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「脱経済成長」の言説と構図 - 朝日の元日の社説から
元日の朝日の社説は、経済成長を否定する一般論の講釈だった。「ポスト成長の夜明け」と題した11面のこの社説は、どうやら9面のカレ・ラースンの主張を意識し、それに対応したものと窺われ、元日の紙面特集を総括した上での朝日の提言が企てられている。ラースンは、「経済成長が永遠に続くと思い込んできた米国中心のシステムはもうダメになった」と言い、「いま求められているのは壮大な構想力、経済成長が止まった後にどう経済を持続させられるか」と語っている。これを受けて社説は、「戦後ずっと続いてきた『成長の時代』が、先進国ではいよいよ終わろうとしている」と言い、「成長を諦めきれずに国債を乱発した」ため、「成長を無理に追い求めたツケ」として赤字財政に苦しむ結果になったと断じている。そして、ブータンのGNH(国民総幸福)政策を評価する言辞を朝日らしいスイーピングな口調で垂れ、「ポスト成長」の認識の正当性を補強している。この議論と説得は、12/25に見たTBSのサンデーモニングの年末特集と全く同じだということが分かる。OWSを素材に使い、ブータンの国是を見せ、経済成長を否定する説教に纏めるという方法。TBSのサンデーモーニングの構成をパクったか、偶々、年末年始の特集を考えた両者のアイディアが一致したのだろう。


浮薄なマスコミの同業者だから、大型特集で尤もらしい説教をとなると、結局、似たような企画と作文になってしまうのに違いない。ただ、朝日の社説の方は、消費税増税の結論に落とし込むのが狙いで、そこへ導く論理の演出に「ポスト成長」を使っただけで、コミットの度は薄く、サンデーモーニングと較べると説得のエネルギーに雲泥の差がある点は言うまでもない。TBSのサンデーモーニングの方は、番組開始から20年以上この基調を貫いていて、特に年末特集では、繰り返し執拗なほど「脱経済成長」の社会のあり方や個人の生き方を訴えてきた。関口宏の思想なのだろう。サンデーモーニングの経済成長否定論の中身はラースンと同一だ。この議論は、基本的にここ数十年の左派一般の主張と同じと言っていい。左派の論者は、押し並べて経済成長にネガティブな姿勢で一致している。金子勝、田中優子、どれも同じ。と同時に、この思想は左派のみのコンセンサスではなく、広く国民全体を捉えた常識的な観念でもあり、現在の日本人の普遍的な信条でもある。一般論として、経済成長を積極肯定する立場は少数派であり、テレビ討論などで「脱経済成長」の方向に頷かない者は異端で、「天の邪鬼」的な特殊な位置を引き受け、持論の説得のために肩に力を入れて理屈を振り回さざるを得ない立場となる。

しかしながら、この「脱経済成長」の一般論の信条は、よく見るときわめて教科書的な信条であって、ホンネとタテマエの二元論で整理したとき、タテマエの性格が強い思想性であることは、おそらく誰も否定しないだろう。年末年始の節目に神棚の前で手を合わせて発声するような、ある種の儀礼性と形式性を持った信条である。その証拠に、選挙が始まった途端、候補者は有権者を前に必ず「景気回復」を政見で唱えるし、街頭に立って地域経済の振興を言い、住民の所得向上を言うことになる。それを言わない候補者はいない。経済成長の時代は終わったから、ブータンのように別の基準で生きようとか、今後は所得など問題ではないとか、そういう政策を主張する者は一人もいない。有権者がそれを求めてないからだ。投票するマジョリティが求めるのは、景気回復であり、雇用機会の増大であり、安定した収入と生活である。景気回復は、常にこの国の庶民の最も切実な要求であり、政党や候補者はこの要求に応える政策を並べて選挙に臨み続ける。現実に、大多数は収入が減って生活が苦しいのであり、増え続ける貧困層は世代関係なく絶望の中で生き、中間層は貧困層に転落する恐怖の中で生きている。一度落ちれば這い上がれない。砂時計経済は日本も米国と同じであり、その国で景気や成長が政策課題にならない道理がない。

