◇日蓮正宗と創価学会に対する識者の評価。
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第三文明12月号に掲載された識者の記事を以下に紹介する。(抜粋)
<環太平洋大学学長 梶田叡一氏>
人のために尽くす不惜身命の行動によって、自分たちの未来が開けていく。自分も他人も幸せになれる。それが創価学会が進めてきた運動であった。
ところが、宗門は、「僧侶の言うことを聞いて黙って供養していればいい」と考えていたのであろう。これは、日蓮が残したメッセージとはまるで違うものである。
宗門から破門されて、創価学会は僧侶抜きの「友人葬」を始めた。
これは非常に素晴らしい取り組みだと思う。
宗教的な権威を利用し金を集め、贅沢の限りを尽くす。そんな僧侶は、「宗教に名を借りた寄生虫」である。宗門は、学会のまねをして国際社会にへ進出しようとしたが、各地で問題を起こして撤退した。
何故か。僧侶と檀信徒の従属的な上下関係をそのまま輸出しようとしたからである。
そんな宗教が、海外でうまくいかないのは当然である。
<早稲田大学名誉教授 藤沼 貴氏>
大文豪のレフ・トルストイは、ロシア正教会の洗礼を受けていた。
日本にも檀家制度があったが、ロシア正教会の場合はより締め付けが強く、洗礼を受けなければ、誕生や結婚、また死亡の記録すら残らないものであった。
すなわち、誰もが生まれた時からロシア正教徒になるという時代に、トルストイは協会批判を続け、結果、ロシア正教会はトルストイに破門を通告する。
トルストイは、何より差別を嫌い、人間は皆平等だと考えていた。ゆえに、聖職者(僧侶)と信徒との間に差があるとは一切考えなかった。
このトルストイの教会権力との戦いと、創価学会が日蓮正宗から“魂の独立”を果たしたことは類似していると思う。
もし、トルストイがいまの時代に生き、創価学会が宗門という古い宗教権威を離れ、いっそう世界に飛翔したことを知れば、大喝采を送るに違いない。
<東北大学大学院教授 佐藤弘夫氏>
創価学会が日蓮正宗を庇護する在家団体の立場である続ければ、現在のような192ヵ国・地域に及ぶ世界的な広がりはなかったと思う。
創価学会は、日蓮正宗と袂を分かつことで今日の発展があったといえる。宗門から創価学会を破門したという形だが、宗門と離れる意義は大きく、結果として良かったのではないか。
教団というものを考えるとき、懸念しなければならないは、保守化していくということ。それが権威主義につながる。既成教団のように人を束縛させる方向でなく、心が輝く人を陸続と輩出し、それを支える組織でなくてはなならない。
創価学会がやろうとしていることは、一人が変わることで、やがては社会を変えていく取り組みだ。それを実践する創価学会員の一人ひとりが、さらに社会貢献することに期待したい。
<東京哲学研究所主任研究員 小林正博氏>
宗門は、“信徒の大量放棄”を行った。そして、宗門は、1990年12月以降、宗規を繰り返し改定した。その内容は、“法主絶対”を強引に制度化するものである。
信徒や僧に対する処罰事項を増大させ、総監から末寺住職までの任免権や財産に関する管理・処分の権限を、法主一人に集中させている。
創価学会と宗門の決別は、学会が権威の鉄鎖から解放され、思う存分に大きく仏法を語り広げていく段階を迎えたことを意味している。
日顕が「破門通告書」を送りつけた20年前の11月28日を「魂の独立記念日」と学会が呼ぶのは、そうした意味がある。
一面から言えば、仏法が説く生き方を実践してきた創価学会と、仏法を行じながらも低い価値観に執着してしまった宗門の違いが如実に表れたのが、この20年だったと思う。
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