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▼3月12日、仙台平野越え
2100南相馬市(20.00 uSv/h)、一関、陸前高田、2550女川(21.00)。キセノン、ヨウ素、セシウム
▼3月15日、阿武隈・関東平野越え
0400いわき市(23.72)、0600さいたま市(0.107)、0600横浜市(0.103)、0700大洗町(1.955)、1000宇都宮市(1.318)、1100さいたま市(1.222)、1200川内村(20.5)、1400前橋市(0.562)、1400那須町(1.04)、1400白河市(4.21)、1400郡山市(8.26)、1500柏東大(0.46)、1640福島市(13.58)、1800さいたま市(1.039)、1800本郷東大(0.72)、1840福島市(24.24)、1900南魚沼市(0.527)、2100白河市(7.56)、2200会津若松市(2.39)、2500前橋市(0.501)。キセノン、ヨウ素、セシウム
、
▼3月15日、飯舘コース
1500飯舘村(3.44)、1800飯舘村(44.7)。キセノン、ヨウ素、セシウム
▼3月20日、山形コース
2000山形市(0.129)、2100米沢市(0.183)。ヨウ素、セシウム
▼3月21日、柏コース
0500大洗町(2.047)、1100いわき市(6.00)、1100柏東大(0.80)、1100本郷東大(0.25)、1300横浜市(0.069)、2000川内村(4.01)、2800南魚沼市(0.102)、2900前橋市(0.119)。ヨウ素、セシウム
再考察のきっかけは文科省の航空機モニタリングから
「原発からいったん北西方向に流れた後、(略)、群馬、長野両県境の山地周辺まで到達していた。」 この最後のところが間違ってると思うんだ。分布がそう見えても、そう流れたことにはならない。そうでなかった証拠を私はいくつか持ってる。しかし確実ではない。文科省には、問題を認識してほしい。
私は次のように考えている。福島中通りを南下した放射能雲は、那須と日光を通って赤城山まで達した。3月15日夕刻から16日未明だ。その数時間前の15日朝にいわき市を通って南下した放射能雲が東京を通過して奥多摩に至り、北上してお昼すぎに群馬北部を通って南魚沼に抜けた。
中通り北上説の復活
中通りを放射能雲が南下したか北上したかの議論があった。早野さんが北上説を強く主張したが、その後南下説が多数派になったと記憶している。私も南下説をとってる。南下説は放射能分布を重要視している。北上説はタイミングを重要視している。南下説でもタイミングを説明できると思っていたが、精査してみると、むずかしいことがわかってきた。いま考え中。北上して、福島盆地で飯舘経由とぶつかったモデル(早野モデル)を再検討してる。
3月15日ルート考察の途中経過。0100いわき市→0500埼玉県→0600横浜市→1300白河市→1400郡山市、→1600長野原町→1700南魚沼市。飯舘村→1600福島市→1800会津若松市。
北上説に変更するとうまく説明できる観測事実。1赤城山でぶつかった群馬ルートと飯舘ルートの識別困難が解消される、2那須塩原の毎時1マイクロ飛び地がうまく説明できる、3郡山-白河間の汚染が西側に偏っている分布がうまく説明できる。
東京を通過した放射能雲が奥多摩を汚染した事実を踏まえれば、前橋を通過して川場を汚染、宇都宮を通過して日光那須を汚染、阿武隈山地を通過して白河郡山を汚染したモデルを採用するに躊躇することはない。風向きはOKだ。関東平野に向いた山の斜面で雨が降った事実を確かめる必要がある。
「山が汚れている」と6月に気づいたのは、この事実の片鱗を見たのかもしれない。
北本朝展さんのページを参照した。3月15日日中の阿武隈・関東平野越えモデルは一致。しかし北本さんは、夜間に再び福島から中通りを放射能雲が南下したと考えている。私は、福島から会津若松に抜けたと考えを変えようとしている。
たしかに中通りの地表風は、3月15日夕刻向きを南に変えた。しかしこの風にのって福島盆地からどれだけの放射能雲が中通りを南下したかはっきりしない。18時に会津盆地に流入した事実は確認できる。
公開シミュレーションで風を考察
・国立環境研究所
・気象庁
・株式会社 ヴィジブル インフォメーション センター わかりやすい。 かなりいいセンいってると思う。
・牧野さん紹介のこのシミュレーションは群馬北部の汚染が表現されていないなど、いまひとつふたつみっつの感。
福島市20マイクロ、郡山市3マイクロ、白河市7マイクロ。絶対値みると、福島市だけ突出してる。しかし、4月初旬の放射線量はいくらもかわらない。むしろ、飯舘村と福島市の間に境界があるようにみえる。まだ、なにか謎が隠されている。
しかしこのモデルだと、阿武隈山地南部(田村市とその南)の放射線量が低いのが説明しにくい。そこだけ雨が降らなくて、中通りでは雨がふったのならよいが、中通りも夕方になるまで雨降らなかったと思うのだが。私のツイートでは1652から郡山市で降雨。
阿武隈・関東平野越えは、南からというより東からというべきだ。
中通りの汚染が北上説と南下説の2つあると書いたが、南下説をとるひとも、午後早くに北上したあと、より深刻な汚染が再び夕刻から夜にかけて南下したと考えていた。少なくとも私はそう考えていた。精査したところ、午後早くの北上がより深刻な汚染をもたらしたと思われる。そのあと南下があったことを否定しない。
しかし東京はともかく、前橋と宇都宮がよく助かったもんだ。3月15日のことだ。同じような山沿いの郡山があれだけやられたのに。
3月15日の放射能汚染。会津若松市も福島からではなく、中通りを東から西に進んだ放射能雲による汚染だろう。風シミュレーションを見てそう思った。2200会津若松市(2.39)
3月20日15時、22日19時、25日16時にも福島市に風は向かった。しかしそのどの時間帯も放射線量の上昇がみられない。福島第一原発が放射性物質を常時放出していたモデルでは説明できない。3月15日17時から19時まで福島市に降り注いだ放射能は、そのとき限りの悪魔の仕業だった。
・6月4日エントリ
3月15日、関東地方は午前と午後と深夜の3回汚染された。午前の放射能雲は0400にいわき市(23.72マイクロ毎時)を通過しあと、さいたま、横浜、前橋、南魚沼、宇都宮へ。午後の放射能雲は1200に川内村(20.50マイクロ毎時)を通過したあと、柏、さいたま、東京、前橋、那須へ。深夜の放射能雲は、2800いわき市(5.45)、大洗町、さいたま、横浜、宇都宮。でも、これは前二者にくらべてはっきりしない。その前1900に仙台(0.35)、2000南相馬(4.62)だった。
観測点がどこにもいつもあったわけではないから、行かなかったところを書いたほうがよいだろう。1回目は那須に行かなかった。2回目は横浜と宇都宮に行かなかった。3回目はどこへもちょっとずつ行った。群馬・栃木・福島中通りに深刻な汚染をもたらしたのは、2回目の午後の放射能雲だったと思われる。福島第一原発からの出発時刻は15日1000ころだった。
(11月30日)