チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[30964] 【習作】Muv-Luv Inevitable
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/26 21:20
Muv-Luvの二次創作です。
他のサイト様に投稿していたのですが、あまりにも内容が薄いと判断した為此方のサイト様のチラシの裏に改訂したものを投稿させて頂きたいと思い移動しました。

素人なので文章が可笑しかったり、設定が間違っていたりするかも知れません。
もしそれでも良いと思った方はお読みください。
指摘して頂ければ直ぐに直したいと思っていますのでどうぞ宜しくお願いします。

ご指摘、批評、感想もお待ちしています。



[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第一話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 16:36
 見渡す限りの全ては黒炎に支配されていた。
 鮮やかな夕焼けに染まった朱色に滲んだ赤色が溶けて混ざって映し出される。

 そこは見るからに市街地であった面影が垣間見える。
 ボロボロに荒廃しようとも面影までは無くす事は不可能であった。
 人々が日常の営みを送っていたであろうごく普通の街。

 いまや一つの人影も見当たらず、瓦礫の山と黒煙が無常に佇んでいるのみ。









 Muv-Luv inevitable

 第一章 悲憤慷慨 

 第一話 









 見覚えなどない、知らない景色だなぁとぼんやり取り留めのない言葉を頭に浮かべていた。

 現状を整理しようとしても人間の核である脳が一切働かない、まるで自分の脳みそがグチョグチョにシェイクされてしまったかのようなのだ。
 それにしてもなんだか随分と高いとこから見下ろしているみたいだ、なんて、見慣れた自らの背の高さからの風景とは全く別物に感じていた。

 未だ睡魔から覚醒を果たしていない目を瞼ををしばたたくせる。
 俺は一体全体何処で力尽き、寝てしまったのか?



(―――昨日は宴会が終わった後どうしたんだっけか? えーと、確かタクシー捕まえてから……)

―――全く、思い出せん……。

 マンションのベランダででも寝ちまったのか、俺は。
 にしては肌寒くないな。
 この季節、夜間の外は極寒のはずだが……。

 うーんと唸り声を上げながら、手を組んで天高く突き上げる。
 すると腕からだけじゃなく背中からもバキバキと小刻みな音が鳴り、何となく肩が軽くなった気がした。
 筋肉こってんなぁ、あー無理な体制で寝てたのかね……。

 …………にしても凄かったなぁアレは。
 あー……何ていったけ? 
 ……ああそうだ……。
 
 ―――狂犬だ。

 まさかこの酒豪と仲間内から称される俺を意図も簡単に打ち倒すとは……。



 暫しの間、昨日の記憶の糸を辿りながら簡単なストレッチをこなす。
 そして後ろにあった背もたれに勢い良く乗りかかった。
 ……ん? 背もたれ?

「―――っぁえ?」

 抜け落ちていた現実感が一斉に戻ってくる。
 耳に入る無機質な機械音と断続的な地響き。



『CPから各戦術機部隊に伝達! 別働隊のBETA群は地下を移動し進行中だった模様! 再度武装と配置の確認を求む!』

(あ? 何だって?)

 ……可笑しいぞ。何処だ此処? 
 ……無線の声か? これって?

 ―――コックピット?

 瞬間、思考が停止した。
 もしやゲームの筐体にでも乗ったまま惰眠を貪ってたのか……。
 もういい大人が……恥ずかしすぎるだろうが。情けない。



『ラウンド大隊全機に伝達! 全員聞いていたな! 愛しの恋人共がお出でになるぞ! 残弾及び燃料を確認しておけ! 各機前線を維持し展開。その後は各機の判断に任せる!』

 隊長らしき壮年の男が突如眼前に出現し、喋り始める。
 ―――そして追随し何もない空間から何十個ものモニターが並び出した。
 白人。黒人。東洋人。
 様々な肌の色、年齢がバラバラな男女が真っ直ぐに此方を見据えている。

『『『『『『了解!』』』』』』

(……おいおい、ノリノリだなぁコイツら。 いい歳こいて戦争ごっこかよ)

 二日酔いの行為症からかズキズキ痛む頭を摩りながら一人苦笑を浮かべてた。
 久しぶりに浴びるように酒を飲んだからだろうか。
 ていうか正に浴びた。酒を頭から。

 ……にしてもスゲーリアルなコックピットだな、空中にモニター出現したよおい。

 ゲーセンの箱物筐体っていやぁ確かバルジャーノンだよな。
 あれってこんなに本格的だったけか?
 しかも物凄くハイテクチックな仕様ぽいし相当な金掛かってんだろうなぁ。

 ……まぁ随分ゲーセンやらの娯楽とは遠ざかっていたし、最近の技術の進歩ってやつは一概に馬鹿にできんと聞く……。

『―――佐藤大尉! 返信が無かった様だがどうかしたか?』

(……おぅ、先刻の隊長っぽい人に声掛けられたぞ。うーん一応ノリを合わせないと失礼だよなぁ多分)

「―――いえ、隊長! 此方は特に問題有りません」

『そうか。了解した―――貴官には期待しているぞ』

 ノイズ混じりの無線が途絶え眼前に映っていた画面ウィンドが同時に消失した。

(はぁーすげぇな。最近のゲーセンって)

 おおかた酔っ払ってゲーセンに迷い込んだのであろうか? 
 考えたくもないが若くして夢遊病かね。
 ……はぁ、歳は無駄にとりたくはないなぁ。

 にしても何故ゲーセンでしかもバルジャーノンか……。
 いや、高校時代はよく入り浸っていたしなぁ。……昔の習性かねぇ。

 欠伸を二度繰り返し、何となく今自分が置かれている状況を理解し始める。



(えーと多分コレが機体本体の操作用でコレが武器のトリガーっと)

 ―――スラスラと難なく機体の操作方法が頭に浮かんでくる。
 どことなく違和感を感じなくも無いがきっと昔の記憶が蘇っているんだと納得しとこう。
 さっきから碌でも無い考えしか浮かばないし。

 昔遊び親しんだ型遅れのバルジャーノンに近い構造で流石に基本的な操作方法までは一新されてないみたいで助かった。

『―――大隊全機傾注! ……箱舟は無事飛び去った。我らの任務は遂行されたも同然である。残すはバビロン作戦のみだ』

 恐らくチーム戦の前哨戦があったらしい。
 良く周りの機体を見渡すと全体的に装甲や部位が破損しているモノが多い。
 ルールは持久戦とかなのだろうか?

『―――貴官らは地球を救いし英雄として語り継がれるであろう。 いいか最後の命令だ。―――必ず生きて帰還するぞ』

 ―――俄に地鳴りが激しくなる。一段と決定的に。

 今しがたまで瓦礫しか一望できなかった地平線が徐々に歪に蜂起していく。
 その様は黒い津波が押し寄せているようだった。

 ―――ここは海上では決して無い、然らば海が見渡せる浜辺でも無かった。



(……おいおい懐かしの青春の1ページが間違ってなきゃ、バルジャーノンって対人ゲーじゃ無かったけか……)

 ―――彼は知る由もない、コレがゲームの範疇に当てはまる事など永遠に訪れはしないと。

『―――っ総員、突撃ぃぃぃぃいいい!!!』

 一切の乱れの無かった隊列から一機また一機と黒い津波を目掛けて我先にと駆けていく。



 ―――補給は十分では無い。
 拠点防衛を主に戦闘を繰り広げ、予備の弾倉も使い切っていた機体が大半を占めていた。
 退路は途絶えまさに背水の陣であったのだ。
 ならば答えは近接戦闘だ。
 残された武装を使い生き残る道は片道切符の突撃しか彼らには選択肢は存在しない。






「……っと不味いよな、一人だけ静観なんて。期待通りに空気を読むかね……。んじゃまーいっちょ行きますか!」

 足元のペダルを思い切り踏み込み跳躍ユニットを最大点火、瞬時のうちに視界に映る映像が次々と加速度的に後方に流れていく。

「っうおぉぉぉ!!!」

 機体制御などのお構いなしの変態加速は相乗的にコックピット内に掛かるGも増大させていた。

(こ、こんな所も無駄にリアルなのかぁぁぁぁああよぉぉぉおお!!!)

 ―――本来対BETA戦での戦場では飛行は恙なく死に直結するモノである。
 原因は光線級といわれるレーザー属種、高度1万mの標的に対し有効射程距離は30㎞。
 決して味方誤射はしない。
 正確無比な射撃に人類の叡智の結晶たる戦術機も敵いはしなかったのである。

 ―――この時辛くも運は味方をした。
 幸運にも現在の戦域には光線級は存在をしてはいなかったのである。



 高速噴射跳躍を繰り返しながら黒く染まった津波に近づくにつれ、その正体が図らずとも視認できていく。

 ―――それは【化物】であった。
 折り重なりながら我先にと進む姿は餌に群がるようで、意志がない人形の様に見えながら生々しい造形がそれを打ち消していた。

 歪な形をした奇形生物。人間が見て生理的に受け付けられない物体。

 彼は―――佐藤陣は―――コレの正式名称を知らなかった。

 だから【化物】としか表現出来なかったが、それは人類が皆抱く正常な認識でもあった。


 異星起源種。

 BETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race―――『人類に敵対的な地球外起源生命』

 それがコレの【化物】の正体である。



「―――っ気持ち悪りぃんだよぉぉぉ!!! 化物がぁ!」

 理由なく震えだした指を無理やり押さえ付け、トリガーを引き絞った。
 自らに今一度摺りこませる。認識を。コレはゲームなのだと―――。

 撃鉄は落とされた。

 機械の金切り声を上げて87式突撃砲の砲身を伝い劣化ウラン弾は前方に鎮座する【化物】目掛けて余すことなく叩きつけられていく―――。









 せわしなく視線を全周に巡らせながら、大きく息を吐き出す。

 不気味な化物共との交戦も漸く一段落ついた所だった。

 何度か危ない場面があったがその尽くは直感的に判断し肉片に変えていった。

 例えば蟹の化物は後方から出ていた顔らしき部分を徹底的に狙い撃ちし、甲羅を被ったような化物はがら空きである背後からの攻撃に終始し戦闘を重ね。
 同時に対BETA戦の戦術を構築していったのだ。
 他にも多数小型の化物が襲いかかってきたが遠距離からの掃討を念頭に置き距離を取り纏めてあしらっていた。

