肌理の細やかな肌と融け合う木々が覗く特徴的なドレスを纏う、半人半樹の美女は少し悩む素振りを見せて口を開く。

「そうね、少しは考えたけれど私の場合この村に来た切っ掛けはドランだし、フレイムランナーから助けてもらった借りもあるわ。人間の寿命は私からすれば短い時間に過ぎないし、一度くらいは使い魔になってみるのもいい経験じゃないかしらね」

「私もディアドラさんと同じような理由です。ただ私がドラン様と一緒に居たいと言うのが一番ですけれど」

 セリナが恥ずかしげもなく堂々と言うのに、デンゼルさんはまじまじとセリナと私の顔を見つめる。
 この一年の間に村の人達にはセリナが私に向ける感情について、とっくに知れ渡っているが、普段ガロアで暮らしているデンゼルさんにとっては目と耳を疑う様なものだろう。

「これはヴェイゼの言う通りドランは本当にモンスターテイマーの資質があるのか? う、む、まあこの際都合が良いか」

 私がどうやってセリナ達と最初仲良くなったかについて、口が裂けても言えない以上はデンゼルさんの勘違いを正す事も出来ないので、私は口を噤んでいた。

「うぉっほん、とにかくだ。セリナくん達がドランの使い魔になって貰えると言うのならありがたい。これでドランの学院入学前に箔が着けられるからな。
 とはいえだ。万が一にもドランが試験に落ちた場合には、すぐに使い魔の契約を解約出来るようにしておくし、二人にはしばしの不自由と思って我慢して欲しい」

 ふむ、魔法学院入学の為に一時的に使い魔契約を結ぶのだから、私が入学できない時や卒業した時には、使い魔契約を解約するのが筋と言うものであろう。
 試験は受かるつもりでいるので、試験に落ちた時の事は考えておらぬが、卒業した後はやはりデンゼルさんの言う通り契約の解約をしないといけないな。
 まあ今の関係とそんなに変わらない様な気もするが。

「なんならドランの試験の結果が出てから使い魔の契約を結ぶか? ドランの合否を待ってから結んでも別段遅すぎると言う事はあるまい」

 確かに使い魔になったが私が試験に失敗して不合格になっては、余計な手間が掛るから私の合否を待って使い魔の契約を結ぶ方が堅実である。
 しかしながら不合格になどなるつもりは私には欠片もなかったし、ヴェイゼさんやデンゼルさんの反応、それにガロアの魔法学院の裏事情を鑑みればよほど無残な成績を試験で残さぬ限りは、私の合格は半ば約束された様なものであろう。

「デンゼルさん、使い魔の契約にはセリナ達の意識を変える効果はあるのかな? 出来ればそういう効果がないようにしたいのだけれど」

「なるほど、確かにこの一年の間、村でなんの諍いも起こさなかった彼女らの事を考えれば、お前がそういうのも分かるがそれは出来ん相談だ。
 決して人に懐かない様な猛獣や魔物が使い魔であれば、村や町に入れるのはまがりなりにも使い魔化することで、主人の命令に絶対服従となるからだ。人の言う事を聞くからこその使い魔なのだ。完全な自由意思を残したままでは意味がない」

 デンゼルさんの言葉に私の顔は即座に渋面を作ったことだろう。セリナ達の意識を多少なりとも歪めてしまう事は、私にとって強い禁忌の念を抱かせるものだ。
 そこまでしてセリナ達を使い魔にしたくはないというのが、私の偽りのない感情の叫びであった。
 ここは一度契約を結んだ後、誰にもわからぬように竜語魔法で使い魔契約の内、セリナ達の意識に働きかける術式を書き換えるか、削除しなければなるまい。
 私の不満の色を見て取ったデンゼルさんは私を宥めすかすべく口を開く。

「ドランよ、どうしてもセリナくん達を使い魔にして意識に左右するのが嫌というのなら、一人で魔法学院に来る覚悟を決めるのだ。
 一人で魔法学院に行くのは嫌、セリナくん達を使い魔にするのも嫌では話にならぬのだよ。ドラン、魔法学院で得られるものの為に、お前もある程度の代償は支払わねばならんのだ」

「分かりました。使い魔の契約に相手の意識に作用する効果がある事は書物で知っていたし、ここに来る前にセリナ達と話もしていたから、ものすごく嫌だけど分かりました」

「分かったと言う割にはまったく分かったと言う顔をしておらんな。言葉づかいはいくらかましになったが、お前はもう少し感情を隠す事を覚えておかねば不味いな。
 まあ使い魔の契約はそうたいして手間のかかるものではない。今、ヴェイゼを呼んだから彼女が来たらすぐにでも始めよう。
 両者の合意が得られている状況でならば、万が一にも失敗はしないしな」

 言葉使いの次は表情か。普段表情の変化に乏しいと言われる私だが、嫌な事と嬉しい事があった時にははっきりと顔に出る癖がある。
 それを治せと言われても一朝一夕では難しいものだ。デンゼルさんの注文にはややげんなりとする所があったが、これも村と村の皆の将来の為と私は不平を飲み込む。
 言葉使いの方ももっと丁寧なものに直さないといけないのだろうし、いやはや魔法学院で過ごす時間は私にとってなんとも肩身の狭いものになりそうである。
 だがそれも良い経験になるだろう。何事も前向きに考える方が人生を楽しむコツだと、最近私は学んだ。

 デンゼルさんが使い魔かあるいは思念通話の魔法で呼んだヴェイゼさんは、ほどなくしてマグル婆さんの調合棟を訪ねて来た。
 先ほど別れたばかりだが、セリナ達との使い魔契約の交渉が二人の想定をはるかに超えて早く済んだせいだ。
 デンゼルさんとヴェイゼさんからすれば今日一日くらいは私達が話し合うと考えていただろう。

 宿に戻っても碌に休む暇もなかったであろうヴェイゼさんは、やや小走りで来たのか髪の毛が幾本か乱れてはいたが、調合棟の扉を開いた時に特に息を乱している様子はなかった。
 ヴェイゼさんは扉を開いてすぐに魔物であるセリナ、ディアドラ、そして偉大な魔法使いの遺産であるリネットの姿に気付き、胡乱な知的好奇心の光を眼鏡の奥の瞳に強く輝かせて視線を彼女らに這わせる。
 それは視線による凌辱の様な印象を与えるもので、初対面のヴェイゼさんから向けられる視線に、セリナとディアドラはかすかに不愉快そうな色を美貌に浮かべていた。

「こらヴェイゼ、三人に対し挨拶もなしにその様にまじまじと見つめるのは、礼を失する行いだぞ」

「あら、いけない。これは失礼をいたしましたわ。私、ヴェイゼと申します。デンゼル師と同じ魔法学院の教師です。
 それにしても本当にデンゼル師や風の噂通りにラミアとドリアードが、人間に混じって暮らしているのね。
 それにそっちの褐色の肌の子は本当にゴーレム? まるで人間そのもの、いいえ人間にしか見えないわ。何て素晴らしい技術なのかしら。後で私とお話ししない? こんな機会は滅多にないから色々なお話を聞かせて欲しいわぁ」

 ヴェイゼンさんはデンゼルさんに窘められた先から、セリナ達にあの向けられた側の胸に不安のさざ波を起こさせる視線を這わせる。
 まったく困った方だ。大方魔法学院に席を置いているのも、自分の知的好奇心を満たす為の絶好の環境だからなのではないだろうか。
 デンゼルさんはそんなヴェイゼさんの様子に埒が明かないと思ったのか、ええい、と短く吐き捨てて、扉の所で立ち止まっていたヴェイゼさんの腕を取るや無理矢理部屋の中央辺りにまで引きずった。

「乱暴はよしてくださいな、デンゼル師」

「話を聞かぬお前が悪いわ。ドランがな、使い魔の契約の了承を取ってきた。これより契約の儀式を行うから、お前には立ち合ってもらいたい」

「まあなんて話の早い。とはいってもそれは大変喜ばしい事ですわ。魔法学院入学前からラミアとドリアードを使い魔にしている生徒なんて、学院史上なかった事です。これは話題を浚いますわよ」

 そういうヴェイゼさんの瞳には今度は知的好奇心から、名誉欲をはじめとした欲望の輝きが宿っていた。
 なんとも自身の欲求に素直な方である。この方のこれまでの人生には理性と欲望の葛藤など覚えた事もなかったのではないだろうか。
 ヴェイゼさんは右手の中指で眼鏡のツルをくいと押し上げて正すと、いそいそとデンゼルさんの後ろに立って使い魔契約の儀式の見物に徹するようだった。
 ディアドラとセリナはこの短い間のやりとりでヴェイゼさんに苦手意識でも頂いてしまった様で、さりげなく警戒の意識を孕んだ視線をヴェイゼさんに向けている。
 これからガロア魔法学院で生活を送るとなると、自然と教師であるヴェイゼさんと関わる機会も増えるだろう。
 そうなった時にセリナとディアドラは要らぬ苦労を背負い込む事になりそうで、少し気の毒だった。

 さてヴェイゼさんとセリナ達の間にちょっとした溝が出来たのとは別に、使い魔の儀式は進めなければならない。
 主と使い魔になる両者の合意がある以上、使い魔の契約を結ぶ儀式それ自体はそれほど難しいものではないはずだ。
 私達が行ったのは第三者の仲介を経て、使い魔と主との間に精神的なつながりと、知識と五感と魔力の共有、主従関係を意識に刷り込む一般的なものである。
 調合棟の床には真っ白い特殊な素材らしきカーペットが敷かれ、カーペットには蒼白く輝く塗料で魔法陣が描かれている。
 普段マグル婆さんの授業を受ける時などには目にしない品であるから、使い魔の儀式用にデンゼルさんが持ちこんだものか。

 私とセリナとディアドラがカーペットに描かれた魔法陣の中心に立つと、デンゼルさんが契約魔法を取り扱う知識を綴った魔道書を片手に、契約を司る神ラ・ヴェルタの御名の下に私とセリナ達の名を述べはじめる。
 私とセリナ、ディアドラを包み込むように、足元に蒼白く光輝く円と契約神の神聖文字で構成される契約陣が床から浮かびあがり、何層にも積み上がりながら私達の周囲で激しく回転して明滅する。
 明らかに部屋の中の空気が変わり、肌をぴりぴりと打つ感覚がしはじめる。ヴェイゼさんの瞳は光を反射して蒼白い光で染まる眼鏡のレンズに隠れて、伺う事は出来なかった。

 果たしてこの使い魔の契約を結ぶ儀式を前に、自身の欲望を隠さない女性はどんな思惑を抱いているものか。
 学院の評価を上げる為に私達を利用する程度なら、むしろ私達に在る程度の便宜も図るだろうから構わないが、あまり妙な事を考えないでくれると助かるがな。
 眼鏡の奥に隠れて伺えないヴェイゼさんの視線であったが、顔の向きや瞳の辺りの筋肉の動きから察するに、どうも私に集中しているらしかった。
 てっきりラミアとドリアードと言う魔物の二人に興味が向いているのかと思ったが、私が竜の転生体である事に気付いているわけでもないだろうから、なにか私に目を惹かれるものがあったのだろう。
 優秀な生徒としての興味で済むのならいいが、このヴェイゼさんに対してはある程度警戒が必要かもしれない。

「契約の神ラ・ヴェルタの名の下に偽りなく違われることなき誓約をここに結ばん。小さき人間ドラン、呪われし蛇セリナ、肉の器に留まりし精霊ディアドラ、これら三つの魂に小さき人間を主とする主従の定めを与えたまえ」

 デンゼルさんの詠唱が進むにつれて契約陣の放つ力の純度が増し、より高次元の力へと昇華されている。
 私達の肉体ではなく魂へと主従の契約を結ぶ為には、通常の魔力では不足でありより高位の、量よりも質に優れた力が必要となる。
 魔法学院でもこうして毎年生徒に使い魔との契約の儀式を施しているのか、デンゼルさんの詠唱や指の組合せで詠唱を代替する印の動きは滑らかなもの。
 契約陣が七層に渡って分裂して私達の魂への干渉が始まっている。
 デンゼルさんの詠唱と対価として支払われる魔力に応じて地上世界よりも高次の世界に存在するラ・ヴェルタが、地上世界にその力を降ろし始めたのだ。

「ふむ」

 セリナ、ディアドラと来て最後に私の魂に干渉しようとしたラ・ヴェルタが、ひどく困惑している気配が感知できた。気付いたのは私だけ、か。
 本来の古神竜の魂を人間の魂を模した殻で覆っていたが、流石に神の力によって魂に施される契約であれば、偽りの魂の殻くらいは気付くか。
 ラ・ヴェルタはマイラスティとは別系統の神であるから、転生した私の存在を知らないはずだ。であれば私の本来の魂に気付けば驚くのも無理はない。
 セリナの件で礼を言いに行って以来、マイラスティの所はもちろん神界そのものに赴いていないから、マイラスティから漏れぬ限りはラ・ヴェルタに限らず私の事を知る神々はおるまい。

 いや、待てよ? 私の事が知られているかいないかとは別に、これはひょっとして私にとって都合が良いかもしれない。
 私は礼儀として人間の魂の殻を脱ぎ捨て、古神竜の魂を剥き出しにしてラ・ヴェルタに語りかけた。
 契約陣を通じての事であるから、実際に顔を突き合わせるわけではないので、思念だけのやり取りになる。
 あまり面識のない相手であるが特に敵対した事もない。果たして融通をきかしてもらえるかどうか。相手の性格と交渉次第と言ったところか。
 あまり難しいものにならぬと良いと思いながら、私は意識を人間相手のものから、竜として存在していた頃のものに切り替える。

“契約を司る神ラ・ヴェルタよ”

 私の呼びかけに返ってきたのは、剥き出しになった私の魂の巨大さに戦慄きさえ覚えるラ・ヴェルタの思念であった。
 マイラスティが言っていたが前世より弱体化したとはいえ、いまも私の魂は神の基準からみてもかなり強力であるそうだ。
 ならば人間と魔物の間に結ばれる使い魔の契約の筈であったのに、そこにあったのが神々にも匹敵しよう強大な魂であったなら、ラ・ヴェルタに驚きの感情を与える位はできるのだろう。

“汝は……七彩と白を纏う竜の魂、まさか”

 私の脳裏に届いたラ・ヴェルタの声は夜の静寂(しじま)に響く風の様に静かであった。
 これが人間や亜人、妖精種など地上に生きる者たちであったなら、あまりに次元の違う
 高位存在の声に触れて魂が慄き震えて気を失う位の反応がある所だろう。
 ラ・ヴェルタは契約と言う行為とその管理を司る女神で、神界と地上世界の間に広がる次元の狭間に、自分自身の領域を作りだしてそこで自身の御名の下に結ばれた契約を管理している筈だ。
 眷族たる下級神を持たず唯一無二の神として存在する女神であり、善神と悪神の間で起きた太古の大戦にも積極的には関わらずにいた中庸の立場にある。

“そのまさかでな。奇縁の果てに人間として生きる次第になっているのだ”

“理解。されど汝らの契約には支障なし。汝、契約を望むか?”

“然り。されどそなたに願いがある。私と彼女らの間に結ばれる契約の内、彼女らの意識に与えられる影響を無効にして欲しい。願わくはそれが他者にも分からぬように隠蔽もな”

“我に求められし契約の内容に齟齬あり。汝の望みは叶え難し”

“ならば私の求めによる新たな契約として望む。契約の対価たる魔力は私が供しよう。我らを対象とする一度目の契約の後、私の求める契約に沿った内容に上書きしてもらいたい”

 デンゼルさんを介して結ぶ使い魔の契約を、さらに私が望む内容に上書きする、という私の要望に対し、ラ・ヴェルタはしばしの間を置いてから答えた。

“契約の上書き……了承。対価たる力は人の身なれば莫大なるも汝ならば支障なし”

“助かる。ついでといっては何だができれば私が転生した事は他言無用に願う。余計な諍いが生まれるのは私の望む所ではないのでな”

“承知。汝の存在は我の関わる所ではないゆえ。もとより我は他者と交わる存在に非ず”

“誠に助かる。感謝を。しかしそなたももう少し他者と交わった方が生を楽しめようぞ。私でよければ暇な時に話し相手位にはなるのでな”

“余計なお世話なり”

 感謝の意と言葉をラ・ヴェルタに告げて、私は意識を戻した。ふむ、話してみると割と融通が利く相手だったな。
 幸いなことであるがこれでデンゼルさんが結んだ使い魔の契約を、私の求めた契約が上書きしてセリナ達の意識に影響が出る様な事はないのだ。

「ふむ?」

 私がラ・ヴェルタの交渉が実に順調に終わった事に気を良くしていると、デンゼルさんが訝しげな表情を作っている事に気付いた。
 ふむ、どうやら契約が既に締結されるはずなのに、妙に遅い事を不思議がっているのだろう。
 私とラ・ヴェルタが思念によって交渉を行っていたのは決して長い時間ではないが、順調に行く筈の契約締結に遅れが生じるのは仕方がないか。

 幸いデンゼルさんが訝しむ顔を作った直後に、デンゼルさんを介しての一度目の契約は結ばれて、私達の周囲を囲む魔法陣は発光を止めて私とセリナとディアドラの魂に使い魔とその主の運命を刻みこむ。
 そして使い魔の儀式を結ぶ事に慣れているデンゼルさんも気付かぬ速さで、ラ・ヴェルタの名の下に結ばれる契約が私の求めるものへと上書きされる。
 と同時にラ・ヴェルタに私の魂から魔力が吸い上げられる感覚がする。一度目の契約はともかくそれを上書きするとなると、必要とされる魔力量が段違いに上がるようだ。
 かの女神が言っていた様に、人間では少々賄うのが難しい量の魔力が持って行かれており、デンゼルさんが消費した魔力量とは比較にならない。
 
 とはいえ私からすればわずかな対価と引き換えに思わぬ所で幸運を拾った形になる。これで私とセリナとディアドラの間に結ばれた使い魔の関係は、私が望むとおりのものになったわけだ。
 私はその喜ばしい事実につい口元を綻ばせてしまう。
 その一方で契約陣が役割を果たして消滅し、蒼白い光も消えた事を確認したデンゼルさんが、私とセリナとディアドラにそれぞれの心臓の辺りを確認するように言って来た。

「三人共自分の胸の辺りを確認したまえ。使い魔の契約が結ばれた証拠がそこにあるはずだ」

 言われたとおりに私とセリナとディアドラが、服の隙間から自分達それぞれの心臓がある所を見れば、そこには硬貨一枚ほどの小さなラ・ヴェルタを象徴する蒼白い紋章が、いつの間にか浮かびあがっていたのである。

「君らの胸に刻まれた紋章が、魔法学院で認められている契約魔法の内、ラ・ヴェルタ神の名の下に結ばれる契約の証だ。
 ドランが学院の生徒になれば学院公認の使い魔である事を保証するメダルが渡されるが、それは試験に合格してからの話だからまだ先の事だな。ヴェイゼ、君も確かに確認したな?」

 背後のヴェイゼさんを振り返ったデンゼルさんに、ヴェイゼさんはまた眼鏡をくい、と押しあげる。癖なのだろうか、いやに手慣れた仕草である。
 ふむ、ヴェイゼさんの様な美女がすると絵になる仕草だ。ディアドラやリシャも眼鏡はきっと似合うだろう。
 いつか眼鏡を手に入れる機会があったら、掛けてもらおうと私は心の中で誓った。眼鏡以外にも服装に凝ってみるのもいいかもしれない。
 普段とは違う服装をした彼女らとは実に楽しい時間を過ごせることだろう。
 そんな風に私が胸の内に新たな欲望を覚えていると、ヴェイゼさんが軽く指を振って私達の体に、ごく微弱な魔力が走るのを感じた。
 対象を検査する類の魔法か。諸感覚で大抵の事は把握できる私にとって必要性はないが、応用が利きそうだしおおっぴらに使える代物でもあるから魔法学院で習うとしよう。

「ええ、使い魔の契約は問題なく結べていますね。教員二名以上の立ち合いの下、確かに使い魔の契約は結ばれましたから、これで学院に対するドラン達の売りになりますわ」

 ふむ、これで問題ないらしい。一応、私はデンゼルさんに儀式の終わりを確認する。

「これで使い魔の契約を結ぶ儀式は終わりですか?」

「ああ。妙に時間が掛ったように思えたが、特に問題はない様だな。これで後は試験を受けるだけだ。
 七日後に迎えの馬車を寄越すから、その時はセリナ君達を連れてガロアに来てもらう事になるだろう。通常の試験とは違う日程だからお前一人が試験を受ける事になる」

「そうですか。クリスティーナさんを訪ねる時間はあるでしょうか?」

 デンゼルさんは少し難しい顔を作った。馬車を使うにしても試験を受けた上でガロアとベルン村を行き来するとなると、早朝に出発してもベルン村に帰って来られるのは夜近くになってからになるだろう。
 その上人を訪ねる様な余計な時間を使うとなると、ガロアに一泊する可能性も出てくる。私一人ならともかくセリナ達の宿を用意するとなると、話はそう簡単には行かないのかもしれない。

「試験の他にも人を訪ねるとなると厳しいな。すまんが別の日に時間を取っておきなさい。あくまで試験に集中するのだ」

「分かりました。入学してからなら会う機会もあるだろうから、訪ねるのはその時にします」

「筆記と実技の試験に関してはこれまでの成績から考えれば、お前に心配する所はないが取り敢えず言葉使いをもっと矯正する事の方が大事だな。七日の間の付け焼刃だが、家族や村の皆と話し合ってなんとかするように」

 そこは話し合ってとかではなく、魔法学院の教師らしい魔法を用いる様な解決策を提示して欲しかったな、と私は口にはしなかったが心の中で残念な感想を一つ。

「最善を尽くします」

「その意気だ」

「うふふ、契約の儀式も無事に終わった事だしそろそろセリナとディアドラ、だったかしら? 色々とお話を聞かせてもらいたいわあ」

 ヴェイゼさんは鼓膜にねっとりと張り付いて離れなくなる様な、粘着質を帯びた声を挙げてぬらりとした光を宿す瞳で、セリナとディアドラを見つめる。
 それこそ半人半蛇のセリナのお株を奪う様な、獲物を前にした餓えた爬虫類を思わせる瞳である。捕食者の瞳だ。
 これはいかんと私の中の野生の本能が警鐘を鳴らし、私の意識がそれを認識するよりも早くとっさに三人娘を背後に庇う。
 魔法学院に行ったら三人がヴェイゼさんを相手に苦労する事になると思ったのは、撤回しなければならないようだ。
 三人だけではない。間違いなく私も苦労するぞ、これは。魔法学院に行ったら三人には一人きりで行動しないように言明しなければなるまい。ヴェイゼさんに何をされるか分かったものではない。

「デンゼルさん、儀式が終わったのならもう帰ってもいいかな?」

「ああ、帰りなさい。ヴェイゼ、君のその悪癖はいい加減矯正したまえ」

「何をおっしゃられます、デンゼル師。ラミアとドリアードに伝わる独自の魔法や知識を学ぶ絶好の機会ですのよ? 魔道探求の徒としてはこの胸の内に湧きおこる知的好奇心を満たす事こそ正しい在り方というもの」

「お前はその探求の仕方で他人に不愉快な思いをさせる傾向が強すぎると言うのだ。全くお前は生徒だった頃から周りの人間を巻き込んで騒動ばかり起こして、ちっとも治そうとせん」

 どうやらヴェイゼさんはデンゼルさんの教え子だった方らしい。二人が私達の目を忘れてがみがみと言い合いを始めるのに合わせ、私は身ぶり手ぶりで調合棟の扉を示して、三人にこの場からの脱出を促す。
 ヴェイゼンの視線に怖気でも覚えたのか、眉間に皺を寄せて重心を落とし戦闘態勢を整えていたセリナとディアドラ、いつとも変わらぬ様子のリネットはこくりと首を縦に振って足音を殺して、順に調合棟を退出して行く。
 やがて私たち全員が調合棟を脱出し終え、セリナとディアドラが安堵のため息を吐いてマグル婆さんの家を離れようとし、生け垣をくぐって家に帰って来たアイリと出くわした。
 予想だに――いやもともとアイリの家なのだからアイリの姿があってもおかしくはないというか当然ではあるのだが――しなかった遭遇に、私の身体に緊張が走る。

「あれ、ドランじゃない。家になにか用があったの?」

 まだ私のガロア行きを知らぬアイリは不思議そうに小首を傾げて、私に問いかける。むう、私は一時的に記憶の棚の中に仕舞いこんだアイリ説得と言う難事を、否が応にも思い出した。

「ねえ、ドランってば、なにか言いなさいよ。どうかしたの?」

「ふむ。…………実はな」

 仕方ない。私は腹を括って私のガロア魔法学院への入学の件についてアイリに話して聞かせた。



「ええ~~ドラン、ガロアに行っちゃうのお!?」

 素っ頓狂な声を挙げて大仰に驚くミルに、私はうん、と頷き返しながら答えた。

「まだ決まったわけではないけれど、入学試験は合格するつもりだから、そうなるかな」

 マグル婆さんの家から場所は変わって、ベルン村を斜めに横断する川縁に腰掛けて、私とセリナ、ディアドラ、リネットの他、ミル、リシャ、アルバートやマルコなど村の友人達と顔を突き合わせている。
 使い魔の儀式を終えた後、二、三日ごとに行っている私のおとぎ話のついでに、私のガロア行きについて皆に伝えた所である。

「その話をアイリにしたからそのほっぺたになったのね。あの子ったら急に機嫌が悪くなったからどうしたのかしらと思ったら、まったくもう」

 困った調子で言うのはリシャである。そしてリシャのいうほっぺたとは、私のアイリの手の跡がくっきりと残り、赤く腫れている私の左頬だ。
 家に帰って来たアイリと偶然にも遭遇し、腹を括った私がガロア行きを告げた時、アイリから帰って来たのは、それは見事な平手打ちであった。
 腰の回転と手首の捻りとしなりを利かせたアイリの平手打ちは、軽く私の目から星が飛び出る様な強烈な一撃で、私の脳を揺さぶって数瞬の間、平衡感覚を失わせるほどだった。
 その間にアイリは私に向かって、ドランの大馬鹿ー!! と叫ぶや自分の部屋へと閉じ籠ってしまっている。

 なんどかノックしても反応はなく、仕方なく私はそのまま扉越しに話をしたのだが反応はなかった。
 とりあえずアイリが少し落ち着いてから再度説得に取り組む事に決めた私は、その間に他の人達に私がしばらくベルン村を留守にする事を伝える事にしたのだ。
 私の長期間の不在という事実を聞かされて、ミルは慌てた様子で私に掴みかかるような勢いでにじり寄ってくる。
 ほんのりと紅潮した幼い顔立ちは、こんな時でなければ舐めまわしたい位に可愛らしいが場所が悪い。

「ね、ねえドラン、どれくらいガロアに行っちゃうの? その間はずっと村に帰ってこないの?」

 ミルに続いてマルコも私ににじり寄ってきた。一年経ってもこの女の子っぽい弟はたいして背丈も伸びず、まだまだ声も女とも男とも着かぬ中性的なモノだ。
 このまま成長したら男も女も惑わす美男になりそうで、マルコの将来が兄としては少々心配でもある。

「そうだよ、ドラン兄ちゃん。ミル姉ちゃんの言う通り、どれ位村を離れるのさ? たまには村に帰って来るんでしょう!?」

「おそらく早ければ一年かそこらで学院を卒業できると思うよ。出来る限り時間を見つけて村には戻ってくるつもりだからね。春と秋の収穫期には必ず顔を出す予定だし、長期の休みが貰えた時には家に帰ってくるよ」

 魔法学院に合格することを前提とした話になるが、私の今後の予定を耳にしたミルとマルコは、二人が思っていたほど長期間私と離れ離れになるわけではないと分かり、安堵したように肩から力を抜く。

「まあ村を離れるとは言えガロアだしね。会いに行こうと思えばそう遠い距離じゃないよ。出来るだけ手紙も出せるように頑張るから。読めなくてもレティシャさんかシェンナさんに読んでもらえばいいし」

「そっかぁ、それならそんなに寂しくないかなあ。でもドラン、なんだかいつもと喋り方が違うねえ。どうかしたの?」

 しゅん、と垂れていたミルの耳と尻尾は、いくらか気分を持ち直したようで垂れた状態から脱していた。

「デンゼルさんにもっと喋り方を治す様に言われたの。だからこうしてマルコを真似して喋っているのだ……あ~、いるのだ、ではなく喋っているの、か。この場合」

「ドラン兄ちゃん、さっきからなんか変だなと思ってたら、ぼくの真似してたの?」

「うん、そうなんだ。マルコの喋り方なら普段の私みたいに変には思われないかなって思ったんだ」

 こう、喋っている間に舌の付け根と咽喉がむず痒くなる様な感じがする。見ればディアドラとセリナは、必死に笑いそうになるのを堪えようと、両手で口を抑えている。
 ああ、分かっている。分かっているとも。普段の私の大人びた口調といまのいかにも子供ぶった口調が、あまりに違いすぎて似合っていないことくらいは。
 どうやらリシャも同意見の様だが、こちらはまだ控えめな様子でころころと笑う位である。

「とりあえずこれ位喋れれば子供らしくないなんて言われないかな? 考え方まではさすがに変えられそうにないんだけど」

「まあ平気なんじゃねえの。でもあんまり子供過ぎても駄目じゃないのか? お前、すげえって言われてガロアに行くんだから、周りの年上の奴らになめられるようでも駄目だろ」

 と言ったのはアルバート。バンダナを赤色の新しいのに新調し、去年の今頃より六シム位は背丈が伸びている。
 ふむ、確かにアルバートの言う通り、あまり子供らし過ぎてもいけないのか。ヴェイゼさんやデンゼルさんにも優秀と評価を頂いている事だし、それなりに小生意気な口の利き方くらいはしても大丈夫なのかもしれない。

「アルバートの言う通りかも。取り敢えず周りの反応を見ながらなんとか調整してみるよ」

「ま、頑張れよ。辺境の田舎にもすげえ奴はいるんだってことをガロアの連中に教えてやれ。そんでよ、お前、ガロアに行ったら貴族とか商人の知り合いとか作って、おれに紹介してくれ」

「そう言えばアルバートの夢は、村に店を構える事だったな」

「おうよ。いくら田舎だってよ、宿屋一軒しかないんじゃ寂しすぎらあ。だからおれが村で最初の店を作るのさ。まあ雑貨屋が良い所だろうけどよ。
 いまのままだとラギィおばちゃんに仕入れを頼んで村で売る位しかできねえが、お前がガロアに知り合い作ってくれりゃ他に出来る事も増えんだろ」

「元からそうするつもりだったからいいよ。武器とかは無理でも、せめて他所の土地の食べ物とか服の生地くらいは欲しいもんね」

 出来ればベルン村も他の辺境の村の麦芽酒や蜂蜜の様な特産品があれば、それを求めて人が集まり、アルバートの商売も上手く行くのだろうが、そこら辺の知恵も学院で着けるとしよう。

「そういうこった。しっかしなあ、お前の喋り方は変じゃないんだけどお前が喋ると変だわ」

「言われんでも分かっている」

 誰も彼も変だ変だと、人の気も知らずに言ってくれるものだ。つい私はマルコの口真似をするのを忘れて、素の口調で呟いてしまう。
 やはりもっと小さな頃から周りに合わせた喋り方をするように心がければよかったかと、今更ながらに思う今日この頃である。
 私が少しばかり臍を曲げたのを敏感に感じ取って、リシャがアルバートや他のみんなを窘めてくれた。

「まあまあ、ドランも一生懸命言葉使いを治そうと頑張っているのだから、あまり悪く言ってはだめよ。
 でもね、ドラン。貴方が一時的にでも村から居なくなって寂しいと思う人はたくさんいるの。
 その事を忘れてはだめよ。私はもちろんここに居る皆が寂しいと思うわ。だから村に帰れる時間があったら、必ず帰ってきてね。
 お金が掛るからあまり頻繁には出せないでしょうけど、手紙でなるべく近況を伝えるのも疎かにしてはだめ」

 私の肩を掴み、リシャの前髪が私の鼻に掛る位の距離まで顔を近づけて、リシャは力の籠った声で私に告げる。
 その瞳はかすかに潤んでいて、言葉とは別にリシャもまた寂しさを覚えている事を、何よりも雄弁に語っていた。
 私に頷く以外の答えがある筈もない。私はつとめてリシャを安心させるように笑んで頷き返した。

「うん。ちゃんと元気にやっているってことを伝えるよ」

「そう、ならいいのよ」

 リシャは私の返事と笑顔に満足し、にこりと大輪の花がそこに咲いた様な笑顔を浮かべてこう言った。

「ならアイリと早く仲直りしなさい。私の大切な妹を泣かせたままなのは駄目よ?」

「はい」

 にっこりと笑むリシャに対し、私は即答と言う他ない速度で返事をした。少し、というよりも大いに情けなかったのは言うまでもない。

「良い返事ね。なら、次にしなければいけない事も分かるでしょう。そろそろアイリも落ち着いただろうから、ね?」

 なんだろうか、私はこのままリシャに頭が上がらないまま生涯を終える予感を、今日この日この上なく強く感じた。
 川縁に集まった面々への説明を終えた私は、リシャに言われるがままにアイリの元へ向かうべく、再びマグル婆さんの家を訪ねた。
 セリナ達とは別れて、それぞれが普段日常でこなしている仕事に戻っている。ただセリナだけは脱皮の疲れを考慮して今日一日は休む。
 さて流石に家人の許しもなく家に入るわけにも行かないので、アイリの部屋の前まではリシャが付き添ってくれたのだが、そこから先は私が一人でアイリを説得しなければならない。

「じゃあ頑張って、ドラン。きちんと話をすればアイリも分かってくれるわよ。貴方が村からずっといなくなるわけではないんだしね。ほら、勇気だして」

「ん」

 リシャは去り際に私の頬に唇を落とし、そのままその場を後にした。私が一人で何とかすべき時であるのなら、一人で何とかしなさいと言う事か。
 ふむ、難事を後回しにするのも止めて現実と向き合わねばなるまいて。私は意を決しアイリの部屋の戸を叩いた。

「アイリ、私だ。入るぞ」

 一年前にもセリナ達との関係の事で似たような揉め事があったが、あの時と同様にアイリからの返事はない。あの時はリシャも手伝ってくれたが、今回は私一人でなんとかせねばならない。
 アイリの許可なく扉を開いて部屋に足を踏み入れれば、ベッドに腰掛けて私から顔を背けるアイリの姿があり、強い既視感に私は口元に苦笑を浮かべていた。
 私がアイリの隣に座ってもアイリは特に何も言う事はなく、近づいて見るとアイリが頬を膨らませているのが見えた。分かりやすい不満の表現方法である。
 私は穏やかにアイリに語りかけた。口調はいつものものに戻している。

「さっき皆に私が魔法学院に行く事を伝えた。もっとも魔法学院に通うのは試験に合格したらだがな」

「……」

「合格か不合格か決まる前に気の早い事だが、そうやって自分を追い込んだ方が死に物狂いになるだろう? 
 七日後に迎えの馬車をデンゼルさんが手配してくれるそうだから、それに乗って試験を受けに行く。魔法学院へは春先に行くそうだから、合格したらすぐに村を出る事になる。
 魔法学院に行っても、出来るだけ時間を見つけて手紙を出すし、まとまった休みが取れたら、ちゃんと村にも戻ってくる」

「……」

「アイリと会えなくなるのは寂しいけれど、それでも私は魔法学院に行く。そうすることで得られるものが、必ずアイリや村の皆の為になると思うからな。大好きなアイリの為になる事だから、会えない寂しさも我慢できる」

 ここまで言った所でそれまで私からそらされていたアイリの顔が私を向きなおり、真っ赤に泣きはらした瞳が、じっと私の瞳をまっすぐに射抜いた。いかんな、アイリのこの瞳に私は弱いのだ。

「そういうの、ずるい。それにあたしは駄目でもセリナさん達は連れてくんでしょ。それもずるいわよ、馬鹿。あんたが我慢できてもあたしは我慢できないの」

 アイリとは別れるのにセリナ達はガロアへ連れてゆく。これは確かにアイリやリシャ達からすれば不公平極まりないように感じられる事だろう。

「そうだな。不公平だな。すまない」

 だってアイリは村を離れられないだろう、アイリは一緒に魔法学院に入学できないだろう、などと言い訳はしないでおく。ただ素直に頭を下げた。
 言葉を弄するよりは行動で示すのが私の性分であるし、その方が私の気持ちも伝わりやすいと思ったからだ。

「あたし、ようやくドランに好きって言えてこの一年ずっと楽しかったし、嬉しかった。なのに、あんたはあたしを置いて村を出てくのね。あんたって本当に自分勝手。村の皆の為って言うけど本当は自分の為じゃないの? そうじゃないって言える?」

「いや、アイリの言うとおり私の為だよ。皆がいまよりももっと笑って楽に暮らせるようになれば、それは私にとっての幸福につながるからな。
 たしか偽善とかいう奴だったか。だからアイリの為になることと言っているが、同時に私の為でもある」

「なんでそんな風にあっさり認めちゃうのよ! なによ、あたしを置いて勝手に魔法学院に行く事決めてさ。お姉ちゃんやミルさんは納得したかもしれないけど、あたしは嫌よ。なによ、ドランの馬鹿、あたしの気持ちなんて考えてない癖に」

 アイリがこの様な反応をすると分かってはいたが、実際に目の前で怒りと悲しみの感情に心を揺らす姿を見ると、本当に鋭い刃で胸を切り裂かれたような痛みを覚える。
 ああ、どうして私はアイリを悲しませる事ばかりをしてしまうのだろう。

「すまん、アイリ。それでも私はガロアに行くのだ。出来るだけ早く帰ってくる。アイリに寂しい思いをさせる時間を短くできるよう全力を尽くす。それとアイリの事は変わらず愛し続ける。これだけは約束する」

 私の真摯な眼差しと言葉を受けて、アイリは頬を熟したリンゴの色に変えて、う~、う~と咽喉の奥で唸っていたが、私の両頬に左右の平手を叩き込んできた。
 ばちん! と痛々しい音が部屋の中に響いて私の両頬に強烈な痛みが電流の様に走る。
 解せぬ、なぜにこの流れで私の頬に平手が……あー、いや、私の頬を張りたくなるのも無理はないか。
 私がその様に一人で勝手に納得していると、アイリは私の頬を両手で挟みこんだままごつんと私の額に頭突きを叩き込んで、鼻がくっつく近さで話し始めた。

「いい、ドラン。あんたが魔法学院に行くっていう決意を曲げないって言うのは十一年の付き合いであたしも嫌になるくらい理解している。
 だから、さっきあんたが言った事を全部守って、それですっごくすっごくすっごく勉強を頑張って魔法学院を三年で卒業するって言うのなら我慢してあげる。特別によ、今回だけ我慢してあげるから。
 いい、この条件を何が何でも守るのよ! そうでなきゃあんたの事、絶対に許さないしあんたよりもっといい相手を見つけちゃうんだからね。逃した魚が大きかったって、嘆きなさい」

 そう言ってアイリは私の頬を挟みこんだままの細腕にぎりぎりと力を込めて行く。
 ふむぅ、これは中々、というよりも素の感覚のままではかなりの痛みを感じているぞ。
 しかしアイリはどうやら魔法学院の高等部を卒業するのに三年かかると勘違いしているらしい。
 ならばこの勘違いを正さずにおいて一年で卒業し、村に帰ってきてアイリを驚かせるのも一興と私は考えた。
 アイリはきっと大げさに驚いてくれることだろう。その日の事を考えて、つい笑いそうになってしまう口元を引き締めた。
 アイリの手に両頬を抑えつけられたままでは格好が着かないので、私はアイリの手首を握って離させてから、アイリの瞳を見つめ返して真摯な想いで答える。

「それは大変だな。アイリに愛想を尽かされては私が生きる張り合いが無くなってしまう。約束は必ず守る。アイリに嫌われてしまわないように全力を尽くすよ」

 そう言ってから私はアイリの唇を奪った。

<続>

 アイリの説得に関しては正直芸がないと自分でも反省。
 本当は外伝としてドランの子供たちの話か、ドランが17,18歳くらいで話を始めたif版アラクネヒロインを書くつもりだったのですが、長くなったため本編だけになりました。


NEW! ドランは眼鏡属性に目覚めた。
NEW! ドランはコスチュームプレイに目覚めた。
NEW! ドランはリシャの尻に敷かれつつある。
NEW! デンゼルはアイリとリシャにさらに嫌われて恨まれた。

・ドランの口癖一覧
『ふむ』  ……納得、感心、状況を把握した時など
『ふむっ』 ……より強く納得した時、自分の思い通りに事が進んだ時など
『ふむ!』 ……何か上手く行った時や上機嫌の時など
『ふむん』 ……心からの感嘆、称賛、納得した時など
『ふむす』 ……自分を鼓舞、気合いを注入する時など
『ふむ?』 ……小さな疑問、言葉が良く聞こえなかった時など
『ふむ!?』……予想もしなかった事態に遭遇、強い驚きを覚えた時など
『ふむぅ』 ……疑惑、不審、困難な状況を前に判断に迷った時など
『ふむむ』 ……より困難な事態に直面した時、即決できない時など

12/11 20:03投稿
12/12  8:48 12:41 修正 JLさま、ありがとうございました



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生22
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/12/19 12:50
さようなら竜生 こんにちは人生22


「ドラン、忘れ物はない? いい、貴方は滅多に落ち着きをなくすような子ではないけれど、なにか緊張する事があったらゆっくり息を吸って吐く事を繰り返しなさい。そうすればとりあえずは落ち着くから」

 そう言って母は珍しく心配そうな顔で、村の南門に向かうべく家の戸口に立つ私の肩に手を置いて繰り返し念を押した。
 デンゼルさんと約束したガロアから迎えの馬車が来る日の朝の事である。
 昨夜の内に持って行く荷物は整えてあり、私は母手製の朝食と着替えを済ませて、家を出る所だ。
 ディラン兄とマルコは既に畑仕事に出ており、家を出る私を見送るのは父母の二人である。
今日一日はガロアへの往復と試験で終わるだろうから、日課となっている私のオイユの実畑の世話はディラン兄とマルコに任せている。

 私はディアドラに繕ってもらったドリアードの加護を受けた、くすんだ白色のシャツと深緑色のベスト、それに茶色のズボンという格好だ。
それにデンゼルさんから貰い受けた羽ペンと墨壺、紙束、教科書の他に水筒、野菜や肉を挟んだパンの弁当を入れた鞄を肩から掛けている。
 向かう先がガロアである事から、普段は身に着けている護身用の武器はブロンズナイフ一本きりである。
 いまでは見習いの段階を終えたと言う事で、マグル婆さんから魔法の杖を貰っているが、試験では魔法学院の用意した杖を使うそうなのでこれも持って行く事はしない。

「うん。言われたとおりにするよ」

 七日間の付け焼刃の成果はそれなりにあり、私は外見通りの子供らしい口調を、マルコを真似ることで特につっかえるような事もなく喋れるようにはなっていた。
 ただ不意を突かれた場合や、なにかの拍子に素の口調が出ないとも限らず、面接を受ける時の不安は残念ながら残っている。
 とはいえ不安があるからと言って心配ばかりしても仕方ないと、私はすっかり落ち着いているのだが、自分の子供が学校の試験を受けるなど人生初体験の母の方が、はるかに落ち着きのない様子である。
 私も子供が出来たら今の母の様になにかにつけて心配するようになるのだろうか? もっとも父は母とはまるで正反対の様子で、これがちっとも動揺している様子はない。

