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海外を使って資産を増やす 船原徹雄のフリー ミリオネア クラブ

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船原徹雄プロフィール

株式会社ヘルスアイ代表取締役社長

大阪大学大学院人間科学研究科卒業

オークファンスクール講師

生年月日1980年7月4日

順調だった幼少時代

私は兵庫県の加古川市という小さな町に生まれました。

今でも愛してやまない加古川市は、都会でもなく、田舎でもない、本当に住みやすい町です。

4人兄弟(全員男の子)の次男として生まれた私は、親の期待もほどほどにすくすくと育ちました。

両親は小さな家業を営み、その他親類も全員が家業を営んでいました。

周りに会社に勤務している大人はいなかったと思います。(この事が私を起業の道に進ませたのかもしれません。)

小学校、中学校時代の学校の成績はほぼ常に学年トップで周りからは「勉強が出来る子」と思われていたでしょう。

一度だけ、中学校時代にテストの成績が悪くなったことがあり、塾の先生に相当怒られた記憶があります。

生徒会の役員や、その他いろんなことをしながら順調に中学校は卒業。

一応、加古川市では一番の高校に進学することが出来ました。

 

一転、暗い高校時代

そんな私ですが、高校では環境が一変します。

全く学校の勉強がわからないのです。

中学校時代では常にトップだった成績が、400人中300番台をうろうろするようになりました。

また、部活動では中学校時代からずっと野球部に入部していたのですが、自分のあまりの下手さに嫌気が差すほど。

まさに、井の中の蛙状態だったわけで、高校時代はほとんど芽が出ないまま、ひっそりと暮らしていました。

その状態が一変するのは、あるサイバーな出会いからです。

3年生の夏、部活動は高校野球の県予選で敗退して終了。

すぐさま3者面談で学校の先生に希望の大学を伝えたところ、一蹴されました(いや、一笑?)。

確か、「神戸大学」に行きたいと言った記憶があります。

父親も神戸大学だったので、私でも行けると思っていたのでしょう。

関西の人にしかわからないかもしれませんが、神戸大学は結構な名門大学で、学内でも入学できる人は一握りだったのです。

(確か、上位50人くらいに入らないと受験すらさえてもらえないと言われた気がします。)

 

人生を変えるサイバーな出会い1

自分の状況を痛感した私は、すぐに予備校に通うことにしました。

たまたま、実家の目の前に予備校がありました。

そこは衛星を使って通信講義を行っている予備校で、地方にいながらも東京の超一流講師の授業が受けられるというシステムでした。

高校3年生の夏、私はその予備校で衝撃を受けます。

今まで全くわからなかった勉強が、まるでスポンジを水に浸すようにするすると頭に入ってくるのです。

私の素材が悪かったのではなく、高校の学校の先生の教え方に問題があったのです。

東京の超一流の講師たちは、それだけで高収入を得ている分、授業は革命的でした。

教える人によって、こんなにも違うものか?!と驚嘆しました。

(もっと早く出会っていれば・・・)

予備校に通った半年間で、私の偏差値は20近く上がりました。

学内の成績でも1桁台を取ることが出来ました。

そして、神戸大学を飛び越えて、大阪大学に入学することが出来たのです。

これも関西の人しかわからないかもしれませんが、大阪大学は神戸大学よりも偏差値の高い大学です。

別にそれを自慢したくて自分の過去を語っているのではありません。

教える人が違うだけで、素材が同じ人でも、生み出すパフォーマンスには雲泥の差があることを私は身をもって体感したのです。

 

人生を変えるサイバーな出会い2

1999年 大阪大学人間科学部入学に入学します。

ここで、またまた私の人生を変えるサイバーな出会いをします。

それは、インターネットです。

私は、大学の入学祝に、おじさんから中古のパソコンを譲り受けました。

当時はまだモデム回線でのインターネット接続が主でしたので、テレホーダイ(定額制の電話接続)が始まる夜11時を待って、みんないっせいにインターネット接続をしたものです。

