きょうの社説 2012年1月3日

◎米国の桜里帰り 地域の国際化に新たな種まき
 地方発の夢のある国際交流が今年、新たに動き出す。高岡生まれ、金沢育ちの世界的化 学者、高峰譲吉博士が米国に贈った桜を、日本のゆかりの地に咲かせる「ワシントンの桜・里帰り事業」である。

 1912年の桜寄贈から今年で100年。春に約3千本の桜が咲き誇るワシントン・ポ トマック河畔は、桜まつりが盛大に催され、世界に名だたる桜の名所になった。そこから採取した「穂木(ほぎ)」を今春、石川、富山県などに植樹するのが桜の里帰り事業である。

 昨年公開された映画「TAKAMINE〜アメリカに桜を咲かせた男〜」でその逸話に 光が当たったが、日本の力を信じて日米友好に尽くした博士の生涯は、東日本大震災からの復興へ踏み出す日本の歩みにも通じる。地域の国際化に新たな種をまく意義も踏まえ、博士の偉業をあらためて振り返ってみたいと思う。

 タカジアスターゼ、アドレナリン開発など、化学者としての世界的な業績とともに、高 峰博士には国際親善の先駆者としての顔がある。日露戦争当時、米国はロシアびいきで、日本の評価は極めて低かった。博士は米国世論を日本側へ導くため、米紙に論文を寄稿し、日本が明治以降、模倣(もほう)を重ねながらも独創性を身につけ、科学分野などで飛躍的な進歩を遂げている実情を訴えた。

 さらに東京市を前面に立て、自費を投じての桜寄贈を計画、害虫による苗木焼却処分の 失敗を乗り越え、米国に桜を咲かせた。

 桜といえば、花より実(チェリー)を連想する米国で、この試みは樹木の輸出にとどま らず、桜を愛(め)でる日本文化の輸出を意味した。民間外交を駆使し、米国世論を動かした博士の原動力は、異国の地でさらに深まった「祖国愛」ではなかったか。

 日本文明を「受信過敏症」「発信不能症」と名付けたのは、民族学者の梅棹(うめさお )忠夫である。

 「日本人は他を理解しようという態度においてひじょうに謙虚であるが、自分を他人に 理解させようという点では、きわめて消極的である」(国際交流と日本文明)。それは、多分に鎖国時代の後遺症、とも語っている。

 いまの日本外交にも通じる手厳しい指摘だが、高峰博士はその対極にある、受発信のア ンテナを兼ね備えた類(たぐ)いまれな国際感覚の持ち主だった。その生き方は、国際性を備えた地域主義をめざす、郷土の明日への指針となる。

 ふるさとの偉人を通した国際交流では、台湾で烏山頭(うさんとう)ダムを建設した八 田與一技師(金沢出身)の先例がある。台南で「農業の父」と慕われた八田技師の墓参を、現地の人たちと金沢の有志が続ける地道な草の根交流から、定期航空便の就航、八田技師のアニメ映画制作、「八田與一記念公園」整備へとつながった。

 地域の国際化の大きな意義は、自分たちとは異なる世界を知ることによって、より広い 視野から足元を見つめ直し、地域を活性化することにある。世界的に活躍した偉人の顕彰は、そのスケールの大きな国際性ゆえ、国際交流の新たな地平が開け、郷土に埋もれた先進性や国際性を掘り起こすのだろう。

 地域の資源は、まさに人にある。偉人を中心とした国際化の展開は、高峰博士、さらに は世界的な仏教哲学者、鈴木大拙(だいせつ)にも期待できるのではないか。海外からの観光誘客や姉妹都市交流などが全国で展開されるなか、これは中央や他の地域がまねできない独自の国際交流のかたちといえる。

 ワシントンの桜まつりは今春、期間が2週間から5週間に拡大され、日米友好の多彩な 行事が予定されている。石川県からもゆかりの人たちが訪れ、新たな交流の一歩をしるす。桜寄贈から100年の節目は、国と国、首都と首都の関係で長く語られてきた桜の物語を、地域の視点に引き寄せて再構築する機会でもある。

 桜の里帰りは「無冠の大使」といわれた博士の思いを、ふるさとに移植し、交流の新た な花を咲かせることに真の意味がある。桜に、桜を超えた力を見いだしてきたのが日本人である。歴史や記憶を語り継ぐ、その不思議な力を借りながら、地域の国際化を根付かせる新たな一歩にしたい。