 願わくは父の様な態度でいずれ生まれ来る我が子らと接したいものである。私としては百人くらい欲しいものだが、果たして死ぬまでに何人作れるだろうか。
 子供を産めないと言うリネットを除いけばアイリ、リシャ、ミル、セリナ、ディアドラの五人に一人当たり二十人の計算だが、流石に多すぎるかなぁ。
 いやリネットも妊娠出産できる様になんとか工夫をすれば、一人あたりの負担は減る筈だから……と私の思考が見当はずれな方向にずれはじめた一方で、母は父に話しかけていた。

「本当に大丈夫かしら。ねえ、あなた、やっぱりドランに魔法学院で勉強なんて無理があるんじゃ」

 丸太の様に太い腕を組んだ姿勢で、父は哀願するような母に対していっそ素っ気ないとも取れる態度で答える。

「今更言っても仕方あるまい。それにドランの肝の太さは産んだお前の方がおれよりもよく知っているだろう。これまでドランの事をどれだけ心配して、その数だけ心配が無駄だったかを思い出してみろ」

 ふむ、流石我が父、良く私の事を理解してくれている。これまでの人生を思い返してみるに、確かに私は何があってもけろっとした顔でまったく堪えた様子を見せた事がなかった。
 時折アイリにはその私の態度が癇に障ると怒られることもあったが、性分ばかりは口調や表情以上に治す事が難しい。
私の性格はこれは何度生まれ変わっても、私の自我と記憶が残っている限りそうそう変わりはすまい。

 もっとも私に掛けられた転生魔法の影響で、転生を繰り返すごとに私の力と意識は弱まって行くようであるから、いずれ私は自身が何者であったかということも分からなくなるだろう。
 その運命については元々生を捨てて冥界の奥深くで永劫の眠りに着く事を受け入れたのだから、特に思う所はないしまだ私の新しい転生人生も始まったばかりだから、あまり気にしてはいない。
 我が子が人ならぬ者の生まれ変わりであるなどと知らぬ両親は、まだ二言三言ばかし私の進学について話し合っていた。
 父の言う事は当然母も理解しているのだろうが、それでもやはり頭が理解しても心がいまひとつ納得しきれないようで、母は眉根を寄せてずっと落ち着きのないままだ。

「母さん、そんなに私の事が信じられないの?」

 アイリやリシャ、セリナ、ミル、さらにはなぜかシェンナさんとレティシャさんの協力の下、年相応の素振りを練習した成果を発揮するべく、私はなるべく目を大きめに見開いて小首を傾げながら母に問いかけた。
 練習を監修していた女性陣からは評判が良かったが、はたして母にはどう見えるか気になる所である。
私からすると相手に対して過剰に媚びている様に感じられるこの態度、実は両親に見せるのはこの瞬間が初めてなのだ。
 父はと言えば毛虫みたいな眉毛を跳ねあげながら目を丸くして私を睨むように見て、母は目をぱちくりさせていた。
 私が目の前の父母の下に産まれ落ちてより十一年と数カ月。私がこのようないっそ子供らし過ぎる態度を取るのは、両親にしてみても初めての事である。驚くのもむべなるかな。

 正直この態度はどうにも気が引けるというか背筋がうすら寒くなるものがあるのだが、本来の私の態度が初対面の相手に対して悪印象を受けやすいという以上は、これから魔法学院で集団生活を送る事を考えると矯正せざるを得ない。
 そのように自分に言い聞かせてなんとか体得したのだが、本来の私の態度を知る昔馴染みからすると気色悪さの方が目立つ、という意見が多い。
 それでもシェンナさんやレティシャさんはやや興奮した面持ちで褒めてくれたから、少しは自信を持てたのだが……。
 父母からの評価はいま一つか、練習の成果はなかったようだ、と私が少々肩にがっくりと来ていると、動きを止めていた母が三十路を間近に控えてもなお艶々としている頬に両手をあてると大きな声を出した。

「まあまあ! ドランったら、女の子みたいに可愛い仕草をしちゃって。あなたは小さい頃から大人みたいに落ち着いていたから、そんな子供らしい所を見せてくれなかったっていうのに。
 そうね、あなたは小さい頃からどっちが親だか分からなくなる様な手のかからない子だったし、私が心配するだけ無駄なのかもしれないわね。
何事も試してみるべきでしょうし、合格できなくったって今まで通りに暮らせばいいだけですもの。ドラン、失敗した時の事なんて気にしないで頑張って来るのよ」

 ふむ、母よ、励まそうとしてくれるのは良いのだが、これから試験を受けようという息子に合格が出来ないだの、失敗した時の事だの縁起の悪い事をそう連続して口にするのは、いかがなものだろうか。
 なんだかなあ、と私は緊張感を抱くどころか父母と話を進めるにつれて、かえって肩の力が抜けて試験の本番で十二分に勉強の成果を発揮できるような気がしてきた。
 この場合、母が意図した結果ではないだろうが、ま、良い父母に恵まれたと前向きに考える事にしよう。
 やれやれと溜息を一つ吐いて、私は見送る父母に手を振って別れを告げて、デンゼルさんの待つ南門へと向かった。


 デンゼルさんが用立ててくれたのは六頭立ての大きな箱馬車で、人間に生まれ変わってからは初めて見る大きさの馬車に、ふむ、と私は感心の口癖を一つ。
 私とデンゼルさん以外にもセリナ、ディアドラ、リネットを伴って魔法学院へ向かう予定であったから、それなりの大きさの馬車が必要だったのであろう。
 光沢のある茶色の車体には魔法と知性を司る神オルディンを象徴する世界樹の枝で作られた杖を中心に、太陽と月を擬人化した魔法学院の紋章が刻印されており、車体保護や重量軽減など各種の魔法が施されているのが感知できた。
 初老の男性が御者を務めているが、この御者からもそれなりの魔力が感じられ、セリナ達を目の前にしても特に動揺した様子が見られなかった事からも、単純に魔法学院に雇われた事務員というわけでもないようだ。

 下半身が大蛇であるセリナが入り込むと窮屈ではないかと少々心配であったが、幸いにして全員が馬車に乗り込んでも手狭な感じはなかった。
 驚くほど柔らかなクッションの利いた椅子に、私とデンゼルさんが向かい合う形で座り、デンゼルさんの横にはヴェイゼさん。
 私の右隣にはリネット、左隣にはディアドラ、そして一人で複数人分の空間を取るセリナは私とリネットの後ろの列に一人で寂しく座っている――というよりは下半身を投げ出している。
 自分だけ一人で座っているのが気になるのか構って欲しいのか、セリナは椅子の背もたれに手を掛けて私とリネットの間からひょっこりと顔を覗かせている。
 時々寂しそうに私の方を見ていて、その仕草はもともとセリナの顔立ちがあどけなさを残している事もあって、実年齢よりも幼く見えてとても可愛らしい。

  御者の小さな掛け声と手綱を捌く音にわずかに遅れて、ゆっくりと馬車が動き始めた。
 馬車には複数の魔法が掛けられていたが、馬自体は普通の馬であるから特別早くガロアに着く様な事はないだろう。
 私は肩にかけていた鞄を膝の上に置き直し、もぞもぞと尻を動かして座り心地を調整する。馬車から特に揺れが伝わる様な事はなかった。
 他人伝いに聞いた話では馬車はかなり揺れがひどく、クッションが上等なものでもなければすぐに尻と腰が痛くなるというが、揺れはまるで私たちに伝わる様子はない。
 馬車の振動が乗客に伝わらない様にする魔法か特別な仕掛けが施されているに違いあるまい。
 ふむん、と私が左右のリネットとディアドラのぬくもりと椅子の座り心地の良さに、いつもの口癖を零すと向かいのデンゼルさんが口を開いた。

「ドラン、ガロアに着くまでの間勉強するつもりはないのか?」

 さていつも通りの口調で答えるべきか子供らしい口調で答えるべきか。これからすぐ試験を受けることも考えれば、素の私を知るデンゼルさんが相手でも子供らしい口調で応じるべきだろう。

「ううん、必要な事は全部覚えているから平気。きちんと落ち着いて試験を受ければ大丈夫だよ」

「ほう、そこまで自信満々に言える人間はそうはおらんが、いざ試験となった時にもっと勉強すればよかったと慌てても間に合わんぞ?」

「筆記試験が勉強した範囲の中に収まるなら、大丈夫だと思う。実技試験も、うん、大丈夫。でも面接試験だけはどう勉強すればいいのかよく分からなかったから、不安は残っているかな」

 一時期村を離れて都会で学んだと言うシェンナさんや、マイラスティ教団に入信した時の事などを引き合いに出したレティシャさん達が面接の練習相手をしてくれたが、それがどこまで魔法学院の入学試験に役に立つのかは未知数だ。
 一歩先を行かれた他の魔法学院に対する対抗馬として、私を担ぎあげようというガロア魔法学院の意図が確かなら、多少面接でしくじっても落とされる事はあるまいが、さてどうなることやら。

「それより、デンゼルさんとヴェイゼさんにはずいぶんよくしてもらったけれど、学院の教師の二人が私に肩入れしているように見られるんじゃないかな。問題はないの?」

 以前から気になっていた事を子供らしく率直に問いただすと、眼鏡を中指で押し上げる癖を一つしてから、ヴェイゼさんが薄い笑みを浮かべながら私の疑問に答えてくれた。
 なお私の左右と背後のリネット、ディアドラ、セリナは時折怪しい視線を向けてくるヴェイゼさんに対して、警戒の意識を抱いているのが手に取るように感じられた。
 私の目の届かない所でヴェイゼさんがセリナ達に接触を図る様な事がない様に、目を光らせる必要があるぞ、これは。

「それは大丈夫よ。魔法の中には虚実を判断するものがあって、それを使って私達が過剰にあなたに肩入れをしていないか学院側で判断しているし、特定の行動を禁止する制約の魔法もあるの。
 例えば私達があなたに試験の問題を教えたとしても、どうしたところでその事が後で発覚するから、不正行為をしても意味がないのよ。
 逆に学院側の調査をくぐり抜けられる位に欺瞞と隠蔽に長けているのなら、それはもう一級の魔法使いの証明になるわ。不正行為に目を瞑ってでも入学してもらっていいんじゃないかしら」

 流石にヴェイゼさんの言葉の後半部分は教壇に立つ身としては見過ごせないようで、デンゼルさんが眉間に皺を幾筋か刻み、思った所を口にしやすい元教え子の同僚を窘める。
 苦み走ったデンゼルさんの表情からは、ヴェイゼさんが普段からデンゼルさんの頭痛の種となっている事がよく見て取れた。
 私に関わったことで姪であるアイリとリシャには恨まれるわ、仕事先の同僚は頭痛の種だわとデンゼルさんもなかなかの苦労人であるらしい。

「ヴェイゼ、冗談にしても口にすべきではないぞ。お前も教鞭を取ってもう何年になる? いい加減口にして良い事と悪い事を弁えんか」

「あら、申し訳ございません。いま、私のこの迂闊な口が漏らした言葉は忘れてくださいな」

 おどけた調子で口を手で抑えながら言うヴェイゼさんの目は傍目にも明らかに笑っており、たいして堪えた様子もない。本当にこの女性はいい性格をしている。
関わったら絶対に苦労させられるのは目に見えており、入学した後はなるべくこの女性に関わらぬように努力しようと、私は硬く胸に誓った。
 気が早いかもしれないが、私は改めて魔法学院入学後の話をデンゼルさんとヴェイゼさんに立て続けに問うた。
 馬車とはいえガロアに着くまでにはいくらか時間があるのだ。教科書やこれまでの授業の内容は全て頭の中に収まっているし、勉強以外の事で時間を有意義に使うべきであろう。

「デンゼルさん、ガロアの魔法学院はいまどれくらいの生徒がいるんですか? それに授業はどんなやり方をしているの。同い年の子供もいるかな?」

 以前から頂いた本の中に魔法学院を紹介するものがあったので、大まかな事は知っていたが、やはり実際に教鞭を取っている方の意見が聞きたかったので、ちょうど良い機会であった。

「そうだな、中等部は落第する者もそうはいないから三学年三クラスずつで三百名前後。高等部も三学年だが、基礎学習のクラスこそあるがあとは個人で希望する履修内容によって授業が別れるから、あまりクラスと言う枠に拘らずに良いだろう。
 高等部の生徒数は約二百名。お前が受験する一学年は百名弱と言ったところか。高等部にもなれば試験の度に何人かの生徒が、学院の求める水準を満たせずに落第するようになる。
 生徒の大概は魔法使いの一族や貴族の子弟だが、中には有力な商人の親族やお前の様に才能を発掘された平民の子供もいる。こちらは全体と比べると随分と数は少ないがな」

 ふむ、私の御同輩となる同級生は少なそうだ。
 私はいまの人生においてはクリスティーナさんとあのゴーダ管理官位しか貴族を知らんが、やはり搾取する側とされる側であるから風聞で判断する限りにおいては、貴族の評判はよろしくない。
 かつての前世で飽きるほど見続けた人間の歴史というものを振り返れば、人間という生き物は身分で同族を差別しても、平等を声高々に歌い身分を撤廃しても、結局は己と他を区別し差別する事を好むという根は変わらない。
 魔法学院の生徒の大多数が私と同じ平民であっても、既に使い魔を二体、ゴーレムを一体従えて入学する私を、異分子あるいは異端者として認識して差別をする公算が高いのだ。
 十中八九私は魔法学院の中で孤立する事を強いられるだろう。
 
 ただ排他的な目で見られると言う結果が同じにしても、その相手が平民か貴族か、というのは厳しく身分の制定された封建国家で生きる身としては天地ほども違いがある。
 貴族の生徒と親しくすれば同じ平民の生徒からは、あいつは貴族に媚び諂う卑怯者だの臆病者だのと陰口を叩かれるだろうが、それでも精々が暴力沙汰どまりだろう。
 しかし貴族を相手に向こう面を叩きつけてはこの平民風情が、と怒らせ、最悪不敬罪にでもされかねない。
 お互いが家族も同然のベルン村の中では決してあり得なかった面倒な事態は、想像するだけでも私の気持ちを陰鬱にする。

 あくまで学生と言う身分であるからそこまで貴族である事を盾に、理不尽な振る舞いをする者はそうはいないと思うのだが、こればかりは出た所勝負に近い。
 いっそマイラスティに頼んで王国の貴族階級の信者達に、神託を降してもらって私の都合のよい様に王国の法律改正なり、魔法学院への干渉を行ってもらおうかと、時折邪な考えが頭によぎってしまう。
 いかん、いかん。マイラスティは確かに優しく包容力のある大女神だし、私とは昔からの馴染みと言う事もあって良くしてくれているが、だからといってこれは不正そのもののである。
 こんな事を頼むなど恥知らずも良い所だ。第一セリナの時の件だけでも大きな借りが出来ているのだ。

 ともかくマイラスティへの他力本願はそもそもあり得ないとして、魔法学院で誰も彼もと仲良くできるに越した事はない。
 私としてはアルバートに頼まれるまでもなく私自身と村の今後の展望の為にも、学院では出来得る限り友人を作るつもりである。
 そういった意味ではクリスティーナさんと言う知己がいる事は、非常にありがたいことであった。まあ、あの人は失礼な言い方になるが、どうにも友人は少なそうだけれども。
 私の心中など知らぬデンゼルさんは続けて魔法学院で行われている授業の内容について、講釈を続ける。

「高等部では中等部で学んだ事をたたき台にして、それぞれ個々の魔法使いとしての在り方によって選択する授業が変わるな。
 思念魔法、精霊魔法、神聖魔法、暗黒魔法、召喚魔法、付与魔法、創造魔法、錬金術と一口に魔法と言ってもいま挙げたもの以外にも無数の体系が存在している。
 他にも基本的な読み書き、計算はもちろんのこと、歴史学、政治学、紋章学、経済学、経営学、商学、薬学、医学、神学、音学、哲学、文学、数学と選択肢を挙げればきりがないほどだ。
 もっともお前の場合はベルン村の発展の役に立つ事を第一にしておるようだから、ある程度指針はもう立っているな」

「うん。錬金術と付与魔法、創造魔法辺りを中心に勉強する。医学や薬学はマグル婆さんにきっちり教え込まれたし、後は経済や商売に興味があるかな」

「学院で何を学ぶかまでは強制せん。お前の好きなように学ぶが良い。村と家族と友達と離れる決断をしただけの価値があったと自分で納得できるようにな」

「もちろんそうする。学院で過ごす時間は私にとって本当に黄金や宝石よりもはるかに貴重だからね」

 嘘偽りなど欠片もなく私は心の底から口にした。私が村を離れる時間は最短でも一年間ほどになる。
 この時間を代償とするだけの成果を挙げなければ、他の誰よりも私自身が自分を許せまい。
 デンゼルさんもいまは村を離れているとはいえ、やはりベルン村は故郷であるから気にかけており、魔法学院入学を村の為と公言する私を前にすれば、多少は肩入れしてしまう所はあるだろう。
 私とデンゼルさんが至極真面目な顔をして魔法学院での生活や展望について語り合っていると、後ろの方からぺちぺちとしなやかなモノがなにかを叩く音が聞こえて来た。
 セリナである。正確に言えばセリナの蛇の尻尾が馬車の床を軽く叩く音だ。
私の後ろの席に座らなければならない上に、私がデンゼルさんとばかり喋っているものだから、寂しいのだろう。

「セリナ、お行儀が悪い」

「あ、ごめんなさい」

 そう強く注意したわけではないのだが、私に言われて自分が知らず知らず尻尾を動かしていた事に気付いたセリナは、しょんぼりと肩を落としてしまった。
 ふむ、ここまで落ち込まれるとは少し予想外だ。あとで頭の一つも撫でて慰めてあげなくては。相変わらず可愛らしい蛇娘である事よ。
 そうして馬車の中で話をし続け、時折セリナやディアドラ達からも魔法学院に関する質問などが飛び、気付けば馬車はガロアへと到着していた。

 以前クリスティーナさんに伺った話では総督府が市街の中心部にあり、五層に及ぶ城壁がぐるりと囲いこんでいるのだったか。
 私の右隣に居るリネットに少しどいて貰い、馬車の窓から顔を出した私は温い風に煽られる前髪を手で押さえながら、視界の先に移る高く積み上げられた城壁と市街に目をやった。
 煉瓦造りだと言う市街は城壁に遮られてみる事は叶わないが、総督府や一部の塔や高層建築物の上層部は見る事が出来た。
 ガロアの市街は人間に生まれ変わってから目にした建築物では、水龍や人魚などが協力して建築した龍宮城を除けば最大規模のものになる。

 馬車の向かう先の北門は馬車が横に六台並んで通れる広さがあり、商品を背負った商人や貧しい身なりの巡礼者、剣や槍を携えた傭兵か冒険者らしい人影など職業や種族も雑多な人々の姿が何人も見られた。
 北部辺境区最大の都市というだけあり、視覚による観測領域を高めれば、そこに住まう人々の感情や生命の波動が陽炎のように都市全体から立ち昇っているのが見て取れた。
 かつてはガロアなどまるで比較にならぬ超巨大な国家や社会集団を目にした事のある私だが、やはり人間に転生して万事に対する感性が新鮮さを取り戻したお陰で、口からはふむ、と感心の吐息が零れる。
 顔だけなら問題ないとディアドラやリネットもそれぞれ窓から顔をひょっこりと出して、これから向かうガロアの街並みに好奇心を隠さぬ瞳を向けている。

「さて、せっかくのガロア、街の案内くらいはしてやりたい所だが今日はあくまで試験の為に来たのでな。さっそくで悪いが学院に向かわせてもらうぞ」

 ふむ、残念な気持ちはあるが魔法学院に入学してガロアに住まう様になれば、街を見て回る機会くらいは恵まれよう。
 私達はデンゼルさんに了承の返事をして、人いきれに満ちる街並みを馬車の中から覗くだけに留めて、馬車が魔法学院に着くのを待った。
 ガロアを囲む城壁は外側に向かうにつれて新しくなり、城壁の間を埋める畑や鍛冶場、住居も同じように新しいものになる。

 五層めと四層めの間にある煉瓦造りの建物は赤、白、灰、黒と色とりどりでどれも新しく、四、五階建ての集合住宅がひしめき合う様に軒を並べている。
 確か人口は三万人ほどだというから単純計算でベルン村の二百倍というわけだ。というか私がこれから通う予定である魔法学院でさえも、そこに通う生徒だけでも村の人口よりもはるかに多い。
 ベルン村の人達も個性的な面々だったが、より多くの人間が集うこの都市には一体どれだけ愉快な人間がいることだろうか。
 私は魔法学院で学ぶことの他にもそこで出会う人々に対しても強い興味を抱いていた。

 ガロア魔法学院はガロアの建築当初に創立された由緒ある学問の場で、上流階級の者や裕福な商人、総督府に勤める役人や上級兵士だけが住む事を許される第一層の城壁と第二層の間にある。
 ガロア市街の西部に位置する魔法学院は広大な面積を誇り、十メルほどの石壁にぐるりと囲まれて、正門には魔法学院の校章が黄金の円盤に彫り込まれて太陽の光を跳ね返していた。
 正門から続く白い石畳の向こうには七階建てに及ぶ学院の校舎が、連綿と続いた歴史を伺わせる重厚さで聳え立っていた。
 これは学院とはいうが私は城という印象を受けた。
 ガロアが北方の魔物や蛮族、亜人との戦いの中心拠点とする為に城塞都市として築かれた歴史を考えれば、魔法学院も有事には軍事拠点として機能するように作られているのかもしれない。

 校舎は五角形の形をしており、広大な敷地の中には使い魔などの厩舎、魔法薬や儀式魔法、錬金術の素材となる植物を栽培する植物園、鍛冶場、それに私の住まいとなるであろう男子寮や女子寮もある。
 教員用の寮や研究用の校舎とは独立した塔の他、円形のなにがしかの施設らしき建物ちらほらと見られ、学院の敷地だけでもベルン村がいくつも収まってしまいそうなほどである。
 石壁に付与された気流操作と空気洗浄、隔離の結界魔法の影響で学院の敷地外には漏れだしていないようだが、学院内部では濃密な魔素や魔法薬の調合時に発生する特有の匂いが渦を巻いているのを、私の竜眼化させた瞳は視覚情報として変換して捉えていた。
 生徒の身分でどこまで実験などが許されるか、正確な規則はまだ知らんが色々と実験もできそうだし、これはなかなか楽しめそうな場所だな。

「大きな建物ばかりですね、ドラン様。私以外にもラミアの方はいるでしょうか?」

 私の顔に息が掛る位の位置に顔を動かしたセリナの問いかけに、私はどうかな、と首を捻りながら答えた。

「ううん、鱗持つ者の気配は感じられるけど、ラミアのものじゃないよ。残念だけどセリナと同じラミアは学院にはいないみたい」

「そうですか。やっぱりラミアは亜人と違って魔物扱いされますから、仕方ありませんね。それにしてもドラン様、その口調は私達相手でも続けるお考えなのですか」

「一応そうするつもり。私達だけになったら元には戻すけど」

「あまり無理に話し方を変えなくてもよろしいのではありませんか? 本当のドラン様の話し方でも気になさらない方もきっと居ますよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、気にする人の方が多そうだから、これから出会う人次第かな」

 私とセリナのやり取りの間に学院正門の前で一時止まっていた馬車がまた動きだし、いよいよ学院の敷地内へと入って行く。
 正門に控える衛兵たち全員の装備はすべからくマジックウェポンで、壁際に整然と並び立って沈黙する石像群はリビングスタチュー、すなわち生きた石像であった。
 ひとたび起動を命じる起動文言が唱えられれば、この石像達は仮初の生命を与えられて、侵入を試みる不届き者達を血祭りに上げることだろう。
 警備の厳重さは学院に貯蔵されている宝物の類を狙う盗賊に対する為か、あるいは同じ魔法使いでも悪しき目的を持つ者達に狙われているからか。
 まあいいか。学院の警備を掻い潜る者がいたとしても教師陣で対応するだろうし、いざとなれば私が独自に動いて叩き潰せばよいだけの事。

 正門から長く続いた道を行く馬車は、本校舎の前で停まり私達をそこで降ろした。分厚い黒い大理石の扉は擦れる音一つ立てずに開き、私達を校舎の中に飲み込んだ。
 一階は広いエントランスホールになっており、はるか頭上を仰げば魔晶石と精霊石に水晶を惜しげもなく使った巨大なシャンデリアが吊り下げられている。
 くるぶしまで沈んでしまいそうなふかふかとした真っ赤な絨毯、壁に立てかけられた絵画や花瓶、壺といった調度品の数々のいずれからも魔力の気配が感じられる。
 素人とそう変わらない見習い同然の生徒もいるだろうから、迂闊に手を触れてもさして問題のない品なのだろう。
 魔法学院の中はしんとした静寂に満たされていて、今も数百名の人間が校舎内に居る筈なのだが、その喧噪ははるか遠いものであった。
 それとも春の長期休暇かなにかで実家に帰っている生徒が多いのかもしれない。そうならこの時期は私も実家に帰れるわけだ。

「ここでドランとセリナ君達には一端別れてもらう。ドランには試験を、セリナ君達には使い魔認定の事前手続きと軽い面接を行う。ヴェイゼ、良からぬ事は考えずにきちんとセリナ君達を案内するように。いいな?」

「……分かっておりますわ」

 わずかに空いた間がどうにも怪しい。本当に大丈夫だろうか? 

「デンゼルさん、ところでリネットはどうするんですか? リネットは使い魔ではなく私のゴーレムですけれど」

「ああ、セリナ君達と一緒で構わんよ。彼女に施された思考術式の確認を行おうという話があってな。なあにお前からリネットくんを取りあげる様な事にはならんから心配はするな」

「ならいいけど。ヴェイゼさん、くれぐれもセリナ達の事をよろしくお願いします」

 とはいえこの眼鏡の美人教師相手だとお願いの意味もいささか違うものになる。くれぐれもおかしな考えを起こさないでください、という意味合いに変わるのだ。

「任せなさい。いくらなんでもこれから生徒になる子の大切な女性に手を出したりはしませんわ」

「その言葉を信じます。セリナ、ディアドラ、リネット、では行ってくるよ。三人も特に緊張する必要はないから、気楽に行って来て」

「ドラン様もいつもどおりにやれば絶対に大丈夫ですから、あまり気負われませんように」

「セリナはそう言うけれど、貴方の場合これまで一度も緊張している所を見た事もないし、放っておいても試験に受かっているでしょう。私達は私達で適当にやっておくわね」

「ではリネット達は行きますので、マスタードラン、一時のお別れです。ご安心ください。セリナとディアドラの貞操はリネットが全力を尽くして死守いたします」

「そこまで私って信用が置けないのかしら? というよりもドラン君、大切な女性というのは否定しないのね。将来が心配だわ」

 流石にリネットの言葉には傷ついたのか、ヴェイゼさんは握り拳を右頬に当てて小首を捻る。ただし私の将来については余計な御世話と言うもの。
 まだ十分に若いと言えるヴェイゼさんがするその仕草は、良く似合っていて魅力的だがこれまでの行動を省みれば当然の事なので、これでヴェイゼさんが少しでも自重してくれればよいのだが。
 三人娘とヴェイゼさんと別れた私はデンゼルさんの案内で、エントランスホール左にある扉の一つを通り、学院の廊下の中を進んで私が試験を受ける為の部屋へと案内された。
 一段床より高い教壇と黒板と向かい合う様にして、二人掛けの机が五脚ずつ三列に並ぶ教室で、試験の間私が不正をしないか見張る為の教師がそこで待っていた。

「アリスター、この子が試験を受けるドランだ。ドラン、こちらがお前の試験を監督する魔法教師だ。試験を受ける上で何か分からない事があったら、彼に尋ねる様に」

 教室の中で待っていたのは三十代半ば頃の、深緑色のローブを身にまとい神経質そうなキツネ目に、細顎と鷲鼻を持った男性の魔法教師だった。
 薄い金色の髪を短く刈りあげて、腰のベルトには二の腕くらいの長さの細い指揮棒のような杖を挟みこんでいる。
 教師としての序列はデンゼルさんの方が上なのか、アリスター教師は恭しげにデンゼルさんに頷き返した。

「はい。ドランです。よろしくお願いします」

「うむ。いい面構えだ。吾輩はアリスター・クォーネル。今回の君の筆記および実技試験の監督官を務めている。ではデンゼル師、ご退出願えますかな? 早速この子の試験を始めなければなりません」

「分かっている。ではドランよ、悔いの残らぬ様全力を尽くせよ」

 私に一つ気合いを入れる様に肩を叩いてから、デンゼルさんは教室の扉を開いて去っていった。ふむ、ここからどのように私の未来が繋がってゆくかが、この場所で決まるのか。
 そう考えるとそう広くはないこの教室にも、不思議と感慨めいたものを感じる。私の人生における分岐点の一つとなる場所なのだ。
 私がしみじみとしているとアリスター教師が、私に席に着くよう指示を出した。教壇の上には私が行う筆記試験用の紙束と時間を計る為の砂時計が置かれている。
 教室全体に使い魔やゴーレムなどとの精神接続を阻害する魔法が施されており、これで通常は不正対策としているのだろう。
 私からすればあってなきにも等しい無力な阻害魔法だが、この試験は自分の実力だけで突破するつもりであるから、セリナ達と思念を介して言葉を交す事はしない。
 正真正銘、実力で筆記試験と実技試験を受けるのだ。

「では席に着きたまえ、ベルン村のドラン。これより君が魔法学院の生徒たるに相応しい資質と能力の持ち主か確かめる為の試験を行う。
 筆記試験は中等部までに学んだ魔法の基礎知識および一般教養を問うものだ。この砂時計の砂が尽きるまでの間、解答に全力を注ぎたまえ。さ、筆記用具を出して試験の準備を整えるのだ」

 アリスター教師の言葉に従い、私は席について鞄の中から筆記用具を取り出し、裏返しにされた問題用紙を受け取った。
 マグル婆さんとデンゼルさんから受けた教育の内容なら、高等部の入学試験は問題なく解答できると聞かされていたが、実際にはどうなることか。
 私の用意が整った事を見て取ったアリスター教師は砂時計を手に取る。

「準備は良いかね? 試験中の退席は認められない。落とし物をした時は吾輩が拾うので席を離れないように。言うまでもないが不正が行われている事が発覚した場合には即座に試験を中止し、君の入学の話は白紙になる。なにか質問は?」

「いいえ。いつでも始めてくださって結構です」

「よろしい。では、はじめ」

 くるりとひっくり返された砂時計の青い砂が、さらりと零れ落ちた。
 筆記試験は流石に中等部の三年生が受けるとあって、魔法を習い始めた頃の私が使っていた初心者向けの優しい内容の魔法教本よりはいくらか進んだ内容ではあったが、マグル婆さんに弟子入りしてすぐの頃に学習を終えた内容であった。
 デンゼルさんから送られてくる本や手作りと思しい問題集、マグル婆さん所蔵の書物、イシェル氏の遺産、それにリネットに記録されていた各種の魔法の知識を吸収した私にとっては、問題の解答に費やすわずかな思案の時間も必要としないもの。
 私の握る羽ペンは休みなく動き続け、砂時計の青い砂がまだ半分残っている事には全ての解答を終えていた。

 残った時間でアリスター教師に気付かれぬよう、また教室に掛けられている阻害魔法を発動させずにセリナ達がいま何をしているか話しかけようとも思ったが、安易に呼びかけては向こうで行われている面接なり試験なりに支障が生じるだろうか。
 やろうと思えばこの魔法学院の誰にも気づかせぬままセリナ達と精神感応を起こす事は出来る。
 もとより人間からすれば超高等魔法である竜語魔法を自在に駆使し、莫大な魔力を誇る私は、人間の扱う魔法のはるか上を行く魔法使いでもある。
 それに加えてこの一年、夜にはこっそり家を抜けだしてセリナ達の元へ毎夜足を運び、朝と昼には村の人達の目を盗みアイリ、リシャ、ミルと密会を続けていた私である。

 視覚からの消失や消音、気配の隠蔽から足跡、匂い、情事の痕跡などの抹消に毎日明け暮れた成果で、こと隠蔽と擬装、幻惑の腕前は上達の一途を辿っている。
 実際にはしないが、街中を素っ裸で練り歩いても誰にも気づかれることはないし、極端な話、人々が行き交う中で私が誰かを殺したとしても、死体が腐るほどの時が経っても誰にも気づかせぬよう隠蔽する事も出来た。
 とはいえ迂闊に呼びかけて向こうで行われている面接中に、セリナやディアドラがついうっかり声に出して返事などしては、面倒な事になってしまう。
 そこまで考えてから、私は下手な事はしない方が良いと結論して呼びかけるのは控える事にした。

 ようやく砂時計の砂が完全に落ち切った後、私は筆記用具を片付けて答案用紙を回収したアリスター教師に連れられて、校内の敷地にある魔法の練習場へと移った。
 魔力を遮断する特殊な加工を施した金属と対魔法呪紋処理が施された壁に覆われた練習場は、内部で高位の戦闘用魔法や魔力の暴走が起きても外部に害が及ばない造りになっている。
 私がそこで行ったのは魔力の集中、圧縮、伝播、蓄積、放出、拡散などの魔力制御に関する基礎技術の他、基礎習得魔法とされる属性を持たない日常で使用される魔法の行使である。
 解錠、施錠、照明、浮遊、念動などだ。
 魔法学院から支給された杖を片手に、魔力が枯渇している魔晶石に魔力を込め、精霊石に宿っている精霊の力を引き出してそれを制御し、風を渦巻かせ、大地を隆起させ、虚空に火を燃やし、水溜りを作りだす。

 人間魔法使い百万人分の魔力量に匹敵する魔晶石や、精霊王並みの力が込められた精霊石を作っても良かったのだが、過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉を耳にした事があったから、私はあくまで自重する。
 竜としての力を振るいたいように振るえず、あくまで人間として生きようとする事に時折窮屈さや息苦しさを覚えないでもなかったが、これも人間に生まれ変わった定めと自分に言い聞かせ、私は実技試験の課題をこなしていった。
 そのいずれも一度も失敗する事もなく用意された課題を消化してゆく私を、アリスター教師は無表情のまま監督していた。
 筆記試験も実技試験もすべて失敗なしにこなせたと思うが、さてこのキツネ目の試験官殿にはどのように見えていたことだろう。

 筆記と実技の両試験が終わった後、私は再び校舎に戻って面接試験を受けた。小休止を挟んだ後に私が通されたのは、筆記試験を受けた教室とはまた別の部屋であった。
 アリスター教師の案内でエントランスの螺旋階段を昇り三階にまで辿り着くと、先ほどの教室と違う造りの部屋の前まで連れて来られた。
 ここで面接試験を受けるのか。果たして私の付け焼刃の子供のふりがどこまで通用する事か。
 ここまで来てアルバートの言葉が思い返される。あまり子供らしくしすぎても逆に怪しまれるか、魔法使いとしての能力に疑惑を抱かれる、か。
 閉じられた扉の向こうに五つの気配。人間以外の気配もあり、この五人が面接を行う試験官達で間違いはないだろう。
 隣に立つアリスター教師の横顔を見上げると、私の視線に気づいたアリスター教師が私を見下ろして口を開いた。

「この面接で君が受ける入学試験は終わりだ。そう緊張しなくていいが、君はまったく緊張している様子はないな。まあいい。深呼吸でもするかね? 
良ければこの扉を叩いて名前を名乗り、入室したまえ。部屋に入った時から面接は始まっているぞ」

 家を出る時、母に緊張する事があったら深呼吸をしなさいと言われた事を思い出す。別に緊張はしていないのだが、せっかくの母からの助言である。
 人生の一大事を前に母からの助言を実践するのも良かろう。私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出してからアリスター教師に返事をする。

「大丈夫です。筆記試験と実技試験の監督、ありがとうございました」

 私はアリスター教師に一礼してから扉を開いた。どうぞ、と返って来た部屋の中からの声に、私は普段と変わらぬ落ち着き払った声で入室の挨拶をした。

「失礼します」

 扉を開いた先には白いレースのカーテンを引いた窓を背にして、長机に腰掛けた五人の魔法教師達の姿があった。
 真ん中に山羊の様に長く白い髭を伸ばし、同じく真っ白い髪を長く伸ばした赤いローブを纏った老人。
 七十代でも八十代でも通じるだろうが、瞳には深い知性の落ち着きと強固な意志の強さが輝いている。背も曲がっておらず肩幅は広いし体躯もなかなか逞しい。
 白いものが混じる茶髪を後頭部で団子状に纏め、薄紫色のドレスに身を包んだふくよかな四十代前後の女性。
 魔法使いらしからぬ我が村の男性陣を思わせる、巨岩から削りだしたような巨漢がおり、この人は大きな顔には似合わず小さな目と分厚い唇と、ややアンバランスな顔の造作をしていた。

 それに続いて草原の小人と呼ばれるホビットという身長百三十二、三シム(約百二十センチ)ほどの、小柄な体躯の男性がいた。
 ホビットは信仰する農耕神や狩猟神からの祝福を受けて、種族全体を通して幸運に恵まれ、敏捷性が汎人類種(亜人を含む)の中では群を抜いて高い。
 また動植物に対する親和性と魔力の高さもエルフに次ぐほどで、筋力や体力に乏しいという種族単位での短所を埋めるに十分なものだ。
 気性は陽気でお祭り騒ぎを好み、なにか一つの事に凝りだすと熱中して一角の技術を身に着けるが、その反面ある程度習熟するとすぐに飽きてしまうと言う一面もあった。

 好奇心の強さからよく冒険者や商人となって世界を回っていると言うが、魔法学院で教師をしている者もいるとは。
 ホビットの外見的特徴としては成人であっても人間の子供程度の姿をしており、耳は角の丸い四角形でやや横に長く、足の裏には分厚い皮の上に毛が生え揃っていて、素足で素早く地上を走る事が出来る。
 草原の小人、と呼ばれる由縁である。私の目の前のホビットはサイズを合わせた青色のローブにサスペンダーで吊った黒いズボンと白いシャツに、赤い蝶ネクタイと言う出で立ちだ。
 おおよそ人間の倍近い寿命を持つ上に成人していても、人間の子供と変わらぬ容姿のホビットであるから実年齢は推し量れぬが、教師を務めるだけの実力と教養の主であるのは明らかだ。

 そして隠している素振りはあるが最も高い魔力を持つのが、最後の一人である女性エルフだ。
 金糸のごとく眩い髪を背に流し、纏うのは深緑色のローブ。
 切れ長の瞳の色はエメラルドの輝きに等しく、血が通っていないかのような白く透けた肌と、私が入室してもほとんど身じろぎしない様子から、女性エルフをモチーフとした美女の石像であるかのような印象を受ける。
 もちろん実際には心臓が熱い血潮を送りだし、小さく細いが呼吸もしっかり行われている以上は、紛れもなく生きてそこにいる。
 面接官の顔を見回す私に白い印象を受ける老教師が椅子に座るよう勧めて来た。

「座りなさい」

「はい。ベルン村のドランです。本日はよろしくお願いいたします」

 椅子の横まで歩き、鞄を足元に置いてから一礼してから腰を降ろす。深くは腰掛けず、膝の上に握った拳を置いて面接官達からの視線を受け止める。
 ふむ、見世物になった様な気分だが、これもまた一つの経験である。私はふむ! と心の中でだけ気合いを入れて、胸を張りながら面接官達との問答をはじめた。

「デンゼルとヴェイゼ両名からの報告を見る限り、君はとびきり優秀な人材と言ってよいな。筆記や実技の結果はまだじゃが、事前の報告を信じるならば期待してもよさそうじゃ」

 とはいうが筆記も実技も魔法による遠見を使って覗いていたのは先刻承知の上である。
向こう側は私が気付いていないと思っているだろうが、まあいい。ここでその事をばらしてもさして意味はあるまい。
 通常遠見や透視と言った知覚魔法は使用中の術者を前にでもしなければ、おいそれと把握する事の出来ない探知の難しい魔法だ。
 いまの人間社会においては正式な魔法使いではない私が気付くには、ちと難しいはずになるのである。
 面接では試験を受けてどう思ったか、ガロアの街をどう思ったか、学院に対する印象、生徒として生活する上で気になる点はあるか、魔法使いとして何を成す事を目的としているか、など事前にシェンナさんとレティシャさんが想定した質問内容とそう大差のないものが続いた。
 その一つ一つに事前に打ち合わせておいた答えを口にしたが、特に魔法使いとしての展望に関してはついつい熱が籠ってしまった。

「ではドラン君、君は魔法使いとしての技術を磨き、何を成そうとしている。君と言う魔法使いは将来において何を目的に据えているのかね?」

「生まれ故郷の為に魔法使いになります。冬の寒さで畑が凍らないように夜の間中、火を焚かなくてもいいように。
 畑を耕している時に地中からジャイアントモールや三つ首蛇、食人植物に襲われる前に、それが気付けるように。
 川で水遊びをしている時に水に潜んでいたスライムや霧に紛れた霧魔に子供が襲われても、怪我を負わずに済むように。私は魔法の力を使ってベルン村の皆の役に立てる人間になります」

 なりたい、ではなくなります、と断言する事が私の意思表明であった。私の未来に対する展望においては、いま口にした事は既に確定しているのである。

「明確なビジョンはあるか。結構結構、若者は大いなる志を胸に抱かねばならん。生まれ故郷の皆の為に役立とうとする君のその心意気は、大変よいものだ」

「ありがとうございます」

 その後も面接は続いたが特にこれと言って奇異に感じられる質問はなく、私は面接の終わりを老教師に告げられて、椅子から立ち上がって部屋を後にする事になった。
 去り際、エルフの女教師に視線を向けると、私に対してエメラルドを思わせる瞳を向けていた彼女と視線が交差した。
 私と瞳があっても揺るがぬ彼女に一礼し、私は部屋を出て待っていたアリスター教師と合流し、私と同じように問答や使い魔認定を終えたセリナ達の待つ場所へと向かう。
 合格か不合格の通知は数日後村に届けられると言うが、面接でも大きな失敗はなかったし、百に九十九は大丈夫だろう。
 そう思う私の強化している聴覚に、私が去った後の面接官達の話し声が聞こえて来た。
 防諜に関する魔法が施されてはいたが、私の耳を妨げるには不十分極まりない。

“ふうむ、実技試験の完璧すぎるほどの技術。わしらを前にしてもまるで動じる風もないあの態度。魔力値も一般的な魔法使いの数倍とはのう。わしより多いわい。デンゼルからの報告を受けた時にはよもやと思うとったが、あれは本物じゃぞい”

 と感心した声を出すのはあの威厳ある老教師である。面接官達の中でも中心人物なのか、面接の質問を最も多く口にしたのはこの老人であった。

“アリスターが監督していた筆記試験もまるで迷う素振りを見せませんでしたわね。これまでデンゼル師があの子に受けさせた試験の内容の中には、高等部の二学年時に相当するものもありましたわね。しかも結果は満点ばかり”

 続いたのはふくよかな女性教師に、気弱そうな顔立ちをしていた巨漢の教師。女性教師は心底私に感心した調子であり、巨漢の教師もそれに追従するかのような口ぶりであった。
 この巨漢の教師、どうも素振りや口調、表情から繊細さが伺えたが趣味は刺繍か押し花作りかもしれない。

“ゴーレム制作に掛けては宮廷随一と言われたイシェル殿のゴーレムを従属下に置いていますし、その知識もある程度は継いでいるのでしょう。
 ね、年齢こそまだ十一歳ですが、あの五百のゴブリンを相手に死者を出さずに撃退したベルン村の戦いにも前線に立って、す、数十体のゴブリンを倒しているそうです。知識だけでなく実戦の経験も積んでいますから、希少な人材なのは、う、疑いようもありません”

 ふむ、目の前で言われているわけではないのだが、やはり褒められると嬉しいものだ。魔法学院の教師陣の本音を知る機会でもあるし、もう少し耳を傾けるとしようか。

“確かに。西と南の天才児たちに勝るとも劣らぬ輝きを秘めた原石といえましょう。それにあの草原に吹く風の様に爽快な雰囲気。
人間としても中々のモノを持っている様に感じられました。面接での態度も問題はありませんでしたし、期待以上と言ってはよろしいのではないでしょうか?”

