被災地の若者たちの声「オレたちは被災者じゃない、復興者だ!」

[2012年01月05日]


年が明け、被災地でも初売りが始まった。大規模な「仙台初売り」などには県外からの買い物客も訪れ賑わいを見せている。しかし、海岸沿いには大量のガレキが残り、多くの被災者が仮設住宅で年を越すなど、やはり被災地の現状はまだまだ厳しい。

では、被災地の「これから」を担う若者たちは現状をどう見ているのだろうか。宮城県気仙沼市の魚市場で仲卸業者を営む紺野佑輔さん(27)は、震災後に月収が半減。およそ10万弱にまで落ち込んだという。だが、それにも関わらず、紺野さんは「全然不幸ではない」と語る。

「震災後、3ヶ月目で女のコが生まれたの。このコがオレと家族にとっての“復興のシンボル”になっているから、いまは弱音なんて吐いてられない。3人目の子供だから生活が大変だけど、不安より希望の方が断然でっかい! だから、この状況で産んでくれた嫁には感謝の気持ちでいっぱいなんだ」

また、宮城県石巻市で漁師として働く阿部勝太さん(26)も、「津波で家だけでなく仕事のすべて、親の上の代から何十年もかけてそろえたものが何もかも流された」のだが、だからこそ「借金してでも漁師をやるしかない」と決意を語る。

被災地のために、地元に残り、地域の産業を続けていこうとする若者たち。岩手県陸前高田市でガレキ撤去作業に従事する佐々木正敏さん(26)は、震災を機に、勤めていた警備会社を退社して現在の仕事に就いた。山積みになったガレキを撤去するときには、遺体が見つかることもある。だが、「誰かがやらなきゃ復旧は進まない」と佐々木さん。

彼らには、被災地で働く自分たちは「被災者」という受身の存在ではないという思いがある。こうした思いを、岩手県大船渡市を拠点に音楽活動を行なうヒップホップグループ「LAWBLOW」は、昨年7月末に発売した『復興者』というアルバムに込めた。

「『復興』『希望』『頑張れ』などと被災地の外から届くメッセージに違和感があった。『前を向こう』と言われても、目の前にはガレキしかない。そんな状況で、いったい何を目指して歩けばいいのか。希望も何もなかった。この町や、そこに住み続ける人たちの現実をちゃんと伝えなきゃと思って、相方との音楽活動を再開した。(『復興者』というアルバム名は)被災者と呼ばれることに抵抗があったから『オレたちは被災者じゃない、復興者だ』と被災地内外の人に伝えたかった」(LAWBLOWの里見和哉さん(26))

「がんばろう日本」と言うことは簡単だが、実際に復興の要となるのは、彼らのような被災地の若者たち。自ら「復興者」と称する若者たちには、決して後ろ向きではない、前に進もうという力強さがある。

(取材/興山英雄、頓所直人)

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