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ネグリの朝日インタビュー - 米国の革命と欧州の縮小
今日(1/4)の朝日の9面(オピニオン面)には、ネグリのインタビュー記事が載っている。タイトルは「新しい民主主義へ」。新年冒頭に読むにふさわしい中身のある内容なので紹介したい。最初にOWSについての件だが、こう言っている。「今後、もし世界のどこかで新しい民主主義の革命が起きるとしたら、それは米国から始まると思っています。なぜなら革命とは、資本主義の発展が最高レベルに達した場所で起こるものだと確信していますから。マルクス自身も、当時最も進んでいた国で起きると思っていました」。ネグリも私と同じことを考えていた。同じ反応だった。10/18のブログの記事で、私は、最初の革命が英国で発生すると期待していたマルクスの革命予想について述べている。誰しも思うところは同じ。10月の時点でネグリにインタビューしても、OWSへのコメントでは最初にこの感想が発せられただろう。知識人たる者がOWSの事件に接すれば、当然、すぐにマルクスの革命予想の問題に思いを馳せる。そのことを最初に口に出して人々に注意を促す。マルクスの革命予想からOWSを意味づけるのが、最も当を得た社会科学の視点の提供だからだ。日本の論者の中で、ネグリと同じ見方を示した者は一人もいなかった。日本に知識人がいなくなっている事実の証左である。知識人ならば、ネグリと同じ言葉でOWSを論じなければいけない。


姜尚中的な「小さな物語」の腐った思考しかできなくなり、脱構築主義のバイアスで世界を認識する習慣が根づいてしまった日本人は、OWSを革命だとも理解することができず、その歴史的な意味に気づくことができない。OWSについての正確な認識を世界の人々と共有できない。OWSが18世紀からの市民革命の系譜を引く大きな動きであり、パリ・コミューンを連想させる労働者の革命であり、その21世紀版の模索と挑戦であることを、ネグリや欧米の人間はよく直観し得ている。自分自身が市民革命の達成と所産の嫡流であり、近代資本主義に抵抗して代を繋いだ労働者の子孫だからだ。血は水よりも濃く、血は眼前の現実に歴史的真相を啓示する。合衆国憲法も、フランス人権宣言も、抵抗せよと言うのであり、革命せよと子孫に呼びかけるのだ。社会の主役はお前だと言い、民主主義の永久革命の運動へと動機づけるのだ。合衆国憲法とフランス人権宣言こそ、その思想がアジテートするものこそ、まさに「大きな物語」そのものではないか。今回の朝日のインタビューでは、ネグリはパリ・コミューンとOWSを関連づける着想を提示してはいない。本当に言わなかったのか、朝日の記者が編集で恣意的に削除したのか、それは不明だが、いずれどこかで言い出すだろう。OWSを見てパリ・コミューンの想起に至らなかった者は、やはり知識人として失格だ。

昨年は革命の1年だった。世界の各地で革命の始まりが起きた。特に大きな出来事は、NYで発火して全米に広がった労働者の革命運動だった。小さな田舎の町でもオキュパイのデモは起きている。この年末年始、私はずっとOWSの画像検索に明け暮れていて、最初はシカゴやボストンなど大都市の写真を眺めていたが、面白くて止まらなくなり、とうとう全米50州の州都すべてを探索することになった。最近は、州都以外の小さな町の画像の発掘に精を出している。人口2万人ほどの中西部の町でもオキュパイ運動がハプンしている。例えば、アイダホ州の州都にBoiseという町がある。ネットの情報ではボイシ、手元の地図(昭文社)ではボイジー。発音もよく分からないほど、日本では馴染みのない地方の小都市だ。人口は18万人。ロッキー山脈の山懐に抱かれ、幾つもの巨大で美しい森林公園に囲まれている。羨ましいほど自然の豊かな町。おそらく、大統領選では常に共和党候補が圧勝する保守的な土地だろう。そのBoiseのOccupyはどうだっただろうと検索すると、NYと同じようなプラカードを掲げた集団が一同で記念撮影をしていて、それがネットに上がっている。テントを張った公園占拠の形跡もある。集合写真はこの町のオキュパイ運動の最大値を視覚表現で示威したものだろうが、山間の小さな田舎町とは思えない賑やかさがあり、NYの雰囲気をそのまま複製し噴出した場面を作っている。

Boiseのプラカードを見ると、"IT`S A CLASS WAR"があり、"REVOLUTION ! ITS TIME"の標語が踊っている。"REVOLUTION !"を掲げた者は、アノニマス(ガイ・フォークス)の仮面をつけていて、やはり小さな田舎町だから、このプラカード姿の顔写真が証拠で残っては不具合なのだろうかと案じさせられる。オキュパイ運動の写真を見ると、過激な表現のプラカードや横断幕を持つ者ほど、アノニマスの仮面やペイズリーのバンダナの覆面で顔を隠しているのに気づく。将来のある若者なのだ。そして、このプロテストは個人の身に大きなリスクを伴うのだ。日本で、人口18万人の地方都市で、「革命」や「階級闘争」の語を掲げたプラカードを持って集会に参加できる豪の者がいるだろうか。さらに北上してカナダと国境を接するモンタナ州。ここは「合衆国のチベット」とも言うべき山奥の僻地で、州都Helenaの人口はわずか2万5千人。合衆国の州都としては異常と思えるほど小さな町だが、ここでもオキュパイは行われていた。MissoulaやLivingstonなど、州内周辺の小さな町々から集まった約125名が、市内の公園で集会し、そこから行進した記事がネットで報告されている。モンタナ州は広大で過疎な土地。LivingstonからHelenaまでの距離は直線で200キロ、PhillyからDCほども遠く離れている。山の中の道路を車で走って、10名か20名がはるばる駆けつけたのだろうか。米国のデモクラシーの底力を思い知らされる。