 そう言ったのはあのホビットである。
 外見の幼さに反してその言葉使いは極めて落ち着き払った大人の男性のそれであり、変声期を迎える前の男の子のような声とはいささかそぐわない。
素の私も他人からすればきっとこんな風なのだろう。
 そしてホビットの問いかけた先は、面接の間沈黙を守っていた女エルフの教師だ。なぜか抑えていた魔力に、面接官でありながら私に対して関心の態度を見せなかったこの女性は、間違いなく曲者だと私の勘が告げている。
 女エルフの教師は静かに鳴らされたハープの音色の様な声で、自分の意思を言葉にして表した。
 ただそれだけの事が、銀の弦が張られた黄金のハープで奏でられる楽曲の如く美しい。

“あの子、私が力を抑えている事に気付いていました”

“ほう! 学院長の魔力抑制に? これは初めての事ですな”

 学院長? あの女エルフの教師が? 老教師ほどではないにせよ私もそれなりに驚いた。いや、確かに人間とは比較にならない寿命を持つエルフならば外見通りの年齢とは限らないから、おかしくはない。

“学院長がわざと魔力を抑制している事を、この緊張を強いられる面接の場で看破したのは彼が初めてですわね。学院長の趣味に気付く子が出るとは思っていませんでしたけれど、まさかあんな小さな子が”

 趣味……ということは魔力を抑えて面接の場に居たのは、正規の面接試験には含まれていない非正規のもので、同時にある意味では入学試験を受ける生徒の力量を計る為のものなのか。
 しかし中等部から在籍していた生徒なら学院長の事を知っているのでは、いや、確かデンゼルさんが学院長は生徒の前には滅多に姿を見せないと言っていたな。そのせいで幻の学院長などと生徒の間では噂されているとか言っていたっけ。

“で、ではやはり彼の事は?”

 巨漢の教師の問いかけは私にとっても最大の疑問である。学院長の答えは半ば分かり切ってはいたがやはり実際に口にするのを耳にしたい。

“ええ。我がガロア魔法学院への入学を認めましょう。彼の様な人材、むざむざ手放すには惜しい。長ずれば宮廷にあがることも難しくはありません。そう言う意味ではあくまで故郷に拘る所が残念と言えば残念ですが”

 ふむ、これは村に合格通知が来る前に良い話を聞いたものだ。口外こそできんがこれで安心して村に帰れるというものだ。
 そう安堵する私の耳に、他の面接官達には聞こえていないだろう学院長の呟きが私の耳にだけ届いた。

“それにしても、あれが本当にあの子の実力だったのでしょうか? 私達はなにかとんでもない思い違いをしているような……”

 なに、邪悪な企みを秘めた邪教徒や悪魔に憑依された人間と言うわけではないのだ。貴女の疑問は災いを呼ぶものではないさ。私は学院長の呟きに答える様にうっすらと口元に笑みを浮かべた。

<続>

ちょっと展開がグダグダしすぎでしょうか。もっとさくさく進めたいところなのですが……。

12/18 21:09 投稿
12/19 12:49 修正 JLさま、雨さま、科蚊化さま、オロナミンFさま、ありがとうございました。



[29749] 外伝――ドライセンの冒険③
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2011/11/20 22:44
さようなら竜生 こんにちは人生外伝――ドライセンの冒険③


 アレクラフト王国西方の国境のほど近い場所に存在する都市エジュールは、近隣に多数の古代王朝の遺跡や、魔法使いたちの残した研究施設、善悪両方の神々が作り上げた迷宮や神殿、塔などの建築物が存在する事から、それらに眠る財宝や遺失技術を目当てに一攫千金を狙う冒険者達が、ひと際多く滞在している事で人々に知られている。
 王国もまたそれらの迷宮や遺跡から得られる希少な鉱物、マジックアイテム、魔法の武具を求めて、隣国への警戒とは別にそれなりの規模の兵力を配置し、一部の遺跡などに冒険者の立ち入りを禁止して利益を独占しようとしている。
 
 むろん近隣の迷宮や遺跡から得られるのは、無論恩恵ばかりではない。
中には邪悪なる神々が地上の生物に死を振りまかんと創りだした、災厄ばかりを集めた箱の様な迷宮も存在しており、邪悪な神の御技によって無限に魔物が無限に湧き出て迷宮の外に広がろうとしており、それらを防ぐために毎年少なくない数の冒険者や兵士が命を落としている。
 いずれにせよエジュールという都市は隣国との長年に渡る戦の他に、悠久の時の流れの中にも埋没する事の無かった迷宮や遺跡などと共に、発展と衰退を繰り返してきた都市であった。

 そのエジュールに新しい風を吹かせ、人々の話題に上る二人組の新人冒険者達が居た。
 幻の種族と言われるほど絶対数の少ないドラゴニアンがペアを組んだ冒険者達である。
 一人は真っ白い鱗で全身を覆った禍々しさと神々しさを兼ね備えた有翼竜頭、直立歩行したドラゴンの姿を持つ、巨漢のドラゴニアンのドライセン。
 残るもう一人は異国風の情緒を醸す紅白の巫女装束を纏い、龍の角と耳、尻尾と時折鱗の文様が体の一部に浮かび上がる事を除けば、王国のはるか東方に住まう人々の血が流れている事を連想させる、呼吸する事も忘れるほどの美貌を持った少女と見えるドラゴニアンの瑠禹。

 ある日二十匹ものオークに浚われた女性達を救出し、エジュールに届けたその足で新米冒険者となったこの二人はドラゴニアンという、生きている間に目にする事があるかどうかという希少な種族である事と、救出劇のエピソードから同業者となった冒険者たち以外の、エジュール市民からも少なからず注目される存在であった。

 しかしながら多くの人々の注目を集める当のドラゴニアンの男女二人はと言うと、周囲の耳目などまるで意に介した風もなく、冒険者としてごくごく初歩的な、誰でもこなせるような依頼をこなす事を繰り返していた。
 時には市場を見て回って買い物をし、時には見世物や劇場に足を運び、時には表通りや広場に列を成す露店を見て回っては小物や飲食物を購入する、と特別注目するような事は何一つ行わずにいたのである。

 そうして二人のドラゴニアンがごくありきたりな日々を過ごすうちに、エジュールの人々の注目と期待はあっという間に消えて行き、新たな商売敵がさしたる功名心や野心を持っているわけでもない事を悟ると、それまでの警戒感はどこかへと捨ててしまい、決して余裕があるとは言えない自分達の日々の生活を営む事に集中し始めた。
 えてして人々の傾向や流行、注目と言うものは移ろいやすいと言う事なのだろう。
 注目されていた当初から、他者の目を気にする素振りが欠片もなかった二人のドラゴニアンからすれば、そんな熱しやすく冷めやすい人々の態度も、ようやく飽きたかとむしろ清々しさを覚えたとしてもおかしくはない。

 実際ドライセンと瑠禹はエジュールの人々の態度の移ろいなどまるで意には介していなかった。そんな事よりも、瑠禹の産まれ故郷である海の底にある龍宮城以外の、外の世界を知る為に日々を過ごす事に熱中していたのである。
 一定以上の年齢になったら龍宮城の外の世界を知る旅に出る、という掟に従い外に出たばかりの瑠禹とその護衛と世話を任されたドライセンにとっては、エジュールの人々にとってありふれた時間を過ごす事の方が本懐を果たす事に繋がっていた為だ。
 とはいえ異文化の中での振る舞いによって、他者がどのような反応を示すかに気を配る事もまた外の世界を旅する事で学ぶべきことではあろうから、まるで周囲の目を気にしないと言うのもいささか問題はあるかもしれない。

 ただドライセンと瑠禹が周囲の反応を気に留める事がなかった大きな理由の一つが初めて触れる異文化の産物に夢中になってしまい、人々の視線に気付く余裕がなかったからと考えると、どうもこの二人は外の世界を真面目に旅するつもりはあまりなさそうである。
 冒険者として最下位であるカッパークラスから、これといってクラスを上げる事もなくドライセンと瑠禹は、時折エジュール近郊の村々の近くに出現した魔物退治などを行う位で、あとはほとんど雑用仕事にも等しい依頼をこなして、日々をのんびりと穏やかに過ごしていた。

「おねーちゃーん、竜のおじちゃーん、また遊びに来てねー!」

 重なり合って空に響く子供たちの声と、思いきりよく振られる手に、瑠禹もまたにこやかな笑みを浮かべて小さく手を振って答えていた。

「はい。私もまた皆の所に遊びに来ますからね。それまで皆、お父さんとお母さんの言う事を良く聞いて、良い子にしているのですよ」

 瑠禹とドライセンが受けた農場の柵の修復の手伝いを終えた帰りの道の上の事である。
 牛や羊などを多数抱えた農場の柵の一部が、先日の豪雨に伴う落雷で壊れてしまい、野の獣や小型の魔物の侵入を防ぐ柵の修復は急を要しドライセン達以外にも数人の冒険者か、あるいは日雇いの人間、近隣の村の住人の姿があった。
 それらの人々の中でもっとも注目を集めたのが瑠禹とドライセンであった事は語るまでもない事だが、同時に最初は遠巻きに見ていた近隣の子供たちに瑠禹が人好きのする笑顔を浮かべて話しかけたことで、子供たちの人気を最も集めたのもドライセン達となった。
 
 ドライセンはその恐ろしげな風貌と巨体から、長い事遠巻きに見つめていられるばかりだったが、瑠禹がにこやかに村の子供らや大人達に話しかけ、ドライセンもまた外見とは裏腹に温厚な人格であったため、白い鱗のドラゴニアンも幸い受け入れられたのである。
 仕事を終えた二人は農場の持ち主や近隣の村人たちに見送られて、他の冒険者や日雇いの人間達よりも一足早くエジュールへの帰路についていた。ドライセンが十人分に匹敵する働きをした為に、二人が任された柵の修復箇所があっという間に元通りになった為だ。

 その後、一泊宿を借り朝方にお茶などご馳走になってから、二人は大きく手を振って見送りに来た子供たちに再会の約束をして農場とエジュールを繋ぐ隧道を進んでいる。
 子供たちがしきりに触りたがった角や鱗をいじり、どこか欠けてはいないかと調べるドライセンの左隣りを歩く瑠禹は、くすりと笑んで頼もしい護衛役に声をかけた。

「すっかり人気者でしたね」

「瑠禹と比べて私は竜の血族であると分かりやすい見た目をしているからな。おとぎ話の中にしか出てこない様な幻獣を目の当たりにできたのだ。好奇心を疼かせても仕方があるまいよ」

「鱗など剥がされてはおりませんか?」

「ふむ、幸い全て無事であるな。さてエジュールに戻ったらどうするか。まだエジュールには滞在するかね? 西の隣国に向かうもよし。海を渡って南へ向かうか? 北は魔物と異民族の地ゆえ、争いと諍いは免れぬであろうからあまり勧められぬがな」

「そうですね、しばらくはエジュールで冒険者仕事を続けたく思います。神々の残した迷宮や神殿にも興味はありますし、エジュールは国境にある街でございますから、王国と帝国の品々を目にする機会にも恵まれておりますので」

「そうか。なに、時間はいくらでもある。瑠禹の好きにすれば良い。私はそれに付き合おう。公主と瑠禹との約束でもあるし、私も色々な所を見て回るのは楽しいのでな」

「そう仰っていただければ幸いでございます」

 出会った当初から友好的出会った二人は現在に至るまで交流を重ねていたこともあり、二人の関係は実に良好なものと言える。
 さて二人が現在滞在しているエジュールであるが、国境に近い位置関係からアレクラフト王国と隣国との間で戦争が勃発すると、この悪影響を頻繁に受けてきた歴史がある。
 人間同士での戦争が起きたなら、あくまで世を知るための旅の同中である二人は、すぐさまエジュールから離れることを強要されるだろう。
 昔から国境を接する隣国は最大の敵に等しいものだが、幸いにも近年ではアレクラフト王国と西に国境を接するロマル帝国では、小競り合いはあっても本格的な戦争にまで発展した事はない。

 北の魔物や異民族、邪悪な神々を奉ずる邪教集団が活動を活発させている事や、それに呼応するように両国国内の邪神系統の迷宮に発生する魔物が数を増しており、それらの対処に人手と予算を取られている事が大きな理由である。
 またロマル帝国では次期皇帝の座を巡る後継者争いの噂がエジュールにも届いており、きな臭さが漂っている事もあって、王国と戦端を開く余裕はないと言うのが周辺諸国の一致した見解であった。
 人間の国家の趨勢になど関与するつもりのない二人からすれば、国家間戦争にまで発展する可能性の低い現状は、幸いと言えただろう。もっとも帝国の後継者争いに王国が首を突っ込むような事態になったなら、どう転ぶかは不明であるが。

 ともあれ国家の情勢をどうこうしようというつもりのない――水龍の上位種である青龍・貴種の瑠禹と本来は白竜の成体であるドライセンであれば、数千の人間兵にも匹敵する戦力ではあるが――二人にとっては、積極的に関わることはあるまい。


 隧道に時折出没する獣や魔物の類を追い払い、歩き続けた二人は四時間ほどかけてエジュールの影が見える所まで辿りついていた。
 休みなしで歩き続けられる強靭な身体と体力がある二人は、一般的な人間や亜人よりも移動速度が速い。
 有翼のドライセンは元より、翼を持たずに天を駆ける力を持つ龍である瑠禹は、急ぎとなれば自在に空を飛ぶこともできる為、普通の冒険者や旅人などと比べると、こと移動という点に置いてはるかに恵まれている。

 農場で一泊し太陽が東の地平線に顔を覗かせ始めた時刻に農場を経っているから、時刻は太陽が中天に掛る少し前と言ったところ。
 誕生から今に至るまで一刻も休むことなく轟々とはるか頭上で燃える太陽は、開けた平原に北西から流れてくる大河に寄り添って建築されたエジュールの石と煉瓦の姿を浮かび上がらせ、四方から伸びる街道と背の低い緑の草で覆われた平原の光景を地の果てまでも照らし出している。

 整備された四方への街道の他に大河を利用した水運業も発展しており、水精石や風精石を動力にして、通常の帆船よりもはるかに足の早い小型・大型の魔動船の船影もちらほらと見受けられる。
 海を渡った南方の島々で栽培された多種多様な香辛料や海産物、ロマル帝国を経由して運び込まれる異国の絹や麻といった衣料品、貴金属、装飾品、食料品などが集められ、膨大な財が蓄えられまたあるいは今日も一文無しに落ちぶれた商人たちの嘆きが、エジュールの市街に木霊していることだろう。
 国境の要衝でありまた交易都市としての一面も兼ね備えているエジュールは、市内への出入りに税を課していない事もあって、夜明けから黄昏時までの間ひっきりなしに遠方からの旅人や、商人、旅の芸人一座、冒険者、農民などの列が続いている。

 ぐるりと市街を囲む高さ十五メートルはある城壁には東西南北に分厚い鉄製の頑健な両開きの門があり、瑠禹とドライセンは南門を目指して歩を進めていた。
 エジュールを経った時と同じように、門を目がけて人の列が繋がっているのを眺めながら歩いていると、ドライセンが青い視線の先で門番達が妙に慌ただしい様子である事に気付く。
 千里の先を見通す千里眼、といっては盛り過ぎだがドライセンの視力は二キロメートルほどさきの人間の表情を仔細に観察する事が出来た。
 同じように瑠禹にも見えているようで、白魚のようと形容する他のない左手の五指を左頬に添えて、柳眉を寄せて不審気な色を浮かべる。

「なにやら慌ただしい様子ですね。良からぬ事が起きたのでしょうか」

「十中八九そうであろう。エジュールに入る人々も随分待たされている様子であるし、瑠禹の言うとおりなんぞ悪しき事が起きたのであろう。エジュールの環境を考えれば隣国か北方の魔物たちの侵攻か、あるいは……」

「迷宮の魔性達の跋扈といったところでしょうか?」

「おそらくはな」

 二人は現在エジュールの中に無数に存在する宿屋の一つに、二部屋を借りて拠点としており、財産は宿やギルドに預けるのではなく常に持ち歩いている為、いざとなればエジュールに戻らずそのまま別の土地に向かっても問題はない。
 空間に干渉することで内部の空間を外見に比べてはるかに広大、といった類のマジックアイテムは大昔から存在しており、袋や箱、あるいはチェストなど形状も様々である。
 ドライセンと瑠禹は龍宮城を出立する際に、漆塗りに金箔による龍や松の木などの装飾が施された小箱を渡されており、これに金子や食糧、替えの衣服や予備の武具などを入れて持ち歩いている。

 二人は珍しいドラゴニアンの姿に驚いて目を向けてくる、旅人や商人たちの列の横を進み、南門の近くに固まっている兵士の一団へと近づいて行った。
 常の通りに出入りする人々のチェックを行っている兵士達とは別のグループに近づいて行った二人は、やはりその目立つ容姿からすぐさま注意を惹き、十数名の兵士達の何人かは驚きに顔を見張りながら鉄の短槍を構える動きを見せる。

 それをまとめ役らしい三十代後半の男が、手を挙げて制した。王国で正式に採用されている灰色の鎧、腰のベルトに佩いたブロードソード、アイアンシールドで身を固めている。
 四角い顔立ちに、顎先が短く整えられた髭で覆われ、右のこめかみに小さな傷の痕があり、男の険しい容貌に一層の凄みを与えていた。
 身長は百七十センチ後半、四肢は太く足もやや短いが、この男がどっしりと腰を落として盾を構えれば、相対した敵は人型の巨岩を前にした様な重圧を感じるに違いあるまい。
 まとめ役の男の猛禽類を思わせる瞳に見つめられて、ドライセンと瑠禹は兵士たちのグループから二メートルの距離を置いて足を止めた。おそらくこの距離が、男が腰の剣を抜いて一足で斬りかかるのに、もっとも得意としている距離なのだろう。

「そこで足を止めろ。エジュールに入りたいなら列に並び直すんだ。こっちは別の話をしている。関係者でない連中に話を聞いて欲しくないんでな」

 無手のドライセンが思案するように腕を組み、自分の胸くらいの高さにある男の顔を見下ろしながら口を開いた。羽を摘む様に触れた指先が血を噴くに違いない鋭さを備えた牙の列からは、外見を裏切る落ち着き払った声で言葉が紡がれた。

「我らはエジュールを拠点としている冒険者だ。なにやら物騒な雰囲気故、我らで助力できる事はあるかと足を向けたのよ」

「どなたかお怪我をなさったのですか? でしたら、わたくしがお手伝いいたします。治癒の術は心得がございますから」

 瑠禹の申し出は兵士達が囲む中央から、かすかな血の匂いをかぎ取った為である。水を司る水龍である瑠禹は、肉体の大部分を水分で構成される生物に対して強い干渉能力を持っている。
 血流の操作や各種の体内物質の分泌の促進や抑制もお手の物なのだ。血の匂いの濃さから考えるとそう大した傷ではないようだが、治療せずにおいて良いものではあるまい。

 最初は警戒と不審の念を色濃くしていた男であったが、ドライセンと瑠禹のアレクラフト王国で他にはあるまいと思われる異色のペアに、すぐさま不審の顔に理解の色を浮かべる。
 エジュールに住まうもので、巨漢の白竜人と紅白の衣装に身を包んだ黒髪の青龍人の組合せを知らぬ者はまずおるまい。

「どこかでとは思っていたが、君達が最近噂になっているドラゴニアンの二人か……」

 男は多少警戒の色を薄めて、太くがっしりとした顎先に右手の指を添えると、毛虫の様な眉毛を寄せて深い皺を刻んで迷っているようだった。
 その男の迷いを後押しにする様に、他の兵士達も何事かを囁き合い、ドラゴニアンの二人にどう対応するか決めかねている様である。
 二十匹のオークを殲滅して誘拐された女性達を救出したドラゴニアン達は、概ねエジュールの人々に好意的に受け入れられていたし、その戦闘能力も例え風聞でのみ判断するにしても、並みの冒険者や人間の兵士など歯牙にもかけまい。
 およそ戦闘に関する面倒事であるのならば、純粋な戦力としては頼りになるのは間違いない。

「ふむ、数日前からギルドの掲示板に南西のゲリア暗黒遺跡の掃討依頼が来ていたが、それの関係かね?」

 ドライセンの指摘は男の核心を突いた様であった。わずかに顔を強張らせてから、男はがしがしと頭を掻き険しい表情はそのままに口を開く。

「……察しが良いな」

「人の命が掛っておる話か。エジュールから新たに兵を送るのなら、この様子ではまだ時間がかかりそうであるが、我らならすぐにでも向かえる。なんとならば我らも力となろう」

「ドライセン様はご覧の通り逞しいお方ですし、わたくしは弓と魔法が使えます。回復魔法と水系統の攻撃魔法のどちらも嗜んでおります。オーク二十匹ほどには働いて見せましょう」

「分かった。事が済むまでは口外してくれるなよ? そちらの白い方の言うとおりゲリア暗黒遺跡に出現する魔兵どもの間引きに、冒険者と兵士の部隊を出したのだがどうやらこれまでの例と比較して、かなり数が多いらしい。
 こっちの増援は編成中だが時は一刻を争うものだ。あんたらが魔兵を相手にしても構わんと言うのなら、助けに向かってくれ。報奨はギルドに出した依頼と同額、いやおれに出来る範囲で色をつけさせてもらおう」

「ふむ、承知した。魔兵共はどの程度の規模で出現しているのだ? 得られている情報は?」

「救援の伝令兵の話によれば魔兵は刃魔コルド、爪魔ゼンバ、弓魔ソルベ、剛魔ラムドの四種。数は正確な所は分からが少なくとも二百体はいる。いつもなら精々が五十体と言った所なんだが、ここ最近は出没が収まっていた事もありこちらの戦力を少なめにしていたのが仇になってしまった状態だ」

 男の顔は一層険しさを増している。魔兵の出没が少なくなっていた事を理由に派遣した戦力は例年よりも少なく、予想外の数を誇る魔兵を相手にどこまで持ちこたえられるものかどうか。
 ましてや魔兵一体一体の戦闘能力は熟練の騎士や一角の冒険者にも匹敵するほどなのだ。エジュールを拠点としている歴戦の冒険者も派遣部隊には含まれているが、いかんせん絶対数が違いすぎる。

「魔兵の創造神はギムラナム系統の暗黒神だったか。あれは大地の力を操る事に長けておった。となればおそらく地脈と地上と接続した魔界より流れ込む瘴気、地上に生きる者達の負の感情を核に魔兵を創造する祭器が安置されているか、奇蹟が施されている筈。信者共がなんぞしたのであろう」

「ではわたくしたちは遺跡に向かったエジュールの方々を可能な限り救出し、救援が来るまで持ちこたえると言う事でよろしいでしょうか?」

「ああ。そうしてもらえると助かる。魔兵を殲滅まではしなくていい。もともと定期的に発生する魔兵を間引くのが目的だったんでな。すまんな。なにか他の依頼を済ませた帰りだったのだろう?」

「なに、農場の柵の修理を手伝っただけの事よ。疲れなど欠片もない。ではその依頼確かに引き受けた。引き受けたからには微力を持って尽くす事をここに誓おう」

「わたくしも辰巫女の誇りに掛けてお誓い申し上げます」

「すまんが、重ねて頼む。おれ達もマイラスティとアルデスの神官戦士団と合流しだい、すぐに遺跡に向かう」

 頼み込む男に一つ頷き返し、ドライセンは瑠禹の背中と膝裏に手を回して抱きかかえてから大きく翼を広げて、天高くへと飛び立った。
 成竜の羽ばたきに負けない力強い翼の羽ばたきは、二人を瞬く間に空の青の中へと運びこみ、翼の皮膜に風を捉えたドライセンはゲリア暗黒遺跡のある方角を目指して、天から降る流星の様に空を飛んだ。
 二人に依頼を出した男も、周囲に集まっていた兵士達も見る間に小さくなってゆくその姿を見送っていたが、それもすぐに切りあげた。いまも遺跡で戦っている仲間達を助ける為に、無駄にしていい時間は僅かもないのだから。


 ゲリア暗黒遺跡は、千年近く昔に近隣を支配下に治めていたさる邪教集団の宗教施設のなれの果てである。
 夜な夜な邪悪な神に生贄の血と嘆きと魂を捧げ、その代償に強大な魔力と長大な寿命、魔物を操る術や魔兵の創造技術を与えられた彼らは、実に百年近くもの間栄華の時を過ごしたが、同時代のマイラスティ教の大司祭や戦神アルデスを信奉する戦士団と、支配下に置いていた人々の一斉蜂起によって壊滅の憂き目を見ている。
 邪なる神々への信仰と教義それ自体はいまも世界のどこかで根を張り、陽の光に晒される事を避けながら命脈を保ち続けているが、この遺跡にはその当時の邪教集団の痕跡がいまなお払拭する事叶わずに残されていた。

 それが魔兵という存在である。
 魔兵とはドライセンの推察通り、大地の奥深くを流れる惑星の血管と呼ぶべき地脈の純粋なるエネルギーと、魔界の高密度の魔力と瘴気、そして魂持つ者が発する負の感情を材料とする事で誕生する魂を持たない邪悪な魔法生命体だ。
 信仰を捧げる事によって神より授けられる品物を主に“祭器”と呼称するが、ゲリア暗黒遺跡を支配下に置いていた教団に授けられた祭器のひとつに、この魔兵を創造するものがあった。

 邪教集団を駆逐した当時の聖職者や、現在に至るまでの権力者たちはこの祭器の破壊を幾度となく目論んだが邪教集団壊滅に際し、奴隷や信者、高位の神官を含め数百人余りが生贄となって施された不滅の奇跡によって祭器は守られており、いまなお傷一つ着ける事が叶わずにいる。
 ほかの祭器も同様に不滅の加護によって守られており、いまも世界のどこかで邪教徒たちの信仰の礎となっていることだろう。

 発するあまりに濃密な瘴気から動かす事も叶わない祭器からは、いまも魔兵が生み出され続け、人々はこれが対処できない数になる前に間引きをする事でその脅威を減じる行為を重ねている。
 今回のエジュールから派遣された部隊の目的も、その定期的な間引きに過ぎなかったのだが、邪教の信者達が動いたのかあるいは祭器が常よりも多く力を蓄えた事で大量に魔兵を産みだしたのか、派遣された部隊だけでは魔兵を間引くには手が足りない事態に陥ってしまったのである。

 ゲリア暗黒遺跡は広大な城塞都市がかつての戦いと時の流れの中に荒廃していった遺跡であり、遺跡中央に残る大神殿を網目状の信者や奴隷、司祭たちの住居施設の廃墟が広がっている。
 そこかしこに白骨化した人間の死体や人間以外の動物や魔物の死骸が転がっており、それらが死する際に発した恨みや怒り、恐怖と言った感情が原材料となって次々と魔兵が生み出されているのだ。
 かつては中央大神殿の最奥までが踏破されていたのだが、邪教集団落日の際に当時最高位の大神官がその身に降ろした邪神の奇跡によって、無数の魔物や魔兵が召喚されて、大昔の討伐軍は多大な犠牲を払い一度は制圧寸前まで行った遺跡の放棄を余儀なくされたのである。
 その後遺跡に残された魔兵創造の祭器が生み出す魔兵と、残留している暗黒の魔力に惹かれた外部の魔物や召喚された魔物の子孫が跋扈している為、現代になっても大神殿最奥までの完全制圧は成されていない。

 調査によって外周部から第五区画、第四区画、と数字が小さくなっていき大神殿の存在する第一区画にまで区切られ、第二区画の半ばまでの詳細な地図が作られている。
 かつて作られた精巧な地図は、歴史の流れの中に消えてしまい改めて足を踏み入れて再度書き起こされた地図である。
 トラップの類が存在しない事はせめてもの救いであったが、邪神降臨の際に発せられた暗黒の魔力と瘴気は尋常な生命にとっては害悪にも等しく、長時間の滞在が著しく心身を害すると言う弊害もある為、討伐を行わんと外部から来た者達にとっては悪環境と言える。
 今回エジュールから派遣された部隊は、王国側の戦力が魔法使いと教団から派遣された神官戦士を含む兵士五十名、それにギルドで募集された冒険者や傭兵が三十名の合計八十名。
 対して魔兵は二百体。あくまで目的が魔兵の間引きである為、魔物はほとんど無視されていただろうが、それでも二百対八十という倍以上の戦力差は覆し難く、ましてや対象が魔兵とあっては数字以上の戦力差がある。

 予想を越える魔兵達の出現に早々に派遣部隊は撤退を決め込み、三十名近い死者を出しながらかろうじてその大部分が第五区画、遺跡の最外縁部にまで後退する事に成功していた。
 予め残しておいた物資の集積場に残った戦力を集合させ、負傷者の手当てを行いながら追撃を仕掛けてくる魔兵達をかろうじて撃退している状況である。
 魔兵に対し有効な神聖魔法を扱える神官戦士たちと指揮を取る騎士を中心に、エジュールからの救援を待つ派遣部隊は、殿を務める冒険者と兵士達によってなんとか文字通りの全滅と言う憂き目を防いでいた。
 迫りくる魔兵達を相手に入り組んだ迷路のような遺跡の廃墟の中を走り回り、あちらこちらで叫び声や肉を斬った時の独特のくぐもった音が重ねられている。
 プレートメイルやレザーメイル、チェインシャツの目立つ殿部隊の中で、ひときわ異彩を放つのは二人の若い獣人の女性であった。

 一人は犬系統の獣人の様で背中の半ばまで届く長い茶髪を組み紐で束ねて垂らしていた。
 左右のこめかみには雪華結晶を模した桜色の髪飾りを付けて前髪を束ね、頭頂部からは二等辺三角形の耳が飛び出し藍色の袴の臀部からは巻き尾が伸びている。
 袴と袖に隠れて見えないが指先から肘、膝に至るまでも髪の毛と同じ色の毛並みに覆われているようだ。
 胸部と腹部を守るのは蛇腹状に編まれた赤胴色の鎧で、両肩と腰の側面と手の甲から肘までを覆う手甲と脚甲も鎧と同じ色をしている。
 拵えは王国で流通している防具と比べると随分と印象を異にするもので、まず普通には手に入るまい。王国で手に入れようとしたらオーダーメイドになるだろう。
 アレクラフト王国の存在する大陸から、海を隔てて東方に向かった先にある島国で流通している武者、侍という特権階級の者達が纏う鎧だ。
 この地域の人種からすれば彫りの浅い顔つきは、目が大きく鼻や唇は小さな作りをしている事から、ずいぶんとあどけない印象を受けるに違いない。王国の人々からすればこの犬少女は実年齢よりも随分と年下に見えることだろう。

 もう一人は侍風の装いをした犬少女と似た耳と尾を持っていたが、耳はより大きく内側の白い毛はふわふわと風に靡き、円やかなラインを描く肉付きの豊かな尻から伸びる尻尾はふっくらとしていてたっぷりと空気を孕んでいて、触り心地は非常に良いものだろう。
 金色の耳や尻尾の先端の毛並みは白く、同じ犬系統ではあってもこちらの少女は狐の獣人であることが伺える。
 重装と言える侍風犬少女と違い、こちらの狐少女は背も高く黒い革製のインナーに包まれた肢体は随分と官能的で、驚くほどくびれた細い腰つきは男の欲情をそそる為に突き出ている様な豊かな乳房と、かぶりつきたくなるほど肉付きの良い尻を繋いでいる。
 インナーの下半身は足の付け根をかろうじて覆うだけの品で、爪先から太ももの半ばまでを包む黒のソックスを履き、薄紫色に染めて白い桔梗の花模様を散らした羽織に袖を通し更にその上に袖のない厚重ねの革製のベストを纏っている。
 肘から先や膝から下に至るまでは、なめした革の黒い手甲と脚絆で守られているが侍犬少女と比べるとこちらは随分と軽装だ。おそらく羽織かベストに目に映らぬ防御を担う護符か魔法の品を忍ばせているのであろう。

 侍犬少女と違ってこちらの狐少女の手足は、白く透けるような肌に覆われており獣の毛並みに覆われてはいない。
 やや吊り目がちではあったがやはり瞳は大粒で顎のラインは細く顔を構成する各種パーツは小ぶりで、相棒よりはいくらか大人びた顔つきをしているが、それでも異国の血による造作は、王国の住人よりもやや幼い印象を与える。
 右手には切っ先から柄に至るまでが緑一色で染められ、鍔には風精石が埋め込まれており、刀身自体が風の魔力を帯びた“風薙(かざなぎ)”というマジックダガーが握られている。
 左手には鈍色のアイアンダガーが逆手に握られており、両手のダガー二振りは魔兵達の戦闘の最中、忙しなく振るわれている。
 侍風少女が王国風に言う所の騎士であるのなら、こちらの狐耳の少女はさしずめ密偵か暗殺者に相当するだろうか。狐少女の職業を生まれ故郷風に言うなら忍びかクノイチになる。
 侍犬少女と狐クノイチは互いに背を預け合いながら、王国の騎士と兵士、魔法使いの冒険者と合わせた五人で、エジュールからの派遣部隊の殿を務めて襲い来る魔兵達の足止めに命を賭けていた。

 左右は既に屋根や壁の崩れた廃墟に囲まれ、前後は開けているがおそらくはかつての大通りだった場所なのであろう。
 そこで五人は正面に刃魔コルド、爪魔ゼンバをそれぞれ五体ずつ相手取って撤退戦を演じていた。
 コルドは逞しい体つきの戦士を思わせるシルエットだがその右手首から先は刀身の長さが九十センチに達する長剣と融合しており、また全身が青黒い硬質の肌に覆われており、顔はつるりとした卵の様なマスクに覆われているかのようで、額に相当する箇所から黒い魔力の炎を逆立たせた髪のように靡かせている。
 その剣技は魔界に落ちた剣士の魂から抽出し模倣したものであり、高い身体能力と耐久性、魂も心も命さえも持たず怖れを知らぬが故にその戦闘能力と危険性は高亜人や人間からすれば極めて危険な相手だ。
 ゼンバは精々が九十センチ程度の背丈の酷い猫背の魔兵である。トカゲの様な顔は鼻先に向かって細まり、口も鼻もなく真珠の様な眼玉が四つ並び忙しなく周囲を見回している。
 骨だけで筋肉の筋はないような腕は手首から先が、長さ六十センチほどの鋭い刃が五本伸びている。
 その矮躯と目にも留まらぬ敏捷性、手首から先に生える刃を振るって膝を斬り、太ももを断って、身動きのできなくなった敵対者を殺傷してゆく恐るべき小兵である。
 
 数で劣る派遣部隊側はまともには魔兵達と戦わぬように、徹底して守りの戦い方をしているが、魔兵の高い戦闘能力を相手にまだ致命的な傷こそ負っていないものの、全員が泥の様な疲労を体に溜め込んでいるのは確かであった。
 侍犬少女は正面からこちらの左肩口に振り下ろされるコルドの長剣に合わせて刀の刃を添え力の流れを変えて受け流し、体を泳がせて左脇腹を晒すコルドに反撃の一刀を振るうよりも、コルドの影から飛び出て来たゼンバの爪を躱す事を優先した。
 赤錆に塗れたようなゼンバの左手の爪が赤い軌跡を五筋空中に描きながら、右足を狩りに来るのを犬少女は咄嗟に足首に撓めた力で後方に跳躍して回避する。
 触れれば革製の防具ではあっさりと切り裂かれる恐るべき切れ味の爪である。またそもそも魔兵それ自体が瘴気を帯びている為、わずかな傷でも徐々に体力と気力を奪う毒へと変わる。
 魔法使いの援護があればこそ数の不利に押し切られずなんとか現状を維持できていたが、すでに魔法使いの魔力の残量は心許なく、犬少女や狐クノイチ達はロングソードを手にした重装の騎士とロングスピアを手にした兵士との連携を主にしていた。

「風香(ふうか)!」

 侍犬少女は咄嗟に相棒の名前を叫んで、風香と呼ばれた狐クノイチは自分の背後に回り込もうとしていたゼンバの影に気付き、大きく腰を落としながらの回し蹴りでその左の肩口を蹴り飛ばした。
 人間を上回る身体能力を持つ獣人の脚力は、小柄なゼンバの体を大きく蹴り飛ばし、ゼンバは何度も荒れた石畳の上をバウンドしてから、風に晒されて崩れる寸前の石壁に激突する。

「かたじけないでござる!」

 東国風の二人の周囲でも騎士や兵士が複数で攻めてくる魔兵を相手に一進一退、いや一進二退の攻防を繰り広げており、殿を務める五人が全滅の憂き目を見るのにそう時間は掛るまい。
 再び背中合わせになった風香と侍犬少女――八千代は、共に肩を大きく上下させて荒い息を吐きながら、周囲を囲いこむコルド三体とゼンバ三体を射殺すような視線で睨み牽制している。
 細い両肩こそ大きく上下していたが、八千代の構えた刀の切っ先はぶれることなく固定された様にコルドらへと向けられている。

「ギルフォード殿、この場は我らがお引き受けいたす。貴殿らは一刻も早くこの場から退かれよ!」

 騎士ギルフォードは頸動脈を狙って跳躍したゼンバを盾で殴り飛ばしながら、八千代の言葉に耳を傾けて、まだ二十代半ばの若い顔に苦渋の色を浮かべる。
 まだ若い騎士ではあったが十代の後半の頃から、エジュール近郊に出没する魔物や野盗を相手に命のやり取りを重ねて来た為に、経験は十分に積んでおり新米扱いする者は騎士団の中には誰もいない。
 であるから現状の魔兵達を相手にした自分達の危険性を、ギルフォードは良く理解していた。フェイスガードを降ろしたフルヘルムの奥から、苦いものを噛み締めた声が零れでる。それはギルフォードを十歳も二十歳も年を取らせた様な声だった。
 この場を引き受けた八千代達が死の手から逃れられぬ事を十二分に理解し、それを肯定する決断を下した自分に対する感情が、そうさせた声であった。

「すまない。ギルフォード・ランボス、この恩は生涯忘れぬ。魔法使い殿!」

「……大地の深奥に眠る灼熱よ 猛る壁となりて敵を遮るべし ブレイズウォール!」

 冒険者の魔法使いが残る魔力を振り絞って放った燃えさかる炎の壁が、騎士達を囲んでいた魔兵との間に生じ、この場では黄金や宝石にも等しい数秒間の猶予を稼ぎ出す。
 大地の地下深くに流れるマグマ流の熱を、術者のイメージする壁の形で表出させる魔法で、発動には平らな地面などを必要とするが燃えさかる炎それ自体が壁の役割を果たし、放出される熱が産む上昇気流が、毒性の気体などを遮断する副次効果もあり、使い方次第では攻防を兼ねる火炎魔法である。

「お早く、炎の壁はあまり持ちませぬぞ」

 魔法使いが頬に脂汗を流しながら走りだし、兵士とギルフォードもそれに続いて八千代達に背を向けて駆け出す。
 ギルフォードだけは一度だけ八千代達を振り返って、小さく頭を下げたが、それきりもう振り返る事はなく鎧にけたたましい音を鳴らせながら全力で駆けだしていた。
 逃げる動きを見せたギルフォード達を追おうと、咄嗟に飛び出したゼンバがブレイズウォールによってその頭を焼かれ、肉体を構成していた魔力の結合を崩壊させて黒い光の粒子となって風に吹かれて消えたが、他の魔兵達はゼンバに続く事はせずこの場に残った八千代と風香へと向き直り、改めて包囲陣形を敷き直していた。
 腹を空かせた餓えた狼が弱り切った獲物を前にしているかのように、確実に仕留める機会を見定めて待つ魔兵の包囲陣の中で、疲労と恐怖から顔を青く変えた風香が背中の向こうの八千代に声をかけた。
 この世で最後となるかもしれない会話であった。

「うう、よりにもよってこんな貧乏くじを引く羽目になるなんて、不運にもほどがあるでござるよ」

「何を言う風香。共に戦った仲間を守る為に殿を務めて戦う。まさに武士に相応しき戦いではござらんか」

「口では何とでも言えるでござるよ! 怖いものは怖いでござるし、お股に尻尾を挟んでしまいそうでござる」

 強がりを言う八千代ではあったが長い付き合いの風香には背中合わせの八千代が、全く恐怖を感じていないわけではなく、犬系統の獣人が怯えている時に見せる尻尾を股に隠すという行為をしてしまいそうなのを、必死に抑えているのが分かっていた。
 かちかちと音を立てて打ち鳴らしそうになる歯を噛み締め、なんとか自分の中の勇気を鼓舞してギルフォード達を逃がす言葉を吐いたのだろう。
 そんな八千代であるから風香も見捨てて逃げる事が出来ないのである。

「うう、嵐に遭って船から遭難し、命からがら異国の海辺に打ち上げられて、なんとか冒険者として生活の糧を得られる様になったと思った矢先でござったのに、誉も何もない魔兵を相手に討ち死にとは」

「なあに、父祖には轡を並べて戦った仲間を守る為に死んだと誇れようさ!」

「もう、破れかぶれになっているのか前向きなのか分かりづらいでござるが、状況は非常に不味いんでござるよ!?」

「し、仕方あるまい。気付いたら口走っていたんでござるよ。それにことここに至れば腹を括るしかなかろう。せめて一体でも多く倒す事だけを考えるべきぞ」

「はあ、政略結婚が嫌だからと家を出たハチについてゆくと決めたのは拙者でござるし、これも自業自得なのでござろうか」

 ハチというのは八千代の愛称であった。家族や親しい友人にだけ許した呼び名である。

「一蓮托生という言葉もある。なに現世で非業の死を遂げても常世ではその事を評価してもらえよう」

 風香とそしてこれから陰惨な死が待ち構える自分を慰めるように八千代は言うが、その言葉は自分達の死後を想っての言葉ばかりであり、実際には自分達が助かる可能性がないものと考えてのものだった。
 震えそうになる腕や足を必死に堪え、刀を握る腕に力を込めて恐怖が溢れるのを抑えるのにも限界と言うものはある。八千代と風香が軽口を叩きながら表面上の平静を保つのも、そろそろ限界と言うものだろう。
 すでに魔法使いの発動させたブレイズウォールは消えており、熱せられた空気と焼かれた石畳の匂いだけがその名残であった。