 ―――この殆どは対BETA戦に於ける基本指針である。
 要撃級の尾節に当たる顔は感覚器を成しており、此処を破損した要撃級は戦術機の正確な位置を知るすべが失われる事になる。
 突撃級も全面に展開する装甲殻は現存するBETAの内で最大の防御力を誇る。
 しかし反面突撃しか攻撃方法が無いため機動制御能力、特に旋回能力が低い。結果これを打ち倒すのならば背後に回りこみがら空きの背への攻撃が常套手段となる。
 小型種への対応も言わずもがな、近距離でやりあったのならば手こずるのは必至であるが遠距離からの面制圧が効果的である。



 通常ならば実戦に赴く大多数の衛士は生き抜く事だけに専念し命からがらそれを達成できるレベルなのにだ。
 ―――異常であると断言できるであろう。

 機体の動きに伴う振動にもある程度の免疫があったのも大きい。
 通常ならば正式な訓練を受けなくてはならないものであるが、彼の日常には車や電車、果てはジェットコースターなるものがある為必然的に戦術機の酔いに慣れいていたのだ。

 そして彼はまた一つ幸運に恵まれていたのだ。
 天才的な空間把握能力、それは射撃能力を飛躍的に上げることに繋がっていた。
 モノを立体的に捉えるこの能力もある程度は経験でカバーできる。
 しかし一番最初に衛士が手こずるのは敵との距離感である。
 いくら訓練で経験を積んだとしてもそれは実戦になれば霧のように胡散してしまう。
 結果、この世界にはある言葉が衛士の間で語り継がれている。
 
 【死の8分の壁】と。



 とはいえ安堵の息を吐いてばかりでもいられない状況であった。

 故意では無いにしろ遭遇したほぼ全ての敵を弾薬を消費する攻撃方法をとってしまった。
 ―――現在残弾総数はおよそ戦闘開始時と同じ数を安全に遠距離で相手にするほどの余裕はあるはずがない。
 勿論近接戦闘で此処までの損傷率を成し得たかと言えばそれはNOと言えるであろう。
 ただ闇雲にトリガーを引き絞るのと化物と近距離でランデブーは次元の違う話だ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 体の疲労も限界が近い。
 たかがゲームの遊びだと楽に鷹を括っていたのが地味に効いていたのだ。
 体への負担を一切考慮せずに跳躍ユニットを使用し縦横無尽に駆け巡りすぎた。
 無論その分の推進剤も使いきってしまっている。

 額に滲んだ汗が頬を伝い滴り落ちていく。
 ―――休んでばかりではいられない。
 今この時さえ敵は己の周囲をとり囲んでいるかもしれないのだから。



(……はっ、何ムキになってんだか……)
 
 疲れたのならさっさと辞めてしまえばいいだけだ。
 そう所詮は唯のゲームである。
 そう止めてしまえば……。

(―――くそっ、何で途中で切り上げらんねぇんだよ)

 コックピットを見渡しても何処にもそれらしきボタンが見当たらなかったのだ。
 ならば無理やり強制的にコックピットをこじ開けて降りればいいじゃないか―――それは取り返しが付かない気がしてどうしても躊躇してしまう。
 人間としての本能がそれだけは絶対に止めろと耳元で囁いているのがハッキリと聞こえているのが分かる。
 
 現実的じゃない。
 んなことはわざわざ言われなくても重々承知だった。



 すると残される最後の手段。

 ゲームクリアか。

 ゲームオーバーか。

 どちらかの二択問題。



 先ほどから戦闘の合間に起こっていた小休憩は殆どをこの考えを決行しようとし、そのすんでのところで取りやめるの繰り返しであった。

 思考の泥沼に入ってしまった感覚。

 知らずに悔し気に唇を噛み締めていた。



「―――!?」

 ―――唐突に背筋が寒くなった。

 いいようもない怖気に襲われたのだ。
 体中の毛が逆立つ。

 ―――何かに後ろから見られてる?



 次いでコックピット内にけたたましいアラーム音が鳴り響く、網膜投影には赤い矢印で右方向からの敵の接近を告げていた。

 素早く近接戦闘に移らなくてはいけない……。
 一瞬の軽巡の後、片手に突撃砲を持ち替え残った右腕で前腕部のナイフシースから65式近接戦闘短刀を取り出した。

「―――っおぉぉらぁぁぁあああぁぁぁ!!!」

 この間約三秒、数時間の内に得た戦闘経験を生かし積極的に近距離武装を使用。

 ―――比較的汎用性に優れる長刀では無く範囲の短い短刀を選択したのは、愚行に当てはまらなかった

 ―――ただ、そう直感したのだ。



 しかして予知する事柄は外れる事は無かった。

 下半身のバランスを保ちながら絶妙に上半身のみを横に回転させた瞬間、視界に入ったのは戦闘中何度か見かけた赤い蜘蛛の造形をした化物、戦車級であった。

 口元に嘲りの嘲笑を浮かべているかのような赤蜘蛛は周囲に散乱していた要撃級の死骸を足場にして個体では実現不可能な跳躍を成し遂げていた。

 ―――異様な落ち着きを抱きながら冷静に推察できたのは視界一杯に広がる戦車級がとても滑稽に見えたからだ。
 戦車級は腹部の口を大きく開け放ち今か今かと獲物が食いちぎれる瞬間を待ち得ていただろう。
 だが残念だ、空中を浮遊していたら―――逃げ場は無いだろう?

 意趣返しに口元を三日月に歪め、一切の戸惑いをせず勢い良く短刀で赤蜘蛛の胴体を横払いに斬りつけた。
 静止していた化物は綺麗に真っ二つにされながら濁った体液をまき散らし化物の残骸が横たわる地面を転がって―――。









「―――っくそがぁ! この茶番はいつになったら終わんだよ!」

 きつく拳を握り感情のまま乱暴に振り下ろす。

 ―――コックピットの中は静まり返り機械音が鳴り響く。
 自らの息遣いも酷く苛立たしく感じてしまう。

 随分前から酔いは覚めていた。現実感が伴っているのが嫌にでも分かってしまうのが恐ろしく、思考を停止させて余計な事は考える事をやめていたのだ。

 だが限界だった。何時まで我慢すればいい?
 ゆうにもう数時間は経っているだろう?



 ―――時は満ちたよ。



「―――っ……何だアレ?」



 赤く染まった空は夕焼けを艶やかに。

 ―――朱色に染まった雲が避けるように空が割れた。



 ―――さあ。幕を上げましょう?

 2001年 12月24日 午後5時25分 日本 ――― ―――









 2001年 11月26日 午前6時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室

「―――ぁ……夢、か」





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第二話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 16:15
「―――ふぁっ」

 鏡に反射して映るのは精悍な顔付きの美丈夫―――などではなく、瞼が重そうでボサボサの寝癖がトレードマークの己自身だったりする。
 現実は時として非常なモノである。生まれ落ちての顔の造形は決して変わることはない。
 ……まあ整形手術なんて代物が乱雑に有るのが昨今の世界情勢であるのだけれども。

 
 一際大きな欠伸を掌で隠すことなくかまし、洗面台に備え付けられているバルブを捻る。

「っうぉ。冷たっ」

 ―――と銀色の蛇口から冷たいというか凍えるような冷水が勢い良く流れだした。

(あー。……メンドイからこのままでいいか)

 わざわざお湯を沸かすのも面倒なので少しばかりの覚悟を持ち顔面目掛けて一思いに水を掛けてやるのだった―――。









 Muv-Luv Inevitable

 第一章 悲憤慷慨

 第二話 









 2001年 11月25日 午前7時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室

 チンッと小刻みな音を立てトースターから食パンが顔を覗かせる。
 科学の進歩はすげぇなと思いながらこれまたインスタントなコーヒーの入ったコップにお湯を注ぐ。
 そうしてバターを塗り下った熱々のトーストに齧り付きながら新品のソファーに腰掛けた。

 この時間ならめざめるテレビが放送中だなと適当にチャンネルを変えていくと。

『―――御剣財閥は来年を目処に中国進出を計画し専門の現地法人を設立することを……』

 佐藤家定番の朝番組は日本を代表する財閥のニュースを取り上げていた。
 なにやら世界市場の動きを見ていち早く中国進出を試みているらしい。

「―――ふぅ。やっぱり美人アナウンサーは朝一で見ても可愛いよな~」

 まあこの男。んなことには一切興味は無いらしいが。

 これでも一応は経済学部在籍なのだ。



 時節は冬、12月の暦に入ろうとする直前である。

 年の終わりである12月を前にして人は皆、今年の精算を完遂すべく四方に忙しなく走りまわる季節。

 学生ならば進学の道か、若しくは社会人への道か。
 そんな季節。

 彼―――佐藤陣は学生のカテゴリーに振り分けられる立場である。
 大学二年生、しかも12月。
 たいがいの学生ならば己の人生の指針が決まりきっている筈であるが。

「……教育実習生ねぇ」

 呟きはテレビから流れてくる陽気な音楽に打ち消され、スクリーンには本日のわんこのテロップが踊っていた。



 白陵大付属柊学園。
 神奈川県横浜市柊町に位置し神奈川県有数の進学校として有名高等学校である。
 白陵大学へのエスカレーター式の学校であり、抱える生徒数が多いのも特徴の一つに挙げられる。