また、大学では、当時ではほとんど無かったブロードバンドでの接続が可能でした。

圧倒的な速さでインターネットを体感した私は、ひとつのサービスと出会います。

それがヤフーオークションです。(おそらく2000年頃だと思います)

個人でも簡単に物が売買できて、システムの利用は完全に無料。インターネットが持つ力に驚きました。

当時、ビンテージバイクのカスタムを趣味にしていた私は、ヤフーオークションである取引をしていました。

それは壊れたバイクを購入し、壊れた部品だけを交換して修理して販売するという取引です。

多くの場合、それはうまく行き、大学生としては大きすぎるお金を手に入れることに成功します。

しかし、結構な確率でヤフーオークションだけでは交換する部品が見つからないことがありました。

そのときに出会ったのがeBayです。

当時はeBay Japanというサイトがあり、そこでIDを登録すると、全世界のeBayで買い物をすることが出来ました。

私から見ればeBayは宝の山でした。

日本ではほぼ手に入らないものが、信じられないほど安く出品されていたのです。

しかし、当時、eBayの使い方を教えてくれるような人は誰もいないですし、教本すらありません。

独学でひとつずつeBayの使い方を覚え、何とか輸入できるようになりました。

出品者とのやり取りは翻訳ソフトを使って行い、支払いは銀行振り込みで・・・

今思えばたどたどしい取引でしたが、いい出品者のめぐり合ったおかげかトラブルらしいトラブルも発生しませんでした。

(後に大きなトラブルもありましたが、それはまた今度。)

eBayで輸入したパーツを日本で販売すると、ヤフーオークション内で転売するより大きな利益を稼げるようになりました。

これが私の初期のオークション体験です。

 

会社員となって、地獄を見る

さて、2003年に無事に大学を卒業し、そのまま大学院へ進学。

当時はやりたいことも無く、とりあえず大学院に進学したのです。

しかし、こんなとりあえずの進学に親がお金を出してくれるわけは無く、私は自分でお金を稼ぎながら大学院に通うことにしました。

しかし、国立とはいえ、学費や生活費を合わせると年間で数百万円かかります。

また、大学院は大学と違い、教授からの指示で動かないといけないことが多く、自分の時間がほぼ取れません。

結局、1年経過したくらいから生活費が底をつき、学校に行きながら、企業で働くことを決意します。

2004年4月から、とあるベンチャー企業で医療経営コンサルタントとして働きました。

ベンチャー起業の経営者は、私の能力を高く買ってくれて、破格の待遇で雇い入れてくれました。

大学院で勉強しながら、働いてもOKという条件で雇い入れてくれたのです。

しかし、そのスケジュールは過酷を極めました。

朝8時に会社に行き、12時に帰宅。帰宅後も2時半ごろまで資料作成に追われる毎日。

週末は学校に戻り、相変わらず教授の指示で動く。

労働意欲を完全に削がれ、学習意欲も削がれ、ストレスも極限まで高まり、一時期体が完全に動かなくなりました。

今の私を知る人からは想像も出来ないと思いますが、一時期500円玉より大きな円形脱毛症ができたのです。

この生活には限界を感じていましたが、学費が稼げるまでは何とか踏みとどまり、2005年1月に(円満に)退社しました。

その後、1年留年はしたものの、2006年に大阪大学大学院を無事卒業(退院?)。

修士論文の一部が読売新聞に掲載されるなど、結構反響がありましたが、未練もなく研究者の道からは脱退しました。

 

ニート生活の始まり

卒業後は、実家で快適なニート生活を送りました。

あまりにも学校と企業の両輪生活がしんどかったため、本当に何もやる気が起きなかったのです。

暖かい布団とおいしいご飯が提供される実家暮らしで、毎日やることも無く、ひたすらインターネットを戯れ続けました。

ベンチャー企業での勤務経験から、会社勤めは性にあわないことを実感していたので、どうにかして働かずして楽に稼げる方法が無いかを考え続けたのです。

アフィリエイトにも手を出しては見たものの、生来の面倒くさがりな性格が邪魔をして3日と持たず断念しました。

(しかし、その後アフィリエイトでも簡単に儲かる方法も開発しますが・・・)