「風香、家を出て以来色々と紆余曲折があったが、一緒に来てくれて嬉しかった。これは本当に本当でござるよ」

「こういう時にそう言うのを口にするのは卑怯でござる。覚悟を決めざるをえなくなるでござろう。……こうなったら冥府の底までお付き合いいたしもうそう」

 愚痴を一通り吐いて落ち着きを払ったのか風香も焦った色をその顔から消して、両手のダガーを翼を広げた魔鳥の様に広げて構えた。
 色々と言いたい事はあったがでも、まあ、悪い死に方ではあるまいと思う事は出来た。影の中、闇の奥で誰に知られることもなく死ぬ忍びの定めと比べれば、誰かの為になる死に方をする分、まだ人らしかろう。
 でもやっぱり死ぬのは嫌だな、風香は口の中でその言葉を噛み潰して重心を落とすコルドの姿に、金色の視線を注ぎ続けた。背中越しに八千代が正眼から右八双に構えを移行したのを、風香は感じた。
 なんとか八千代だけでも逃がそう、と風香は心の片隅で決めた。そして八千代もまた風香をなんとか逃がそうと決めていたのを、風香は知らず八千代もまた知らなかった。
 風香の視界の中で黒光りするコルドの長剣が旋風と変わって動いた。ただし八千代と風香に向かって振るわれたのではなく、ギルフォード達が逃げ出した方向から放たれた透き通った水の矢を弾く為に振るわれたのである。

 視覚に寄らず周囲の状況を把握するコルドの一体が振るった長剣に弾かれた水の矢は、無数の飛沫と変わったがその飛沫は空中に散る事はなく、そのまま飛沫の弾丸と変わってコルドの胸部と頭部を襲う。
 同じ大きさの鉄球に等しい硬度でコルドを襲った飛沫の弾丸は、そのまま硬質の肌に覆われたコルドの肉体に深々とめり込み、鮮血の代わりに魔兵の体を構成する霧状の魔力を勢い良く噴き出した。
 ギルフォードが援軍と共に駆け付けたというにはあまりに速すぎる。エジュールからの救援か、と八千代と風香が周囲の魔兵達への警戒を維持しながら視線を向ければ、そこには二人にとって馴染みのある故国の巫女装束に身を包んだ龍人の少女が青い弓を構える姿があった。
 瑠禹である。蒼波龍の弓に指の股に挟んだ水の矢をつがえて次々と狙いを定めて矢を放つ。次の敵へと狙いを定めるのが恐ろしく早くまた弓弦から解き放たれた水の矢は、糸で繋がっているかのようにして、魔兵達へと正確極まりない精度で襲いかかる。

 二体のゼンバが首元と鼻先を貫かれ、更には体内に侵入した水を媒介とした瑠禹の霊力によって内部から破壊されて、黒い霧状に霧散する。
 コルドはそれぞれが手にした長剣を振るって水の矢をはたき落とし、同時に飛沫の散弾を喰らわないようにと長剣を振るうのと同時にその場から飛びのく動きを見せている。一体のコルドの犠牲と引き換えに水の矢の脅威に対する対処法を学んだのだろう。
 空中の水分と瑠禹の霊力で無制限に作り出される水の矢の強襲によって八千代達を囲っていたコルドらの陣形は崩され、八千代と風香が窮状を脱する好機が生まれた。

「エジュールからの救援の者です。こちらへ、お早く!」

 楚々とした外見の瑠禹の有無を言わさぬ叫びに八千代と風香は疑念を抱く暇もなく、瑠禹の元へと駆けだしていた。本来は龍である瑠禹の声には恐慌作用などを伴う力がある。
 弾かれた様に八千代と風香が瑠禹目がけて走りだすのを追い、コルドとゼンバが瑠禹に狙いを定めさせないようにとかつての大通りに広がり、更に左右にとじぐざぐに走りまわり敏捷性に富むゼンバなどは、朽ちかけた壁を走るという芸当を見せる。
 瑠禹は良く狙いを定めて矢を放つが、コルドの長剣は襲い来る水の矢を魔力宿る黒の長剣で弾き、ゼンバは十本の爪を最大の武器である敏捷性と小柄な体躯を活かして矢を躱して、背を向ける八千代と風香の二人に迫る。

「動きが速かろうと魂も持たない魔兵などに」

 瑠禹は弓弦に矢をつがえる速度を速めるだけでなく、自身の周囲にも水を司る龍としての力を用い、拳大の水球を作りだして矢と合わせてそれらによる弾幕を展開し、コルドとゼンバを更に一体ずつ穴だらけに変えて霧散するも、恐怖も失うべき命も持たぬ魔兵達の足が竦む事はない。
 先頭を行くゼンバが八千代の背中に迫り、いよいよ両手十本の赤錆の爪を突き立てるべく水平に構えて足に撓めた力を解放して跳躍しようとした瞬間、大通りの右側でまだ原型を留めていた家屋が内側から吹き飛び、砕けた瓦礫がゼンバを飲み込みその重量で圧殺した。
 立ちこめる土煙の中からぬうっと姿を露わしたのは、瑠禹と共に救援に駆け付けたドライセンである。逃げる八千代と風香をカバーする為に瑠禹とは別のルートで伏せていたのだ。
 背後の物音に八千代と風香が反射的に振り返り、土煙の中で白い鱗を陽光で輝かせて仁王立ちするドライセンの姿に気付き、その威容に状況を忘れて唖然と見入る。
 その二人のすぐ後ろにいつの間にか矢を放つ手を休めた瑠禹が居た。瑠禹の手が八千代と風香の肩に軽く触れると、二人の身体に鉛の様に溜まった疲労が消えて代わりに豊潤な活力が満ち溢れる。

「お二人が殿部隊の最後とお聞きしました。八千代さんと風香さんで相違ございませんか?」

 金鈴を鳴らす、とはこういう声だろうと八千代は場違いな事を思った。

「は、拙者が八千代、こちらが風香で」

「ご無事で何よりです。先ほどギルフォード様よりお二人が残られた事をお伺いしましたので、急ぎ参ったのです」

「その様な次第でしたか、どうやら我らは命を拾ったようですな。ではあの白い竜人殿に助太刀せねば」

「いえ、それは無用かと」

 揺るがぬ不動の自信と共に前を見る瑠禹の視線を追った八千代と風香の瞳は、魔兵達を瞬く間に叩きのめすドライセンの姿を捉えて、見ていて面白いほど分かりやすく見開かれた。
 ドライセンの巨躯から放たれる闘争の気配と濃密な魔力の気配に、魔兵達はすぐさま目の前に立ちはだかる白い鱗のドラゴニアンを最大の敵と認識し、疾駆していた足を止めて腰を落とし必殺の一撃を叩き込むべく構え始めていた。

 全身から冷たい殺気を放つコルドらの姿をドライセンは特に感情の色を浮かべぬ瞳で見まわし、軽く拳を握り直す。オーク達からの戦利品であるハルバードを握り潰してしまって以来、ドライセンは現在新たな武器を持たない無手のままである。
 だがその女の腰ほどもある太さの腕やウォーピックを思わせる指先の爪など、生まれ持った肉体だけで十分な武器足り得ることは傍目にも明らかであった。
 初手はドライセンの脛を切り裂きに動いたゼンバであった。地を這う影の様に低く身を落とし、風の様に素早い動きは人間の目で追えるかどうか。
 このゼンバの小柄な体躯と敏捷性を活かした戦い方に、多くの戦士達が膝から下を失い大地の上で血の筆を振るいながら悶絶し、そしてゼンバの爪に首を刎ね飛ばされてきたのである。

 対するドライセンのアクションは極めてシンプルであった。自分の膝や脛を狙って迫るゼンバに、無造作に前蹴りを正面から叩きこんだだけだ。しかしその蹴りにはミスリルにも匹敵しよう硬度の鱗と圧倒的な膂力、疾風のごとき速さが備わっていた。
 風香と八千代はゼンバにも勝る速度でドライセンの足が動いたと、ゼンバの上半身が吹き飛んだのを見た後でようやく気付いた。

 ドライセンの振り上げた右足は柔軟な股関節に支えられて半月の軌跡を描き、ドライセンの頭上まで持ちあがりそして勢いよく振り落とされる。風を巻きさらにその巻いた風をも引きちぎる剛脚の踵落としであった。
 断頭台に拘束された罪人の首を落とすギロチンの如く振り落とされたドライセンの足は、別方向から迫っていたゼンバの頭部から股間部までを圧倒的な力で粉砕していた。
 爪ばかりでなく骨に皮がへばりつき、赤錆で覆った様なゼンバの矮躯は質量、膂力共に隔絶したドライセンの踵落としを受けるや、内部で爆発が生じたかのように全身を爆散させて果てた。

 ゼンバの破片が空中で霧状に変わり消えるよりも早く、ドライセンは足場の石畳をパウダー状にまで粉砕する踏み込みの強さで、正眼、八双、上段と長剣を構えるコルド達へと挑みかかっていた。
 踵落としから踏み込むまでの動作が余りにも自然で流れる様であった為に、八千代達は動いた後にようやく動いた事に気づけるほどの速さであった。
 ドライセンの戦い方は極めて原始的で凶暴なものだ。五体を駆使してただただ手の届く距離に居る敵を、その剛腕で、爪で、脚で、尻尾で、牙で殺傷する。

 唸る剛腕の一振りは破城鎚に等しく、爪は死神の振るう大鎌であり、五体の全てが強力な武具そのものなのだ。
 コルド達の動きは迅速であった。疾風の動きでドライセンを三方から囲いこみ、それぞれの右手首から先が変形した長剣を、ドライセンの鱗が守っていない目、牙そのもの、そして皮膜を持った翼へと狙いを定めて振るう。
 ドライセンの重装鎧にも匹敵しよう鱗に自分達の刃が通らぬとすぐさま看破し、通じる弱点を狙う判断の的確さもまた、魔兵を油断ならぬ敵となさしめる要因であった。

 しかしてドライセンの動きはどのコルドらよりもなお速い。技術を兼ね備えたコルドらとは異なり、純粋な身体能力による速さであった。技術は能力の強弱を埋める最良の手段の一つであるが、飛び抜けた力はそれ自体が一つの技術にも等しくなる。
 目を狙って突き込んできた長剣を軽く首を傾げて避けるやドライセンの左腕が、電光の突きを放ったコルドの頭部を掴むと、一息の間に握り潰しそのままコルドの体をハンマー代わりに振り回して、背後に回り込んで翼の皮膜を狙っていた別のコルドに叩きつけて二体のコルドを、霧状に崩壊させる。

 そして牙に守られた口内を狙ったコルドの長剣は、その牙で噛み止めてそのまま長剣を噛み砕き、腰の位置から振り上げた右拳がコルドの顎先を捉えて砂山を散らす様にコルドの頭部を微塵に粉砕する。
 一合と合わせる事もなくコルドらを瞬殺したドライセンは、更に自身の影のかかる位置にまで迫っていた残りのゼンバ達に対して、口腔の奥から吐きだした紅蓮の火炎流をもって対応した。
 自分自身をも巻き込む炎をそのまま前方へと振るい、腰だめに刺突の構えを取っていたコルドらをも纏めて焼き尽くした。摂氏数千度にも届くドライセンの火炎は石畳や周囲に残っていた石造りの家屋の廃墟を融解させ、周囲の大気を瞬く間に熱する。

「な、ば、馬鹿な。いくら竜人とはいえ魔兵達をああも簡単に倒すなど」

 魔兵達との厳しい撤退戦を演じていた八千代や風香にとって、自分達があれほど手古摺った魔兵を、赤子の手を捻るかのように蹴散らすドライセンの武力は直接目にしてもなお信じがたい衝撃の光景であった。
 ドライセンは燃えさかる自身の炎に向けて腕を振るい、轟々と燃えていた炎を鎮火させる。ドライセン自身も炎に包まれていたが、鱗はおろか下半身に履いている袴にすら焦げ一つとてもない。
 鱗はともかく袴が無事なのはドライセンが自分自身を保護する防御障壁を展開していたのであろう。

「ふむ、この場におった魔兵はこれで全部か」

「ドライセン様、こちらのお二人にお怪我はございません。ここはお二人と共に下がってもよろしいかと」

「む……ふむ?」

 瑠禹の意見に応じようとしたドライセンは、何かに気付いた素振りでコルドらが姿を見せた遺跡の最奥部――第一区画の方へと青い視線を向けて、何かを探る様に沈黙を友として押し黙る。
 魔兵達が見る間に殲滅された光景に、八千代と風香はまだ理解が追いついていないのか、ぽかんとした顔でぼけっとその場に突っ立っていたが、瑠禹はドライセンの態度が気になりそのすぐ傍まで歩み寄った。

「いかがなされました、ドライセン様」

「瑠禹よ、遺跡の中央へ向けて感覚を研ぎ澄ませて“視る”のだ」

 ドライセンに対しては素直な瑠禹であるから、言われたとおりにドライセンと同じ方向へと顔を向けて、弓を肩にかけて両眼に魔力を集中させる。
 途端に通常の視力では見る事の叶わない領域の視覚情報が飛び込み始め、ドライセンの言うとおりに第一区画に満ち満ちていた暗黒の魔力が徐々に薄まりつつある事を視た。

「これは、どなたかが封印を施されたと言う事でしょうか? しかし神々の作りだした祭器を一時的にせよ封じる事が出来るとなれば、並みならぬ力量の方でなければなりませんでしょう。一体誰が?」

「さてな。そこまでは分からぬが我らやエジュールの人々にとっては、良い知らせであろう。既に誕生した魔兵共はともかく新たな魔兵が作りだされるのには、かなりの時間が掛るだろう。その間に改めて祭器に更なる封印を施すか、邪教の徒を討てばよい。
 我らがするべき事ではないがな。ヤチヨにフウカと言ったか、怪我はないのだな? よくぞ我が来るまで持ち応えた。ギルフォードから聞いたが、自ら足止めを買って出たそうな。見事な心意気、そなたらのような勇気ある者を死なせずに済み、我らも鼻が高いぞ」

「へあ!? い、いいえ、それほどでもございません。拙者も風香も死を恐れて怯えてしまうのを必死に隠して強がりを口にしただけの事ですので、貴殿ほどの武勇の持ち主にお褒め頂くほどの事では」

「なに恐怖を御する事が出来るものは少ない。強がりであれ勇気を見せる事の出来たそなたらは立派な勇気の持ち主ぞ」

「ははは、いや、なんというか気恥ずかしゅうございまするな。なあ、風香。風香?」

「……た、助かったのでござるか?」

 八千代に呼び掛けられて凝然と固まっていた風香はようやく我に返ったのか、震える声で幼馴染の侍犬耳少女に問いかけた。八千代は苦笑するように口元の形を変えて頷く。
 それを見た風香は腰が抜けた様にへなへなと、石畳の上にぺたんとその熟した桃のようなお尻とふんわりとした尻尾をついてしまう。

「こ、今度ばかりは死ぬと思ったでござるよ~」

 狐耳をぺたんと倒し疲れ果てた声を出す風香の姿に、瑠禹とドライセンは互いの顔を見合わせてから、くすりと微苦笑を零した。

<続>

名称 :八千代
職業 :へっぽこ侍/初級冒険者
種族 :犬人(柴犬)

名称 :風香
職業 :へなちょこクノイチ/初級冒険者
種族 :狐人(赤狐)

 狐の獣キャラと言うと金髪をイメージします。我が家のお稲荷様の空幻の影響でしょうかね?

11/20 13:56投稿
    22:44修正 科蚊化様、JL様、sg様、かのん様、ご指摘ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生23+外伝
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2012/01/01 21:19
さようなら竜生 こんにちは人生23


 面接試験を終えた後、アリスター教師に先導された私はセリナ達と別れたエントランスホールへと向かっていた。
 強化した聴覚が聞きとった学院長達の会話から、自分が予定通りガロア魔法学院の生徒になれる事を確信した私は、かすかな安堵を覚えるとともに入学してから過ごす時間を有為なモノにすべし、と決意を新たにしている。
 しん、と静まる学院の廊下に私とアリスター教師の足が立てる足音だけが、かつん、かつんと一定の拍子で連続して響く。
 不意に私の前を行くアリスター教師が前を向いたまま私に声をかけて来た。灰色の雲に覆われた荒野を渡る冷たい冬の風を思わせる声で、いささか人情味に乏しく感じられる。
 耳にした者の心に無味乾燥の冷風が吹き、無意識に体を擦って暖を求めようとする、そんな響きがある。

「君は非常にユニークな生徒だ。筆記試験、実技試験を受けていた時の様子。それにこうして歩いている今も、足音と呼吸の拍子が学院に来た時から変わっておらん。そんな生徒を吾輩はこれまで見た事はなかった」

「足音と呼吸ですか? アリスター先生は耳が良いんですね」

「さて、その返答は君の本心か、猫を被っておるのか」

 聴覚及び触覚強化か大気や床の振動を感知して、私の呼吸や足音の拍子に変化がない事に気付いたのだろう。
 前者ならば基本的な技術である魔力による肉体活性の強化魔法、後者ならば風系統の魔法が得手と言ったところか。
 魔法の得手不得手は個人の天性の素質に依る所が大きいが、秘薬投与や外科的手段による肉体改造、魔力を生産する魂魄の性質変化で後天的に変えることはできる。
 とはいえ人間がそれをするのはどちらの方法を取るにしても、心身に強い負担を強いるもので命を落とす危険が大きく、この大陸の魔法使いの大多数からは忌むべき外法の業とされている。
 ちなみに私は魔法使いの中でも希少な全属性を扱える万能型である。
 ただこの全属性に適正を持つ、ということは特化したものがなく器用貧乏に陥りやすいという欠点がある、と人間の魔法使い達の間では認識されている。

 竜族も種によっては一つの属性に特化しているものもいるが、私の場合はどんな属性の力も自在に扱えたので、人間として生まれ変わった今世でも魂が同じである以上は扱える力は変わらない。
 この特性も私が魔法学院に誘われた大きな理由の一つなのだろう。
 特化したものはなくともあらゆる属性に適正を持つと言う事は、将来において取りうる選択肢もまたそれだけ多いということだ。
 そうすればなにか一つの属性を極める事は出来なくとも、あらゆる属性の魔法に秀でた万能の魔法使いにはなれる。
 私の属性に関する適正については、マグル婆さんに魔法を習う時に扱える属性について隠蔽しなかった為、デンゼルさん経由で魔法学院にも把握されているのだ。

「吾輩の指摘を受けても息一つ飲まん。君は見た目通りの生徒だと思ってはならぬようだ。デンゼル師も仰っていたが、実際に会ったことで吾輩も確信した。
 言葉は悪いが君は異常といっていい。この場合は良い意味でだがね。君は入学すれば必ずや南と西の学院への対抗馬としての重圧を感じることだろう。
 あまり楽しい学院生活にはならぬかもしれんが、そこは君の努力次第でいくらでも変えられるだろう。勉学以外にも学ぶべき事は多い。魔法学院で君のやる事は多いぞ」

 デンゼルさんから聞かされた私より二つ年上の西の天才と、南の天才とやらか。どちらも十年に一人の傑物というが、実物はどれほどのものかという興味は、既に私の胸の中にあった。
 デンゼルさんにもアリスター教師にも私が魔法学院に求められる理由として挙げられるのだから、私が興味を抱くのも当然といえよう。
 まだ名前も知らないその二人と、ちょうど実力が拮抗するか少し上になる程度に調整するのが、私が魔法学院を過ごす目安になるだろう。
 取り敢えずいまは単純な魔力量だけを見れば、面接試験の時に顔を並べていた教師陣よりは上にしてあるがさてさて、いまのところはどのような評価を受けていることか。

「これから入学しようという生徒にそういう事を言うのはどうかと思いますけれど」

 とはいえアリスター教師は内部事情を少々晒し過ぎではないだろうか。
 口にした通り私を外見通りの子供として扱わないからこそなのかもしれないが、夢と希望を持って魔法学院に入学しようという私を前に口にするのは、褒められた事ではないだろう。
 私の言葉を受けてもアリスター教師はまるで意に介した風もなく、私に背を向けたまま言葉を続ける。

「安心したまえ。君が言って聞かせても大丈夫な生徒だと思うからこその言よ。その程度の分別ならば吾輩も持ち合わせているのでな」

 ヴェイゼさんだけでなくこのアリスター教師もなかなか食えない御仁のようだが、そういう意味ではあのエルフの学院長も同様か。
 だが個性が強すぎて食えない相手と言うのは、神々の中にも腐るほどいたものだ。
 あのアクの強い連中と付き合ってきた経験のある私からすれば、むしろそういった相手こそ付き合いやすい面も確かにある。
 やはりこのガロア魔法学院という場所で過ごす時間は、私から退屈という命と心をも蝕む最大の天敵を忘れさせてくれるに違いない。
私は確かな予感を噛み締める様に笑みを浮かべた。

 エントランスホールに着くと、そこには既に私よりも早く面接や使い魔認定を終えたセリナ、ディアドラ、リネットとデンゼルさん、ヴェイゼさんの姿が見られた。
 リネットの場合は既に私のゴーレムとして一年前に登録を済ませており、駆動術式や思考形式の確認が主だと言う話だったから、セリナ達とは別行動だったかもしれない。
 私はデンゼルさんとヴェイゼさんに小さく会釈をしてから、セリナ達の方へと歩み寄った。三人共首からメダルの着いたペンダントを下げている。
 魔法学院の紋章の彫刻が刻まれた銀色のメダルは、直径十一シムほど。かすかに魔力が感じられる。
 使い魔の位置を学院側が把握する為の監視魔法といったところだろう。
 この一見すれば何の変哲もないメダルが、セリナ達が使い魔として認識された証であり、私と彼女らがこのガロアで共に在る為の許しでもあった。
 しかしリネットにもこれが支給されるとはな。一見すれば人間にしか見えないリネットの立場を、明確に示す為の処置なのだろうか。
 私とリネットとの間に築かれている関係は、使い魔とその主のものと酷似しているから使い魔扱いしても大差はないのは確かだ。

「皆お疲れ様。疲れてはいないかな?」

 セリナが私の言葉に一番に応じる。試験の間三人との精神の接続を一時的に閉ざしていたから、三人がどのような待遇を受け面接を受けたのかは私の知る所ではない。
 記憶の一部共有などもできるが、それよりは口にして直接本人達から聞く事を選んだ。

「はい、なにも問題はありませんよ。乱暴される様な事もありませんでしたから。ただ私達が最初部屋に通された時には、中に居た学院の人達は随分緊張されていました。
 やはり私達が魔物だからあのような反応が普通なのでしょうね。ベルン村の方達はすぐに私達を受け入れてくれましたから、すこし驚きました」

 ふむ、レティシャさんが受けたマイラスティの神託もあって、ベルン村がセリナを受け入れるのは難しい事ではなかったが、そういった素地もなくいきなりラミアとドリアードを受け入れる魔法学院では、そのような反応にもなるか。
 想定はしていたが四六時中腫れものを扱うかのごとき視線を向けられては、肝太い所のあるディアドラはともかく、どこか気の弱いセリナには堪ったものではないだろう。
 まがりなりにも精霊であるディアドラはともかく、半人半蛇の魔物であるラミアとでは根本的に向けられる負の感情に差があって当然。
 魔法学院に居る間は、セリナの精神の安寧に気を遣わねばなるまい。私に献身的に尽くしてくれるこの蛇娘に、悲しみの涙を流させるような事は断じてあってはならぬ。

「ふむ、入学してしばらくは三人に珍しいものを見る目が向けられるかも。仕方ないかもしれないけれど、あまりいいことじゃないね」

 私が入学する高等部一年では既に使い魔を皆が持っている筈であるから、その使い魔の顔触れ次第によって、三人に向けられる感情や興味の周囲、度合いが変わってくるだろう。
 ラミアやドリアードに外見が近しい種や、珍しい種類の使い魔がいれば向けられる感情も、多少は和やかなものになるとは思うが。
 腕を組み白魚の様な指を顎先に添えて考え込む素振りを見せていたディアドラが、ゆっくりと口を開く。
 憂いに沈む草花の貴婦人とでもいうべき優雅な所作と姿であった。ディアドラが口を開くのと同時に、周囲に漂った芳しい香りはディアドラの口から零れた草花の香りか。

「愛想を良くするくらいの努力はしないといけないかもしれないわね。最初の内はなるべくドランと一緒に行動するようにして、私達が一人で出歩く様な事は慎むべきかしら」

「ディアドラの言にリネットは賛同します。セリナとディアドラの姿を見た時に教師陣でも多少の緊張が見受けられました。
 教師でさえそうなのですから心身共により未成熟な生徒の中で過ごすのならば、リネット達はあまり単独で動くべきではありません」

「リネットちゃんとディアドラさんならまだ見た目も人間に近いし、大丈夫だと思いますよ?」

「セリナ一人を置いてきぼりにはできないでしょ? まあおいおい考えるとしましょう。今日は少し疲れたから、早く休みたいわ」

 ふむ、ディアドラの言うとおり慣れぬ人里に降りて来た為か、セリナとディアドラには少々疲れた様子が見受けられる。
 ほどなく魔法学院で長く時を過ごす事になるのだから、今からこれでは少々先が思いやられる所もあるが、無理をさせるのはあまりに不憫というもの。
 クリスティーナさんと会う時間もない事だし、試験は終わったのだから早々にここを離れて村に変えるとしようか。
 三人の事をねぎらいたい気持ちもあって、私はアリスター教師と話していたデンゼルさんに顔を向けて声をかけた。

「デンゼルさん、試験も終わったしこれ以上なにかする事がないのなら、そろそろ村に帰りませんか? それともまだなにかありますか?」

「いや、お前が今日この魔法学院でせねばならん事はこれで全て終わりだ。お前達はこれで帰って構わんよ。
 帰りの馬車は私の方で手配しておいたから、正門の所にもう来ておる。お前達はそれに乗って帰るといい。私はこのままこちらに残るのでな」

 魔法学院の窓の向うを見れば、来た時には青く濡れた空が広がっていたのに、いまでは橙の色に染まっている。
 馬車での移動時間を考えると村に着いた時には、地平線の彼方に夕陽は沈んでいることだろう。
 ならお言葉に甘えてさっさと帰ろうかな。お土産の一つくらいは買って帰りたいものだったが、あまり持ち合わせもないし買い物をする時間もないか。

「分かりました。じゃあ、セリナ、ディアドラ、リネット、今日はお疲れ様。家に帰ろうか」

 三人を伴って私がデンゼルさん、アリスター教師、ヴェイゼさんに一礼して踵を返すとヴェイゼさんが赤い眼鏡の奥の瞳を、好奇心で爛々と輝かせて私達に別れの挨拶を告げて来た。

「試験の結果通知は三日後には着くと思うわ。入学式の日程やその他の資料も同封されるから、失くさないように大事に扱いなさい。
 それと貴女達も次に魔法学院に来た時には色々とお話しましょうね。今からその時が、とても楽しみだわ。ええ、本当に」

 私が合格することを前提として話しているのはまあいいだろう。実際、もう合格したも同然であるからな。
 しかしだ、その後半部分のセリナ達と話をするのが楽しみと言う台詞に関しては、反射的に身構えてしまう。
 よもや解剖などという事には及ぶまいが、妙な薬を飲まされるか、意図の読めない実験に付き合わされる位はあるかもしれない。
 今の自分はきっと微妙な表情を浮かべているだろうな、と思いながら私は分かりましたと言う他なかった。
 そうしてから私はセリナ達を伴って、最後に三人の教師達に礼と別れの言葉を告げてから、エントランスホールを辞し、デンゼルさんの手配した帰りの馬車へと乗った。

 三人の教師と別れた帰り道の馬車の中で、私達はそれぞれが受けた試験や面接の話をし、私が面接官達の話を聞いて既に合格が決まっていることなどを伝えた。
 その様に話をしているうちに、慣れない事に疲れたのかセリナとディアドラは帰り道の半ばほどまで来た時、ディアドラは私の肩に頭を預け、セリナは私達の席の背もたれに伏せる様な体勢で健やかな寝息を立て始めてしまった。

「ふむ、二人とも眠ってしまったか。これは起こすのは不憫というもの」

 聞いているのが身内だけと言う事もあり、私は本来の口調に戻している。やはりこちらの方が余計に肩に力が入る事もなく、気楽なものだ。
 この場に居るのがクリスティーナさんとデンゼルさんなら、この口調で話してもいいだろう。本来の私を見せても大丈夫な友人を魔法学院でも作らないとな。

「よく眠っています。それにしてもセリナはともかく精霊であるディアドラが人間と同じように眠りや食事をするのはどういうことでしょうか? リネットに記録されている知識の中にはそのような事例はありません」

 ディアドラは本来霊的な存在である精霊だ。この世界――主物質界においては物理的な面よりもその霊的な面が強く表れる存在である。
 加えてディアドラはエンテの森にある大樹が本体であり、私達と行動を共にしているのは大樹に宿った意思が精霊となって、その意識を女性の姿をした大樹の一部に宿して独立行動を取らせたものだ。
 植物の生存に欠かせぬ水や日光、その他の滋養を本体が取っていれば人間の女性体の方で栄養を摂取する必要性はない。
 それが人間同様に食事をし、睡眠を取っているのは同棲しているセリナや村の人達に生活サイクルを合わせる為であるだろう。
 そればかりではない。初めて出会った時に私から溢れるほど注がれた精の味を占め、その後も毎日摂取し続けたこと、さらに精神的なつながりを持ったことで心身共に私の影響を受けているのだ。

 いまのディアドラは樹木の精霊としての特性と、あまりに強すぎる私の精と魔力の影響を受けて人間としての特性も備えつつある。
 ふむ、そう考えてみると稀に存在する人間と精霊種の間に生まれた半人半精霊というのは、いまのディアドラの様に人間的特性を備えた精霊を片親に持っているのかもしれない。
 このまま行けばディアドラが私の子を孕むのもそう難しくはなさそうである。実に喜ばしい事だ。
 しかしディアドラの場合、どのように子供を作るのだろうか。
 これが例えばセリナの属するラミア種だと子供を卵で産む卵生と胎生、さらにその両方の過程を経る三つの事例が存在する。

 卵生と胎生を兼ね備える出産方法の場合、まず腹の中に胎児が宿り臍の緒を通じて母体から栄養が与えられる。
 そのままある程度胎児が育った後で臍の緒が自然と切れて、胎児を卵の殻が覆って生まれるまでの間保護する。
 その後卵に包まれて母体から産まれた子供は、卵から孵りながらも臍を備えた姿となるのだ。
 セリナ自身の場合は二番目の人間と同じ胎生の出産方法である。
 傾向として人間の血が濃いラミアが完全な胎生での出産方法を行う事から、セリナの一族はラミアの始祖から比較的遠い血縁に当たるのだろう。
 お腹の大きくなったセリナを早く可愛がりたいものだが、あと数年は我慢しなければならない葛藤は、私の胸の中にずっと燻っている。

「ディアドラの変化はまず間違いなく私の精と心の繋がりに依る所があるだろう。ふむ、そう言えばドリアードの出産方法というのを、リネットは知っておるかね?」

「いいえ、申し訳ございません。リネットの記録の中にはございません。樹木の繁殖方法をそのままディアドラに当て嵌めて良いのでしょうか?」

「ふぅむ、さてどうかな。まあ出来てみれば分かると言うものだが、ひょっとしたら腹の中に果実が成る様にして子が出来るのかもしれん」

 あと四年もすれば分かる事だが事前に分かっていれば、そう驚く必要もないだろう。
 人間と精霊種の間にできた子供の話は滅多に聞くものではないから、ディアドラ自身も人間との間にできた子供の出産方法などは知らないかもしれない。
 ディアドラに子供が出来た時が実に楽しみだ。それはもちろんアイリ、リシャ、ミル、セリナにも同じ事である。
 脳裏に思い描いた未来図に気分を良くした私はちょいちょいと手招いて、リネットを私の膝の上に乗せた。
 去年出会った時と違い、リネットは両側頭部で三つ編みにしていた雪色の髪を解き、そのまま流して毛先で金糸の刺繍が施されたあの青いリボンで纏めている。

 燃える様な赤い半袖のブラウスと薄緑色のカーティガン、青のスカートを履いたゴーレム少女は、私の指示に忠実に従って私と向き合う様にして膝の上に跨る。
 リネットは左肩にディアドラの頭を乗せたままの私の右肩に、自分の左手を乗せて安定を図った。
 柔らかなリネットの太ももと青い果実を思わせる、小ぶりで芯に硬さを残す尻肉の感触とわずかな重みが私の膝に伝わる。
 この一年で私の背も伸びたから去年よりはリネットの身長差も埋まっているが、残念ながらまだリネットの方が私よりも背は高い。
 私は丹念に磨かれた黄金の煌めきを宿すリネットの瞳を見つめながら、雪色の髪を一筋掬い取り口付けてから語りかけた。

「リネットにもいつか、な」

 私の子供を産んでもらうつもりだ、と暗に告げる私に対してリネットは迷うことなく返事をした。私の望む答えを、私が欲しいと願った言葉で。

「はい。リネットもそれを望みます。どうぞご自身とリネットの望みをお叶えください」

 自然と私とリネットの顔は近付き、うっすらと瞼を降ろして目を細めるリネットの花びらの様に可憐な唇が私のそれと重なり合おうとしたその寸前に、私の背後のセリナがううん、むにゃむにゃと眠たい声を出すのが聞こえた。
 私とリネットはそこでぴたりと顔を動かすのを止めて、お互いをしばし見つめ合ってから、小さく笑って体から力を抜いた。なんというか毒毛が抜けた、というか気が抜けたと言うか。

「続きは家に帰ってからにしようか」

「その時はセリナやディアドラよりも可愛がってくださいませ」

 少し、ほんの少しだけリネットの言葉に熱が籠り、瞳が潤んだ様に思えたのは私の錯覚ではないだろう。
 ディアドラが私の精を受けて影響を受けている様に、リネットもまた私の精と精神的な繋がりの影響を受けて、造物主であるイシェル氏の望んだ人間的な感性を育みつつあるに違いない。

「約束するよ」

 リネットは私の首に手を回してそのまま座る私と正面から抱きしめあう形で落ち着いた。
 私の右の首筋にリネットがむずがる赤子の様に顔を埋めて、リネットの小さな息遣いが私のうなじをそっと撫ぜる。
 少しくすぐったが私の腕の中にあるリネットのぬくもりと確かな触感と息遣いが、リネットもまた生きているのだと私に感じさせた。

「セリナとディアドラは、村に着くまで眠らせてあげましょう」

「そうするか。ふふ、二人とも可愛らしい寝顔をしているものだ」

 身体能力や生体反応をいくらでも操作できる私や疲労を感じないリネットと違い、精霊と魔物とはいえ生身の女性である二人なら、慣れぬ事に強い疲れを感じたとしても仕方のないことだろう。
 私は二人の頭を、赤子をあやす様に撫でながら、村に着くまでの間リネットと共に眠っている二人を起こしてしまわない様に、言葉を交さぬままとても穏やかで居心地の良い時間を過ごした。


 村に帰ってから私は本体とはまた別に白い鱗を持った成竜の分身体を、ある場所へと向けて飛ばしていた。
 この分身体は普段は最小単位の魔力――魔素に分解してベルン村の上空を漂わせており、私の意思次第でいつでも構築可能な状態を一年前から維持している。
 前回のゴブリン襲撃時の精神的負担の反省から、私は村の人達の力で魔物を迎え討つのは利益を考慮してもあまりにも危険と判断し、分身体によって発見次第即殲滅という過激な防衛策をベルン村に講じている。
 ベルン村を目指して進行する魔物の集団を探知結界が感知した際に、この成竜の分身体が自動生成され、魔物に対し攻撃行動に移るように竜語魔法で術式を組みこんであるのだ。

 白竜の分身体にはこの世界に置いて最強の種族である古巨人や古竜をも凌駕するだけの力を込めてあるから、なんとなれば世界中の人間や亜人の全国家を相手にしても勝てる位の力はある。
 今回私はその分身体に意識を繋げて、ベルン村から見て北西の方角に進み、モレス山脈の黒い地肌に影を落としながら風を翼で受け止めて進み、目的である山脈ある一点に穿たれた洞穴へと降り立った。
 傍らには貴種の青龍である瑠禹の姿もある。この一年の間に瑠禹との交流は定期的に行われ、龍宮城にも赴いて龍吉公主と古い話のできる良き話し相手をしている。
 長い蛇の身体と短い四肢を持つ龍種は地上を歩くのにはお世辞にも向いているとは言い難く、地面に降り立つ私と違い瑠禹は地面からやや浮いた所で降下を止めている。

 かすかに硫黄の匂いが洞穴から零れ、周囲の気温の高く、また火の属性を帯びた魔素が周辺の大気に溶けている。
 周囲の気温の高さ火属性の魔素の濃度が濃いのは、この洞穴の主が強い火の力を持った強力な幻獣であるからだ。
 そして私の目的はその幻獣であった。
 翼長二十五メルほどになろうかと言う翼を折り畳み、私は二足歩行で岩肌が剥き出しになっている洞穴の奥を目指して歩を進める。
 いちいち翼を折り畳まねばならない私と違い、そのまま細長い胴体をくねらせるだけでいい瑠禹の事が、楽そうだな、と少し羨ましかったのは私の胸の中だけの秘密である。
 足元の岩肌は硬く踏みしめられ、横や天井の岩肌もまた所々が丸みを帯びて滑らかだ。

 この洞穴の主が岩肌を削り取ってしまうほど硬い鱗の主であり、その鱗と大重量が洞穴で時を過ごすうちに岩肌を削り、滑らかなモノに変えてしまったのである。
 竜の成体となっている私でも進むのに不都合がないほど大きな洞穴は、幸い分かれ道などはなく、洞穴の主が踏み固めた道をただ進むだけで望む場所へと辿りつけることができそうだった。
 奥に進むにつれて火の属性を帯びた魔素の濃度は高まり、大気は乾いて混じる硫黄の匂いはより強い物に変わってゆく。
 元は同じ始祖竜から産まれたとはいえ、この独特の硫黄の匂いは火属の竜種特有のものである。
 一年間で既に何度かここを訪れてはいたが、瑠禹は硫黄の匂いをどことなく嫌っている雰囲気を見せている。

「まだこの匂いには慣れぬかね?」

 振り返って問いかける私に、瑠禹は少し困った様な、恥ずかしがっている様な表情を浮かべた。

「はい。この匂いを嗅ぐのも初めてではないのですが、龍宮城の中ではあまり嗅ぐ事のない匂いでしたので」

「火属の竜の吐息の特徴だからな。水に属する者ばかりの龍宮城では確かに嗅ぐ機会のない匂いであろう」

 洞穴の奥から漂っている硫黄の匂いは、この洞穴の主たる火に属する上位種の竜、深紅竜のヴァジェの吐息のものであった。
 人の姿に変じるか竜語魔法で匂いを消すなりしていればともかく、吐息に硫黄の匂いが混じるのが火竜種の特徴の一つなのだ。
 潮の香りに慣れた瑠禹にとっては、水と火の相性とはまた別に苦手なモノの様である。

 洞穴の奥行きは私達の足だとそう遠いものではなく、多少凹凸はあったが問題なく進んで、光源のない洞窟の暗がりの向こうに眩い光が見え始めて来た。
 そこがこの洞穴の最奥部であり、私達の求める洞穴の主である深紅竜の成体ヴァジェがいる。
 深紅色の鱗に巨体を包みこみ、皮膜を持った翼は折り畳まれ、長い首と尾は丸まって泡沫の眠りを貪る姿勢にあった。

「今日は話があって参ったぞ、ヴァジェよ」

 洞穴の奥の広間にはヴァジェがこれまで集めた金銀財宝が敷き詰められて、壁のくぼみにヴァジェの魔力で灯された照明代わりの炎を映して、床の全てが輝いている。
 その財宝の山を寝床代わりにして丸まっていたヴァジェは首を起こし、招かざる来訪者である私と瑠禹に面倒くさそうな視線を向けた。

「いつも私の許しを得ずにここまで来るお前達を怒鳴りつける言葉を、いい加減私も吐く事に疲れを覚えて来たわ」

「そう邪険にすることもあるまい。どれ、失礼するぞ」

 足元を埋め尽くす水晶や宝石や貴金属、またそれらを用いた装飾品や武具防具の一角を横にのけて、私は洞穴の広間の中に進んでゆく。
 居心地の良い場所に突如紛れ込んできた異物に対し、ヴァジェはいささか御機嫌斜めと言った風ではあったが、私を目がけてブレスを吐く様な真似はしなかった。
 この場でブレスを吐いてはせっかくの財宝に傷が着く為と私相手ではブレスは有効打になり得ないと言う事を、よく理解しているからだろう。

 竜ほどには光りものに対して執着を持たない龍である瑠禹は、敷き詰められた黄金の眩さにもさして興味を示さず、ふわりふわりと浮かんだままである。
 みれば壁面の天井すれすれの所に窪みがあり、そこには龍宮城で龍吉公主から賜った小箱が納められている。
 流石に地上世界では最高位に位置する十二大龍王から直に賜った品と言うだけあり、気位が高く傲慢な所のあるヴァジェにしても、扱いは別にする様であった。
 私も龍吉公主から同じ品を貰ってはいるが、これの使いどころが決まっておらず収納用の亜空間に仕舞い込んだままにしてある。
 いかんせん私がこれを手に入れた経緯を説明できない為に、使い様がないのである。ガロア魔法学院にいけばお金の使い道も増えるだろうから、使う機会もあるかもしれない。

 ふむ、あるいはこの財宝を対価に光りモノが好きな竜族を、ベルン村の用心棒代わりにするのもありだが、この場合私の分身体を使えば財宝を失う事もない。
 ただなあ、竜族がその要望を受け入れるほどの財宝をどうやって私が用意したのか、という理由を作らねばなるまい。
 あまり真面目に考えずたまたま偶然に手に入れた、とでも言って強引に誤魔化してしまおうか。
 村の役に立つのなら細かい所を気にしない、あるいはしていられない所がベルン村の人達はある事だし。
 ガロアでならベルン村の人達の目も届かないから、長期休暇で帰郷した時にでも一計案じてみる価値はあるな、ふむ。

「それで今日は何の用件だ? お前との戦いならいつでも受けて立ってくれるわ」

 轟、とヴァジェの噛み合わされた口の端から炎が噴き出し、消え去るまでの一瞬だけ広間の中を赤々と照らし上げる。
 この炎だけでも人間を纏めて三人も四人も消し炭に変えられるだけの熱を秘めている。ここ一年の間におけるヴァジェの成長は著しい。
 やはり年若い分伸び代が大きいのだろう。若いと言う事はそれだけ可能性を秘めているということなのだから。
 
 ふむ、龍吉公主と出会って少しはその鼻柱が折れたかと思ったが、どうもこの深紅竜の血気に逸る所は根が深い様である。
 私はこのヴァジェの気性は年若い所為ばかりではないな、と改めて理解して微苦笑を禁じ得なかった。こういったやり取りはこの一年幾度となく繰り返されて来たのだ。
 竜族の寿命を考えればたった一年という短時間では、そうそう簡単に天性の気性までは変わらないのも無理はないかもしれないが。

「お前も本当に諦めないな。その根気の強さは好もしいがそう早とちりをするものではないぞ。今日の話に来たのはその事ではないのだ。
 私が人間に転生した竜であることは以前にも話したが、その人間の生活についての話よ。まだ瑠禹にも聞かせておらん事なのだが、ちとお主らに関わり合いのある事でな」

「ドラン様の人間としての生活について、でございますか? そう言えばこれまで人間としてのドラン様とはまだお会いした事はありませんでしたし、どのような生活を送られているのかも伺っておりませんでしたね」

「ふん、脆弱な人間の器に閉じ込められて恥辱の一つも感じておらぬ様子の貴様の生活など、さして興味もないが」

「そう言ってくれるな。私は数少ない同胞と言う事もあってそなたらと会って話をするのが、楽しみなのだよ。とはいえその楽しみの機会が減る事を言わねばならないのは心苦しいことだ」

 瑠禹やヴァジェと会う機会が減る、という私の言葉に瑠禹は、え、と小さく声を零し、ヴァジェはと言えばそっぽを向いた顔がぴくりと動き、大きな変化はなかったが意識を惹く事は出来た様である。
 私の言葉に少し慌てた様子で瑠禹が言葉をまくし立てる。
この一年の間、意識して瑠禹に父か歳の離れた兄になったつもりで接してきた成果で、瑠禹はすっかり私に心を許してくれている。
 ましてや瑠禹が龍宮城を出て世界を巡る度をする時には、護衛として共に旅する事を了承してもいるから、余計瑠禹にとって私と会う機会が減るというのは寝耳に水であったのだろう。
 これから一緒に行動するつもりの頼みとしている相手が、会う機会が減るなどというのだから少しは慌てもしよう。

「あの、ドラン様、お話しする機会が減ると言うのは一体どういった事でございますか? わたくしに何か落ち度がありましたでしょうか。でしたらすぐに直します。ですから」

 なんだか性質の悪い男に引っ掛かった純情な娘が、捨てると悪い男に告げられたようだなと、私は瑠禹の慌てた姿についそんな感想を抱いてしまう。
 そうすると性質の悪い男とは私の事になるが、あまり深くは考えない方がいいだろうが、まあ、確かに私がある意味では性質が悪い男である事は認めなければなるまい。
 なにしろ複数の女性に手を出して子供までたくさん産ませるつもりなのだ。まさに女の敵というほかない。
 ただ瑠禹の私に向ける感情を考えれば、大好きな父親に突然なんの前触れもなくお前とはもう話をしないと言われた娘のような心境であるかもしれない、と考えるのは少々自惚れが過ぎるかな?