 まあ何故んな説明を突然始めたかと言うと要するにソコに教育実習生として行くんですよね。俺。



 発端は正月に毎年行われる定例親族会議。

 大学卒業が近づいてきた俺は年に一度の会議で自らの進路を公言せにゃならず。
 未だに進路を決めかねているそんな俺に両親が業を煮やしたらしい。

 ぶっちゃけ大学院にでも進んでまた暫く学生ライフをエンジョイしようかとも画策していたんだけれども。

 ともかく紆余曲折あり、俺は両親の兄が経営する学園に教育実習生として駆り出される事になった。

 俺からみたら叔父に当たる、佐藤剛拳というお人。

 健全なる精神は研磨された体に宿るが信条の少し頭がお固い御仁。
 現代っ子な俺にしちゃ相当に相性の悪い人だ。



 何故それで教育実習なのかというと子供時代に「俺は先生になるんだー!」なんて考えて行動して周囲から神童扱いを受けるほどに勉学に没頭していた黒歴史なんかがあるんだが話が長くなるのでまた今度って事で。



 …………分かったよ話しますよ。
 あれですかCMとかで続きはネットでとかは嫌なタイプですか。



 簡単に話を要約すると昔、小学生時代に担任の教師に惚れていて、その人に褒めてもらいたくて勉学に励んだ時期があったり無かったりした事を伯父さんが覚えていたらしい。
 勿論女性であった。子供心に本気で美人だと思っていたものだ。

 伯父さん曰くもう一度本気で教師を目指してみてもいいのでは?
 だそうで。
 その頃の俺が忘れられないらしく、伯父さんは俺を気にかけてくれているんだとか。

 ……黒歴史でも今となってはいい思い出だけどな。



 おおう、そろそろめざめるテレビが終わる頃か。
 ―――どうやらいい時間のようだ。






 雀の鳴き声が耳に心地良い清々しい朝を迎える。
 伯父さんの学園までの道程はマンションからさほど遠くはないので教育実習生の間は徒歩で通勤することに決めていた。
 東京の大学に通うときはいつも満員電車にすし詰めだったので新鮮かつ、とても開放的で大変宜しい。

 話は変わるが俺の実家は東京にあるため、この街に暮らすにあたって伯父さんがなんと部屋手配してくれた。
 しかも家具付きだ。
 まるで某レオ○レス並のサービス精神。

 去年建設が終わったばかりという高層マンション。
 二日前から寝泊まりしている一室だ。

 たかがそこいらの大学生が借りれる家賃では無く。
 それを無料で貸し出してくれる辺りは流石あの叔父としかとしか言い用がないがな。

 ……あの性格で無けりゃ結構好きな部類に入る御人なのに。

(……まあ俺がどうこう言ったって性格は変わらんか)

 一ヶ月間という短い期間だが一応任される仕事は出来る範囲で全うしよう。
 せっかく身の回りの世話まで見てくれてんだしな。



 学園までの道程を一つ一つ確認しながら歩道を歩いて行く。
 下見はまだ一度くらいしか行ってはいないからか少し記憶があやふやな感じだ。

(えーと。確か前方に見える交差点を右に曲ってっと)

 ―――見晴らしが悪いコンクリートの壁に囲まれた路地の道路。
 聞いていた話では歩行者ばかりで車などは余り通らない場所らしい。
 ……はずなのだが。

「―――って。マジかよ、あれリムジンじゃねぇか」

 下町な風景には似合わない高級車が信号待ちをしている姿が。

 赤信号が青に変わる。

 黒光りのするリムジンは颯爽と道を曲って―――。

「……は?」

 ―――曲って、曲って、曲って行く。
 いつまでもいつまでも車体が途切れることが無い。

 数十秒の時間を掛けて車体を旋回させながら姿を消して行った。

 (って言うか、胴体長っ!!!)

 明らかに壁を突き抜けていた様に見受けられた。

 だってどうやって曲がったんだよ。

「―――物理法則をぶち破ってなかったか今の」

 交差点には唖然とした顔の男が一人取り残されていたとさ。









「―――お久しぶりです。剛拳伯父さん」

「―――うむ。久しいな、前に会ったのは去年の親族会議以来かね」






 待ち合わせに指定された学校の玄関ホールで俺を待っていたのは叔父の秘書らしき眼鏡の似合う美人さんだった。
 挨拶も程々に案内されたのは一際厳格な風格を放つ一室。
 顔を上げると予想通りの文字が。
 ―――理事長室。

 部屋へと通された俺は久方振りに叔父と再開していた―――。






 高級感漂うアンティークが施されたソファーへ座るように勧められ叔父と向かい合う形で席に着く。
 
 ……もしかして物凄く高い物に座っているんじゃなかろうか?
 落ち着かないな。慣れない空気に圧迫されそうになる。

「まあ茶でも飲みながら話をしようか。お主も聞きたいことが幾つかあるだろう」

 後ろで控えていた秘書さんはいつの間に用意していたのかお茶を二つお盆の上に持っていた。

 見惚れるような動作で目の前のテーブルにお茶を置き、「何か御用がありましたらお呼び下さい」と早々に退場していった。

「……ご配慮ありがとうございます」

 取り残された俺に張り詰めた空気が肌を刺す。
 二人になり尚更だ、伯父さんと会話するときのコレはいつもながらに慣れないな……。



「ではまず簡単に今回の教育実習について説明しようか」

 ―――ことのあらましは両親から聞き及んでいた通りだった。
 未だ進路が定まっていない俺について両親から相談を受けた叔父は自分の学園で暫くの間預けてもらっても構わないと薦めたそうだ。
 もし教師になることが嫌だとしても誰かに教えるという経験は決してこれから無駄にはならないと重ねて言い含めて。
 両親も叔父の性格は良く知っているため、快く任せることにしたそうだ。

 ……にしても無責任な親だこと。



「……ざっと説明するとこんな所か、一応教育実習と銘は打っているが大学の冬休みの時間を削るのだ。仕事に対する報酬は払う。衣食住も一切の心配は必要ない」

 衣食住に関しても驚いていた所だったがまさか報酬まで用意してるとは……色々と出来ている御仁である。

「して陣、お主から何か質問はあるか?」

「……それでは一つだけ宜しいですか」

「うむ。答えられる範囲であるなら話そう」



 ―――この話を聞いた時からずっと疑問が付き纏っていた。
 何故ただの親戚の子供に対しここまでの配慮をしてくれるのか。

「叔父さんは何故私にそこまで肩入れしてくださるのでしょうか?」

「…………」

 ―――なんの前触れもなく凝然と見つめられた。
 片時も視線を外さず此方の奥の奥まで見通すかのように。






 一体何分経過しただろうか。
 もしかしたら何十分かも知れないし、数十秒かもしれない。
 時が静止したかのような感覚に陥っていた。
 時計が進む音だけが耳に残っていた。

 異様な迫力に飲まれそうに幾度もなったがその都度に自らを鼓舞した。
 質問をしたのは此方で応えるのは向こうだ。
 なら此方が非を感じることは決して無い。

 これは―――数少ない自分の中の固定されたルール。
 ……いや教えか。



「―――っふ、それよ。それが答えだ」

「……はい?」

 硬直がいつの間に溶けていた。
 張り詰めた空気は胡散し叔父から唐突に声が掛けられる。

 ―――先ほどまでとの雰囲気とはうってかわり懐かしいモノを愛でるような顔し失笑を零していた。

「……変わってないという事だ陣よ。お主の根幹を成す部分の表面は時の移ろいと共に変質したのだろうが、その奥底に一切の陰りは見えん」

「……はぁ」

 全く雲を掴む如くに話が把握できないが、この話は決着したと言いたげに叔父は腰を上げた。
 そうして日差しが差す窓の近くまで歩み寄って行くとおもむろに胸ポケットからタバコとジッポーを取り出した。

 立派な装飾が誂えてあるジッポーがキンっと音を立てる。
 火花が散り、一瞬で上がった火柱にそっとタバコを近づけた。

「……なあ陣。子供とは無限の可能性を秘めている。最も人間として輝きを放つ期間だと儂は思っている」

 ―――っ何処かでそれ……。

「これからの時代に飲まれ行く事になるのはこれからの子供たちだ。教師とはその子供たちをより良い方向に導く存在でなくてはならん」



 ―――思い出は風化しない。
 鮮烈に彩られた記憶は尚も輝きを放ち続けている。

【―――ねえ。ジン君? あなたは―――】



「―――短い期間になるかもしれんが、今から体験するこの道も人生の一つの選択肢として考えてもらえれば嬉しい」



 そんな親しげな笑みを浮かべた叔父が無性に【先生】の姿と被って見えたんだ……。



 2001年 11月25日 午前9時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第三話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 16:16

 教育実習制度。
 教育職員免許法に基づき、教員免許状を取得しようとする者が、必要単位取得の一部として学校教育の現場で実習授業を行うこと。
 ―――日本国語大辞典抜粋






 実習授業。
 然らばたかだか学生の身で、なんの経験も無く授業など可能であるのか?
 ―――否。
 ともすればまず、見本と成り得る現場の教師と共に環境に慣れるからことから入ることが大多数の学校で取り入れている方式である。