次に選挙があるときも、政党は「脱経済成長」を公約には掲げないだろう。したがって、サンデーモーニングと関口宏が説得する「脱経済成長」の教義は、神棚に祀り上げられる理想論であり、実践の現場では仕分けされて顧みられない哲学であり、年末年始だけに思い返して拝むご本尊様だ。すなわち、これを現実社会の空間に適用しようとすると、何やら托鉢僧の集団修行の如き、恐るべき原理主義の宗教倫理のイメージにならざるを得ない。今回の年末年始は、震災後の気分と巧妙に調合ができるせいか、特に「脱経済成長」と「家族の絆」の教説がマスコミで撒かれている。われわれは、この言説のイデオロギー性に警戒すべきで、マスコミの刷り込み報道の狙いに敏感になるべきだろう。マスコミが垂れる説教は、基本的に官僚の政策意思の代弁であり、官僚が目指す方向に国民を導引するための思想工作である。官僚がマスコミを通じて説く「脱経済成長」論は、生活の豊かさを求めるなという意味に他ならない。所得向上は諦めろという指示の婉曲表現であり、こうした空気を一般論の「常識」に据えることで、この20年間、リストラと低賃金と非正規化を維持推進し、下請中小企業や地域経済から利益を奪い、格差社会の矛盾を気分のオブラートに包んできたのだ。左派の「脱経済成長」論が、格差社会の矛盾を爆発から押さえてきた。

この「脱経済成長」の教説は、ブータンが例に出される点が示唆的だが、仏教の説諭とイデオロギー的効果がよく似たところがある。仏教の場合、個人の苦悩は現実の環境や生活に拠るものではなく、本人の煩悩のせいなのだと一喝される。俗世への執着は無意味だと諭され、観念を切り換えて苦痛を苦痛と感じない意識に変成することが要請される。その境地に到達するのが解脱であり、客観的には、不遇に対して不満を言わない諦念の態度へと導かれる。左派が唱える「脱経済成長」論の言説は、こうして、支配者が被支配者を観念操作で飼い馴らして従順化させるイデオロギーの要素と機能を持っている。無論、このような毒素の一面だけでなく、積極的な中身(=心の豊かさ)を持っている点も否定できないけれど、「脱経済成長」論の持つイデオロギー的属性の危険性については、政治学の立場からそれを看過することなく、正しく指摘する必要があるだろう。左派の側の意図は、資本主義の暴走の抑制とか、ポスト資本主義のオルタナティブの可能性とか、地域と自然への回帰や尊重にあるのだが、官僚や経団連は、この思想を支配の道具として巧妙に使っているのである。左派の「脱経済成長」論には二重性がある。私は、この主張を田中優子や関口宏のようには納得できない。そもそも、日本の一人当たりのGDPの国際順位は、この間、ナイアガラ瀑布のように急降下しているではないか。

現在、「経済成長」の問題をめぐる議論の構図は、きわめて消費税論議のそれとよく似た様相になりつつある。結論から言えば、左派と官僚が「脱経済成長」に即いて説教し、右派の新自由主義者がそれに反論して「経済成長」の正当性を訴えている。今、「経済成長」の概念と表象は、嘗ての「景気拡大」のそれと同じではなくなっていて、変容を遂げ、新自由主義の「成長戦略」に収斂してしまっている。今の「経済成長」は、医療や教育や農業を規制緩和で自由化し、そこに民間資本を参入させて事業で儲けさせることだ。TPPで米国や豪州から関税ゼロの農産物を輸入し、企業の労働者の賃金を安くし、それで資本の利潤を上げることだ。新自由主義者が言い、麻生太郞がやろうとして、菅直人と野田佳彦が政策で引き継いでいる「成長戦略」の路線が、「経済成長」の語の内実にスリ替わっている。それ以外の「経済成長」の意味がなくなった。本来、左派が言わなくてはならない経済成長、自生的で下から循環が派生して地域を潤わせ、労働者の消費と中小企業の投資を上げてゆく「景気拡大」は、今では誰も言わなくなった。左派のエコノミストである金子勝や浜矩子は、こうした意味での経済成長を説かない。岩波系左派(神野・金子・湯浅)は、ひたすら社会保障(と自然エネ)のみを言い、消費税増税で社会保障を手当てせよと言い、官僚と言論でコラボレーションする関係にある。格差解消は言わず、内部留保の再分配は強調しない。