「ふむ、瑠禹やそう早とちりをするものではないよ。別に今後もう二度とそなたらと話をしないと言うわけではないし、嫌いになったとかそういうわけではないのだから」

「本当でございますか。で、ではどのような理由でわたくし達と会う機会が減ってしまうと言うのですか? なにか重大な事が?」

「だからそう慌てなくとも良いと言うのに。深呼吸でもしなさい。落ち着いたか? 私はこの春より生まれ故郷から少々離れることになっている。
 しばらくは新しく向かう先での暮らしに慣れる為に時間が取れなくなるだろう。そうなるとあまり二人に会う為の時間も減ってきてしまうだろうからな。事前に許しを請うておこうと思った次第よ」

 そっぽを向いたままだったヴァジェが、組んだ前肢の上に顎を乗せたまま私の方に視線を向けて、ひどくつまらなそうにぽつりと呟いた。

「ふん、貴様の顔を見ずに済むというのなら却って清々するわ。ちっぽけな人間の暮らしとやらを精々満喫するが良い。そうして怠けている間に私が貴様を打ち倒す力を身に着けてみせよう」

 そう呟くヴァジェの長々と伸びる尻尾は、なにか思案するように左右に小さく振られている。
 ふむん、この一年の間にこれがヴァジェが多少なりとも迷っている時の癖である事を私は理解していた。
 何を迷う? 私に言うべき言葉? それともこれから会う機会の減る私への接し方?
 多少ヴァジェの私や瑠禹に対する態度は軟化の兆候を示していたが、今日の私の発言には少々機嫌を損ねた様子である。
 ヴァジェと比して正反対の態度を取るのは瑠禹の常であった。性格ばかりでなく私に対する態度も、この二人は反対なのである。

「ドラン様、その人間の生活のご事情と言うのは一体どれだけの時間が掛る事なのでしょうか? 十年でございますか、それとも五十年? あるいは百年? それとももっと長い時が必要となるのでしょうか」

「いやいや、瑠禹や。あくまで人間の寿命で考えなさい。まだ落ちつけてはいないようだな。なあに、ほんの一年かそこらほどの予定よ。
 今後長引く可能性はあるかもしれぬが、まあそんなところだろう。それにできるだけ時間を見つけて、そなたらとは顔を合わせるつもりでおるし、瑠禹が城を出る時になれば私もこの分身体ではあるが、望まれればいくらでも同行しよう」

「一年、一年でございますか。その程度の時間でようございました。そう長くはないのですね」

「ああ。私としては村を離れるのは不安でならぬので、なるべく早く戻れるように最善を尽くす予定なのだ。その用事が済んだ後はおそらく村に戻る事になるだろうし、またこれまでの様にそなたらと会う事も出来よう」

 瑠禹に関しては少々驚きすぎたと感じるほどだったが、取り敢えずこの二人への事情の説明はこれで済んだわけだ。
 瑠禹とヴァジェ、それに龍吉公主との付き合いも私の人間としての寿命が尽きるまでの間故、竜種である彼女らからすればほんのわずかな一時の事だが、出来得る限り良好な交友関係を築いて行きたいというのが、私の偽らざる本音である。


 私がガロア魔法学院に赴いてから三日後、ヴェイゼさんの言うとおりにベルン村には珍しい大きめの封筒に入れられた手紙が届き、それはむろん魔法学院から私に対して宛てられたものであった。
 手紙を配達業者のケンタウロスの男性から受け取った私は、ちょうどその時家の畑仕事の最中であった。
 私はハードグラスを張りつけて補強した鍬を振るう手を休めて、土で汚れた手を野良着で拭ってから手紙の封を解いた。
 畑の中にある切り株の上に腰掛けた私を、両親とディラン兄、マルコ、それに手伝いのリネットに囲まれながら手紙の文面に目を走らせる。
 結果は予め分かっていたにせよ、こうして実際に目をすると多少なりとも緊張とやらが全身に満ちていた。

 やれやれ、かつては敵対する最高位の魔神と対峙しても緊張の微粒子一つ抱かなかった私が、学校の合否ひとつでこうも緊張してしまうとは。
 竜も変われば変わるものだと、不思議な感慨が私の胸の内に湧きおこった。
 私ばかりでなく周囲で息を呑む私の家族の方が緊張の度合いは大きい様に感じられ、家族からの視線の集中を浴びながら、私は小さく息を吐く。
 緊迫する空気に耐えかねたか、ランと正式に恋人関係になったディラン兄がごくりと生唾を飲んで私に結果を尋ねて来た。
 いかんな、ディラン兄。せっかちな男は女性から嫌われてしまうぞ。

「どど、どうだったんだ、ドラン。合格か? それとも不合格か?」

 そんなに慌てずとも良かろうに。

「ふむ」

「いや、ふむじゃなくてだな」

「ドラン兄ちゃん、変に焦らさないでよ。結果はどうだったのさ」

 マルコにまでせがまれては勿体ぶっても仕方ないか。私は素直に結果を通知する紙に書かれた結果を口にした。

「合格だ。入学式の日程と入寮先の案内などの資料も同封されているな」

 何でもない様に、それこそ今日の天気を口にする様に言った私の言葉が、家族の間で理解されるまでわずかな間が必要であった。
 合格という結果に対する私の反応や言葉が、あまりに相応しからぬ常と変わらない淡々としたものだった分、家族に理解が及ぶまで若干時間が掛ってしまったようである。
 しまった。ここは「やったー! 合格したよ、受かったんだ!!」くらいの喜びを示すべきだったか?
 そんな私の疑問を吹き飛ばす様に、私の言葉を理解した周囲の家族達が一斉にわっと声を挙げるものだから、私はその大声についびくりと体を震わせて反応してしまった。
 リネットの前で少々格好の悪い所を見せてしまったな、と心の片隅で恥じる私を母イゼルナが正面から思いきり力を込めて抱きしめる。

 赤子の頃さんざんお世話になった母の乳房に私の顔が埋もれ、突然の母の行動に私がなにがなにやらと思考に空白を作っている間に、今度は父が背後から私の肩に手を置いてよくやったと褒める様に体を揺する。
 ふむ、どうやらこれは私が魔法学院の試験に合格した事を褒められているらしい、と私はようやく理解した。
 抱きしめて貰えるのは私にとって非常に嬉しい行為であるが、出来れば言葉も一緒に使ってもらえると私としては理解がしやすいのでありがたいのだが。
 すると私の心の声が届いたのか、私を抱いたまま母がやや興奮した面持ちで矢継ぎ早に喋りはじめる。

「すごいわ、ドラン。実はよくわからないけれど、魔法学院に合格したのよ。これで貴方も王国に認められる立派な魔法使いになれるわ。貴方の努力が認められたのよ」

 実はよくわからないとは、なんとも正直な母の告白である。まあ確かに普通の農民からすれば魔法学院などは、まるで別の世界のごとき場所であるからどう凄いのかぴんとこない所はあるだろう。

「まあ、そういう事だ。ドラン、お前が家を離れる事はおれ達全員寂しい事ではあるが、お前の努力が実った事をまずは祝おう」

 父と母とディラン兄とマルコが満面の笑みを浮かべ、そしてリネットもほんのわずかいつもの無表情と比べると唇が、笑みと呼べないほどに淡く目を離せば消えてしまう様な笑みを浮かべている事に気付き、私は今度こそ本当に自分が祝福されている事を強く実感する。

「ありがとう、母さん、父さん、皆」

 いまの私は心からの笑みを浮かべているに違いなかった。
 その日、我が家は早々に畑仕事を切りあげ、私の合格をマグル婆さんや村長に伝えて私の学院行きの準備――といっても着替えや書籍、筆記用具の用意くらいのものだが――をし、夜になってからは魔除けの鈴亭に繰り出して朝になるまで騒ぎ続ける事となった。
 村の皆が私のガロア魔法学院入学を祝う為に魔除けの鈴亭に顔を見せて、私を胴上げしては頭を撫でまわして良くやった、これからが本番だぞ、村の誇りだ、と一声ずつ掛けてくれる。
 我が家が貯蓄していた食材や入学祝の為に村の皆が供出してくれた食材で、その日はゴブリン撃退の時の宴を思わせる、大騒ぎの夜となるのだった。

<続>


アレクラフト王国に住む亜人種の主な職業

・馬人ケンタウロス ――突撃兵、槍騎士、配達業者、狩猟民。
・鳥人ハーピー   ――飛行兵、卵業者、配達業者、狩猟民。
・牛人ミノタウロス ――重装歩兵、酪農業者、牧場、農民。
・犬人ワードッグ  ――軽装歩兵、農民、狩猟民。
・猫人ワーキャット ――軽装歩兵、密偵、農民、狩猟民。
・ホブゴブリン   ――兵士、農民。

※傭兵、冒険者、商人、神官、魔法使いなどは共通。

 上記した系統の獣人は普通に王国内では受け入れられています。他にも虫の特徴を持った虫人や魚人などもいますが、マイノリティになります。
 ラミアやアラクネと亜人などを魔物かそうでないかを区別する定義は結構曖昧ということにしてあります。

きっと精神コマンドはこんな感じ。

ドラン  :愛、夢、希望、勇気、奇跡、覚醒
セリナ  :愛、信頼、必中、不屈、補給、魂
ディアドラ:友情、激励、かく乱、直感、再動、熱血
リネット :鉄壁、集中、必中、直撃、熱血、魂

<続>

さようなら竜生 こんにちは人生外伝④

「これで依頼にあった数には足りるでござるか?」

「依頼のあったスネリム草は八束ほどであったから、大丈夫でござるよ、ハチ」

 とドライセンと瑠禹の目の前で二人の犬系統の獣人が、手に持った淡藤色の花弁を風に揺らすスネリム草を手に言葉を交わし合っていた。
 アレクラフト王国ではまず見られない、東方の島国で製造される特異な意匠の鎧を纏った犬人と、豊かな起伏を描く肢体を薄い革の服で隠した軽装の狐人の女性達である。
 アレクラフト王国とその西方にあるロマル帝国の国境にある交易都市エジュールの近隣にある、邪教集団の遺跡で起きた異変の際にドライセンらに命を救われた異国の侍八千代と、くのいちである風香の二人だ。

 ドライセンと八千代らを含む四人は、エジュールにある冒険者ギルドから受けたスネリム草の採取という、極めて簡単な初心者向けの依頼をこなしている最中であった。
 場所はエジュールの南東の方角に広がる草原地帯の一角で、様々な草花が生い茂る事からエジュールではよく植物採取の依頼の場となる。
 日は高く昇り緑の海のごとき草原がそこかしこに咲いている無数の花をアクセントに、風に揺らめいて草花の波を起こしており、言葉にはし難い自然が生み出した芸術と言う他ない光景が広がっている。
 その中に佇むドライセンの穢れのない真っ白い鱗と、瑠禹の艶のある黒髪や紅白の巫女装束は、陽光を跳ね返して眩いほどに輝いている。
 恐ろしげな牙が生え並ぶ口を開いて、ドライセンがどうしてだかな、と言わんばかりの口調で言った。

「ふむ、すっかり八千代達が同行するのが当たり前になってしまったな」

 ドライセンの傍らで瑠禹も同じ意見なのか、名人が入魂の筆で描いた様な眉を八の字に寄せて、慎重に言葉を選びながら自分の意見を口にする。

「ええ、その、魔兵退治の折に命を救われた恩義を返したいとまで言われては無碍にするわけにも」

「まあ、我らの行動は瑠禹の意向が主要な理由であるからな。そなたが構わぬならそれでよいがね。しかし八千代らも自分が納得するまでは、我らから離れる気のない様子であるぞ、あれは」

 くい、と顎で示した先では、犬系統の獣人らしくふんふん、と鼻を鳴らしながら腰をかがめて丈の高い草をかき分けて、スネリム草を探す八千代と風香の姿があった。
 既に必要な量は確保しているのだが、より多く採取して持って行けば報酬が増えるとあって、二人はまだまだやる気は十分な様である。
 どうしてこうなったものかとドライセンは首を捻りながら、魔兵討伐の依頼をこなした後で、自分と瑠禹の宿泊する宿屋を八千代と風香が訪ねて来た日の事を思い出した。
 それぞれ別に部屋を取っているドライセンと瑠禹は、来客のある旨を告げて来た宿屋の従業員の言に従って、来客の顔を見に行ったそこで八千代と風香に出会ったのである。

「突然の訪問、ご無礼をお許しくだされ」

 宿屋の入口でドライセンらを待っていた八千代は、姿を見せたドライセンらにまず詫びの言葉を口にしてから、礼儀正しく一つ頭を下げた。
 八千代の傍らに立つ風香も同じように頭を下げるのに、ドライセンと瑠禹はお互いの顔を見合わせて予期せぬ珍客に向けて瞳を動かし、話し合う場所の変更を提案した。

「ふむ、とりあえずここでは余人の目と耳がある。私が取っている部屋で話を聞こう。女将、私の部屋に茶と軽く摘める物を頼む。釣りはいらぬ」

 そう言ってドライセンは腰帯に括りつけていた布製の袋から銀貨を一枚取り出し、カウンターの向こうでこちらの様子を興味深げに見ていた四十代初めごろの女将に放る。
 銀色の軌跡は狙い過たず女将のエプロンのポケットに入り込み、慌てて銀貨を確かめた女将はにっこりと愛想のよい笑みを浮かべて何度も頷いた。
 このエジュールでも平民向けの宿の中では定宿として知られている女神の杯亭に宿泊するドラゴニアンの二人は、非常に金払いのよい良客であった。
 ただしあの白い鱗を持った巨漢のドラゴニアンに見合うベッドばかりはどうしても用意できず、本人の提案もあって床で寝て貰っている事ばかりは、女将にとっても悩みどころだが。
 ドライセンの取っている部屋に通された八千代、風香、瑠禹は用意された椅子に腰かけ、ドライセンばかりは瑠禹の傍らで腕を組み立ったままである。

「して確か八千代と風香であったか。いかなる用件があって私達を訪ねて参ったのだね?」

 悪意はない、と判断したドライセンの声は穏やかなものだ。ドライセンらを前にした八千代と風香の体は緊張を覚えているのだろうか、かすかに強張っているのが見て取れた。
 目の前に立つドラゴニアンの二人の気性が危険なものでない事は理解しているが、同時に自分達では逆立ちしてもまるで敵わぬ絶対の強者であることも確かなのである。
 生物としての本能が捕食者を前にした獲物の様に怯えてしまうのだ。
 八千代と風香は実の所股の間に尻尾を挟みこんでしまいそうになるのを、なんとか堪えているのだった。

「は、実は拙者ら過日魔兵共との戦いの中でドライセン殿らに命を救われたことへ、改めてお礼を申し上げたく参った所存。
 ドライセン殿や瑠禹殿のご助力なかりせば、拙者と風香諸共にあの場で死んでいた事でしょう。なんどお礼を申し上げても足りませぬ」

「と言うわけでして、なにか拙者らでお力になれる事でもあれば、それでせめても恩返しとさせていただきたく、こうして参ったのでござるよ。お伺いの文でも出すべき所を気が逸って直接お訪ねしてしまい、申し訳ござらん」

 律儀な事だ、と胸中で一つ零してドライセンは顎をさすりさすり、今にも平身低頭どころか膝をついて頭を下げかねぬ勢いの八千代と風香を見てから、同伴者の意見を仰いでみるかと隣の瑠禹に顔を向けた。

「そう気にしなくて良い事だぞ。あれは我らも依頼を受けてのことであるしな」

「はい、ドライセン様の言われる通りでございますよ。困った時はお互い様ですからね」

 あまり気にしていないというのは、これはドライセンと瑠禹の正しい心情である。
 自分の成果を鼻にかける、恩を着せるといった行為をこの二人はまるでしない天性の徳のようなものがあった。
 八千代と風香の特徴的な衣服から比較的印象は強く鮮明に覚えてはいたが、よもや改めて礼を告げに来るとは考えていなかった為、ドライセンと瑠禹にとって二人の訪問は意外なものだった。
 そして、ふん、と一つ大きな鼻息を鳴らし、八千代が握り拳で自分の胸を叩いてこう言うのにはさらに意表を突かれたと言う他ならない。

「つきましては拙者と風香、非才の身ではありますがお二人に恩返しせんと思い立ちましてな。なんなりとお申し付けくだされ」

「まあ、拙者らも冒険者としてはドライセン殿らよりも長く活動しておりますから、依頼を受けた時などはお力になれると思います故、お手伝いするでござるよ。報酬はお二人の方で受け取ってくださって結構でござる」

「ふむ、それはまあありがたい提案ではあるがなあ」

 基本的にドライセン達が冒険者登録をしたのは、大陸全土に根を張る冒険者ギルドに所属しておけば、諸国を漫遊する際になにかと都合が良かろうと言う考えがあっての事である。
 金銭は龍宮城を出立した時に持たされたもので十分な額があるし、冒険者家業は報酬目当てではなくそこに関わる人々と触れあい、人間と言う生き物を学ぶ一環としての面が強いのだ。
 それに瑠禹はまだしばらくはエジュールに留まるつもりでいるものの、将来的には世界をぐるりと回り、見識を深め広げなければならない。

 その時に八千代や風香を連れて行けるかは怪しい所であるし、パーティーを組んでもそう長い付き合いにはならないだろう。
 そう考えるからこそドライセンは、微かに渋る様な口調になっていた。
 ちら、と八千代と風香の顔を見ると、八千代はまさにやる気満々と言った顔をしており光の粒が周囲で煌めいているかのごとく、あどけない表情を輝かせている。
 風香は、八千代の提案に渋々付き合っているような、言い出したら聞かない幼馴染に諦めている様な、何とも言えない顔をしていた。
 この狐くのいちもそれなりに苦労しているらしい。どうしたものか、とドライセンと瑠禹は互いの顔を見つめあって、揃って困ったように首を傾げた。

 それから八千代と風香は冒険者ギルドで待ち伏せするか、宿の前でドライセンらが出てくるのを待っては、なにかにつけてドライセンらの受ける依頼の手伝いを自主的に行ってきた。
 八千代が善意でやっている事は明らかであったから、ドライセンと瑠禹もなんとはなしに断りを入れる事が出来ず、なんだかんだでドライセンと瑠禹、八千代、風香は一緒に行動する機会が増えていたのである。
 まさに状況に流されたとしか言いようがない。これはドライセンと瑠禹共に長寿のドラゴニアンである為にか、長い人生こう言う事があってもいいだろう、と八千代達のみならず万事に対して鷹揚に構えている為だ。
 ただドライセンの場合は本体が人間に転生しているため、あくまで寿命は人間並みなのだが、人間の肉体から解放された状態のため、感性や思考が本来の竜のものに寄ったものになる。
 今日も今日とてスネリム草の採取に、お手伝いいたしますぞ! と尻尾を振り振り八千代がギルドの受付で申し出て来た為、同行する次第となったのである。

「結局八千代達を同行する機会が増えたが、惰性と言われたら否定できんな」

 スネリム草採取の依頼を終えて、宿に戻って開口一番、ドライセンが溜息と共に零した台詞である。
 結局断り切る事が出来ずに、八千代と風香の同行を許している自分への呆れを交えた台詞である。
 宿屋の食堂に置かれている背もたれのない椅子に腰かけたドライセンの横に、いつもの巫女装束から普段着である小袖と割烹着に着替えていた瑠禹が、割烹着を畳みたくし上げた袖を元に戻しながら腰掛ける。
 女神の杯亭は四階建て十五部屋の宿で、食堂は一度に五十人ほどが食事をとれるスペースが取られ、床や壁、天井から壁に掛けられた絵画や花瓶、壺などの調度品に至るまで良く手入れがされており、快適な空間が保たれている。

「八千代さん達は随分と義理堅い性格をなさっていますから、いましばらくは一緒に居る事になりそうですね」

「ふぅむ」

 と零すドライセンの目の前には、大きめの食卓の上に湯気を立てる料理が並べられていた。
 見知らぬ土地の料理は新鮮味があって面白いものだが、やはり慣れ親しんだ故郷の味が懐かしい時もある為、時折瑠禹は宿の厨房を借りて龍宮城で習い覚えた料理の腕を振るっている。
 袖をたくし上げていたのも、先ほどまで厨房に入って料理をしていた為である。食材はエジュールの市場で仕入れたものもあれば、龍宮城から持って来たものもある。
 ドライセンは自分の対面に座った八千代と風香が、こちらの視線を気にせずに無心で食卓の上に並べられた東方風の料理に箸を伸ばしている姿を観察してみる。

 瑠禹が特別に炊飯用に調整した水を使って炊き上げ、ほかほかと白い湯気を立ち昇らせている白米。
 細く切った大根と短冊切りにした油揚げを具に、煮干しや鰹節、昆布で丁寧に出汁を取ったみそ汁。
 飾り切りをした人参や大根、里芋、椎茸、インゲン、烏賊を甘辛く味付けた煮物。毎日しっかりと混ぜて味をしみ込ませたキュウリやナスの糠漬け。
 小鉢に分けられたメカブや海ぶどう、綺麗に巻かれた出汁巻き卵、茶碗蒸し、すりおろした生姜を乗せた焼油揚げ、良く冷やした水と粉を使いからりと揚げた野菜や魚介類の天麩羅の盛り合わせ。
 獲れたばかりの川魚に軽く塩を振って焼いたものや、鰹の塩叩きなどなどエジュールではお目に掛れない料理の品々である。
 瑠禹はこういった家庭的な料理を好む様であった。

「うう、よもや異郷の地で故郷の味に出会えるとは。美味い、美味いでござるよぅ」

「魚の塩加減、米の炊き具合、どれもこれも絶妙でござる、美味でござる。ほっぺたが落っこちそうでござる!」

 八千代は巻き尾を、風香はふっくらとした狐尾を先ほどからふりふりと激しく揺らしており、至福そのものの表情と合わせてみるに、まさに夢心地の如く喜びを噛み締めているようだ。
 本人達の言によれば生家を飛び出して乗り込んだ船が難破し、悪運強くアレクラフト王国の岸に打ち上げられてから、なんとか冒険者家業で生活を成り立たせてはいたが、時には故国を懐かしんで枕を涙で濡らした事があってもおかしくはない。
 そんな八千代と風香にしてみれば、夢に見ることもあった故郷を思い出す料理が山と目の前に並べられた現状は、思わず涙ぐむほど嬉しいものなのだろう。
 その姿を見たドライセンがぽつりと思った事を素直に口にした。

「ふむ、これは餌付けしてしまったな」

「ドライセン様、そのような言い方は。八千代さん達は愛玩動物ではないのですから」

 窘める瑠禹ではあったが、瑠禹もまたドライセンと同じような事を考えているのか、あまり強く言う口調ではない。

「しかしな……あれでは」

「みそ汁美味い、魚美味い、一緒に食べるともっと美味い!」

 冬眠前のリスの様に食べ物を詰め込んで頬を膨らませ、いちいち口の中に新しい食べ物を運ぶ度に感涙して見せる八千代。

「う~ん、なぜお揚げはこうも美味しいのでござるかねえ。うまうま」

 狐人の種全体の特徴である油揚げ好きを証明するかのように、焼油揚げや煮物の中の油揚げをかすめ取って頬を蕩かして頬張る風香。

「やはり餌付けだろう」

「えっと、その……はい」

 そこには餌付けされたとしか言いようのない八千代と風香の姿があり、流石に瑠禹もなんともいえない微妙な表情を浮かべる他ない。
 どうもこれは八千代達と長い付き合いになりそうだと、ドライセンはなんとなく予感を感じていた。
 結局その後の依頼にも八千代達はドライセンらと行動を共にし、徐々に周囲の人々やギルドの職員からも、ドライセンと八千代達は同じパーティーであると認識されるようになっていった。

 そんな時間が続いたある日の事、ギルドの依頼とはまるで関係なくドライセンが突然ある場所へ向かう事を提案した。場所はエジュールの北方に存在する地下遺跡群である。
 すでに冒険者や国の調査隊の足が入り込み、探すべき場所はもう存在しないと言われて久しく、物好きな冒険者か気まぐれな観光客が極稀に足を踏み入れるきりである。
 ヴィンスの地下遺跡群と呼ばれるそこは、かつてはシッダルタ系統の多神群を崇拝する文明が築いたとされる遺跡であり、摩耗した巨石の宗教施設の他にも、市場や住居群などの跡が残されている。
 地上の入口から地下遺跡に至るまで、白い煉瓦で舗装され壁や天井には風化し丸みを帯びて形の崩れた彫刻が施された石で覆われている。
 天然の洞穴に徹底的に手を加える形で建造された地下遺跡群から推測される建築技術は、現在のそれを上回るほどであり、どのようにしてこの地下遺跡の建造者達が滅びたのか、学者達の間では議論が交わされて止む事がない。

 かつての冒険者や調査隊が石壁に埋め込んだ光精石の明りや、ドライセンが竜語魔法で生み出した半永久的な光源となる光の球が、地下の暗闇を払拭しており視界は良好である。
 ドラゴニアンである二人は生物としての特徴から暗闇でも視界は利いたし、くのいちとしての訓練を受けている風香もドラゴニアンらには劣るものの闇夜でも視界をある程度は保つ事が出来る。
 すんすん、と鼻を鳴らして地下遺跡の中を流れる空気の匂いを分析していた八千代が、いつでも抜刀できるように左腰の愛刀の柄に手を乗せながら、ドライセンに声をかけた。
 すっかりドライセンらと一緒に居る事になんの違和感も抱いていない様子である。

「ドライセン殿、唐突にこの遺跡に向かいたいと言われた事にはなにか理由がございますのか?」

 オーク共から奪ったハルバードを握りつぶして以来、暫く無手でいたドライセンだったが、いまでは新調した長さ二メートル半ほどの鉄棍を手にしている。
 表面にはドライセンが自らの爪で刻み込んだ古代文字と竜語魔法によって数々の魔力が付与されており、生半なマジックウェポンなどまるで相手にならぬ強力な武装と化していた。

「ふむ、実はな。あの暗黒遺跡だが、以前あそこで魔兵共を駆逐していた際に不意に最奥にある祭器の力が弱まったのを感じた。
 あれは私でも瑠禹でもない。遠く離れた地より封印の霊力を飛ばして祭器に封印を施したのだ。かなりの数の生贄を捧げて生み出された祭器の力を、遠く離れた地より封じる力、並みではない。その封印の力が放たれた地が、ここだ」

「なんですと!? そのような重要な地であると言われるのですか、この地下遺跡が」

 既に調査し尽くされて得るものは何もないと言う事を、エジュールでの冒険生活で何度となく耳にしていた八千代や風香にとって、ドライセンの言葉は思わず耳を疑うものであった。

「場所と言うよりは封印を行った何者かの方が重要だ。どんな相手なのか興味深いので、顔を見に来たわけだ。これまで調査隊や冒険者たちが危害を加えられた事もないようだし、そう危険な相手でもないだろう」

 確かにドライセンの言うとおり遺跡に住みついたモンスターや野生動物こそいるものの、シッダルタ系統の神々は善なる存在であり人間や亜人に対し敵対する種を生み出してはないから、特別危険なものはいないはずなのだ。
 ドライセンも魔兵との戦いの中で祭器の力を封印する霊力を感知しなければ、ヴィンスの地下遺跡群に足を運ぶつもりにはならなかったろう。

「では行こうか。罠の類もないし特別強力なモンスターが住みついているわけでもない。奥にある寺院に到着するのにさして時間は掛るまい」

 ずっしりと重量感のある巨体で一歩を踏みしめて、ドライセンが一行の先頭に立って歩き始め、八千代、風香、瑠禹の順でそれに続く。
 瑠禹が行動方針の要を握っているとはいえ、瑠禹もまた父か兄の如く慕うドライセンの意見を尊重している事から、異議を申し立てはしなかった。
 八千代や風香の知識通り地下遺跡の中で待ち受けていたのは暗がりを好む野生動物や、コボルド、巨大昆虫、食肉性の巨大コウモリなどであり、到底ドライセンや瑠禹を含む一行に傷を付けられるような相手ではなかった。

 以前ここを訪れた調査隊や冒険者達が残したらしい空の木箱や、焚火や回収されなかったテント、食器などがそこかしこに散乱している。
 地下遺跡群の最奥部に到達するまでにかかったのはおよそ三十分ほど。足場が石畳で舗装されあり余る体力を持っていた四人の足で、これだけ掛った事を考えるとかなり地下深くに位置しているのだろう。
 最奥部にまで辿り着いたドライセン達を待ち受けていたのは、一体どれほどの時間と労働力が費やされたのか、想像することも難しいほどの広大な空間と壮大な寺院の数々が聳えていた。
 トルーパと呼ばれる独特の尖塔がそこかしこに並び立ち、長い時の流れに摩耗して読み取れないが無数の宗教文字や、胡坐をかき胸前で両手の掌を合わせている姿勢のシッダルタ系統の神々の彫刻が常に視界のどこかに入ってきている。

「これはなんとも凄まじい広さの場所でござるな。それに、なんというか地下であると言うのに空気が清らかと言えばいいのか、気持ちのいい雰囲気でござるよ」

 床から天井までの高さはざっと五十メートル、円形に削り取られているようで直径は悠に一キロメートルはあるだろう。
 これだけ広大な空間の半分を巨大な寺院と住居施設が埋め尽くし、蟻の巣の様に通路が張り巡らされている。
 いまでは住む者とてなく時の流れの中に荒廃して行くだけの場所であるが、感嘆の想いと共に八千代が口にした通り、最奥部に満ちているのは穢れを払われた清浄な気配であった。

「八千代さんの言われるとおりです。まるで大神殿か聖地であるかのように、空間そのものが清められています。これでは悪霊や不死者の類は一切侵入する事が出来ません」

 巫女として霊的感覚を常日頃から研ぎ澄ましている瑠禹が、八千代と同じように感動の響きさえ交えて、周囲の寺院を見渡した。
 龍族の生まれゆえ人の神を信仰する事はないが、それでも偉大なる存在への畏敬の念は確かに胸の中に抱いており、瑠禹はそれを素直に表に現していた。
 風香は周囲に伏せている獣かモンスターの気配がない事を確認すると、両手を大きく突き出た乳房の前で重ねると、それを上下させてむにゃむにゃと口を動かした。

「南無南無。本当にここにドライセン殿の言われた強き力を持つ何者かがいるのでござるか?」

「ふむ、私の感覚が狂っていなければ確実にここにおる筈だ。では行こうか」

 ここに来るまでの間次々と襲いかかってきたモンスターを、一つの例外もなく血祭りにあげた鉄棍を肩に担ぎ、ドライセンはまるで気負う風もなくさらに寺院の奥を目指してずんずんと歩きだした。
 自惚れでも何でもなく自身がこの地上世界に置いて最強の個体である事を、よく理解しているが故の無頓着さか、それとも恐怖と言うモノを知らぬからなのか。

「ドライセン殿、あまりに無警戒過ぎるでござるよ!? もう少し周囲に注意を御払い下され。見ていて怖くなるでござる」

 まるで罠の危険性などを考えないドライセンの行動に、くのいちとしての修業を叩き込まれた風香は、自分の肝を冷やして慌てて駆け出して後を追う。

「ふむ、なあに、なにもない事は確認済みだ。風香の考える様な危険はないさ」

 はっはっは、と豪快に笑い飛ばすものだから風香も毒気を抜かれるが、はたしてこれを豪胆だとか度量が大きいと言うべきか、それとも単なる命知らずなのか、と風香はううん、と悩まざるを得なかった。
 瑠禹は流石ドライセン様、とすっかりこの白いドラゴニアンに心酔している様だし、八千代もまるで恐れを知らぬように振る舞うドライセンに好感を抱いたのか、かくあるべしと呟くや、うんうんと何度も頷いている。
 この四人で大丈夫でござるかねえ? と風香は初めて心底から心配になった。

 そして幸か不幸か風香の心配が無用なものであった事は、その後ドライセンの進む先にまるで罠が存在せず、不用心にドライセンが寺院の扉を開き、あちらこちらの寺院に足を踏み入れても何者かに襲われもしなかったことで証明された。
 何となく納得のいかないものを覚えて、腕を組んで眉を寄せながらも風香は足を止めずに先を進むドライセンの後ろを着いていたが、地下遺跡群の中でも一際こじんまりとした寺院の中に入った時、ドライセンが床の一点を見つめて足を止めた。

「ここだな。わずかだが空気の流れが違うし、霊力が零れ出ている。石床の感触も異なるでな」

 低い唸り声がドライセンの咽喉の奥から零れるや、一辺二メートルほどの石畳がふわりと浮かびあがり、壁に立てかけられる。人間や亜人の扱う魔法でも存在している念動を、竜語魔法で行ったのである。
 剛力無双の戦士であると同時に高等魔法に分類される竜語魔法も扱えるドライセンの存在に、八千代と風香は改めて目の前のドラゴニアンが味方で良かったと安堵を禁じ得ない。
 外された石床の下にはこれも石造りの下り階段が続いており、わずかな明りがあるきりで払拭しきれぬ闇が広がっている。
 壁に立てかけられた石床の表面にはうっすらと白く発光する神聖文字が無数に浮かびあがっており、これまでこの場を訪れた調査隊や冒険者たちの五感を欺いていたのは、この石床に施された術に依るものである事は、想像に難くない。
 いずことも知れぬ暗闇の底から吹いてくる風に頬を撫でられて、知らず八千代と風香の体毛が逆立ち、尻尾が緊張と恐怖をあらわす様にぴんと立つ。

「清浄な空気は変わりませんが、どことなく重圧が増した様な気がいたします、ドライセン様」

「ふむ、瑠禹の見立て通り、大気中の魔素がぐんと濃度を増したわ。思った通りなかなかの力の主がいるようだな」

 龍種である瑠禹さえ緊張の色を隠せぬ中、ドライセンばかりは相も変らぬ態度でさっさと階段を下りてゆく。
それでも一応自分以外の三人が多少尻ごみしている事は分かっているのか、階段に足を乗せた所で背後を振りかえった。

「私一人で行くからそなたらはここで待っていて構わんぞ?」

 とドライセンは言ったが、そう言われて素直に待つ三人でないことまでは読み切れなかったようで、三人はそれぞれこの様に返事をした。

「わたくしはドライセン様を信じておりますし、わたくしの護衛なのですから傍を離れられては困ります」

 少しむすっとして言う瑠禹。

「まだ報恩したとは納得しておりませんのでな。せ、拙者はドライセン殿に着いて行きますぞ」

「は、ハチもそう言っている以上は、せせ拙者も行かぬわけにはいかんでご、ござるね」

 若干顔色を悪くしながら八千代と風香も瑠禹と共にドライセンに着いて行く事を口にする。
 とはいえすっかり意気消沈しているのが伺える辺り、まだまだドライセンに対する信頼は厚くはない様だ。
 三人が着いてくると言う以上は断るつもりのないドライセンは、では行くかと短く言うきりで、そのまま淀みない歩調で隠されていた隠し部屋へと白い巨躯を進めて行く。
 ある意味ではマイペースの極致とも言えるドラゴニアンであった。
 石階段を降り切った先はさして広い空間ではなかった。一辺辺り二十メートルほどの正方形の部屋である。
 視線を巡らしたドライセンはちょうど階段から最も遠い壁際に、あえかな明りが灯されてそこにある椅子に腰掛ける人影を見た。
 人影の周りにいくつもの書棚が置かれ、巻き者や石板、書籍が整然と並べられている。
 吹けば消えてしまう様な明りは机の上に置かれた燭台に灯る、蝋燭の火であった。じじと小さな蝋燭の燃える音を、ドライセンの耳は捉えた。

「これはこれは、客人など幾年月ぶりである事か」

 声が、聞こえた。
 四方から迫りくるような圧迫感のある部屋の中に陰々と響き、耳にした者の心を暗闇の底に引きずり込む様な声であった。
 霊的耐性の低い者ならこの声が鼓膜を震わせた瞬間に卒倒してしまってもおかしくはない。
 椅子に腰かけた人影はゆっくりと立ち上がり、階段を降り切ったドライセン達を振りかえった。
 裾がボロボロにほつれ、はたしてどれだけの歳月を耐え忍んだのか想像もつかない草臥れた墨染の僧衣と袈裟を纏う人影の顔を見た時、ひ、と恐怖を隠さぬ声が八千代と風香の咽喉から搾りだされた。
 瑠禹もまた緊張の度合いを増して生唾を飲む音を立てる。

「ふむ」

 ドライセンの青い瞳はこちらを振りむいた百八十センチメートルほどの人影のかんばせを映していた。
 白く濁った生皮の張り付いた骸骨のごときその痩せ細った異形、暗黒の洞が穿たれた眼下には心臓から送り出されたばかりの血を凝縮したような赤い瞳が、茫と輝いている。
 目にするだけでも見る者の精神に恐慌を催さんばかりの異形の姿に、痩せ細った骸骨の体から発せられる尋常ならざる魔力。
 目の前にある存在の正体を、ドライセンは感心とも呆れとも着かぬ調子の声で口にする。

「リッチか。見るのは随分と久しぶりだが、ヴァンパイアと並ぶ最高位のアンデッドと神を奉る場所で出会うとはまこと奇縁」

 リッチ。
 古い言葉で死体を意味し、それを種族名とする存在は数あるアンデッドの中でも最高位に位置し、ヴァンパイアと並び死なずの者達の王ともされる忌まわしき存在である。
 リッチは極めて強力な魔法使いや冥界の神を崇める宗教の一部の高位神官などが、魔法か神の奇跡を持って、生きたまま自らをアンデッド化し、人間の時の極めて高い魔力を更に増大させ、肉体を主物質界と星幽界の両方に置くことで不死性を得た超存在だ。
 陽光やアンデッドを昇天させるターンアンデッドなどの魔法を弱点とする他は、およそ弱点の存在しない、一国を滅ぼすことも可能な人間の及ばぬアンデッドの頂点に君臨するといっても過言ではない力を持つ。
 この人間の中から生まれた恐るべき不死者は、自らを生ける死者と言う不浄な存在へと変える異常な精神を持つ事から、元より人間としての倫理観に乏しく、人間として生きた記憶を持ちながらも邪悪なものとして人間からは畏怖されている。

 他の人間などそこらの石ころやゴミくずや魔法の実験材料程度にしか考えない個体が多く、極めてまれに例外的に人間に対して友好的ないしは無関心であるが故に無害なモノもいるが、基本的にはリッチとの接触は肉体ないしは精神的な死に繋がるケースがほとんどである。
 それを証明するかのように八千代と風香は瞬く間に顔の色を死者のそれに近く変え、尻尾をそれぞれの股の間に挟んで魂が感じている恐怖に体を震わせている。
 絶対に出会ってはならない存在と邂逅した圧倒的弱者の恐怖、それが二人の獣人の少女の身体と心を縛っていた。

 かろうじて二人が魂を削る様な恐怖の絶叫を挙げなかったのは、瑠禹が脂汗をその白い額や頬に浮かべながらも、恐怖に飲まれ切ってはいないこと。
 そして白いドラゴニアンが初めて会った時から変わらぬ泰然自若とした、あっけらかんとした態度で、いつもの癖であるふむ、と零していた為である。
 この方はリッチを前にしても怯えていない!