 無論。俺もその方法の対象から漏れる事はなかった。

「―――初めまして私、白陵大付属柊学園で教職につかせて頂いている神宮司まりもと申します」

「―――ご紹介に預かりましてありがとうございます。佐藤陣と申します。若輩者ですがどうぞ宜しくお願いいたします」









 Muv-Luv Inevitable

 第一章 悲憤慷慨

 第三話 前編









 2001年 11月25日 午前10時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学



 叔父との会話が一段落した所で話題が変わり始めた。
 なんでも来週から始まる教育実習に関する監督役とやらを紹介したいそうだ。
 丁度今、秘書さんが呼びに行っているらしく暫し待てとの仰せだ。

 ならばついでとばかりにすっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干す。
 ―――喉の渇きを癒す為、すっかり叔父との話で体の水分が飛んだ。
 緊張と緊張と緊張により、だ。

 落ち着き払った手つきで湯呑み茶碗を置く。
 喉の渇きを潤しながら、一体何者が現れるのか心の中では全く落ち着かない心境だったりする。
 実際は。



 数刻の間を置いて部屋の扉が三回程規則正しく叩かれた。
 どうやら漸く―――客人が来られたようだ。

 叔父がどうぞと声を上げると同時にゆっくりと扉が開かれる。
 ―――叔父と二人っきりであった室内に新たな来訪者が訪れる事になる。
 例の如く全くと言っていいほど微塵も存在感を感じさせない秘書さんと、もう一人見知らぬ姿がそこにはあった。

 淡い栗色の髪色をした長髪の女性、髪型はストレートではなく、くせっ毛なのだろうか? 
 少しウェーブのかかった髪は腰の辺りまで伸びている。
 ぱっと見た印象は普通の優しいお姉さんと言ったところだろう。
 しかし流石に現役の教師らしく心の奥底まで見透かすような聡明な瞳で俺を見つめていた。

 そうして冒頭の挨拶にたどり着く。



「彼女がお主の教育実習中の世話をしてくれる神宮司まりも先生じゃ。こう見えて中々のやり手でな、授業風景を見ながら、教師とて人間として近くで見て色々と良い所を盗むと良い」

 まるで自慢の娘でも紹介するかの様に声高らかに紹介を始める叔父が意外に思えた。
 決して気軽には人を称える事はしない事を俺はよく知っている。
 きっと相当この神宮司先生を信頼しているんだろうな。

「あはははっ。そんなに凄い訳じゃないですよ。理事長先生は大袈裟なんですから」

 気さくな笑みを浮かべながら俺の方を向く。
 そして自然な動作でそっと手を差し出された。
 ―――ああ、握手か。

 差し出された手を確りと握り返し友好の証を立てる。
 ……やはりというか女性らしい線の細い柔らかな手だった。



(どうやらこの人となら何とか上手くやっていけそうだ)

 頭の中で少々の打算を思い描きながらこれからの生活に一応の安心を得ることに成功した。
 どんな人物かと戦々恐々としていた割にあてがわれた監督役は優しそうな女性と来たし。
 意外に楽観視していても大丈夫そうだ。
 ……叔父の学園だからといってこんなむさくるしいおっさんばっかりじゃないよな。
 やはり戦場に一輪の花は必要不可欠だ。



「―――それでは理事長先生。予定通り最初に校内を案内しようと思うのですが……」

「うむ。お任せしますぞ」

「はい。―――では佐藤先生。私の後ろを付いてきて下さい。まずは学校内の説明からさせてもらいたいと思います」

「はい。宜しくお願いします」







 理事長室を二人で出て、まずは白陵大学から白陵大付属柊学園に移動する運びとなった。
 まあ説明する事も無いだろうがこの2校は一貫校として確立されており、高校と大学のキャンパスを離れた別の場所に設立しているのだ。
 といってもそこまで距離が離れている訳ではなく、精々歩いて10分圏内であるのだが。

「佐藤先生。それではまず駐車場に向かい―――。」

「―――あ、すいません神宮司先生。少し宜しいでしょうか?」

 ―――失礼と思いながらも神宮司先生を呼び止めた。
 ……やはりお願いしよう、何だか落ち着かない。

「はい?何でしょうか?」

 振り返りながらも確りと此方に向き直ってくれる。
 ……どうしても許容できない事がさっきから気になって仕方なかった。

「……その申し訳ないのですがその自分を【先生】と呼ばれるのはご遠慮させてもらいたいのです」

 自分勝手な言い分だと思う。だけれどどうしても許容できない。
 ―――憧れは遠く、現実は近い。

「……なるほど。理由をお聞きしても宜しいですか……?」

 此方の真剣な雰囲気を感じ取ってくれたのか、先程のほんわかな面持ちとは打って変わって真面目な応対をしてくれる。
 瞬時に真摯な態度で話を聞いてくれるのは流石、切替が早い。
 子供の手本である教師をされていると言えるのだろう……。



「―――その、自分は未だにその様に呼ばれるような立場の人間では無いと思います。ですので出来れば自分の事は名前かもしくは苗字でお願いしたいのですが……」

 ―――今の俺が【先生】と同じ立場だとは決して思えない、そう呼ばれるのは本物の教師だけだ。俺みたいな中途半端な人間が語っていいモノじゃ……。



「……佐藤陣さん。貴方はその言葉を本気で仰られておられますか?」

 ―――駄目な生徒を起こるかのように優しい叱責が飛んでくる。
 それは怒っている顔ではなく、まるで……。

「……はい。自分は未だ一介の学生として―――」

「違います。佐藤陣さん。貴方はこの学園に留まっている間、学園に在籍する生徒たちにとっては何ら変わらない一人の先生なんですよ?」

 足音が近づいてくるのが分かる。
 俺は下を向き、寂しげに地面を見つめる事しか出来無い。

 ―――正論だ。当たり前だ。コレは遊びじゃない。仕事だ。

「私がもしもそれを承認するとしましょう。でもそれと同じ事を学園の子供達に強要なさるのですか?」

 っ―――そうだ、何でこんな事を言い出したんだ。
 今俺は教育実習に来ているんだぞ。
 ……馬鹿でも分かるじゃないか、生徒達から見たら一人の教師に見えるんだから……。

「……すいません、軽率な発言でした」

 餓鬼じゃないんだ。もう。



「―――もう何て顔してるんですか」

 ―――むにっと両の頬を引っ張られる。
 ああ―――多分物凄く情けない顔をしてるんだろう。

「まずは慣れましょう。先生と呼ばれるのを。きっと尊敬する教師に出会ってきたんですよね? まあ教師を目指す人間は大抵が恩師に影響を受けて、ですからね」

 無理やり両の手で頬を引っ張られ顔を前に向かせられた。
 ……そこには小声で「とか言っている私も何ですけどね」なんて舌を出しておどける神宮司先生の顔があった―――。






 少しばかり肌寒い風が頬を撫でる。
 靴を履き替えて外に出た俺達を待ち構えていたのは、やっぱり冬らしさ溢れる寒い風。

 首元が疎かな服装な為かブルッと体が震えクシャミが出る。
 ……明日からはマフラーでも巻いてこよう。

「―――すっかり冬ですね、此処ら辺は海が近いので風が冷たいんです。佐藤先生も寒さ対策はしっかりしておいた方が良いですよ?」

 クスクスと上品そうに笑いながらさもお姉さんらしく豆知識を教えてくれた。

「アハハハ、気を付けます。……そうだ神宮司先生。学園までそれなりに時間を持て余すと思うので担当するクラスや学園の情報を掻い摘んでお教えして貰っても差し支えないでしょうか?」

「う~ん、……そうですね。別に車内で世間話でもしながらと思ってましたが、佐藤さんがそう仰るのでしたらそうしましょうか」

 口元に人差し指を持って行き考えてますよ~なポーズを暫し取った後「勉強熱心なんですね」と笑いかけてきた。
 本当に表情豊かな人だ。



「そうですね、まずは担当するクラスから教えます。私の担任でもある3-B組が教育実習の担当になります。まあ基本的に良い子ばかりですから大丈夫ですよ!」

 本当に一切の心配は要らないと誇るかのように説明を折り交えながら談笑をしていた。

 そんな日常の断片。



 忍び寄る脅威に気が付くことも無し。
 襲いかかって来るのだ。
 背後から……。

 真っ赤な塗装の施されたストラトスが―――。

 …………っえ?












 二つの豊満な球体が顔に押し当てられる。
 男のサガであるのか、否応ない幸福な感覚に陥ってしまう。
 柔らかくもあり、母性的な象徴でもあるソレを堪能できるのはとても嬉しい事なのだが……。
 ―――まあ時と場合に寄るものだ。






 瞬間、咄嗟の判断でどこぞのジャッ○ー・チェ○顔負けのスタンドプレーを敢行した。



 和やかな雰囲気をぶち壊す高速の魔弾を予知できたのは、いつもの幸運に助けられたから―――てな訳じゃない。
 ……物凄いけたましいエンジン音が後方から聞こえてきたら誰でも気がつける……。
 しかも恐るべきは前方に人影が見えたなら一般常識的にブレーキを掛けて減速を試みるのが普通の対応だが……。

 ―――轢き逃げ犯様が一切の迷いもなく直進してきやがったのだ。



 結果として怠慢に後ろを振り返って唖然としていた無防備な神宮司先生を無事に助ける事に辛くも成功。
 幸いな事に走馬灯を見る事は無かったが、人生初のスローモーションを体験しました……。
 真面目に命のギャンブルだったと思う。
 賭ける代償はたった一つの命、報酬は自分達の生命。
 
 ……全く割りに合わねぇ……。



 そんな現実逃避な馬鹿らしい思考を吟味していた俺は現在進行形で新たな脅威に襲われそうになっていた。

 覆いかぶさる様な体制だった為、眼前に顔色が真っ赤な女性がフルフルと震えている様がまじまじと確認出来てしまう。
 うん。柔らかい感触を堪能したのだ。悔いは無い―――。
 世の中何事も等価交換で成り立っていると昔何かの漫画で見かけた事がある。

 察するに怒りによるものだろう。
 だって、視界の隅に映る握り拳が俺の顔面へ一直線に弧を描いていたのだから―――。






 赤い塗装のストラトスが急ブレーキを駆使しスリップしながら荒業で止まってみせた。
 ……もっと早く止まれよ。前方20メートルは過ぎてんぞ……。

 コンクリートの舗装が施された道に煙を上げながらタイヤの跡がハッキリと浮かび上がっている。
 一体時速何キロで走行してやがったのか、全く想像できない。

 赤く腫れ上がった頬と痛む顎を摩りながらこの惨状を創りだした張本人目掛けて抗議の視線を向ける。
 ―――一体何者による犯行なのか?

