きょうの社説 2012年1月4日

◎橋下「大阪革命」 「地方から国を変える」試金石
 昨年末、国政の中心地である東京の永田町と霞が関で、異例の光景が繰り広げられた。 大阪市長就任のあいさつに訪れた橋下徹氏を、6政党の党首クラスと大臣が辞を低くして迎えたシーンである。

 橋下氏は全国区の知名度を誇る渦中の人物とはいえ、肩書きは一政令指定都市の首長に 過ぎず、氏が率いる「大阪維新の会」は政党助成法の要件に当てはまらない一地域政党(ローカルパーティー)でしかない。しかし、従来なら戦わずして当選が確定していたはずの既成政党相乗り候補を蹴散らして大阪府・市のダブル首長選を制したことで、いまや国政をも動かし得る政治パワーを持ち始め、これまで選挙用の文言にとどまっていた「地方から国を変える」という希有なことを起こす可能性の芽生えを示したといえる。

 橋下氏の一種強権的な政治手法には批判もあり、「大阪革命」が成就するかどうか予断 を許さない。それでも、日本の政治、地方自治の長年の課題である明治以来の中央集権体制の改革を進め、本当の「地方の時代」につなげる突破口になるのではないか。

 大阪市長選の公約である大阪都構想の実現には、地方自治法の改正か特別立法が必要で ある。そのため橋下氏は、国会が法改正に協力してくれなければ、次期衆院選に維新の会から候補者を出すと与野党に圧力をかけている。

 維新の会とそれに同調する新勢力が、既成政党に対する国民の批判、不満の受け皿とな ることは十分予想される。そうした事態を恐れる各党は、橋下氏におもねるように大阪都構想への協力姿勢を見せ始めている。今後なお曲折をたどろうが、当初予想を覆(くつがえ)し、同構想実現のための法改正の可能性はゼロではなくなった。

 明治以降、地域の在り方を決める法律や制度はすべて中央で決められ、地方はひたすら お願いし、従う立場である。近年は地方から積極的に政策提言が行われるようになり、地方分権改革の一環として「国と地方の協議の場」も設置された。しかし、中央に要望・陳情する地方の基本的立場に変わりはない。橋下氏の政治行動は、教育制度改革やハローワーク業務の移管要求なども含め「道理と自らの政治パワーで国と政党を動かす」という能動的なものであり、現行の統治システムに対する地方からの強烈な異議申し立てともいえる。実現できれば革命的といっても過言ではない。

 都構想の細部の制度設計はこれからで、法改正以外にも議会の決議、住民投票など幾つ もの関門がある。改革には既得権と「総論賛成、各論反対」のブレーキが常にかかり、任期中に構想を実現するには尋常ならざるエネルギーが要る。途中で挫折する恐れもあろうが、二重行政の弊害除去といった自治体共通の問題解決のため、国の制度変更を迫る革命的エネルギーが地域から生まれてきたことを評価しなければなるまい。

 「地方の時代」という言葉が一般的になり始めたのは1970年代のことである。革新 自治体が先導する形で自治体主体の社会づくりをめざした。国全体の動きになったのは、1995年に地方分権推進法が制定されてからである。機関委任事務は廃止され、国と地方は建前として「対等の関係」になった。

 それでも権限、財源の地方移譲はまだまだ不十分であり、「自治体の自主、自立性を高 め、個性豊かで活力に満ちた地域社会を実現する」という分権推進法の理念にほど遠い現実が続いている。

 民主党は「中央集権から地域主権へ」を政権公約に掲げ、地方の自主財源拡充や国の出 先機関の廃止、移管などに取り組んでいる。自民党も「地方こそ原点」と、地方分権の推進を強調してやまない。が、現在の政治にそれだけの決定力、突破力はあるだろうか。地方の陳情の仲介とか中央からの利益誘導といった次元を超えない限り、「国のかたち」を変えるほどの分権改革はできないと国民に見透かされたことが政党離れの背景にありはしないか。

 停滞感や閉塞(へいそく)感も漂う政官の現状に大阪から大きな一石が投じられた。そ の波紋がどう広がるか。他の自治体首長も単なる観客でいるわけにはゆくまい。