ある時に、ふと気付きました。

「インターネットオークションの世界はどうなっているのだろう?

eBayの使い方も浸透してきて、たぶん過去にやっていたような国際転売は通用しないだろうな・・・」

そして、オークションの世界の研究を始めました。

実際は、私が国際転売を行っていた頃と全く変わっていませんでした。

eBayではあんなに安く売られているものが、ヤフーオークションでは相変わらずかなりの値段で売られている。

それを知っている人だけが、ひそかに利益を得ている・・・

私には、以前国際転売を行っていた経験がありました。

eBayのIDもヤフーオークションのIDもありました。

どうやったら価格差のあるものを探し出すことが出来るを必死に開発し、完全に自分の物にすることが出来ました。

 

そして、起業

2007年4月2日。

私は株式会社を設立しました。

唯一の事業は「海外オークションで買ったものを日本で売る」ことです。

たったそれだけの会社です。

世の中によくある、いまどきのかっこいいIT企業ではありません。

すごくシンプルなことを、最大限に洗練された方法で行う企業です。

この会社は現在まで発展し続けています。

1年目の売り上げは7614万円 。儲けを表す売上総利益は1346万円でした。

2年目の売り上げは9610万円。儲けを表す売り上げ総利益は3168万円でした。

合計して1億7224万円を売り上げ、 4514万円の利益を得ることが出来たのです。

現在は3年目ですが、前年の2倍の年商を達成できそうなほどに成長しています。

 

情報を発信し始めている現在

ある時に、私の友人に言われました。

その友人は大手食品メーカーの会社員でそれなりの収入がありました。

しかし、世界中を襲った金融危機の荒波にさらされ、残業代はもちろんカット、ボーナスカット、基本給ベースアップの凍結。

年間にして100万円ほどの収入源になってしまったというのです。

「なにか副業で稼げる方法はない?」

そういわれた私は、友人にネットオークションを使った国際転売を進めてみました。

すると2ヶ月ほどで月に10万円ほどの利益を出せるようになったのです。

私がほんの少し直接アドバイスをしただけです。

私は、高校時代の体験を思い出しました。

その人の人間としての素材が悪いんじゃない、教える人が悪いんだ。

どんな人でも教える人がよければ、かならずよいパフォーマンスをあげることができる。

つまり、私の今まで培ってきた経験と技術を伝えることが出来れば、多くの人がプラスアルファの収入を得ることが出来るんじゃないか?

不況に負けない、余裕のある生活を送れるんじゃないか?

そう考えた私は、もてるすべてを1つの教材にまとめ、インターネットで販売することにしました。

欲しい人だけが手にしてくれたらいいと思い、大きな広告は打たずに販売しました。

口コミでどんどん購入者が増え、大手の情報教材販売サイトでオークション部門トップの販売数を記録。

また、ヤフーオークションをするひとなら誰でも知っているオークファンスクールから、入るだけで25万円するオークファンスクールへの講師依頼がありました。

私が教材を販売し始めてから起こっている出来事は、一種の奇跡です。

購入者からは、毎日、収入を得ることができたという喜びのメールが届きます。

これからも、ドンドン教材を洗練させ、オークションで正しく稼ぐげる方法を皆様にシェアできるようにがんばって行きます。

 

 

船原徹雄の紹介

船原画像
実績:eBay仕入れ→ヤフオク販売で年商1億
2010年9月、三笠書房より「世界一楽しく儲かる金持ち教科書」を上梓。
BigTomorrow、DIMEなど、雑誌掲載多数。
詳しいプロフィールはこちらから

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