 此方の視線に気づいてなのかは解らないが、未だにスポーツカー特有のエンジンの甲高い音を響かせるストラトスの運転席が開け放たれた。



「―――あら~。ゴメンゴメンまりも~。本当だったら颯爽と登場して寸前で華麗に横付けで止まる予定だったんだけどね~」

 派手そうな服装の女が悪びれそうな様子が一切無く登場しやがった。
 ストラトスと相まってとても高慢さがにじみ出ていた。

 ―――赤が似合う情熱的な存在感に溢れている。
 まさに自由奔放を体現しているかのようだ。
 ……っけ火傷しそうだ。

 ……まあ神宮司先生に劣らず物凄く美人なのが少し癪だった。
 何せ元来男は美しい女に弱い生き物だから。
 かくいう俺もだったりするがね。



「……夕呼ぉぉぉ!!! 何してんのよ~! 本当に死ぬかと思った~!!!」

 登場人物の顔に見覚えがあるのか、名前と思われる言葉を発しながら犯人に突っ掛かりに。
 怒っているのか、泣いているのか分からない顔をしながらだが。

 ……俺のせいでもあるのだろう。きっと。
 乙女な思考をしているのが新鮮に思えた。
 ―――昔から雑句把覧な女性しか知り合いに居なかったので尚更。

 相対する犯人は面白可笑しく笑いながらあしらっているのが分かる。
 見るからに力関係がハッキリしていた。
 ……もしかしてあの二人は知り合いなのだろうか? ……まさかね。
 ―――でも名前で呼び合ってるような……。



「何で急に後ろから突っ込んでくるの~。危なく轢かれる所だったのよぉ~」

 たばたばと涙を零しながら必死に抗議を繰り返す。
 ショックでもう一人この場に存在するのを完全に忘れているのだろう。
 先ほどまでの威厳など微塵も感じさせない風体を無残に晒していた。

「まあまあ。いいじゃない。結果オーライよ。というか何時までも帰ってこないアンタが悪いんじゃないの。しかも心配して様子見に来れば……」

 ―――蛇に睨まれる鼠を幻視した。
 勿論鼠は……俺だ。

 意味ありげな笑みをニタ~と浮かべ少し離れた所でことのあらましを傍観していた俺に流し目を送ってきた。
 会話を中断された神宮司先生も蛇―――ひき逃げ犯の視線の先を自然に追いかけていく。

「―――例のお坊ちゃまと仲睦まじい甘ったるい空間を展開してるんだもの~。そりゃぁ少しの苛立ちもブレンドされちゃうかもね~」

 わざとらしく言葉の語尾を引き伸ばす口調が無性にムカついた。
 きっと挑発しているんだろう。悪徳そうな顔をしているのが妙に納得できた。

「……えっ! あ、あれは、その~」

 一気に攻防が逆転した。
 さっきまで強気で抗議をしていた神宮司先生は一転してアワアワと慌てふためいている。

(……はぁ。もしかして結構面倒くさい場所に教育実習に来てんのかね)

 肩に掛かる疲労がより一層重みをました気がする。
 ―――別にあのやり取りがどういう風に捉えられたのか知らないが神宮司先生が余計なボロを出すのは押しとどめよう。
 これから一ヶ月はお世話になる事になるのだから。
 間違いなくその間、からかわれる格好の餌にされるぞ。

 ―――嫌らしい微笑を浮かべて俺の挙動を観察している蛇さんは多分……。

 とってもお引取りしてもらいたいが―――これから赴く予定の職場の一員なのだろう。



 この時久しぶりに己の勘にクレームを付けたくなった。
 何せこういう時の直感は外れた試しが一度もないのだから―――。



 2001年 11月25日 午前11時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵大学





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第四話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 16:20






Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第四話 









「……ふぅぅぅ」

気怠い体を夜の風に任せる。
撫でる風は凍てつく冷たさで、火照った全身をまんべんなく包み込んでくれた。

―――体の内から温められた為か、普通なら寒く感じる外の温度も思いのほか気にさせない。
アルコールの充満した頭はボーッとし、未だに暫く休んでいたいと思わせられるほどだ。
……ちゃんぽんは危険だ、飲み口が良くてついつい進んでしまう。



「……狂犬ねぇ」

口から溢れた言葉は若干の恐怖と畏怖を混ぜあわせられていた。
井の中の蛙大海を知らず。
今回は俺が井の中の蛙だったらしい。
……まあ上には上が存在するもんだ、経験として大切に生かしていこう。
主に自分の生命のため。

『――――――!!!!!!』

一つ壁の向こうの宴会場では未だに熱気冷めやらぬご様子。
教師というストレスと真っ向から戦う職場に何時も身を置いていたら、そりゃこんな機会でも無けりゃ発散できないか……。



―――此処で話は替わるが、あの蛇女との遭遇の後、白陵大付属柊学園へと急ぐことになった。
本当に余分なのが付いてきたが、そこはひとまず置いておこう。
そんなこんなで最初に学校の案内を一通りして頂いたり、実際に授業をしている教室を見学させてもらった。
高校の校舎なんて久し振りだったため、結構面白くもあり、懐かしい気持ちにさせられた。
……青春の思い出は嫌でも頭の隅をちらつくモノだ。



これから此処で一ヶ月間頑張るのかと自らを鼓舞しながら、来週からの生活に思いを馳せ。太陽も夕日に変わった頃、漸く今日の授業が終わり教員室に居る先生方とお会いする事になった。
……最初は普通に自己紹介をして終わる筈だったのだが、後ろで黒い笑みを浮かべていた奴が一人。

「―――ねぇ皆さん? 折角新しい先生が加わる事になったのですから盛大にお祝いして差し上げません?」

この一言で俺の運命は変わったと確信している。
何故なら。



『―――アハハハ!!! 皆さんもっと呑みましょう! ……あれぇ教頭先生ぇ? お酒が進んでいないようなぁ?」

『―――あ、あはは。そ、そんな事はありませんとも、神宮司先生! い、いや、大丈夫ですから、一升瓶を近づけ―――』

―――アーッ!!! という哀しい絶叫が一つ壁の向こうから聞こえてくる。
悲哀の篭った助けてという哀れな言葉に俺は一切の手助けは出せない……。
なんせ俺は先ほどまでアレと飲み比べという名の罰ゲームを受けていたのだ。
少しはその苦しみを味わうといいさ……。






……あの瞬間教員室の空気が変わったのは気のせいじゃなかったのだ。
言いづらそうに目線を逸らす者。
ガタガタ震えながら顔を青くする者。

誰かが口火を切るかのように声を上げようとしたが、その声は別の人間に打ち消された。

「まさか、歓迎会に来られない先生は居られませんよねぇ? なんたって理事長先生のお墨付きですもの。盛大に騒ぐといいと経費まで全額負担して下さったのですからぁ」

……本当に頭が回る奴だと今になって思う。
一応というか俺は理事長の親戚という立場。
ソレを念頭に置かせ、しかも歓迎会という名目。経費は叔父持ちときた。
……何であんなに用意周到だったのか、今思うとかなり不自然だったよな。



「……はぁぁぁ」

吐く息は真っ白に染まり、黒い闇に消えていく。
もう冬も真っ盛り。
雪が振ってもおかしくないかな。
あぁ……今年のクリスマスはどうなるのかねぇ。
―――彼女は絶賛募集中ですが、何か?

「―――あら、こんな所にいたのね」

ふと気が付くと誰かが背後まで来ていたようだ。
―――声が察するに多分。

「隣、失礼するわね」

「―――ご勝手にどうぞ。……香月夕呼さん」

「あら、随分と他人行事じゃない、折角同じ職場に勤めることとなった同士だっていうのに」

どの口が、と心の中で愚痴る。
絶対確信犯だよ、コイツ。

「神宮司先生のアレ、きっとご存知だったんでしょう?」

「そりゃ勿論。何せ付き合いが長いもの」

悪びれる様子も一切なさ気に言い放つ。
どんな顔しているのか拝んでやろうか。
そう思い視線を移すとなにやら片手には宴会場から持ちだしてきたらしいアイスを手に持っていた。

「……こんな寒空の中でアイスですか」

「そりゃ、こんな寒空だからこそよ。人類の叡智の楽しみ方じゃない? わざわざ寒いのにアイスを食べるなんて」

(……どんな理屈だそりゃあ?)