「ここ、これは流石に、拙者も、こ、怖いと言わざるを、え、えぬ得ぬでごごご、ござるよ」

「ちょちょちょ、ちょーこわいでござるよ。こんなに怖いのは初めてでご、ござっ。おおお股に尻尾を挟んでしまったでござるもん」

 二人とも震える舌を動かしてなんとか口を開き、錆びついたブリキのおもちゃの様な動きで、それぞれの腰に佩いた刀剣に必死に手を伸ばしている。
 地上最強種のひとつに挙げられるドラゴニアンが二人いるとはいえ、相手がリッチとあっては例えまるで役に立たぬ様な微力な自分達といえども、助力しなければならないと、二人は全霊を持って闘争の心を震わそうとしていた。
 しかしその二人の命を賭した思いと行為を裏切る様に、これはいかんといった調子でリッチが歯茎が剥き出しになった歯列を開く。

「おお、これはいかんな。人と会うのは久しぶりじゃて、己が禍者(まがもの)となった事を忘れてしもうたわ」

 リッチがそういった直後、それまで八千代や風香の精神を圧していた絶対的強者を前にした恐怖が、まるで嘘のように消えてゆくではないか。

「いかがかな? 多少は苦しみが減ったじゃろう」

「ふむ、お気遣い感謝する。伺いもなく御身の御所に足を踏み入れた無礼をお詫び申し上げる。私はドライセン。こちらの辰巫女は瑠禹、それに犬人の侍が八千代、狐人が風香と申す。不躾ながらお尋ねしたき義があって参った。よろしいか?」

 何をこの方は悠長なことを言っているのだ、と八千代と風香が目を剥いた矢先、リッチは僧衣の袖から紫水晶の数珠を持った手を出し合掌して一礼する。

「拙僧にお答え出来ることであればなんなりとお尋ねなされ。ただお恥ずかしい話、客人があるとは思わずにこの地下に籠りましたでな、茶はおろか白湯さえも用意できぬ有り様。せめて椅子はご用意いたします故、腰を落ち着かれてはいかがか」

「お気遣いだけでもありがたく頂戴いたす。では瑠禹、八千代、風香、ご好意に甘えるとしようか」

 先ほどからまるで敵意も恐怖もなくリッチと言葉を交すドライセンに、ついに堪りかねた風香が火を吐く勢いでまだ心に残る恐怖を忘れて口を開いた。

「な、何を先ほどから親しげに話しているのでござるか、ドライセン殿! り、リッチと言えば不死者の中でも吸血鬼と並び最強にして最恐、最凶と言われるとんでもない怪物でござるよ。そそ、それを相手に」

 後にこの時の事を思い返し、風香はその当のリッチを前にした状況で何と言う事を口走ったのか、と慄くのだが、この時はドライセンのあまりに平常な態度に理不尽な思いさえ覚えて、八つ当たりに近い言葉をぶつけてしまったのである。
 これを受けたドライセンはと言えば、風香や八千代が怖がっている様子をむしろなぜそんなに怖がるとでもいうように、野太い首を傾げてこう言った。

「しかしだな、悪意のない相手に身構えても仕方あるまい。第一非礼を働いたのはむしろこちらぞ。なればせめて礼を尽くすべきだろう」

「はえ?」

 リッチに悪意がない、というドライセンの言葉に八千代と風香は、ポカンとした顔を作り、瑠禹はといえばこちらはまだ平常心を維持していた分、リッチから殺意や敵意、悪意といった感情が放たれていない事を理解していた為、やはりと呟いていた。
 するとドライセンの言葉にリッチは照れた様に頭巾を被った頭を枯れ枝の様な指で掻きながら、こう言った。

「拙僧、浄閃(じょうせん)と申すもの。仏神シッダルタにお仕えする仏僧だったのじゃが、この地下に籠り仏神に祈りを捧げ、世の理に思いを馳せておったら、これ、この通り気付けば骨と皮ばかりの不死者になってしまってのう。お恥ずかしい話じゃな」

 ほっほっほ、と好々爺然とした笑い声を挙げる浄閃と名乗るリッチに、八千代と風香は理解できないと言葉以上に雄弁に語る瞳を向ける。二人に助け船を出すようにして、ドライセンが浄閃がどのような存在であるかを説明した。

「ホーリーアンデッドというやつだな。不死化の儀式魔法を行わずに、聖人や偉人などが死後息を吹き返し、不死者となるか生きたまま入神の域に入って肉体をアストラル化させた、リッチよりもさらに希少ないわば聖なる不死者」

 リッチにはデミ・リッチ、リッチロードなどの上位種が存在するが、浄閃はそれらの上位種とは起源からして異なる存在なのである。
 そしてホーリーアンデッド、この場合ホーリーリッチはリッチでさえもアンデッドであるが故に避け得ぬ陽光に対して、耐性を持っているどころかむしろその環境に適性を持ち、能力が向上するほどである。
 神聖魔法に至っては完全な耐性を保有し、対アンデッド戦における最大の切り札の一つとされるターンアンデッドさえも無効化する。

 弱点の全てを超克したこのホーリーリッチは人間だった頃の霊力や魔力、信仰心を更に強大なモノに変えて魔法戦闘能力を著しく増大化させ、リッチ同様の不死性に加えて通常の肉体を捨てて魂が剥き出しになったことで、より霊感が鋭敏化する。
 その事によって信仰する神により近い存在となったことで、神々からの祝福や加護がより強力になり、もし敵対したならば弱点が一つもなくなっている事から、純粋に能力で上回るか数で押す他ない超存在なのである。

「さていつまでも立ち話はなんじゃてのう、いま椅子をばお持ちしよう」

 自ら部屋の片隅に置かれている椅子を取りに行く浄閃を、八千代と風香は相変わらずぽかんとした顔で見ていた。

<続>

名称:浄閃
種族:なんちゃってホーリーリッチ/ホーリーアンデッド
職業:大僧正

ファンタジー系SSを読んでいたらリッチが、最強のアンデッドという名のかませ犬ばかりだったので、ならたまには友好的なのがいてもいいよね、ということでこんなのになりました。

パーティー名称:???
ドラゴンウォーリアー    :ドライセン
辰巫女           :瑠禹
へっぽこ侍         :八千代
どじっこくのいち      :風香
なんちゃってホーリーリッチ :浄閃

 もし浄閃が仲間入りした場合、上記のようなパーティー構成になりますね。
 ドライセンと瑠禹は亜人系最強種ドラゴニアン……と思いきや地上最強種の一角ドラゴンの成体、僧侶ポジションの浄閃は不死者最強のリッチを上回る上位種ホーリーリッチ。
 八千代と風香だけは並みのレベルだけれども、それ以外の三人が強すぎて大陸最強級の冒険者パーティーの出来上がり。

12/25 21:15投稿
    21:59一部文章追加、修正
12/26 12:33修正、JLさま、通りすがりさま、ありがとうございました。
01/01 14:51、21:17修正 rokuyouさま、科蚊化さま、ありがとうございました。



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生24
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2012/01/02 09:37
さようなら竜生 こんにちは人生24


 私とセリナ達三人がガロア魔法学院の進学式前日に入寮する為、学院側の用意してくれた箱馬車に乗ってベルン村を発つ日が来た。
 空は私達の旅立ちを祝福するように澄んだ青色に濡れている。青い空の所々にふわりふわりと浮かぶ白雲の動きは緩やかで、春の陽気に眠気を誘われている羊のようだ。
 地上に吹く風はぬくみを帯びていて心地よく、今日ばかりは魔物や猛獣たちも争う事を忘れて眠りの国に旅立つのではないだろうか。
 実に良き旅立ちの日と言えよう。四季の運行や天候を司る神は無数に居たが、その大部分の機嫌が良いようである。

 いまの私は粗麻の黒ズボン、くすんだ白いシャツに濃い茶色のベストという平均的な農民姿だが学院に着けば指定の制服が支給され、学院の外に出る時以外はそれを着ていればよいそうなので衣装代が掛らないので助かる。
 私の衣服は制服を着ていればよいとして、セリナ達の衣服を新調する場合には金銭をなんとかして調達しなければなるまい。
 魔法学院では金銭的な余裕のない学生の為に、冒険者ギルドや総督府と提携して一部の魔法薬や魔法具、魔法武具の作成などを委託して小遣い稼ぎをする事を認めている。
 この一年の間に村人全員分の各種の身体能力を強化する魔法のブレスレットを作成した今の私ならば、学生任せの依頼程度の道具ならば十分に求められる基準の品を作れよう。

 ふむ、そう考えるとベルン村に居るよりはお金を稼ぎやすいか。
 私くらいの年齢でも冒険者登録できるともっと良いのだが、学業以外の事に時を費やす余裕がどれだけあるかは、実際に学生生活をしてみなければ分からない所はある。
 流石に蔵書の写本を魔法ギルドに売り捌くのは違法だろうから、自重しなければならないだろうけれども。
 黄金色の太陽が彼方の稜線に顔を覗かせて、そう時の経っていない時刻であったが、私の家族四人と村長、シェンナさん、アイリ、リシャ、ディナさん、ミル、それにアルバートの姿がある。

 家族ぐるみで付き合いのあったアイリ一家はともかくミルが顔を出している事に、村長とシェンナさんが少しばかり不思議そうな顔をしたが、それもすぐに納得した様に頷いた。
 すっかり情事の後の隠蔽工作に慣れてしまった私だが、流石にこの一年間リシャやミルとほとんど毎日一緒に居るのを村の皆に見られているから、薄々程度には私達の関係を勘繰られていても仕方のないところはある。
 男女の関係にまで至っていることがばれているわけではないが――私の十一歳という年齢もある――将来的に、私を中心にした男女関係のもつれが起きる事を村長やシェンナさんは危惧している節はあるが、一方でまだ子供同士の事と微笑ましくも思っていよう。

 ただ村長たちとは違ってミルの父親であるバランさんの私を見る目が最近険しさを増し、訓練の時も背筋の冷える思いをする事が増えているのだ。
 直接的に暴力を振るわれた事は今の所一度もないし、これからもないだろうが時折バランさんが不穏な考えと良識の間で揺れている素振りを、残念ながら私は何度か目撃している。
 バランさんからすれば、可愛い愛娘が熱いまなざしを送る相手が気に要らないと言うだけだろう。
 いくらなんでも私が調整していなければ孫が生まれていてもおかしくない様な事を、私とミルがほぼ毎日しているなどとバランさんは想像もしていないだろう。
 というかそこまで把握していたら子煩悩なバランさんの事、怒り心頭で我を忘れて私の頭を愛用のバトルハンマーで叩き潰そうとしてもおかしくはないと私は推測している。
 普段は冷静沈着な方なのだが、バランさんはミルのことになると我を忘れがちだからなあ。それがなければバランさんは頼りになる村の兵士長なのだが。
 私の余計な考えは他所に置いておくとして、母が前屈みになって私に向けて口を開いた。

「ドラン、いい? 知らない人に着いて行っては駄目よ。美味しい物を食べさせてくれるからとか、綺麗な服を買ってあげるとか、好きな本を買ってあげるとか、都合のよい事を言って子供を浚う悪い人はたくさんいるのよ」

 そういって母は私の鼻をちょんと右の人差し指で突き、毎日毎晩私に言って聞かせている注意をまた重ねる。
 うん、と素直に頷いて返しつつ私はこれが耳にタコができるという奴か、と遠い昔に耳にした諺を思い出す。
 私を案じてくれる気持ちは胸が切なくなるほど理解しているのだが、そこまで私は子供だろうか? ……あ、十一歳ではまだ子供か。それでは仕方がない。
 母はまだ言い足りないのか相変わらずの無表情で頷き返す私にやきもきしているのか、大丈夫かしら、本当に大丈夫? と何度も繰り返している。
 一方で我が父ゴラオンはと言えばなんと珍しい事にセリナやディアドラ、リネットに対して私の事をよろしく頼むと実に言葉短く頼み込んでいた。
 あまりセリナ達と父が話している所は見た事がなかったが――リネットは畑仕事の手伝いを我が家専門でやっていたので別である――将来的には、三人共父の義娘になるのだから仲良くやってくれるのなら私としては大歓迎である。

「母さん、大丈夫だから。私は母さんや父さんの言いつけを破った事はないよ。魔法学院でたくさん勉強してくるから」

「アゼルナ、ドランの事じゃから心配するだけ無駄というものじゃ。この子はかなり……あ~変わった子じゃが、賢いし肝も座っておる。ガロアで一皮剥けて帰ってくるわい。母親ならそれを信じて送り出してやらんとな」

 一皮でも二皮でも剥けて大きくなって帰ってくるとも、と私は村長の言葉にうんうんと頷いて大丈夫、村長の言うとおりだよと暗に母に主張する。

「父の言うとおりですよ、アゼルナさん。むしろドランは自分を騙そうとした相手の肝を潰すようなことをする子ではないですか。次に村に帰って来る時には土産話をたくさんもってくるでしょう」

 シェンナさんも村長に同調して私の擁護をしてくれる。村長が少しばかり私に対して悪口を言った気もしたが、取り敢えず聞かなかった事にして、二人の擁護に感謝しておくとしよう。
 私としては村長とシェンナさんの言うとおりだと自分の事を分析しているし、母を安心させる為にももっと言って欲しい所である。

「母さん、あまり迎えの人を待たせてはいけないから、ここまでだよ。ちゃんと手紙も書くからね」

「そ、そうよね。母親の私が貴方の事を信じてあげないといけないわよね。分かったわ。じゃあ、ドラン、ほらアイリ達とお別れの挨拶をしなさい。あ、アイリ、別に一生のお別れと言うわけではないのだから、そんなに涙ぐまないでね」

 母がお別れの挨拶という失言に気付いてアイリを振りかえると、昨晩枕を涙で濡らしたのか、目元を赤く泣き腫らしたアイリが新たに涙の粒を浮かべて瞳を潤ませているではないか。
 私もそちらに目を向ければアイリの隣に居るリシャも、私にしか気付けない範囲ではあるが目元がかすかに赤くなっていたし、ミルの方はもっと分かりやすくアイリと同じように悲しみを露わにしている。
 ここまで思われるのはなんとも男冥利に尽きる話ではあるのだが、アイリ達の父親であるドゥルガさんと約束した、アイリに悲しみの涙を流させないと言う約束を破ってしまった形になる。
 その事が大きな針となって私の心を無数に突きさしている事ばかりは、如何ともしがたい私の落ち度であった。

「アイリ、必ず帰ってくるから」

 私の言葉に母であるディナさんに背中を優しく押されたアイリが、私のすぐ目の前まで来て、下から私の顔を睨みつけてくる。アイリのその様子と髪の色から、機嫌を損ねた赤毛の子猫を私は連想した。

「約束、全部守りなさい。ひとつだって破っちゃ駄目なんだから。帰って来られる時はどんなに忙しくても……」

「長い休みの時は必ず時間を作って村に帰ってくる。それに手紙を書くのも忘れないよ」

「村を離れてまで魔法学院に行くんだから……」

「一番になる。立派になって戻ってくるともさ」

「絶対よ、絶対に守らないとドランと絶交しちゃうんだからね。他に居ない位美人になってるんだから」

 アイリにひとつひとつ答えて、私はこれは一度でも手紙を出し忘れればアイリ火山が大噴火する事を確信した。リシャが姉らしくアイリを慰める為に抱きよせて、後ろから小さなアイリの体を抱きしめる。
 大好きな姉のぬくもりと匂いに包まれて、アイリはくすんと小さく鼻を鳴らしたが、それ以上私を追及してくることもなく、むすっとした表情を作って私を見つめるきりである。

「ドラン、私もアイリと同じ気持ちなの。ううん、私だけじゃなくってミルちゃんもそうよ。私達は皆貴方と離れ離れになるのが辛くって悲しいの。その事を忘れないでね」

 リシャの言う事が本当だと言うように、ミルが一年前よりもさらに大きくなった乳房の前できゅっと小さく拳を握った姿勢で、しゅんと牛の耳を垂らしたままこくこくと細い首を何度も縦に振る。
 ミルの年齢は今年で十五歳。私が同い年だったなら夫婦になる事が認められる年齢である。
 ああ、私があと五年早く生まれていたなら、ミルだけでなくリシャとも結婚できたのに。平民のままでは土台無理な話ではあるのだが。

「あのね、ドラン、私もね、ドランと離れ離れになるのはとても嫌なの。だけどドランは一度口にした事は絶対にする子だし、約束を守る子だってことも知っているから、だからアイリちゃんとの約束を私達共してくれる? そうしたら安心して私もドランを見送れるから」

「うん、ミルとも約束するよ。魔法学院で一番になって帰ってくる。それに手紙も欠かさないし長期の休暇が取れたら絶対に家に戻ってくる。その時にはたくさんお土産を持ってくるから、楽しみにしていて」

 うん、うんと何度も頷いてから、ミルは足元に置いていたバスケットを持ち上げて私に渡してきた。

「あの、これ、私のお乳とチーズとか使ったお弁当。ガロアに行ってから食べてね。バスケットは村に帰ってくる時に持ってきてくれればいいからね」

 既に母に持たされた弁当が鞄の中に入っていたが、私は母とミルの弁当を両方とも欠片も残さずに食べる事を決めた。
 母とミルがそれぞれ異なる愛情を込めて作ってくれた弁当を残すなど、男の風上にもおけぬ甲斐性なしであろう。

「ありがとう。大切に食べるよ。ミルも私がガロアに行っている間、体を大切にして。帰ってきたらまた一緒に遊ぼうね」

 私が胸の内に暖かい物を覚えていると、腕を組んで私とアイリやミルとのやりとりをそれまで黙って見ていたアルバートが、あからさまに不機嫌な表情を拵えていた。

「ドラン、おれさ、お前のことは友達だと思っているし、長い付き合いだからなんて言って送り出そうかってまあ、それなりに考えていたんだけどよ」

「ふむ?」

 アルバートは眼を細めて怖い顔を作ると私をまっすぐに見つめながら、私が予想もしていなかった事を口にする。

「もうお前本当羨ましいを越えてもう憎たらしい。もうお前あれだ。ガロア行ったら痛い目見て来い。本当に」

「アルバート、なんだその言い草は。言うに事欠くにしてもひどくはないか?」

「うるせえや、お前、自分の周りをもう一回見直してみろ。お前の周りにばっかり女の子が集まっていて、村の男連中がどれだけ羨ましがっているのか分かっているのかよ?」

 ふむ、確かにこの一年間、常にアイリやセリナ達の内最低でも誰か一人と行動を共にしている私に対して、私よりいくらか年上の男連中から羨望と嫉妬の混じる視線を向けられていたのは大いに自覚のあるところ。
 その不満をアルバートも抱えているだろうことは私もうすうす察してはいたが、よりにもよってこの時にそれを表に出さなくとも良いではないか、いと小さき人間の親友よ。

「それはまあ村で人気のある女性達と仲良くさせて貰ってはいるが、まだまだ村にも綺麗な人達はいるだろう。レティシャさんだって準司祭とはいえマイラスティ教は神職者の婚姻を許しているし、ほらシェンナさんだって綺麗な方ではないか」

 アルバート相手で多少気が緩み、気付いた時には私の口調は魔法学院用のものではなく本来のそれに変わっていた。

「へん、レティシャさんは全然男に興味がない感じだし、シェンナの姉ちゃんは姉ちゃんでとっつきにくいって皆が言っているのを、お前だって知っているだろうが」

「ふむ、だがその事をシェンナさんの耳に届く範囲で口にするやつがいるとは知らなかったがな」

「……あ」

「アルバート、皆が私の事をどう思っているかきっちりと聞かせてもらえるかしら」

 私の指摘に若干の間を置いてから自分の失言に気付き、慌てて口を塞ぐアルバートだったが、既にその背後にはにこにこと眼鏡の奥の瞳を細めて笑みを浮かべるシェンナさんが立っていた。
 ふむ、アルバートよ、後で尻を叩かれるか、その針金髪の頭に拳骨を叩き込まれるかして、己の口の悪さを反省するが良いわ。
 さてじゃれあいもこれ位にしてそろそろ馬車に乗り込まなければなるまい。私は肩から掛けている鞄の位置を調整し、改めて見送りに来てくれたみんなの顔を見回し、小さく頭を下げた。

「きりがないからもう行くよ。皆、見送りに来てくれてありがとう。病気とか怪我しないでね。またゴブリンとかが襲ってくる事があったら、すぐに駆けつけるから」

 私は待ってくれていた馬車にセリナ達と一緒に乗り込み、窓から顔を出して遠ざかる皆が見えなくなるまで手を振って、生まれ育ったベルン村を離れた。
 人間に生まれ変わってからの十一年、色彩と輝きを失って久しかった我が竜としての生の何千年、何万年分にも匹敵しよう黄金の記憶が私の脳裏をかすめ、私は年甲斐もなく目の端に浮かぶ涙を拭わなければならなかった。


 再び城塞都市の威容を誇るガロアの第一城壁と第二城壁の間にあるガロア魔法学院を、馬車に揺られながら訪れた私は、正門で小さな菱形の青い水晶が埋め込まれた金属製のカードを渡された。
 魔法学院の生徒である事を証明する身分証である。埋め込まれている水晶に生徒の情報が記録されており、自動でカードの表面にその情報が文章として刻印される品である。
 いまカードには私の名前、学年、学生番号、それに使い魔であるセリナとディアドラ、従属下にあるゴーレムとしてリネットの名前と顔も並んでいる。
 春の長期休暇が終わりに近いと言う事もあって学院の中には生徒の姿が見られた。
 いずれも私より年上の男女ばかりで、白を基調として魔法学院の校章が縫いこまれ、折り返しの袖や襟が黒く金刺繍で縁取られた制服を着ている。
 男子は同色のズボンで女子は膝丈のスカートだ。ネクタイとリボンの色で学年の識別が着き、私の入学する高等部一学年の色は青。学生証の水晶と同じ色である。
 魔法学院の敷地内で見受けられる生徒の中には犬や猫、鹿、鴉などの小動物を連れている者もいて、それらの小動物が使い魔である事は精神の繋がりがある事を確認するまでもなく容易に想像がつく。

 生徒のほとんどは人間であったが、稀にホビットやエルフ、獣人の姿もあって魔法学院の間口の広さが良く出ている。
 私と同じような平民出身者は人間の中には少ないかもしれないが、少なくとも種族間での偏見はあまりないのかもしれない。
 魔物扱いされているラミアはどうかはわからぬが、蛇の眼と舌を持ちうなじや四肢に蛇の鱗を持った蛇人の生徒もいたから案外大丈夫かもしれない。
 私達の乗った箱馬車は正門ではなく男子寮の方へと向かって進み、四階建ての高等部男子寮の正面で馬の足は止まり、私達は揃ってそれぞれの荷物を手に馬車から下りた。
 玄関の前には魔法学院に雇われている使用人か寮母らしい、白いものが髪の毛に混じるふくよかな女性が私達を待ってくれていた。

「あんたがドランだね。あたしは男子寮の寮母を任されているダナだよ。ようこそ魔法学院へ」

 ダナさんは白髪交じりの茶髪を後頭部で団子状にまとめ、動きやすい紺色の制服の上にポケットがいくつもついたエプロンを着ていた。魔法学院の女性使用人達の指定の制服なのだろう。
 差し出されたダナさんの手を私は握り返した。水仕事や繕い物などで傷だらけになり、ごつごつとした肉厚の手である。
 母や辺境の女達と同じ働き者の手。小さな傷だらけのその手が、私にとってはこの上なく美しく思えた。
 妻にするならばこういった手を持った女性にすべし、というのが辺境や農民の男達に伝わるのが良いお嫁さんの条件だ。

「これからよろしくお願いします。ベルン村のドランです」

 私が小さく頭を下げてダナさんに挨拶を返すと、私の後ろに居たセリナやディアドラ達も私に倣って会釈をする。
 ダナさんは私の使い魔として連絡の入っている三人の女性らに視線を巡らし、にこやかに笑顔を返す。
 長年魔法学院で働いているからなのか、ラミアやドリアードを前にしても驚く様子を見せない。
 教師くらいの実力の主なら精霊や魔物でも使い魔にするか、モンスターテイマーとして従えている人がいるのかもしれん。

「ラミアのセリナです。これからお世話になります」

「ディアドラよ。見ての通りドリアード。ドラン共々よろしくお願いするわ」

「リネットです。以後お見知りおきを、ミス・ダナ」

「うん、皆ちゃんと挨拶の出来る子たちだね。普通使い魔は専用の厩舎か寮で主と一緒の部屋に入ってもらうんだけど、あんた達はちょっと事情があるって言うんで四人でおんなじ部屋に入ってもらうよ。
 広さは十分ある筈だけど、実際に見てもらった方が早いやね。まずは部屋に荷物を置いてから寮や校舎の方を案内するよ」

 セリナ達とは同じ部屋で、という私の希望は叶えられたようで願ったりかなったりである。
 ついといでと言うダナさんに続いて私達は男子寮の中へと入った。学院の校舎と同じ石造りの寮内は手入れの行き届いた内装だ。
 無事に魔法学院を卒業した者の将来は、約束された様なものでそれなりに上流階級との付き合いも生じるから、それに備えて普段暮らす寮一つをとっても金を掛けているのだろうか。
 男子寮は入ってすぐ右手側に入寮者の出入りを管理している人達の窓口があり、ダナさんとは別の男性の使用人達の姿がある。
 男子と女子の不純異性交遊を律する旨の規則があったと記憶しているし、宮廷魔術師や貴族の子弟も通っているということから、通常の学校以上に間違いがあってはならないと規則は厳しくなっているのだろう。
 とはいっても私は学校施設というモノを魔法学院で初めて体験するのだから、他に比較対象を知らないのでなんとも言えないのが正確な所なのだが。

 壁際に光精石の仕込まれた燭台が規則的に並ぶ廊下に、私達四人が石床を歩く靴音とセリナの蛇体が石床を這う音が連続して響く。
 規則正しく壁に並ぶ扉の奥の部屋からは、人間の気配や話し声が感じられる。一階は寮の使用人や警備員用の部屋や倉庫、食堂、浴場などが大部分を占めているようだ。
 玄関正面はホールの先に二階と地下に繋がる階段があり左右に廊下が伸びて、それぞれの廊下の奥には生徒達が集まって話す為のやや広めの場所が設けられ、机と椅子のセットが何脚も設置されている。
 廊下やその談話用の場所には男子生徒が何人かおり、セリナの這いずる音に気付いた者などが私達を見つけて、ぎょっとした顔を作るのを見るのは中々に痛快だったが、同時にこれからセリナが嫌な思いをするのではないかと不安を湧き起こすものでもあった。

「食事は一日三回。男子寮にも食堂はあるけど昼食と夕食は大体校舎の大食堂で取る子が多いよ。寮の食堂はさっきの階段の左脇の部屋にあるからね」

 私の場合はセリナ達と一緒に食事をとるのでやはり食事中も目立つ事は間違いないだろう。
 セリナ達には部屋で待って貰って、私が食堂で人数分の食事を受け取って持ち帰るのでもいいだろうが、出来れば学院の生徒達との交流も深めたい私としてはなるべく食堂を使いたい所なので、これは悩みどころである。
 ダナさんは二階には上がらず玄関入口から見て右側の廊下を突き進み、角を曲がってまっすぐ進んだ先にある倉庫らしい大きな扉に私達を案内した。
 いかにも物置だったという寂れた雰囲気が漂い、扉の作りも他の部屋のものに比べて数段下だ。
 私達四人が一緒に暮らす為の空間を確保できる部屋が、男子寮にはここだけだったということだろう。

「ここがあんた達の部屋だよ。もとは物置になっていた所だったんだけどあんた達がここに暮らすって言うんで余計な荷物は全部他所に移したし、掃除もきっちりとしたから綺麗にはなっている筈だよ」

 そう告げるダナさんはどことなく申し訳なさそうで、流石に親元から預かる魔法学院の生徒を、物置だった場所に住まわせるのは多少なり気が咎める様子である。
 石造りの床や壁の部屋で暮らすのは私にとっては慣れぬ事であるが、竜時代には何の手も入っていない洞窟の中で暮らしていたこともあるのでどうという事はない。
 部屋の中に入ると元は物置だったという事もあって、大きめの木板の窓が壁際に一つあるきりで閉塞感を醸すのに一役買っているが、中は広く私達四人が暮らすのに窮屈さを感じる事はなさそうだ。

 中の空気に埃っぽさはなく、少なくとも換気くらいはしてもらえていた様である。部屋の隅や随分と歴史を感じさせる天井の梁などに蜘蛛の巣が掛っている事もなく、最低限の掃除は済ませてあるのは間違いない。
 窓際に私、ディアドラ、リネット用と思しい質素な作りのベッドが三つ並んでいる。斧を振るっても切るのに恐ろしく根気がいることで知られるハタズ杉の寝台だ。後で横にくっつけて並べ直しておこう。
 三脚のベッドと別の壁際に置かれた机、それに空っぽの本棚と衣装箪笥やランプ、片隅に積まれた椅子を除けば、他には何もない元物置倉庫の部屋の真ん中に私達は村から持ってきた荷物を置いた。

「荷物は置いたね。それじゃあ学院の中を案内するよ。途中で売店に寄ってあんた用の制服を受け取っときな。寸法に不都合があったらすぐにお言い。入学式に丈の合わない制服を着ていたんじゃ格好がつかないからね」

「はい」

「それで悪いんだけどあんた達の案内は私じゃなくて、知り合いだって娘が希望しているんだ。今頃玄関に着いていると思うから行ってごらん」

 私達の知り合いで生徒と言えば思い浮かぶのは一人きり。銀髪赤眼の愁いを帯びた美貌の魔法剣士の寂しげな横顔と、宴の夜に見た晴れやかな笑顔が私の脳裏を占める。
 私の想像が正しかった事は実際に玄関に行ったことで証明された。
 一年前にベルン村で私達と轡を並べてゴブリン達との死闘を戦い抜いた麗しい美少女が、男子生徒の視線を釘付けにしながら玄関で私達を待っていたのである。

 クリスティーナさんだ。一年前と変わらぬ、いやむしろより一層美貌に磨きのかかったクリスティーナさんは魔法学院指定の制服を身に纏い、村で見た時とはまた違った印象を受ける。
 私達に気付いたクリスティーナさんが、腰まで届く長さの銀髪を左手で掻き上げる艶めかしい仕草と共に、大輪の薔薇がそこに咲いたように眼を惹く笑みを浮かべる。

「やあ、久しぶりだね。ドラン、セリナ、ディアドラ、リネット。ドランは少し背が伸びたようだ。セリナは鱗の色が以前よりも鮮やかになっているな。ディアドラとリネットは相変わらずの美人だ」

 親愛の情が込められたクリスティーナさんの言葉に、セリナが人好きのする可憐な笑みを浮かべる。
 寮内を歩いている時に険しい視線を向けられていた分、顔見知りと出会えたことで緊張が和らいだのであろう。
 これだけでもクリスティーナさんに感謝する価値がある。

「クリスティーナさん、お久しぶりです。お元気そうで良かった。一年前に恥ずかしい姿を見せてしまったきりで、またお会いできて嬉しいです」

「セリナの言うとおり元気そうでなによりだね。クリスティーナさんこそ一年前よりも美人になった。魔法学院の制服がとても似合っている。でもせっかくだからスカートを着ている姿を見たかったな」

 そう、クリスティーナさんは男子生徒と同じズボンを履いていたのである。しゃなりと伸びるクリスティーナさんの脚線美がズボンに隠されてしまい、見る事が出来ないのは私としては非常に残念という他ない。
 スカートを履いている女子生徒は普通の靴下か、太ももの半ばまである長丈の靴下やブーツ、あるいは腰まであるタイツを履いていて、クリスティーナさんだったらどの場合でもその両脚の優美な線で周囲の眼を魅了できるだろう。
 私の素直な事この上ない言葉にクリスティーナさんは照れくささを隠す様に微笑を浮かべる。

 そのクリスティーナさんの微笑になぜか私達を遠巻きに見ていた男子寮の生徒達が、おお、と控えめだが驚きの声を挙げた。
 ふむ、そういえば一年前にベルン村に来たばかりのクリスティーナさんは、陰鬱と退廃に塗れた背徳的な印象を受ける女性だったが、魔法学院でもそうだったに違いない。
 そのクリスティーナさんがこうも朗らかな陽性の微笑を浮かべるのだから、驚くのもむべなるかな。
 クリスティーナさんがこのような笑みを浮かべるようになったのも、ベルン村での出来事があったればこそだと思うと、私はなぜだか誇らしくなって優越感を覚えるのだった。

「君は相変わらず正直な子供だな。私は体を動かすのが好きだからスカートでは色々と不便なのさ。しかし口調を変えたのか? 普通の子供の喋り方に近くはなっているが、以前の君の喋り方を知っている身としては、どうにも馴染まないな」

 ふむう、クリスティーナさんもやはり私が付け焼刃で無理に変えた口調に関しては、違和感を覚えた様だ。
 クリスティーナさんと過ごした時間は濃密とはいえ短いものだったが、それでも私の本来の口調は印象が強かったのであろう。

「この喋り方なら下手に反感を買う事もないかなと思って弟の喋り方を真似ているんだよ。正直に言えば肩が凝る、というよりはこの場合は舌が凝るといえばいいのかな。ちょっと肩肘を張っている感じはするんだ」

 私は肩を竦めてクリスティーナさんに答えた。私としては魔法学院でも本来の口調で素の自分を出したい所というのが偽りのない本音である。
 まあこれはおいおい同じ学び合で学ぶ学友達の性格などを考慮して柔軟に対応すると言う事で、このままの口調で行くかどうかの決断を先延ばしにしているのが実情だ。
 即断即決が私の長所であり短所でもあるのだが、それが出来ずに一旦悩みだすと根が深くなるのが私の大欠点である。

 例えばこの口調であったり、貴族になる為の具体的な計画などについてもまだまだ悩み続けていて、明確な答えが出ていないことがその表れと言える。
 いかに人間に生まれ変わり、意図的に人間よりの感性や思考をする様にしているとはいえ、そこはそれ竜としての自我を維持している分、長寿の生き物としての性(さが)から長期的に物事を考える癖のようなものが時折出てしまうのだ。
 私の場合はそれが悩んだ場合に強く出るのである。だから悩む前に決断できずに悩みだすと、少々時間が掛ってしまうのも仕方のない事なのだ、と私は自分を分析している。言い訳がましい事は認めざるを得ないけれども。

「なるほどね。年長者ばかりの魔法学院で過ごす上での君なりの処世術と言う事か。君は他人の目など気にせずに我が道を行く類の人間だと思っていたが」

 普段の大人びた雰囲気と美貌とは反対の、小首を傾げて私に問うクリスティーナさんの姿は、凛々しさ一辺倒の雰囲気に愛らしさが絶妙に混ざり合って、新たな魅力で美貌を輝かせている。
 私達の様子や会話に耳を欹てている男子生徒連中が、おお! と感嘆の声を挙げてざわつくのが聞こえた。
 ふむ、この様子ではクリスティーナさんは男子生徒にとって、相当な高嶺の花として見られているのだろう。

「セリナ達にもお願いして一緒に来てもらっているから、迷惑がかからないように私なりに色々考えたの」

 私の子供っぽい言葉にクリスティーナさんの眉がぴくりと跳ねた。噴き出しそうになるのを堪えているのか、本来の私の口調との違いに気色悪さでも覚えたものか。
 前者ならまだしも後者だったら流石の私も精神的苦痛を覚えることだろう。何かに着けて肝が太い、恐怖を知らないと言われる私だがどっこい繊細な所だってあるのだ。
 人間に生まれ変わってから判明した事だが、特に好意を抱いている相手に言われた時には自分でも驚くほど落ち込んでしまう。

「ふぅん? ふふ、大切にしているんだな。羨ましい事だ。さていつまでも玄関で立ち話をしていても仕方がないから、そろそろ案内をさせてもらうとしようか。私に着いてきてくれ」

 なにかあったなら、今世において可能な限り秘匿するつもりの竜としての力を使ってでも助けたいと思う程度には、クリスティーナさんの事は大切だ。
 それを言えばセリナに怖い目で見られてしまいそうだし、クリスティーナさんにも女たらしだなと呆れられそうなので黙っておく。
 颯爽と歩きだすクリスティーナさんの銀の髪が風に靡き、通った後には砂状の銀が撒かれた様な輝きが残る。
 眩い銀の髪だけではなく、クリスティーナさんという絶世の美少女の姿形それ自体が放つ輝きである。
 もちろん私にとってセリナもディアドラもリネットも自ら輝く宝石の如く、あるいは夜空に白々と輝く月の如く美しい女性達である事は改めて言うまでもない。
 周囲の生徒たちの羨望と疑惑と嫉妬の混じる視線は、私の優越感をくすぐるに足るものであった。

 まずクリスティーナさんは本校舎の玄関脇にある横二十三メル、縦十一メルはある掲示板の前に私達を案内した。
 一片の隙間も許さぬとばかりに精緻な彫刻が彫り込まれた雪花石膏の柱と枠の中に、何枚もの紙が張られて外と中が硝子板で仕切られている。
 私達以外にも掲示板の前にたむろする生徒の姿があったが、まずクリスティーナさんに気付いて恍惚の視線を送り、続いて背後の私達に気付いて頬を赤らめていた顔をぎょっとしたものに変える。
 街中に姿をあらわす筈もないラミアやドリアードに気付いたが故の驚愕。幸い三人娘が首から下げている使い魔である事を証明するメダルに気付くと、強張った体から緊張を抜く。
 ふむ、余計な荒事や説明を強要されることは避けられたようだ。まあそうなった時にはクリスティーナさんが仲介してくれるだろう。

「ここが本校舎正門の掲示板だ。大概の知らせや行事に関してはここに記載されるから、できるだけここで確認しておいた方がいい。それにこういう風に検索することもできる」

 クリスティーナさんが掲示板の手前にいくつか置かれている台に近づいてたおやかな指がその表面に触れると、空中に王国で使われている文字が全て光を発しながら浮かび上がる。

「確認したい事の文字を選んで検索すればわざわざ掲示板を隅から隅まで見回さなくても、これで自動検索をしてくれる。試しに、そうだな。君のクラス割を調べてみようか。
 学生証に数字あるだろう? あまり他人に知られていい情報ではないから、自分で検索した方がいい」

 これは便利と思いながら私はクリスティーナさんの求め通り学生証をズボンのポケットから取り出して、そこに彫刻されていた数字を探す。
 クリスティーナさんが横に退き、私が学生証を片手に検索画面の上で指を躍らせると、空中に浮かびあがっていた画面が新たなモノに変わる。
 え~と、学生証番号検索の項目を選択し、番号を入力、検索実行と。
 しばしの間を置いて切り替わったか画面の中には、私の所属する高等部一学年のクラス割が表示され、そのなかに私の名前があった。
 ふむ、私の他に三十一名ほどのクラスメイトがいるらしい。ほとんどが人間種だが亜人や獣人の姿もある。

「これだな、一学年ローゼスクラスの十三番。大したものだな。中等部での成績順でクラスが変わるが一番優秀なクラスだ。君の実力がこれだけでも分かると言うものだ」

 私の肩越しにクリスティーナさんが画面を覗きこみ、ふわりと動いた髪からいい匂いがした。人それぞれに匂いは違うが、私は総じて手入れされている女性の髪の匂いが好きだ。
 ミルはやはり牛人だからなのかミルクの様なかすかに甘い匂いがするし、ディアドラは無数の花の凝縮した香水の様な匂いがする。
 クリスティーナさん以外にもセリナがぐぐっと蛇の下半身を伸ばして、私の頭に自分の乳房を置く位置に動き、ディアドラとリネットは私の横に回り込んだ。
 授業には大型の使い魔でもない限りは同席が認められているから、セリナが気にはなる所だが私と一緒に授業を受けるので、三人共私のクラスメイトの顔触れが気になるようだ。

「変にやっかみを持たれないといいんだけど」

 私が眉を寄せていかにも心配していますと言う顔を作ってクリスティーナさんの横顔を見上げると、クリスティーナさんはすぐに納得した顔で頷いて見せる。

「ああ、なるほど。確かにその恐れはあるのか。君の事は少しだけ私の耳にも入ってきていたよ。
 デンゼル先生の秘蔵っ子が今度高等部に入学する、まだ十一歳でラミアやドリアードを従えて、更には宮廷魔法使いの遺産であるゴーレムを受け継いでいると、かなり熱心に話している生徒もいたな。皆噂好きだから、学院の中ではかなり知られているな」

「ふぅむ。まあ入学したら遅かれ早かれ知られることだったから、言っても詮無い所ではあるけれど。
 ただデンゼルさんに随分と肩入れしてもらったのも事実だし、色々と言われても仕方のない所はあるから……。私がなにかを言われるのは悪口でもいいけれど、セリナ達が悪く言われるのは嫌だな」

「生徒の中に功名心や将来の出世の為に成績に拘る者が多いのは確かだ。学生の本分は学業だから、成績を良いものにしようとするのはともかく、君に要らん嫉妬や羨望を寄せる人間が居てもおかしくはないな。
 私で出来る範囲で手助けはするよ。君と君の村の人達には個人的にお礼をしたいと思っている所だしね」

「その時はよろしくお願いします」

 ただ周囲の生徒の眼を見るに、どうもクリスティーナさんと親しくするのも周囲からのやっかみを買う理由になりそうだな、と私は嘆息していた事をクリスティーナさんは知らない。
 心配ごとばかりを話していても仕方がない。私達はその後校舎の中を見て回り、植物園や水棲園、鉱物園、動物園、各種の実験施設がある実験棟に万巻書籍が納められた図書館を巡って時間を過ごした。
 道中クリスティーナさんは実に楽しそうに私達を案内してくれたが、やはり使い魔のメダルを下げているとはいえ、ラミアのセリナとドリアードであるディアドラに向けられる視線は好意的とは言い難く、時折二人が居心地の悪い様子を見せる事に私は心を痛めた。
 二人が話してみれば人間の女性とそう大差のない精神性の持ち主で、友誼を結べる相手だと分かるのだが、そもそも魔物を相手に話しかけようと言う度胸のある者がそうそういるものではないか、どうにもままならぬな。
 もういっその事魔法学院の生徒全員の思想を操作してもしまおうか、と邪悪な考えが浮かぶのを慌てて打ち消すと私の心中の葛藤を知らぬクリスティーナさんが私を呼んだ。

「学院の主要施設はおおむねこんな所だな。後は事務室くらいか。ここまでで何か聞きたい事はあるかな?」

 腕を組み優美な線を描く顎先に指を添えて私を振りかえるクリスティーナさんに、ふむ、とひとつ間を置いてから私は問いかけてみた。
 周囲との温度差をどう埋めるかは可能な限り私が考えて対処するとして、クリスティーナさんにはそれとは別の事で気に掛っていた事がある。

「通りすがる皆がクリスティーナさんの事を見ていたけど、人気があるんですね。デンゼルさんが前にとても優秀な生徒だってクリスティーナさんの事を言っていたし、ゴブリンとの戦いで剣も魔法も凄かった」

「褒めてくれるのは嬉しいが、私としてはあまり人の眼を惹くのは好ましくはない。槍玉に挙げられるのは気分の良いものではないし、私はそれほど大した人間ではないと思っているからね。周囲が思い描く私と、実際の私は全くの別物なのだから」

 そういうクリスティーナさんの顔がうっすらと陰鬱の薄衣を纏うのに、私は内心で嘆息した。
 自分自身にたいしてさして生きる価値を見出していない者が浮かべる顔だ。クリスティーナさんに限らず二十歳にもならぬ少女が浮かべて良い顔では決してない。

「ふむ、勝手に期待し、勝手に思い描き、勝手に失望し、勝手に憎悪さえする。ありきたりな人間の反応だね」

 竜であった頃、人間を観察していると学習能力がないのかという位頻繁に見られた事である。
 憧れというやつは、相手の実像とはかけ離れた自分の思い込みや妄想がほとんど形を成している場合が多い。
 クリスティーナさんはその憂いを帯びた人間離れした美貌と優れた能力から、魔法学院の生徒の憧れを集めているが、周囲の想像と現実の自分との違いに思い悩んでいるようだ。
 この人もこの人なりに苦悩と親しくしなければならない人生を歩んでいるようだ。それもまた英雄の星に生まれた者の、いや、生ある者ならば皆等しくそうなのだろう。
 知らぬ間に背負わされた重荷を、何ほどのものでもないと笑うか重くて耐えられぬと嘆くかは、人それぞれであると言うだけの事。

「そういう事になるのかな? それにしてもやはり君は見た目通りの子供だと思ってはいけないな。口調はそれなりに矯正出来た様だが、時折見せる老成した雰囲気や諦観めいた思考がそのままだ」

「ふむぅ、それはまあ、気を付ければいい口調と違って考えた方や雰囲気はそう簡単には直せないよ。ああでもクリスティーナさんはベルン村に来た時と去る時とでは、結構雰囲気が変わっていたかな」

「そう、だな。後で学院に顔を出した時少し驚かれたよ。前よりも明るくなっているとね。そこまで暗い人間だったかと自問しなければならなかったが」

 肩を竦めて言うクリスティーナさんに、私は苦笑を返した。
 一通り広大な学院内の施設を見て回った後で、私の腹がくうと鳴ってしまってクリスティーナさんやセリナ達の笑いを誘ってしまった。
 いや、お恥ずかしい限りである。

「そう言えば昼食はまだだったのかな。食堂に行くか?」

 というクリスティーナさんの提案に私は残念ながら首を横に振った。

「ううん。村を出る時にお弁当を渡されているからそれを食べるよ。また誘ってもらえると嬉しいです」

「そうだな。夕食の時にでもまた顔を出させてもらっていいかな?」

「もちろん、大歓迎です」

 戻ってきた男子寮の玄関でクリスティーナさんと別れ、私は途中で寄った本校舎の売店で受け取った夏と冬の制服、それに下に着込むシャツと替えのネクタイが入った紙袋を片手に、私はクリスティーナさんに手を振って一時の別れを告げた。
 ベルン村を発って家族とアイリ達と離れる事にはなったが、代わりにクリスティーナさんと顔を合わす機会が増えたことそれ自体は喜ぶべきことであり、私の心を小さく高鳴らせた。
 クリスティーナさんと別れて、私達はベルン村から持ってきた荷物を部屋に置く作業に没頭した。
 流石にこれをクリスティーナさんに手伝わせるわけには行かないので、後は食事をとって休むだけだと誤魔化しておいたのである。
 あの人の性格を考えるにこの事を知ったら手伝うと言いだして聞かないに違いない。