「経済成長」を前面に押し出しているのは、飯田泰之や高橋洋一のような、みんなの党系のネオリベのエコノミストだ。つまり、経済政策についての主張の対立軸は、みんなの党とそれ以外(政権・官僚・左派)という図式になっている。新自由主義者が消費税増税に反対し、リフレの金融政策を論じ、規制緩和の「成長戦略」を喧しく言い、その一方、左派や官僚やマスコミが消費税増税に賛成し、若年向け社会保障を(官僚とマスコミは口先だけだが)言い、「経済成長」に対して消極的という対立関係にある。他に対立軸が見当たらない。社民と共産は、選挙で掲げるべき経済政策について、それを論壇で言ってくれる者が一人もおらず、状況として有名無実なものになっている。最早、経済政策の選択肢として扱われていない。市民権がなく、対立軸の論外として排除されている。また、二党の方も、彼らの政策を担ぐ論者をアカデミーやマスコミに見出そうとせず、人材を発掘する努力もしていない。もっと言えば、左派岩波系(神野・金子・湯浅)に官僚の方向に寄られたため、自らの政策理論を担いでくれる人的リソースを失ったのだ。早い話が岩波系の裏切りであり転向なのだが、社民と共産は、どうやら一緒に岩波系論者にくっついて行く形勢を見せている。特に丸裸の社民の方は、それしか選択の余地がなく、いずれ消費税増税に賛成の立場に回るだろう。現状、マジョリティの経済政策に対して屹立しているのは、新自由主義のみんなの党であり、増税反対のこの勢力が伸長すると見られる。

暗い正月である。


by thessalonike5 | 2012-01-03 23:30 | Trackback | Comments(2)
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Commented by liberalist at 2012-01-03 20:36 x
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
仰る通り、今年はますます右派(財政規律派)と左派(社会保障充実派)の二方面による消費税増税論が、財務省の戦略もあって、マスメディアでうるさくなりそうですね。
はっきり言って、「税収は増えねえよ」の一言なんですが。デフレ不況期の消費税増税は、間違いなく、景気悪化で、税収はますます減る一方でしょうね。現に、97年に失敗済みです。

消費税増税論に左派が乗るのは、むしろ当たり前のような気がします。彼らは昭和の頃から、アンチ成長論を唱えていますから、その処方箋、社会保障を充実するために、増税やむなしを言うのは当然の帰結でしょう。

さて、その「成長より幸福を!」の左派が大好きなブータン王国ですが、実は絶賛経済成長中です。(URL先参照)
世界の経済成長率ランキングで、17位にランクイン。年率8.3%の経済成長率ですね。経済成長が幸福を生む。また、逆もしかりといったところでしょうか。
Commented by liberalist at 2012-01-03 20:49 x
(続き)ブータンは発展途上国だから経済成長率が高いのであって、先進国はもう成長しなくなったとの意見が出てきそうなので、次いで左派の皆さんの理想郷とされる高福祉高負担北欧3ヶ国の成長率を見てみましょう。

こちらは、ノルウェーこそ159位0.35%と低いですが、フィンランドは99位で3.64%、スウェーデンは61位で5.69%と依然高い推移を誇っていますね。実は日本も4%と高いのですが、円高の影響もあるのでしょう。そして、それを実感出来ないのは、間違いなくデフレのせいでしょうね。

最後に、左派的な視点に立ちながら、失業や雇用対策をするには、やはりワークシェアが求められるのかなと思います。法定労働時間を7時間に減らして、よりゆとりある暮らしをというのも一考ではないでしょうか。
ただ、これだと現在働いている労働者の所得減収になりますから、その穴を埋めるべく、減税や給付(ベーシックインカム)も必要になるでしょう。その財源は、デフレ期においては、増税ではなく「増刷」(お金を刷る。国債を日銀に買わせる。)が出来るのです。数十兆円レベルなら、今の日本は決してインフレにはなりませんから。
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