したり顔の彼女は赤く染まった頬をモグモグと咀嚼させながら何やら哲学的な事を語り始めた。

「人類はついこの間まで火の種を起こすのでさえ物凄く大変な事だったのよ? 分かるかしら、ここら数十年で劇的な程の進化を遂げているの―――」



「―――とまぁそんな話はどうでも良いです。―――だったら何で宴会なんて開いたんですか?」

「ありゃ、素っ気無いこと。……そうねぇ、あえて言うなら……楽しそうだったから?」

可愛く小首を傾げながら此方を覗き込んでくる。
―――アルコール混じりの吐息が鼻に掛かる。
同時に女性特有の匂いを意識せざる負えなくなる。
なんせ、赤く染まった顔は妖艶さを引き立たせる。

(……何考えてんだ俺は)



「―――冗談よ。半分はね」

アイスを食い終わったのかガラスとスプーンが擦れるチーンという甲高い音が隣から響いてきた。

「新人教育するって決まってからあの馬鹿、無駄に肩肘伸ばして無理してんだもの。少しは息抜きしたらいいんじゃないかって思ったのよ。―――新人君も思っていたよりお利口さんみたいだし、まりもの本質を理解しておいた方が色々と融通が利くでしょう?」

「……………………」

「―――って何よ、その顔!」

多分、いやきっと酒が大分回っていたのだろう。
何せ短時間で最悪の印象しか与えてなかったこの女の、香月夕呼の評価が少し―――変わったのだ。

―――親友思いの意地悪女と。



「―――良いですね。……親友って」



2001年 11月25日 午後10時45分 日本 神奈川県横浜市柊町 



きっと彼女の頬が赤かったのは―――酒のせいだろう。











 

視線が一線に結ばれ、無数の針となって刺す。

―――針の筵。人生でここまで人間から注目されるのは久方ぶりだ。
……しかもこれを四六時中に渡って我慢しなければいけないという仕事。
ったく、キツそうだなぁ。

「―――ええっと、今日から皆さんと一緒に勉強をさせて頂きます。佐藤陣と申します」

黒板に己の名前が踊る。
黒板なんて代物に触るのも高校以来だ。
チョークの筆跡が静かに教室内に響く。
行儀の良い事に誰も無駄口を叩こうともしないのだ。
―――ああ、自分の高校時代は無駄に騒がしかったなぁ。
少しぐらい落ち着きの無い方が好きだなぁ俺は。

「……これから宜しくお願いします」

……次のアクションが思いつかない。
壇上に一人立たされる俺は、教室の一番奥に居られる神宮司先生目掛けてSOSサインを送るのだった。

本日。11月27日。
ついに教育実習生として本格始動開始であった―――。



2001年 11月27日 午前8時45分 日本 神奈川県横浜市柊町 









首元に僅かな違和感を覚え、無性にネクタイを解きたい衝動に駆られる。
目の前の鏡に映るスーツ姿の男がまるで遠くの人物に見えて致し方ないのだ。
―――シワひとつ無い黒色の背広。
―――清潔感の溢れる白色のYシャツ。
―――足元までピシッとしたスラックス。
―――汚れの見えない黒光りする革靴。

髪型も雑句把覧な体では無く、新人社会人を彷彿とさせる短髪。

……それが現在、佐藤陣を構成する外見であったりする。

大学時代は私服通学だった為、スーツに慣れないという弊害が自らに降り掛かってきていた。
……ネクタイ一つ結ぶのにも大分手間取ったのは秘密だ。

昨日の内に用意していた鞄も中身は完璧。
抜けは認められず、準備は万端だ。しかと己の科目の内容は把握してきた。

玄関ホールに用意されていた大きな鏡に背を向ける。
―――徐々に心拍数が上昇するのを嫌でも自覚してしまう。

「―――ふぅぅ」

目を閉じて、深く息を吐き出す。
頭に蔓延る嫌な予感や、不安を一緒に外に吐き出し、切り替える。
うじうじ考え込んでも仕方がないのだ。当たって砕けろの精神で……。
―――砕けたらいけないんだけどね。

「―――っ良し!」









―――しかして救いの手は伸ばされた。

仕方がないなといった表情の神宮司先生は悠然と机の間を歩き、慣れた動作で教壇に登る。

「―――以上で今日から皆さんと一緒にこの教室で時間を共にする佐藤陣先生の自己紹介を終わります。何か質問がある人は居ますか? 有るなら挙手して下さいね」

教室全体をまんべんなく眺めながら、一言ずつ確りと語りかけていく。
……先程の俺とは比べようも無いほど自信に満ちあふれていた。

―――成る程、一つ勉強になった。全体を眺めながら、ね。
あまりそわそわしちゃイカンと。
性分的にあまり人前に出なかったからなぁ。こういう人心掌握術はさっぱりだ。



迷うかのように一つまた一つと手が上がっていく。
……どうやら一応興味を持ってもらったようで安心した。
人間興味を持ってもらえなくなるのが一番不利だからな。

「―――それじゃあ、榊さん。どうぞ」

ハイっと返事の声を上げながら席を立つ女生徒。
特徴的な眼鏡を掛けていて、三つ編みが目を引く。
第一印象は―――ああ、きっと彼女はクラス委員長だろうなというモノだった。
神宮司先生に習って教室の生徒達の顔を眺めてみたが、明らかに一人だけ際立って真面目そうな雰囲気で背筋や動作の一つ一つがキビキビしている。
後は―――直感だ。

「質問なのですが、佐藤先生は私たちのクラスの副担任として赴任されたと考えて宜しいのでしょうか?」

どうぞという視線を神宮司先生から受けとり、一歩前に出る。

「―――どうも質問ありがとう。榊さん、だったかな? そうだね、確かにこのクラスの副担任として皆さんと共に生活することになりました」

「……そうですか。佐藤先生は科目も持たれるとお聞きしました。確か社会科だと思うのですが」

目の前の男が短い間でも副担任としているのが嫌なのだろうか?
矢継ぎ早に先を促してくる。

「ええっと、そうだね。皆さんに解りやすいように授業も進めていけたらと考えています。勿論解らないところがあったら個別で教えたいと思っています」

「……質問にお答えいただきありがとうございました」

きつく結んだ真一文字の口元はあまり快く思ってはくれてないことを如実に示している。
ツンばかりでデレがこないとは……。
―――ああそっか。半人前がこの時期来られても困るとかかな……。
受験も近いもんな……。



「―――ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! 次は壬姫の質問いいですか~!」

「―――珠瀬さん。ちゃんと挙手してから質問して下さいねぇ~」

さて、上手くこの研修期間を切り抜けられればいいが。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第五話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 16:17

「―――ってところかな? そろそろHRも終わる時間だし一度お開きにしようか。質問はまたの機会にって事で」

何だかんだ言っても新しい人間に対して多少の興味はあるらしい。
一つ質問が終われば、また一つと言った風に質問は途切れることは無かった。
……主に猫っぽい珠瀬さんが半数を占めていたけどさ。

「はーい」とお行儀良く返事を返してくれたのも、勿論珠瀬壬姫だった。
ピンク色の髪色でツインテールをしている彼女。
……まるで猫耳を象ったかのような髪型が物凄く気になる。
ワックスで固めているのだろうか……。
フリフリと振りし切っている尻尾も椅子からはみ出て見えるのがまさに猫だ。

『―――武ちゃん!!! 遅刻しちゃうよ~!』

『―――だ~! うるせえよ! 分かってるちゅうに!』

『―――うむ。鑑も落ち着け。ちゃんと理由を説明すれば教諭とて理解して下さる筈ゆえ』



―――? なんだ一体全体? 廊下の方が妙に騒がしいような気が……。
時間的にはまだHRは終わって無いんだけどな……。

「―――この声……もう。あの子達は……。佐藤先生初の登校日だっていうのに……。はぁ……」

……何か小声で神宮司先生が呟いているな。

ささやかなノックの音、そうして後方の扉が遠慮がちに開かれた。
幅は大体人の頭2つ分位。
その空いている隙間から生首がひょこっと顔を覗かせる。
……いやまあ此処から見ると本当にそう見えるんだよ。

「―――あの~、すいません。もう遅刻ですよね……」

―――鮮やかな朱色に染まった赤毛の少女。
頭からは触覚のようなアホ毛を携えて。
若干申し訳なさそうな顔をしている。

「……鑑さん。いいから入って来なさい。あと後ろの二人もね……」

頭が痛いのか、こめかみ辺りを抑えながら低い声で命令を下す神宮司先生。
引きつく口元は、ああ―――お怒りなのだと如実に教えてくれる。



……にしてもあのアホ毛何処かで見たような……。
おずおずと生首宜しい赤毛の少女が教室内に入ってくる。
それに続き二名のお客様の顔も続く。
一人はボリボリと頭を掻きながらブツブツと文句を零している様子。
一人は綺麗なお辞儀をしてから、教室に入ってきていた。

……若干一名。意外にいい根性の奴も居るじゃないか。
進学校だって聞いていたから真面目君ばかりだと思っていたが。

「あの! 言い訳じゃ無いんですけどちゃんと理由が有って遅刻をしてしまいました……」

「神宮司教諭。一応話だけでも聞いて下さりませんか?」

「~♪」

「っ武ちゃん! 武ちゃんも一緒に謝ってよ~」

「だって俺関係ねぇじゃん。俺は先に行こうぜって言ったのによ~」



―――はぁ。と大きな溜息が一つ聞こえた。

「―――三人ともいいから先ずは席に着きなさい。遅刻の理由はちゃんと後で聞きますから」

静かに、でも確かに怒気を孕む。
教室内に反響したかと錯覚に陥る程だ。



「……っ。はい……すいませ……ん?」

赤毛の少女は俯きがちだった顔を前に向き直ると偶然俺と視線が混じり合う。
―――どうやらあちらさんも此方の顔に見覚えがあるらしい。
…………あの触覚どっかで見たんだよな。記憶が正しければ結構最近に……。

「―――って、あー!!! あの時のおじさんだ!?」

「―――へ? おじさん?」



2001年 11月27日 午前9時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵柊学園












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第五話 












 2001年 11月26日 午前6時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 高層マンション1007号室



「―――ぁ……夢、か」

―――熱く苦しく煉獄の夢を視ていた。
異形の化物と殺し合い。殺戮の限りを尽くした夢。

「……水」

ベッドから逃げるように起き上がると、体は水分を先ず欲した。
喉がカラカラで仕方がない。

部屋に備え付けられた小型冷蔵庫の前まで足取り重く歩き、水の入ったペットボトルを手に取る。
―――冷たく冷えた水が喉を下っていく。なみなみとあった水かさが早い速度で減る。

「―――ぷぁっ……」

荒い呼吸を幾度か重ね、胸の鼓動も落ち着きを見せ始めた。

(……気持ちの悪い夢を見た……。生々しい感触が未だに体を覆い尽くして……)

頭に蔓延る悪夢を胡散させる様に頭を振りし切る。
―――微かにペットボトルを持つ手が震えていた。






―――どれ位時間が経ったのだろうか?
ボーッと虚ろな目で居間のソファーに横たわっていた。
丁度目の前に当たる天井の模様を見つめていた。

チクタクと時計の針が進む音だけが室内を支配していた。
テレビも付けず、閉めきったカーテンの先には何時もの日常が転がっているのだろうか?
―――それとも……。

ベランダからの景色は黒煙の舞う廃墟?
血のような赤い夕焼けに火柱が混じり合っている?
―――赤い空が割れて、“ナニカ”が降り立ってくる?