「やっぱり荷物といってもたいして量は持って来られなかったわね。貴方の手品がなかったら」

 私が常に周囲に随伴するように設定している収納用の亜空間から、こっそり仕舞い込んでいたセリナ達の着替えやお気に入りの食器の数々に本棚、小物などを取り出すのを見ながらディアドラが呆れた声で言う。
 人身蛇体ゆえベッドが今一つ合わないセリナの為のクッションを次々床に放り投げる作業を終えてから、私は部屋の片隅に積んであった椅子を取り出して腰掛けているディアドラを振りかえった。

「手品? ああ、これの事か」

 私は目に見えない収納用亜空間に手を出し入れしながらディアドラに返事をした。

「ただ空間を操作しているだけの芸当だ。人間にも同じことをできる者はいよう」

「それはいるかもしれないけれど滅多に居るものではないでしょう。第一、貴方言ってしまえばモグリの魔法使いでしょう? どこでそんな事を覚えたの? 今までは貴方達と一緒に居るのが楽しかったし、あまり気には留めなかったけど流石に気になりだすわ」

「ふむ、実は古の戦いで肉体を失った神の生まれ変わりなのだ。人間の女性の胎を借りてこの世に転生したのよ。どうだね? 頭が高い、控えおろうくらいは言っておくべくかな」

 えっへんと胸を張る私にディアドラばかりでなく、自分で縫った蛇のぬいぐるみを抱きしめながら床のクッションの上に寝転がっていたセリナも、疑わしげな顔を作って私の顔を見つめる。
 唯一、三人用の鏡台や食器類の微妙な配置に拘って細かく動かしているリネットだけが、私を振りかえらずにいた。
 ディアドラとセリナは深緑色の瞳と透き通った青色の蛇眼を交差させた。
 ふむ? 笑い飛ばされるものとばかり思ったのだが、思いのほか深刻な反応をされてしまったではないか。おやまあ。

「なんというか冗談で言っているのは分かっているけれど、それを否定しきれる要素がないのよねえ。私達に供給される魔力量とか時折底が見えなくて怖いくらいよ」

「正直に言うと私達、ドラン様の事を普通の人間とは思っていませんし。あ、でも嫌いになるとかそういう事ではありませんからね」

「リネットはそもそも気にしておりませんので」

 しれっとリネットは言うが、このゴーレム娘はどんな時でも我が道を行くな。このリネットこそが私よりも真のマイペース主義者であろう。

「それは分かっておるよ」

 取り繕う様に慌てて言うセリナだが別に私が機嫌を損ねたわけではないので、気にしなくて良いのだがな。
 ふうむ、まあ考えてみれば私達が出会った当初に出てきてもおかしくない疑問である。
 セリナ達のどこかのんびりした気性と長寿の種族に共通しがちの、長期的に物事を考えて早急に答えを求めない傾向のお陰もあろう。
 いちいち自分が始原の七竜で唯一倒されたとある竜の生まれ変わりである、と告白するつもりのない私にとっては、特に私の異常さを追及されることのない現状はありがたいものであった。
 他の六竜は健在なのに私だけ倒されたとか、わざととはいえちょっぴり恥ずかしいし。それに正直に告白してもたいして意味のない事であると私は考えているのだ。
 ふむん。

「内緒という事にしておいて貰えるかな? 男は秘密の多い方が魅力的なのだそうだ」

「秘密の多い方が魅力的って言うのは普通女性に使うものじゃないの?」

「そうだったか? まあとにかく特に害がない事だけは保証しておくぞ。これまで良い事はあっても悪い事はなかっただろう?」

 私の言葉にセリナとディアドラが血の繋がった姉妹の様に揃って首を捻る。これまで私と過ごした一年を振り返っているのだろう。

「まあ確かに害はなかったわね。心臓に悪い事は続いたけれど」

 ふむ、ディアドラにも心臓はあるらしい。ドリアードは美しい少年や青年をかどわかして自分の宿る木の中に誘い込むから、肉体の外見だけでなく中身の大部分も人間に似せているのかもしれない。

「私達の出会いはもっと違う形になっていたでしょうね。ううん、そもそも会うこともなかったでしょう」

 セリナが感慨深くつぶやくのに、私もふむ、と同意の声を一つこぼす。

「どうしても気になるのなら教えるのも吝かではないが、聞いても私の何かが変わるわけではないぞ。変わるとしたらセリナ達の私を見る目ぐらいのものだろう」

 私は私の正体の露見にさして興味がない――同胞である竜族や神の類だと面倒な事になるので別だが――ので、ディアドラ達の疑念はそっちのけでベルン村を去る時にミルから渡されたバスケットと、家を出る時に母と更にその途中で渡されたアイリとリシャ手作りの昼食を出した。
 既に部屋の中央には花の花弁を繊維状に紡いで硬化処置を施した、ディアドラ特製のテーブルクロスが敷いてある。
 その上に四人が作ってくれた昼食をリネットに手伝ってもらいながら並べた。
 概ねこの地方の持ち運びのできる食料となると、黒麦や蕎麦のパン、クレープに炒めた肉や野菜、ほとんど砂糖を使っていないジャムを挟んだものか、塊のままのチーズ、汁気が無くなるまで煮詰めた豆や芋類、乾燥肉などである。

 舌に馴染みのある料理の数々に、私は半日程度しか離れていないにも関わらずに、故郷を想って鼻の奥がツンとなりそうになった。
 ああ、愛しき故郷よ。必ずや魔法使いとして大成し帰って見せよう。
 私の胸を締め付ける感傷はともかくお腹の虫が鳴いているのも事実の為、私は陶器の壺に入っていたミルの乳を木のコップに注ぎ、納得と疑問を半々ずつ浮かべているディアドラをテーブルに呼ぶ。
 セリナは既に私の正体云々に関しては気にしていないようで、テーブルの上に昼食を四人分に分ける作業を鼻歌交じりにしていた。

「ディアドラ、そこまで知りたいのであればいつでも話すから、今は空腹を満たそう」

「そうねぇ。貴方と話す機会はこれからいくらでもあるだろうし、貴方の中身がなんであれ今の私達にはあんまり関係がなさそうね。それに私もお腹すいたし。
 貴方達と暮らし始めてからというもの人間らしい食事が楽しみになっちゃったのよね。他のドリアード達に知られたらなんて言われるかしら?」

 くすりと小さな笑みを零し、左目を瞑って肩を竦めるディアドラの茶目っ気のある仕草に、私はありがとうと小さく呟いた。
 ここら辺を拘泥しないあたりが私には大助かりである。ディアドラの方で私があまり乗り気でないのを慮ってくれている所もあるだろう。
 それから私達はテーブルに並べた昼食を取ってから、ベッドやクッションの上でごろごろとだらけて一休みをした。
 これからしばらくの時を過ごす部屋への感慨を胸に抱きながら、私はセリナの蛇膝枕に頭を預けてしばし意思の天井を見上げてだらけた。
 後頭部越しに感じられるセリナの何枚もの鱗とその下の柔軟な肉体の感触は、とても心地の良いものであった。
 次もしてもらおうか。それともディアドラかリネットにお願いしようかな?

 さて顔見知りとの再会に心を和ませたまでは良かったが、その日の問題は入寮初日の夕食にあった。
 授業の開始や三度の食事の時間は、本校舎の時計塔に吊るされた黄金の大鐘楼が鳴らされることで魔法学院関係者に伝えられる。
 私達の場合隣に他の生徒達が住んでいるいない以前に、元が物置だった為に入寮の挨拶は特にしないで済んだが、さて人の集まる食堂に向かったらどのような眼で見られるか。
 これから魔法学院で私達に向けられる視線を占う事に繋がるだろう。
 事前にセリナ達を食堂や教室などに同行する許可の確認はデンゼルさんを通じて取ってあるが、ダナさんの言うとおり本校舎の方へと向かうのには少なからず勇気が要った。
 幸いなのはまたクリスティーナさんが夕食を共にする約束をしてくれたことだろう。
 私が私服から受け取った魔法学院の制服に着替えてから、全員一緒にかつて物置だった私達の新しい住居を後にした。

「よくお似合いですよ、ドラン様。すぐに大きくなるお年頃ですから、丈を直さないといけなくなるかもしれませんね」

「良い生地が使ってあるわね。皆揃って同じ服を着ているのは奇妙な印象を受けるけど、集団意識を養うためなのかしら? 型に嵌めたがるのね、人間って」

「魔力を込めた生地を使って裁縫されています。ハードグラスには及びませんが外見以上の装甲性能を持った衣服であるとリネットは分析いたします」

 三者三様にらしい評価を私の制服姿に下した。ふむ、確かに通常の生地で作られた服ではない。
 魔法学院という場所に相応しく魔法の防御術式を編み込まれた魔法の品である。 大した魔法防御術式ではないが生徒の人数分用意するのは中々の手間に違いない。
 大食堂へ向かう為に上の階から降りて来た男子生徒達に、私の若さを越えた幼さと連れているラミアやドリアードの姿に対して、驚きと困惑の瞳をずいぶんと注がれてしまった。
 私達の方をちらちらと見ながらひそひそ話をされるのは随分と不愉快なものだが、ここで反抗的な態度を取っても仕方がない。
 ここは田舎を遠く離れて精一杯虚勢を張る子供でも演じて、さっさとクリスティーナさんと合流しよう。

「嫌な感じね。そんなにじろじろ見なくてもいいでしょうに」

 煩わしそうに髪を掻きあげて言うディアドラに、セリナがこくこくと何度も頷いて同意を見せる。リネットはやはりいつも通りの無表情を堅守していた。

「ふむ、ドリアードとラミアには異種の男性を魅了する力があるからな。二人とも知らぬうちにその力を使っているのではないか? 
 そうでなくとも二人とも美人だから男連中の眼を惹くのは仕方がない。美人税みたいなものと許してあげてくれ」

 使ってないわよそんなの、とディアドラ。
 私の方でも二人が魅了の力を使っていないのは分かっていたが、周囲から向けられる視線の中には物珍しさからくる好奇と魔物を前にした驚きと恐怖、そして十代の男子が異性に向ける色欲が混合されている。
 寮が男女別になっているとはいえ校舎内では一緒なのだから、男子生徒も特に女性に飢えているわけでもあるまいに。まったく盛った男というのは煩わしいものよな。
 周囲の男子生徒達のいくつもの感情が籠る視線を引きはがしながら玄関に辿りついた私達だったが、玄関は玄関で私達を待つクリスティーナさんが注目を集めてしまい、男子生徒達の足が遅くなっている。

 自分に集中する視線に忌々しげな顔をしている辺り、クリスティーナさんが普通の女性とは違う感性の主である事を良く証明しているが、そんな顔をしても美貌を損なっていないのは流石だとしか言いようがない。
 そんなクリスティーナさんであるから私達の姿を見つけた時には、ほっとした表情を浮かべるのも当然の成り行きであった。
 私達とクリスティーナさんの組合せが余計に周囲の視線を集めているが、そこはあまり深く考えない事にした。顔見知りと親交を深める為に一緒に食事が取れる事を喜ぶ事にしよう。

「待ちくたびれたぞ、ドラン。制服に着替えたのか。中々様になっているじゃないか。学院の制服には防御術式が編み込んであるから、そこらのナイフの一刺しくらいなら防いでくれるぞ。さあ早く行こう。ここは居心地が悪い」

 おっとそろそろ猫を被らねばなるまい。口調に気を付けてと。

「なんだか大食堂に行っても同じ気がする」

 クリスティーナさんは苦笑交じりの私と同じことを考えていたようで、そうだなと私やセリナ達とも苦笑を共有した。

「そこは慣れだな。物珍しさに皆眼を向けているだけだ。すぐに飽きるだろうさ」

 そうだといいが、と不安混じりの私の危惧は見事に外れて欲しい方向に的中した。
 本校舎の一階にある大食堂は、鉱物や細工物の扱いに置いては最優の種族とされるドワーフの手からなる彫刻や設計の成された優美な外観を誇る、豪勢さと上品さとを兼ね備えた場所である。
 教職員の為の飲食の場所は食堂の二階部分に設けられて、一階の大テーブルで食事を摂る生徒達を見下ろせる作りになっている。
 入学式前日と言う事もあってほぼ全ての生徒が魔法学院に戻ってきており、私達が到着した時には大テーブルにちらほらと生徒達が着席しはじめている。
 小動物の使い魔を連れた生徒達もいて、人型をしているセリナ達なら大食堂に連れ込んでも大丈夫だなと胸を一撫で。

 とはいえクリスティーナさんをはじめ私達の姿を見つけた生徒達はぎょっとした顔を作り、隣の席に座る友人達の方を叩いて私達を指さし、また二階の教職員達の中にも好奇の視線を向けてくる者がいるのを感じる。
 二階の席に目を向けたがデンゼルさんとヴェイゼさんの姿はない。研究に忙しいか個室で食事を摂るかしているのだろう。
 あまり目立つのは好ましくなかった私達はクリスティーナさんの先導で、大食堂入口から見て右から数えて三列目の大テーブルのさらに端っこにまとまって座り込んだ。

「大テーブルは学年別に分けられている。入口から見て左端から中等部の一学年、二学年、三学年。そして高等部の一学年、二学年、三学年の順だ。
 学年さえ守ればどこに座るのかは生徒達の自由になっている。席に着けばあとは使用人が料理を運んで来てくれるから、食前の祈りを待って食事を開始すればいい」

「クリスティーナさんは学年が違うけど私達と同じ席で大丈夫なの?」

 これは私である。ふむ、マルコの口真似も板について来た感はあるが元の口調に戻れなくなりそうで少々恐ろしい。
 この口調のまま一生過ごすのはちょっと勘弁してほしいものだ。

「席は若干の余裕があるからな。私一人くらいはどうということはない」

 学年さえ守れば、と言った口が言う事に私はいい加減な、と少しばかり呆れながら着席した。
 既にいわゆるメイドと言われる使用人服を着込んだ若い女性達がワゴンの上に乗せた料理を大テーブルの上に並べはじめており、私達の座った席にもほどなくメイド達が良い匂いのする料理の皿を運んできてくれた。
 ここでも優雅な佇まいで席に着くディアドラと椅子には座らずとぐろを巻いた下半身の上で腰を落ち着けるセリナを見て、まだ年若いそばかすを頬に散らしたメイドが体を強張らせてしまう。

 紺色の髪の毛を肩口で綺麗に切り揃えておかっぱにした、リシャと同い年くらいのメイドである。
 制服を着ているから分かり難いがこの一年で磨き抜いた私の審美眼は、メイドの身体つきを正確に看破していた。
 ふむ、乳房はミルやリシャが上を行くが全体的にむっちりとした体つきをしている。

 なかなか愛嬌のある顔立ちをしており、どことなく垢ぬけしていない雰囲気には親しみを覚える。
 白いフリル付きのカチューシャに飾られた顔は、怯えと困惑の二色に染まっていたのですぐに私が声をかけた。
 これ以上セリナ達に不愉快な態度を取られるのは嫌だったし、大食堂に立ちこめる匂いに食欲をそそられてもいた。
 早く食べたいぞー、とお腹の中の虫が一斉に鳴いているのだ。昼食をたっぷりと食べたと言うのに、我ながら育ち盛りの体というものは貪欲だなと呆れる。

「危ない事はないから早く料理を並べてください。大丈夫、二人とも優しいから」

「あ、は、はい。申し訳ございません」

 なお席順は入り口側の端に席をどかしたセリナ、私、ディアドラ。セリナの前にリネットが座り、私の正面にクリスティーナさんが座る配置である。
 私の声にメイドは多少びくついてはいたがワゴンを動かし、恐る恐る私達の手元に料理の皿を並べる作業を再開した。
 前菜やスープ、魚介料理などを順々に並べる形式ではなく、一度に全ての料理を並べて頂く形式であるらしい。
 行儀作法を習う授業が基礎履修科目にあったから、堅苦しいのはその授業の時に学ぶのだろう。
 人間の礼儀作法は時代や地域ごとに異なるなど多岐に渡るので、私はあまり明るくなく正直ありがたい。

「し、失礼します」

 ことりとローストした鳥肉にオレンジソースをかけた料理の皿を並べたメイドに、私は精一杯の笑みを浮かべてお礼を言った。
 せめて緊張を少しでも和らげようと言う心づかいである。

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 我ながら背中の痒くなる様な甘えた声に胸の中でおえっと舌を出したが、その成果はあって私の外見相応の表情を見たメイドは、不自然な所のない穏やかな笑みを浮かべてくれた。
 弟とか妹がいるのかもしれない。しかしここまで媚びた声は二度と出すまい。自分でしておきながらなんだが、気持ち悪すぎる。

「はい、どういたしまして。たくさん食べてくださいね」

 私の目配せを受けてディアドラとセリナも、メイドに向けてにっこりと笑みを浮かべて例の言葉を口にした。まず挨拶とお礼の言葉は他者と接する上での基本である。

「わざわざありがとう。美味しそうね」

「ありがとうございます。これからもお世話になると思いますから、よろしくお願いしますね」

「い、いえ。私はこれで」

 顔だけを見れば類まれな美貌としか言いようのない二人であるから、異種でありなおかつ同姓であるにも関わらず、メイドの頬が赤色に染まり瞳が向ける先を求めて泳いだ。
 ちなみにリネットの外見はあくまでも十四、五歳の人間の少女にしか見えない為、メイドが二の足を踏む事はなかった。
 体内を調べでもしない限り、リネットを外見から非人間であると看破するのは極めて難しい。
 ようやく全ての料理の皿が並び終わりそそくさと退散したメイドが、他の同僚のメイド達と合流すると私達の席がどうであったかと話しの花が咲いているのが見えた。
 私達を話題にするのは避けられぬことかもしれぬが、せめてそれは私達の見えない所でして欲しいと願うのは我儘だろうか。

 鳥も魚も野菜も惜しげもなく使われ、使われている食器の類も一枚いくらになるのか分からない高級品である。貴族ならともかく平民の私には一生縁がなさそうだ。
 編み籠に盛られたパンひとつをとっても、この十一年の人生で見た事がない位に白い。パンと言ったら雑穀混じりのパンが当たり前だ。
 これは上質の小麦粉を惜しげもなく使っているぞ、と私が静かな驚きを覚え、食欲を喚起していると私達とメイドのやり取りを眺めていたクリスティーナさんが、なにやら思案気な様子である事に気付く。

「クリスティーナさん、どうかしたの?」

「メイドが料理を運んで来た時に君達が礼を言っただろう? 恥ずかしながら私はこれまでそうされるのが当たり前過ぎて、感謝の言葉を口にした事がなくてね。今更ながら過去の自分を恥じている所だよ」

 ふむ、貴族生まれと思しいクリスティーナさんでは仕方のないことだろう。人にかしつがれること、奉仕されることが生まれた時から当たり前の人種なのだ。
それが当たり前でない世界がある事に気付く機会も、そうそうなかっただろう。

「そこまで大仰に考えなくていいんじゃないかなあ。私やベルン村の人達に対して気軽に接してくれたでしょ。クリスティーナさんはいい人だよ」

「ふふ、ありがとう。それではそろそろ食事前の祈りだ。それが終わったらいただこう」

 アレクラフト王国の住民の多くはマイラスティを信仰しているが、魔法学院には異なる神を崇拝する亜人種の生徒も在籍している関係上、食前の祈りは特定の神に対するものではなく人間や亜人種が信仰する善き神々に共通する汎用の祈りになる。
 私の場合故郷の習慣に従ってマイラスティに祈りを捧げた結果、転生した私の存在に気付かれることになったが、ここできちんと祈りでもしたらまた違う神に気付かれそうだ。
 なのでむにゃむにゃと口を動かして祈りの文言だけ唱和しておく。友好関係にあった神が多かったが、それと同じくらいに私を疎んじ憎悪している神もまた多いのである。
 なおセリナはかつてラミアの始祖に掛けられた不眠の呪いを解いたある神の御名を呟き、ディアドラは精霊と精霊界を創造した精霊の神に祈りを捧げる。
 リネットの場合は自分を作りだした故イシェル氏になる。
 故人が既に輪廻転生の輪に加わっているか、あるいは天国か地獄に落ちているのかまでは定かではないが、リネットには他に祈るべき神や対象はいないだろう。

「ではいただきます」

 大食堂を見渡し食前の祈りが終わったのを確認した私は、フォークとナイフを手に猛然と私の前に立ちふさがる料理の軍勢へと襲いかかった。

「けぷ」

 と私は少々奇妙な声を出した。尽く空になった皿の山は既に片付けられ、私はぱんぱんに膨らんだお腹を優しくさすっていた。

「お腹いっぱいですねえ、ドラン様」

 食後の紅茶のカップをふーふーと冷ましながら、セリナが私の膨らんだお腹をしげしげ見ながら呟く。

「うっ、流石にこれは無理しすぎたわね。美味しかったけれど。リネットなんて妊娠したみたいになっているわよ。ちょっとリネット、貴女大丈夫なの?」

 私同様お腹を膨らませたリネットは心配するディアドラに無表情のままに答えるが、どことなく満足げなのはかつてない質と量の料理を心行くまで堪能できたからか。

「まったく問題ありません。と言いたいところですが通常運動に若干の支障が生じています。次回からは摂取量を考慮しなければなりません」

「そうだな。食べている間は周囲の視線が気にならなかった事もあったから、つい食事に熱中してしまったな」

「見ていて気持ち良い食べっぷりだったよ。食べ盛りではあるだろうが、出された料理を全部食べきる者は珍しいな」

「ふむ? こんなに美味しいのに食べ残す人がいるの? クリスティーナさんは綺麗に食べているけれど」

「私は食べても贅肉になりにくい体だから量を気にしなくてもいいし、体を動かすのが好きだからなんとか食べきれるのさ。でも見てごらん、他の生徒達の大多数は食べ残している筈だ」

 言われたとおりに椅子から身を乗り出して周囲をぐるりと見回せば、私達の方を見て何事か囁き合う生徒達のテーブルの上には、半ば以上残された料理があり、メイド達が次々とそれを片付けている。
 なに? 馬鹿な、出された食事を残すのが当たり前なのか、ここは。信じられん。
 いや、いつ魔物や野盗兵団の襲撃があるか、天候の変動で作物が取れなくなるかもわからぬ辺境と違うこの場所では、食事はいつでも望む時に食べきれぬほど供されて当たり前なのか。
 同じ国に生まれた同じ人間だと言うのに、父祖の家系や身分次第でこうも生活や意識、価値観に違いが出るとは。
 しかし、と私はメイド達が次々と片付けて行く料理の皿を見て、堪らず呟いた。あの食べ残された料理を一生見る事さえもなく生涯を終える人々のなんと多い事よ。

「もったいない。もったいなさすぎる、あまりにも」

 この世の終わりを告げられたように嘆く私を、クリスティーナさんは興味深そうに見ていた。この人はもったいないとは感じない側の人間だから、私の百面相がよほど面白いのだろう。
 魔法生徒達の中に、私と同じように溜息を吐きながら首を振っている者がいたことがせめてもの救いだったろうか。
 あれらは私と同じような平民出身者か、それに近い暮らしをしている下級貴族の類だろう。
 この魔法学院の生徒達の中では比較的私が交流を持ちやすい相手であるから、しっかりと顔を記憶しておいた。

<続>

次で入学式から本格的に学院生活の始まりです。

あけましておめでとうございます。昨年は格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
皆様のご健康とさらなる飛躍をお祈りいたします。

01/01 14:31投稿
    21:21修正、科蚊化さま、JLさま、ありがとうございました。
01/02 09:37修正



[29749] さようなら竜生 こんにちは人生25
Name: スペ◆52188bce ID:e262f35e
Date: 2012/01/05 12:40
さようなら竜生 こんにちは人生25


 魔法学院敷地内にある大ホール。室内で行われる魔法学院の一大行事の際に使用される施設で、魔法学院の全教職員と全生徒を収容してなお余裕のある面積を誇る。
 白い石材で建造された大ホールは天井がある事を除けば、人間がよくやる悪趣味な奴隷闘士や猛獣、魔物と戦わせる闘技場――コロッセオを思わせる。
 魔法学院は一種の治外法権を有する場所であり、例え入学式であっても生徒達の保護者達が列席する事は滅多にない。
 それこそ魔法学院の有力な支援者かかつて生徒だった一部のものくらいで、大ホールの中には教職員と現役の生徒達だけが顔を揃えている。
 礼装に身を包んだ警備員達が守る入口を通った私は、入り口で使い魔であるセリナ達と別れて入学式に出席していた。

 私が顔を見せると中等部や高等部の生徒達の一部が、あれが例のラミアとドリアードを使い魔にしている奴か、などと声を潜めて囁くのが耳に届く。ふむ、クリスティーナさんの言うとおりそれなりに私の事は噂になっている様子。
 クリスティーナさんは今年三年生になるそうで、大ホールまでは一緒に来たのだが既に自分の学年の列へと向かっている。
 出席番号とか言う数字が個人個人に割り振られており、その数字が小さい順番に並んでいる、とクリスティーナさんに教わった通りに私はローゼスクラスの列へと向かい、好奇の視線を浴びながら先頭へと向かった。
 背丈の関係上一番前に並べるのは正直ありがたい。まあ後ろの列のクラスメイトや横の列の生徒達から視線の矢を浴びせられるのは甘受せねばなるまい。

 ふむ、と息を一つ吐いてから私はすぐ後ろに並んでいる女生徒の視線を首筋に感じながら大ホールの中を見回した。
 石柱のあちこちにガーゴイルがずらりと並び、悪魔めいた異貌ばかりではなくほかにもねじ曲がった角と蝙蝠の翼を生やした美女のものもある。
 ガーゴイルというよりはリビングスタチューと考えるべきか。大ホールにある魔法生物だけでも五十は下らないうえに、一体辺りが並みの魔物を上回る魔力が練り込まれている。
 なかなか良くできていると評価していいだろう。ああいうのをおおっぴらに作れるようになると今後様々な面で助かるのは間違いない。作り方を良く学んでおくべきだな。

 大ホールの天井はざっと三十四メル(約三十メートル)はある。円形の大ホールの二階の大観覧席も同じような形状をしており、天井それ自体が光を発して光源となっている。
 足元は冷たく硬い石床。その上に深紅の布地に金の刺繍が施された大絨毯が敷かれている。足首まで沈み込んでしまいそうなその柔らかな感触が、どうにも私にはなじまない。
 これは生涯金持ちとは分かり合えそうにないな、と私が口の中で零した時に、目の前の劇場風の舞台に降ろされていた白い幕が音もなく引き上げられ、そこに居並ぶ教師陣が眼に飛び込んでくる。

 面接試験を受けた時に見た顔もある中で、あの冷めた印象の強いエルフの学院長が居並ぶ教師達を背後に従えて中央に立っている。
 その姿に私の周囲の生徒達が少しざわめき立った。
 ふむ、幻の学院長などと珍獣扱いされるほど人前に姿を見せないと言う事から、学院長が誰なのか知らぬ生徒がほとんどなのだろう。
 また逆に知っている生徒からしても、このような行事であっても学院長が姿を見せるのはおそらく滅多にはない事に違いない。それでこのざわめきといったところか。

 ざわめきが少しずつ大きさを増す中、白髪と髭を長く伸ばしたあの貫禄のある老教師が一歩前に進み出て、右手を掲げる。
 初見の者ならばこちらこそが魔法学院の学院長、と勘違いしてもおかしくない風格のある老教師の行動に、生徒達の注目が集まってざわめきがぴたりと止む。
 餌を求めて親を呼ぶ小鳥の様なさえずりが呆気なく消沈する様子は、なにか魔法を使ったのではないかと言う位に見事なものだった。
 中等部・高等部合わせて六百余名の魔法学院の生徒達の注目を一身に集めながら、老教師が厳かに口を開く。
 大ホールに木霊する老教師の声は大気の振動に干渉する魔法を使っているのか、明瞭に私の耳に届いて聞き逃す心配は欠片も無用であった。

「これよりガロア魔法学院王国歴七百五十六年度進学式および入学式を執り行う。皆、本校の生徒として相応しき態度を持って取り組むように。では学院長よりご挨拶を」

 老教師が脇に退いて学院長である女エルフが前へと進む。
 面接試験の時とは違い金糸の如き髪を編みこみ後頭部で団子状にまとめ、深緑色のドレスの上に白いローブを纏っていた。
 どれほどの歳月を生きているのかは分からぬ事だが、曇りないエメラルドの瞳は、底まで見通せる澄んだ湖のように静かで感情と言う名の波が揺らぐ事はないように思えた。

「皆さん、ようこそガロア魔法学院へ。私が先ほどグラッド副学院長からご紹介に預かった本学院の学院長を務めるオリヴィア・エアリア・エンテフォレスです。
 この良き日に命溢れる新芽である貴方達を迎い入れられた事を、心より嬉しく思います。本学院はアレクラフト王国王家と王国の民に、あまねく繁栄を齎す一助となるべく魔道の探究を行う場所。
 皆さんは魔法の力を持つ故に選ばれ、そしてこの魔法学院に集められました。ですがだからといって自分達を選ばれたものであると誇りこそすれ、驕ってはなりません。また力に溺れてもなりません。
 力あるものはその力に応じて責任を負います。皆さんは魔法の探求に勤しむのみならず、自らに課せられた責務をも学ばねばなりません。
 皆さんが己の持つ可能性に溺れることなく、力と可能性を正しく理解し使う事を私は望みます。さてあまり長く話しては老人は長話でよくないと言われてしまいますから、ここまでにしておきましょう」

 そう言って言葉を締め括るオリヴィア学院長が、エメラルドの瞳を私に向けていた。ふむ、色々と疑いを持たれているというか、眼を掛けられているのは先刻承知のことゆえ驚きはない。
 大ホールに並ぶ生徒達の列の中で、真ん中に近い場所に立つ私とオリヴィア学院長の視線は、数えて三秒ほどで外された。
 逸らす事もなく見つめ返す私に何を思ったか、オリヴィア学院長は極自然な流れで視線を外して、私達に向けて一礼をして後ろへと下がる。
 オリヴィア学院長に眼を掛けられている以上、他の教師や生徒達から余計に注目を集めてしまうのは避けられまい。
 ふむ、この魔法学院での生活は、ベルン村での生活をはるかに上回る精神的苦労が私の心身に襲い掛かりそうだ。ま、それを楽しむのも人生の妙というやつだろう。


 入学式兼進学式を終えた私は一つの扉を前に、かすかな緊張を覚えていた。手には教本や筆記用具を収めた小さい革鞄を手にしている。背中にはセリナ、ディアドラ、リネットの姿。

「ドラン様、あまり緊張されることはありませんよ」

 私が扉を前に足を止めたのを、セリナは緊張の故と考えた様であった。ま、そう取られてもおかしくはない。
 式の後それぞれが履修する授業の選択の説明会などを終えて、昼休憩をはさんで基礎履修科目を一緒に学ぶクラスメイト達の待つ教室まで来た所である。
 私のクラスメイト達は既に中等部からこの魔法学院に在籍していた者達だから、顔見知りもいようが、私はそのような相手はいないのだ。
 となれば緊張くらいしてもおかしくはないと、セリナが考えてもしょうがないだろう。
 ふぅむ、入室してすぐに挨拶をすべきか教師が来てからにすべきか悩む事は、はたして緊張している事といえるのだろうか。
心臓の脈や呼吸は普段と変わらぬ調子だから、緊張ではないと私は考えているのだが……。

 とはいえあまり悩むのは私の好む所ではない。いずれにせよ教室には入らねばならないのだから、さっさと入室すべきだろう。
 私はがらりと音を立てながら扉を開き、セリナ達を伴って教室に入室した。
 教室の席順もやはり出席番号順となっており、教室に同伴した使い魔は小型であれば自分の席の近くに待機させ、大型であれば教室の後部か外で待機させるように、と学院規則にはある。
 席に着いたらセリナ達には教室の後ろの方へ移動してもらわねばなるまい。席を自由に選べるのなら隣に座って貰いたいところだ。
 私が入室するのと同時に入学式と同じように生徒達の視線が私に集中する。
 一年を共にする学友が姿を見せれば最初は必ずこうだろうが、普通なら一目見れば外される所が、クラスメイト達の視線はそのまま私に集中し続けた。

「あれが噂の天才か。本当に子供じゃないか。見ろよ、ラミアとドリアードを連れているぞ。本当に従えているのか? どっちも強力な魔物と精霊だぞ。教室の中で暴れられたんじゃ堪ったもんじゃない」

「本物を見たのは初めてだよ。本当に蛇なんだな。顔だけ見ればすごく可愛いけど、腹から下が蛇なんて気持ち悪い。あっちのドリアードは体中に木の根っことか花が咲いているぜ」

「おい、聞こえるぞ。本当に従えているんなら同じローゼスクラスでも、おれ達とはちょっと出来が違う。希少なモンスターテイマー、それも天性のだ」

 ふむ、セリナの悪口を言った色白の痩せっぽちよ。クラスメイトのよしみで一度は許すこととしよう。
 だがしかし、その許しがたき戯言の二度目を口にする事は竜としての我が名に掛けて許さぬ。末代まで祟って……は子孫が可哀想なので、お前だけ祟ってくれるわ。

「あの後ろの子はなんなのかしら? あの子は人間よね?」

「知らないの? あの雪みたいな色の髪をした女の子、昔の魔法使いが残したゴーレムらしいわよ。宮廷に上がっていたって言う魔法使いの遺産を見つけた時に従えたんですって」

「本当に? 人間にしか見えないじゃない。それにしても綺麗な髪をしているわね、羨ましくなっちゃうわ」

 ふぅむ、さっそく話題の的になっているがこの程度は仕方のない事と甘受しよう。その内に飽きて話題に上ることもなくなるだろう。
 教室の後ろから黒板に向けて昇ってゆく階段状の教室の中をぐるりと見回すと、私と視線の合ったほとんどの人間は視線を外してゆく。
 男と女の比率は半々と言った所。昨日クリスティーナさんに教えられて検索した時に見たのと同じ顔ぶれがずらりと並んでいる。
 これから一年勉学を共にする学友達を前にして、私は人間に生まれ変わったればこその縁に感慨めいたものを覚えた。
 竜として生き続けていたなら名前や顔を覚えることも、そもそも出会う事もなかっただろう者たちなのだ。

「セリナ、あまり気にしてはいけないよ」

「はい。私は大丈夫です。あれくらい言われてもなんてことはありませんから」

 ベルン村でも気持ち悪いなどと口に出されて言われた事のないセリナは、気落ちしている様子を隠しきれずにいた。
 セリナの手を握り慰めの言葉を口にしてから、私は自分の席に着き三人と一旦離れなければならなかった。
 面と向かって悪罵を吐く度胸のある者はいないだろうが、陰口なら幾らでも吐く奴はいるだろう。
 それが私達の耳に届かぬ所で囁かれるのならまだしも、聞こえていないと思って口にされることは有りそうだ。
 本当に祟ってやろうかな? ゴーダ管理官ほどではない軽い祟りくらいなら構わんか、と私は心の隅に留め置いた。

「ディアドラ、リネット、あまり居心地はよくないだろうが、しばしの我慢と思い耐えてくれ。特にセリナには辛いかもしれん。気を掛けてくれるとありがたい」

「分かっているわ。この四人の中では私がお姉さん役だしね。私達の心配をするのはありがたいけれど、貴方こそ私達が色々と言われても我慢をしなさい。
貴方が怒りにまかせて力を振るったらここにいる全員が束になっても何もできやしないわ。せっかく入学した魔法学院を追いだされることになっても知らないわよ」

 ディアドラよ、そう褒められると照れるではないか。無論自制は効かせるつもりだが、あまりに無礼な言葉を吐かれた時には喧嘩の一つも売るつもりである。
 愛する者を罵倒されて怒り一つ見せぬ様な輩は、男の風上にも置けぬ脆弱者よ。

「リネットはマスタードランのご命令に従います。なおクラスメイトの発言は全て記録しておきますので、必要とあらばいつでも再生いたします」

 ふにっとディアドラは私の頬を摘み、周囲の我がクラスメイト達の視線に侮蔑さえ感じる視線を送り返してから、セリナとリネットの先頭に立って他の使い魔達が屯している教室の上段に向かった。
 自らをお姉さん役と言った様に、ディアドラはまるでセリナとリネットの姉であるかのように教室の中を堂々と進んでいった。
 実に頼もしきディアドラの堂に入った態度を見て、本当にディアドラと出会えてよかったと、これまでの一年で何十回思ったか分からない事を改めてもう一度私は思った。
 正直に言えば惚れ直したのである。
 セリナ達に未練と心配の混じる瞳を送ってから、私は自分の席に瞳を向けた。
 教室の中には机が横に三列あり、一列につき五脚前後の机が並んでいる。一つの机には二人か三人の生徒が着席するようだ。
 廊下側の列の最前列に座る私の机には、既にクラスメイトが着席していた。
 まずは挨拶をきちんとせねばと私が口を開くよりも、クラスメイトが口を開く方が早かった。

「はじめましてだね~。ファティマ・クリステ・ディシディアだよ。よろしくね」

 なんとなくミルを連想させるのほほんとした声に、私は親しみやすそうな相手だと安堵して差し出された小さな手を握り返した。
 にっこり、というよりもにっこぉ~と言った形容の方が似合う柔らかな笑みを浮かべているのは、私よりほんの少し背丈がある程度の、年齢を考えれば随分と小柄な少女である。
 背丈は百五十五シム(約百四十センチ)程度で、星がいくつも輝いていそうな薄紫の瞳は柔和に細められ、唇や鼻の造作は体格に見合った小ささと幼なさを感じさせる。
 光の当たり具合で白みがかった薄桃色に見える髪の毛は、両耳の上の辺りで赤いリボンを使ってそれぞれ纏められていた。リボンをほどけば肩に掛る位の長さだろう。

 良く手入れの行き届いた髪や肌の色艶、そして傷も荒れた形跡もない指が、この少女が水仕事などした事もない様な、平民とはかけ離れた暮らしをしてきた事を何より雄弁に物語っている。
 外見と雰囲気、そしてなにより苗字がある事からファティマと自己紹介をしてくれた少女が貴族の生まれである事が分かる。
 あまりサイズがあっていないのか袖の部分を余らせており指先がわずかに覗くきり。
 高等部の一年生ならば十五歳前後である筈だが、小柄な体躯と相まって私と一つか二つくらいしか違わない様に見える。

「ベルン村から来ました。ドランです。よろしくお願いします」

 よもや握り返した手を払われはしまいな、と内心では危惧しながら私が返事をした所、ファティマは笑みを更に深めて握り合った手をぶんぶんと元気良く上下に振る。
 ふむ、どうやら私を好奇の目で見るばかりの者だけではないようで、今日一番の収穫である。

「そんなにかたくなんなくっていいよ。ほら座って座って」

 ファティマの言葉に甘えて私は椅子に腰を降ろし、革鞄から必要そうな筆記用具の類を取り出していく。
 授業の開始を告げる鐘の音はまだ鳴っていないから、それまでは新たなクラスメイト達と交流を深める時間なのだろう。
 身を乗り出してじっと私を見ているファティマの視線に、私はファティマを振りむいて視線の意味を問うた。
 珍しい物を見る目付ではあったが、ファティマの柔らかでのんびりとした雰囲気のお陰か不愉快さは全くない。

「なにか私の顔に着いていますか、ファティマ様」

 多分だが貴族相手と言う事で様をつけて聞いたのだが、これには何故だかファティマの方が驚いた顔を作ってしまった。
 ふむ? クリスティーナさんはあまり気にしない方だったが、このファティマもそうなのだろうか。
 であるのならば私としてはますますもってありがたいクラスメイトであるが……。

「違うよ、なにも着いていないけど、ファティマ様なんて呼ばれたのは久しぶりだから驚いちゃった」

「ふむ、ファティマ様と呼ばれていた事はあるのですね。貴族の方でしょうから言葉遣いには気をつけねばと思ったのですけれど」

「んとね、ドランはまだ魔法学院のルールに詳しくないから知らなくても仕方ないけど、この魔法学院で学んでいる間は身分とか種族はあんまり気にしなくっていいんだよ?
 ガロアの魔法学院だけじゃなくって、初代の魔法学院学院長が当時の国王様と三分の二以上の貴族の同意を得た上で、魔法学院で学ぶ者は等しくあるべしと規則に定めているの。だから私もここにいる間は貴族らしくしなくっていいんだあ。
 それでもやっぱり気にする子はいるんだけど、よっぽどのことをしない限りは不敬罪とかにはならないよ。それにドランは子供なんだからあんまり気にしなくても大丈夫だよ。
 それに私もすっかりここの空気に慣れちゃったから、自分が貴族だってことを時々忘れちゃうんだあ」

 えへへ、と恥ずかし気に頭を掻くファティマの仕草は、私よりも年少の小さな子供か、小動物の様な愛らしさがあって思わず頭を撫でるか抱きしめたくなってしまった。人懐っこい子犬みたいな娘である。

「ふむ、その方が私としてもやりやすいから、ありがたいです」

「あははは、敬語も使わなくっていいよ。中等部の時も平民の子と一緒だったけど、ふつうにお友達だもん。私の事もファティマでいいからね。様もさんも要りません。ファティマちゃんならいいけどね」

 お友達だもん、か。なんとも可愛らしい。
 ふむ、言動の可愛らしさではミルも同じだが、ミルがいっそ淫らと言っていいほどに十五歳の体が爛熟しているのに対し、ファティマは外見と言動が一致するから素直な可愛さがある。

「そう、ですか。ふむ、じゃあ普通に喋るね。貴族の人と喋るのはほとんど初めてだから、すごく緊張した」

 少々演技らしくなったかもしれないが、ふう、と私が大きく息を吐き出すと、ファティマはよほど面白かったのかころころと笑う。

「ふふ、西と南の天才の対抗馬って言う位だから凄い子を想像していたんだけど、ドランはそんな風に見えないねえ。ラミアとドリアードを連れて来た時はびっくりしちゃったけどね~」

「評価してくれるのは嬉しいけど、その西と南の天才って人達を私は知らないから、なんて言えばいいのかよく分からない」

「ん~、私もあんまり詳しくないやぁ。でもねえ、年に一回だけ各学院が研究成果の発表会をやるんだけど、その時に戦闘魔法の評価試験っていう題目で試合をするの。
 前の学院対抗試合でその二人が戦うのを見たよ~。天才と天才の戦いと言う事でみんなの注目の的になったくらいだもの」

 いかに天才とは言え人間の範疇には収まるだろうが、私が比較対象とされること間違いなしの相手とあって機会があれば情報が欲しいと思っていた所なのだ。
 クリスティーナさんと一緒にいた時は再会できた嬉しさで聞くのを忘れていたけれども、忘れかけていた機会が巡って来たのは幸運と捉えておこう。

「どんな人達だった? 西の天才はファティマと同い年くらいだと聞いたけれど」

「うん。綺麗な金色の髪をした子だったなあ。精霊魔法がものすごく上手でね、同時に四属性の精霊魔法を行使できる凄い子だよ。普通なら違う属性を同時に扱うのは出来ても二つが精一杯だもん」

 ふむ、全属性の精霊の力を行使するくらいは、私に挑んできた過去の精霊使いなら当たり前だったが、例え十年に一人の天才とはいえ魔法学院の生徒にそこまでのレベルを求めるのは酷であるか。
 取り敢えず一度に四属性を行使出来れば十分に天才扱い、と心の中に留め置く。
 精霊魔法の多数属性行使とは別にデンゼルさんに聞いた話では、一級の魔法使いともなれば高速移動や飛翔魔法、魔法障壁、それに攻撃魔法と同時に三つの魔法を行使できるものだそうだ。
 高位の魔法使いが戦闘を行う場合、多重の魔法障壁を展開しつつ飛行魔法で空中を飛翔しながら、互いに向けて攻撃魔法を放ち合う様相を呈することもあるとか。