Helenaでもまた、州議会の議事堂前でオキュパイの一団が集合写真を撮っている。この絵がいい。ラディカルな語のプラカードはないが、州議会議事堂前で一同に会して記念撮影するところが素晴らしい。モンタナ州の首府(Capitol)がここなのだ。米国のデモクラシーの息吹を感じる。日本の県庁所在地で、反格差でも脱原発でも、デモ隊が県議会の建物の正面玄関前で記念撮影という図があるだろうか。当局や知事や議会がそれを認めるだろうか。過激な言葉はないけれど、集合写真には覆面姿はなく、全員が素顔をさらしている。穏やかな西部の人々の風情だ。人口2万5千人の田舎町といえば、ほとんど顔見知りの共同体の世界だろう。しかも、その大多数が共和党に投票する保守派の牙城。それを思うと、米国で革命が始まっているという表現は決して大袈裟とは言えまい。そのことは、このHelenaの1枚の写真が物語っている。実は、12/26の記事で紹介した3枚の写真、"Revolution NOW"と書いたプラカードを女性が掲げた3枚を添付したが、この画像はOccupy STLで検索して掘り出した収穫物である。NYやSFではない。保守的な印象が強い中西部ミズーリ州のSTLで、このような情景に遭遇したことは、私にとっては驚愕すべき画期的な事件だった。英語の"Revolution"は日本語の「革命」である。それ以外の意味はない。フランス革命とロシア革命の革命だ。普通の米国人が、「革命だ」と言って白昼の街頭をデモしている。

さて、朝日のネグリのインタビュー記事に戻って、ネグリは欧州の金融危機についてもコメントしている。ネグリらしく刺激的な指摘であり、興味深いので煩を厭わず引用したい。こう言うのだ。「この危機から脱することができても、欧州はもはや『欧州』ではなくなっている」、「戦後の欧州は、福祉が進み人権を尊重する高度な市民社会でした。世界の発展や科学技術に自発的な形で対応する能力があった。しかし、これからは違う。この危機から脱したとしても、そのときにはすべてが、あらゆるレベルで縮小してしまっているでしょう。なかでも懸念するのが、民主的な権利、とりわけ労働者の権利が縮小されることです。ストライキ権が制限され、福利厚生が削減され、労働時間が長くなり、男女の雇用格差が広がる。非正規雇用など不安定な労働形態はさらに横行するでしょう。50年、いや100年、逆行してしまうかしれません」。ネグリは、お膝元である欧州情勢については、きわめて悲観的な認識と展望を示している。これを読んで、私はまた、私と同じだなと感じた。私もまた、日本の今後については真っ暗な悲観論しかない。ネグリは、米国のOWSについてはマルクスを引き合いに出して「革命開始」だと定義づけながら、欧州については「縮小」と「後退」を言い、没落しかないと断言するのである。この心情はよく理解できる。ネグリにとって、最も重要なのは欧州なのだ。欧州を愛しているから、こうした悲観論になるのである。米国の「革命」の楽観論は、対岸へのリップサービスなのだ。

と同時に、米国の「革命」はネグリにとっての希望なのだ。ネグリは分かっているはずである。米国で革命が起き、金融資本の<帝国>的支配が崩壊したとき、対岸の欧州で何も起きないはずがない。米国の「革命」と欧州の「縮小」「後退」が、同時にパラレルに進行するはずがなく、両者が無関係であるはずがない。米国の「革命」は欧州に飛び火する。その前に、金融資本の支配すなわち新自由主義のレジームは、米国で破綻すると同時に欧州で壊滅するし、順番から言えば、欧州の金融危機が米国のレジーム(IMF・FRB・WST)の瓦解の呼び水となり、そこから「革命」が噴出する可能性を描く方が、革命論としては合理的で説得的な方法だろう。OWSがサイトで言明するとおり、革命は世界革命なのである。"The only solution is World Revolution"なのだ。この点は、まさしくマルクスが予言したとおりであり、そうだと認めるしかない。反論の根拠と論理が見つからない。しかし、それを理解した上で、リアルな認識として、ネグリは欧州の将来に絶望しているのである。無論、ネグリの本音が、米国の「革命」と連動した欧州の「革命」であり、全員参加の「新しい民主主義」を実現して欧州を再生する夢にあることは間違いない。だが、それ以上に、ネグリから見て、欧州の危機は暗黒の方向に向かう可能性が高いのだ。日本の私から見れば、欧州も対岸だから、ネグリほどの悲観論で欧州を論じることはない。北米のラースンが、日本の今後に期待をかけ、米国型を超えるモデルを嘱望した心理と同じである。

だが、ネグリの欧州への悲観論でさえも、「戦争」という言葉は出なかった。日本ではそれがあるのである。誰も言わないけれども。


by thessalonike5 | 2012-01-04 23:30 | Trackback | Comments(0)
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