「……馬鹿らしい」

……耳を澄ませば何時もの日常の音が聞こえてくる。
人工音。
自然音。
雀の鳴き声だって耳に届いているではないか。

―――なんて哲学に考え伏しっていたが、所詮は人間。

……さっきから腹の虫が泣き叫んでいた。





適当に着替えを済まし、防寒の為にジャンパーを羽織る。
髭も剃らず、ガムを噛み、ウエットティッシュで顔を拭いただけ。

はるかにこれから教職に着く人間には到底見えない出で立ちだ。
無精髭を摩りながら小さな手鏡を覗くと結構いけるんじゃないかと思い込むことにした。

冷蔵庫には一切の食料は無し。
……まあ有っても俺が料理なんて代物作れる訳ないがね。



真新しい鍵をカチンとはめ込み回す。
ドアにロックが掛かっているか軽く確認。
……問題はナッシング。

「……さて、適当に食堂ででも済ますか」
腹に入れば一緒だ。
大層な代物をお求めできるだけ金銭的にはビップじゃない。

―――うう、寒い……。
ああ、そうだ帰りにマフラーでも買っていこうかな……。






2001年 12月2日 午前11時00分 日本 神奈川県横浜市柊町 商店街



雑踏の人混みを避ける様に人気の無い商店街に迷い込んだ。
……芳しい料理の匂いに釣られてっていう訳じゃないぞ。
朝飯には少し遅い。昼飯には少し早い。中途半端な時間。
近場の商店街に一件だけ、それらしい看板が目に入った。

「―――京塚食堂……か」

店頭に掲げられている真新しい看板にはポップな字体でそう彩りよく刻まれていた―――。



「いらっしゃいませー!」と威勢の良い声が襲いかかってくる。
見た感じ店内は綺麗でわりかし良さげ。
下町のTHE定食屋では無く、カジュアルスタイル。
若々しいエネルギーが満ちていた。

「お一人様でしょうか?」

パタパタと擬音が聞こえてきそうな足取りで可愛らしい女の子が近づいてきた。

「―――あ、はい。一人です」

出で立ちは定食屋によく似合う割烹着姿。
短髪に揃えられた黒髪はボーイッシュな印象を残させる。
凛とした出で立ちは、“知り合い”の雰囲気と酷似して見える。
―――そういえば此方に来てから連絡してないな……。

「お―様? ―客―? お客様!?」

「っ、うおっ!」

一瞬意識が別な場所にワープしていた。
大きな声がはっと目が覚める。眼前には心配そうに俺を見るクリっとした瞳が二つ。

「あっああ、すいません。少しボーッとしてました」

「……そうですか? ご気分が優れませんでしたら声をお掛け下さいね?」

心配そうな声色で釘を刺された。
まあ飲食店で人に倒れられたらトンデモないよな……。自重しよう。

時間帯によるものなのか、店内にはまだお客さんの顔は見受けられない。
空いているのは個人的には嬉しいけど……。
先程の店員さんにカウンター席に案内され、大人しく着席。

水とメニューを渡され、さて何を食べようか?
和洋中、見る限り数多の料理を網羅している。
……味が不安になってきた。

チラリと厨房を覗くとパートのオバちゃんなのか白い割烹着を着た太めかししい方がお一人。
店主は奥で作業をしているのかな?

―――ジーッと後ろから何者かからの視線。
考えられるのは一人か……。
居づらい……。

……どれが良いか分からんからいつものやり方で良いか。

「―――すいません」

右手を上げて後方に待機していた店員さんを呼ぶ。
……どうやら店員もこの子以外は見当たらない。
個人経営の小さなお店かな?

「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」

「ええっと。このお店でのオススメってあります?」

「……オススメですか? ……はい少々お待ち下さい」

眉を潜めて暫し考えこむ少女。
数秒後考えに至ったのか厨房まで駆けていった。

「―――……」

「―――……」

厨房からは小さな囁き声が聞こえていた。






数分後注文の品と共に彼女は戻ってきた。
手に載せられたキャラクターがあしらわれたお盆には白い白米と、なめこ汁と、―――さば味噌煮。
手堅く日本食がオススメらしい。
にしてもいちいち定食屋とは遠いイメージのものが登場してくる。

「―――お待たせしました」

飲食店の定例句と共にカウンターに料理が並べられた。
ニコニコと営業スマイルを振りまきながらだ。
この笑顔は無料なのかね……。




さりとて此処は喫茶店では無く、定食屋。
味に文句さえ無ければどうでもいい。
なんてタカをくくって……あまり味には期待をしていなかったが―――。

「―――っ」

「―――美味い……」

味噌が程よく溶け合った鯖は是品、なめこ汁も言わずもがな。
白米も俺が炊く米とは次元が違う。
……何だこれ。

ご飯を掻きこみ、鯖を食し、汁を啜る。
何度も反復運動の様に繰り返すこと数度。
あっという間に眼前に並べられた定食は俺の腹の中にと収まっていた。
―――ごちそうさまでした。

「―――ふふふっ。いい食いっぷりだねぇ。アンタ」

いつの間にかカウンターの前に白い割烹着姿のオバちゃんの姿が。
物凄く恥ずかしい……。
かなりがっついて食っていたかね……。

「あははは。いやぁ箸が止まらなくて」

「そうかい。アンタみたいなお客さんは料理人として嬉しい限りだよ」

「……料理人?」

不躾かも知れないが、その時の俺にはそんな配慮を考えられる程余裕は無かった。
貴方が? と指でオバちゃんを指したのだ。

「……そうだよ? どうかしたかい、変な顔して」

きっと後ろにおわすだろう、例の店員さんに振り返り同じく問答を繰り返すと。
ブンブンと縦に首を降ってくれた。
……まさか本当か。

「…………人は見かけによりませんねぇ」

余談だか俺は良く友人に一言多いと諫言を受けることがしばしばある。
口は災いの元。
友人は口が酸っぱくなる程言っていたのもだ。
……口多いな。



「……アンタ、初対面の人間に言う言葉かいそれ? ……まあいいかね。面白いし」

バシバシとカウンター越しに肩を叩かれ、少々咽る。
俺今水飲んでんだよ! 見えてるだろう!
復讐なのか、サービス業にはあるまじき冒涜だ。

「ふふふっ。お母さんたら」

―――えっ?

背中越しの背後から聞こえたフレーズは決してスルーできるものじゃ無かった。
お母さん?
コレが?

「ん? どうしたんだい?」

ふくよかな体躯とくびれているであろう腰元の持ち主が……。
親子?

「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」

「なんだい?」

「―――もしかして後ろの子と親子だったりします?」

問の質問には、YESの答えが用意されていた―――。





[30964] Muv-Luv Inevitable 第一章 悲憤慷慨 第六話
Name: 月と太陽◆3f283f35 ID:cd7ca637
Date: 2011/12/31 15:57


―――あ、もしもし。うん、どうかしたか?



―――うん。まあ一日目が滞り無く終わったとこ。



―――いやー。疲れるね。教える側が大変なのは察していたけどさ。



―――そっちも大変か? ……ま、お互いに頑張ろうや。



―――うん。ホントにだよ。……んで要件はそれだけじゃないだろ?



―――…………なるほど、忘年会ね。でも新年会もやるんだろ? 結局さ。



―――……だよなぁ。そりゃあの飲兵衛さんだもんな。全く―――雨宮センパイには困ったもんだ。



―――っえ? ああ一応大丈夫かな。今の所職場の方たちには誘われて無いから。



―――いやぁ。ちょっと込み入った事情があってな。多分殆どの方が宴会を開こうとは言い出さないと思う。



―――……まあ一応仲良くさせて貰っている。多少苦手な人もいるけど……。



―――先約は今の所只今頂いたサークルの飲み会くらいかな? もしかしたら参加はどっちか一つになるかもだけど……。



―――ほら、流石にどっちかはやると思うんだよ俺は。何せあの叔父が経営する学校だもん。



―――はははっ。 そっちも大変そうだな。……つーかセンパイ就職上手くいったのか?



―――……なるほど。やっぱり学院に進学するって? くくくっまだ暫く学生を謳歌したいってか?