「ふむ。西の天才は優れた精霊魔法の使い手なのか。では南の天才はどんな人だったの?」

「んとね、すごいとしか分からないくらいの魔法戦士だったよ。身体強化系の魔法がびっくりするくらい上手で、ほかにも武器に魔力を通して大概の魔法とか障壁ならそれで斬れちゃうの。
 魔法戦士ってほとんどは魔法使いと戦士のいい所を中途半端にしかできないから、大成はしないって言われているんだけど、南の人はもう本職の戦士と魔法使い顔負けってくらいすごかったよ。速すぎて動きが見えなかったもん」

 魔法戦士という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは、以前なら私の心臓を竜滅の聖剣で貫いた七勇者のリーダーだが最近ではクリスティーナさんである。
 あの人も年齢と人間種と言う事を考慮すれば、類稀と言って良い程度の潜在能力の主と私は判断している。
 クリスティーナさんの場合は、厳密には人間種とは言い難い部分もあるが、あの人よりも上だというのなら過去に私に挑んできた勇者達の最底辺の二歩手前くらいにはなるか。

「先生達もびっくりしちゃうくらいの戦いが続いたんだけど、結局は南の人が勝って去年の対抗試合は南の魔法学院が優勝の旗を持って帰ったの。
 優勝者には魔法学院から希少な魔法具とか素材とか魔法書が与えられるんだよ。それに宮廷の方にも覚えが良くなるし、確かな実績にもなるから参加する人達は皆一生懸命なの」

「ふむ、なるほど。確かに宮廷入りを目指す者達にとっては良い点数稼ぎの機会だね。ファティマも参加したの?」

「あははは、私はそういうのは苦手だから見ていただけだよ。戦うのよりも魔法の道具を作る方が私は好きだし得意なんだ~。絵本とか送風機とか保冷庫とかランプとかね。ドランは魔法学院でどんな勉強をしたいの?」

「私は故郷の人達の役に立つことを勉強しに来たから、ファティマと同じような事を学ぶつもり。でも魔物の襲撃とかがあるから戦う為の魔法も勉強する。去年もゴブリンがたくさん襲ってきて、村の人達がいっぱい怪我をしたから」

 幸いにして死者は出なかったしレティシャさんの治癒の奇跡、マグル婆さんをはじめとした魔法薬による治療の甲斐もあり、怪我をした人達に生活に支障をきたす様な後遺症が残る事もなかった。
 いまは私の分身体を含め警戒を密にしているからベルン村の安全は確保できていると思うが、世の中一体何があるのか分からぬこともあって学べるものは学んでおきたい。
 私の言葉に争いごとにはとことん向いていなさそう外見と性格をしているファティマは、しゅんと気落ちした様子になる。
 彼女にとってゴブリンの襲撃が日常にある生活など、遠い世界の話に違いない。そして私は遠い筈の世界からやってきた異世界の住人なのだ。

「そっか。ドランはすごく厳しい所で暮らしているんだね。じゃあたくさん勉強しないと」

「もちろん! 学べる事は全部学ぶつもり。そうでないと来た甲斐がない」

「う~ん、お父様に言われたから学院に来ている私には耳が痛いなあ」

 まあ貴族の子息ならそんなものだろう。魔法学院に来る人達の理由は様々であろうから、それについて私が批難なり意見するなりする権利はあるまい。
 また同様に私の学ぶ理由に関しても文句を着けさせるつもりはない。

「あ、先生が来たよ。お喋りしていると怒られちゃうから、黙っておこうね~」

 ふむ、なんだか年下の子供扱いをされているな。
見た目はそうたいして変わらないが、肉体年齢では――実年齢と言うと私の場合ややこしいので――ファティマの方が上だから、お姉さんぶりたいのかもしれん。
 ファティマのこの見た目なら周りからは散々年下扱いをされてきただろうことは想像に難くない。だからファティマにとって私のように本当に年下の相手は珍重なのだろう。
 私のすぐ目の前の扉を開いて入って来たのは、面接試験の時に見たふくよかな四十代頃の優しげな顔立ちの女性教師である。
 黄玉の瞳はやや垂れ目がちで、左目には小さな双子の泣き黒子があった。

 高等部に入ってからの初めての授業とあってクラスメイト達がぴたりと口を閉ざし、緊張を深めて行くのが感じられた。
 実の所、私は前世も今世も合わせてはじめて受ける授業というものに密かな期待を抱いていた。
 階段状になっている教室の一番下、そこに置かれた教壇に女性教師が立って人好きのする笑顔を浮かべて室内を見渡し、セリナとディアドラ、それに私の所で一拍ずつ間を置いて視線を送る。
 色々と含みがあると考えるべきか単に期待をされていると喜ぶべきか。今後の態度次第で分かる所だから、あまり深く考えないでおこう。

「皆さん、はじめまして。今日の良き日に皆さんとお会いできた事を、知識神オルディンに感謝しましょう。
私は高等部の授業の一つを受け持っているアルネイス・リュシーネです。今年一年、皆さんの基礎履修クラスの担任を精一杯務めさせてもらいます。よろしくお願いしますね」

 ふむ、取り敢えずの印象はよろしい。隣のファティマもにこにこと笑みを浮かべてアルネイス教師の言葉を聞いている。あとは教師としても素晴らしい方である事を祈るが……。

「私が受け持つ基礎履修クラスでは一般教養の他、魔法を扱う上で最も重要で軽視してはならない基礎項目を扱います。
 既に皆さんは中等部で三年間、魔法の基礎を習い今更と思うかもしれませんが、この基礎を疎かにしてはどれだけ豊かな才能を持っていても魔法使いとして大成する事は有りません。
 魔道の偉大なる先人達はすべからくこの基礎の修練を怠ることなく修めて来たのですから。ではまずは皆さんのお名前を教えていただけますか? 
 これから皆さんは一年を一緒に過ごすお友達なのですから、仲良くしてくださいね。では、まずは貴方から」

 アルネイス教師の視線は私に向けられている。出席番号順ならば私が一番だしクラスメイトが色々と気にしている私を一番に自己紹介させるのは、悪い判断ではあるまい。
 アルバートに言われた通りあまり猫を被り過ぎるのも良くはないだろうが、ふむ、その匙加減は難しそうだ。
 ファティマが頑張れと小さく言うのに頷き返し、私はクラスメイト達の視線が矢衾の如く突き刺さるのを感じながら立ち上がり、背後を振りかえって好奇の視線を向けるクラスメイト達の顔を見回す。

 あまり苦労をした顔をしている者は多くない。大半は温い環境で育った子供なのだろう。
 三歳の子供が剣や槍の扱いを習わねばならぬ過酷な環境で育つよりは、恵まれている事は確かなことだろうが、私はベルン村に産まれた事は後悔していないし、誇りに思っているから羨望の念を抱きはしなかった。
 ま、人間それぞれである。自分にない物をねだるなり羨むよりは、自分にある物を大事にする方が前向きで私好みの考え方だ。

「初めまして。ベルン村から来ました、ドランと言います。苗字は持っていませんし、皆さんよりも年下ですから気軽にドランと呼んでください。
このような場所で学ぶのは初めての事なので、色々と勝手が分からず失礼な事をしてしまうかもしれません。私が何か間違いをした時はその都度教えていただけると嬉しいです。
 それと私の使い魔を紹介します。ラミアのセリナと、ドリアードのディアドラ、それにリビングゴーレムのリネットです。
 実を言うと私を心配して使い魔になってくれていて、普通なら魔物扱いはされているけど三人共優しい女性たちなので、あまり怖がらずに接してください。故郷の村でも村人の一員として仲良く暮らしていましたから」

 私を心配して使い魔になってくれた、という言葉に何人かはそういうことかと納得し、またある者はどうして魔物が子供の心配なんてするんだ? とまた別の疑惑を浮かべている様子である。
 セリナ達がベルン村に住む事になった経緯までこの場で説明する事もないだろう。
 私の紹介を受けてクラスメイト達の視線の集中を受けたセリナ達は、それぞれがぺこりと頭を下げて一礼する。
 セリナは少し慌てたように緩く波打つ金髪を大きく動かしながら、ディアドラはドレスの裾を摘みながら優雅に、リネットは小さく品よく頭を下げる。
 それを見たクラスメイト達の視線はあまり嫌悪の色は強くはないが、それでも恐怖や不安といった感情があることは残念ながら否めない。

 取り敢えず私はどうして彼女らを使い魔にできたのかと聞かれたなら、それぞれの事情でベルン村に居着いた彼女らと仲が良かったので、家族と離れ離れになって寂しいから着いてきて、と泣きながら哀願したと説明するつもりである。
 泣いてはいないが実際本当の事だし、私が実力で彼女らをものにしたというよりは、小さな子供の哀願にセリナらが折れたと言う事にした方が周囲も納得しよう。
 それにしても本来の口調で喋れたらどんなに楽か。私と使い魔達の自己紹介を聞き終えたアルネイス教師は、またにこりと人好きのする笑みを浮かべる。
 人に何かを教える教師という職業を、天職と思っているのかもしれない。

「はい、よくできました。皆さんご存じの通り、ドラン君は特例として高等部から本学院に入学となった子です。皆さんが色々と興味を持つのは個人の自由ですが、彼がまだ十一歳の子供である事は変わりません。
 皆さんはこの魔法学院で学ぶ先達として、彼に良くしてあげてください。使い魔となっているレディ達にも失礼があってはいけませんよ? では次はドラン君の隣の席の貴女にお願いしましょう」

 アルネイス教師の指名を受けて、ファティマが元気よく手を挙げながらのんびりと席から立ち上がる。ふう、と私は一仕事終えた気分で吐息を一つ吐きながら椅子に腰を降ろした。

「は~い」

 私の時と同じような具合で全員分の自己紹介を行い、残った時間はこれからの一年間で行われる授業の予定などの説明に費やされた。
 ふむ、新学期一日目の最初の授業で今後の学院生活の見通しをそれぞれに考えさせる為の時間と言うことだろうか。
 基礎履修科目の授業の時はこの場の面々が揃うが、それ以外の授業では個人個人の将来の目的や予定、得手不得手で選択する科目が異なるので、全員が一堂に介する事はないだろう。
 私にとって産まれ落ちてから初めてとなる授業は、特にこれと言った講義がなされる前に終わる事となった。本格的な授業が始まるのは次の選択履修科目あたりからか。

「ドラン、どう? やっぱり緊張したかな」

 全員分の自己紹介などが終わり、一時限目の終わりを告げる鐘が鳴るとファティマは椅子に腰かけたまま私ににじり寄り、そう聞いてきた。

「ふむ、緊張する様な事はなかったよ。まだ授業らしい事はなかったし、次の授業からかな。セリナ達の方が心配だった」

「あのラミアのお姉さん達のこと? う~ん、私も他の人の事は言えないけど、やっぱり注目の的になっているもんね。他の授業でも大変なんじゃないかなあ。
 今日一杯は基礎履修科目の授業をお昼までやって終わりだし、お昼ごはんを食べてゆっくり休んだら? お昼は一緒に食べようね」

「うん、そうする。次からは授業らしい事をするかな?」

「魔力の基本操作の他は一般教養が主な授業内容だから、中等部の時の歴史とか文学、数学のおさらいじゃないかな? 
 ドランは中等部に通っていなかったけど、質問された時には教本があれば答えが乗っていることだろうから、あんまり慌てなくても大丈夫だからね~」

 ファティマは私を安心させようという意図なのか、手を伸ばして私の頭を良い子良い子と撫でる。ちとこそばゆいが無条件に向けられた好意なので、ありがたく受け取っておこう。

「ふむ、それなら大丈夫。教本の内容は一語一句すべて暗記しているから、なにを聞かれても全部答えられる」

「うん、そっか。…………ん? あれ、ドラン、教本の中身を」

 にこにこと笑っていたファティマが笑みを消して、本当に驚いた顔を作り頭を撫でていた手も動きを止める。
 ふむ? 事前に教本を渡されているのだから、中身に目を通しておくのは当たり前の事だと思ったのだが、なにか可笑しかっただろうか。
 ファティマだって教本の中身くらいは全て暗記しているだろう。その内容を教師達がより実践的に、独創的な解釈を加えて私達に授業を行ってくれるのだと思っているのだが。
 普通教本は暗記しているのではないか、と私が聞き返そうとすると音もなく横から落ちて来た影が、私の口を一旦閉ざさせた。
 じっとこちらを見下ろしているのは私より頭一つ半ぐらい背丈のある女生徒であった。

 灰色の髪をうなじに掛る程度に伸ばし黒いタイツを履いていて、すらりと伸びた脚と長身、豊かに突き出た上半身と下半身を繋ぐ腰のラインの美しさから、素晴らしく均整のとれた肢体の持ち主であることがわかる。
 ここではない遠いどこかを見ている様な瞳は不純物が一切ない琥珀の色。すっきりと通った鼻筋や肉厚の唇の造作や配置の妙は、滅多に見られるものではない。
 ぼうっとした様子で私を見下ろすその女生徒になにかと尋ねるよりも早く、ファティマがにっこりと今度は親しみを増した笑みを浮かべて女生徒に声をかけた。
 ふむ、中等部からこの魔法学院に在籍していたのなら、クラスの中に知り合いがいたとしてもおかしくはないか。
 にしても見れば見るほど対照的な二人で第一印象も溌剌として親しみやすいファティマに比べ、こちらの女生徒は他者を近寄らせない常人離れした雰囲気を持っている。

「ネルちゃん。どうかしたの~? あ、ドラン、紹介するよ。この子がね、私のお友達のネルちゃん」

「ふむ」

「少し違う。ネルじゃなくてネルネシア・フューレン・アピエニア。ネルネシアだからネル」

 自己紹介の時に名前と顔は憶えたので自己紹介をされるまでもなく分かったが、そこは礼儀なのでネルの自己紹介を遮る事はしない。
 ネルから感じ取れる魔力量はクラスの中では一、二を争う。落ち着き払った態度を戦闘中でも維持できるのなら、この背の高い少女は将来大した魔法使いになるだろう。
 もっとも魔法使いは戦う事だけが取り柄ではない。万民の生活の一助となる知恵を出し、魔法具を作りだすのもまた魔法使いの重要な役目なのだ。
 物腰の落ち着きと保有魔力量だけで魔法使いとしての力量を決めつけるのは早計に過ぎるが、さて私に何の用があるというのか?

「二度目になりますけど、ドランです。今年一年、よろしくお願いします」

「ん」

 ふむ、口数の少ない方らしい。口数までファティマとは対照的とはどこまでも凹凸に出来ている二人組だが、ここまでくるとなかなか愉快にさえ思えてくる。

「ネルちゃんはねえ、すっごく優秀な生徒なんだよお。去年の学院対抗試合で準々決勝まで進んだんだから。私の自慢の友達なのだ~」

 自分の事の様にえへんと全く凹凸のない胸を張るファティマの紹介を受けて、ネルはぼんやりとした表情を変えずに小さく呟く。

「屈辱。西のエクスに負けた」

 エクス? 精霊魔法使いだと言う西の天才の名前といったところか。デンゼルさんはあまり詳しい事を教えてくれなかったから、名前を聞いたのはこれが初めてである。
 ネルはエクスを相手に負けた事を悔しいとは言うが、口調も表情もあまり変わらないから本当に悔しがっているのかどうかいまひとつ判じ難い。
 ふむ、しかしエクスとやらに負けたネルからすると、その負けた相手であるエクスの対抗馬として噂される私は、それなりに興味のある相手と言うことだろう。
 あるいは本当にエクスの対抗馬足り得るか試す気があるのかもしれないし、負けてからの一年で磨いた自分の力をぶつける相手と見込んでいるのか?

「そのことで私に何か御用ですか、ネルさん。あ、ネルさんと呼んでもよろしいですか?」

「構わない。それに私に対してもファティマに対するのと同じ話し方で良い。私の興味は君がエクスと並び称される位に本当に強いのか? ということ」

 腹芸をする人間ではないか。見た目十一歳の子供を相手に遠慮がないと言うか容赦がないと若干呆れはしたが、ここまで正直に言われると腹も立たない。

「ふむ、つまり腕試しをしたいということ? 生徒同士の模擬戦は認められているの?」

 私がファティマに問うと、突然の友人の提案に目を白黒させたかと思えば、急に慌てだして私とネルを制止する。
 いきなり友人が新しいクラスメイト相手に喧嘩を吹っ掛ける様な事を口にすれば、慌てもしよう。しかもそのクラスメイトである私は少なくとも四つは年下の子供なのだから。
 私達の話を盗み聞きしていた他のクラスメイト達は、これは面白いと言わんばかりにこちらを見つめ、セリナ達は他の使い魔達に囲まれながら心配そうに私を見ている。
 実力で考えれば私に対する不安要素はないだろうが、それでも万が一と考えて心配なものは心配なのだろう。ありがたいことである。
 一応思念を介して心配する事はないとセリナ達に送り返しておくのを忘れない。
 ふむ、このネルという少女は表面上こそ物静かに見えてその実、心の方はかなり熱く出来ているのかもしれない。

「だ、ダメだよ、ネルちゃん。ドランもクラスメイトなんだから仲良くしなきゃ。第一生徒同士の模擬戦は滅多な事じゃ許されないんだよ? 
 ネルちゃんもエクスくんに負けたのが悔しいのは分かるけど、だからって同じくらいの力があるかもしれないというだけでドランに試合を申し込んじゃダメ」

「ファティマはドランが噂どおりの子かどうか、気にはならない? それにドランの力が分かるまでは手加減をする。怪我はさせない」

「そ、それは気にはなるけれど、だからっていきなりこんなのはないよ」

「きちんと学院の許可は取る。アルネイス先生に闘技場の使用許可を申し出て許可が出たら、戦う。出なかったら戦わない。君はそれでもいい?」

「ふむ、無理矢理と言うわけでもないようだし、広い世界を知る為にもここに来たからいいよ。でも私は人間を相手に戦闘用の魔法を使った事がない。
 模擬戦とはいえどこまでしてもいいものなのかも、なにをしてはいけないのかも良く分からない」

「学院対抗試合のルールで。使い魔はなし。生徒だけで戦う。試合中にゴーレムを作ったり召喚獣を呼ぶのは良いし、予め持っているのなら試合に参加させても構わない。
 相手が降参、気絶、それに杖を失ったら勝利。もちろん相手を必要以上に傷つけたり殺す様な事は絶対に禁止。模擬戦の場合は治癒魔法の使える教師の立会と学院からの許可が必要不可欠」

 ふむ、つまりは用意万端整えて向かい合ってから、開始の合図を待って戦いを始めるというわけか。リネットの場合、マスターは私だが造り出したのは私ではない。
 この場合リネットを参加させる事は許されるのか疑問がよぎったが、実力を試す為にも私一人で試合に参加する方がいいか。
 まあ、模擬戦と銘打っているし、希少な魔法の素養の持ち主にわざわざ生死を賭させるようなことを学院側が容認はしないだろうし、十分に安全が図られた状態で試合が行われるのだろう。
 学院対抗試合の準々決勝と言う事は、五つの学院全体で上から八位以内には入ったと言う事だ。そのネルと直接戦えば生徒の戦闘における力量の把握に繋がるだろう。
 魔法学院全体でも上位に入る力の持ち主を相手に模擬戦なんぞしようものなら、さらに注目を集める事になりそうだが、元からだしそうするだけの価値はあるかな?

「ふむ、分かった。許可申請が必要というのなら、今日今すぐにでもというわけには行かないみたいだし、細かいルールとか作法はお昼の時にでも教えてもらえると助かります」

「ん。分かった」

 言葉短く答えるネルの顔からは真意を読み取ることはできそうにない。私との模擬戦をエクスとの前哨戦として考えているのか。
 あるいはネルが私に勝利することで私に寄せられる過剰な期待を、幾分なりとも減らそうと深淵な考えのひとつも抱いているのかもしれない。
 しかしよもや魔法学院で本格的に学生生活を始めた初日に、こんな試合を持ちかけられる事になるとは予想外と言う他ない。
 力量をどの程度に定めるべきか、また私と言う存在の価値を改めて魔法学院に知らしめる為にも都合は良いが、そのように前向きに考えておくとしよう。
 私とネルの顔を交互に見るファティマをどうなだめるかな、と考えていると次の授業の為にアルネイス教師が入室してきて、ネルが元の席に戻っていった。
 ふむ。


 魔法学院では午前中に四時限授業を行い、昼休みを挟んでから五時限から七時限の授業を午後に行う。
 今日は新年の授業開始一日目と言う事もあって、午前の四時限だけで授業は終わりとなり、残りの時間は生徒個人個人が好きに使って良いということになっている。
 私達のクラスの担当であるアルネイス教師の顔を四回見た後、私達は二度目となる本校舎の大食堂に足を運んで昼食を摂っていた。
 昨日クリスティーナさんと一緒に夕食を摂った時と同じ場所に、今度はファティマとネルを伴って座る。
 席の配置については昨日と同じで、クリスティーナさんの位置にファティマが座り、その横にネルが座っている。

 いきなり私に模擬戦を挑んできたネルに対し、セリナはつんとそっぽを向いて不歓迎の意思を露わにしているが、ディアドラは大人と言う事かそう気にした素振りを見せていない。
 なにより私がネルからの申し出を受け入れているから、文句を挟む必要はないと考えてくれているのだろう。リネットに至っては言わずもがなである。
 ラミアとドリアードを間近にしてファティマはひどく緊張している様子で、ネルがまるで緊張していないのとは正反対なのが、見ていて思わず笑みを誘うものがあった。
 これはファティマの反応の方が正解だろう。ネルの胆力はなかなか珍しい部類である。
 とはいえあのような申し込みの後に昼食を共にしようとする感性も珍しい方だろうが、平気な顔をして昼食の誘いを受け入れた私の方も他人から見たら十分に変わっていることだろう。

「そんなに緊張しなくてもセリナもディアドラも何も悪い事はしないよ?」

「ふえ!? う、うん。それは分かっているんだけど本物のラミアとドリアードをこんな近くで見たことなかったから、つい。それにえと、リネットちゃん? も人間じゃなくってゴーレムなんだよね」

「はい。グランドマスターイシェルの手によるリビングゴーレムです」

「人間にしか見えないや。そのイシェルさんはすごいゴーレムクリエイターだったんだね」

「ありがとうございます。グランドマスターイシェルも草葉の陰で喜んでいる事でしょう」

 外見が人間にしか見えないというのは安心感を齎すのか、セリナとディアドラを相手に緊張していたファティマも、リネットが相手だとごく普通の反応をする。
 その反応の違いに目敏くディアドラが口を挟んだ。

「あら、リネットも私もセリナもドランの使い魔であるという立場は変わらないのだから、同じように接して欲しいわね。ねえ、セリナ?」

「そーですね」

 いつになくつん、としたセリナの態度はネルの同席に対する不満の表れであろう。これは困ったな、と私とディアドラは視線を交して互いに肩を竦めた。

「あう、えと、が、頑張ります」

 慌てた様子で言うファティマの姿は見ていて笑みを誘うものであった。
大食堂の中は既に人で満たされていて、私達が魔法学院に来てまだ二日目と言う事もあり、まだ視線が向けられているのを感じる。
 まだ飽きられるのには時間が掛るか。私達以外にも希少な魔物や動物を使い魔にした人物が出れば、飽きやすい人達の興味はそちらに向くのだろうが、そうそう都合よくはいかんわな。
 ふむす、と私がネルとの試合がいつになる事かと考えていると、耳にしたら忘れられない金鈴の音色とはこれか、と耳を澄ます声が私に掛けられた。
 やにわにファティマとネルの顔に驚きの色が差はあれども浮かび上がる。

「もう友達が出来たのか。いい事だな。私も君を見習うべきかな、ドラン」

「クリスティーナさんならいくらでも友達になりたいと言う人はいるでしょうに」

「いや、どうもとっつき辛いらしくてね。恥ずかしながら、さ」

 昨日と同じように三年生のテーブルではなく私達のテーブルに顔を見せたクリスティーナさんである。
 私がクラスメイトと一緒にいる光景に安堵したものか、ほっとした顔でディアドラの右隣に腰を落ち着ける。

「勝手に座らせてもらったが、そちらの二人は構わなかったかな?」

「はは、はい。クリスティーナ先輩と一緒のテーブルに着けるなんて光栄です!」

「同意」

 その場で椅子から立ち上がりそうな勢いのファティマに対し、クリスティーナさんは苦笑を零していた。
 こういう扱いをされるのに慣れた様子だが、クリスティーナさんの美貌と実力を考えると憧れを抱く生徒の一人二人くらいはいない方がおかしいだろう。
 ふむ、と私が納得の一声を零すとディアドラが好奇心を隠さずにクリスティーナさんに聞いた。

「ねえクリスティーナ、貴女って相当な腕前の持ち主でしょう? なら学院対抗の試合っていうのに参加した事はあるのかしら。そこのネルネシアは準々決勝まで行ったっていうのだけれど」

「ああ、毎年恒例のあの大会か。いや、私はあの手のお祭りは見ているだけだよ。参加はしていない。そうかどこかで見た顔だと思っていたが、去年の大会で中等部の生徒なのに活躍して話題になったのは君だったか。
 ところでどうしてそんな話が出るんだい? 今年の大会にドランが出場でもする話にでもなったのか?」

 不思議そうなクリスティーナさんの疑問に答えたのは相変わらずつんつんとしていたセリナである。冬眠前のリスみたいに頬を膨らませながらネルに視線を向けて言った。

「違います。そこのネルさんがドランさ……ドラン君に試合を申し込んできたんです」

 こう言う時にセリナの子供っぽさが出るな。なおクリスティーナさんならともかく他の生徒達がいるので、セリナは私の事を様ではなく君と呼んでいる。
 セリナの言い分を聞いたクリスティーナさんは眼をぱちくりさせた。ふむ、なかなか可愛らしい。そのぱちくりとする動作がこの人もまだ二十歳にもならぬ少女なのだと感じさせた。

「どうしてまたドランとそんな話になる?」

「ドラン君が他所の学院の天才だっていう生徒の対抗馬だからだそうです」

 つんつんセリナの台詞である。面白いからもう少しそのままにしておこう。

「…………ああ、そうか、去年の大会でネルネシアを負かしたのは西の子だったな。だから西と南に並ぶと目されるドランに目を付けたというわけか。そうしてしまう気持ちは分からないでもないが」

 いわゆる武人の気質が垣間見えるクリスティーナさんはネルへの理解を示すが、流石に唐突過ぎると批難の色を視線に混ぜている。

「私は別に構わないんだけどね。ご飯を食べたらアルネイス先生に試合の許可を取ってくるよ」

「なんだ、ドランは乗り気なのか?」

「うん。体を動かすのは好きだし学院の中で自分の力がどんなものか把握しておきたいから、私にとっても好都合」

 嘘偽りのない私の本音を口にすると、ネルさんは侮られたとでも思ったのかぴくりと肩を揺らし、クリスティーナさんはなにやら納得した様子で、ファティマは何度目かになる驚きの顔を浮かべる。

「ええ、ドランてばそんな風に考えていたの!? 堂々としているけど本当は困っているものだと思っていたのに~」

「ふふ、一年経っても君のそういう所は変わらんな。ネルネシア、ドランと試合をする時は見た目で侮らずに良く気を引き締めておくことだ。
 彼は五百のゴブリンを相手に顔色一つ変えず、少なくとも二、三十匹は返り討ちにした猛者だぞ。
 それに戦士としての訓練も受けているから、魔法無しでもそれなりにやる。十一歳の子供だなどと思っては何も出来ずに倒されてしまうかもしれんぞ」

「ご、五百!?」

 ファティマが素っ頓狂な声を挙げる一方で、ネルは私を見る目を厳しくした。

「そうか、ベルン村は去年ゴブリンの襲撃を受けた場所。死人が出なかった事で随分話題になった」

 クリスティーナさんの言葉がネルの闘志に火を付けてしまったらしい。やる気のない相手と試合をするよりはその方が楽しめるかな?


 などと私が呑気に思っていたにも関わらず、私は昼ご飯を済ませた後になぜだか円形の舞台の上に立っていた。
 昼食を取ってからたいして時間は経っていないにもかかわらずである。
 私とネルの模擬戦に興味を持ったクリスティーナさんを伴ってアルネイス先生の個室に許可を取りに行ったら、悩むそぶりも見せずにアルネイス先生に快諾されてしまったのだ。
 ぬかった。私の力量を直接確かめる為に魔法学院側が予め教師陣になにかしら通達をしていてもおかしくはない。
 数日は後になるだろうと構えていた私の不意を突き、なんということかその日の午後の内に私とネルの模擬戦は行われる運びとなったのである。

 だがぬかったと思った次の瞬間には、まあ、不都合はないからいいかと私は考えを改めていた。
 魔法学院では戦闘用の魔法も講義する為、その際に使用する様々な形状の練習場がいくつも存在する。
 今回私達が使用する練習場は、ひとつひとつが独立したドームになっている閉鎖された練習場であった。
 半球状のドームの中に直径三十メルほどの舞台があり、地面より一メルほど高みにある舞台に私とネルさんが十五メルの距離を置いて向きあっている。

 舞台の周囲にはコロッセオと同じような観客席が設けられており、セリナ、ディアドラ、リネット、クリスティーナさん、ファティマが腰を落ち着けている。
 万が一にもと言う時にはセリナとディアドラの回復魔法もあるし、私かネルさんのどちらかが大きな怪我を負っても対応はできるだろう。
 余計な観客がいないのはありがたいが、ある一つの事が予想外だった。
 私はその予想外に視線を向けた。
 私とネルと三角形を描く位置に、予想外=オリヴィア学院長が立っている。アルネイス先生に持って行った話が、巡り巡って学院長にまで辿りついてしまったのである。
 ここまで来ると私が特別だと言う事を魔法学院全体で主張している様なものではないか。
 実際特別な待遇を受けてはいるが、特別の度合いが過ぎるような気もする。

「どうして学院長がここに居るのですか?」

 私の平凡極まりない質問に学院長はエメラルドの視線だけ寄越して返事をした。もう少し感情の動きが見える方が、私としては好みである。

「模擬戦をするのが貴方とネルネシアだからです。ネルネシアはこと戦闘に関してはガロア魔法学院では五指に入ります。
 そのネルネシアと特例として迎え入れた貴方が模擬戦をするとなれば、この老木とて興味を抱きもしましょう。それに貴方がクリスティーナと友誼を結んでいると言うのも理由の一つですよ」

「ガロアの魔法学院には、四強と呼ばれる生徒がいる」

 唐突に口を開くネルネシアに私は耳を傾けた。こんな状況で意味のない事を口にはしないだろう。

「ふむ?」

「一人は私。そして“白銀の姫騎士”と呼ばれるクリスティーナ先輩。その二人と関わり合いのある君は、特例である事を除いても注目するのに値するということ」

「ふむ。流石はクリスティーナさん。やはり並みの人ではない」

 今度の“ふむ”は納得の“ふむ”である。白銀の姫騎士とは、クリスティーナさんの美貌と高貴な雰囲気を考慮すれば似合いの二つ名といえよう。姫騎士だからといってクリスティーナさんが王国の王女とか、そういう意味はないよな?

「ネルさんにも何か二つ名があるの?」

「ん、恥ずかしいから私に勝ったら教える」

 そう言ってネルは指揮棒のように細い杖を構える。長さは五十シムほどで魔法学院入学時に支給される生徒用の杖である。
 こういった力量を競う際には装備の優劣の差を失くすために、支給された装備で事に挑むのが規則なのだ。
 私もネルに応じて杖を構えると、双方準備万端と見て取った学院長が静かに口を開く。

「私、ガロア魔法学院長オリヴィア立ち合いの下、ネルネシア・フューレン・アピエニアとベルン村のドランの模擬戦を許可します。
 勝敗がどちらかが気を失うか、戦意を喪失し降参するか、杖を失った場合、そしてジャッジメントリングの水晶が三つ灯った時点で決します。
 また必要以上の攻撃行為および殺傷行為を固く禁じます。二人ともジャッジメントリングは着用していますね?」

 私は左腕に嵌めた銀の腕輪を一瞥した。模擬戦を行うに辺り、万が一の事が起きない様にと支給される品で、極めて高い対魔法障壁を展開して生徒の安全を守るものだ。
 また腕輪に埋め込まれた緑色の三つの菱形水晶はくすんでいるが、魔法の直撃を受けた際にはこれらが一つずつ光を灯し、三つ全てに光が灯った場合は負けとなるのである。
 生徒の安全を図る為の予防策の一つと言うわけだ。高価な品である為必ず魔法学院側に返却しなければならない。
 盗難予防の為に、魔法学院の中でしか機能しない様な制約でも施されていてもおかしくはないだろう。

 私もネルもジャッジメントリングを確かめ、オリヴィア学院長に首を縦に振って問題がない事を伝える。
 観客席から私を応援するセリナとリネットの声が、どちらを応援すればいいのか分からずどっちも頑張れと言うファティマの声が聞こえる。
 クリスティーナさんとディアドラはあくまで落ち着き払った様子で観戦していた。ふむ、ディアドラが時折もじもじ動いて、私を心配する視線を送っていた。
 ふふ、お姉さん役という自負から表には出していないが、声を張って私に声援を送りたいのかもしれない。
 私が心中で笑みを零すのを、学院長の鋭い声が一声の下に伏した。

「では、双方杖に誓い恥じることなき戦いを。――はじめ!」

 ふむ、早速ネルの体から吹きつける冷気が私の頬を打った。安直過ぎるかもしれないが氷属性魔法の使い手か?
 初手を取ったのはネルである。私が初手を譲って様子を見ようとしたためである。

「フリーズランサー」

 長さ六十シムほどの氷の槍が十数本瞬く間にネルの周囲に生成される。一本の巨大な氷の槍を作りだすアイスジャベリンとは異なり、無数の氷の短槍を相手に発射する氷属性の基本的な攻撃魔法である。
 魔法文字や印を組まず詠唱も破棄したうえでの魔法ゆえ、発生速度は迅速を極める。無詠唱となれば威力も精度も完全に詠唱した場合に比べて大きく劣化するのが常だが、それでも十分な殺傷力を維持している。
 白い冷気を噴きながら襲い来るフリーズランサーに、私は回避も防御も選ばずに応じた。

「射て、エナジーレイン」

 私が頻繁に使用する純魔力行使の攻撃魔法を、私もまたネルさんに遅れることわずか、同じく無詠唱で発動。
 頼りない杖を一振りして襲い来るフリーズランサーよりも一本多く純魔力の矢を生成し、私まで二メルの距離に迫っていたフリーズランサーを残らず捕捉。
 緑色の軌跡を空間に描きながらエナジーアローとフリーズランサーが正面から激しくぶつかり合い、硝子を砕く様な音を立てて無数の氷の破片が白い花と変わって空中に咲き誇る。

 無数の白い花が私とネルさんの間に広がる空間を埋めて、私の視界からネルの姿が隠される結果になった。ここまで狙ってやったか? 
 にしてもクリスティーナさんから去年のゴブリンとの戦いを聞いたせいなのか、ネルは手加減をしていない様な気がする。ま、構うまい。
 視界が遮られたのは向こうも同じことだろうがフリーズランサーの使用が早かった分、ネルの方が次の一手を打つのは早かろう。
 白い花の如く砕けた無数の氷の破片を切り裂き、鮫の背びれのような形状の巨大な氷の鎌が舞台の上を私に向かって走り来た。

 氷の死鎌か。氷の鎌が走った後の舞台には軌跡に沿って乱杭のごとく氷が伸びている。
 対象を切り裂き、たとえ避けられてもそれが紙一重なら後に発生する氷柱が貫く二段構えの氷の攻撃魔法というわけか。
 私は杖を一つ振るって私を体の真ん中から両断せんと迫る氷の鎌を、足元に生じさせた炎で一息に破砕する。
 慣れれば指を鳴らすだけでも発動させられる発火の魔法の応用である。
 込めた魔力量から人間一人くらいは火達磨に出来る紅蓮の炎に砕かれた氷の破片は、炎の熱気に焙られて瞬時に蒸発して水蒸気に変わった。

「火の理 我が声に従え 紅蓮に燃ゆる汝は 我が敵を爆ぜよ燃やせよ焦がせよ イグニートベーン」

 空いている五指一本一本に別の意思を持った生物の如く滑らかに動いて、空間に発光する魔法文字を刻む。
 詠唱に加えて魔法文字による補強を受けた火炎が白い花の向こうの舞台の床から噴き上がり、一息つく間もなく瞬く間に火炎はドームの天井すれすれまで高く高く伸びる。
 ラウンズバーンほど広い範囲を焼くことはできんが火炎の熱量は劣らぬ魔法だ。
 目の前の光景が炎ですべて埋め尽くされる光景にはいささかやりすぎたかと言う気がしないでもなかったが、ジャッジメントリングの加護があれば肌を焦がす事もないだろう。
 オリヴィア学院長は既に舞台の外側に退避している以上、この程度の魔法行使は許容範囲であろう……たぶん。

 屹立する壁のごとき炎の一部分が見る間に凍りついていった。ふむ、教室に居た時とは比べものにならない魔力の高まり。ネルの本領発揮はこれからということだろう。
 凍りついた炎の根本には、ぼうっとした顔はそのままに全身から青白く染まった魔力を陽炎のように立ち上らせるネルの姿がある。
 表情こそ変わらぬがネルの脳内では、たしか“あどれなりん”とかいう闘志を促す物質が分泌されているに違いない。彼女にとって私はエクスとの雪辱戦の予行演習には成り得たのだろう。
 私の頬を打つ冷気の冷たさが数段増し私の鼻や唇から零れる吐息は白く濁る。舞台の温度はもはや厳冬のそれに変わっている。

「ふむ」

「意外と余裕?」

「きんちょーしている」

 私は嘘が苦手なのだ。口調が固くなっても仕方がない。

「ん。そう」

 ネルは右手に握る杖を無造作に私に向けて振るった。そのまま杖を投げつけてくるような無造作な動作である。魔法名を唱える事もないその動作が、しかして私の全身を冷気に包みこむ。
 魔法という形を取らぬ生の魔力をそのまま冷気に変換したのである。魔力の直接変換とは、これまたなんと人間にしては希少な特技の持ち主よ。
 通常人間は、空間や生物の血肉に宿り、魂が生み出す魔力という力を魔法という理論で型に押し込めて形式を与え、完成させなければ世界の事象に干渉する事が出来ない。

 無論例外は存在し、高位の魔法使いなどは生の魔力を発するだけでも十二分な殺傷能力を持たせる事が出来るし、もう一つの例外がいまネルのした冷気など別の自然現象に直接変換する場合だ。
 冷気以外にも熱や炎、雷、風、光などおよそ森羅万象の現象に変換する前例が存在し、実際に見聞きもしたし人間に生まれ変わってからも書物で確認している。
 その希少な才能を目の前に出来るとは少々意外である。が、所詮は少々に過ぎない。致命的な隙を作るほどに、私は初心ではなかった。とっくに見飽きた程度の希少さなのだ。
私は自分の体に魔力の膜を纏わせて、凍りつく寸前の皮膚を保護した。

 既に私の足元には霜が降りて空気中の水分が凍りつき始めている。ネルの消費した魔力量は然したるものではないが、これだけ冷気を発せられたという事はなかなか効率も良いようだ。
 ネルの唇が朗々と謳いあげはじめた。この世に魔道の術法を顕現する為の神秘の文言が幽玄の響きを交える旋律と共にドームに木霊し、言葉に込められた力が空間に満ちる魔力に干渉して震わせる。
 ふむ? ネルの魂が上位次元にチャンネルを繋げた、か?

「アーシス・ゼリ・レヴァーナン・ズィアック 氷原を渡る魔狼よ 我が呼び声に応え その遠吠えで我が敵を凍てつかせよ 氷狼凍咆波!」

 精霊魔法ではない? 上位存在との契約による高等魔法か! ネルの魂から感じ取れる高位次元の波動から察するに、氷狼王の異名を取ったフェンリルに違いあるまい。
 事実ネルの背後には巨大な狼の幻像が浮かびあがっていた。霊的ヴィジョンに過ぎぬそれが、根本的な存在の格の違い故に目の前に立つ者すべての魂を屈服させる圧倒的な霊威を放っている。
 無防備な詠唱の最中から既に放たれていたフェンリルの霊威が、敵対者の心身を凍らせるかの如く拘束し、浮かび上がる幻像の咆哮をもって魔法の完成となるのだ。

 流石にフェンリル本体の召喚は無理なようだが、あれが本来の力を持ったまま顕現すれば銀河の一つくらいは軽く氷の中に閉じ込められる所だ。
 契約と魔法を媒介に上位次元に満ちるエネルギーが冷気と変わり、小さき粒の動きを完全に停止させながらネルから私へと一直線に襲いかかった。
 あまりの冷気に周囲の気温が急速に下がり続け、氷狼王の咆哮は私を瞬く間に飲み込んだ。かすかにクリスティーナさんの驚く声や学院長の眼差しが険しく変わる気配を感じた。

 ふむ。このレベルの魔法は生徒が行使するには強力ということか。となれば防ぐのは不味いかな?
 私はあえてこれを受けてジャッジメントリングに埋め込まれた水晶の一つに光が灯るのを許した。
 ジャッジメントリングから私を中心として球形の極めて強固な魔法障壁が展開されて、私を包み込む筈だった氷狼王の咆哮にわずかな透過も許さず遮断する。

 うっすらと緑色に輝く魔法障壁に沿って流れてゆく氷狼王の咆哮がようやくおさまった時、私のジャッジメントリングの水晶に明りが一つ灯った。
 咆哮にやや遅れて障壁が消えるがあまりの気温差に、思わず私の体がぶるりと震えてしまう。厳冬どころではない。
これは極南に存在する永久凍土の最も寒い時期の寒さだ。悪くすれば心臓が止まってしまいそうな気温差である。ここら辺人間の肉体の脆弱さを思い知らされる。

「へっくち!」

 思わずくしゃみをすると既に次の魔法の発動準備に移るネルが声をかけて来た。戦闘中に会話とはなんと悠長な、と余人には呆れられそうだが、私もネルもそういう神経の持ち主なのだ。
 私からすると戦闘中に互いの思想や意見をぶつけ合うのが一番好きなのは神々と人間だがね。

「寒いのは苦手?」

「冬になると互いの体温で温め合わないと死ぬような場所で生まれ育った。苦手云々以前だよ」

「王国の一番寒い所だったね」

 ベルン村は辺境の最北部であるから、つまりは王国で一番寒い土地になる。だからといってこのような氷属性の魔法に耐性が出来るわけもないのは、常識以前の話である。

「うん。でもこんなに寒くはない」

「もっと寒くしてあげる」

「ふむ」

 相変わらず無表情だがどうやらこの背の高い武闘派の少女は、他者を虐めるのが好きな性癖の主らしい。その証拠に頬がうっすらと紅潮し、呼吸が早いものになっている。
 これまで私の周りには居なかった人間である。だがされるがままの私ではない。
 私はそれなりに負けず嫌いなのである。

<続>

 展開が強引。反省。

ファティマ……元気少女。
ネルネシア……無表情少女。S

01/04 21:47 投稿
    22:46 修正 通りすがりさま、ありがとうございました。
01/05 12:39 修正 デルミルさま、雨さま、ありがとうございました。


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