―――そりゃ分かるさ。付き合い長いもんな。



―――え? 俺? ……うーん、未だ分からんかね。就職した方がいいのは分かってるんだけど、もう少し勉強したいかな。



―――……そりゃ何時までも甘えている訳にはいかないさ。此処まで面倒みてくれたんだ。



―――…………ああ、分かってるって。駄々を捏ねてる訳じゃない。



―――……悪いな、熱くなっちまって。……うん。それじゃ、またな?



―――うん? 何だよ、未だ何かあんのか?



―――………………おい、だからハッキリ言えって。中途半端にお預けを食らうのは嫌いなんだってば。



―――……は? ……クリスマス? ……まあ予定は無いですが、何か。



―――……そりゃある訳無いだろ。つーかお前が一番知ってんだろが。女っ気が無くって悪かったなぁ……。



―――うん? ……サークル主催のクリスマスパーティ? はあ? 去年そんなのあったけか―――?



―――いやまあ暇だから大丈夫だけど、遠くね? 横浜から東京だぞ。……ああはいはい。分かったってば。



―――オッケー。予定が空いたら行きますよ。……ったく、火急な要件が無ければ優先しますってば。



―――色々と行事の件は了解。んじゃ、またな―――唯依。












Muv-Luv Inevitable

第一章 悲憤慷慨

第六話 












2001年 11月26日 午後4時30分 日本 神奈川県横浜市柊町 ゲームセンター



騒がしい電子音。
異様な賑わいを見せる若者の憩いの場、ゲームセンター。
その一角にて、人集りができ観客を魅了するショーが行われていた。

「―――っち! ちょこまかとぉ!!!」

神攻電脳バルジャーノン。
世界各地に熱狂的なファンが数多い、対戦型3D格闘ゲーム。
タッグマッチやチームマッチなど多種多様な対戦方法があり、ゲームセンターに君臨して幾数年。
今ではゲームセンターでのトップシェアを誇るブランドに成長していた。

目の前で繰り広げられるドッグファイト。
高速戦闘を繰り返し、三度。
交錯する刃は互いの機体を穿つ事は出来なかった。

「っ、おらぁ!」

アクセルを小刻みに踏み込みながら、機体を斜め上に滑らせる。
―――学生時代、無駄にバルジャーノンにのめり込んでいた訳ではない。
多角的軌道を心がけ、太陽を背に背負う。
太陽光による初歩的な陽動作戦、さてどうくる……。
降下後に接近戦、然らばブレードを選択―――。

「―――掛かった」

(いや? わざと掛かってきたのかね?)



相手は此方の行動を読み、先手を打つ。
敵機は近接戦闘に特化した機体のようだ。
先程からの戦闘から鑑みても容易に想像できる。
様変わりしたバルジャーノン搭載の操作機体も世代を重ね姿を変化させたのみ。
ご丁寧に両の手に攻撃範囲が広そうな大型ブレードを装備。

「―――バカ正直だな」



嘲りの失笑を零す。
―――行動の一つ一つに隙がないのは認めよう。強敵だ。
……だが。

―――それだけだ。

ゼロ距離射撃によるスナイプ。
遠距離型の機体にしか装備されない弾道が直線で最も早い弾丸を用いる武装。
―――スナイパーライフル。スコープ越しでは無く、目視で狙いを定める。

経験による攻撃方法。
―――奇襲は初見では見きれない。



無駄な時間を重ねたあの青春はどうやら中々に無駄なモノを切磋琢磨させたようだ―――。






人間夢に出てきた事など殆どが頭に残っていないものだ。
しかし悪夢は頭に蔓延りつき落ちようとはしない。
結論を言ってしまえば、俺は目に見たものしか信じない質である。

駅前のゲームセンター。
立地的に乱雑するこの手の娯楽施設を見つけるのは全く苦労をしなかった。
……バルジャーノン。
今朝の悪夢にご登場を果たした懐かしの青春の欠片。



京塚食堂にて腹が膨れ、さてこれからどうしようか?
なんて考えに至ったら自ずと今朝の悪夢についてあれこれと考え込み始めるもの。
数分の熟考の後、面倒だからまず実物をみて判断しようと決めました。

「―――くっそ~。あと少しで倒せたのに……」

そして件のバルジャーノンのあるゲームセンターまで足を運び、やっぱり対人ゲームだと再確認。
……やはりただの夢だったかと、胸を撫で下ろすが―――消えない違和感が喉に骨が刺さっているかのように存在している。

「―――顔を拝んでやろうと思ったのにもう居ないしなぁ」

―――そんな時、ある闘いが視界に入った。

タッグマッチにて行われている一戦。
行われている試合はごく普通の1対1だ。
しかし―――。

「―――面白い動きしてたな……」



先読みを意図も簡単に行う技量も目を惹かれたが、やはりその無駄のない機動が最たるモノだった。
月日によって体得したとは思えないバルジャーノンの常識外の動き。
一瞬、時代が変わって新しい概念が生まれたのかと思ったが……。

周囲の戦闘を見ても浮いていたのだ。
俺とてこれでも昔は―――世界を目指した大馬鹿だ。
高校時代でもあそこまで露骨な変態は居なかった。

そして俺は喜び勇んで、乱入を果たし一騎打ちを申し込んだ。

「……って、何遊んでんだ俺は」



ふと気が付いた。
……そういえば俺はなんで此処に来たんだっけか、と。









2001年 12月8日 午前9時10分 日本 神奈川県横浜市柊町 白陵柊学園



「―――えー、此処テストに出すからなー。しっかり書いておけよ」

少し拙い手つきで白い文字を書きこんでいく。
黒板にチョークを突き立てる音が教室のBGM替わりだ。

(今のとこ、どうにかやれてるな……。人間為せば成るってか)



本職の先生が教室の後方で待機している様は出来るだけ視界に入れないように。
最初の頃はいちいち注意を受けながら授業を進めていたが、一週間も経てばこの通り。

「っと、今までの範囲で解らないとこはあるか? あるやつは質問を受け付けるぞー」

ビシッと綺麗に手が瞬時に上げられた。
無駄に美しい上げ方が無性にむかついたのは秘密だ。

「はいっ! 佐藤先生! ぶっちゃけ範囲広すぎじゃないですか!」

「……白銀ぇ。そりゃあお前だけだよ。後でさっぱり理解出来なかった奴用に補習を開いてやるからそこで頑張れ。範囲は仕方ない、お国様からのご命令だからな」

「……補習かぁ。……了解です」



クスクスと教室中から失笑が漏れる。
キャラが立っていて面白いのはいいが、はなから理解しようとしないのはなぁ。全く鑑を少しは見習えつーに。

―――頭を掻き毟り、目をグルグルと回している鑑純夏さんをな。






「ふー。疲れたぁ……」

職員室。
佐藤陣の安息が約束されている数少ない場所。
自分に割り振られた机一式のテリトリーにて絶賛伏せっていた。



「―――佐藤先生。お疲れ様です」

優しく肩を揺すられる。
姿は見えずとも誰かなど分かり切っていた。
鼻をつく、お茶の香ばしい香り。
俺の好きな玄米茶の匂い。
数日の内に俺の好みも丸分かりのようだ。

「ああ、すいません。―――神宮司先生」

疲れた体を起こし、声の主に向き直った。
肌寒い時期にはうってつけのお茶を携えた聖母がそこには降臨していた。

「熱いので気を付けてくださいね?」

注意勧告を受けながらお茶を手渡しされる。
「頂きます」とお礼を言ってから好物の玄米茶を啜りホッと一息。
五臓六腑にお茶が染み渡り心地いい気分だ。

「大分先生にも慣れてきた様子ですね」

多分に此方の心境を察してかおもむろに口を開く。
―――教職は俺にも向いてない。
この短い期間でも十分にその事は痛感していたところだった。

「……そう見えているなら、一応成長してるのかも知れませんね」

乾いた笑みを張り付かせながら、肯定の意を見せる。
客観的に見てそうなら、そうなのだろうと。

「……そう露骨に俺って駄目ですね、オーラを出されると此方も困ってしまいます」

全く困って無そうに笑いかけてくる神宮司先生……。
あんた鬼だ。鬼軍曹や。

「まあ頑張ってみますよ―――だからその変な薬は要らないです」

黒い満面の笑顔で近づいてきた彼女。
白陵柊学園のマッド・サイエンティスト。
―――香月夕呼様のお通りだ。
手には黒い液体がなみなみと注がれたティーカップ。
あれはコーヒーなどという飲み物では決して無い。

はっきりと拒絶の意志を示す。
なんせあの物体を一度飲まされ、頭の回線がショートしたのだ。
もう騙されん。絶対に。

「あら~。折角先輩からの行為を拒否るなんて偉くなったもんね、アンタ」

誰が、っと疑いの視線を向けて椅子に体を預ける。
じわっと疲労が体に滲み込む。
本当に疲れる、教わる側と教える側に此処までの隔たりがあるとは……。



「―――疲れが溜まってるみたいじゃない。なら―――」

「飲みに行きましょうか?」と禁断の古代魔法を唱える悪魔。
若干嬉しそうな神宮司先生がとても哀れにみえて仕方ない。

嵐の前の静けさ。
職員室は途端に誰一人とも言葉を発しなくなった。
時が止まっていた。まさに最終兵器の名に相応しい。
狂犬の名は伊達じゃないのだ。

……さて、俺は。



「―――すいません。テストの答え合わせがあるので、とぉっても残念ですが」

疲れが吹っ飛ぶどころか、記憶が吹っ飛ぶぜそれは。

職員室の先生方から「―――お前まさか!」というテレパシーは受け取ったが知らん。
ああ? 特に青い顔している川福先生? 
いつも神宮司先生に言い寄っているんですから、こういう時に活躍しておいて下さいね?
―――え? 俺?



―――勿論、ご遠慮させて貰います。




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.137573003769 / キャッシュ効いてます^^